「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 東郷和彦(元外務省欧亜局長)氏の「世界は『ウクライナの正義』か『一刻も早い和平』かで揺れている」という題名の記事が話題だ。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/307219

 「ウクライナの正義」対「一刻も早い和平」のどちらを選ぶか、という勝手な要求を設定しておいて、和平が大事だ、という主張をして、結果として、戦争の責任を、降伏しないウクライナに押し付ける。「親露派」の面目躍如の内容だ。

 東郷氏と言えば、外務省で「ロシア・スクール」の重鎮であり、やはりウクライナを糾弾し続けている日本維新の会の鈴木宗男議員と交際が深く、北方領土をめぐる対ロ交渉でも大きな影響力を発揮していたことで有名な人物である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%92%8C%E5%BD%A6 

 「プーチンにある程度『お土産』を渡した形で収めない限り、戦争は終わらない」という東郷氏に従うと、「プーチンにお土産を渡していない」、という理由で、ウクライナが責められることになる。

それにしても「お土産」は、どこかで聞いたことがある言い回しだ。橋下徹氏である。橋下徹氏は、「中国にお土産を」という主張を揶揄されて、ジャーナリストの有本香氏らに、「お土産の人」と呼ばれている。https://hanada-plus.jp/articles/1016

 東郷氏が橋下氏に影響されたのか、あるいは逆なのか。それとも元祖は鈴木宗男氏だ、と言うべきなのか。https://www.news-postseven.com/archives/20170616_563368.html?DETAIL

 いずれにせよ、「お土産」は、「親露派」と呼ばれる方々の特徴的な言い回しになっている。

 プーチン大統領のロシアは、核保有国の暴力を振り回してウクライナに侵略しているだけでなく、ウクライナの支援国に対しても第三次世界大戦を起こすぞという威嚇をしている反社会的集団である。暴力団が現れたら、とにかくひれ伏して、どこまでも「お土産」を差し出すしかない、という忠告は、あるいは日本社会の一部では「大人の知恵」のようなものとして尊重されている裏社会の常識のようなものなのかもしれない。

 国際社会に厳しい現実があるのは確かだ。戦争を一刻も早く終わりにするための方法を皆が真剣に考えたい状況であることにも疑いの余地はない。しかしだからとって弱者に全ての負担を押し付け、国際秩序の崩壊を容認してでも、強者に「お土産」を渡すことだけを優先させるのは、賢い考え方だとは言えない。岸田首相が率いる日本政府のみならず、世界各国が採用している考え方でもない。

 しかも大多数の日本人は、このような「お土産論」に接して、「いじめは、いじめられた弱者が泣き寝入りすれば、解決になるんだ!」、と事なかれ主義の教育委員会の偉い人に圧力をかけられているかのような気持になり、不快を感じている。

 日本はもはや、バブル時代に高位の職にいた方々の「税金でじゃんじゃんお土産を買って貢いでいこう」論に同調していける余裕のある国ではない。それは国民もはっきり感じており、ロシアへの「お土産」を積み上げるくらいであれば、防衛費の増額のほうが国家への建設的な投資になる、と考えている。

親露派の方々の「お土産」論は、外交論として危険であるだけでなく、国内世論対策としても、暴走老人への道でしかない。

 

 鈴木宗男氏が、また話題を作った。自身の公式ブログで、「ゼレンスキー大統領は『武器を供与してくれ、少ない』と訴えている。欧米諸国は協力する姿勢を示しているが、それでは戦争が長引き、犠牲者が増えるだけではないか」とし、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断と思う」と述べたのである。https://news.yahoo.co.jp/articles/42f797f045bc47eeda416e046c33cfaab72fb9cd

 さっそくロシアのメディアである『スクープトニク』日本などが取り上げている。https://jp.sputniknews.com/20220616/11579880.html 

 612日の「ロシアの日」にロシア大使館で開催された式典でロシアとの友好を誓っていた鈴木宗男氏だが、さながら「日本維新の会」ならぬ「日本親露の会」代表と言うべき大活躍である。

 鈴木氏の政治的立場については多くの方々がコメントしており、私自身もツィートした。

https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1537380805806534658

 そこでここでは少し踏み込んだ話をしたい。「自前で戦えない」のなら、事実上の降伏とも言える形で停戦を申し出ることが妥当だ、という鈴木氏の主張についてである。

 多くの人命及びその他の重大な価値が関わる政策判断だ。当事者の主体的な判断を尊重すべきで、そもそも外部者が軽々しく指図するのは不適切である。日本の同盟国であるアメリカや、昨日キーウを訪問した日本のG7の仲間である仏・独・伊をはじめとする友好諸国も、そのような立場をとっている。

 それにもかかわらず、鈴木氏は、結論は自明であり、それをウクライナに言い聞かせたい、と考えているようだ。果たしてその態度に裏付けはあるだろうか。

 ヨーロッパの歴史を見てみよう。たとえば第二次世界大戦の際、ヒトラーのナチス・ドイツは、東欧諸国、ベルギーやオランダといった中立国のみならず、フランスも占領してしまった。19406月の段階で、ドイツと戦い続けるのはイギリスだけとなった。

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”Europe at War 1939-1945” published by Barbara Wagner: https://slideplayer.com/slide/15421222/

 

 イギリスは明らかに劣勢であり、国内ではドイツとの和睦を唱える有力政治家も少なくなかった。イギリスは、ドイツ空軍の空爆にさらされて防戦一方の状態であった。しかし19405月に首相に就任していたウィンストン・チャーチルは、それでも徹底抗戦の路線をとり、閣内から和睦派を一掃した。そのとき、ヨーロッパで孤立無援の状態であったイギリスが何とか持ちこたえられたのは、「レンドリース法」で強力な軍事支援を行ったアメリカの存在があったからである。

もし「自前で戦えないのなら潔く停戦をお願いするのが賢明」とチャーチルが考えていたら、世界史は大きく変わった。イギリスの立場も弱くなり、現在の国際社会の秩序も存在していなかっただろう。鈴木宗男氏が、チャーチルに「停戦せよ」と説教する様子を想像するのは、辛い。

日本人にとって、もっと痛々しい事例は、日中戦争だろう。満州事変で国際的に孤立した大日本帝国は、1937年にはさらに「支那事変」を開始した。蒋介石の中国国民党政権は、奥地の重慶に退いて抗日戦争を継続したが、中国の主要都市のほぼ全てを日本軍に占領され、工業生産力のほとんども失った状態であった。それでも戦争を継続できたのは、外国からの支援があったからである。

この蒋介石政権を支えた、いわゆる「援蒋ルート」のうち、仏印ルートはフランスがドイツに占領されたことによって消滅した。ソ連からの援助も、1941年日ソ中立条約の締結とともに停止となった。最後まで継続したのが、イギリスとアメリカからの軍事援助であった。それでも当初のビルマルートは、1942年の日本軍によるビルマ侵攻で遮断された。しかし英領インドを拠点にして、インド東部からヒマラヤ山脈を越えての空路による支援は続けられた。これによって持ちこたえた国民党政府は、第二次世界大戦終了時には「戦勝国」とみなされ、国連常任理事国の地位まで獲得することになった。全ては英米からの軍事支援が生命線として残り続けたことによる結果である。

鈴木宗男氏が、現在は台湾に移っている中国国民党の幹部に、「自前で戦えないのなら潔く停戦を申し出よ」と説教する姿を想像するのは、やはり心が痛む。

「力による一方的な変更」は認められない、という国際社会の原則が生まれたのは、この頃であった。満州事変を1928年不戦条約の違反とみなしたアメリカは、現実を追認して、力による変更を認めることはしない、という立場を表明した。いわゆる「スティムソン・ドクトリン」である。このドクトリンは、1932年に表明された当時は、すぐには現実に影響を与えなかった。しかし第二次世界大戦の帰趨が決まった後の戦後処理の過程において、大きな意味を持った。

「スティムソン・ドクトリン」によって導入された考え方は、今日では国際社会の原則になっている。たとえば2014年にロシアに併合を宣言されたクリミアが、今日でもなおロシア以外の諸国によってウクライナ領だとみなされ続けているのは、「スティムソン・ドクトリン」によって確立された原則的な考え方があるからである。このドクトリンを通じて、アメリカは、中華民国のみならず、国際秩序そのものに対して、強力な支援を提供したのだと言える。

もちろん、私はこのような史実を参照して、どこまでも徹底抗戦することだけが常に正しい、と言いたいわけではない。たとえば日露戦争の際、日本は、主要な戦場での勝利を収めた後、アメリカに調停を依頼して、ポーツマス条約の締結を通じた終戦を達成した。ロシアとの総合的な国力の差を認識したうえでの決定であった。「日比谷焼き討ち事件」で多数の死傷者を出すほどの民衆の反対も引き起こした妥協的な終戦であった。

ただし、それでも日本が戦争の終結を国益にかなうと考えたのは、主要な戦闘での勝利を通じて、極東におけるロシアの南下政策を止めるという最高目標は達成したと判断したからである。そうでなければ、戦争はより長期にわたって続いただろう。

戦争をどのように終わりにするか、終わらせることができるか、は、高度に政治的な作業である。様々な事情と可能性を考慮しなければ、方向性の判断もできない。しかし、だからこそ、軽々しい発言をして、当事者の尊厳を軽視するかのような態度を見せることは、日本の国際的な威信にもかかわる。国会議員の先生方には、できる限り慎重に振る舞っていただきたい。

 プーチン大統領が自らをピョートル大帝に模したことが話題だ。17世紀末から18世紀初頭にかけて、ロシアの拡張主義的政策を主導したピョートル大帝への参照は、プーチン大統領の野心を明らかにしたものだと受け止められている。https://www.cnn.co.jp/world/35188854.html   それは、全くその通りである。ロシア・ウクライナ戦争中だから話題になっただけで、以前から自明視できた点だ。  だが本当の論点は、むしろプーチン大統領をこえた地点にある。拡張主義は、ロシアという国家の本能的な性質か否か、が大きな論点だ。  冷戦時代には、「ソ連」は共産主義という特殊なイデオロギーを掲げていたがゆえに拡張主義をとっている、という見方もあった。これは共産主義体制の崩壊に伴う冷戦の終焉によって、ロシアは拡張主義をとることをやめる、という楽観論につながっていった。  これに対して、「ロシアは拡張主義をとる本性を持つ」、という洞察を提示する論者も多々存在している。まさにピョートル大帝の時代に「ヨーロッパ」にロシアが参入してきた時代からの長い歴史的スパンで見るならば、ロシアが「ソ連」などをこえて拡張主義的政策をとる性質を持つ国家であることは明らかだ、と考える論者たちである。  その代表例は、誰も攻めてこない北極圏を後背地で持ちながら、大海へのアクセスを持たないという制約を持つ国家であるロシアは、必然的に海を求めて拡張政策をとる、と洞察した「地政学者」のハルフォード・マッキンダーだろう。私などは、小学校の時分に倉前盛通氏の『悪の論理―地政学とは何か』(1980年)を読んだときからマッキンダー地政学の世界観にはなじんでいるので、「ロシアは標準モードでは拡張主義をとらないのだ、ロシアが拡張主義をとるのはあくまでもNATOを率いるアメリカに追い詰められて切羽詰まったときだけなのだ」、という反米主義者の方々の主張には、どうもなじめない。  今にして思えば、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻を見て、印象が深まっていた時代だったのだろう。岡崎久彦氏の『戦略的思考とは何か』が出版されたのも1980年代初めだった。岡崎氏は、ヘンリー・キッシンジャー氏に大きな影響を受けた人物だが、岡崎氏が監訳したキッシンジャー『外交』という書物の中には、次のような一節がある。
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 ロシア史の矛盾は、十字軍的な傾向とぬぐい切れない不安感との、絶えざる相克に起因している。この相克は究極的には、帝国が領土を拡張しない限り分裂してしまうとの恐怖を生み出した。ポーランドの分割に際してロシアが第一の立役者となったのも、一方では安全上の理由があったにせよ、他方では、一八世紀的な勢力拡大の意図によるものだった。そして一世紀後には、征服はそれ自体が目的になるのである。一八六九年に、汎スラブ主義の将校ロスチラフ・アンドレイエビッチ・ファデイエフは、強い影響力を持った「東方問題についての所論」なる論文において、ロシアは従来からの征服の成果を守るために西方への進出を続けなければならないと書いている。 「ドニエプル川からビスツラ川までのロシアの歴史的進出(すなわちポーランドの分割)は、ロシアに属さない、ヨーロッパの領域への侵入であり、ヨーロッパに対する宣戦布告を意味した。・・・」 ファデイエフのこの分析は、ジョージ・ケナンが、ソ連邦の行動の根源について書いた研究論文において、東西分割線の反対側から行った分析とあまり違わなかった。この論文においてケナンは、ソ連邦が勢力の拡張に成功しなければ、ソ連邦は分裂し、崩壊するであろうと予告している。」(194-195頁)
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 こうした歴史的・地政学的視点に立ったロシア論からしてみると、「NATO東方拡大がロシアを追い詰めて、切羽詰まったプーチン大統領がやむに已まれず冒険的な行動に出た」といった見方は、茶番でしかない。  むしろソ連の崩壊に伴って、ロシアの「勢力圏」から解放されたが、「力の空白」の状態のままに留め置かれていたがゆえにNATOへの加入を懇願した東欧諸国を無視することは、遅かれ早かれ再び拡張主義を取り始めるだろうロシアの脅威を考えれば、かえって地域を不安定にする怠慢だ、という洞察が、NATOの東方拡大を裏付けていた。 プーチン以前の民主派であったはずのエリツィン大統領の時代においてすら、モルドバにおける沿ドニエストル共和国を作り上げたロシアの対外行動、分離独立運動を起こしたコーカサスのチェチェン共和国に対する苛烈な軍事行動があった。1990年代の段階で、ロシアの拡張主義を警戒したことが、全くの取り越し苦労であったとは言えない。 プーチン大統領は、第二次チェチェン紛争、ジョージアの南オセチア紛争、ウクライナのクリミア併合と東部紛争と、旧ソ連地域における「勢力圏」の確保にいっそう積極的な政策をとり、さらには中東のシリアや、アフリカのリビア、中央アフリカ共和国、マリなどでも、軍事介入を行ってきた。その流れの中で、2022年のウクライナ侵略戦争も起こっている。これはプーチン大統領の個人的性癖にもよるところも大きいのだろうが、プーチン大統領はロシアの国力を復活させたがゆえにさらなる積極的な対外行動に出ただけで、要するに大統領が誰であろうと、ロシアは本質的に拡張主義をとる国家なのだ、と総括することもできる。 日本は島国であるがゆえに、対外的な拡張主義で領土が拡大するという意識が乏しい。他国の拡張主義で領土が縮小するという意識も乏しいのは、幸せなことである。しかしユーラシア大陸の中央に位置するロシアは、領土について全く異なる考え方を持っている。拡張主義と国益の相関関係についても、日本人とは全く異なる考え方を持っている。 未だに日本人の多くが、「西側」と「ロシア」が対立している、という言い方から脱することができないのも、気になる。対立しているのは、「ヨーロッパ」と「ロシア」である。アメリカを含めた欧米圏を意識するのであれば、「西洋文明」としてのThe Westと「ユーラシア主義」の中心としてのRussiaである。  いずれにせよ、短絡的な動機と、近視眼的な歴史観だけで、ロシア擁護の言説を展開するのは、危険な火遊びである。反米主義の方々は、自らが関わっているのが危険な火遊びでないかどうか、よくよく注意してみてほしい。

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