「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 石破茂元自民党幹事長の発言は、ニュースで頻繁に取り上げられる。もっぱら安倍首相の批判者としての役割を期待されてのことだろう。

ホルムズ海峡における民間船舶護衛の有志連合への参加は、「現行法では難しい」という。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019071201221&g=pol 

93項改憲は、1項・2項を無効化するもので、「整合性が取れない」という。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190712-00010000-kinyobi-pol 

石破氏は大変な読書家だという評判らしいが、私の本は絶対に読んでくれない(篠田英朗『集団的自衛権の思想史』、篠田英朗『ほんとうの憲法』、篠田英朗『憲法学の病』)。

では2014年安保法制懇談会の議論などはどうか。安保法制懇は、憲法91項にそって2項を読む解釈を簡潔に示した。しかし石破氏の視野には、安保法制懇の議論も全く入ってこない。

井上武史・関西学院大学教授のような良心的な憲法学者も視野に入らない。https://live2.nicovideo.jp/watch/lv320670835 

どこまでもただ一部の憲法学者の見解だけが存在し、それ以外の憲法理解は、この世に存在していないのと同じのようだ。

一部の憲法学者だけが、まず92項を彼らの主張する独特の「戦力」「交戦権」の理解に従って読み、それから91項に戻って憲法を解釈しなければならない、と主張している。これによって国際法遵守を求めているはずの9条の全体が、国際法に反した独特の意味を持つようになる、と説明している。

この一部の憲法学者による、2項によって1項の意味を変える「ちゃぶ台返しの解釈」は、法解釈として「尋常ではありません」、と憲法学者の安念潤司教授は指摘する。(「集団的自衛権は放棄されたのか憲法九条を素直に読む」松井茂記(編)『スターバックスでラテを飲みながら憲法を考える』[有斐閣、2016年])。

それもそうだ。この「ちゃぶ台返し」の解釈によって、「不戦条約」や「国連憲章」のコピペの文言でできている91項までもが、なんと国際法に反した意味を持つなどと説明されてしまうのだから。確かに「尋常ではない」。私は、この一部の憲法学者による「ちゃぶ台返し」解釈は、奇異で根拠のない憲法解釈だ、と主張している。

しかし、石破氏らは、一部の憲法学者によるこの「ちゃぶ台返し」解釈だけを、唯一無二の憲法解釈として信奉し、それ以外の憲法解釈の余地を認めない。解釈を確定させるための93項を追加しても、ダメらしい。ただ3項が1項・2項を無効化してしまうだけだ、という。

2項が「ちゃぶ台返し」で1項の意味の逆転させることを要求する。その後、3項がさらに2項・1項の意味を逆転させる「ダブルちゃぶ台返し」を行うことになるのだという。

なぜこのような複雑怪奇な憲法解釈に固執するのか。

素直に1項から順に2項を読み、その流れで憲法解釈を確定させるものとして3項を読めば、それで済む話だ。それなのになぜ「尋常ではない」法解釈に固執するのか。なぜ石破氏は、そこまで徹底的に一部憲法学者への忠誠心を強く持ち続けるのか。

いずれにせよ、国際的に理解される議論ではない。ホルムズ海峡問題は、参院選後に切迫してくるのではないか。一部憲法学者の「尋常ではない」憲法解釈のために、また日本の国家政策が迷走していくのかと思うと、残念でならない。

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 参議院選挙の公示にあたり、新聞社が政党支持率の調査の結果を公表した。政権支持率は60歳以上では半分以下だが、20代では7割になる、などと報道した。

この現象について様々な角度からの検証をするのは大切だろう。しかし新聞等の論調を見ると、冷戦時代の思い込みを振り回すものが多いのに驚かされる。そして「今の若者は現状維持的だ」といった漠然とした印象論を、堂々と論じていることに驚愕する。

確かに自民党は「保守党」ということになっているが、それは政党分類の便宜的な伝統でそういう言い方なされているだけだ。その場合の「保守党」は、「今の若者は現状維持的だ」というような話の意味での「保守的」とは、同じ「保守」という言葉でも、内容が違う。世界を見渡しても現状変革の度合いが高い急進的政策を掲げる「保守党」はたくさんある。むしろ1980年代のレーガン・サッチャーの「保守革命」以来、それが普通だ。

年金問題を例にとろう。野党は、自民党を攻撃する手段として年金問題を取り上げる。自分たちが政権をとれば年金を充実させると主張する。ところが、それではどうやって年金支給額を上げるのかと言うと、控えめに言って曖昧だ。それでは若者はついてこない。

立憲民主党は、参院選の公約発表時に、政策実現のための財源は、「税制の見直し」「累進性の強化」などで確保すると呟いたが、曖昧に済ませている。共産党は、財源として7.7兆円が必要だと試算したうえで、公共事業や軍事費の削減といった話に持っていくが、そうなると経済政策や外交政策の裏付けに不足感が出てくる。

若者は恐れているのだろう。「若者よ、安倍政権に怒れ、そして高齢者にもっと豊かな生活させろ、現役層は喜んでお金をもっと払う、と叫べ!」、と言われているのではないかと恐れているのだろう。

冷戦時代であれば、大企業から金をとって社会保障を充実させよう、という政策は、階級史観にそって解釈された。したがってそれは「労働者よりの政策」といったことになった。だが現代日本では、そのような発想方法では、冷戦ボケを露呈するだけだ。

「大企業からお金をとって社会保障を充実させよう」、という主張は、現代日本では、「現役世代からお金をとって高齢者の生活を豊かにしよう」、という主張にしか聞こえない。

「年金だけではないよ、元アイドルに子ども手当も増やせと言ってもらっています」、と主張しても、「勤労者からお金を取って、高齢者や主婦を優遇しよう」という政策にしか聞こえない。

現代日本の構造的現実から目をそらしたまま、若者が保守党を支持するのは若者が保守的だからだ、といったダジャレのようなお喋りだけを繰り返しても、何の意味もない。そんなことでは、大新聞もろとも若者層からの信頼を失うだけだろう。

 大阪G20が成功裏に終わった。いろいろなドラマがあったようだが、実はG20期間中に、日本国内でひそかに話題になっていたのは、トランプ大統領の日米同盟の片務性を指摘する発言だったようだ。
 正直、トランプ大統領の発言は、大統領選挙中から繰り返し述べられていてことである。国際ニュースをきちんと見てきた人であれば、特段驚くほどのニュースではない。むしろ多くの識者が現在の日米同盟の安定感を評価するのは、トランプ大統領の心の中の不満を知っていればこそである。

 それにしても安倍政権の外交政策面での安定感を支えているのが、政権発足後すぐに達成した2015年の安保法制であることを、あらためて感じる。あのときに限定的であれ、集団的自衛権を解禁する法制度を達成していたからこそ、今、冷静にトランプ大統領の発言を聞いておくことができる。

 当時、国会の周りをデモ隊が囲むとか、内閣支持率が激減するなどの影響があった。憲法学者の方々は、首相によるクーデターだ、などと連日にわたって声高に叫び続けていた。

 その一方、私の知り合いでもある国際政治学者の方々は、「安保法制懇」で安全保障の法的基盤を整備する必要性を指摘していた。安保法制懇で頑張られた方々は、そもそも集団的自衛権は違憲ではない、という論陣を張った。

 あの時に集団的自衛権は違憲ではないという論陣を張られた先生方のおかげでもあり、安倍首相は平和安保法制を成立させた。このことが、日米同盟は片務的だと唱えるトランプ政権の時代になって、どれほど大きな意味を持つようになったか。

 当時は、「国際政治学者たちは、違憲であることを知りながら、安保法制の必要性を唱えている」、などとも語られていた。

 全く違う。

 憲法学者たちこそが、実は集団的自衛権は違憲だという議論に法的根拠がないことを知りながら、イデオロギー的な感情のおもむくままに、「首相による憲法学者に対するクーデター」の糾弾を行い続けていたのだ。

 喧噪が終わって数年がたった今、多くの人々に、もう一度冷静によく考え直してみてほしいと思う。

 集団的自衛権違憲論に法的根拠はなかった。

 イデオロギー的感情にかられて行動していたのは、国際政治学者のほうではなく、憲法学者のほうであった。

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