「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 丸山穂高議員の「戦争」発言が大問題になっているか、私が見たコメントの中では、自民党の石破茂・元幹事長だけが、国連憲章24項の武力行使禁止に言及した評価を書いていた。http://agora-web.jp/archives/2039087.html 大変に適切な態度だと思ったので、私もコメントしておく。

 丸山議員の発言を、「憲法違反」として断ずるコメントが多い。しかし丸山議員の発言は、「憲法を変えて戦争ができる国にするしか北方領土は奪回できないと思いませんか」、という趣旨の質問だったようにも見える。「憲法を変えると戦争ができる国になる」という護憲派・野党系の主張を、そのまま使った考え方だ。

 しかし憲法を変えたからといって、日本だけが戦争ができる国になることはない。他国と同様、国際法における武力行使禁止原則を守り続けなければならない。

 それでは国連から脱退したらどうなるかというと、憲章24項はすでに慣習法化していて一般国際法原則になっていると考えられるから、無駄だ。戦争は国際法違反である。

 石破氏は、「(丸山議員)のような人が国家公務員として経産省に奉職し、国会議員を務めていたことにも驚きを禁じ得ません」と書いているが、私に言わせれば、こういう経歴の人が、一番の国際法音痴である。なぜなら公務員試験や司法試験を勉強した時代に、芦部信喜『憲法』のような憲法学通説を盲目的に信じてしまっているからである。「国際法では戦争が許されているが、憲法9条だけが戦争を否定している」などと、覚えこまされてしまっている。芦部『憲法』における似非国際法の記述で、国際法を知っていると主張する厄介な人々である。

 それでも最近では公務員試験では国際法の比重が高まってきていると聞くが、司法試験では相変わらず選択率が1%ちょっとで、次の改革では廃止されるらしい。国際法学会が反対声明を出しているが、ニュースにはなっていないだろう。https://jsil.jp/wp-content/uploads/2019/02/statement20190131.pdf

 国際法については、日本では法律家・公務員(出身者)は信用できない、ということを、この機会に付記しておきたい。

 池袋老人暴走事件の遺族の方の会見があった。事件から一カ月たち、「生き地獄」と描写した状況を伝えてくれた。https://www.youtube.com/watch?v=lwwu59i9TTI

 会見を開いた遺族の方の勇気に感銘を受ける。悲しいことだが、こうした現実が、この事件の不条理を物語っている。こうした現実も知られていくべきだ。敬意を表する。

 俳優の風見しんごさんのように、継続して事故と向き合って伝え続けてる方もいらっしゃる。https://gozzip.jp/28755/ だが突然の事故に遭遇した一般の方には、こうした方法もとれない場合が多いだろう。

 裁判も終わらないどころか、うっかりすると始まらないうちに、加害者のほうはこの世界から去る。https://www.daily.co.jp/gossip/2019/05/16/0012335710.shtml それなのに被害者のほうが取り残され続ける。  https://blogos.com/article/376643/  数多くの戦争、犯罪、災害、事故の不条理の度合いに程度の違いがあるとは言えないが、老人暴走事件にわれわれが受ける不条理感は、半端ではない。http://agora-web.jp/archives/2038727.html

 大津市の園児殺傷事件の際の記者会見のあり方をめぐって、マスコミ批判が巻き起こった。「国民の知る権利」なるものを持ち出す識者の方々もいた。正しくは「伝える義務」のことだろう。権利あるところに、義務がある。マスコミは権利行使の代行者というよりも、社会的に意義あることを伝える「義務」の遂行者のはずだ。「国民」などといった集合的な他人の権利の代行を言うのであれば、マスコミの「伝える義務」をどう継続的に果たしていくか、メディア関係者には、そういう正しい「義務」の遂行方法を、考えていってほしい。

 少子高齢化社会では、統計的には、相当程度の蓋然性で、類似の事故が増えていくのだ。池袋暴走事件の一度の報道で、日本全国の老人たちが、事故を起こさない人間に生まれ変わっていく、などいうことは、決してない。継続的に「伝える義務」を果たす方法を考えていかなければならない。

 遺族の方々は、人生の意味を見出すために苦闘していく。https://inochi-museum.or.jp/information もちろん遺族の方々の迷惑になることについて「知る権利」も「伝える義務」もない。しかし遺族の方にとって意味があることについては、今後も継続して伝えていく「義務」が、事件を報道した者には、今後も存在し続けるのではないか。 

 池袋の老人暴走殺傷事故や、大津市の園児殺傷事故などを見て、それらに反応する文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2038517.html http://agora-web.jp/archives/2038727.html http://agora-web.jp/archives/2038898.html 

 専門外の素人の文章だ。ただ、人に見せる文章であるからには単なる感情論だけではよくないと思い、老人暴走にはどういう特有の問題があるのかを考えながら書いてみた。大津市の事件では、被害者を尊重するための記憶の継承について書いてみた。

 もちろん私の文章は、素人の話だ。それ以上のものではない。

 しかし正直、唖然とするのは、専門家と思われる「識者」の人々のコメントを見るときだ。

 「暴走した老人を責めるだけではダメだ」

 「高齢者全員から免許取り上げろというのはダメだ」

 「マスコミを責めるだけではダメだ」

 「マスコミの人間が全部ダメだと言うのはダメだ」

 「ネットに感情的なコメントをするだけではダメだ」

 ダメ、ダメ、ダメ、・・・とにかく突き放して見ていなければ、君はネトウヨだ、私は違うよ、だから私は専門家だ。

 これって、少子高齢化社会の日本を停滞させるために繁殖しているという、あのダメ出し上司の姿ではないか。

 「解決策は、自動運転車の開発を待って普及させることだ!(・・・どれくらいの時間が開発にかかるか、普及するのか、そんなことを考えるのは私の仕事ではないし、それについて私には何も責任がない)」

 「対応策は、交通事故には十分に気を付けるように保育園に通達を出すことだ!(・・・気を付けると何をすればいいのか、そんなことを考えるのは私の仕事ではないし、それについて私には何も責任がない)」

 こういう発想だけで生きている人こそが、「若者よ、もっと政治に怒れ」、みたいなことを言いながら、いつも周囲にカリカリした雰囲気をまき散らしているのではないか?と疑わざるを得ない。

 いつから日本は、こういう緊張感も責任感もない紋切り型だけの人物のことを、わざわざ専門家だとか識者だとかと呼ぶようになってしまったのだろうか。閉塞感が漂う。


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