「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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日本とミャンマー国軍との関係が動いた。513日、ジャーナリストの北角祐樹氏の解放を、ミャンマー国軍が宣言したのである。そもそも北角氏の拘束が超法規的な不当な行為であったが、解放も国軍の意向だけで超法規的に行われる。

国軍は、ご丁寧にも、国営テレビを通じて、「日本政府のミャンマー特別代表の要請を受け、起訴を取り下げ解放する」と説明したという。

その513日、国軍の発表を先取りするかのように、笹川陽平・公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)会長・同笹川平和財団名誉会長は、久々に自己のブログを更新し、自らがミャンマーに持つパイプの太さを誇示していた。そして「民間人である私がミャンマー国民和解日本政府代表を拝命したのは、長年にわたるミャンマーでの人道活動が評価された結果である。この役職に任期はない。」と書き、自らが終身のミャンマー問題の日本政府代表であることを誇った。https://blog.canpan.info/sasakawa/daily/202105/13 

もちろん、北角氏の解放は喜ばしいことである。ただし諸手を挙げてミャンマー国軍と笹川氏を称賛するべきなのかと問われれば、国際政治学者としては、非常に悩ましい。

現在、国際社会は、テロリストの人質拘束のような恫喝行為には、一致団結して、絶対に屈しない、という総意を持っている。そうした総意がなければ、あらたなテロリストによる恫喝行為を招いてしまうことが必至だからだ。ところが邦人の人質が発生するたびに、この国際社会の総意に反した姿勢を見せがちなのが、日本だ。

53日の国際報道自由の日に、18の自由主義諸国が、拘束されているジャーナリストの解放を訴える共同声明を出した。日本は、あえてその共同声明に参加することを拒んだ。その翌日、私はツィートで次のようにつぶやいた。

https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1389454566555533315

もちろん北角氏の解放は喜ばしいことだが、しかし、そもそも拘束が不当であった。ミャンマーでは、未だ44人の報道関係者が拘束中であり、市民は3885人が拘束中であるとされる。

日本が、「北角氏さえ解放してくれるのであれば、さらにいっそう国軍に忖度します!」、という態度をとるかどうかは、国際的な注目の的だと言ってよい。

残念ながら、北角氏の解放をもって、特定の日本人の方々がミャンマー軍に対してもっている「パイプ」を全面的に祝福する、という結論を、簡単に導き出せる状況ではない。

53日は国際的には「世界報道自由の日」となっている。そこで18の在ミャンマー各国代表部が共同声明を出し、世界中のジャーナリストたちの活躍を称賛するとともに、ミャンマー国軍に不当に拘束されているジャーナリストの解放を求めた。加盟諸国を代表するEU代表部を含む自由主義を標榜する18カ国だ。韓国なども含むほぼ全ての米国の同盟国が含まれていた。しかし、日本は、参加しなかった。日本は、ジャーナリストの北角裕樹氏が拘束されているにかかわらず、やはり、参加しなかった。

https://twitter.com/eAsiaMediaHub/status/1389120236083814400

49日に同じように自由主義諸国の在ミャンマー大使がミャンマー軍の蛮行を非難する共同声明を出した際にも、日本は加わらなかった。日本が一貫してこの種の自由主義諸国との共同行動を回避していることは、今や明白である(例外は、各国の参謀長がミャンマー軍に対する非難声明を出した時に防衛省主導で山崎幸二統合幕僚長が署名したときだけ)。

一般には、「ミャンマー軍とのパイプが大切」だから、日本は、こうした同盟国・米国を中心とする自由主義諸国の共同行動には参加しないのだとされている。しかし、このこと自体が怪しい主張で、説得力がない。https://president.jp/articles/-/45524 

安倍政権時代に官邸主導で推進していた「価値観外交」が、菅政権で外務省主導になって減退し、「人権外交」自体から距離をとろうとする姿勢が目立ってきているという印象を拭い去ることができない。

 ミャンマー問題では、外務省OBで菅首相の外交アドバイザーを務めている宮家邦彦氏が、クーデター直後から制裁反対論を早くから唱えていた。宮家氏は、アウンサンスーチーにも問題があるといった論点ずらしの主張や、アメリカもやがて日本のやり方を模倣するだろうと言った無責任な予測まで披露していた。https://news.yahoo.co.jp/articles/585e45d9e1a8909568c2869213196089aa15fbee 宮家氏の議論は、特定個人だけ狙ったアメリカの「標的制裁」は国全体への制裁ではないので弱気の表れだ、といった全く的外れなコメントをしていた点で、二重に罪深い(実際には、近年の米外交において「標的制裁」はミャンマー以外でも標準的になっている単独制裁方法だ)。

 やはり外務省OBの河東哲夫は必死に人権外交が浅はかなものであることを主張する。https://www.newsweekjapan.jp/kawato/2021/04/post-75.php シリアに詳しいジャーナリストの黒井文太郎氏は、この記事について、「シリア知らないなら語らないでほしい」とツィートした。https://twitter.com/BUNKUROI/status/1386935002131144708 

 ミャンマー問題について、6名のシニア国連・外務省実務家が提言を出した。このうち元国連高官とされている山本忠通氏は、実際は外務省でキャリアを務めあげた人物だ。明石康氏も外務省勤務経験があるので、6名中5名が外務省OBだ。そのシニア提言の内容が、あまりに国軍寄りであったため、ミャンマー研究の権威である根本敬上智大学教授らが反証のステートメントを公表した。https://jvsmyanmar.jimdofree.com/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9/ (平和構築の研究者の観点からも同意するという署名を、私もさせていただいた。https://drive.google.com/file/d/1TZZ42-EtSxMZ3n8sgDQkEmsvlcdZ99rz/view

 現役の外務省員は、声を上げて具体的に人権外交に反対することができないので、代わりにOBが「人権外交なんか、ダメだ」と発言する組織的な運動でも起こしているのだろうか、と邪推せざるを得なくなるような状況だ。

 外務省は、人権外交の最大の抵抗勢力なのか。深刻な問題だ。

 甚大な人権侵害を行った者に対する標的制裁を可能にする「日本版マグニツキー法」の制定を目指す国会議員の旗振り役であった山尾志桜里氏は、「外務省が最大の抵抗勢力だ」と繰り返し発言していた。その山尾氏は、議員パスの私的使用問題を告発されて、失速気味だ。「抵抗勢力」は、しめしめと、さぞかし喜んでいることだろう。

日本の唯一の同盟国であるアメリカは、バイデン政権下で、「民主主義vs専制主義」の世界観で「米中競争」の構図を説明し、人権外交を推進している。この「価値観」を共有する同盟国とのネットワークを重視するという立場から、あくまでもその立場から、日米同盟の強化に意欲的だ。

 ところが日本国内では、外務省OBが「人権外交なんてダメだ、ミャンマーでは国軍が勝つのだから国軍に忖度するしかない、アメリカはやがて人権外交の間違いに気づいて日本に近寄ってくるだろう」といった発言を繰り返している。

この状況を、私は、深刻に受け止めざるを得ない。

 果たして外務省は、「人権外交なんかダメだ」キャンペーンをしているOBの方々のご意見を丁重に受け止めながら、なお日米同盟を堅持し、自由で開かれたインド太平洋構想を発展させる、という二枚舌の外交を、本当に円滑に進めていく覚悟を持っているのだろうか。そんなことが簡単に達成できるという体系的かつ戦略的な見通しを持っているのだろうか。

「日本は極東の貴重な反共の砦です」とさえ唱えてさえおけば、あとは日本は適当に日和っておけばいい、それでもアメリカは必死になって日本を防衛するしかない、と21世紀になっても信じるのは、単なる冷戦ボケだ。

同盟国との価値観の共有とは何か、信頼感の構築とは何か、そろそろ真剣に問い直してみるべき時期になってきているように思われる。

 私は各国の新型コロナ対策の特徴に関心を持ち、何度かブログに書いてきた。日本には日本の特徴があった。第一に、量は不足しているが重症者対応の質は高い医療機関、第二に、量は不足しているが経験豊富なクラスター対策、第三に、指導者能力は不足しているが国民の平均的能力は高い行動意識などが、検査能力や法制度の不備などの諸点とあわせて、日本が負っていた所与の条件であった。

 この条件の中で、一年間以上にわたって、「三密の回避」対策等に象徴された「日本モデル」は、日本の短所を補い、長所を活かす作戦として成果を出した。

 ちなみにNHK特集などの断片的な報道の影響で、未だに知識人層にすら誤解が残っているので、改めて書いておくが、「日本モデル」の中心は、「クラスター班の活躍によるウイルス撲滅」などではない。「三密の回避を通じた国民によるクラスターの予防」である。もう何度も書いたことなので詳しくは繰り返さないが、クラスター対策でウイルスの撲滅などできるはずがないし、一部の狂信的な専門家の方が主張されただけで、専門家会議=分科会の主要メンバーは誰もそれを目指していない。

 全国民PCR検査など、神話は、他にも沢山あった。そうしたいい加減な神話に惑わされることなく、よく現実を見据えた「抑制」政策を進めることができたのが、「日本モデル」の成果であった。

 これは疫学的知識だけでなく、現実的な枠組み内での政策判断につなげる発想の所産であった。社会科学者として尾身会長や押谷教授の取り組みに感銘を受けた私は、尾身茂・分科会会長や押谷仁教授らを「国民の英雄」と呼んで称賛してきた。

 この20202月の専門家会議招集に伴って設定された初期目標にそった「日本モデル」の取り組みは、まだ現在も続いている。https://agora-web.jp/archives/2047913.html 

 だが世界情勢は変わった。ゲームチェンジャーとしてのワクチンの開発がなされ、接種が急速に進んだからだ。

 ワクチンの重要性については、私も一年前の去年の4月から、念のための整理を行ってきた。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72211?page=5 もちろんその重要性は国際政治学者などが書かなくても、誰にとっても自明であっただろうから、日本でも行政が準備を進めていたはずだった。実際のところ、日本のワクチン接種は、アメリカから遅れることわずか2~3カ月程度で始まっている。これは普通に考えれば、遅すぎるとは言えない時期での輸入開始である。

 日本でワクチン開発ができなかったことをもって政府を責める方もいらっしゃるが、非現実的だと思う。そういう「100メートルを10秒で走れ!と言ったのになぜ10秒で走らないんだ!この無能め!」といった批判には、何の意味もない。日本がワクチンを開発しないだろうことは、一年前の国際政治学者でも知っていた。単に実力がないのだから、仕方がない。

 それよりも深刻なのは、状況認識の欠如である。

 マスコミ報道のみならず、知識人層でも、日本が自国でのワクチン開発に失敗したので、今でも国民のほとんどが接種できていない状態にある、といった「物語」が蔓延している。

 そんなバカな話はない。やはりNHKの特集に取り上げられて有名になったイスラエルなどは、自国での開発など全く行っていない。

 ワクチン輸入とワクチン普及を混同しているケースも多々見られる。輸入しても、接種が進まなければ、意味がない。

 総合的なプロセス管理が必要なのである。しかし総合的なプロセス管理が必要だ、という問題の認識すらできていないのでは、管理ができるはずはない。

 感染対策では、尾身会長や押谷教授ら、WHO職員としてSARS対応にあたった稀有な経験も持つ専門家の活躍で、急場をしのいだ。どうやらワクチン接種では、そうした救世主は現れそうにない。

 12千万人に2回のワクチン接種を行うというのは、気が遠くなるような壮大なプロジェクトである。平時であれば、10年くらいの時間がほしいところである。それを数カ月単位でやろうと言うのであれば、ワクチンの調達だけでは克服できない。対象者管理の行政の体制構築が必要である。そこには輸送・会場・人員などをはじめとする領域で、平時では想定されない水準のロジスティクス管理が必要になる。

 河野太郎・行政改革担当相は、「人口分は確保している。接種のスケジュールは自治体ごとに千差万別だ」と述べているが、この認識は正しい。ただ、その結果として発生することが予測される接種の遅れを改善するための手助けをしないのであれば、それはやはり無責任ではないか、という指摘が出ても仕方がないだろう。

 現在までのところ日本では、一日10万人程度の接種が最高になっており、高齢者接種を開始した先週は、そのペースも下がってしまった。ちなみにアメリカでは、一日に300万人の接種が行われている。

 雑誌『VOICE』の拙稿でふれたが、https://www.php.co.jp/magazine/voice/ エリート層が立案した計画を、軍隊も動員した総合的ロジスティクス能力を駆使し、多彩なネットワーク力も発揮して、実施していくアメリカの様子は、やはり印象深い。初期対応で失敗しても、最後には結果は出す。国民の平均値には限界があっても、エリート層の総合的能力が高い。イノベーションの国である。

 日本に必要なのは、「なぜワクチンを自国で開発できなかったのか!」などと怒ってみることではない。

 自分自身を見つめ直し、長所と短所を把握して分析し、長所を伸ばして、短所を補う方法を考える思考だ。「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」という基本である。

 私は国際政治学者なので、厳しい対中国政策は必要だと思うが、だからこそいっそう同時に、日本人は「孫子の兵法」は繰り返し思い出してみるべきだとは感じる。



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