「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 『現代ビジネス』さんに「日本の憲法学は本当に大丈夫か?韓国・徴用工判決から見えてきたこと」という拙稿を掲載していただいた。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58305
 日本国内では韓国大法院の判断に批判的な論調が大半だが、日ごろから日本政府に批判的な弁護士や学者の方々は、日韓請求権協定を見直すべきだ、と主張する。一貫性を保つためには、仕方がないのだろう。
 
今回の事件は、いい機会だ。日本の憲法学で通説であり、日本の法曹界では絶対的真理のように信じられている「憲法優位説」について考え直してみるのに、いい機会だ。
 
『現代ビジネス』拙稿では芦部信喜・元東大法学部教授を引用したが、ここでは樋口陽一・元東大法学部教授を引用してみたい。樋口教授は、憲法と条約の関係について、次のように述べた。
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A説は、憲法の国際協調主義的側面をより強調して、「主権」を国際的制約をかぶったものとして理解し、憲法と条約の形式的効力関係につき、条約優位説をとるにいたる。B説は、「主権の維持」の側面を強調し、憲法と条約の関係について憲法優位説をとる。C説は、さらにすすんで、「主権」の標識として形式上の自己決定の保障だけでなく、実質的な独立性までを要求し、日米安全保障条約のもとで日本国の「主権」が侵されている、と考える。A説の背景には、つきつめていくと、国際法すなわち西洋「文明」社会の法が、「野蛮」な国内法に対して「文明のための干渉」をすることはゆるされる、とする西欧的国際法観がある。それに対し、C説の背景には、国際法すなわち「帝国主義」の支配が、「民族自決」に基づく国内法を侵すことはゆるされない、とする第三世界的な国際法観がある。B説は、その中間に位置する。」(樋口陽一執筆部分『注釈日本国憲法』[1984年]45頁。)
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樋口によれば、憲法と条約の関係の理解には、三つのパターンしかない。一つは、「西洋文明」を支持し、「野蛮な国内法」を否定し、「文明のための干渉」をする、「西欧的国際法観」の立場だという。もう一つは、「民族自決」を標榜し、「帝国主義」の産物である日米安全保障条約を否定し、「実質的な独立性」を要求する立場である。両者の「中間に位置する」のが、「憲法優位説」なのだという。
 
言うまでもなく、「憲法優位説」以外の二つの説には、あまりに悲惨な描写しか施されていない。こんな嫌味な描写を見てからもなお、「僕は西欧的国際法観を支持します!」とか「僕は帝国主義たる日米安保条約を否定します!」と叫ぶ者は、それほど多くはないだろう。
 
もっとも、憲法学のムラ社会の中では、日米安保を否定するかどうかは、学会を二分する大きな踏み絵だったのかもしれない。まして国際社会について語るような連中は、国際法の一方的な優位を唱える異星人のようなものだったのかもしれない。いずれにしても、せまいムラ社会の話だ。
 
もっとも、司法試験受験を志していれば、ムラ社会の動向にも気を使わなければならない。「憲法優位説」が「中間に位置する」説だと聞けば、なおさら安心して、日本の憲法学会の通説を支持することを誓うのだろう。
 
だが「憲法優位説」が、「中間に位置する」という説明は、本当に説得力のある議論だろうか。結局、国内法と国際法の関係について、前者の優位を一方的に主張するという点で、全く「中間に位置する」ものだとは言えない立場なのではないだろうか?
 
樋口教授の見え見えの操作的レトリックに騙されず、冷静に考えてみよう。本当に対立関係にあるのは、国際法優位の説と、国内法優位の説だ。とすれば、憲法優位説が「中間に位置する」ものだとは、認めがたい。両者の二元論的な有効性を認める「等位理論」=「調整理論」こそが、本当に「中間に位置する」立場だ。
 
日本人にとって今回の韓国大法院の事件は、国際法の重要性を思い出す、いい機会になった。一方的に「憲法優位説」を唱えることの危険性と、「中間に位置する」立場から「調整」をすることの重要性を思い出す、いい機会になった。
 
憲法9条をめぐるイデオロギー闘争も、こうした事情と無関係ではない。本来、前文にしたがった解釈を施し、国際法との調和を前提にした解釈を施していれば、憲法9条は、争いの種になるようなものではなかった。
 
憲法優位説は、「中間に位置する」ものではない。憲法学会通説は、「中間に位置する」ものではない。
 
国際法を尊重し、憲法と国際法の調和を前提にする立場こそが、「中間に位置する」ものだ。国際法も、「ほんとうの憲法」も、そうした「中間に位置する」ものだ。中間に位置していないのは、憲法学通説である。

 安田純平氏が記者会見を開いた。安田氏についてブログ記事を書いた直後だったので、http://agora-web.jp/archives/2035452-2.html 私も会見の内容を見てみた。いくつか興味深い点があった。
 
私が「三つの謎」とブログで書いたことのうち、一つ目の拘束の目的に関する謎については、示唆があった。 やはり政治的主張や経済的利潤が当初の拘束の目的ではなかったようで、スパイの疑いも持たれたうえ身柄を拘束され、一か月してから初めて「正式に人質であると言われ」たことが、語られた。
 
安田氏は、自分が拘束されていた場所が「ジャバル・ザウイーヤ」であることを聞いていた。これによってかねてから言われていたとおり、拘束場所が反政府勢力の最後の砦となっているイドリブ周辺地域であることが、確かになった。
 
安田氏を拘束した勢力は「新興」アル・カイダ系勢力の「フッラース・アル・ディーン」だといった話があったが、安田氏の証言から、その可能性が高まった。リーダーの様子や、トルキスタン部隊との関係についても、明らかになった。トルキスタンとは、新疆ウイグル系の人々の存在を意味する。ちなみに中国政府は、シリア領内のウイグル系の勢力の除去に動いており、アサド政権を強く支援している。安田氏の発言の詳細に、中国政府も注目していることだろう。
 
驚いたのは、安田氏が、シリアに入国してすぐに拘束された経緯だ。武装勢力系の有力者に身をゆだねるような画策をして武装勢力に拘束された安田氏の経験には、目を見張る。
 
どのような人々が反政府武装勢力の中で戦っているか知りたかった、と言う安田氏の取材の目的は、単なる戦地の取材ではない。いわば武装勢力の構成員の身辺調査だ。戦争被害の現場を見るといったレベルの戦地の取材とは、次元が違う。スパイだと疑われても仕方がない。
 
おそらくフリージャーナリストとしての境遇では、本当の大々的な準備を要する戦地取材は、できない。少なくとも国際的な競争に耐えられるような取材はできない。そこでフリージャーナリストは、武装勢力内部への潜伏取材のような行為に及ぶのではないか。
 
いわゆる自己責任論では、フリージャーナリストがこうした危険な取材をすることの是非が議論されたようだ。安田氏は、自らの自己責任について肯定をする発言をして、お詫びと感謝の念を表明した。
 
違和感を抱くのは、自己責任論を批判する人々が、実際には日本政府の怠慢を批判するだけであったことだ。政府は、渡航制限をかけ、情報収集を怠らないという、邦人保護の面での努力は払った。
 
何もしていないのは、フリージャーナリストが危険極まりない形でシリアに入っているのに何も組織的な支援をせず、ただ後で情報を買おうとしているだけの人々なのではないか。そしてフリージャーナリストが拘束されると、ただ日本政府批判だけを繰り返して、手ごろな日本国内の論争をけしかけて何かやっている気分にだけなる人々なのではないか。
 
今さら安田氏を非難するのは、気乗りしない。日本政府を批判することも、違う、という気がする。
 
安田氏拘束事件の教訓として問題視すべきは、フリージャーナリストにだけ危険な取材をさせ、あとは日本政府の批判をすることだけで何かしているような気持になっている人々の存在なのではないか。

 安田純平氏解放が議論を呼んだ。プロの国際援助専門家やフィールド研究者は、沈黙している。一緒にされたくない、関わりたくない、ということだろう。
 
私が代表を務める広島平和構築人材育成センター(HPC)の外務省委託研修でも、数週間のコースであれば、専門の百戦錬磨のプロの外国人インストラクターを複数名雇って、三日くらいは安全管理にあて、拘束された場合の対処も1セッション分くらいはきっちりやる。もちろん、より重要なのが、予防策であることも言うまでもない。https://peacebuilderscenter.jp/
 
世界には継続的に国際的な類似事件をフォローし、動向把握に努めている安全管理のプロがいる。しかし残念ながら、日本人では、皆無ではないか。私自身、あまり安田氏をめぐる日本での議論に関わりたい気持ちはない。
 
何やら真剣に安田氏を擁護する方もいらっしゃるようだが、「紛争地でジャーナリストが拘束されれば、ほかのジャーナリストが儲かります」、「現在、絶賛バッシング中の安田くんも、これで将来は安泰!」、というのが、安田氏の業界の雰囲気のようなので、なかなか事情は簡単ではない。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181030-01521432-sspa-soci
 
日本でも、公安当局であれば、安田氏の事件にも、強い関心を持っているだろう。ケース・スタディとしては、非常に稀な性格を持った事件だ。そのことはもう少し注目されていい。「自己責任」をめぐる議論の陰で看過されがちな安田氏の事件の特異な性格を、三つの謎という形で、描写してみたい。
 
第一の謎は、拘束の目的だ。拘束事件には、いくつかのパターンがある。政治的な目標達成のため(軍の撤退要求、政策変更要求など)、経済的な目的のため(身代金の要求など)が、わかりやすい。今回の時間は、いずれにも該当していなかったように見える。拘束からしばらくたった後にのみ、本人のビデオが公開され、解放要請がなされた。それは拘束者が、解放交渉を望んだ意思表示であったとみなされる。当初は水面下の交渉がなされ、その行方にしびれを切らして公開に踏み切ったという可能性もないわけではない。しかし交渉相手が特定されなかったことなどの特徴を見ると、少なくとも典型的な身代金目的の拘束ではなかったように見える。
 
もう一つの拘束目的のパターンが、政治的予防措置である。ある人物をスパイだと疑う場合に、その人物の行動の自由を奪う、というのが典型例である。安田氏の場合には、ジャーナリストであることを隠して取材活動をしていたと思われる一方、特定の武装勢力に近づくことによって潜入を試みたと思われる様子もあるため、このパターンでの拘束であった可能性も高い。スパイだと疑われたわけではないとしても、ジャーナリストであることそれ自体が危険視される要素になった可能性はある。
 
第二の謎は、解放の経緯である。一般に、政治目的や経済目的による拘束の場合、その目的が達成されないことが明らかになった場合には、被拘束者に生命の危機が及ぶ。なぜなら解放する事例を作ってしまっては、将来の交渉を有利に運ぶための威嚇の手段がなくなってしまうからだ。拘束時の状況を非拘束者が描写できると懸念される場合には、情報隠匿を図る必要性が生まれている場合もある。
 
今回の安田氏の事件の場合、何らかの政治的目的が達成されたとみなせる要素はない。経済的な目的が達成されたのかどうかは、不明である。仮に達成されたかのように見える状況があったとしても、それが当初からの主要な拘束の目的であったかどうかは不明であり、単に解放の契機として、経済的な利益も確保しておいた、ということにすぎなかった可能性もある。
 
第三の謎は、なぜカタール政府の名前が言及される形で、トルコで解放されたのか、である。現在、中東情勢は、イスタンブールで発生したサウジのジャーナリスト・カショギ氏殺害事件で揺れている。イラク戦争以降、中東では宗派対立が激化し、スンニ派の盟主たるサウジアラビアと、シーア派の盟主であるイランとの間の対立が深まった。イエメンにおける戦争は、完全に代理戦争の様相を呈している。シリア戦争もこの構図が大きく影響しているが、さらに重要なのはトルコなどの周辺国の動向だ。アサド政権側にロシアやイランがついているとすれば、反政府側の強力な後ろ盾がトルコだ。そこでシリアをめぐっては、サウジアラビアとトルコの関係が、極めて微妙な要素を持つようになっている。
 
カタールは、2017年にサウジアラビアを中心とする湾岸諸国による制裁措置を加えられて、国境封鎖をされた。カタールが、サウジアラビアの意向に従って動かなかったため、逆鱗にふれたのだった。しかしアルジャジーラTV局の閉鎖などのサウジの要求は法外なものであり、封鎖は広範な支持を得て成功したとまでは言えないものとなった。このとき、カタールの支援に回ったのは、サウジの勢力減退を狙うイランだけでなく、スンニ派諸国内での影響力の向上を目指すトルコであった。現在においても、トルコとカタールの関係は、蜜月状態にあると考えられる。トルコとサウジの関係は微妙なものとなったが、今回のカショギ氏殺害事件は、両国の関係に決定的な亀裂を入れたと考えられている。
 
シリアの反政府勢力は、アサド政権の猛攻にさらされて、イドリブなどの一部都市に囲い込まれている状態にある。国際社会が大きな人道的惨禍をもたらすと警戒しているイドリブ総攻撃を数か月にわたって回避しているのは、両勢力の後ろ盾であるトルコとロシアの間の合意である。
 
安田氏を拘束していたのが、反政府側の勢力であることは、ほぼ間違いのないことだと考えられている。カタール(トルコ)が身代金という形で反政府勢力に資金提供して、安田氏という第三国ジャーナリストの解放を働きかけたかどうか、詳細は簡単には明らかにならないだろう。安田氏の証言も公にされていない状態だが、とはいえ安田氏が全てを知っているという可能性は低い。安田氏は、激動の中東の情勢の中で翻弄されたのである。
 
ジャーナリストが客観的なまなざしで紛争地の取材を行うためには、相当な準備と配慮が必要だろう。時にそれは、不可能だと断言できるくらいに、困難なことだ。
 
その困難を把握したうえで、なお追求すべき公益を見出し、妥当な取材方法を模索する努力を続ける真摯さを、ジャーナリストの「責任」として、徹底的に議論していくべきだろう。

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