「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 131日に遂にイギリスがEUから脱退した。移行期間があるので、すぐには影響は見えない。だがこれからいよいよブレグジットの余波が具体的に立ち現れてくることになる。

 これにあわせて日本では「日英同盟」復活論が盛んだ。イギリスがEU域外諸国との連携を強く模索しており、日本への関心を強めていることは、事実だ。経済面のみならず、安全保障面でも、強力なアプローチが続いている。

 日本の側にも、これに反対する理由はない。欧州における特別なパートナーとして、さらにイギリスを位置付けていくべきだろう(離脱の余波を見極めながらになるが)。

ただし、「日英同盟」が、1902年に締結された実際の条約に基づく概念だとすれば、言うまでもなく、この「日英同盟」の復活などありえない。多くの事柄が当時とは異なっているからだ。一番は、今のイギリスと当時の大英帝国が、全く違っている。大英帝国は、東南アジアにも領土展開するアジアの大国でもあった。極めて素朴な地理的環境から、極東におけるロシアの南進を懸念するのが、日本の次には大英帝国だった。

現在のイギリスに、そのようなレベルでの東アジアに対する関心はない。それは日本の側に、ヨーロッパに対する関心が乏しいのと、同じだ。

いわゆる「日英同盟復活」論とは、日本がアメリカとともに、オーストラリアやインドを主要パートナーとして推進しようとしている「インド太平洋」構想の強化を意味するはずだ。

イギリスは現在でもインド洋の島嶼部に海外領土を持っている。地中海東端でトルコとギリシアが係争を抱えるキプロス島に軍事基地を持ち、小規模だが長期に渡って展開する国連PKOにも派兵して影響力を維持している。地中海西端が大西洋と接合するジブラルタルを、スペイン王位継承戦争後の1713年ユトレヒト条約以降、保持し続けている。

イギリスは、単に「インド太平洋」と無関係ではないだけでなく、「インド太平洋」が欧州と接合するために一つのカギを握る国である。

ブレグジット後のイギリスが真っ先に関係を強化したいのは、コモンウェルス構成諸国だが、その筆頭が近年に著しい経済成長を果たしたインドであり、その周辺に位置するバングラデシュなどであることは、言うまでもない。イギリスの関心は、「インド太平洋」に注がれた後で、極東の日本につながる。日本だけに関心があるわけではない。

日本にとってイギリスが、アメリカと同格の同盟国になることはないし、それはイギリスにとっても同じだ。イギリスはEUは脱退しても、NATOからは脱退しない。イギリスの軍事同盟国は、依然としてNATOを構成する28カ国だ。日本は含まれない。

NATOは、現在もアフガニスタンで展開中の「Resolute Support」ミッションをはじめとして、域外展開を含めて、活発な活動をしている、人類史上最も成功したとも言われる巨大軍事同盟組織である。

そもそもEUの安全保障ミッションに対しても、ブレグジット後のイギリスは関与を続けるだろう、というのがもっぱらの見方である。現在のEUは、6つの軍事ミッションと、11の文民ミッションを展開させる、巨大な安全保障貢献組織でもある。https://eeas.europa.eu/headquarters/headquarters-homepage/430/military-and-civilian-missions-and-operations_en これらの共通安全保障・防衛政策の領域で、イギリスがEUと決別していくという兆候はない。

NATOEUと、日本が、「日英同盟復活」を通じて、間接同盟関係を持つ、ということは、日本国内では想像されていないだろう。

もっとも私個人は、これらの組織と、パートナー関係を強化すべきだと考えている。少しずつでも要員をNATOEUのミッションに参加させるべきだ、と考えている点で、おそらく日本国内の誰よりも具体的に、そう考えている。

そのためにイギリスとの関係は、さらに強化していくべきだ。

ただしそれは1902年日英同盟の復活などとは全く異なる。21世紀の「インド太平洋」構想の強化の見取図の中で、日英関係の強化を進めていくべきだ。

 石破茂氏は、私が憲法改正推進本部で講演した二回の機会において、二回とも質問をしてくれた。二度目には、私の『「国家主権」という思想』まで携えて質問してくれた。学者として、書物の著者として、心より感謝を表明したい素晴らしい読者だ。

 石破氏は政治家としても一流だと思うし、しっかりした考えを持つ真摯な人物だ。だが、だからこそ、どうしても疑問に思うことがある。

 石破氏の「国際法における「軍」など」という文章だ。https://blogos.com/article/406998/ ほとんどの記述は非常にもっともなことなのだが、一点、どうしても理解できないところがある。私自身、何度か書かせていただいたことがある石破氏の思想に対する疑問の中心点だ。

 石破氏は、次のように語る。

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「『軍』は本来、三権以前の自然的権利である自衛権を体現する。よって、国内法執行組織である行政と同一ではない。ゆえに「文民統制」と言われる、国民主権に依拠した司法・立法・行政による厳格な統制に服さなければならない」

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 これは完全に木村草太・首都大学東京教授の憲法学説であるが、私は繰り返し木村教授の主張自体に法的根拠がない、と主張している。https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=sr_1_1?qid=1579533782&s=books&sr=1-1 
 残念ながら、本当に非常に残念ながら、石破氏は、この木村説を踏襲している。

 法的根拠を示してほしい。

 なぜ、どのようにして、「『軍』は本来、三権以前の自然的権利である自衛権を体現する。」などといった極度に抽象的な断定を、何の説明も施すことなく、下すことができるのか。なぜ、「軍が三権以前の自然的権利である自衛権を体現する」という命題を、説明もなく、断定することができるのか。

 法的根拠を示してほしい。

それどころかまず、「自衛権は自然的権利である」という命題の法的根拠がわからない。国際法における「慣習法」と、憲法学が語る「自然的権利」を混同しているのではないか?という疑問がわき出てくる。

法的根拠を示してほしい。

加えて、「三権以前の自然的権利」とは何なのか、全くわからない。それは「個人の持つ自然権」=「人権」だと言ってくれるのであれば、わかる。しかし、国家が持つ「自衛権」が「三権以前の自然的権利」であるというのは、かなり革命的な議論である。

法的根拠を示してほしい。

そもそも国家に「三権以前の自然的権利」などがあっていいのか?そんなことをしたら、「三権分立」は溶解し、「四権分立」の仕組みを熟考しなければならないではないか?

しかも「自衛権」が「三権以前の自然的権利」であるとしたら、その統制を「行政権」の長でしかない内閣総理大臣が行うのは、矛盾ではないのか?「文民統制」によって「三権以前の自然的権利」は「行政権」の統制に服する。とすれば、結局は、「四権」は「三権」に集約されるのではないのか?「四権」あるのに、統制しているのは「三権の長」だけだというのは、いったいどういうことなのか?理解できない。

国際法上の自衛権は、国連憲章51条に定められた実定法であり、同時に、国連憲章以前に存在してた国際慣習法によっても規定されている。しかしそれは「自衛権は三権以前の自然的権利である」といった断定とは、全く違う。自衛権は、国連憲章という条約と、慣習法だけによって、規定されている。国際法の法源は、条約と慣習法の二つだけだ。

自衛権は、国連憲章と国際慣習法に法的根拠を持ち、両者によって制約されている、国際法規範である。国際法における自然権、などという謎の概念を持ち出す必要もない。
 石破氏の「自衛権」の理解が、万が一にも、「芦部信喜『憲法』が法的根拠だ」、といった資格試験受験生レベルの回答ではないことを、期待する。

  ソレイマニ司令官殺害事件についていくつか文章を書いているうちに、憲政史家・倉山満氏のことが気になってきた。人気著述家である倉山氏のことは、私も気にしている。倉山氏の最新刊『ウェストファリア条約』は公刊後すぐ、昨年のうちに読んでいた。

倉山氏は、憲法と国際法に関して、私とは真逆の立場をとる方である。倉山氏は、アメリカが起草した現行憲法を無効と考える一方、明治憲法を高く評価する。興味深いのは、倉山氏が、国際法についても似た立場をとることだ。現代国際法を評価せず、古典的な国際法を評価する。

倉山氏の『ウェストファリア体制』は、グロティウスを天才と呼び、1648年ウェウストファリア条約以降の国際法体制の素晴らしさを訴える本だ。なぜかと言えば、ウェストファリアによって、「殺し合い」が横行していた30年戦争が終わり、暴力を独占する主権国家による「戦争」だけに暴力が整理されたからだ。

学術的に細かい議論は、捨象しよう。倉山氏の歴史観は、基本的には、全く正統である。絶対王政下時代の主権国家の原則によって、「戦争」という制度が確立された。

宗教戦争の虐殺が繰り返される状態から脱しようとしたヨーロッパの知識人たちは、主権国家という制度を強調した。主権国家による国内の治安装置と、「宣戦布告」を経た主権国家による対外「戦争」だけに、「正統な暴力」を限定した。それは、宗教戦争を防ぐという課題に対応する方法であった。

ヨーロッパ公法における主権の絶対性は、宗教戦争の途方もない「殺し合い」を終わりにするための装置であった。実際、この社会法制度の革命によって、ヨーロッパは暗黒時代を脱し、主権国家の絶対性を通じた発展の時代を迎えたのである。

ただし19世紀までの古典的なヨーロッパ公法の時代は、ヨーロッパで成立した、ヨーロッパ中心主義的なものであった。そこで倉山氏は、「日本語としてのウェストファリア体制」は1907年に確立された、と語る。その理由は、1907年に、日仏協商・日露協商が結ばれ、各国が東京に大使館を置くようになり、大日本帝国が名実ともにヨーロッパ列強と肩を並べる非ヨーロッパ大国になったからである。つまりヨーロッパ公法が、大日本帝国の参入を得て、遂にヨーロッパを超えた国際法になった瞬間が1907年だった、というわけである。

残念ながら、この国際法は、ほんの7年の短命なものだった。なぜなら第一次世界大戦をへて、国際法は大きく刷新され、ヨーロッパ公法の時代は終焉していくからである。

倉山氏は、アメリカの影響で刷新された20世紀以降の国際法を、糾弾する。グロティウスが作った古典的な国際法を壊してしまった、ウッドロー・ウィルソンのアメリカを拒絶する。

 

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欧州公法は、日本人の手によって国際法となったのです。それを、一人の狂人がぶち壊しました。その狂人とは、ウッドロー・ウィルソン。世界の誰にとっても不幸な、第一次世界大戦の時のアメリカ大統領です。(『ウェストファリア体制』222223頁)

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倉山氏は、民族自決原則を取り入れて世界を大混乱に陥らせたことなどで、ウィルソンを糾弾する。特に深刻なのは、ウィルソンが「戦争の違法化」を推進したことである。「戦争」が廃止されてしまえば、「ウェストファリア体制」は崩壊する。なぜなら宣戦布告して主権国家が開始する「戦争」だけが正当な暴力でなければ、「殺し合い」の世界が復活してしまうからだ。

現実には、ウィルソンの考えにしたがって、国際連盟規約が作られ、1928年不戦条約へとつながり、1945年国連憲章が生まれた。国連憲章では、「戦争の違法化」は、「武力行使の一般的違法化」として定式化されるまでに至った。

主権国家が正式に宣戦布告する「戦争」であれば全て合法だが、そうでない暴力は全て違法、というヨーロッパ公法の考え方が廃止され、現代国際法が生まれた。20世紀以降の現代国際法では、主権国家が宣戦布告しても、侵略行為の武力行使は、違法である。代わりに、宣戦布告などをしなくても、侵略行為に対抗するための「自衛権の行使」や「集団安全保障」は、合法である。

現代国際法は、合法性の判断基準を、「主権国家の宣戦布告」から切り離した。そして国際法秩序に反する武力行使なのか、国際法秩序を維持するための法秩序なのかに、判断基準を変更した。

このウィルソン以来の「国際法の構造転換」が、すでに発生してしまった事実であることを、倉山氏は知っている。知ったうえで、それはダメなことだった、と倉山氏は断じている。

この主張は、学者にはできない。現代国際法は狂人が作り出したおかしなものだ、とは、とても学者では言えない。

もっとも例外は、日本の憲法学者だ。日本の憲法学者だけは、いまだに世界は19世紀ヨーロッパ公法に支配されているかのように語る。ただし憲法学者がそのような国際法蔑視の態度をとるのは、19世紀ヨーロッパ国際法とともに、現代国際法を拒絶し、「憲法優位説」を打ち立てるためであろう。

これに対して倉山氏は、むしろ大日本帝国憲法と19世紀ヨーロッパ公法こそが、取り戻すべき素晴らしい世界だ、と主張するのである。

ヨーロッパ公法の「ウェストファリア体制」が続いていれば、ソレイマニ司令官殺害が合法的であったかどうかを議論する必要もなかった。主権国家の宣戦布告があったかどうか、だけが判断基準だったら、何も議論しなくていい。トランプ大統領の頭には、宣戦布告などなく、そもそもイランという国家を攻撃したという考え方すらない。「テロリスト」を排除した、という発想方法しかなかった。

早川忠考氏は、自衛権を認めると、「弱肉強食の野蛮な世界」が生まれ、http://agora-web.jp/archives/2043710.html 「悲惨な事故」が招かれる、http://agora-web.jp/archives/2043710.htmlと主張している。日本の法律家としても、今日では希少となった自衛権否定論である。

もし絶対平和主義を採用しないのに、自衛権を否定するのであれば、あとは「ウェストファリア体制」の復活しかないだろう。合法性の判断基準を、「主権国家が宣戦布告をしたかどうか」だけに還元するという方法である。主権国家の「戦争」は合法だが、それ以外の武力行使は単なる「殺し合い」で違法だ、という世界観を復活させるしかない。

議論としては、一つの立場である。倉山氏の議論は、思考のトレーニングとして、一つの洞察を含んでいる。

だが、現実には、21世紀の世界は、19世紀のヨーロッパとは、全然違う。現代世界で、19世紀ヨーロッパ公法を復活させるなどという試みは、あまりにも壮大すぎる。

第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る現代国際法が生まれた時代は、ヨーロッパ「帝国」の崩壊の時代だ。ヨーロッパの帝国が潰し合いを始めたのが、第一次世界大戦だ。ウィルソンは、その説明をマルクス=レーニンだけに委ねて、共産主義が世界を支配してしまうのを防ぐために、自由主義にもとづく国際秩序を構想した。

その後の脱植民地化の歴史を通じて、ヨーロッパの帝国は完全に消滅した。そして、無数の脆弱な新興独立諸国が生まれた。国家の数が200近くにも増加した20世紀後半以降の新しい国際社会において、19世紀ヨーロッパ公法の主権の絶対性に依拠するだけの秩序を導入することは、不可能ではないか。

1648年ウェストファリア条約から1914年第一次世界大戦に至るまでの間に、国家の数は激減した。絶対主権の審査が厳しすぎたのだ。「宣戦布告があれば戦争は全て合法」の秩序は、ヨーロッパの帝国すら、崩壊させた。
 現代国際法は、初期の目的を達成している。今日の世界では、国家間戦争は、ほとんど起こっていない。現代世界の武力紛争のほぼ全ては、内戦か、あるいは内戦が近隣諸国を巻き込んで国際化したものである。テロリスト集団のような非国家主体が闊歩する「非対称戦争」がほとんどだ。
 新しい対応策が必要になっている。だが、それでも自衛権を否定したり、ヨーロッパ公法の復活を唱えたりすることが、現実に可能だとは思えない。現代世界の国際法秩序を強化しながら、新しい対応策を考えるしかない、と私は考える。

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