「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 先日、映画『ダンケルク』を観ることができた。私の場合、なかなか映画館に行く暇もないため、なんとか機内で観たりする。気になっていた映画だが、どのような評論がなされているのかは、よく知らない。ただ国際政治学者として、この映画を観て、あらためて思い直すことがある。それは、集団的自衛権の歴史だ。 

第二次世界大戦初期、圧倒的なドイツの兵力の前に、英仏軍は大陸で大敗北を喫し、19405月末、ドーバー海峡に近いダンクルクに、約40万の兵力が追い詰められた。もはや戦況の転換を望むことはできず、撤退しかありえない。しかしドイツはダンクルクを完全に包囲していた。近づいた船舶も魚雷や爆撃によって次々と撃沈されてしまう。救出は極めて困難であった。しかも、イギリスが本国に温存している兵力を投入しすぎれば、ドイツによるイギリス侵攻を不可避にしてしまう。 

しかしそのうえで、イギリスは、民間の漁船や遊覧船にも働きかけて、ダンケルクに向かわせる。ドイツによる攻撃を避け、兵力の浪費を防ぎながら、追い詰められた兵士をできるだけ救出するための決死の奇策であった。このダンケルク作戦は成功をおさめ、第二次世界大戦の歴史に残る奇跡の脱出劇によって、約33万人以上の英仏の兵力がイギリスに帰還した。1940510日にイギリス首相に就任したばかりであったチャーチルは、大陸での軍事作戦の失敗を反省しつつ、作戦の成功を喜び、「新世界」の勢力、つまりアメリカが、やがて旧世界の危機を救いに来るはずであることを述べ、国民の士気を鼓舞した。 

ダンケルクの作戦が失敗に終わっていたら、最終的には連合軍の勝利に終わる第二次世界大戦の行方がどうなっていたかわからなかった。島国イギリスだけでもナチスドイツの支配から免れ続けることができたことが、その後の戦争の帰趨に大きな意味を持った。

 しかしそれにしても、なぜドイツは、追い詰められたイギリス軍に対して、より大規模な攻撃を仕掛けなかったのだろうか。ノルマンディー侵攻によってイギリス軍が戻ってくることを知っていたら、ヒトラーは兵力を集中投下する大作戦を敢行したはずではなかったか。

 正確な史実から言えば、ヒトラーは、イギリスが戻ってくるとは思っていなかっただろう、というよりもむしろ、そもそもイギリスと戦争を続けるつもりがなかった。

 ドイツは、ダンケルク以降、イギリス本土に対して、しばしば奇襲的な空爆作戦を行ったが、侵攻しようとしていた形跡はない。西のフランスを占領し、ヨーロッパ大陸をほぼ掌握したヒトラーは、むしろ東のソ連に侵攻する作戦を命令することになる。しかしヒトラーは、なぜナポレオンの二の舞となるため独ソ不可侵条約を結んでまで避けたかったはずの二正面作戦となるソ連侵攻を敢行したのか。

 広がり切ったドイツ帝国の領域を維持するための資源の確保等の物質的理由はある。だがそれにしてもイギリスとの戦争を清算してからのほうがよかったはずだ。イギリスが持ちこたえたため、やむをえずソ連への侵攻を決断した。これによって第二次世界大戦の行方が変わった。ダンケルク救出劇が、その展開を用意したのだ。

 そもそもヒトラーは、イギリスと戦争などしたくはなかった。イギリスの介入はないと読んでポーランド侵攻したところで、ヒトラーの誤算は始まっていた。さらにダンケルクをめぐってイギリス海軍との大海戦などを挑まなかったのは、双方の兵力を温存することを、ヒトラーが認めていたことを示唆している。

 日本人にはあまり知られていないが、ダンケルクの後、ヒトラーは中立国スウェーデンなどを通じて、イギリスに対して和平工作の提案を行っていた。それを無視し、閣内で和平について語ることを禁じたのは、チャーチルのほうであった。

 ヒトラーは、そもそも最初からイギリスと戦争をするつもりなどなく、始まってからも戦争を終結させることを狙い続けていたのである。時間切れになってソ連との開戦に踏み切り、日本の真珠湾攻撃以降、アメリカとの戦争も強いられることになり、結果として、最終的には大敗北を喫した。

 ダンケルクの作戦を指揮し、徹底抗戦して和平を退けながら、ソ連とアメリカとの大同盟を作っていったチャーチルは、まさに第二世界大戦において最も重要な人物であり、英雄であった。

 歴史に関する大著を何冊も持つ歴史家チャーチルは(ちなみにイギリスでは歴史学の地位が高く、政治家にも歴史学を修めた者が結構いる)、数百年にわたるヨーロッパの歴史への洞察から、ドイツ帝国と対決し続けなければならないことを確信していた。そして数多くのイギリス人がそのように信じていたため、ポーランドが侵攻されたときに、低地諸国(ベルギ-・オランダ)の防衛を企図して、ドイツとの開戦を決断したのである(チャーチルが首相に就任したのは、ドイツが低地諸国への侵略を開始した日であった)。 

そのとき、イギリスの宣戦布告の法的根拠となったのが、国際連盟における共同防衛体制であった。チャーチルの行動は、第一次世界大戦後の国際法秩序の原則にもそったものであった。しかし、当時の国際連盟は、アメリカ、ソ連、ドイツ、日本が加入しておらず、実態としては広範に弱小国を従えただけの英仏同盟と変わりがなかった。およそ普遍的な集団安全保障などと主張できるような代物ではなかった。今日でいえば、ポーランド侵攻にあたり、英仏が集団的自衛権を行使することを決断した、ということである。

 こうした史実は、第二次世界大戦以後、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障が、すべて一続きの安全保障構想の中で位置づけられるべきものだとされるようになった背景を示している。

 当時、アメリカはイギリスに強力な輸送・物資支援を提供し、1941年には米英共同で大西洋憲章も発表して、事実上の同盟国としてイギリスを支えた。しかし国際連盟加盟国ではないアメリカは、イギリスとは異なる法的地位にあった。不戦条約を推進し、スティムソン主義にもとづいて日本による満州国設立を認めない立場をとっていたアメリカだが、戦争に参加する法的根拠は持ち合わせていなかった。真珠湾攻撃によってアメリカの参戦が決まった後、チャーチルが深く安堵したということは、広く知られている。

 日本では、アメリカのF・D・ローズベルト大統領が日本の参戦を誘発する政策をとっていたことが、陰謀のように語られることが多い。国際社会主流の見方をとれば、話は逆だ。当時、集団的自衛権が広く認められていたら、アメリカの法的地位は変わり、ヒトラーが計算ミスで拡張主義をとってしまうことを抑止する大きな力になっただろう、と考えるのが、普通である。第二次世界大戦の結末を予期できてさえいれば、ヒトラーは拡張政策をとらなかっただろう。集団的自衛権があれば、少なくともイギリスの参戦の脅威で、いっそう大きな抑止力が働いただろう。

 第二次世界大戦後、イギリスは、アメリカと、第二次世界大戦で守ろうとした西ヨーロッパ大陸諸国と、国連憲章51条に明記された集団的自衛権を法的根拠にして、NATOを結成した。これによってドイツは、個別的自衛権を行使せず、集団的自衛体制の枠組みでのみ行動する国となった。東側陣営と厳しく対峙し続けたが、今日に至るまで70年近くにわたって、NATO加盟欧州諸国は、内部からも外部からも、武力攻撃されることがない、人類史上まれに見る強力な抑止体制を築き上げた。

 ナチスはドイツ民族の個別的自衛権を濫用して、拡張政策を正当化しようとした。そのため、戦後のドイツは、個別的自衛権を封印し、集団的自衛権の枠組みの中で、自国の安全保障政策を進める国家体制へと移行した。

 ヒトラーやムッソリーニに、個別的な自衛権濫用の前例を与えたのは、日本である。日本は、不戦条約に加入していたにもかかわらず、率先して自国の個別的な自衛権を濫用して満州事変を引き起こし、世界大戦への道を開いた。その結果、個別的自衛権の濫用に対して集団的自衛権の論理で結びついた連合国陣営に、体制転換を行うための降伏と占領を許すまでに、徹底的に打ち砕かれることになった。

 日本国憲法は、こうした歴史を反省し、こうした歴史を二度と繰り返さないために、作られたものである。

 ところが、戦後、四半世紀もすると、日本では、個別的自衛権を善とし、集団的自衛権を悪とする勢力が台頭した。安保闘争、ベトナム反戦運動/学園闘争をへた左翼運動が、アメリカこそが悪だとし、日本の主権独立を振りかざすことが平和への道だと鼓舞したからである。

 第二次世界大戦の歴史にもかかわらず、いつのまにか、日本だけが、個別的自衛権だけが善で、集団的自衛権は悪だ、と信じる奇妙な国になってしまった。個別的自衛権なら拡張しても心配ないが、集団的自衛権は少しの行使でも危険だ、などと主張する民族主義的独善国家に成り下がってしまった。

 石川健次・東京大学法学部教授(憲法学)によれば、国連憲章における集団的自衛権は、政治的に「自衛権」の規定に「潜り込ませ」られたに過ぎず、「国際法上の自衛権概念の方が異物を抱えているのであって、それが日本国憲法に照らして炙りだされた、というだけ」なのだという(拙著『集団的自衛権の思想史』第1章参照)。

 こうして日本は、「国連憲章51条は異物」と述べる憲法学者を旗印に、国際政治は邪悪、平和主義は日本(の憲法学者)だけ、などと主張するガラパゴスな国になり果てた。

 邪悪なアメリカが集団的自衛権を理由にして日本を戦争に巻き込みさしなければ、あとは個別的自衛権の拡張さえしておけば、日本も世界も平和になるのだという。したがって、安全保障論は、憲法学者に仕切らせるべきなのだという。

 様々な憲法解釈や外交論があってもいい。しかし「アベを許さない」といったレベルの感情論から勢い余って、集団的自衛権=邪悪論を大真面目に布教し続けようとすることは、極めて無責任な行為だと言わざるを得ない。それは、日本を再び独善的な世界の孤児にしてしまう行為であり、極めて危険な態度である。 

 トランプ政権のエルサレムへの大使館の移転決定が事件となっている。前提となる情勢理解から入らなければならない国際問題は、ブログ記事にしにくい。しかしこの問題は、日本国内では、あまりに杓子定規的に捉えられているようなので、あえて少し書いておきたい。
 日本では、相変わらず反米主義的なトーンの言説が華やかなようだ。確かに、今回の決定は、外交的戦略によるものというよりも、米国内向けの決定であると言うべきで、政権内のペンス副大統領やクシュナー特使などの意向にそうものだと考えるべきだろう。
 ただし今回の決定は、1995年のエルサレム大使館法の適用の6ヶ月延期の期限切れにあたって、移転の決定はしたが、実際に移転する時期は定めず、あらためて延期するというものだ。エルサレムが東西に分割される可能性を放棄したものではなく、トランプ大統領の悩みを感じることはできる。
 ポイントは三つある。
 第一は、国際社会における最大の論点は、国連安保理決議478(1980年)その他による要請に反しているか、反しているならばそれはどういう意味を持つか、である。対テロ戦争を共に戦う欧米諸国が一斉に批判しているが、それは具体的な政策判断の是非をめぐる批判なのだと言える。
 日本国内では相変わらず、日本政府が十分にトランプ大統領を批判していないので、糾弾しよう、といった論調が目立つ。しかし決議478の当該部分は必ずしも法的拘束力を持つわけではなく、批判のトーンに各国の立場の相違に応じた違いが見られるのは、それほど奇異なことではない。むしろ国際ニュースでは、日本を含めた現在の安全保障理事会理事国14か国が、つまりアメリカだけを除いた全ての理事国が、トランプ大統領の決定に批判的に懸念を表明したことのほうが広く伝えられている。
 第二に、中東情勢への影響であるが、アラブ人の民族意識で問題をとらえる論調があるのは、やや時代錯誤な感を受ける。アメリカ批判の急先鋒に立って中東の世論の喚起を主導しようとしているのは、トルコやイランなどの非アラブ国となっている。アラブ諸国の反応は概して穏便だ。アラブ圏域では、サウジアラビアなどの湾岸諸国による経済封鎖措置を受けて、急速にトルコとイランに近づいたカタールが、アルジャジーラなどを通じて、トランプ批判の報道を行っている。背景には、モハメド・ビン・サルマン皇太子が実権を掌握して、大規模な変動が起こっているサウジアラビアが、シリアやイエーメンをめぐって先鋭化したイランとの対立関係から、アメリカとの結びつきを再確認し、イスラエルにも近づいていたことがあった。
 トランプ大統領の決定とその反応のパターンが、分断された中東の現状を反映したものであることは、ほんの少しでもアメリカがからんでいない場合でも中東情勢のニュースに気をつかっていれば、すぐにわかることである。
 第三に、アメリカが中東和平を主導できないことは、すでに一つの現実となっていた。アメリカのパレスチナ問題としての中東和平への関与の大きな分岐点は、1993年のオスロ合意であったと言えるが、それは1991年湾岸戦争によって歴史上かつてないほど中東への影響力をアメリカが確保したことの反映であった。それから四半世紀が過ぎ、特にイラク戦争の混乱をへて、アメリカの影響力が見る影もない状態にまで低下したことは、明白であった。トランプ大統領の決定は、その現実をふまえながら、対テロ戦争を遂行していく態度の現れとして理解するべきだろう。そうでなければ、批判する場合でも的外れになる。
  トランプ大統領の外交は、今のところ東アジアでは比較的うまくいっているが、それは、北朝鮮という国際社会が共通の敵とみなす存在があればこそであろう。東アジアでは、自国の利益と他国の利益の調整を図りやすい構図があるのだ。それに対して中東や欧州では、事情が異なる。アメリカが自国の利益に基づいて独自の政策をとることが、アメリカと利益を共有しない勢力の利益と衝突する。対テロ戦争が恒常化し、国際社会の構造的な問題となっている情勢の中で、各国がそれぞれの立場をふまえながら、苦闘しているためだ。
 おそらく今回の決定が和平交渉に起死回生の契機をもたらす、と考えるのは、楽観的すぎるだろう。だが現実には、アメリカが1993年当時のような中立的ブローカーを装っても、先行きの見えない和平交渉が前に進む見込みは乏しい。
 経営者=つまり商人のトランプ大統領は、自らの利益を明確に伝えながら、相手の利益確保も提案する交渉スタイルに慣れているだろう。交渉相手に対しては、だが。したがって次の一手は、パレスチナ側への譲歩提案である。繰り返すが、うまくいく見込みは乏しいが、良くも悪くも、それがトランプ大統領のスタイルだということだ。
 日本も国際社会の道義的規範を遵守しながら、自国の立ち位置も見定めて、対応を決していかざるをえない。
 日本政府の政策評価は、反米主義の扇動にもとづくのではなく、より冷静な情勢分析判断にもとづいて、進めていくべきである。

 前回・前々回ののブログでは、山尾志桜里議員の改憲案について、批判的な文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2029686.html http://agora-web.jp/archives/2029802.html その後、『iRONNA』さんの依頼で、山尾議員の政策顧問である倉持麟太郎氏の改憲案について批判的な記事を書かせていただいた。http://ironna.jp/article/8337
 ただしもともとは、それより以前のブログで、「立憲主義違反」を国会で叫ぶ枝野幸男代表について書き、立憲民主党はきちんと議論を提示するべきだ、と書いたのがきっかけだった。http://agora-web.jp/archives/2029642.html 
 12月7日、立憲民主党が、公式に「憲法に関する当面の考え方 」という文書をまとめた。残念ながら、私が期待する「議論」はなく、説明なき断定調の言葉が並ぶものだ。ただし立憲民主党の立場は、鮮明になったところはあるのだろう。これによってわかることもあった。
 まず、山尾議員=倉持顧問の改憲案は、実際には立憲民主党が採用することは難しいことが明らかになった。立憲民主党の「憲法に関する当面の考え方」は、9条には手を触れさせない、その他の条項での改憲を議論する、というものだ。山尾議員=倉持顧問の改憲案と、鋭く対立する。
 もともと彼らは皆、「アベを許さない」運動を推進している憲法学者らとともに、自衛隊の合憲性を明記した9条3項を加えると、今まで自衛隊が違憲だったことを認めることになるぞ、と脅かしている方々だ。実は、この考え方にしたがいながら、山尾議員=倉持顧問が主張する個別的自衛権の合憲性を明記する改憲を行うと、今まで個別的自衛権が違憲だったことになる。
 「アベ改憲は反立憲主義、反アベ的改憲は立憲主義」という情緒的スタンスが基本なので、ご本人方は気にしていらっしゃらないようだが、論理的には錯綜した言説が羅列されているのである。
 実は枝野幸男・立憲民主党代表自身が、2013年には「加憲」型の改憲案を提案した人物である。そのときの主張が今どうなっているのか、いまだご本人はきちんと説明していない。
 憲法学会の「隊長」である長谷部恭男教授は、今までの政府見解で自衛隊は合憲だったので、アベ改憲は必要ではない、と反対する。他方、2013年の「枝野氏の改憲案」については、「従来の政府解釈を憲法に明文化しようとしたもの」だという理由で、擁護する。非常に難解だ。http://agora-web.jp/archives/2029309.html
 2013年当時枝野論文を批判した日本共産党は、今年は、立憲民主党に配慮して衆議院選挙で候補者調整を行った。山尾議員の選挙区でも、共産党は候補者擁立を見送ったのである。枝野代表は、山尾議員・倉持顧問とともに、自らの過去も切り捨てるのか。あるいはやがて共産党を切り捨てるのか。どうするつもりなのか、明言はしていない。しかし選挙をへて、前者のオプションに傾いているようである。
 衆議院選挙前の民進党分裂時に、枝野幸男代表は求心力を高めた。「アベを許さない」勢力は、枝野議員以外の政治家や、枝野代表の過去の論文や、論理的一貫性それ自体までも捨て去ってでも、枝野代表の求心力だけを守り通そうとしているのだろう。政論としては、それはわかる。だが果たしてそれは持続的な態度だろうか。
 立憲民主党の「憲法に関する当面の考え方」を、もう少し詳しく見てみよう。https://cdp-japan.jp/news/wp-content/uploads/2017/12/20171207
 まず冒頭で、「基本姿勢」として、以下のような「立憲主義」理解が示される。

「『国家権力の正当性の根拠は憲法にあり、あらゆる国家権力は憲法によって制約、拘束される。』という立憲主義を守り回復させる。憲法に関する議論は、立憲主義をより深化・徹底する観点から進める。」

 立憲主義理解については、やはり以前のブログで何度か書いた。立憲民主党的な立憲主義の理解の問題点は、「国家権力を制限することが立憲主義」という理解が自己目的化している点である。憲法が定める理念によって国家権力が制約されなければならないことは自明だ。しかしそれは、なんでもかんでもとにかく少しでも国家権力が制限されれば、それで立憲主義が一歩進んだことになる、といった暴力的な議論とは違うはずだ。
 残念ながら、立憲民主党の「憲法に関する当面の考え方」には、「何のために国家権力を制限するのか」の視点が、依然として希薄だと言わざるを得ない。提案されている「臨時会招集要求」や「衆議院の解散」などは、かなり具体的な「アベを許さない」の政論の話になっており、長期的な視野に立った国家の在り方の話に見えない。「国家権力=自民党=アベ政治を制限することが立憲主義だ」、という話である。同じ主張をするにしても、もう少し高次元の国家の在り方に関する議論を、後世の日本人に対しても責任を果たしうる形で、提示していただくことはできないのか。
 もっとも今回の立憲民主党の「当面の考え方」のポイントは、9条をめぐる部分であろう。そこでは安保法制と自衛隊加憲論に対する反対姿勢が明示されている。まず安保法制反対の「考え方」を見てみよう。

「○ いわゆる安全保障法制について   日本国憲法 9 条は、平和主義の理念に基づき、個別的自衛権の行使を容認する一方、日本が攻撃されていない場合の集団的自衛権行使は認めていない。この解釈は、自衛権行使の限界が明確で、内容的にも適切なものである。また、この解釈は、政府みずからが幾多の国会答弁などを通じて積み重ね、規範性を持つまでに定着したものである。集団的自衛権の一部の行使を容認した閣議決定及び安全保障法制は、憲法違反であり、憲法によって制約される当事者である内閣が、みずから積み重ねてきた解釈を論理的整合性なく変更するものであり、立憲主義に反する。」

 言うまでもなく、9条は、個別的自衛権・集団的自衛権の区別はもちろん、「自衛権」それ自体についてもふれていない。それにもかかわらず「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ」という「解釈」を引き出すためには、少なくとも何らかの説明が必要なはずだ。この「当面の考え方」において「説明」と言えるのは、せいぜい9条が「平和主義の理念」を採用している、という記述くらいだろう。だがこのような大胆なまでに大雑把な説明は、1972年~2014年の間の政府の説明で採用されていた説明ですらない。なぜ個別的自衛権=平和主義、集団的自衛権=反平和主義なのか。それぞれについて、もっときちんとした説明をするべきではないか。
 「この解釈は、自衛権行使の限界が明確で、内容的にも適切なものである」と断言するが、これでは説明になっていない。私に言わせれば、そもそも個別的自衛権OK、集団的自衛権ダメ、といった議論で「自衛権行使の限界が明確」になると考えるということ自体が、恐ろしくナイーブな話である。拡大解釈濫用の危険性があるのは、個別的自衛権でも集団的自衛権でも同じだ。個別的自衛権ならOK、で全てが明確になるなどということは、ありえない。事実、「日本が攻撃されていない場合の集団的自衛権行使」が違憲だという立憲民主党の文章自体が、日本が攻撃されている場合の集団的自衛権行使なら合憲だ、と読み取れる曖昧な文章になっている。日本が攻撃されてさえいれば、憲法学者が嫌いな「地球の裏側の集団的自衛権」でも許されるのか。それでは、「日本が攻撃されている場合」とは、どんな場合なのか。国家は自然人ではない、一つの制度である、という点を全く考慮していない。自衛権行使は、局地的な瞬間だけで一回一回完結するものではない。
 立憲民主党は、「専守防衛」にこだわる。それなら「専守防衛主義」だけを掲げればわかりやすいのだが、専守防衛だから個別的自衛権だけが合憲で集団的自衛権は違憲になる、というのは、恣意的に選んだ特殊な事例にもとづいて、自衛権一般の合憲性を判断する視野の狭い議論だ。2013年の論文では、枝野代表自身が、たとえば米艦防護が、個別的自衛権の行使になるか集団的自衛権の行使になるかは、重要な点ではない、と書いていた。
 だがここで本当に問題なのは、そういうことではない。「平和主義」が個別的自衛権だけを合憲とすることが主張の骨格だという宣言をしておきながら、次の瞬間には「国家権力を制限する立憲主義が素晴らしい」という話に、議論をすり替えていることが、問題である。自衛権を完全否定しないのであれば、自衛権行使に「平和主義」の要素があることを認めているわけだろう。つまり実際にはどこまでも果てしなく限界を設ければ平和主義が深まる、と立憲民主党も考えているわけではない。では、それは、どんな平和主義なのか。「アベを制限する者が立憲主義者」論に安易に逃げることなく、きちんと説明するべきだ。
 なお「政府みずからが幾多の国会答弁などを通じて積み重ね」た説明を修正すると、「憲法違反」になるとまで言えるのか、については、すでに相当に議論がなされている点だろう。政府が過去の答弁内容を修正すると、「憲法違反だ!なぜなら過去の政府答弁こそが憲法だからだ」、となるというのは、どう考えてもおかしい。私などは、集団的自衛権違憲論は、むしろ単なる「団塊の世代中心主義」だと言っている。立憲民主党には、もう少し将来の世代に責任を果たす覚悟を感じさせる前向きな議論を示してほしい。
 次に加憲論についてみてみよう。

「○ いわゆる自衛隊加憲論について現行の憲法 9 条を残し、自衛隊を明記する規定を追加することには、以下 の理由により反対する。① 「後法は前法に優越する」という法解釈の基本原則により、9 条 1 項 2 項の規定が空文化する。この場合、自衛隊の権限は法律に委ねられ、憲法上は、いわゆるフルスペックの集団的自衛権行使が可能となりかねない。これでは、専守防衛を旨とした平和主義という日本国憲法の基本原理が覆る。②現在の安全保障法制を前提に自衛隊を明記すれば、少なくとも集団的自衛権の一部行使容認を追認することになる。集団的自衛権の行使要件は、広範かつ曖昧であり、専守防衛を旨とした平和主義という日本国憲法の基本原理に反する。③権力が立憲主義に反しても、事後的に追認することで正当化される前例となり、権力を拘束するという立憲主義そのものが空洞化する。」

 こちらは端的に、論理展開がよくわからない。さらにそこに「フルスペック」云々といった憲法学特有のジャーゴンが散りばめられているため、いっそう理解しにくい文章になっている。
 なぜ自衛隊を明記すると、9条1項2項が空文化するのか。「後法は前法に優越する」とつぶやくだけでは、「空文化」といったことまでの説明にならない。なぜ自衛隊を明記すると、違憲であったはずの集団的自衛権が「フルスペック」に発生してくるのか。これでは、立憲民主党は現在の自衛隊をどう捉えているのか、そこも心配になってくる。
 私個人の話をすると、現行9条であっても「軍隊」の存在を否定しない、という解釈で、本まで出している(私は自衛隊ではなく軍隊の存在の合憲性を明記するべきだと言っている)。現行9条が集団的自衛権を禁止している、という解釈も、冷戦時代の詭弁にすぎず、本質的には憲法論ではないと考えている。
 立憲民主党にとっては、私などは単に「反立憲主義」的人間だというだけの存在で、一つの解釈提示者としての認知もない。立憲民主党の批判ばかりをしたいわけではないが、立憲民主党が政権をとったら、ずいぶんと暮らしにくくなるなあ、というのは率直な思いではある。
 いかにちっぽけな一学者にすぎないとはいえ、自分の存在が完全否定され、無に等しい扱いを受けているというのは、もちろん面白い話ではない。そこで、せめてなぜそうなのか、もう少し責任感のある説明を施してほしいと思わざるをえない次第である。

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