「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 自民党の憲法改正推進本部が、改憲案をまとめる方向を固めたという。今月に入ってから、「森友祭り」を理由にして、多くの論者が「憲法改正は不可能になった」と論じていただけに、自民党案を一本化して提示する方向を固めたことは、評価したい。
 「必要最小限度」の文言を、取り除いたという。望ましいことだと思う。石破氏らの「曖昧だ」という指摘を取り入れ、「自衛権明記」を主張していたグループの意見も取り込んだ形だという。私も、石破氏と同じ考えなので、この文言を取り除くのは、大変に良いことだと思う。
 憲法学では、「必要最小限」という政府見解の歴史的展開の中で生まれた概念を、「フルスペックの軍隊ではない」自衛隊が行使する「フルスペックの自衛権ではないもの」といった話で解説してきた。それによって思いついたときに「政府を制限するのが立憲主義だ」などといった政治運動上の主張をする間口を確保してきた。
 しかし日本人の誰も「フルスペックの軍隊」なるものについて理解しているわけではなかった。最悪なのが、憲法学に染まってくると、「フルスペックの軍隊」とは戦前の日本の大日本帝国軍のようなもので、しかもそれは憲法の規制を離れた国際法が認めているものだ、といった全く根拠のないデマが流布されたりすることだ。
 国際法上の自衛権は、「必要性(necessity)」と「均衡性(proportionality)」の原則によって規制されている。憲法典上の根拠のない意味不明の憲法学ジャーゴンを排し、国際法規範による規制を直接取り入れることが、望ましい方向性だ。
 「必要最小限」概念を憲法典から取り除くことは、規制が弱まることを意味しない。本来、憲法学の基本書による「自衛戦争」の規制から、国際法規範による「自衛権行使」の規制に、議論をシフトさせることが望ましいのである。
 「自衛隊」が「実力組織」と描写されることは、曖昧さの余地を残す。だが少なくともそのような存在である自衛隊が、「国際法上の軍隊」であってはいけない理由はない。
 「森友祭り」は、まだしばらく続くだろう。国会の三分の一を持っていない改憲反対派は、政治運動を通じて改憲に反対するしかない。もっとも公明党をはじめとする自民党以外の政党が、どのような立場をとってくるかは未知数である。そもそも自民党ですら、まだ条文案の確定という段階には進まないのだという。
 改憲問題をアベ問題と同一視する動きは、今後もさらに高まっていくのだろう。おそらくそのような姿勢は、極めて近視眼的なものだと私は思うのだが、直近の改憲案の行方に影響を与えないわけでもないだろう。改憲案の行方は、まだまだどうなるかわからない。
 それにしても議論の記録は残る。行政公文書なるものは、キャリア官僚群がその気になれば、組織的に改ざんされる。だが、公の議論の記録は、そうはいかない。
 今後も、歴史に残る議論を期待したい。

 日本では「森友祭り」が華やかなようだ。つくづく日本には、政策ではなく政局にしか関心がない人たちが多いのだな、と感じる。意識して記事をフォローしているわけではなくても、お馴染みの人たちがお馴染みのポジションで、興奮して政局見通しを披露するのに盛り上がっていることは、手に取るようにわかる。
 今のところはっきりしているのは、宇佐美典也氏が言うように、「本当の被害者は近畿局の現場のノンキャリである」ということだけなのではないか。http://agora-web.jp/archives/2031619.html 命を賭してまで告発することを重くとらえていた事情は、本当にお気の毒だ。今のところ問題がどこまで波及するのかわからないが、現場のノンキャリに負担を押し付ける形で、少なくとも財務省高官エリートのキャリア官僚がおかしな画策をしていた事実は、動くことがない。
 私個人の乏しい経験から考えても、「“官僚は真面目だし自分の判断で公文書を改ざんできるような度胸はない、従って政治家が関与したはずだ”という趣旨の発言をしている政治家や元官僚がいますが、これは間違っていると思います。むしろ逆で、自己保身と組織防衛が行動原理の官僚は、バレないと思えば何でもやります。」という岸博幸氏の言葉は、非常に納得するところが多い。 https://www.msn.com/ja-jp/news/national/森友問題「理財局の単独犯行」では説明がつかない3つの疑問/ar-BBKgTDl?ocid=sf#page=2 実際に巨大組織の中に属している方は本当に大変なのだろうと思う。
 とはいえ、こういう事態も政治の一部だ、ということだろう。しばらく前に「内閣支持率の低下は、改憲案への逆風か、改憲案が作った風か」という題名でブログ記事を書いたことがあるがhttp://agora-web.jp/archives/2027249.html 、自民党が改憲案をまとめるといった時期になると、「森友祭り」のような事態になったりするものなのだ。
 『現代ビジネス』さんで、3月下旬に武力行使の可能性が高まる山が来ることを見越して、北朝鮮の金正恩氏が布石を打ってきたと見るべきだろうと書かせていただいた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54815 
 日本国内では自民党の改憲案で3月下旬に山が来るはずだったが、それもまた新しい展開で発生しないのかもしれない。
 「森友祭り」を見て、あらためて日本では憲法改正が非常に難しいな、という思いを強くする。

定期的に出演させていただいているニコニコ動画『国際政治ch』で、ゲストに冨澤暉・元陸上幕僚長をお招きして、対談をした。http://ch.nicovideo.jp/morley
 
海外の軍人「プロ」同士の視線を気にすれば、「自衛隊」という名称を入れる改憲案には承服できない、といった意見など、約三時間、興味深いお話をたくさんしていただいた。
 
それにしても印象に残ったのは、冨澤さんに、最後に、「自分と同じ見解を持つ篠田という学者は珍しい」といったことを述べていただいたことだ。視聴者の中にも、同じようなコメントを出してくれている方がいらっしゃり、光栄ではあるが、複雑な思いにかられた。
 
なぜなら私自身は、自分自身の国際秩序論を、極めて普通の正論だとしか思っていないし、憲法解釈も単なる平凡な憲法典の読解だとしか思っていないからだ(むしろ私は憲法学の主流のほうが意図的に憲法典を曲解していると思っているし、司法試験受験者や公務員試験受験者が、試験委員のチェックばかりに忙しくて日本国憲法典それ自体を読む暇を持てていないと疑っている)。http://agora-web.jp/archives/2031329.html    blogos.com/article/280280/
 
冨澤さんが著作で論じていることも、国際社会の常識と言ってよいことばかりだ。「戦争を放棄をしているのは日本だけではない」、「PKOの武力行使は集団的自衛権と関係ない」、「集団的自衛権と集団安全保障の差異をほとんどの国民が認識していない」、などは、単に国際法の基本を勉強すれば、それで常識となる事柄ばかりだ。
 
だが国際社会の常識を常識として主張すると、日本社会では、珍しがられるらしい。私のように、うっかりと憲法典それ自体は国際社会の常識に反していない、などといったことまで口走ってしまうと、憲法学者や公務員試験合格者や司法試験合格者から、「日陰者」、「(三流)蓑田胸喜」、「ホロコースト否定論者」、「若い」、などの言葉を浴びせかけられる。
 
全ては、国際法の地位が、日本社会で不当に扱われていることに起因しているのではないか。
 
私は国際政治学者だが、国際法学会にも属している。素晴らしい業績を持ち、国際的に、学会で、国連委員会で、活躍されている国際法学者の方々が日本にも多いことを、よく知っている。政治運動には走らず、プロ意識が強いことが、かえって国際法学者の方々の日本社会での存在感を地味にしているとしたら、不当だ。
 
司法試験で国際法を必須にする、公務員試験で国際法を必須にする、国立大学法学部で国際法教員を優先確保する、などの措置がとられれば、日本社会は一気に変わるような気がする。が、もちろん簡単には発生しない。既得権益に根差した社会構造の問題だからだ。
 
相変わらず、司法試験合格者が、法律家の代表として、憲法の基本書にしか存在しない「国際法上の交戦権」なるものを振りかざし(実際には現代国際法に「交戦権」なるものは存在しない)http://ironna.jp/article/8337、国際法では国連憲章にもとづいて世界的に自衛権に関する議論が蓄積されているのに「自衛権は憲法に書かれていないので透明人間だ」http://agora-web.jp/archives/2029686.html、などといった主張を、熱心に社会に広めている。
 
もっとも伝統的に、日本の国際法において、国際人道法(戦時国際法=ユス・インベロ)はもちろん、自衛権(武力行使に関する法=ユス・アド・ベルム)についても、あまり華やかな議論がなされてこなかったという事情もあるかもしれない。しかし優れた専門家がいないわけではない。
 
人口激減・少子高齢化による国力の低下が懸念されている日本が、いつまでも「戦前の復活を阻止する」ことだけを目標に、「憲法優位説」だけを唱えているだけで、本当に上手くやっていけるのだろうか。

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