「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

 自民党の石破茂氏が、改憲をしたいという安倍首相の方針を批判したという。自民党憲法改正案の作成には多大な努力が払われた、という主張は、人間感情としてはわかるが、まあそこは政治判断だろう。
 石破氏は、私の拙著について触れて、好意的なコメントをくれている。人間感情としては心に響く。http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-769c.html が、私は学者なので、これをもって石破氏をほめ続ける、というわけにもいかない。
 石破氏が言及している、自民党憲法改正案は、9条をどう扱ったのだろうか。https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf 
 自民党案は、9条1項の後に、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」、という留保条項を入れた。 実は、同じ措置を9条2項に対して行うと(自衛組織の存在を妨げない留保)、まさに安倍首相の提案通りということになるはずだ。しかし自民党案は、9条2項に対しては、留保条項の提案をせず、撤廃を提案した。
 そして、次のような「国防軍」保持の積極的な規定を提案していた。
 「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」
 私は学者なので、つい文言上のことをクドクド言いたくなる。たとえば、「保持する」とあるが、誰が「保持する」のだろうか。
 昨日のブログで、9条が「日本国民」を主語として持つ日本国憲法の唯一の条項であることを書いた。したがって、現行の9条の文言をある程度残しながら改正を入れると、自民党憲法改正案の場合であっても、「保持する」行為の主体は、「日本国民」だということなる。つまり「国及び国民の安全を確保する」「国防軍」を、「日本国民」が「保持する」のである。
 国民が自分で自分の安全を確保するために軍を持つ。さらには、国民が「国」の安全を確保するために軍を持つ。どういうことだろう。よくわからない。
 日本国憲法において、国民が「保持している」ものがあるとすれば、11条で定められている「基本的人権」くらいである。日本国憲法の場合、人権は「この憲法が国民に保障する」ものだとされている。さらに、公務員罷免の権利等、もろもろの具体的な「権利」を国民が保持していることが憲法で定められているが、外在的な組織や物を保持している形跡は、一切ない。もし国民が国防軍を保持することになると、国内法体系では初めて、国民が具体的な組織を保持することになる。理論構成上、「最高指揮官」である内閣総理大臣よりも、主権者である国民のほうが、権威が上だ。その主権者・国民が直接的に保持する国防軍は、よほど特別な組織だということになる。
 かつて戦前の日本で、軍部が、政治家が海軍軍縮条約などを結んでくるのは「統帥権干犯」だと騒ぎたてたことは、良く知られている日本史の一コマだ。その根拠は、大日本帝国憲法11条が、天皇が陸海軍を統帥する、と定めていたことであった。「統治権の総攬者」であり、主権者である天皇は、すべての国家行為の権威の源泉であった。とはいえ神聖不可侵の天皇は、実際には「帝国議会ノ協賛」や「輔弼シ其ノ責ニ任ス」国務各大臣などを通じて、統治した。それにもかかわらず、陸海軍だけは、主権者である天皇が、直接的に「統帥」する特別な機関なのであった。
 自民党案によれば、新設の国防軍は、内閣総理大臣が最高指揮官で、国会が法律を通じた「統制」をする。大日本帝国憲法下の陸海軍とは違う。しかし依然として、憲法で具体的に定められる唯一の行政機関であり、主権者である国民が「保持する」唯一の特別な機関だということになる。わかりやすく言えば、財務省や外務省なら、国会が法律を通じて廃止したりすることができる。国防軍については、「国民が保持する」ことが憲法規定であれば、国会が廃止を試みたら、違憲行為だ、ということになる。
 おそらく自民党案の「保持する」という文言には、そのような「大意はない」、というのが実情だろうとは思う。だが大意はないということに、問題があるかもしれない。
 自民党憲法改正案の「前文」では、「日本国」「我が国」「日本国民」「我々」という複数の主語が登場する。どれとどれが同じで、どういう相互関係になっているのかが、不鮮明である。もし「全て同じだ」と言うのであれば、有機的国家説、国家法人説、憲法制定権力、その他の法理論上の問題とどう折り合いをつけていくのか、哲学的なレベルと言ってもよい問題が、立ち現れてくる。国防軍が「国及び国民の安全を確保する」ことの意味も、問われてくるだろう。
 率直に言って、自民党憲法改正案の最大の弱点は、主語である。国防軍規定には、その弱点が内包されている。
  こうした点を鑑みると、憲法9条の改正は、現行条項に、あらためて明示的な留保を付すやり方が、望ましいように思える。

 憲法9条については、当然ながら、私もそれなりに思い入れがある。備忘録の意味も含めて、時間のあるときに、ポイントになる事を書きとめていきたい。今回はその第一回目である。

 まず、最初に、9条について注意を喚起したいのは、9条の「主語」が「日本国民」になっていることである。

日本国憲法では、前文において繰り返し「日本国民」が登場する。「われら」という表現もあわせると、前文の文章は全て「日本国民」が主語になっている文章である。言うまでもなく、憲法制定者が「日本国民」であるため、憲法全体を貫く原則や目的を宣言する前文では、日本国民が直接的に自らの名で宣明を行う仕組みが求められたわけである。

 実は、日本国憲法の条文で、9条以外には、「日本国民」が主語になっている条項はない。日本国民が主語になっているのは、前文と9条だけである。この事実は、「第二章 戦争の放棄」という章が、ただ9条だけによって成り立っているという点ともあわせて、9条が持つ特殊な性格を如実に物語る。

端的に言って、9条は、前文に類似した性格をもつ「目的」宣言条項である。憲法が目指す目的を明らかにするための宣言を行っているのが、9条である、と言うべきである。

1956年に設置された内閣憲法調査会の会長を務めた英米法が専門の学者・高柳賢三は、9条を「政治的マニフェスト」条項と呼んだ。高柳が言いたかったことは、私が9条の基本的性格は、目的宣言にある、と言うことと、同じようなことだろう。

内閣憲法調査会には、憲法学者の宮沢俊義を初めとする護憲派の学者が参加しなかった。そのため英米法が専門であった高柳が、会長に任命された。結果的に、高柳は憲法学界の主流とは異なる議論を残したが、そのため、憲法学界に全く何もインパクトを残さなかった。もちろん高柳が、政治的マニフェストである9条の文言を厳密に解釈しすぎることはない、といった趣旨の言説を展開したため、憲法学者にまったく不評であった、という事情もある。

 私も、高柳が、9条が禁止を命じている条項であるという点について、軽視し過ぎたような印象は持っている。憲法典が禁止している事は禁止しなければならない。当然だ。しかし重要なのは、そういったことではない。

 9条解釈は、「目的」にそって、行うべきだ。それがポイントである。意味不明な言葉遊びを繰り返す訓詁学を繰り返して、解釈を進めるべきではない。解釈は、「目的」にそっているかどうかを、チェックしながら、進めるべきだ。

 それでは9条における「目的」とは何か。戦争放棄?戦力不保持?交戦権否認?・・・違う。なぜならそれらは、9条を読む限り、「手段」のレベルの事柄として扱われているからだ。

 それでは「目的」とは何か?9条の冒頭は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という表現から開始されている。明らかに、これが「目的」である。つまり「正義と秩序を基調とする国際平和」の達成が、9条の「目的」である。禁止されている事柄は、この「目的」の達成のために、禁止されている。他のいかなる理由によっても禁止されていない。ただ「目的」の達成のために、禁止されている。禁止それ自体が目的ではなく、禁止は「手段」である。そのことを憲法制定者である「日本国民」は宣言している。

 9条の文言で、意味する内容や含意が明確でないものについては全て、この「目的」にそって解釈すべきである。ある一つの言葉、たとえば「戦力」、だけを切り取り、それを勝手な思い込みでわかったような前提で解釈したり、単に辞書を引いて解釈したりすべきではない。9条全体を規定している「目的」にそって、解釈しなければならない。

 2020年までの改憲を目指すという安倍首相のメッセージが出た。91項・2項を維持したまま、自衛隊の合憲性を明文化するという。妥当な改憲案だ。すでに公明党と維新の会が賛同を示したという。世論調査を見る限り、世論の支持も集まりやすい案だろう。ここにきて安倍首相は極めて現実的な手を打ってきたと言える。成立する可能性は高いのではないか。

 20万人以上の自衛隊員が、数世代にわたって受けてきた心理的負荷を考えれば、憲法に自衛隊合憲根拠を明文化することは、正義にかなう。簡明に、自衛隊の合憲性を明示するだけの文章の追加が提案されることを期待する。

 自衛隊合憲化の改憲案に反対する者は、自衛隊違憲論者ということになる。憲法学界以外の世界では少数派だろう。「違憲とは言わないが、合憲としてしまっては、軍国主義に対する歯止めがなくなるのではないか」、といった煮え切らない態度は、無責任だと私は考える。

 あえて言う。護憲派こそ、この改憲案に賛同すべきだ。そうでなければ、護憲派は生き残れない。中途半端な政策論で憲法条項を左右しようとするのであれば、結局、「何でも反対の人」、になってしまい、他の案件の改憲議論の際にも「オオカミ少年」のように扱われることになるだろう。護憲派こそ、次の一手の説得力を確保するために、今回の改憲案に賛同しておくべきだ。

 憲法記念日に『現代ビジネス』に掲載していただいた拙稿でも論じたとおりだが、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51626 現行の憲法9条の維持と自衛隊の合憲性の間に、矛盾はない。できれば、この機会に、言葉遊びに終止符を打つ理解を確立してもらいたい。が、もめるのであれば、それはいい。シンプルに自衛隊合憲明文化でいい。ただそこで「戦争放棄を放棄して、交戦権否認を否認すべきだ」、といったおかしな国際法否定の議論を持ち出すのだけは、勘弁してもらいたい。
 
護憲派は、今こそ、自衛隊合憲の明文化は、9条の否定ではないことを強調していくべきだ。「自衛隊を合憲にすると、9条を否定することになる・・・」、といった自暴自棄な議論が流通しないことを祈る。

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