「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

南北戦争後の南部で生まれた白人至上主義団体クー・クラックス・クランが引き起こした事件について、トランプ大統領が明確な非難をしなかったことによって、アメリカが揺れている。これについては識者がいろいろと論評していると思うが、日本人がアメリカ人に軽蔑的な視線を送るのは、フェアではないと思う。

トランプ大統領は、暴力に反対する、と表明し、明確にどちらが正しい悪いを言わなかった。いわゆる「喧嘩両成敗」論で、どちらかというと日本人が得意にする議論だ。この「喧嘩両成敗」論によって、アメリカは激しく大統領が非難されている、ということについては、日本人ももう少し真剣に受け止めていいのではないか。

アメリカ合衆国憲法修正第13条(奴隷制廃止)・第14(公民権の定義、市民の特権・免除、デュー・プロセスの権利および法の下の平等の州による侵害禁止)は、南北戦争直後、連邦軍による南部諸州占領体制下で批准された。14条について、南部諸州は当初は拒絶したが、ほとんど軍事占領体制の終結と引き換えのような形で、批准が進められた。

手続き論的には問題がある修正条項こそが、アメリカの立憲主義の「正義」の根幹に位置する。「喧嘩両成敗」では、合衆国は崩壊する。憲法前文で高らかに謳った「正義を確立する」という理想にしたがって、立憲主義の進歩が行われたのが、南北戦争であった。そのことを繰り返し表明してほしいという期待が大統領に対して根強いため、「喧嘩両成敗」論では、非難されてしまうのだ。

拙著『ほんとうの憲法』において、合衆国憲法前文の冒頭に登場する「正義(justice)」が、日本国憲法の前文でも取り入れられたが、内閣法制局の憲法草案が作られる際に、恐らく意図的に、「公正」と訳文修正が図られたことについて、指摘した。憲法9条二項の追記「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言は、「芦田修正」と呼ばれ、憲法学者によって陰謀による邪悪な憲法の書き換えのように扱われているが、実際は全く逆である。芦田委員会は、憲法9条が前文の精神の延長線上に作られたものだという本来は自明な点を、明示的に確認しようとしただけだ。前文に「正義」の日本語が残っていれば、合衆国憲法、国連憲章、そして日本国憲法の間の「正義」のつながりが、より明確になったはずだった。

そして日本の戦後憲法学においては、「正義」は、徹底的に軽視されることになった。

その一つの到達点が、長谷部恭男教授の「調整のための慣習」としての憲法である。価値相対主義を徹底すること(あとは政府を徹底的に制限すること)が立憲主義である、という、アメリカ的な立憲主義から見ると対極的と言ってもいい立憲主義の理解が、標準的なものだと主張される。

先日、ニュースで「桃太郎」を題材にした模擬裁判なるものを見た。http://www.asahi.com/articles/ASK894GVMK89UDCB00S.html 子どもたちに、桃太郎、赤鬼、証人、弁護士、検察官、裁判官の役をやらせて、桃太郎を裁判しようという試みである。結果はたいてい桃太郎が有罪になるという。日本の法律家はこうした活動を普及させて、子どもたちを「飼い慣らして」(長谷部恭男教授)、大満足なのだろうか。私には、グロテスクなアナクロニズム、あるいはそれよりもっと質の悪いものとしか感じられない。

桃太郎は、現代日本の住人ではない。なぜそのような名称を使うのか。桃太郎は、法執行機関の活動が全く期待できない環境において、村人の権利を守るために、共同体域外の生命体に対して、自助に訴えた法執行を行った。そういったことをきちんと子どもたちに伝えた上で、考えさせているのだろうか。

万が一、模擬裁判の後に、「正義」とは何か、について、子どもたちに考えさせるのであれば、まだよい。それをやっているような気配はない。

いやいや、そういうことは、平和な現代日本に住む子どもたちは、全く考える必要がないんですよ。そういうことは国際政治などという邪な世界を扱っている国際政治学者や、アメリカ社会という暴力的な世界を扱っている地域研究者あたりに、子どもたちの目にふれないようなところでだけ、研究しておいてもらえばいいんですよ・・・。もし子どもたちが日本の外のことを考えてカルチャーショックを受けて適応できなくなったとしても、心配ない。ただ日本の中で日本の文化だけにしたがって日本のことだけを考えて生きていけばいいじゃないですか・・・。

憲法学者が憲法学会の中だけでガラパゴス議論をするのであれば、実害はない。だが自分たちの「法律家共同体」の至高の権威を主張し、他の世界とコミュニケーションすることすら汚らわしいこととみなすのであれば、それは社会的な害悪である。

 このところ続けて憲法学者について書いているが、一度区切りをつけるために、最後に政策的な課題に結びつけた話をしたい。 
 以前に書いた「船田元・憲法改正推進本部本部長代行の憲法理解を批判する」という題名のブログ記事http://shinodahideaki.blog.jp/archives/19523883.html のコメント欄に、感情的なコメントを投稿してくる方いた。乱雑なタイプの投稿かと思い、私が粗い言葉で返信してしまったので、油を注いでしまったらしい。http://shinodahideaki.blog.jp/archives/19523883.html#comments 
 この方にとっては、自衛隊は軍隊だ、という政府見解があることから、まず納得できないようであった。そこで政府答弁書のURLを教えたのだが  http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b189168.htm その際に、こういうやりとりは勘弁してほしい、という意思表示のつもりで粗野な言葉を付け加えてしまったら、怒りに火をつけてしまった。反省してお詫びする。
 しかし、この「研究者」氏の背景にある問題は、意外と根が深いかもしれない。つまり、「自衛隊は軍隊ではない」、という「信仰」の根深さだ。あたかも憲法の文言や、どこかの法律に、「憲法は軍隊ではない」、と書かれていると、信じて疑っていないという風である。
 上記の政府答弁にもあるように、「国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われる」ということを、日本政府ですらはっきりと認めている。
 この政府答弁書において、「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」と言っている「通常の観念」が何を意味しているのか不明だ。が、まあ、日本社会で偏見を持って語られる際の通俗的な軍隊の観念、といったところか。「戦前が復活する」的な議論では、戦前のいびつな軍隊が「軍隊」の定義になってしまっているということだが、ガラパゴス理解である。
 自衛隊は、「憲法上の戦力」ではないが、「国際法上の軍隊」である。
 これは、私が『ほんとうの憲法』で説明していることでもある。日本国憲法は、戦前の大日本帝国軍のように死滅した19世紀国際法の国家の基本権概念などを振りかざして国際秩序に挑戦することはしない、国際法を遵守する、ということを宣言している。
 憲法9条もそうだ。日本国憲法が保持を禁止しているのは「戦力」は「War potential」とされており、「軍隊(Military)」とは、異なる。自衛隊(Self-Defense Forces)は軍としてのForceだが、憲法上の「戦力」としてのForceではない。
 だが憲法学者は、「自分は自衛隊は違憲だとは言わないが、自衛隊が合憲だということになるとコントロールできないので、とにかくアベ首相がいる限り何をするのもダメだ」、といった議論に傾注し、そもそも必要な概念の整理すらしてくれない。不親切だ。憲法学者が不親切だから、「戦力」「軍隊」といった基本概念に関する政府見解も全く国民に知らされないままなのではないか。
 内閣法制局は「法律家共同体」なので絶対だ、という議論を、自分の政治的立場を補強する時だけつまみ食いし、しかし気が向かないときは隠ぺいしたりするような態度は、よくない。
 もし憲法学者が「内閣法制局の見解が絶対的な憲法解釈だ」というのであれば、「自衛隊は軍隊である」、ということを、もっと宣伝しておいていただきたい。

 拙著『ほんとうの憲法』に寄せていただいたコメントの中に、私のシュミット『大地のノモス』に関するものが結構あった。私が1930年代の時代の描写の中でシュミットの『大地のノモス』への言及をしたところ(87頁)、『大地のノモス』は1950年に出版された、という指摘をよく受けたのである。やはりシュミットは良く知られている。
 拙著をしっかり読んだ上で細かいところまで目配りしてくださる方々には、この場を借りて深く感謝いたします。
 確かに、『大地のノモス』は第二次世界大戦後の1950年に出版された書物である。ただし、現在のシュミット研究では、『大地のノモス』の原稿がすでに1930年代のうちに書かれていたことが確認されている(たとえば、大竹 弘二『正戦と内戦 カール・シュミットの国際秩序思想』を参照していただきたい)。『大地のノモス』は、1930年代の時代の雰囲気の産物だ。
 シュミットは、ナチスとの親密な関係が有名だが、1936年頃にはナチスとの関係を悪化させていた。その当時執筆した『大地のノモス』で、シュミットは、陸上国家と海上国家の構造的対立を描くマッキンダー地政学からの影響を色濃く見せながら、ヨーロッパ公法の没落を描き出し、モンロー・ドクトリンに触発された広域秩序論の考え方を打ち出していた。
 シュミットは、『大地のノモス』の緒言で次のように書き記している。「私は、地理学者たちに、まず第一にマッキンダーに感謝しなければならないが、それにもかかわらず、法律学的な思考労作は地理学とは別物なのである。」 
 シュミットは、法と政治の間の緊張関係を問い詰めつづけた思想家であった。それで同時代の法哲学者や憲法学者を含めた数々の知識人たちに影響を与えていた。それだけに、第二次世界大戦終了時に、彼らが『大地のノモス』にふれることができていなかったのは、不幸であった。
 ポツダム宣言受諾時に「国民」が「主権者」として登場した、という宮沢の「八月革命」説の「神話」は、理論的にはシュミットの主権論の影響が強い。シュミットの「危機」における「決断者」としての主権者を、ポツダム宣言時に主権を握った国民なる存在の「神話」の中に見出そうとした、と言えるからである。その後、シュミットに影響されながら克服を試みた法哲学者・尾高朝雄が、主権論それ自体への批判を行ったことに、宮沢は、感情的なまでの反論を施し、「主権者」の存在を守った(拙著『集団的自衛権の思想史』第1章参照)。
 だが、そもそも、もともとケルゼン主義者として師である美濃部にも挑戦していた宮沢が、なぜシュミットの影響が色濃い主権論に頼ろうとしたのか。
 実は、宮沢が影響されたのは、シュミットではなかった。丸山眞男であった。シュミットに影響されていた東京大学法学部の同僚・丸山眞男であった。丸山眞男は、宮沢に、「八月革命」のアイディアを授けた張本人である。宮沢は、「八月革命」説を唱える論文を、丸山の許可を得てから、自分の名前で発表したと言われる(拙著『ほんとうの憲法』第5章参照)。
 宮沢の「八月革命」論文と、日本の戦前の全体主義の特殊な精神構造を論じた丸山の出世作「超国家主義の論理と心情」は、全く同時に、1946年5月に発表された。二つの論文が放った戦後日本の思想界への巨大な影響を考えると、驚くべきことだ。そして丸山のものではない憲法学者の論文のほうもまた、アイディアを出していたのが丸山だったというのは、さらに驚くべきことだ。丸山は、生涯、自分が「八月革命」のアイディアを思いついた人物であることを、自分からは口走らなかった。遠慮していたのかもしれないが、隠していたのだとも言える。
 憲法学者である宮沢が、「八月革命」説を唱え、「主権者・国民」が憲法を作ったのだ、と唱えた。政治学者である丸山が、戦前の超国家主義の政治思想的な問題構造を描き出し、これを克服することが戦後知識人の課題だ、と唱えた。憲法学者が、ポツダム宣言受諾という「革命」で「主権」を握った「国民」の意思として憲法が成立した、という「神話」を作り出した。政治学者が、とにかく戦前の復帰はあってはならない、戦後に生きる者は「自律的個人」を確立して戦前を克服しなければならない、というイデオロギーを作り出した。これが「戦後民主主義」の思想的な基本構造となった。
 「戦後民主主義」は、憲法学者と政治学者の連携プレーによって、生み出され、維持された。憲法学者の「神話」は、あからさまな「神話」であるにもかかわらず、戦前を克服するためのイデオロギー装置として肯定され続けることになった。政治学者の「戦後民主主義」論は、憲法の「神話」によって支えられることになった。憲法は、この仕組みの「道具」として用いられ続けることになった。
 両者におおいかぶさるようにして、シュミットがいた。丸山は、日本の「超国家主義」の温床は、近代的自我の欠落にある、と論じた。その際、同じ全体主義でもナチスには主体性があった、という比較を繰り返した。そこで丸山が頻繁に参照したのが、シュミットであった。
 戦前の日本の全体主義が主体性のない低級な全体主義であったのは、シュミットが講釈した「危機」の時代に「決断」する「主権者」が欠落していたからだ、と丸山は論じたのである。そのため、丸山ら「戦後民主主義」の担い手たちは、日本に残存する「超国家主義」の文化的土壌に対抗するため、内面的な価値観を自律的に確保する個人=主権者・国民を確立しなければならない、という議論を展開していった。
 「八月革命」で主権を握った宮沢俊義/丸山眞男の「国民」とは、この丸山の「自律的個人」そのものとも言える。戦前の「超国家主義」と対決し、復権してきた戦前の権力者「戦犯」たちと対決し、「押しつけ憲法」改憲論者と対決し、日米同盟必要論者と対決し、サンフランシスコ講和条約の際の「単独講和」に反対し、安保条約改定に反対する、「戦後民主主義」者たちは、いつも「自律的個人」と「国民主権」の確立、を目指した。「自律的個人」と「国民主権」の両輪の上に走り続けた運動が「戦後民主主義」なるものであった、と言っても過言ではないだろう。
 なぜ「八月革命」のような「神話」が憲法学の基盤となったのか。丸山眞男であれば、答えてくれるだろう。問いが間違っている、と。「八月革命」が「神話」に見えるのは、まだ「国民」が「近代的自我を確立」した「真の主権者」になっていないからだ、と。
 丸山が主導した「戦後民主主義」においては、「神話」と現実のギャップは、「神話」がはらむ問題としてではなく、いわば未完の革命、つまり丸山が言う「永久革命」によって埋めていく作業の「課題」として認識される。もし「神話」が現実からかけ離れて見えるとしたら、主権者・国民が、確立されていない自我を確立する努力を通じて、現実を変えていかなければならない。
 丸山は、安保闘争後、ノートに綴ったという。「永久革命は ただ民主主義についてのみ語りうる。民主主義は制度としてでなく、プロセスとして永遠の運動としてのみ現実的なのである。35.8.13」
 全共闘運動の東大紛争で、丸山の研究室が破壊された後、丸山が「ナチスもやらなかった蛮行」と憤ったことは、有名である。それは、「戦後民主主義」の申し子たちもなお、「危機」の時代に「決断」する「主権者」たる「自律的な個人」にはなっていない戦前の「超国家主義」の生き残りのようなものだった、という絶望的な認識を、丸山が吐露した瞬間だったのだ。
 だが未完であることを宿命づけられながら、ただ革命家として生きることをも命じられた、戦後民主主義の担い手たちは、それ以外の方法で、実際に、どのように革命家として生き続けることができたというのだろうか。数十年も「国民」全体が「永久革命家」でいるなどということは、およそ社会科学の議論で想像し得る事態だろうか。そのような「永久革命」は、一つの哲学としては成り立ちえても、政策論に反映されるべきものではなかったのではないか。そもそも宮沢俊義はもちろん、丸山眞男ですら、実際には「永久革命」家などではなかったのではないか?
 このジレンマは、戦後民主主義に内在する本質的な問題である。このジレンマに苛まれながら、今や日本の戦後憲法学は、当初影響を与えた丸山眞男もカール・シュミットも想像することができなかった地点を超えて、なお走り続ける。
 「八月革命」説を、大々的に擁護しようとする憲法学者は、今日ではそれほどいない。それでは否定するかというと、そういうわけでもない。うやむやにした上で、作り出された枠組みだけは「法律共同体」による「習慣」だといったような話にもちこんで、踏襲しようとする。産みの苦しみを経験したこともなく、主権者の「決断」を肯定するわけでもなく、ただ「法律家共同体」が認める「習慣」が絶対だといった、因習主義的な権威主義に訴える。
 「戦後民主主義」は、「永久革命」に耐えられず、隘路に陥った。そして、「革命」は永久であるどころか過去に起こった昔話だ、今大事なのは習慣を守ることだ、そしてそのやり方は「法律家共同体」が決めるのだ、という、世界に前例のない奇抜な憲法論が生まれてきた。
 しかし、このような議論は、隘路に陥って苦悶する「戦後民主主義」が求める一時しのぎの精神安定剤のようなものに過ぎないように見える。今、必要なのは、もっと基本的なところから考え直す作業ではないだろうか。

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