「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 イスラエルが「ハマスの地下司令部がある」と主張したガザのシファ病院から、司令部とみなせる軍事施設が発見されなかったことが、大きな波紋を呼んだ。イスラエル政府は、シファ病院を占領して一日たった時間くらいに、ようやく病院内で少数の武器が見つかった、といったことは主張した。それも後日メディアが入ったときにむしろ武器の数が増えていることが見つかるなど、不信なところが多く、いずれにせよ病院が軍事施設であったことを証明するには程遠いものであった。さらに後に、地下からトンネルが見つかったと主張したが、そもそもトンネルの存在自体は論点ではなく(かつてイスラエルが自ら直轄管理していた時代に病院地下にトンネルを掘っていたことがわかっている)、当初の主張を裏付けるものだとまではみなされていない。その後、イスラエル政府は、広報活動も終わりにして、地下を爆破して粉々にしてしまった。

 国際人道法は、戦闘員と非戦闘員を区分し、前者に対する攻撃を問わない代わりに、後者に対する攻撃を禁止する大原則によって成立している。病院は、重要な意味を持つ文民施設であり、それが実際には軍事施設であるとの主張をするためには、相当に高いハードルを乗り越えなければならないことは当然である。そうでなければ、国際人道法は水泡に帰する。

 たとえば、シファ病院にハマスの要員がいた、といった主張では、病院が軍事施設たる「司令部」であることと関係がない。仮に戦闘員であった者が病院にいたとしても、傷病者である場合には、ジュネーブ諸条約の規定に基づいて非戦闘員としてみなされる。

 およそ国際法を語るのであれば、この程度のことは「原則」のレベルに属する事柄である。この国際法の考え方自体を疑うということは、ありえない。今回のシファ病院をめぐるイスラエルの攻撃をめぐっても、複数の国際法学者の方々が、そのことを確認している。

https://youtu.be/OH7Rlm-jRdQ

https://twitter.com/ochimegumi/status/1727329729584480761 

 ところが実際には、国際法の存在そのものを否定するような言説が、Youtubeなどの媒体において、はびこっている。現代では、こうした非正規メディアに情報源を頼り、しかも扇動的な発言に魅惑されやすい人々が多数存在しているため、混乱が広がっている。「国際社会の法の支配」を重視すると強調してきた日本政府の立場を考えるまでもなく、極めて由々しき事態である。

 107日のテロがあったのだから、国際人道法など遵守していられない、といった、正面から国際法の妥当性を否定する言説も見られる。しかし言うまでもなく、敵対勢力の国際人道法違反は、自軍の国際人道法違反を免責することは決してない。こうした主張は、あからさまな国際法の否定である。

イスラエルを批判することは、ハマスの擁護と同じだ、と主張する者もいるが、国際法を否定する主張である。ハマスのテロ攻撃が国際人道法違反であったことは明白である。疑いの余地がなく、そもそも107日のハマスのテロ攻撃を擁護している者を見たことがない。それに対して、イスラエルについては人道法違反の免責を主張する者が、多数、非正規メディアを中心に存在している。そのため前者が論争を生んでいないにもかかわらず、後者が論争を生んでいるだけである。

イスラエルの自衛権の有無は、イスラエルの国際人道法違反行為の有無とは、関係がない。前者は、武力行使に関する法(jus ad bellum)に属する問題であり、後者は、武力紛争中の行為に関する法(jus in bello)に属する問題である。前者における合法性の確保(自衛権の行使)が、後者における違反行為を免責しないことは、絶対に逸脱することができない大原則である。自衛権行使を理由にして、国際人道法違反の免責を主張することは、あからさまな国際法の否定である。

Youtube番組「チャンネルくらら」において、倉山満氏が、病院が軍事施設ではないことを証明する義務がハマスにある、と主張し、「イスラエルに病院に司令室があることを証明する義務はない」と主張している。https://www.youtube.com/watch?v=r0ikZ7wW-Vc すでに述べたように、国際人道法は、軍事目標主義を大原則にしているので、軍事施設でなければ攻撃してはならない。話題になった倉山満氏の番組を視聴してみたが、「国際法」という単語を使用しているが、その語りの内容は、現代世界に実際に存在している国際法とは全く無関係なものになっている。端的に、倉山氏が「国際法」と呼んでいるものは、現代世界でわれわれが通常「国際法」と呼んでいるものとは全く違う何か別のものである。

倉山氏は、続編において「シファ病院が軍事施設でないことを示すのは悪魔の証明」という批判を意識しながら、「池内恵先生にお答えします」という方向に話を転嫁し、問題が池内教授という特定の中東専門家によって作られているかのような姿勢を見せようとしている。https://www.youtube.com/watch?v=egtv82yUPxM&t=248s 残念な姿勢である。倉山氏は、証明義務は双方にあり、ハマスは病院が病院であることを十分に証明していないといった主張で、イスラエルの免責理由にしようとする。しかしこれはイスラエル政府の立場をも飛び越えた空論である。シファ病院に医療従事者がいて、医療活動をしていることを、イスラエル政府ですら否定していない。シファ病院関係者が、シファ病院が病院である証明をしていない、などという主張は、イスラエル政府ですら行っていない。イスラエル政府は、国際人道法の原則にしたがって第一義的には保護対象となることを了解しているからこそ、それを上書きするために、「地下にハマスの司令部がある」という主張をしたのである。したがってその主張の妥当性が、イスラエルの国際人道法違反の認定に大きな意味を持つことが当然なのである。

「あなたの家の地下にハマスの司令部があると主張する、そこであなたの家を攻撃する、もし万が一ハマスの司令部がなかったとしても、ハマスがあなたの家にハマスの司令部がないことを十分に証明しなかったので、あなたの家の攻撃について私は免責される」、といった主張を認めてしまったら、国際人道法が消滅してしまうことは、言うまでもないことである。

倉山氏は、「そもそも国際法が法ではあっても法律ではない」といった謎めいた言葉で、倉山氏自身の歴史観や文明観に、話を持っていってしまうが、要するに、倉山氏が「国際法」と呼んでいるものは、現代世界で実際にわれわれが「国際法」と呼んでいるものとは全く違う何か別のものなのである。

倉山氏の動画には、私自身、複数回出演させていただいたことがある。倉山氏の『ウッドロー・ウィルソン 全世界を不幸にした大悪魔』(2020年)あるいは『ウェストファリア体制 天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法』(2019年)といった著作で論じられている内容をめぐり、議論をさせていただいた。https://www.youtube.com/watch?v=qEr_IOjlcZQ  https://www.youtube.com/watch?v=mlX03_s5qtU その際に、お互いにはっきりと認めあったはずのことだが、倉山氏は、20世紀以降の国際法に根源的な不信感を持っている。第一次世界大戦時まで存在していた古いヨーロッパ国際法のほうが、妥当だと考えている。つまり倉山氏は、実際本当に、20世紀に成立した現代国際法の否定者なのである。倉山氏が持つ世界観は、現代国際法のことを「国際法」と呼んでいる私のような者が持っている世界観とは、根源的に異なっている。そのことを忘れ、全く異なるものを、同じ「国際法」という単語を用いて語り合っても、わかりあえないことは、言うまでもない。

少し異なる問題を示したのが、自民党参議院議員の佐藤正久氏である。彼の発言は、イスラエルは常に正しい、という発想を大前提にしている。

https://twitter.com/SatoMasahisa/status/1724273310358466643 

戦時中の行為の国際人道法違反の有無という重大問題についてまで、「たとえ証明がなされなくても、必ずイスラエルが正しいことだけはわかっている」といったたぐいの自らの思い込みを顧みることなく、国会議員が、地上波テレビ番組などを通じて、公然と言論活動を行うことには、特有の危険がある。

現実に、日本政府は、ガザ危機をめぐる事態を、冷静に分析して、主体的な判断をする能力を失ってしまっている。国会で状況判断を問われても、「現実の状況をしっかり確認できない」と首相が答弁してしまうような有様である。

今やアメリカですら、イスラエルの軍事行動に抑制を求める発言を公然と行っている。不用意なイスラエル無謬論の主張は、日本の外交的裁量の余地を著しく狭める。危険である。

なお、さらなる場外乱闘の様子を見ると、扇動的な言説を売り物にいて人気を博しているYoutuberが、特定政治団体の党員を称する人々らを焚きつけて、人格攻撃とすら言えない低級な内容で、誹謗中傷を、池内恵東大教授らに繰り返し、職場に迷惑電話をかけるといった事態が発生しており、日本の民主主義国家としての存在が溶解する危機に瀕している。倉山満氏や、佐藤正久氏らには、少なくとも自分がこうした人々と同次元にはいないことを示す努力をしていただきたい。

 ガザ危機をめぐる日本外交で、非常に気になるのは、冷戦時代からのステレオタイプの図式で進められていないか、ということである。日本の同盟国アメリカが他の先進国とともにイスラエルを支援するので、日本は反対できない。ただし日本は中東から石油を大量に輸入しているので、アラブ諸国の怒りを買う発言もできない。

 果たしてこの認識は、現代の世界情勢の認識として、正しいか。

 アメリカのイスラエル支持の姿勢は、単純明快なものではない。むしろ最初に強く支持を打ち出し過ぎたという反省のトーンが、バイデン政権高官の発言からは感じ取れる。バイデン大統領の支持率は目に見えて下落し、イスラエルのために再選の可能性を乏しくするミスをしてしまった、というのが実情である。

 欧州諸国にいたっては、もっと完全に割れている。イスラエル支持は、ドイツやその他の中欧諸国のホロコーストの歴史が生々しいナチスの第三帝国の領域でこそ顕著に見られるものの、その他の地域の視線は冷ややかだ。ベルギーより以西のラテン系の欧州諸国は、特にイスラエルに批判的なトーンがはっきりしてきている。イギリスでは、イスラエル支持を打ち出したスナク首相の姿勢に反対する大規模デモが連日のように発生しており、歴史的な支持率の低さに喘ぐ保守党もまた、イスラエル問題によって選挙で大敗北を喫する可能性を高めている。

 翻ってパレスチナに同情的な諸国の動向を見れば、それはアラブ諸国だけではない。少なくともイスラム圏全域において、明確な反イスラエルの世論の動きが確認できる。その中にはASEANの大国であるインドネシアとマレーシアが含まれる。そもそも両国は、パレスチナを国家承認し、イスラエルを国家承認していない。さらには国連総会での投票行動を見れば、植民地化された歴史を持つ諸国は、ことごとくパレスチナに同情的で、イスラエルの占領政策に厳しい目を向けている。

 これらの大多数の諸国が、全て貧しく無力な諸国である、ただ一部で石油が採掘されているだけだ、と断定できるか。もちろん、21世紀の世界情勢は、そのようなものではない。アメリカや欧州諸国のGDPの世界経済に占める低下し続けている。なんといってもイスラム圏諸国における人口増大の勢いはすさまじい。東南アジアからアフリカにかけて、イスラム圏諸国は、2030年で人口を倍増させるスピードで人口増加させている。人口増加は、アジアから今世紀半ばをピークに止まっていくとも予想されているが、中東はその後も増え続けるし、アフリカでは今世紀末までに人口が3~4倍になると予測されている国も少なくない。

セネガル
(2100年までに人口が3.5倍になると予測されている西アフリカのセネガル)

 これは大量の若者層を吸収する経済政策をとらなければ社会不安が訪れるという深刻な圧力を、各国の政府に課している。同時に、豊かさを達成した後に人口を減少させている(移民を受け入れてようやく人口維持している)旧来の先進国への強烈な移民圧力にもなっている。容易には解決策が見つからない構造的な問題だ。人口増加しているイスラム圏が、それによって単純に国力・影響力を高める、と断言することはできない。しかしだからと言って、急激な成長を遂げているイスラム圏諸国の実力を過小評価するのは、危険すぎる。人口増加しているイスラム圏諸国は、いずれも高い経済成長を見せている。人口の増加に応じて、国力も増加していくと仮定することが、まずは自然な想定である。

 日本は政治難民の受け入れには厳しいが、経済移民については実態として門戸を開く政策をとっている。人口動態から計算されざるを得ない政策だろう。東南アジア諸国だけではない。本年4月に南アジアのイスラム国(パレスチナを国家承認し、イスラエルを国家承認していない)であるバングラデシュのハシナ首相が来日した際には、日本側は労働力としてのバングラデシュ人の受け入れに魅力を感じている旨を表明している。

 外交にバランスが必要であることは、言うまでもない。しかしそのバランス感覚は、当然、具体的な問題に応じて、そして時代の流れに応じて、変化していくはずだ。そこを見誤るならば、曖昧どころか、錯綜した外交政策に陥っていくだけだろう。

 ガザにおける人道危機が悪化し続けている。危機を打開できない国際社会の情勢は深刻だ。日本政府は目立った対応策を打ち出す意欲もなく、事態の行方に狼狽し続けている。
 この危機に際して、日本国内の専門家層の役割は大切だ。ところが、根拠不明な扇動的な言説に政治的心情で群がる人々が、不毛な誹謗中傷を繰り返している。中東専門家の役割は大切だが、全く不当な政治的誹謗中傷にさらされて、仕事に集中できないような状況だ。  https://twitter.com/chutoislam/status/1726012098323558553
  大衆扇動に長けたYoutuberが、水道を止められたガザ市民が、生活のために海に向かっている姿を映した写真を使って、ガザ市民は海水浴を楽しんでいる、などと主張する。 https://twitter.com/rockfish31/status/1725874411700629915
  さらには、イスラエルはガザ南部を攻撃していない、とひたすら主張する。パラレルワールドのような話である。
ttps://twitter.com/rockfish31/status/1725872657386938457  https://twitter.com/p_sabbar/status/1725629244498485265
  恐ろしいのは、事実がなんであるかにかかわらず、Youtuberの間違いを指摘する者を見ると、「お前はハマス」「こいつもハマス」といった内容のSNS投稿をひたすら投稿し続けることである。
https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1725360235706024095
  さらには、批判者に対しては「博士号もないのに偉そうなことを言うな」といった謎の反応である。  https://twitter.com/fukuchin6666/status/1725634350312780110
  こうした雰囲気の中で、与党の政治家が、テレビでイスラエルのプロパガンダを妄信的に広げる発言を断定的に行っている。シファ病院の地下にハマスの司令部などは見つかっていない。ガザで数万人が殺されている軍事行動を正当化し、扇動しさえするような発言をしておきながら、しかしもちろん政治家の方は、責任をとるつもりがない。それどころか、今後は気を付けるといった反省すらしない。「何を言っても、自分は常に責任がない、だからこれから無責任な発言を続ける」という政治家の態度を、メディアも受け入れる。「面白いか否か」の基準しか持っていないからだろう。 ガザで何万人が殺されているかどうか、などということは、日本の政治家にとってもメディアにとっても、「盛り上がるかどうか」ということ以上には、何の意味もない情報でしかないのだろう。 https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1725943273859018803
 SNSで活発な誹謗中傷活動をしている者たちの多くが、特定政党の党員を堂々と主張し、それを根拠にした威嚇をする現象も起こっている。恥ずかしくないのかと思うが、それどころかさらに組織的活動を充実させて、気に入らない相手をどうやったら社会的に抹殺できるかどうかを相談する以外のことをやっていない。 https://twitter.com/junzymalcobicch/status/1725497550386680226
 イスラエルの苛烈な軍事行動は収まりそうもない。 https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1724070827098808326
 こうした世紀末的な状況に直面して、私のような年寄りなら、自分の残された人生を恥ずかしくなく生きることだけを考えるだけだ。
 だが若者は違うだろう。日本の若者の立場に立ちながら、なお絶望だけを感じるのではない未来を構想するには、どうしたらいいのか。厳しい状況だ。

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