「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

 トランプ大統領が、シリアのシャリラト空軍基地への攻撃に踏み切った。北西部イドリブで化学兵器が使用されたとされることへの対抗措置として、化学兵器使用に用いられたとされる軍事基地が攻撃され、破壊されたわけである。

 今後のシリア情勢、中東情勢、そしてトランプ政権の外交政策にとって、大きな意味を持つ事件であろう。

 このブログを通じても、トランプ大統領を「孤立主義者」だと描写することの不適切さについて、何度か書いてみた。アンドリュー・ジャクソンという19世紀前半の大統領と比較してみるということもやってみたが、恐らくはわかりにくかっただろう。要は、モンロー主義を孤立主義と描写するのが間違いだ、ということだ。ジャクソンは、南部・西部州の開拓者層に支えられた「デモクラシー」を広げつつ、時には連邦最高裁判所の判決に反するような形で、インディアンの虐殺や強制移住も繰り返す苛烈な政策を取った。その「拡張主義」は、決して20世紀以降の「ウィルソン主義」のように、他国に米国が信じる理念を信じさせようとするものではない。それにもかかわらず、「明白な運命」論にもとづくアメリカの特別な使命を信じて、拡張主義を正当化しようとする政策である。

 今回の事件で、いよいよトランプ政権を「孤立主義」と描写する人はいなくなっていくのではないか。

 トランプの外交政策は、少なくともイスラム国/シリア情勢をめぐって、そして北朝鮮/中国情勢をめぐって、かなりわかりやすい地政学的な論理で動いているように見える。それは「ウィルソン主義」的な理念主義ではないが、「米国第一」の発想にもとづいて戦略的関与の地域と形態を決める、苛烈な外交政策だ。

 このブログを書いている時間帯に、ニューヨークでは、国連安保理の緊急会合が開催されているはずだ。ロシアはアメリカの攻撃の「国際法違反」を突いてくるだろう。イギリスは、アメリカへの強い支持を表明しており、日本などの同盟国が追随するだろう。中国は、トランプ大統領と習近平国家主席とのフロリダでの直接会合を終えた直後で、声明も出せておらず、後手後手に回っている印象だ。今回の軍事行動が、北朝鮮情勢をふまえた中国へのけん制であるという見方は、当然、誰もが採用する見方だろう。姑息な様相で、計算されていると感じるのが、普通だろう。

 国際法の視点から見ると、国連憲章24項にもとづき、武力行使は一般論として違法である。今回の軍事行動も、当然、違法性の推論がかかり、ほとんどの人が、かなりの程度で国際法違反は明白だ、と言うだろう。

 こうした場合、武力行使の後に、当該国政府は声明を出し、違法性を阻却する論理を披露する。今回も、トランプ大統領は国民向けメッセージを出した。ただし国際法への配慮には、不足感がある。これまでのいかなる政権の場合でも、特にクリントン政権やオバマ政権のような法律家の大統領の政権であれば、もう少し国際法にも気を遣った声明を出しただろう。

 ただし、誤解のないように言えば、国際法を意識した部分が、全くないわけではない。ポイントは三つあると思う。一つは、「合衆国の死活的な国家安全保障上の利益」への言及である。

“Tonight I ordered a targeted militarystrike on the airfield in Syria from where the chemical attack was launched. Itis in this vital national security interest of the United States to prevent anddeter the spread and use of deadly chemical weapons.”

この「死活的な利益」の防御が、国際法上の自衛権行使の要件に合致するものであれば、違法性は阻却され得る。そのためには、中東付近に展開する米国人の防衛、米国本土の防衛、または集団的自衛権行使が成立し得る周辺国の防衛のいずれかを証明する必要がある。すでにイスラエルは、今回の軍事行動への強い支持を表明している。ただし集団的自衛権の発動を説明する準備が、アメリカ・イスラエル双方にあるようには見えない。トランプ大統領の声明は、大量破壊兵器の拡散と使用が、米国にとって重大な脅威となっている、という論理構成である。化学兵器の使用に、通常兵器の場合とは異なるレベルの懸念が発生するということ自体は、否定されないだろう。ただしこの点から、国際法上の自衛権を導き出すのは、不可能ではないが、簡単ではないだろう。トランプ声明のこの部分は、そもそも国内の国民向けの説明であると思われる。

 二つ目は、シリアの化学兵器禁止条約違反を指摘し、国連安保理の要請も無視されていることを指摘した個所である。

There can be no dispute that Syria usedbanned chemical weapons violated its obligations under the chemical weaponsconvention and ignored the urging of the UN Security Council.

このトランプ大統領の指摘自体は、正しいものであると推定できる。化学兵器が使われたのであれば。禁止条約違反であることは明白であり、安保理もたびたびシリア情勢に警告を発してきており、2013年に化学兵器の使用が認められた際にも「国際の平和と安全の脅威」という憲章7章の概念が適用される認定を宣言している。ただし武力行使を含む対抗措置の明示的な授権がなければ、武力行使が合法的だと判定することはできない。

 その他、トランプ大統領は、難民問題やテロリズムの脅威についてふれている。いずれも正当な懸念ではありえても、武力行使正当化の理由として成立するかは、また別の問題だろう。

 なお冒頭および末尾で、トランプ声明は、人道的惨禍について強調している。甚大な人道的危機の拡散を防ぐための緊急避難措置として、化学兵器使用に用いられた軍事基地をピンポイントで破壊した、という議論である。安保理を通じて行動しようとしたが。常任理事国の反対で調査もできなかったため、やむをえずとられた国際の平和と安全の脅威に対応する緊急避難措置だ、という議論だ。論理構成上は憲章7章に訴えながら、限りなく人道的介入論に近づいていくことになる。すでに日本を含む幾つかの諸国の政府が、アメリカの軍事行動への支持を表明しているが、人道的危機の切迫性を強調した限定的な対応だという主張に、支持はそれなりに集まるだろう。

 実際には、アメリカは安保理で拒否権を発動できるので、安保理がアメリカの行動の違法性を指摘する決議を出せる可能性はゼロだ。ちなみにアメリカは今月の安保理の議長国である。だがそれにかかわらず、安保理で、国際法違反の疑義に対応する議論がどう出されるかは、注目すべき点だ。
 道義的な説得力はあり、政治的な支持はそれなりに集まっている。化学兵器の使用という明白な国際人道法違反に対して、安保理を含む国際社会が正規の対応措置を実施できず、法執行の空白状態が生まれているところに、トランプ政権が軍事行動を仕掛けた、という理解にはなる。微妙な言い方になるが、武力行使が合法ではないとしても、化学兵器使用の違法性と安保理決議違反が消滅するわけでもない。
 アメリカ国内の事情に即せば、オバマ政権との違いを強調する政治行動にはなった。国際政治の観点からは、その空白状態で、明白な行動をとる準備をトランプ政権が見せたことが、非常に大きな意味を持つ。
 違法性の疑いは強いが、広範な支持を集め得る行動だ。日本政府の立場も、同じような理解に立ったものだろう。正答とは言えないが、妥当ではあるだろう。

 北朝鮮の弾道ミサイル開発の進展を受けて、自民党が「敵基地攻撃能力」の保有の検討を政府に提言した。この問題については、いくぶんかの議論の錯綜があるようだが、1950年代からの政府答弁の記録も明確なので、さすがに「違憲だ」というところまで言うのは、相当な少数派のようである。しかし大新聞などを見ると、「専守防衛」原則に反する、つまり日本は盾で米軍が槍だ、という原則に反する、といった論調が見られる。
 米国依存を大前提にした仕組みを堅持すべきだ、という主張を、日本人が日本語で日本人同士だけで、どちらかというと日頃は米軍基地問題に批判的なメディアの主導で、進めていくのは、奇妙な光景ではある。が、これも日本的な風景ということだろう。
 拙著『集団的自衛権の思想史』では、こうした日本的な風景は、「戦後日本の国体」が「表の憲法9条・裏の日米安保」という仕組みで神話化されていることによって発生している、と論じた。集団的自衛権の特異な理解も、そのような特異な「戦後日本の国体」のあり方を理解(無意識のうちに自明化)して初めて可能となる、と分析した。
 拙著では、集団的自衛権は、沖縄返還を大きな政治目標とした佐藤栄作政権の政府関係者によって、1960年代末頃に国内向けに否定されるようになり、沖縄返還が達成された1972年に政府文書で初めて原則的に否定されたにすぎないものだ、と論じた。
 「専守防衛」も似たような歴史を持つ概念である。「専守防衛」が日本の防衛政策の指針を表す概念とされるようになったのは、1970年に「防衛白書」第1号が公刊された際である。まさに佐藤栄作政権がニクソン政権を相手方として、沖縄返還交渉をまとめ上げていた時期であり、安保条約の自動延長を乗り切らなければならない時期であった。沖縄返還協定は1971年に調印されたのだが、日本はその代償として、「核持ち込み」や「基地自由使用(事前協議制度の骨抜き)」などの密約を交わしていた。
 「専守防衛」論については、沖縄返還の直接的な帰結として、主張されるようになった、ということではない。ただ、「専守防衛」という概念を強調することによって確立しようとしていた「国家の体制」とは、日本の共産化を防ぐ、ベトナム戦争については支持はする、といった言説がアメリカに対して説得力を持った、当時の時代の雰囲気の中で確立が模索されていた「国家の体制」であったことには留意する必要がある。
 「沖縄返還」は、「本土の沖縄化」であった、とする論者もいる。つまり今日までの残る地位協定の問題などが恒久制度化されたのは、占領下にあった沖縄が、抜本的な制度変革もないまま本土復帰したときであった、とする論者もいる。
 集団的自衛権を違憲として確定させる政府の立場は、連日のようにベトナム爆撃のために沖縄基地を飛び立つ米軍機の行動を、日本政府が一切の責任を負うことを拒絶しながら、完全に黙認するという合意をあたえて、沖縄返還を果たしていくための政治的措置だった。そして「専守防衛」論も、全く同じ政治的含意を持つ概念だ。
 本来、日本国憲法を待つまでもなく、国連憲章以降の国際法においては、憲章2条4項で武力行使が一般的に禁止されている。その例外は、自衛権と集団安全保障しかないので、国家の防衛行動の是非はすべて、「自衛権」の適用の合法性の問題に還元される。「敵基地攻撃」も、単なる先制攻撃であれば国際法で禁止されている武力行使に該当するが、武力行使が発生する蓋然性が明白であれば、自衛権で正当化される。
 憲法9条1項が放棄しているのは「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」だけで、自衛権の行使は否定されていないとすれば、また9条2項の戦力不保持も1項で禁止されていない自衛権行使のための実力の保持は禁止していない、という政府解釈に立つのであれば、日本国憲法と敵基地攻撃との関係も、国際法と敵基地攻撃との関係と同じであるはずだ。したがって「専守防衛」とは、国際法から見ても憲法から見ても、その語義だけを単純に見ると、当然至極のことを言っているにすぎない。
 この概念が日本の防衛政策の歴史の中で持つ意味を感じ取るためには、実際の歴史的経緯の文脈で、この概念が用いられるようになった様子を見ていかなければならない。
 拙著では、集団的自衛権の是非を争う議論は、したがって少なくとも冷戦終焉後の日米同盟管理の観点で論じるのでなければ意味がない、と示唆した。「専守防衛」論も全く同じであろう。「憲法をよく読めば、日本は盾で米軍が槍だ、という原則がわかるはずだ」、といった、のんびりした見解では、いまだ冷戦ボケの思考と言われても仕方がない。

 中満泉さんが国際の軍縮担当上級代表に就任するというニュースが入ってきた。事務次長(Under-Secretary-General: USG)の職階にあたるポストである。副(Deputy)事務総長が事務総長(SG)の補佐役であるため、局長級にあたるUSGが、国連システムの中では自分の「城」を持つ実力者の階層である。個人的には、中満さんはそろそろフィールドに戻って昇進する可能性もあると思っていたが、日本のメディアで報じられている、「日本人女性初の本部事務次長」という点にも意味はあるだろう。祝福したい。
 われわれの「業界」からすると、中満さんは「JPO(Junior Professional Officer)」制度(P-2という国際職員としてはエントリーレベルで加盟国が費用負担をする形でポストを作って自国籍の人物を二年程度国連システムに入れる制度・欧州諸国や日本や韓国が行っている)で国連システムに入り、たたき上げでUSGまで登りつめた人物になるという点が、大きい。
 私が代表をしている「広島平和構築人材育成センター(HPC)」が現在手掛けている研修の中に、「JPO赴任前研修」があるが、中満さんには毎年ビデオメッセージという形で研修に花を添えてきていただいている。中満さんが日本で研究職のキャリアを積んでいた際には、実際に研修会場で講師として貢献もしてもらった。ニューヨークに行って時間の余裕のある際には、お会いしてお話をうかがっている。
 中満さんの昇進でASG(Assistant-Secretary-General)の職階に日本人はいなくなってしまったかもしれないが、それに次ぐD2ポストに邦人女性が複数名いる。中満さんを含めて彼女たちに共通していることの一つは(もちろん能力の高さや人格の高潔さは当然として)、実は、日本人ではない伴侶を持っていることだ。そのことが何を意味しているのか、簡単には言いにくいが、あなどれない事実ではある。
 なおUSGの職階は、明石康さんが最初の日本人国連職員という立場からUNTAC(カンボジアPKO)特別代表職に就任したときに経験し、緒方貞子さんもUNHCR(難民高等弁務官事務所)高等弁務官職で経験した。両名は、日本でもわりあい有名だろう。その他のUSGには、外務省から転出してきたパターンが多く見られる。
 日本国内の「天下り」ポストが減り、霞が関の人事体系も、微妙な変質をしてきている。たとえば現在、文科省が大学に新しい天下り先を開拓したことが、問題になっている。気をつけたいところだ。
 国連では、高位のポストには、「政治的な押し」が必要だ。最近は、閣僚経験者などの政治家層がUSG以上のポストについているくらいだ。現在のグテレス事務総長は、UNHCRの高等弁務官になる前は、ポルトガルの首相だった。日本の政治家で、国連高位ポストに関心を持っている者は、皆無ではないだろうか。となると、外務省員、というのは、わからないではない。加盟国政府職員から転出してくるパターンが少ないわけではない。しかし政治家の方々には、自分が立候補するのでなければ、より政治的な配慮をもって、他人を推す作業に関わっていただきたい。
 日本の未来のためには、あえてたたき上げの有為な国連職員(すでに高位職についている方を見ればいい)を徹底的に推してもらいたい。たたき上げの日本人職員を昇任させることに、精力を注いでもらいたい。中満さんのような方が、次々と国連で活躍するように本国の政治家層も関心を持って関わっていくことが、日本社会を活性化させ、日本の総合的な国益にもかなうことだと、私は考える。

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