「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

トランプ大統領が北東アジア三カ国の歴訪を終えた。驚くべき成果を出していると感じる。日本では、日本の視点に立って、日米関係の堅持への安堵、韓国への苛立ち、中国における歓待ぶりへの驚き、などが話題になっているようだ。それはともかく、トランプ外交の分析という意味においては、トランプ大統領の思い通りに三カ国を手なずけ、次々と自らを歓待させた。
 私は、このブログにおいても、トランプ大統領を孤立主義者と描写するのは間違いだ、という記事を何度か書いた。http://agora-web.jp/archives/2024257-2.html わずか一年弱前に、そのような議論がありえたことに、隔世の感を覚えるほどの情勢ではないだろうか。北東アジア情勢は依然として不透明だが、一つ明らかなのは、トランプ大統領が孤立主義者ではないということだ。
 トランプ大統領は依然として、「アメリカ第一」主義者である。三カ国全てにおいて、安全保障政策を通じたアメリカの地域への関与を強調した上で、アメリカ製品の売り込みと、貿易不均衡の是正策の要請を行うことを、忘れなかった。トランプ大統領のインフレ気味の姿勢に三カ国の全てが完全に対応する事はないとしても、歓待ぶりからすれば、外交的論理にそったそれなりの対応をせざるをえないことも必至だろう。「アメリカ第一」主義が、孤立主義のことではないことを強く印象付けた北東アジア三カ国歴訪であったと言える。
 中国では、習近平国家主席が果たしうる役割を徹底的に持ち上げながら、朝鮮半島の非核化を目指す圧力強化での合意を強調した。事実上、北朝鮮というバファー国家を中国の影響圏から取り除く意図をアメリカが持っていないことと、中国主導での金正恩政権の脅威の除去に現実的な期待があることを両国が確認した形だ。
 韓国では、非核化と弾道ミサイル開発放棄のための北朝鮮に対する圧力強化という論理を徹底させ、性急な軍事力行使への警戒心が強い国内世論を配慮する韓国政府からの賛同を確保した。アメリカからの先制攻撃への懸念を払拭させながら、軍事力行使のオプションも含みこんだ上での包囲網への韓国の参加を確保した形だ。
 日本では、横田基地に到着してすぐに安倍首相とのゴルフに真っ先に向かうというパフォーマンスに象徴されるように、アメリカが最も信頼する同盟国が日本であることを示しながら、安全保障上の協力関係が軍事作戦面での協力関係を柱にしているという基本的な事実を、内外に誇示した。
 現在までのところ、トランプ大統領のツイッター上の過激な言葉使いと、時には誇張も感じられる相手国の役割の評価の言葉とが、北東アジア外交では、効果を発揮している。トランプを迎えるアジア諸国も、大統領の人格にとらわれず、ビジネス・パートナーとして迎えるという発想が徹底できているのではないか。
 日本では軍事行使があるかないか、という占いのような話に議論を持っていきがちだ。相変わらず「圧力か対話か」といった、神様になったつもりで答えてください、というような意味不明な選択肢を迫るアンケート調査も数多いようだ。
 しかしビジネスの世界もそうだと思うが、政治の世界も、自分ではコントロールできない結論だけを自分勝手に決めたうえで、独りよがりの主張をするような行為は推奨されない。自分が目指す目標について明示したうえで、選択できる手段と発生しうる事態を複数想定して比較衡量しながら、様々なアクターとの相関関係の中に自分を位置付けて、政策判断をしていくのは、当然のことである。能力が発揮されるのは、勝手な結論を独善的に宣言することによってではなく、目標達成に少しでも近づくための環境改善とプロセス管理によってである。
 今のところ、少なくとも北東アジア情勢について言えば、「公務経験のないビジネスマン」大統領トランプ氏は、極めて合理的に行動しているように見える。少なくとも、彼が「孤立主義者」ではないことだけは、はっきりしているだろう。

ソウルで国際会議に出席した。平和構築・紛争予防をテーマに、国際機関や各国政府の職員が議論する会議(主催:韓国政府・ハマーショルド財団・国連平和構築支援事務所)に、セッションの座長役で、招いてもらった。セッションでは、アフガニスタン、スリランカなども話したが、東ティモール出身の「G7+」という国際的プラットフォームの方が、東ティモールとインドネシアの関係改善を題材に、「最後は、政治的意思と国益判断だ」、と強調していたのが、耳に残った。https://www.facebook.com/hideaki.shinoda.73 
 たまたまトランプ大統領の訪韓と重なったので、会議後には、反米デモと親米デモと警察部隊が渦巻いているのを見ることができた。北朝鮮との国境から約40キロ、国民性もあると思うが、韓国の人々は、熱い。アメリカ軍とともに朝鮮戦争、そしてベトナム戦争を戦った経験を持つ。アメリカとの関係は、複雑だ。
 もちろん、日本も、負けず劣らず、アメリカとの関係は複雑である。ただちょっと違った様子で、複雑である。一緒に戦争を戦ったという記憶は、ない。ただ、敵味方に分かれて、片方が降伏して占領されるまで、戦い続けた。「東西の強者の代表」が「新世界出現のために避け難き運命」(大川周明)として 、「決勝戦」としての「最終戦争」(石原莞爾)を戦ったのが、日本にとっての「太平洋戦争」だった。
 戊辰戦争から約10年後の東北に生まれた吉野作造は、「戦後」を語ることなく、東大教授となり、普遍主義的な立憲主義を標榜していた。彼が「英雄」と呼んだウッドロー・ウィルソンは、幼少期に南北戦争を体験したヴァージニア州出身者だ。やはり「戦後」を語ることなく、プリンストン大学教授となり、普遍主義的な立憲主義を標榜した。
 太平洋戦争後の日本人は、吉野やウィルソンと、少し似ている。ただし、もう少し、屈折している。普遍主義を掲げて、あらためて勝者と対峙したい。ただし、その敵国が起草した憲法が基礎になるとしたら、敵国の文化にそって、敵国の影響下で、普遍主義を語らなければならない。そこで日本の憲法は世界に唯一で他に類例がないガラパゴスであるということにしたうえで、ガラパゴスであることこそが世界最先端だ、という理論を作り上げた。
 日本の政治を、「リベラル」「保守」といった概念で見ても、理解できるはずがない。冷戦が終わったとき、「革新」政党のアイデンティティを消し去る必要があったが、代替案がなかったので、外国から概念を借りてきただけだった。「私はリベラルで保守だ」とか「本当のリベラルとは何か」、などと語り合うのは、修辞的な効果や学問的な話としては意味があるが、日本の政党政治の分析としては、的外れだ。
 結局、政権与党の自民党を一極とし、冷戦時代から反対の立場を貫いている共産党をもう一方の極とし、その他の野党を順に並べていくには、アメリカとの距離、を尺度にするのが、一番わかりやすい。親米か、反米か。この尺度で、自民党から共産党までの政党を並べていけば、だいたい間違いない。
 現代日本に、反米の右翼政党、がないのは、あまりにも戦前復古主義に見えるからだろう。戦前の日本では、最後の大政翼賛会の地点で、反米右翼で政治が一元化された。反米右翼で一元化されたから、泥沼の戦争に陥ったのだ。
 したがって左翼的な反米主義者が、右翼的な反米主義者と大同団結するのは、全く不思議なことではない。国粋主義的と言われるか否かの相違は、反米主義的であるか否かの相違ほどには、現代日本では、重要ではないのだろう。
 集団的自衛権を合憲とするか違憲とするかに関する立場の相違も、結局、アメリカに対するスタンスに還元される。何度か指摘したように、憲法学者の集団的自衛権違憲論を支えているのも、結局は、「アメリカなんかを信用するんですか?」という情緒的訴えである。http://agora-web.jp/archives/2029141.html  
 アメリカを信用するくらいであれば、どこまでも個別的自衛権を拡大解釈していったほうが、まだマシなのだろう。絶対に認めてはならないのは、日本国憲法に登場する「平和を愛する諸国民」にアメリカを含めることなのだろう。もし含めてしまったら、「われらの安全と生存」が、アメリカへの「信頼」によって成立するものになってしまう・・・。
 アメリカ人が作った憲法を、反米主義の武器に作り替えるという壮大なプロジェクトこそが、集団的自衛権違憲論と合憲論の背後に控えているものだ。http://agora-web.jp/archives/2028302.html 確かに、冷戦時代後期には、談合政治的な操作で、実態としての集団的自衛と、建前としての集団的自衛権違憲論が併存するようになった。しかしそのような一時的な措置が、冷戦終焉と共に賞味期限を迎えたのは、やむを得ない事だったのだ。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53213 
 ところが実際の日本の国家体制は、アメリカとの同盟関係を大前提にして構築され、運用されてきている。したがって反米主義を貫くことは、革命家になることに等しい。そこで、アメリカを批判する「理想主義」を忘れてはいけないと訴えながら、アメリカと適当に仲良くなる「現実主義」も持ち合わせています、といったくらいの玉虫色の態度を正当化することに四苦八苦することになる。
 団塊の世代が去った後の時代も見据えながら、日本の野党が生き残っていくためには、「反米主義の理想を掲げながらも、現実的にアメリカとやっていくことくらいはする」、といった生半可な態度から、「親米主義の姿勢を基本にしながら、建設的にアメリカと付き合っていく」、という態度への切り替えを決断することが必要だろう。
 そのような決断さえすれば、内政面の政策に特化した政策論争で、差異や優位を見せることもできるようになる。もちろん、冷戦終焉後、四半世紀にわたって、野党はそのような決断を避け続けてきた。おそらく、今後も避け続けるのだろう。しかし結局それによって選択肢を狭められ、不利益を被るのは、次世代の日本人たちである。

最近、枝野幸男・立憲民主党代表が、「改憲派」であったことが、少しずつ話題になっているようだ。衆議院選挙の中で、リベラル=護憲派のイメージで立憲民主党は「躍進」したことになっているが、枝野代表自身は、自分を「保守」だと自称している。枝野代表が「第三の道」なる改憲案を公表したのは、わずか4年前のことだ。保守を自認する小林よしのり氏が、衆議院選挙中から、一貫して「保守/改憲派」の枝野代表を応援し、選挙後も支援を繰り返し表明していることは、真面目に受け止めてよい。http://blogos.com/article/256525/ 
 安保法制を「立憲主義に違反する」とする立憲民主党/枝野代表の立場は、実は「安全法制は違憲だ」論ではない。立憲主義違反だが、違憲とは言っていない、というのが、枝野代表の発言である。http://www.nicovideo.jp/watch/1502956118 控えめに言って、これはややこしい。護憲派の枝野ファンが、小林よしのり氏が枝野代表を誤解しているのではないか、と思おうとするのも、無理もない。実際、「アベを許さない」「リベラル」「保守」「安保法制反対」「改憲派」の枝野氏の立場は、仮に姑息でないとしても、ややこしい。
 たとえば、私は、安保法制は違憲ではなく、立憲主義違反でもないと考えている。全く逆に考える人もいる。しかし、枝野代表は、どちらでもない。立憲主義違反だが、違憲ではない、と言う。ややこしい。仮に姑息ではないとしても。
 それにしても驚いたのは、あの長谷部恭男教授が登場し、「すべて個別的自衛権の行使として説明できる」という「従来の政府解釈を憲法に明文化しようとしたもの」だという理由で、2013年の「枝野氏の改憲案」を擁護していることだ。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171031-00000051-sasahi-pol   
 率直に言って、
201310月に『文芸春秋』に掲載された「枝野氏の改憲案」について、長谷部教授のような描写をすることは、正しくないと思われる。しかし驚くのは、そのことだけではない。そもそも長谷部教授は、従来の政府解釈を明文化するだけなら改憲は必要ない、と考えるため、「アベ改憲は許さない」の立場だったのではないか?なぜ「枝野氏の改憲案」であれば、従来の政府解釈と同じだからOKだ、になるのか?これはダブル・スタンダードではないのか?
 アベはダメで、枝野なら良い、らしい。アベは敵だが、枝野は「アベを許さない」同志だ、ということなのか。党派的な対立関係は、明確だ。しかし知的議論の内容は、混乱しているように見える。
 2013年論文(枝野幸男「憲法九条 私ならこう変える」『文芸春秋』201310月号、126131頁)において、枝野氏は、個別的自衛権か集団的自衛権かで「線引き」をした旧来の内閣法制局の見解から、明らかに距離を取っていた。

 「日米安全保障条約に基づき、我が国に米軍基地が存在しているという実態は、集団的自衛権の「行使」ではないにしても、ある種の集団的自衛と説明するしかありません。そもそも、こうして個別的か集団的かという二元論で語ること自体、おかしな話です。そんな議論を行っているのは、日本の政治家や学者くらいでしょう。」(同上、127頁。)

このような立場から出発した枝野氏は、「具体的に、どうしたケースであれば、実際に集団的自衛権の行使を可能とする必要があるのか」という問いを出した。そして公海上の米艦船を助けることを合憲とし、「その他の大部分の集団的自衛権行使」については否定する、という改憲案を提案した。長谷部教授は、これをもって、「個別的自衛権にあたるから合憲だ」と枝野氏が言っている、と解釈するようだ。だが、それは枝野氏の議論ではない。枝野氏は、「集団的自衛権の一部容認と説明するのか、それとも個別的自衛権として許されるギリギリの限界として説明するのか。説明の方法が異なるだけで大きな差はないと思います」、などと述べていた。
 日本政府は個別的自衛権と集団的自衛権が重なることはない、という解釈をとっている。したがって、枝野氏が述べたことが「従来の政府解釈」にそったものなら、枝野氏は、米艦防護が個別的自衛権か集団的自衛権かはわからないが、どちらかではある、しかしいずれにせよ合憲だ、と言ったわけである。枝野氏が、「集団的自衛権ではない、個別的自衛権だから合憲だ」、と主張した形跡はない。
 2013年の改憲案論文で、枝野氏は、「後方支援については言及する必要がない」、といって議論の必要性それ自体を退けた。国際法で集団的自衛権に該当するものは「違憲」だ、と考えるのであれば、枝野氏のような態度はとれない。枝野氏は、「私は憲法でタガをはめるべきなのは、実際に我が国が、自衛目的ではない武力行使に踏み切らないようにすること」だと宣言していた。枝野氏は、「集団的自衛権」と「個別的自衛権」の差異には、関心がなかったのである。2013年枝野論文によれば、「個別的か集団的かという二元論で語る」という「おかしな話」を広めているのは、日本の憲法学者、および憲法学者へのアンケート調査結果で政策を決める政治家だけである。ちなみに国連憲章51条は、個別的・集団的自衛権を包括的に扱っている。2013年枝野論文の見解でよい。
 そうした見解で、枝野氏は、解釈を明確にするための「9条の2」「9条の3」を加える改憲を提案したのであった。これに対して長谷部教授は、枝野氏の改憲案は良い、アベ改憲案は「地球の裏側」の活動も認めてしまうので、ダメだと言う。しかし共産党は、枝野改憲案に対して、「日本への攻撃に対する自衛措置としていますが、地理的な限定も示されていません」と批判していた。  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-10/2013091002_02_1.html 枝野氏は「公海」の話しかしていない。共産党のほうが、きちんと2013年枝野論文を読んでいると思う。
 私個人は、国際法上の概念を不当に軽視するのは、危険なことだと考えているし、個別的自衛権の拡大解釈はさらにいっそう危険なことだとも考えている。だが、それ以前の問題がある。今、私が指摘しているのは、アベはダメだが、枝野なら良い、と言った話を、憲法学者が憲法学者の権威を利用して世間に広めようとしているのではないか、ということだ。もしそうであれば、それは極めて危険な行為だ。
 2013年枝野論文を、長谷部教授は曲解し、「すべて個別的自衛権だからできると枝野は言っているにすぎない」、と読み替えてしまっている。意図的に曲解しているのでなければ、「枝野自身がそう言っていなくても、この私、憲法学者の長谷部恭男が、そのように認定するので、枝野はそう言っているということだ」、と言い替えてしまっている。仮にそれで、アベはダメだが、枝野なら良い、という結論が出せるとしても、そこに至る議論の内容は、全く不明瞭極まりない。アベが加憲するなら絶対反対、枝野が加憲するなら全く問題ない、ということだとしたら、それは単なる党派的事情に応じたダブル・スタンダードでしかない。
 枝野代表は、東北大学では小嶋和司ゼミに属していたという。(故)小嶋和司は、その優秀さで知られていたが、ウィキペディアでは、その優秀さのゆえにかえって宮沢俊義に疎まれて東大に残れなかった、などと書かれている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B6%8B%E5%92%8C%E5%8F%B8 ミステリアスな憲法学者だ。小嶋教授の弟子、いわば枝野代表の兄弟弟子に、大石眞・京都大学法学研究科教授がいる。大石教授は、集団的自衛権は違憲とは言えない、と明言する論文を持つ数少ない憲法学者の一人だ。大石教授の下で学んだ者の中に、井上武史・九州大学准教授がいる。井上准教授は、集団的自衛権は違憲とは言えない、と発言したため、執拗な嫌がらせと脅迫を受け、警察官とともに通勤せざるを得なくなった経験を持つ憲法学者だ。「2013年枝野改憲案」論文は、枝野氏が小嶋教授門下生であることを考えながら読んでみると、よりよく理解できるかもしれない。(ただし、2017年の立憲民主党代表の枝野氏の立場が何であるかは、まだ判然としないのだが。)

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追記になるが、小嶋和司は、非常に魅力的な憲法学者だ。「憲法典の規定から姿を消した緊急権・軍制といった問題(が論じられなくなったのは)・・・、立憲制や国家制度にとってバイタルな意味を持つだけに、学問にとって喜ばしき現象とは考えがたい」、と書き、弟子にも軍制研究を奨励していた(小嶋和司「戦後憲法学の特色」『ジュリスト』197753日号、小針司「立憲主義と軍隊」『小嶋和司博士東北大学退職記念:憲法と行政法』[1987年])。
 興味深いのは、拙著『ほんとうの憲法』で私がとった立場と同じように、宮沢俊義に見込まれて東大法学部第一憲法学講座に招聘された小林直樹によって「通説」化された、日本国憲法には「三大原理」がある(国民主権は一つの「原理」である)、という説を、小嶋が採らなかったことだ。小嶋にとって、「主権が国民に存する」と宣言することは、日本国憲法が「民定憲法」である性格を示している、それだけのことだった。小嶋は、代わりに、三つの「日本国憲法の諸主義」として、「自由主義、戦争放棄主義、国際協和主義」をあげていた。(小嶋和司『憲法概観』(新版)[1968年])。 
 小嶋の主権論は、日本国内の主権をめぐる議論に関する論説の中では、珠玉だ(小嶋和司「『主権』論おぼえがき<その一>『法学』465号、1982年)。
 「明治憲法当時多数説であった『統治権総攬』を『主権』とする立場は、明治憲法典と、その下の精神的風土においてのみ多数説となりえたもので、『主権』の一般的概念ではありえない」(43頁)
 このような記述は、もし「三流蓑田胸喜の篠田英朗」が言ったことだったら、「sovereign powerは統治権と訳していい」と主張する憲法学者の方に、即座に斬首されるようなものだろう。http://agora-web.jp/archives/2029005.html 
 師であった宮沢俊義に対する小嶋の次のような鋭利な文章も、「三流蓑田胸喜の篠田英朗」が言ったら、斬首間違いなしだ。
 「宮沢俊義教授は、ポツダム宣言の受諾は『主権』の変更を意味し、『主権』の変更は法律上『革命』とみるべきであるとして、有名な『八月革命説』を述べられた。ポツダム宣言は『日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ』政府形態が定めらるべきことを述べるのみで、『主権』を問題としていないし、その受諾のとき、『革命』の担い手もなければ、『革命』の意識もなかったのにである。この論理において注目されるのは、『主権』概念をもち出し、それを媒介とする論断で、ここでは、その語の権威的印象が、これまた強烈な印象を随伴する『革命』論の決め手とされている。『主権』の語の意味多面性は、それを上手にふりかざせば、望みの帰結を出しうるごとくである。」(7頁)

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