「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

『現代ビジネス』に、2017年の世界情勢について振り返る拙稿を掲載していただいた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53952 それにしても、世界情勢の中で、日本国内の様子は、のんびりしすぎているような気がしてならない。
  私個人としては、2017年は、前年に出した『集団的自衛権の思想史』で読売・吉野作造賞をいただき、その続編ともいえる『ほんとうの憲法』を公刊した年だった。日本国内の議論向けに、関連した話題を何度かブログで書いた年でもあった。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinodaそれだけに、日本国内の議論の閉塞状況を、これまで以上に痛切に感じた年でもあった。
  2017年当初は、稲田朋美大臣の拙劣な答弁もあり、自衛隊の南スーダンが話題となっていた。「駆けつけ警護」の適用例となったということもあり、「アベ首相は自衛隊員を殺したがっている」、「任務を遂行すると自衛隊員は殺人者になる」、「駆けつけ警護は改憲して戦争をする国になる第一歩だ」、などなどといった、私に言わせれば無責任極まりない扇動的な言説が、連日のようにメディアに登場していた。http://agora-web.jp/archives/2026898.html

そして自衛隊は撤収した。私はブログで、非常に残念だ、と書いた。http://agora-web.jp/archives/2024887-2.html日本の国際貢献の活動が、大きく停滞することは必至だったからだ。2018年になる今も、次の国連PKOへの派遣は、全く目途がたっていない。近い将来には、発生しないだろう。ありとあらゆるレトリックを使って自衛隊のPKO派遣を邪魔し続けた方々には、勝利宣言をしてもらいたい。
  正直、私は、「権力を制限することが立憲主義だ=自衛隊を批判することが平和主義だ」のような全く無責任なイデオロギー論で、自衛隊のPKO派遣を、思いつきの言葉を羅列して非難し続けた方々を、快く思っていない。しかし、まあ、終わったことだ。年も変わるところで、気にしないようにしたい。このような言論界しか持たないまま、国力を低下させていく日本の国際貢献が、ますます目立たないものになっていくのを、今後も見守っていくだけだ。(それにしてもいつまでも日本のほうが中国より上だと無根拠に信じ続けるのだけはやめたほうがいい。)
  自衛隊を即時撤収させよ、日本は南スーダンにそれ以外の方法で支援するべきだ」といったことを繰り返していた人々は、それ以降、ほんの少しでも「それ以外の方法」について発言しているのだろうか。そもそも「それ以外の方法」について、具体的な政策論のレベルで、考えるという作業くらいを、しているのだろうか。全く見ることがないのだが。
 「権力を制限することが立憲主義なのだ、権力を制限することは常に素晴らしいことなのだ」、といったドクトリンを信仰している方々に、こんな指摘をしても、まあ何の意味もないことだろうけれども。
  201710月の衆議院選挙の際には、「リベラル保守」を標榜する立憲民主党なる政党が現れて、50議席を獲得する「躍進」を見せた。旧民進党左派議員をコアにして、共産党の票を奪っての「躍進」であった。溶解し続けてはいるが、構図としては「55年体制」への回帰を志向した「保守」である。http://agora-web.jp/archives/2028661.html

私は、冷戦時代の「革新」政党を復活させて、高齢有権者層を中心にアピールをしても、支持率を2割以上にするのは難しいし、10年、20年の単位で見ると、ジリ貧だろう、といったことをブログで書いた。立憲民主党が本当に政権を担う政党になるのであれば、アキレス腱である外交安全保障政策について、改憲などを通じて現実主義路線に転換させたうえで、内政問題に焦点をあてるべきだ、とブログに書いた。http://agora-web.jp/archives/2029204.html

枝野幸男代表は、今のところ、全く逆の方向性を選択している。自らの2013年の改憲案を放棄し、体系的な外交安全保障政策を打ち出すことを放棄し、政権担当政党になることを目指すことも放棄し、支持率1割強程度で、100議席にも満たない議席を死守することを目的にしているような姿勢を貫き続けている。
  もちろん、あと10年、20年、自分の議席を維持することだけを目的にして行動するのであれば、支持率1割強の高齢有権者のための政党であり続けるのは、合理的だろう。だが冷戦時代ノスタルジア(=何を言ってもアメリカは日本を見放さない)、一億総中流ノスタルジア(=現代日本が1960年代と違うのはアベのせい)、学生運動ノスタルジア(反体制であることはカッコいい)に浸り続ける態度は、将来世代に対しては、もはや罪深いことではないだろうか。
  野党第一党が、万年野党主義の復権を図り、少数派政党の現有議席の維持を至上命題にして行動するとき、最大の犠牲者となるのは、実質的な政権交代の選択肢を失う有権者であり、特にそのような閉塞した社会に生き続けなければならない若者層だ。残念だが、日本は、そのような閉塞した状況に、さらに深く入り込もうとしているように見える。
  年の瀬のブログは、本音ベースで、暗いトーンになってしまった・・・。

 

 先日、映画『ダンケルク』を観ることができた。私の場合、なかなか映画館に行く暇もないため、なんとか機内で観たりする。気になっていた映画だが、どのような評論がなされているのかは、よく知らない。ただ国際政治学者として、この映画を観て、あらためて思い直すことがある。それは、集団的自衛権の歴史だ。 

第二次世界大戦初期、圧倒的なドイツの兵力の前に、英仏軍は大陸で大敗北を喫し、19405月末、ドーバー海峡に近いダンクルクに、約40万の兵力が追い詰められた。もはや戦況の転換を望むことはできず、撤退しかありえない。しかしドイツはダンクルクを完全に包囲していた。近づいた船舶も魚雷や爆撃によって次々と撃沈されてしまう。救出は極めて困難であった。しかも、イギリスが本国に温存している兵力を投入しすぎれば、ドイツによるイギリス侵攻を不可避にしてしまう。 

しかしそのうえで、イギリスは、民間の漁船や遊覧船にも働きかけて、ダンケルクに向かわせる。ドイツによる攻撃を避け、兵力の浪費を防ぎながら、追い詰められた兵士をできるだけ救出するための決死の奇策であった。このダンケルク作戦は成功をおさめ、第二次世界大戦の歴史に残る奇跡の脱出劇によって、約33万人以上の英仏の兵力がイギリスに帰還した。1940510日にイギリス首相に就任したばかりであったチャーチルは、大陸での軍事作戦の失敗を反省しつつ、作戦の成功を喜び、「新世界」の勢力、つまりアメリカが、やがて旧世界の危機を救いに来るはずであることを述べ、国民の士気を鼓舞した。 

ダンケルクの作戦が失敗に終わっていたら、最終的には連合軍の勝利に終わる第二次世界大戦の行方がどうなっていたかわからなかった。島国イギリスだけでもナチスドイツの支配から免れ続けることができたことが、その後の戦争の帰趨に大きな意味を持った。

 しかしそれにしても、なぜドイツは、追い詰められたイギリス軍に対して、より大規模な攻撃を仕掛けなかったのだろうか。ノルマンディー侵攻によってイギリス軍が戻ってくることを知っていたら、ヒトラーは兵力を集中投下する大作戦を敢行したはずではなかったか。

 正確な史実から言えば、ヒトラーは、イギリスが戻ってくるとは思っていなかっただろう、というよりもむしろ、そもそもイギリスと戦争を続けるつもりがなかった。

 ドイツは、ダンケルク以降、イギリス本土に対して、しばしば奇襲的な空爆作戦を行ったが、侵攻しようとしていた形跡はない。西のフランスを占領し、ヨーロッパ大陸をほぼ掌握したヒトラーは、むしろ東のソ連に侵攻する作戦を命令することになる。しかしヒトラーは、なぜナポレオンの二の舞となるため独ソ不可侵条約を結んでまで避けたかったはずの二正面作戦となるソ連侵攻を敢行したのか。

 広がり切ったドイツ帝国の領域を維持するための資源の確保等の物質的理由はある。だがそれにしてもイギリスとの戦争を清算してからのほうがよかったはずだ。イギリスが持ちこたえたため、やむをえずソ連への侵攻を決断した。これによって第二次世界大戦の行方が変わった。ダンケルク救出劇が、その展開を用意したのだ。

 そもそもヒトラーは、イギリスと戦争などしたくはなかった。イギリスの介入はないと読んでポーランド侵攻したところで、ヒトラーの誤算は始まっていた。さらにダンケルクをめぐってイギリス海軍との大海戦などを挑まなかったのは、双方の兵力を温存することを、ヒトラーが認めていたことを示唆している。

 日本人にはあまり知られていないが、ダンケルクの後、ヒトラーは中立国スウェーデンなどを通じて、イギリスに対して和平工作の提案を行っていた。それを無視し、閣内で和平について語ることを禁じたのは、チャーチルのほうであった。

 ヒトラーは、そもそも最初からイギリスと戦争をするつもりなどなく、始まってからも戦争を終結させることを狙い続けていたのである。時間切れになってソ連との開戦に踏み切り、日本の真珠湾攻撃以降、アメリカとの戦争も強いられることになり、結果として、最終的には大敗北を喫した。

 ダンケルクの作戦を指揮し、徹底抗戦して和平を退けながら、ソ連とアメリカとの大同盟を作っていったチャーチルは、まさに第二世界大戦において最も重要な人物であり、英雄であった。

 歴史に関する大著を何冊も持つ歴史家チャーチルは(ちなみにイギリスでは歴史学の地位が高く、政治家にも歴史学を修めた者が結構いる)、数百年にわたるヨーロッパの歴史への洞察から、ドイツ帝国と対決し続けなければならないことを確信していた。そして数多くのイギリス人がそのように信じていたため、ポーランドが侵攻されたときに、低地諸国(ベルギ-・オランダ)の防衛を企図して、ドイツとの開戦を決断したのである(チャーチルが首相に就任したのは、ドイツが低地諸国への侵略を開始した日であった)。 

そのとき、イギリスの宣戦布告の法的根拠となったのが、国際連盟における共同防衛体制であった。チャーチルの行動は、第一次世界大戦後の国際法秩序の原則にもそったものであった。しかし、当時の国際連盟は、アメリカ、ソ連、ドイツ、日本が加入しておらず、実態としては広範に弱小国を従えただけの英仏同盟と変わりがなかった。およそ普遍的な集団安全保障などと主張できるような代物ではなかった。今日でいえば、ポーランド侵攻にあたり、英仏が集団的自衛権を行使することを決断した、ということである。

 こうした史実は、第二次世界大戦以後、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障が、すべて一続きの安全保障構想の中で位置づけられるべきものだとされるようになった背景を示している。

 当時、アメリカはイギリスに強力な輸送・物資支援を提供し、1941年には米英共同で大西洋憲章も発表して、事実上の同盟国としてイギリスを支えた。しかし国際連盟加盟国ではないアメリカは、イギリスとは異なる法的地位にあった。不戦条約を推進し、スティムソン主義にもとづいて日本による満州国設立を認めない立場をとっていたアメリカだが、戦争に参加する法的根拠は持ち合わせていなかった。真珠湾攻撃によってアメリカの参戦が決まった後、チャーチルが深く安堵したということは、広く知られている。

 日本では、アメリカのF・D・ローズベルト大統領が日本の参戦を誘発する政策をとっていたことが、陰謀のように語られることが多い。国際社会主流の見方をとれば、話は逆だ。当時、集団的自衛権が広く認められていたら、アメリカの法的地位は変わり、ヒトラーが計算ミスで拡張主義をとってしまうことを抑止する大きな力になっただろう、と考えるのが、普通である。第二次世界大戦の結末を予期できてさえいれば、ヒトラーは拡張政策をとらなかっただろう。集団的自衛権があれば、少なくともイギリスの参戦の脅威で、いっそう大きな抑止力が働いただろう。

 第二次世界大戦後、イギリスは、アメリカと、第二次世界大戦で守ろうとした西ヨーロッパ大陸諸国と、国連憲章51条に明記された集団的自衛権を法的根拠にして、NATOを結成した。これによってドイツは、個別的自衛権を行使せず、集団的自衛体制の枠組みでのみ行動する国となった。東側陣営と厳しく対峙し続けたが、今日に至るまで70年近くにわたって、NATO加盟欧州諸国は、内部からも外部からも、武力攻撃されることがない、人類史上まれに見る強力な抑止体制を築き上げた。

 ナチスはドイツ民族の個別的自衛権を濫用して、拡張政策を正当化しようとした。そのため、戦後のドイツは、個別的自衛権を封印し、集団的自衛権の枠組みの中で、自国の安全保障政策を進める国家体制へと移行した。

 ヒトラーやムッソリーニに、個別的な自衛権濫用の前例を与えたのは、日本である。日本は、不戦条約に加入していたにもかかわらず、率先して自国の個別的な自衛権を濫用して満州事変を引き起こし、世界大戦への道を開いた。その結果、個別的自衛権の濫用に対して集団的自衛権の論理で結びついた連合国陣営に、体制転換を行うための降伏と占領を許すまでに、徹底的に打ち砕かれることになった。

 日本国憲法は、こうした歴史を反省し、こうした歴史を二度と繰り返さないために、作られたものである。

 ところが、戦後、四半世紀もすると、日本では、個別的自衛権を善とし、集団的自衛権を悪とする勢力が台頭した。安保闘争、ベトナム反戦運動/学園闘争をへた左翼運動が、アメリカこそが悪だとし、日本の主権独立を振りかざすことが平和への道だと鼓舞したからである。

 第二次世界大戦の歴史にもかかわらず、いつのまにか、日本だけが、個別的自衛権だけが善で、集団的自衛権は悪だ、と信じる奇妙な国になってしまった。個別的自衛権なら拡張しても心配ないが、集団的自衛権は少しの行使でも危険だ、などと主張する民族主義的独善国家に成り下がってしまった。

 石川健次・東京大学法学部教授(憲法学)によれば、国連憲章における集団的自衛権は、政治的に「自衛権」の規定に「潜り込ませ」られたに過ぎず、「国際法上の自衛権概念の方が異物を抱えているのであって、それが日本国憲法に照らして炙りだされた、というだけ」なのだという(拙著『集団的自衛権の思想史』第1章参照)。

 こうして日本は、「国連憲章51条は異物」と述べる憲法学者を旗印に、国際政治は邪悪、平和主義は日本(の憲法学者)だけ、などと主張するガラパゴスな国になり果てた。

 邪悪なアメリカが集団的自衛権を理由にして日本を戦争に巻き込みさしなければ、あとは個別的自衛権の拡張さえしておけば、日本も世界も平和になるのだという。したがって、安全保障論は、憲法学者に仕切らせるべきなのだという。

 様々な憲法解釈や外交論があってもいい。しかし「アベを許さない」といったレベルの感情論から勢い余って、集団的自衛権=邪悪論を大真面目に布教し続けようとすることは、極めて無責任な行為だと言わざるを得ない。それは、日本を再び独善的な世界の孤児にしてしまう行為であり、極めて危険な態度である。 

 トランプ政権のエルサレムへの大使館の移転決定が事件となっている。前提となる情勢理解から入らなければならない国際問題は、ブログ記事にしにくい。しかしこの問題は、日本国内では、あまりに杓子定規的に捉えられているようなので、あえて少し書いておきたい。
 日本では、相変わらず反米主義的なトーンの言説が華やかなようだ。確かに、今回の決定は、外交的戦略によるものというよりも、米国内向けの決定であると言うべきで、政権内のペンス副大統領やクシュナー特使などの意向にそうものだと考えるべきだろう。
 ただし今回の決定は、1995年のエルサレム大使館法の適用の6ヶ月延期の期限切れにあたって、移転の決定はしたが、実際に移転する時期は定めず、あらためて延期するというものだ。エルサレムが東西に分割される可能性を放棄したものではなく、トランプ大統領の悩みを感じることはできる。
 ポイントは三つある。
 第一は、国際社会における最大の論点は、国連安保理決議478(1980年)その他による要請に反しているか、反しているならばそれはどういう意味を持つか、である。対テロ戦争を共に戦う欧米諸国が一斉に批判しているが、それは具体的な政策判断の是非をめぐる批判なのだと言える。
 日本国内では相変わらず、日本政府が十分にトランプ大統領を批判していないので、糾弾しよう、といった論調が目立つ。しかし決議478の当該部分は必ずしも法的拘束力を持つわけではなく、批判のトーンに各国の立場の相違に応じた違いが見られるのは、それほど奇異なことではない。むしろ国際ニュースでは、日本を含めた現在の安全保障理事会理事国14か国が、つまりアメリカだけを除いた全ての理事国が、トランプ大統領の決定に批判的に懸念を表明したことのほうが広く伝えられている。
 第二に、中東情勢への影響であるが、アラブ人の民族意識で問題をとらえる論調があるのは、やや時代錯誤な感を受ける。アメリカ批判の急先鋒に立って中東の世論の喚起を主導しようとしているのは、トルコやイランなどの非アラブ国となっている。アラブ諸国の反応は概して穏便だ。アラブ圏域では、サウジアラビアなどの湾岸諸国による経済封鎖措置を受けて、急速にトルコとイランに近づいたカタールが、アルジャジーラなどを通じて、トランプ批判の報道を行っている。背景には、モハメド・ビン・サルマン皇太子が実権を掌握して、大規模な変動が起こっているサウジアラビアが、シリアやイエーメンをめぐって先鋭化したイランとの対立関係から、アメリカとの結びつきを再確認し、イスラエルにも近づいていたことがあった。
 トランプ大統領の決定とその反応のパターンが、分断された中東の現状を反映したものであることは、ほんの少しでもアメリカがからんでいない場合でも中東情勢のニュースに気をつかっていれば、すぐにわかることである。
 第三に、アメリカが中東和平を主導できないことは、すでに一つの現実となっていた。アメリカのパレスチナ問題としての中東和平への関与の大きな分岐点は、1993年のオスロ合意であったと言えるが、それは1991年湾岸戦争によって歴史上かつてないほど中東への影響力をアメリカが確保したことの反映であった。それから四半世紀が過ぎ、特にイラク戦争の混乱をへて、アメリカの影響力が見る影もない状態にまで低下したことは、明白であった。トランプ大統領の決定は、その現実をふまえながら、対テロ戦争を遂行していく態度の現れとして理解するべきだろう。そうでなければ、批判する場合でも的外れになる。
  トランプ大統領の外交は、今のところ東アジアでは比較的うまくいっているが、それは、北朝鮮という国際社会が共通の敵とみなす存在があればこそであろう。東アジアでは、自国の利益と他国の利益の調整を図りやすい構図があるのだ。それに対して中東や欧州では、事情が異なる。アメリカが自国の利益に基づいて独自の政策をとることが、アメリカと利益を共有しない勢力の利益と衝突する。対テロ戦争が恒常化し、国際社会の構造的な問題となっている情勢の中で、各国がそれぞれの立場をふまえながら、苦闘しているためだ。
 おそらく今回の決定が和平交渉に起死回生の契機をもたらす、と考えるのは、楽観的すぎるだろう。だが現実には、アメリカが1993年当時のような中立的ブローカーを装っても、先行きの見えない和平交渉が前に進む見込みは乏しい。
 経営者=つまり商人のトランプ大統領は、自らの利益を明確に伝えながら、相手の利益確保も提案する交渉スタイルに慣れているだろう。交渉相手に対しては、だが。したがって次の一手は、パレスチナ側への譲歩提案である。繰り返すが、うまくいく見込みは乏しいが、良くも悪くも、それがトランプ大統領のスタイルだということだ。
 日本も国際社会の道義的規範を遵守しながら、自国の立ち位置も見定めて、対応を決していかざるをえない。
 日本政府の政策評価は、反米主義の扇動にもとづくのではなく、より冷静な情勢分析判断にもとづいて、進めていくべきである。

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