「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 米朝会談に対する観察を『現代ビジネス』に寄稿した。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56108
 
紙幅の関係で書かなかったが、トランプ大統領の1時間以上にわたる記者会見の中で、最も劇的だったのは、オットー・ワームビア氏(北朝鮮旅行中に拘束され死亡したアメリカ人学生)についてふれたところだったと思う。
 記者団のほとんどは、人権侵害を繰り返す独裁者である金正恩氏と会談したトランプ大統領の態度について、質問をした。従来のアメリカの価値観からすると、特にインテリ層の「ポリティカル・コレクトネス」の感覚からすると、金正恩氏とアメリカの大統領がにこやかに握手をする、ということ事態が、衝撃的なことだったのだ。
 記者会見における最初の質問で、NBC記者は、「あなたが今日あった人物は、たくさんの人々を殺し、オットー・ワームビアの死にも責任がある人物です、なぜあなたはその人物を才能がある人物だなどと評することができるのですか」とトランプ大統領に問いかけた。
 トランプ大統領は、金正恩氏のことをあらためて「才能ある」人物と評したうえで、オットー・ワームビア氏の事件は残虐だった、と振り返った。トランプ大統領は、今年1月の一般教書演説の際に、ワームビア氏の両親を議会に招いて、紹介していた。そのこともあり、トランプ大統領は、ワームビア氏の両親を、自分の「友人」と呼び、賞賛をした。そして、その両親に自分は次のように説明したのだ、と述べた。
 「オットーがいなかったら、今日の出来事はなかった。オットーは、無駄に死んだわけではない。彼は、今日の出来事に、多くのことをなしたのだ。」
 これは、トランプ大統領が、612日に、絶対に言わなければならなかった言葉であったと、私は思う。そして、トランプ大統領は、言わなければならなかったことを、実際に、言った。とても重要なメッセージを、アメリカ国民に伝えた。
 「オットーは、無駄に死んだわけではない。彼がいなかったら、今日はなかった。」
 多くの論者が、今回の米朝会談に新しい要素はない、と評している。具体的措置が何も明示されていないという点では、全くその通りである。しかし、それでもアメリカ大統領が北朝鮮の最高指導者と会うのは、これが初めてだ。そしてアメリカ大統領が熱っぽく北朝鮮の最高指導者の人物描写をする様子も、われわれが初めて見る光景だ。
 トランプ大統領は、米朝関係に、人間臭さを持ち込んだ。今までの米朝関係に、このような人間臭さはなかった。
 
今回の米朝会談で達成されたのは、新しい概念でも、新しい文言でもない。そこだけを見れば、中身がない、という評価は、全くその通りだ。
 
しかし、トランプ大統領は、疑いなく新しいことをやっている。もちろん、成功するのか、失敗するのか、まだわからない。しかし、それでも、とにかく、トランプ大統領は、米朝関係に新しい要素を持ち込んだ。人間臭さ、という新しい要素を持ち込んだ。これは、今までのどのアメリカ大統領もやろうとはしなかったことだ。今回の米朝会談の評価を急ぐ必要はない。それよりも、われわれはまず、トランプ大統領が何をやっているのかを、理解してみるべきだと思う。

 いよいよトランプ大統領がシンガポールに入った。アメリカの大統領が北朝鮮の最高指導者と直接会談を行うという歴史的瞬間が近づいている。
 前回のブログで「日本の団塊の世代」についてふれた。http://agora-web.jp/archives/2032999.html 「団塊の世代」とは、いわば物心つく頃には朝鮮戦争が終わっていた世代の最年長組だ。日本にも韓国にも米軍基地があることを空気のように感じているので、たまにアメリカ大統領が横田基地を使ったりすると怒りだしたりする。アメリカ軍が見えないところで、永遠にどこかにいる、という前提を誰よりも強く抱えているからこそ、薄っぺらな反米主義を気取ってみたり、従米主義なるものを糾弾してみせたりする。
 こういった特徴は、1960年代安保闘争の頃くらいでも、まだなかったように私は感じている。集団的自衛権は違憲、などといったのんきな言説も、団塊の世代が学生運動をやっている最中に、米国を空気のように感じながら適当に厄介者にしておく、という風潮の中で生まれたものだっただろう。
 
しかし、構造的要因で生まれている条件は、容易には変化しない一方、あるときに一気に変わる。612日米朝会談で全てが変わることはないだろうが、その予兆を示す重要なことが起こる可能性はあるだろう。
 戦後一貫して存在していたが、実は政治的事情で生まれている人工的な現実を相対化してみるためには、歴史を見る、地図を見る、理論を見る、といった作業をしなければならない。
 
アゴラで新たに松川るい参議院議員のブログ転載が始まったようだ。http://agora-web.jp/archives/2033015.html 松川議員は、私が自民党参議院の会合で憲法の話をした際に、熱心に質問をしてくれた方だった。松川議員のような方は、外国の大学院でも訓練を受けているから、上記のような見方ができるだろう。
 私自身も、今までに何度か様々な媒体で北朝鮮問題について書いてきており、実は会談後にも、いくつかの論考を雑誌等に送る予定になっている。このブログでは、松川議員に歩調をあわせて、ただ一つのことだけ、述べておきたい。
 アメリカは北朝鮮にCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)を求め、北朝鮮は体制保証を求める、というのが、会談の基本構図になっている。それは「立場」として全くその通りだが、もちろん、それだけではない。
 時間をかけて段階的に行われざるを得ないCVIDには、経費負担、経済支援、開発投資の話題が、密接にかかわってくるだろう。だが北朝鮮はすでに核開発に多大な投資をしている。すべてはそれに見合う「体制保証」の枠組みがあるかどうかにかかってくる。
 
体制保証の過程は、朝鮮戦争終結宣言によって、一つの新しい段階に至るかもしれない。しかしそれは本質的問題でも、最終段階でもない。朝鮮半島の問題は、朝鮮戦争によって生まれたものではない。朝鮮戦争は、朝鮮半島の問題の一表象である。朝鮮戦争が終わっても、朝鮮半島が持つ地政学的な事情に起因するが構造的な問題が消滅するわけではない。
 
「体制保証」の本丸は、在韓米軍の(縮小)撤退である。在韓米軍の撤退こそが、現実の実質的な「体制保証」であり、それ以外のものは、そうではない。在韓米軍撤退こそが、北朝鮮という特異な国家に「体制保証」を与えるという構造的な転換に見合う事態である。
 
もちろんこのような最終カードを、トランプ大統領が612日に切ってしまうということは、とても想定できない。しかしあるいはトランプ大統領の背広の奥底に潜んでいるカードが、交渉の過程で、ほんの少し、金正恩氏の視界に入るような瞬間が作られるかどうか。それは612日が終わっても、わからないだろうが、事態の展開の中で、引き続き論じられていくだろう。
 
612日を注意深く見守るために、われわれがまず気を付けておかなければならない。社会の老齢層が生まれた時から存在している空気のように感じられることでも、それが政治的な事情で生まれたことでしかないのであれば、いつか必ず政治的な事情の変化に応じて変わってしまう時が訪れる。そのことを、肝に銘じておかなければならない。

 6月4日は天安門事件の29年目の記念日だ。1989年当時、私は大学3年生だった。偏屈者が集まることで評判だった政治思想のゼミに通いながら、天安門事件や、同じ年の秋に発生する東欧革命のニュースを見た。その年の暮れに、私は、学者になろうと思った。天安門事件のことは、当時の様子とともに、鮮明に思い出される。未完の革命だった。もちろん今も当時も、中国で革命が起こる可能性は低い。しかし天安門事件を過小評価して、現代の中国人と付き合うのは違う、と私は思っている。
 そういえば今年の5月は、1968年フランス「5月革命」50周年であった。日本ではあまり話題にならなかったようだが、研究者層では、1968年は世界史の転換点だった、という評価が固まっている。その1968年の象徴が、フランス未完の革命である「5月革命」だ。
 高校時代に私は、よく学校をさぼって東京のはずれで映画を観たりしていた。安い料金で何本も観られる映画館に行ったりしていたため、寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』や『ウッドストック』の映画は、何度も観た。「1968年」の雰囲気は、私にとって、一つの不思議だった。大学に入って、フーコーやドゥルーズなどの「68年思想」とも言われる現代思想にふれて、1968年は、いっそう関心をかきたてるものになった。
 当時は村上春樹が一世を風靡した時代だ。1968年当時を舞台にした『ノルウェーの森』がベストセラーになったのが、私が大学一年のときだった。その中に、主人公の「僕」(ワタナベトオル)が、亡くなった友人「キズキ」に次のようにつぶやく場面がある。学生運動で大学封鎖をした連中が、運動熱が冷めると、きちんと授業に出たりしているのを見た後の言葉だ。
 
「キズキ、ここはひどい世界だよ」「こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ」

アメリカでは、1990年代に、ベトナム反戦運動に熱心に参加していたビル・クリントンが、大統領になった。イギリスでは、オックスフォードで熱心に学生運動をやっていたトニー・ブレアが、首相になった。パリ5月革命時に、パリ大学医学部で運動指導者だったベルナール・クシュネルは、早くも1971年に「国境なき医師団(MSF)」を設立して世界的に有名なNGOに育てあげた後、90年代前半には保健・人道活動大臣を務めた(後に外務大臣)。
 
1990年代に、人道援助、人道介入、平和活動、人権問題の話は、大きく広がった。世界の構造的矛盾に異議を唱えた世界各国の1968年世代の人々が、そこにいた。第一線で、活躍し始めていた。ロンドンでPh.D.を取得した私は、平和構築を専門にして学者としてやっていくことを決めた。
 
それにしても、日本の団塊の世代は、何をやっているのか。
 
まさか「立憲主義は政府を制限すること」と主張し、「モリカケのアベに憲法を語る資格はない!」などと叫び、テレビを見ながら「もう詰んだ」など言って、革命ごっこの気分に浸ることが、日本では1968年世代の習慣になっていないか。
 「
キズキ」に話しかける、「ワタナベトオル」のような気持ちになる。

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