「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 妖怪が日本を徘徊している。「専門家」という妖怪である。

 といっても新型コロナの話ではない。42日金曜の防衛大臣記者会見の様子を見て、そう思った。どこかの名無しの記者が、名無しの「専門家」を引用して次のように質問したそうである。

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先日の統幕長による他国軍と共同のミャンマーに対する非難声明についてお伺いします。専門家の方からですね、自衛隊法の61条の政治的行為に当たるのではないかという指摘も出ています。https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2021/0402a.html 

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 これに対して岸大臣が「本共同声明は、隊員個人としての行為ではなくて、関係部局と調整した上で、私の了解を得て発出されたものでありまして、統幕長名義ではありましたけれども、防衛省組織として意見を発出したものであります。従いまして、隊員個人の行う「政治的行為の制限」について定めたこの隊法61条には該当しないとこういうことであります。」と丁寧に答えた。

 これは先日、私が「日本を裏切ったのがミン・アウン・フラインである」という題名で書いた文章で扱った件だ。https://agora-web.jp/archives/2050824.html 「民間人に対する軍事力の行使を非難する。およそプロフェッショナルな軍隊(professional military)は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する。」という内容の12カ国共同声明に、統合幕僚長山崎幸二陸将が参加した件だ。

 そもそも私がこの文章を書いたのは、どうせこの種の質の悪い謎の匿名の名無しの「専門家」みたいなのが現れるだろうと思い、先回りしたかったからであった。案の定と言ってもいい。

 岸大臣が答えたように、シビリアン・コントロールがとられていることや政府としての協議体制がとられたことは、防衛省の公式ホームページに日本語の声明説明文が掲載されたことや、外務省が同日に内容を補強する声明を出したことで明らかだった。私が紹介した通りである。

 しかしそういう手続き論を離れて、実質内容を見るならば、2日金曜のやりとりに、日本の病理が如実に示されているように感じる。

 もし「自衛隊は民間人を撃つのが国際基準に合致していると思うか」と質問されたとき、自衛隊員が「それはわからない!絶対に答えない!」と言うのであれば、日本の「専門家」は、拍手喝さいして喜ぶつもりなのだろうか。それが日本が誇る「専門家」という存在なのか。

 そんなものが「専門家」なら、そんな「専門家」などいらない。百害あって一利なしである。

 新型コロナでも自称・他称・通称・匿名の無数の「専門家」が徘徊した。なぜその人たちが「専門家」かと言うと、「俺は専門家だ!だから黙って俺の言うことを聞け!」と主張する人たちだから、「専門家」と呼ばれているだけである。

 そこに日頃からイデオロギー闘争に明け暮れているジャーナリストたちが、相乗りする。「おい、お前ら黙れ!『専門家』がこう言っているんだ!」と主張したいがゆえに、都合のいい「専門家」を見つけるか、見つけられなければ都合よく適当に「専門家」を作りだし、自己の主張の代弁をさせる。

 だから荒唐無稽な主張をするだけで責任をとることもしない「専門家」どころか、匿名の即席「専門家」まで大量生産されて、日本を徘徊するようになってしまった。

 今の日本で「専門家」ほどあてにならないものはない。ひどい世の中になってしまった。

 ミャンマー軍が国軍記念日を迎え、首都ネピドー郊外で開かれた式典で国軍が軍事パレードを行った327日、判明しているだけで市民114人が亡くなった。21日クーデター以降の死者数は判明しているだけで423人、拘束されて消息不明になっているのが2428人だ。たまらず日本を含む12カ国の軍のトップがミャンマー軍を強い言葉で非難する声明を出した。

 これまで軍への批判を曖昧にしてきた日本だが、28日、国際的な共同声明の発出にあわせて、防衛省と外務省で、これまでより踏み込んだ強い内容の非難声明を出した。日本では、統合幕僚長山崎幸二陸将の名前を出した声明が出た。https://www.mod.go.jp/js/Press/press2021/press_pdf/p20210328_01.pdf 

「民間人に対する軍事力の行使を非難する。およそプロフェッショナルな軍隊(professional military)は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する。」

という職業軍人の国際基準の倫理観に訴える内容が、自衛官の胸に響いたことは想像に難くない。

大変に素晴らしいことである。

平素から、日本の憲法学通説の破綻した憲法9条解釈の誤謬を糾弾し、自衛隊は「憲法が言う『戦力(war potential)』ではなく、国際法上の軍隊(military)である」、と主張し続けている私としても、https://agora-web.jp/archives/2030702.html 国際規範に沿い、日本が尊重すべき同盟国と共同歩調をとった、山崎統合幕僚長の毅然とした判断の表明を、全面的に称賛したい。

日本での統合幕僚長の声明発出に続いて、外務省がミャンマー軍を非難(condemn)する茂木外務大臣談話を出した。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page6_000537.html これまでの外務省の対これまでの対応からすれば、一歩進んだ内容だ。統合幕僚長の12カ国声明への参加を支援するタイミングで、「軍隊は国民の生命を国外の脅威から守るための組織であることを、ミャンマー国軍指導部は想起すべき」、と強調した声明を発出したことを、高く評価したい。

この茂木外相談話の二段落目は、外務省の気持ちが滲む文章だと感じる。

「ミャンマー国軍・警察による市民への発砲や被拘束者に対する非人道的な扱い、報道活動に対する厳しい取締りは、民主主義の重要性を唱えるミャンマー国軍の公式発表と矛盾する行動です。」

日本はミャンマーの民主化を支援する立場から、ミャンマー軍と緊密な関係を続けてきた。自衛隊はミャンマー軍に対する能力構築支援を続けてきたし、 https://www.mod.go.jp/j/approach/exchange/cap_build/myanmar/index.html 外務省はミャンマー支援を熱心に行ってきた笹川陽平・公益財団法人日本財団会長・笹川平和財団名誉会長をミャンマー国民和解担当日本政府代表に任命しながら、外交支援も行ってきた。防衛省がミン・アウン・フライン司令官を日本に招いた時に会談した茂木外相の写真などが、日本の対応に批判的な人々のSNSでやり取りされたりしていた。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007908.html

だからこそ、今回の声明には意味がある。

民主化支援の一環としてミャンマー軍を支援していたことに、何ら恥ずべき点はない。むしろ誇るべきである。だが、だからこそクーデターに失望し、市民に銃を向けたミン・アウン・フライン司令官に怒りを表明する瞬間が、絶対に必要だ。

日本がミャンマーを見捨てるのではない。ミン・アウン・フライン司令官が、日本を裏切ったのである。

裏切りに対する怒りの表明は、日本が引き続きミャンマーの人々ともに歩むことの表明と、不可分一体だ。

日本が安全保障政策で協調する重要な同盟国及びその主要なパートナー国は、ミャンマー軍幹部の非難で団結している。長期的かつ大局的な視野で見て、日本が曖昧な立場をとり続けなければならない合理的な理由はない。

「ミャンマー軍を非難するとミャンマーが中国寄りになる、日本はミャンマー軍にパイプがある(、まあ普通の人たちはミャンマーのことなんか何にも知らないだろうから、一切心配もせず忘れて遊んでおいてください)」、といったもっともらしいことをテレビ等で吹聴し続けている「外交専門家」の方々がいらっしゃる。さぞかし奥深い予見と洞察力に裏付けられた素晴らしい見解なのだろう。だが私のような三流国際政治学者には、そのような見解は、全く近視眼的かつ無責任なものにしか感じられない。

ミン・アウン・フラインを非難しないでおけば、ミャンマーが中国を捨てて日本に走り寄ってくるなどとは到底想像できない。中国も事態の推移を見て喜んでいるわけではなく、手放しでミャンマー軍を支援できるわけでもない。もっと苦しいのはクアッドのパートナーのインドだ。非難すべきは、ミン・アウン・フラインで、中国やインドではない。日本は自らの立ち位置をはっきりさせたうえで、むしろミン・アウン・フライン司令官を追い詰める国際外交交渉の可能性こそ研究するべきだ。

国際刑事裁判所(ICC)はすでにロヒンギャ問題でミャンマー軍幹部の「人道に対する罪」の捜査をしている。今回の市民に対する暴虐も、SNS等で画像・動画証拠が山のようにあふれているし、インドに逃れて「上官命令」を証言している元警官もいる。日本はICCの最大資金拠出国である。事態を甘く見すぎず、大局的かつ長期的な視点もふまえて、確かな方向性を定めたうえで、外交努力を払うべきだ。


 昨日「日本を覆う「気の緩み」狩りの地獄への道」という文章を書いたが、それは「誤字・欠落…政府提出法案にミス続く「前代未聞の緩み」」という題名の新聞記事を見たからだった。

https://digital.asahi.com/articles/ASP39677VP39UTFK011.html

 日本の官僚機構の疲弊を見て、「気の緩み」という言葉しか思いつかないのであれば、ちょっと問題だと思った。

私は国際政治学者として、外務省本省職員の残業を減らしてほしいと思っている。毎日深夜まで国内業務で残業していたら、長期的な構想を練ったり、新しい大胆な交渉に出たりする気概や心の余裕が失われるのは止められないと思うからだ。

アラスカで開かれた米朝協議の冒頭部分が一般公開された。その厳しい言葉と駆け引きを見て「日本外交もこういう風にいかないのか」という意見が、ヤフコメなどに殺到している。https://news.yahoo.co.jp/articles/0f63d7bfdb011f5b959f5b2ae23cae0171eafdbc 

行政文書作成と国会要人対策で毎日深夜まで残業している官僚の方々に、それを言う気にならない。「勘弁してほしい、とにかく面倒はできるだけ少なくしてほしい」という表情をされるだろう、と思うからである。真面目に働いている役所の方を困らせるのは忍びない。(と言いながらミャンマー問題を何とかしてほしいと書いているが・・・・。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81323 )

日本の国家公務員数は過去と比べて低水準に抑えられてある。一般職国家公務員数の推移のグラフを見てみよう。郵政民営化の影響が出た15年前の水準と比較して、10万人近く減少している。

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しかし予算は上昇傾向だ。15年前は80兆円程度の規模だったが、現在は100兆円を超えている。
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 大雑把に言って、2割減った人数で、2割増えた仕事を扱っている、ということだ。

この状況で細かな人的ミスが見え始めたとしたら、一般企業の経営者なら人的負担を軽減する策を講じる必要がある、と認識するのではないだろうか。

しかし国家運営では、政治家や幹部官僚が「全ては末端職員の気の緩みのせいだ!」と叫んで、檄を飛ばして綱紀粛正を図って、マスコミ向けのポーズをとることしか考えない。

その場限りの大変に危険な対応だ。

もともと日本の公務員数は国際的に見て少ないとされている。特に少ないのは地方公務員だが、連邦制国家との比較などは単純ではなく、国際比較は簡単には言えないところはある。しかし上記の事情から、少なくとも過去よりも負担が増えていることは明らかだと思う。したがって「昔は違った」とつぶやく高齢者や官僚出身政治家の意見には意味がない。

そもそも日本政府の歳入の半分は国債だ。私に言わせれば、日本は税収に見合った実力の二倍の仕事を国家公務員に課している。

中央省庁と高級官僚OBがいる半官半民企業が、「随意契約」「97%再委託」「幽霊法人」「中抜き」といった行為を常態化させていくのは、毎日深夜まで残業している官僚の心情からすると「そんなことを言われてもこうしないと無理です・・・」という行為なのだろう。心情的にはそうなので、改革はなされないだろう。だがそれでは、組織は溶解する。

 アカウンタビリティを確保しながら、現実的な人事管理を行っていくためには、おそらく制度化された民間人導入を含めた思い切った制度改革が必要である。残業費の支給額を増加させたりすることなどは、関係がないどころか、逆効果だろう。

 人口が減り続けている社会で、国家予算だけを増やし続けているのだ。構造的な改革を導入する発想の転換が必要であることは、火を見るより明らかである。

 しかし人事改革となったら、猛烈に反対するのは、むしろ各省庁の高級官僚だろう。その上にいる経営者である政治家がしっかりしなければならないのだが、高級官僚と一緒になって「気の緩みを正せ」と一般職員を叱責しているだけでお茶を濁し続けようとするのであれば、危機は増幅していくだけだろう。

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