「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 安倍内閣の内閣支持率がだいぶ下がったということで、各方面でニュースが流れている。なぜ安倍内閣の支持率は下がらないのか、と問い続けてきたメディアが、ついに安倍政権の限界が露呈した、とほとんど高揚しながら、伝えている。

 一部報道では、やはり高揚感のある野党政治家の動向を伝えるものがある。しかし近視眼的なメディアの場当たり的な雰囲気に乗せられるのは、どうかしている。良識ある野党政治家は、冷静に事態を見守り、しっかりと仕事をしてもらいたい。

 政治家は、実現したい政策を実現するために政治家をやっているはずだ。ただ単に現下の内閣支持率が下がったといって喜ぶ一部の野党政治家のあり方は、理解に苦しむ。たとえ内閣支持率が変わらなくても、自分の掲げる政策に関する理解が広まったときに、喜びを感じるのが政治家のあるべき姿ではないか。

 実現したい政策があるのなら、選挙に勝ちたいと思うのは、当然だ。勝つために戦略的に動くのが、当然だ。つまり次の選挙で過半数を獲得するために、選挙区割だけではなく、時間軸をとって効果的な世論喚起の方法を計算し、さらに幾つかのオプションを比較較量したうえで、日々検証しながら、現在の政策的立場を表現していくことが、当然だ。ところが、日本の野党は、そういう当然のことをやっているように見えない。

世間の人々は、戦略を持って、日々の仕事に従事している。戦略を持っていない人に尊敬の念が湧かないのは、当然だ。

 強行採決を演出しようとするのも、無理がある。コンセンサス方式への信奉に訴えようとする態度は、国対政治ボケである。

そんなことよりも、政権獲得したらどういう政治をするつもりなのかを表明し、与党より優れたことを言っているという印象を国民に与えるために、審議の機会を活用すべきだ。

野党が広告代理店を雇っているといった話も聞くが、実績のある経営コンサルタント会社などを雇って成長戦略を作ることにもう少し力を入れたほうがいいのではないか。

 日本の議会政治の行方には、野党が持っている責任が重い。

 冷戦時代に「保守/革新」と呼ばれていた左右対立は、いつのまにか「保守/リベラル」と名前を変えただけで、現在もなお終わりなき延長戦のようなことを続けている。「強行採決の暴挙に反対する!」云々と、時代がかった罵声も、あまりに見慣れたものになってしまった。国内スキャンダルであるかもしれないニュースの内容も、「一極支配を打破せよ!」という対立構図で、かき消されてしまう。
 冷戦は良かった、と言う人はあまりいないだろう。だが冷戦時代の頃の日本は良かった、と思っている人があまりに多いことには、時々驚かされる。それが日本なのか。独特な社会的雰囲気が、21世紀の現代にも日本の独特な政治文化を維持し続けている。
 10日ほど前、拙著『集団的自衛権の思想史:憲法九条と日米安保』に、読売・吉野作造賞を与えていただけることを、読売新聞と中央公論の紙上で発表していただいた。数多くの方々からお祝いの言葉をかけていただいた。時代の状況の中で書いた本であっただけに、お世話になった方々への感謝は募る。
 同時に、何人かの方々からは、「いよいよ篠田さんにも人格攻撃が始まるんじゃないか」などと忠告めいたことを言ってくださった。「要するに篠田なんていうのは〇〇だ・・・」という一刀両断式の批評をされるよ、ということらしい。まあ、あくまでも私などに批評されるほどの価値があれば、という前提での話だが・・・。
 私はかつて、朝日新聞社の「大佛次郎論壇賞」を『平和構築と法の支配』という国際政策研究で、「サントリー学芸賞」『「国家主権」という思想』という国際思想史研究でいただいたことがある。確かに、その時と比べると、私自身もあまり「お祝い」といった気分に100%浸れない気がしている。本の内容に同時代の論者への批判が含まれていることが一つ。自分の政策的立場が日本で推進されている気がしないのが一つ。
 読売新聞のインタビュー記事では、「護憲派」でも「改憲派」でもない、いわば「国際派」だと書いておいてもらいたい、とお願いした。ご親切にも、そのように書いてもらった。しかし果たしてそれを読んでピンときた読者がいただろうか。自分で紙面を読んでみると、読売新聞に悪いことをしたような気がした。「その国際派っていう少数派閥、日本に何人くらいいるんですか?」、というようなものだろう。
 先週15日、PKO協力法が25周年を迎えた。私は1993年にPKO協力法にもとづいてカンボジアの国連PKOに派遣してもらい、6週間ほど選挙関連業務にあたらせていただいたことがある。その後に書いた体験記は、ひそかに翌年の大宅壮一賞の候補作に入れていただいていた。その『日の丸とボランティア』という題名の(今は絶版となっている)書物の冒頭を、24歳の私は、次のような文章から始めた。
 
「僕は1968年に生まれた。その年の5月、パリでは学生たちの革命が起こった。・・・日本でも学生運動の嵐が吹き荒れ、翌年に安田講堂に籠城した者たちが東大の入試を中止させた。だがその一方で、日本はGNPで西側第二位の地位を獲得していた。・・・だから僕の属する世代は、戦前や戦後と格闘したことがないだけでなく、そうした格闘を見たこともない。自分が右にいるか左にいるかと考えたことがないだけでなく、右と左の対立図式を破壊しようとしたこともそこから逃げようとしたこともない。・・・僕が・・・大学を卒業したのは1991年だった。・・・」

 思えば、24年後の今、あらためて自分自身の言葉について考えているような気がしている。あの当時、24年後の日本でも、ここまで硬直した左右対立が残存し続けていると言うことを予測できていたわけではない。
 私が大学で日常的に接している学生たちは、冷戦後の世界だけしか知らない世代である。学部の学生であれば、もうすぐ21世紀生まればかりになり始める。冷戦期へのノスタルジアやその反発の言説を垂れ流しながら、彼らと接していいはずがない。
 だがそうだとすれば、この国にとって、冷戦後の世界は、どんなものなのか。あらためて、問い直していかなければならないような気はしている。

 日本国憲法と国連憲章は、「平和を愛する諸国民/平和愛好国家(peace-loving peoples [states])」、という共通の概念を用いている。実は、この概念は、1941年「大西洋憲章」でも、用いられていた。さらに「恐怖と欠乏からの自由(free from fear and want)」という憲法の文言も、大西洋憲章から引き継いでいる。言うまでもなく、これら二つの自由は、F・D・ローズベルトが唱えた「四つの自由」を構成した概念だ。国連憲章前文の「Larger Freedom」も、同じことを指していると、通常は理解されている。
 アメリカのF・D・ローズベルトと、イギリスのW・チャーチルが会談を行い、第二次世界大戦の目的を明らかにする宣言を行った。それが「大西洋憲章」であった。そのとき、「平和愛好国家」が戦争を通じて達成しようとする目的は「恐怖と欠乏からの自由」だ、という概念構成がとられたのであった。その論理構成は、そのまま国連憲章に引き継がれた。そして、日本の憲法学者はふれたくないのだろうが、実は、日本国憲法にも引き継がれたのである。
 「恐怖と欠乏からの自由」を目指して戦う「平和愛好国家」という概念構成は、起草者が戦争の勝者たるアメリカ人であったという端的な事実とあわせて、大西洋憲章、国連憲章、日本国憲法が、一続きの連続性を持っていることを証左する。
 その大西洋憲章の第8項において、米英両政府首脳は、次のように宣言していた。
 「陸、海又ハ空ノ軍備カ自国国境外ヘノ侵略ノ脅威ヲ与エ又ハ与ウルコトアルヘキ国ニ依リ引続キ使用セラルルトキハ将来ノ平和ハ維持セラルルコトヲ得サルカ故ニ、両国ハ一層広汎ニシテ永久的ナル一般的安全保障制度ノ確立ニ至ル迄ハ斯ル国ノ武装解除ハ不可欠ノモノナリト信ス。(Since no future peace can be maintained if land, sea or air armaments continue to be employed by nations which threaten, or may threaten, aggression outside of their frontiers, they believe, pending the establishment of a wider and permanent system of general security, that the disarmament of such nations is essential.)」
 つまり、すでにイギリスと交戦していたドイツや、その後すぐに開戦する日本などの枢軸国を、「一般的安全保障制度」が確立されるまで、「武装解除」することを、米英両国は、1941年の段階で、宣言していた。そしてその宣言どおり、1945年の終戦後、連合軍は日本を武装解除した。憲法9条2項の戦力不保持の規定は、その武装解除の状態を、法規範のレベルにまで高めて制度化した措置であった。
 ただしだからこそ、武装解除が永遠の措置であるとは想定されない、と言える。マッカーサーは、9条を起草しながら、警察予備隊の設立を促し、日本が自衛権を行使できることを明言した。日本の憲法学者は、それはマッカーサーが翻意したためであると断定する。憲法典を起草した際には、永遠に戦力を放棄させようとしていたと仮定する。自衛権を認めたマッカーサーは、冷戦開始後の政治的動機により、憲法典を起草した際のマッカーサー自身を裏切ったのだ、と仮定する。
 本当にそうだったのだろうか。
 大西洋憲章の趣旨や文言を見たうえで、憲法を読み直すならば、戦力不保持の規定が包括的かつ永遠の措置であったとは解釈できないと考えるのが、自然であるように思われる。日本国憲法起草時のGHQ草案は、実際に成立した日本国憲法の日本語正文の9条2項とは異なるニュアンスを持っていた。草案では、「No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized」とされていた。つまり戦力は「認められない」ものであった。「認めない」のは誰か。本来の憲法の論理構成では、日本国民が認めない、という説明になるはずだろう。しかし実際には、日本を占領しているアメリカを中心とする連合国が戦力を「認めない」のは、自明であった。
 確かに、「No…will ever be authorized」と書かれたGHQ草案でも、未来にわたって戦力が認めらない状態が続くことが、示されている。しかしその語感からは、一定の条件がそろったとき、「認められる」状態が訪れる可能性をくみとることはできる。どこかに「not authorized until…」というニュアンスを感じ取る余地がある。
 「大西洋憲章」では、枢軸国の武装解除が、「They will likewise aid and encourage all other practicable measures which will lighten for peace-loving peoples the crushing burden of armaments」を導くとされ、平和愛好国家の負担を減らすと説明されていた。平和愛好国家の負担が減るということがポイントであり、武装解除それ自体が永遠の絶対課題とされたわけではない。
 実際の憲法典で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とされた条項は、英文では次のようになる。「In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.」今度は、おそらく日本国民が、「maintain」しない、つまり戦力を維持しないことが、宣言されている。いずれにしても、1項では、「forever renounce war」と強く戦争放棄が宣言されたのに対して、2項は「not authorized」あるいは「not maintained」と、ややニュアンスのある表現になっていることは、目を引く。
 1項と2項の英文テキスト上の表現の違いは、「大西洋憲章」を参照すると、理解することができる。「大西洋憲章」において、「武装解除」されるのは、あくまでも侵略の脅威を与える国である。それはつまり枢軸国のことなのだが、論理構成上は、旧枢軸国が侵略の脅威を与えない国に生まれ変わった場合、おそらく一般的安全保障制度に組み込まれて生まれ変わった場合には、その旧枢軸国はもはや武装解除の対象ではなくなる。
 1項の戦争放棄は、1928年不戦条約以降の国際法の進展に歩調をあわせて、いわば永遠に戦争を放棄するものである(ちなみに自衛権にもとづく正当な武力行使は放棄される「戦争」には該当しない)。これに対して2項の戦力不保持は、もともと政策的な追加措置であり、いわば時限付きの措置である。日本は、一般的安全保障制度から外れて侵略の脅威を与える国である限り、武装解除され続ける。維持されず、認められない「戦力(war potential)」とは、もともと1項で放棄されている侵略「戦争」を行うための能力のことである。もし1項で禁止されていない合法的な武力行使を行うための組織が作られるならば、その組織は「維持され」たり、「認められ」たりするかもしれない。
 2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を入れた措置は、「芦田修正」と呼ばれる。憲法学者は、これを姑息な陰謀と呼び、その効果を認めない。しかし前文から続けて9条を読めば、芦田修正が前文で宣言されている理念を確認するためだけの措置であることがわかってくる。つまり芦田修正の効果は、9条を前文とのつながりに応じて解釈するだけで、発揮されてくる。放棄されているのは、国際法で違法とされる侵略戦争のことであり、侵略戦争を実施するための「戦力」である。
 日本は、過去70年の間に、「大西洋憲章」の論理にもとづいて、武装解除の終了を認められたことがあっただろうか。おそらく、あった。1951年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結され、米軍との協働を大きな柱とする仕組みの中で、自衛隊が設立されたとき、確かにアメリカを中心とする多くの旧連合諸国によって、もはや日本は侵略国ではないと、「認められた」。確かに、「認められた」方法は、完全なものではなかった。一般的安全保障制度は存在しているが、実効性は乏しいため、連合国の筆頭国であるアメリカとの二国間安全保障条約が、不足を補う仕組みがとられた。講和条約は「全面講和」ではなかった。しかし、それでも、国際的に、武装解除の停止が「認められた」ことは、確かだと思われる。もはや侵略国ではないと「認められ」、日本は主権国家としての地位を取り戻した。そしてもはや侵略国ではないという前提で、武装解除の停止も、「認められた(authorized)」のである。
 
 現在話題になっている改憲案に関して、自衛隊が2項で禁止されている「戦力」に該当しないことを明記する改憲だけでは足りず、そもそも2項それ自体を削除しなければならない、という議論がある。私は、必ずしも、それが必要な措置だとは思わない。現状でも自衛隊は合憲だという前提があるので、それを明確化する但し書きを作れば、十分である。
 むしろ、2項を削除してしまうと、日本が侵略国ではなくなったので武装解除の停止を「認められた」、つまり侵略戦争に用いるためではない実力組織を保持することが「認められた」という経緯が消し去られてしまい、自衛隊が持つ歴史的な性格を消し去られてしまう。それは憲法の国際協調主義の観点からは、必ずしも望ましい措置だとは思われない。
 自衛隊を普通の軍隊に作り替えるためには、9条2項削除をすべきだ、という意見は、わかる。しかし現実的だとは思えない。歴史的な経緯を消し去るというのは、どういうことか。現在まで続いている歴史の痕跡も否定するということである。5万人余にのぼる旧占領国アメリカの軍隊を受け入れ、有事の際にはアメリカ主導で共同行動をとるという仕組みを大前提として機能させ続けながら、自衛隊は完全に独立した普通の軍隊で一切の国際的制約もない、とあえて声高に唱えようとするかのような行為は、本当に必要かつ、妥当で、機能しうるだろうか。2項を維持するのは、綺麗ではないかもしれない。しかし私は、現実的な措置であると思う。

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