「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

 日本国憲法と国連憲章は、「平和を愛する諸国民/平和愛好国家(peace-loving peoples [states])」、という共通の概念を用いている。実は、この概念は、1941年「大西洋憲章」でも、用いられていた。さらに「恐怖と欠乏からの自由(free from fear and want)」という憲法の文言も、大西洋憲章から引き継いでいる。言うまでもなく、これら二つの自由は、F・D・ローズベルトが唱えた「四つの自由」を構成した概念だ。国連憲章前文の「Larger Freedom」も、同じことを指していると、通常は理解されている。
 アメリカのF・D・ローズベルトと、イギリスのW・チャーチルが会談を行い、第二次世界大戦の目的を明らかにする宣言を行った。それが「大西洋憲章」であった。そのとき、「平和愛好国家」が戦争を通じて達成しようとする目的は「恐怖と欠乏からの自由」だ、という概念構成がとられたのであった。その論理構成は、そのまま国連憲章に引き継がれた。そして、日本の憲法学者はふれたくないのだろうが、実は、日本国憲法にも引き継がれたのである。
 「恐怖と欠乏からの自由」を目指して戦う「平和愛好国家」という概念構成は、起草者が戦争の勝者たるアメリカ人であったという端的な事実とあわせて、大西洋憲章、国連憲章、日本国憲法が、一続きの連続性を持っていることを証左する。
 その大西洋憲章の第8項において、米英両政府首脳は、次のように宣言していた。
 「陸、海又ハ空ノ軍備カ自国国境外ヘノ侵略ノ脅威ヲ与エ又ハ与ウルコトアルヘキ国ニ依リ引続キ使用セラルルトキハ将来ノ平和ハ維持セラルルコトヲ得サルカ故ニ、両国ハ一層広汎ニシテ永久的ナル一般的安全保障制度ノ確立ニ至ル迄ハ斯ル国ノ武装解除ハ不可欠ノモノナリト信ス。(Since no future peace can be maintained if land, sea or air armaments continue to be employed by nations which threaten, or may threaten, aggression outside of their frontiers, they believe, pending the establishment of a wider and permanent system of general security, that the disarmament of such nations is essential.)」
 つまり、すでにイギリスと交戦していたドイツや、その後すぐに開戦する日本などの枢軸国を、「一般的安全保障制度」が確立されるまで、「武装解除」することを、米英両国は、1941年の段階で、宣言していた。そしてその宣言どおり、1945年の終戦後、連合軍は日本を武装解除した。憲法9条2項の戦力不保持の規定は、その武装解除の状態を、法規範のレベルにまで高めて制度化した措置であった。
 ただしだからこそ、武装解除が永遠の措置であるとは想定されない、と言える。マッカーサーは、9条を起草しながら、警察予備隊の設立を促し、日本が自衛権を行使できることを明言した。日本の憲法学者は、それはマッカーサーが翻意したためであると断定する。憲法典を起草した際には、永遠に戦力を放棄させようとしていたと仮定する。自衛権を認めたマッカーサーは、冷戦開始後の政治的動機により、憲法典を起草した際のマッカーサー自身を裏切ったのだ、と仮定する。
 本当にそうだったのだろうか。
 大西洋憲章の趣旨や文言を見たうえで、憲法を読み直すならば、戦力不保持の規定が包括的かつ永遠の措置であったとは解釈できないと考えるのが、自然であるように思われる。日本国憲法起草時のGHQ草案は、実際に成立した日本国憲法の日本語正文の9条2項とは異なるニュアンスを持っていた。草案では、「No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized」とされていた。つまり戦力は「認められない」ものであった。「認めない」のは誰か。本来の憲法の論理構成では、日本国民が認めない、という説明になるはずだろう。しかし実際には、日本を占領しているアメリカを中心とする連合国が戦力を「認めない」のは、自明であった。
 確かに、「No…will ever be authorized」と書かれたGHQ草案でも、未来にわたって戦力が認めらない状態が続くことが、示されている。しかしその語感からは、一定の条件がそろったとき、「認められる」状態が訪れる可能性をくみとることはできる。どこかに「not authorized until…」というニュアンスを感じ取る余地がある。
 「大西洋憲章」では、枢軸国の武装解除が、「They will likewise aid and encourage all other practicable measures which will lighten for peace-loving peoples the crushing burden of armaments」を導くとされ、平和愛好国家の負担を減らすと説明されていた。平和愛好国家の負担が減るということがポイントであり、武装解除それ自体が永遠の絶対課題とされたわけではない。
 実際の憲法典で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とされた条項は、英文では次のようになる。「In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.」今度は、おそらく日本国民が、「maintain」しない、つまり戦力を維持しないことが、宣言されている。いずれにしても、1項では、「forever renounce war」と強く戦争放棄が宣言されたのに対して、2項は「not authorized」あるいは「not maintained」と、ややニュアンスのある表現になっていることは、目を引く。
 1項と2項の英文テキスト上の表現の違いは、「大西洋憲章」を参照すると、理解することができる。「大西洋憲章」において、「武装解除」されるのは、あくまでも侵略の脅威を与える国である。それはつまり枢軸国のことなのだが、論理構成上は、旧枢軸国が侵略の脅威を与えない国に生まれ変わった場合、おそらく一般的安全保障制度に組み込まれて生まれ変わった場合には、その旧枢軸国はもはや武装解除の対象ではなくなる。
 1項の戦争放棄は、1928年不戦条約以降の国際法の進展に歩調をあわせて、いわば永遠に戦争を放棄するものである(ちなみに自衛権にもとづく正当な武力行使は放棄される「戦争」には該当しない)。これに対して2項の戦力不保持は、もともと政策的な追加措置であり、いわば時限付きの措置である。日本は、一般的安全保障制度から外れて侵略の脅威を与える国である限り、武装解除され続ける。維持されず、認められない「戦力(war potential)」とは、もともと1項で放棄されている侵略「戦争」を行うための能力のことである。もし1項で禁止されていない合法的な武力行使を行うための組織が作られるならば、その組織は「維持され」たり、「認められ」たりするかもしれない。
 2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を入れた措置は、「芦田修正」と呼ばれる。憲法学者は、これを姑息な陰謀と呼び、その効果を認めない。しかし前文から続けて9条を読めば、芦田修正が前文で宣言されている理念を確認するためだけの措置であることがわかってくる。つまり芦田修正の効果は、9条を前文とのつながりに応じて解釈するだけで、発揮されてくる。放棄されているのは、国際法で違法とされる侵略戦争のことであり、侵略戦争を実施するための「戦力」である。
 日本は、過去70年の間に、「大西洋憲章」の論理にもとづいて、武装解除の終了を認められたことがあっただろうか。おそらく、あった。1951年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結され、米軍との協働を大きな柱とする仕組みの中で、自衛隊が設立されたとき、確かにアメリカを中心とする多くの旧連合諸国によって、もはや日本は侵略国ではないと、「認められた」。確かに、「認められた」方法は、完全なものではなかった。一般的安全保障制度は存在しているが、実効性は乏しいため、連合国の筆頭国であるアメリカとの二国間安全保障条約が、不足を補う仕組みがとられた。講和条約は「全面講和」ではなかった。しかし、それでも、国際的に、武装解除の停止が「認められた」ことは、確かだと思われる。もはや侵略国ではないと「認められ」、日本は主権国家としての地位を取り戻した。そしてもはや侵略国ではないという前提で、武装解除の停止も、「認められた(authorized)」のである。
 
 現在話題になっている改憲案に関して、自衛隊が2項で禁止されている「戦力」に該当しないことを明記する改憲だけでは足りず、そもそも2項それ自体を削除しなければならない、という議論がある。私は、必ずしも、それが必要な措置だとは思わない。現状でも自衛隊は合憲だという前提があるので、それを明確化する但し書きを作れば、十分である。
 むしろ、2項を削除してしまうと、日本が侵略国ではなくなったので武装解除の停止を「認められた」、つまり侵略戦争に用いるためではない実力組織を保持することが「認められた」という経緯が消し去られてしまい、自衛隊が持つ歴史的な性格を消し去られてしまう。それは憲法の国際協調主義の観点からは、必ずしも望ましい措置だとは思われない。
 自衛隊を普通の軍隊に作り替えるためには、9条2項削除をすべきだ、という意見は、わかる。しかし現実的だとは思えない。歴史的な経緯を消し去るというのは、どういうことか。現在まで続いている歴史の痕跡も否定するということである。5万人余にのぼる旧占領国アメリカの軍隊を受け入れ、有事の際にはアメリカ主導で共同行動をとるという仕組みを大前提として機能させ続けながら、自衛隊は完全に独立した普通の軍隊で一切の国際的制約もない、とあえて声高に唱えようとするかのような行為は、本当に必要かつ、妥当で、機能しうるだろうか。2項を維持するのは、綺麗ではないかもしれない。しかし私は、現実的な措置であると思う。

 1776年アメリカ13州の独立宣言には、次のような有名な文章がある。「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。」
 芦部信喜『憲法』は説明しないが、憲法13条はこのアメリカ独立宣言と酷似している。13条とは、次のようなものである。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」なお11条では、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」という表現もある。
 やはり芦部『憲法』は説明しないが、憲法前文とアメリカ独立宣言も酷似している。「自明の真理」を宣言した文章の後に、独立宣言では次のような文章が続く。「こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」。
 日本国憲法前文には、次のような文章がある。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
 これが「人類普遍の原理」とされているのは、当然、アメリカ独立宣言と酷似していることを意識したからだろう。ちなみに日本国憲法における「国民」は、英語版の「people」の意訳であり、もともとはアメリカ独立宣言の主体である「people」と同じだ。同じ「people」が18世紀北米13州でも、20世紀日本でも、同じ種類の「不可侵の」権利を持っているので、「人類普遍の原理」とされるわけである。
 実は、日本国憲法で「原理」と呼ばれているのは、この「厳粛な信託」だけである。憲法典の「一大原理」は、「国政は、国民の厳粛な信託による」「人民の人民による人民のための政治」、という原則である。
 ところが憲法典に書かれている「一大原理」は、憲法学者の教科書と憲法学者の指導による学校教科書類によって、消されてしまうのが常である。日本の憲法の基本書から学校教科書にいたるまで、憲法には「三大原理」がある、と書かれているからである。生徒はそれを丸暗記するように求められる。
 しかし私は、「三大原理」には根拠がない、と思っている。日本国憲法にあるのは、「一大原理」である。そもそも人民が、自分たちの権利をよりよく守るために政府を設立する契約を結ぶ「信託」行為=社会契約論を、立憲主義の礎の「原理(principle)」として掲げないで、いったい何を立憲主義の原理とするというのだろうか。
 しかし憲法学者は、憲法典では原理ではない三つのものが「三大原理」だと主張し、憲法典で明示されている一つの原理が「一大原理」であるとは認めない。「三大原理」があるとされる場合、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、である。「信託(trust)」は、消し去られる。
 なぜ消えてしまうのか。憲法学の基本書では、前文の「厳粛な信託」の「原理」を、「国民主権の規定である」、といった飛躍した表現でまとめてしまっている場合がほとんどだ。「信託」が消されてしまうのは、憲法学者が、それを「国民主権」の規定、などと安易に勝手に言い換えるからなのである。そしてこの主権者・国民は、絶対平和主義をどこまでも求め続けると決められている。
 平和は目的だ。原理ではない。憲法は「信託」という「原理」にもとづいて設定されている。その原理の上で、憲法は平和という目的を求めているはずだ。しかし日本の憲法学者によれば、この順番は逆である。何が何でも絶対平和主義が憲法解釈の一大原則で、あらゆる条項をなるべく絶対平和主義に近くなるように読み解かなければならない、とまず主張する。厄介な「信託」などは、消し去る。代わりに絶対平和主義を意思するとされる主権者・国民の至高性を強調する。そして、平和、平和、と連呼することになっている主権者・国民が、憲法学者の指導にしたがって、政府を制限するとき、立憲主義が生まれる、という想像力豊かなアイディアを振り回す。
 憲法9条解釈を例にとってみよう。木村草太・首都大学東京教授は、憲法13条が9条の例外としての自衛権を根拠づけるのだと主張する。13条を根拠とする自衛権は、個別的自衛権だけを認め、集団的自衛権は認めない、と主張する。ここで独特なのは、まず9条が13条に先立って自衛権を放棄し、その後、13条が個別的自衛権だけを例外化する、という論理展開である。(https://mainichi.jp/articles/20160503/ddm/004/070/010000c)
 しかし、憲法を前文からきちんと読めば、事情が逆であることがわかる。13条の権利を持つ人民が、原理としての「信託」行為で、政府を樹立する。そして、平和を達成してよりよく13条を実現するために、国権の発動としての戦争の禁止を宣言する。これが憲法の論理構造であり、「信託」によって成り立つ立憲主義の論理構成だ。
 9条で戦争放棄を宣言している時点ですでに、国民は13条の幸福追求権を持っているはずだ。13条は後付けで9条に例外を加えるための規定ではない。むしろ13条の権利をより一層強く守るために、平和を求める政策が求められ、その手段として9条の規定が定められている、と解釈すべきである。どんな犠牲を払ってでも絶対平和主義を貫こう、などという態度は、本来は、反立憲主義的であり、反9条的である。
 9条で戦争がない国際社会を目指すのは、国民の権利をよりよく守る原理にしたがってのことである。9条で国際法上の概念である自衛権が放棄されないのは、13条を危うくする形で独善的に平和が求められているはずはないからである。国際社会は平和であるほうが、13条の権利の保障に役立つので、9条で規定されたやり方が導入される。国際法における自衛権は認めるほうが、13条の権利の保障に役立つので、9条のやり方が導入される。そのように、9条を解釈すべきである。
 たとえ他国の防衛にあたる行為であっても、13条に役立つのであれば、合憲的である。たとえ国際社会全体の平和を守るための行為であっても、13条に役立つのであれば、合憲的である。13条は、日本国民への攻撃があった場合だけに適用される、といった解釈は、国民=国家の有機的存在を実体的に捉えすぎたドイツ国法学的な考え方であり、憲法典上の根拠がない。
 たとえば朝鮮半島有事の場合には、日本が攻撃される前の段階であっても、日本政府が憲法13条の観点から国民の安全に役立つと思われる措置をとることを、止めるべきではない。韓国や米国と協力して、日本国民の安全確保にも役立つ行動をとる日本政府に、「日本が攻撃されていないのに邦人保護するのはおかしい」とか、「米国や韓国と協力せず、どこまでも個別的に行動しなければならない」とか、「朝鮮半島の安全は日本人の安全と全く関係がない」、などと非難を浴びせるとしたら、それは全く独善的な態度であり、反13条の態度だ。
 木村教授は、本来は国際法の概念である自衛権を、13条で基礎づけようとする。この試み自体が、実はかなり異様である。たとえば、国際法上の民族「自決権」や海洋での「無害通航権」などの権利のいかなるものも、憲法典で根拠づけようなどとはしない。しかしただ自衛権だけは、憲法が根拠を示さなければならず、国際法はそれに従わなければならない、というのである。なぜ自衛権だけは根拠が憲法になければならないのか。実定法上の理由はない。憲法学者の思い込み以外には、全く何も他に理由がない。
 全ては、はじめの一歩で9条の絶対平和主義を措定し、あとは例外があるかどうかをチェックするのが、正しい憲法解釈の筋道だと思い込んでいることが原因である。
 繰り返そう。憲法の「一大原理」は、「信託」である。国民の権利を守る措置をとる社会契約上の権限を、政府に委託しているのが、立憲主義の原理である。政府は、国際平和を希求する際も、自衛権を行使する際も、この立憲主義の原理にそって、行動する。「信託」にそっているかどうかが、政府の行動の合憲性の審査基準である。
 これに対して憲法学者は、まず抽象的な絶対平和主義を包括的に設定し、それにしたがって政府の行動を制限したうえで、ただ政府に許可してもいい例外として自衛権を設定するかどうかを憲法学者に検討させるべきだ、と主張する。私は、そのような思考方法は、全く立憲主義的なものとは言えない、と考えている。

  前回のブログ記事で、「正義(justice)」を媒介にした「日米同盟の絆」について論じた。この点の理解は、さらに「交戦権」という9条に現れる概念解釈にも影響することについて、ふれておきたい。

 芦部信喜は、前文の規定を、あたかも「非武装中立」を求めるものであるかのように解釈した。私は、その解釈には、根拠がない、と考えている。芦部の姿勢は、「戦後民主主義者」の使い古された「中立」概念のロマン主義的使用である。つまり戦後日本のイデオロギー対立を持ち込んで憲法典解釈を行うものである。歴史的でも、実定法的でもない。単に国内政争的である。

 「中立」の概念は、国連憲章以降の現代国際法では、大きな変容を受けた。ほぼ全ての国家数である193の加盟国が、共通の集団安全保障体制に加入しているわけである。ひとたび国連安保理が決議を出せば、加盟国に「中立」の余地はない。憲章にてらして合法であるか違法であるかが問われる。

 冷戦時代、西側陣営にも東側陣営にも属さない諸国のグループを非同盟諸国と呼んだ。現在でも下位レベルでは、中立政策はありうる。しかしそれも安保理が行動するまでの暫定的な期間においてのみだ。

 日本人はよく、第二次世界大戦中の連合国=United Nationsが、そのまま国際連合=United Nationsになったことをスキャンダラスな発見であるかのように語るが、何も衝撃的なことはない。国連と、その他の同盟体制を、根本的に違うものとして峻別しようとするのは、一部の日本人の思い込みと誤解によるものでしかない。集団的自衛の同盟であった連合国と、集団安全保障の国連は、連続している。両者とも、その本質は制度的同盟である。

 国連の基本構想は、モンロー・ドクトリンを地理的に拡大させたアメリカ合衆国によって作られた。「中立」概念の歴史的変遷にも、アメリカ合衆国は、大きな役割を果たした。

 アメリカは、19世紀を通じて西半球世界で介入行動を繰り返す覇権国であった。他方、ヨーロッパの勢力均衡には関わらない「錯綜関係回避」原則も持っていた。つまり「新世界」の内と外で、全く正反対の政策をとっていた。

アメリカは、建国以来、戦時におけるイギリスの海洋における「交戦権(rights of belligerency)」の行使に反対し、中立国の権利擁護を主張していた。イギリスは、大陸諸国の戦争に介入する際には、圧倒的な海軍力を背景にして、大陸諸国への物資供与を、中立国との間の通商も含めて禁止し、海上封鎖を実施するのであった。イギリスは、交戦国の権利としての「交戦権」にもとづいて、たとえ中立国の船舶であっても、臨検等を行うことができる、と主張した。これに対してアメリカは海洋における自由な通商活動を維持するために、「中立国」の権利を主張し、「交戦権」否認の立場をとった。

周知のように、第一次世界大戦の際には、ドイツが中立国であるアメリカの船舶に対する攻撃を繰り返した。「交戦権」思想によるものであった。アメリカは、これに対抗して、参戦した。戦後、ウッドロー・ウィルソン大統領は、国際連盟の設立を通じて、モンロー・ドクトリンの適用範囲の地理的拡大を狙った。ただし議会の反対にあって、挫折した。

ヨーロッパでの戦争に巻き込まれることを恐れたアメリカ議会は、戦争の気運が高まってきた1935年、「中立法」を導入した。合衆国政府が、いかなる交戦国に対しても支援をすることを禁じるものであった。交戦国への支援が、アメリカがヨーロッパでの戦争に巻き込まれる要因になると考えたのであった。しかし、1939年以降、中立法は、大きく改変された。実際に戦争が始まった後では、ナチス・ドイツと戦うイギリスを支援することが必要だと感じられるようになったからである。引き続き戦争参加は見送りながらも、アメリカの安全保障のためには、むしろイギリスの防衛が必要だという認識が、FD・ローズベルト大統領をはじめとする多くのアメリカ人の胸中に生まれていた。

これによって「中立国」アメリカは、「非交戦(non-belligerency)」状態の国だということになった。「非交戦国」とは、依然として交戦国ではない国のことである。しかし、もし交戦国の一方に武器供与を行うのであれば、もはや伝統的国際法における「中立国」ではない。「中立国」から「非交戦国」へのアメリカの立場を位置づけし直すドクトリンの転換は、伝統的国際法から現代国際法へ、アメリカが大きく舵を切ったことを意味した。

この傾向を後押しする決定打となったのは、真珠湾攻撃であった。もともと満州国建設をめぐる日本の主張を、国際連盟は認めなかった。国際社会が侵略行為を認定した以上、不正を承認しない義務が諸国に発生し、中立は不可能となっていた。さらに真珠湾では、「非交戦国」アメリカが、日本からの一方的な先制攻撃を受けた。これによって、侵略国がアメリカを攻撃することを防ぐために、アメリカは中立国としての自己規制にとらわれるべきではない、という理解が、アメリカ人の心の中で固まった。

アメリカは、第二次世界大戦によって、侵略国に「交戦権」を認めるべきではない、そして、「非交戦国」も「中立国」としての法的規制に縛られるべきではない、と議論するようになった。かつてアメリカは、「中立国」として、交戦国の「交戦権」を否認した。「非交戦国」となったアメリカもまた、やはり交戦国の「交戦権」を否認する。ただし「中立」を原則化するドクトリンは、捨て去った。こうしてアメリカは、伝統的国際法から現代国際法への転換を完成させた。一貫して否認されたのは、交戦国の「交戦権」であった。

第二次世界大戦後、トルーマン大統領が行ったのは、国連およびNATOその他の同盟機構を通じて、モンロー・ドクトリンの適用範囲の地理的拡大を確定させたことである。

日本国憲法92項で否認されている「交戦権」とは、イギリスやドイツによる中立国・アメリカの船舶への攻撃の正当化などを想起させる概念である。古くから、アメリカ合衆国は、これを否認している。アメリカの観点からすれば、「交戦権」とは、「非交戦国」に対する先制攻撃も正当化する「古い国際法」の廃れた理論である。アメリカ合衆国は、一貫してこれを否認している。エリート軍人であったマッカーサー元帥は、こうした歴史に誰よりも精通していて、憲法9条2項を起草したはずだ。

 「平和を愛する諸国民の正義(justiceと信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という前文における決意を、さらには92項における「交戦権」の否認を、非武装中立論の表明だと勘違いすることが間違いなのは、そのような解釈が理想主義的すぎるからではない。文言上の根拠がなく、歴史的背景からしても根拠がないからである。

アメリカについて語ることを毛嫌いして、「押しつけ憲法論」批判を逆手にとり、アメリカの影を排する独善的な解釈を独善的であるがゆえに正当だと主張する風潮が、日本の憲法学を支配してきた。

しかし、憲法典解釈は、「芦部先生が言っていること」にしたがって行うことを目標にするのではなく、憲法典が表明している目的と、その目的を裏付ける歴史的経緯とをふまえて、行っていくべきだ。

 「護憲派」vs「改憲派」といった国内政争に勝ち抜く事を至高な目的として手段を正当化し、憲法典を解釈しようとする態度こそが、憲法9条の解釈を錯綜したものにし続けてきた大きな要因である。

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