「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

経歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/shinoda/   
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過去のブログ記事(『アゴラ』) http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda

 元徴用工問題で、関連企業の資産差し押さえ手続きが開始される期限である24日が近づいている。差し押さえ手続きが開始されれば、問題はさらに新しい段階に入る。日本も、準備が必要である。
 
対抗措置についての議論もなされている。http://agora-web.jp/archives/2036009.html 政策判断になるが、いかなる対抗措置も国際法上の妥当性を確保することが必須となる。日本は、国際法を味方について、対抗をしていかなければならない。
 
戦後の日本では、伝統的に、国際法の地位が軽んじられてきた。巨大メディアは、派手な憲法学者の政治的言動だけを、あたかも社会の良心であるかのように扱ってきた。その陰で、国際法学者の方々は、コツコツと地味で職人的な仕事を続けてきた。
 
今回の元徴用工判決問題は、そのような日本社会の現状に問題提起をする良い機会だろう。今こそ国際法研究を充実させ、政策的・理論的な準備を進めていかなければならない。
 
このブログで、今まで何度か日本の憲法学の「憲法優位説」の発想のガラパゴスな危険について指摘をしてきた。今回の韓国大法院の判決にも同じような自国「憲法優位説」が感じられる。うっかりすると国際法の論理が、韓国の「憲法優位説」的な発想によって飲み込まれてしまいかねない。危険である。
 
国際法の世界は、裁判所だけでなく、法的拘束力のない勧告をする条約委員会などが活発に動くなど、複雑な世界だ。たとえば、先月、「強制的失踪委員会」が、日本政府の慰安婦問題に対する対応を遺憾とする見解を表明した。他の人権条約委員会で慰安婦問題に関する勧告がなされていることに追随したものと思われるが、衝撃的な事実である。
 
多国間条約を基盤にして成立している条約委員会は、その活動を条約によって規定される。強制的失踪委員会については、2010年「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」35条で、「委員会は、この条約の効力発生後に開始された強制失踪についてのみ権限を有する」旨が規定されている。つまり、そもそも条約締結後の事件しか取り扱わないはずなのだ。それだけに慰安婦問題への言及は衝撃的であった。
 10名の強制的失踪委員会の委員のうちの1名が日本の国際法学者だが、アジアからの委員は日本の委員のみだ。ほとんどの委員が欧州か南米の国からの選出だ。https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CED/Pages/Membership.aspx 慰安婦問題について十分な情報を得て、機微にふれる審議をしたうえで、判断をしているとは思えない。法的拘束力がない見解だけに、条文解釈も緩やかになりがちかもしれない。
 
一部の報道には、日本の委員がいるのになぜ慰安婦が議題になることを防げなかったのか、といったことを匂わせる論調があった。https://www.sankei.com/world/news/181121/wor1811210003-n1.html しかし、日本の委員は、日本関連の議題には審議に加われないため、慰安婦問題には関与できないのが実情だ。
 日本の外務省は人出が足りないとされるが、対応が不十分になる体制のまま、条約に加入するくらいなら、入らない方がいいかもしれない。もちろん理想は、条約に加入したうえで、外交的なバックアップも提供する体制をとることだ。
 そのためには日本国内で国際法の重要性に対する理解を深めていくことが大切だろう。
 
日本人委員の数を確保することだけで満足するのではなく、外交的な努力を払って、条約委員会のお世話もしていくべきだ。
 
それは条約委員会の議論に政治的圧力を加える、ということではない。条約委員会が正しい知識を持ち、正しく運用されるように、バックアップする、ということだ。
 
しかしそうした労力を日本の外務省にとらせるためには、前提として、日本国内で国際法に関連する事項を常に議論していく土壌を育んでおくことが必要だろう。
 元徴用工問題を契機に、日本で国際法の重要性への理解が深まるのであれば、それは良いことだ。今こそ日本における国際法に関係した諸問題への対応の充実を図らなければならない。

 先日、ゴーン事件をめぐる東京地検の態度に、プレゼン力の欠如を感じるという内容のブログを書いた。http://agora-web.jp/archives/2035966.html
 
順天堂大学医学部が「コミュ力の高さ」を理由に女子受験生の一律減点をしていたという事件を見ても、日本社会が抱える問題の根の深さを感じる。
 
私自身は、家族や知人の入院・出産等をへた経験からは、欧米諸国の医者と日本の医者では、圧倒的に欧米諸国の医者のコミュニケ―ション能力が高いと感じている。そもそも根本的な態度のところで、決定的な差があると感じている。
 
医者のような人間を相手にした仕事で、人間とコミュニケーションをとる能力は、職業能力の中核を占めるはずだ。欧米社会では、そういう価値観が当然視されていると思う。日本では違うらしい。
 
日本の法律家の間でも、司法試験対策で憲法学の基本書を丸覚えしたペーパー答案を書く能力だけを競い合い、基本的なコミュニケーション能力、あるいはそもそも物事を丁寧に議論する態度を軽視したりする傾向が生まれていないか。
 
「篠田の言っていることは芦部信喜『憲法』と違っている、したがって篠田は間違っている」といった思考態度が蔓延していないか。
 
1210日発売の雑誌『VOICE』に元徴用工問題を論じた拙稿を掲載していただいた。編集側で、「教条的な国内法学者の異常さ」という題名をつけていただいた。
 
日本政府は韓国大法院判決を、「国際法違反だ」という立場をとっている。それはそれでいいと思うが、東大法学部の憲法学者の権威に訴えるペーパー答案作成技術のようなものだけで、この状況を乗り切れると思ったら、痛い目にあるだろう。国際社会に効果的に訴え、韓国とも上手に対峙していくコミュニケーション能力が必要だ。
 
受験で不利な立場に置かれた者たちにこそ、活躍の機会を与えなければ、今後ますます日本社会は立ち行かなくなっていく危機感を感じる。

 残念ながら、一般に、日本人はプレゼン力が弱い。小学校時代から詰め込み教育ばかりやっているからだとか、タコツボ社会だからだとか、権威主義的だからだ、とか、アティチュードの問題として、語られる。
 
カルロス・ゴーン氏逮捕は国際的な大事件になっている。日本は元徴用工事件で、司法と政治が絡む部分で隣国ともめている。だからこそ、国際的に通用するやり方でプレゼンをしていくことが求められる大事な時だ。
 
ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)など海外メディアが、ゴーン氏逮捕と長期勾留を「中国並み」と批判した。これについて、東京地検の久木元伸・次席検事が、「それぞれの国の歴史と文化があって制度がある。他国の制度が違うからといってすぐに批判するのはいかがなものか」、と「反論」したという。https://www.asahi.com/articles/ASLCY6G3XLCYUTIL049.html
 正直、最低の反応だと思う。
 
これは、ウイグルやチベットを弾圧している中国政府が、そっくりそのまま借用できる言葉ではないか。つまり海外メディアの正さを証明しているだけではないか。韓国政府が、元徴用工裁判を批判する日本人に対抗するために、引用したらどうするのか。
 
米国、英国、仏国・・・「欧米諸国」とくくられる諸国のそれぞれは、具体的な制度を見たら、すべて全然違っている。彼らが相互に信頼しあうときに参照するのは、「人権」とか「法の支配」とか「法の前の平等」とか「デュープロセス」とか「推定無罪」とか、普遍性を持つ原則だ。共通する価値観を確認して初めて、文化事情に応じた適用方法の違いを理解することができる。
 
だいたいこんな最低の対応を、「反論」と描写するメディアも、どうかしている。言葉の普通の意味で、この発言は、「反論」になっていない。これは単なる「開き直り」だ。
 
ゴーン事件の行方が混沌としてきている。時間がかかりそうだ。とりあえずは、日本人の評価を下げることを、国際的に目立つ形でやらないように、心がけてもらいたい。

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