「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

経歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/shinoda/   
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  『現代ビジネス』さんに、砂川判決に関する拙稿を掲載していただいた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56703 1959年砂川判決については、このブログでも何度か取り上げた。それにしても、60年近くたって、なお論争の対象になっているというのは、大変なことだ。日本人の多くが、いまだに砂川判決で何が語られたのかを、わかっていないということだ。
 憲法9条の問題を扱った比類なき判例である。その例外的な性格は、本質的な意味において、砂川判決が、憲法学だけの問題にとどまらない内容を持っていること示している。
 といっても、私は、判決内容が、法的問題だけでなく、政治的問題にかかわっている、といったことは強調したいとは思わない。確かに、日米安保条約の問題には高度な政治性がある。ただし、だからといって判決の内容が法的なものでなくなるとは思わない。それは、本質的な問題ではない。
 気づいておくべきなのは、本来、最高裁判所というのは、憲法学だけの審査を入れるものではない、ということだ。もちろん憲法の観点からの審査は、必須だ。だが、だからといって、唯我独尊で「憲法優越説」の学説だけを手掛かりにして判断をくだすことが、最高裁の仕事だということにはならない。むしろ、たとえば前文の国際協調主義の精神や、憲法98条2項の条約遵守義務をふまえるならば、国際法の体系をふまえて、憲法判断を下すべきであることは、当然だ。
 個別的自衛権と集団的自衛権は、国連憲章51条において結び付いている。それだけではない。国連憲章7章において、個別的・集団的自衛権は、集団安全保障と体系的な関係を持って、位置づけられている。
 「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ」、「集団安全保障を認めても集団的自衛権を認めたことにはならない」、という主張は、大変な主張なのだ。相当な論証義務が、主張する側にあるのだ。
 「日本では憲法学者の多くがそう考えているから・・・アンケート調査をすればわかります・・・」といった理由で、「集団的自衛権だけは異物です」といったエキセントリックな主張を、自明視することはできない。アンケート調査にしたがわなければ立憲主義の破壊だ、といったレトリックを使っても、それは本質的な議論ではない。  
 砂川判決は、そうした基本的なことを思い出すために、とてもよい題材だと思う。

 76日のオウム真理教死刑囚の執行後に死刑制度についてブログを書いた。日本は死刑制度を持たない国際刑事裁判所の最大資金拠出国である、という書き出しの拙稿も『フォーサイト』さんに掲載していただいた。www.fsight.jp/articles/-/44013 すると掲載の翌日に、さらに6人の元幹部の死刑が執行された。

 日本は死刑制度を終身刑で代える制度に反対しているわけではないので、国内で死刑制度を持つことと、欧州諸国が中心になって運営されているICCの最大資金拠出国であることとの間には、何も矛盾はない。
 むしろ自信をもってICCのために国際的に動いたらいいと思うのだが、お金を出しているわりには人も口も出せていないだけでなく、そもそも日本国内でICCの存在を知っている人はほとんどいないのではないかという惨状は、なんとかしたい。
 アジア諸国のICC加入率は、著しく低い。そこにフィリピンが脱退を宣言している現状である。ICCの「普遍性」は、相当程度に日本や韓国(現在ICCの締約国会議長を担っている)によっても支えられている。
 AU(アフリカ連合)がICCに加盟しているアフリカ諸国に脱退を促す決議を出したのは、2016年末だ。その後、ブルンジが脱退しただけにとどまっているが、スーダンなどの捜査対象国だけでなく、ICCの外から国力を強めるエチオピアが強くICCを攻撃する立場をとっており、締約国であるはずのケニアも批判的な声を隠そうとしない。東部アフリカは反ICCブロックである。南アフリカの態度に左右される南部アフリカのICCへの姿勢は、揺らいでいる、といったところか。
 私は今、このブログを、ナイジェリアで書いている。https://www.facebook.com/hideaki.shinoda.73 ナイジェリアは、西アフリカの覇権的な地位を持つ人口18千万の大国だ。現在ICCの裁判所長を出している。ナイジェリアが親ICCであることも手伝って、西アフリカは明白な親ICCブロックだ。西アフリカは欧州に近いことが、欧州的な価値観の共有につながっていると言える。もっともビアフラ戦争の記憶もあり、ナイジェリアに対して欧州人は一般に厳しい目を向けることが多いようにも思う。
 資源も豊富で、2015年からは原油価格下落で停滞したが、それまでは驚異的な経済成長を記録していた。すでに昨年から回復基調に入ったナイジェリアは、一人あたりGDPでは3,000ドル前後とはいえ、国単位では世界30位のGDPを誇る大国である。私が専門とする国際平和活動でも、際立った存在感を持つ。
 ナイジェリアは、華々しい経済投資攻勢をかける中国に対して、堅実な姿勢をとっている印象もある。2005年、日本が国連安保理常任理事国入りをかけて真剣な外交努力をしていたとき、中国の圧力で他のアフリカ諸国が次々と離れていく中、最後まで日本を支持し続けてくれたのが、ナイジェリアだ。
 ボコ・ハラムの問題を北部に抱え、ギニア湾に海賊問題を抱える。中国との適正な距離感を保つためにも、価値観を共有しているはずの日本への期待は小さくない。
 ・・・憲法9条があるから、日本人はアフリカ人よりも卓越している、アフリカ人は日本を模倣すべきだ・・・、などと大真面目に信じるような態度は、もはや時代遅れという言葉もあてはまらにくらいに昭和的だ。
 もはやアフリカが、日本や欧州の避暑地のように感じられる時代だ。
 
日本の戦略的なアフリカへの関与を話すことができる場所が、日本国内にももう少し欲しい。 

  私立大学の方には申し訳ないが、国立大学では春学期の授業期間が終った。私が代表を務める広島平和構築人材育成センター(HPC)が実施する「平和構築・開発のためのグローバル人材育成事業」の新しい事業期間の立ち上げも重なり、忙しくて、ブログの更新も途切れがちになってしまった。https://www.peacebuilderscenter.jp/news/2018-07-11.html 

大学での学生たちの交流は楽しい。しかし、国際政治学者などをやっているので、GW以降2カ月以上日本を離れていないことが、すっきりしない。とりあえず日本から出ないと息苦しい。
 
飛行機に長時間乗っているのは苦痛ではないですか?と聞かれることがよくある。そんなことはない。むしろ国際線は楽しい。このブログでも何回か、機内で観た映画について書いたことがある。私のような文化的野蛮人には、TVスクリーンの前で椅子に縛り付けられている時間が、時折は必要なのだろう。
 
小澤征爾氏の斎藤記念オーケストラのコンサートフィルムを観た。2016年のコンサートなので、小沢氏は81歳か。座りながら指揮をしている時間も長く、楽章と楽章の合間には、一休みして水を飲む。しかし、それにもかかわらず、ひとたび演奏が始まると、驚くべきエネルギッシュな姿で高次元の指揮をする。
 
私は高校時代までミュージシャンになりたかったのだが、小澤征爾の甥である小沢健二のおかげもあって、馬鹿な考えを引きずることなく、人生を変えることができた。その頃、小澤征爾氏にも興味を持ち、『ボクの音楽武者修行』を読んだ。まだ戦後の混乱も終息していないような日本に生まれながら、クラッシック音楽のような業界で、どのようにして小澤征爾氏は世界有数の指揮者となっていくことができたのか。パッと考えると、よくわからないところがある。小澤征爾氏が日本を飛び出していく物語の『音楽武者修行』を読んでよくわかった、ということはないのだが、一つ感じたことはあった。
 
人生には刺激が必要だ、ということだ。自分の知らない世界に行き、知らない人と接し、知らないことについて考えてみたりしないと、人間は衰える。
 
あるいは将来が見通せないような状況、あるいは世界が一夜で一変してしまったような状況に置かれると、人間は疲労困憊してしまうかもしれないが、逆に恐るべき底力を発揮することもある。戦後直後の日本も、そういう環境にあった。
 
広島出身のミュージシャンが多いと言われる。統計処理をした研究を見たことがないので、本当にそうなのかは知らない。しかし被爆二世で壮絶な幼少期を過ごした矢沢永吉氏の『成り上がり』を読んだことがある人であれば、それは不思議ではないのかな、という気がするのではないか。
 
現代日本でも才能ある若者がたくさんいる。彼らに十二分な刺激が注ぎ込まれれば、次々と天才が生まれ、たとえ人口が減っても、日本は衰退しないだろう。
 
だが、本当に大丈夫か?と考えてしまう実情がある。「内向き」日本に閉塞感が蔓延している。ムラ社会のいざこざのようなケンカが続いている。毎日毎日、別のムラの住人の悪口を言って罵りあうだけの生活を送っているような人もたくさんいる。
 
みな時折は、椅子に縛り付けてもらって、無理やりにでも「天才」のパフォーマンスを見て、新しい刺激を受けたほうがいいのではないか。

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