「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

 前回の私のブログ記事に対応して、池田信夫さんが「東大法学部と「武士道」の凋落」という記事を書かれた。http://agora-web.jp/archives/2027079.html 池田さんの『失敗の法則』の内容にもつながる議論だ。安定期(冷戦体制下の高度経済成長期)と、その後の時代では求められるリーダーシップの性格が違う、ということだ。
 「武士道」とは、学界で言えば、研究室の「家」の伝統のようなものだろう。日本でも、国際政治学会などであれば、数千人の会員を擁し、戦前から続く特定大学の特定講座の伝統のつながりといったものは、相対化されている。だがもっと閉鎖的な学会であれば、事情は異なる。いまだに「武士道」が気品とされる文化があることが、門外漢にもひしひしと伝わってくる。
 戦後の日本の憲法学の成立にあたって、決定的な役割を担ったのは、1945年の時点で東京大学法学部第一憲法学講座を担当していた、宮沢俊義である。宮沢は、師である美濃部達吉が死去した際、東大法学部同僚のの前で、派手な追悼を行った。美濃部を「日本の民主主義発達史上における殉教者」と呼んだ。そして同じ東大法学部に属していた「神権主義的専制主義者」上杉慎吉を、美濃部の「最大の敵」だった、と描写した。美濃部=善/戦後派、上杉=悪/戦前派、といった構図を作り出したうえで、美濃部が経験した天皇機関説事件を、「殉教者」の事件として神格化したのである。そして自分がその正当な継承者であることを強くアピールしたわけである。(拙著『ほんとうの憲法』119頁) 
 では宮沢は天皇機関説事件が起こった際に、どのようにして師を守ったか?特段、何もしていない。宮沢は軍部ににらまれることもない内容の講義を粛々と続けていた。真珠湾攻撃の際には、喜びに満ち溢れているというアピールをする文章を書き連ねたりしていた。(拙著『ほんとうの憲法』130頁)
 宮沢は、GHQ憲法案を目にするや否や、神秘的な「八月革命」説を唱え、主権を握った国民が憲法を制定するのだから正統だ、という立場で、新憲法を承認した。師である美濃部達吉は、手続的な不備を理由にして、枢密院でただ一人、新憲法に反対票を投じた。京都大学憲法学担当教授の佐々木惣一も、貴族院で、反対票を投じた。
 宮沢の派手な美濃部への追悼の言葉とは裏腹に、宮沢は新憲法への対応について、美濃部の後追いをしなかった。結果として、宮沢は、新憲法の守護神としての東大法学部憲法学講座の「お家」の地位を守った。美濃部と行動をともにして大日本帝国憲法の秩序に恋々としすぎることなく、宮沢は、新しい体制で生きていく道を選択した。「お家」を守るという選択も、戦乱の時代の「武士道」精神だったのかもしれない。
 霞が関でも、変わり身の早い省庁は生き残った。たとえば文部省である。戦前の日本で、文部省は「教育勅語」の普及を担当し、天皇神権の「国体」を国民に徹底する役割を担っていた。 戦後になり、新憲法が施行された1947年、いち早く文部省は『あたらしい憲法のはなし』を教科書として公刊した。この『あたらしい憲法のはなし』の挿絵は、現在の学校教科書でも広く採用されており、国民向けの憲法9条理解に決定的な役割を果たしている。『あたらしい憲法の話』こそが、まさに戦後日本の「教育勅語」である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97 「あたらしい憲法のはなし」に次のような記述があった。

「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。・・・日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」

 今日、われわれが「護憲派」として理解しているものは、1947年の文部省「あたらしい憲法のはなし」の憲法解釈を守りぬくという立場のことである。
 なお宮沢俊義は、同じ1947年、全く同じ題名である「あたらしい憲法のはなし」という小冊子を公刊し、文部省「あたらしい憲法のはなし」で採用される憲法前文の読み方、つまり「主権在民、民主主義、国際平和主義」が前文で書かれている、という読み方を、提示していた。
 宮沢俊義は、文科省「あたらしい憲法のはなし」執筆で中心的な役割を果たしたとされる浅井清とともに、文部省社会教育局が管轄する同省の外郭団体である「憲法普及会」の理事であった。憲法普及会が、やはり1947年に出した公刊物に「新しい憲法、明るい生活」というものがある。そこでは戦争放棄について、次のように説明がなされた。「私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束した」。
 結局、「戦後日本の国体」において「教育勅語」に相当するのは、憲法学者・宮沢俊義の協力も受けながら、文科省が作成公刊した、「あたらしい憲法のはなし」であろう。
 私などが、いくら学術的な議論をふっかけても駄目である。『ほんとうの憲法』などという題名の本を出しても無駄である。東大法学部系憲法学にぶちあたる前に、文部省「あたらしい憲法のはなし」の岩盤規制に阻まれる。

 拙著『ほんとうの憲法』が75日付で公刊された。https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%AE%E6%86%B2%E6%B3%95-%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E6%89%B9%E5%88%A4-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E8%8B%B1%E6%9C%97/dp/448006978X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1499359297&sr=1-1 前著『集団的自衛権の思想史』では、集団的自衛権という概念の歴史を辿ったが、そのためには戦後日本の憲法学のあり方を問い直さざるを得ないことがわかった。今回は、東大法学部系の憲法学で確立された読み方だけが日本国憲法の読み方ではないことを示しつつ、なぜ東大法学部系の憲法学が特異な伝統を築くに至ったかについて、考察をしてみた。

 池田信夫さんに見本として出版社から渡された拙著を謹呈したところ、あっという間に読んでいただき、書評まで書いていただいた。http://agora-web.jp/archives/2027030.html 池田さんには、「憲法学者の精神分析」という表現で、論じて頂いた。大変に鋭い表現で、ありがたく思う。また、池田さんには、私が論じたのが、あくまでも東大法学部憲法学講座の伝統であって、たとえば同じ東大でも、法学部憲法学以外は関係がないことを、明示してくださった。ありがたい。

 私は高校の教科書の執筆委員や一般職の公務員試験の試験委員などをやっている。そこで感じたのは、社会的権力というべきものの強さだった。私が「国際政治学界ではもう最近ではこうなっている」と言っても、教科書を作り変えることは難しい。高校の先生方にアピールして買ってもらわなければならないからだ。そして学校の先生方は、東大法学部系の憲法学の概念構成に飲み込まれている。公務員試験について言えば、もともと公務員志望者で「国際関係」を選択する者は少なく、「憲法」学の影響力の足元にも及ばない。「権力は腐敗する」、と総理大臣に叫ぶ者は数多くいても、一見したところ分かりにくい社会的権力の中枢を識別して、同じようにつぶやく人は、あまりいない。

 これは、旬な話題である。安倍晋三政権が、「東京の私立大学の出身者」が中心の内閣であることは、公然の秘密である。首相自身(成蹊大)から始まって、菅官房長官(法政大)、麻生財務相(学習院大)、岸田外相(早稲田大)はもちろん、石原特命担当大臣(慶応大)、世耕経産相(早稲田大)、稲田防衛相(早稲田大)、松野文科相(早稲田大)、山本農水相(早稲田大)、山本環境相(慶応大)、吉野復興相(早稲田大)など、大半の閣僚が「東京の私立大学の出身者」である。塩崎厚労相、石井国交相ら東大出身者もいるが、20人の大臣の中で東大法学部出身は、鶴保特命担当大臣だけである。なお自民党側でも、安保法制成立時に活躍した高村副総裁や二階幹事長が中央大卒といった様子になっている。

 本来、東大は学生数が圧倒的に多いわけではない大学なので、それを考えれば閣僚の4分の1程度を構成しているのは、まだ相当な数だと言えるかもしれない。しかしかつての自民党が、東大法学部/高級官僚出身の首相を輩出するのを常道としていたこと、中央官庁の高級官僚のほとんどが東大(法学部)出身者であることを考えると、閣僚と役人の出身大学の層がずれていることは、一つの大きな特徴である。

東大法学部・官僚出身の最後の首相は、宮沢喜一であった。私に言わせれば、1993年の宮沢内閣の終焉と自民党の下野が、冷戦型の政治スタイルが終焉した瞬間であった。政権を奪還した後の自民党は、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、安倍、と、「東京の私立大学の出身者」を連続して首相として送り出してきている。それだけではない。石破茂(慶応大)をはじめとして、自民党内の首相候補は「東京の私大出身者」で占められており、近い将来に東大法学部出身者が首相の座を得る見込みはない。特に小選挙区制が導入されてからは、「東京の私立大学」系のコミュニケーションのスタイルが、有利に働いているところもあるのではないか。

近頃、安倍首相に反旗を翻したとして有名になった前川喜平・元文科省事務次官は、東大法学部出身(麻布中・高出身)で、「東京の私立大学出身者」が中核を構成する内閣の方針にも「面従腹背」を座右の銘とする姿勢で臨み、天下りあっせんにも熱を入れていた。前川氏は、裕福な家系に生まれて、華々しい姻戚関係も持っている。よく知られているように、東大生の親の平均所得は非常に高く、東大は特定の一貫教育私立/国立大付属校や特定の予備校を通過する学生が非常に多い「寡占」状態に置かれていることが、時に問題視されている。前川氏は、その意味でも典型的な「霞が関エリート」だと言えるだろう。

前川氏のような方々こそが、東大法学部系憲法学のドクトリンを中心に据えて、長きにわたり、日本社会の運用管理を担ってきた「共同体」の方々だと言えるだろう。前川氏のような伝統的タイプのエリートからすれば、安倍首相などは、あらゆる意味において、「クーデター」派でしかないのだろう。

2015年安保法制をめぐる喧噪では、東大法学部系の憲法学者の方々が、内閣法制局見解を事実上の憲法解釈の最終審であるかのように語り、首相などが勝手に「クーデター」を起こすことは許さない、といった態度をとったことが、衝撃を持って受け止められた。だが、それは、素朴な心情に突き動かされた態度だったかもしれない。

問題は、冷戦終焉後の時代の日本において、伝統的エリートが、伝統的なやり方で権力を動かす時代は終わってしまっていることだ。そのことをタブーのように感じる向きもあるかもしれない。だが本当は皆が気づいている重大な事実である。

 稲田朋美防衛大臣の「自衛隊としてお願いします」発言を見て、私は、自分自身が6月20日に書いたブログ記事を思い出した。「自衛隊員の立場を勝手に代弁するのはルール違反ではないか」という題名を付した記事だ。http://agora-web.jp/archives/2026715.html
 朝日新聞の対談において長谷部恭男・早稲田大学教授(元東大法学部教授)が、安倍首相は「改憲の道具として自衛隊利用」をしているので「自衛官の尊厳がコケにされている」と発言しているのを見て、私は「気分が悪くなった」。
 私が「気分が悪くなった」理由は、見え見えの子供だましの話しぶりで、自分の政治的立場を正当化するために、勝手に「自衛官の尊厳」なるものを振りかざし、自分自身が自衛隊を政治利用していることに、全く良心の呵責を感じていない様子である言論人を見た気がしたからだ。他人=権力者は、自衛隊を政治利用してはいけない。しかし憲法学者なら、自衛隊を政治利用してもよい。といわんばかりの法技術論に、「気分が悪くなった」。
 素朴に見て、5月3日の安倍首相の発言のほうが、品が良いと思う。安倍首相は、次のように言っていた。

今日、災害救助を含め命懸けで、24時間365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が今なお存在しています。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。

 この発言の姿勢は、いわば自衛隊員に「なりすまし」て、勝手に自衛隊員を代弁しようとしたりする態度とは、違っていると思う。自衛隊員を統括する最高責任者として、部下である自衛隊員の憲法上の位置づけを明確化したいという思いを吐露した上で、その思いを共有してほしいと国民に求めるため、改憲案を政治的議題として世に問うことを表明した。政治家としてまっとうな姿勢ではないだろうか。
 イデオロギー的・政策的な評価は別にして、安倍首相が、少なくとも政治家として持つべき基本的な素養を持った人物であることは、稲田大臣の「失言」との比較では、明らかになったような気がする。
 稲田大臣の態度は、大臣としての地位を自民党のために「政治利用」して、自衛隊員に「なりすまし」、勝手に23万自衛隊員を特定政党への投票行動のレベルで独断的に代弁したものだ。権力を逆手にとった狡猾な「政治利用」以外の何ものでもない。憲法学の最高権威としての社会的権力を逆手にとった狡猾なやり方で自衛隊を「政治利用」しようする憲法学者と、大差ない。
 自衛隊に対する日本社会における評価は非常に高い。東日本大震災における献身的な姿勢などもあり、日本社会において圧倒的な尊厳を持つ組織体になっていると感じる。私自身も、平和構築関連の調査・会議・研修・講演等の様々な機会にお付き合いをさせていただいており、素朴な尊敬の念は持っている。彼らは、社会的尊重を受けるべき人々である。
 だが、だからこそ、自衛隊員の「政治利用」には、敏感になりたい。大臣なら「政治利用」していいというものではなく、憲法学者なら「政治利用」していいというものでもない。
 自衛隊員の「主たる任務」は、「 我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」(自衛隊法第三条)だ。自衛隊員を尊重するということは、彼らがこの「任務」が重要な任務であると信じ、危険を顧みず、その任務の遂行にあたる準備を日々整えている人々だ、という事実を尊重するということだ。
 自衛隊法は、その他、周辺地域における我が国の平和及び安全の確保に資する活動」や「国際社会の平和及び安全の維持に資する活動」を、「任務」として掲げている。要請にもとづく「災害派遣」も可能としている。私は、自衛隊員を尊重することとは、これらの任務を遂行する専門人として尊重することだ、と思っている。余計な修辞や浅薄な感情論は、一切いらない。任務を信じ、任務を的確に遂行する「プロ」として尊重することが、自衛隊員を尊重することだ、と思っている。
 自民党に票を入れるかどうか、憲法学者を支持するかどうか、そんな低次元なことは、どうでもいい。彼らが「任務」を遂行する「プロ」であるという事実の尊重が、彼らへの尊敬の根源であるべきだ。
 僭越ながら、私は、学者として、尊重されたい。プロの学者として、自分自身の社会的価値を認められたい。私が、どの政党に票を入れるか、護憲派であるかどうか、そんなことで評価されたくない。だから、自衛隊も、そのように尊重したい。
 南スーダンPKO派遣時には「自衛隊員が可哀そうだ」といった無数の勝手連自衛隊員代弁者が生まれた。「私は自衛隊員だ」のような悪質ななりすましとしか思えないような言説が、無数にとびかっていた。私の個人ブログですら、「(自称)自衛隊員」なる人物から、「私は自衛隊員です、あなたの言説を否定します」、のような匿名投稿コメントを受けたことがある。http://shinodahideaki.blog.jp/archives/14804753.html#comments
 改憲議論が沸騰するにつれて、さらにまた「私こそが自衛隊の気持ちを代弁している者だ」「何だと、俺こそが自衛隊の尊厳を守ろうとしている者だ」「私は自衛隊員(なりすまし)だ、お前は黙れ」、といった言説が、さらにいっそう数多く飛び交っていくことは、必至である。大臣も、憲法学者も、右翼も左翼も、入り乱れて、「我こそが真正な自衛隊員代弁者(なりすまし者)だ」、という言説が、あふれかえっていくのだ。
 私自身は、そのような事態を想像するだけで、気分が悪くなる。
 自衛隊を尊重する、とは、どういうことか。任務を遂行するプロとして尊重するということだ。勝手に自衛隊員を政治利用してはいけない、ということだ。改憲議論の行方がどのようなものであろうとも、発言者は、勝手に自衛隊を政治利用することなく、自分自身の言葉、思想、責任で、語っていくべきだ。
 今後も、自衛隊員「なりすまし」ご都合主義者の言説には、気を付けていきたい。

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