「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

  トランプ大統領による中東7カ国からの入国制限措置が、国内外で大きな波紋を広げている。トランプ大統領の偏狭さが批判の対象になっているわけだが、政権発足初期の混乱が垣間見られることは確かだろう。
 トランプ大統領は、オバマ政権との違いを鮮明にするためのパフォーマンスをとっているにもかかわらず、批判されると、「オバマ政権においても同じような措置がとられたことがある」といった奇妙な言い訳をしているのも、あまり見栄えの良いものではない。
  ただし今回の入国許可停止の対象となった七カ国が、すでにオバマ政権時代に入国制限対象になっていたのは事実である。私自身、昨年3月に、米国の学会に行こうとした際、スーダンやイランへの渡航歴が引っかかり、成田空港で搭乗拒否された。ESTA申請はこれまでほぼ自動的だったので、2月に議会が警戒対象地域をスーダンにまで広げていたことを過小評価して、油断していたのだった。その後、米国大使館で3時間並んでビザ申請をする羽目になった。
 ちなみに私には南スーダンなどの他の紛争関係諸国への渡航歴があるが、そちらのほうは引っかからない。当然だが、トランプの政策は、日本の外務省の渡航制限などを参考にしたものではない。七カ国の選定は、アメリカ人が「反アメリカ分子が多数存在する国家」という認定をした国々だということである。
 今回、トランプ政権は、入国禁止という思い切った政策をとったが、対象国の選定等の制限の方法を全く検討し直した様子がない。いきなり強権的な手法をとったということにすぎない。確かに、さらなる措置を取る前の暫定的措置だという説明もなされているが、拙速なパフォーマンスだという印象はぬぐえない。しかしいずれにせよ、この種の政策は続いていきそうだ。
 今回のトランプ政権の措置で、われわれは何を感じるべきだろうか? 
 アメリカは、長期にわたって「対テロ戦争」を継続している交戦国だ、ということだ。
 戦争をしているからとって、ほめたり、同情したりすべきだということではない。
 しかし、状況を見間違えて、トランプという特定の個人の狂気に全ての問題を還元させようとするのも、妥当な見方とは言えないだろう。
 いささかの誤解や幻想も持つべきではない。アメリカは、戦争中の国家なのである。

トランプ米国新大統領について、繰り返し「孤立主義」という概念で描写する試みがなされている。だが過激な発言で知られるトランプ大統領が「孤立主義」というのは、どういうことだろうか。

TTP(環太平洋戦略的経済連携協定)からの脱退の政策が、国際協調主義からの撤退を意味すると解釈され、「孤立主義」と描写されたりするようだ。だがトランプ大統領は、英国や日本との間に二国間貿易協定を結ぶことを目指しているようであり、単なる「孤立主義」者には見えない。安全保障の言葉を借用すれば、「ハブ・アンド・スポークス」(アジア・オセアニアのように米国を中心とする二国間安全保障条約によって自転車の車輪のような形で安全保障体制が作られている仕組みを指す)の形態がとられるかもしれないということだ。

TPPは、自由貿易を推進する仕組みではあったのだろうけれども、域外から見ればブロック経済のようなものであった。中国を包囲する諸国の関税同盟としての政治的性格を持っていたことは否めない。トランプは、実際の経済的利益を自由貿易体制から求めるという方針だ。

トランプ大統領の政策を歴史的観点から検証する際に、「内向き」な「孤立主義」としての「モンロー主義」が参照されることもある。だが19世紀「モンロー・ドクトリン」の時代とは、アメリカが北米大陸において拡張に次ぐ拡張を遂げていた時代だ。メキシコに戦争を仕掛けてテキサスなどを獲得し、ネイティブ・インデイアンを虐殺し、強制移住させ、19世紀半ばまでに太平洋岸まで支配地域を拡張させた。その後も、南北戦争後の南部諸州の軍事占領をへて、ハワイなどの太平洋諸島を占領・併合し、米西戦争をへてフィリピンも植民地化した。モンロー・ドクトリン時代のアメリカは、ヨーロッパ列強との「錯綜関係回避(non-entanglement)」の原則を採用しつつ、「新世界」における米国の覇権を自明視していた。

ウッドロー・ウィルソンにとって第一次世界大戦後の「国際連盟」は、モンロー・ドクトリンの地理的適用範囲をヨーロッパにまで広げようとする試みであった。冷戦構造下の「トルーマン・ドクトリン」も、地理的範囲が拡大させた「モンロー・ドクトリン」の応用であったと言ってよい。(篠田英朗「重層的な国際秩序観における法と力:『モンロー・ドクトリン』の思想的伝統の再検討」、大沼保昭(編)『国際社会における法と力』(日本評論社、2008年)、231274頁。)

トランプ政権は、単に内向きになって孤立しようとする政権であるようには見えない。「アメリカ・ファースト」のスローガンとは、アメリカ国民が利益を享受できるように自由貿易体制を運営していきたいという意思表明のことだ。そして安全保障面に着目すれば、トランプ政権は、「対テロ戦争」を断固として戦い抜き、勝ち抜こうとする立場だ。「内向き」「孤立主義」といったマスコミ用語に惑わされてはいけない。

自衛隊も派遣されている南スーダンですが、なかなか現地の実情は伝わってきません。Sudd Instituteという現地でも信頼されている南スーダンにおけるシンクタンクの南スーダン人所長、自衛隊も派遣されている国連PKOUNMISS幹部、そこに日本における南スーダン地域研究の第一人者である人類学者の栗本英世先生が加わった豪華シンポジウムを122日に開催します。是非お越しください。http://www.peacebuilders.jp/event170122.html

ところで南スーダンのシンクタンクというと想像がつかないかもしれませんが、アメリカで学位を取った南スーダン人たちが、USAID(米国援助庁)の資金も得ながら、多角的な活動をしています。え?アメリカ寄り?という印象を与えますが、基本的には「中立」で、立派にシンクタンクとして機能していて、現地でも信頼を得ています。「中立」シンクタンクに公的資金が入ること自体は、アメリカ本国でも、日本でも、どこの国でも同じです。

ちなみに国内最高のジュバ大学にも、アメリカの資金援助と、アメリカ国内のシンクタンク運営経験を持つ政府関係者らが、意思決定ランクで入っています。そういう状況は決して紛争後国などでは珍しくないので、それほど驚かれたりはしません。アメリカ以外の国でも、資金援助と人的援助は、知識層レベルで多角的に入れています。

それにしても日本では、南スーダンの話題が出るとしたら、自衛隊や憲法がらみの話ばかりですね。戦略的理解の以前の状態と言えるでしょう。戦争ばかりしている野蛮な国に、安倍首相のせいで、自衛隊が送り込まれてしまっている、早く撤退すべきだ、という文脈で扱われるばかりです。

しかし南スーダンという国ができたのは、アメリカ主導で調整がなされた「包括的和平合意」が成立した2005年からの経緯でした。国際社会の斡旋の結果、今の現状ができているわけです。国連も和平調整のときから深く関与しています。すべて南スーダン人が自分たちだけでやってきたことの結果、今の南スーダンがある、というのはあたりません。

それではなぜ、アメリカはなぜスーダンの紛争を調停したのでしょうか?当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、2000年の大統領選挙で辛勝した際、南部州のキリスト教右派を大きな支持基盤としていました。その米国南部州のキリスト教右派が、「スーダンでは北部のイスラム教徒に南部のキリスト教徒たちが迫害されている、アメリカは介入して何とかするべきだ」と主張していたのでした。もともとスーダンのバシル大統領の政権は、オサマ・ビン・ラディンをかくまっていたこともあるイスラム原理主義政権ですから、「対テロ戦争」の勃発とともに、スーダンが持つ意味があらためて見直されたのは当然でした。アフリカにおけるイスラム原理主義勢力の拡大の防衛線として戦略的意味も持たされたというわけです。

さらにもともとの話をすれば、「スーダン」なる国家の単位ができたのは、イギリスの植民地政策の結果だとも言えます。アフリカ大陸の南北に延びる植民地の大陸縦貫政策を進めていたイギリスと、東西に延び植民地の大陸横貫政策を進めていたフランスが文字通り遭遇して軍事衝突に至ったのが1898年「ファショダ事件」でした。準備不足であったフランス軍は撤退し、「スーダン」におけるイギリスの統治体制が完成しました。この世界史の教科書にも出てくる有名な事件の舞台となった「ファショダ村」は、今の南スーダンに位置しています。現在、最も戦闘が激しい地域の一つである上ナイル州に位置しています。

ちなみに植民地統治を確立したはずのイギリスは、今の南スーダン地域の部族の抗争および反乱に手を焼きます。その過程で部族社会の研究をする人類学者を国家政策で現地に派遣したりしました。それが文化人類学の古典として知られる大著「ヌアー族」を著したオックスフォード大学のエドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャードでした。「ヌアー」というのは、現在の南スーダンの反政府側勢力の元大統領マチャールの基盤として知られる「ヌエル」と同じです(Nuer)。文化人類学者の方々にとって、「ヌアー」は古典としての響きを持つ言葉です。https://ajsgssp.jimdo.com/app/download/12494794525/AJ%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A20150910%E7%AF%A0%E7%94%B0.pdf?t=1474324362

「ヌアー」または「ヌエル」の居住地帯であるナイル川上流の「白ナイル川」が流れる流域は、世界最大級の湿地が「The Sudd」が広がる地域です。この湿地の存在があるため、首都ジュバから上ナイル州に陸路はもちろん、水路でもアクセスするのは著しく困難で、特に雨季では基本的に不可能です。ヘリコプターが不足している国連PKOUNMISSが南スーダンの地方部に最低限の展開すらできないのは、全国的にインフラが整備されていないためでもありますが、「Sudd」の存在は決定的な自然障壁で、平凡な道路の建設のようなイメージで克服できるものではありません。「Sudd Institute」さんが名称に入れている「Sudd」とは、地理的に、歴史的に、政治的に、南スーダンを象徴する言葉になっているわけです。

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