「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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  日本が輸出管理の優遇対象国から韓国を外す決定を下した82日、文在寅大統領が「加害者である日本が居直って大口をたたく状況」を糾弾した内容の演説が、話題になっている。https://www.j-cast.com/2019/08/02364214.html?p=all 

多くの日本人が、「歴史認識」とそれ以外を分けると言っていたのは、文大統領自身ではないか、という気持ちになったのは無理もない。

ただし、日韓関係の緊張の高まりは、もともと元徴用工問題を、日本が国際法の問題、韓国が歴史認識の問題として、捉えるところから、生まれてきている。

文大統領は、「歴史認識の問題である元徴用工問題を、国際法の問題だなどと主張した日本が、貿易政策にまで影響を出してきた」、と糾弾しているのである。実際の大法院判決が、植民地被害の問題は、請求権協定で取り扱うことができない、という法解釈を下したのも、同じような考え方だ。韓国側では行政府も司法府も、「元徴用工問題は歴史認識の問題」という主張を一貫して続けているわけである。

もちろん「歴史認識」にも様々な形態があり、韓国政府の「歴史認識」が絶対ではない。しかし、いずれにせよ韓国は、問題を「歴史認識」に還元しようとしている。なぜなら韓国にとって「歴史認識」問題とは、「日本=加害者/韓国=被害者」という図式を当てはめる問題、という意味であり、その図式のあてはめこそが狙いだからである。

これに対して日本は、韓国大法院判決によって引き起こされた問題は、歴史問題というよりも、具体的な法律問題であるという認識なので、国際法の論理を忘れてはならない、と主張している。日本にとっては、問題を「歴史認識」と捉えてしまうことによって、「相手の土俵で相撲を取る」ことになるので、徹底してそれを警戒している。実際、法的問題の本質は法的問題であり、歴史認識で法的解釈が変わっていくという状況は防がなければならない。日本政府の姿勢は、長期的な国益を考えれば、やむをえないものだ。

今後も日本にとっては、元徴用工判決と輸出管理の問題の切り分けだけでなく、歴史認識と国際法の問題の切り分けが、鍵となる。国際世論に訴える場合にも、その点をふまえた対応がまずは重要だろう。

このブログでも繰り返し述べているが、この現在の日韓対立の構図にかかわらず、実は伝統的には、日本人の国際法の認識度合いは、悲惨である。特にひどいのが、国際法を全く勉強しないまま法律の専門家となった司法試験受験組の「法律家」たちである。

たとえば弁護士でもある立憲民主党の枝野幸男代表は言う。「国が自衛権を行使できる限界を曖昧にしたまま、憲法9条に自衛隊を明記すべきではありません」。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190803-00000003-jct-soci&p=2 

しかし自衛権は、国際法の概念である。日本国憲法に自衛権に関する規定は、もととも存在していない。「限界が曖昧だ」などと言っている暇があったら、国際法を勉強し、自衛権は国際法においてしっかりと制約されていることを、学び直すべきだ。

他国と同じように国際法の制約に服することこそが、自衛権を明確に運用していくための唯一の方法である。理由は単純だ。自衛権は国際法の概念であり、日本国憲法に自衛権を規定した条文はないからである。冷静になってほしい。「憲法学者の支配」を唱える姿勢こそが、憲法解釈を曖昧にしてしまう弊害の元凶である。

国際法の支配を拒絶し、「憲法学者による支配」を主張して憲法解釈を曖昧さの泥沼に陥らせながら、その一方では曖昧さを危険視するような発言をするのは、自家撞着の極みとしか言いようがない。

一方的に憲法学優位を唱えて国際法を拒絶する自作自演の演出の危険にこそ、今の日本は直面している。「いつか来た道」「戦前の復活」「軍国主義の再来」などの「歴史認識」問題に持ち込もうとする決まり文句を日本国内においてすら聞くときには、さらに気持ちは暗澹たるものになる。

「国際法は存在していないに等しい、憲法学の通説だけが頼りである」といったお話が、野党第一党の党首が公に堂々と主張しているという現状を何とかしないと、日本の未来はない。

野党の方々にも、国際法を尊重する気持ちを持ってほしい。「憲法学者の支配」ではなく、「国際法の支配」をこそ標榜してほしい。

 

https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=sr_1_1?qid=1564849131&s=books&sr=1-1

日本政府が日韓請求権協定時の議事録を公開して、請求権協定の範囲内に元徴用工問題があるという認識があったことを主張した。これに対して韓国政府は即座に反応し、大法院判決はそれを考慮した上で否定したのだ、とコメントした。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190730-00000091-jij-kr

水掛け論というやつである。

今回のように、政治的立場をかけて水掛け論が発生しているような場合には、水掛け論を非難しても、事態は改善しない。なぜなら立場の奥底にある「利益」があって、お互いに立場を譲り合わない水掛け論をしているからだ。

現在の日韓関係では、「共通の利益」の土台が不透明になっている。ただし存在していないわけではない。米国という共通の同盟国を持ち、一定の共通の安全保障政策を持っているため、この安全保障政策の枠組みの維持が「共通の利益」として働き、ぎりぎりのところでの両国関係の破綻を防いでいる。

換言すれば、安全保障政策の破綻が予測されない範囲内では、両国関係は悪化し続けていくだろう。また、万が一の暴発で、安全保障政策の枠組みが壊れていく事態が発生するならば、それは新次元の深刻な状態ということになり、新しい対応が必要だ。

現状で必要なのは、この「共通の利益」の土台を維持しながら、事態を改善していく道筋があるかどうか、だ。その道筋は、お互いが「何故お前は自分が間違っていることに気づかないのだ」という言葉を発することを封印しつつ、「私は間違っていました」という言葉も発しない地点でのみ、可能となる。

日本政府は、元徴用工問題を国際法の観点から理解する立場である。韓国政府(含む大法院判決)は、歴史問題の観点から理解する立場である。どこまで言っても両者が調和することはないのは、火を見るより明らかだ。

まずは自分の立場と、相手の立場を知り、よく分析していくことが必要だ。そのうえで対応策を考えるべきだ。

私は韓国大法院の判決は、国際法を無視しているという点で、問題をはらんでいると考えている。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58305 

ただしそれを是正する手段はない。したがって「共通の利益」を求めている姿勢をみせるためには、日本政府は、韓国国会を通じた法的措置を訴えるなどの具体的な改善案を率先して提示してもいいのではないかと示唆したこともある。ただしそれも、法的な論点を双方の当事者が共有してからの話にはなるだろうhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65462 

どちらかがより激しく相手を糾弾したり、どちらかがより深く自分を反省したりしても、事態は改善しない。

まして事態を改善できないのは、誰かが日本で韓国を「敵」扱いする「ネトウヨやヘイトスピーチ派」のせいなので、自分はネトウヨではないと思う人は冷静な知識人とともに「署名」をしてほしい、といった人気投票の運動で、何か事態が改善するようになるとは、思えない。問題が発生しているのは世の中にネトウヨがいるからだ、といった安易な診断に対する「署名」活動を呼びかけることが、大学教員に与えられている社会的使命なのだろうか。

至る所に同じような構図の問題があり、日本社会全体に閉塞感があふれている。憲法問題は代表例だ。憲法解釈の問題は、認識のレベルの問題だ。徹底的に議論しなければならない。ところが「多数派だ」「通説だ」「憲法学者以外の者が憲法を語るのはフェィクだ」、といった人気投票に持ち込むことを、大学教員が率先して呼びかけている。納得がいかない。http://agora-web.jp/archives/2040594.html 

私は、むしろ池袋老人暴走事件の遺族の方が訴えている「署名」に参加し、署名用紙を送付した。https://ameblo.jp/ma-nariko/entry-12499751619.html

暴走老人に対する歯止めを怠っているのは、政策論だ。高齢老人に対する適正な処罰の在り方を求めることも、暴走老人に対する抑止効果をどうやって維持するか、という深刻な社会問題に対応した政策論だ。世論の高まりが意味を持つ。「署名」をするなら、こういう問題だ。

社会意識が高まり、対策が講じられることで、他の人々にも恩恵がある。言い知れない苦しみを抱えながら、前を向いた活動を行っている遺族の方の勇気には、どれだけの敬意を払っても足りない。

遺族の方へのマスメディアの取材のあり方が問題になった。遺族の方が社会的意義あることを訴えているとき、今度はしっかりと伝えていくのが、マスメディアの社会的意義であり、存在価値だろう。責任をもって、社会的意義のあることを、しっかりと伝えていってほしい。

 参議院選挙が終わり、改憲論議の行方が話題になっている。多くの人々が、「改憲問題は国民の関心事項ではない」といった主張をしている。改憲論の進展への強い警戒心は、改憲問題への強い関心の表れのようにも思えるが、議論はしないのだという。

わかりにくい。

議論しないという立場の人々は、「自衛隊は広く国民に認められているのだから、改憲の必要性はない」と主張している。しかし自衛隊が広く認められていることを肯定しているのなら、改憲に賛成してもいいではないか。

非常にわかりにくい。

アンケート調査では、具体的な改憲案の是非についての質問ではなく、「安倍政権下での改憲に賛成ですか」とか「改憲問題の優先順位はどれくらいですか」といった、ひねった質問がなされる。

とてもわかりにくい。

わかりにくい原因は、冷戦時代を生きていた世代の人々が、すべてを左右のイデオロギー集団間の闘争の歴史の中で捉えていることなのではないか。論理的一貫性は度外視して、勝つか負けるか、といった図式で全てを捉えている。そのため人間関係に着目するとわかりやすいのだが、論理を見てみると、とてもわかりにくくなってしまうのではないか。

改憲の必要性のポイントは、解釈の確定である。

憲法9条の解釈が曖昧になっていることは疑いのない事実だ。解釈を確定させることに大きな利益がある。改憲が解釈確定に役立つなら有益だし、そうでないなら無益だ。

現在でも憲法学の基本書を見ると、自衛隊違憲説が学界「通説」として紹介されている。それなのに憲法学者たちが率先して「自衛隊は広く国民に認められている」と声高に主張しているのは、いったいどういうことなのか。

「自衛隊が違憲だと言う憲法学者ばかりではない」などとのんびりと語ってみせる憲法学者もいるが、それでは、結局、どちらなのか。学者の良心から、議論せずにはいられない、という衝動を、憲法学者の方々は感じたりしないのか。

学者同士の議論を避けて、「アベ政治を許さない」で大同団結することを優先していることの憲法学上の意味は何なのか。

まず自分の学界内部で、自衛隊が合憲なのか、違憲なのか、徹底的に議論するべきではないのか。その様子を公にすることこそが、学者が社会に対して持っている社会的使命を果たすことなのではないか。

伝統的な憲法学界「通説」は、次のようなものである。
 91項では自衛権が否定されていないように見えるが、2項が「戦力」と「交戦権」を否定しているため、1項で留保されている自衛権の行使もできなくなる。1項の意味を、2項を読んでから、修正するという奇妙な「ちゃぶ台返し」の解釈論である。http://agora-web.jp/archives/2040347.html

これに対して、1項にしたがって2項を解釈する立場は、伝統的に京都大学系の憲法学者や国際政治学者らによって採用されてきた。これは伝統的に「芦田修正説」と呼ばれてきた。「芦田修正」とは、2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という挿入句を入れた憲法改正特別委員会の措置のことを指すが、今日に至るまで主流派の憲法学者たちから蔑みの対象であり続けている。http://agora-web.jp/archives/1667846.html 

なぜ「芦田修正」が邪道なのかというと、2項の真ん中に「句点」があるからだという(!)。「前項の目的を達するため」は、2項の最初の一文である「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」にかかるが、句点「。」によって、「前項の目的を達する」の縛りは終了するという。そこで2項の2文目の「国の交戦権は、これを認めない。」には「前項の目的を達するため」はかからない。そのため「前項の目的を達するため」ではない「交戦権」の否認によって、1項の自衛権の留保も無効化される、というのである。
 たとえば 高橋和之・元東大教授によれば「不戦条約等の文言と関連づけて解釈することを否定し、日本国憲法独自の意味を探るという立場」が有力なのは、「こう解すれば2項の前段も後段も、何の技巧も施すことなく文言通りの意味に解することができる」からだと説明する。高橋教授によれば、92項が「前段と句点で区切られているため、『前項の目的を達するため』を後段にまで及ぼすことができず、自衛のための『交戦権』は否定されないと読むことが困難である」と主張する。高橋教授は、「交戦権の意味に技巧をこらし、国際法上交戦国に認められる(敵の船舶を拿捕したり、敵の領土を占領統治したりする)権利の意味であるとし、かかる意味での交戦権は否定されたが、戦う権利が否定されたわけではない」といった考え方を仮想敵としながら、「もし自衛のための戦争・戦力が認められるなら、なぜかかる意味での交戦権が否定されねばならないのか説明が困難であろう」と述べる。(高橋和之『立憲主義と日本国憲法』(第4版)(2017年、有斐閣)、53-54頁。

「句点」! 日本の憲法学通説の正しさを裏付ける根拠は、「句点」!

国家の安全保障政策を、70年以上にわたって「句点」を根拠にして、大きく制約し続けようとしてきたと言うのだから、冗談にもならない。しかし日本では、こんな憲法解釈がはびこる学界「通説」を学ぶことが、司法試験や公務員試験を通じて、法律家や官僚になるための必須要件とされている。よくぞ「句点が根拠」下で、国家を運営してこれたものである。驚くべき作業だと称賛してもいいが、そのために膨大な量の残業費の無駄遣いや政策の停滞が引き起こされてきた。憲法学界「通説」によってもたらされた壮大な無駄の規模は、計り知れないのである。

私は、繰り返し、以下の憲法解釈の妥当性を主張している。

憲法上の「戦力」概念は、感覚的に解釈されるべきものではない。たとえば、読売巨人「軍」の選手などもしばしば一般人によって「戦力」と表現されている。一般人の言語感覚にそって憲法解釈するならば、プロ野球選手も違憲の存在なのである。だがもちろんそのような感性的な解釈は、法律論ではない。一般人の言語感覚を、憲法学者の言語感覚、と置き換えてみても、事情は変わらない。感性論は、法律論ではない。重要なのは、明確な基準があるかないか、である。

「戦力」の憲法上の意味は、「戦争潜在力(war potential)」であり、この「戦争」概念は、1項で放棄された「国権の発動としての戦争(war as a sovereign right of the nation)」であることは、自明である。「芦田修正」の挿入句なども気にすることなく、ただ素直に1項から自然に2項を読み進めていけばいいのである。1項で否定されたのは、国際法で違法の「戦争(war)」のことである。そこには自衛権は含まれていない。2項で不保持が宣言されている「戦争潜在力(war potential)」も、1項と綺麗につながっているために、自衛権行使の手段は含まれていない。

憲法学者は「自衛戦争」なる国際法では使われていない造語などを乱発し、「自衛戦争」も戦争だから放棄される、といったお話を広めようとする。しかし「自衛戦争」は日本のガラパゴス憲法学にのみ存在している概念である。そんなものを理由にして国際法上の自衛権を否定するというのは、完全に破綻した議論である。

また句点の後で否認されている「交戦権」は、国際法では存在していない概念である。存在しないものを「認めない」と宣言しても、国際法上の権利で失うものは何もない。「交戦権」否認は、不戦条約体制から逸脱した太平洋戦争中の大日本帝国憲法の「統帥権」概念などを根拠にした大日本帝国特有のイデオロギーの否定である。自衛権の放棄とは何も関係がない。

なぜ1項と2項を論理的に結びつける解釈が、「句点が根拠」論よりも、劣っているとみなされるのか?納得がいかない。

議論が必要ではないだろうか? 国会議員も議論すべきだが、まずは学者が議論すべきなのではないか?

私は各方面で、主流派の憲法学者との議論の場を設定してくれないか、と頼んでいる。ここ数年頼み続けている。理解ある憲法学者の方だけでなく、マスコミ関係者や政治家の方にも頼んでいる。しかし実現していない。主流派の憲法学者を、私との議論の場に連れて来れる腕力のある方が、今の日本にはいないのだ。

それどころか憲法学者は、憲法学者ではない者は憲法を語ってはならない、と主張し続けている。http://agora-web.jp/archives/2032313.html 

一部の良心的な憲法学者の方々の中には、次のように私に助言してくれる方もいる。「主流派の憲法学者を批判しても勝ち目がないですよ、彼らはマスコミに重宝されていますから」。

しかし、このまま憲法学「通説」の「句点が根拠」を許し続けていて、日本はやっていけるのか。時代遅れのイデオロギー闘争をやっている場合ではない。

 

https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=as_li_ss_tl?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%97%85+&fbclid=IwAR0gWB5OBKS6ZzZKENPGr26ETyoFLoTPfDql4y_-kAJCvVQFDnl-78y4xWw

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