「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 今日628日から大阪でG20が開催される。日本にとっても貴重な国際会議のホスト役の経験になる。成功を期待する。

ところで628日が何の日か熟知したうえで、この日程が組まれたのだろうか。今日は1919628日、第1次世界大戦の終結を記したベルサイユ条約が調印されてから、ちょうど100年の日だ。ちなみに第一次世界大戦の端緒となったサラエボ事件が起こったのも、1914年の628日だった。

2014628日には、サラエボ事件100周年を記録する式典がヨーロッパでは行われていたように思うが、今回は主要国の指導者がそろって大阪に集結してしまっているので、何もヨーロッパでは開催されないのだろうか。それとも大阪でベルサイユ条約100周年を記念する瞬間が計画されているのだろうか? 今のところそのような話をメディア報道で見ることはない。誰かのスピーチで触れられるくらいのことは考えられているのだろうか?

ベルサイユ条約の重要性については、日本では過小評価されている印象があるだけに、大阪が理由で100周年に誰も触れなくなるのだとしたら、残念だ。

ベルサイユ条約の一部として国際連盟規約が締結された。実質的に国際連盟の活動が始まったのは翌年の1920年だとしても、国際連盟規約の枠組みが成立したのは、今日からちょうど100年前の1919628日だ。日本で開催されるG20が理由で、人々がそのことを思い出さなくなるのだとしたら、いささか残念である。

日本は戦前に「ベルサイユ体制の打破」を唱えるドイツのヒトラーと共鳴して、第二次世界大戦の過ちを引き起こした。そもそも国際社会の強い期待を集めて設立され、1920年代にはそれなりの成果を出しているとみなされていた国際連盟が、崩壊に向けて進み始めるようになったのは、日本が引き起こした満州事変によってだ。日本人が意識している以上に、ベルサイユ体制/国際連盟がたどった運命と、日本の歴史は、密接に連動している。

ベルサイユ条約は、特に国際連盟は、1918年に「14か条の平和原則」を打ち出していたアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンのリーダーシップによって、生み出された。1919年の韓国の31独立運動も、中国の54運動も、ウィルソンが表明した民族自決の思想への期待から生まれてきたものだ。ウィルソンは「Constitution(通常は「憲法」と訳すが原義としては「政治共同体の根本原理」)of the League of Nations(国際連盟)」の草案を携えてパリに乗り込んだが、最終的な文言は、ヨーロッパ人たちの意見をだいぶ取り入れたものになった。しかしそれでもアメリカの覇権的な力を背景にした国際社会の構造転換は、やはり1919年から始まったと考えるのが、正しい。

国際連盟規約は、次のような文言から始まる。

「締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾し、各国間における公明正大なる関係を規律し、各国政府間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、組織ある人民の相互の交渉において正義を保持し且つ厳に一切の条約上の義務を尊重し、以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せむがため、ここに国際聯盟規約を協定す。」

1928年不戦条約及び1945年国連憲章で発展していく戦争違法化の思想は、前文における宣言という形ではあったが、すでに国際連盟規約において高らかに謳われていた。

日本の1945年日本国憲法は、1919年国際連盟規約や1928年不戦条約、及びそれらの継承発展条約である1945年国際連合憲章の影響下で作られたものだ。

日本の憲法学者たちは70年余にわたって、その事実を隠蔽するか、最大限に過小評価するための社会運動を組織し続けてきた。戦争を否定しているのは、ただ日本国憲法だけであり、世界の諸国は戦争を肯定し、交戦権を行使している、といった乱暴なプロパガンダ運動を行い続けてきた。しかも公務員試験や司法試験や国立大学教員人事などの権威的なチャンネルを通じて、せっせと日本社会にプロパガンダを広げる努力を続けてきた。

しかし、憲法学者に盲目的に付き従う気持ちを整理して、客観的かつ素直に歴史を見てみれば、1919年国際連盟規約、1928年不戦条約、1945年国連憲章と連なる国際法の系譜の延長線上で、1946年日本国憲法が起草されたことは、否定しえない事実なのである。疑いの余地はない。

日本の国家体制も、実は1919628日に規定されている。憲法学者になろうとしたり、司法試験や公務員試験を受験しようとしたりするのでなければ、そのことに気づくのに、特段の努力は不要である。

日本国憲法によって国際法を否定するというガラパゴスな社会運動のために、日本は、戦後の長きにわたって、ベルサイユ条約を誤解し、国際連盟規約を誤解し、そして日本国憲法を誤解する国になってしまった。

ベルサイユ条約/国際連盟規約から100周年の今日は、「ベルサイユ体制の打破」を唱えた戦前の日本のイデオロギーだけでなく、国際法を愚弄し続けてきた戦後の日本の憲法学のイデオロギーを、客観的に反省し直すために、最も適した日であるかもしれない。

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 立憲民主党が「立憲ビジョン2019」という形で発表した参議院選挙の公約を見た。

大変に失望した。

私は以前、「立憲民主党の高齢者運転対策の動きを応援する」という題名の文章を書いてしまった。http://agora-web.jp/archives/2038648.html 立憲民主党が、「高齢者運転対策について議論するワーキングチームを設置した。近く提言をまとめ、必要に応じて法的措置も検討する。」というニュースを見て、書いた文章だ。

 立憲民主党としては、高齢者運転対策は、二カ月程度の議論では、やるかやらないか決められる問題ではない、ということか。残念だ。

 政党のほうにやる気がなかったのだから、私としては、以前に書いた「応援したい」という文章を撤回しなければならないようだ。

 立憲民主党を応援したかったのは、立憲民主党の支持者層が著しく高齢者に偏っているためでもある。https://blogos.com/article/328852/ 野党第一党が高齢者党では、日本の政党政治の健全な発達はあり得ない。高齢者運転対策は、新しい立憲民主党への象徴的な第一歩にもなったはずだ。

しかし、高齢者運転対策は、20年くらいは時間をかけてじっくり議論したい、せめて立憲民主党の支持者層の年齢が平均寿命の年齢を超えるまで待ってほしい、といった話だったら、日本の政治の停滞は決定的だ。

「立憲ビジョン2019」は、「現在の日本は、人口減少と高齢化・・・などの大きな変化にさらされています」という文章から始まる。そこで立憲民主党が追求する政策の一番目「ボトムアップ経済ビジョン」では、「家計所得を引き上げる」ということに続けて、「老後の安心を高める」という目標が掲げられる。

結構な話だ。高齢者運転対策など、とんでもないことだろう。

「老後の安心を高める」ために、先日の党首討論でも、枝野代表は持ち時間のほとんどを年金問題に使った。

だがどうやってよりよい年金の運営を図るのか。記者会見では累進課税の強化について発言があったようだが、なんとなく曖昧に済まされている。

日本の年金制度では、「マクロ経済スライド」という仕組みがとられている。https://www.mhlw.go.jp/nenkinkenshou/finance/popup1.html したがって現行制度で年金を充実させるための最適解は、実は、マクロ経済の改善である。最低賃金の改善は良い。だが果たして「中小零細企業への支援を拡充」させて、マクロ経済の改善は図れるのか。むしろ厚生年金強制加入の対象を、中小企業にまで広げていく必要があるのではないか。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/2810tekiyoukakudai.html そのあたりを説明することこそが、政策ビジョンの提示、というものなのではないか。

だが、あるいはそれもじっくり時間をかけて議論をしていく問題、ということなのだろうか。残念だ。

 広島には仕事で頻繁に来る。ただ、今回は4月の広島平和記念資料館の本格的リニューアルオープン後に初めての訪問となったので、相手をしたカメルーン人の訪問団一行とともに資料館に時間を使うことができた。

 検討と工事の時間をすべて含めると、10年くらいはかけているのではないかというリニューアルである。ただし長い歴史を持つ資料館なので、リニューアル自体は、過去に何度か行われてきた。たとえば戦争責任が見直された1990年代には、入り口のまず冒頭部分に戦前の軍都・広島の歴史が展示された、などの世相を反映した変更がなされてきた。

今回のリニューアルの方針は、被爆者の方々一人一人の被害と生活の実相に迫っていくことだったようだ。成功していると思われる。

今回のリニューアルの内容決定時は、子どもたちに強い印象を与えていた、原爆投下直後の様子を形作っていた人形が撤去されることが、話題になった。訪問してわかったが、代わりに被爆者の方々が書いた絵などが、ふんだんに掲示されている。人形撤去の方針の代替措置と言えると思うが、より効果が高まった、と評価できると思う。

被爆の後遺症で小学校に通い始めながら1955年に白血病に亡くなった佐々木禎子さんの例は有名だ。平和記念公園に設置されて、多数の折り鶴を受け止めて続けている、「原爆の子の像」は、佐々木禎子さんがモデルだ。リニューアル後の資料館でも、しっかりと紹介されている。しかし今回のリニューアルでは、さらに多数の犠牲者の遺品や遺した言葉、さらには被爆者の戦後の生活の苦難などが紹介されている。被爆して仕事もできず苦しみ続けている方を抱え込んだ家族が負わなければならなかった大きな苦難なども、赤裸々に画像とともに紹介されている。

膨大な数の被爆者証言が、被爆時の記録だけでなく、戦後の生活の苦難も含めて集められている広島の事例は、大きな意味を持っている。私自身、駐日ルワンダ大使に広島を案内したことがあるが、ルワンダのキガリにある「ジェノサイド博物館」などでも、生存者の証言が極めて効果的に用いられており、広島の影響も感じさせる内容になっている。

私が持っている2017年までの資料では、広島が7年連続で訪問観光客数の最高値を更新し続けていることが示されている。2017年の訪問観光客数は、1,341万人である。この中で、修学旅行生の数は、毎年減り続けており、その総数はわずか319千人にすぎない。その約5倍の151万人の外国人観光客が広島を訪れており、外国人観光客数も史上最高値を6年連続で更新しており、全体の総数を底上げしている。

実は「トリップアドバイザー」などの外国人の旅行口コミサイトにおいて、広島の平和記念資料館は、宮島の厳島神社とともに、京都の施設と、「満足度が高い日本の観光地」のトップ争いを常に続けている。広島のポテンシャルはもっと高いと考えていいだろう。

悲惨な経験の記録が、人を引き寄せるのは、平和への願い、という未来に向けたメッセージがそこに明確に存在しているからだ。広島という街の存在が、極限状態からも立ち上がる人間の可能性を実証しているからだ。広島は、被爆者の証言、という特殊な平和運動の文化が、大々的に開花した特別な場所なのである。平和国家の日本の象徴として国際的にアピールする意味も大きい。

ところが、日本人の中には、修学旅行で行くところ、左翼が運動するところ、といった印象を持っている人が多い。残念である。

凄惨な殺人事件、悲惨な交通事故、などが起こるたびに、被害者や遺族の尊厳をどう保っていくか、が問題になる。マスコミが配慮を欠いた取材をしないことは、もちろん絶対要件だ。だが報道しなければいいだけなら、時間がたてば、やがてそうなっていくだろう。

マスコミが無責任な行動をとる、皆がテレビを観ながらそれを非難する、やがて事件は忘れられていく、その繰り返しだ。

それでいいのか。

被害者や遺族の尊厳を尊重しつつ、なお社会を前に進めていくために、われわれに何ができるか。

そういったことを考えるために、広島を訪れる。そのような広島の意味が、世界中にもっと広がっていくことを期待する。

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