「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

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 9条改憲の行方は、どうなるかわからない。自民党は、3項で「自衛隊」を明記する案と、2項を削除する案の二つを軸に議論しているようだが、世論調査結果も曖昧なようだ。気になるのは、2項削除案が「自衛隊の軍隊化」で、3項加憲案がそれではないもの、と報道されていることだ。https://mainichi.jp/articles/20180124/ddm/005/010/034000c
 もしそうだとしたら、3項加憲は、いったい何なのか。そのあたりの煮え切らなさが、3項案に支持が集約されない大きな原因ではないのか。
 以前のブログで、政府見解を参照した。http://agora-web.jp/archives/2028889.html あらためて引用したい。
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国際法上、軍隊とは、一般的に、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられている。自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであると考えているが、我が国を防衛することを主たる任務とし憲法第九条の下で許容される「武力の行使」の要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」を行う組織であることから、国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる。」(平成二十七年四月三日答弁書)www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b189168.htm
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 憲法学者が「フルスペックの軍隊」ではないとか何とか、なぞなぞのようなことを大量印刷して、司法試験と公務員試験と大学定期試験を通じて宣伝しているので、話がややこしくなっている。仮に軍法を持っていないと「フルスペックの軍隊」(ガラパゴス概念の典型例)ではないとしたら、それは単に国際法に対応した国内法措置を、憲法学者らが妨害しているという政治運動の行方の問題でしかない。しかしそんなことは何ら本質的な問題ではない。
 自衛権は国際法上の概念であり、日本国憲法上の概念ではない。国際人道法(武力紛争法)は国際法の一部であり、日本国憲法の一部ではない。武力行使を規制しているのは国際法であり、日本国憲法は後付けでそれを追認したにすぎない。憲法学者が「すべて憲法学者に仕切らせろ」といった類のことを主張している日本の現状が、異常である。
 自衛隊はどこからどう見ても軍隊である。イデオロギー的なロマン主義を介在させなければ、極めて自然にそう言えるはずだ。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/05/post-7584.php
 自衛隊は軍隊である。そのことを、「自衛隊は国際法上の軍隊だが、憲法でいう戦力ではない」、と言い換えて表現しても、全く問題ない。(ちなみに拙著『ほんとうの憲法』では、「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。」という3項案を提示した。)
 そこで憲法学者にならって憲法優位説だかを唱えたとしても、「自衛隊は国際法上の軍隊だが、憲法でいう戦力ではない」、ということを否定することはできないはずだ。
 国際法上の「軍隊」と憲法上の「戦力」がずれているというのは、小学生でもわかる議論とは言えないので、9条2項を削除したほうがいい、という考え方は、わかる。
 また、9条2項とともに「国際法上の軍隊」である自衛隊は半世紀以上にわたって生き続けてきたのだから、解釈を確定させる際にも、2項を維持したままでいいではないか、という議論があってもいいだろう。
 だがもし、戦力でも軍隊でもない謎の曖昧な存在を憲法で位置づけのが3項加憲案だとしたら、議論として弱いのは否めない。3項加憲案は、その点をはっきりさせるべきだろう。

民進党と希望の党の統一会派が破談になった。今後も、野党の間での比較一位を争いながら、結果としてさらなる細分化も発生していくのだろうか。
 
衆議院選挙前、小池百合子東京都都知事(当時希望の党代表)は、「安全保障、憲法観といった根幹部分の政策で一致している」ことが大事だ、と言った。そういう「根幹部分」の「一致」がないと、政党が、政党としてやっていけないのは、当然だろう。小池知事は正しかった。ただ、自分自身では、結果を出せなかった。
 
小池知事の言葉を真剣にとらえたのが、枝野幸男氏だった。小池知事の言葉にしたがって、枝野代表は、希望の党に参加せず、新しい党を作った。
 
それでは、立憲民主党は、どのような外交安全保障政策をとっているのか。小池知事とは一致しない考え方を持っているとして、それは何なのか。
 
枝野代表は、自民党が作った安保法制は立憲主義違反なので認められない、と主張する。他方で、「万が一の場合に備えて、自衛力は強化すべきであると考えています。米軍との関係も強化すべきであると。これも自民党と変わりはなく、大きな方向性としては共通です」と述べる。news.livedoor.com/article/detail/14085119/ 控えめに言って、わかりにくい。
 
枝野代表は、自分は自民党の宏池会か石橋湛山の流れだ、などと言うが、もう少し具体的な説明はないのだろうか。もう冷戦時代は終わっている、という認識はないのだろうか。
 
111日付の『読売新聞』で私のインタビュー記事を掲載していただいたが、https://www.facebook.com/hideaki.shinoda.73 そのときに取材していただいた記者の方に細かく説明したのは、次の点だった。私が以前から「立憲民主党が改憲のカギを握っている」と言っているのは、立民党を入れたコンセンサスを作るべきだ、と考えているからではない。野党第一党が、審議を拒否して運動に走ったり、国民投票の結果を否定したりしたら、まさに立憲主義の危機が起こる、と危惧しているからである。
 
・・・自分は〇〇と同じだ、自分は(自分が理解する)立憲主義を守る、自分は日米同盟を壊すとは言っていない・・・、そういった「立場」の説明は多々あるのだが、それは結局「ポジション・トーク」で、政策論にまでなっていないように思える。
 
前回の私のブログ記事に対して、民進党の小西ひろゆき参院議員がツィートし、私に対して「名誉棄損で法的措置をとることを検討する」と述べた。私の文章が大変に失礼なものであり、お気に召さなかったようである。小西議員は、私が参照した『BN政治』サイトは虚偽内容を載せているものだと述べてしまったため、『BN政治』に対して、謝罪することにまでなってしまった。www.buzznews.jp/?p=2114217 私のブログに反応していただいたがゆえに、ややこしいことになり、誠に恐縮である。
 
ただ、もともとは、私が、集団的自衛権が違憲だとは言えない、と述べたことについて、小西議員が、篠田は「ホロコースト否定論者と同じ」などと描写したことが発端だった。この国では、少しでも憲法に関係したことを言うと、「ポジション・トーク」になり、ややこしいことになる。
 
まあとにかく、お前は黙っていろ、ということのようだ。非常に重苦しい閉塞感がある。

 前回の私のブログ記事についてhttp://agora-web.jp/archives/2030362.html 、小西ひろゆき参議院議員が批判していると聞いたので、見てみた。1月4日に二回にわたり、私を名指しで糾弾している記事があった。https://twitter.com/konishihiroyuki 
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 安倍政権の解釈変更が「違憲でなく立憲主義に反しない」との主張は、科学的事実を無視する点で映画「否定と肯定」のホロコースト否定論者等と同質である。篠田氏は「教授」であるなら事実を直視すべきだ。・・・解釈変更が「違憲かつ立憲主義の破壊」である理由は憲法学者がそう言ってるからではない。この世に事実に基づく科学が存在するから、すなわち政権の合憲根拠が事実に反する虚偽だからである。篠田氏は暴論の前に東京外国語大学生のために違憲等の科学的証明を学んで頂きたい。
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 私は、「蓑田の足元にも及ばない」いわば三流「蓑田胸喜」(戦前の右翼)だ、と憲法学者の水島朝穂教授に糾弾されている。http://agora-web.jp/archives/2029005.html 今度は小西参議院議員が、「ホロコースト否定論者」だ、と糾弾する。大変に時代がかった、大げさな事態に巻き込まれてしまったものだ。
 「戦前の再来」「ナチスと同じ」・・・などのお馴染みすぎるレトリックは、教条的護憲主義者が、相手を選ばず、数十年にわたって使いまわしてきた凡庸な表現だ、と言ってるのが、私である。拙著『ほんとうの憲法』第3章では、なぜそうなってしまうのかを分析してみた。その私を否定するために、あえて「(三流)蓑田胸喜」だ、「ホロコースト否定論者」だ、という正面突破的なレトリックの糾弾を浴びせかける。大変に深刻な事態である。
 拙著『ほんとうの憲法』では、小西議員が「芦部信喜」を知らないという理由で、国会で安倍首相を糾弾したエピソードについてふれた(ちなみに芦部とは、100万部を売るベストセラーになっており、司法試験・公務員試験受験者であれば必ず暗記する憲法学の基本書の著者)。私は、小西議員の名前はあげなかったが、このエピソードを、日本の知的閉塞状況の象徴的な例としてふれた。あるいは、そのため私は小西議員に糾弾されているのかもしれないが、もう少し本の中身に即した批判をいただきたいものである。
 小西議員は、「集団的自衛権は違憲」という議論にも強い思いれがあり、そのうえでも私を「ホロコースト否定論者」と呼ぶようである。しかし拙著『集団的自衛権の思想史』もお読みいただいたうえで、それを「暴論」とお呼びになられているのであれば、凡庸なレトリックを抜きにして、しっかりと本の中身に即した批判をいただきたいものである。
 それにしても小西議員の文章で非常に特徴的なのは、「科学」という言葉の使い方だ。自然科学だけでなく、社会科学や人文科学も含めた「科学」という語には、「学問」一般を指す意味があるが、現実を科学的に見ていることを強調して他者に対する知的優越性を誇る態度は、かつてマルクス主義者によく見られたものだ。昭和時代の日本で「科学的(wissenschaftlich)」という言葉がよく用いられたのは、史的唯物論に典型的に見られるように、表層的な上部構造の出来事だけにとらわれず、歴史の運動法則を捉えて社会の本質をとらえることが「科学的」態度だとされたからだ。
 端的に言えば、小西議員の言葉遣いは、非常に「左翼っぽい」。だがそこに史的唯物論のような特殊な視点はあるだろうか。気になって小西議員が指定する論文を読んでみた。https://goo.gl/8mxuBF そして、驚いた。小西議員の議論は、むしろ過去の上部構造の虚偽意識を絶対化する議論である。
 小西議員は、「科学的事実」を、1972年政府見解を出した当時の内閣法制局長官・吉国一郎氏が何を考えていたか、ということに還元する。吉国長官が1972年見解文書の最終決裁の権限を持っていた、と強調する。そこで、もし安倍内閣の立場が1972年の吉国長官の見解と違う場合には、「科学的事実」により、安倍内閣のほうが否定されなければならないとする。
 意味不明だ。安倍首相自らが、安保法制は、1972年政府見解の「基本的な論理」は維持しているが、解釈の「一部変更」にはなる、と明言している。1972年見解との関係についても、「基本的な論理は維持するが一部変更」論について批判をするのでなければ、意味がないはずだ。それにもかかわらず、アベ首相の見解には1972年吉国一郎内閣法制局長官と違うところがある、などとあえて言ってみることに、いったい何の意味があるのだろうか。
 そもそも仮に小西議員が強調するように、「安保法制は1972年政府見解の虚偽の読み替え」だとして、それで安保法制は「違憲」だとことになるのか。小西議員の「科学」とは、アベ首相は、1972年の内閣法制局長官に従っていないので、違憲論者であり、反立憲主義者だ、という主張のことなのだが、それはいったいいかなる意味で「科学」なのか。
 小西議員の「科学」によれば、過去の(というか1972年という特定時点なのだが)内閣法制局長官の見解は、後世の総理大臣を含むすべての人々の考えを支配しなければならないようである。小西議員の文章は、内閣法制局長官の憲法解釈は憲法そのものと同じなので、過去(1972年)の内閣法制局長官の見解に少しでも違ってしまうことは自動的に「違憲」行為であり、「反立憲主義」行為になる、と主張しているようにしか読めない。 しかも小西議員によれば、これが「科学」であり、この「科学」に反することを言う者は、「ホロコースト否定論者」と同じなのだという。
 それにしても「違憲」とか「反立憲主義」とか言うのであれば、しっかりと日本国憲法典の具体的な条項を参照し、自分自身の正しい憲法理解を提示して、そう言うべきではないだろうか。内閣や国会を凌駕する権威を内閣法制局長官が1972年においては持っており、2015年には失ったことの憲法上の根拠を示すべきではないだろうか。1972年内閣法制局長官の見解と違うから、違憲だ、反立憲主義だ、ホロコースト否定論者だ、というレベルの議論で、本当に小西議員は、自分自身の国会議員としての矜持を保てるのだろうか。
 ところで私は、9条改憲の大きなメリットは、解釈を確定させ、不毛な神学論争による国力の疲弊に終止符を打つことにある、と考えている。しかし、小西議員は、仮に改憲がなされても、それは「騙され改憲」であり、違憲状態を前提にした改憲発議は無効なので、改憲も無効になる、と主張する。
 国民投票をへてもなお解釈は確定されないとか、小西議員指定「科学」に反した内容だと国民投票は無効になる、とかという主張には、嘆息せざるを得ない。
 1972年見解の最終決裁のオリジナル文書を入手した!と自慢をしていた小西議員の「科学」は、いずれにせよ、小西議員の憲法解釈の永久的な絶対的正しさを証明するらしい。「科学」に反する意見を持つ者は、「ホロコースト否定論者」として糾弾されなければならない、ということを証明するらしい。
 小西議員は、テロ等準備罪法が「成立したら本気で国外亡命を考えなければならなくなると覚悟している」、と述べたことにより、大きな話題を呼んだ人物でもある。http://www.buzznews.jp/?p=2108446 ご本人は、現在では過去の自分の発言を否定されているようだ。総理大臣にどれだけの制約を課そうとも、小西議員ご自身は、過去の自分の発言にも拘束されることがないので、いずれは文部科学大臣にでもなられるおつもりだろうか。そして独自の「科学」概念を吹聴し、その「科学」に従わない「暴論」を言う国立大学教員を「ホロコースト否定論者」として糾弾するご予定だろうか。
 物騒な世の中だ。どうやら小西議員によれば、亡命しなければならないのは、小西議員ご自身ではなく、私だということか。

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