「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

 『集団的自衛権の思想史』の読売・吉野作造賞の受賞後、「いよいよ篠田さんに対するレッテル貼りも本格化するね」、と言われた。
 一番目にしたのは、「憲法学の素人だろ」というレッテルだ。ほとんどの場合、「読んでない」という言葉に付随した単なる誹謗中傷だった。つまらない。
 するとある噂を小耳にはさんだ。憲法学者の方々が、「東大法学部系の憲法学」という言い方に激憤している、という噂である。結局、篠田は東大法学部に「ルサンチマン」を抱いているだけなのだろう」、と憲法学者が集まって学会でささやいているという。そのうちに篠田さんに対する「ルサンチマン」レッテル貼り運動が始まるから気を付けたほうがいい、と言われた。
 つまらないな、と思っていた矢先に、アマゾンの拙著の書評コメントで、噂に聞いたとおりのものを見た。言葉づかいなど酷似などの状況証拠だけで云々はしないが、いずれにせよこのようなものが私の本に対する憲法学界からの対応だということになる。
 このアマゾンのコメントは、私の本を、「東大へのルサンチマンにとらわれて書いたもの」というレッテル貼りに終始する。あとは「日本国憲法は日本語が正文だ、篠田は自衛隊合憲派だ」、という指摘があるだけで、拙著の内容の分析に関することは何もない。 https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2RP1YAM1GSVO4/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=448006978X 
 それにしても、今後は篠田の批判はすべて「ルサンチマン」の産物だ、という運動が巻きこってくる、ということなのだろうか。やれやれ。憲法学者だと断定はしないが、世の中には、結局、そういう次元でしか生きていない人々が多いのだ。
 残念である。
 私は高校2年の終わり頃まで、ミュージシャンになりたかったので、東大を受験したことも、目指したこともなく、正直、東大生になりたいと思ったことがなかった。http://nicoapple.sub.jp/so30987788
 その一方、『集団的自衛権の思想史』の出版社の社長/編集者は、東大法学部卒の方で、『ほんとうの憲法』担当の出版社の編集者も、東大法学部卒の方である。その他、多くの東大法学部出身の親しい年上、年下、仲間の方々に、私はお世話になっている。東大の教養学部(駒場)であれば、非常勤で授業を担当しているが、教員の立場になっていると、東大生の方々とのやり取りはとても楽しい。
 誤解があるのかもしれない。
 私は、憲法学者は「社会的権力者」だと何度も描写してきている。司法試験、公務員試験、各種学校教科書などを通じて、絶大な社会的権力を行使しているからだ。
 だが、私は、憲法学者が「エリート」だと言ったことはない。日本社会の本当の「学歴エリート」層が、憲法学者になっている形跡はない。
 実情は、これらの記事を見るとおわかりいただけるだろう。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38717?page=2 http://diamond.jp/articles/-/107795?fb_action_ids=1170984972985080&fb_action_types=og.comments 
 東大法学部系の憲法学者の出身高校を見てみよう。戦前に教授となった美濃部達吉や宮沢俊義は、ともに第一中等学校(旧制一高)の出身であり、彼らは戦前の純然たる学歴エリート路線を歩んだ人物たちだったと言えるだろう。
 しかし戦中に東大法学部に入り、卒業時に新憲法が制定されているという過渡期の中で憲法学講座担当になっていったのは、小林直樹(旧制上田中学校/旧制水戸高等学校出身)や芦部信喜(旧制伊那中学校/旧制松本高等学校)であった。さらに戦後の高橋和之(岐阜県立岐阜高等学校)、長谷部恭男(広島大学附属高等学校)、石川健治(大阪府立北野高等学校)各教授は、東大合格者数の上位を占めているとは言えない地方高校の出身者である。
 唯一、2010年に東大に転任してきた42歳の宍戸常寿教授が、筑波大学附属駒場高等学校出身で、異なるパターンを見せている。ところが宍戸教授は、安保法制の喧噪にも参加せず、集団的自衛権について論じた言説もなく、立憲デモクラシーの会にも入っていない。そこで私は、「東大法学部系の憲法学者」グループの中に、宍戸教授を含めていない。
 どちらかというと東大法学部出身で長谷部教授への尊敬心を繰り返し公言している首都大学東京の木村草太教授(出身高校を公表していないが横浜辺りの公立高校の出身とされる)のほうがパターンに一致する。そこで私は、宍戸教授を差し置いて、木村教授を「東大法学部系憲法学者」のグループの代表であるかのように論じてしまっている。
 宍戸教授には申し訳ない。ただ、そのあたりは拙著を読めばすぐにわかっていただけるところかと思う。私が言う「東大法学系の憲法学者」は、前著『集団的自衛権の思想史』を執筆中に自然に出てきた言い方で、伝統と傾向を見て、論じる対象の憲法学者の方々をまとめるのに最適な言い方だと気付いたので、使い始めただけだ。東大法学部出身憲法学者でも、私が論じていない方々については、私の議論とは関係がない。憲法学者ではない方々とは全く関係がない。
 そう言う私自身、県立高校の出身である。学界は、このパターンが結構多いように思う。万が一高校までに勉強し過ぎて疲れていたり、他人が作った問題に解答する能力を競いたがる癖がついていたりするタイプは、学者には向いていない。
 まして「東大法学部の伝統を反映した傾向が東大法学部出身者に顕著に見られるのではないか」、という指摘に、「東大に対するルサンチマンだ」、というレッテル貼りをする運動しか思いつけない方は、そもそも学者になるべきではないタイプの人だろう。
 ぜひ「東大法学部系の憲法学者」の方々にも、「官僚が言っている事が絶対的な憲法解釈だ」、「自分たちと違う憲法解釈はクーデターだ」などといったことを主張する政治運動に没頭するのではなく、もっと学者らしい仕事をしてもらいたいと思っている。
 最後に一言。私の最終学歴は、London School of Economics and Political Science (LSE)のPhD.(国際関係学博士)である。博士号すら持っていない憲法学者の方々にルサンチマンを抱いている、などと言われる立場ではない。恐縮ながら、「ガラパゴス」の世界だけに生き続けようとするのもいい加減にされたらどうか、と申し上げざるを得ない。

 北朝鮮の危機をめぐり、2015年安保法制を適用する議論が確認されている。先日は、小野寺防衛相の発言に関連させて、阪田雅弘・元内閣法制局長官についてブログ記事を書いた。http://agora-web.jp/archives/2027753.html
 そこでどうしても思い出してしまうのは、長谷部恭男教授の言葉である。

 「(集団的自衛権違憲の)歯止めをかけておくことで、日本政府はいろんな場面で、いちいちコミットメントをする必要がなくなってくる・・・。憲法で自分の手を縛られていることで、逆に日本政府としては活動の自由度が広がっている」。(長谷部・杉田敦『これが憲法だ!』85頁)。」

 ・・・北朝鮮に、「日本は何もしないよ、日本だけは攻撃しないでね」、とアピールしよう。アメリカに、「抑止せよ、反撃せよ」、と依頼しよう。日本は憲法が厳しいから何もできません、と説明しておけば、疑問には思われないだろう。だから、集団的自衛権は違憲にしておいたほうがいい・・・。
 長谷部教授が、もし本当にこれを一つの真面目な外交政策として提示し、政策論に加わろうとするつもりなら、まあ、まだいい。政策論としてどれだけ妥当か、検討し、反論もできるからだ。しかし憲法学者の肩書きを利用して、憲法に書かれていないことを書かれているかのように強弁し、それを通じて自分好みの外交政策を実現させようとする邪道なやり方は、困る。いたずらに議論を停滞させ、社会のエネルギーを無駄に摩耗させるからだ。
 ただし長谷部教授は、まだましである。石川健治教授は、何と言っているか。
 
 「安倍政権の支持率が下降すると、必ず絶妙のタイミングで、北朝鮮からミサイルが寸止めの形で発射されてきます。敵対関係というよりはむしろ、お互いがお互いを必要とする、隠れた相互依存関係の存在すら感じられます。」(「石川健治東京大教授に聞く―自衛隊に対する憲法上のコントロールをゼロにする提案だ」『朝日新聞Webronza』2017年7月21日)http://webronza.asahi.com/politics/articles/2017060500003.html

 石川教授によれば、内閣支持率が下がったので、北朝鮮はミサイル実験を始めたらしい。したがって安倍首相を取り除くと、北朝鮮問題は収束するということのようである。世界は安倍首相を中心に回っている、という憲法理論である。
 ここまでくると、「ガラパゴス」という言葉でも表現しきれない感じがする。「世界の中心で、アベはやめろと叫ぶ」、という感じだ。
 それにしても、石川教授のこのWebronzaにおける長文インタビューは、すごい。倒閣運動の戦士として一本立ちするために、やたらとケンカ腰で言葉を躍らせている。もし自分が指導している大学院生だったら、もう学位はとれないぞ、と忠告する。
 一部の憲法学者は、何か面白い物語を語ることが自分の仕事だと勘違いしているのではないか。
 もちろん、私が間違っているのかもしれない。証明されえないと思われることが、いずれ博士論文などで証明されるのかもしれない。
 朝鮮半島の緊張は高まっている。長谷部教授や石川教授には、「集団的自衛権を違憲にすれば北朝鮮問題が解決される」ことや、「内閣支持率と北朝鮮ミサイル問題が相互依存関係にある」ことを証明する論文を、一刻も早く、書き上げてもらいたい。
 だが、それまでの間は、政策問題は、政策を論じる者が政策論のレベルで議論し、政策を決定する者が政策決定のレベルで責任をとるようにしておくべきだ。

  小野寺五典防衛相は、8月10日、米軍基地のあるグアムが攻撃された場合、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」にあたりうる、との考えを示した。
  一部では、自衛隊には迎撃能力がない云々といったことを議論している向きもあるようだが、的外れだろう。「攻撃された場合」の話は、「日本に迎撃能力があるか」の話だけに還元されない。論点は、「グアムが攻撃された場合」、米国が自衛権を行使する、そのとき日本が協力して共同作戦行動をとるかとらないか、そのことを意思表明するかどうか、だ。
 「とるかどうかはわからない、憲法学者によく相談してみます」、という回答をしなかった防衛相は、六法全書を手離すことがなかったと言われる前任者と比して、とりあえず着実な仕事をしたと言えるだろう。
 朝日新聞は、「専門家からは「拡大解釈」との懸念の声もあがる」という内容の記事を出した。http://digital.asahi.com/articles/DA3S13082208.html?rm=150「専門家」というのは誰かと思ってみてみたら、毎度お馴染みの「安全保障法制に詳しい」阪田雅裕・元内閣法制局長官である。
 「米国が個別的自衛権を発動していない段階で、日本が『存立危機事態』と認定することはできない」と指摘し、小野寺氏の答弁は「拡大解釈にあたる」との懸念を示す。意味不明だ。
  米国の自衛権発動は国際法上の問題なので、国内法制側ではそのような要件を明示していない。国際法の話は国際法の「専門家」に任せたらどうか。阪田氏は本当に国際法の「専門家」なのか。
 そもそも防衛相は「対応できる」という点を述べているだけなのに、まだ条件がまだそろっていない、などと述べてみることに、何の意味があるのか。実際の有事の際には、瞬時に判断を進めなければならないことはわかっているはずだ。それなのに、こういう人の悪い嫌がらせのようなことを言うのは、無責任ではないだろうか。
  阪田氏は「安保関連法の議論当時、・・・グアムの話はなかった」とも述べたという。意味不明だ。適用される事例を全て国会で話し合っていた経緯がなければ、その事例には適用してはいけない法律など、聞いたことがない。
 何が起こっても同じ人を「専門家」と称して連れてくる悪習は、いったいいつまで続くのか。
 阪田氏については、拙著『集団的自衛権の思想史』で次のように言及した。https://www.amazon.co.jp/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%8F%B2%E2%94%80%E2%94%80%E6%86%B2%E6%B3%95%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%A8%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%AE%89%E4%BF%9D-%E9%A2%A8%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AA-%E7%AF%A0%E7%94%B0%E8%8B%B1%E6%9C%97/dp/4862581048/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1502632045&sr=1-2

「元内閣法制局長官の阪田雅裕は、積極的に集団的自衛権は違憲だという主張を発信し、違憲論者が形成した「国民安保法制懇」の設立者の一人にもなった。しかし「法制局の次長が局長にしてもらえて」、「ギリギリこれなら法制局としては結構です」という経緯を経て7・1閣議決定がなれてからは、「安倍総理が集団的自衛権という形式だけとって、実はとらない気持ちだったらあまり追い込んではいけない」という立場になり、安保法制懇からも離れていったという。小林節・山中光茂『たかが一内閣の閣議決定ごときで―亡国の解釈改憲と集団的自衛権』(皓星社、2014年)、35-36頁。」 

 自衛隊は違憲とは言わないが、合憲化してしまうとコントロールができない、アベ首相は嫌いだが、人事に口を出さないなら認めてやってもいい、みたいな意味不明な議論を、顔色は窺いながら、どんなテーマでもいつでもやってくれる人とは、何の「専門家」なのか。

↑このページのトップヘ