先のブログ記事で「駆け付け警護」という語は使わないほうが望ましいという趣旨の文章を書いた。そうした経緯もあり、12月16日にパネリストとして登壇させていただいた防衛省国際平和協力センター主催の「文民の保護」をテーマにしたシンポジウムでも、私自身は改正PKO法にふれる場合でも、あえて駆け付け警護という語は使わないでおいた。
その機会にも述べさせていただいたが、結局、今回のPKO法の改正は、起こりうる不測の事態に対応した自衛隊員が、望ましくない形で違法行為を疑われるような事態が発生することを防ぐための「違法性阻却措置」であったと考えるべきものだろう。「駆け付け警護」というと、何やら積極的に進んでどんどん駆け付けて、目についたものを片っ端から守るために武力行使をしていく、といったイメージが出てきてしまう。実際の法律は、むしろ不測の事態が発生した場合に、違法行為の有無をめぐる不必要な議論が起こってくることを防ぐ措置として意味を持っている。
シンポジウムでも強調したが、国連PKOに従事している者の武力行使を誘発するのは、日本の法律などではなく、現地の実情である。現地が危険であれば、やむをえず武器を使用せざるをえない場面が増えることは間違いない。違法性の疑いがありうる余地があるように見えても、現実が緊迫していれば、現実に対応するための緊急避難措置としてやむを得ない手段をとらざるをえない場面が起こりうるということだ。他方、現実が平穏であれば、日本の法律がどうだからといって、むやみやたらに武器使用をしたがるような者はいないだろう。
国連PKOに従事して活動している者に、自分自身を自己保存権に基づいて防衛するのは合法だが、同僚の国連職員を守るのは違法だ、などと言い続けるのは、あまりに非現実的だと言わざるを得ない。自分を守っているのか、同僚を守っているにすぎないのか、自衛隊の管理下にある国連職員を守っているのか、管理外の国連職員を守ってしまったのか、などを緊急事態においてもすべて厳密にチェックしてから行動するのでなければ違憲だ、などと言い続けるのは、犯罪的なまでに現実離れしたことだと言えるだろう。
南スーダンが緊迫した情勢にあるのは間違いない。そこに自衛隊員を送った政策当事者が、非現実的な憲法議論から自衛隊員を守る責任をとろうとするのは、当然のことだと思う。国連PKO要員となった自衛隊員が、国連職員を守るための措置をとると違法者になるかもしれないといった混乱を放置しておかないための措置が、今回の改正PKO法の措置であったと考えるべきだろう。
もっともこのような違法性阻却を明確化する明文規定が必要になったのも、もともとは歪な憲法解釈が、高度経済成長時代に蔓延してしまったからである。物事をストレートに考えれば、そのような明文規定すら必要ではなかったはずだ。
冷静になって考えよう。国連PKO要員が同僚の国連職員を守ろうとすると、「国権の発動たる戦争(war as a sovereign right of the nation)」を行ったことになり、「国の交戦権(the right of belligerency of the state)」を発動したことになる、などという議論が本当に真面目なものであるかどうかを。
もう一度考えてもらいたい。「国権の発動たる戦争」や「国の交戦権」は、日本人が日本人を守る「個別的自衛権」であれば行使されていないが、国連要員が国連安保理の決議にしたがって同僚の国連職員を守る行動をとると「国権の発動たる戦争」や「国の交戦権」を行使していることになる、などという議論が本当に真面目なものであるかどうかを。
その機会にも述べさせていただいたが、結局、今回のPKO法の改正は、起こりうる不測の事態に対応した自衛隊員が、望ましくない形で違法行為を疑われるような事態が発生することを防ぐための「違法性阻却措置」であったと考えるべきものだろう。「駆け付け警護」というと、何やら積極的に進んでどんどん駆け付けて、目についたものを片っ端から守るために武力行使をしていく、といったイメージが出てきてしまう。実際の法律は、むしろ不測の事態が発生した場合に、違法行為の有無をめぐる不必要な議論が起こってくることを防ぐ措置として意味を持っている。
シンポジウムでも強調したが、国連PKOに従事している者の武力行使を誘発するのは、日本の法律などではなく、現地の実情である。現地が危険であれば、やむをえず武器を使用せざるをえない場面が増えることは間違いない。違法性の疑いがありうる余地があるように見えても、現実が緊迫していれば、現実に対応するための緊急避難措置としてやむを得ない手段をとらざるをえない場面が起こりうるということだ。他方、現実が平穏であれば、日本の法律がどうだからといって、むやみやたらに武器使用をしたがるような者はいないだろう。
国連PKOに従事して活動している者に、自分自身を自己保存権に基づいて防衛するのは合法だが、同僚の国連職員を守るのは違法だ、などと言い続けるのは、あまりに非現実的だと言わざるを得ない。自分を守っているのか、同僚を守っているにすぎないのか、自衛隊の管理下にある国連職員を守っているのか、管理外の国連職員を守ってしまったのか、などを緊急事態においてもすべて厳密にチェックしてから行動するのでなければ違憲だ、などと言い続けるのは、犯罪的なまでに現実離れしたことだと言えるだろう。
南スーダンが緊迫した情勢にあるのは間違いない。そこに自衛隊員を送った政策当事者が、非現実的な憲法議論から自衛隊員を守る責任をとろうとするのは、当然のことだと思う。国連PKO要員となった自衛隊員が、国連職員を守るための措置をとると違法者になるかもしれないといった混乱を放置しておかないための措置が、今回の改正PKO法の措置であったと考えるべきだろう。
もっともこのような違法性阻却を明確化する明文規定が必要になったのも、もともとは歪な憲法解釈が、高度経済成長時代に蔓延してしまったからである。物事をストレートに考えれば、そのような明文規定すら必要ではなかったはずだ。
冷静になって考えよう。国連PKO要員が同僚の国連職員を守ろうとすると、「国権の発動たる戦争(war as a sovereign right of the nation)」を行ったことになり、「国の交戦権(the right of belligerency of the state)」を発動したことになる、などという議論が本当に真面目なものであるかどうかを。
もう一度考えてもらいたい。「国権の発動たる戦争」や「国の交戦権」は、日本人が日本人を守る「個別的自衛権」であれば行使されていないが、国連要員が国連安保理の決議にしたがって同僚の国連職員を守る行動をとると「国権の発動たる戦争」や「国の交戦権」を行使していることになる、などという議論が本当に真面目なものであるかどうかを。
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