このところ続けて憲法学者について書いているが、一度区切りをつけるために、最後に政策的な課題に結びつけた話をしたい。
以前に書いた「船田元・憲法改正推進本部本部長代行の憲法理解を批判する」という題名のブログ記事http://shinodahideaki.blog.jp/archives/19523883.html のコメント欄に、感情的なコメントを投稿してくる方いた。乱雑なタイプの投稿かと思い、私が粗い言葉で返信してしまったので、油を注いでしまったらしい。http://shinodahideaki.blog.jp/archives/19523883.html#comments
この方にとっては、自衛隊は軍隊だ、という政府見解があることから、まず納得できないようであった。そこで政府答弁書のURLを教えたのだが http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b189168.htm その際に、こういうやりとりは勘弁してほしい、という意思表示のつもりで粗野な言葉を付け加えてしまったら、怒りに火をつけてしまった。反省してお詫びする。
しかし、この「研究者」氏の背景にある問題は、意外と根が深いかもしれない。つまり、「自衛隊は軍隊ではない」、という「信仰」の根深さだ。あたかも憲法の文言や、どこかの法律に、「憲法は軍隊ではない」、と書かれていると、信じて疑っていないという風である。
上記の政府答弁にもあるように、「国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われる」ということを、日本政府ですらはっきりと認めている。
この政府答弁書において、「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」と言っている「通常の観念」が何を意味しているのか不明だ。が、まあ、日本社会で偏見を持って語られる際の通俗的な軍隊の観念、といったところか。「戦前が復活する」的な議論では、戦前のいびつな軍隊が「軍隊」の定義になってしまっているということだが、ガラパゴス理解である。
自衛隊は、「憲法上の戦力」ではないが、「国際法上の軍隊」である。
これは、私が『ほんとうの憲法』で説明していることでもある。日本国憲法は、戦前の大日本帝国軍のように死滅した19世紀国際法の国家の基本権概念などを振りかざして国際秩序に挑戦することはしない、国際法を遵守する、ということを宣言している。
憲法9条もそうだ。日本国憲法が保持を禁止しているのは「戦力」は「War potential」とされており、「軍隊(Military)」とは、異なる。自衛隊(Self-Defense Forces)は軍としてのForceだが、憲法上の「戦力」としてのForceではない。
だが憲法学者は、「自分は自衛隊は違憲だとは言わないが、自衛隊が合憲だということになるとコントロールできないので、とにかくアベ首相がいる限り何をするのもダメだ」、といった議論に傾注し、そもそも必要な概念の整理すらしてくれない。不親切だ。憲法学者が不親切だから、「戦力」「軍隊」といった基本概念に関する政府見解も全く国民に知らされないままなのではないか。
内閣法制局は「法律家共同体」なので絶対だ、という議論を、自分の政治的立場を補強する時だけつまみ食いし、しかし気が向かないときは隠ぺいしたりするような態度は、よくない。
もし憲法学者が「内閣法制局の見解が絶対的な憲法解釈だ」というのであれば、「自衛隊は軍隊である」、ということを、もっと宣伝しておいていただきたい。
以前に書いた「船田元・憲法改正推進本部本部長代行の憲法理解を批判する」という題名のブログ記事http://shinodahideaki.blog.jp/archives/19523883.html のコメント欄に、感情的なコメントを投稿してくる方いた。乱雑なタイプの投稿かと思い、私が粗い言葉で返信してしまったので、油を注いでしまったらしい。http://shinodahideaki.blog.jp/archives/19523883.html#comments
この方にとっては、自衛隊は軍隊だ、という政府見解があることから、まず納得できないようであった。そこで政府答弁書のURLを教えたのだが http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b189168.htm その際に、こういうやりとりは勘弁してほしい、という意思表示のつもりで粗野な言葉を付け加えてしまったら、怒りに火をつけてしまった。反省してお詫びする。
しかし、この「研究者」氏の背景にある問題は、意外と根が深いかもしれない。つまり、「自衛隊は軍隊ではない」、という「信仰」の根深さだ。あたかも憲法の文言や、どこかの法律に、「憲法は軍隊ではない」、と書かれていると、信じて疑っていないという風である。
上記の政府答弁にもあるように、「国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われる」ということを、日本政府ですらはっきりと認めている。
この政府答弁書において、「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」と言っている「通常の観念」が何を意味しているのか不明だ。が、まあ、日本社会で偏見を持って語られる際の通俗的な軍隊の観念、といったところか。「戦前が復活する」的な議論では、戦前のいびつな軍隊が「軍隊」の定義になってしまっているということだが、ガラパゴス理解である。
自衛隊は、「憲法上の戦力」ではないが、「国際法上の軍隊」である。
これは、私が『ほんとうの憲法』で説明していることでもある。日本国憲法は、戦前の大日本帝国軍のように死滅した19世紀国際法の国家の基本権概念などを振りかざして国際秩序に挑戦することはしない、国際法を遵守する、ということを宣言している。
憲法9条もそうだ。日本国憲法が保持を禁止しているのは「戦力」は「War potential」とされており、「軍隊(Military)」とは、異なる。自衛隊(Self-Defense Forces)は軍としてのForceだが、憲法上の「戦力」としてのForceではない。
だが憲法学者は、「自分は自衛隊は違憲だとは言わないが、自衛隊が合憲だということになるとコントロールできないので、とにかくアベ首相がいる限り何をするのもダメだ」、といった議論に傾注し、そもそも必要な概念の整理すらしてくれない。不親切だ。憲法学者が不親切だから、「戦力」「軍隊」といった基本概念に関する政府見解も全く国民に知らされないままなのではないか。
内閣法制局は「法律家共同体」なので絶対だ、という議論を、自分の政治的立場を補強する時だけつまみ食いし、しかし気が向かないときは隠ぺいしたりするような態度は、よくない。
もし憲法学者が「内閣法制局の見解が絶対的な憲法解釈だ」というのであれば、「自衛隊は軍隊である」、ということを、もっと宣伝しておいていただきたい。
コメント
コメント一覧 (8)
まず、芦部信喜「憲法学Ⅰ」(有斐閣)の269ページで、「戦力」の解釈として「警察力以上の実力」説について、「軍隊及び有事の際にそれに転化できる程度の実力部隊をすべて戦力とする説で、通説である」としています。
そして、論理的帰結として「この論旨によれば、現在の自衛隊は、その人員・装備・編成の実態に即して判断するかぎり、戦力に該当すると言わざるを得ない」(同270ページ)というとこで、自衛隊は戦力にあたるので違憲、という結論になります。
有名なところでは、(東大で芦部先生に教わった)片山さつき議員なども、「東大では通説として、”自衛隊は違憲”と教えている」と度々述べてます。これに反して、「自衛隊は合憲だ」などという憲法学者は通説から離れたところにいるニワカさんです(笑)。
なお、いま参照してて気づいたのですが、同書266ページに「憲法13条を根拠として、自衛力の保有が合憲だとする説もある」という紹介があります。へー、木村草太が「思いつき」で言い出したことではないんだ(笑)。もちろん、芦部先生は、幸福追求権から侵害を排除するために積極的に国権の発動が要請されるなどと解釈することは、「不可能と解すべきだろう」(同ページ)と一蹴しています。
私も、国際法に関しては不勉強ゆえ判断を留保するとしても、実体上、自衛隊は軍隊だと考えています。
ただ、過去の政府答弁(H18.12.1)で
「憲法第九条第二項は「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している。自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらない。」と答弁しています。
つまり、政府として、憲法上、いわゆる「軍隊」は保持できないと認め、しかしながら主権国家である以上自衛権は当然に保有しているとの前提で「実力組織」(警察力<「実力」<武力)を保有することは憲法上合憲との、極めて分かりにくい解釈によって、本質的議論を回避してきた経緯もあるように思います。
最近の安倍総理の9条改憲案も、本質的問題から目を背け、「自衛隊」を明文化することのみに固執している感があります。軍隊を明文で認めるだけでその軍をコントロールする規定がなければ絵に描いた餅のように思います。
この点、自衛隊創設の翌年に生まれた自由民主党が、自主憲法制定を党是としながら長年手をこまねいてきたことも、このような不毛が議論を重ねた一因とも思われます。
一方、憲法学者に同情するのは、やはり現憲法の前文と9条の関係がわかりにくい。それに芦田修正が拍車をかけたことです。ただ、私も、憲法は国際法との関連で理解しないと正しい解釈に辿りつかないように、ようやく最近感じるようになりました。
某憲法学者(自民党推薦)「安保法制は違憲!」(法曹:まぁ、通説ではそうなんだけど、一般国民には理解しづらいわな。実務(内閣法制局見解)ともだいぶ違うし)
↓
片山さつき「はい。そもそも、憲法学の通説では、(政府答弁=内閣法制局解釈と異なり)自衛隊は違憲ですから、安保法制も違憲という論理的帰結になります。通説の憲法学者は聞かれたらそう答えざるをえないです。東大法学部ではそう教わりました」(’法曹:おお。片山さんのような著名な東大法学部卒が説明すると、一般国民も「憲法学界ではそういうもんか」と一応の論理的納得はあるかも)
↓
某憲法学者「いや、私の自説では、自衛隊は合憲です。でも安保法制は違憲です!断じて!」(法曹:ええええええー???)
ここから大混乱が始まり、篠田先生のような国際政治学者に対して、憲法上の初歩の初歩について問い合わせが殺到するという悲喜劇に・・・・
本来なら、
通説の憲法学者「通説では、自衛隊は、存在自体が違憲です。これを合憲とするには憲法改正するしかありません。なお、憲法を改正すべきか否かは、「立法論」ですから、法「解釈」学を専門とする法学者の知ったことではありません」
が正式見解。単純。
また、陸海空軍が戦力の例示列挙とされており、戦力でない陸海空軍(=軍隊)を想定できないため、「陸海空軍」(上記の「通常の観念」の軍隊と同義と思われます。)を例示とする「戦力」に該当しない自衛のための実力組織を肯定する政府見解や憲法学界の少数説(長谷部恭男・木村草太説)によると、国内法である憲法(戦力に該当しない以上、軍隊ではない)と国際法(下記で引用のジュネーブ諸条約第1追加議定書上は軍隊として扱われる)上の概念に相違があることを肯定して説明せざるを得なず、その意味では、憲法学界の通説(芦部説)の方が、現実性は極めて乏しいですが、一見すると、国際法上の軍隊概念とも整合的であり法理論的には正しい議論ではないようにも思います。
しかし、ジュネーブ諸条約第1追加議定書43条1項では、「紛争当事者の軍隊は、部下の行動について当該紛争当事者に対して責任を負う司令部の下にある組織され及び武装したすべての兵力、集団及び部隊から成る(当該紛争当事者を代表する政府又は当局が敵対する紛争当事者によって承認されているか否かを問わない。)。このような軍隊は、内部規律に関する制度、特に武力紛争の際に適用される国際法の諸規則を遵守させる内部規律に関する制度に従う。」とされており、国内法の定義と矛盾すること自体が想定・許容しているので、国際法上は軍隊であることを議論することの意味は、ジュネーブ諸条約に拘束されるという国際法上の義務を負うといった程度の意味にすぎないようにも思います。
「憲法上の戦力ではないが、国際法上の軍隊である」ということを、解釈論の話として「憲法上は軍隊ではないが、国際法上は軍隊である」と言い替えようとすることの法益/実益とのことですが、法解釈論としては、例示されている「陸海空軍」に該当しない場合でも「戦力」に当たり得るものがあるという意味では、ご指摘のとおり、前者がより正確な表現であり、私も解釈論上、これを後者に言い換える必要があるとまで主張するものではありません。私の理解するところでは、憲法上の「陸海空軍」に該当すれば「戦力」に該当してしまうため、日本におけるガラパゴス的な事情(憲法と整合性を合わせるために「軍隊」概念が意図的に忌避された結果)により、国際法上も自衛隊が軍隊ではないかのような誤解が一般に生じてしまったのではないかと推察しています。
もっとも、ご指摘のとおり、国際法上も必要最小限以上の武力行使が禁じられていることからすると、政府解釈を前提とする憲法上の制約として普通の国の軍隊と異なる点としては、フルスペックの集団的自衛権を認めるかどうか、国連軍に参加できるかどうか、PKO5原則(政府解釈を前提とする憲法9条による制約をPKO法3条、6条、8条1項、25条、26条等の要件に落とし込んだもの)の制約があるかどうかということになろうかと思われますので、自衛隊も、普通の国のフルスペックの軍隊と比較して、一般的に思われている程は大きな違いはないという評価も可能なのかもしれません。
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