「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

2017年07月

昨日、読売・吉野作造賞の受賞式を開催していただいた。学者には申し訳ない華やかな会となり、関係者・出席者の皆様にあらためて厚く御礼申し上げる。
 受賞作『集団的自衛権の思想史』は、集団的自衛権が違憲だという議論は、ドイツ国法学の影響が色濃い東大法学部系「抵抗の憲法学」の伝統に基づくものだ、と論じた。しかも沖縄返還にあたって政府が違憲だとし始めたにすぎない高度経済成長期・冷戦構造の産物だ、とも論じた。

 たとえば、首都大学東京の木村草太教授は、自衛権は憲法9条によって否定されている、しかし幸福追求権を定めた憲法13条で個別的自衛権だけが例外として許容される、と論じる。ところが、集団的自衛権はこの例外に該当しない、とも断定する(木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』他)。

 木村教授の発想は、本来は自然人の権利である幸福追求権を、法人としての国家が集合的にのみ適用するものだと考えている点で、根本的な錯誤を内包している。つまり日本領土が攻撃された場合にのみ政府は日本人の幸福追求権を守るべきだが、攻撃されるまでは守ってはいけないのだという。

しかし、これでは結局、単純に自国の領土が攻撃された場合には自衛権を行使してよいが、そうでなければダメだ、と言っていることと全く変わりがない。13条の参照は、全く何の意味もなく、単なる装飾である。結局、無意識のドイツ国法学の残滓に拘束されている発想が、本来の権利の主体である個々人を、国民という集合体に還元してしまっているのである。そこで本来は個人の権利である幸福追求権が、擬人的に捉えられる国家の権利の中で解消されてしまっている。

そもそも隣国であれば何が起こっても13条とは関係がないが、ひとたび自国の領土内で何かが起こればそれは13条を侵害する事態となる、といった極度に形式論的な発想は、現実に即しているとは言えない。たとえば隣国が侵略国に占領されてしまっては自国の防衛が不可能になる場合が、多々ありうる。その場合、隣国を支援することが自国民の幸福追求権の擁護につながるのは自明だ。木村教授は、日本の領土か否かという問いと、個々人の幸福追求権を守るべきか否かという問いを、混同誤認しているのである。

木村教授の推論は、国際政治学で「国内類推」と呼ばれる、国際法/国際政治に疎い者が陥る典型的な誤謬を示している。自然人と国家法人を根拠なく類似関係に置きすぎるので、本来の権利の主体としての自然人と権利保障者の国家の役割を区別せず、無批判的に同一視してしまい、論理の錯綜が生まれるのである。

自衛権は国際法の概念で、憲法典には存在しない。ところが強引に、たとえば国家の基本権概念を裏口から導入し、刑法の正当防衛などをあてはめて、自衛権の理解を捻じ曲げようとするのが、「国内的類推」に典型的に見られる誤謬である。観念論的なドイツ国法学の伝統に染まっている東大法学部系の憲法学者に、この錯誤の傾向が強い。

錯誤というだけではないかもしれない。集団的自衛権を根拠とする日米安全保障条約を国家安全保障の基盤に据えておきながら、それを無視しようとするのは、偽善的かつ欺瞞的なことだと言われても、仕方がないだろう。

ところが、華やかにテレビ等のマスメディアで活躍し、AKB48との共著(木村草太・津田大介・AKB48『日本一やさしい「政治の教科書」できました。』)などまで出している木村草太教授は、反安倍首相を鮮明にする特定メディアの常連コメンテーターのようになっており、「抵抗の憲法学」のドクトリンを広く社会に流布し続けている。その影響力は、絶大だ。

日本では、依然としてテレビに登場する学者が、最も強い影響力を行使する。そこでテレビに出やすくなるための議論を学者が提示しようとする現象まで、よく見られる。

マスコミを通じた絶大な影響力を誇る木村教授のポジションを理解するために、カギとなるのは、将棋、であるかもしれない。

木村教授は、将棋好きで知られている。単に将棋好きなだけではない。憲法解釈は将棋を指すように行うのが正しい、と公言している点が、木村教授の特色だ。

木村教授は、中学時代に校則が厳しくて抑圧されたため、憲法学者になった、と公言する(木村草太『憲法という希望』第四章)。中学校の先生に「抵抗」する代わりに、憲法学者となって政府に「抵抗」をしているというわけである。木村教授は、まさに「抵抗の憲法学」を、お茶の間の家庭向けに解説する伝道者だと言える。

戦後日本の憲法学は、「抵抗の憲法学」と称される。政府を制限することを立憲主義と呼び、権力に「抵抗」することが憲法学の役目だと自己規定するからである(拙著『ほんとうの憲法』参照)。この場合、「抵抗」の対象は、「政府」または「権力者」として、事前に規定されている。中学校の生徒が、校則を振りかざす教員に対する「抵抗」に憧れるのと同じで、憲法学者は、政府に対する「抵抗」に憧れる。そこでは、権力関係がまず固定されており、憲法解釈は、「抵抗」のための手段となり、道具となる。そして解釈の方法は、むしろ可変的となる。

木村教授は、このような「抵抗の憲法学」は、将棋に似ているという。どういうことだろうか。

木村教授によれば、「将棋における急所とは、その箇所を破られた瞬間、陣形が崩壊する攻防の焦点を言い、将棋で勝つには急所を掴むことが肝心である。このことは、法律論についても当てはまる。」(木村草太『憲法の急所:権利論を組み立てる』ii頁)。木村教授にとって、憲法解釈とは、相手の「急所」を狙い撃ちして、勝利を収めることなのである。

たとえば最近注目されている藤井聡太四段であれば、将棋の良いところは、年齢にかかわりなく対等に勝負ができることだ、と言う。対等な真剣勝負の場として、将棋を捉える。汎用性の高い詰将棋の解答・作成を極める作業で、実力を伸ばす。しかし木村教授であれば、権力関係に即した「敵」の駆逐のため、「急所」を狙い続けるための道具として、将棋を捉える。

木村教授の「演習」教科書では、「あなたはこういう立場をとる弁護士です」のような状況設定の中で、どういう答案用紙をかけるかが、次々と試される(木村草太『憲法の急所』他)。詰将棋の問題集のようなつもりなのだろうが、問題作成者が回答者の「立場」を設定してしまうのは、本当の詰将棋とは異なる。

実際の木村教授の議論では、さらにポジションの措定が重視され、対面する相手は固定的なものとされる。「抵抗の憲法学」では、決まった相手と対峙するのが、立憲主義である。憲法学者の相手とは、厳しい校則を課す中学の教員、あるいは権力者としての政府である。テレビでは、わかりやすく「安倍一強」あたりが具体例として参照される。

こうした「権力者」に有効に「抵抗」するために、相手の出方を読んで、相手を打ち崩す一手を打ちたい。こうした「抵抗のための手段」として、将棋が、そして憲法が、木村教授によって「使いこなす」ものとされる(木村草太『憲法という希望』第四章)、つまり道具的に使われる。

憲法解釈が将棋に似ている、と言うのは、「敵」を打ち負かすための「ゲーム」として似ている、という意味なのである。憲法を動かしている「敵」は、安倍首相のような「権力者」である。固定化された「敵」と戦う棋士=憲法学者にとって、憲法とは、あくまでも将棋の駒のようなもので、積年の恨みを込めて「敵」を打ち負かすために使う「道具」のことでしかない。

しかも憲法学者は、ルールのあり方それ自体について、定言命題を発出する。相手を打ち負かすために都合の良い駒の動かし方のルールまで、操作対象にするわけである。

たとえば学会では自衛隊違憲論を認めながら、首相が自衛隊合憲明文化を打ち出すと、「そんなことは今さら必要ない」と言い放つ。個別的自衛権は合憲だが、集団的自衛権は違憲なので、首相は「反知性主義者」だ、と言う。このような操作は、「抵抗の憲法学」においては、全面的に肯定される。「政府を制限することが立憲主義だ」、という権力関係に関するルールが、メタレベルの高次のルールと信じられているからだ。

木村教授によれば、「日本は第一共和政時代にある」という。戦前の天皇制の廃止がフランス革命による王政の廃止にあたり、ナポレオンが台頭するのが現代の日本なのだという。そこで現代日本では、共和派=護憲派が、残存する王政復古派=改憲派に「抵抗」し、戦い続けている、という壮大な歴史物語のフィクションが、大真面目に主張されることになる(木村草太『憲法という希望』第四章)。木村教授は、ほとんど宗教じみた様子で、この神話を伝道する。

それにしても、ほんとうに、憲法解釈とは、決まりきったお馴染みの相手を、さらにいっそう有効な手段で打ち負かすための「道具」なのだろうか。

それにしても、ほんとうに、憲法解釈とは、権力者に対する抵抗の手段として神話まで「使いこなす」半ば宗教的な道具的操作のことなのだろうか。

それにしても、ほんとうに、憲法解釈とは、特定のメディアの反政府キャンペーンにお墨付きを与えるための権威がありそうな道具箱の提供のことなのだろうか。

実は、社会が憲法学に期待するのは、そのようなことではなく、もっと客観的かつ公平・中立な視点から、様々な社会的利益の調整を求めたりするための地道な憲法解釈の追求ではないだろうか。

「抵抗の憲法学」にとって、憲法=将棋とは、憲法学者=「友」が、権力者=「敵」に、「抵抗」を仕掛けるための「道具」にすぎない。「抵抗の憲法学」は、自分を抑圧した中学校の先生に「抵抗」するように、政府=「王政復古派」に「抵抗」することを呼びかける。そのために敵の「急所」を突く「将棋」としての立憲主義を伝道する。

非常に特異なガラパゴス憲法観=将棋観だと言わざるを得ない。

 都議選における自民党の惨敗と、内閣支持率の低下によって、改憲案を進めるのは困難になった、といった見方が多数出されるようになった。だがその考え方は順序が逆で、改憲案の現実化が、内閣支持率の低下を生んだのかもしれない。
 石破茂・元自民党幹事長の安倍首相に対する批判的なコメントを、護憲派のメディアが競って大きく取り上げ続けている。5月以降、内閣への支持率の低下が、自民党への支持率の低下よりも劇的である。第二次安倍内閣への支持率の低下が、改憲論への足かせとなるのか。あるいは、改憲論への拒否反応が、内閣支持率の低下につながったのか。簡単には言えないが、興味深い問いだ。
 過去二か月で、なぜ内閣支持率は劇的なまでに低下したのか。まずは加計問題に、共謀罪の成立、レイプ被害もみ消し疑惑等が重なったことを指摘できる。それにしてもSNS上では、大手メディアの偏向性が問題視されている。首相発案の改憲案が、各界の「反安倍」勢力を刺激して活発化させたことは、一つの背景要因ではあるのかもしれない。
  私は、以前のブログ記事で、安倍内閣の閣僚を中心とする自民党の出身母体と、前川元次官が代表する霞ヶ関エリートの母体階層に、大きなかい離があることを、あえて指摘した。http://agora-web.jp/archives/2027057.html そういったことも含めて考えないと、要領を得ない確執が続いていることを理解できないと思ったからだ。メディアについても、保守系が改憲論支持派で、反改憲派が反安倍派と同じである。
 私の『集団的自衛権の思想史』から近著『ほんとうの憲法』にかけての仕事に対する反響の中で一番多かったのは、「篠田さんのような議論をしていたら保守派を利するじゃないか」、といったものであった。いちいち保守派を利するかどうかを考えてから、著作活動をするかしないかを決めなければならないとすれば面倒な話だが、世間一般の見方は、そんなものである。
 5月以降、改憲反対派は、真っ向から自衛隊違憲論を出すのではなく、自衛隊はすでに認められているので「改憲は必要ではない」、「国民投票はコストがかかる」といった議論をしながら、「首相の個人的な意地だ」、「いずれにせよ安倍政権での改憲は認めるべきではない」、といった表現で、反対の論陣を展開してきた。論争の構図を「(保守反動で戦前を復活させる)安倍一強か、反安倍一強か」、に持ち込んで、改憲案への反対を喚起しようとしてきたのだと言える。
 この国では、70年にわたって憲法の文言が一字一句修正されていない。世界でも非常に稀有な状態である。どのような議題であれ、70年の慣行に変更をもたらすのは、大きな判断になる。様々な確執も喚起されるということだろう。普通の国民一人一人には、荷が重い話になってきているのかもしれない。
 「篠田は東大法学部系の憲法学者に挑戦をして勇気がある」、などと評してもらうこともあるが、どうということはない。基本的に、ただ無視されるだけである。
 まあしかし、それはそれで仕方がない。ポジション・トークに明け暮れていれば安泰だということでもない。政治家は政治家として筋を通すだろうし、言論人は言論人として筋を通す。とりあえずは、それだけのことである。
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 拙著『ほんとうの憲法』の執筆中に山崎雅弘『「天皇機関説」事件』という本が公刊された。山崎氏の書は、おおむね堅実な事実描写によって組み立てられている。だが、冒頭で「天皇機関説事件」の構図を、「反安倍」主義の護憲派と、「復古主義」改憲派の対立の構図として提示するのは、図式化の度合いが強すぎると感じざるを得なかった。
 山崎氏によれば、数十年にわたって参照され続けてきた久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』における「顕教による密教征伐」としての「天皇機関説事件」のまとめは、単純すぎるのだという。ほとんどの読者は気づかないのだろうが、それは山崎氏のように「あとがき」でさらっと書いて済ませてしまう話ではない。久野・鶴見のほうが、長年参照され続けてきた伝統的な「天皇機関説事件」の理解なのだから。
 山崎氏が示唆する、自由主義者が国粋主義者に弾圧された、立憲主義者が反立憲主義者に弾圧された、といった「天皇機関説事件」の理解は、いっそう強引に単純化されたまとめであるように思われる。
 だがそれも時節柄の物語なのだろう。・・・もし改憲案に賛成するとしたら、それはあなたが復古主義者の国粋主義者の軍国主義に加担するということだ、それでもいいのか?・・・、といった論調が拡散している。
 70年以上にわたって一度も改憲がなされたことのない国で、改憲案が現実化するということは、様々な確執が激しくうごめきあうということなのだ。そのこと自体は、冷静に受け止めなければならない。実際の議論の内容の低次元さにかかわらず、理解しておかなければならない。
 まあしかし、それはそれで仕方がない。ポジション・トークに明け暮れていれば安泰だということでもない。政治家は政治家として筋を通すだろうし、言論人は言論人として筋を通す。その他の方々も、それぞれの場所で、筋を通す。とりあえずは、そういうことである。

 前回の私のブログ記事に対応して、池田信夫さんが「東大法学部と「武士道」の凋落」という記事を書かれた。http://agora-web.jp/archives/2027079.html 池田さんの『失敗の法則』の内容にもつながる議論だ。安定期(冷戦体制下の高度経済成長期)と、その後の時代では求められるリーダーシップの性格が違う、ということだ。
 「武士道」とは、学界で言えば、研究室の「家」の伝統のようなものだろう。日本でも、国際政治学会などであれば、数千人の会員を擁し、戦前から続く特定大学の特定講座の伝統のつながりといったものは、相対化されている。だがもっと閉鎖的な学会であれば、事情は異なる。いまだに「武士道」が気品とされる文化があることが、門外漢にもひしひしと伝わってくる。
 戦後の日本の憲法学の成立にあたって、決定的な役割を担ったのは、1945年の時点で東京大学法学部第一憲法学講座を担当していた、宮沢俊義である。宮沢は、師である美濃部達吉が死去した際、東大法学部同僚のの前で、派手な追悼を行った。美濃部を「日本の民主主義発達史上における殉教者」と呼んだ。そして同じ東大法学部に属していた「神権主義的専制主義者」上杉慎吉を、美濃部の「最大の敵」だった、と描写した。美濃部=善/戦後派、上杉=悪/戦前派、といった構図を作り出したうえで、美濃部が経験した天皇機関説事件を、「殉教者」の事件として神格化したのである。そして自分がその正当な継承者であることを強くアピールしたわけである。(拙著『ほんとうの憲法』119頁) 
 では宮沢は天皇機関説事件が起こった際に、どのようにして師を守ったか?特段、何もしていない。宮沢は軍部ににらまれることもない内容の講義を粛々と続けていた。真珠湾攻撃の際には、喜びに満ち溢れているというアピールをする文章を書き連ねたりしていた。(拙著『ほんとうの憲法』130頁)
 宮沢は、GHQ憲法案を目にするや否や、神秘的な「八月革命」説を唱え、主権を握った国民が憲法を制定するのだから正統だ、という立場で、新憲法を承認した。師である美濃部達吉は、手続的な不備を理由にして、枢密院でただ一人、新憲法に反対票を投じた。京都大学憲法学担当教授の佐々木惣一も、貴族院で、反対票を投じた。
 宮沢の派手な美濃部への追悼の言葉とは裏腹に、宮沢は新憲法への対応について、美濃部の後追いをしなかった。結果として、宮沢は、新憲法の守護神としての東大法学部憲法学講座の「お家」の地位を守った。美濃部と行動をともにして大日本帝国憲法の秩序に恋々としすぎることなく、宮沢は、新しい体制で生きていく道を選択した。「お家」を守るという選択も、戦乱の時代の「武士道」精神だったのかもしれない。
 霞が関でも、変わり身の早い省庁は生き残った。たとえば文部省である。戦前の日本で、文部省は「教育勅語」の普及を担当し、天皇神権の「国体」を国民に徹底する役割を担っていた。 戦後になり、新憲法が施行された1947年、いち早く文部省は『あたらしい憲法のはなし』を教科書として公刊した。この『あたらしい憲法のはなし』の挿絵は、現在の学校教科書でも広く採用されており、国民向けの憲法9条理解に決定的な役割を果たしている。『あたらしい憲法の話』こそが、まさに戦後日本の「教育勅語」である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97 「あたらしい憲法のはなし」に次のような記述があった。

「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。・・・日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」

 今日、われわれが「護憲派」として理解しているものは、1947年の文部省「あたらしい憲法のはなし」の憲法解釈を守りぬくという立場のことである。
 なお宮沢俊義は、同じ1947年、全く同じ題名である「あたらしい憲法のはなし」という小冊子を公刊し、文部省「あたらしい憲法のはなし」で採用される憲法前文の読み方、つまり「主権在民、民主主義、国際平和主義」が前文で書かれている、という読み方を、提示していた。
 宮沢俊義は、文科省「あたらしい憲法のはなし」執筆で中心的な役割を果たしたとされる浅井清とともに、文部省社会教育局が管轄する同省の外郭団体である「憲法普及会」の理事であった。憲法普及会が、やはり1947年に出した公刊物に「新しい憲法、明るい生活」というものがある。そこでは戦争放棄について、次のように説明がなされた。「私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束した」。
 結局、「戦後日本の国体」において「教育勅語」に相当するのは、憲法学者・宮沢俊義の協力も受けながら、文科省が作成公刊した、「あたらしい憲法のはなし」であろう。
 私などが、いくら学術的な議論をふっかけても駄目である。『ほんとうの憲法』などという題名の本を出しても無駄である。東大法学部系憲法学にぶちあたる前に、文部省「あたらしい憲法のはなし」の岩盤規制に阻まれる。

 拙著『ほんとうの憲法』が75日付で公刊された。https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%AE%E6%86%B2%E6%B3%95-%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E6%89%B9%E5%88%A4-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E8%8B%B1%E6%9C%97/dp/448006978X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1499359297&sr=1-1 前著『集団的自衛権の思想史』では、集団的自衛権という概念の歴史を辿ったが、そのためには戦後日本の憲法学のあり方を問い直さざるを得ないことがわかった。今回は、東大法学部系の憲法学で確立された読み方だけが日本国憲法の読み方ではないことを示しつつ、なぜ東大法学部系の憲法学が特異な伝統を築くに至ったかについて、考察をしてみた。

 池田信夫さんに見本として出版社から渡された拙著を謹呈したところ、あっという間に読んでいただき、書評まで書いていただいた。http://agora-web.jp/archives/2027030.html 池田さんには、「憲法学者の精神分析」という表現で、論じて頂いた。大変に鋭い表現で、ありがたく思う。また、池田さんには、私が論じたのが、あくまでも東大法学部憲法学講座の伝統であって、たとえば同じ東大でも、法学部憲法学以外は関係がないことを、明示してくださった。ありがたい。

 私は高校の教科書の執筆委員や一般職の公務員試験の試験委員などをやっている。そこで感じたのは、社会的権力というべきものの強さだった。私が「国際政治学界ではもう最近ではこうなっている」と言っても、教科書を作り変えることは難しい。高校の先生方にアピールして買ってもらわなければならないからだ。そして学校の先生方は、東大法学部系の憲法学の概念構成に飲み込まれている。公務員試験について言えば、もともと公務員志望者で「国際関係」を選択する者は少なく、「憲法」学の影響力の足元にも及ばない。「権力は腐敗する」、と総理大臣に叫ぶ者は数多くいても、一見したところ分かりにくい社会的権力の中枢を識別して、同じようにつぶやく人は、あまりいない。

 これは、旬な話題である。安倍晋三政権が、「東京の私立大学の出身者」が中心の内閣であることは、公然の秘密である。首相自身(成蹊大)から始まって、菅官房長官(法政大)、麻生財務相(学習院大)、岸田外相(早稲田大)はもちろん、石原特命担当大臣(慶応大)、世耕経産相(早稲田大)、稲田防衛相(早稲田大)、松野文科相(早稲田大)、山本農水相(早稲田大)、山本環境相(慶応大)、吉野復興相(早稲田大)など、大半の閣僚が「東京の私立大学の出身者」である。塩崎厚労相、石井国交相ら東大出身者もいるが、20人の大臣の中で東大法学部出身は、鶴保特命担当大臣だけである。なお自民党側でも、安保法制成立時に活躍した高村副総裁や二階幹事長が中央大卒といった様子になっている。

 本来、東大は学生数が圧倒的に多いわけではない大学なので、それを考えれば閣僚の4分の1程度を構成しているのは、まだ相当な数だと言えるかもしれない。しかしかつての自民党が、東大法学部/高級官僚出身の首相を輩出するのを常道としていたこと、中央官庁の高級官僚のほとんどが東大(法学部)出身者であることを考えると、閣僚と役人の出身大学の層がずれていることは、一つの大きな特徴である。

東大法学部・官僚出身の最後の首相は、宮沢喜一であった。私に言わせれば、1993年の宮沢内閣の終焉と自民党の下野が、冷戦型の政治スタイルが終焉した瞬間であった。政権を奪還した後の自民党は、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、安倍、と、「東京の私立大学の出身者」を連続して首相として送り出してきている。それだけではない。石破茂(慶応大)をはじめとして、自民党内の首相候補は「東京の私大出身者」で占められており、近い将来に東大法学部出身者が首相の座を得る見込みはない。特に小選挙区制が導入されてからは、「東京の私立大学」系のコミュニケーションのスタイルが、有利に働いているところもあるのではないか。

近頃、安倍首相に反旗を翻したとして有名になった前川喜平・元文科省事務次官は、東大法学部出身(麻布中・高出身)で、「東京の私立大学出身者」が中核を構成する内閣の方針にも「面従腹背」を座右の銘とする姿勢で臨み、天下りあっせんにも熱を入れていた。前川氏は、裕福な家系に生まれて、華々しい姻戚関係も持っている。よく知られているように、東大生の親の平均所得は非常に高く、東大は特定の一貫教育私立/国立大付属校や特定の予備校を通過する学生が非常に多い「寡占」状態に置かれていることが、時に問題視されている。前川氏は、その意味でも典型的な「霞が関エリート」だと言えるだろう。

前川氏のような方々こそが、東大法学部系憲法学のドクトリンを中心に据えて、長きにわたり、日本社会の運用管理を担ってきた「共同体」の方々だと言えるだろう。前川氏のような伝統的タイプのエリートからすれば、安倍首相などは、あらゆる意味において、「クーデター」派でしかないのだろう。

2015年安保法制をめぐる喧噪では、東大法学部系の憲法学者の方々が、内閣法制局見解を事実上の憲法解釈の最終審であるかのように語り、首相などが勝手に「クーデター」を起こすことは許さない、といった態度をとったことが、衝撃を持って受け止められた。だが、それは、素朴な心情に突き動かされた態度だったかもしれない。

問題は、冷戦終焉後の時代の日本において、伝統的エリートが、伝統的なやり方で権力を動かす時代は終わってしまっていることだ。そのことをタブーのように感じる向きもあるかもしれない。だが本当は皆が気づいている重大な事実である。

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