「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。

2017年10月

 枝野幸男氏を代表とする立憲民主党の誕生を受けて、関連したブログ記事をいくつか書いてみた。すると、池田信夫氏も枝野氏について書いているのを目にした。http://agora-web.jp/archives/2029216.html 枝野氏が自分は「30年前だったら自民党宏池会だ」と発言したことを批判する記事だ。これは、池田信夫氏が正しい。

 宏池会の生みの親である池田勇人は、外交安全保障政策では完全に前首相の岸信介が作り上げた枠組みを踏襲した。だからこそ所得倍増計画を打ち出して、逆に経済に国民を専心させることができた。池田首相は、JF・ケネディ政権に寄り添い続けた日米同盟重視者であった。拙著『集団的自衛権の思想史』で論じたが、池田首相の時代までは、集団的自衛権は違憲だという言説はなかった。

 池田と共に吉田茂の弟子として知られる佐藤栄作は、実際には自分の派閥を持つ宏池会のライバルであった。佐藤は、1964年に池田の三選阻止を唱えて総裁選に立候補するが、敗北した。佐藤が首相になったのは、池田が病で倒れたからだ。この佐藤栄作政権末期に、沖縄返還が目指されるようになり、集団的自衛権を違憲とする言説が登場するようになった。そして1972年の集団的自衛権を違憲とする初めての内閣法制局文書が作られたのは、佐藤派出身の田中角栄が首相に就任した直後のことであった。
 田中角栄は、ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官を苛立たせた首相であった。ロッキード事件は、田中に対する報復であったという噂が絶えないのは、そのためだ。沖縄返還後に不安定化した日米同盟を再確立したのが、宏池会出身の大平正芳であった。憲法学者の石川健次・東大法学部教授は、「
9条が、同盟政策の否定によって成り立っていることは、明らかです」(『世界』20158月号)、と述べるが、初めて日米関係を「同盟」という言葉で公式に描写した首相として有名なのが、大平首相である。大平首相もまた日米同盟重視の立場であった。宏池会から続いて首相になった鈴木善幸も野党から国会で「同盟」の語の使用について責められたが、動じなかった。
 枝野氏が言及する「30年前の宏池会」というと、宮沢喜一の時代になる。1990年代に首相になった宮沢は、若い時から対米交渉にも深く関わった米国通だ。PKO法の成立に尽力したことも思い出される。宮沢が、集団的自衛権を違憲とする議論を厳しく批判した人物であったのは、極めて有名である。


 
「これまである人たちの解釈によると、横須賀沖の公海で日本がどこかから攻撃を受けた。そこで自衛隊と米海軍が一緒に行動をしているときに、米国の軍艦がやられた。
それを日本が助けると、それは集団的自衛権の行使になるから憲法違反であるという。かくのごとき解釈は、ほとんど法律家の資格のない人の言うことですね。」(中曽根康弘・宮沢喜一『対論改憲・護憲』[1997年])

 集団的自衛権行使の容認を唱えた宮沢のサンフランシスコ講和条約調印50周年(2001年)の際の講演も、有名だ。宮沢が「護憲派」だったのは、現行憲法のままで、集団的自衛権の行使は可能だ、と考えていたからにほかならない。

 時折、宮沢が主張していたのは、限定的な集団的自衛権だけだ、と言う人がいる。根本的に間違っていると思う。そもそも日本以外の全ての国が、国際法によって、個別的自衛権の行使も、集団的自衛権の行使も、制約されるのだ。集団的自衛権は違憲だが、個別的自衛権なら(制約されず)合憲だ、などという国際法を逸脱した勝手なことを言う態度こそが、満州事変のような危険な道に陥らせる。
 宏池会は、一貫して日米同盟重視の伝統を持っていると言える。宏池会が「護憲派」のイメージがあるのは、日米同盟と護憲主義の両立が、宏池会の伝統だからだ。反米主義に徹する余り、集団的自衛権をまとめて違憲にしてしまうのは、「30年前の宏池会」とは言えない。「9条は同盟を否定している」と主張する憲法学者に従い、安保法制に賛成するのは反立憲主義者だ、と叫ぶことを、「30年前の宏池会」と描写するのは、適切とは言えない。
 枝野氏は、立憲民主党を政権担当能力の政党に育てたいのであれば、よく勉強していて気の利く助言者を雇ったほうがいい。「憲法学者へのアンケート結果」だけを信奉しながら、自分は「30年前の宏池会」の立場だ、といったことをつぶやいていたら、政権担当能力を疑われる。

今回の衆議院選挙で最も注目度を上げたのは、枝野幸男・立憲民主党代表である。55議席の小政党の代表でありながら、「躍進」した「野党第一党」の党首として、民進党時代とは違う存在感を作り出した。
 小池百合子氏に「排除」された「リベラル」派が結集した、と報じられた。私は、「排除」されたのは「リベラル」ではなくて、冷戦時代に「革新」と言われていた勢力のことだろう、とブログで指摘した。http://agora-web.jp/archives/2028661.html 実際、団塊の世代が、立憲民主党の支持者層の中核であったことが、各種調査から判明している。https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_1024.html
 冷戦時代からの「革新」勢力である限り、立憲民主党には、万年小規模野党のジリ貧の運命が待っている。ただし、枝野氏は「冷戦時代からの革新」勢力支持者層を固める戦術を中心にしながら、一方では将来に向けた布石を打っていた。自らを「リベラル」と呼ぶことを拒絶し、むしろ「保守」であることを強調した。http://agora-web.jp/archives/2028734.html 小林よしのり氏ら「保守」派を自認する有名人が応援演説に駆けつける場面もあった。
 そこで選挙後に、私は、立憲民主党の未来は改憲にある、というブログ記事を書いた。http://agora-web.jp/archives/2029087.html せっかく将来に向けた布石を打ったのであれば、次はそれを活かす方策を考えるのは、野党第一党党首の責務だろう。
 高村正彦自民党副総裁は、立憲民主党に改憲論に入ってもらいたい、共産党は誘わないが、という秋波を送った。http://www.asahi.com/articles/ASKBW435ZKBWUTFK004.html 枝野代表は、この流れに乗るかのように、9条改正論議に参加する代わりに、首相解散権を制限する憲法7条の見直しに関心があることを表明した。http://agora-web.jp/archives/2029186-2.html 
 もし自民党が7条改憲を拒絶しなれば、当然、立憲民主党は9条改憲を拒絶しないということだ。立憲民主党の支持基盤を考えれば、そのような折衝が進展することに、大きな意味がある。
 私は93項追加案に賛同しているが(もちろん具体案が出ていないので、現時点では「9条解釈を確定させる3項追加」を提案しているにすぎないのだが)、改憲の現実性が高まっているとは考えていない。今回の衆議院選挙でも、与党側が大勝したとはいえ、世論に影響を与える大きなモメンタムを作り出したとまでは言えない。
 もし自民党が本当に改憲に本気なら、枝野代表を、野党第一党党首として、厚遇するはずだ。
 立憲民主党からすれば、政策を出せる健全な野党である、ということをアピールする大きなチャンスだろう。そもそも国政選挙に先立って改憲問題に一定の決着をつけることができれば、立憲民主党は、内政面に焦点をあてた国政選挙に臨むことができる。それは外交安全保障政策での不安感がつきまとう立憲民主党にとっては、大きな意味を持つ。
 もし枝野代表が本当に立憲民主党を政権担当能力のある政党に育てることに本気であれば、仮に支持者を意識して慎重に振る舞うとしても、改憲発議は容認するだろう。
 枝野幸男代表こそが、改憲の鍵を握る人物だ。


なお、私個人の希望を述べれば、そういう構図が作れるのであれば、なおさら自衛隊の存在の合憲性を明確するだけでは、物足りない。自衛隊の活動の合憲性をきちんと明確化する憲法解釈確定案を出してもらいたい。
 この機会に、自民党には、是非、現行憲法が国際法と調和する性格を持っているものを強調し、国際法にそって自衛権を運用する解釈が最も安定する、ということを、日米同盟重視の政策とあわせて、強調することを検討してほしい。
 そうなると立憲民主党は、集団的自衛権を違憲とし、国際法と調和する憲法案を否決する運動を、米国への「従属」解消を唱える政策とあわせて、展開することになる。(「保守」である枝野代表を支持する小林よしのり氏の説明https://yoshinori-kobayashi.com/13735/) 
 枝野代表は、安保法制は違憲だと言い続けなければならない立場に自らを追い込んでしまった。政権担当できる責任政党に立憲民主党を育てたいのであれば、大きな足かせである。早く処理しておくべきだ。永遠に「憲法学者へのアンケート」を参照し続けるスケールの小さい政治家像から脱皮するためには、集団的自衛権を違憲とする改憲案を、積極的に提示するべきだろう。日本がすでに批准している国連憲章に留保を付ける措置の明確化も行うべきだろう。

長谷部恭男教授については、以前にもブログでも書かせていただいた。http://agora-web.jp/archives/2027653.html だが、「立憲」民主党が衆議院選挙で「躍進」し、「立憲主義」という硬派な概念が再評価されている今、あらためて長谷部教授の著作を読み直してみることには、意味があるかもしれない。
 言うまでもなく、長谷部教授は、2015年に衆議院憲法調査会で「安保法制は違憲だ」という意見を述べて有名になった憲法学者である。憲法調査会を取り仕切っていた自民党の船田元議員は、長谷部教授が特定秘密保護法案などに賛成してくれていたので油断した、などと述懐した。しかしそれは長谷部教授のような超一流の学者に対して失礼な態度だっただろう。長谷部教授は、長きにわたり、集団的自衛権を違憲とする論者であった。
 現役憲法学者の最高峰に位置する長谷部教授の「違憲」発言は、民主党議員らを歓喜させ、「違憲法案廃止」の運動を大いに盛り上げた。しかしその結果として、船田議員が、役職を外されただけではない。民進党は、自民党に対抗し得る外交安全保障政策を打ち出せなくなった。そして、2017年に、分裂せざるを得なくなった。長谷部教授が国政に放った影響力の甚大さには、あらためて驚嘆せざるを得ない。
 長谷部教授は、『憲法と平和を問い直す』(2004年)で、護憲派の立場を維持しつつ、絶対平和主義=自衛隊違憲論の憲法学界の同僚を批判した。東大法学部憲法学のエース・長谷部教授の自衛隊合憲説は、当時の憲法学に衝撃を与えた。しかし、2017年の今日、憲法学者が口をそろえて「自衛隊は昔から合憲なので改憲の必要はない」という立場で、「アベ政治を許さない」ために大同団結できているのは、10年以上前に長谷部教授が身を挺して打っておいてくれた布石のおかげだ。
 拙著『ほんとうの憲法』の書評を読売新聞で掲載してくださった三浦瑠璃氏は、安保法制の前の一時期に憲法学者が政府寄りの立場をとったことについてふれていた。http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20170828-OYT8T50024.html これは長谷部教授のことであろう。ただし、当時の長谷部教授には、むしろ孤高のイメージがあった。
 「安保法制は違憲だ」という発言で、俗にいう長谷部教授の「失地回復」が果たされた。発言後、長谷部教授は、201510月に全国憲法研究会代表に就任し、さらに201610月には日本公法学会理事長にも就任して、憲法学者が集う二つの学会の長を同時に務めるようになった。今や長谷部教授が自信満々で「国民には、法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです」と述べるのは、裏付けのない行動ではない。
 このような背景を持つ長谷部教授の集団的自衛権の違憲論は、「立憲主義」によって、どのようにして説明されるのか。「立憲主義」の概念をかかげて憲法の平和主義を説明したことによって、朝日新聞や野党勢力をはじめとして、国政にも甚大な影響を与えた長谷部教授は、果たしてどのように「立憲主義」を駆使して、自衛隊は合憲だが、集団的自衛権は違憲だ、と論証したのか。
 不明である。
 なぜなら、長谷部教授は、立憲主義と集団的自衛権を、結び付けていないからである。
 長谷部教授は丁寧に立憲主義の観点から、自衛隊の合憲性を導き出す議論を展開した。それでは集団的自衛権はどうか。実は、長谷部教授は、立憲主義の観点からは、集団的自衛権の違憲性を、全く説明しない。集団的自衛権違憲論は、長谷部教授の「立憲主義」とは、実は、関係がない。長谷部教授の議論において、立憲主義と自衛隊の合憲性は、結びついている。しかし、立憲主義と集団的自衛権の違憲性は、結びついていない。
 長谷部教授によれば、立憲主義は、「公」と「私」を区分し、「公」が「私」に介入しないようにすることから、生まれる。価値規範が多様なリベラル・デモクラシー=立憲主義体制においては、「私」の意見の内容を、「公」が決めることができない。そこで「公」による「私」の領域への介入を不当なものとして禁止するのが、立憲主義の本質である。「公」が担当するのは、社会を維持するのに必要な「調整」問題だとされる。
 

「立憲主義は、大雑把にいえば、憲法を通じて国家を設立すると同時に、その権限を限定するという考え方です。限定することがなぜ必要かと言えば、多様な世界観を抱く人々の公平な共存を可能にするために、公私を区分し、国家の活動領域を公のことがらに限定するためだと言うことができます。」(長谷部恭男『法とは何か』101頁)

 

長谷部教授は、絶対平和主義にもとづく自衛隊違憲論を排する。なぜなら、絶対平和主義が一つの特定の価値観を他人に押し付ける行為だからだという。そこで「私」の領域の多様性を守るために、最低限の自衛権の行使が認められる。これが、長谷部教授が説く立憲主義的な平和主義であり、護憲派の自衛隊合憲論である。
 だがそこからどうやって集団的自衛権の違憲性が導き出されるのか?集団的自衛権を合憲と考えると、「公」による「私」の侵食が生まれ、立憲主義が崩されるということになるのか?
 長谷部教授は、立憲主義を駆使して、集団的自衛権の違憲性を説明することはしない。むしろ突然、国家の「合理的な自己拘束」(『憲法と平和を問い直す』163頁)が集団的自衛権違憲論である、と話を変えてしまう。そして一度自らを拘束する規則を作ったのだから、それを守っていかなければならない、という「法的安定性」に話を持っていく。「アイスクリームを食べる権利は誰にもあるが、自分は健康のことを考えて食べないことにするというのが背理でないのと同様に」(同書162頁)、集団的自衛権は、「合理的な自己拘束」(同書173頁)として、違憲だという。そして「いったん有権解釈によって設定された基準については、憲法の文言には格別の根拠がないとしても、なおそれを守るべき理由がある。いったん譲歩を始めると、そもそも憲法の文言に格別の根拠がない以上、踏みとどまるべき適切な地点はどこにもない」(同書163頁)という理由で、集団的自衛権も違憲にしておかざるをえないのだと主張する。
 この長谷部教授の議論は、少なくとも「公」と「私」の区分による長谷部教授自身の「立憲主義」とは、全く関係がない。
 国家が自らを自己拘束する、というのは、ドイツ国法学的な観念論ではないか?実際に拘束する言説を述べたのは、せいぜい内閣法制局の役人なのだから、いちいち国家が自己拘束していると考える必要はないのではないか?「国家は仮想の人格であり、人為的構成物である。生身の個人とは異なり、仮想の人格は自己保存への権利を持たない」(同書157頁)としたら、なぜその人工構成物が自己拘束などをすることができるのか?なぜ『憲法と平和を問い直す』は、150頁以降に「立憲主義」が登場しなくなってしまうのか?長谷部教授は、あるときは「国内的類推(国家を擬人化して国際社会を捉える発想)」を拒絶しながら、集団的自衛権は違憲だと主張するときだけは密かに「国内的類推」をしのびこませているのではないか?それは「国内的類推」のダブル・スタンダードであり、そもそも「立憲主義」のダブル・スタンダードではないのか?
 これらの疑問が、長谷部教授に対して、次々と湧いて出てくる。しかし長谷部教授は、淡々と、最後には、堂々と、「法律家共同体」の至高性を主張するのである。憲法が法律である以上、「解釈適用が専門家の手に委ねられることには、充分な根拠がある」(同書174頁)、という言葉で、解釈をめぐる様々な論争は、憲法学会/内閣法制局への一任、という形で解決されなければいけないものとする。
 繰り返そう。この長谷部教授の議論は、少なくとも「公」と「私」の区分による長谷部教授自身の「立憲主義」とは、全く関係がない。
 集団的自衛権違憲論は、長谷部教授の立憲主義からは導き出されない。あるいは、長谷部教授は、立憲主義について二つの異なる観念を持っている。一つは、「公」と「私」の区分という一般的原理にもとづく「立憲主義」である。もう一つは、(内閣法制局と憲法学者からなる)「法律家共同体」が決めたことは「法的安定性」のために変更してはならない、という「権威主義」と言いかえるべき「立憲主義のようなもの」である。
 なぜ長谷部教授はこのようなダブル・スタンダードに陥ったのか。一つには、伝統の問題があるだろう。すでに長谷部教授の師である芦部信喜の『憲法』に、集団的自衛権は違憲だ、と書いてある。長谷部教授は、憲法学界の同僚に、「保持する実力組織にはおのずと限界がなければならない」(同書161頁)と付け加えておく必要性にかられた。「限界」があるから、自衛隊は合憲でもいいではないか、と説明できる。本来であれば、「限界」は国際法に従う、ということだけで十分だった。しかし、憲法学者が仕切ることこそが、「自己拘束」の根拠となる。そこで長谷部教授は、とりあえず、師匠の憲法学者の見解にしたがった「限界」の線引き方法を踏襲した、ということなのかもしれない。
 理論的に着目すべきは、長谷部教授の徹底した相対主義である。長谷部教授は、憲法典からは、個別的自衛権合憲、集団的自衛権違憲、という「線引き」がなされえないことを知っている。「合理的な自己拘束という観点からすれば、ともかくどこかに線が引かれていることが重要」(同書163頁)であり、「なぜそこに線が引かれているかにはさしたる合理的理由がないとしても、いったん引かれた線を守ることには、合理的理由がある」(同書164頁)。つまり長谷部教授によれば、憲法典から、個別的自衛権合憲・集団的自衛権違憲、という結論を合理的に引き出すことはできない。しかし芦部信喜先生を中心とする憲法学者や内閣法制局の高級官僚たちが「違憲だ」と決めたことを、「違憲だ」と決め続けておくことには、合理性がある。合理的なのは内容の妥当性ではなく、決定した「法律家共同体」の威信を守ることなのである。
 私はこうした立場を、団塊の世代中心主義、と呼んでいる。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53213?page=3 集団的自衛権は違憲だという見解を内閣法制局が正式に表明したのは、1972年である。団塊の世代が学生運動を起こし、成人した時期の直後だ。団塊の世代の弟のような1956年生まれの長谷部教授が属する世代からすれば、10代後半からずっと、集団的自衛権は違憲だった、ということになる。しかし、ただ、それだけのことだ。団塊の世代を中心に法律概念を組み立てることには、「さしたる合理的理由がない」。むしろ冷戦体制が終焉すれば、見直しが必至となるのが、当然ではないか。
 さらに言えば、結局、憲法学において最も重要なのは、アメリカに対する不信である。アメリカを信用しないからこそ、長谷部教授は、最後の最後には、他の護憲派の人々と大同団結できる。「自国の安全が脅かされているとさしたる根拠もないのに言い張る外国の後を犬のようについて行って、とんでもない事態に巻き込まれないように、あらかじめ集団的自衛権を憲法で否定しておくというのは、合理的自己拘束」(同書162頁)だ、という説明は、集団的自衛権の法理が予定しているわけではない状況を、日本が常に直面する状況であると言い替えてしまう説明である。政策的分析・判断で対応すべき状況を、集団的自衛権の違憲性それ自体の根拠として主張してしまう議論である。自衛隊を合憲とし、相対主義的法律観を徹底しながら、それでも長谷部教授が、集団的自衛権はそれ自体として違憲だ、と断定できるのは、同盟国アメリカが日本を騙す悪い国だということが不変の判断基準として確立されているからなのである。もし、アメリカがそれほど悪い国ではなかったら、万が一、ほんの時折でも、アメリカが合法的で正当な国である可能性があったら、長谷部教授の集団的自衛権違憲論は、説得力を失う。
 私に言わせれば、このような長谷部教授の議論は、アメリカを中心とする第二次世界大戦戦勝国=国連加盟国=平和愛好国を「信頼」して、自国の「安全と生存を保持」する「決意」を表明した日本国憲法の精神の対極に位置するものだ。少なくとも反憲法典的であり、言葉の素直な意味で、立憲主義的でない。
 しかも、この長谷部教授の議論は、長谷部教授自身の「立憲主義」とも、全く関係がない。
 私自身は、長谷部教授の最初の立憲主義の理解が、非常に立憲主義らしい立憲主義であると認める。しかし、二番目の権威主義というべき立憲主義かもしれないもの、つまり「法律家共同体」が「法的安定性」の守護神であることが至高の合理性を持っており、「法律家共同体」は絶対に否定されてはならない、という見解は、立憲主義というよりもむしろ、単なる権威主義に近い立場だと考えている。そして重要なことに、この権威主義は、アメリカへの嫌悪、あるいは日本国憲法が信頼するように呼びかけている「平和を愛する国民」にアメリカだけは含まれないと確信する思想、によって支えられている。
 自衛権というのは、個別的であろうと集団的であろうと、それ自体が「公」の行為である。万が一にも、社会を構成する自然人の「私」の領域の問題などではない。したがって政府による自衛権行使を律するのは、「公」と「私」の区別とは関係がない。「私」の領域を守るために「公」を制限するのが「立憲主義」であるとすれば、公の自衛権を公の「自己拘束」などを理由にして制限しようとするのは、全く立憲主義的ではない。個別的自衛権の行使が主張されていても、満州事変のような侵略的な事例であれば、「私」の領域を守る効果は期待できない。他方、集団的自衛権の行使が必要とされる事例でも、他国が破壊されてしまえば自国の社会構成員の「私」を守ることが不可能になるような場合には、集団的自衛権を行使することが、社会構成員の「私」の領域を守る行為となる。
 「憲法学者が内閣支持率を下げるのに役立ちそうなので利用しよう」、といった近視眼的な考え方では、崩壊の憂き目にあう。政治家の方々は、そのことを、2017年衆議院選挙で思い知っただろう。「この学者は政府寄りだ」云々といった失礼な態度を取るだけでは、政治家としても底の浅さを露呈する。しっかりと長谷部教授のような一流の憲法学者の著書を熟読し、自分のものとしていく態度をとってこそ、立憲主義的な政治家としての活路も開けてくる。
 長谷部教授の「立憲主義」を素直に適用すれば、集団的自衛権が違憲だ、とは言えない。長谷部教授の言っていることを皮相なレベルだけで捉え、字面を追って模倣する者だけが、集団的自衛権は違憲だ、と言うことができる。
 立憲主義者の長谷部教授と、権威主義者の長谷部教授が、一つの著作の中にも混在しているのは、ややこしい事態ではある。しかし、それが実際に起こったことなのである。政治家の方々も、日本国民全員も、キャリアを犠牲にする間違いを避けたいのであれば、淡々と冷静に、「合理的」視点で、長谷部教授の著作を読んだほうがいい。

 小池百合子・希望の党代表に「排除」された人々を率いて新党を立ち上げた枝野幸男氏は、50議席を確保する成果を出した。小池氏は、彼らを「排除」し、50議席を確保した。「排除」された人たちも、55議席を獲得した。これが今回の衆議院選挙の要約であるようだ。

衆議院で87名の議員を持っていた旧民進党勢力は、安保法制の騒乱以降の共産党・社民党との共闘路線に不満を抱え、次々と離党していた。「離党ドミノ」を防ぐために、前原誠司・民進党代表が、希望の党への相乗りを進めた。結果、安保法制の騒乱に乗り切れていなかった民進党議員が希望の党に入ることになり、あわせて50議席を獲得した。その他の民進党系の勢力が、立憲民主党として、やはり50議席ほどを獲得した。

あおりを受けたのは、共産党である。21議席を約半分の11議席にまで減らした。以前には共産党に投票していた有権者が、今回は立憲民主党に投票したことが、公示前勢力と今回の選挙結果を比べれば、はっきりと見てとれる。小池代表に「排除」されたのは、民進党内で共産党に近い勢力であった。

過去には共産党に投票しながらも、今回は立憲民主党に投票した階層の核が、団塊の世代を中心とする比較的高齢であることが各種調査でわかっている。冷戦時代に「革新」系勢力に、今日でも「護憲派」に投票する有権者であると言えるかもしれない。枝野代表はそれを意識した選挙戦略を展開し、成功した。

私は立憲民主党のロゴを見ると、60年代文化の象徴とも言える、『ウルトラマン』の題字を思い出す。意図的であったのかはわからないが、「瀬戸際に追いつめられたピンチで平凡な男が英雄に変身」、というイメージを、枝野代表が立憲民主党の設立を通じて求めていたことは確かだろう。旧民主党で不人気だったキャラクター「民主くん」が、立憲民主党で『ビートルズ』のメンバーが愛用したレアなギターであるリッケンバッカーを抱えて再登場し、人気を博したのも、結果として、自分たちの(潜在的)支持者層を的確に把握したうえでアピールした戦術であったと言える。

立憲民主党の枝野代表は、「右でも左でもない」「リベラル保守」を標榜している。「上からではなく下から」、というスローガンを強調するイメージ戦略は、潜在的支持者層との整合性もあった。もし政権を目指す政党であったら、このイメージ戦略は不足感が漂う。しかし衆議院議員総数の12%程度の議席の獲得を目指すのであれば、合理的であった。

今後の日本の政党政治の課題は、立憲民主党が希望の党と野党側勢力を二分することになった不安定な現状が、どのように展開していくか、である。

精緻な政策論を展開してもらいたいことは言うまでもないが、大きな試金石となるのは、改憲問題だろう。「排除」の結果、排除された者たちよりも少なくなってしまった希望の党は、しかしやはりこのまま現実主義的な政策を打ち出せる野党としての存在価値を有権者にアピールするしかない。実は、このままやるだけ、なのは希望の党である。なぜなら自民党への投票者を切り崩さなければ政権を担うことはできないが、政策的に自民党に近いのは希望の党のほうだからである。

これに対して潜在的に切り崩せる対象が希薄なのは、立憲民主党の側である。このまま正面突破して日本社会における護憲派勢力の拡大を狙うか、何らの状況の変化を利用するのでなければ、党勢の拡大は見込めない。

もっともそうだとすると、希望の党は、自民党が失策をした場合につけこむ立場を狙えるとしても、積極的に自民党との差異を強調することが難しい立場にある。これに対して、立憲民主党は、状況が変化した場合に、自民党に対抗する勢力として浮上する潜在性は持っている。

これに関して、選挙中に枝野幸男代表の応援演説を行って話題を集めた小林よしのり氏が、意味深いことを選挙後にブログで書いているのを見つけた。

 

「リベラルも満足する「立憲主義」に基づく憲法改正案を出さねば、立憲民主党は社民党化して死滅する。・・・枝野氏は左に広げた翼に多くの宗教的護憲派を取りこんだがために、今後は苦労する局面が来るだろう。」http://blogos.com/article/254186/

 

実際、枝野氏は、もとともは改憲派で、共産党からも批判されていた人物だ。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-10/2013091002_02_1.html 「筋を通す」姿勢が維持できれば、改憲に絶対に反対ではないだろう。しかしそれでは、今回の選挙の有権者を裏切る事になる。大きなジレンマだ。

小林よしのり氏が言及している基準を満たす憲法改正案を出せれば、枝野氏は支持基盤を維持したまま、自民党投票者層をも切り崩して、政党政治家として大きな脱皮を遂げることになる。非常に難しい作業だ。やり遂げれば、立憲民主党の実力を示す効果もあるだろう。しかし非常に難しい。

おそらく現実に想定できる範囲内で、枝野氏を助けるのは、逆説的ながら、早期の改憲の実現である。護憲派の有権者を失望させない立場を維持しながら、憲法問題で袋小路に陥って、内政面での政策アピールをする機会を逸することを避けるためには、立憲民主党が弱小政党であるうちに、他人が改憲を実現してしまうのが一番楽だ。9条に手を付けるという「トゲ」がとれる改憲が実現「されて」しまえば、それを維持する立場に移行しながら、「護憲派」イメージを維持することが、立憲民主党にとって格段に容易になる。もっとも、あくまでも相対的に容易であるだけで、簡単に維持できる路線だということでもないだろう。

何をどのようにやるのかは、新しい政党である立憲民主党が、何をどこまで実現することを目標にするか、にかかっている。

今回の衆議院選挙では、政策の中身や実行という論点では、引き続き自民党の安倍晋三首相が最重要人物であることに変化は生まれなかった。しかし日本の政党政治の未来に対しては、希望の党の小池代表がリーダーシップを失った中、枝野代表が「潜在的」キーパーソンとして浮上した選挙であったと言えるかもしれない。

『現代ビジネス』http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53213『シノドス』https://synodos.jp/politics/20615 『プレジデント・オンライン』http://president.jp/articles/-/23388 などに、記事を掲載して頂いた。いずれも憲法問題で書いてくれ、という依頼であった。それにしても昨今の政治情勢を見て痛感するのは、「立憲主義」の理解である。
 日本の憲法学では、立憲主義は、「権力を制限すること」だと定義される。そこから思い切って「主権者である国民は制限されない」と言ってしまう人すらいる。こうした立憲主義の理解を、私は、戦後日本憲法学特有の時代がかった「ガラパゴス立憲主義」だと批判してきた。政府だけでなく、主権者も根本規範に服するのでなければ、「法の支配」としての「立憲主義」にはならない。私は、そもそも立憲主義を、国家を構成する根本価値を信じる態度、として考えている。
 この戦後日本憲法学の時代がかった「ガラパゴス立憲主義」について、水島朝穂先生(憲法学)が出している、篠田を攻撃するブログ記事を見て、あらためて考えさせられた。http://www.asaho.com/jpn/bkno/2017/1016.html 全編にわたって品のない言葉が並ぶ長文の四回連載である。

・・・「篠田氏の論稿は、憲法改正の当否という価値対価値のコンクールに到達するまでに、法律論として失格であり、訴訟法でいえば、訴え却下の門前払いに相当し、請求棄却判決にすら到達しえない内容である。」、「ヒステリックな物言い」、「頭の中の妄想」、「日陰者意識をもつエリート」・・・

 なぜ水島先生は私を攻撃するのか。私が、憲法学者に「一方的な論難、むしろ難癖」をつけているからだという。そして水島先生は、篠田は「蓑田胸喜」だと書いている。
 水島先生によれば、「篠田氏の手法は蓑田の足元にも及ばないが、ネット時代に助けられて、その伝播力という点では蓑田の影の手前くらいにまでは達しているだろう」だという。さしずめ篠田は「三流の蓑田」だということである。
 蓑田胸喜とは、「天皇機関説事件」で美濃部達吉・東京帝国大学教授を失職に追い込んだ右翼の大物である。「お前は三流蓑田だ」、というのは、一般の人にとってはチンプンカンプンな「ガラパゴス」語でしかないだろうが、憲法学者の方々には、お馴染みの侮蔑語だ。
 憲法学者が蓑田にこだわる事情は、実は、すでに私自身が、拙著『ほんとうの憲法』第3章で説明しているとおりである。
 外部からの批判に対して、「お前は蓑田胸喜だ」、といった類の対応をするのが一つのパターンになったのは、「戦前がまた近づいている」、という物語を、数十年にわたって「護憲派」が繰り返してきたからである。「安倍『壊憲』内閣が暴走する施行70年は、『新たな戦前』の様相を呈している」(水島先生ブログ2017年5月1日)といった物語の中で、存在価値をアピールしてきた。
 戦後日本憲法学の言説空間では、憲法学者に「論難」を与える者とは、常に必ず「天皇機関説事件」で「蓑田」とともに美濃部達吉を迫害した者になってしまう。なぜか。定義上、憲法学者は国粋的軍国主義者に迫害される受難者だということが先に決まっているので、それに対して批判をする者とは、定義上、自動的に、論証抜きで、「蓑田だ」、ということになるからである。
 そこで勇敢なる憲法学者が、現代の三流蓑田と対決して平和を守るために立ち上がる、という物語である。
 「お前は蓑田胸喜だ!」(「俺は美濃部達吉だ?」)症候群は、「立憲主義」の理解にも大きく影響しているように思える。「戦前が近づいている」物語にそった「立憲主義」によれば、美濃部は立憲/蓑田は反立憲、護憲派は立憲/改憲派は反立憲、個別的自衛権は立憲/集団的自衛権は反立憲、憲法学者は立憲/国際政治学者は反立憲・・・といった感じで、全てが二者択一の一問一答問題集のようになる。
 こうなると、立憲主義はいつも、立憲主義者と制限される権力者との政治的関係において、定義されることになる。権力者は立憲主義者になれない。しかし権力者を批判したり、批判者を「お前は三流蓑田だ」と言ったりさえすれば、立憲主義者になれる。
 「付録」で後述するが、この物語にそっていくと、相手を議論で論破した、と主張する際の方法も、ワンパターンになる。「お前は芦部先生と違う、芦部先生は偉大だ、したがってお前は間違っている」、といったパターンに持ちこもうとする話法である。ほとんど人間関係のグループ分けで、立憲主義者の認定も行われる。
 しかし、私が理解する「立憲主義」とは、そのようなものではない。
 立憲主義とは、異なる意見を持つ相手を、「蓑田だ」「ヒステリックだ」「日陰者だ」と侮蔑するための許可証のことではない。
 むしろ立憲主義とは、「私はあなたの意見に同調しない、しかしあなたの人格はどこまでも尊重する」、と言い切る態度のことだ。
 立憲主義とは、特定の職業集団の倫理的・知性的卓越性を主張し、相手の倫理的・知性的に貶めるための証明証のことではない。
 むしろ立憲主義とは、「私はこのことを正しいと考えて主張する、しかしあなたが違うことを正しいと考えて主張することをどこまでも尊重する」、と言い切る態度のことだ。
 イギリスの議会に行くと、「The honorable member/gentlemen/lady(尊敬すべき議員よ)」などと対立党議員に呼びかけたうえで、激しく辛辣な批判を加えたりする。
 アメリカの議会に行くと、「I respectfully disagree(尊敬心を持って同意しない)」と切り出して、相手の議論を徹底にやりこめる。
 日本の国会に行くと、「アベ政治は許さない」と書かれたプラカードを掲げ、演説を妨害する者たちが、「権力を制限するわれわれこそが立憲主義者だ」、などといったことを主張する。
 どんな相手であっても、相手をどこまでも人間として尊重することが、立憲主義だ。相手を人間として尊重するからこそ、議論のレベルの精度を上げて、相手に立ち向かおうとすることができる。
 The honorable gentlemen, I respectfully disagree with your understanding of constitutionalism. 
 親愛なる皆さん、尊敬心を持って、言いたい。あなた方の立憲主義の理解は、おかしい。

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                 「付録」
(水島先生の文章は、不要な修飾語が多いレトリカルな表現が羅列されたもので、冗長なところが多く、反駁していくと、どうしてもブログ記事が冗長になる。そこで末尾に「付録」としてまとめた。ご関心ある方は、この「付録」部分を、ご参照いただきたい。)
 これまでこのブログでも日本の憲法学に関することを何度か書いてきた。それなりに意味のある検討と批判をしたいと思って書いてきた。その過程で、水島教授のことは言及したことはなかった。水島教授のお仕事を知らないわけではない。ただ、私は、必ず「攻撃」しか返してこないだろう相手を批判することは、通常やらない。これからも、あまりやるつもりはない。
 今回の水島教授のブログにおける私への「攻撃」を見ると、思ったとおりの様子である。したがって、反応するのはあまり気乗りしない。ただし水島教授が私を攻撃しているのは、私が便宜的に「憲法学者」と一般的な言い方をして、議論を進めている場合があるからなのは確かだ。そのため、私もその責任内のことはやっておかなければならないだろうとは思い、以下の文章を書く。 
<9条3項>
 水島教授は、9条3項が入ると2項によって自衛隊が違憲であったことが証明されることになるので、篠田の議論は破たんすると書いている。観念論だ。私は2項解釈確定のために3項を入れるべきだと言っている。2項の解釈を逆転させるために3項が挿入された、と考えなければならない必然性はない。それを否定するのであれば、抽象的な言い方ではなく、なぜ絶対に解釈確定のための3項を入れることが不可能なのかを、もっと具体的な論拠を示して、論証するべきだ。
 また、水島教授は、「『戦力』と自衛隊は『同じ事項』ではない」というのが篠田の議論のはずだ云々と言っているが、私の3項案には「自衛隊」の文字はない。何か別の話と混同しているのではないか。
 さらに、「但し書き」「特別法」というのは本来こういうふうに使うべき概念だとかと水島教授は書き連ねているが、まずもって本論から外れた無関係な話である。考え方の筋道を示した際に使った言葉の揚げ足取りだ。9条3項が特別法になるとか、そういうことを言ったわけではない。
 それにしても、3項を入れると、2項があっても自衛隊が合憲だという篠田の議論は破たんする、という断定は、どこかで聞いたことがあるような抽象理論だ。安保法案が可決されると、政府による自衛隊が合憲であるという論拠は崩れる、と、水島教授は主張していた。
 水島教授によれば、2015年に「安倍首相は『7.1閣議決定』により、自衛隊「合憲」の憲法的正当化根拠を、根底から覆してしまった」。(水島教授ブログ2015年6月1日)
 それでは、水島教授は、「安保法制が成立によって自衛隊が合憲であるという政府見解が崩れて二年です」、という宣言をマメに行っているのだろうか?
 とすると、現在、「政府が合憲と言ってきたので、改憲は必要ない」という立場を共同でとっている現在の憲法学界の主要な面々に対して、「そんな前提は安保法制の成立から崩れている」、と、学者の良心にもとづいて、きちんと反論しているのだろうか?
 もしやっていないとしたら、どういうことなのか。あるいは「あの時は口が滑って言いすぎました」ということはないだろう。それでは「まあ憲法学者の方々は仲間ですから」とか、「理論はどうでもいいアベ政治を許さないで大同団結だ」とかといった政治的計算があるということなのだろうか?しかし水島教授が、そういう政治的計算の必要性の説明をしているという話も聞かない。どういうことなのか?
 3項を入れると2項が自衛隊違憲論になるぞ、などと嫌がらせのようなことを、抽象的な言い方で繰り返しても、説得力がない。解釈確定のための追加条項を入れる事は絶対に不可能だ、という「論拠」を示すのでなければ、無責任である。
<国民主権論>
 水島教授は、私が、憲法学者の言説を重ね合わせると、主権者である国民が政府を制限することが立憲主義だということになる、ということを、「難癖」だと言う。確かに、表現をまとめているのは、私である。しかし水島教授は、南野森・内山奈月『憲法主義』など、本屋に並んでいる本を見たほうがいいのではないか。一般向けの啓蒙書で、国民は憲法によって制限されないとするならば、同じことではないか。また、憲法学者の主権論へのこだわりについては、芦部信喜、樋口陽一、といった名前を参照しながら、『集団的自衛権の思想』でも論じている。
 水島教授は、政府が憲法によって制限されるとする文献を延々と羅列する。しかし私は、立憲主義は政府を制限しないなどとは言っていない。私の議論とまったく矛盾しない。
 それは書きながら水島教授も気づいたのだろう。「なお、篠田氏が憲法は国民も制限するというアメリカの文献をいまさら探し出してきてももう遅い」、などと言っている。
 しかし、私は、文献情報を含んだ学術書を参照している。「遅い」どころか、先に文献を示した専門書を公刊しているのだ。その上で注を減らしたブログや新書を書いている。水島教授は私のブログだけはマメに読まれているようだが、きちんと専門書のほうにもあたっていただきたい。
 そもそも私は、政府だけではなく国民を制限するのが立憲主義の本質だ、とは言っていない。誤読である。国の構成原理となっている根本的価値規範を信じることが、立憲主義の本質だ、と私は言っている。Constitutionに対するIsmが、立憲主義だ。その源流として、ロックから合衆国憲法に至る思想の系譜を、拙著『「国家主権」という思想』で書いている。まず私が書いていることを素直に読んでほしい。批判はそれからだろう。
 拙著『集団的自衛権の思想史』を書いたときには、『ほんとうの憲法』ほどの整理をした表現を使わなかったのは確かである。『集団的自衛権の思想史』は、引用で固めた。だがその過程で明らかになったのは、憲法学者が「立憲主義にもとづいて権力を制限しているのは誰なのか」という問題について、あえて直接的な引用をされるような形を避けて、逃げている、ということだった。徹底的に国民主権論を神格化し、立憲主義は権力を制限することだ、ということを強調しながら、両者の結びつきを引用されてしまう事態を避けている。直接的な引用をされると、恐れることがあるから、逃げているのではないか。
 水島教授は、いったい「権力を制限する」のは誰なのか、はっきりと自分自身で表明するべきだ。繰り返し引用されても構わないように、はっきりと宣言するべきだ。「主権者国民」でもなく「法律家共同体」でもなければ、誰が権力を制限しているというのか。
 そのあたりを曖昧にして逃げ続けたまま、「引用がない」、といった言いがかりだけをつけるのは、やめていただきたい。私は「逃げ」を明白にするために、あえてやっているのだ。読んだら分かるはずだ。
 私の立憲主義の理解では、社会構成員が自分自身を制限し、政府を制限する。それが社会契約論の系譜に連なる立憲主義の思想伝統である。
 主権者国民が政府を制限しているわけではないと主張するのであれば、いったい誰が制限しているのか、水島教授には、もっと真摯な明確化のための努力をしていただきたい。
<分割/制限主権論>
 水島教授は、何とかして英米法に分割主権や制限主権の伝統はなかった、と主張したいようである。水島教授の文章に錯綜が出てくることについては後述するが、そんな伝統はなかった、という主張でなければ、私への批判にならない。
 アメリカは制限主権論が主流なので、引用は簡単である。

「諸国(州)の個別的独立が彼らの集合的主権と全く相容れないことを知り、そして全体を単一の共和国に凝結させることが不便であるのみならず達成不可能であることを知ったので、私は国民的権威の正当な至高性をまず支持しながら、従属的に有益でありうるときはいつも地方の諸権威を排除しないような中庸(middlegroud)を求めた。・・・主権の分割性を認めることなくしては、合衆国における政府の複合システムについて知的に論じることは難しい。」James Madison, quoted in Martin B. Hickman, “Double Majesty: Madison’s Middle Ground,” in Dalmas H. Nelson and Richard L. Sklar, Toward a Humanistic Science of Politics (Lanham, MD, New York and London: University Press of America, 1983), pp. 361, 375.

「合衆国は、放棄された政府の全ての権力に関する限り、主権者である。連合の各国(州)は、保持された全ての権力に関する限り、主権者である。・・・国家(the nation)の主権は、国家の人民に存する。そして各国(州)の残余的主権は、各国(州)の人民に存する。」The Supreme Court in the case of Chisholm, Executor, v. Georgia, 1793, Quoted in J. Mark Jacobson, The Development of American Political Thought (New York, London: The Century Co., 1932), p. 410.

「国家(the state)―それによってわれわれは国家を構成する人民を意味するのだが―は、その主権権力を様々な機能に分割するかもしれない。そして各々は、制限的意味において、各々に限定された権力に関する限り、主権者であり、その他の場合には従属的である。厳密に言って、われわれの共和制政府においては、国家(the nation)の絶対主権は国家の人民に存する。各国(州)の残余的主権は、いかなる公的機能にも委ねられていないならば、各国(州)の人民に存する。」Joseph Story, Commentaries on the Constitution of the United States (Boston: Little, Brown, and Company, 1891), first published in 1833, pp. 151-152.

「権力の源泉である人民は、絶対的で無制限な主権を自らのもとに保持することはしなかった。主権は、人民が遵守するために作成した憲法にのっとっての修正や制限の下に、保持された。この憲法においては、全ての政府においてはどこかに存しなければならないと宣言され、全ての国で同じようなものとなっている、結合した主権、つまり絶対的で制限不可能で恣意的で専制的な至高の権力は、存在しない。」Nathaniel Chipman, Principles of Government; a Treatise on Free Institutions including the Constitution of the United States (Burlington: Edward Smith, 1833), p. 144.

「政府に対する抑制として設定される憲法は、人民的政体(a popular commonwealth)では必然的に、人民に対する抑制としても働く。・・・アメリカ人民は、自らの持つ権力に用心深く嫉妬を抱き、力が権利を生み出すという考えに抗して努力し、『人民の主権』という語句に、古代・現代を問わず他のいかなる政体においても与えられることのなかった解釈を与えた」Frederick Grimke, The Nature and Tendency of Free Institutions, edited by John W. Ward (Cambridge, MA: The Belknap Press of Harvard University Press, 1968), first published in 1848, pp. 241, 251.

 こうした主権分割論は、南北戦争で大きな挑戦を受けた。しかし20世紀になると、国際的な文脈で甦る。
 セオドア・ローズベルト政権時代に国務長官を務め、ウィルソン政権時にも国際連盟設立にあたって重要な役割を演じた上院議員エリュ・ルートによれば、国際連盟による「変化は主権の制限を伴い、平和を維持するために、あらゆる主権国家を諸主権国家の共同体の至高の権利に服させる。このような原則を受け入れることは、国家と政府のプロシア理論全体にとって致命的となるだろう。」quoted in Alfred Zimmern, The League of Nations and the Rule of Law, 1918-1935 (1939), pp. 252.
 第27代合衆国大統領ウィリアム・タフトは、次のように述べた。「主権は、ただ定義と程度の問題である」。合衆国の主権は、国際連盟以前にも、諸々の条約によって制限されていた。むしろそれは誇るべきことである。国際連盟は「超主権」体であり、国民主権は、保障されるがゆえに、制限されるべきである。主権とは、「諸国民の行動の自由」なのだが、一国の主権は、他国の主権と一貫性を持つ形でのみ行使される。制限を越えた主権は、「アメリカの諸原則のみならず、合衆国憲法と一致しない。」William H. Taft, “Address at San Francisco, Feb. 19, 1919,” quoted in Theodore Marburg and Horace E. Flack (eds.), Taft Papers on League of Nations (New York: The Macmillan Company, 1920)。
 水島教授は、青柳卓弥氏の見解を引用して、篠田への反駁としているが、私は青柳氏の主権理解が正しいとか間違っているとか、そんなことは一回も論じたことがない。ところが、水島教授は、青柳氏が二重主権論に否定的だから、アメリカには分割主権論の伝統があると言う篠田は間違っている、と言ってしまっている。完全に倒錯した文章である。
 しかも水島教授は、私が批判している対象の宮沢俊義を持ち出して、宮沢俊義も、二重主権論は統治権の分配の問題だと言っている、だから篠田は間違いだ、と結論づけようとしている。またしても、「お前の言っていることは宮沢先生の言っていることと違う、宮沢先生は偉大だ、したがってお前の言っていることは間違いだ」、というパターンである。この文脈で問題になっているのは、私が「アメリカには分割主権論があった」ということだけだから、宮沢の主権概念の理解によって篠田の主権論が論破される、といったことを書き連ねるのは、全く的外れである。
 事情がもう少し複雑なのは確かであるイギリス法を見てみよう。水島教授は、伊藤正巳『法の支配』(1954年)の次の一節を引用して、私への反駁としている。「・・・コモン・ローの原則も、国会制定法の前には譲歩せざるをえなくなつた・・・」。
 水島教授は、この部分の伊藤正巳の引用をもって、篠田への反論としているが、的外れである。そもそも「譲歩せざるを得なくなった」というのは、19世紀を頂点とする歴史的な変遷のことを述べている。コモン・ローの伝統が完全に駆逐された、という意味の一節ではない。むしろコモン・ローの伝統が厳然として存在していたことが、当然の前提となっている文章ではないか。
 エドワード・コークは、「大権(prerogative)」は議会用語であっても、「主権権力(sovereign power)」はそうではない、と述べたが、「Salus Populi Suprema Lex(人民の福祉が最高の法である)」といった原則を重視する思想が、イギリスのコモン・ローの「伝統」であり、市民革命期のジョージ・ローソン、ジョン・ロックといった政治思想家にも色濃い影響を与えた思想だ。
 もちろん、コモン・ローの伝統があったからといって、議会主権の伝統がなかった、などといったことを私が主張したことは一度もない。きちんと批判する相手の業績を読み、それに即した批判をすることを心がけるべきだ。私はむしろ議会主権の性質を論じている。
 ブラックストンについては、水島教授は、伊藤正巳の部分的な孫引きしかしないので示していただけないが、ブラックストンの主権の主体である「国会」は、既に混合王政で、内部に庶民院選挙民まで含んだ相互抑制体制を持っている。ブラックストンは、主権の主体の単一性について、「この島に住むわれわれには幸せなことに、イギリス憲法は、このような観察の継続的例外であり続けてきたし、これからもあり続けるだろうと思う」という立場であった。孫引きだけで人を論駁したつもりになるのではなく、William Blackstone, The Sovereignty of the Law: Selections from Blackstone's Commentaries of the Laws of England, edited by Gareth Jones, (London and Basingstoke: The Macmillan Press, 1973), first published between 1765-1769あたりをきちんと読んだ上で、趣旨に沿った引用をしていただきたい。
 水島教授は、「篠田はブラックストンを読んでいるはずだ」、とブログを引用して書いているが、ブラックストンを読まず、安易な孫引きだけで、実際にブラックストンを読んだ私を非難しているのが、水島教授である。
 ダイシーの「法的主権」に関する伊藤正巳の文献を部分的に水島教授は引用される。しかしダイシーのような帝国主義時代の大英帝国の議会主権論者であっても、「法的主権」を述べた後に、「政治的主権」の概念を対置し、両者の関係を論じた。しかもダイシーの『The Study of the Law of the Constitution』が版を重ねて変遷を繰り返していることにも注意してもらいたい。『「国家主権」という思想』第2章で整理してあるが、引用の有無にこだわるなら、A. V. Dicey, Lectures Introductory to the Study of the Law of the Constitution (London: Macmillan and Co., 1885), Dicey, The Law of the Constitution, third edition (1889), Dicey, Introduction to the Study of the Law of the Constitution, eighth edition, published in 1915をきちんと直接引用していくべきだろう。
 ところでダイシーと同時代のイギリスの国際法学者の巨匠オッペンハイムは、次のように述べた。「さらなる学術的論争に陥りたくなく、たとえ変則的で非論理的であっても生活の事実や事物の実際の状態を重視したいのであれば、擬似主権国家が存在していることに疑いがない以上、主権が分割されると考えるのはもっともなことである」。Lassa Francis Lawrence Oppenheim, International Law: A Treatise, vol 1, Peace (London: Longmans, Green, and Co., 1905), pp. 99-102.
 いずれにせよ、水島教授には、伊藤正巳の本全体の趣旨の整理ではない部分的な「孫引き」だけを繰り返し、伊藤正巳、伊藤正巳、伊藤正巳、伊藤正巳、伊藤正巳、と「孫引き」を繰り返す。しかし他人を批判するなら、せめてきちんと原典をあたり、「孫引き」ではなく「引用」をするべきだい。そのうえで、私が議論していることの妥当性を、具体的に、反駁するべきだ。
 いずれにしても、すでに述べたが、水島教授の文章は、全編にわたって、「お前の言っていることは芦部先生(伊藤/青柳/マッケルウェイン・・・)の言っていることと違う、芦部先生(伊藤/青柳/マッケルウェイン・・・)は偉大だ、したがってお前の言っていることは間違いだ」、という話ばかりである。こういう話し方だけでは、自分が依拠している議論の論拠を示したことにはなっても、他人の議論を論破したことにならない、という基本的なことに、水島教授には、ぜひ気づいていただきたい。そうした話し方は、Argumentではない。単なる権威主義(authoritarianism)にもとづいた断定(assertion)である。中世キリスト教世界の教会権力と同じ振る舞いだ。こんな話し方だけが真理になるのであれば、未来に向けた学問の発展はありえない。
<立憲主義>
 同じような話し方で、水島教授は、McIlwain(1949年)を引用し、篠田の言っていることがあの「有名な」McIlwainと違う、という断定を持って、篠田が間違っていることの証明だと主張する。すでに指摘したパターンの話し方である。しかしMcIlwainについては、私は、自分の言っていることが、McIlwainと違っているとは思わないことを付け加えておかざるをえない。
 水島教授は、McIlwainが立憲主義は政府を制限すると書いていることをもって、私の言っていることがMcIlwainと真逆であると断定し、それをもって私が間違っているという主張に変えようとしている。
 繰り返すが、私は、立憲主義とは、国家の構成原理を信じることだ、と言っている。国民を制限することが立憲主義だ、などとは、言っていない。まして政府を制限すると立憲主義が失われる、などということは全く言っていない。したがってMcIlwainが、立憲主義の「one essential quality(一つの本質的な要素)」が政府を制限することだ、と書いていることに、私が驚かなければならない理由はどこにもない。(ただしここでMcIlwainが、あえて「one」と書いていることには、注意が必要だ。)
 もう少し真面目なMcIlwainの読み方が必要だ。水島教授が引用している部分のMcIlwainの文章を見てみよう。立憲主義が政府を制限する、ということの説明として、McIlwainは、次の諸点をあげていることがわかる。恣意的政治・専制的政治・意思による政治の対立テーゼとして、政府を制限する「一つの」本質的特質を持つ立憲主義が、存在する。つまりMcIlwainは、「will(意思)」による統治を反立憲主義的なものとしてとらえ、「government of law」(法の統治)を、立憲主義の特性として捉えている。この場合の「law」は、言うまでもなく、「rule of law(法の支配)」を言う場合のレベルの「law」であり、それを成文化しようとしたらConstitutionになるはずのレベルの「law」である。
 私が言っていることとMcIlwainが言っていることは、むしろ同じである。
 政府を制限するとは、「意思の支配」に対して「法の支配」を貫徹する、という文脈において、そうである。「法の支配」に対応するレベルの「法」=Constitution=社会の最高構成原理に支配させるということは、つまり社会構成員がその価値規範を信じて行動する、ということだ。
 ただ漠然と政府を制限することを唱えていれば、立憲主義者になれるわけではない、ということだ。そのことを強調して、何がいけないのだろうか。McIlwainもきちんと強調している。
 ところでいみじくも水島教授は、McIlwainの翻訳も参照している。良いチャンスなので、注意深い読者には、よく見て頂きたい。McIlwainが簡明に「government」としか言っていない箇所を、訳者が「統治権」などと踏み込んだ意訳をしていることが、鮮明に見てとれる。恐るべきドイツ国法学/大日本帝国憲法の影響の残滓である。
 これについて水島教授は、「Government」には「sovereign power」の意味があるから、それを訳すと「統治権」になるだけだ、と主張する。では、なぜ、「主権」とか「主権的権力」と訳さないのか。「sovereign power」を「統治権」と訳すのも、意訳と言わざるを得ない。
 もし本当に水島教授が「主権」と「統治権」は同じだ、と断言する覚悟を定めるのであれば、そのようにはっきりと表明し、そのように断言できる根拠について明示すべきだ。さらに「主権」と「統治権」は同じであるという水島説にしたがって発生する日本国憲法、大日本帝国憲法、芦部信喜『憲法』をはじめとする様々な憲法基本書の読解方法について、きちんと説明をしてほしい。
 私は、繰り返し芦部信喜『憲法』の冒頭で提言命題として述べられている「統治権」概念は、現在では実定法上の根拠がなくなってしまった、ドイツ国法学/大日本帝国憲法の残滓に過ぎない、と指摘している。さらに問題なのは、「統治権」の実在を「信じる」憲法学者によって、「統治権」が都合の良い操作概念として用いられていることだと、論じている。
 これに対して水島教授は、どのような反駁をしているか。何もしていない。それなのに「篠田の嫌いな統治権」などという意味不明な修飾句をもてあそぶ。知っているのに無視して、無関係な事ばかりを持ち出す。
 水島説によれば、統治権は権利ではなく、権力(power)なのか。それではいつ誰が何によって大日本帝国憲法の用語法からの転換を権威づけるのか。水島説は、大日本帝国憲法から日本国憲法からの断絶を強調するのか。適正な訳だと断言するのであれば、当然、これらの疑問に精緻に答えていただく必要がある。上述の点をふまえて、水島教授は、あらためて、まず私とMcItwainの言っている事が違う、ということを真面目に証明し、その上でどちらが妥当なのかを、単なる権威主義ではない何らかの論拠にもとづいて、論証し直すべきだ。
 さらに統治権とは何なのか、なぜ統治権に対する篠田の見解を一笑に付して蔑視することができるのか、何らかの論拠にもとづいて、真面目に論証するべきだ。
<国際立憲主義>
 次に国際立憲主義についてみてみよう。水島教授は、私の「国際立憲主義」への参照によって、何を言っているか。『ほんとうの憲法』注22に、私が自分の著作しか入れなかったのは、おかしい、という苦情である。しかも、その苦情を、延々と2,600字以上にわたって書き連ねている。この注22をもって、私が自著を「世界のスタンダード」として主張しているなどと描写したうえで、それは法外だ、と延々と苦情を言っている。
 もちろん、私はそんなことは言っていない。ただ例示しただけだ。
 「国際立憲主義」あるいは「グローバル立憲主義」に関する文献を真面目に注に入れたら、数十、数百点入れても、足りない。厳選して入れるには、それなりの基準の精緻化が必要だが、新書でそんなことをやる人は、どう考えてもいない。
 そこで例示として自分の著作を注一つ使って紹介したということが、2,600字以上も使って延々と責め立てなければならないほど法外で罪深いことなのか。理解に苦しむ。よほど腹に据えかねたようだが、些末すぎる。
 そんなことに2,600字以上も書き連ねる時間があるのであれば、そういう「国際立憲主義はない」とか、「あるけど、こうだ」とか、もう少し実質的な議論をしていただくことはできないのか。結局、自分でも「英語圏ではこの概念について一定の議論がある」とか言うのであれば、注22の書き方が悪い、などということに、いったいどんな意味があるというのか。
 水島教授は、私の注22がとても気に入らない。それはわかった。だが注の22が、なぜ「憲法研究に対する執拗な論難」になるのか、きちんと説明するのでなければ、水島教授はただ感情の赴くままに字数を積み重ねているだけの人物になってしまう。説明すべきだ。
<国家の三要素> 
 率直に告白しよう。水島教授の篠田攻撃の中で、最も深く肩透かしを食らわせるのが、国家の三要素についての記述だ。水島教授は、「連載二回目」を開始するにあたって、「国家の三要素」説を批判する私に対して、「抑制と謙虚さが最低限のたしなみ」がない、「篠田氏のアグレッシヴな姿勢はとどまるところを知らない」、「憲法研究者の忍耐の限度を越している」といった言葉を、「天皇機関説事件」を随所で回顧しながら、延々と積み重ねる。それで何を言うか。
 篠田は、「実定法上の根拠がない」などというが、「『国家の三要素』は、講学上の概念であり、明文規定があるわけではない」と水島教授は言う。つまり私が言っている通り、国家の三要素には、実定法上の根拠はないのだ。だったらそれでいいではないか。なぜ私は非難されなければならないのか。
 もし、私が「実定法上の根拠がないのは水島教授の責任だ」、と言っていたら、水島教授は怒るべきだろう。だが、私はそんなことは言っていない。
 水島教授は、またしても数千字の字数をあてて、この教科書でも、この教科書でも、この教科書でも、この教科書でも、国家の三要素が出ている、と訴えてくる。私としては、「So What ?(だから何?)」である。
 高校の教科書に記述については、具体的に言うことは影響を考えて差し控えるが、水島教授が私を論駁するためにすべきことは、この教科書にも、この教科書にも、と引用し続けることではない。ある特定のモンテビデオ条約と国家の三要素の混合の仕方を正当だと考えるのであれば、学術的にそれを明示することが務めのはずだ。それを行わずに、「この教科書でも、この教科書でも・・・」を延々と続ける。意味が分からない。
 モンテビデオ条約と国家の三要素は、学術的に確立された見解として、どう結合しており、それはどのような論拠で正当化されるのか。他人を批判する前に、水島教授は、明晰に論証すべきではないか。念のため言っておくが、論証とは、「この教科書でも、この教科書でも・・・」のことではない。
 水島教授が私に大変に不愉快な思いを感じている事は痛いほど伝わってくる。その不愉快さを表現するために、必死に字数を積み重ねている姿を想像するのは、私にとってもつらい。しかし、私が本を書いているのは、水島教授を喜ばせるためではない。水島教授が「私は不愉快だ」と繰り返して訴えてくるのは、私にとっても楽しい話ではないが、しかし私には、「So What?」以外の反応は、できない。
 同じことを何度も書いて本当に恐縮だが、他人の批判をする際には、その人物が言っていることをしっかり理解した上で行うことが、当たり前だが、まずは基本だ。
 私が『集団的自衛権の思想史』や『ほんとうの憲法』で「国家の三要素」の話をしているのは、「実定法上の根拠がない」ことを誰かの責任にして責め立てるためではない。日本の憲法学に、ドイツ国法学の影響が強いこと、国家の三要素を導入したプロイセン憲法を模して大日本帝国憲法が制定されたときに作り上げられた学会の仕組みが今でも根強いこと、そういうことを書いている文脈の中で、「国家の三要素」に言及した。
 水島教授は、全くそのことにふれない。水島教授は、私の本に全く関心がない。水島教授は、私という人間に関心がないのだろう。「三流蓑田」として論駁して見せる相手として以上の関心がないのだろう。残念だ。
<統治権>
 水島教授は、統治権についても、延々と「この教科書でも、この教科書でも、この教科書でも・・・」を続ける。申し訳ないが、日本の教科書類における統治権概念の広がりは、私の議論を補強するものであり、何ら反駁になっていない。なぜ水島教授は貴重な研究時間を割いてこんなことをやっているのか・・・・。
 私が『集団的自衛権の思想史』や『ほんとうの憲法』で「統治権」の話をしているのは、「実定法上の根拠がない」ことを誰かの責任にして責め立てるためではない。日本の憲法学に、ドイツ国法学の影響が強いこと、プロイセン憲法を模して大日本帝国憲法が制定されたときに作り上げられた学会の仕組みが今でも根強いこと、そういうことを書いている文脈の中で、「統治権」に言及した。
 水島教授は、全くそのことにふれない。水島教授は、私の本に全く関心がない。水島教授は、私という人間に関心がないのだろう。「三流蓑田」として論駁して見せる相手として以上の関心がないのだろう。残念だ。
<憲法前文>
 水島教授は、憲法前文における「Justice」は、確かに外務省仮訳まで「正義」だった、と認める。だが私が、「その後、内閣法制局で正式な日本語の草案が作られた際に、『公正』にされてしまった」と述べることを、水島教授は批判する。なぜなら政府案が閣議に諮られる前には、「安倍能成氏案」というべきものと「法制局案」というべきものがあり、「公正」の語は安倍案のほうにあったから、という理由である。
 だが要するに閣議に向けて事務方では内閣法制局が担当して詰めが行われたプロセスで、「正義」が「公正」になったのではないか。内閣法制局も「公正」にする案でまとまったのである。私が言及しているのは、「プロセス」部分の話であって、「発案者」個人名の話ではない。
 そこから先の細かい話は、すべて推察になる。その前提で私も推察をしている文章もあるが、「だろう」で「推察」である。誰にも「推察」以外では立ち寄れない領域に、「推察」をしているだけだ。学術論文なら、「だったということもありうる」みたいな表現にしたかもしれないが、そんなことはどちらでもいい些末な話だ。
 水島教授が「実は歴史の真実はこれだ」というのであれば、「ここから先は誰にとっても推察」の仮定が崩れ、私の議論は論駁されたことになる。だが水島教授は、そういった「歴史の真実」を出すわけではない。閣議決定にあたって内閣法制局が事務方では中心になって進められたプロセスで、文相が積極的な参加をした経緯もある。ただ私は「発案者」のことを述べたのではない。「プロセス」のことを述べた。それで、確かに私は、それは内閣法制局が担当していたプロセスであることを重視した表現を使った。特にそれが間違いだったとは思わない。
<合衆国憲法の「正義」>
 水島教授は、「憲法前文の『公正』は合衆国憲法前文の『正義』か」、という質問形式の題名を付した部分において、合衆国憲法のJusticeは、「司法制度の確立を中心として理解されている」ことをもって、私への反駁としている。だが、国制においては、「司法」としてのJusticeが、「正義」と訳してもいい広義のJusticeを意味することくらいは、述べる必要のない自明なことだ。米国司法省がDepartment of Justiceであり、米国最高裁判所の判事がJusticeであることなど、中学生くらいでもよく知っているのではないか。
 水島教授が私を反駁したいのであれば、合衆国憲法前文のJusticeが、米国特殊な具体的な司法制度のことだけを意味し、その他の意味は持ちえず、持っているとみなさることもない、ということを論証しなければならない。
 水島教授が持ってきてくれた飛田茂雄氏の描写が、とても優れている。孫引きになるが、とても優れているので、水島教授に引用していただいた部分をよく見てみたい。

「1776年の「独立宣言」の最後のほうに、英国人が生来持っていたはずの”justice”への言及がある。これは単に抽象的な「正義」ではなく、「法秩序」、あるいは「順法精神」と訳せる概念であろう。同年の「バージニア権利宣言」にも、1780年の「マサチューセッツ権利宣言」にも、自由な政府、および個人の権利や自由の基本として、”a firm adherence to justice”や”administration of justice”が必要だと書いてある。その”justice”の根本的な意味も、抽象的な正義ではなく、具体的な内容を持つ「公正の原理」と「法秩序」である。もし、justiceのこういう根本義が文脈によって明らかであるならば、「正義」という訳語を使ってもいっこうに差し支えない。しかし、この憲法前文では不適当な訳語だと私は思う。くどいようだが、米国憲法が確立しようとしていたのは、単に「正義」と呼ばれる精神ではなくて、(共同の防衛や公共の福祉と同様に、実質的な内容を持つ)「法秩序」、具体的には「法体系」と「司法制度」であった。実際、条文に規定されているのは、具体的な法体系と司法組織との整備である。したがって、私はここを「法秩序を確立すること」、あるいはせめて「法に基づく正義を確立すること」と訳したい。」

 まさにこれである。私が言っているのもこれだ。
 ところが水島教授は、違う、という。なぜなら私が、「前文において『平和を愛する諸国民の正義(justice)と信念を信頼』する場合、国際的な法秩序を信頼する、という含意があることは、当然だ」、と書いたからだという。
 というのは、水島教授によれば、「アメリカ合衆国憲法前文の文脈で『Justice』を確立するのは、独立が保障された公平中立な裁判官である」から、そんな裁判官は国際社会にはいないから、絶対に同じ「Justice」が国際的な法秩序に適用されることはないのだという。
 今、飛田氏が、「独立宣言」あるいはそれ以前の英国人の観念にまでさかのぼる「justice」が合衆国憲法の「justice」だと説明してくれているのを、引用したばかりではないか! 冒頭で「世界の諸国家の間」の「自然の法と自然神の法」なるものにふれ、「自明の真理」から革命権の正当化まで行っているのが北米13州(State)「独立宣言」(A Declaration by the Representatives of the United States of America, in general congress assembled)である。合衆国憲法では、条約の「最高法規性」が定められているだけでなく、公海において「諸国民の法(law of nations)」にしたがう規定もある。どうやってそこにある「Justice」が、国際秩序と結びついてはいけない「justice」だと主張できるのか。
 アメリカ主導で国連憲章が成立した際、国際司法裁判所(International Court of Justice)も設立された。日本国憲法起草に先立って起こっていたことである。水島教授によれば、ICJには、「独立が保障された公平中立な裁判官」などはいないのだろう。しかし、だからと言って、1946年にアメリカ人たちが水島教授と同じようにしか考える事はなかった、と仮定するのは、無理だ。
 それにしても、わけがわからないのは、水島教授の次のような文章である。
 「なお、篠田氏にあらかじめ言っておくが、本「直言」を読んだ後に、今さら合衆国憲法前文の「Justice」について篠田氏と同じ主張をする学者の文献をどこからか引っ張り出してきても遅い。」 
 「遅い?」早い?・・・わけがわからない。いったい水島教授は、何をやっているのか。
 水島教授の眼前には、「蓑田胸喜」と、蓑田を斬首する英雄の姿しか映っていないようだ。
<その他>
 四回にわたる水島教授の連載は、「憲法九条」と題された文章で終わる。そこには、私の議論が、リチャード・フォークの議論や、藤田久一の言説と異なっている、ということ、いかに私の9条解釈が危険なものであるかということが、「常軌を逸した」とか豊かな表現がふんだんに盛り込まれて、延々と書かれている。そのほとんどがイデオロギー的な立場からの批判なので、もはやここでコメントすることは控える。
 付記するとすれば、一点。2003年7月15日に小泉純一郎・内閣総理大臣名で提出された「答弁書」は、個別的自衛権と集団的自衛権の両者が重なる場合にはどうなるのか、という質問に対する回答はなされなかった、と私が『集団的自衛権の思想史』で書いたことが、水島教授のどこかでの議論の剽窃ではないかと疑う記述があるが、もちろん、そうではない。私は、回答がなされなかった、という事実を端的に記述しただけで、水島教授のように「回答がなされなかった」ことを「関係方面に取材して得た情報」で裏付けるなどとうことは、思いつきもしなかった(「回答がなされなかった」ことを取材する必要があるというのは、どういうことなのかわからない)。「回答がなされなかった」ことは、誰でもわかることで、剽窃が疑われるということ自体がありえない。

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