2018年の国政は、憲法改正が大きなテーマになるという。言うまでもなく改憲の本丸は9条である。平和国家の仕組みを話し合う議論が成熟する機会となれば、素晴らしい。
  しかし野党第一党の立憲民主党などは、9条改正を認めない立場をとっていない。「立憲主義違反」の安倍政権が続く限り、改憲がなされても結果を認めない、といった発言もあった。
 国会で改憲発議を止められない冷戦時代「革新」党系勢力が、議論の質で存在感を見せようとするのではなく、国会内外のパフォーマンスに知恵を絞るとしたら、不毛である。「戦前の復活」「ナチスの再来」「軍国主義化」「独裁国家化」など、お馴染みの紋切型が、「立憲主義違反」なるシュプレヒコールとともに、扇動的に唱えられるのだろうか。そうなると、改憲を議論する年は、あらためて不毛な対立の年になる。
 改憲することが立憲主義を失わせることだ、などというのは、ナンセンスである。まして霞が関の慣例に従った内閣法制局長官の任命をしないと立憲主義違反になるとか、芦部信喜と違う憲法解釈をとると立憲主義違反になる、などいうのも、全くナンセンスである。
 責任ある政治家たちが、不毛なパフォーマンスを繰り返し、不必要に国力を疲弊させ続けることこそが、立憲主義国家としての日本の危機である。
 もっとも、そういう不毛な方向に進む可能性は高いような気がしてならないが・・・。