「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2018年03月

 大学人にとって、3月は調査出張シーズンだ。私も、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカと渡り歩いてきている(ブログも海外から更新している)。ただ国立大学に勤めていると、試験監督などには戻ってこなければならない。3月は12日に後期入試があったので、その前後は日本にいた。そういう時には予定をつめこんでしまうのだが、本屋に行って目に付いた最新刊を購入するようなこともする。
 たとえば、121日に亡くなられた西部邁氏の新書は、何となく気になったので購入した。http://news.livedoor.com/article/detail/14189885/ 西部氏は保守派の論客として一時代を築かれ、著作も多数に渡る方なので、一冊の本の内容だけを取り上げて云々することは難しい。ただ、西部氏の国際法に対する言及には、非常に印象深く感じるものがあった。
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 「インターナショナル・ロー(国際法)なるものの不安定さの反映ともいえる。つまり、国際法への違反があったとしても、それに制裁を加える政治主体が公式には存在しないということである。・・・国家秩序に先行する国際秩序などありはしないのだ。・・・国際法なるものの実体は、国連における決議や宣言の集まりなのであり、その経緯を左右しているのは安保理常任理事国などの世界列強である。・・・世界政府などは、存在しない以上に存在してはならぬものなのである。・・・」(西部邁『保守の神髄』5152頁)
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 西部氏は、安保闘争時の学生運動家から、保守思想の論客となるまでの経歴で、一貫してナショナリストであっただろう。それは「対米追従からの自立」といったテーマで表現される。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54505 その思想的立場からすれば、国際法の拒絶は、必然的な部分があるのだろう。したがって西部氏の国際法理解は、いわゆる左右両陣営が共有しているようなものであろう。「憲法学優越説」なるものが、日本人の良心の最後の砦のように語られるのも、つまるところ、憲法学者も保守思想家も、国際法を信用していないからだろう。http://agora-web.jp/archives/2031537.html 
 僭越ながら、私に言わせれば、「国家秩序に先行する国際秩序などありはしない」というのは、世界の現実から乖離した断定だ。南スーダンに行こうが、東ティモールに行こうが、世界の大多数の国々は、20世紀後半の国際秩序の成立を大前提として、国家を成立させている。ヨーロッパにおいてすら、ほとんどの国々は、第一次世界大戦以降の国際秩序の成立によって生まれたものだ。西半球世界が19世紀以来ヨーロッパ植民地の桎梏から逃れたのは、モンロー・ドクトリンの国際地域秩序のおかげである。
 端的に言って、「国家秩序に先行する国際秩序などありはしない」という断言は、日本国憲法が、アメリカ人によって起草されたものであり、その思想的淵源は、アメリカ独立宣言、合衆国憲法、大西洋憲章、国連憲章といった英米法及び国際法の秩序観にある、という事実を無視しよう、という提唱にほかならない。日米安全保障条約が、日本が主権回復したのと同時に締結されたものであり、20世紀後半の日本の国家存在と密接不可分な存在であることを無視しよう、という提唱だ。「国家秩序に先行する国際秩序などありはしない」という保守思想、及び「憲法優越説」を掲げる日本の憲法学は、政治的動機付けに訴えて、歴史的経緯を否定することを唱える立場だと言わざるを得ない。
 西部氏は、世界政府の不存在が国際法の実体性の欠如を証明していると論じるが、これは国際法という法規範に対する根本的な誤認である。拙著『集団的自衛権の思想史』や『ほんとうの憲法』で、日本の憲法学におけるドイツ国法学の影響(戦前の憲法学の栄光を否定できなかったこと)からいびつな日本国憲法解釈が生まれたことを論じたが、「憲法優越説」をイデオロギー的に掲げる人々の国際法への蔑視も、同じように考えることができる。
 国際政治学の古典とされる著作の一つにへドリー・ブルの『アナーキカル・ソサエティ』があるが、その題名が意味するのは、国際社会は無政府である社会である、という基本メッセージである。ブルは、人類学者による無政府社会の秩序に関する研究を参照しながら、無政府社会が、無秩序社会とは違うことを、無政府社会には無政府社会なりの社会秩序があることを、この古典的著作で、丁寧に説明している。
 法律とは、主権者の命令である、と19世紀前半の法学者ジョン・オースティンは定義した。オースティンは、したがって諸国民の法(law of nations)は法ではない、と断じた。二百年前のヨーロッパの話である。国際法(international law)規範が確立された21世紀の今日、オースティンを信じる者は世界の少数派だ。
 
国際社会にも主権者はいる。ただ、単一ではなく、分散的に200弱程度の数で、存在しているだけだ。主権者は、絶対に単一不可分でなければならず、200近くもいたらそれは主権者ではない、と主張して初めて、国際法の法的性格を否定することができる。だが、そんなことは、一つのイデオロギー的かつ歴史制約的な意見でしかない。
 
国際法秩序は、国内法秩序とは異なる。だがそのことを理由にして国際法の法規範性を否定するのは、悪しき「国内的類推(domestic analogy)」の陥穽である。
 国際法に制裁がない、というのは誤認である。経済制裁だけでなく、武力行使を伴う制裁もある。国内法でも違犯行為があり、キャリア官僚群が組織防衛に走れば公文書改ざんがされ、問題になると、制裁が加えらたり、加えられなかったりする。国際法でも違犯行為があれば、制裁が加えられたり、加えられなかったりする。脱法行為の形態が違うのは、社会の仕組みが違うからで、法がないからではない。
 
国内法と同じでなければ法ではないのであれば、国際法が法ではないことは自明であろう。だが国内法も広い意味での法の一形態であり、国際法もまたそうなのだ。
 
戦後日本を覆い続けた硬直した左右の対立構造は、ただ一言、国際法は法である、と言ってみるだけで、溶解していくだろう。
 
遅まきながら、そのような態度が日本人に求められ続けていることを、そろそろもう少し認知してもいいのではないか。

 自民党の憲法改正推進本部が、改憲案をまとめる方向を固めたという。今月に入ってから、「森友祭り」を理由にして、多くの論者が「憲法改正は不可能になった」と論じていただけに、自民党案を一本化して提示する方向を固めたことは、評価したい。
 「必要最小限度」の文言を、取り除いたという。望ましいことだと思う。石破氏らの「曖昧だ」という指摘を取り入れ、「自衛権明記」を主張していたグループの意見も取り込んだ形だという。私も、石破氏と同じ考えなので、この文言を取り除くのは、大変に良いことだと思う。
 憲法学では、「必要最小限」という政府見解の歴史的展開の中で生まれた概念を、「フルスペックの軍隊ではない」自衛隊が行使する「フルスペックの自衛権ではないもの」といった話で解説してきた。それによって思いついたときに「政府を制限するのが立憲主義だ」などといった政治運動上の主張をする間口を確保してきた。
 しかし日本人の誰も「フルスペックの軍隊」なるものについて理解しているわけではなかった。最悪なのが、憲法学に染まってくると、「フルスペックの軍隊」とは戦前の日本の大日本帝国軍のようなもので、しかもそれは憲法の規制を離れた国際法が認めているものだ、といった全く根拠のないデマが流布されたりすることだ。
 国際法上の自衛権は、「必要性(necessity)」と「均衡性(proportionality)」の原則によって規制されている。憲法典上の根拠のない意味不明の憲法学ジャーゴンを排し、国際法規範による規制を直接取り入れることが、望ましい方向性だ。
 「必要最小限」概念を憲法典から取り除くことは、規制が弱まることを意味しない。本来、憲法学の基本書による「自衛戦争」の規制から、国際法規範による「自衛権行使」の規制に、議論をシフトさせることが望ましいのである。
 「自衛隊」が「実力組織」と描写されることは、曖昧さの余地を残す。だが少なくともそのような存在である自衛隊が、「国際法上の軍隊」であってはいけない理由はない。
 「森友祭り」は、まだしばらく続くだろう。国会の三分の一を持っていない改憲反対派は、政治運動を通じて改憲に反対するしかない。もっとも公明党をはじめとする自民党以外の政党が、どのような立場をとってくるかは未知数である。そもそも自民党ですら、まだ条文案の確定という段階には進まないのだという。
 改憲問題をアベ問題と同一視する動きは、今後もさらに高まっていくのだろう。おそらくそのような姿勢は、極めて近視眼的なものだと私は思うのだが、直近の改憲案の行方に影響を与えないわけでもないだろう。改憲案の行方は、まだまだどうなるかわからない。
 それにしても議論の記録は残る。行政公文書なるものは、キャリア官僚群がその気になれば、組織的に改ざんされる。だが、公の議論の記録は、そうはいかない。
 今後も、歴史に残る議論を期待したい。

 日本では「森友祭り」が華やかなようだ。つくづく日本には、政策ではなく政局にしか関心がない人たちが多いのだな、と感じる。意識して記事をフォローしているわけではなくても、お馴染みの人たちがお馴染みのポジションで、興奮して政局見通しを披露するのに盛り上がっていることは、手に取るようにわかる。
 今のところはっきりしているのは、宇佐美典也氏が言うように、「本当の被害者は近畿局の現場のノンキャリである」ということだけなのではないか。http://agora-web.jp/archives/2031619.html 命を賭してまで告発することを重くとらえていた事情は、本当にお気の毒だ。今のところ問題がどこまで波及するのかわからないが、現場のノンキャリに負担を押し付ける形で、少なくとも財務省高官エリートのキャリア官僚がおかしな画策をしていた事実は、動くことがない。
 私個人の乏しい経験から考えても、「“官僚は真面目だし自分の判断で公文書を改ざんできるような度胸はない、従って政治家が関与したはずだ”という趣旨の発言をしている政治家や元官僚がいますが、これは間違っていると思います。むしろ逆で、自己保身と組織防衛が行動原理の官僚は、バレないと思えば何でもやります。」という岸博幸氏の言葉は、非常に納得するところが多い。 https://www.msn.com/ja-jp/news/national/森友問題「理財局の単独犯行」では説明がつかない3つの疑問/ar-BBKgTDl?ocid=sf#page=2 実際に巨大組織の中に属している方は本当に大変なのだろうと思う。
 とはいえ、こういう事態も政治の一部だ、ということだろう。しばらく前に「内閣支持率の低下は、改憲案への逆風か、改憲案が作った風か」という題名でブログ記事を書いたことがあるがhttp://agora-web.jp/archives/2027249.html 、自民党が改憲案をまとめるといった時期になると、「森友祭り」のような事態になったりするものなのだ。
 『現代ビジネス』さんで、3月下旬に武力行使の可能性が高まる山が来ることを見越して、北朝鮮の金正恩氏が布石を打ってきたと見るべきだろうと書かせていただいた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54815 
 日本国内では自民党の改憲案で3月下旬に山が来るはずだったが、それもまた新しい展開で発生しないのかもしれない。
 「森友祭り」を見て、あらためて日本では憲法改正が非常に難しいな、という思いを強くする。

定期的に出演させていただいているニコニコ動画『国際政治ch』で、ゲストに冨澤暉・元陸上幕僚長をお招きして、対談をした。http://ch.nicovideo.jp/morley
 
海外の軍人「プロ」同士の視線を気にすれば、「自衛隊」という名称を入れる改憲案には承服できない、といった意見など、約三時間、興味深いお話をたくさんしていただいた。
 
それにしても印象に残ったのは、冨澤さんに、最後に、「自分と同じ見解を持つ篠田という学者は珍しい」といったことを述べていただいたことだ。視聴者の中にも、同じようなコメントを出してくれている方がいらっしゃり、光栄ではあるが、複雑な思いにかられた。
 
なぜなら私自身は、自分自身の国際秩序論を、極めて普通の正論だとしか思っていないし、憲法解釈も単なる平凡な憲法典の読解だとしか思っていないからだ(むしろ私は憲法学の主流のほうが意図的に憲法典を曲解していると思っているし、司法試験受験者や公務員試験受験者が、試験委員のチェックばかりに忙しくて日本国憲法典それ自体を読む暇を持てていないと疑っている)。http://agora-web.jp/archives/2031329.html    blogos.com/article/280280/
 
冨澤さんが著作で論じていることも、国際社会の常識と言ってよいことばかりだ。「戦争を放棄をしているのは日本だけではない」、「PKOの武力行使は集団的自衛権と関係ない」、「集団的自衛権と集団安全保障の差異をほとんどの国民が認識していない」、などは、単に国際法の基本を勉強すれば、それで常識となる事柄ばかりだ。
 
だが国際社会の常識を常識として主張すると、日本社会では、珍しがられるらしい。私のように、うっかりと憲法典それ自体は国際社会の常識に反していない、などといったことまで口走ってしまうと、憲法学者や公務員試験合格者や司法試験合格者から、「日陰者」、「(三流)蓑田胸喜」、「ホロコースト否定論者」、「若い」、などの言葉を浴びせかけられる。
 
全ては、国際法の地位が、日本社会で不当に扱われていることに起因しているのではないか。
 
私は国際政治学者だが、国際法学会にも属している。素晴らしい業績を持ち、国際的に、学会で、国連委員会で、活躍されている国際法学者の方々が日本にも多いことを、よく知っている。政治運動には走らず、プロ意識が強いことが、かえって国際法学者の方々の日本社会での存在感を地味にしているとしたら、不当だ。
 
司法試験で国際法を必須にする、公務員試験で国際法を必須にする、国立大学法学部で国際法教員を優先確保する、などの措置がとられれば、日本社会は一気に変わるような気がする。が、もちろん簡単には発生しない。既得権益に根差した社会構造の問題だからだ。
 
相変わらず、司法試験合格者が、法律家の代表として、憲法の基本書にしか存在しない「国際法上の交戦権」なるものを振りかざし(実際には現代国際法に「交戦権」なるものは存在しない)http://ironna.jp/article/8337、国際法では国連憲章にもとづいて世界的に自衛権に関する議論が蓄積されているのに「自衛権は憲法に書かれていないので透明人間だ」http://agora-web.jp/archives/2029686.html、などといった主張を、熱心に社会に広めている。
 
もっとも伝統的に、日本の国際法において、国際人道法(戦時国際法=ユス・インベロ)はもちろん、自衛権(武力行使に関する法=ユス・アド・ベルム)についても、あまり華やかな議論がなされてこなかったという事情もあるかもしれない。しかし優れた専門家がいないわけではない。
 
人口激減・少子高齢化による国力の低下が懸念されている日本が、いつまでも「戦前の復活を阻止する」ことだけを目標に、「憲法優位説」だけを唱えているだけで、本当に上手くやっていけるのだろうか。

 

出張に向かう機内で映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』を観た。日本では公開前のようなので、ネタばれになるようなことは書けないが、その内容は、史実にそったものだ。
 
以前にこのブログで映画『ダンケルク』の感想を書いたことがあるが、ともに第二次世界大戦初期の様子を描いたものだ。『ダンケルク』が兵士側からの視点で描かれた映画であったとすれば、『チャーチル』は19405月に首相に就任したチャーチルを中心に政治状況を描いたものである。
 
19405月、イギリスでは、ミュンヘン会議の際の「融和政策」で有名なネヴィル・チェンバレンがまだ首相にとどまっていたが、デンマーク降伏とノルウェーでの連合軍の無惨な敗北で、辞任を余儀なくされた。そして510日、海軍相の地位にあったチャーチルが首相に就任することになったが、すでにドイツはオランダやベルギーへの侵攻を開始していた。ドイツの快進撃によって、約一か月後にはフランスも占領されることになる。 
 
映画では、チャーチルがすでに峠を越えた老齢の政治家であったことだけでなく、短気で酒に溺れた人物であったことが強調されている。保守党内での信望は皆無であった。やむを得ずチャーチルを首班とする戦時内閣を許したものの、保守党の主流派は、チャーチルを快く思っていなかった。彼らは、もはや戦争に勝つことは不可能であると考え、さらにイギリス占領の危機に怯え、ヒトラーとの和平を画策していた。
 
その頃、大陸に派遣した30万のイギリス軍は、ダンケルクに退避しただけで、ドイツ軍に包囲され、全滅の危機にさらされていた。映画『ダンケルク』が描いたように、チャーチルが850隻ともされる民間船舶を動員して、奇跡の救出劇をほぼ成功させた。これによってイギリスだけは、ヒトラーの支配下に入ることなく、ヨーロッパの最後の砦として持ちこたえ続けることになった。そのことが、第二次世界大戦、あるいは世界史の進展に、巨大な意味を持った。
 
ダンケルクの攻防が行われているとき、ムソリーニのイタリアが独英間の和平を調停しようとしてきたのは、すでにヨーロッパ大陸のほぼ全域を制圧していたヒトラーが、実はイギリスの侵攻については迷いを持っていたことを物語る。
 
しかし結果的には、ダンケルクの作戦の「成功」によって、チャーチルは政治的権威を強め、閣内の和平派を取り除き、戦争継続でイギリスの世論をまとめていくことにも成功する。ソ連侵攻を決断するまで、むしろ和平の道を模索したのは、ヒトラーのほうであった。19405月にイギリスの首相がチェンバレンからチャーチルに代わっていなければ、イギリスはヒトラーとの停戦に入り、ナチスによるヨーロッパ大陸支配は確定されていたかもしれない。
 
チャーチルは、ダンケルクからの撤退作戦の成功後に議会で行った有名な演説を、「新世界(=アメリカ)」への期待によって結んだ。イギリス人がヨーロッパのほぼ全域を支配したドイツに対して戦争を続けようと決意した背景には、アメリカの存在があった。チャーチルは著作を何冊も持つ軍事史家であったが、ヨーロッパ大陸の動向に対する洞察だけではなく、大西洋をはさんだ米英の特別な同盟に関しても、歴史的な見地から深い洞察を持っていた。チェンバレンとチャーチルの立場を分けたのは、アメリカの存在に対する洞察であったと言うことも、的外れではない。
 
それにしても映画を観た後に思うのは、政治家の仕事というのは、運命に弄ばれるものだ、ということだ。チャーチルは、世界史に残る巨大な仕事を成し遂げた政治家であるが、首相に就任して間もない頃までは、偏屈で信望のない老人のようであった。時代の環境が、チャーチルを求めた。チャーチルが英雄になることを求めて、英雄になったわけではない。
 
ただし、時代の要請に、チャーチルは的確に反応できた。それは彼が、党派政治に関心を持たず信念を持ち続けていたために、イギリスにとって貴重な「危機に際して使うことができる一つの選択肢」であり続けていたからだ。
 
第二次世界大戦の危機がなければ、チャーチルは、海軍大臣としての失敗のエピソード以外には目立つこともなく、平凡な政治家として生涯を終えたのだろう。政治家であれば、それはそれで国民の安寧にとって望ましいことだと考えるべきである。
 
政治家は公僕であるから、自身の出世や、自身の能力の誇示などが、行動原則であってはならない。必要なときに、世論に訴えかけるだけでなく、他の政治家にも訴えかける理念を持ち続けていなければならない。すべては、国民が求めたとき、一つの有効な選択肢として自分自身の存在を提供するためである。
 
日本では憲法改正の議論ですら、自民党内の政争の話として処理し、3月に誰が勝つ、負ける、といったレベルの話に、全てを還元してしまおうとする人ばかりだ。これでは政治家が可哀そうだ。せめて学者くらいは、より長期的な視点で、政治家を見てあげたい。
 
政治家は、受験生でもなければ、官僚でもない。型にはまった競争を通じた小手先の技術を見せ合うことしかできない人物であってはならない。そんな人物ばかりが政治家を務めているような国は、国家としての総合力が弱い国だ。
 
自分自身に機会がないときであっても、常に自分自身を一つの選択肢として提供する覚悟と準備を怠っていない者こそが、望ましい政治家というものだ。結果として、首相になるか、ならないか、歴史に名を残すか、無名で終わるかは、誰にもわからない。それらは、すべて政治家自身が操作しようとしてはいけないことである。

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