「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2018年08月

  先週の米国国務長官ポンペオ氏の北朝鮮訪問中止発表を受け、核廃棄交渉の停滞が明らかになったと話題になっている。28日には、マティス国防長官は、米朝首脳会談後に「誠意」を示すためとして設けていた朝鮮半島での軍事演習の中止措置を終了すると表明した。
 北朝鮮問題は、6月の米朝会談によって危機が克服されたわけではなく、逆にまだ破綻が約束されているわけでもない。
 6月の米朝会談後、私も、このブログのみならず、いくつかのの媒体で感想を書いた。トランプ氏特有の要素は評価を分けるだろうが、その最大の成果は、首脳同士の人間関係の要素であった。http://agora-web.jp/archives/2033184.html 
 驚くべきことに、現在まだ、トランプ大統領は中国を批判しても金正恩氏を批判するのを避けている。また、北朝鮮側も米国政府高官を批判してもトランプ大統領だけは批判を避けている。今後も、首の皮一枚のようにつながっているこの6月米朝会談の成果が、北朝鮮問題の打開に向けたカギになってくるだろう。
 6月米朝会談については、日本では、アメリカが譲歩しすぎているという論評が多かったようだ。これについて、私は、米韓合同軍事演習はいつでも再開できるのであり、北朝鮮問題を交渉していく「プロセス」の一部として米朝会談を見ていくべきだということを書いた。http://agora-web.jp/archives/2033318.html
 この「プロセス」が、失敗するか、成功するかは、まだわからない。ただし、最初から、非常に困難な状況の中で、交渉の可能性を模索していることだけは間違いない。
 数か月以上のスパンで見て、戦争の可能性が減少しているという見立ては、6月にもなかったし、現在もない。
 私個人は、8月下旬は欧州にいたため、なおさらそういう印象を抱くのかもしれない。だが、むしろ当事者と言ってもよい日本社会の雰囲気が弛緩しているということはないだろうか。北朝鮮問題は解決されていないのはもちろん、本質的な改善が図られているわけでもない。北朝鮮問題の背景には、米中関係の行方をはじめとする国際政治全体の構造的な問題もあり、そんなに簡単に変化していくはずはないのだ。
 日本のメディアや識者の方々が、米朝会談を批判しつつ、しかし同時にニュースバリューは減ったというような態度をとり、しかし後に突然再び危機が訪れたかのような態度をとるのだとしたら、茶番である。

 雑誌『VOICE』の企画で、松川るい参議院議員と対談をする機会があった(記事は9月上旬に公刊予定)。自民党総裁選の話から、朝鮮半島の話までカバーする予定だったが、「インド太平洋」戦略の話で盛り上がっているうちに終わってしまった。
それにしても実際の自民党総裁選で、大局的な外交戦略が語られていくことがあるか。人口減少時代に突入した日本だからこそ、柔軟性を持ちつつも、計算された外交戦略が求められていく。内政問題に精力を注ぐためにも、合理的で安定感のある外交政策が必要になっている。
北東アジアの人口の停滞を尻目に、世界の他の多くの地域では、人口の激増が続いている。このブログ記事はバングラデシュで書いているが https://www.facebook.com/hideaki.shinoda.73 、首都ダッカの交通事情はかなり危機的だ。世界の多くの地域で、人口増による都市化の弊害が見られている。
 
バングラデシュは、非常に親日的な国だ。しかし2016年のダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件があり、めっきり日本人が来なくなってしまったという話も聞く。その一方で、中国の強烈な攻勢が強まっている。中国企業によるバングラ政府高官への賄賂が大きな問題になったが、氷山の一角だろう。http://www.epochtimes.jp/2018/01/30802.html 
 
インドを取り囲む地域では、中国の一帯一路イニシアチブがもたらす摩擦が激しい。日本と米国は、インドを特別視する海洋国のネットワークを「インド太平洋」戦略として打ち出しているが、スリランカやモルディブのような島国だけでなく、バングラデシュのようなインドに隣接する周辺国との関係は、微妙だが、重要だ。
 
ただし、このように言うことは、意図的に一帯一路を封じ込めるべきだ、と提唱することではない。むしろ単に構造的に発生している不可避的な状況を、より意識化したうえで、間違いがないように管理していく、ということでもある。
 
バングラデシュでは、ロヒンギャ問題が深刻だ。100万人にのぼると言われる「難民」を受け入れたバングラデシュは、人道的対応を強調するが、果たしてこの甚大な負担にどこまで耐えられるか、不安に駆られている。日本への期待は、非常に大きい。
 
ロヒンギャの人々を追い立てたミャンマー政府は、伝統的に中国と深い関係を持つ。ロヒンギャ問題で欧米諸国に非難されればされるほど、中国の後ろ盾を求めるようになるという構図もある。ミャンマー西部の天然資源開発が、ロヒンギャ問題の背景にあることは、周知の事実であり、中国にミャンマー政府を切り捨てる動機はない。
 
ただし中国にとっては、バングラデシュも切り捨てることができない重要国だ。二国間交渉を尊重する態度を強調し、慎重に行動している。
 
日本は、正攻法で、ミャンマー政府とバングラデシュ政府の双方を尊重する態度をとるが、国連を通じた人道援助への資金提供以外に、何をしているのかは、よくわからない。
 
21世紀の国際政治では、一帯一路とインド太平洋がにらみ合う広範な領域で、解決策が見いだせない困難な状況が多発するだろう。実は北朝鮮の問題も、同じなのだ。
 
願わくは、ロヒンギャ問題のような焦眉の課題で、構造的対立を創造的に発展させる国際的枠組みを作る実験ができないか。
 
安定感のある日本の外交は、現実感覚のある外交ということであり、それは消極的に押し黙る外交のことではないはずだ。

 池田信夫氏の『丸山眞男と戦後日本の国体』を読んだ。池田氏の丸山論として異色の趣を持つが、丸山の仕事を丹念に読んだ労作である。同時代を理解するために丸山と格闘した池田氏に敬意を表したい。
 
本書は、丸山の全体像を見渡したうえで、それぞれの著作の時代背景について考察を加えている。池田氏の強い問題意識にかかわらず、実は丸山眞男の入門書としても読むことができるものに仕上がっている。
 
同時に、今日の学術的動向をふまえた丸山の個々の仕事の評価もおりまぜつつ、池田氏の大きな問題意識をふまえた批判的な戦後史の叙述という野心的な一面もある。丸山以外の誰を取り上げても、このように思想家研究と時代考察を劇的に調和させることは難しかっただろうが、池田氏は、丸山という格好の題材を相手に、活き活きとした論説を展開する。
 
本書の題名には「戦後日本の国体」という概念が入っているが、池田氏の問題意識の中心は、戦後日本の「国のかたち」の歴史的展開に置かれている。本書の帯には、「われわれは、いつ、どこで、間違えたのか」、という印象的なメッセージが入っている。池田氏は、「戦後日本の国体」には「間違い」が内包されているのではないか、という問題意識を持ち、そのことをより明らかにするために、丸山に取り組んだのである。
 
光栄にも、拳法9条を「表の国体」、日米安保を「裏の国体」として論じた私の拙著『集団的自衛権の思想史』を、池田氏に最初の注で参照していただいた。その私であるから、「戦後日本の国体」について考えるために、安易な日本属国論だか何かに向かわず、真摯に丸山に向かったという池田氏の姿勢を、全面的に歓迎したい。
 個々の丸山の仕事の評価について、辛口のコメントを投げかける池田氏は、さすが経済学を専門家らしいものである。池田氏の批評には、徹底した合理主義が貫かれており、丸山の天才を高く評価しつつも、丸山が情緒に流されて合理的結論を見誤ったと言わざるを得ない点について、辛辣な指摘を加えていく。
 どれか一つの丸山の限界をとって、それこそが戦後日本を決定づけた最大の間違いであった、と断定できるわけではない。ただ、池田氏も重要視する決定的なポイントを三つほどあげれば、次のようになるだろう。
 第一に、丸山は、現実の国際政治に裏切られた。1951年サンフランシスコ講和会議をめぐって書かれた、有名な「三たび平和について」によって、丸山は、全面講和を唱えて日米安全保障条約体制を批判した数々の知識人の中で指導的役割を担うことになった。そこで丸山は、全ての戦争が全面核戦争になるため、中立政策が正しいと主張したのだが、現実の国際政治は、丸山が予期したようには展開しなかった。
 第二に、丸山は、「国民」に裏切られた。1960年日米安全保障条約改定の際、強行採決を行った岸信介政権に憤り、政策ではなく、民主主義を理由にして、安保闘争の騒乱に加わった丸山は、その後も選挙のたびに自民党が勝利し続ける現実を、予期していなかった。また、資本主義の行き詰まりを予感していた丸山は、自民党長期政権下での高度経済成長を謳歌して生活保守化する一般大衆の姿を、予期していなかった。丸山の日本国憲法解釈は、「国民主権」を強調する東大法学部系の戦後憲法学に近いが、その「国民」は、丸山が予期したように行動することがなかった。
 第三に、丸山は、日本思想史に裏切られた。1946年「超国家主義の論理と心理」で華々しい論壇デビューを飾った丸山は、一貫して日本の思想を特殊なものとみなし続けた。晩年には、「古層」などの曖昧な概念に拘泥しながら、学術的に精緻な成果を生み出すことができずに苦しんだ。日本の思想基盤の特殊性をロマン主義的に強調しながら、その中でも主体性を発揮したと言える思想家を見つけるために苦闘した。荻生徂徠や福沢諭吉、あるいは武士道の丸山ならではの読み込みは、学術的には問題のないものではなかった。同時代の世間の人々は、丸山の名前に魅かれて、丸山ならではの日本思想史の読み込みを許した。しかしそれは、丸山が「戦後日本の国体」のロマン主義的解釈の中心にいたことを意味しても、われわれが客観的に検証しうる、丸山自身が描いた問題に対する丸山自身の突破口を、丸山自身が見出していたことを、全く証明しない。たとえば、池田氏は、丸山が日本特殊と論じた無責任の体系は、ナチスドイツの戦争犯罪者にも見ることができると冷ややかに論じる。そのとき、丸山の苦闘とは、一つの自作自演のヒロイズムでしかなかったのではないか、という疑問が、ふつふつと湧き上がってくる。
 
もっともこういった評価には、反論もあるだろう。丸山が現実を予期できなかったことは、あるいは現実的でなかったことは、必ずしも丸山を否定すべき理由にはならない、と。丸山が求めた道を進んだ日本のほうが、今日の日本よりもずっとましだったであろう、と。
 ここに丸山によって、「戦後日本の国体」の壮大な物語が、劇的に示されることになる。丸山のロマン主義は、主体的な決断にこそ、最高の価値を見出す。「超国家主義の論理と心理」における、驚くべき程度までのシュミット依存、シュミットをして日本人を批判せしめるという倒錯的態度は、丸山の世代に特有な決断主義のロマン主義的肯定の思想を生み出した。
 
このロマン主義は、今日でもなお、通俗化された憲法9条信仰の形で残存している。9条とは、理想主義の中の理想主義であり、だからこそ実現困難であると同時に、それを選択することに至高の価値がある、という思想である。このロマン主義は、憲法学における「八月革命」説にも通じ、護憲派の「永久革命」思想として国内社会で力を持ち、日本の「国の形」にも大きな影響を与えた。
 
丸山の「永久革命」は、半ば自作自演のヒロイズムを象徴する概念だ。永久に続く革命などあるはずがないこと、永久革命家とは達成されない目標をわざと掲げて万年革命家を自認することを趣味としている者のことでしかないこと、などについて、醒めた視線を送る者は、多い。私もそうだ。
 政治学は、結果に関するアートだから、永久革命が永久革命であるがゆえに正当化されるということは、政治学者の間では、通常はあまりない。
 
もちろん、戦後日本にはそのようなロマン主義が必要だったのだ、と言われれば、私もまた、丸山の名声を見るまでもなく、それは確かにそうだったのかもしれない、とも思う。
 
しかし、それでもなお、あるいはだからこそ、次のように言わなければならない、と私は思う。「われわれは、いつ、どこで、間違えたのか」、という問いを投げかけたうえで、丸山を読み、その問いに対する答えを述べるならば、次のように言わなければならない、と私は思う。「最初から、その構図の本質において、間違いが内包されていた」、と。

  『現代ビジネス』さんに、砂川判決に関する拙稿を掲載していただいた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56703 1959年砂川判決については、このブログでも何度か取り上げた。それにしても、60年近くたって、なお論争の対象になっているというのは、大変なことだ。日本人の多くが、いまだに砂川判決で何が語られたのかを、わかっていないということだ。
 憲法9条の問題を扱った比類なき判例である。その例外的な性格は、本質的な意味において、砂川判決が、憲法学だけの問題にとどまらない内容を持っていること示している。
 といっても、私は、判決内容が、法的問題だけでなく、政治的問題にかかわっている、といったことは強調したいとは思わない。確かに、日米安保条約の問題には高度な政治性がある。ただし、だからといって判決の内容が法的なものでなくなるとは思わない。それは、本質的な問題ではない。
 気づいておくべきなのは、本来、最高裁判所というのは、憲法学だけの審査を入れるものではない、ということだ。もちろん憲法の観点からの審査は、必須だ。だが、だからといって、唯我独尊で「憲法優越説」の学説だけを手掛かりにして判断をくだすことが、最高裁の仕事だということにはならない。むしろ、たとえば前文の国際協調主義の精神や、憲法98条2項の条約遵守義務をふまえるならば、国際法の体系をふまえて、憲法判断を下すべきであることは、当然だ。
 個別的自衛権と集団的自衛権は、国連憲章51条において結び付いている。それだけではない。国連憲章7章において、個別的・集団的自衛権は、集団安全保障と体系的な関係を持って、位置づけられている。
 「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ」、「集団安全保障を認めても集団的自衛権を認めたことにはならない」、という主張は、大変な主張なのだ。相当な論証義務が、主張する側にあるのだ。
 「日本では憲法学者の多くがそう考えているから・・・アンケート調査をすればわかります・・・」といった理由で、「集団的自衛権だけは異物です」といったエキセントリックな主張を、自明視することはできない。アンケート調査にしたがわなければ立憲主義の破壊だ、といったレトリックを使っても、それは本質的な議論ではない。  
 砂川判決は、そうした基本的なことを思い出すために、とてもよい題材だと思う。

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