「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2018年10月

 安田純平氏解放が議論を呼んだ。プロの国際援助専門家やフィールド研究者は、沈黙している。一緒にされたくない、関わりたくない、ということだろう。
 
私が代表を務める広島平和構築人材育成センター(HPC)の外務省委託研修でも、数週間のコースであれば、専門の百戦錬磨のプロの外国人インストラクターを複数名雇って、三日くらいは安全管理にあて、拘束された場合の対処も1セッション分くらいはきっちりやる。もちろん、より重要なのが、予防策であることも言うまでもない。https://peacebuilderscenter.jp/
 
世界には継続的に国際的な類似事件をフォローし、動向把握に努めている安全管理のプロがいる。しかし残念ながら、日本人では、皆無ではないか。私自身、あまり安田氏をめぐる日本での議論に関わりたい気持ちはない。
 
何やら真剣に安田氏を擁護する方もいらっしゃるようだが、「紛争地でジャーナリストが拘束されれば、ほかのジャーナリストが儲かります」、「現在、絶賛バッシング中の安田くんも、これで将来は安泰!」、というのが、安田氏の業界の雰囲気のようなので、なかなか事情は簡単ではない。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181030-01521432-sspa-soci
 
日本でも、公安当局であれば、安田氏の事件にも、強い関心を持っているだろう。ケース・スタディとしては、非常に稀な性格を持った事件だ。そのことはもう少し注目されていい。「自己責任」をめぐる議論の陰で看過されがちな安田氏の事件の特異な性格を、三つの謎という形で、描写してみたい。
 
第一の謎は、拘束の目的だ。拘束事件には、いくつかのパターンがある。政治的な目標達成のため(軍の撤退要求、政策変更要求など)、経済的な目的のため(身代金の要求など)が、わかりやすい。今回の時間は、いずれにも該当していなかったように見える。拘束からしばらくたった後にのみ、本人のビデオが公開され、解放要請がなされた。それは拘束者が、解放交渉を望んだ意思表示であったとみなされる。当初は水面下の交渉がなされ、その行方にしびれを切らして公開に踏み切ったという可能性もないわけではない。しかし交渉相手が特定されなかったことなどの特徴を見ると、少なくとも典型的な身代金目的の拘束ではなかったように見える。
 
もう一つの拘束目的のパターンが、政治的予防措置である。ある人物をスパイだと疑う場合に、その人物の行動の自由を奪う、というのが典型例である。安田氏の場合には、ジャーナリストであることを隠して取材活動をしていたと思われる一方、特定の武装勢力に近づくことによって潜入を試みたと思われる様子もあるため、このパターンでの拘束であった可能性も高い。スパイだと疑われたわけではないとしても、ジャーナリストであることそれ自体が危険視される要素になった可能性はある。
 
第二の謎は、解放の経緯である。一般に、政治目的や経済目的による拘束の場合、その目的が達成されないことが明らかになった場合には、被拘束者に生命の危機が及ぶ。なぜなら解放する事例を作ってしまっては、将来の交渉を有利に運ぶための威嚇の手段がなくなってしまうからだ。拘束時の状況を非拘束者が描写できると懸念される場合には、情報隠匿を図る必要性が生まれている場合もある。
 
今回の安田氏の事件の場合、何らかの政治的目的が達成されたとみなせる要素はない。経済的な目的が達成されたのかどうかは、不明である。仮に達成されたかのように見える状況があったとしても、それが当初からの主要な拘束の目的であったかどうかは不明であり、単に解放の契機として、経済的な利益も確保しておいた、ということにすぎなかった可能性もある。
 
第三の謎は、なぜカタール政府の名前が言及される形で、トルコで解放されたのか、である。現在、中東情勢は、イスタンブールで発生したサウジのジャーナリスト・カショギ氏殺害事件で揺れている。イラク戦争以降、中東では宗派対立が激化し、スンニ派の盟主たるサウジアラビアと、シーア派の盟主であるイランとの間の対立が深まった。イエメンにおける戦争は、完全に代理戦争の様相を呈している。シリア戦争もこの構図が大きく影響しているが、さらに重要なのはトルコなどの周辺国の動向だ。アサド政権側にロシアやイランがついているとすれば、反政府側の強力な後ろ盾がトルコだ。そこでシリアをめぐっては、サウジアラビアとトルコの関係が、極めて微妙な要素を持つようになっている。
 
カタールは、2017年にサウジアラビアを中心とする湾岸諸国による制裁措置を加えられて、国境封鎖をされた。カタールが、サウジアラビアの意向に従って動かなかったため、逆鱗にふれたのだった。しかしアルジャジーラTV局の閉鎖などのサウジの要求は法外なものであり、封鎖は広範な支持を得て成功したとまでは言えないものとなった。このとき、カタールの支援に回ったのは、サウジの勢力減退を狙うイランだけでなく、スンニ派諸国内での影響力の向上を目指すトルコであった。現在においても、トルコとカタールの関係は、蜜月状態にあると考えられる。トルコとサウジの関係は微妙なものとなったが、今回のカショギ氏殺害事件は、両国の関係に決定的な亀裂を入れたと考えられている。
 
シリアの反政府勢力は、アサド政権の猛攻にさらされて、イドリブなどの一部都市に囲い込まれている状態にある。国際社会が大きな人道的惨禍をもたらすと警戒しているイドリブ総攻撃を数か月にわたって回避しているのは、両勢力の後ろ盾であるトルコとロシアの間の合意である。
 
安田氏を拘束していたのが、反政府側の勢力であることは、ほぼ間違いのないことだと考えられている。カタール(トルコ)が身代金という形で反政府勢力に資金提供して、安田氏という第三国ジャーナリストの解放を働きかけたかどうか、詳細は簡単には明らかにならないだろう。安田氏の証言も公にされていない状態だが、とはいえ安田氏が全てを知っているという可能性は低い。安田氏は、激動の中東の情勢の中で翻弄されたのである。
 
ジャーナリストが客観的なまなざしで紛争地の取材を行うためには、相当な準備と配慮が必要だろう。時にそれは、不可能だと断言できるくらいに、困難なことだ。
 
その困難を把握したうえで、なお追求すべき公益を見出し、妥当な取材方法を模索する努力を続ける真摯さを、ジャーナリストの「責任」として、徹底的に議論していくべきだろう。

 蟻川恒正・日本大学教授(憲法学)が、自民党総裁選で「議論がなかった」と嘆いている文章を見た。蟻川教授によれば、「自分にとっての反対意見を『無駄な批判』と断ずる態度は、国民が下すべき審判を国民に代わって先取りしていることを告白するに等しい」、のだという。https://digital.asahi.com/articles/DA3S13720936.html?_requesturl=articles/DA3S13720936.html&rm=150
 
蟻川教授は、痴漢事件で大学を移ったが(https://ja.wikipedia.org/wiki/蟻川恒正)、もともとは東大法学部にもいた人物である。
 
蟻川教授の主張を見て、私は、複雑な思いを抱く。私は折にふれて憲法学批判をしている。そのため、憲法学者のみならず、彼らの弟子筋にまで毛嫌いされている。「篠田は三流蓑田胸喜だ」(http://agora-web.jp/archives/2029005.html)、「篠田は『憲法百選』を学部授業でも使うと言わないからダメだ」(https://twitter.com/shinodahideaki/status/987754680208932864)、といった残念なまでに低レベルの誹謗中傷が行われていることを、知らないわけではない。
 
しかし憲法学者からの「議論」と言えるような批判には、なかなか出会えない。
 
あるとき、東大法学部の学生が全く意味不明な言いがかりで篠田を否定しているという話を聞いたので、議論の場を設定することを申し込んだことがある。憲法学の先生にも来てもらいたい、とも付け加えた。
 
もちろん、無視された。
 
憲法学者の方々は、「自分にとっての反対意見を『無駄な批判』と断ずる態度」、をとることなく、常に建設的に議論に応じているのか。
 
憲法学者の方々は、「国民が下すべき審判を国民に代わって先取りしている」、と疑われるような態度を示すことなく、常にオープンな姿勢で議論に応じているのか。
 
誹謗中傷ではない、建設的な憲法をめぐる「議論」を発展させるのはどうしたらいいのか。まずはもう少し学者自身が考えてみるべきではないか。

 シエラレオネが中国からの融資で新空港を建設する計画をキャンセルした。このニュースが、日本で少しでもシエラレオネを語る理由になりうるのであれば、とても嬉しい。http://agora-web.jp/archives/2035163.html 
 
私自身はシエラレオネには数えきれないくらい行っているのだが、日本大使館もなく、日本での知名度はゼロに等しいだろう。学生相手に話題にする際には、「『ブラッド・ダイアモンド』って映画あったでしょ、ほらレオナルドディカプリオが出ていた・・・」、という話題の切り口だけはある。しかし、話が続くことはない。しかもこの切り口も、あと何年もつのか。私ですら、日本人向けの文章でシエラレオネを話題にすることは少ない。
 
それでもなぜ何度も行くのかと言えば、重要だからである。国連の公式サイトにでも行ってほしい。国連の平和活動は紛争社会を平和な社会に変えた!と主張する際に、真っ先に証左として例示するのが、シエラレオネであることがわかる。https://peacekeeping.un.org/en/our-successes
 
今年の大統領選挙で、中国寄りとされたコロマ前政権に代わり、ビオ新政権ができた。そこで中国へのスタンスにも見直しが入った。
 
私自身は、シエラレオネ大学の平和紛争学部と共同研究をしたり、学生もこれまで10人近く受け入れたりしてきている(私は大学院授業を全て英語でやっているので)。ビオ新政権発足にともなって、長く付き合っていた平和紛争学部長のプラット氏は、大臣として任用されてしまった。しかし代わって学部長になったのは、広島大学で私の指導下で博士号を取得したアレックスである。
 
シエラレオネが成功例とされるのは、単に15年にわたって戦争が起こっていないからではない。戦争が終わってから、平和裏に選挙を通じた二回の政権交代を果たした。内戦後の社会では、これは大変なことなのである。特に2009年、選挙後に暴動が発生した後、二大政党が建設的な政党政治のありかたについて定めた「共同宣言」を発出し、その後の安定につなげたのは、世界の平和構築の事例の中でも特筆すべき、輝かしい記録だ。
 
地方部に行ってワークショップなどをすると、「戦争は苦しかったが、戦後に人権がよりよく守られる社会になったのは良かった」、と女性たちが口をそろえて言う。
 
人権や法の支配といった、国際社会の主流の価値観を標榜する形で、紛争後の平和構築が進められた。その成果を現地の人々が好意的にとらえているのが、シエラレオネである。だから国際機関や主要な援助国は、シエラレオネを評価するのである。
 
世界最貧国の一つである。国連開発計画の人間開発指標で、189か国中184位である(これでも15年前より少しマシになった)。近年多くのアフリカ諸国は、中国も利用して、高い経済成長を維持してきている。シエラレオネも例外ではない。近年中国との関係を深め、5%前後の経済成長率を維持している。現在のルンギ空港の不便さは並大抵ではない。シエラレオネに、中国との関係を悪化させる余裕はない。しかしシエラレオネのような国だからこそ、多角的な外交関係を基盤にした政治リーダーの役割は大きい。
 
それにしても、日本は、「大使館がないから」といった理由で、簡単にシエラレオネを軽視しようとする。ないなら、作ればいいだけなので、あまり説得力のある言い訳ではない。要するに、軽視しているだけだ。
 
中国の一帯一路は、アフリカに到達した後も、大陸を貫いて大西洋岸にまで到達している。日本が推進する「インド太平洋」戦略は、かろうじてアデン湾くらいをかすめて、それで終わりか。「戦略」の戦略的内実が問われている。

 今年のノーベル平和賞が、コンゴ民主共和国の婦人科医デニ・ムクウェゲ氏と、イラクのヤジディ教徒のナディア・ムラド・バセ・タハさんに決まった。ムクウェゲ氏については、日本で同氏の活動を長く支援している方もよく知っているだけに、本当に良かったと思っている。https://iwj.co.jp/wj/open/archives/111385#more-111385 
 
一部では、南北朝鮮首脳が受賞するのではないか、トランプ大統領の受賞の可能性はあるのか、などといった話もあったようだ。しかし、ちょっと無理筋だ。そこで今回、ノーベル委員会としては、どこからも文句の出ない、とっておきの受賞者を選んできたようにも思う。今年の二名で、ノーベル平和賞も権威を保ったと言えるだろう。
 私は学者なので、ムクウェゲ氏のような偉人には、尊敬の念を持つばかりだ。私は学者なので、運動をするのも苦手だ。ムクウェゲ氏を支援する運動をしてきた方々には、敬意を表するばかりだ。彼らに、一つの成果のようなものが出たことは、大変に素晴らしいことだと、素直に思う。
 コンゴ民主共和国は、世界の数ある悲惨な地域の中でも、際立って悲惨な地域の一つだ。1960年代のコンゴ紛争は、脱植民地化の数ある悲惨なストーリーの中でも、特に悲惨なものだった。当時のダグ・ハマ-ショルド国連事務総長はコンゴをめぐって殉職したが、国連平和維持活動は、その後、30年近くの間、復活できないような大きな痛手を負った。
 コンゴがザイールと国名を変えていた時代のモブツ大統領は、世界の数ある独裁者の中でも、際立って悪名高い腐敗した独裁者だった。どれだけの人々が迫害にあったのかわからない。コンゴの鉱物資源を食い荒らし、世界有数の大富豪となって、死んでいった。
 1994年に80万人もの人々が虐殺されたとされるルワンダのジェノサイドは、日本でも有名だ。だが、ジェノサイド首謀者が当時のザイール東部に難民として逃げ込んだことから、1990年末からルワンダなどの周辺国を巻き込んだ「アフリカの世界戦争」がコンゴ民主共和国を舞台にして起こったことは、あまり知られていないのではないか。戦争に関連した死者は、よくわかっていないが、200万人とも言われる。
 ナディアさんが悲惨な経験をしたイラク・シリアは、現時点での世界の紛争甚大地域だが、ムクウェゲ氏が献身的に活動してきたコンゴ民主共和国東部地域も、疑いなく近年の世界でも最も悲惨な経験をしてきた地域の一つである。
 国連は2000年から新たな平和維持活動ミッションをコンゴ民主共和国に展開させている。「MONUC」から「MONUSCO」と名称を変えながら、コンゴ民主共和国の国連PKO20年近く活動しているわけだが、いまだに最大規模の国連PKOであり、国連の威信をかけた活動の一つである。MONUC/MONUSCOに日本政府から要員提供をしたことはないが、困難な環境の中で勤務している日本人の文民職員はいる。
 1990年代に設立された、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ刑事裁判所(ICTR)、そして21世紀の国際刑事裁判所(ICC)は、戦時下のレイプを重大な戦争犯罪とする国際法規範の確立に寄与してきた。コンゴ民主共和国は、重大な捜査対象地域である。https://www.icc-cpi.int/drc 
 
MONUSCOの指揮下に入って南部アフリカ諸国がコンゴ民主共和国で行ったForce Intervention Brigade(FIB)は、史上初めて武装勢力を「無力化(neutralize)」する任務を国連安保理に付与された部隊として知られる。国連安全保障理事会は、武装勢力を「無力化する(neutralize)」という文言は、マリや中央アフリカ共和国に展開するPKOへの任務付与などでも使われるようになった。  
 ところが、
これに対して、FIBなどは、過剰な軍事行使をする良くないものだ、といったことを言う人たちがいる。日本で、訳知り顔で、そういうことを言う人がいる。
 
別にいろいろな意見があっていいと思うが、私としては、日本人がそう言うのは、気を付けたほうがいいと思っている。端的に、恥ずかしい。
 今年に入ってからのFIBの削減には、大きな批判の声もあがっている。FIB
は、日本の国内情勢の観点で論じたりするべき、のんびりした話題ではない。
 
日本では、安保法制の「駆けつけ警護」程度の話で、「戦前の復活だ」「いつか来た道だ」「軍国主義の到来だ」と、その場限りの思い付きの言葉を並べたてる人たちがいる。結果として、日本の自衛隊は、もう次にいつ国連PKOに部隊派遣できるかわからないところにまで追い込まれてしまった。日本は、PKOをほとんどやらない国になってしまった。
 
拙著『ほんとうの憲法』では、GHQ草案で存在していた「justice」が、「正義」ではなく、「公正」と訳されてしまったことについてふれた。そして、憲法前文における国際法との連動性は、不明瞭になった。日本の憲法は、「正義」を語らない特異な憲法典になった。9条冒頭に書かれた「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言までも、軽視されるようになった。
 「正義」とは何か。 ムクウェゲ氏のような偉人ではない日本人であっても、時には考えてみたい。

 『現代ビジネス』さんに、自民党総裁選と沖縄県知事選で何か書いてくれと依頼を受けて書かせていただいた拙稿を、2本とも掲載していただいた。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57664  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57810
改憲問題や、1972年内閣法制局の集団的自衛権違憲論と、どうそれぞれの選挙がかかわっているのかを書くことができ、よかった。
 
もちろん学者の書いたものを政治家の方が読む、などと思って書いているわけではない。それでも書く機会があるのは、ありがたいことだ。もちろん政治家は学者の仕事など無視するのだが。
 
山尾志桜里・衆議院議員の『立憲的改憲』という本を手に取ってみた。冒頭から、私の仕事内容の完全否定で文章が推し進められている。別に私の意見を聞く必要はないと思うが、せっかく本にして紹介しているのに、その存在すら無視されているように扱われるのは、もちろん面白いことではない。
 
山尾議員によれば、

「第二次安倍政権をのぞく全ての歴代政権が、・・・一部であれ集団的自衛権を認めることはできないと一貫して解釈してきたのです。」(『立憲的改憲』20頁)」

私は、読売吉野作造賞をとって新聞等でも紹介していただいている『集団的自衛権の思想史』で、そんなことはないことを2016年に、なるべく丁寧に、書いた。一部を紹介しよう。

 「・・・(1960年の日米安全保障条約改定にあたって)日本政府は、この集団的自衛権の論理によってアメリカの関与を確保することには真剣であった。安保条約改定をめぐる時期の審議において、岸首相をはじめとする政府関係者が、概念的に集団的自衛権を広く解釈していたと言われるのは 、そうした文脈で理解すべきだろう。岸信介首相は、次のように述べていた。

『集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのでございます。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。しかしながら、その問題になる他国に行って日本が防衛するということは、これは持てない。しかし、他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうのはもちろん日本として持っている、こう思っております。』

鳩山に続いて岸にも仕えた林修三内閣法制局長官は、海外派兵以外の如何なる集団的自衛権があるのかと問われ、次のように答弁した。

『例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない』(『集団的自衛権の思想史』110-111頁)」

 
 憲法学者らの中に、岸内閣の集団的自衛権の概念は、後に否定された集団的自衛権とは違う、とか欺瞞的なことを真面目に主張する方がいらっしゃるが、そんなことをしたら、何万人が集団的自衛権の合憲性を唱えようとも、「それはわれわれが言う集団的自衛権とは違うので、集団的自衛権は違憲です」と憲法学者が唱えれば、それで憲法学者が正しいということになってしまう。
 
憲法学者が言う本物の集団的自衛権とは何かというと、アメリカに命令されるまま世界中で戦争を仕掛けることなのだという。馬鹿馬鹿しい話である。
 
山尾議員は、「必要最小限度の実力の行使」は、「個別的自衛権の行使」と同じなのだと決めつける。しかし、それを論証しようとはしない。ただ「「第二次安倍政権をのぞく全ての歴代政権が、・・・一部であれ集団的自衛権を認めることはできないと一貫して解釈してきたのです」、といった虚偽の他人任せの断定を繰り返すだけである。
 山尾議員によれば、「権力をしばるのが立憲主義」であると主張する。そこで前提とされているのは、国家権力を制限することが立憲主義だということであり、しかも野党議員が安倍首相を攻撃するのが立憲主義と同じであるかのように扱われている。
 フーコーでも読んでほしい、とは言わないが、世の中の権力は安倍首相の手中にしか存在していないというのは、あまりにも歪な世界観である。野党に属していれば、国会議員には権力は全くないのか。野党に属していれば、自己節制のある生活をしなくていいのか。学者の仕事など社会から抹殺し、ただ安倍首相を批判する者だけが賞賛されればそれでいいのか。
 そんなのは、
あまり気分の良い世界観だという気がしない。

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