「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2019年08月

  先日、「日韓併合を憲法学者は、どう説明しているのか」という文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2041187.html わかりにくかったかもしれないので、少し補っておきたい。以下は、私が書いたことの要約である。

かつての憲法学に日韓併合の法的効果を否定する議論はなかった。ところが現在では韓国政府だけでなく、日本の「知識人」たちも法的効果を否定している。そこで現代の憲法学者が、どう捉えているのかが気になる。しかし、それは不明である。

しかし、不明では困る。曖昧になっているから、「日本の韓国に対する戦争責任」などという頓珍漢な言説まで広まる社会現象も起こってしまうのではないか。http://agora-web.jp/archives/2041157.html  https://www.sankei.com/politics/news/190823/plt1908230033-n1.html

大日本帝国の法制度については、私自身、いずれもう少し勉強したいと思い始めている。ただ今現在は、『憲法学の病』を公刊した後で、本当の専門分野(国際政治/平和構築)の仕事に時間をあてているところだ。そこで、まずは専門の近い憲法学者を含めた「知識人」同士で、議論を進めておいてほしいと思っている。

 石川健治・東大法学部教授の論文から引用しよう。

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かつての大日本帝国は、複数の異「民族」によって構成された多民族帝国であり、今風にいえば、複数の異「法域」をかかえ込んだ「一国多制度」の国制であった。

(石川健治「憲法のなかの「外国」」早稲田大学比較法研究所叢書41『日本法の中の外国法

基本法の比較法的考察』所収[2014年])⒔頁http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/10/A79233322-00-0410013.pdf#search=%27%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%81%A5%E6%B2%BB+%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%27 

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 一元的な「帝国」の中に、異なる法制度を持つ地域があった、と言うのは、まあ、わかる。一つの大日本帝国の中に、地域ごとに異なる法制度の部分もあった。

ところが、この論文で石川教授は、「帝国憲法が及ばないという意味で、『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」、とも書いている。これは修辞的な表現なので、混乱する。

大日本帝国憲法が適用されないのであれば、「憲法のなか」などではない。「外国」だ。逆に、憲法が適用されるのであれば、それは「外国」ではない。

「多民族帝国」の国制は、異なる複数の法域を抱えた法制度であった、というのであればまあわかる。憲法が適用されても、地域ごとの特別法は存在する。だがそれは、「憲法のなかの外国」などといった修辞的表現で言い換えたりする話にはつながらない。

現代の「知識人」たちに気を遣っているのだろうか。混乱する。

石川教授の師匠の師匠であり、戦後憲法学のスタンダード基本書の一つを提供し、改憲に反対する社会運動でも「護憲派」の旗手として行動した清宮四郎の戦中の著作に、『外地法序説』(1944年)というものがある。それに先立って清宮が1940年に発表していた「帝国憲法の外地適用」という論文は、『憲法の理論』(1969年)に収められている。

清宮によれば、「帝国憲法の外地適用とは、帝国憲法が何らかの仕方において、外地といわれる地域に通用することを意味する」(131頁)。「全面的適用説」を唱える佐々木惣一・京都帝大大学教授に反して、清宮は、美濃部達吉・東京帝大教授、宮沢俊義・東京帝大教授らと同じく、「一部適用説」を主張する。それは、憲法の外地での適用のされ方には、様々な法制度にもとづいた様々な形態がある、という意味である。「朝鮮・台湾及び樺太の如きもの」=「狭義の領土たる外地」に適用されても、「関東州及び南洋群島の如きもの」=「狭義の領土たらざる外地」には適用されない帝国憲法規範もある(152頁)。朝鮮半島は、全面適用地域である。

それぞれの外地ごとの憲法適用の違いは、「天皇の裁断」によって決まる。なぜなら「外地領地は内地領地と相合して帝国の綜体領域を形成し、外地領民と内地領民とは相合して帝国の綜体領民を形成し、いずれも、帝国に所属し、帝国における統治権に服する」からである。「外地に対する統治権と内地に対する統治権とは、ともに、帝国における統治権として、究極において、或る一点に帰一し、統一され、一元化されていなければならない」。「国家において、何人が統治の主体であり、統治権の総攬者であり、最高の統治者であるか、に関する規範は、統治の本源に関し、統治の根本のまた根本に関する規則である。これを基本的統治法たる憲法と名づけて置く。」(152-154頁)。

清宮によれば、「外地」の全てに、天皇の「統治権」が及んでいる。だから、憲法の適用の仕方も「天皇の裁断」次第で決まるのであった。<=朝鮮半島には、「天皇の裁断」によって、帝国憲法が完全に適用された。>

ところが石川教授は、「『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」といった謎めいたレトリックを駆使する。清宮四郎は、そんなことは言わなかった。むしろ清宮は、「外地は、いうまでもなく、外国ではない」、と断言していた(152頁)。だからこそ清宮は、「基本的統治法たる憲法は、必ず、内地・外地に共通に通用し、一元的でなければならない」と力説した(153頁)。

清宮研究に造詣の深い石川教授は、「大日本帝国は、複数の異『民族』によって構成された多民族帝国」だったと言いながら、なぜ「『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」、などといったオリジナルなレトリックも使うのだろうか。石川教授のオリジナルなレトリックのほうは、根拠が不明である。石川教授自身の説明が必要だと思われるのだが、見つからない。

だから私は、現代の憲法学において日韓併合は何だったのかが、「不明である」、と書かざるを得ないのである。

そこでまた同じ文章で、今回も結んでおかなければならない。

日韓関係の緊張関係にともなって「歴史認識」問題が深刻な外交問題にまで発展している。日本の憲法学者のきちんとした見解の表明が待たれる。

 

 

https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=as_li_ss_tl?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4106108224&pd_rd_r=e52baea4-9be2-11e9-8924-833d5d723e91&pd_rd_w=me2vR&pd_rd_wg=ww7Ii&pf_rd_p=ad2ea29d-ea11-483c-9db2-6b5875bb9b73&pf_rd_r=9W7YKT9T9T0MXGXN29S7&psc=1&refRID=9W7YKT9T9T0MXGXN29S7&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=d150abdf96ba32cef0709356c4c0824c&language=ja_JP

 

 拙著『憲法学の病』では、今まで誰も論じたことがない地点で、憲法92項「戦力」不保持と「交戦権」否認について論じた、という自負がある。ただし今のところ、真面目な法律論の観点からのコメントをいただく機会には恵まれていない。
 「『東大法学部の石川健治教授は著作が少ない』とか、よく書けましたね」、といったことは、よく言われる。ただし、その記述は、特に批判でも何でもない。石川教授には憲法解釈論の著作がほとんどないので、学術的な立場の検証が難しい、と書いただけだ。

石川教授に優れた論文がある。ソウル(京城府)にあった「京城帝国大学」に集っていた法学者たちに関する研究である(石川健治「コスモス―京城学派公法学の光芒」、酒井哲哉(編)岩波講座「帝国」日本の学知第1巻『「帝国」編成の系譜』[岩波書店、2006年]所収)。今日でも続く国公立大学法学部教員の人事慣行と同じように、かつて京城帝国大学には、東大法学部卒の学者陣が赴任していた。帝国大学システムにおける京城帝国大学の地位は高かったため、優秀な教員が多数いた。代表格は、憲法学者の清宮四郎だ。東京帝大で美濃部達吉の下で学んだ。東京帝大の宮沢俊義らと同じで、ケルゼンに造詣が深く、ドイツ法学を基盤にした憲法学をソウルで講義していた。ちなみに清宮は、戦中に東北帝国大学に転任したが、清宮の弟子の一人が樋口陽一である。樋口は、東北大学教授から東京大学法学部教授に異例の転任をした。石川教授は樋口教授の弟子である。つまり石川教授は、清宮・元京城帝国大学教授の孫弟子である。

 非常に興味深い憲法学者の系譜である。

今日の日韓関係の対立の根源的な要因の一つは、1910年の日韓併合を「植民地主義」だとする「歴史認識」である。韓国では「植民地支配」の法的効果も否定する立場から、日韓請求権協定に反する元徴用工に関する大法院判決が出た。日本でも、日韓対立の原因をネトウヨとアベ首相に見出す「知識人」たちなどが、https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190827-00000057-yonh-kr  1910年日韓併合の法的効果を否定する立場をとっている。http://www.wadaharuki.com/heigou.html 

この見解は、日本の憲法学の伝統に反している。大日本帝国憲法において、民族の差を理由に、「日本臣民」を差別する条項はなかった。民族的差異と大日本帝国の構成員としての地位は、別の問題であった。大日本帝国は、他民族帝国であった。美談でも、隠蔽でも、何でもない。民族国家が世界標準の原則となる前の時代だった。多民族国家の帝国主義が、まだ国際社会の支配原理だった。つまり「植民地主義」の産物として日韓併合の法的効果をするのは、当時の憲法学の議論には存在していなかった。

それでは戦後の日本の憲法学において、日韓併合の歴史は、どう扱われているのか?

美濃部達吉も、清宮四郎も、宮沢俊義も、日韓併合の効果を疑ったり、「植民地主義」として糾弾したりすることはしなかった。現在の日本の憲法学者たちは、「知識人」たちに抗して、大日本帝国憲法の原理を説いているのだろうか?あるいは全く逆に、「知識人」たちとともに、戦前の日本の憲法学者たちの「植民地主義」を糾弾しているのだろうか。

不明である。

戦後に「護憲派」の旗手の一人となった清宮四郎は、実は戦前の「植民地主義」者だったとして、「知識人」たちから非難されているのか。それとも清宮は、戦後憲法学の「護憲派」の重要人物になったという功績から、「知識人」たちから免責されているのか。

不明である。

別の京城学派の学者の祖川武夫がいる。戦後は東京大学に戻り、国際法を講義していた。寡作だが、日米同盟批判で名高い著作がある。集団的自衛権は違憲=安保法制は違憲だ、という「知識人」たちの運動が巻き起こっていた数年前、日米同盟批判の文脈で頻繁に「(自衛権の)きわどい弛緩」という表現が使われた。祖川の著作において日米同盟批判=集団的自衛権批判のために使われた特殊用語だ。この表現を用いていた「知識人」たちは、祖川・元京城帝国大学教授への忠誠を表明して、「アベ政治を許さない」と叫んでいたわけだ。

独立後に集団的自衛権に基づいた安全保障上を結ぶと「違憲」だが、「植民地主義」にもとづいた「併合」をした防衛体制なら合憲だ、ということなのか。

不明である。

憲法学者の宮澤俊義は、「八月革命」説を唱え、ポツダム宣言受諾時に「日本国民」が革命を起こしていた、と主張した。

ふつうは、日本が、朝鮮半島を放棄したのは、「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られる」と規定したポツダム宣言を受諾した結果である、と歴史を理解する。

しかし「八月革命」説によれば、そうではない。「日本国民」が「革命」を起こして、朝鮮半島を放棄した。

宮澤は、大日本帝国憲法の原理を講義しており、GHQ憲法草案を目にするまで、大日本帝国憲法のままでも問題はないというような立場をとっていた。大日本帝国憲法第10条「日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」を受け入れていたということである。ちなみに日本国憲法は、国民(people)に主権が存すると宣言しつつ(前文)、「日本国民(national)たる要件は、法律でこれを定める」とした(日本国憲法第10条)。

宮澤の「八月革命」説にもとづけば、「大日本帝国憲法」における「日本臣民」の一部であった日本民族=「国民(people)」が革命を起こし、他の帝国部分の臣民を切り離した。そして自分たちだけが「日本国民(national)」となる法律を作った。

日本の憲法学によれば、サンフランシスコ講和条約などは関係がない。「八月革命」を起こした日本国民(people)=日本民族が、1945-46年の革命の結果として、「日本国民(national)」の要件を勝手に定めてしまい、朝鮮人たちの国民性を否定した、ということなのではないのか。

こんな学説では、「植民地主義」にもとづく「日韓併合」の法的効果を否定できない。

こう言うと「八月革命説は古い学説ですから」と言い出す人が現れる。それでは新しい憲法学を講じる「知識人」は、きちんと大日本帝国憲法を否定し、清宮四郎を否定し、美濃部達吉を否定し、宮沢俊義を否定しているのか。

不明だ。

日韓関係の緊張関係にともなって「歴史認識」問題が深刻な外交問題にまで発展している。日本の憲法学者のきちんとした見解の表明が待たれる。

 

 

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 日韓関係の緊張に伴って日本では韓国に厳しい世論が形成されている。だが、気になるのは、それにともなって顕著になっている「ネトウヨ批判」を存在証明とする「知識人」たちの活動だ。

 「ネトウヨ」という言葉が非常に流通している。そこに侮蔑的な意味が含まれていることも、いわゆる「知識人」の間では自明の前提である。そこで発展した紋切り型ビジネスは、「お前はネトウヨだ!(したがって私のほうが正しい)」というレッテル貼りである。

 現在、日本の大学人の多くが「ネトウヨ批判」でビジネスをしている。つまり「お前はネトウヨだ!(したがって私の方が正しい)」という紋切り型に、あらゆる問題をも持ち込んでいくというビジネスである。

 もう一方では「パヨク」嘲笑のビジネスもある。ただ左翼批判の基本パータンは、在野の言論人が、大手新聞社や戦後民主主義系の学者を揶揄する、というものである。これに対して「ネトウヨ批判」ビジネスは、在野の「ネトウヨ(とされている人々)」に対して大学人などが批判を加えていくのが基本構図であるため、性格が異なる。

 日本の言論界の閉塞は、在野民間ウヨクによる大手新聞・戦後民主主義批判⇒左翼知識人による「ネトウヨ」批判⇒在野民間ウヨクによる大手新聞・戦後民主主義批判、と循環論法で閉じられた円環で完結してしまっていることである。

 最近の日韓関係の緊張化は、この傾向に拍車をかけたようにみえる。確かに民間で韓国を感情的なレベルで嫌悪している層もいるのだろう。だが本来であれば、大学人などが執拗に「ネトウヨ」の言説を追いかけ、「ネトウヨはダメだ」という結論の文章を何度も繰り返し大量生産していく必要はない。だが今やYahooコメント欄の「ネトウヨ」を批判するのが、大学で給料をもらっている知識人の務めである、といったおかしな風潮が蔓延している。

 危険である。このままでは「ネトウヨ」が死滅する前に、「ネトウヨ批判を知識人であることの存在証明にしている知識人」のほうが死滅してしまいかねない。

 Yahooで「ネトウヨ批判」の記事を見た。https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyayukiko/20190817-00138706/ 日韓関係の悪化は、「ネトウヨ」が蔓延しすぎていることが原因であるという紋切り型の論旨の文章である。いただけないのは、勢いに乗って「政権交代があったのだから日韓請求権協定を守らなくなっても仕方がない、日本も日米修好通商条約をもはや守っていないではないか」といった論旨の文章を書いてしまっていることである。

 これは論理が成立していない。ネトウヨ批判に熱心なあまり、知識階層として最低限のファクトチェックを怠る罠に陥ってしまっている典型例だ。

 国家継承をすれば、条約義務も継承する。条約義務を継承したくないなら、国家継承をしなければよい。

 日米修好通商条約が今日無効なのは、単に政権交代があったからだったり、時間がたったからだったりしたからではない。明治政府が、江戸幕府時代に締結された不平等条約を、血のにじむ努力で改正する努力を払ったからだ。

 2012年にオランダの裁判所で、日蘭修好通商条約の有効性が確認されたのをご存知だろうか。http://www.irashadiary.com/2016/01/21/オランダでは日本人が労働ビザなしで働ける%E3%80%80/ 明示的な廃棄や改変がなければ、国家継承が行われている限り、政権交代があっても、条約は有効である。

 したがって韓国が民主化が進んで政権交代が起こったという理由で日韓請求権協定の有効性を否定しないのであれば、条約破棄または相手方と条約改正の交渉をするのが、正しい。国内裁判所を使って、国内法体系の側から条約内容の事実上の改変を行おうとするのは、邪道である。国際法の側から見れば、そのような邪道を許せば、法体系が維持できなくなる、という深刻な問題である。諸国の努力で、条約順守義務を履行しなければならない。そうでなければ、国際法体系の崩壊という、全ての諸国が被害を被る深刻な事態が訪れる。

 「ネトウヨ」とされる人々がYahooコメント欄で間違えたことを言うのは、まだ罪が軽い。しかし「知識人」層として、署名入りの記事を書くのであれば、高い次元で責任を負う覚悟をするべきだ。

 私自身も最近、インターネット媒体を使った発信を細々と始めている。外交時事問題や憲法問題など、一般の人にも知ってもらいたい問題を論じる際に、インターネット媒体を用いることに意味があると思って使っているだけだ。ただし扱う対象は学者や政治家だ。「ネトウヨ」又は「パヨク」批判をもって自分が「知識人」であることの証明にしようと思ったことはない。

 私は最近、憲法学者の憲法論のおかしさを指摘する著作を出している。学者同士の論戦だが、社会的意味を考えて、一般書として書籍を出したりしている。ところが、今まで真面目な学者からの批判をいただいたことがない。その代わりに何を言われるか。

 「憲法学者を批判するとネトウヨだとか言われて損しちゃうよ」

 「憲法学者を批判すると保守派を利するのでやめてほしい」

 「憲法学者を批判してもダメだよ、憲法学者はマスコミを押さえているからね」

 これらは実際に私に親切に忠告してくれた学者連中の実際の発言である。

 今や現代日本では、「お前はネトウヨだ!、と批判している私はネトウヨではない、したがって私は正しい言説を述べている『知識人』なのである」、という奇妙な三段論法を大量生産している「知識人」が蔓延し始めている。

今や大学から給料をもらって生きているいゆわる「知識人層」が、「ネトウヨ批判に忙しいんだ、学者同士の議論なんかしている暇はない」、といった雰囲気に完全に飲み込まれてしまっている。

 日本の言論界の危機である。 

 日韓関係は、「問題が起きているのはネトウヨのせいである、ネトウヨを皆で批判すれば問題は解決する」、などと言えるほど、単純な問題ではない。しっかりと日韓関係の分析を施さないといけない。ところが「知識人層」が、「ネトウヨはダメだ、ところで私はネトウヨを批判しているので知識人であり、つまり私が言っていることは正しい」、といった底の浅い自己正当化ばかりを繰り返している。

 「知識人」であるかどうかは、「ネトウヨ批判をしているかどうか」で決めるべきではなく、しっかりとした議論を提供しているか否かで決めるべきものだ。

 このままでは底の浅い「知識人のネトウヨ批判を存在証明とした自己正当化」の帰結として、ネトウヨが死滅する前に、「知識人」が死滅してしまう。

 「私は知識人である、なぜなら私はネトウヨ批判をしているからである」といった陳腐な自己正当化に身を委ねるのは、言論人としての自殺行為である。

 

https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=sr_1_1?qid=1564849131&s=books&sr=1-1

 

 

 先日、「日韓対立は国際法vs.歴史認識、そして日本国内も」という題名の文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2040741.html

 国際法の構造転換が起こり、帝国が解体され始めたのは、第一次世界大戦後のことである。国連憲章に民族自決権が明記され、脱植民地化の運動が世界を席巻したのは、第二次世界大戦後のことである。法規範の転換は図られた。植民地主義は否定された。しかし、遡及的に過去の行為が無効化されることはない。法の不遡及は一般原則だ。1910年の日韓併合を、国際法の観点から無効化するのは、無理だろう。

不正な法的現実は、正す運動を起こすべきだ。だが遡及的に過去の法的事実の無効を訴えることはできない。ガンジーであれ誰であれ、民族自決運動に立ち上がった偉人たちは皆、未来に向かって、運動をした。

現代世界では国際刑事裁判所で戦争犯罪人が訴追されたりする。だが、それはあくまでも犯罪の時点で成立していた国際人道法にのっとってのことである。

大韓民国憲法は、その前文の冒頭で、「31運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」についてふれている。1919年、ウッドロー・ウィルソン大統領が「民族自決」の思想を携えてパリ講和会議に乗り込んだとき、アジアでも民族独立運動が高まった。「31運動」は、その際の独立運動のことである。「31運動」で立ち上がった韓国人たちは、無残に弾圧された。非常に悲しい歴史だ。

だが第一次世界大戦の敗戦国となったオーストリア帝国やオスマン帝国の解体を、民族自決の考え方で処理しようとしたウィルソンですら、同じ考え方をアジアに適用する意図は全く持っていなかった。

31運動」が起こった1919年から、韓国が独立国としての法的基盤を得たと考えるのは、無理だ。ポツダム宣言受諾時に国民が「革命」を起こしたとする日本の憲法学の「八月革命」説と同じくらいに、荒唐無稽である。本来、法的議論ではない。

だが自国内の法体系においてだけなら、荒唐無稽な議論を確立してしまうことは、不可能ではない。2018年韓国大法院判決の元徴用工をめぐる判決がそれであるだろうし、「八月革命」説にもとづいて憲法学者が自由自在に国際法概念を無視してみせるのも、似たようなものだ。「憲法優位説」なるアイディアを持ち出して、国際法体系に真っ向から挑戦をする確信犯が集団で力を持ってしまうと、もう混乱を収拾することができない。

1910年の日韓併合直後に、韓国併合の法的位置づけをめぐり、憲法学の東大法学部教授の美濃部達吉と、国際法学の東大法学部教授の立作太郎が、『法学協会雑誌』を舞台にして、数多くの論文で反論しあった有名な論争があった。双方が漢文調の長文の論文を繰り返し掲載して行われた論争なので、詳細は学術論文での紹介に譲りたいがhttps://www.suntory.co.jp/sfnd/asteion/vol90/magazine90_002.html#m90_08 、結論を言えば、不毛な論争であった。

美濃部は、韓国が持っていた「統治権」が、日韓併合によって日本に承継された、と主張した。そこで韓国の「統治権」に付随していた制約が、そのまま日本に承継された、と主張した。韓国という国家の存在を実体的に捉えたうえで、その実体性を持った国家が日本と合併したという捉え方である。

これに対して立は、日韓併合によって、韓国の統治権が消滅し、いわば無主地になった地域を、日本が領土権のいわば「原始取得」を行って、その固有の統治権を拡大することになった、と考えた。立は、当時の欧州列強の植民地支配の現実をふまえた国際法規範を自明視していたため、併合されてしまった韓国の国家存在を実体的に捉える視点が希薄だった。

美濃部と立の論争のほとんどは、「主権」とは何か、「統治権」とは何か、という原理論にあてられている。両者が遂に分かり合うことができなかったのは、憲法学者の美濃部が「統治権」の実在性を信じて譲らなかったのに対して、国際法学者の立が「統治権」なるものに関心を示さず、「統治権」は存在するとしてもせいぜい「主権」と同じものに過ぎない、という突き放した態度をとったためであった。

驚くべきことに、21世紀の今日においても、日本の憲法学者の基本書に「統治権」の概念が登場する。しかしその法的根拠が説明されることは、決してない。

「統治権」は、大日本帝国憲法の概念である。ロエスレルが起草した憲法案における「主権」の概念は、ヨーロッパ的過ぎて日本の風土になじまない、と伊藤博文と井上毅は考えた。そこで『古事記』における「シ(統)ラス」という概念に着想を得て、「発明」したのが、「統治権」概念であった。極めてロマン主義的な政治的配慮で大日本帝国憲法第四条に挿入された概念で、法的精緻さは欠いていた。

ところが美濃部達吉は、「統治権」の実在を、ほとんど憲法学者としての生命をかけて、信じ続けた。その普遍的な適用性を信じるあまり、併合される前に存在していた韓国の「統治権」は、併合後も残存し続けている、といった空理空論を主張し続けた。国際法学者の立にしてみれば、美濃部の主張は、ほとんど小説家のものであり、全く理解できない主張であった。

恐るべきことに、21世紀の今になっても、日本の憲法学では、「統治権」なる謎の概念の実在が、絶対的なこととなっている。

国際的には、全く通用しないガラパゴスな「信念」である。

似たような事情は、憲法92項に登場する「交戦権」にもあてはまる。憲法学者は、「交戦権」が否認されているので、日本は自衛権を行使することができない、などと主張する。しかし国際法に「交戦権」なる概念は存在していない。自衛権の行使に「交戦権」の保持が必要だ、などという謎の議論を提示しているのは、世界中で、日本の憲法学者だけだ。憲法学者の議論は、国際法上の概念である自衛権を否定する議論としては、全く的外れなのである。

ところが憲法学は、日本国内の大学人事、司法試験、公務員試験、マスコミを掌握することによって、ガラパゴスな議論を、日本国内においてだけは通用する常識に仕立て上げてしまった。

「交戦権」は、戦前の日本においても、語られていなかった。ただし戦中においては、登場していた。太平洋戦争中の著作において、信夫淳平という国際法学者は、次のように書いた。宣戦布告を行うような「開戦」の方式は、「当該国家の交戦権の適法の発動に由るを要すること論を俟たない。その権能の本源如何は国内憲法上の問題に係り、国際法の管轄以外に属する」。(信夫淳平『戦時国際法提要上巻』[1943年]

真珠湾攻撃後の日本において、「交戦権」なるものを肯定する気運が高まった。だが国際法には根拠がない。そこで大日本帝国憲法における「統治権」や「統帥権」のような謎の概念に訴えて、国際的な「交戦権」の根拠とする、という倒錯を、信夫は犯してしまった。

マッカーサーが、「交戦権」否認を通じて、否定したかったのは、これであった。つまり、自国の憲法を理由にして、国際法では認められていない行動を正当化しようとするガラパゴスな発想であった。ところが、ガラパゴス主義を撲滅するためのマッカーサーの「交戦権」否認条項が、今度は国際法における自衛権を否定する日本の憲法学者に利用されてしまった。歴史の悲劇である。

この悲劇から得ることができる教訓は、次のようなものである。

国内法で新奇な概念を作り出して、国際法を否定したつもりになるのは、危険な火遊びである。今後の日本はいっそう、こうしたガラパゴス憲法論の弊害に気を付けて、国際法とともに生きていくことを心がけていくべきだ。

国民民主党の玉木雄一郎代表が、「自衛権に制約」をかける「護憲的改憲」を目指すと述べているニュースを見た。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190814-00000015-mai-pol

とても心配である。

自衛権は、国際法上の概念である。勝手な概念を国内憲法に並べ立てて、「制約した」などと威張ってみせても、必ず、国際社会で、矛盾や乖離が露呈する。現場の人間に多大な負担がかかる。政策も停滞する。やめたほうがいい。

何でもかんでも憲法で制限するのが善いことだというのなら、国際貿易のルールや、国際人道法の原則なども、すべて日本国憲法で制約するべきなのだろうか。国際法規範を片っ端から憲法で制約していくと、日本の「立憲主義」の進展になるので素晴らしい、と、本気で考えているのだろうか。

以前にも指摘したが、玉木氏を含めて、日本の司法試験・公務員試験受験組に、こうした発想が顕著に見られる。残念なガラパゴス主義である。

繰り返すが、自衛権は、国際法上の概念である。勝手な概念を憲法に並べてたてて制約したつもりになったりするべきではない。少なくとも国際法の概念構成に沿った形で議論をすすめていくべきだ。そうでなければ、日本は必ず国際的に行き詰る。

 

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  日本が輸出管理の優遇対象国から韓国を外す決定を下した82日、文在寅大統領が「加害者である日本が居直って大口をたたく状況」を糾弾した内容の演説が、話題になっている。https://www.j-cast.com/2019/08/02364214.html?p=all 

多くの日本人が、「歴史認識」とそれ以外を分けると言っていたのは、文大統領自身ではないか、という気持ちになったのは無理もない。

ただし、日韓関係の緊張の高まりは、もともと元徴用工問題を、日本が国際法の問題、韓国が歴史認識の問題として、捉えるところから、生まれてきている。

文大統領は、「歴史認識の問題である元徴用工問題を、国際法の問題だなどと主張した日本が、貿易政策にまで影響を出してきた」、と糾弾しているのである。実際の大法院判決が、植民地被害の問題は、請求権協定で取り扱うことができない、という法解釈を下したのも、同じような考え方だ。韓国側では行政府も司法府も、「元徴用工問題は歴史認識の問題」という主張を一貫して続けているわけである。

もちろん「歴史認識」にも様々な形態があり、韓国政府の「歴史認識」が絶対ではない。しかし、いずれにせよ韓国は、問題を「歴史認識」に還元しようとしている。なぜなら韓国にとって「歴史認識」問題とは、「日本=加害者/韓国=被害者」という図式を当てはめる問題、という意味であり、その図式のあてはめこそが狙いだからである。

これに対して日本は、韓国大法院判決によって引き起こされた問題は、歴史問題というよりも、具体的な法律問題であるという認識なので、国際法の論理を忘れてはならない、と主張している。日本にとっては、問題を「歴史認識」と捉えてしまうことによって、「相手の土俵で相撲を取る」ことになるので、徹底してそれを警戒している。実際、法的問題の本質は法的問題であり、歴史認識で法的解釈が変わっていくという状況は防がなければならない。日本政府の姿勢は、長期的な国益を考えれば、やむをえないものだ。

今後も日本にとっては、元徴用工判決と輸出管理の問題の切り分けだけでなく、歴史認識と国際法の問題の切り分けが、鍵となる。国際世論に訴える場合にも、その点をふまえた対応がまずは重要だろう。

このブログでも繰り返し述べているが、この現在の日韓対立の構図にかかわらず、実は伝統的には、日本人の国際法の認識度合いは、悲惨である。特にひどいのが、国際法を全く勉強しないまま法律の専門家となった司法試験受験組の「法律家」たちである。

たとえば弁護士でもある立憲民主党の枝野幸男代表は言う。「国が自衛権を行使できる限界を曖昧にしたまま、憲法9条に自衛隊を明記すべきではありません」。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190803-00000003-jct-soci&p=2 

しかし自衛権は、国際法の概念である。日本国憲法に自衛権に関する規定は、もととも存在していない。「限界が曖昧だ」などと言っている暇があったら、国際法を勉強し、自衛権は国際法においてしっかりと制約されていることを、学び直すべきだ。

他国と同じように国際法の制約に服することこそが、自衛権を明確に運用していくための唯一の方法である。理由は単純だ。自衛権は国際法の概念であり、日本国憲法に自衛権を規定した条文はないからである。冷静になってほしい。「憲法学者の支配」を唱える姿勢こそが、憲法解釈を曖昧にしてしまう弊害の元凶である。

国際法の支配を拒絶し、「憲法学者による支配」を主張して憲法解釈を曖昧さの泥沼に陥らせながら、その一方では曖昧さを危険視するような発言をするのは、自家撞着の極みとしか言いようがない。

一方的に憲法学優位を唱えて国際法を拒絶する自作自演の演出の危険にこそ、今の日本は直面している。「いつか来た道」「戦前の復活」「軍国主義の再来」などの「歴史認識」問題に持ち込もうとする決まり文句を日本国内においてすら聞くときには、さらに気持ちは暗澹たるものになる。

「国際法は存在していないに等しい、憲法学の通説だけが頼りである」といったお話が、野党第一党の党首が公に堂々と主張しているという現状を何とかしないと、日本の未来はない。

野党の方々にも、国際法を尊重する気持ちを持ってほしい。「憲法学者の支配」ではなく、「国際法の支配」をこそ標榜してほしい。

 

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