「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2020年01月

 イラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官の殺害は中東に激震をもたらす大事件だ。もっとも、事件の理解のためには、国際法上の論点の整理も必要だと思われる。
 立憲民主党の枝野党首は、「この行為が国際法上正当化できるのかどうか疑問があります」と述べるにとどめたが、社民党は、「予防的な自衛権の行使は違法」と主張している。http://www5.sdp.or.jp/comment_index 今回の行動が2003年イラク戦争と同じ先制的自衛権行使にあたるので明白に違法だという主張は、他のコメンテーターにも見られる。https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20200105-00157576/  しかし、明白な脅威が存在する場合に、その脅威を自衛権行使で除去することは必ずしも違法ではない。脅威の認定には、一連の事態の流れを把握しておくことが必要である。
 今回のアメリカの作戦が国際法上の合法性があるか否かは、きちんと現代国際法規範の筋道にそって議論するべきだ。
 今回の事件に先立って、年末からバグダッドの米国大使館が暴徒に襲われるという事件が起きていた。大使館に暴徒が侵入するのが極めて深刻な事態であることは、言うまでもない。この群衆が、イランが支援するシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ」の旗を掲げていたことがポイントである。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-12-31/Q3DRAIT0AFB701 この群衆は、アメリカによる「カタイブ・ヒズボラ」の拠点に対する空爆に抗議していたのだが、アメリカからすれば、その空爆はイラク北部キルキーク近くで米国人の犠牲者が出たことに対抗するものであった。今回、ソレイマニ司令官は、この「カタイブ・ヒズボラ」の指導者のアブ・マフディ・ムハンディス氏とイラクのバグダッド空港でおちあったところを、アメリカによって攻撃された。ちなみにソレイマニ司令官殺害後の1月4日、同じバグダッドのアメリカ大使館の付近に、ミサイルが2発撃ち込まれている。
 一連の事件は、一続きの流れの中で起きている。さらなる米国人と米国施設に対する被害を防ぐために自衛権を行使した、というアメリカ政府の主張は、必ずしも破綻しているとまでは言えない。
 もちろんソレイマニ司令官が一連の事件の意思決定部分に属していたかどうかを論証する義務は、アメリカ政府にあると考えるべきだろう。また自衛権行使にあたって、アメリカの行動が必要性と均衡性の審査に耐えられるかも、大きな論点になる。また、大使館の保護は、当該国政府の責務だが、アメリカは、一連の事件をもって、イラク政府にアメリカ大使館を保護する能力または意思の深刻な欠落があることが明白になっていた、と主張するだろう。この主張の審査も、論点になる。これらの審査に通らなければ、国連憲章2条4項の武力行使の一般的禁止にそって、アメリカの行動は違法である。
 事件後、ロシアや中国が、イランに同調して、アメリカによる「武力の乱用」を理由にした国際法違反を指摘しているのは、上記の審査にアメリカの行動は耐えられないという判断によるものだと思われる。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200105-00000022-wow-int 非常に厳しい事例だ。こうした主張が出てくること自体は、奇異ではない。他方、イギリスはアメリカの立場に理解を示した。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200105/k10012235741000.html?fbclid=IwAR2PNkopaCnBosxYM9DlAIt2YtQJ574KAYivJvaTQZnKi4c1Gh7goIX8TFA 
 気になるのは、日本での議論だ。自衛権は自国の領域内でないと行使できないとか、国外では個別的自衛権は行使できないなどといったガラパゴスな俗説まで出回っている。
 日本の憲法学「通説」が、国際法に対する憲法「学」優位説を唱え、「専守防衛」(という法的根拠のない謎の概念)を振り回してきたことの弊害だろう。
 海外にいる自国民や自国施設への脅威に自衛権を行使して対抗できないとしたら、どうなるか。日本には在日米軍の巨大なプレゼンスがあり、約5万人の米国兵士が駐留している。これらの施設に対する攻撃がなされた場合、アメリカは個別的自衛権を持って対抗できなければならない。日本は、つい最近まで、集団的自衛権は違憲だと強弁し、日本はアメリカを守らないと主張していた。その国が、アメリカは在日米軍施設が攻撃されてもアメリカの領土外だからアメリカは自衛権行使で対抗してはいけない、などと言うのだとしたら、法律だけでなく、常識にも反しているだろう。
 現代国際法は、19世紀ドイツ国法学者や日本の憲法学者のような擬人法的な発想方法を採用していない。刑法上の正当防衛は、ある人間の物理的身体への攻撃に対する反撃だけに限られるだろう。確かに、人間の物理的存在に身体を離れたものはない。財産への侵害に対する対抗措置は、民法上の問題とされる。
 しかし、国家は、そのようなものではない。自衛権行使は、自国領土への攻撃の場合だけに限られないのだ。国際法に刑法も民法もない。そもそも刑法の前提となる世界警察権力が存在していない。
 国際法上の自衛権は、国内刑法上の正当防衛とは、違うのである。
 極めて当然のことである。だが、日本ではなぜか憲法学者が19世紀ドイツ国法学を振り回して「国内的類推」を振り回し、マスコミがイデオロギー的な理由でそれに追随しているために、国際法上の自衛権と国内刑法上の正当防衛は違う、というシンプルな認識が受け入れられていいない。それどころか、憲法学者が自衛権の専門家であるかのような根本的に間違った考え方が社会に広まってしまっている。
 非常に残念なことだ。 憲法学「通説」が世界を支配しているわけではない。憲法学「通説」の国際法理解は、単に極東の島国の法律家共同体を支配しているだけだ。その点だけは、間違えることのないようにしておきたい。

 アメリカが、イラクのバグダッド空港において、イラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官を殺害する作戦を遂行した。イラクのイスラム教シーア派(Shiite)武装勢力の連合体「人民動員隊(Hashed al-Shaabi)」に属する親イランで知られるイラクのシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ(KH)」(神の党旅団)の指導者のアブ・マフディ・ムハンディス(Abu Mahdi al-Muhandis)氏も同時に殺害されたと伝えられている。
 大変な事態である。ソレイマニ司令官は、イラン強硬派の象徴的存在であり、イラクに対するイランの影響力の拡大においても大きな役割を持っていたとみなされている。
 攻撃に先立つ1月2日、アメリカのエスパー国防長官は、「状況は一変した」と明言し、さらなる攻撃を防ぐための先制攻撃を辞さない、と明言していた。その数時間後、米軍は、ソレイマニ司令官殺害作戦を遂行したわけである。
 年末から1月1日にかけて、首都バグダッドにあるアメリカ大使館に抗議デモの参加者が攻撃を仕掛けるという事件が起こっていた。大使をはじめ、多くの大使館員が休暇中だったとされるが、イラク国内の親イラン勢力の介在と、イラク治安当局の黙認が指摘されていた。そもそも抗議デモは、12月29日にアメリカ軍が「カタイブ・ヒズボラ」のイラクとシリアの拠点5カ所を報復空爆し、少なくとも戦闘員ら25人を殺害したとされる事件によって発生していた。アメリカ軍の攻撃は、12月27日にイラク北部キルクークに近いイラク軍基地が攻撃された際、米軍の請負業者の米国人1人が死亡し、米兵4人が負傷した事件を受けたものであった。
 「テロの連鎖を標的殺害で断ち切ることは不可能だ」、といった第三者的な言い方が、日本では好まれる。だが、ソレイマニ司令官ほどのカリスマ指導者を失ったことの衝撃は、イラン革命防衛隊側にも大きいだろう。ソレイマニ司令官が、KH指導者とバグダッド空港にいた、という事実それ自体が、アメリカが予防したい事態が近づいていたことを示唆する状況であったとは言える。だがいずれにせよ、今後の湾岸地域情勢は、予断を許さない。
 日本の海上自衛隊が周辺海域に派遣されることが、12月27日の閣議で決定された。「安全確保に向けた情報収集態勢を強化するため」で、防衛省設置法4条の「調査・研究」に基づく派遣となる。哨戒ヘリ搭載の護衛艦「たかなみ」1隻、ソマリア沖で海賊対処に当たるP3C哨戒機2機が、投入されるという。活動海域は、オマーン湾、アラビア海北部、イエメン沖バベルマンデブ海峡東側のアデン湾の公海だとされる。
 アメリカの呼びかけに応じながら、イランを刺激しないようにした活動領域で、「海上警備行動」発令をにらみながらの「調査・研究」活動という、恐ろしく曖昧な位置づけの派遣である。霞が関在住数十年の「言語明瞭味不明」な玉虫色の文書を大量生産する能力に秀でた官僚群は悦に入っているのかもしれない。現場の自衛官は複雑な思いだろう。
 政治指導部が、非常事態には迅速に明瞭な判断を下すことができる権限付与を、事前に現場に与えておくことが必要だ。もっともこのようなことを言うと「武力行使」の「なし崩し的拡大」を目的にした派遣だ、といった批判を浴びることを霞が関の役人群は恐れるのだろう。もちろん「武力行使」は「目的」ではない。 ただ不測の事態への準備だけは必要である。
 むしろ「調査・研究」が目的であることを徹底して、派遣体制を強化する体制がとられているか、心配だ。「安全確保に向けた情報収集態勢を強化」などといったわざとらしい言い方で、あたかも情報収集が言い訳にすぎないかのように誤魔化すことがないようにしたい。
 宇宙軍を創設したアメリカが無人機による標的殺害やサイバー攻撃を仕掛けてくるのに対して、敵対勢力もそれをかいくぐった攻撃態勢をとってくるのが、中東の現実である。護衛艦が浮いていれば、それで敵対勢力が怯えて行動を控える、といった幻想にとらわれることだけはないようにしたい。
 時代に合致した情報収集分析能力の整備が決定的に大切だ。
 アメリカ軍から情報を仕入れることは必須であり、自衛隊も「バーレーンにあるアメリカ海軍の司令部に送ることを検討」している、などと伝えてられている。いささかのんびりした印象を受けざるを得ない。情報収集のための装備品を配備していくことに、いささかも躊躇があってはならない。
 たとえば自衛隊が保有する無人機のレベルは国際的に見て高くない。この機会に「情報取集」に不可欠な装備品を充実させていく視点も大切だろう。
 なお自衛隊の派遣に対して、野党系の勢力や護憲派系のメディアなどが、「自衛隊のなし崩し的な海外派遣と武力行使に反対」する態度をとっている。
 的外れすぎる。
 日弁連会長は、「中東海域への自衛隊派遣に反対する会長声明」を出した。https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2019/191227.html そこで日弁連会長は、今回の派遣には「自衛隊の活動に対する歯止めがなくなり、憲法で国家機関を縛るという立憲主義の趣旨に反する危険性がある」と主張する。そして「米国等有志連合諸国の軍隊との間で情報共有が行われる可能性は否定できず、武力行使を許容されている有志連合諸国の軍隊に対して自衛隊が情報提供を行った場合には、日本国憲法第9条が禁じている「武力の行使」と一体化するおそれがある」、などと論じている。さらに、「海上警備行動や武器等防護(自衛隊法第95条及び第95条の2)での武器使用が国又は国に準ずる組織に対して行われた場合には、日本国憲法第9条の「武力の行使」の禁止に抵触し、更に戦闘行為に発展するおそれもある」と主張している。
 日弁連会長は、「憲法で国家機関を縛る立憲主義の趣旨」とかいう抽象的で曖昧な超法規的原則に訴えるのではなく、法律家らしく、具体的な憲法条項のどこに「自衛隊の調査研究活動を禁ずる」という文言があるのか、はっきり示すべきだ。
 日弁連会長は、芦部信喜先生の学説が聖書のように絶対だということだといわんばかりの時代錯誤も甚だしい憲法観を振り回し、憲法学「通説」の意味不明な「武力の行使」概念を唯一絶対の心のよりどころにするのではなく、憲法のどの条項に、なぜ自衛隊の「海上警備行動」を禁止することが書かれているのか、しっかりと丁寧に説明するべきだ。そうしてくれれば、研究して反論する。

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 2019年は、カルロス・ゴーン氏のレバノン逃亡のニュースで終わった。検察や日産の関係者の談として、保釈が間違いだった、という見解が伝えられている。
 この見解の妥当性は、8日に開催されるというゴーン氏の会見後の国際世論の動向によって試される。そのことは肝に銘じたほうがいい。
 もし拘束の(仕方の)に不当性があったというゴーン氏の主張に説得力があった場合、保釈の判断だけは妥当であったことになる。さらなる不当な扱いから逃れるためにゴーン氏は出国した、という訴えにも、一定の説得力が出てきてしまうだろう。
 保釈中に国外逃亡したことの違法性と、そもそもの横領事件の違法性とは、別次元の問題になる。国外逃亡したのだから、そもそもの事件でも犯罪者であったことが確定したし、検察の保釈不当の訴えにも理があった、という主張をするのは、愚の骨頂だ。むしろ無罪の者でも拘束し続ければいずれ自白すると考えているので拘束し続ける、という悪評を裏付けることになる。日本政府は、国外逃亡したことの違法性に加えて、そもそもの事件をめぐる日本政府の対応の妥当性についても、弁明をする準備をしなければならない。
 日本政府は、英語で国際世論戦に突入する準備をしなければならない。 「日本の国内法ではこうなっている」とつぶやくだけのガラパゴス的な対応では、日本という国の国際的な威信が崩壊する。
 従来から、私は、憲法学「通説」批判の観点から、日本の司法界のガラパゴス性について問題提起をする文章を書いてきた。おそらく日本の検察では、国際的な議論に対抗することはできないだろう。http://agora-web.jp/archives/2036276.html 
 外交当局や政治指導部が、英語で、論理的で説得力のある議論を、速やかに国際的に発信していく準備をしなければならない。
 「日本の検察を信頼している」という内向きの発言だけに終始するようでは、国際世論戦で大敗北を喫することは必至である。 万が一、日本の検察の態度に国際人権法にてらして不備と言わざるを得ない面があったのだとしたら、それは率直に認める度量を見せながら、それでもなお日本政府の立場の全体的な立場の妥当性を訴える仕事を、然るべき日本政府の関係者が、英語で、海外メディアに対して発信していく必要がある。
 なお加えて外交的対抗措置を検討することも、当然だろう。弱小国の国家予算を上回る資産を持つ人物であれば、一般人には不可能な方法で、国家に対抗していくこともできる。日本政府としては、万が一にも、レバノンに対するODAの増額で解決を図るようなことはあってはならない。
 日本の総合的な国力が停滞している中、日本の司法制度の封建制が国際常識になってしまうことは、防ぎたい。

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