「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2020年03月

 新型コロナウィルスの対応が、各国で割れており、国際政治の問題になっている。震源地の中国は、権威主義国家特有の封じ込め政策で、感染者の封じ込めを図っている。韓国は広範な検査体制の導入で感染者の封じ込めを図ろうとしている。欧米諸国は、ここ12週間の感染者の広がりに動揺し、急激に渡航禁止措置や飲食店の営業禁止などの措置を導入した。

 密かに注目すべきなのが、日本だ。上記のパターンのどれにも属さないようなやり方で対応し、決して華々しくないが、しかし最悪ではない状況を維持している。

 私に言わせれば、日本のやり方は、公衆衛生の環境の高さと、市民の意識喚起に期待するアプローチだ。ウィルスの蔓延を抜本的に抑え込むまでには至っていないが、蔓延を鈍化させる抑え込みには持ち込んでいる。

 はっきり言って、日本のアプローチは、地味すぎて、全く注目されていない。だが、もう少し研究されてもいいのではないか。

 たとえばイギリス政府の政策に影響を与えたとされて注目されているインペリアル・カレッジのレポートがある。このレポートの結論は、比較的常識的で、概要をまとめれば、Suppression(封じ込め)は持続性がないが短期的には不可避で、したがってMitigation(緩和)は欠陥があるが長期的には不可避だ、というものである。https://www.imperial.ac.uk/media/imperial-college/medicine/sph/ide/gida-fellowships/Imperial-College-COVID19-NPI-modelling-16-03-2020.pdf (ちなみに、インペリアル・カレッジはロンドン大学構成カレッジの理科系の最高峰でケンブリッジ・オックスフォードに比肩する地位を持つ。ただし大英帝国の政策にも結びついてイギリスの感染症研究の結晶として世界的に知られているのは、The London School of Hygiene & Tropical Medicine LSHTM]だが、LSHTMは今は臨床研究に忙殺されている様子に見える。)

 私は科学的議論の細分に加わるつもりはないが、インペリアル・レポートの顕著な特徴に気づかないわけではない。同レポートは、「非医学的介入(non-pharmaceutical interventions)の形態として、social distancing(社会的距離)、case isolation(個別症例孤立化)、household quarantine(自宅検疫)、closing schools and universities(学校の閉鎖)をあげている。

 気づくべきなのは、公衆衛生の向上が、介入政策の形態として、欠落していることだ。結果として、一人一人の住民が、どれくらいの自助努力を払うか、といった点は、議論において度外視されてしまっている。

 だが、どれくらいの人々が、マスクを着用し続け、手洗いを欠かさず、濃厚接触を避けているか、といった要素は、本当に社会政策の方向性に全く影響を与えない要素だろうか。それは単に計算が難しい変動的要素であるだけで、実際にはその動向によって結果が左右される大きな要素なのではないだろうか。

 これまでの日本のコロナ対策は比較的地味だが、破綻していない。私は、その背景に、各鉄道駅にトイレがあるなどの公衆衛生環境の高さに加えて、国民一人一人の努力があるのではないか、と考えている。

 もしこの仮説が正しければ、日本政府はそのことを強調して、国民を称賛して世界に誇って、さらなる努力を鼓舞するべきである。安倍首相がWHO事務局長に褒められて皆で満足する、ということだけでいいはずがない。

 そして、今後の日本政府の政策的取り組みも、国民一人一人の自助努力を促す要素、つまりマスク・消毒用品・防菌用品の安定供給・特別供与等及び公衆衛生環境の向上を強調すべきものになるはずである。

 日本のアプローチは天才的な政策立案者の発想によるものではない。むしろ対応策をとらなければいけないという要請と、経済的に冒険主義的なことはしたくないという要請の間で、政府はどっちつかずの曖昧な態度をとっているだけにすぎない。

ところが私見では、そこに予想外にも、特有の衛生インフラと国民意識が、ポジティブな要素として、働いている。

いずれにせよ、過去12か月の日本の状況についての客観的な分析がなくては、次のステップとしての妥当な政策の見極めもあり得ない。

  314日の安倍首相の会見以降、コロナ問題について、楽観的な雰囲気が出ているように感じる。欧米諸国における混乱ぶりを見て、日本は上手くいっている、と多くの人々が感じている。

 危険だろう。

 伸び方が欧米諸国より鈍いだけで、感染者も死亡者も右肩上がりで増え続けていることに変わりはない。https://www.anzen.mofa.go.jp/covid19/country_count.html 日に日に感染者は日本全国に蔓延していっているのだ。2週間前、3週間前よりも、感染しやすいということだ。安心しているような状況ではない。

 先日は、「コロナ対策をする国民への感謝の重要性」http://agora-web.jp/archives/2044849.html という文章を書いた。言いたかったのは、WHOのテドロス事務局長が日本政府を称賛したからといって、実際に本当に日本政府が感染者増加抑制のための際立った行動をとったなどという経緯はない、ということだ。むしろ国民一人一人の危機意識が、抑制的結果をもたらしたのではないか、と私は考えている。もともと握手等の身体接触を行う文化が乏しく、衛生水準が高いという背景に加えて、手洗い・消毒・マスク着用・集団濃厚接触の回避等の自助努力を一人一人の国民が徹底したことが、感染の抑制に寄与したと考えるべきではないか、と私は思っている。

 しかしマスクやその他の物資不足などもあり、人々の間には、すでに疲弊感が漂い始めている。「日本は山を越えたのではないか」と思いたい衝動にかられたい時期になっている。しかし国民が他国には見られない努力を停止してしまったら、おそらく他国と同じような状況が広がっていくだろう。

 現実には、無発症者も含めると、すでに数万の感染者が日本国内に蔓延していると想定される。ここから撲滅に持っていくのは、相当に大変な作業である。少なくとも数年を要する長期戦に入った、と考えるのが妥当ではないのか。

 イギリスのジョンソン首相が「集団免疫」を国家政策の目標とすると述べて、話題を呼んだ。というのは、日本政府がやっているのも、事実上は集団免疫を目指す政策としか思えないからだ。少なくとも客観的にはそうである。

 集団免疫が難しいのは、いかに最終的目標を定めても、一年間の感染者を〇〇〇人にする、といった数値目標を管理達成していくことは、ほぼ不可能だからだ。できるだけピークを先送りにするためには、国民全体が撲滅を信じて最大限の努力をし続けるほうがいい、ひょっとしたらその間にワクチンが開発されて普及する可能性だってないわけではない・・・、と日本の政治家が思いたい気持ちは、わからないでもない。

 他方、目標を誤認し、長期戦を短期決戦だと誤認した人々は、疲弊するのが早い。一気に総崩れになる恐れもある、政府は、奇妙な楽観主義に浸ることなく、いい加減に長期的な戦略的ビジョンを提示し、具体的な対策をもっと迅速に打ち出していくべきだ。そうでないと、せっかく稼いだ初動時の準備時間が、すべて水の泡になりかねない。 

  WHOのテドロス事務局長が日本政府を称賛する発言を行った。https://this.kiji.is/611323175978861665?fbclid=IwAR2bLbXdCfOca-yvuQ8JP1TemxZ2sqAiVNm1F7d7HBhGPf1vTnHROAsTrd8 外交上の観点から言えば、日本がコロナウィルスの抑え込みに奏功しているという印象をWHOを通じて発信してもらうのは、悪いことではない。

ただ、中国に忖度しすぎていると評判の悪いテドロス事務局長だ。正直、多くの日本人が、複雑な気持ちだろう。日本の状況が最悪ではないからといって、これまでの日本政府の施策に目を見張るものがあったということにはならない。検査数を抑えて医療崩壊を防ぐ、というのは、妥当な態度ではあるが、そのこと自体は、積極的な抑え込み政策のことではない。学校の一斉休校も、それ自体としてどれだけの効果があったのかは不明だ。

ただ、危機意識が高まって、一般国民の自助努力が促進したのは事実だろう。結局、一般人の自発的努力の部分が、日本の底力だ、ということなのではないか。

14日夕の安倍首相の記者会見は、新型コロナ特措法の成立にあたってのものであり、政府の立場を国民に説明する機会であったが、これまで努力を払ってきた数多くの人々へのお礼の言葉があったのは良かった。
 海外メディアにアピールするのにも良い機会であったことも考えれば、もっと、これまでの国民の努力を称賛する言葉があってもよかったくらいだと思う。

アメリカのように大統領が緊急事態宣言を発する国もある。欧州諸国の指導者は、悪いシナリオを示唆してまで国民に語りかけるようなスタイルを選択しているようだ。アジア諸国は比較優位のある技術対応を求めている場合が多い。日本の場合は、国民にできることをするように「お願い」をするスタイルだったが、これまでのところ破綻はしていない。

第二次世界大戦当時の日本は、兵員のレベルは高かったが、指導者層の質が低かった、とよく言われる。日本のような社会は、社会習慣や人事慣行が確立しすぎているため、突出した能力のある者を特に抜擢して特別な職権を行使させることが苦手な社会構造になっている。他方で、国民が広範に必要なことを行っていく度合いを測ると、悪くはない結果が出る。

こういう社会では、指導者層が自分のことを優秀だと誤認し、妙な仕組みを語り始めると、ろくなことにならない。指導者層は、不明な点を謙虚に認めながら、議論を活性化させ、一般人の底力を活かしていくことを考えていくしかない。

今や、日本人の多くは、オリンピックの予定通りの実施は得策ではないと考えている。世界の多くの人々も、オリンピックどころではない、というのが正直な気持ちだろう。強行しても、日本への不信感が高まるだけだ。日本のコロナウィルスの取り組みは悪くはない、という印象が確立されたところをみはからって、むしろ日本のほうから諸国をおもんばかって、世界中の大変な様子を見て延期を図る、と姿勢をとるのが、妥当だろう。

伝統的な日本外交では、これを明確な英語の政治演説で表明したりするのは、得意ではない。そこでWHOテドロス事務局長と良好な関係を築きつつ、IOCバッハ会長に「WHOの助言に従う」などと発言してもらう情勢の中で、様子を見たり、雰囲気を醸成していくしかないのだろう。https://mainichi.jp/articles/20200313/k00/00m/050/073000c 自らイニシアチブをとらないのは物足りないが、悪くはない。むしろ、一部の国内の指導者が意固地になったら、危険だろう。

 

 先週、「外交問題としてのコロナ」という記事を書いたがhttp://agora-web.jp/archives/2044664.html 、松川るい参議院議員の「『国際宣伝戦にも勝つ』との意識を」(夕刊フジ3月10日号)という同趣旨の記事を見て、我が意を得たり、という気持ちになった。松川議員のように語学堪能の国会議員の方には、特に頑張ってもらいたい。
 私自身は、この一週間アフリカに出張していたが、まだ感染者が出ていない国でも、入国時に全員の熱を測ってくる。旅行者がホテルで見るのは、CNNやBBCばかりで、いずれもトップニュースはコロナ・ウィルスだ。世界的に関心は高い。
 この一週間で、一気に日本の感染者数を欧州諸国が抜き去っていった。ところが、まだまだ世界の一般の人々の間では、コロナ・ウィルスは東アジア人から広がるという印象が根深い。中国人も日本人も見た目では区別できない、ということだけではなく、日本の状況が知られていないのだ。そのため、日本人に対する入国規制も広がり続けている。
 今どきは、アジア諸国の政治指導者でも、CNNやBBCのインタビューを受けて、英語で直接メッセージを発するのが普通だ。ところが、日本の場合には、これがない。 代わりに、どこから現れるのか無名の日本人が、欧米人が好みそうな内容を、根拠も示さず、あまり上手とは言えない英語で、ボソボソと喋っている。それを外国のテレビで見るたびに、私は嫌な気持ちになる。彼らがしきりに、「日本にはもっともっと沢山の感染者がいる」といった話を力説し続けているからだ。
 政権に批判的な人が欧米系のメディアで受けてはいけないとは言わないが、ちょっといびつすぎる。  なんとかして日本を貶めようとするだけでなく、日本よりも欧州で感染が広がりやすい要素があるかもしれないこと、たとえば握手文化その他の濃厚接触、手洗い環境の不足やトイレの衛生状況、マスクをしたがらない文化などの点を示唆してあげても、人類全体の利益にかなうところがあるのではないだろうか。
 客観的に政府の立場や日本社会の状況を英語で伝える人物を、CNNやBBCに出演させる方法はないのだろうか。

 前回の記事で、政府各省庁がコロナウィルス対策に当事者意識を持つべきだ、ということを書いた。http://agora-web.jp/archives/2044559.html 外交方面から言うと、いよいよ佳境に入ってきた、と感じる。
 アジア各国では日本人の入国制限措置が広がっている。アメリカが近く新たな入国制限措置をとると言われている。そこに日本が入るのかどうか、あるいは日本全国が入るのかどうか、トランプ大統領の判断は、日本外交にとって大きなインパクトを持ってくるだろう。
 アジアをこえた広がりを持ち、アメリカでも死者が出始めている現状で、各国が厳しい措置を取り始めてくること自体は、必至だ。そこで日本がどう扱われるか、は、オリンピックのみならず、日本経済全体に対して、深刻な意味を持ってくる。
 現在の日本での感染者数・死者数の広がりは、世界的な水準から見て、微妙だ。ダイヤモンド・プリンセス号での感染者数をカウントするかどうかについて、麻生大臣の愚痴が報道されているが、https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200229/pol2002290002-n1.html そんなことをしている暇があったら、正規ルートでの情報発信にもっと力を入れるべきだ。
 WHOテドロス事務局長の発言をめぐる一連の事態は、現実分析と評価が難しい中で国際政治がうごめいていることを示している。 https://www.yomiuri.co.jp/world/20200304-OYT1T50259/?fbclid=IwAR2nuOMAaFT9E3N1Pq_abhYhwb7TxPVLNC1dhEVNS2y_ENadrkrhNj2IOMs  
 日本が不当な情報操作をしているという印象を与えることは、避けなければならない。かえって悪影響が出る。しかし、印象論だけで、過度に日本人に対する制限が世界に広がる傾向があるとしたら、それに対しては手を打たなければならない。  
 もちろん、実際に、日本政府は次々と先手先手の政策的措置をとっている、民間でも対応措置が活発だ、という姿勢を示すのは、実は長期的な経済活動の安定を図るためには、重要であった。今でもまだ重要だ。新たな立法措置は、とにかく早く行うべきだ。超党派で立法で切れば、素晴らしい。学校休校措置は、イタリア政府が追随した。どうせやるなら先にやった政府のほうが賢かった、と世界の人々は自然に思う。交通機関に対する措置も、ニューヨーク市がやっていることに追随するくらいのことはできないのか。https://www.youtube.com/watch?v=CyJPfpVrQTM&fbclid=IwAR0FbOhgD-7CP5GpYSKpX8kVxrc1xi0AEqCDl4B4SrcosqOC2aHwOQ_Kfow 航空機乗船前にも熱を測るなどの各国との人の円滑な往来を確保するための措置はありえないのか。
 絶対に見たくないのは、閣僚やオリンピック委員会など影響力のある層の人々の失言だ。何があっても、自国民を守るための措置をとっている各国政府の誠意を疑うような発言は、絶対にしないように、気を付けてほしい。https://s.japanese.joins.com/JArticle/263297 

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