「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2020年08月

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 メディア関係者「〇〇せんせ~い、感染拡大止まってきちゃいましたねえ」

 煽り系専門家「そうだなあ、ちょっと早かったなあ、消化不良だよ」

 メディア関係者「しばらくお休みってことになっちゃいますけど、また増加し始めたら、またバーンと脅かすやつ、お願いします」

 煽り系専門家「次は最初からもっとガンガンやるから、早めに呼んでよ、とにかくPCR検査に金を回すんだ」

 メディア関係者「わかりました、またそんときはパーっと派手にお願いしますね」

―――――――――――――――――――――――

今、こういった会話が、メディア関係者と「感染爆発で日本は終わりだ」系の専門家との間で、繰り返されているのだろうか。

 私の「日本モデル vs. 西浦モデル2.0の正念場」シリーズでは、8月になってから一貫して新規陽性者数の減少を書き続けている。東京で見てみよう。

 

 

新規陽性者数

7日間平均)

増加率

(前の7日間との比較)

818日~24

221

0.85

811日~17

258

0.77

84日~810

335

0.99

728日~83

338

1.34

721日~27

252

1.15

71420

219

1.30

77日~713

168

1.69

 

 これを日ごとの7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ 

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 全国でも同じような傾向を見せている。

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

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7月の4連休の際には、陽性者数拡大の鈍化が一度止まったような形になった。8月のお盆休みの時期にも似たような傾向が見いだせないわけではないが、小さな影響を見せただけで、再び新規陽性者数の減少が継続している。
 

 私が称賛し続けている尾身茂会長・押谷仁教授を中心とする本当の専門家たちが推進してきている「日本モデル」は、2月中旬の段階での新型コロナの封じ込めの不可能性を洞察する英断から始まっている。緊急事態宣言の影響が出尽くした後の6月下旬から新規陽性者数の増加傾向が戻るのは、「日本モデル」の視点からは織り込み済だったと言ってよい。
 問題は、「西浦モデル」が予言するように際限なく死者が出たり、果てしない新規陽性者の指数関数的拡大が続いたりするのか、あるいは「日本モデル」が目指すように死者数の増加の抑制を図りながら、新規陽性者の拡大も抑制できるのか、であった。

 結果は、「日本モデル」の勝利である。

 7月の段階で「西浦モデル」の勝利を確信した煽り系の専門家たちは、日本の政策の破綻を予言したり嘲笑したりすることによって、野党勢力を喜ばせ、左翼系メディアでもてはやされた。

 東大先端科学技術研究センターの児玉龍彦・東京大学名誉教授は、立憲民主党に招致された参考人として参議院予算委員会に登場し、東京は「ニューヨークの二の舞になる」とか、8月は「目を覆うようなことになる」とかと予言した。これに対して日頃から世界の問題はすべて安倍首相によって引き起こされているかのような論調を繰り返しているメディアが歓喜して群がり、喝采を送った。

ちなみに児玉氏は、感染症の専門家ではない。それにもかかわらず児玉氏こそが全てを知る専門家の中の専門家だ、といったふうに持ち上げた野党勢力や左翼系メディアが、自作自演の煽り行為から免責されるとは、私は思わない。

 3月頃から、日本ではすでに感染爆発が起こっているので「手遅れ」だと主張し続けていた渋谷健司氏は、7月以降に再び頻繁にメディアに登場するようになった。渋谷氏は、もう「手遅れ」であるはずの日本のために、どういうわけかPCR検査拡大の伝道者を演じ続けている。「54兆円全国民PCR検査」国民運動プロジェクトにも立ち上げ時から関わっている。http://agora-web.jp/archives/2045987.html 今や渋谷氏は、立憲民主党や共産党の議員が嬉々として頻繁に参照する人物である。
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ちなみに渋谷氏は、感染症の専門家ではない。それにもかかわらず渋谷氏こそが全てを知る専門家の中の専門家だ、といったふうに持ち上げた野党勢力や左翼系メディアが、自作自演の煽り行為から免責されるとは、私は思わない。

経済学者の肩書で政府諮問委員会や分科会のメンバーとなった小林慶一郎氏は、感染封じ込めこそ最大の経済対策なるスローガンで、暇さえあればPCR検査の話をして、メディアにもてはやされた。旧専門家会議=現分科会の尾身会長・押谷教授ら本当の専門家の主導でPCR検査は着実に戦略的に増やされているのに、あたかも政府の陰謀でPCR検査の拡大が阻止されているかのような印象論をまき散らし、小林氏は、分科会内の野党勢力として左翼メディアに歓迎される言説を繰り返している。ちなみに小林氏は、消費税30%以上を唱える筋金入りの増税主義者である。諮問委員就任にともなって名前を抜いたようだが、「54兆円全国民PCR検査」国民運動プロジェクト立ち上げ時の賛同者である。http://agora-web.jp/archives/2046051.html 6

ニューヨーク州は今でも人口一人当たりの新規感染者数や死者数が日本や東京よりも多い。それにも関わらず、小林氏は、ニューヨーク州はPCR検査で新型コロナの封じ込めに成功した、といった印象を与える無責任な言説を繰り返し、野党勢力や左翼メディアを歓喜させた。

ちなみに小林氏は、感染症の専門家ではない。それにもかかわらず小林氏こそが全てを知る専門家の中の専門家だと持ち上げた野党勢力や左翼系メディアが、自作自演の煽り行為から免責されるとは、私は思わない。

なおこれらの煽り系専門家たちの塊を形成しているのが、東大系の人物であることが着目され始めている。これだけ塊になっていると、感染症の専門家を育ててきていなかった東大系の人物たちが、あわてて資金獲得のための操作に奔走しているのではないか、という憶測が広まり始めているのは、やむをえないことだろう。https://web-willmagazine.com/social-history/W2AtR

巨額のお金の流れにかかわる話に積極的に関わろうとする人々に、日ごろから「アベ政治を許さない」だけを専門家だか知識人だかであることの基準とするメディアが結びつき、執拗な煽り報道を通じた世論を支配するための運動が続いている。

この怪しい社会情勢の中で、「分科会は政府に近すぎる」などといった、本当の専門家である尾身会長や押谷教授に対する全く不当な誹謗中傷まで繰り返されるようになった。

「アベ政治を許さない!と叫ばない者は知識人ではない」方式の無責任な言説をまき散らしている左翼メディアに、「どこまでもお金を使ってPCR検査を!(なお私がそれを管理する!)」社会運動家たちが結びついている現状は、酷すぎる。

私は、繰り返し、尾身会長や押谷教授らを称賛してきている。彼らは、日本の英雄である。その英雄的な本当の専門家たちに対する不当な誹謗中傷は、私としては、絶対に許せない。

 810日に「鈍化する陽性者拡大 ~ 日本モデル vs. 西浦モデル2.0の正念場」という文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2047553.html  その後も新規陽性者数の鈍化現象は続いている。東京で見てみよう。

 

 

新規陽性者数

7日間平均)

増加率

(前の7日間との比較)

811日~17

258

0.77

84日~810

335

0.99

728日~83

338

1.34

721日~27

252

1.15

71420

219

1.30

77日~713

168

1.69

 

 これを日ごとの7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ 



 

 東京の新規感染者数は、都道府県単位では常に日本全国で最大の割合を占めているだけでなく、先行指標としての意味もあるので、多くの人々が注目してきた。実際に、8月の全国の新規陽性者数の推移は、東京の動きを後追いする形で、鈍化の傾向を顕著に見せている。

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

 

 

 私が「『日本モデル』vs.『西浦モデル2.0』の正念場」シリーズで検証してきていることを、あらためて確認しよう。

 4月半ばに「西浦モデル」は「42万人死ぬ」を派手に宣伝した。このときに前提としていた数値を修正したのが、5月に公表された「西浦モデル2.0」と呼ぶべきものである。基本再生産数や致死率のことは捨象しつつ、緊急事態宣言が解除されれば、3月下旬以降の新規陽性者数の拡大が再現されると予言したのが、「西浦モデル2.0」である。具体的な数値の計算は変更したとしても、「6~8割の人と人との接触の削減」がなければ新規陽性者数の増加は集団免疫の獲得まで止まることはない、というのが「西浦モデル」の大前提である。たとえば「2~3割程度の人と人との接触の削減」であれば、曲線がわずかに緩やかになるだけで、新規陽性者数の指数関数的拡大という傾向に対する変化はない。これがオリジナル「西浦モデル」から「西浦モデル2.0」を通じて一貫した前提であり、そもそもの「SIRモデル」の前提であった。 

 

 「日本モデル」が「西浦モデル」と対決するのは、二つの点においてである。第一に、「日本モデル」は、新規感染者数の拡大と新規重症者数の拡大は、一定の固定的な比率では進まない、と考える。なぜなら高齢者や基礎疾患保持者は重症化しやすいが、そうでなければむしろ無症状者のほうが圧倒的に多いといった新型コロナの特性を考えれば、同じ新規陽性者数の拡大の場合でも、その構成内容は異なってくるため、重症者数との関係は一定ではない。また、そもそも重症者の絶対数についても、医療体制との相関関係においてその深刻度を評価すべきと考える。

 7月以降の新規陽性者数の拡大の局面において、「日本モデル」は、その洞察の重要性を証明し続けた。新規陽性者の拡大ペースに反して、重症者数の増加を抑え込むことによって、医療崩壊を中心とした社会経済的なインパクトを抑え込むことにも成功した。

 第二に、「日本モデル」は新規陽性者数の「ゼロ」化を目指さない。「人と人との接触の8割削減」を通じた新型コロナウィルスの撲滅という主張とは異なり、「日本モデル」は新型コロナウィルス撲滅の不可能性を洞察する。そこで「日本モデル」が目標とするのは、新規陽性者数の拡大の緩やかな抑制であり、要するに医療崩壊を起こさない程度に押さえ込んだ重症者数の抑制である。そこで「日本モデル」は、「西浦モデル」が要請する画一的な「人と人との接触の削減」ではなく、「三密の回避」などを通じた大規模クラスター発生予防を中心にした現実的な感染拡大の抑制を目指す。

 8月になってからの新規陽性者数の拡大の鈍化の局面において、「日本モデル」は、その洞察の重要性を証明し続けた。「人と人との接触の〇割削減」を語ることなく、「三密の回避」などを中心にした大規模クラスター発生予防を中心にした取り組みによって、新規陽性者数の拡大の抑制に成功したのである。

53日に西村大臣が日本の政策の説明で用いた「ハンマーとダンス」の表現を用いると、「日本モデル」は、政策目標として掲げたとおり、ダンスの踊り方の形を模索している最中である。https://twitter.com/nishy03/status/1257303798516613124 

 

 「日本モデル」の現実に即した実績と、「西浦モデル」の抽象理論の予言の相違は、上記で示した現実の実績と抽象理論の予言のグラフの違いによって明らかであろう。

 これをふまえて、現時点で確認しうる観察を記しておきたい。

 第一に指摘できるのは、新規陽性者数の拡大は、極めて人間的な事情で増減し、「人と人との接触の削減」以外の方法で管理されうる、ということである。7月上旬をピークにした新規陽性者数の拡大は、7月においても鈍化の傾向を見せていたが、ただ4連休の期間においてのみ拡大を活性化させる傾向が生まれた。しかしそれでも新規陽性者数の拡大を抑え込みたいという国民の努力は、大きな傾向としては、7~8月を通じて、着実な成果を見せてきている。

 つまり、「人と人との接触の削減」あるいは「緊急事態宣言」だけが、新規陽性者数の拡大を抑え込むための方法ではない、ということである。「三密の回避」などの「日本モデル」の地道な努力には、大きな意味があるのである。

また、国民意識が熟成するまえの早まった緊急事態宣言には、効果が乏しいだろう、と予測される。国民の危機意識があって初めて緊急事態宣言は機能するのであり、とにかく早め早めに実施すれば良い、ということではない。

 第二に、ウィルスの弱毒化や、集団免疫の成立を証明する要素は、確認できない、ということである。仮にそれらの要素が働いていたと仮定しても、統計的に有意な差を生み出したと言えるかどうかを争うだけで、大勢には影響がなかった。重症者は生まれる。新規陽性者数の拡大と重症者数の拡大が反比例することはない。ただ抑え込めるかどうかが、重要である。

 新規陽性者が減退する局面に入ると、異様な「煽り」報道に代わって、立証できない集団免疫成立論やウィルス弱毒化論や「SIRモデル」に代わる数理モデルなどが幅を利かせてくる。私は科学者ではないので、全ての立証されていない仮説に対して中立的だが、社会科学者として言えば、せいぜい統計的に有意な差があると言えるかどうかだけのことを争っているだけの立証されていない仮説によって大枠の政策を決めることはできない、とは感じる。

 日本の新型コロナ対策の最重要人物である押谷仁教授は、「日本の戦略の肝は、『大きな感染源を見逃さない』」ことだと説明し、「消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘む」ことが重要で、「一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく」という洞察が背景にあると述べている。(「巻頭インタビュー押谷仁教授 感染症対策 森を見る思考を」『外交』Vol.61, Jun/May, 2020

  様々な仮説を提示して検証を行うのは勝手にすれば良いと思うが、尾身茂分科会会長の下、押谷仁教授のような卓越した専門家の洞察を活かした「日本モデル」の努力と功績を、すべて単なる偶然とみなそうとする態度には、私は明確に反対する。

すでに結果が出ている。認めるべきだ。尾身先生や押谷先生は、日本の国民的英雄である。7月と8月の重症者数抑え込みと、新規感染者数の管理は、尾身先生や押谷先生の卓越した貢献があればこそだ。

 第三に、4月期と7月期を通じて、東京などの大都市圏が全国的な傾向を主導し、濃密で長時間の接触が起こる環境が新規陽性者数の拡大の傾向を左右する、ということが相当程度に明らかになった。さらに重要なことに、その点に着目することによって、新規陽性者数の拡大の管理が相当程度に可能となることも分かった。

7月の集中的な検査実施によって、いわゆる「夜の街」とされた濃厚接触空間において、新規陽性者が多数確認できる傾向があることがわかった(仮に「夜の街」それ自体では重症者は生まれていないとしても)。結果的には、「夜の街」に対する集中的な検査実施は、新規陽性者数の抑制という結果に貢献したと言える。

逆に言うと、新規陽性者数に占める「家族感染」の増大や、それと同じ事情として東京への通勤者の多い神奈川県などの東京近郊圏の新規陽性者数に占める比率の増大は、新規陽性者数の減少が始まっている示唆となる先行指標であることも示された。

家族感染についても、予防の努力は無駄ではないと仮定したとしても、市中感染ルートと比して、著しく予防が難しいことは、間違いないだろう。逆に言うと、政策的な介入や、国民の行動変容によって容易に操作が可能なのは、たとえば「夜の街」のタイプの感染ルートであり、「7月の4連休」で増加したようなタイプの感染ルートである。

「日本モデル」は、決して新規陽性者数の拡大を完全に無視する態度のことではない。重症者数の管理を重視する視点をとったからといって、新規陽性者数の拡大がやがては重症者数の拡大につながる圧力となることを否定しなければならないわけではない。「日本モデル」の観点からしても、いたずらに心配しすぎるべきではないとしても、新規陽性者数の拡大は、やはり抑制が望ましい事柄ではあるだろう。

「西浦モデル」であれば、「人と人との〇割削減」といった数値目標を至上命題とする余り、児童公園まで使用禁止にしてテープで封鎖することを要請するアプローチをとる。しかし、「日本モデル」であれば、より政策的にメリハリの利いた介入を重視する。

いずれにせよ、尾身茂先生や押谷仁先生ら、「旧専門家会議」「分科会」主要メンバーが推進してきた「日本モデル」は、着実な成果を見せている。

少なくとも旧専門家会議が招集された2月中旬以降の現実をふまえて自己設定した目標の達成度という観点で評価すれば、「日本モデル」は素晴らしい成果を収めている。

54兆円+αを費やすことを厭わず、全国民毎日PCR検査で絶対的な安心を提供せよ!といった、まるで非武装中立で絶対平和を達成せよ!のような非現実的で無責任な言説を流布して日毎の視聴率を稼ごうとするメディアの弊害にさえ気づけば、「日本モデル」の意義は明らかである。

「日本モデル」vs.「西浦モデル2.0」の意味は、今や「良識的な現実主義」vs.「現実を否定する机上の空論至上主義」の戦いの様相も呈してきている。

私としては、日本国民が「良識的な現実主義」を支持することを期待しつつ、あらためて一層の尾身茂先生や押谷仁先生が主導する「日本モデル」の称賛を表明しておきたい。

 84日に「止まらなかった陽性者拡大~ 日本モデル vs.西浦モデル2.0の正念場」という文章を書いておいた。http://agora-web.jp/archives/2047457.html 7月上旬をピークに東京の新規陽性者数の拡大ペースは鈍化をしていたが、4連休の際に跳ね上がったように見えたので、それを記録しておきたかったからだ。もちろん本当に重要なのは、その後のトレンドだ。

 新型コロナの感染発症者のほとんどは、5日以内に発症すると言われる。他方、2週間程度の間は発症の可能性があるともされる。4連休中の影響が出尽くしてくるのが、2週間を経過してしばらくしてからの810日からの週であろう。

 すでに先週から、新規陽性者数の増加に再び鈍化の傾向が見られている。週ごとの大きなトレンドを見てみよう。

 

 

新規陽性者数

7日移動平均)

増加率

(前の7日間との比較)

84日~10

335

0.99

728日~83

338

1.34

721日~27

252

1.15

714日~20

219

1.30

77日~13

168

1.69

630日~76

99

1.94

 

 これを日ごとの7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ 

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4連休後の週に新規陽性者の拡大がスピードの変動は、実効再生産数の推移でも見ることができる。

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 こうした言い方は、連日のメディアの報道では採用されていない。だがそれは単純に、メディアの「ただ目の前の視聴率の向上だけを考えたい」という徹底して無責任な煽り報道の方針のためである。「テレビに出ているのだから偉い人なのだろう」という根拠がないどころが、今や単純に事実に反する思い込みをもった視聴者層に煽り報道を売りつけるだけのビジネスモデルで、私のような言い方が採用されないだけだ。

 もう少し具体的に言うと、二つの点に留意する必要がある。

 第一に、感染拡大を、陸上競技の記録会のように報道するのが、端的に間違いである。「〇〇日ぶりに〇〇人台」といった報道の仕方は、あたかも百メートル競走の実況中継をしているかのような臨場感のあるやり方なのだろうが、間違いである。毎日の新規陽性者数は、あたかも陸上競技者がスタートラインに戻って一から始めるようなものではない。前日までの陽性者の数が違うということは、日々の新規陽性者数は、異なるスタートラインから始めているということだ。

 新規陽性者数が同じ1,000人だった二つの異なる週の場合のことを考えてみよう。仮にそれぞれの前の週の陽性者数が100人だったら、当該週は陽性者数が10倍になった急速拡大の週である。ところが前の週にすでに1,200人の陽性者が出ていたとしたら、当該週はむしろ拡大スピードが減少していることになる。新規陽性者を拡大させる人の数が違うところからスタートしているので、絶対数では拡大のスピードを見ることができない。

 第二に、それでは絶対数はどのように評価すればいいのかといえば、日本政府はこれまで一貫して「医療崩壊を防ぐ」ことを目標に掲げているので、それが危うくなる水準が、危険領域である。4月よりも数が多いとか少ないとかということは、関係がない。「日本モデル」では一貫して「重症者中心主義」というべきアプローチをとってきているが、新規陽性者の中から重症者が生まれるわけなので、医療崩壊が懸念される程度にまで重症者数が増える可能性が見えてきた新規陽性者数が、懸念すべき絶対数である。

 私はこのところ「日本モデルvs.西浦モデル2.0」という視点で文章を書いてきているが、「日本モデル」と「西浦モデル」は、重症者中心主義であるか、感染者中心主義であるかという着眼点において、鋭く対立する。http://agora-web.jp/archives/2047305.html 

 尾身茂会長をはじめとする旧専門家会議=現在の「分科会」メンバーは、7月の新規陽性者の拡大に落ち着いた対応を見せた。それは、検査数の増大に伴う確定新規陽性者数の絶対数の増加と感染拡大傾向のあぶりだしは、重症者数が医療崩壊を懸念させる水準に達するまでは深刻にとらえすぎる必要はない、と考えているためだろう。新規陽性者数の拡大は、鈍化し続ければ良好な傾向であり、深刻になる前に拡大が止まれば、それで良い指標だ。

 そこで「日本モデルvs.西浦モデル」の対決ポイントは、行動変容等を通じて感染拡大は止まる可能性を模索するか、あるいはロックダウンのような措置が導入されなければ果てしなく指数関数的拡大が続くと仮定するかの違いになってくる。

 「西浦モデル」では、現状は際限のない指数関数的拡大の真っただ中ということになる。

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53日に西村大臣が日本の政策の説明で用いた「ハンマーとダンス」の表現を用いると、「日本モデル」の観点からは、一つのダンスの形を模索している最中である。https://twitter.com/nishy03/status/1257303798516613124 

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私は7月末に「正念場」が来ると書いたことがあるが、4連休の影響で微妙なせめぎあいが発生したため、8月に「正念場」がもつれこんでいるような様相になっている。

現時点で結論を出すのは早いが、「日本モデル」の観点からは、新規陽性者数は拡大が止まればそれでいい。メディアのただ「今日の視聴率が上がればそれでいい」方針の煽り報道のトーンとは異なり、「日本モデル」はまだそれほど劣勢にはなっていない。

なお私自身は、尾身会長をはじめとする「旧専門家会議」「分科会」メンバーのこれまでの貢献を高く評価し、現在も強く支持し続けている。特に押谷仁教授の役割は、大絶賛をし続けてきている。最近いささか世間での「分科会」に対する風当たりが強くなってきたことをふまえて、Twitterに「尾身先生・押谷先生を守る会を作りたいくらいだ」と書いたところ、多くの方々の賛同を得た。実際には、私はそうした運動系のことを自分自身で主導するのは苦手なので、代わりに「日本モデル」がなぜ「押谷モデル」であるのかについて、今後数回にわたって書いていくことにする。そしてそれをもって私の熱烈な押谷先生への称賛の証としたい。

現在でもポイントとなっている「日本モデル」の重症者中心主義は、2月下旬ころからはっきりと形になってきた。尾身先生・押谷先生らが構成した「専門家会議」が2月中旬に招集されたからだ。

225日に決定された新型コロナウイルス感染症対策本部の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、次のような考え方が示されていた。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/kihonhousin.pdf 

――――――――――――――

・感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、 患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。

・重症者の発生を最小限に食い止めるべく万全を尽くす。

・社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。

―――――――――――――――――

 日本は当初から、感染の流行の終息の可能性を求めるものの、現実には「重症者対策を中心とした医療提供体制等の必要な体制を整え」ながら、「患者の増加のスピードを抑制すること」を目標としてきた。

 一日あたりの新規陽性者数を〇〇人以下にする、などといった思慮のない目標は、一度たりとも立てたことがない。マスコミが勝手に言っているだけの事柄である。

 結局、マスコミが新型コロナでやっているのは、自衛隊を中心とした防衛政策をとって日本を守っている政府に対して、自衛隊を違憲として廃止したうえで完全な日本の安全を達成していないから政府はダメだ、とキャンペーンして糾弾しているような無責任かつ非現実的なことである。

 前回の文章でも書いたように、この背景には、2月中旬の段階で、感染の封じ込めは事実上は不可能と厳しい判断をしたうえで、新型コロナは感染力は高いが重症化率は低い(危険なのは高齢者と基礎疾患保持者)という的確な洞察にもとづき、重症者(死者)の抑制に優先的に資源配分できる体制をとるべきだと考えた押谷教授らの英断があった。

 SARSMERSの被害経験があった諸国では、早期の中国からの入国制限などの水際対策措置が取られていた。台湾、韓国、シンガポール、ベトナムなどの超優良成績の諸国は、経験を生かして早期に動き、その後も封じ込め政策をとり続けている国々である。

 これに対して3月になってから短期間で慌てて強力なロックダウン措置をとりながら医療機関の負担を考えずに指針なき盲目的な検査などを行い続けた欧米諸国では、医療崩壊現象が起こり、膨大な数の死者が生まれてしまった。当時はそれが標準的な新型コロナの被害想定だとみなす「西浦モデル」的な理解もあったが、それから数カ月たち、世界各地の感染状況も見るならば、単純に当時の欧米諸国の致死率が異常であったことが明らかである。

 現在の欧米諸国は、もはや封じ込めは目指さず緩やかな感染速度の管理を目指す政策に転換している。結果は、致死率の大幅な改善が果たされている。

 「日本モデル」の過大評価は、3月の欧米諸国の経験とのみ比較して、日本の成績を過度に良いものとみなしすぎる態度である。逆に「日本モデル」の過小評価は、早期対応で封じ込め政策をとることが可能となったアジア諸国とのみ比較して、日本の成績を過度に悪いものとみなしすぎる態度である。

 「日本モデル」は、封じ込めが不可能になった諸国(SARS/MERSの直撃を受けなかった諸国)の中で、極めて良好な成績を保っている。なぜなら早期対応で封じ込めを狙った諸国に後れを取ったため、もはや封じ込めは不可能だと判断することになった諸国の間においては、最も早くその判断を行ったのが、日本だったからだ。

 すべては押谷教授ら真正な専門家たちの素晴らしい状況判断が2月中旬に行われたからである。

 今頃になって、国民自己負担も課して数十兆円を投入し、経営悪化した病院関係者を片っ端から検査技師に作り替え、管理費なども上手く業務委託して、全国民毎週PCR検査を行って新型コロナを撲滅する国民運動を起こそう、といったことを厚顔無恥にもテレビで主張している人たちがいる。

 罪深いことだ。

 ロックダウン解除になったばかりの時期のニューヨークを都合よく脚色して宣伝に使っているようだ。それで、もしニューヨークだけは絶対に今後も感染者の増加することはありえないという大胆な主張が外れた場合には、丸坊主にでもなってテレビに出て謝罪して「自分の学者声明は終わりました」と宣言してくれる覚悟だというのだから、すごい話である。

 私自身は、謙虚に押谷先生らの功績を認めることが本当に大事であると考えている。そして、今後も引き続き国民の英雄と呼ぶべき尾身先生・押谷先生らを強く支持していきたいと思っている。

前回に記事を書いたときに、7月末の新規陽性者数に注目したいということを書いた。正直、東京で新規感染者の増加が止まるかどうかの期待があった。しかし、残念ながら、7月最終週に逆の傾向が見られて、7月は終わった。この様子を、実効再生産数の動きで見てみよう。

 https://rt-live-japan.com/

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https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

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7月上旬に高い数値を示しながら、その後は緩やかに鈍化する傾向を見せていたにもかかわらず、実効再生産数1を下回るかもしれない直前の7月下旬で、反転した様子を示している。

4連休のところで反転した形になっているが、「4連休中に会食やアウトドアなどで外出した若い人の感染が多くみられる」(都の担当者)と伝える記事も見られた。https://news.yahoo.co.jp/articles/b078f1691cb57239f9facb6794a45219f3257bdb この観察が正しいとすると、魔の4連休だったと言えないこともない。が、その程度のことはいつでも起こるということだ。実効再生産数を1以下にするのは、簡単ではない、ということなのだろう。

結果的には、7月の東京の動きは「西浦モデル2.0」にそったものとなった。4月と同じ陽性者の拡大が7月に発生するという点に特化した意味での「西浦モデル2.0」は現実のものとなった。

 3

ただしもちろん、重症者数や死者数は、依然として抑え込めており、「日本モデル」の努力は、まだ続く。「日本モデル」は、最初から重症者・死者数の抑制を優先的に目指しており、そこが破綻しているわけではない。

だが7月のレベルの行動変容では陽性者数の拡大を止めることができなかったという経験は、受け止めなければいけないだろう。

検査数の大幅増加などがあり、4月の陽性者数と7月の陽性者数を絶対数で比較することは難しいし、あまり意味がないと私も思う。ただし、7月に感染拡大の傾向があったこと自体を否定するのも難しい。検査数を増大させて無症状者を数多く拾うようになったといっても、発症者が検査を受けなくなったわけではない。7月の陽性者数にも、ある程度のトレンドが反映されていると考える方が自然だろう。

 陽性者の拡大を放置し続けていれば、いつかどこかで決壊が起こる。増加を止めて、「ダンス」を踊る状態にもっていけるかどうかが、試金石なのである。7月のレベルの行動抑制では感染拡大を止めれなかったことが結果として明らかだとすれば、政策当局者に新たな手段をとることが要請されるのは仕方がないだろう。

今後も「西浦モデル2.0」の通りに進むと、「人と人との接触の削減」措置を導入せざるを得なくなる。そのため多くの方々にとって4月の「緊急事態宣言」が成功体験として思い出されるようだ。

だが、今も小池知事の午後10時以降の自粛の要請に従わないと表明している飲食店があると報じられている。新型コロナによる死亡リスクが、高齢の基礎疾患の保持者と、健康な若者では全く異なることも、すでに広く隅々にまで知られている。あらたに行う緊急事態宣言が、4月と全く同じように進むかどうかは、不明だ。強制力のない自粛に頼る緊急事態宣言は、国民の間に団結心のある危機意識がある場合には効果が高いだろう。だが、そうでなければ、いたずらに自粛警察の活動だけに勢いを与えるだけで、ただ産業間対立や世代間対立を助長するだけで終わってしまう可能性も相当にあると思う。

私としては、これまでの「日本モデル」の発展延長線上でも、まだまだやれることが沢山あるとは思っている。たとえば「三密の回避」は、広く知られるようになったが、「密閉」の回避が十分に継続的な「換気」を必要とすると解釈できている人が実はまだ少ないことが、7月のクラスター例などから明らかになった。「三密の回避」提唱の国として、残念だ。実際に起こった感染例を豊富に紹介しながら、「三密の回避」をどのように日常生活に応用していくべきか解説するような試みが、もっと情報をもっている当局から出されていいのではないか。

今の重症者の増加が低い間に、新型コロナ特別措置法を改正し、緊急事態を裏付ける憲法改正もして、本当の危機に対する備えを取っておくべきであることも当然だ。

野党は、内閣支持率の低下だけを見て気勢を上げる政党から脱皮するためには、建設的な議論を行って、法改正と憲法改正に協力すべきだ。一部報道では、自民党も新型コロナ問題を国会で扱うことに及び腰だとされる。論外だ。今のうちに、次の一手の準備を、挙党一致で行っておくべきだろう。

こう言うと、野党系マスコミ勢力は、改憲は必要ない、必要なのは全国民毎週PCR検査だ、といった夢想的なことを主張する。マスクの配布が遅い、定額給付金の振り込みが遅い、と批判し続けている方々が、なぜ全国民毎週PCR検査を、天文学的な財政負担や反対者に対する取り締まりもなく、とにかく何の混乱もなく、実施することができるなどと主張することができるのか?

憲法9条論争と同じだ。悪いのは憲法9条(を絶対平和主義の条項と解釈する憲法学通説)ではない、悪いのは現実だ、現実が憲法学通説に従えばいい、という論法と同じではないか。悪いのは全国民毎週PCR検査の提案ではない、悪いのはそれに円滑に実施しない現実だ、現実が自分たちの案に従えばいい、という論法なのである。

「中国にできた、日本にできないなら、日本は途上国だ」、といった昭和世代の叫びも、聞き飽きた。中国は、全国民を完全管理している21世紀の権威主義超大国なのだ。日本とは違う。現実を受け止めるべきだ。

ベストセラーになっている門田隆将『疫病2020』でも引用されている「日本モデル」の参謀役といっていい押谷仁教授の言葉を思い出してみよう。

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「日本に住む全員を一斉にPCRにかけないといけないことになる。それは到底できないので、戦略としては、クラスターを見つけて、そのクラスターの周りに存在する孤発例を見つけていく。そしてその孤発例の多さから流行規模を推計して、それによって対策の強弱を判断していく、という戦略になります。・・・

多くの感染者が軽症例、もしくは症状のない人だということを考えると、すべての感染者を見つけなくてもいいということになります。インフルエンザとかSARSといったウイルスとまったく違うのは、この多くの感染連鎖が“自然に消滅していく”というウイルスだということです。・・・

感染者が急増している状況の中で、PCR検査が増えていかないという状況にあるのは明らかに大きな問題です。このことは専門家会議でもくり返し提言をしてきて、基本的対処方針にも記載されていることです。いくつかの地域では自治体、医師会、病院などが連携して検査や患者の受け入れ体制が急速に整備されているという状況です。そのような地域では事態は好転していくと私は信じています。」(163167~168頁)

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「日本モデル」が重症者の抑制を優先目的にして進んで生きているのは、最初期の段階で押谷教授がそれが理論的に最高だと判断したからではない。

2月下旬に押谷教授らが「専門家会議」で招集されたときには、もう感染拡大の封じ込めそれ自体は不可能だった。だから、今のやり方を、現実の範囲内で最善の方法を目標として設定したのだ。

門田氏が言うように、2月下旬の段階ですでに、「日本は、ウイルスを可能な限り追い、それを潰していくという台湾のような戦略は到底採れない状況になっていた」(166頁)からなのである。

2月下旬の所与の現実の中で、適切に最善の「日本モデル」を設定し、努力を積み重ねてきた押谷教授らに対して、「どうやったら感染者をゼロにできるのか道筋を示せ、俺の全国民毎週PCR案は、非現実的で夢想的だが、机上の空論としては感染者をゼロにできる案だ」、などと威張ってみせることには、何の意味もない。

最近、「旧専門家会議」「分科会」メンバーに対する風当たりも強まってきたようだ。しかし、私自身は、7月の現実を受け止めたうえで、引き続き頑張っていく押谷教授ら「旧専門家会議」「分科会」メンバーを、引き続き支持していきたい。

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