「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2020年09月

 欧州諸国で新規陽性者の拡大が見られている。だが、すでに指摘したように、http://agora-web.jp/archives/2048229.html 死者数は、3月・4月の時期のように新規陽性者に比例しては増加していない。日本と同じような傾向を見せているのだ。

 7月以降の日本では新規陽性者数の拡大が見られ、新規死者数も増加したが、3月・4月とは異なる比率でしか増加しなかった。全く同じ現象が欧州で起きているように見える。

 確認しておこう。日本では、78月の新規陽性者数は、4月の水準を大きく上回った。しかし死者数の増加は抑制され続けた。ただし、全く増加しなかったわけではない。増加はした。ただ、3月・4月の時点よりも明白に抑制されていた。そのように死者数の増加を抑制し続けているうちに、新規感染者数も抑制した、という流れであった。

 現在、欧州では、新規陽性者数の顕著な増加が見られている。一部諸国では、3月・4月の水準を上回っている。ところが欧州全域で、死者数の抑制が図られている。日本と同じだ。

 もっとも死者数は、時間差をおいて、増加はしてくるだろう。すでに漸増する兆しが見られる。しかし発症から死亡までの期間は、平均で23週間と言われる。数カ月も時間差を置いて死者数が比例的に増加することまでは考えられない。現時点の欧州における死者数の新規陽性者数に対する比率(致死率)は、3月・4月の時点とは全く異なる、と言えることは明らかだ。

日本では、「日本の死者数が欧米より少ない」ことに着目した様々な「仮説」が出されてきた。しかしそうした「仮説」の根拠になっているのは、「3月・4月の欧州よりも」日本の死者数は大幅に少ない、という点であった。

これに対して私は、繰り返し、「3月・4月の欧米諸国の致死率が異常だっただけに過ぎない」という趣旨の文章を書き続けてきた。そして、「世界の中心は欧米諸国で、世界で信頼できるデータは欧米諸国と東アジアに関するものだけ、科学者にとっては欧米諸国と東アジア諸国以外の国々など存在していないに等しい」主義の方々を批判してきた。http://agora-web.jp/archives/2046643.html

3月・4月の欧米諸国の致死率は異常だった。ただし、現在の欧州と、7月・8月の日本を比べるならば、むしろ酷似している。新規陽性者の大幅な拡大が見られるのに、新規死者数は抑制されたままなのだ。

前回私が世界各国の動向を一覧で示したのは713日だったので、http://agora-web.jp/archives/2047153.html そこまでの時点の致死率と、それ以降925日までの致死率を比べてみよう。かつて世界最悪の致死率を示しながら、劇的な改善を図っているEU主要国であるフランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどが位置する西欧地域を例にとってみると、615日時点で致死率は11.2713日時点の致死率は10.6だったが、926日時点の致死率は5.34まで劇的に下がっている。これはどういうことかというと、713日から926日までの期間の西欧諸国の新規陽性者数593,151人に対して新規死者数は2,659人であり、致死率は実に0.4%という驚異的に低いレベルにまで抑制されているのである。

 ちなみに同時期の日本の致死率は、0.9%である。日本の致死率も1%未満という好水準に抑制されているのだが、過去2か月余りの間だけをとれば、西欧の成績のほうが日本より良いのだ。

新規陽性者の拡大時期にずれがあるため、79月の致死率は日本に不利に働く要素はある。欧州の死者数の微増の傾向は見せ始めており、致死率も微増する可能性がある。それにしても3月・4月の西欧諸国が、実に10%を軽く超える致死率という異常値を見せていたことを考えると、劇的な変化が起こったことは明らかだろう。

私はすでに7月上旬の文章で、欧州の致死率が顕著に低下していることに注目すべきだと書いていた。そもそも感染者の10%以上が死亡するといった異常値は、3月・4月の欧州諸国くらいでしか確認できなかった。その後、欧州諸国は世界平均の動きを見せ、今や日本に匹敵するくらいの良好な成績を見せているのである。

日本では、旧専門家会議が2月中旬に招集され、医療崩壊を防ぎ、重症者対処に焦点をあてる方針が確認された。http://agora-web.jp/archives/2047913.html それは、裏を返せば、2月の時点ですでに日本では新型コロナの封じ込めは不可能である、無理な封じ込め政策はかえって混乱を招く、という英断の所産であった。

旧専門家会議(現「分科会」)の中心メンバーであり、「日本モデル」の最重要人物と言うべき押谷仁・東北大学教授は、著書で次のように述べている。

――――――――――

このウイルスに関しては、自国だけで完結した封じ込めシナリオは成り立たないのです。日本で大きな流行が起きそうになった時に最も懸念されるのは、重症者が急増することで医療の限界を超えてしまうことです。それが起きそうになったら、徹底的に社会活動を制限して、ウイルスの拡散を止める。いったん落ち着いたら、また淡々とクラスターを潰していく。そうした長期戦を覚悟する必要があります。(押谷他『ウイルスVS人類』96頁)

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私は、こうした押谷教授の感染症の専門的知識に裏付けられた深い科学的洞察と、WHO勤務経験に支えられた政策裁量範囲の現実的判断が、「日本モデル」の土台を形成していると評価している。そしてそのことが、初期対応の混乱にもかかわらず、日本が比較的良好な対応を見せていることの大きな要因だと考え、押谷教授を国民の英雄と呼んでいる。

押谷教授の考え方にそって日本で強調されることになった「三密の回避」は、すでにWHOが公式に推奨する考え方になっている。3月には封じ込めに躍起になっていた欧州諸国も、今やその基本メッセージを素直に受け入れている。そして結果を出してきている。

いわば欧州諸国は「日本モデル」を踏襲する路線を進み始めているのである。

このように言うことは、もちろん、「日本モデル」が、永遠に(相対的な)成功を続ける、と断言することとは、違う。

しばしば統計処理に走りすぎる方々が誤認されているように見えるが、新規陽性者数の拡大も、致死率の抑制も、すべて「人間的な」営為の所産である。致死率の低下に、何らかの知られざる要因があるのかないのか、私は知らない。しかし、高齢者と慢性疾患保持者の脆弱性に対する社会的認知と政策的配慮が働けば、致死率は下がる。ウイルスの完全な封じ込めが不可能であっても、押谷教授らの業績により、「三密の回避」などの人為的努力によって感染拡大の抑制を図ることが可能であることも知られている。それらは全て自然法則のようなものに支配されている事柄ではなく、人間的な努力の有無によって大きく影響されるような事柄なのだ(ただしそれは必ずしも「西浦モデル」が要請する「人と人の接触の8割削減」ではない)。

欧州諸国は、そのことの意味を当初は誤認していた。しかし後に是正した。そして今はその成果を見せている。

新型コロナをめぐって、何やら数理モデル的な理解が流行りすぎている。だが、新型コロナ対策は、むしろ「人間的な」営為によって有意な差が作られる、ということを、もう少し重視すべきではないだろうか。そして、そのことを深く洞察する押谷教授の「日本モデル」路線の比較優位を、日本人は素朴に認めたうえで、さらなる深化の方法について真剣に検討していくべきではないだろうか。

また新規陽性者数が拡大すれば、「煽り系専門家」の毎度おなじみの「日本は2週間前のNYだ」論でひと稼ぎしようとする輩がはびこるのだろう。http://agora-web.jp/archives/2047773.html うんざりする。無責任なメディアに騙されることなく、「日本モデル」の比較優位性に自信を持ちたい。

 10月から政府が入国制限を緩和するという報道が一斉になされた。私が勤務する東京外国語大学でも、本国出国前・入国時空港でのPCR検査と2週間の自己検疫を前提にして、留学生が渡日し始める。

 永遠に鎖国体制をとるべきだと言わんばかりの感情的な拒否反応が広がらないように、政府関係者には、むしろ具体的な対応措置を充実させるための議論を進めていく姿勢を期待したい。

 東アジアでは幾つかの国々が新型コロナの封じ込め政策に成果を出しているが、その中核が早期の入国制限策であったことは確かである。台湾は、早くも20191231日に武漢と台湾間の直行便の乗客に機内検疫を行う措置を導入し、121日に国内に感染者が見つかると速やかに武漢との団体旅行の往来を禁止し、124日にはその対象を中国全土に広げ、26日には中国全土からの入国を禁止した。この迅速な措置が、台湾の新型コロナ封じ込めに大きく貢献したことに疑いの余地はない。

 同時期の日本でも中国からの入国制限についての議論が沸き起こったが、政府は踏み切れず2月に到着後の14日間の自宅隔離を呼び掛ける中国の対象地域を段階的に広げる程度であった。3月になって欧米諸国が一斉に厳しい渡航制限を導入してから、日本も渡航制限地域を広げ始めた。ただしその後は、ほぼ全世界に対する人の移動の鎖国体制が継続的に実施されている。

 ところが制限をかけるのに遅れた日本が制限緩和も見送り続けている間に、台湾は緩和措置についてもいち早く動いた。629日以降、ビジネス、親族訪問、研修、国際会議や展覧会への出席、国際交流事業、ボランティア、布教活動、ワーキングホリデー、青少年交流又は求職等を目的とする外国人の入境を許している。条件は、台湾の在外事務所に必要書類を提出し、審査を経て特別入境許可を取得し、出発前3日以内にPCR検査を行って陰性証明を取得するとともに、入境後14日間は自宅・指定ホテル等での待機をすることである。

 台湾の累積陽性者数は509人、累積死者数7人、4月以降の死者はわずかに1名、陽性者も時折若干名が見つかる程度だ。その台湾が、管理体制を確保したうえで外国人に対して国境を開いているのだ。これに対して日本はどうだろう。累積陽性者約8万人、死者1,500人以上の日本のほうが、台湾に対して、危険なので渡航してはいけないという「感染症危険レベル3 渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」の措置を維持し続けている。どう考えても奇妙な事態だと言わざるを得ない。

 自国にウイルスが入り込むのを防ぐための入国禁止措置には、合理性がある。感染拡大を抑制するためのロックダウンにも合理性があると言っていいだろう。だがすでに新型コロナの流行が確認されてから半年以上の時間がたっている段階の日本で、いたずらに鎖国体制を取り続けることに、何らかの合理性があるのだろうか。少なくとも対応先進国の台湾は、そのような感情的な鎖国論を採用していない。

 応用問題は、ヨーロッパである。EUはまず域内の人の移動を回復させたが、7月には日本を含む11カ国からの渡航者に対する制限を解除した。9月になってからの一部地域での新規陽性者の拡大を受けて、地方レベルの感染拡大地域に的を絞った移動制限や営業時間制限などの措置を導入している国が現れてきている。しかし日本からの渡航者に対する制限は解除したままだ。

 本来であれば相互主義の原則が適用されるべきところで、ヨーロッパが日本に厚遇策を取り続けているのに対して、日本側は全く冷たい反応をしている。3月ころのヨーロッパでの急速な死者の拡大のイメージが強すぎるのだろう。ヨーロッパは危険だという先入観を多くの人々が持っているようだ。

 しかしヨーロッパは、むしろロックダウン後に大きな改善を見せて、被害抑制に成果を見せている地域である。準備不足であったがゆえに混乱した封じ込め政策で医療崩壊を起こした初期対応の状況から脱して、日本と同様に、死者数の抑え込みと、感染拡大の管理を示し続けている。ある意味では、「日本モデル」を評価して、「日本モデル」路線に軌道修正して成果を見せているのが、ヨーロッパである。

 ヨーロッパの優等生とされるドイツでは、新規死者数は一桁で、夏以降の感染拡大も微増で抑え込めており、922日時点の新規陽性者数(7日移動平均)は約1,700人程度である。興味深いのは、その他のさらに新規陽性者の拡大が顕著な国でも、死者数が抑え込めている点だ。

 3月の状況が地獄のように描写されたフランスの状況を見てみよう。夏以降の感染拡大で、すでに新規陽性者数は3月の時点の数を超えている。
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 しかし死者数を見ると、3月とは全く異なって、抑え込みが図れている。  

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もちろん最近の陽性者数の拡大の影響が死者数に反映されるには時間がかかるので、死者数ももう少し増加してくることは予測される。しかし3月・4月と比べて違う状況になっていることは明らかである。同じような傾向は、オランダやベルギーなど、周辺の主要国でも確認できる。 

現在の欧州諸国の状況は、7月以降の日本の状況と酷似している、と言えるだろう。尾身茂会長や押谷仁教授ら分科会(旧専門家会議)メンバーの落ち着きを反映した日本政府と同様に、3月を上回る新規陽性者数を見て、欧州諸国が導入しているのは、一部地域における飲食店の深夜営業の停止などの細かい措置である。欧州諸国は、「日本モデル」を踏襲しているのである。

日本では、7月以降の新規陽性者の拡大と死者数の増加が一致しないため、ウイルスが弱毒化した、日本ではすでに集団免疫が成立した、いや時間差が長いだけでいつか必ず死者数も比例的に増加する、などの実証がないままの「仮説」が入り乱れた。

私自身は、3月以降に新型コロナに関するブログ記事等を書いてきているが、科学者の真似事をするつもりはないので、「仮説」については論評したことがない。

だが、少なくとも、新型コロナの特性を洞察したうえでの管理を目指してきた「日本モデル」の意義を否定しなければならない材料はない、とは書いてきた。尾身会長や押谷教授は、国民の英雄と言ってもいい存在なのではないか、と考えていることは告白している。死者数の抑え込みにまず必要なのは、新たな「仮説」の提示ではなく、高齢者と疾患者の特別保護であり(施設崩壊と医療崩壊の回避)、三密の回避に象徴される感染拡大の抑制策の導入である。どんなに「仮説」を羅列しても、少なくともこれらの措置の効果を否定することはできない。

欧州は「仮説」を羅列することなく、むしろ「日本モデル」路線を歩む対応策をとっている。そして日本からの渡航者に国境を開いている。これに対して日本は、口では「インド太平洋」構想においても重要なパートナーだと言いながら、実際には欧州人は地獄の住人たちのように扱い、頼んでも絶対にマスクをすることもしない連中だと信じて、鎖国対象にし続けている。

この政策は、いったいどこまで持続可能なのか。真剣に考える時が来ている。

安倍首相の功績の歴史的評価については、様々な意見があっていいと思うが、新型コロナ対応で失敗した、などという言説を流布する方がまだいたのことには、率直に言って、驚いた。

今回が8回目となる「『日本モデル』vs.『西浦モデル2.0』の正念場」シリーズで示してきたように、あるいはそれ以前の3月からの一連の文章で主張してきたように、安倍首相の指導下で、日本の新型コロナ対策は、着実な成果を見せている。評価の仕方に細かい議論の要素はありうるだろうが、「日本モデル」が失敗しているなどという主張には、全く根拠がない。

私は、尾身茂会長や押谷仁教授らの旧専門家会議・現分科会の方々を「日本の英雄」と呼んで繰り返し称賛してきている。これらの真の質の高い専門家の方々に、専門家としての重責を担う仕組みを担っていただく仕組みをとれたことが、「日本モデル」の成功の秘訣である。

ただし政治的に言えば、この方々を信頼し、ブレることなく政策を遂行してきたのは、もちろん最高責任者としての安倍首相の功績である。

首相に求められた仕事は、質の高い真の専門家を見出し、それらの専門家を信頼し、一貫した政策を遂行していくための体制を整えることだった。安倍首相は、その仕事を誠実に遂行した。

もし新型コロナ危機下の首相が、安倍首相ではなく、「様々な意見を総合的に勘案して」テレビ番組の内容にも気を使っていることを示すために渋谷健司氏のような煽り系専門家にも意味もなく要職を配分していくようなタイプの人物だったら、日本の運命は大きく変わっていたかもしれない。

安倍首相は、最も適切な専門家に、最も適切な立場を提供し、そして決してブレることなく、その真の専門家を信頼し続けた。その功績は、計り知れないほど大きい。真の専門家の方々が日本の英雄であれば、最高責任者である安倍首相もやはり日本の英雄であろう。

最近の傾向を、新規陽性者数の動向で、あらためて確認しておこう。東京の7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
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全国では次のようになっている。

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私は7月初旬から一連の「日本モデルvs西浦モデル2.0」シリーズの文章を書いてきているが、それは515日に西浦博北海道大学教授が示した試算では、7月以降の新規感染者数の増加は、指数関数的拡大に至ったまま、6~8割程度の人と人との接触の削減がなされなければ、減少に転ずることはないはずだったからだ。6~8割未満の人と人との接触の削減では、大勢に影響のある新規陽性者数の減少は見られないはずだった。

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この「西浦モデル」の考え方は、「日本モデル」の考え方と、鋭く対立する。そこで私は、緊急事態宣言がない状況での新規陽性者数の推移の意味を明らかにするために「日本モデルvs.西浦モデル2.0」という文章のシリーズを書き始めた。

2か月がたち、9月になった時点での結論を述べれば、「日本モデル」の勝利である。「西浦モデル」にしたがえば6~8割の人と人との接触の削減がなされなければ起こるはずのない新規陽性者数の明確な減少が達成されている。素晴らしい成果である。「日本モデル」を管理している尾身会長や押谷教授らを、私が「英雄」と呼ぶのは、決して間違った態度ではないと思う。

ここで年初からの日本の新型コロナへの取り組みを、安倍首相の退陣の機会に、簡単に振り返っておこう。

<1月>

今年の1月に新型コロナは中国の武漢で発生していることが、世界に広く知られることになった。このとき、かつてSARSの被害を受けた記憶を持つ台湾に代表されるアジア諸国は、機敏かつ厳格な対応措置をとった。そして新型コロナの封じ込めにほぼ成功した。

日本は、中国からの早期の厳しい入国制限などを躊躇した。そのため、ウィルスの国内への侵入を許した。もっとも欧米諸国などにもウィルスは侵入していたので、中国からの来訪者を止めることが、日本のような人口1億2千万人を擁する国にとって、どれほどの意味を持ちえたかは、もはや永遠の謎としか言いようがない。

いずれにせよプリンセス・ダイヤモンド号事件への対応でも厚生労働省が厳しく批判されるにあたって、2月中旬に内閣府に専門家会議が設置されることになった。これが「日本モデル」の実質的な開始点であろう。

<2月>

招集された押谷仁・東北大教授ら感染症の専門家たちは、2月半ばの段階での新型コロナの封じ込めの不可能性を洞察した。これは英断であった。

今日に至るまで、日本は、早期に入国制限などを行って封じ込めを図ったアジア諸国と比すると、死者数などにおいて成績が悪い。他方、そのような措置をとらなかったにもかかわらず非現実的な封じ込め政策を導入した欧米諸国などと比すると、圧倒的に良好な成績を誇っている。

「日本モデル」の成功は、専門家会議に招集された感染症専門家グループの洞察が正しかったことを示している。専門家会議は、失敗を約束されている封じ込めを目指す政策ではなく、感染ペースの鈍化と医療体制の充実を目指す政策が妥当だと考えた。その背景には、感染率は高いが重症化率は低いという新型コロナウィルスの特性に対する的確な洞察があった。

225日に決定された新型コロナウイルス感染症対策本部の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、次のような考え方が示されていた。

――――――――――――――――――――――

・感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、 患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。

・重症者の発生を最小限に食い止めるべく万全を尽くす。

・社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。

――――――――――――――――――――――

 この方針は223日の「新型コロナウイルス対策の目的(基本的な考え方)」で簡明に示されていた。https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000617799.pdf 

この専門家会議招集後に確立された「日本モデル」の基本的洞察の正しさは、半年後の今日では、すでに実証済だと言える。

2月半ばより前に厳格な入国規制などを通じて封じ込めを図った一部の東アジア諸国を除いて、それ以降の後付けの措置だけで封じ込めに成功した国はない。日本は、封じ込めを目指さなかった、あるいは封じ込めを断念したグループの中では、先頭を走った優等生であった。

結局、この「日本モデル」は、今日の世界のほとんどの諸国が採用しているアプローチとなった。2月半ば以前に封じ込めに成功した一部のアジア諸国を除いて、今日では、世界中の国々が、新型コロナの完全封じ込めを目指すのではなく、重症者への予防と対応に重点を置きながら、感染拡大の緩和化を政策目標としている。「日本モデル」は、そうした世界の国々にとって、着目すべき重要な先例である。

<3月>

大枠の方針が提示された後の3月に、いわゆる「三密の回避」という「日本モデル」を象徴するアプローチが確立されるようになった。http://agora-web.jp/archives/2046366.html 新型コロナの感染を拡大しているのは、全ての陽性者ではない。特にクラスターと呼ばれる大規模感染を引き起こすのは、密集・密閉・密接という条件が重なった状況においてである。したがって、手洗い・マスク着用等の基本的な感染予防を施したあとは、「三密の回避」などの大規模感染拡大予防策を徹底すれば、ウィルスの撲滅は果たせないとしても、重症者が急増して医療崩壊が引き起こされるような事態は回避できる。これが「日本モデル」の基本的考え方であった。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71284 

<4月>

「三密の回避」の訴えが政治家層からもなされるようになり、一般の人々にも広く理解されるようになったのは、三月下旬になってからであった。その効果が見極められる前に医療機関への負担の危険な増加が懸念されるようになったため、4月7日に緊急事態宣言が発せられた。安倍首相は、緊急事態宣言の発出にあたって、その目的を「医療崩壊を防ぐ」ことに設定した。2月時点からの「日本モデル」の考え方にそったものであった。

ただ安倍首相は、人々の感染予防行動を集中的に促進するために、西浦博・北海道大学教授の試算を事実上参照して、「人と人との接触を8割減らす」ことができれば、ウィルスを収束させることができる、とも述べてしまった。

このときの「収束」とは、医療崩壊を回避して管理可能な水準にまで感染拡大のスピードを低下させる、という意味であっただろう。しかし西浦教授が、ツィッターなどを通じた社会運動を展開して、8割削減が達成されれば新型コロナは終息する(消滅する)という考え方を流布させたことによって、混乱が起こった。

私は4月10日の時点で、すでに3月からの国民の努力もあり、感染拡大の増加率は低下してきている、とはっきり述べていた。http://agora-web.jp/archives/2045379.html しかし西浦教授は、415日に主要マスコミ各社を集めた記者会見を開いて有名になった「42万人死ぬ」試算をグラフ付きで示した。「8割削減」を達成できれば、新型ウィルスを撲滅できる、という夢物語に12千万人の国民を総動員するための社会運動であった。

この「42万人死ぬ」事件については、後に押谷仁教授は、自分は公表に反対だった、と述懐している。https://www.dailyshincho.jp/article/2020/07090602/ 西浦教授の、おそらくは正義感に燃え上がった、独断のクーデターであった。

西浦教授は、専門家会議の正式メンバーではなかったが、厚労省クラスター班に属する数理モデル専門家として招かれた専門家会議の記者会見においても、座長や副座長をさしおいて独自の考えに基づく断定的な発言を繰り返した。それは、自身の数理モデルの絶対的な無謬性に信仰心にも似た確信を持った人物の姿であった。西浦教授の反政府的なトーンを大歓迎したマスコミは、西浦教授を、日本において世界の真理を知り、真実を語る勇気を持つただ一人の人物である、といった調子でもてはやした。http://agora-web.jp/archives/2045808.html 

西浦教授が、公園の人出が減っていないので8割削減が達成されない、と記者会見で強調すると、翌日の都内では児童公園にまでテープが貼られて立ち入り禁止になるという狂奔ぶりであった。

5月>

緊急事態宣言前からの措置及び緊急事態宣言中の追加的な措置により、5月には新規陽性者の拡大が減少に転じていることが明らかになった。ただその効果は5月初旬には確定的には十分に明らかではないという理由から、安倍首相は、緊急事態宣言を延長することを決め、それを国民に謝罪した。左翼マスコミは政府の取り組みの失敗をファンファーレを鳴らすように報じ続けたが、左翼マスコミが無視することができないほどに新規陽性者が減少するには、少し時間が必要だっただけの話である。5月末には、延長を早期に切り上げる形で、緊急事態宣言は終結した。その頃までに新規陽性者数は、全国で100人以下のレベルにまで低下していた。

8割削減」が達成されないままの緊急事態宣言に危機感を抱いた西浦教授は、政府批判の姿勢を強めた。そこであらためて緊急事態宣言の解除に反対するかのようなトーンで、破滅を回避するためにはどこまでもウィルスの徹底撲滅を目指すべきだといった示唆で示されたのが、515日の東京都広報番組で示された「西浦モデル2.0」であった。http://agora-web.jp/archives/2046174.html 

6月>

6月は感染者数が少なかったので緊急事態宣言期の検証を進める機運が高まったが、実際に高まったのはモリカケ問題などで見られた構図そのままの不毛な対立であった。

西浦教授は、日本政府はアメリカ政府の圧力に屈して開国して感染を拡大させるな、政治家からの経済重視の圧力に行政官は抵抗せよ、政治家が自説を採用して政策を遂行しないのが問題だ、といった左翼メディアが好む図式に自己の見解をのせた言説を発信し続け、反安倍首相勢力のアイドルになっていった。https://news.yahoo.co.jp/articles/602a038dc47f6aa1a3952ba5f318888f50cc0713?page=4

7月>

政府は、新型コロナ対応の特別措置法に基づく新たな分科会を設置し、旧専門家会議の主要なメンバーを分科会に移行させた。これ以降、正式メンバーではない西浦教授が、専門家会議記者会見で、座長や副座長をさしおいて断定的な発言を繰り返す、といった光景は見られなくなった。「日本モデル」と「西浦モデル」が、明確に切り離されたわけである。

分科会の助言にもとづいて、政府や自治体は、歓楽街に焦点をあてた戦略的な集中PCR検査の実施などのクラスター対策の政策を実施していった。また緊急事態宣言の急進的な措置の影響が抜けた反動が出る時期にもさしかった。そこで、7月を通じて、新規陽性者の確定報告数は、拡大の傾向を見せた。渋谷健司氏ら、3~5月に左翼メディアの寵児となっていた煽り系専門家たちは、水を得た魚のように再び日本批判を声高に行い、54兆円全国民PCR検査運動を推進しようとするなどの派手な動きも見せた。http://agora-web.jp/archives/2045987.html 

もっとも実際には、拡大スピードのピークは7月初旬で、その後は減速し続けていたことについては、私の7月時の「日本モデルvs西浦モデル2.0」シリーズの文章を読んで確認していただきたい。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

8月>

新規陽性者数の拡大は、明白に減少傾向に入り、8月末には7月上旬の水準にまで下げ戻すことになった。重症者数・死者数は、一貫して低い水準に抑え込み続けた中で、新規陽性者数の拡大も抑え込んだことによって、「日本モデル」の政策の妥当性が示された。

そんな中、安倍首相は、休日のない連続勤務後の持病の悪化によって、退陣を表明した。多数の海外指導者は安倍首相を称賛するメッセージを送った。今や、1月の早期の段階で封じ込め政策をとった一部の東アジア諸国を除いて、どの国もウィルスの撲滅を目指す封じ込め政策などはとっていない。重症者数の増加を抑えて、感染拡大ペースの管理に努める日本的なアプローチをとっている。世界各国が「日本モデル」の優位性を認めているのである。

ところが、そんな中、日本のメディアだけが、日本の新型コロナ政策は失敗していると主張し、安倍首相の政策は破綻したと主張し、安倍首相に協力する専門家たちは良心を犠牲にして権力に近づいた者たちだといった許しがたい誹謗中傷を続けている。http://agora-web.jp/archives/2047773.html 

果たして日本のメディアは、どこまで断固として世界の趨勢に抗し続けるつもりなのか。この半年間で、私は、安倍首相の政治力の下で、尾身会長や押谷教授が作り上げた「日本モデル」を称賛し続けてきた。他方において、あえて煽り系専門家の言説には警告を発することを厭わないようにしてきた。

それにしても無責任なのは、首相の悪口さえ言っていれば知識人になれるという浅薄な世界観を貫くために、日本をダメにすることも躊躇しない言論人やメディア関係者である。これらの人々が、私が以前から憲法9条問題などで批判をすることを厭わなかった人々とぴったり重なっているのは、どういうことなのか。http://agora-web.jp/archives/2045700.html 

この半年間で、日本に専門家であることを美徳とする英雄がいることがわかったのは、私にとって心の救いと言ってもいい出来事だった。だが、圧倒的に多数の無責任な煽り主義者がはびこって隠然たる勢力を誇っていることもまた明らかになった。それは、率直に言って、心が陰鬱になる出来事であった。

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