「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2020年12月

 2020年は大変な年だった。新型コロナの影響が世界の隅々にまで及んで、複合的な効果を引き起こした。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78867

 日本も感染拡大の真っただ中で2020年に終える。「第三波」の拡大が横ばいになった後、12月に入って拡大基調に入り、クリスマスのあたりの時期が出ているだろう現在、拡大の勢いはかえって増している。

 タイトルなし

(筆者作成:7日間移動平均の週単位の増加比の推移)

 

 1223日に「『勝負の3週間』敗北の今、菅首相がコロナ対策でやるべき『たった一つのこと』」という題名の記事を出させてもらった。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78626 ここで私が言っている「たった一つのこと」とは、菅首相が、尾身茂・分科会会長や押谷仁・東北大学教授らとよく話し合ったうえで、国民の前に尾身会長と並び立って現れて、政策を説明するべきだ、ということだった。

 すると25日夕方に、菅首相と尾身会長が並び立って記者会見をする光景が立ち現れた。良かったと思う。今の日本に、尾身会長や押谷教授を上回る助言者はいない。もちろん彼らにしても、一夜にして新型コロナを撲滅させる術を知っているわけではない。だが、だからこそWHOSARS対応等の経験を持つ稀有な専門家たちをよく信頼して、政策を進めるべきだし、その姿を国民に見せるべきだ。

 いずれにせよ、アメリカのような二極分化した社会構造の悪化に警戒をしたい。「生命か経済か」の煽り系の二者択一を避けて困難に立ち向かう姿を見せるために、菅首相が尾身会長と並び立つことが必要だった。

 冷戦終焉から30年、21世紀の対テロ戦争の時代に入って約20年、アラブの春から10年、歴史の節目が、新型コロナによって劇的にいっそう明らかにされた、という気がする。

 2020年に積み重なった様々な負荷は、来年以降にさらにいっそう顕在化してくるのではないか。

 脆弱国家はいっそう脆弱になり、飢餓や暴力がさらに広がりそうだ。民主主義国家の数は減り始めて、権威主義国家の暗躍が進展しているが、この傾向はまだ続くのではないか。米国の力の減退はさらにいっそう顕著になり、中国の超大国としての影響力は高まり続けるだろう。2020年代のうちに中国はGDP世界一位になるし、その後すぐにインドが日本を抜いてGDP世界三位になる日が訪れる。

 この現実を前にして、左派勢力と共に、「政治家は中国を見習って早く新型コロナを撲滅させろ!」と叫んだり、右派勢力と共に「政治家は早く日本を大国化させて中国をやっつけろ!」と叫んだりしても、焦燥感が募るばかりだ。

 冷戦が終焉したとき、「自由主義の勝利」が謳われた。その物語を満喫したアメリカ人たちは、イデオロギー的な自由主義の経済論を盲目的に信じ、富裕層をいっそう富ませ、貧困層をいっそう貧しくした。また、イデオロギー的な自由主義の政治論を盲目的に信じ、リベラル層のポリコレ自由主義と、保守層の宗教的自由主義の思想的断絶を、かつてないほど深めた。

 しかし2001911テロ事件から世界的規模で広がった「対テロ戦争」は、国際社会における「自由主義の勝利」の物語を蝕んでいった。

2010年末に始まった「アラブの春」以降の各地の混乱を目の前にして、「自由主義の勝利」などを口にする勇気のある者は、国際社会の表舞台では、もうほとんど見られなくなった。

そして2020年新型コロナ危機は、自由主義を標榜していた欧米諸国に残っていた自信を完膚なきまでに打ち砕いた。

穏健なアジアの自由民主主義国として地味だが堅実な新型コロナ対策をとっていた日本も、「生命か経済か」の煽り系の言説の中で、左派と右派に、親中派と反中派に、分裂を続け、国力の停滞をさらにいっそう加速させていきそうである。

こうした状況で、真の意味での議論は、難しい。SNSでは、「科学的なのは俺たち」「真面目なのは俺たち」といった立ち位置で、相互に軽蔑の言葉をぶつけ合う固定的な集団間の争いだけが過熱している。

こうした時代状況の中で、2021年以降の世界を、どうやって生きていくことができるのか。日本の国際社会における立ち位置を、どうやって考えていけばいいのか。

決して華やかでも、心地よいわけでもない閉塞的な状況の中で、あらためて問い直していかなければならない。

 「勝負の三週間」と設定された期間が終わった。先週末、私は、たまたま夜遅くの電車に乗った時の光景と、その数日前からの新規陽性者数の拡大傾向とを重ね合わせ、忘年会シーズンに新規陽性者数の減少を果たすのは難しいだろう、といったことを書いた。http://agora-web.jp/archives/2049329.html

 その後の一週間は、全般的に私の書いたとおりに展開した。新規陽性者数の再拡大は顕著な傾向となった。「勝負の三週間」が宣言された11月下旬は、新規陽性者数の拡大は鈍化傾向にあったのだが、その後はしばらく横ばいが続き、12月半ばになって、むしろ上昇に戻った。

 新規陽性者数の拡大に、科学的な法則はない。むしろ人間の社会生活の動向によって、左右される。そのことを痛感する12月である。新規陽性者数の再拡大を強くけん引している東京のトレンドを見ると、週平均で1.2倍のスピードで進んでおり、しばらく新規陽性者数の拡大は続きそうである。

 ただし、実はこの再拡大を引っ張っているのは、東京およびその近郊の神奈川などの首都圏が主である。広島などその他の一部でも再拡大の傾向が強い地域があるが、全国的には再拡大のペースは鈍り始めた。

 全国的な傾向を、首都圏に抗して引き戻しているのは、大阪などの首都圏以外の地域だ。特に大阪は、7日移動平均で前の週の水準を下回るペースを続け、しかも今週になってから平均値を減少させるペースを維持している。大阪の7日移動平均の値は、三週間前以前の水準に引き戻されている。大阪は、これまで何度となくGoogle AI予測で、東京を上回る甚大な被害を出すと予測されてきた。そのGoogle AI予測を覆す堅調ぶりである。

 「勝負の三週間」で全国的な結果が出せなかったことについてはきちんと総括し、次の一手を提示する責務が、政府にあると思う。ただし十把一からげに悲観をするのではなく、堅調な数字を見せている地域については、そのことを肯定的に取り上げるべきだ。頑張っている人々は、その頑張りを認め、引き続き頑張ってほしいというメッセージを送るべきだ。そういうメリハリがなければ、人々はついてこない。

 感染拡大については、SIRモデルからK値に至るまで、あたかもそこに科学的に識別可能な法則があることが自明の前提であるかのように扱う言説が、注目を集めてきた。

 しかし本当に必要なのは、その時点その時点のトレンドを捉え、その背景にある人々の努力を認めてあげて、称賛したりしてあげることではないだろうか。科学的法則に従って新規陽性者が推移しているだけなら、誰も感染防止の努力などしない。

予測当てごっこから卒業し、社会政策に活かしていくという実践的な目的にそって、新規陽性者を観測する姿勢を確立したい。

 

週平均で見た当該日の前の週からの増加比の推移
タイトルなし


 先日、Yahoo!ニュースで、面白い光景を見た。「ファクターX」を否定する記事と、「これがファクターXだ」と論じる記事とが、ほとんど並んでいたのである。

タイトルなし

 私は、「ファクターX」のような仮説には、興味がない。科学者ではないので証明する手段を持っていないのが一番の理由だが、「ファクターX」なる概念が出てきた経緯である統計の読み方に信ぴょう性を感じることができないのも理由だ。

 山中伸弥・京都大学教授は、執拗に「ファクターX」について語り続けている。仮説を科学的に証明してくれるのは勝手に早くやってくれればいいのだが、「ファクターX」の根拠としていまだに「日本は何らからの原因(ファクターX)で、これまで死亡者が欧米に比べてはるかに少なく済んできました」を理由にしているのは、どういうことなのだろうか。https://www.covid19-yamanaka.com/cont11/main.html こんな根拠薄弱な理由で、人命もかかる政策に何らかの影響を与えようと執拗に「ファクターX」を発信し続けていて、本当に大丈夫なのか。何かおかしな偏見にとらわれていないだろうか。心配になる。

少なくとも、以下の点は、確認しておいてもらいたい。

 

1.「欧米」の「致死率」は春先に異常値を示していたが、現在はほぼ世界平均水準になってきている。<春先の欧米の致死率が異常だっただけ。>

2.「欧米」よりも人口当たり死亡者が少ないのは「アジア」だけでなく、「アフリカ」や「オセアニア」も低い。

3.日本の致死率・人口当たり死亡率は、「欧米」より低いだけで、アジア・アフリカ・オセアニアの中で際立って低いわけではない。

4.一定期間、低水準の人口当たり死亡者を記録していた国が、突然死亡者を増加させることは大いにありうる。その国における感染拡大に応じて死者が少なかったり増えたりするだけだと考えるのが自然。

5.感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える。

 

 以下、一つ一つ見ていってみよう。

 

1.「欧米」の「致死率」は春先に異常値を示していたが、現在はほぼ世界平均水準になってきている。<春先の欧米の致死率が異常だっただけ。>

 

 私はこれまで何度か、世界の感染状況を概観する数字を一覧にしてきている。たとえば、6月中旬の時点での新型コロナの被害は、ここに記録しておいた。http://agora-web.jp/archives/2046643.html (616日)

 当時、ヨーロッパ全体の致死率(陽性者総数に対する死者数の割合)は、8.25の異常値を示していた。特に、北欧12.13、南欧10.77、西欧11.20は、世界的に異常な高率であった。北米5.56、中米9.53、南米4.24であった。

 次に10月初頭の記録を見てみよう。http://agora-web.jp/archives/2048347.html (101日)ヨーロッパ全体の致死率は4.39、北欧7.83、南欧5.57、西欧4.99、北米2.90、中米7.69、南米3.13である。

 この動きは現時点に至る時期までも、はっきりと続いている。1214日の記録は、末尾に記しておくが、ヨーロッパ全体の致死率は2.30、北欧2.99、南欧2.78、西欧2.09、北米1.86、中米6.76、南米2.84である。中米を除き、軒並み2%台(以下)という世界標準レベルに下がってきている。

 つまり同じ欧米社会であっても、新型コロナで高率で死者が出たり、少なかったりするのである。どう見ても、無理な封じ込めを狙ってかえって医療崩壊を起こして高率の死亡者を出してしまった春先のヨーロッパの数値が異常だっただけである。医療崩壊を回避し、高齢者・基礎疾患者を特別に防御する社会的風潮さえできあがれば、欧米社会でも致死率は劇的に減らせるのである。

 こうした政策的事情を度外視して、「ファクターX」があるなどと執拗に神秘主義的主張を繰り返すことに、どんな統計上の根拠があるのか、私には全くわからない。

 

2.「欧米」よりも人口当たり死亡者が少ないのは「アジア」だけでなく、「アフリカ」や「オセアニア」も低い。

 

 致死率だけ見ると、検査数を増やすと致死率が下がってしまうので、信用できないという人がいる。日本のPCR検査数が少なすぎるというテレビのワイドショーの主張に真正面から影響されただけの印象論と思われるが、少なくともアジア全域で検査数が抑えられているという経緯はない。SARSの経験などもあるアジアで対応策が素早く、また徹底しているため、感染拡大が防がれている、と考える方が、どう考えても自然であり、それをどうしても否定しなければならない理由はどこにも見つからない。

 実は人口当たり死亡者数が低いのは、日本だけでも、アジアだけでもない。欧米以外では、どこも低い。アジア全域の人口100万人あたり死者数は、現時点で67.44人で、確かに欧州や米州よりも非常に低い。しかしアフリカは、42.47人で、さらに低い。オセアニアは30.61人で、さらにいっそう低い。日本だけが低いわけでも、アジアだけが低いわけでもない。欧米以外はどこも低いのである。
 オセアニアは、一番被害を出しているオーストラリアを除けば、小さな島嶼国から構成されている。感染路を遮断しやすい。致死率は3.10だから、どう見ても、単純に感染拡大を防いでいるので、死者数も少ないだけである。アフリカについて言えば、農村部などで検査ができない傾向があり、絶対数が少なめに出ている可能性は高い。それにしても欧米の状況を見て早期に国境閉鎖したこと、若者人口比率が高いこと、過疎地域では感染拡大しにくいこと、そして感染症慣れしているのでマスクの普及率などを見ても人々の行動変容が進んでいることなどの要因が働いた、と考えるのが自然である。少なくともそれらを否定しなければならない事情など何もなく、「ひょっとしたらアジアだけでなく、アフリカにも、オセアニアにも、ファクターXがあるのか!」などと言わなければならない事情などない。

 結局、春先に異常値を示した欧米の死者数が今でも高く(死者数は累積するだけで減らない)、冬になってもやはり追加的に高い死者数が出ているのは、感染拡大が比例して起こっているからである。どこにも神秘的な事情などない。

 

3.日本の致死率・人口当たり死亡率は、「欧米」より低いだけで、アジア・アフリカ・オセアニアの中で際立って低いわけではない。

 

 「ファクターX」論によると、世界で日本だけが感染しにくく、死亡しにくいのだという。全く根拠がない。

 現在の日本の100万人あたり陽性者数は約1,400人、100万人あたり死者数は約20人、致死率は1.45だ。世界的には良好な水準だが、特に際立って圧倒的に少ないというほどではない。東アジアの中では成績が悪く、東南アジアより少し成績が良い程度である。人口が1億人2千万人いることを考えれば、これでも健闘していると言うべきだが、何か神秘的な力と言わざるを得ないものが働いているとまで主張するのは、大げさすぎる。

 アフリカは、それぞれ100万人あたり陽性者数約1,800人、100万人あたり死者数約42人、致死率2.36であり、オセアニアは同陽性者数約988人、同死者数約30人、致死率3.10だ。日本はこれらと比べて特別に際立って優れているわけではない。

 ヨーロッパ全域で人口約82千万、米州全体で102千万人程度だ。世界人口の4分の1にも満たない。なぜ世界人口の2割ちょっとの特定の人々と比べて死者数が少ないと言うだけの理由で、「日本には何かすごい神秘的なファクターXが働いている」になるのか、全く理解できない。
 世界の4分の3以上の大多数の人は、世界に存在していないに等しい、と断定する理由は、いったい何なのか。そんな人たちと日本を比べてはいけない、日本はただ世界の2割少しだけの欧米の人たちとだけ比べなければいけない、と命令する理由は、いったい何なのか。

 

 4.一定期間、低水準の人口当たり死亡者を記録していた国が、突然死亡者を増加させることは大いにありうる。その国における感染拡大に応じて死者が少なかったり増えたりするだけだと考えるのが自然。

 

 それでも、どうしても死者数が少ないのは、政策的な感染拡大抑制によるものではなく、何かもっと別の神秘的な理由によるものでなければならないという信仰を持つ科学者の方々には、また別の難問を解いてほしい。

 国単位で見てみると、かつて今の日本と同じ程度の人口当たり死者数であった国は多々ある。わかりやすいので、6月時点の「東欧」を見てみよう。100万人あたり陽性者数が約2,410人、100万人あたり死者数が約42人、致死率が1.77だった。当時の東欧の水準は、現在の日本に近い。今、東欧はどうなっているか。そこから半年ほどたったので、3倍くらいの数字になっただろうか?そんなものではない。同陽性者数約22,153人、同死者数約410人である。実に陽性者数も死者数も10倍近くまで増えた。致死率は1.85とほとんど変わらないので、感染拡大が起こり、それに比例して死者数が増えただけである。

もっと優れてウイルスの侵入を防御し続けていた中央アジア諸国も、冬になって力尽きた格好で、感染拡大を起こした。6月時点で中央アジアの100万人あたり陽性者数は約401人、100万人あたり死者数約2.5人、致死率0.65という驚異的な成績だった。日本など全く眼中にない圧倒的な成績だった。しかし現在は、同陽性者数約4,511人、同死者数約60人、致死率1.33と、世界標準レベルになってきている。

同じような傾向は、東南アジアのミャンマーやネパールなど、当初は早期の国境閉鎖でウイルス侵入を防いでいたが、決壊したとたんに被害を出した国々でも確認できる。6月時点でミャンマーは同感染者数4.82人、同死者数0.11人という驚異的な成績であった(致死率 2.29)。現在は、同感染者数約2,013人、同死者数約42人という被害になっている(致死率2.09)。6月時点でネパールは、同感染者数約213人、同死者数0.65人、致死率0.31という驚くべき数字であった。現在では、同感染者数約8,564人、同死者数約59人という被害を出している(致死率0.69)。

 なぜ東欧や、中央アジアや、ミャンマーや、ネパールには、「ファクターX」が日本よりももっとすごいくらいに効いていたのに、今は効かなくなってしまったのだろうか? と言う問いは、ほとんど魔術師のような問いだ。単にウイルス侵入を当初は防げていたが、その後に決壊してしまっただけだ。神秘的な事情など何もない。

 

5.感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える。

 

 最後に付け加えておきたい。世界各国で、ロックダウンすれば感染拡大が止まり、行動変容をとれば感染拡大が抑制され、何もしなければ感染拡大が加速する傾向が確認されている。日本にも例外的な事情は何もない。どう見ても、感染拡大の増減は、人間的な事情で進展している。科学者だけが知っている不思議な「ファクターX」を持ち出して説明しなければならないような事情など、どこにもないようにしか見えない。

 

1214日時点の世界の新型コロナ被害状況)

地域

準地域

感染者数(/mil

死者数(/mil

致死率(%)

日本

 

1,401.50

20.25

1.45

アフリカ

1,802.36

42.47

2.36

北アフリカ

3,404.94

92.28

2.71

東アフリカ

796.80

12.42

1.56

中部アフリカ

469.10

8.90

1.90

南部アフリカ

13,329.09

350.55

2.63

西アフリカ

578.56

8.07

1.39

米州

30,696.04

776.67

2.53

北米

46,652.29

867.57

1.86

カリビアン

21,653.09

725.16

3.35

中米

10,553.20

713.85

6.76

南米

27,793.70

789.79

2.84

アジア

4,138.51

67.74

1.64

中央アジア

4,511.03

60.08

1.33

東アジア

191.75

4.79

2.50

東南アジア

1,994.82

45.72

2.29

南アジア

6,336.86

111.28

1.76

西アジア

16,608.08

186.23

1.12

ヨーロッパ

25,029.02

576.14

2.30

東欧

22,153.72

410.24

1.85

北欧

17,884.40

534.33

2.99

南欧

32,126.63

892.91

2.78

西欧

29,069.17

608.90

2.09

オセアニア

988.57

30.61

3.10

 

 

 

 ニコニコ動画『国際政治チャンネル』の出演で土曜の夜に外出した。https://live2.nicovideo.jp/watch/lv329258319 帰宅の途についたのは23時台だった。「第三波」の渦中で夜遅くに都心を地下鉄で移動するのは初めてだったが、かなりの数の明らかに飲食店帰りの人々が電車に乗っている印象を受けた。

例年の師走よりは減っているのだろうが、諸外国の人々が見たら衝撃を受けるだろう。1212日土曜の東京の新規陽性者数は621人(7日移動平均481人)だったが、どうやってこれだけの数の人々が繁華街に出かけていて、なおそのような低水準の陽性者数に抑え込めているのか、と驚くのではないかと思う。

おそらく感染拡大傾向にあっても、師走の社交行事を完全にはキャンセルできないのではないか。人々がそれなりの年の瀬を迎えている中で、客観的に見て新規陽性者を減らすのは難しい時期になっていると感じざるを得ない。

 ただ全員がマスクをして、ほとんどの人が押し黙って電車に乗っている。それなりに最大限の感染防止は心がけているだろう。どこで社会経済生活の維持と感染予防策の折り合いをつけるかは、政策論の問題でもあるが、結局のところ、社会意識の反映でもある。

11月になってから、私はまたエクセル表に新規陽性者数を打ち込んで、平均値や増加比の計算式にのせる作業を行い始めた。すでに書いてきたように、11月中旬をピークにして、新規陽性者の増加は鈍化し始め、11月末から12月初旬は横ばいと言っていい状態に入っていと観察していた。

 ただし、ここ数日の新規陽性者を見ると、再び増加に転じている傾向が見られる印象を受ける。連休の影響で鈍化が増加に反転するような場合、すぐに鈍化傾向が戻ってくる。しかし師走の人出で増加圧力が生まれていると仮定すると、なかなか減少傾向にまで持っていくのは難しいのではないか。

 陽性者を減らせないのでなければ、医療崩壊を防ぐ何らかの手段を考えなければならない。医療崩壊を防げそうにないのであれば、陽性者を減らす手段を講じなければならない。

 政治判断が迫られるだろう。

 尾身分科会会長が「勝負の3週間」を宣言してから、2週間が過ぎた。極めて残念ながら、3週間がたって、少なくとも画期的な成果が出そうな気配はない。

 これは残念な事態だが、尾身会長の責任ではない。尾身先生や押谷先生を信奉し続けている私は、第二波では落ち着きを見せ続けていた彼らが、第三波では11月初旬からかなり強い調子で警告を発し続けていることに注意を払っている。第二波と同じように進まないとしても、それは、尾身会長らが警告したとおりに、乗り切ることがより困難だからだ。

 北半球の全域で大規模な感染拡大が起きている。大規模PCR検査の優等生とされた韓国でも感染拡大が起きている。一時期、韓国やニューヨークは大規模PCR検査で感染拡大を防いだ、といったその場の限りの主張が広範に見られたときがあった。その主張が誤りであったことは、現在の各地の状況が示している。感染拡大は日本だけに起きているわけではない。日本人の誰かの責任で起こっているわけでもない。幸い世界の状況から見て、相対的にはまだまだ日本の被害は少ないのである。落ち着いて建設的に次なる対応策を考えるときだ。

 私は一貫して、尾身分科会会長や分科会(旧専門家会議)のキーパーソンである押谷仁教授を称賛し続けている。現状を見ても、彼らの的確な活動がなければ、被害がもっとひどいものになっていたであろうことは間違いない。今の日本に、いや恐らく世界のどこに行っても、彼らに代わる人材はない。今後も、信頼すべき人々を信頼して、建設的に対応策を検討すべきである。

 物書きとしての私の失敗は、旧専門家会議の指導の下で動いていた日本の新型コロナ対策の取り組みを、「日本モデル」と呼んでしまったことだ。この言葉を最初に使い始めたのは私のようだ。しかし、この概念は、何としても日本政府を批判し、日本のパフォーマンスが高いということを否定し続けたい左派系を中心とする人々の反政府の闘争本能に火をつける効果を持ってしまった。

私が「日本モデル」という概念化を試みたのは、称賛すべき人たちを称賛するためにそのような概念化をしたかったからでもあり、また同時に、今後の改善につなげていくために日本の取り組みの長所と短所を整理したかったからでもある。私は冬になる前に法改正をして、取れる対策の強化・拡大を図るべきだと考えていた。公刊した対談集では、憲法改正を急いで緊急事態条項を入れるべきだ、とも主張している。https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%82%92%E7%85%BD%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-WAC-BUNKO-330-%E4%B8%8A%E5%BF%B5/dp/4898318304/ref=sr_1_1?dchild=1&qid=1607816560&s=books&sr=1-1

 しかし船橋洋一氏らの報告書では、「日本モデル」という概念を安倍首相が口にしたこと自体が、徹底した非難の対象になった。事前に精緻に作り上げた戦略もないのに「日本モデル」とか口にするな!といった言葉狩りである。私としては、政府関係者の皆さんにも申し訳ない気持ちになり,いたたまれない思いになった。おかしな事業評価手法 ~ 日本学術会議、そして民間臨調報告書 – アゴラ (agora-web.jp)

 非常によくないのは、いつの頃からか、「生命vs経済」の図式が定着してしまい、議論が二項対立の硬直状態に陥ってしまっていることだ。本来の日本の政策は、社会経済活動への悪影響を最小限にとどめながら、感染拡大を防いでいく「抑制管理」型だ。調整を図りつつ、時には強めの抑止をするために緊急事態宣言を導入したこともある。

 ところが「生命vs経済」の図式で、「専門家vs政治家」も全部あてはめようとするし、実態として「野党・マスコミvs政府」という図式も重なってくるので、建設的な議論が行えない不健康な構図だけが確立されてしまった。特に「日本モデルなどというものはない、あるのは生命vs経済あるいは専門家vs政治家だけだ!」運動の方々によって、こうした尾身会長らの努力もかき消され気味になってしまったのは、大変に残念である。

 船橋洋一氏らは、政治家や官僚へのインタビューを根拠にして「日本モデルなどはない!」という結論を急ぐが、本来であれば、尾身会長や押谷教授の考えを伝えるために、報告書を書いてほしかった。私が使い始めたときの「日本モデル」の概念は彼らのためにあったし、彼らの努力を助けるためにこの概念を使い始めた。

 しかし船橋洋一氏らの大々的で徹底した運動もあり、誤解を招くので、最近は私もあえて「日本モデル」という概念を使うのをやめている。結果として、尾身会長や押谷教授の取り組みを概念する手段を欠くことになってしまったのは、私としては大変に残念だ。

 いずれにせよ、今恐れるべきは、社会の分断である。振り回された「生命vs経済」の二項対立図式に、強引に「専門家vs政治家」なども押し込められてしまったうえに、反政府言論のネタを渇望している左派メディアや野党勢力が群がっている。このままでは日本もアメリカ社会を後追いして社会の二極分断の中で、効果的な政策を打ち出せないどころか、建設的な政策論さえ行えないような状況に陥るのではないか、と危惧せざるをえない。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78068 

 新型コロナよりも恐ろしいのが、社会の分断だ。ある意味で、日本が持っている唯一にして最大の武器が、それで失われる、という気がする。今後そこが問われてくるだろう。

 

日付

新規陽性者数

直近一週間の陽性者数

7日移動平均

前日からの増加比

直近一週間の増加比

11/1

606

4821

689

103%

121%

11/2

482

4902

700

102%

121%

11/3

868

5121

732

104%

121%

11/4

607

5004

715

98%

115%

11/5

1049

5249

750

105%

116%

11/6

1137

5617

802

107%

123%

11/7

1302

6051

864

108%

129%

11/8

938

6383

912

105%

132%

11/9

772

6673

953

105%

136%

11/10

1278

7083

1012

106%

138%

11/11

1535

8011

1144

113%

160%

11/12

1623

8585

1226

107%

164%

11/13

1704

9152

1307

107%

163%

11/14

1723

9573

1368

105%

158%

11/15

1423

10058

1437

105%

158%

11/16

948

10234

1462

102%

153%

11/17

1686

10642

1520

104%

150%

11/18

2179

11286

1612

106%

141%

11/19

2383

12046

1721

107%

140%

11/20

2418

12760

1823

106%

139%

11/21

2508

13545

1935

106%

141%

11/22

2150

14272

2039

105%

142%

11/23

1513

14837

2120

104%

145%

11/24

1217

14368

2053

97%

135%

11/25

1930

14119

2017

98%

125%

11/26

2499

14235

2033

100%

118%

11/27

 

2530

14347

2049

100%

112%

11/28

2674

14493

2070

101%

106%

11/29

2041

14384

2054

99%

100%

11/30

1429

14300

2042

99%

96%

12/ 1

2019

15102

2157

105%

105%

12/ 2

2419

15591

2227

103%

110%

12/ 3

2507

15599

2228

100%

109%

12/ 4

2425

15514

2216

99%

108%

12/ 5

2508

15348

2192

98%

105%

12/ 6

2058

15365

2195

100%

106%

12/ 7

1502

15368

2195

100%

107%

12/ 8

 

2148

15497

2213

100%

102%

12/ 9

2802

15880

2268

102%

101%

12/10

2948

16321

2331

102%

104%

12/11

2781

16677

2382

102%

107

12/12

3024

17204

2457

103%

112

(小数点切り下げ、1212日新規感染者数は報道による暫定値)

タイトルなし1

新型コロナの「第三波」はまだ終わりが見えず、苦しい状況が続く。ここで最も警戒すべきは、「生命vs.経済」の図式にのっかった二項対立的な社会の分断だ。二極分化の構図は、全ての建設的な議論を無効化する落とし穴のように働いていくだろう。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78068  

そんな中、西浦博教授の新刊『新型コロナからいのちを守れ!』を読んだ。かなり威勢のいい題名で少し身構えるところがあったが、内容は落ち着きのあるもので、感銘を受けた。

冒頭の「はじめに」における「一、自らの研究者としての実力は確かであり、それを役立てられること」という宣言から始まるのは、やはり身構えざるを得ないようなものである。ただ、本文中では、自分が頑張らなければ日本における理論疫学/感染症数理モデルを専門にする後進に迷惑がかかる、という心情で身構えてしまっていることの説明が何度か吐露されており、それは本心なのだろうということは伝わる。

つい先日、西浦教授から直接ツィートをいただくという光栄があった(ちなみに私は西浦教授のフォロワーだが、西浦教授は私のフォロワーではない)。

https://twitter.com/nishiurah/status/1336155729057615872 

1125日の記事で西浦教授が「都市部では指数的関数的拡大」が見られると話しているのを見て、私が果たして本当に「指数関数的拡大と言えるのか」という疑問を提示したためだ。私は1127日のブログで疑問を提示しているので、西浦氏のツィートの内容は該当しないと、自分自身のツィートでつぶやいた。http://shinodahideaki.blog.jp/archives/36577164.html 

その際、少しRt1以下にならないという問題があるのはわかるが、それは「指数関数的拡大が起こっているか」という話とはまた別だろう、といったこともつぶやいたのを、おそらく西浦教授のファンのどなたかが西浦教授に通報したのだろう。

西浦教授は127日の私の記事の題名だけを見て反応されたのだろう。しかし127日記事は、27日ブログで書いたことの追記のようなものに過ぎない。私がそのことを述べると、西浦教授は冷静になってくれた。

https://twitter.com/nishiurah/status/1336159207037407233 

https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1336161286917218305 

大変な渦中を潜り抜けられたので物事に過敏になられているのは当然だろう。もちろん私が西浦教授について何度も書いてきている人物であることも関係しているかもしれない。

私が最初に西浦教授について書いたのは、323日だ。http://agora-web.jp/archives/2045006.html 私の西浦教授への期待は大きく、私は次のように書いた。

----------------------------------------

今、日本において、西浦教授ほど重要な人物は他にいないのではないか。私が政治家なら、即座に巨額の研究資金を西浦教授に預けるために奔走する。間違っても来年度の研究費の申請書作りなどのような事柄に、西浦研究室のメンバーを従事させてはいけない。

----------------------------------------

しかしその後、ツィッタ―での発信などに余念がなく、研究者というよりも社会運動家のようになってしまったように見える西浦教授の姿に、僭越ながら私は不満を覚えるようになる。http://agora-web.jp/archives/2045340.html

42万人死ぬ」の記者会見の後は、こうした行動は研究者としての西浦教授ではなく、社会運動家としての西浦教授の行動なのではないか、という疑念がいよいよぬぐえなくなった。http://agora-web.jp/archives/2045481.html 

西浦教授に対しては「最悪の被害想定を述べただけだ」という擁護論が根強いが、それは415日の時点で記者会見を開いて披露した見解の正当化理由としては、不十分だ。新規感染者数がすでに鈍化し始めていた段階でなおそのような発言で人々の不安をかきたてること努力をすることは、マラソンの途中で、急に50メートル徒競走の全速力を子どもに命じているようなやり方で、全く長期戦向きではない。私はそう考えた。それでその後もこだわり続けることになった。http://agora-web.jp/archives/2045808.html  http://agora-web.jp/archives/2047913.html 

今回の著作では、私こそが真の専門家、といった肩ひじを張ったトーンの文章だけでなく、西浦教授の率直な思いも語られているのが興味深かった。「42万人死ぬ」事件の述懐について引用させていただきたい。

―――――――――――――――

押谷先生とは、この件では事前に打ち合わせができていませんでした(発表の当日朝に電話しようとしてくださっていたとご本人からうかがっています)。この後、第一波の間にこの話についてもっとも気を揉んでくださったのが押谷先生なのですが、先生は体調を崩されてあまり出てこられない時でもありました。それで、後々に押谷先生からは、「これは首相が言うべきことなんだ」「調整が整わないんだったら言ってはいかんのだ」といったふうに諭されました。僕が世間から批判されるのを誰よりも心配してくださったから、ここで相当に私を叱ってくださったのですよね。

一方で、激昂されたのは、「励ましが足らない」ということです。ここで何人死ぬというようなメッセージは脅し・恫喝に近いニュアンスのようにさえ受け取られるリスクがある。専門家で今後の対策を思慮深く考えるならば、「いま自粛すればゼロが一つ二つ取れていく」という話をもっと強調すべきだった、と僕も反省させられました。

実際のところ、僕だけではなくて押谷先生はこの件について「西浦さんが困難な立場に置かれたじゃないか!」と前述の科学コミュニケーションのチームに対しても強く苦情のように話されてきました。それ以降、押谷先生は何度も「俺たちはデータ分析に徹するべきだ」「リスク管理に立ち入りすぎたらいけない」「緊急オペレーションセンターには広報部署は要らないんだよ」と主張されました。表舞台でもほとんど話さなくなり、実際に押谷先生は事後検証の新聞やテレビのインタビューなどもほとんど受けられなくなったのです。

武藤先生にもずっと後になって間接的にチクッと言われたんですけど、僕はピュアにやりすぎている、と。僕自身ももっと賢くならないといけないんだなと教えられました。
 (『新型コロナからいのちを守れ!』[中央公論新社]186-187頁

――――――――――――――

非常に興味深いやりとりだ。私はこれらの方々に全く面識がないのだが、関心をもって発言を追っているうちに抱くようになった人物像そのままである。

西浦教授に「ピュアな」正義心があふれていることに疑いの余地はないだろう。そのために強固なファンがついているし、同時に批判者もついた。

押谷教授は、その正義心にも、厳しい言葉を発したという。押谷教授の徹底したストイックな姿は、研究者の鏡だ。私は学者の端くれとして、こうした鬼気迫る学者の発言には、心を震わせられるものを感じる。私のようなうだつの上がらない平凡な学者にとっては、圧倒的な魅力だ。研究者の鏡と呼ぶべき人物が、研究者として社会に多大な貢献をしている事実に、ただ素直に感動を覚える。

私は西浦ファンの間では西浦教授の批判者として知られているようだが、私個人の気持ちとしては、私は、要するに、尾身会長と押谷教授のファンである。そのことは繰り返し表明しているし、お二人を何度も「国民の英雄」と呼んで称賛してきている。

西浦教授の行動に批判的なことを書いてきたのも、西浦教授の正義心が「真の専門家の科学的な行為」になってしまい、押谷先生のようなスタイルが埋没してしまうことを、非常に不満に感じたからだ。要するに、私は尾身先生や押谷先生を、微力ながら守りたいだけなのである。

そのため私は、今回の著作で、西浦教授が繰り返し尾身会長や押谷教授を称賛しているのを読んで、深い安どの気持ちを覚えた。

西浦教授には、分科会から外れたところで、さらにいっそうの研究で貢献し、外から尾身会長や押谷教授を助けていっていただければと、切に願う。

↑このページのトップヘ