「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2021年02月

 226日、衆院予算委員会分科会で、立憲民主党の松原仁氏が、中国当局による同自治区でのイスラム教徒少数民族に対する弾圧を、米政府やカナダ下院が「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定したことを挙げ、集団殺害などの防止や処罰を定めた「ジェノサイド条約」に日本が未加入である理由をただした。これに対して、外務省が、「必要性、締結の際に必要となる国内法整備の内容について、引き続き慎重に検討を加える必要がある」と答弁したという。

 一般に、日本がジェノサイド条約に未加入なのは、ジェノサイド教唆罪が国内刑法で犯罪化されていないことに加えて、「締約国は、集団殺害が平時に行われるか戦時に行われるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、これを防止し、処罰することを約束する」(第1条)が、憲法9条に抵触するという見解があるためだとされている。

日本はすでにジェノサイド罪を処罰対象とする国際刑事裁判所(ICC)ローマ規程に加入している。国際法において慣習法化していると言ってもいいジェノサイド条約に日本が未加盟であるのは、技術的な問題の要素が強い。とはいえ、望ましいことではない。

教唆罪の制定については、ヘイトスピーチをめぐる議論などとの法技術論的な整合性の問題等があるだろうが、犯罪化それ自体に大きな異論があるとは思えない。刑法の「国外犯」規定がジェノサイド条約に対応していないことも、一体の問題として是正すること自体に大きな反対があるわけではないだろう。

 より深刻なのは、憲法9条との整合性が問われかねないと認識されているために、議論が避けられてきていることだ。ジェノサイド条約に加入すると、自衛隊が次々と海外に派遣されて人道的介入を繰り返すようになる、といった夢想は、全く非現実的であり、法律論としてもナンセンスである。ジェノサイド条約に加入しているいかなる国も、そのように条約を解釈していない。

 ところが日本国内では、国際法と憲法9条の関係をめぐる議論が忌避されてきたために、半世紀の長きにわたって、ジェノサイド条約加入問題もまた面倒な問題として忌避されてきた。

 すべては憲法学通説の破綻した憲法9条解釈のせいである。

「戦争放棄」を、「戦場とみなされるかもしれないところには一切絶対に日本人は近づいてはいけない、もし近づいたら憲法違反だ、自衛隊の近くのどこかで誰かが戦闘が始めるだけで自衛隊は憲法違反だ」、といった奇妙な議論を、大真面目に憲法学者なる方々が半世紀以上にわたって主張し続け、国内の有力な圧力団体として行動し続けているために、「ジェノサイドを防止するなんてとんでもない、ジェノサイドが起こっていたらとにかく離れて逃げて無視しなければ憲法学者に憲法違反を問われる」といった発想方法が生まれてしまっているのである。

 立憲民主党は、今回の議論を、憲法学通説の憲法9条解釈の異常さに気づき、それと決別するための機会にしてほしい。

 忙しくてブログの更新等も一か月ほどしていない間に、新型コロナの新規陽性者が着実な減少を見せた。一か月前の前回の記事は、「正月の大きな山を下っていく新規陽性者数:感染拡大も減少も、人間的営みの結果」という題名で書いた。

今では、111日頃に今回の「第3波」のピークがあったことは、論証不要なほどに明らかになっている。

私が116日に書いた一か月前の文章は、正月の後のピークを越えて、新規陽性者数の減少が着実に進んでいることをはっきりと書いていた。

押谷仁教授が、正月後の異常な新規陽性者数の増加を、「疫学的に見ると異常な増え方」と描写していたことを前回の記事では紹介した。だが、押谷教授の洞察力を尊重せず、瞬間的な衝動に駆られた「専門家」の方々は、1月中旬でもなお、新規陽性者数の増加が継続し続けていることを主張し、2月にはさらに大変な惨事が訪れる、などといったことを主張していた。

前回の記事では、僭越ながら、こうした相変わらずの「煽り系」自称「専門家」の方々を、「季節労働者のような」「感染拡大期用の煽り系の専門家」と呼ばせていただいた。失礼ながら、「感染が減少してくると休暇をとる」が、「拡大期に入ると荒稼ぎをする出稼ぎ労働者といってもいい類の専門家」の方々とも書かせていただいた。

大変に失礼な言い方だったが、「私は、以前はこの人たちの言説をチェックしたりしていたが、もはや面倒でチェックもしていない」とも書いた。本心であった。正直、批判するインセンティブも失ってしまっている。価値がない。

私が尾身茂・分科会会長や、押谷茂・東北大学教授を「国民の英雄」と呼んで称賛し続けていることをもって、私に何かそのように行動する政治的な思惑があるのではないか、といったことを言い続けている人もいる。反論の必要もないナンセンスな話である。

なぜ2月に感染爆発すると主張していた人を軽視していたからといって批判されなければならず、感染拡大の回避を主導した方々を称賛したことをもって批判されなければならないのか。

ナンセンスもいい加減にしてほしい。

私は、昨年は、尾身会長や押谷教授が体現しているものとしての「日本モデル」に関心を持ち、文章を書き続けた。だがもはや結論ははっきりしている。

盲目的に「欧米を模倣せよ!」と主張し続けている人たちの言っていることには、何ら妥当性はない。

日本の取り組みが完璧だったということではない。しかし少なくとも「欧米を模倣せよ」に何の妥当性もないことだけは明らかだ。

冷静に「日本モデル」の長所を認めてそれを伸ばしていくことを中心に据えながら、ただ淡々とその短所を補う努力も欠かさないで行っていく姿勢を続けていきたい。

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