「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2021年04月

 私は各国の新型コロナ対策の特徴に関心を持ち、何度かブログに書いてきた。日本には日本の特徴があった。第一に、量は不足しているが重症者対応の質は高い医療機関、第二に、量は不足しているが経験豊富なクラスター対策、第三に、指導者能力は不足しているが国民の平均的能力は高い行動意識などが、検査能力や法制度の不備などの諸点とあわせて、日本が負っていた所与の条件であった。

 この条件の中で、一年間以上にわたって、「三密の回避」対策等に象徴された「日本モデル」は、日本の短所を補い、長所を活かす作戦として成果を出した。

 ちなみにNHK特集などの断片的な報道の影響で、未だに知識人層にすら誤解が残っているので、改めて書いておくが、「日本モデル」の中心は、「クラスター班の活躍によるウイルス撲滅」などではない。「三密の回避を通じた国民によるクラスターの予防」である。もう何度も書いたことなので詳しくは繰り返さないが、クラスター対策でウイルスの撲滅などできるはずがないし、一部の狂信的な専門家の方が主張されただけで、専門家会議=分科会の主要メンバーは誰もそれを目指していない。

 全国民PCR検査など、神話は、他にも沢山あった。そうしたいい加減な神話に惑わされることなく、よく現実を見据えた「抑制」政策を進めることができたのが、「日本モデル」の成果であった。

 これは疫学的知識だけでなく、現実的な枠組み内での政策判断につなげる発想の所産であった。社会科学者として尾身会長や押谷教授の取り組みに感銘を受けた私は、尾身茂・分科会会長や押谷仁教授らを「国民の英雄」と呼んで称賛してきた。

 この20202月の専門家会議招集に伴って設定された初期目標にそった「日本モデル」の取り組みは、まだ現在も続いている。https://agora-web.jp/archives/2047913.html 

 だが世界情勢は変わった。ゲームチェンジャーとしてのワクチンの開発がなされ、接種が急速に進んだからだ。

 ワクチンの重要性については、私も一年前の去年の4月から、念のための整理を行ってきた。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72211?page=5 もちろんその重要性は国際政治学者などが書かなくても、誰にとっても自明であっただろうから、日本でも行政が準備を進めていたはずだった。実際のところ、日本のワクチン接種は、アメリカから遅れることわずか2~3カ月程度で始まっている。これは普通に考えれば、遅すぎるとは言えない時期での輸入開始である。

 日本でワクチン開発ができなかったことをもって政府を責める方もいらっしゃるが、非現実的だと思う。そういう「100メートルを10秒で走れ!と言ったのになぜ10秒で走らないんだ!この無能め!」といった批判には、何の意味もない。日本がワクチンを開発しないだろうことは、一年前の国際政治学者でも知っていた。単に実力がないのだから、仕方がない。

 それよりも深刻なのは、状況認識の欠如である。

 マスコミ報道のみならず、知識人層でも、日本が自国でのワクチン開発に失敗したので、今でも国民のほとんどが接種できていない状態にある、といった「物語」が蔓延している。

 そんなバカな話はない。やはりNHKの特集に取り上げられて有名になったイスラエルなどは、自国での開発など全く行っていない。

 ワクチン輸入とワクチン普及を混同しているケースも多々見られる。輸入しても、接種が進まなければ、意味がない。

 総合的なプロセス管理が必要なのである。しかし総合的なプロセス管理が必要だ、という問題の認識すらできていないのでは、管理ができるはずはない。

 感染対策では、尾身会長や押谷教授ら、WHO職員としてSARS対応にあたった稀有な経験も持つ専門家の活躍で、急場をしのいだ。どうやらワクチン接種では、そうした救世主は現れそうにない。

 12千万人に2回のワクチン接種を行うというのは、気が遠くなるような壮大なプロジェクトである。平時であれば、10年くらいの時間がほしいところである。それを数カ月単位でやろうと言うのであれば、ワクチンの調達だけでは克服できない。対象者管理の行政の体制構築が必要である。そこには輸送・会場・人員などをはじめとする領域で、平時では想定されない水準のロジスティクス管理が必要になる。

 河野太郎・行政改革担当相は、「人口分は確保している。接種のスケジュールは自治体ごとに千差万別だ」と述べているが、この認識は正しい。ただ、その結果として発生することが予測される接種の遅れを改善するための手助けをしないのであれば、それはやはり無責任ではないか、という指摘が出ても仕方がないだろう。

 現在までのところ日本では、一日10万人程度の接種が最高になっており、高齢者接種を開始した先週は、そのペースも下がってしまった。ちなみにアメリカでは、一日に300万人の接種が行われている。

 雑誌『VOICE』の拙稿でふれたが、https://www.php.co.jp/magazine/voice/ エリート層が立案した計画を、軍隊も動員した総合的ロジスティクス能力を駆使し、多彩なネットワーク力も発揮して、実施していくアメリカの様子は、やはり印象深い。初期対応で失敗しても、最後には結果は出す。国民の平均値には限界があっても、エリート層の総合的能力が高い。イノベーションの国である。

 日本に必要なのは、「なぜワクチンを自国で開発できなかったのか!」などと怒ってみることではない。

 自分自身を見つめ直し、長所と短所を把握して分析し、長所を伸ばして、短所を補う方法を考える思考だ。「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」という基本である。

 私は国際政治学者なので、厳しい対中国政策は必要だと思うが、だからこそいっそう同時に、日本人は「孫子の兵法」は繰り返し思い出してみるべきだとは感じる。



 菅首相に、ジャーナリストの田原総一朗氏らが、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の人権侵害や香港、台湾への圧力などの問題をめぐり、「日本は独自の方法がある」と伝えた、という記事を見た。https://news.yahoo.co.jp/articles/beee792f87af81ca13dfaab655b6a7fccf65e64c 
 すでにこの記事に殺到しているコメントに書かれているように、田原氏が首相に人権対応での「日本独自の方法」なるものを主張している情景には、驚きしかない。

 「日本独自の方法」とは何なのか。

まさか全く中身がない言葉を、無責任にも首相にすりこもうとしているのではないか。強い疑いが残る。もしそうであったら、許されざる行為だ。

もし精緻に考え抜かれた中身があるというのなら、田原氏は、日本国民に向けて、それが何なのか、しっかりと説明するべきだろう。

 ミャンマーで残虐な人権侵害が続いている。宮家邦彦氏のような外務省OBらが繰り返し「日本はミャンマー軍にパイプがある」といった言葉で、人権問題に対応するのは性急だといった意見をメディアで述べ続けた。

 「パイプ」があるなら、早く使うべきだ。

もしフワッとした気持ちで中身の全くないことを「パイプ」といったいい加減な言葉で表現し、「とにかく人権問題に対応しろと外務省に言うのはやめましょう」、といった結論だけをすりこもうとしたとしたのであれば、ミャンマーの人々だけでなく、日本国民もバカにしている。

 メディアも、意味不明の言葉を羅列して印象操作だけをしているのではないかという疑いが残る報道だけをして、終わりにするべきではない。発言の内容をしっかり確かめて伝えたり、後日責任を問う検証記事をしっかり書いたりするべきだ。

 言論人には、言論人としての責任があると思う。発言する者も、伝える者も、国民に対して負っている責任を、真剣に考えるべきだ。

 9日金曜日、ミャンマー市民を支持する共同声明を、駐ミャンマーの15大使が共同声明の形で公表した。

https://twitter.com/eAsiaMediaHub/status/1380387595222274049

 米国と安全保障条約を持つ同盟国でこれに参加しなかったのは、ほぼ日本だけだった。

EU構成国という言い方で含まれている欧州諸国と、カナダなどの主要G7国だけでなく、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなども加わった。

 日本は大丈夫か。

「日本にはミャンマー軍とのパイプがある!」論にむきになって固執しすぎるのも、もうそろそろいい加減にしたほうがいいのではないか。

日本の唯一の同盟国であるアメリカが、「親密な同盟国・パートナー国との国際協調の努力」の一環として、共同声明などの行動を誇示していることに、注意を払うべきだ。

高齢者層の日本人は、気づいていないのではないだろうか。同盟とは、「価値の共同体」だということを。価値を共有しているという信念があればこそ、共同防衛体制をとる。

反共産主義の砦になる、と呟いてさえおけば、同盟体制は安泰、と考えるのは、冷戦ボケである。冷戦終焉後の世界では、あるいはバブルが崩壊して経済大国ではなくなった後の日本では、「アメリカが誘ってくる余計な事にはなるべく関わらず、ただアメリカが尖閣を守るようにだけは仕向けておくのが日本外交の奥義」、という姿勢は、通用しない。

9日、ミャンマー当選国会議員が形成している「CRPH」の大使となって世界中のメディアの対応をしているDr. Sasaが、日本外国特派員協会とのオンライン会見に臨んだ。そこでDr. Sasaは、「日本がミャンマー軍を批判するとミャンマー軍がいっそう中国とロシア寄りになるなどということはない、もうとっくに寄っている」、と述べていた。

今や、日本の「ミャンマー軍を批判するとミャンマーがいっそう中国寄りになるので日本はミャンマー軍を批判できない」論は、ミャンマーの人々を含めた世界中の人たちの「日本とはどういう国か」の基本理解になってしまっている。皆が、そういう視線で、日本を見ている。

これでいいのか。

9日はさらに、国連安保理の非公式会合がオンラインで開催された。日本がその存在を認めようとしない「CRPH」の外相や、ミャンマー軍に罷免通告された国連大使らが、堂々とミャンマー軍の国際法に反した非道行為を告発した。安保理構成15カ国の中で、この流れに同調しなかったのは、ロシアくらいであった。

今、ロシアはウクライナ周辺で軍事力を強化しており、それにNATO構成諸国は警戒心を強めている。アメリカは黒海に軍艦を派遣した。NATO構成諸国は、ウクライナ情勢を見たうえで、「価値の共同体」の結束を乱さないように行動している。

日本だけが、「ミャンマーでは一番大切なのはミャンマー軍とのパイプです、でも尖閣が危なくなったらアメリカは日本を守ってね、ただ基本、それだけでいいです」、という行動をとっていていいのか。

「全世界平等に普遍的に一律な制裁は実施できない」「日本は第二次世界大戦の侵略国だ」といった骨董品のような抽象論も、ミャンマーやウイグルやチベットをめぐる国内の議論に触発されたのか、高齢者が発言し始めた。

だが、日本という国の外交は、もっと具体的に、戦略的に、考えるべきだ。

もちろん、現場の駐ミャンマー大使が、ミャンマー国内のあらゆるリソースを活かして外交をしようとするのは当然だし、それは支援するべきだ。だがそんなことは、どんな国でもやっている。

福島の原発でも、新型コロナ対策でも、日本の指導者層のリーダーシップのあり方が問われた。権限は譲らないまま、現場の努力に責任を転嫁しようとする。日本の指導者のよくある行動パターンである。

結果、目の前の直近の危険をやりくりすることはできても、大局的な視座に立った長期的な危険の回避がおろそかになる。

「制裁を全世界普遍的に平等に実施できるか」「第二次世界大戦の侵略国としての日本の責任は何か」といった高尚な議論は、大学の教員にでもやらせておけばいい。

実務に携わる政治家や外交官には、大局的な視座で国益を考慮したうえで、もっと具体的かつ戦略的に、政策を判断していってもらいたい。

 妖怪が日本を徘徊している。「専門家」という妖怪である。

 といっても新型コロナの話ではない。42日金曜の防衛大臣記者会見の様子を見て、そう思った。どこかの名無しの記者が、名無しの「専門家」を引用して次のように質問したそうである。

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先日の統幕長による他国軍と共同のミャンマーに対する非難声明についてお伺いします。専門家の方からですね、自衛隊法の61条の政治的行為に当たるのではないかという指摘も出ています。https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2021/0402a.html 

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 これに対して岸大臣が「本共同声明は、隊員個人としての行為ではなくて、関係部局と調整した上で、私の了解を得て発出されたものでありまして、統幕長名義ではありましたけれども、防衛省組織として意見を発出したものであります。従いまして、隊員個人の行う「政治的行為の制限」について定めたこの隊法61条には該当しないとこういうことであります。」と丁寧に答えた。

 これは先日、私が「日本を裏切ったのがミン・アウン・フラインである」という題名で書いた文章で扱った件だ。https://agora-web.jp/archives/2050824.html 「民間人に対する軍事力の行使を非難する。およそプロフェッショナルな軍隊(professional military)は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する。」という内容の12カ国共同声明に、統合幕僚長山崎幸二陸将が参加した件だ。

 そもそも私がこの文章を書いたのは、どうせこの種の質の悪い謎の匿名の名無しの「専門家」みたいなのが現れるだろうと思い、先回りしたかったからであった。案の定と言ってもいい。

 岸大臣が答えたように、シビリアン・コントロールがとられていることや政府としての協議体制がとられたことは、防衛省の公式ホームページに日本語の声明説明文が掲載されたことや、外務省が同日に内容を補強する声明を出したことで明らかだった。私が紹介した通りである。

 しかしそういう手続き論を離れて、実質内容を見るならば、2日金曜のやりとりに、日本の病理が如実に示されているように感じる。

 もし「自衛隊は民間人を撃つのが国際基準に合致していると思うか」と質問されたとき、自衛隊員が「それはわからない!絶対に答えない!」と言うのであれば、日本の「専門家」は、拍手喝さいして喜ぶつもりなのだろうか。それが日本が誇る「専門家」という存在なのか。

 そんなものが「専門家」なら、そんな「専門家」などいらない。百害あって一利なしである。

 新型コロナでも自称・他称・通称・匿名の無数の「専門家」が徘徊した。なぜその人たちが「専門家」かと言うと、「俺は専門家だ!だから黙って俺の言うことを聞け!」と主張する人たちだから、「専門家」と呼ばれているだけである。

 そこに日頃からイデオロギー闘争に明け暮れているジャーナリストたちが、相乗りする。「おい、お前ら黙れ!『専門家』がこう言っているんだ!」と主張したいがゆえに、都合のいい「専門家」を見つけるか、見つけられなければ都合よく適当に「専門家」を作りだし、自己の主張の代弁をさせる。

 だから荒唐無稽な主張をするだけで責任をとることもしない「専門家」どころか、匿名の即席「専門家」まで大量生産されて、日本を徘徊するようになってしまった。

 今の日本で「専門家」ほどあてにならないものはない。ひどい世の中になってしまった。

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