「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2021年12月

感染状況が良好な時期にオミクロン株の発見の報を受けた日本は、外国人の入国禁止措置を導入した。現在でも続けている。類似した対応をとった諸国は、あくまでも一時的な措置だったという認識で、解除をし始めている。だが現代の「鎖国」政策で内閣支持率の上昇を勝ち取った岸田首相は、「やり過ぎ」くらいの対応をとる方針を打ち出しており、次の展開への示唆はまだ示していない。

残念ながら、この「やり過ぎ」路線は、作戦行動の目標設定としては、明晰だとは言えない。疲弊している日本社会に対するリスクの評価をへたうえでの目標の設定であるのか、議論が煮詰まっていない。あるいは議論がタブー視されて、回避されている。

「やり過ぎ」路線は、まず国土交通省による航空会社に対する航空券の新規予約の停止要請という形での日本人の帰国禁止措置を生み出した。これは「やり過ぎ」批判を受けて、後に首相の指示で撤回された。

「やり過ぎ」路線は、次に文部科学省による「濃厚接触者」の共通試験受験禁止の通達を生み出した。これは「やり過ぎ」批判を受けて、後に首相の指示で撤回された。

「通達行政」に慣れきっている中央省庁の官僚群にとっては、「やり過ぎ」路線が、実際にはどこに落としどころを見出すべきものなのか、むしろ判断するのが難しいのだろう。

厚生労働省は、客観的に感染予防策の対象であると言える「陽性者」とは別に、「(いわゆる)濃厚接触者」という日本独自の概念を操作して様々な行政措置を運用している。さらに濃厚接触者に準ずる「(いわゆる)接触者」というカテゴリーも新たに行政判断で作り出して、さらなる行政措置をとる根拠にするつもりだという。「濃厚接触者」は、かつて陽性者と同じ飛行機に乗り合わせた全乗客と定義されていた。しかし「受験における不利益」という一般の国民にもわかりやすい別の問題で足を取られてしまったので、機内における前後二列の乗客だけだと定義し直した。そこで今度は、いわば準濃厚接触者というべき新たな行政概念を作り出して「やり過ぎ」路線の継続を図ることになった。

このような混乱を見せている「やり過ぎ」路線の政策は、新型コロナ危機初期段階の2020年2月からの「日本モデル」路線の新型コロナ対策からの大きな転換になる可能性がある。政府分科会の尾身茂会長らは、オミクロン感染者全員を入院させる方針を転換させる必要性を政府に提言した。「やり過ぎ」対応は、現場に大きな負担を強いる。昨年の2月下旬に、尾身・現分科会会長や押谷・東北大教授からなる政府専門家会議が「ゼロ・コロナ」の不可能をいち早く洞察したうえで、限界のある医療資源の有効活用をふまえた方針を打ち出したことによって、日本の新型コロナ対策は一つの方向性を見出すことができていた。https://agora-web.jp/archives/2046271.html だが今、従来の政策体系と「ゼロ・オミクロン」政策との関係が不明になり始めている。

「ゼロ・オミクロン」政策は、岸田政権関係者に、政権浮揚策として必須だと考えられているようだ。新規陽性者数の減少は、社会経済活動の平常化にとって、大きな意味を持っている。緊急事態宣言の再来は、誰も望んでいないのは確かだ。私も決してそのことを否定しない。だが、しょせんは「ゼロ」は不可能である。「ゼロ・オミクロン」政策は、潜在的には近い将来に政策の方向性を見失いかねない大きなリスクも抱えていることは、冷静に認識しておくべきだ。

「鎖国」政策は、オミクロン株の実態の解明と対応策の充実を図るまでの時限付き措置だとも説明されている。だが日本国民の誰も、対応策なるものが、いつ、どのように、確保されるのか、わかっていない。現実的な目標の感覚を見いだせないまま、「やり過ぎ」指示だけを受けている状態なのである。

日本は、「鎖国」の社会実験を行ったことがある特異な国だ。言うまでもなく江戸時代のことだが、第二次世界大戦後の占領期などもある種の「鎖国」体制だったと言える。「鎖国」時期に、日本は中央集権体制を固め、内需主導の経済体制の基盤を固めた。ただし江戸時代ですら、当初は人口は拡大し続けていたし、停滞し始めた後も、ほとんど減少しなかった。第二次世界大戦後の日本でも、人口は拡大し続けていたし、占領軍という外部世界とのチャンネルもあった。そもそも「鎖国」は、戦国時代や軍国主義の「やり過ぎ」を緩和するために導入された措置だった。短期的には、内政基盤を固めて内需拡大を図る効果を発したが、長期的には、世界の最新動向からは取り残されてキャッチアップしかできない国を作り出した。

急激な人口減少と少子高齢化の中で、オンラインでの接点を頼りにして、高齢者を守るために「鎖国」体制をとっている点で、現代日本が直面している課題は、新しい。これは恐らく、ほとんどの日本人が感じている以上に深刻で長期的な影響を、日本社会の未来にもたらすだろう。

この状況で特にいっそう陰鬱な気持ちになるのは、現役世代や若者世代に感謝すべき立場にあるはずの日本の高齢者層が、どさくさ紛れに、むしろ苦情や説教ばかりを垂れ流しているのを見るときだ。

国際政治学者にとっては、不遇の時代だ。有為な若者たちとともに、個々人のレベルで、生き残る術を考えなければならない時期に来ていると痛感している。

もっとも国家の政策は、また別の次元で存在している。「鎖国」したいなら、それでもいい。本当に必要なのは、ではそれでどうするのか、というビジョンを持つことだ。その課題から逃げることは、許されない。

オミクロン株の発見で「全世界の全外国人の入国拒否」の措置が導入された。大学では滞留していた国費留学生の来日が開始されていたところだった。その他の分野でも、煩雑な手続きをへて不可欠の招聘をアレンジしていた関係者は落胆するとともに、対応策に追われているところだろう。

岸田首相によれば、オミクロン株の正体が不明であるために、予防的措置として1か月の時限的措置として導入したものだという。私としては、この緊急措置が1カ月で終わることを祈っている。

日本の「水際対策」は、どうも評判が良くないようだ。「デルタ株の際の水際対策の不手際が感染拡大を許した」という定説になっている。確かに2020年初めの新型コロナの蔓延初期において、日本の入国管理は、他国に比して後手後手ではあった。本格的な入国規制を導入してみると、通常の人員体制では全く作業が追い付かなかったために、20203月下旬から数か月にわたって成田空港などにおける検疫体制の管理に自衛隊が派遣されたこともあった。

それから一年半以上の月日が流れている。私は新型コロナ蔓延の初期段階から人の移動の回復を図るために、空港税の大幅な増額などを視野に入れても、検疫体制の強化を図るべきだ、と書いてきている。https://agora-web.jp/archives/2046078.html 

現在の日本の検疫システムは、既存の施設をやりくりさせ、外注企業の人員を動員して、何とか回している。そのため一日あたりの受け入れ人数に上限を設けざるを得ない。今回の措置を契機にして、あらためて検疫体制の充実を考えていくことは、段階的に人の移動を回復させていくためにも重要になってくるだろう。

とにかく徹底して入国を禁止するのが正義だと考えているような鎖国派の方々も目立つが、帰国してくる日本人の入国も禁止するのは、憲法上の人権規定の問題になるし、邦人保護の趣旨からすれば本末転倒な事態だ。それ以前に、入国規制で永遠にウィルスの侵入を防ごうという考えは、新型コロナの感染性を無視した非現実的な考えである。社会経済活動を根本的に阻害させ、しかも不当な偏見も助長させることによって、日本の国力を著しく減退させる自殺的な考えでもある。

入国規制は、一時的な措置にすぎない。体制を整えるための時間稼ぎである。時間稼ぎをしている間に、オミクロン株も視野に入れた検疫体制を整えることが、政策的目標である。

日本への入国者数を段階的に増加させた10月・11月において、日本での新規陽性者数の増加は見られなかった。搭乗前、到着時、そしてその後も強制待機期間中はもちろん自宅待機の場合でも追加的なPCR検査を繰り返し行っていく仕組みは、潜在的な陽性者をあぶりだす厳しい仕組みである。ワクチン接種者にも長期の待機と繰り返しのPCR検査を求める仕組みは、他国と比しても厳格だ。

かつて「全国民に繰り返しPCR検査を」と主張していた方々が、鎖国派になっているのは、辻褄があわない。なぜなら今の仕組みで日本人全員が空港検疫を通過するなら、日本人全員が複数回のPCR検査を受けることになるからだ。

「煽り系の専門家」と結託した反政府系のメディアや言論人が、「人と人との接触を8割削減せよ」、「十分な補償をしてロックダウンせよ」、「数十兆円を投入して全国民PCR検査を繰り返し実施せよ」、「国産ワクチンを早期に開発して迅速に全国民に接種せよ」、と主張したうえで、「オリンピックを中止して外国人の入国を禁止せよ」、と叫んでいた。そして空港で陽性者が見つかったというニュースが出るたびに、「日本の新型コロナ対策は破綻している」、と叫んだ。

しかし結局、オリンピックではクラスターは生まれなかった。その後も外国人や帰国者が起点になったクラスターが生まれたという事件も確認されていない。むしろ陽性者を的確に識別していたのである。日本の検疫システムは、地味ながらも機能している。
 未知のオミクロン株に対して早めの予防措置をとることには妥当性があるとして、それが鎖国こそが正義であるといった破綻した議論につながらないことを祈る。

必要なのは、永遠の外国人撲滅や渡航者狩りの夢想ではなく、優れた検疫体制の確立であり、維持であり、拡大である。

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