「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2022年05月

 ロシア・ウクライナ戦争が長期化してくるにつれて、概念構成をめぐる議論も引き起こされている。この種の深刻な政治問題は、言葉遣いを間違えるだけで、意図せず政治的な立場の表明をしてしまうことになりかねず、慎重さが必要である。

 ウクライナ政府関係者に、ロイターが言葉遣いを添削される場面があった。

 https://twitter.com/OlegNikolenko_/status/1531288473591853057

 確かに、ロシア軍に軍事占領されたヘルソンのことを「親モスクワのヘルソン」などと表記してしまったら、もともと存在していた親露派の勢力が支配的である地域のことかと見間違えてしまう。軍事占領者と被占領者の関係が、占領地域における政治情勢の基本構図だとすると、それを「軍人・市民関係」などと言い換えてしまったら、占領地の実情を無視して中立的な言い方を取り繕っていると批判されるだろう。

 日本の「どっちもどっち」「ロシアにも正義がある」論者の方々にしてみれば、占領を強調するのは、ウクライナ寄りの言い方だ、ということになるかもしれない。しかし表層的な言葉遣いで占領の現実を覆い隠すとしたら、それはもはや「どっちもどっち」ですらなく、単にロシア寄りである。

 面倒なようだが、政治情勢が複雑な地域の状況を、言葉で概念構成していくのは、たやすい作業ではない。それはウクライナだけのことではなく、パレスチナであろうが、アフガニスタンであろうが、エチオピアであろうが、同じである。

 

ロシア・ウクライナ戦争か、ウクライナ戦争か

 

 「ロシア・ウクライナ戦争」という私が使っている表現は、決して私だけが使っているわけでもないが、日本ではあまり多用されていない。「ウクライナ戦争」と表記してしまう場合が、かなり支配的になってきている。英語圏では「Russo Ukraine War」という言い方がより広く用いられている。もっとも、それでも「Ukraine War」と言われてしまうことがあるため、抗議の声が上がっていたりする。

https://twitter.com/Anna_Luky/status/1530246527389679622

 恐らく戦争の実際の戦場がウクライナ領に限定されているため、「ウクライナ戦争」と短くまとめてしまいたい方がいるのだろうが、ロシアの侵略攻撃によって始まった戦争の部分を「ウクライナ戦争」とまとめてしまうのは、かなり思い切った概念設定である。

 最近は主権国家同士の戦争は稀になっているが、近年の代表例としては、「エチオピア・エリトリア戦争」がある。エリトリアがエチオピアから分離独立した直後に発生した国家間紛争であったが、エリトリアが独立国家として存在していることに留意をした、「エチオピア・エリトリア戦争」という言い方が定着している。

 私は世界の大多数を占める内戦を観察していることのほうが多いので、一国の名前だけをとった名称は、内戦向きであるような気がしてならない。「シエラレオネ内戦」「ルワンダ内戦」のようなものが代表例である。

 明らかに国際的な紛争の性格を持っているにもかかわらず、一つの地域の名称だけで戦争が呼称されていることはある。「朝鮮戦争」や「ベトナム戦争」などである。これは戦争の基本構図が、当該地域の複数の勢力の間の敵対関係によって作られている、という理解を示している。内戦に外国勢力が介入してくることは、頻繁にある。それでも基本構図は、当該地域に特化した勢力の間の敵対関係によって作られている、という理解がある場合には、いちいち介入した諸国の名称を並べるようなやり方で戦争を呼称したりはしない。

 国連安保理が発動した集団安全保障の権威を持った多国籍軍がイラクと敵対することを強調する場合に「湾岸戦争」と地域の名称を前面に出した言い方が好まれた場合もある。戦争の基本構図は、国際社会vsイラクだ、という基本理解を意識した名称だろう。

 NATOはボスニア・ヘルツェゴビナやコソボにおける内戦に軍事介入したが、それはあくまでも外部者が軍事制裁を加える意図で介入しているにすぎない、という理解をするのが普通である。そのため「NATO・セルビア戦争」とか「NATO・ユーゴスラビア戦争」などといった言い方はしない。

 アメリカが21世紀に仕掛けた2001年アフガニスタン戦争と、2003年イラク戦争は、「世界的な対テロ戦争(Global War on Terror)」の局地戦と位置付けられ、国際社会全体を代表するアメリカが、ならず者に制裁行為を加えているという図式を表現することを、アメリカ人が好んだ。そのため「米・イラク戦争」といった名称は避けられることになった。しかし03年のイラク戦争は特に、戦争の実態は、国際社会全体が行動しているかのような図式からはかけ離れていた。「米・イラク戦争」と呼ばれるべきものだっただろう。

 今回の「ロシア・ウクライナ戦争」を、「ウクライナ戦争」と言い換えてしまうと、ロシアがウクライナにおける内戦などに介入しているだけだという基本構図を追認している言い方になってしまう。つまりウクライナ政府と、反政府勢力の間の戦いに、ロシアは外部者として介入しているだけだ、という理解を是認しているかのような言い方になってしまう。これはかなりプーチン大統領の世界観にそった理解である。少なくとも「ウクライナ戦争」は、ロシアとウクライナという二つの主権国家を対等に扱わない概念設定である。

 

 「西側」とはどこか

 

 私がもう一つ非常に気になっているのは、「西側」という概念だ。これは英語で「The West」と言われるものに対応している概念だと思われる。だが英語の「West」には、「西洋」といった文明論的な含意が内在しているが、日本語の「西側」の概念にそのような含意はないだろう。「西側」というのは、西の側、ということだから、東の側の反対の側が、「西側」だ。

厄介なのは、日本語においてすら、「西側」の概念を使うのに必須と思われる「東側」の概念が全く使われなくなってしまっていることだ。東側がないのに、西側だけが存在しているという奇妙な事態が生まれているのである。

「西洋」という含意もある「West」は、「West vs. Russia」といった概念図式とともに、用いられる。これによって表現されているのは、ロシアは西洋文明の一部ではない、という突き放した理解である。

実際のところ、EUNATOの拡大によって、制度論的に見て、「東側」は存在せず、「西側」は欧州のほとんどを覆い尽くしている。今回の戦争によって、ウクライナも決定的にロシアから離反した。「ロシア側」に残っているのは、ヨーロッパ大陸では「白ロシア」を意味する言葉を国名に持つベラルーシくらいだ。これではとても広大な「西側」地域に対抗する「東側」を構成しているとは言えない。

あえてその他の親露的な国をあげれば、コーカサスのアルメニアや、中央アジア諸国などの旧ソ連を構成していた地域の諸国だけである。ロシアでは伝統的に「ユーラシア主義」の思想があるが、ロシアの影響圏は、「東側」というよりも、せいぜい「ユーラシア」の中央部に存在しているだけだ。それがEUが代表する「欧州」や、NATOが象徴する「西洋」と対峙している。

こうした実態を度外視して、「西側」という冷戦時代から続く概念を、無自覚的に使い続けていていいのだろうか。「西側」に対峙するロシア、といった概念構成をしてしまうので、あたかもロシアが一つの陣営を率いているかのような錯覚にとらわれ、「西側とロシア」が手打ちをすると戦争が終わる、と考えてしまう人々が後を絶たないのではないか。

概念構成は、学者的な話だが、社会科学の分野では、学者だけで決めていけるわけでもない。社会的な認知が必要だからだ。

この機会に、日本人も、高度に政治的な状況においては、言葉の選択も高度に政治的になる、ということについて、感覚を養っておいたほうがいいように思う。

 

 527日衆議院予算委員会で、足立康史(日本維新の会)衆議院議員が、憲法9条に関する「芦田修正」について質問をした。政府はなぜ「芦田修正」を採用しないのか、というものであった。その含意は、日本維新の会は、既存の憲法解釈にとらわれず「芦田修正」の採用に関心を持つ、というものだった。

 これに対する岸防衛大臣と岸田首相の回答は、「芦田修正は、自衛のための武力行使を無制限と解するものだが、これは政府の憲法解釈とは一致しない」、というものだった。

 これに先立って519日、衆議院憲法審査会で、やはり足立議員が「芦田修正」を認めてはいけないのか、という意見を述べた。これに対して国民民主党の玉木雄一郎代表が、「もし92項の冒頭に『の』も入っていて『前項の目的を達するための』になっていたら意味が変わっていたが、そうではないので政府の説が正しい」、といった、公務員試験対策で使った憲法学の教科書を読み直して答えています、といった雰囲気の恐ろしくスケールの小さいやり取りがあった。https://www.youtube.com/watch?v=EtjRJT22tKE&feature=youtu.be 

 残念である。

 憲法改正の議論がこうした隘路に陥っているのを見るのは、本当に残念である。

 芦田修正に関する私の指摘は、拙著『憲法学の病』41頁前後や、203頁以降「9.本当の芦田修正」章などで書いてきたし、ネット上でも『アゴラ』さんを通じて記録に残っている。https://agora-web.jp/archives/2031014.html

 正直、何度書いても、「公務員試験と司法試験を牛耳っている憲法学者の教科書が全てです、この世で価値があるのは公務員試験と司法試験を牛耳っている憲法学者だけです、それ以外の人物の憲法解釈は無価値です」、と頑なに信じ続けている人には全く響かないのだろう。そう思うと、あらためて書くのも徒労感がないわけではない。が、重要ではある。一応、整理の意味で、書いておく。

 

1.「芦田修正」なるものは存在しない、それは憲法学者の陰謀の所産である

 

 憲法学者の教科書を読むと、芦田均・憲法改正小委員会の委員長が、日本国憲法案を審議していた際、裏口からの憲法改正を試みて91項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という文言を挿入し、92項冒頭に「前項の目的を達するため、」という文言を挿入した、という説明に出くわす。憲法学通説は、「しかし芦田の試みは失敗した、挿入の仕方が下手くそだったので、9条の趣旨を変えることができなかった」、と結論づける。改憲論者を挫く結論を強調するために、憲法学通説が「芦田修正」という概念を作り出したのである。

 芦田均自身が、「芦田修正」について語ったことはない。芦田自身が、憲法学者が言っているような意図を持って修正を行った、という説明をしたことはない。全ては憲法9条解釈を有利に運ぶために、面倒な文言については「姑息な芦田が挿入した陰謀の試みだが失敗したので、異質なものに見える文言は全て無視して憲法学者の教科書の記述だけを信じてください」、といった結論を主張するために、憲法学通説が作り出した物語でしかないのである。

 

2.「芦田修正」と言われているものは憲法の趣旨の明確化

 

 それでは「芦田修正」と呼ばれ、憲法学者たちによって「通説から見ると異質なものに見えるが芦田の陰謀の失敗の記録でしかないので、無視してください」という扱いを受けている91項・2項の冒頭の文言は、何を示しているのか。

 前文を読んで、9条を読んでほしい、ということである。現在の9条は、GHQ草案では1条だった。9条は、前文と連動性が高い内容を持っている。GHQ内では、そもそも9条を前文の一部とするべきではないかという議論もあった。一つの条文として成立したのは、具体的な法的拘束力を示すために条文化しておくべきだ、という判断によるものだった。しかしいずれにせよ、いわば前文の内容をまとめて、条文化したのが、現在の9条である。

 9条が1条ではなくなったのは、大日本帝国憲法改正手続きをへて新憲法が制定される過程において、大日本帝国憲法と同じように天皇に関する規定が「第1章」を構成すべきだということになったからである。その結果、「第2章」は短文の9条だけによって構成されるという歪な構造が生まれた。

 芦田が懸念したのは、この措置によって、前文と9条の連動性が見えにくくなってしまうことだった。そこであらためて前文の内容を短く要約する形で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という文言を挿入したのだった。前文で謳われている国際協調主義の精神があり、9条がある。戦争に負けて一方的に武力を奪われるのが9条の内容ではない。9条が宣言しているのは、日本は国際法を遵守していく、ということである、というのが、芦田が明確にしたかったことであった。

 つまり芦田は、前文から謳われている日本国憲法の論理構成の中で9条があり、その精神は国際協調主義である、という点に誤解の余地がないようにしておきたかっただけだった。

芦田均は、外交官出身の国際派で知られた政治家であった。不戦条約に至る「国際法の構造転換」にも詳しかった。そのためGHQ憲法草案を正確に読んだ。ただ、残念ながら、プロイセン憲法を模した大日本帝国憲法とドイツ国法学の概念構成に浸りきっていた憲法学者たちやその弟子である内閣法制局の面々は、そのように憲法を読むことができなかった。そのため国際法のロジックを憲法に持ち込むことそれ自体をクーデター行為であるかのようにみなした。

 そこで憲法学者たちは、憲法成立後に、「そうではない、前文が何を言っていようとも、9条は非武装中立の条項であり、たとえ国際法規範から逸脱してでも、決して武力を持たないという意味の規定だ」、と主張するようになった。意味を明確にしようとする芦田の意図は否定され、「芦田こそが憲法の意味を変えようとした姑息な陰謀論者だ」といった憲法学者の主張の方が社会を覆うようになった。東大法学部の必修授業や、公務員試験や、司法試験を通過してきた国会議員も、洗脳されるのが当然のこととなった。

 

3.国際法にそった自衛権の行使は無制限ではない

 

 国際法における自衛権の行使には、必要性の原則と、均衡性の原則という二つの制約がかかる。これは国連憲章51条が自衛権を創設したのではなく、1945年以前から慣習国際法の中に自衛権が存在していたために成立している事情で、この理解を認めていない国は存在しない。

 国際法を遵守する立場から9条が作られていることを確認しようとした芦田の試みが、「無制限の自衛権の行使」を志向するものであった、という現在の日本政府の理解には、全く歴史的な根拠がない。芦田の理解としては、間違いである。

政府が国会答弁で使っている「芦田修正」の理解は、「芦田は姑息な方法で憲法の内容を変えようとしたが失敗した人物である、という憲法学者が作り出した陰謀論的な物語」の説明でしかない。実際の芦田とは関係がない。単なる憲法学通説の陰謀論の物語でしかないのである。

日本政府は、「芦田修正をとらず、憲法は必要最小限の実力行使だけを認めていると解釈する立場」を採用しているという。ここに全ての不幸がある。最初から芦田にならって、「日本国は国際協調主義の立場から国際法を遵守する、したがって国際法にそって必要性と均衡性の原則にそって自衛権を行使する」、と説明できていれば、70年以上にわたる大混乱を防ぐことができた。

今になってまで日本人は、「われわれが作り出した『必要最小限の実力行使』という謎の概念の本当の意味は何か」といった頓珍漢な問いと格闘している。1945年の芦田の方が答えをよく知っていた。それは「国際法が定める必要性と均衡性の原則に沿った自衛権の行使」でしかないのである。

しかし「芦田やら篠田やらなどは絶対に認めない、重要なのは東大法学部の必修単位と、公務員試験と司法試験を誰が牛耳っている憲法学者であるかどうか、それだけだ」という立場に頑なに固執し続ける国会議員の先生方は、どこまでも果てしなく的外れな謎々を続けていくつもりだということなので、本当に残念でならない。

 

4.「自衛戦争」は国際法の用語ではなく、大日本帝国の用語

 

 混乱は、戦前の大日本帝国憲法時代に確立された概念構成に、日本の憲法学がとらわれすぎ、未だにそこから(イデオロギー的事情もあって)脱却できないことである。

 それを象徴するのが、「自衛戦争」という概念である。しばしば「芦田修正は自衛戦争を肯定するもの」と説明される。だがこれは日本国憲法の趣旨をいたずらに混乱させる説明でしかない。なぜなら「自衛戦争」なる概念は、国際法には存在しない概念だからだ。「自衛戦争」は、戦前の大日本帝国憲法時代の日本で、不戦条約を締結したにもかかわらず満州事変を起こしてしまったとき、「統帥権」などの天皇大権を理由に正当化を図ろうとした際に日本人が勝手に作り出した概念でしかない。

 「自衛戦争」という概念それ自体が、反国際法的なものである。したがって「自衛戦争を合憲ととらえるか否か、答えよ」という問いを設定する時点で、「まずは国際法の枠組みは否定する立場をとったうえで、この質問に答えよ」という前提を強いているのである。問いを発している時点で、国際法を尊重する国際協調主義を標榜する日本国憲法を真っ向から否定することを強いる問いなのである。

第一次世界大戦後に成立した1919年国際連盟規約が「戦争(war)」を違法とする新しい国際法の仕組みを導入した。1928年不戦条約は、その「国際法の構造転換」をさらに強化した。日本国憲法成立前にすでに存在していた1945年国連憲章も、「戦争」を違法とする国際法を強化するものとして導入された。世界の誰も国際法を議論する場で、国際社会の規範原則を前提とする外交の場で、「合法的な戦争はありうるか」、などといった問いは発しない。なぜなら国際法において「戦争」は違法だと決まっているからである。

「自衛権の行使」は、この違法化された国際法上の「戦争」とは区別される。それは違法化された戦争に対する合法的な対抗措置のことである。

戦争は全て違法であり、侵略(aggression)行為のことである。ただし、戦争を違法化しただけで、無法者が違法行為である戦争に訴えることを止められるわけではない。違法行為である戦争を抑止するための制度が必要である。国内社会では、犯罪に対して対抗措置をとるのは、警察官などの国家機構だけだと定められている。しかし国際社会には、世界警察も世界政府もない。そこで別の形での違法行為に対する対抗措置が必要になる。それが国際法が定める自衛権であり、集団安全保障である。これらの対抗措置の制度がなければ、現実には無法者が違法な戦争に訴えても、それを止める手段もなく、戦争違法化は、絵に描いた餅になってしまう。

自衛権の行使とは、違法行為に対する対抗措置である。それを何とかして「自衛戦争」だとかなんとか大日本帝国憲法時代に作られた怪しい謎概念で言い換えようとする必要はない。素直に、端的に、自衛権の行使とは、違法行為に対する対抗措置である、とだけ言えばいい。そして、素直に、端的に、そこに必要性の原則と均衡性の原則という制約がかかることを述べればいい。

そのときにわざと「さあこの国際法上の自衛権と、『自衛戦争』とか『必要最小限の実力』などの国際法には存在しない日本人が勝手に作り出した概念との関係はどうなっているでしょうか?」と問うたところで、誰も正確に答えられないのは当然だ。問いが間違っているのである。

「国際法学など無視したい、国際法の概念構成など使いたくない、東大法学部の必修授業と公務員試験と司法試験を牛耳っている憲法学者だけが偉い、それだけだ」という怪しい習慣から抜け出る覚悟さえ定めれば、それでいいのである。日本国憲法の解釈も、ただそれだけで、全ての謎がなくなるのである。

 

5.真の「芦田修正」は国際法尊重主義

 

「芦田修正」について、まとめよう。芦田が行った修正は、前文と9条の連動性を明確にして、憲法の国際協調主義の立場から、9条が成立していることを明らかにするものだった。982項でも国際法の遵守を謳う日本国憲法は、「自衛権は無制限」などと主張するものでも、「自衛戦争なら合憲」と主張するものでもなく、「必要性の原則と均衡性の原則にそった国際法上の自衛権の行使」だけを認めている。憲法を起草したマッカーサーやGHQ関係者は、そのように考えていた。国際法に明るかった芦田均もそう考えた。「真の芦田修正」も、当然そのことを明確にする意図を持ったものだった。

 

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 ロシア・ウクライナ戦争をめぐり、逆張りをかける親露派の方々は劣勢だが、鼻息は荒い。プーチン大統領の蛮行を目のあたりにしてもなお意気消沈せず親露的な言説を繰り返すのは、一部では政治的画策ではないかという憶測すら生んでいる。

橋下徹氏のように、憲法学通説を思想基盤にしている弱点が、外交安全保障政策では如実に露呈してしまう場合もある。https://agora-web.jp/archives/2056039.html さらに言えば、私の見立てでは、日本の高齢者層に根強い反米主義のイデオロギー的感情が、親露的スタンスを取りたくなってしまう一つの大きな心理的な要因として働いているようにも見える。

NATO東方拡大をめぐる議論は、反米主義的な感情に訴えるわかりやすいテーマだ。たとえば、NATO東方拡大に批判的なジョン・ミアシャイマーは、親露派のヒーローどころか、戦争を仕組んだのはアメリカだといった陰謀論者にまで英雄視されている。ミアシャイマーは第一級の理論家であることに疑いはないが、それだけに親露派や陰謀論者によって政治利用されてしまっている現状は、由々しき事態である。ミアシャイマーは「攻撃的リアリズム」という彼独特の理論的立場から提示できる洞察を明確に論じている。そうした背景を無視して、ミアシャイマーは歴史の真実を知っている賢者だ、といった話に持ち込もうとするのは、あまりに非生産的である。https://www.fsight.jp/articles/-/48809

大きな政策テーマについて、賛否両論を見たうえで、さらなる議論を喚起したりするのは、もちろん歓迎されるべきだろう。しかし問題を矮小化させたうえで、単なる印象操作の羅列をするような試みには、弊害が大きいと感じざるを得ない。

八幡和郎氏の「クリントンが戦争覚悟でNATO拡大と開き直り」という題名の53日付の文章を見た。ビル・クリントン元大統領が、『The Atlantic』に寄稿した論文を題材にしたものだが、「開き直り」という言葉が、クリントン論文のどこから出てきたのか、首をかしげざるを得ない。
 八幡氏にとっては、NATO東方拡大がウクライナにおける戦争の原因であることは既に確定済の事実なので、それに反する意見は全て「開き直り」にすぎない、という印象を作り出したいようだ。だが実際には、依然として外交専門家の間ではNATO東方拡大擁護派が大勢を占めている。ミアシャイマーのような有力な批判者もいるが、全体としてはまだ異端である。異端だから間違っているとは言えないのは当然だが、異端の立場をとらないと「開き直り」になるというのも、おかしな話である。https://agora-web.jp/archives/2056176.html 

クリントン論文は、47日に公表されたもので、どちらかというと目新しい内容ではない。https://www.theatlantic.com/ideas/archive/2022/04/bill-clinton-nato-expansion-ukraine/629499/?fbclid=IwAR3dq7VgNvP9TZ13yKel8v1OSTCMKt-I-epTQ1KNeB1hZoEHo1d8Qiqvrt0 八幡氏は「ショッキング」な内容だなどと盛り上げているが、全くそのようなものではない。1990年代に8年間にわたって大統領を務めたビル・クリントンは、NATO東方拡大が大きな政策課題として議論されていた時期の米国の最終政策決定者だった。この論文でクリントンは、両論併記の形で政策決定時に考慮した意見を振り返りつつ、なぜ、どのように、彼がNATO東方拡大に舵を切る判断をしたのか、をあらためて説明した。論旨は明快だが、クリントンらしいバランス感覚も盛り込まれた論文だ。

ところが八幡氏は、クリントン氏が両論併記の形で紹介している様々な意見のうち、NATO東方拡大警戒論者の意見だけを取り上げたうえで、「専門家の忠告を承知の上で、ロシアがアメリカにとって都合のよい国にならなかったら、最初から戦争になっても仕方ないと考えていたと言明している」という理由で、クリントン氏を糾弾する。しかし、実際のクリントン論文には、全くそのような描写に適合する文章が見つからないので、極めて奇異な描写だ。

八幡氏は、クリントン論文の文章を、その文意から切り離したうえで、意味不明瞭な歴史比喩を繰り返すことによって、何かを論駁したような印象を作り出そうと試みる。例えば以下のような文章が一例である。

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その米国の意に沿わないロシアというのがどんな国かといえば、「天然資源を糧とし、強い権威主義的な政府と強力な軍隊」の国であり、それを「18世紀的な帝国」というのだが、アメリカこそ「天然資源を糧とし、世界最強の権限を与えられた大統領に率いられる強い権威主義的な政府と強力な軍隊」を持つ帝国である。

たしかに、18世紀にアメリカはイギリスという帝国の軛から解放されようとして、独立戦争をフランス帝国の支援を受けて戦ったのだが、連邦重視主義のハミルトンと地方分権主義のジェファーソンの論争で前者が勝利し、モンロー・ドクトリンを打ちだし、新大陸を大陸諸国の干渉を許さない勢力圏とし、やがて太平洋も自分の海と位置づけて日本と戦ったのであるから、まったく英仏独露などと同じ18世紀的帝国なのである。

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クリントンのNATO東方拡大の決定は、アメリカが18世紀に一つの帝国だった、という八幡氏独特の歴史観によって否定されることになるらしいが、全く意味不明である。

もちろん、アメリカは自己反省のない国だ!、ということを言いたいのだろうという感情論だけは痛いほど伝わってくる。しかし、アメリカが「18世紀的帝国」であるというテーゼが、冷戦終焉後のNATO東方拡大とどのように論理的につながるのか、八幡氏は全く説明しようともしない。そもそもロシアの話をしている時にいきなり話題を変えて、「アメリカだって」を延々と繰り返し、「ロシアの話などするな、ロシアの話をするなんて、クリントンは開き直っている」といった態度をとることに、一体何の意味があるのかも、不明だ。さらに加えて言えば、アメリカが18世紀に一つの「帝国」だったなどという歴史観は、どう考えても破綻した歴史観だ。説明不要な歴史的真実だ、といった態度をとれるような断言ではない。

八幡氏は上記の引用文の後、クリントン論文の「ピョートル大帝やエカテリーナ2世」への言及を取り上げたうえで、延々とピョートル大帝は「米国史ならセオドア・ルーズベルトに当たる」とか、「リンカーンも同様」といった独自の歴史観、というか的を得ない歴史比喩を羅列する。八幡氏は、それをもって「民族の統一を回復するとか、分裂した民族を統一し、強力な国家を建設することが18世紀的な帝国主義だとは暴論」と述べ、さらに「それなら、リシュリューやルイ14世もビスマルクもコール首相もそうだろうし、明治維新や辛亥革命でも同様だし、仏独伊が連合を組んでカール大帝の帝国を再現しようという欧州統合だって否定されるべきものになる」といった謎の議論を発展させている。

百歩譲って、万が一仮に、八幡氏の歴史記述が妥当性を持っているとして、これらの比喩はクリントン論文とは全く関わりがない。クリントン論文が、ロシアの「18世紀的帝国」の概念に言及したのは、1990年代にクリントン氏が直面した問いが、ロシアは再び拡張主義的政策を採るか、というものだった、という説明においてである。ロシアが拡張主義を再開すれば、必ず、共産主義政権の支配から脱し、NATO陣営への加入を望む東欧諸国と軋轢を生む。もしその可能性があるとしたら、将来の軋轢をどうやって防ぐか、が欧州に同盟国網を持つアメリカにとっても大きな問いになる、という説明において、クリントン氏はロシアの歴史的傾向についてふれただけだ。(「My policy was to work for the best while preparing for the worst. I was worried not about a Russian return to communism, but about a return to ultranationalism, replacing democracy and cooperation with aspirations to empire, like Peter the Great and Catherine the Great. I didn’t believe Yeltsin would do that, but who knew what would come after him?」)

八幡氏は、この後、「賢人たちはNATO拡大がロシアの暴発を生むと予言していた」という話を延々と続けていくが、これはクリントン論文への批判にならない。クリントン氏の議論を論理的に批判するためには、「NATOが東方拡大しなかったらプーチン大統領が拡張政策をとることはなかった」ということを証明しなければならない。なぜならクリントン氏は、NATOが拡大しなくてもロシアが拡張主義をとって軋轢を生む可能性を考慮して、NATO東方拡大の政策決定を行ったからだ。八幡氏は、印象操作のみに終始するが、基本的にクリントン論文を読まず、ただ単語レベルで歴史比喩の連想ゲームのようなことをしているだけに過ぎない。

私自身は、NATO東方拡大は正しかったと考えている。それはロシア・ウクライナ戦争で証明された、と考えている。クリントン大統領は、ロシアの拡張政策によって、東欧全域が不安定化する将来の危険を取り除くために、NATO東方拡大に踏み切った。2022年現在、NATO構成諸国がウクライナに強力な武器支援を提供している公の事実に直面しても、なおプーチン大統領といえどもNATO構成諸国に手を出せない。クリントン大統領がNATO東方拡大によって達成しようとした目標は、達成されている。

論点は、ウクライナのような事実上の緩衝地帯とみなされた旧ソ連構成の新興独立諸国群の安定が達成されていないことだ。ただし、ウクライナにNATOを拡大させる判断は遂になされなかったわけなので、ウクライナにおける戦争によってNATOが抑止に失敗したと論じるのは間違いである。「緩衝地帯」の防衛を試みることなく、NATOは自らの領域の安定だけを図っている、と言うのであれば、まだわかる。
 さらに踏み込んで、「緩衝地帯」であるウクライナがロシアの「影響圏」であることを認めて冷戦型の安全保障体制の継続を目指したほうが、ウクライナも、他の東欧諸国も、今よりも一層安定したと言えるのかどうかは、「歴史のif」のような話である。ただし疑うに足る十分な理由がある。ウクライナの人びとが既に弱体化して帝国の実態すら伴っていない「ロシアの影響圏」で衛星国扱いされることに満足し続けるはずはなく、それは他の東欧諸国の人びとも同様だ。しかしロシアの国境を越えた野心は実在する。軋轢は不可避であったと考えざるを得ない。その状況認識にそって、NATO東方拡大は、旧ソ連構成国までを安定させることはできなかったが、旧ワルシャワ条約機構に属していた旧ソ連以外の東欧諸国を安定化させることには成功している。ウクライナを守り切ることができなかったことは残念ではあるが、それはNATOの実力の限界の見極めどころの問題であり、NATO東方拡大の失敗の話にはならない。

ソ連という帝国の崩壊に伴って発生した巨大な政治変動の余波を、われわれはまだ体験している。NATO東方拡大は、ソ連という帝国の崩壊に対応して導入された政策である。NATO東方拡大が、何も問題がなかったところに新たな問題を作り出した、という議論は、まだ十分な証明がなされていない。基本的には、問題の発端は、ソ連の崩壊とそれを継承したロシアの位置づけであり、NATO東方拡大は、その問題に対応するために導入された措置でしかない。

もちろん、このように言うことによって、私はNATO東方拡大に有力な批判者がいることを無視しようとは思わないし、究極的には、どこまでいっても「歴史のif」に対して完璧な解答が証明されることはない、とも思っている。

しかしだからこそ、八幡氏のような印象操作だけに終始した態度に、私のような国際政治学者が納得することはない。ただ、むしろ八幡氏のような態度は、極めて非生産的であると感じるだけである。

 

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