「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2022年07月

 ロシア・ウクライナ戦争の行方について、防衛研究所の千々和泰明氏との対談とそれを補強する内容の記事を『フォーサイト』さんに掲載していただいた。https://www.fsight.jp/search/author/%25%E7%AF%A0%E7%94%B0%E8%8B%B1%E6%9C%97%25

 これらの内容は、私の「お土産論」者に対する批判の説明でもある。「お土産」論者の中には、鈴木宗男氏や東郷和彦氏のように、終始一貫して「親露派」としての立場を崩していないがゆえに、ウクライナの全面譲歩を要請し続けている方々もいる。https://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

だが、たとえばキッシンジャー元米国国務長官のダボス会議での発言を「ウクライナに領土の割譲を求めたものだ」と断定し、「キッシンジャーのような偉い学者も領土の割譲を求めているのだ、ウクライナ人はキッシンジャーのような偉い学者の言うことを聞いて早く領土をロシアに渡して戦争を終結させろ」といった趣旨のことを公に発言してきた方々も、広い意味での「お土産」論者であると言える。

これらの「お土産」論者がキッシンジャーを誤読していることは、私が繰り返し指摘していたことだが、キッシンジャー自身も、「自分はそんなことは言わなかった」、「ウクライナは領土を割譲すべきではない」と述べて、予測していなかった「お土産」論者たちの自分の発言に対する誤解への訂正を求めている。https://news.yahoo.co.jp/articles/e4ce2b8858140be11cba2a35d83c7e82315a639f

なぜ「お土産」論者は、キッシンジャーを誤解してしまうのか?

ウクライナ情勢に即した形では、私の『フォーサイト』論考を読んでいただきたいわけだが、いずれにせよ日本の「お花畑」思考の限界が露呈していることは、言うまでもない。

「お花畑」思考者は、戦争の調停は、日本のような善良な第三者が誠意をもって紛争当事者に妥協を説得することによって達成される、などと思い込んでいるのである。

そのため「日本は善良な第三者として汗をかけ」、「ウクライナは妥協せよ」、「アメリカは世界支配を諦めろ」といった恐ろしく感情的な主張をしてしまう。開戦初期に見られた橋下徹氏のような「ウクライナは降伏せよ、降伏を要請しない者は全て『戦う一択』論者だ」といった乱雑な主張も出てくる。

しかし、戦争の開始がそうであるように、戦争の終結も、死活的な利益の計算によって初めて成り立つ。善良な第三者の口八丁手八丁の美辞麗句で、「ウクライナ人よ、プーチンが嘘をついているとわかっていても騙されてくれ、もう俺は日本のテレビのお茶の間で戦争のニュースを見るのは嫌なんだ」、といった説得に応じることは、紛争当事者にはできない。

戦争の原因は、多岐にわたる。政治指導者の思想や人間性も大きな要素だし、紛争当事国の歪な国家構造も重大な戦争要因だ。ただし外部者が一番考えなければならないのは、国際システムのレベルでの紛争原因の改善である。それを考えることなしに、ただ「ウクライナ人よ、プーチンに騙されてくれ」と説得しようとしても、単なる身勝手でしかない。

ウクライナは、国際的な安全保障システムに全く加わることができず、「力の空白」の状態に置かれ続け、ロシアの侵略を受けた。この状態を改善するためには、国際的な安全保障の傘をウクライナに対して提供することが、どうしても必要である。

換言すると、ウクライナが今はまだ戦争を止めることができないのは、国際的な支援を動員してロシアの脅威に対抗する実力を持っていることを見せつける必要があるからである。そうしないと将来の脅威の増大を防ぐことができない。

ウクライナは長く「緩衝地帯」であるとみなされてきたが、その状態を復活させることは、ほぼ不可能である。そうであるとすれば、ウクライナをカバーする形での積極的な国際安全保障体制が構築されなければならない。ただしウクライナのNATO加盟は、少なくとも早期の加盟は、現実的ではない。そこで代替となる国際安全保障体制が必要となる。マクロン大統領が述べている「欧州の新しい政治共同体」は、NATOでもEUでもない形で、ウクライナの安全保障を支える制度的枠組みが必要だ、という趣旨だろう。

キッシンジャーが「正統性と均衡」を語るとき、意味しているのは、「お土産と妥協」ではない。国際秩序を再構築するために、「正統性」の原則を維持しつつ、力の「均衡」によって国際秩序を支える体制を作らなければならない、ということである。

より具体的には、ウクライナを取り込んだ新しい国際安全保障の仕組みが、「正統性と均衡」の再構築を通じた国際秩序の維持にとってのカギになるだろう。

日本では、イジメの報告を受けると、被害者に泣き寝入りを強要するような解決策を求める「大人」たちが後を絶たない。ヤクザに嫌がらせされたら「お土産を貢げ」が「大人の知恵」であるかのように信じ込まれている。だが、それは、「いい加減でその場限りの近視眼的で無責任な態度をとっても、まさかお土産くらいで社会秩序は崩壊することはないだろう」、という盲目的な安心感によって成り立っている。国際社会のような本当に秩序が脆弱な社会で、主要構成員が次々とそのようなその場限りの近視眼的で無責任な態度を取り続けたら、社会秩序は崩壊する。

そのことを想像することができない「お土産」論者は、日本の「お花畑」思考の悪弊の代表者たちだと言って過言ではない。

 ロシア・ウクライナ戦争は膠着状態にあるが、ウクライナ政府側に欧米諸国が供給する武器が入り始めた効果が出始めている。ウクライナ政府高官からは、年内に戦争を終結させたいという観測が出ているが、現実的な見通しだと感じる。

 戦争の行方に懸念を持つのは当然だ。だが、即日停戦が実現していないからといって、取り乱したりはしないほうがいい。早期終結が望ましいことは当然だが、紛争当事者が、「時間軸」も導入して、停戦交渉までのプロセスを構想するのは、当然である。素人が、「今日すぐに戦争をやめないなら、永遠に戦い続けると言っているのと同じだ!」、と極東の島国から叫んでみるのは、滑稽な勘違いでしかない。

 巷では紛争問題には素人の方々が、「ウクライナよ、降伏せよ! ウクライナよ、領土を割譲せよ! ウクライナよ、とにかくプーチンが喜ぶ『お土産』を渡して戦争を終わりにせよ!」、といった話だけを横行させているが、全く話にならない。

 そもそもウクライナの人々は「ミンスクIIIは受け入れられない」と切実に感じている。それは実際の実体験をふまえてのことだ。それにもかかわらず、「お願いだ、嘘つきプーチンに騙されてくれ」、と命令してみたところで、聞くはずがない。「お土産論」ほど、現実離れした机上の空論は、ない。

理論的な話をすれば、たとえば、そもそも領土問題の解決と、停戦合意とは、別の位相の問題である。北方領土、竹島、尖閣諸島の領有権問題を抱えていても、日本は周辺国と戦争をしていない。カシミールやキプロスなど外国の事例も見てほしい。紛争を静的な図式で捉えた領域的考え方だけで捉え、「面」の話だけで永続的な平和を達成しようとするのは、単なる素人の世間話でしかない。

もちろん背景には、政治的な動きもあるだろう。従来から非常にロシアに近い筋の方々が、 「ウクライナよ、プーチン大統領に『お土産』を渡せ、それだけが戦争終結の唯一の道だ」、と力説している。ウクライナに有利な停戦を阻止するためには、今が正念場、ということだろう。

 前回の記事では、東郷和彦氏について書いた。https://agora-web.jp/archives/220628231828.html プーチンに「お土産」を渡すことだけが、戦争を終結させる唯一の道である、という典型的な「お土産論者」の主張である。

 東郷氏が、かなり感情的になっている様子は、たとえば次のような文章から明らかだろう。

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「プーチンにある程度『お土産』を渡した形で収めない限り、戦争は終わらない。長引けばウクライナ人がどんどん死ぬ。それでいいんですか」という声が出てきています。ノーム・チョムスキー(米の哲学者)、エマニュエル・トッド(仏の歴史学者)、キッシンジャー(米の元国務長官)、ミアシャイマー(米の国際政治学者)らです。

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 東郷氏が、恐らく権威主義の拍付けをするために世界の著名人と想定して参照している人名の中で、言語学者のチョムスキーや人口統計学者のトッドは、有名な著述家ではあるだろうが、専門家とは言えない。ミアシャイマーは、確かに東郷氏の文意にあった国際政治学者である。ただし、そのミアシャイマーも、彼独自の「オフェンシブ・リアリズム」の理論の観点から、アメリカのワシントンDCの外交エリートを攻撃し続ける言説をしているに過ぎない。理論家ミアシャイマーが、プーチンに「お土産」を渡せ、という要求をしているというまとめは、衝撃的なまでに粗雑である。https://www.fsight.jp/articles/-/48809 https://www.fsight.jp/articles/-/48811 

 東郷氏の言説で、さらにいっそう問題なのは、キッシンジャーへの言及である。キッシンジャーのダボス会議での発言が、一部のメディアで、ウクライナに領土の割譲を迫るものだったのではないか、という憶測を呼んだことは確かである。しかし、それが素人の無理解による誤解であることは、私が『フォーサイト』などで解説した通りである。https://www.fsight.jp/articles/-/48962  https://www.fsight.jp/articles/-/48963 

 ところが、東郷氏は、私の解説を全否定する。そして、キッシンジャーは、プーチンに「お土産」を渡せと言っているのだ、と勝手なまとめをする。そうして、その根拠なき断定を、日本の雑誌媒体を通じて、大々的に情報薄弱者に対して宣伝し、印象操作の活動をしようとしている。

 罪深いことである。

 このたび、『シュピーゲル』誌に、キッシンジャー自身が、自分はウクライナに領土の割譲を迫ったことなどない、と明言する説明をしているインタビュー記事が出た。

 https://www.spiegel.de/international/world/interview-with-henry-kissinger-for-war-in-ukraine-there-is-no-good-historical-example-a-64b77d41-5b60-497e-8d2f-9041a73b1892

 ダボス会議のキッシンジャー発言を見て、キッシンジャーはウクライナに領土の割譲を迫ったのではないか、と感じた人びとは、僭越ながら、要するに素人である。素人は、キッシンジャーの言葉を読んだり聞いたりしても、キッシンジャーの言っていることを理解しないのである。恐縮だが、そういうことは、起こり得るだろう。だから私が解説もした。

 しかし東郷和彦氏は、そうした私の解説などは全面否定する。それだけではない。キッシンジャー本人も否定して、キッシンジャーの名前だけを利用するのである。

そして、「キッシンジャー氏の真意は、プーチン大統領に『お土産』を渡せ、である」などと、日本の雑誌媒体を用いて、情報薄弱者向けに、宣伝し続けるのである。

 罪深いことである。

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