「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2023年03月

 ロシアのプーチン大統領が、次のように発言したというニュースが流れた。

「我々にとってこれは地政学的な課題ではなく、ロシアの国家としての存続をかけた戦いであり、国と子どもたちの将来の発展のためである」https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/378145?display=1 

 これはどういう意味だろうか。

どうやらプーチン大統領は、「西側」諸国を追い詰める権力政治ゲームをしているが、ロシアは国家総動員体制で自らを守っている、と国民を鼓舞しているようである。

ロシア人は、ナポレオンとヒトラーの侵略をロシア/ソ連が撃退した戦争を、それぞれ「祖国戦争」「大祖国戦争」と呼んでいる。プーチン大統領としては何とかして「今ウクライナで起こっている戦争も大祖国戦争だ」ということをアピールしようとしているわけだ。

 他人の国に侵略戦争を仕掛け続け、自国の領土への攻撃を控えてもらっている状況で、「よく言うな」という話だ。もっとも、これくらいの強心臓でなければ、他人の国に侵略戦争を仕掛けるはずもない。今さらプーチン大統領の厚顔無恥に驚いても仕方がない。

 ロシアの本格的なウクライナ侵攻が一年を迎える直前の221日、プーチン大統領は、ロシア連邦議会の議員たちを前にして、1時間40分にわたる大演説を行った。https://www.youtube.com/watch?v=04p5pIrQ4Mk

 英語の全訳を見る限り、徹底して「ロシアを追い詰める『西側』の陰謀を撃退して祖国を防衛する」という物語を披露したものだ。http://en.kremlin.ru/events/president/transcripts/70565

ウクライナ領内のロシア国境近接部にNATOが秘密の軍事・生物工場を作って戦争ゲームをしている、といった妄想めいた内容も散りばめつつ、「西側」はユーゴスラビア、イラク、リビア、シリアで犯罪行為を行ってきた、といったお馴染みの物語も駆使した。中には、「西側」は貧困対策に600億ドルしか使っていないのにウクライナに1,500億ドルの軍事支援をしている、といったプーチンらしいウンチクに満ちた糾弾もあった。

プーチン大統領によれば、現在起こっている戦争の犠牲者に対する責任は、キーウのウクライナ政府を操っている「西側」にある。プーチン大統領の演説によれば、キーウの政府は、外国の利益に奉仕し、自国民の利益を忘れている。

目を見張るのは、歴史認識の壮大さだ。プーチン大統領によれば、「西側」のロシア苛めは19世紀から始まった。なぜならオーストリア=ハンガリー帝国とポーランドが結託して今のウクライナの領土をロシアから奪おうとしたからだ。この試みは、1930年代にナチス・ドイツによって繰り返された。

この大演説からわかるのは、プーチン大統領が19世紀「オーストリア=ハンガリー帝国」、「ポーランド」、20世紀「ナチス・ドイツ」、21世紀「アメリカ」を、全部まとめて「西側(The West)」という概念に押し込んでいることだ。

この壮大な「西側」なる怪物に立ち向かうロシアも、しかし、やはりすごい存在であろう。プーチン大統領によれば、「ロシアは一つの国であると同時に、一つの確固たる文明である。」「祖先たちから現代のロシア人たちが受け継いだ」この「一つの文明としてのロシア」を守るために、プーチン大統領は「西側」という怪物に立ち向かう。

 壮大ではあるが、あまり深遠とは思えない見え透いた「怪物としての『西側』に立ち向かう文明としてのロシア」のロジックは、国内向けだろう。国際的には、あまりアピール力があるようには見えない。

1990年代にサミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』を著したとき、ロシアというよりは、「正教会」文化の圏域が、一つの文明圏として扱われた。
Clash_of_Civilizations_mapn2

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18187203 


この文明圏の存在が存在しているかどうかも一つの論点だろうが、実在していると仮定しても、それは必ずしも「ロシア文明」のことではない。
 ウクライナの人々は、ウクライナは「ロシア文明」の一部とみなすロシア人の思い込みに抗して、ウクライナは自分たちの祖国防衛戦争を行っている。
 同じ文明圏に属しているにもかかわらず、わざわざロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛け、それで反発されて激しい抵抗を受けている状況は、奇妙だ。「抵抗しているのは、本当のウクライナ人ではない、『西側』に操られた傀儡だ」といった主張は、苦肉の策と言わざるを得ない。

結局、プーチンの思考方法は、「文明圏を固定化すると世界は安定する」、という「圏域」思想に依拠している。「大陸系地政学」理論の典型的な発想方法に基づいている。

ロシアの侵略を非難した223日の国連総会決議における諸国の投票行動を地図で見てみよう。緑が決議賛成国、赤が決議反対国で、灰色(茶色)が棄権(・無投票)である。
Map of the Month February 2023_Ukraine









Konrad-Adenauer-Stiftung - Multilateral Dialogue Geneva - Resolution on a comprehensive, just and lasting peace in Ukraine at the UN General Assembly (kas.de)

わずか7カ国の決議反対国に地域的な特徴は見られないが、決議棄権・無投票の地域的分布を見ると、ユーラシア大陸の中央部(中央・南・西アジア)から、アフリカ大陸の中央・南部に伸びていることが見てとれる。

これは、イギリスの地政学の祖と言うべきハルフォード・マッキンダーが「世界島のハートランド」と呼んだ、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の大海へのアクセスに困難がある内陸国の地域だ。ロシアの天然資源への依存度が高く、西洋文明諸国を中心とする海洋国家とのつながりが希薄である傾向を持つ。

マッキンダー理論にしたがえば、これは、海洋国家連合が、大陸のランド・パワーが「世界島のハートランド」にそって膨張主義をとるのを封じ込めている図だと言える。

プーチン大統領の言説は、半分は妄想であり、半分は事実にそっている。

ロシアが「一つの文明」として「西洋文明」の攻撃に立ち向かっているというレトリックは、妄想に近い。「大陸系地政学」の世界観にしたがって、ロシアがロシアの信じる自国の「勢力圏」を確保しようとしている、と描写したほうが、まだ実態に近い。

他方、確かに、自国の「勢力圏」を拡大させようとするロシアというランド・パワーの影響力が、「世界島のハートランド」にそって拡張していくのを、海洋諸国連合は封じ込めようとしている。

ロシア・ウクライナ戦争は、二つの異なる地政学理論の世界観の衝突だ。

プーチン大統領は、「勢力圏」の確保が、ロシアにとって、いわばヒトラーが「生存圏(レーベンスラウム)」と呼んだものの確保と同じだと信じ、行動している。

海洋諸国連合は、国際法秩序を維持するため、英米系地政学にそって、大陸国家の膨張主義を封じ込める政策をとる。

この戦争の性質を過小に評価してはいけない。日本は、戦場からは離れているかもしれないが、この二つの異なる地政学理論の世界観の衝突と無縁ではない。よく意識しておく必要がある。

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 ウクライナに対する本格的な軍事侵攻の前年までは「ロシア人とウクライナ人の民族的一体性」なるものを唱える論文を発表したりして知識人の装いをとろうとしていたプーチン大統領は、最近ではもっぱら「西側」批判の言説ばかりを繰り返している。他のロシア政府高官もそれにならって、ウクライナ問題について反論する際に、決してウクライナの話をせず、「アメリカは過去にひどいことをしてきた国だ」という話の一点張りをするように心がけているようだ。

 日本にとっても理論武装が必要な領域だ。5月のG7広島サミットにあわせて、ロシアが「広島に原爆を落としたアメリカが他国の批判をする資格はない」キャンペーンをしてくることは、確実である。日本政府は、よく準備をしておくべきだ。

 プーチン大統領に代表されるロシア政府高官の言説は、ニーチェの『道徳の系譜学』の分析に沿って言えば、「ルサンチマン」の道徳論である。未来に向けた建設的な性格を持たない反動的な感情に依拠した主張に終始している。しかし「自らの不幸な境遇や満たされない思いは世界を牛耳るアメリカによって引き起こされているに違いない」という陰謀論に陥りがちな人々に対しては、強いメッセージとなっている。https://agora-web.jp/archives/230309001024.html

実質的な内容を持たないプーチン大統領の言説が、世界の大多数から信奉されることはないだろう。しかし残念ながら一定の数の人々には効果を持ってしまう万年野党のような力がある。 

 より卑近な言い方をすれば、プーチン大統領の得意技は、「お前だって論法」と俗に言われているものである。

 「貴方の行動はおかしい」と指摘されても、自らの行動の正当性の説明などは行わない。代わりに、ただ、「お前だって悪いことを沢山してきただろう」と言い続ける。それが、いわゆる「お前だって論法」である。

 議論の実質内容では勝ち目がない場合に、敗者の戦術として用いられるのが「お前だって論法」である。自分を非難する相手の弱みに話を移して、自らに都合の悪い事柄から話をそらしてしまおうとする画策である。

「お前だって論法」を繰り返しているだけでは、議論の実質で本当に優勢になることはない。ただ負けが濃厚であるがゆえに、何とか引き分けに持ち込もうとするだけの態度である。「お前だって論法」を繰り返していると、「自らの行動の正当化はできないのだな」、という印象はかえって高まる。したがって、真剣な議論の場では使うべきではない。

 だがこの「お前だって論法」が、しばしば「引き分けに持ちこむ」ような効果を発してしまうことがある。

 人間は感情的な動物である。アメリカのイラクにおける行動が何であったかは、ロシアのウクライナにおける侵略行動とは何ら関係がないことを、頭ではよくわかっていても、アメリカのことを憎んでいるのであれば、感情的には「お前だって論法」に簡単に流されてしまう。「ロシアも悪いんだろうが、まあアメリカだって大したものではない」という当事者のウクライナそっちのけの奇妙な「どっちもどっち」論に拘泥し、論理的には全く整合性がない感情論に流される自分を許してしまいがちである。

 プーチン大統領は、さすがに老獪な独裁者である。こうした人間の感情を見透かした行動をとることに長けている。

 ロシアのウクライナに対する侵略行動の違法性は、明白である。ロシアの側に論争における勝ち目はない。プーチン大統領は、そのことをよく知っている。知っているがゆえに、徹底して「お前だって論法」を貫いて、いわば負けを引き分けに転じさせる機会を狙っている。

 悲しいことに、世界中で、そして日本でも、感情に流されて、このプーチン大統領の浅薄な「お前だって論法」に騙されている方々が、沢山いる。決して大多数ではないとしても、少なからぬ数の人々が、感情に流されて、自ら望んでプーチン大統領に騙されようとしている。

 残念かつ由々しき事態である。特に社会で責任ある立場にある人々が、「お前だって論法」に騙されてしまっては、大変なことになる。上述のように、日本の指導者層も、G7広島サミットの際などに、あらためて試されることになるだろう。しっかりと理論武装をしておいてほしい。
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  ロシアによるウクライナへの本格侵攻が始まって、一年が経過した。欧州においてほどではないが、恐らくは他のアジア地域などよりは激しく、日本でも様々な議論が喚起された。極めて印象的なのは、他の国際的な事件では見ることができないほどに、感情的なやり取りが行き交っているいることだ。
 戦争の背景には、根深く複雑な要因がからみあう。国際政治学の教科書的な分析にしたがって整理するだけでも、私自身が行ったことがあるように、人間のレベル(プーチン大統領の持つイデオロギー)、国家のレベル(ロシアの特異な権威主義的レンティア国家性)、国際システムのレベル(欧州の安全保障メカニズムの機能不全)という三つの位相から、問題を捉えることができる。https://www.youtube.com/watch?v=87mKYj9zlOM
 だがそれにしても印象的なのは、当初は「ロシア人とウクライナ人の民族的一体性」なるものを唱える論文を発表して歴史的洞察を持つかのように振る舞おうとしていたプーチン大統領が、最近ではもっぱら欧米批判に終始していることだ。ラブロフ外相も、G20外相会議が開かれたインドで「ロシアは戦争を止めようとしているが、西側諸国が戦争をけしかけている」と発言して話題になった。ロシア政府高官は、アメリカを中心とする「西側」が戦争を煽っている、という物語を強調することに専心し始めている。
 客観的な状況を見れば、侵略を仕掛けたロシアが、戦争の責任を第三国であるアメリカやその他の「西側」諸国に負わせようとするのは滑稽でしかない。恐らく国際世論の大半は獲得できない破綻した論理である。
 しかし、実際には、プーチン大統領の見え透いた反米主義のロジックに、反応してしまっている人々がいる。私自身は、近刊の拙著で分析しているが、プーチン大統領の思考には、「大陸系地政学」の伝統に特有の圏域思想がある。これは「英米系地政学」の世界観と鋭く衝突する。https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E8%8B%B1%E6%9C%97/dp/4065312833/ref=sr_1_1?qid=1678283368&s=books&sr=1-1
  独立国家としてのウクライナの存在を含めて、現代国際秩序を支える法規範体系は、「英米系地政学」の世界観と親和性が高い。だが、だからこそ、国際秩序そのものに不信感を持つロシア人の行動は、国際法違反を糾弾する声だけでは、変えられない。
 この世界観の衝突を、極めて浅薄に説明してしまっているのが、陰謀論界隈の事情だ。
 「万国の反米主義者よ、団結せよ」、といった歪曲された見え透いたプーチン大統領のメッセージが、実際に世界中の反米主義者にアピールし、「ディープステートが全てを動かしている」「グローバル主義者が世界を支配しようとしている」といった陰謀論者の感情を高ぶらせている。被侵略国であるウクライナの人々の気持ちや訴えを度外視する形で、世界の陰謀論者たちは、プーチン大統領の反米主義のレトリックに、現実から乖離した怪しいロマン主義を投影してしまっている。
 冷戦時代のソ連の権勢を知るロシア人たちにとって、今のロシアの地位と国力は、不満なものでしかない。客観的に言えば、身から出た錆と言わざるを得ない歴史的事情があるだけなのだが、人間の感情は、不満のはけ口を求め続ける。 「君が不幸な状態にあるのは、君のせいではない、他人のせいだ、つまりウクライナ人のせいであり、アメリカ人のせいだ」と耳元でささやかれると、堰を切ったように、巨大なフラストレーションあるいはルサンチマン(怨恨)の思いが、指示された方向に向かっていく。
 これはロシア人だけでなく、ワシントンDCの外交エリートにルサンチマンを持つシカゴ大学のオフェンシブ・リアリストの理論家や、日本の外交エリートや同盟国アメリカにルサンチマンを持つ非武装中立思想にかぶれた日本の高齢者層などの場合にも、基本的には事情は同じであろう。
 フリードリッヒ・ニーチェは、『道徳の系譜学』の中で、強者の道徳論と弱者の道徳論の違いを分析した。強者は、自らの価値観にそってまず「良い」ことを定め、それに反したものを「悪い」ことと観念する。弱者は、強者の存在を「悪い」ものとして定め、その反対に位置しているという理由をもって自分たちの存在が「良い」ものであるという正当化の根拠にする。
 プーチン大統領が世界中の陰謀論者にアピールしているルサンチマンの道徳論は、残念な現実の一様相として、認識し分析していかなければならない。だがそれは弱者のルサンチマンの道徳論である。ルサンチマンに基づく行動に、建設的な未来はない。
 強者は、それを反省的に捉えていく視点を持つべきではあるだろう。だが弱者におもねるだけでは、何も生まれない。それどころか永遠のルサンチマンの発露が繰り返されていくだけだ。
 国際秩序の維持には困難が伴う。反省的な思弁も必要ではあるだろう。しかし大枠では、現代国際秩序を維持すべき者たちが、現代国際秩序を維持するための努力を惜しむようでは、待ち受けているのは永遠のルサンチマンの発露による混乱だけである。

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