「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2023年04月

 5月下旬のG7広島サミットを控えて、岸田首相がアフリカ4カ国とシンガポールを訪問する。何やら国内メディアでは、「G7議長国がグローバル・サウスを取り込めるか?」キャンペーンが華やかなようだ。

 正直、乗り切れないものを感じる。理由は二つある。日本国内の「G7」の理解の仕方に違和感がある。そして日本国内の「グローバル・サウス」の理解に違和感がある。

第一の問題は、G7とは何か?という問いである。G7はかつて「先進国首脳会議」などと呼ばれていた。日本語版ウィキペディアによれば、1998年にロシアが加入して「G8」になった頃から「主要国首脳会議」と名称が変更になったのだという。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%81%E5%9B%BD%E9%A6%96%E8%84%B3%E4%BC%9A%E8%AD%B0 だが英語版Wikipediaにそのような記述はない。「先進国」だか「主要国」だかの言葉遣いは、日本国内の報道においてのみあてはまる話であると思われる。

G7の自己定義は、すでに価値観の重視のほうに移ってきている。つまり「法の支配、民主主義、人権」などの基本的価値観を共有する諸国の地域横断的なフォーラムとしてのG7が、構成諸国自らによるG7の定義である。

日本の外務省も、「G7サミットでは、世界経済、地域情勢、様々な地球規模課題を始めとするその時々の国際社会における重要な課題について、自由、民主主義、人権などの基本的価値を共有するG7各国の首脳が自由闊達な意見交換を行い、その成果を文書にまとめ公表します。基本的価値を共有するG7首脳のリーダーシップにより、G7は国際社会の重要な課題に効果的に対応してきています。」と説明している。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/ko_2000/faq/index.html 

G7は、「価値の共同体」である。「先進国首脳会議」ではない。

第二の違和感は、「グローバル・サウス」への日本のメディアのこだわりである。ただ単にG7以外の国々の世界経済における存在感が高まった、ということを言うだけに、わざわざ「グローバル・サウス」なる人工的な概念を用いる必要はない。どこかにまだ「G7は先進国首脳会議のことだった」というノスタルジアがあるために、「グローバル・サウス」の十把一絡げの大雑把な言説がまかり通ってしまうのではないか。

私自身はすでに『現代ビジネス』への寄稿文などによって指摘しているのだが、https://gendai.media/articles/-/109454 「グローバル・サウス」のようなイデオロギーがかった概念を、その含意や受け止められ方が不確定な中で使い続けることは、火遊びに近い。やめておいたほうが得策だ。

G7諸国のGDPの世界経済に占める割合は年々低下しており、今は3割を切っている。一番足を引っ張っているのは日本だと言ってよい。

https://www.statista.com/statistics/722962/g20-share-of-global-gdp/  

そこで日本が率先して「日本は、これからは貧しかった皆さん全員をまとめてグローバル・サウスと呼んでお世辞を言いながら生きていきます」と呟いてみたところで、だから何なのだ、という以上の反応を得られないだろう。

日本は世界経済3位の地位にあるが、トップのアメリカの2割程度の経済規模であり、中国にも遠く及ばない。ドイツに世界3位の座を明け渡す可能性があるともささやかれるが、インドに抜き去られることは端的に時間の問題だ。

この現実を受け止めることは必要だ。しかしそれは「アジアも、アフリカも、ラテンアメリカも、みんなまとめて十把一絡げに『貧しかったけど豊かになったグローバル・サウス』と呼んでお世辞を言い続けます、だから途上国の皆さん、先進国の日本を尊敬して」と叫ぶことではない。

そのような態度は、「価値の共同体」であるG7メンバーとして半世紀に渡って活動してきているという財産をも棒に振ってしまうことにつながるだろう。

BRICSやクアッドを見るまでもなく、G7が始めた恒常的な友好国フォーラム(条約をへた国際組織ではない有志国ネットワーク)は、現代国際社会において不可欠の役割を獲得している。そのような新しい傾向を確立したG7の潜在的価値は、計り知れない。

G7の価値を高めるために、G7メンバーとの連携を戦略的に行っていくことは当然重要だが、あくまでも「価値の共同体」としてのG7の意味を戦略的に拡大させていく限りにおいて、重要である。


 ロシア・ウクライナ戦争の「停戦」を、なぜかG7広島サミットに集まる首脳たちに訴える、とする高齢者グループが記者会見を開いた。単に政府関係者や気に入らない言論人に対してマウントをとりたい、という気持ちだけが伝わる文書だ。内容に見るものはない。

世界の戦争はアメリカが悪い国だから起こっている、という高齢者層に特徴的な固定的な世界観。もし自分たちに従わないならロシアの殲滅を誓って戦争を賛美することに等しくなるぞという強引な脅かし。それ以外には、ウクライナはもちろん、ロシアに関する見るべき洞察や分析などは、一切何もない。ただ、「停戦」という語を呪文のように唱えることが呼びかけられているだけだ。

「停戦」と唱えよう。そうすれば、あなたも偉い人になり、他者にマウントがとれるようになる。さあ、一緒に唱えてマウントしよう、というだけの声明である。

なぜこうも日本の高齢者層には、「俺への尊敬心が足りない、俺の説教を聞け」、というタイプの方が多いのか、日本社会の現状の闇について思いを寄せざるを得ない。だがいずれにせよ、声明の内容については、取り上げるべき点がない。すでに各方面から否定的な反応も続出している。

それでも一つ論評しておきたいのは、この高齢者グループの声明が、ステレオタイプの思い込みに基づいて「広島」という言葉を利用しようとしていることだ。

広島は「非戦」の町なので、それを考えれば、あたかもウクライナに降伏を勧めてロシアの蛮行も黙って受け入れるようにウクライナ人に説教をしなければならない、と言わんばかりである。

確かに広島は「平和記念都市」である。だが広島が、原爆で「降伏」してから、ウクライナ人に「非戦」を説教したい人が集まる町になった、というのは、かなりイデオロギー的に歪曲された歴史観であると言わざるを得ない。

「平和記念都市」として広島が「復興」を果たす過程には、初代公選広島市長・濱井信三をはじめとする指導者たちの卓見と決意、そしてそこに暮らす人々の血みどろの努力があった。イデオロギー的な曇り眼鏡を取り除いて、敬意を持って見るべき歴史である。

安倍晋三首相と岸田文雄外相(当時)がホストになって、2016年にバラク・オバマ大統領が広島を訪問した際、広島市民は熱狂的なまでに歓迎した。オバマ大統領の車列を迎える人々であふれた沿道では、目に涙を浮かべる方もいるほどだった。それは、広島の「復興」の苦闘が、ついにアメリカの大統領にまで「敬意」を持って認められたからだ。

重要なのは、「敬意」である。

オバマ大統領は、広島の世界史に残る奇跡的な「復興」と、その背景にある人々の努力に、敬意を表した。アメリカの大統領として、広島訪問は簡単な判断ではなかった。しかしオバマ大統領は決断した。広島の人々は、その決断に大統領の広島に対する「敬意」を感じ取り、あらためて「敬意」で返答した。その光景が感動的だったのは、人間が人間を尊重し合って「敬意」を交わし合う気持ちのやり取りがあったからだ。

オバマ大統領が通った広島記念公園前の「平和大通り」(通称100メートル道路)は、濱井市長がマッカーサーにもかけあって実現した「平和記念都市建設法」の実施に伴って建設されたものだ。建設当時、「食料や住居や仕事をくれと頼んでいるのに、なんで道路なんか作るんだ」、という市民からの不評が相次いだ。濱井は、市長を4期務めたが、最初の2期の後に一度、復興計画の不人気さから落選も経験している。

その時に次のような噂が流れたのは、非常に有名なエピソードだ。「濱井の本心は、道路ではない、滑走路だ。将来アメリカに復讐を果たすためには、どうしても滑走路がいる。しかしその本心を今明らかにするわけにはいかない。お前、濱井の本心をわかってやれ。」というものである。

濱井市長は、東大法学部を卒業した秀才だったが、中央省庁での就職がうまくいかなかったため、生まれ育った地元で奉公しようと広島市役所に勤め始めた異色の経歴の持ち主であった。それが原爆によって市長をはじめとする市役所の上役が全員死亡してしまったがゆえに、43歳で市長に立候補すべきことを周囲に説得されたという人物である。地元出身者であったがゆえに、美しき誤解も生まれることもあり、奇跡の「復興」を主導することができた。

広島を訪れる外国人は、よく「なぜ広島の人々はアメリカ人を憎んでいないのか」と聞く。JICA事業や外務省事業などを通じて、頻繁にそうした場面に遭遇する私は、いつも、「なぜあなたは広島市民はもうアメリカ人を憎んでいないと仮定するのか」と聞き直す。

人間の心の中には、複雑で多様な思いがある。ステレオタイプにもとづいた決めつけは、タブーである。イデオロギー的な決めつけは、特に最悪である。

苦難にもかかわらず、広島の人々は「平和記念都市」としての「復興」に希望を抱いて努力してきた、ということだ。今、それを人々は「誇り」に思っている。

果たせなかったアメリカ人への「復讐」は、不可能と思われた「復興」を果たすことによって、新しい次元へと昇華していった。広島は、降伏して敗戦したことをサヨク的なイデオロギーで説明するために、「平和記念都市」になったのではない。むしろ奇跡の復興という形で逆転「勝利」を得ることによって、「平和記念都市」として完成していった。

自分の町に愛着を持たない人びとが、平和な町をつくることはできない。誇りを感じることができない平和などに、愛着を感じることはできない。

まず外部者が考えるべきは、その人々の誇るべき努力に「敬意」を払うことだ。

平和記念都市としての広島の「復興」は、苦難の連続だった。しかし一つ一つ成果が果たされたとき、人々は自分の町に誇りと自信を持つようになった。そして「復興」は進展を見せていった。

広島市民は、サヨク的な平和主義をイデオロギー的に信奉するようになったがゆえに、「平和記念都市」となったのではない。悪も受け入れ、被侵略国に降伏を勧めるような者になるために、「平和記念都市」をつくったのではない。

人間らしく生きていくための努力を重ね、よりよい平和を求める「復興」の過程を通じて、自分の町に「誇り」を抱くようになり、「平和記念都市」として完成していった。

今ウクライナ人に、ウクライナ人にとって全く受け入れられない「降伏」の「停戦」を説教することによって、ウクライナが平和な国に生まれ変わる、などと信じる者は、よほどのイデオロギー的な偏屈者か、単なるマウント好き老人だけだろう。

日本でマウントを取るために「停戦」の語を日本語で呪文のように唱えることを呼び掛ける記者会見を開いても、何も起こらない。

ウクライナの人たちにまず示すべきは、その誇り高い行動に対する敬意だ。

「停戦」マウント高齢者は、早くウクライナに行って、「停戦、停戦、停戦」と呪文を唱えながら、「俺はウクライナ人の誰も知らない本当のウクライナの平和を知っている、俺の説教を聞け」と主張する記者会見を開き、何が起こるかをしっかりと見てみるべきだろう。

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