「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。

2023年09月

 「X」において国連憲章における「旧敵国条項」が少し話題になっているのを見た。

https://twitter.com/rockfish31/status/1707377464635510814 確かに「旧敵国条項」は、ほとんど陰謀論めいた話をする反米左派・反米右派が、大同団結して国際社会への不信感を国民に植え付けるために、脚色して数十年にわたって語り続けている話題である。しかし学術・実務の世界では、「死文化している」という結論が確定している。

 それにもかかわらず日本の国会議員が、「旧敵国条項」の現代の適用可能性を唱えるというのは、由々しき事態である。事の発端は、石破茂・衆議院議員のブログであったらしい。以下、引用する。

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 第二次世界大戦の戦勝国が当時の国際秩序を維持する目的で創設した「United Nations」(対枢軸国戦勝国連合機構)を、あたかも世界政府であるかのごとき響きを持つ「国際連合」と敢えて訳したところから、日本人の国連幻想は始まっています。

 国連憲章第53条と第107条に定められた「敵国条項」により、安保理の決議がなくとも武力行使の対象となる「旧敵国」には日本、ドイツ、イタリア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリー等が挙げられるのですが、日本とドイツ以外は途中で枢軸国を脱退して連合国側につき、日独に宣戦布告をしているため「敵国」には該当しないとされ、旧ドイツはヒトラーの自決により成立したデーニッツ政権を連合国側が国家として認めなかったために法的には国家として消滅しており、現在のドイツとは国家としての連続性がなく、結局枢軸国国家として現在まで連続しているのは日本だけである、とする見方もあります(故・色摩力夫・元駐チリ大使)。

 敵国条項は国連総会において死文化が確認され、次期の憲章改正で削除されることになっていますが、それまでは条文として有効であり、ロシアが北方領土占拠の根拠としているように、いつこれが援用されるかわからない状況にあります。

 http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-d3bed3.html 

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 石破氏は読書家で知られているが、乱読に走らず、質の高い本を優先して読む心がけもしてほしい。まじめな国際法学者・実務家で「旧敵国条項は日本に対してだけはいつでも援用できる」などと考えている方はいない。そもそも「死文化が確認され」、「削除される」予定が国連総会で決議されている。それにもかかわらず、どうやって「いつこれが援用されるかわからない状況」にあると主張することができるのか。

 石破氏のブログの文章は、この後、「日本はこの国連軍に参加し、武力を行使することを正式には可能としてい」ないので「常任理事国入りを目指すことには、かなりの無理がある」、「国連憲章第51条に定められた集団的自衛権は・・・、日本人の多くが誤解しているような、『大国とともに世界のどこにでも行って武力を行使する権利』ではありません」、「理論的にはウクライナ救援のために集団的自衛権を行使する可能性はNATOにもあったわけです。にもかかわらず、かなり早い段階でアメリカはこれを否定しました。それがロシアの誤算を招いたとの説もあります」、「ウクライナ侵略の停戦の方法については、国連総会における『平和のための結集決議』(ESS)を活用すべき」(篠田注:すでに援用されている)、などの言葉が並ぶが、結局何を言いたいのか論旨が不明であるのみならず、それぞれの発言が前後の発言とどのように論理的に整合しているのかも全く不明な内容になっている。

 石破氏は、首相候補と目されて久しい。世論調査では常に有力首相候補として扱われている。そろそろ「何を言っているのかわからないが石破氏は博学の方のようだ」という階層にだけ語りかけるだけでなく、しっかりとした知識を持っている専門家層からの評価を得て固い基盤づくりをすることを目指してほしい。

 この問題は、実務的には、1995年の第50回国連総会で「時代遅れ(obsolete)」であり「いずれの国連加盟国にも向けられたものではない」ことが確認され、改正・削除が賛成155 反対0 棄権3で採択された時点で、結論が完成している(A/RES/50/52, 15 December 1995)。https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/N95/257/54/PDF/N9525754.pdf?OpenElement 2005916日国連総会特別首脳会合採択の「成果文書」においても「『敵国』への言及の削除を決意する」と明記された。そもそも総会決議の前から、国際法学者の多数は、「死文化」している、と考えていた。総会決議は、その理解を正式に確認したものだ。

石破氏が日本語のブログで「いつでも援用できる」と主張してみたところで、どこにも響くところはない。

 国連憲章の文言解釈のレベルでも、「いつでも援用できる」という石破氏の主張には、無理がある。国連憲章第53条の2は、「敵国」の定義を次のように定めている。

「敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。(The term enemy state…applies to any state which during the Second World War has been an enemy of any signatory of the present Charter.)」

53条の2は、「第二次世界大戦中に連合国として戦っていた諸国の敵陣営にいた枢軸国を永遠に敵国と呼ぶ」と定義しているのではない。「この憲章のいずれかの署名国」にとっての「第二次世界大戦中の敵国」が、憲章が定める「敵国」だ、と言っている。憲章加盟国と敵国に同時になることはできない、と理解しなければ、日本ですら、国連憲章を署名・批准しているので、第二次世界大戦中の敵国であるアメリカやイギリスやソ連が憲章中の「敵国」である、と主張できることになってしまう。「敵国」は、国連憲章加盟国になった時点で、消滅する。そうでなければ憲章体制が矛盾を抱え込んで崩壊してしまう。

憲章第53条は、第二次世界大戦終結後も直ちに枢軸国に対して「主権平等」原則を適用しなかった過渡期に行われた措置を意識した規定である。そもそも枢軸国に対する占領管理体制が、今日であれば国連憲章第7章の強制措置を発動しなければ行うことができない措置であったため、憲章成立後は論理的整合性を保つための条項が必要だったわけである。また、1947年英仏条約や1948年西欧五国条約は、「ドイツの再侵略」に対抗する規定を持っていたし、ソ連も東欧諸国と同様の二国間条約を締結していた。それらの条約の法的裏付けが、憲章53条であった。しかしこれらの条約も、いずれも現在では消滅・失効している。

日本は、1941年大西洋憲章の時から自らを「平和愛好国家」と呼ぶことになった「連合国(United Nations)」の「敵国」であったが、その性格を変更するために国家行為で1945年「ポツダム宣言」を受諾して、国家の改変を行った。広汎に誤解されているが、「ポツダム宣言」受諾で「無条件降伏」をしたのはあくまで日本軍だけであり、日本国は「ポツダム宣言」の内容の履行に責任をもって対応することを約している主体である(十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府二対シ要求ス」)。

この「ポツダム宣言」履行義務にしたがって、日本国が、「日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除」する措置をとり、「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルル」ように、憲法改正などの一連の改革も行った。連合国は「日本国ノ戦争遂行能力ガ破碎セラレタルコトヲ確証」するために占領を行うが、これはいわば管理監督者の役割なので、「目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ連合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」という仕組みになっていた。

「目的ガ達成セラレ」たことが確証された瞬間は、1951年「サンフランシスコ講和条約」という形で記録され、占領体制は終結した。この講和条約では、目的達成を確証した評価規準として「国連憲章」が参照されている。

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 日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し・・・、

 連合国は、前項に掲げた日本国の意思を歓迎する・・・

第五条

 (a) 日本国は、国際連合憲章第二条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。

  (i)その国際紛争を、平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること。

  (ii)その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。

  (iii)国際連合が憲章に従つてとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合が防止行動又は強制行動をとるいかなる国に対しても援助の供与を慎むこと。

 (b) 連合国は、日本国との関係において国際連合憲章第二条の原則を指針とすべきことを確認する。

 (c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

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日ソ国交正常化もへて、1956年に実際に日本は国連加盟を果たす。それはつまり、国連憲章を署名・批准し、他の加盟国から、憲章「の義務を履行する能力及び意思があると認められる他のすべての平和愛好国」(国連憲章第41項)の一つであることを正式に認めてもらった、ということである。わかりやすく言えば、日本は第二次世界大戦中に「連合国(United Nations)」の「敵国」だったが、連合国との間に定めた改変手続きを履行して生まれ変わり、「国連(United Nations)」側の仲間の「平和愛好国」になった、ということである。他の国連加盟国/旧連合国は、「日本は敵国だったが、生まれ変わって同じ平和愛好国になったので、憲章2条の『加盟国の主権平等の原則』を適用して『加盟国の地位から生ずる権利及び利益』を全て認めると約束した」、ということなのである。
 1995年総会決議で確認されたのは、したがって万が一にも国連加盟国になった日本はもはや「敵国」ではないので(旧敵国の消滅による)、「旧敵国条項は死文化した」という理解に、異議を唱える国は一つもない、という事実である。

それにもかかわらず、日本の衆議院議員・石破茂氏だけは、「日本に敵国条項をいつでも援用することができる」とブログで主張しているのである。

溜息しか出ない。

 インドとカナダの関係が悪化している。発端はカナダ西部のシーク教寺院駐車場で6月18日に発生した銃撃事件だ。殺害されたハルディープ・シン・ニジャル氏は、シーク教徒の独立運動に関わる過激派組織の幹部とされる。インド政府は、ニジャル氏を「テロリスト」として指定している。

 この事件について、カナダのトルドー首相が、インドの諜報員が関与した可能性があるという疑惑を積極的に追求している、と述べたことに、インド政府が激高した。カナダ政府は証拠がないまま公然とインド政府の責任を述べたとして、カナダ人へのビザの発給業務の停止を発表した。

 私自身は、事態の推移を非常に残念な気持ちで見ている。インドとカナダの関係悪化も残念なのだが、実はもっと残念なのは、日本も含めて欧米の「リベラル」派メディアや有識者たちが、一斉に「インドは異質(だから関係見直そう)論」を唱え始めて、ことさらに事態を深刻なものとして脚色して盛り上げようとしていることだ。

 カナダのトルドー首相も、国内世論対策の事情があって、やむなくやっていることだろう。日本や欧米諸国の外交当局も、事態の鎮静化に向けた努力に奔走しているところだと思われる。無責任なメディアの「インドは価値観を共有するパートナーではない」の論調は、自国の外交基盤を弱体化させるだけの結果に終わるだろう。

残念である。

 第一に、事実関係がはっきりしない。偏見を持った状況の推察でインド政府の犯行を断定するのは、あまりに危険だ。オサマ・ビン・ラディンをはじめとするアルカイダ系・イスラム国系の「テロリスト」を暗殺するのは、無人機を用いて数限りない無数の他国領土内の標的殺害を繰り返してきたアメリカ政府以外にはない、と推察できるかもしれないが、インドの状況は異なる。即断はできない。

 第二に、インドは、21世紀の超大国である。カナダとは、現在の国力や近未来の潜在力が違いすぎる。インド批判を好んで行いたい国はない。万が一にも、どこかの国がインドの国力を過小評価するような言動を見せたら、インドに反発されるのは当然である。拙速なインド批判の論調は、直近のロシア・ウクライナ戦争における国際世論対策でも、ウクライナを支援する欧米諸国に否定的な影響しかもたらさないだろう。

 第三に、インドが「価値観を共有するパートナー」だと考える、ということは、インド人がいずれ、「トルドー首相はモディ首相より格好いい」と信じるようになり、「カナダ人が批判するならインドが間違っているのだろう」と考え始める、などという幻想に浸ることを全く意味しない。そんなことは決して起こらない。だが、欧米諸国の「リベラル系」知識人は、そのことが、全くわかっていない。

インドと日本や欧米諸国が共有しているのは、アメリカの東海岸の大学の教授陣が熱心に講義している「リベラルな秩序」というよりも、「国連憲章の諸原則を基盤にした国際秩序」である。両者は重なるが、同じではない。インドは後者に明確にコミットしているが、前者へのコミットの度合いは欧米諸国や日本ほどではない。

だがそんなことは言う必要もない自明の事柄である。欧米諸国とインドが違うということは、インドがロシアや中国が同じだということを、全く意味しない。だが短絡的な欧米中心主義的な二元的世界観は、インドのような異質な超大国の存在を許さない。

残念である。

豊かなインド文明への尊敬を忘れ、インドが世界最大の70年以上の歴史を誇る民主主義国である(ただしリベラルではない)ことを忘れる者は、いずれ痛い目にあうだろう。

日本にとって、そして欧米諸国にとって、インドは、異質な国であるまま、基本的な価値観を共有する偉大なパートナーになりうる。それなのに「欧米と違うなら、ロシアや中国と同じだろう」と言ってインドを突き放すのは、自殺行為だと言っても過言ではない。

安倍首相が、「自由で開かれたインド太平洋」構想をインドで披露し、米国(とそのジュニア同盟国)がインドと連携する「クアッド」を確立したとき、インドが欧米のような国になるとか、将来インドをG7に入れるべきだとか、インドと軍事同盟を結ぶべきだとかは、言っていなかった。インドは、欧米諸国とは異質だが、「(国連憲章の諸原則の)価値観を共有する」偉大なパートナーになりうる。そう考えていたはずだ。

今や日本でも、「自由で開かれたインド太平洋」を忘れ、「(弱くて貧しい)グローバル・サウスを手なずける先進国」でありたい、という幻想にしがみつく者ばかりになってきた。

非常に残念である。

 内閣改造で上川陽子外務大臣が誕生した。意外な人事だと言われているようだが、岸田内閣の勝負手の決断として、歓迎したい。

外相大臣職は、岸田首相自身が、長く務めたポストだ。岸田内閣においても、林芳正氏に続き、上川外相で、二代続けて岸田首相が会長職を務め続ける宏池会からの選出となった。2012年末以来、茂木敏充氏が外相を務めた20199月からの二年余りを除いて、約10年間、宏池会で外相ポストを務め続けていることになる。上川外相は、当然、岸田内閣の要となるはずだ。

 上川氏は、安倍・菅政権で、三度にわたり法務大臣を務め、たびたび重要案件を直接指揮したとも言われているため、法務に明るいという印象が強い。だがもともとは東大で国際関係論を専攻した後、三菱総合研究所での研究員職をへて、ハーバード大学ケネディ・スクールで政治行政学修士号を取得し、アメリカ合衆国上院議員の政策スタッフを務めた経歴を持つ。冷戦末期から終焉にかけての時期のことだ。当然、国際情勢の動向に強い関心を持っているだろう。
 上川氏は、岸田内閣発足後は、重大国際事件である20222月のロシアのウクライナへの全面侵攻後に、「法の支配を推進するため、司法外交を展開する議員連盟」の会長として、存在感を示した。https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho06_00743.html 

「国際社会の法の支配」は、岸田首相が、繰り返し、重要議題としてG7広島サミットをはじめとする様々な国際会議・会談で強調してきているテーマである。そして「国際」と「法の支配」が結合する地点にいた宏池会国会議員が、上川氏であった。その上川氏の外相起用は、「国際社会の法の支配」を重要テーマとする岸田首相にとっては、命運を決する判断にならざるをえない。

そんな折、南博・駐オランダ大使のインタビュー記事を読んだ。以下、引用である。

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プーチン氏の捜査への協力について「同氏が日本に来ることはあり得ないため、われわれが逮捕することはない」というが、仮に来日した場合、ひるまずに拘束できるのか。大使は「日本政府内では間違いなく議論がおきる」と推測する。

「最大の拠出国として、日本の協力義務は極めて大きい。それを無視して逮捕しないという選択は私の考えではないが、政治の世界では当然、別の考慮があるだろう」と説明。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/276858/2 

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 南大使の意図はそうではないのだろうが、発言を字面通りに受け止めれば、あるいは機械的に英語などに翻訳してしまえば、「日本には、ICCローマ規程批准による国際法上の条約遵守義務を無視し、超法規的に行動することができる『政治』なる権力主体がある」という趣旨に読み取れてしまう

「日本には国際社会の法の支配にとらわれない超法規的な『政治』と呼ばれる権力主体がある」という趣旨の発言は、ICC(国際刑事裁判所)やICJ(国際司法裁判所)が存在しているがゆえに国際法と深く関わる伝統を持つはオランダ・ハーグに駐在する大使の発言としては、かなり踏み込んだものだと言わざるを得ない。外務省は、体裁もあるので、訂正はもちろん、趣旨説明も行わないだろう。だが「日本には国際社会の法の支配にとらわれない超法規的な『政治』と呼ばれる権力主体がある」という立場で、「国際社会の法の支配」を旗印にした外交が展開できるのか。疑問は残る。
 上川外相のリーダーシップが問われるだろう。

ところで南大使は、このインタビューで、次のようにも述べている。

「日本は拠出金の割合は最も多いが、日本人職員は10人ほどで全体の1%にすぎない。大使は「国連児童基金(ユニセフ)や、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)には希望者が多いのに、ICCは残念ながら日本の法曹界から行きたがる人がいない」。

残念な発言である。

ICCの邦人職員は、書記局(registry)に集中している。私の学生時代からの30年以上にわたる友人(NGO「難民を助ける会」でともに学生ボランティアをしていた)や、大学院修士・博士課程まで指導した教え子・私が実施者代表を務める外務省委託『グローバル人材育成事業』修了生なども、書記局で政務分析をやっている。ICC邦人職員最高位の方は、惜しくも敗れたが、裁判所書記(The Registrar)選挙に書記局内部から立候補した。(私自身がかつてVisiting Professionalという肩書をいただいてICCに出入りしていたのも書記局内の政務分析ユニットである。)

日本の司法試験受験者で、国際法を選択する者は、全体の1%程度にすぎない。各種司法試験予備校は、(異質なので勉強しにくい)国際法を選択しないように呼び掛けている。国際的な実務に携わることができる日本の法律家はほんの一握りで、国際刑事法のような国際公法系は特に少ない。そんな日本の法曹界が一夜にして革命的に変わらないからといって批判してみせても、何も生まれない。

ICC邦人職員の増強の可能性は、書記局にある。そんなことは、ほんの少しだけ、たったほんの少しだけ、真面目にICCのことを邦人職員増強の観点から観察してみれば、一目瞭然なのである。

外務省が、脈のない日本の法曹界批判をやめ、本気になれば、分担金第一位の日本は、飛躍的にICCで邦人職員を伸ばせるだろう。

「国際社会の法の支配」は、日本の法律家が国際的に活躍しないことを恨むためのテーマではない。外交安全保障を、「法の支配」の原則を基盤にして語っていくためのテーマである。

上川陽子外相には、この当たり前のことを、当たり前のこととして見せつけるようなご活躍を期待したい。

 ロシア軍に参加してウクライナ領ドネツク地方で先頭に従事する日本人の動画が公開され、話題を呼んでいる。https://digital.asahi.com/articles/ASR985QN6R98UHBI01Q.html?ref=tw_asahi_kokusai

この「カネコ」氏の過去SNS投稿における謎めいた暴言などもあわせて話題となっている。https://twitter.com/konoyubtmr/status/1700624125776335172

 「カネコ」氏は、ウクライナ軍に日本人がいることに疑問を感じ、ロシア軍に日本人がいてもいいはずだ、という主張を展開している。https://twitter.com/univ00009/status/1700340248902045859 思想的には、「親露派」に典型的な反米主義を基軸にした世界観を持つ人物のようである。

 しかし、この事件でポイントとなるのは、「カネコ」氏の思想ではない。「カネコ」氏が「ロシア語教師」にロシア軍関係者を斡旋してもらって入隊した、と証言していることである。https://twitter.com/toranomaki11/status/1700543248723501348

 この「ロシア語教師」は、「カネコ」氏の動画投稿後、SNS記録を全て削除したようである。おそらくは日本人に対するロシア軍入隊の斡旋行為をした証拠を消し、身元を隠したいためであろう。

 ウクライナにいる日本人兵は、知られている限り、自分の意思でウクライナの領域主権の及ぶウクライナ領内に移動し、そこで入隊を志願している。日本政府は、ウクライナ政府に日本人対象に義勇兵募集をしないように働きかけているため、日本国内でウクライナ軍入隊の斡旋活動は行われていない。そのためウクライナ軍の日本人兵は、自らの意思でウクライナの領域主権内に移動して、入隊志願している。

 これに対して、「カネコ」氏の場合には、日本の領域主権の及ぶ日本国の領域内で、ロシア人によるロシア軍入隊の斡旋を受け、それからロシア軍に入隊している。

そこは、大きな違いである。

 日本国内には、約300万人の外国人がいるとされる。そのうち一番多いのが中国人の約75万人だ。これらの外国人が、一斉に自国の軍隊に入隊する斡旋を日本領内で日本人に対して行い始めたら、どうだろうか。つまり75万人の中国人が、日本国内で、日本人に対して、日本政府の意向を全く無視する形で、人民解放軍入隊の斡旋を始めたら、どうなるだろうか。大変な事態である。他国でも聞いたことがない類例のない話であり、主権侵害の疑いが強いだろう。

 ましてロシア政府は、その長であり国家元首である大統領が、子どもの強制連れ去りで日本も加入する国際刑事裁判所(ICC)から訴追されている政府である。ICCで戦争犯罪認定されているウクライナ領からのウクライナ国籍の子ども連れ去りについて、ロシア政府は、本人の意思にもとづく保護措置だといった抗弁をする。しかし日本も加入するICCは、その抗弁には根拠がないとして、プーチン大統領を訴追しているのである。

 もし北朝鮮が、日本の領土内で連れ去られた拉致被害者は、実は自由意思で北朝鮮軍に義勇兵として入隊を希望してから日本を去ったにすぎないのだ、と主張し始めたら、どうなるだろうか。あるいは本人を威嚇して、又は騙して、そのような証言をする動画を強制的に撮影したら、どうだろうか。当然のことながら、断じて認められない事態である。そのような「斡旋活動」を、北朝鮮関係者が日本国内で行うことも、認められないはずである。

 「カネコ」氏事件の背後で暗躍する日本人ロシア軍斡旋活動について、日本政府が、どのような対応を取るのか、今後が注視される。

 バングラデシュでBIISS(バングラデシュ国際戦略研究所)主催の国際会議にパネリストとして参加した。外務大臣が挨拶をして、国外からの招聘者だけで十数名が参加した会議だったが、日本からは私だけが参加者となった。私個人は、予定調整が大変だったが、日本のプレゼンスを消さなくて良かった。

バングラデシュ政府が4月に発表した「インド太平洋アウトルック(IPO)」について議論しあう会議だったが、「IPO」は、日本ではほとんど知られていないだろう。ハシナ首相が日本を訪問する機会に公表された文書であるだけに、残念ではある。

会議参加者に日本人がいれば、司会者が「シンゾー・アベが提唱した自由で開かれたインド太平洋の理念が・・・」といったことを述べてくれるが、そうでもなければ日本が参照されることはない。日本の国力の衰退によるものだろうが、日本側の認識が国際情勢に追いついていないところもあるだろう。

私はバングラデシュを専門に研究しているわけではない。だが私の専門の国際平和活動に力を入れている国であるため、関連会議等で今まで何度も訪問したことがある。そのたびに国父・ムジブル・ラフマン(バンガバンドゥ)を慕う国民の風土や、国家を構成する思想の片鱗を学ぶ機会もいただいている。その立場から、少し書き記しておきたい気になったので、この文章を書いている。

バングラデシュは中国とインドにはさまれていて埋没感があるが、人口約1.7億人は世界8位である。近年は世界最速級の経済成長を続けており、すでにGDPは世界37位につけている。後発開発途上国(LDC)カテゴリーから正式に抜けるのは2026年と設定されているが、一人当たりGDPでも140位とすでに中堅に入り始めてきているのである。

バングラデシュと言えば、世界最貧国の一つで、日本とバングラデシュとの関係は、一方的な日本によるバングラデシュに対する援助だけである、という見方は、時代遅れになっている。

ところが、時に、バングラデシュを下に見るような教師面の日本人を見ることが少なくない。失笑に値する時代錯誤である。停滞する日本は、驚異的な経済成長を遂げるバングラデシュを、素直に称賛し、より深化したパートナーシップを模索していかなければならない立場にある。

もちろん長年の国際協力の実績がバングラデシュ国内で広く認知されていることは、日本外交にとって大きな資産である。その基盤を、双方の利益になる未来志向の「戦略的パートナーシップ」へと発展させていくための構想力が問われている。そのカギが、「インド太平洋」だろう。

バングラデシュは、早い段階から『自由で開かれたインド太平洋(FOIP)』構想に関心を持ってきている。本年4月の『IPO』は、簡潔な文章ではあるが、これまでの議論の結晶と言える。https://mofa.gov.bd/site/press_release/d8d7189a-7695-4ff5-9e2b-903fe0070ec9?fbclid=IwAR3q8OPYNX03We_iNBCr9VApaEsWN80l812K-kjg3hDWfTLvwZeCa2GMMpo

バングラデシュは独立以来、インドと親密な関係を維持している。しかし中国の経済発展の恩恵も受けており、一帯一路の重要な一角を占める。インドが「クアッド」に加入して、増大する中国の影響力をけん制する動きを「FOIP」の流れの中で進めていくのに刺激され、増大する影響力の行使に余念がない中国に対する警戒心を持ちながら、「バランシング」を心がけて「インド太平洋」を語る。それが「アウトルック(見通し)」という概念を選びとっている経緯でもある(ちなみにASEANもアウトルックという概念を用いながら「インド太平洋」を肯定的に語るので、同じ姿勢だとは言える)。

日本は、日米同盟を外交の基軸とし、「FOIP」の提唱者で推進役だ。米中対立の二極構造の中では、バングラデシュよりも旗幟鮮明に米国寄りである。もともとバングラデシュは、独立以来、非同盟主義の全方位外交を目指しており、立ち位置の違いは今に始まったことではない。それでも両国は親密な関係を保ってきた。数多くの相違にも関わらず、相互理解を図りやすいところもある。

島国として太平洋に浮かぶ日本は、太平洋の対岸に位置する超大国アメリカとの関係を最重要視した外交政策を取り続けている。だからといって中国との地理的な近さが捨象されるわけではない。近年のように中国の国力が日本のそれを凌駕する時代になってくると、日本には日本なりの「バランシング」が必要になっていることは、自明の事柄である。いわば日本は、2つの超大国に対して非対称な「バランシング」をとっている。バングラデシュはより対称性のある「バランシング」を採用しているが、常に必ず完全に中立的であるわけでもない。

つまるところ、超大国にはさまれながら、「バランシング」を余儀なくされている状況を共有する日本とバングラデシュは、お互いの発想方法を理解しあえるところがある。

それをふまえたうえで、バングラデシュの『インド太平洋アウトルック』を見てみよう。まず特筆しなければならないのは、バングラデシュの「国連憲章の諸原則」に対する深いコミットメントだ。これは独立以来の国是であると言ってよい。

日本では、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる態度が必ずしも明白ではない諸国があるのは、国際法に対する認識が浅いからだと言わんばかりの言説が見られる。しかし「国連憲章の諸原則」を重視する姿勢では、バングラデシュは真剣である。そもそもバングラデシュという国があるのも、「国連憲章の諸原則」のおかげだ。

日本の言論人の間では、「国連憲章の諸原則に基づく国際秩序」を「リベラルな国際秩序」と呼び変えるアメリカの学者に影響された態度が広範に見受けられる。これは非欧米社会では、間違った態度である。バングラデシュ『IPO』のように、「国連憲章の諸原則に基づく国際秩序」という概念構成を取るのが、正しい。

日本は、「国連憲章の諸原則」の重要性を共有する姿勢をともに確認することによって、バングラデシュとの間の「自由で開かれたインド太平洋」の「価値の共同体」の紐帯を深めたい。それが日本とバングラデシュの国益に合致する。バングラデシュは、自国の置かれた地政学的環境を鑑みて、ロシア侵略を避難する国連総会決議を棄権し、中国包囲網に関心を持っているかのように見えないようにすることに細心の注意を払うが、「国連憲章の諸原則」を再確認するネットワークとしての「FOIP」とは連携したいと考えている。日本としては、それは素直に受け止め、具体的なパートナーシップ活動につなげたい。

「国際社会の法の支配」のテーマは、実際に4月の岸田・ハシナ首脳会談でも強調された。https://www.mofa.go.jp/files/100496993.pdf そのうえで、バングラデシュとの間で、港湾整備を具体例にして、貿易促進を通じた経済的連携に重きを置くパートナーシップを模索するのは、当然ではある。しかしさらなる具体的な連携のテーマがあるのではないか。

『アウトルック』には、日本とバングラデシュが自然に連携すべきいくつかの政策分野が特記されている。たとえば災害予防・対策である。バングラデシュは自然災害に悩まされてきた国であり、気候変動の影響も大きく受け始めている。日本は、災害対策で国際的なイニシアチブをとることに強い関心を持ち、太平洋島嶼諸国と災害対策を目的にした国際会議を頻繁に催している。「インド太平洋」の考え方にそって、こうしたイニシアチブを、バングラデシュとも協働して進めていくのは、本来は自然かつ当然の流れであるはずだ。

さらに強調しなければならないのは、バングラデシュが国連PKO要員派遣世界一位の国であり、その実績を『インド太平洋アウトルック』の中でも協調していることだ。日本も国際平和活動への貢献に関心を持っているが、バングラデシュほどの実績はない。バングラデシュの経験に敬意を払いながら、ともにアフリカで能力構築支援などで協力する活動を増やし、ともに国際平和活動への貢献を「FOIP」と結びつける活動を開拓していきたい。そしてその太平洋の日本とインド洋のバングラデシュが、活動の地理的裾野をアフリカまで広げていくことは、まさに「自由で開かれたインド太平洋」の構想にふさわしい。(もちろん同じことは、インドにも、さらにいっそう強くあてはまるが、バングラデシュとインドは友好関係にあるので、日本がインドとの協働は、日本とバングラデシュとの協働とは競合しない。)

バングラデシュと日本の間に恒常的な制度的関係はない。しかし、ともに「FOIP」を語る「パートナー」とみなしあうだけで十分である。問題は、より具体的な「パートナーシップ」の協働の道筋である。

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