自民党の石破茂氏は、現在の政府の憲法92項解釈はわかりにくいので、削除が望ましいと主張している。興味深いことに、そこで石破氏は、『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省中学1年生用教科書)や「芦田修正」についてもふれる。blogos.com/article/275313/  

しばしば誤解されているが、石破氏は、誰よりも憲法学通説に忠実な方である。伝統的な憲法学の通説をすべて一度完全に受け入れている。そのうえで、だから92項を削除するしかない、との結論を付け加えるだけである。

私は石破氏の改憲案には賛成だ。ただし、2項だけでなく、1項も削除していい、とも言っている。9条がなければ、国際法を守ればいい/守らなければいけない、ことが、はっきりするからだ。

石破氏は、物腰柔らかな勉強家だ。それに対して、私などは、いかにも品がない。憲法学の憲法解釈が偏向している、などと言っている。私に言わせれば、石破氏が議論の前提としている憲法解釈は、戦後憲法学の陰謀の産物でしかない。

たとえば、石破氏は、『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省中学1年生用教科書)を参照し、それが憲法「制定当初の意図」と描写する。ただし、より正しく言えば、そこに反映されているのは、教科書策定にかかわった新憲法推進運動を展開していた運動家たち、つまり東大法学部系の憲法学者たちの憲法制定の頃の「意図」であろう。www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1711/01.html

1946年の新憲法案に対する採決においては、枢密院と貴族院で、元東大法学部憲法学教授の美濃部達吉と京都大学憲法学教授の佐々木惣一が反対票を投じた。その後も、大石義男・京都大学憲法学教授らは、新憲法は手続き違反で無効であるという立場をとった。

ただ、現役の東大法学部憲法学教授であった宮沢俊義が「八月革命」説をもって新憲法擁護の立場に立ち、東大法学部系の同僚たちによる大々的な政治運動にかかわり、新憲法に寄り添う戦後の憲法学の成立を準備した。宮沢は、文部省教科書と全く同じ題名の書物『あたらしい憲法のはなし』を、同じ1947年に、朝日新聞社から出版した人物でもある。

新憲法否定に流れていく可能性もあった憲法学会が、新憲法の擁護者となったのは、宮沢を中心とする勢力の立場が「学会通説」「学会多数性」「学会主流」になったからである。その過程で、『あたらしい憲法のはなし』も、一緒になって、「学会通説」を表すものとなった。

しかし、だからといって『はなし』が本当に日本国憲法典の一部であるわけではない。そこには戦前の大日本帝国憲法時代にドイツ法学に慣れ親しんでいた憲法学者らによる、新憲法の読み替えがあった。

宮沢らが苦心して日本国憲法への大転換を読み解こうとした過程で、ドイツ国法学的な発想が残存する解釈が定着した。国際法に準拠し、英米法的な発想で、憲法典を読み解こうとする意識は葬り去られた。本来は憲法典の条項のある一つの解釈でしかなかったものが、絶対的な「通説」となった。日本人は、実際の日本国憲法典を読むことをしなくなった。資格試験の際に憲法学者の基本書を読むのでなければ、『あたらしい憲法のはなし』の挿絵が挿入され続けている学校教科書を読んで、憲法を理解することになった。http://agora-web.jp/archives/2027165.html

端的に言おう。1946年当時、ドイツ国法学に慣れ親しんでいた日本の憲法学者たちは、アメリカ人が主導して進めた国際秩序の変更を知らず、アメリカ人が主導して作成された国連憲章の内容を全く意識していなかった。そして1946年以降も、日本国憲法におけるアメリカの影を葬り去ることに専心し、むしろアメリカを批判する道具として憲法を使うことに躍起になってきた。

その影響の一つが、日本の憲法学における「戦争」概念の19世紀的性格の残存である。日本の憲法学は、国際法上の概念である「自衛権」を、常に「自衛戦争」と言い換えてしまったうえで、だから「すべて憲法学者に仕切らせろ」、という態度をとり続けてきている。「交戦権」概念が現代国際法ではすでに死語になっていることを無視し、憲法の基本書のみに存在して現代国際法には存在しない、摩訶不思議な「(憲法学の基本書が定める)国際法上の交戦権」なる謎の概念を日本国内で普及させる運動を展開し続けてきた。本来の日本国憲法がまさに禁止しようとしていた、19世紀ドイツ国法学の発想を残存させる運動を、日本国憲法に反して、推進し続けたのが、憲法学者たちであった。<私の議論の長谷川幸洋氏による簡潔な整理:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54332?page=2>

私に言わせれば、石破氏も、その他の多くの日本人も、騙されているのである。憲法を語っているつもりになっていて、実は、憲法学の基本書を語っているにすぎないのである。

石破氏は、いわゆる「芦部修正」にも言及する。そして「芦部修正」を採用するのは無理だ、と主張する。典型的な憲法学の基本書の主張である。

しかし私に言わせれば、そもそも「芦田修正」なるもの自体が、憲法学者の陰謀なのである。

「芦田修正」とは、通常、1946年に日本政府憲法改正小委員会(委員長:芦田均)が、92項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を挿入する修正を行ったことを指す。憲法学「通説」は、芦田委員長が、9条が否定している「自衛戦争」を復活させる可能性を残すために、姑息にもつまらない文言を挿入する陰謀を働かせた、とする。憲法学「通説」は、そのうえで、「芦田」の陰謀は、文理上、破綻しているので、その姑息な試みは失敗している、と結論づける。

しかし私に言わせれば、この姑息な陰謀としての「芦田修正」説は、「憲法学会通説」を維持するための自作自演の芝居である。陰謀は、芦田均ではなく、憲法学会多数派のほうにある。

憲法改正小委員会が行ったのは、9条という特異な条項を憲法に挿入するにあたって、その背景を明確にしておきたい、ということだった。その背景とは、つまりすでに憲法の前文に書かれていた憲法の趣旨である。芦田にとって、「前項の目的」とは、「憲法の前文」と言い換えて全く問題ないことだった。前文の制定趣旨があって、その趣旨を反映した9条という特異な条項が生まれた。そのことを、芦田は明確化させたかったにすぎない。

憲法学会「通説」が否定しているのは、芦田の姑息な陰謀などではない。実は、憲法学会「通説」は、日本国憲法の「前文」を否定しているのである。

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日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

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「平和を愛する諸国民」とは日本国憲法起草の半年前に成立していた国連憲章に登場する言葉であり、つまり国連加盟国を指す。原加盟国の筆頭は、第二次世界大戦の戦勝国の筆頭である、アメリカ合衆国である。国際協調主義の精神にのっとり、アメリカが中心となっている国際秩序を受け入れ、その国際秩序の中で、名誉ある地位を占めたい、と宣言しているのが、日本国憲法「前文」である。したがって憲法9条は、国連憲章24項の「武力行使の一般的禁止」の原則及びその運用方法を受け入れ、さらに貢献していくために、憲法に挿入された条項である。それが、憲法改正小委員会が明確にしたかったことだ。

日本国憲法は、国際秩序に反旗を翻し、(個別的)自衛権を濫用して世界を戦争の惨禍に陥らせた経験を反映し、二度と国連憲章に反した19世紀国際法的な発想を振り回すことはしない、ということを誓っている。宣戦布告さえすれば正当に戦争を遂行できる「基本権」を主権国家は持っている、などといった今日では日本の憲法学会にしか生き残っていないような骨董品のような「交戦権」概念を、放棄しよう、と9条は誓っていたのである。

国連憲章24項で一般的に否定されている「戦争」を遂行するための「戦力(war potential)」を保持しないという2項の規定は、国際秩序を無視して暴走した大日本帝国軍の解体を正当化し、完遂させようとしていたマッカーサーの政策を裏付けるための国内法規定だ。国際法で禁止されている戦争を行うための大日本帝国軍のようなものは二度と持たない、というのが92項の趣旨であり、国連憲章で定められている自衛権を行使することも放棄する、などという乱雑な趣旨を、92項は持っていない。

1950年代に作られた内閣憲法調査会の会長を務めた高柳賢三は、すでに1963年の著作で、憲法学会通説が「芦田修正」と呼んでいること、つまり92項は自衛権を否定していないという論理は、むしろGHQの中では共有されていた、と指摘した。それを否定する論理が生まれたのは、東京帝国大学法学部出身で戦中に内閣法制局長官を務めながら、吉田茂内閣の憲法担当国務大臣として国会で憲法改正に関する答弁を担当した金森徳次郎によってであった(高柳賢三『天皇・憲法第9条』[有紀書房、1963年])。

英米法が専門であった高柳は、金森説を「通説」とした憲法学会の態度について、次のように述べた。

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私は日本国憲法ができる時に、勅選議員として貴族院で憲法討議に参加したが、新憲法の草案を見て、これは英米法的な憲法だなと思った。そのときからこの法を大陸法的な頭の日本法律家が妥当な解釈をするまでには相当混乱が起こるだろうという感じをもっていた。この予感は間違いでないことが段々分かってきた。例えば戦争放棄の第9条の解釈でこれが現れた。

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高柳が会長を務めた内閣憲法調査会は、1955年保守合同で改憲の機運が高まったときに設置されたものである。結局、高柳の強いリーダーシップで、改憲の必要はない、という結論が導き出される。英米法が専門の学者であった高柳は、「前文」で謳われている趣旨に沿って9条を解釈すれば、何も問題がない、GHQ関係者もそのような意図を持っていたことが調査で確証された、と判断し、改憲の必要はない、という結論を導き出したのである。

ところが憲法学会「通説」にそっていくと、「戦前の復活」を狙っていた憲法調査会の連中が、憲法学者らが主導した憲法擁護の「国民の声」に圧倒されて、遂に改憲を提案することができないところまで追い詰められた、といったストーリーになってしまう。

私に言わせれば、これはほとんど陰謀である。

高柳賢三は、1963年に、次のように述べた。

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(憲法)学会の通説について顧みると、ドイツ法学から十二分に学んだ法典実証主義の影響が第九条の解釈についても濃厚にあらわれていた。つまり刑法典や商法典の解釈方法とおなじ手法で、日本国憲法を解釈するという傾向がつよかったが、それが第九条の解釈にもあらわれていることが印象的であった。アメリカではジョン・マーシャルの古い警戒の言葉、すなわち、われわれの解釈せんとしているのは憲法であることを忘れてはならぬということが憲法解釈の金言として尊重されている。・・・マ(ッカーサー)元帥が一面日本は自衛のためにはいかなる措置をもとりうるとして九条の成文の規定を抹殺するかの如き態度をとりながら、他面これを不朽の記念塔として大切に保存すべきであろうとする“複線的解釈”は日本の法律家には了解に苦しむものがある。

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こうした事情から、今日でも、石破茂氏らは、9条の「複線的解釈」に苦しむ。そして、「削除」しかない、という結論に達する。

石破氏は、「いわゆる芦田修正」への反証として、次のように述べる。

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①もし第1項を「自衛のための武力の行使はできる」と解するならば、そのための戦力を保持できることは自明のことであり、第二項をわざわざ置く意味は全くなく、むしろ「前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力を保持する」と書く方が自然なのではないか

②同時に憲法に自衛のための組織に関する統制の規定や、自衛権行使にあたっての規定を置くのが当然ではないか

③「前項の目的を達するため」は「国の交戦権はこれを認めない」という部分にはかかっておらず、この部分は芦田修正にかかわらず生きているのではないか

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  について言えば、1946年初頭の日本では、まだ大日本帝国軍の解体も完成しておらず、今日の言葉で言う「DDR(武装解除・動員解除・社会再統合)」は、むしろ達成すべき一つの困難な政策課題であったことを想起しなければならない。近衛師団の残存勢力であった禁衛府と皇宮衛士総隊の解散指令をGHQが発したのが、ようやく463月である。今日の日本人は「必要最小限」の概念に毒されてしまっているため、「多少の量なら温存して良かったなら、憲法でそう言ってくれればよかったのに」といった発想にとらわれがちである。しかし「解体」の基準になるべきなのは、「量」ではなく、「質」だったのである。大日本帝国軍を受け継いでいる19世紀的な「戦争」組織は全面的な「解体」「放棄」対象であるのに対して、現代国際法に沿って自衛権を行使するための組織なら導入してもいい、と言うことに、何も矛盾はない。それどころか、それこそが国際法にそった考え方であり、世界の諸国の普通の考え方である。「質」でなく、「量」を基準にする発想は、ほんとうの日本国憲法の仕組みではなく、憲法学の陰謀的な発想の所産である。

  自衛組織や自衛権行使の規定が憲法典にないことは、何ら不思議なことではない。そもそも日本国憲法が目指していたのは、現代国際法を基盤にした国際秩序にしたがって国家を運営することだったのだから、国際法で規定されていることは、単に国際法を守ればそれで済む。また、国内組織に関する事柄は、通常法で規定するのが当然だ。憲法に組織法の規定がなくても、何も不思議なことはない。

  「交戦権」(rights of belligerency)否認の意味は、「二度と国際法を無視し、19世紀的ドイツ国法学的な国家の基本権思想などを振り回して、国際秩序を蹂躙することは致しません」、ということである。自己反省にもとづく寂しい内容の規定だが、歴史的経緯を考えれば仕方がなく、その点は「前文」ではっきり謳われているとおりである。アメリカ合衆国は、19世紀にモンロードクトリンの「相互錯綜回避」原則をヨーロッパ諸国に主張していた時代から、「交戦権否認」のドクトリンを持っていた。大日本帝国が「交戦権否認」ドクトリンに挑戦し、主権国家の戦争をする権利のようなものを振りかざしたので、「交戦権否認」を国内法規定にも入れ込ませた。「芦田修正」云々を言うことは、憲法学「通説」の陰謀に引っかかって、日本国憲法の全体的な趣旨や、歴史的背景を、意図的に見失おうとすることに他ならないのである。

*篠田英朗『ほんとうの憲法:戦後日本憲法学批判』(ちくま新書、2017年)、参照。