3月の出張を終えて、アフリカから戻る機内では、映画『関ケ原』を観た。そしてなぜか北朝鮮の金正恩氏のことを考えた。

映画『関ケ原』は、「義」を掲げて徳川家康との対決に執念を燃やす石田三成を中心に、1600915日、関ケ原の合戦に至る攻防を描いたものだ。映画では石田三成と伊賀者の間者との間の恋愛が織り交ぜられているが、それも決戦を迎える中での諜報戦の中でのことだ。戦国時代は生き残りに必死なので、武力だけでなく、外交諜報活動も激しかった。彼らの決定のほとんどは、自陣内に相手側の間者がいることを十分に意識したものばかりで、二重三重の作戦がはりめぐらされていた。

金正恩氏を思い出したのは、北京を電撃訪問して、習近平氏と会談した際の写真に、これまでとは異なる金正恩氏の表情を見たような気がしたからだ。「先輩指導者が発展させてきた朝中友好の貴重な伝統を継承し、新たな段階に高めることはわが党と政府の確固たる決心だ」などとまで述べたという。

人間は瀬戸際まで追い詰められれば、何でもやる。それは戦場で試される前に、外交諜報で試される。先日の『現代ビジネス』拙稿では、政権崩壊に至る可能性を含む一連の制裁に対して、金正恩氏がタイミングを外さず反応していることを論じたが、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54815 今回の中朝会談は、その流れの中で、北朝鮮包囲網の意味が大きく変質した、ある種のブレイクスルーに近いものであったかもしれない。珍しく緊張感にあふれた表情で初外遊を行った金正恩氏の表情は、そのような雰囲気を感じさせるものだった。

関ケ原の合戦時、経験不足の40歳だった石田三成は、しかし得意の権謀術数的な外交術には精力を注いでいた。当時、57歳の徳川家康は、百戦錬磨の経験を持っていたが、準備の面で石田三成が著しく劣っていたわけでもない。そもそも石田三成の西軍側は、東軍を圧倒する兵力を集めることに成功していた。中山道にいた徳川秀忠の軍が間に合わなかったこともあり、合戦当日、東軍約6万に対して、西軍は8万の兵を展開させていた。本来であれば西軍の勝利が確実だったのに、半日で大敗北を喫するという劇的な展開となった。

私は平和構築を専門としており、世界の紛争後地域を訪問調査するのが仕事の一部だが、趣味の一つとしては日本国内の戦跡もよくいく(戦争の展開終結の仕方が戦後処理に大きく影響することは、関ケ原の合戦と江戸統治体制が、典型例だが、場所や時代を問わず、いつもそうだ)。関ケ原町も散策したことがあるが、合戦陣地が実地でよくわかるので、おすすめの場所だと思っている。(「関ケ原ウォーランド」は印象深い施設で「徳川二百六十年の平和は、関ヶ原の農民の犠牲の上に成り立っている」というナレーションは耳に残った。」

「地理」に着目すれば、勝敗の行方が明らかだったことは、素人でもわかる。西軍側にいた15千の小早川秀秋の寝返りは有名だが、徳川家康と通じていた。さらに重要だったのは、東軍を包囲していたはずの15千の毛利輝元の軍が、吉川広家の画策もあって遂に参戦しなかったのみならず、東軍を背後から狙う他の西軍側の動きをせき止めてしまっていたことだ。もちろん本来の西軍大将であった毛利輝元が、大坂から動かなかったことも大きかった。

したがって優勢に見えた西軍は、実際には数において劣っており、東軍を包囲していたつもりの西軍は、実際には簡単に総崩れになる布陣をとってしまっていた。石田三成の力量の低さのためであったかもしれないが、勝っていたのは、全国に諜報機能を張り巡らせ、合戦直前には江戸城に引きこもって何百通もの手紙を書きまくっていたと言われる徳川家康の外交術であった。

今現在の世界でも、外交諜報活動は活発だろう。特に朝鮮半島のように緊張した情勢であれば、生きるか死ぬかで、やってくる。結局は、そこが国際政治の動向を大きく左右する。

日本は、欧米各国によるロシア外交官追放の動きに追随しなかった。まあアジアの国として立場が違うのは、その通りだろう。北朝鮮問題をめぐるロシアの役割は、微妙だが重要でないわけではない。日本なりの対応策があってもいいだろう。

日本は、国会審議を森友問題で延々と浪費させ続けて、北朝鮮の朝鮮労働党の機関紙・労働新聞政府に、「最大の圧力」は「アベ政治を許さない」といった日本人民の声から目をそらさせるためだ、と論評してもらっている。https://www.j-cast.com/2018/03/29324908.html?p=all 

森本問題も、北朝鮮の間者がいることを意識して、与野党協力して自らを愚鈍に見せるためのハイレベルな高等戦術か何かだったのか。わざと愚鈍なふりをしておく、というのは、戦国時代であれば、次のひそかな一手を打つための戦術だとは言える。

もっともそれもあくまでも次の一手があればこその戦術であり、いずれにしても現代国際政治では、もうあまり見られない戦術ではある。