大学での学生たちの交流は楽しい。しかし、国際政治学者などをやっているので、GW以降2カ月以上日本を離れていないことが、すっきりしない。とりあえず日本から出ないと息苦しい。
飛行機に長時間乗っているのは苦痛ではないですか?と聞かれることがよくある。そんなことはない。むしろ国際線は楽しい。このブログでも何回か、機内で観た映画について書いたことがある。私のような文化的野蛮人には、TVスクリーンの前で椅子に縛り付けられている時間が、時折は必要なのだろう。
小澤征爾氏の斎藤記念オーケストラのコンサートフィルムを観た。2016年のコンサートなので、小沢氏は81歳か。座りながら指揮をしている時間も長く、楽章と楽章の合間には、一休みして水を飲む。しかし、それにもかかわらず、ひとたび演奏が始まると、驚くべきエネルギッシュな姿で高次元の指揮をする。
私は高校時代までミュージシャンになりたかったのだが、小澤征爾の甥である小沢健二のおかげもあって、馬鹿な考えを引きずることなく、人生を変えることができた。その頃、小澤征爾氏にも興味を持ち、『ボクの音楽武者修行』を読んだ。まだ戦後の混乱も終息していないような日本に生まれながら、クラッシック音楽のような業界で、どのようにして小澤征爾氏は世界有数の指揮者となっていくことができたのか。パッと考えると、よくわからないところがある。小澤征爾氏が日本を飛び出していく物語の『音楽武者修行』を読んでよくわかった、ということはないのだが、一つ感じたことはあった。
人生には刺激が必要だ、ということだ。自分の知らない世界に行き、知らない人と接し、知らないことについて考えてみたりしないと、人間は衰える。
あるいは将来が見通せないような状況、あるいは世界が一夜で一変してしまったような状況に置かれると、人間は疲労困憊してしまうかもしれないが、逆に恐るべき底力を発揮することもある。戦後直後の日本も、そういう環境にあった。
広島出身のミュージシャンが多いと言われる。統計処理をした研究を見たことがないので、本当にそうなのかは知らない。しかし被爆二世で壮絶な幼少期を過ごした矢沢永吉氏の『成り上がり』を読んだことがある人であれば、それは不思議ではないのかな、という気がするのではないか。
現代日本でも才能ある若者がたくさんいる。彼らに十二分な刺激が注ぎ込まれれば、次々と天才が生まれ、たとえ人口が減っても、日本は衰退しないだろう。
だが、本当に大丈夫か?と考えてしまう実情がある。「内向き」日本に閉塞感が蔓延している。ムラ社会のいざこざのようなケンカが続いている。毎日毎日、別のムラの住人の悪口を言って罵りあうだけの生活を送っているような人もたくさんいる。
みな時折は、椅子に縛り付けてもらって、無理やりにでも「天才」のパフォーマンスを見て、新しい刺激を受けたほうがいいのではないか。
学期末の雑感
私立大学の方には申し訳ないが、国立大学では春学期の授業期間が終った。私が代表を務める広島平和構築人材育成センター(HPC)が実施する「平和構築・開発のためのグローバル人材育成事業」の新しい事業期間の立ち上げも重なり、忙しくて、ブログの更新も途切れがちになってしまった。https://www.peacebuilderscenter.jp/news/2018-07-11.html
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広島も何度か行ったが実に素晴らしいところだが、何年か前に行ったときに本来は美しい農村地帯が自然災害で見るも無残になっており、地元の方も「復興にあと何年もかかるだろう」と言っていた。今回の災害がさらに追い打ちをかけたかと思うと非常に気の毒だ。今後も広島が地方でも有数の活気ある都市であり続けることは間違いないだろう。人間の質とエネルギーが高いからだ。食い物もうまい。
重ねて幸いなことに、周囲に語学の練達者がいて、友人の妻が東京外大のキャンパスが北区西原にあった時代、ウルドゥー語の卒業生だった(インド・パキスタン語学科)。初対面の際、世界的イスラム学者の井筒俊彦がヒンドゥスターニー(語)について書いていた内容を質問して、意気投合したことがある。
ヒンドゥスターニーは共通ウルドゥー・ヒンディー語の側面と、それが元々ウルドゥー語の異称で、欧米ではその方が通りがよかった特殊な事情がある。さらに、イスラム教徒がアラビア文字で書くウルドゥー語と、ヒンドゥー教徒がデーヴァナーガリー文字で書くヒンディー語が同根であることを知らないとトンチンカンなことになる。有名なOxfordの’Plattsの辞書’というのがあって、私が所持していると言うと、彼女はまだ充分に使いこなせないということだった。パキスタン人が摘発されると警察の事情聴取に通訳として駆り出されると聞かされて、大変だなと思った。当然のように英語は達人だった。
6年前に98歳で死去した音楽評論家の吉田秀和氏も語学の達人で、記者の役得でインタビューを兼ねて自宅を訪ねた折、プルースト『失われた時を求めて』を日課で、原文で読むのだと聞かされた。夫人がドイツ人(バルバラさん)だからドイツ語にも通暁していた。最晩年、シュピーゲル(Der Spiegel)で原発政策の転換を熱心に調べていたのを思い出す。
同じ上智の学生で、高卒で英国からバーレーンに渡って一稼ぎして大学に入ったという変わり種もいた。桐生出身の女性で「textileを世界に紹介したい」とのことだった。バーレーンの英国系企業に高給でスカウトされた由だったが、外出が大変だったという。今は学習院女子大教授の美術評論家・清水敏男さんにも世話になった。この人もソルボンヌ時代、後に夫人となる女性とアルジェリアで通訳として大いに稼いだという武勇伝を聞いた。
コメント投稿者の会社員さんが、中東滞在の経験者らしいが、現地から見ると日本は不思議な国に見えるだろうことは難くない。「甘ったれ平和主義」の実態をどの程度知っているか、とても胸を張って世界に誇れるものではなかろう、と思う。
翻ってよく考えてみると、憲法九条問題は、安全保障政策の面以上に、日本特有の戦後の自己確認の混乱という、優れて精神史的な問題だ思う。九条解釈の混迷は歴史の必然に押し流され、自ずから解消してしまう可能性もあるが。
極東の島国の住民はよく西洋文明を消化吸収して現在も一流国に伍しているが、今後もその地位が保証される理由はない。左翼やメディアに国の方向を変える力がないのは戦後史が証明しており、展望はミネルヴァの梟のように昏い。
また、ベルリンの壁崩壊後、「グローバリズム」という名前で、なんでも米国式やり方がすばらしい、という学者やマスコミの主張にも疑問をもった。日本は、戦後ずっと、自由と民主主義の政治体制で繁栄してきた。西ドイツと米国のシステムは、同じ自由で民主主義と言っても、政治、経済のシステムが微妙に違う。なんのために、米国のシステムを取り入れなければならないのだろう?現実の日本は、マスコミ学者の扇動にのって米国のシステムを取り入れたから、格差社会が広がっているみたいであるが、なにごとも、バランス感覚が大事で、9条問題も、現実世界をよくみて、対応策を考えれば、結論はおのずと出るのではないのか、と私は思う。
日本の憲法学は、現状では「憲法制定権力」(芦部信喜)や「近代立憲主義」(樋口陽一)など特殊なテーマに限定しなければ法学博士論文さえ書けぬ窮状(九条)に陥っている。そのことは、当の憲法学者自身が熟知している。篠田さんから「博士論文一つない」と揶揄された水島朝穂氏のようなお調子者が、激昂したのも、「俺にどうしろと言うんだ」という叫びだった。
それは、2014年以前、少々学界倫理的なフライングを犯した長谷部恭男氏(日本公法学界常務理事)のような抜け目のない人物が、「改心」して復権を果たし、「法律家共同体のコンセンサス」という「Jurist専制支配」を宣言したことで、隠微な学界支配(自主規制)がメディアも総動員した身も蓋もない「禁令」に変わったことを意味する。それは、「立憲デモクラシーの会」に結集したメンバーに代表される、「ガラパゴス化」の色彩を深めた学界主流派に象徴される戦後的思考の硬直化が一層進んだことを意味するが、彼ら自体は格別の展望や洞察はなく、篠田さんを共通の敵に見立て、ひたすら党派的防衛に後退しているにすぎない。それは「時代の変化」という意味での抗い難い現実への最後の抵抗ラインなのだろう。
ところで、わが国の特異な憲法論議がしばしば、中世スコラ哲学の神学論議と比べられるが、その内実を少々知る立場で言えば、カトリックの正統神学はもっと風通しがよい。人口に膾炙した如上の見解は、実は論理意識が低下したデカルト以降の近代の俗説だ。「スコラ的」を説明して「煩瑣で無用な議論の形容」(『広辞苑』)の代名詞の如くに称するが、「神学論争」の実態を知らない識者やメディアが単なる耳学問かイメージで語るのは、度を越したアナロジーの論理であって、日本の憲法学には当てはまっても、「本家」には何の関係もない。
長年にわたって修正されずに現代に至った固定観念というのは、それほど強固なものだ。篠田さんが指摘した日本国憲法の通俗的理解である三大原理もその一つだ。神学論議の前提になる哲学、とりわけ論理学について、よく神学の哲学への優位に準えて、「論理学は神学の侍女(婢女)」とされ、それはその通りなのだが、中世の教育制度からみてそうなるのであって、神学を学ぶ前提として、学生は所謂リベラルアーツ「自由七科」を習得しなくてはならず、とりわけ最重要視されたのが論理学だったことを指しているにすぎない。
例えば、トマスの『神学大全』(第一部第三問第一項=「神は物体であるか」)の場合、一つの問いが立てられ、それに対して肯定、否定の二つの命題が定立される。肯定の回答は否定されるべき命題であり、それゆえ正論ではなく異論と呼ばれ、この異論的命題(A、B)はいろいろな仕方で証明されるが、いずれも(アリストテレス)論理学的にはBarbara(第一格第一式)である。次いで、異論に対する反論として聖書の記述に基づき別の命題を提示し、さらに主論として自らのテーゼ、即ち正論を複数の方法で証明する。それが論理学の推論式的には①Cesare(第二格第一式)、②Camestres(第二格第二式)、③Celarent(第一格第二式)になる。
憲法学のような論理的虚偽の介入する余地がない。
翻って、憲法九条に憲法典の条文や判例、解釈の蓄積はあっても、聖書(的権威)は存在しない。「八月革命説」は出来の悪い神話にすぎない。神話は「ミュートス」(mythos=μύθος)という。このギリシア語由来の語の本来の意味は「物語」(「説話」)であり「虚構」でもある。つまり、言葉や理論=ロゴス(λόγος)で充分説明できないことや内容を、譬え話として分かりやすく説いたという趣旨だ。
憲法の制定過程や確立した国際法規範を無視したり、無制限の国内的類推で条文を一義的に解釈することは、論理的にはナンセンスである。しかも解釈改憲に非を鳴らしながら有効な反論を行わず、解釈の多義性を排除する有効な代替的改正案を具体的に追求する知的誠実ささえない。外部からの批判への「異端審問」に熱心な一方、結果的に彼らの否定したい現状を追認せざるを得ず、「立憲デモクラシーの会」なるイデオロギー組織を通じて、児戯に等しい抵抗運動に現を抜かしている。「法律家共同体のコンセンサス」というロゴス的ならざる対抗軸は、憲法学という「学問の論理」に真っ向から離反する集団的思考停止の虚偽であり、パリサイ的偽善の最たるものだ。
少しは恥を知ればいい。
http://www.asaho.com/jpn/profile.html
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=9952&item_no=1&page_id=13&block_id=21
法学の世界では、憲法学に限らず、学界で有力な学者でも博士号をもっておらず修士号すらなく学歴上は学士の方が多く、大学院には行かずに東京大学法学部の助手に採用され助手論文を書き上げ最終的に東大法学部教授になるのが最優秀の方のコースとされていました。もっとも、最近は、大学院重視となった関係で、少し、事情が変わってきているようですが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E5%8A%A9%E6%89%8B
これは、外交官の世界で、大学3年次に外交官試験(現在は廃止)に受かって東大や京大を中退する方が箔がつくといった現象に近い現象かもしれませんが、日本特有のガラパゴスな現象と思います。
http://d.hatena.ne.jp/kanryo/20040913
水島朝穂教授は、失礼ながら、同僚の東大法学部出身の長谷部恭男早稲田大学教授には到底及ばないように思います。
「水島朝穂教授は、失礼ながら、同僚の東大法学部出身の長谷部恭男早稲田大学教授には到底及ばないように思います。」との記載ですが、前に「日本のガラパゴスな世界観からすると、」を挿入した方が良さそうですね。
コメント14のご指摘、わざわざ有難うございます。
水島朝穂氏が博士号の所持者だと伺って、改めて妙な人物だと思いました。篠田さんへの敵意をむき出しにした、常軌を逸した例のブログ記事「憲法研究者に対する執拗な論難に答える」(2017年10月16~20日)の冒頭「はじめに―批判を開始するにあたって」の中で、憲法学者が博士論文を書きづらい内情を「理系に比べれば、まだまだハードルは高い」などとクドクド言い訳めいた調子で書いていたので、てっきりと思いましたが、それなら誰のために弁明しているのか、訝しむ次第です。
憲法学とは幾分事情が異なりますが、私自身、2000年代初期に『≪京都学派≫を中心とする日本近代哲学史のために』と題して、膨大な資料をまとめた中で、哲学者たちがポストや勢力拡大をめぐって研究以外の分野で「哲学者らしからぬ」陰湿というか浅ましい勢力争いや神経戦を繰り広げているのを未公開資料を突き合わせるなかで確認して、誠に疎ましい気持ちになった経験から、学界的権威の周縁で虎の威を借りて尊大に振舞っている、水島氏のような人物のメンタリティーは直観的に分かるのです。
「憲法研究者に対する・・」は、水島氏がいかに篠田さんから衝撃を受けたか、全篇「語るに落ちる」といった体の文書で、何のためにこの役を買って出たか(お先棒を担いでいるか)、想像がつきます。末尾の「連載を終わるにあたって」も恨み節なのか嫉妬なのか、誠にnobleさの欠片もない小人物です。それをこの国では「左翼的」と言うのでしょうが、水島氏は学界の権威に右顧左眄し党派的な行動では軽挙妄動を厭わないお調子者、唾棄すべきパリサイ人なのだと思います。
これまで、折に触れて憲法論議やスコラ哲学からソフィストに至る、無批判な俗説の受容による知的、学問的荒廃について書いてきたなかで、人口に膾炙した「世間的常識」が検証されざる単なる臆説(δόξα=ドクサ)であり、一見他愛ないが、根深い先入見、固定観念となって人々を無意識裏に支配する時、真実を見極めるうえで如何に有害かを、「カジュアルな知恵袋」として重宝されるWikipediaの弊害と併せて考える。
散見される日本版Wikipediaの欠陥について、以前本コメント欄でも紹介した(7月5日=75,76)。「ソフィスト」はその典型であり、日本人に限らず世界の専門家からみて、「日本の恥だと思うくらいのレベルだ」と。
ソフィストはギリシア語(Σοφιστής)で知慧のよく働く人の意味で、転じて知者を意味するのに、そこからどのようにして「詭弁家」(‘use a sophistry’=「詭弁を弄する」人)という後世の否定的評価が生まれたかに関する歴史的経緯や、当時のアテーナイ社会への基本的な理解が欠落している、と。
動詞 σοφίζω(sophizō)が名詞化したとの指摘は正しいが、動詞の能動相と中動相の「知をはたらかせる」と受動相の「知がはたらくようにさせる」の区別を全く顧慮していない点で「本項の記述者にギリシア語の基本的知識、理解が全く欠けている」と疑念を示し、思想史上の中核的項目を当該分野の専門家ではない素人に任せる日本版Wikipedia の「編集方針」上の無責任体質を批判した。その自覚が皆無ではないことを裏付けるように、彌縫策として末尾下段に無料で閲覧できる、哲学専門のオンライン百科事典(英文)『スタンフォード哲学百科事典』(Stanford Encyclopedia of Philosophy)の案内はあるが、それでは「『スタンフォード哲学百科事典』に丸投げ」ではないか、と。
日本版の記述は、そもそも「ソフィスト」の名で総称される一群の人々は、ペルシャ戦争以後、海上帝国となったアテーナイの新時代の教育需要に応じて登場してきた新しいタイプの当時一流の外国人の知識人を指すことを見落としており、しかも彼らが地中海各地から民主制の「帝都」アテーナイを訪れ、高額の授業料を取って、人々の求める国家有数の人材となるための能力(アレーテー=ἀρετή)を授けることを約束した事実を軽視している。従って、アテーナイ市民権はなく、アテーナイ人のソクラテスとは立場が基本的に異なることを押さえて置かないと認識を誤る、と。
「徳」と訳されるἀρετήの基本的意味は「よさ」「優秀性」「卓越性」のことで、一般的に国家有為の人材がその第一と考えられた。民主制都市国家ではその最も具体的な技術として民会で市民を、政務審議会で同僚を説得する技術、つまり「国家社会のための技術」としての言論の技術である弁論術(レトリケー=ρητορική)を伝授する役割を期待されたのが、巧みな弁論と該博な知識を誇る外国人教師ソフィストだった。高度の知的訓練を約束したからこそ高給で雇われた、ということだ。
ソクラテスは「商売妨害」でソフィストに憎まれ、裁判にかけられたのではない。むしろ、ソフィスト顔負けの巧みな弁論を駆使するソクラテスがソフィストの同類と見なされた(アリストパネスの著名な喜劇『雲』)くらいで、後年の刑死につながる恨みを買ったのは、アテーナイ政界の有力者に盲従せず、政治的に危険人物視されたのが大きい。ペロポネソス戦争後の寡頭独裁「三十人政権」の中心人物クリティアスや、一時スパルタに寝返ったアルキビアデス率いるシチリア遠征軍が壊滅して戦局が暗転したことなども、二人の師であるソクラテスの立場を危うくしただろうことは容易に想像できる。
戦勝国スパルタの権力を背景に、敗戦国の敵対する勢力同士が政治的報復合戦を展開することは、何もアテーナイに限らない。民主制が回復するまで短期間に1,500人以上が殺された。
告訴状が掲げた罪状、「国の認める神を認めず、別の新たな鬼神の祀りを導入し、青年たちに害毒を与える罪を犯した」は当時のアテーナイではありふれた内容で、憲法学者が篠田さんに繰り出す「三流蓑田胸喜」批判と大差ない。裏で糸を引いていたのは民主派の有力者アニュトス一派だった。
当時28歳だったプラトンにとって、ソクラテスの死は生涯消えることのない衝撃だった。父方母方ともアテーナイきっての名門で、政治的指導者として将来を嘱望された御曹司が、政治を断念し、師の残した「問い」を生涯かけて追求し、弟子のアリストテレスとともに、西洋の背骨となる哲学という思考の枠組みを創造した。哲学はその内実を知ろうともしないナイーヴな教養人には、それこそ気楽な観念遊戯のようにみられ、実際、現実社会への影響力も微弱だが、人間を根底から規定している「経験」自体を構成する基本的な思考の枠組み(パラダイム)にかかわっている。
主語と述語、実体と属性、素材と形相、可能と現実、原因と結果(目的)、普遍と特殊、理論と実践、カテゴリー(最高類概念)・・、私たちが今日何の疑いもなく使用するこれらの言葉は、ソクラテス、プラトンの真正の継承者であるアリストテレスの強靭な思考力によって世界観、自然観を記述する中核概念として編み出され、彼一代の奇蹟的な達成である完璧な三段論法=論理学に接合され、今日に至っている。概念の構成・使用に関する限り、われわれは今なおアリストテレスの手に内にある。
いずれにしても、古代ギリシアの戦争と政治をめぐる歴史は、ソクラテスやプラトンのような卓越した知性とペリクレスのような優れた政治的指導者の存在もあって、現代を逆照射する「鑑」になっている。
「ソクラテスの弁明」
紀元前399年、アテナイの民衆裁判所、500人の市民陪審員を前に、メレトスらによる論告、求刑弁論の後、ソクラテスは自己に対する弁護、弁明を開始する。
自分は、自分より賢い者はいない、と主張しているのではなくて、数々の知者と呼ばれている人の対話により、自分は知者ではないが、賢いとされる人々も最も必要である真の知をもたず、したがって知者ではないことを知っている自分はその分だけ賢い、という結論に達した、とまず弁明する。そして、ソクラテスは、真の知を追究し、魂の世話を図ることを薦めることは、神から与えられた自分の使命であって、国家の命令がそれを禁じようとも自分にはやめられない、ということを語る。けれど、彼の弁明は空しく、彼は、市民陪審員によって、「死刑」を宣告される。
民衆裁判所による死刑判決から30日後、死刑執行を待つ身であるソクラテスが繋がれたアテネの牢獄にクリトンが現れ、逃亡するようにソクラテスを説得しようとする。
ソクラテスは、熟考の結果、最善と思われる考え以外には従わない、と応じ、「自分は戦争の従軍経験を除いては、アテナイの町を出ることもなく、他国やその法律に興味をもたず、ここで子供をもうけ、この国家に満足してきたし、裁判中には、追放刑を定義することもできたが、それよりも死を選ぶ、と公言した。」と、クリトンの説得を拒絶し、刑に服するのである。
この二つの著書で、我々はソクラテスという人は、民主的な方法で課された判決、法律は、自分の考えとは違っても従うべきであると考えたソクラテスに、「法治国家、民主主義国家の原則」を見、自分の命にかけて真の知を追究しようとしたソクラテスに、学問の起源をみる。
私がドイツ文化を好きだから、「ドイツ国法学が卑しめられるのが許せない」、という動機でコメント欄に投稿してきたわけではなくて、「日本国憲法」の解釈はどうあるのが本来の姿なのか、という真の知を追究したいから、篠田先生のブログを読み、調べ、自分の所見を投稿している。学問とどう向き合うべきなのかは、「ソクラテス」を通じて高校時代の倫社の先生と学問好きの父に教わったものであるが、万国共通、変わらないのではないのだろうか?
ついでにご助言申し上げれば、プラトンには『ソピステス』(‘‘Σοφιστής’’)というそのままズバリ、全篇でソフィストを扱った後期の対話篇があるから、一読を薦める。プラトンの印象も随分変わるだろう。岩波書店版『プラトン全集』(第2巻)で読める。訳者は誰あろうわが師藤澤令夫氏で、名訳である。
以下は、ブログコメント読者への20~23の補足である。
ソフィストの悪名の由来を明らかにするために、ソクラテスの死の謎を問い、それがいかなる理由でもたらされ、ソクラテスが主張した哲学とは一体何だったのかを追求したのが西洋哲学の「事実上」の創始者プラトンだった。その高弟アリストテレスは師の意図を充分理解しつつ、さらに別の観点から哲学の意味を見定めようと思索を重ね、主著『形而上学』の中で、歴史上最初の哲学史の記述を試みている。また、プラトンと同世代のクセノポンが有名な『ソクラテスの思い出』などで貴重な証言を残している。この三者がそれぞれニュアンスの違いはあっても代表的なソクラテスの証言者であり、ソフィストの悪名の由来にもなった。
それとは別の観点、つまり哲学者ではなく多くの歴史家たちによる異論、いかにも常識人で、ある意味で凡庸ですらあるクセノポンの証言をプラトンに対する公平性の観点から重視する見解も数多く残されている。イギリスの代表的なギリシア史家G. グロートはソフィストを再評価したことで著名だ。
このように、哲学史上(歴史学上も)「ソクラテス問題」とされる甲論乙駁が、三者以外の他の古代の著作に残る断片やさまざまな資料(史料)に基づく証言によって展開されてきた。それが、ソクラテスの死(紀元前399年)から数えて二千四百年に及ぶ哲学の歴史であり、十九世紀以来の厳密に文献学的な西洋古典学の研究の蓄積でもあった(十九世紀の最も学問的な貢献の多くはドイツ人研究者による)。
以上はこの問題、即ち「ソフィストの実像」やソクラテスの哲学史上の位置づけ、プラトンやアリストテレスの証言、とりわけ後世に対して最も影響力の大きかったプラトンが対話篇の中に現われたソクラテス像に対する歴史的観点からの妥当性について、今日の視点からどう考えるか、という問題意識である。
プラトンやアリストテレスも一つの資料として勘案した歴史上の「ソフィストの実像」は、ソフィストが充分な学識を備えた徳の教師であり有能な弁論家であって、問答競技の専門家だった、という事実だ。一言で言えば、当時一流の「知識人」だったというだけのことだ。これまで指摘してきたように、そこに特段悪い意味はない。
アナロジーの論理のもつ危険性は充分警戒しつつ、それを現代になぞらえて表現すれば、大学で哲学を教える学識豊かな教師はソクラテスやプラトンの基準で言えば「世界の真相について何ほどかのことを、さも知っているかのように見せかけて、実際には真実を何も語らず、真実らしきものの周囲を彷徨し、知的装飾で取り繕っている似而非哲学者」ということになる。真の知を求める智者や哲学者とは異なる似而非知識人ということだろう。私たちの周囲にも思い当たる例が少なくない。しかし、実際のソフィストはこうした後世の「悪名」を聞くことなしに死んでいったことは、多くの史実からほぼ明らかだ。ソフィストに着せられた汚名は後づけの論理という一面がある。
それではなぜ、ソフィストがソクラテスの口を藉りてプラトンによってそれほどに厳しく批判されたかと言えば、それはプラトンが真の学問的(哲学的)探究に求めた水準が高かったからである。プラトンの厳しい批判的精神の前では、豊かな学識を誇る有能な弁論術の外国人教師であったソフィスト(顧客の大半はアテーナイの富裕層)といえども、単なる似而非知識人にすぎなかった。
ソクラテスは戦勝国スパルタの権威を後ろ盾にした寡頭独裁政権が倒れ、アテーナイにひとまず民主制が復活した時代に、裁判にかけられ、民衆の法によって刑死させられた。代表作『国家』には「ソフィストを非難する大衆こそ実際には最大のソフィストであり、若者たちに最も効果的な教育を施している」(第6巻492A~493A)、「ソフィストの与える教育の内実は、民衆の通念以外の何ものでもない(多数者が喜ぶものを「善」、嫌うものを「悪」と呼ぶ)」(第4巻493A~D)という激しい言葉が並ぶ。ソフィストはその実体によってではなく、結局は民衆に迎合せざるを得ない哲学的不徹底の故に批判されたのである。
それが当時の政治家や有力者にも向けられているのは自明だ。弁護士出身の政治家が横行し、政策不在の法廷論争まがいの不毛な国会論争が充満する現在の日本でも思い当たる現象だ。弁護士の卑称が「三百代言」とされたように。しかし、敢えて彼らの名誉のために言えば、ソフィストの知的水準は現在の弁護士より遥かに高いようである。
ソクラテスの最期を感動的に描いたプラトンの対話篇『パイドン』が問うている「死の意味」は、民主制の擁護などでは断じてないのである<完>。
篠田さんのこのブログの本文、それに対するコメント欄の投稿の中で、誰が一体、いつ、どこで「ドイツ国法学」を卑しめていただろうか? 「ドイツ国法学が卑しめられる」とは、一体どういう意味なのか。独自にそうした決定的事実でも掴んでいるのだろうか? 狐につままれたような奇怪な言い分である。
篠田さんが繰り返し主張するのは、日本国憲法はその制定過程や中核となる法理(原理、理念、概念、論理構成)に照らして、大日本帝国憲法のようにドイツ国法学(公法学)的な概念や論理構成では正しく解釈できない、ということに尽きるのであって、別に誰もドイツ国法学を貶めてはいない。一般的には、ドイツ国法学の代表であるイェリネクやケルゼンの『一般国家学』は、「読むのも面倒だ」という程度の話ではないか(私は戦前の清宮四郎の旧訳でケルゼンの方は読んだが)。
篠田さんは「東大法学部系」が主流である憲法学者の憲法論、とりわけ九条解釈に関して、確立された国際法規範への正当な顧慮を求め、大日本帝国憲法と異なる新たな解釈を要請し、その論拠を明らかにしている。その趣旨はドイツ国法学の誤った適用を戒めることであって、ドイツ国法学自体の否定ではない。
その程度のことがなぜ、この期に及んでもカロリーネ氏には理解できないのだろうか?
イェリネクやケルゼンの『一般国家学』をその後、実際に読んだのなら、なおさらそうではないか、と思うのだが。
コメント29の9~11行「ソフィストの与える教育の内実は、民衆の通念以外の何ものでもない(多数者が喜ぶものを「善」、嫌うものを「悪」と呼ぶ)」(第4巻493A~D)の中で、(第4巻493A~D)とあるのは「第6巻」の誤り。
安倍晋三首相や麻生太郎財務相・副総理(元首相)=以下敬称略=について、メディアなどで伝えられる印象と実態が懸け離れているのではとの疑問が絶えない。指導者としての資質(知性または露骨に言えば学歴)を問う声もある。メディア報道の印象に基づく根強い誤解もあるようだ。
朝日、毎日、東京、TBS、テレビ朝日や共同通信の傾向は概してそうかもしれない。学歴は知性を推し量る一つの指標であるのは確かだが、それ以上でも以下でもなく、通常想像されているほどの意味はない。
「一所懸命勉強して目標とする難関校に入学できた」という程度の価値観に、世間がどのくらい重きを置いているか、分からないが、東大や京大をヒエラルキーの頂上に置くこうした素朴な学歴偏愛は、もともと受験産業や見合い業者、メディアに任せておけばいいのではないか、と思う。学歴需要は確かに厳存するからだ。学歴を誇る心性は他に取り柄がないことの指標にもなる。
麻生の父、麻生太賀吉は九州帝大法文学部の聴講生であったようだが、元来、学歴などを必要としない独立不羈の人物で、母方の祖父・吉田茂のような東京帝大政治学科卒(学習院7年を経て28歳と遅い)のようなインテリとは違う実業家で九州政財界の大立者だった。
麻生は曽祖父が設立に関わった学習院大政治学科を卒業後、スタンフォード大大学院修士課程や篠田さんも在籍したLSEで学んでいる。水野成夫のつてで留学前に産経新聞社に入社している。LSE時代の影響か堪能な英語は「コックニー訛り」という嘘か本当か分からない穿った観察もある(母和子は吉田茂の駐英大使時代の滞在経験から英語に堪能。伯父吉田健一はケンブリッジ卒の英文学者)。
麻生は勉強に熱中するタイプではなかったのは事実だが、学歴以上の知性の持ち主でないとは言えない。首相時代の「未曾有」の誤読など取るに足りない。
麻生は父太賀吉譲りの実業家としての経営者感覚と、母方の祖父吉田茂譲りのしたたかな状況判断力で政界処世術にも長けている。幼少期、祖父の傍らで育ち、土佐出身の所謂「いごっそう」(快男児、気骨ある頑固者等を意味する土佐弁)の五男であった吉田が、大久保利通の次男で内大臣を務めた薩摩閥官僚の中心的存在で外交界の大立者、牧野伸顕の長女雪子と結婚することで揺るぎないものにした人的(閨閥)ネットワーク(近衛文麿、木戸幸一、原田熊雄ら宮中政治家)の意味は、外交官、政治家として奔走するうえで大きかったろう。
生家の竹内姓から養子として吉田姓になった吉田は、早くに死去した貿易商の養父が遺した多額の遺産(明治21年当時で5,000円を下らないとされた)を得た。弱冠11歳で恒産を継承した当主であったことが、その後の吉田の自由な発想の前提になったとの見方がある。制度や予め設定された公式な手続きより人脈を重視する気質は、麻生にも空気のように受け継がれたのだろう。それは、周囲の空気に左右されない確固たる信念と、逆境にめげない強靭な精神力、状況を本能的に見抜き、目的のための手段選択に躊躇しない果断な決断力、名利への恬淡さということになる。
「(吉田が)誉められてもあまり発奮しないが反対されると発奮する」(麻生和子)という性癖があったというから、祖父譲りの「意地でも持論を枉げない」麻生の心性を気づかないのか、気づかぬふりをしているのか、メディアの対応は大人げない。
麻生の祖母の夏子は子爵加納久宜(1876年に華族学校[学習院]の設立建議)の六女で、三笠宮親王妃殿下の信子(太賀吉三女)は妹、彬子女王、瑶子女王は姪になる。幾重にも絡んだ名望家との姻戚関係が麻生の強みだ。
一方の安倍は、いずれも秀才揃いの安倍(長州の大庄屋)、岸(実家は実弟の佐藤栄作と同じ佐藤姓の酒造家)両家の中では父祖に見劣りするのは否めないが、戦前は革新官僚として大陸経営に辣腕をふるい、戦後は元A級戦犯の桎梏を克服して保守政権の隠れた主役であった岸や大叔父佐藤という二人の元首相経験者による戦後版長州閥のDNAを確実に受け継いでいるおり、やはり成るべくして宰相になったといえる。
戦後政治に大きな足跡を残した二人の祖父には、浅からぬ因縁がある。岸の母茂世は大変教育熱心な女性で、佐藤本家を継いだ実弟松介に、夫の生家の養子に出した次男信介の教育を託する。松介の死後は茂世の妹の夫である吉田祥朔に信介を託した。祥朔の子、寛は吉田茂の長女桜子と結婚しており、両者は浅からぬ関係にあったことは注目されてよい。
占領下の日本は、内政を実質上、GHQに握られている。天皇制を維持する憲法改正と独立回復が、吉田の得意とする「外交的」政治課題の中核だったが、朝鮮戦争が起こり、共産主義勢力が攻勢を強めるなかで、吉田は西側諸国との講和条約締結を急ぎ、冷戦下の当面の安全保障政策として、米国との軍事同盟を選んだ。リアリスト吉田にとって日本国憲法が「全体として、国際政治力学のなかから生まれ出た国際条約文書」(渡邉昭夫)だと熟知していたのと同時に、中ソを含めた連合国全体との全面講和は天皇制を維持していくうえで逆に混乱を招くという意味で、皇室の藩屏「臣吉田茂」にはあり得ない選択肢だった。それは西側自由主義陣営の一員として戦後を歩むことに国の命運を託した、優れて政治的な選択だった。日米安保条約が講和と事実上セットであった。
岸の時代、安保条約の改定をめぐって国論が二分したのは、西側陣営の一員として国際社会への復帰を果たし戦後復興を加速化させた日本の、講和に伴う不可分な束縛として締結した日米安保の再定義=「選び直し」をめぐる対立だった。講和による国際社会への復帰は上首尾だったが、なぜ日米軍事同盟とセットでなくてはいけないのか、別の違った選択肢があるのではないか? と。吉田とは異なる戦中戦後を政治の中枢で歩み、元A級戦犯の十字架を背負い続けた岸が奇蹟の「復活」を実現できたのは、偏に親米路線の延長線上に国家目標を再設定したからで、麻生は吉田の選択を別の意味で引き継ぎ、「日米協調の基礎を再確立したこと」(北岡伸一)存在だった。時代は巡り今、二人の孫、安倍と麻生は日米同盟を再構築しようとしている。
歴史は繰り返すのかもしれない。
また、反時流的古典学徒さんは、私の書いた趣旨をまるで理解しない。理解しようとも努力せずに、妄論、と断定される。赤穂浪士の「忠義」について考えるときに、吉良上野介の生涯、人となりをしることがあまり意味をもたないように、スタンフォード哲学百科事典でソフィストの本来の意味を知ることはこの場合あまり意味をもたない。その辞書には、ソフィストについて反時流的古典学徒さんの主張されるような人々である、と定義されているのだろう。そうではなくて、私がプラトンのこの二冊を通じて主張したいことは、ソクラテスがどういう人であったか、ということである。彼の真理の見つけ方である。その方法は、産婆術と呼ばれる。
ソフィストとは、反時代的古典学徒さんの定義、ペルシャ戦争以後、海上帝国となったアテーナイの新時代の教育需要に応じて登場してきた新しいタイプの当時一流の外国人の知識人で、彼らが地中海各地から民主制の「帝都」アテーナイを訪れ、高額の授業料を取って、人々の求める国家有数の人材となるための能力(アレーテー=ἀρετή)を授けることを約束した人々、ということであれば、彼らは、当然知者である、ということを自他ともに認めていた人々であることを意味する。その人々の主張を丸呑みすることが哲学とはいえない、ということをソクラテス・プラトンが考え、主張したい、ということは明らかなのである。このソクラテス的態度が、哲学、学問探求の基本で、父や教師が私に教えてくれたことでもある。この篠田英朗先生のブログも、ご自身がProf.であり、Dr.なのに、そういう権威の押し付けでなく、真理に近づく様々な刺激を与えて下さるので、私にとって貴重なものである。
などは、憲法学者ではなくて、医師、獣医師であれば、すぐれた人材だと、思う。
ただ、政治と密接に結びつく憲法学者、の場合、政治感覚がないと問題が多い。一方は絶対君主制に明治憲法を解釈し、日本を国際法無視の軍国主義の国に導いたし、もう一方は、中東やアフリカで多発する紛争の結果、ヨーロッパでは難民問題が大変になっている時に、サンダーバードのようなやり方で世界の平和が守れる、と本気で考えておられたり、北朝鮮問題があり、米中欧が関税の報復合戦をしている最中に、モリカケ問題が、日本の最重要課題だと考えておられる。この前最新のSpiegel誌に、心労の多いメルケル首相の健康面を気遣う記事が載っていたが、安倍首相を糾弾はしても、だれも安倍首相の健康面を気遣わない日本のマスコミの人々も、はっきりいって、人間味がなく、異常だと思う。
蟷螂の斧というか、不可能事に向かって突撃するドン・キホーテ型の熱狂(enthusiasm)というべきか、無邪気な情動(emotion)や情熱(passion)が、真摯さ(ernst)という主観的満足に堕し知性を上回るという点では著しく精神の平衡感覚を欠いている。こうなると、Selbstdenkenや独自外交以前の知的停滞ということになりかねない。哲学に限らないが、人文・社会系に限るとして、政治学や経済学、社会学でも、門外漢の容易に立ち入れない専門家の領域というものがある。職業人としての大学教授の一部にも、そうした学問本来の思考とは無縁の似而非専門家が少なくない。
むろん、学問は一部の専門家という名のエリートの占有物ではない。憲法問題など、むしろ素人と専門家が見識を競い合い、自由に国家の最高法規の質と内容を論議すべきだと思う。憲法改正が具体的政治プログラムに上ってきた昨今の動向の方は、よほど異常だ。三年前の平和安全関連法の成立、施行で当面の最小限の課題はクリアされたが、篠田さんの『集団的自衛権の思想史』の上梓を受けて、この国の国家像をめぐる思想的貧困と知的頽廃は一層際立った形だ。
ソクラテスやプラトンが該博な知識と優れた弁論術的技量を備えた知識人であるソフィストを根本的に批判したのとは異なる意味で、アマチュアリズムの限界を突きつける。研究と勉強は違う。文章の書き方や練度ひとつとっても、知的技量の過不足は覆い隠しようがない。ソクラテスが一切の著作を残さなかったことを没却した素人の哲学論議は、それがどんなに真剣でも、学校の倫理社会レベルのお勉強にすぎず、ソクラテスがもつ哲学史上の真の意味に一歩も近づかない。真理も学問も知的怠慢には厳しい。
しかし、これは縷々説明するほどのことではなく、少しでも真摯に人類の知的遺産と向き合ったことがあるなら、自明の理である。事志に反して学問の夢破れたとしても、本物と真剣に格闘した経験と記憶がその人物に何ほどかの刻印を遺すからだ。ソクラテスが教える「無知の自覚」はその最たるものだ。無学を憾み、思い知るといっても、それぞれの知的技量(偏差値や学歴ではない)に応じて気の遠くなるような階梯がある。自らの知的な身の程を弁えることは、現状に留まって居直るのでなければ不可欠な認識だ。
だから、卓越した師に出会えた人は幸いだ。師は身をもって知的格闘作業としての学問の内実を示すだろうから。東京大学に代表される伝統校の強みは、そうした一流の師に出会える機会が他に比べて多い(確率論的な蓋然性が高い)からで、それ以上の意味はない。志を共有する学友に出会うことも無視できない。
それを支える官僚機構や‘Presuppositions of Harvey Road’ というケインズの政治思想(経済学者のハロッドが『ケインズ伝』で指摘)をまつまでなく、政策の立案・決定を行う主体は、先入見にとらわれない公正無私な知的エリートであることが事実上の前提になっている。議院内閣制である以上、国権の最高機関である国会の役割はそれに正統性を付与する。ただ、それだけだ。
そこには、実際の運営にあたって公共の利益より、圧力団体の利益などが優先され理屈通りにはいかないという民主政治への現実認識がある。ケインズの政治的信条は、しばしば悪しきエリート支配を正当化するものと批判されるが、今日もなお、法の支配の下でのbest & brightest 、最も頭脳明晰で有能な人々が政策遂行の主体であるべきだという、支配者層の揺るぎない確信を表明したにすぎない。既得権益まみれの野党や時流に流されがちな民衆やメディアよりよほどましだ、という否定できない現実がある。政治家固有の政治的決断と、エリート(官僚組織)との役割分担という厄介な問題もある。
それは必ずしも四民平等の民主主義思想と矛盾しない。現実は支配層と被支配階層とで異なってみえるものだが、幸いこの国は中国(China)のような官僚支配のイデオロギー政党による一党独裁国家ではないし、韓国のような政情不安で民意の定まらぬ超法治国家でもない。
そうした‘unzeitgemäß’(反時勢的)な姿勢を明確にして私は「反時流的古典学徒」なる投稿ネームを選んでいる。この姿勢はあまりに保守(反動)的で篠田さんの政治信条とは合致しないかもしれない。それでも、篠田さん努力を多として支援したい気持ちは毫も変わらない。
篠田さんの知的に誠実で、実践的側面にも顕著な開明的姿勢が第一の理由だ。古代のギリシア人にもつながる晴朗さ(Heiterkeit)がよい。そこにはニーチェが「ドイツ的」教養人、知識人(「教養の俗物」=‘Bildungsphilister’)を批判した際、彼らが目指す自己追求(Selbstsucht)と自己陶冶(Selbstzucht)が、結局は「意味のない実態のない目標のない教養、要するに単なる世論(öffentliche Meinung)」(『この人を見よ』)への迎合という名の「自己陶酔」に頽落してしまったナイーヴさなど入り込む余地がない、対蹠的な健康的な気分がある。私はそれを支持する。
それは、徹底した自由討論を前提とした至極健全な発想、思考法であり、「法律家共同体のコンセンサス」を掲げ逼塞する憲法学界主流派に明らかな、論争を忌避する日本的病弊(伝統)とは異なる。篠田さんはそうした意味で、この国ではアウトサイダーに分類されかねない国際人なのだろう。それと比べて、私など時代遅れ(‘unzeitgemäß’)の遅れてきたギリシア人なのかもしれない。
願わくは、所謂‘sub specie bienni’(須臾の相の下に) の皮相な考察ではない、哲学本来の「永遠の相の下に」(‘sub specie aeternitatis ’)という視点からものごとを考えたいと念じている。
最近、貴族の末裔である妻と話していて、つくづく思う。(完)
<赤穂浪士の「忠義」について>、儒学的見地から最も厳しい意見を述べたのは荻生徂徠である。旧赤穂藩士たちの「義挙」を認めるべきか否かについて、当時の幕府内の思惑や江戸の町衆の「空気」に惑わされず、法的な判断の優先を譲らなかった。学者として当然そうあるべき仕事をした。それで当時の世間的評判を下げたが、御用学者と罵られる謂われはない。
「忠義」を振りかざすのは、如何なる事情があるにせよ旧赤穂藩士たちの主観的判断であって、浪士たち自身もよく分かっていただろう。それなのに、「寄ってたかってたった一人の老人を殺害する」という暴挙に及んだのは、不条理な御政道への遺恨を公にして、一泡吹かせたいという一念だろう。武士道に名を借りた恨みの発露であり、大義など欠片もない。世間の同情があっただけだ。そうした世間の空気をのちに文学や演劇が代弁した。一部空気に流された幕府のご都合主義もそれを後押しした。
2.26事件の青年将校たちの思い上がった「蹶起」に似ていなくもない。青年将校たちにも彼らなりの「大義」があった。昭和維新は見当違いだとしても、列強の国益が激しく対立する当時の国際政治の闘争場裡にあって、遅れてきた列強の一員である明治国家の存亡をかけた戦いの最前線にあるという危機感が、昭和初期の世界的不況と軍縮による軍の規模縮小への反発と重なって暴発した。
しかし、その行動はあまりに無謀で独りよがりであった。あまつさえ、陸軍内部の統制派対皇道派という派閥争いに利用され、国運を傾けた。動機の純粋さは行動の正当性を担保できず、目的によって手段の違法性を浄化できないことの典型的な事例である。赤穂浪士と同じ論理と心理だ。
ソフィストの事例と重ねるアナロジーは軽率極まりない。
後掲の文章は、プラトンの代表作である中期対話篇『国家』全巻の掉尾を飾る「死後における正義の報酬」について説いた「エルの物語(神話)」(13節614A以降)。物語の大団円で語られるこの一節は『ソクラテスの弁明』の末尾を髣髴とさせる。
通常、ミュートス(神話=物語、μῦθος)の架空(仮構)性を示す定型的結び‘μῦθος ἀπώλετο’(「物語は滅び去った」)をプラトンはあえて‘μῦθος ἐσώθη’(「物語は救われた」)と表現するのは、それが単なる虚構(μῦθος)の空しい説話的説明ではなく、物語は「真実」を告げていることを示唆する。それは、通常のように言葉や理屈=ロゴス(λόγος)で充分に説明できない領域や対象を、譬え話という形で説いたものであって、ロゴス的説明の放棄ではないのが、プラトンのミュートスの特徴である。
憲法改正時に、明確な論理=ロゴスで語られるべき国家の最高法規における理念上の大転換を出来の悪い「八月革命説」で事実上スルーし、「神話」に祀り上げた戦後憲法学の知的頽廃は、日本人の思想的脆弱性に通底する。それはロゴス的には充分語れない(語るに不向きな)神話の語り口にも露呈しており、プラトンの足許にも及ばない。
なお、通常『国家』と訳される『ポリーテイアー』(‘‘Πολιτεία’’)の本来の意味は「国制」。プラトンが理想の国家づくりを展開した際に使用した概念で、プラトンがこの語を用いる場合、‘civil policy, constitution of a state, from of government’の意味にほぼ限られ、「国(家)のあり方」、「国家組織」「政体」。いわば「国体」であるが、無用な連想を誘うので除外する(藤澤令夫訳『国家』解説註=『プラトン全集』第12巻812頁を参照)。
καὶ οὕτως, ὦ Γλαύκων, μῦθος ἐσώθη καὶ οὐκ ἀπώλετο,καὶ ἡμᾶς ἂν σώσειεν, ἂν πειθώμεθα αὐτῷ, καὶ τὸν τῆς Λήθης ποταμὸν εὖ διαβησόμεθα καὶ τὴν ψυχὴν οὐ μιανθησόμεθα. ἀλλ᾽ ἂν ἐμοὶ πειθώμεθα, νομίζοντες ἀθάνατον ψυχὴν καὶ δυνατὴν πάντα μὲν κακὰ ἀνέχεσθαι, πάντα δὲ ἀγαθά, τῆς ἄνω ὁδοῦ ἀεὶ ἑξόμεθα καὶ δικαιοσύνην μετὰ φρονήσεως παντὶ τρόπῳ ἐπιτηδεύσομεν, ἵνα καὶ ἡμῖν αὐτοῖς φίλοι ὦμεν καὶ τοῖς θεοῖς, αὐτοῦ τε μένοντες ἐνθάδε, καὶ ἐπειδὰν τὰ ἆθλα αὐτῆς κομιζώμεθα, ὥσπερ οἱ νικηφόροι περιαγειρόμενοι, καὶ ἐνθάδε καὶ ἐν τῇ χιλιέτει πορείᾳ, ἣν διεληλύθαμεν, εὖ πράττωμεν. (Πλάτων; Πολιτεία, 621C~D)
このようにして、グラウコンよ、物語は救われたのであり、滅びはしなかったのだ。もしわれわれがこの物語を信じるならば、それはまた、われわれを救うことになるだろう。それはまた、〈忘却の河〉をつつがなく渡って、魂を汚さずに済むだろう。しかしまた、もしわれわれが、ぼくの言うところに従って、魂は不死なるものであり、ありとあらゆる悪をも善をも堪えうるものであることを信じるならば、われわれは常に向上の道をはずれることなく、あらゆる努力をつくして正義と思慮とにいそしむようになるだろう。そうすることによって、この世に留まっているあいだも、また競技の勝利者が数々の贈物を集めてまわるように、われわれが正義の褒賞を受け取るときが来てからも、われわれは自分自身とも神々とも、親しい友であることができるだろう。そしてこの世においても、われわれが物語ったかの千年の旅路においても、われわれは幸せであることができるだろう。(藤澤令夫訳)
「むかし陸軍、いまマスコミ」というと大袈裟かもしれないが、日本はマスコミさえ衰退すればずっと良くなる。
朝日新聞は、安倍首相が「打ち方~やめ!」と発言したと新聞見出しで書いた。言ってもないことを空想ででっちあげた。まったくデタラメ極まりない新聞社であり、こういった捏造記事を多くの朝日新聞読者が信じて、「打ち方やめ!」などと日常的に発言する首相が自衛隊を動かすのは恐ろしいことだと本気で、それこそ大真面目に思っていた。
そして朝日新聞はまさにそれを狙っていた。本当に恐ろしい新聞社だ。頭のなかで何を考えているかわからない。篠田氏なども気を付けて欲しいと思うばかりだ。
ただ安倍首相も朝日新聞を刺激しすぎた。ネットでは大受けして安倍さんの人気は上昇したが、朝日新聞など無視して露骨な記事の誤りだけ地道にツイッター等で指摘すればよかった。安倍さんが朝日に敵意をむき出しにしたので、朝日新聞も報復にでた。バカはこういうことでハッスルするのである。その結果が安倍打倒一色の報道キャンペーンだった。他社もテレビも追随した。異様なマスコミは数年で出来上がったものではない。数十年以上いや戦前からの膿がたまりにたまって現在がある。まだまだ同調者は多い。
赤坂自民亭なる下らない言葉がはやっていることも昨日知った。まったくマスコミをトレースするのは時間の無駄だし、テレビと協働して日本人を白痴化している。
誤字訂正
打ち方やめ --> 撃ち方やめ
そこから朝日新聞は安倍に確認せずに「これは使える」と思って真偽を確認せずに大きく報じた。安倍さんは、(これだけ大きく報じるなら)なぜ記者に確認させないのかと不快に思ったということだった。
これが典型例で、デタラメな証言をろくに裏を取らないで日本中に拡散する。マスコミを名乗った工作機関にいったん悪意を持たれたら最後まで集中攻撃される。そして、こんなチンピラ報道でも、「ウソの証言者が悪い」と新聞社の肩をもつ人間がいる。
まったく捏造という訳ではないが、悪意むきだしで情報をフィルタリングして特定方向に誘導しようとする。印象操作の芸を酷使している。あまりに非人間的であり、狂人のやる芸である。これもほんの一例だが、一事が万事といえる。
「ドイツ国法学の名誉を回復したい、という気持ちがあるのは事実」(6/7コメント19)と公言しておいて、今さら何? 私は「主観に基づいた自分の憶測を書」いている訳ではない。
「赤穂浪士の「忠義」について(中略)吉良上野介(中略)があまり意味をもたない」とはいかなる言い分か、カロリーネ氏は示していない。しかも、ソフィストを語るのに吉良上野介を最初に引き合いに出したのは自分だという事実に頬かむりして。かつて私を批判して「国際的に通用しない独特の歴史観を形作り、まともな歴史観を妄説と批判する。ソフィストのことしかり、ギリシャ文化も」(7/14 コメント62)と豪語していたのをお忘れか。加えて、「ソフィストの本来の意味を知ることはこの場合あまり意味をもたない」とまで言い切る大胆さ。ソフィストの事例は、世界的な標準的見解を示され形勢不利とみるや、参照は「無意味」と逃げをうち有耶無耶にする。見事な居直りだ。
「ニーチェがお好きな(中略)「普通の人」を馬鹿にする姿勢」(7/17コメント98)というが、自分が馬鹿にされているらしいことを糊塗して、対象を一般の「普通の人」にすり替える。私が馬鹿にするとしたら、無知に居直る特定の「普通の人」であって、ブログ投稿者は既にご存知だ。その理由も。もっとも、それをもって「憲法違反」にはならないだろう。私は終始妄説だと言っており、idiotだとは思ったとしても武士の情けで公言したりはしない。
粗雑な文章に目眩がする。
もちろん、現在でも、楠山義太郎さんのような、優れた国際的ジャーナリスト、新聞人が日本にもきっとおられるのだと思うが、そういう人々の主張が主流にならないことが、日本の大きな社会問題だ、と会社員さんコメントを読んで改めて思う。それは、戦前もそうだったから、楠山義太郎さんは、新聞社内で孤立した。そう「コラム 日本の新聞人」の中に上智大学名誉教授、春原昭彦さんは、書いておられる。
リットン調査団のスクープ記事、ルーズベルト大統領の単独会見、などという記事が取れた、ということに対して、新聞人としての経歴があるにもかかわらず、「大したことじゃない。」と反応すること自体、異様だと思う。楠山義太郎さんの論説は、リットン調査団の裁定、あるいは、ルーズベルトのインタビューで得られた考えに基づいたものであって、マスコミの人のお得意な主観的、あるいは、ある特定なイデオロギーに基づいた憶測ではない。
「赤穂浪士」と「ソフィスト」についての陳述については、歌舞伎の筋立て、プラトンの著述によって、この二つの言葉は、象徴的な意味をもつようになったのであって、それは、芸術のもつ力なのである。それを論理的に否定しても、なんの意味もない。
私も、反時代的古典学徒さんの私への反論に対して、同様に思っているが、idiotだとは思ったとしても武士の妻の情けで公言したりはしない。
「国民や国を愛する」、という意味で、諸外国の有能な政治家も、この吉田茂、岸信介と共通なものをもっている。つまり、この二つの資質は、優れた政治家に必要なものだと、私は思い、否定的な要素をまるで感じないのである。つまり、この二人は、日本の戦後に豊かさと平和をもたらしてくれた有能な政治家である、と思う。
http://www.hatorishoten-articles.com/hasebeyasuo/16
「(略)結論だけを述べると、9条はグロティウスの提示した戦争観──国家間の紛争は裁判ではなく、戦争によって解決される──を否定した不戦条約の趣旨を再確認したものである。1項が否定しているのは、国際紛争を解決する裁判外紛争処理手段たる戦争、武力の行使並びに武力による威嚇である。2項前段が「前項の目的を達するため」に保持しないとしているのも、国際紛争を解決する手段としての戦争を遂行する能力(戦力)であり、2項後段が否定しているのは、国際紛争を解決する手段として戦争に訴える権利である。不戦条約の提案者を含めた当時の国際社会の通念からして、個別的自衛権の行使は、否定されてはいない。」と述べています。しかし、国連憲章が認めている集団的自衛権について同様の解釈ができない理由が不明です。
故人の知人として、楠山氏の社内での発言を特筆大記するのは自由だが、客観的な史実としては、そこに特別な見識を認めることはできない。その程度の認識なら、反東條の原田熊雄ら宮中政治家、高木惣吉ら米内光正派の海軍将官グループはもっと具体的事情を知っていた。楠山氏など所詮は情報源の周縁=外野だ、という意味だ。
楠山氏によるリットン調査報告スクープ、米国大統領単独会見を「「大したことじゃない」と反応すること自体、異様だ」と仰せだが、この点に私は何の言及もしていない。粗笨な読解を基に何をそんなにいきり立っているのか、神経を疑う。楠山氏の「認識を格別珍重しない」と言ったことを、どう拡大解釈すれば論難のための論難の根拠になるのか、理解に苦しむ。intellectual yet idiotと判断する以外にない、過去の歴然たる誤謬の山と、指摘の度に具体的反論をせずに誤魔化して居直り、再び誤謬を再生産するという向学心の欠片もない無軌道な惨状を拡散する=恥の上塗りではないですか? 憶測マニアは一体どちら? 会社員さんは、自らの立場で少々過激なメディア批判を展開しているだけで、気の毒な「普通の人」を援護しているとは、到底思えないが。
戦後の西独が「非武装中立政策」をとっていないのは、西独が共産主義ファシズムと対峙する自由主義陣営の最前線だったからで、法学の素人が頭を悩ます問題ではない。極東ではこの最前線が、敗戦国の日本ではなく朝鮮半島であった。それでも、日本政府でさえ非武装中立政策をとっていない。野党の一部と進歩的知識人が中心になって場合によってはソ連・中国を利することになりかねない非武装中立を訴えていただけで、選挙結果からみても国民はそれを支持しなかっただけの話。
もう少し、勉強されては?
プラトンに関する「無知」は歴然だが、「プラトンの著述によって(中略)象徴的な意味をもつ」とは、如何なる具体的事実や記述に基づく主張なのか、精査する。
二つの言葉とはプラトンの場合、ソフィストだが、別に象徴的意味や芸術的思い入れなどない。その前に、カロリーネ氏の従前の主張は、世に悪名高き吉良上野介義央をソフィストに比定することではなかったのか。常軌を失した想念が意味不明な杜撰な文章と相まって独り歩きしている。
「芸術のもつ力」をしきりに強調するが、プラトンは芸術(=創作, ποίησις)自体を根底から批判し、詩人や劇作家を彼の構想した理想の国家から追放しようとした人物なのを忘れてはならない。
詩人が得意とする模倣(ミーメーシス=μίμησις)について、中期の代表作『国家』(第10巻1~8章)の中で、詩歌、演劇に関する徹底した考察を行い、真似(描写, μίμησις)としての詩作については、それが作り出すものは「実在(イデア, ἰδέα)から遠ざかること第三の序列にあり」(497E)、詩人(作家)は自分が真似て描くものごとについて、真の知識をもたないことを挙げている。さらに、詩作(創作)の感情的効果も、真似(描写)としての詩作(ποίησις)は「魂の劣った部分に働きかけるもの」であり、人間の人格形成に有害な影響を与える、と切り捨てる。
プラトンは創作活動自体を否定している訳ではなく、この非常に厳しい批判は、人間の生き方、国家社会のあり方にかかわる価値は「ただ、哲学からこそこれを見極めることができる」(第七書簡326A)という認識であり、ソクラテスの刑死以来の長い遍歴の高価な代償として、何としても哲学を人間の営みの中核に位置づけたいという決意だったとみられる。
既にお気づきの向きもあろうが、不注意の祟り。猛省。
▼コメント35の15行目、「麻生は吉田の選択を別の意味で引き継ぎ」は、「麻生」ではなく「岸」の誤り。
▼コメント51の3~4行目、「篠田さん自身、『集団的自衛権の思想史』(p. 221)の中で言及」は、『集団的自衛権の思想史』ではなく『ほんとうの憲法』の誤り。篠田さん、失礼しました。
いずれも、訂正してお詫びします。
プラトンの不朽の名作「ソクラテスの弁明」を題材にしたエミー賞受賞俳優ヤニス・シモノイディスのソロパフォーマンス『ソクラテス・ナウ』が、世界14か国・300回を超える公演を経て今夏再びアテネの街に凱旋する。
シモノイディスの『ソクラテス・ナウ』は、偉大な哲学者ソクラテスが紀元前399年アテネの裁判所の門前で自らの弁明を行う様を描いたプラトン作「ソクラテスの弁明」をユーモアたっぷりに脚色したもの。
2004年ニューヨークのエリニコ・テアトロで初演された『ソクラテス・ナウ』はこれまでに世界各地の劇場、フェスティバル、学校、大学、図書館といった250を超える場所で上演され大きな成功を収めており、今回アテネでは英語による全22 公演が予定されている
私が現在でも劇化されて、上映されている、と思ったのも、この作品が、今日的テーマの一つ、法治国家、民主主義国家の基本だからである。反時流的古典学徒さんがどう習われたのかしらないが、日本を含めて、教養ある学校では普通そう習うからである。また、それが、ソクラテスが時代を超えて、国際社会で哲学者として尊敬されている理由だからである。京都大学哲学科で、そう習わないとも、私には思えない。それは、同じ学歴をもつ父からも、そう教わったからである。
このブログは、本来、「憲法」について論じる場である。MLさんのコメントにあるように、9条問題に戻りましょう。反時流的古典学徒さんは、9条問題において、なにが主張されたいのですか?議論は、アリストテレスの論理学を使わなければならない、ということでしょうか?
しかし、プラトンに関する哲学、西洋古典学の研究の集積に基づく「事実」を申し上げなければなるまい。
まず、プラトンの初期作品『ソクラテスの弁明』や『クリトン』は、優れた読み物ではあっても、プラトンの哲学思想を代表する作品ではない。従って「その後の西洋哲学の歴史がプラトンに対する註釈」だと言った有名な哲学者(A. N. ホワイトヘッド)の言をまつまでもなく、いわば哲学の土台をつくったプラトンの中核となる作品は、中期の『パイドン』『パイドロス』『響宴』、なかんずく、大作『国家』である。そこでいったん完成をみたプラトンの哲学的探究は、その後も弛むことのない強靭な思索によって、『テアイテトス』『パルメニデス』『ソピステス』という認識論的、論理的著作を経て、『ポリティコス』『ティマイオス』、そして掉尾を飾る『法律』における再度の理想的国家づくりへの詳細なプログラムの提案に至る。
この雄渾で豊穣なプラトンの哲学的思索の歴史にあっては、『ソクラテスの弁明』、たとえそれが師の刑死当時、28歳であった名門の若き俊秀が師の残した「死の謎」=アポリアー(ἀπορία=難問)を真っ向から受け止めた作品であり、謂わば初心の発露であったとしても、若書きの謂わば「出がらし」にすぎないのも、また現実である。
なお、『ソクラテスの弁明』はプラトンの著作中、唯一対話篇ではない。ネット上で見つけたどこかの子供だましの事例を、まともな反論の論拠にされる神経や感覚は、到底理解に苦しむ。プラトンの実物をなぜ、読まないのか。別にギリシア語原文で読むようには求めていないが。
悪い事は言わない。プラトンの真の凄みのある作品(特に『国家』と『法律』)を読むに限る。『ソクラテスの弁明』や『クリトン』止まりの「初級者コース」から、一日も早く抜け出すために。
「プラトンは、芸術(=創作, ποίησις)自体を根底から批判し、詩人や劇作家を彼の構想した理想の国家から追放しようとしたのを忘れてはならない」とは、プラトンが自ら著作の中で述べている、揺るぎない信念であって、その趣旨は前回コメント58で指摘した通りだ。議論は、事実と具体的論拠に基づいて行うもので、どこでどういう芝居が好評だろうと、ものごとの本質には関係ない。学問に限らず、真実は大衆の評判に右顧左眄するものではない。
「ソフィスト」のイメージは誤ったものであって、修正されなくてはならない。それが学問の進歩というものであり、二千四百年に及ぶ哲学の歴史と、十九世紀以来の厳密に文献学的な西洋古典学の研究の蓄積に背を向けて俗説に拘泥するのは、凡そ知的に誠実な態度とは言えない。無知は言い訳にならない。
「同じ学歴をもつ父からも、そう教わった」と称されるご尊父は何が専門かは承知しないが、カントやヘーゲルに心酔した左翼思想の理解者らしい。ソフィストを「詭弁家」とだけ理解することは、ご尊父の時代でも一人前の哲学学徒なら俗説だと理解されていたと思われるが、田中美知太郎は戦前(1941年)にハンディーな専門的学術書である名著『ソフィスト』(京都・弘文堂教養文庫)を上梓しており、実態を知る機会はあった。
京都大学哲学科は終戦直後の1947年以前は、西田幾多郎の高弟、山内得立氏が古代・中世哲学史講座を主宰していたが、ギリシア語による本格的研究は緒についたばかりで、全く不充分だった。この後進国的状況を一挙に変えたのが、同年に母校に招聘され古代哲学史講座を担当した田中美知太郎である。戦前、戦中を通じて国内におけるギリシア哲学研究において田中に勝る研究者は存在しない(波多野精一)。しかし、田中は西田やその後継者である田邊元を中心とする,いわゆる京都学派の傾向に批判的で選科修了という事情も手伝い、母校で実力に見合った正当な地位を得られずにいた。
しかし戦後、哲学科でも公職(教職)追放が相次ぎ壊滅状態に陥った京大哲学科を再建すべく最大の実力者として前任の山内自身が選んだのが自分を遥かに上回る学識の持ち主である田中だった。山内の雅量も見逃せない。
戦後「京都学派の主柱」(ギリシア哲学専攻の井上忠元東大教授)とされた田中について、学界内部では一代の碩学、卓越した専門家と評価が定まっている一方で、プラトンに関する西欧にも類をみない卓越した専門的学識と成果に比べ、哲学プロパーの領域における原理的思索の面で未達成とみられるのは、古代哲学の正確な受容(世界標準の翻訳版『プラトン全集』、『プロティノス全集』の刊行)や、ギリシア語やラテン語に習熟した研究者の養成(「日本西洋古典学会」の創設)という、戦前に全く欠落していた基礎研究の土台を構築することに精力の少なくない部分を費やさざるを得なかった事情もある。田中の比類ない語学力と強靭な思考力が一代で、この奇蹟的な達成を可能にした。真の世界水準の独創的哲学の誕生は後進の課題として残されたと言ってもよい。
田中の就任以来、京大哲学科では哲学と哲学史専攻学生全員(哲学哲学史第一~第四講座)にギリシア語やラテン語の修得を義務付けている。このため、ソフィストに関する初歩的な誤解は絶滅している。
これ以上、知的怠惰な人物の単なる感想に付きあっても仕方がない。学問は進歩するものであることを指摘すれば、充分だろう。
田中に続く五番目の受章者梅原猛氏は元は田中と山内の弟子だが、2005年のエッセー「反時代的密語」の中で、「田中哲学をどうみるか」(読売4.19)と題して、田中と相反する自らの主張の一方で、田中の主著『プラトン』(1979~84年)について、「古典研究の後進国である日本で花咲いた独創的なプラトン研究書であり、田中は真の哲学者であると思わざるを得なかった」と述べている。同じ文化勲章受章者となった余裕がこの正当な評価につながったとするなら、梅原氏も人の子なのかもしれない。
メディアの内在的批判を目指して銀行員からジャーナリストに転じて14年余り、私も第一線でいろいろ経験した。一般人が窺い知れぬ政治の現場も充分観察した。読んで字の如く格別立派な商売ではない。知的には二義的な、ある種禁欲を強いられる職種だ。その見返りに数多くの特権があるが、業界では「乞★と新聞記者は一度やったら辞められない」といい、いつまでも留まる仕事でもないと痛感した。喰うためなら、他にいくらでも有意義な仕事はある。私は遅れてきたギリシア人として、彼らの流儀に倣い、一度も「喰うためだけ」に仕事をしたことはないが、人はそれぞれである。選挙権は平等でも、現実は不平等極まる。革命を起こしても人間は容易には変わらない。在野の研究者の端くれとして、仮構の論理に囚われる愚を戒めている。毎日が日曜日とは、勤めをせずに実力だけで稼ぐということであって、贅沢が趣味の妻の要求はなかなか過酷だ。
それに加え、東京外大の教授である篠田さんの周りには外国語の練達者が多い。西欧諸国語はもとより、ギリシア語やラテン語も、サンスクリットやヘブライ語、アラビア語、ウルドゥー語だって何でもオーケーだ。さすがに、知人に習ったペルシャ文字やデーヴァナーガリー文字は遠慮したが、同僚の伊勢崎賢治氏はウルドゥー語に堪能だから、何の心配もないだろう。教え子の外国人学生も先生のブログを覗いているかもしれない。
そう言えば、intellectual yet idiot のidiotはギリシア語由来の言葉だ。いずれも、ἰδιωτεύειν(私的)、ἰδιώτης(私的、素人)とか、ἵδιος(私的)という言葉で、なぜギリシアの都市国家では「私的」が侮蔑的な意味になるか、考えてみると面白い。
そうした篠田さんの多方面の知的挑発にMLさん(jurist?)のように、終始、自らよく知る専門の分野外に容易に口を挟まぬ禁欲的な姿勢も尊重したい。つまらぬ知的虚栄心からの軽率な背伸びがない堅実な議論だ。「普通の人」がこの「公的」な言語空間を、不勉強による俗説と気ままなメディア批判、留学体験の吐露などで使用するのは自由だが、もっと誤謬に気をつけて水準を落とさぬよう、くれぐれもご自戒願いたいと述べ、ささやかな餞の辞としたい。〈完〉
人はいい気になって軽口を叩くとき、思わぬ墓穴を掘る。
「反時流的古典学徒さんは、9条問題において、なにが主張されたいのですか?議論は、アリストテレスの論理学を使わなければならない、ということでしょうか?」。
私が、これまで九条解釈をめぐる戦後の多様な議論について縷々書いてきたことを、「普通の人は」は、恐らく何も読んではいないのだ、ということがこの発言でまずは明白になったようだ(読まなかったふうに、装っているのかもしれない)。ヒュブリス( ‘ὕβρις’)が覆いがたい「普通の人」は、自分について言及されたことしか、関心がないらしい。特に批判されたことに。しかも批判の内容ではなく、批判それ自体に。自意識過剰と言わずして何と表現すべきか? 言うべき言葉を知らぬ。
それ以外は、プラトンが実際、創作活動(芸術)についてどういう議論を展開していようと、ストア派がどの点でキリスト教信仰と相容れないものであろうと、スコラ哲学がどのようにアリストテレス哲学をキリスト教神学を接合しようと、ソフィストの悪名の由来の真の原因は何によるものか、少しも気にならないらしい。マルクスなど父親への反発もあって、ほとんど現物も読まずに気ままに他人の口移しで批判したつもりになっているのではないかと、余計な想像をしてしまう。
旧東独の惨状には敏感でも、ドイツ再軍備をめぐる冷戦下の国際情勢について、何も知らないのでは? と思わせる無邪気さを発揮する。この「普通の人」のドイツ的教養はとてもバランスのとれたものとは言いがたい。ニーチェなら「教養の俗物」=‘Bildungsphilister’と仮借なく粉砕されそうだ。
しかし、事態はもっと深刻なようだ。以下、二点にわたって、具体的に分析する。
東條が「トップの成績」などと何も知らぬ女性に向かっていい加減なことを口走ったものだ。東條がトップは、一体どの時期、段階? つまり、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、それとも陸軍大学? 実際に取材もしないで周囲の東條嫌いの悪口を真に受けたのだろう。どちらが単純か、知れたものではない。石原莞爾がなぜ東條を軽蔑し、毛嫌いしていたか、教えなかったのだろうか。
確かに東條の父英教は陸大一期を首席で卒業した、穎才。しかし、息子の東條本人は学習院初等科で一度落第。陸大受験も一度失敗、翌年の合格を目指し統制派の中将小畑敏四郎の家で受験指導を受け、ようやく合格したという程度(この時、文字通り陸士首席、陸大次席の秀才永田鉄山も参加)。このため、旧加賀藩主(前田家当主)の侯爵で陸軍軍人の前田利為は、東條を「頭が悪く先の見えない男」として評していたのは有名な話。実際は、諸事情で出世しなかった、父の足許にも及ばぬガリ勉強の中程度の小賢しい凡才。どこがトップなのか。
謹厳実直な軍官僚としてはそれなりに有能で「カミソリ東條」と呼ばれたが、犬猿の仲で知られる石原莞爾は関東軍在勤時の上官であった東條を人前でも平気で「東條上等兵」と呼んで小馬鹿にしていた。石原は「憲兵隊しかつかえない女々しい男」と嘲笑っていた(青江舜二郎『石原莞爾』)というのも著名な逸話だ。
卓越したジャーナリスト楠山氏は一体何をどう勘違いしたのか?
アリストテレスの論理学は人間の思考の基本的な法則を定式化したもので、この世の論理的推論はすべてアリストテレスによっている。彼の名辞論理学=定言三段論法は、現代風に言えばクラスの理論で、この枠外で人間は論理的推論が不可能である。「普通の人」の非論理的思考は、枠外なのだろう。お気の毒だし、莫迦莫迦しくて、溜息が出る。
というのが、篠田先生のこのブログの最後の締めくくりだった。反時流的古典学徒さんと私は、このブログだけのお付き合いだし、ギリシャ哲学を含むギリシャ文明について、ルネッサンスの捉え方、芸術、ドイツ文化の捉え方がまるで違うので、「別のムラ」所属だと考えているが、以前、白井聡さんの「国体論」についてのブログのコメント欄で二人がながながとギリシャ哲学についてのやり取りをした時、コメントに、非常に興味深く、お二人の遣り取りを拝読しておりましたが、だんだん何処に面白い事が有るのか、解らなくなりました。大きなお世話で失礼しました。というものがあり、今まで、多種多様で楽しく、興味深かったコメントの投稿が、今はほとんどブログの記事とは関係のない反時流的古典学徒さんの見解表明と私への反論というよりも、蔑視の場になってしまった。それだけの自信をお持ちなら、このブログのコメント欄の管理人でもないのだから、この欄のコメントの質云々を問題にされるのではなくて、どうして再びプロとして、実名で、広く世の中にご自分の見解を発表されないのか、私にも計り知れない。現在は、出版しなくても、自分のブログをもつ、など様々な表現手段がある。
「天才」のパーフォーマンスは、音楽だけに限らない。演劇も、映画も、新しい刺激の源になる。大きなお世話かもしれないが、反時流的古典学徒さんも、プラトンの考えにだけ固執されるのをやめて、ゲーテやシラーの愛した演劇のパーフォーマンスも、堪能し、新たな刺激を得られればいいのではないか、と思う。
楠山義太郎氏の東條英機に関する証言も無責任だ(コメント62)。
トップは、一体どの時期、段階? つまり、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、それとも陸軍大学? 実際に取材もしないで周囲の東條嫌いの悪口を真に受けたのだろう。謹厳実直な軍官僚としてはそれなりに有能で「カミソリ東條」と呼ばれたが、犬猿の仲で知られる石原莞爾は関東軍在勤時の上官であった東條を人前でも平気で「東條上等兵」と呼んで小馬鹿にしていた。石原は「憲兵隊しかつかえない女々しい男」と嘲笑っていた(青江舜二郎『石原莞爾』)というのも著名な逸話だ。
その東条英機を馬鹿にしていた石川莞爾という人物は、学校時代の成績はよくわからないが、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られ、「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者で、関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。(反時流的古典学徒さんの嫌いなウィキベデイアより) という人物らしい。そんな軍国主義者、日本を破滅に追い込んだ人物でなら、東条英機よりなおたちが悪い。
私がOLの時、一つの大きなプロジェクトがぽしゃった。ちょうど、日米貿易摩擦の最中で、なんとか成功させたいと頑張ったので、ショックだった。そのことを楠山義太郎さんに申し上げたら、「僕もね。」と言われた。「おじ様も、戦争をなんとかやめさせようと、ジャーナリストとしてがんばられたんだな。でも、うまくいかなかったんだな。」と思ったら、自分のショックなんてたいしたことないな、と思った。
ところが、マスコミの人々は、石破さんは、安倍さんの好敵手だから、あるいは、野田聖子さんは女性だから、ということで応援したり、安倍首相の3選は動かないだろう、どの派閥は、どこに動くか、など、はっきりいって、我々の生活にとって、どうでもいいことにしか、興味を示さない。いつになったら、マスコミ政治部記者は、まともな政治報道をしてくれるのだろう?
未だ相手が忌避していてまともな論争が成立していない「立憲デモクラーの会」に依拠する憲法学者などの批判勢力によって繰り返される篠田さんへの「従米」とか「三流蓑田胸喜」といった陰湿な批判、攻撃に比べたら、このブログ投稿をめぐる応酬など、問題になるレベルには残念ながら達していない。こだわるのは別の動機があるのでしょうが?
ただ、私は日本人的な美俗良風である、「君子和而不同、小人同而不和」の本来の精神を閑却した中途半端な付和雷同(空気を読む)をほとんど顧慮しないことだ。これは以前、nakaさんへの異論と言う形で書いた(7/1コメント48 ,49 )が、議論は誰が言ったかより、何が言われたかが重要であり、論争の勝ち負けなど大した問題ではない。従って、双方納得のいかないまま、いい加減な所で妥協して手打ちで済ますという性質のものではない。適当な所で誤魔化すと、結局、論争以外の部分で情念的frustrationが内訌し、不毛この上ないからである。
その証拠に、私が「アメリカはウルトラマンではない」への最後で会社員さんに返答したコメント17(6/23)に、トピックスが「白井聡『国体論』の反米主義としてのレーニン主義」に変わったことなどお構いなしに、横から絡んできた(6/14の15)のが発端で、以後ナチスのドイツ共産党との関係や、ユダヤ人大量虐殺の犠牲者数(中国文化大革命のも)、日本共産党と非武装中立政策との関係等など誤謬の大放出は、どうやら動機は「普通の人」が心酔するヴァイツゼッカー元西独大統領を私が全く評価していないことへの悲憤慷慨(indjgnants)であったようだ。それを内訌というのだろう。
「教養の俗物(‘Bildungsphilister’)というニーチェ由来の強い言葉を奉呈したが、「教養」がついているだけ、まだましな証左と考えた方が良いのでは? それにしても、ソクラテスやプラトンの真の意図を演劇公演の一つのケースに仮託して語られるとは素人芸と感嘆した。
哲学の専門家でなくとも、二人の偉大な先達の影響は強力だ。しかし、真似(描写)としての詩作、創作には(ποίησις)は「魂の劣った部分に働きかけるもの」という厳然としたプラトンの見解があることもまた、事実だ。それは、プラトンが哲学と創作の違いを徹底的に考え抜いた末の結論であり、ソクラテス以前のギリシアには詩(劇)作はあっても、真の意味での哲学はなかったからだ。
昨日、intellectual yet idiot のidiot はギリシア語由来の言葉だと指摘した。いずれも、ἰδιωτεύειν(私的)、ἰδιώτης(私的、素人)とか、ἵδιος(私的)という言葉で、なぜギリシア・ポリスの正式な構成員である市民の間では「私的」が侮蔑的な意味になるか、考えてみると面白いと申し上げた。爾後の説明はあえて控えるが、言論の公共性ということを考えれば、自ずと明らかではないか。
それにしても、コメント72~77に石原莞爾への言及はあっても、肝腎の楠山義太郎氏の東條英機に関する証言の決定的な誤りは何ら釈明されていない。大した神経である。楠山氏の発言は戦後のものであることを考えると、深刻だ。
身贔屓は真理を遠ざける。違いますか?
この何でも学校で習えばその通り「真」だと言わんばかりのナイーヴな教育信仰は、自由で自律的な思考を真面目に考えたことのない人物が、しかも一応大学教育を受け、海外留学まで経験した女性の中に存在すること自体、私には奇観であり、一種の衝撃だ。
大学での研究をあたかも、初級中等教育並みに考えているらしい。民主主義や法の支配について、その価値と根拠をめぐる原理的な考察を許さぬまでに、答えは既に確定済みで、その希望をソクラテスに託しているようだ。
民衆政、民主制=δημοκρατίαの祖国アテーナイで、なぜプラトンやアリストテレスが民主制を厳しく吟味し、それに根本的な批判を加えたか、という事情を考えたこともない恐ろしき無思慮(ἄγνοια、ἀφροσύνη)。
「ソクラテスが時代を超えて、国際社会で哲学者として尊敬されている」―― そう信じているらしい無邪気な魂に、主としてプラトンの対話篇とアリストテレスの哲学史的記述によって後世に伝えられたソクラテスは、別に民主制や法治国家の守護者として哲学史上特別な位置を占めてきた訳ではなく、人々が充分な理論的吟味を欠いたまま素朴に信じている「真理らしきもの」ついて厳しい吟味を行うという、徹底した知の追求を説いた強靭な精神に、プラトンやアリストテレスが真理に関する根源的思索としての哲学の確立を認めたからだと伝えようと試みたが、またしても徒労だったようだ。「普通の人」が求めたのは真理などではなく、「妥協」だったことを確認するに及んでそれを痛感した。
「哲学者は如何なる観念の共同体の市民でもない。まさにそのことが彼を哲学者にする」。分かりますか?
▼「ギリシャ哲学を含むギリシャ文明について、ルネッサンスの捉え方、芸術、ドイツ文化の捉え方がまるで違うので、「別のムラ」所属」⇒ギリシア哲学やキリスト教文化を含む西洋文明への無知を頬かむりして大層な言い分ですね。見解の相違ではなく、ただ無知なだけでは。別に恥じ入る必要はありません。自由人ではなく異論を極端に嫌い、妄説だらけの自身への批判を一切拒絶する、ある種セクト意識を窺わせる根深い「ムラ意識」の持ち主ですね。
▼「多種多様で楽しく、興味深かったコメントの投稿が、今はほとんどブログの記事とは関係のない(中略)私への反論(中略)蔑視の場」⇒被害者意識ですね。私は私なりの感想、所見を条理を尽して発信しています(例えば白井聡氏批判)。匿名のネット空間での発信とは言え、公共の言語空間に代わりはありません。甘ったれは控えて、精励されたし。退場は自由です。蔑視の場とお思いなら、過去の誤謬は率直に訂正すべきです。
▼「この欄のコメントの質云々を問題にされるのではなくて」⇒質を最も下げているのは「普通の人」です。その自覚がないことが最大の問題です。「北朝鮮は戦前の大日本帝国と同じだ」と豪語して憚らない教養豊かな「普通の人」こそ、深く自省すべきでは?
▼「プラトンの考えにだけ固執されるのをやめて、ゲーテやシラー(中略)も」⇒ゲーテ、シラーは読みました。再読したいのは中学以来親しんだシェイクスピアとプルースト、日常はホメーロス。
▼「いつになったら、マスコミ政治部記者は、まともな政治報道をしてくれるのだろう?」⇒お嘆きは一部もっともですが、人民日報、南ドイツ新聞の一記者よりまともです。
▼「再びプロとして、実名で、広く世の中にご自分の見解を発表」⇒nakaさんにお答え(7/1・93)した通りです。
所謂「現実主義」とリアルな現実認識とは必ずしも同じではない。現にあるものだけを頼みとするのが現実的だとするなら、結局刹那主義に行き着く。「ただ現にあるものだけを信じ、希望によって欺かれるな」という思想だ。しかし、それだけでは正確な現実認識を生まない。
その困難性が逆に理想主義者による現実主義の観念性を生む。現実は可能性に対立し、その実現ともみられるから、実現することの難しさが現実を可能性の彼方にある、何か絶対的存在に祀り上げるからだ。理論(的可能性)と実践との統一、理念と現実との一致を希求する思考が、所謂社会的現実に無造作に結びつく時、観念性は覆い難い。
一方で理想に冷淡で幻惑されたりしない人々にとって、美しい希望は周囲のどにも存在しないから、理想主義者にはそれが頑固で度し難いものに映る。現実をそのまま社会に重ね合わせる俗見も、観念操作に耽る理想主義も、現実に欺かれている点では違いはない。
流動転変してやまない現在への執着は少しも現実的ではなく、かえって現実逃避につながる。現実の変化によってたちまち欺かれてしまい。それまでの現実は仮象になってしまうからだ。所謂現実主義は現実をみない点で救い難い側面をもつ。リアルな現実認識を離れてはこの窮状を抜け出せないが、それは平和主義にも当てはまる。理想の真価は希望や可能性と現実と峻別にあるからだ。
多くの人が現実という言葉に込めるのは、あらゆる希望的観測を退け、目の前にあるものを直視するところに現実はあるという思想だ。もう一つ、現実は可能性(未だ現われざるもの)に対立するものとしてあり、可能性は無限定性(未だ何ものでもないもの)、概念上の可能的存在(観念)に通じ、現実やものはその実現と理解される。
現実は弱者にとって不正不義の対象となり、容易に否定できない超越的存在と化する。逆にすべてが自らの支配に属して思うがままの強者にとって、現実はそのまま可能性の実現となり、現在と未来とが重なることから、現実は世界全体となる。これもまた仮象である。
現実の捉え方が強者と弱者とでは正反対になっている。強者はすべてに心を開き、弱者はわが身の不運不幸以外に心を閉ざす。現実という言葉自体、多様な意味を担わせるのに十分でないことが分かる。弱者の悲痛な受難者としての現実精神は、現実を見ないこと、考えないことに救いを見出そうとする。視野を自己にとって最も確実な「現にあるもの」(παρὸν πάθος)としての現実に限り、現在に執着することで、かえって現実逃避に行き着く。
他方、強者はすべてを自己に都合のいいようにしか理解せず、すべてを見ているようで見ていない錯覚を免れ難い。それは弱者のように意識的でないから救い難く、なかなか自覚されないから命取りになる。
現にあるものだけを頼みとする現実主義の限界を乗り越える時、われわれはようやくリアルな現実の入り口に立つ。現実の捉え難さは、常に自らを越え出ていく現実の超越性にある。現実は現実のみによっては捉えられず、λόγοςが時間を超えた永遠なるものを要請する所以だ。
憲法問題は現実との対話である。
彼は、「敗戦の日」をドイツ国民が「人々を蔑むヒトラーの作り上げた暴力独裁支配から解放された日」と位置付けている。そして、私も、彼の例に習って、8月15日、「日本の敗戦の日」も、宮澤・丸山両東大法学部教授のように、「日本の民衆が革命を起こした日」ではなく、上杉慎吉、蓑田胸喜、「世界最終戦論」を書いた石川莞爾などの軍国主義者たちが、天皇の権威を使って作り上げようとした「暴力独裁支配」から解放された日だ、と考えています。それは、ワイツゼッカー演説に触発されて、当時本を読んだり、手近なところで、両親、義父母にいろいろきいたら、「戦争が終わって、毎日の空襲がなくなって、本当にほっとした。」という感想だったからである。ほっとした、ということは、解放された、と同義、革命を起こそうとする気持ちはまるでない。
つまり、1928年8月から、国策の遂行のために侵略戦争をすることは、アウトなのである。満州事変のおり、その裁定をしたのが、「リットン調査団」であり、交渉がジュネーブの国際連盟で行われ、その時の全権大使が、松岡洋右さんで、交渉は決裂し、「日本」は国際連盟を脱退するのであるが、「リットン調査団」のスクープ記事を書かれ、ジュネーブに張り付いて、その取材をされていたのが、楠山義太郎さんなのである。もっと、話をきいておけばよかった、と後悔しているのは、そのためである。東条英機が、学生時代、成績がよかったか、悪かったか、などということは、はっきり言って、どうでもいい。つけ加えれば、石川莞爾は、大変学生時代成績がよかった、ということが判明したが、ゲッペルスと同じで、頭がいいことが、民衆を不幸にした。
以上のことが、コメント37で紹介した、ソクラテス的手法による、真理の探究の軌跡である。
反時代的古典学徒さんの、私への形容、このブログのコメントだけでもこれだけの表現をしておられる。
無学は恐ろしい妄説を生む。それがどんなに真剣でも、学校の倫理社会レベルのお勉強にすぎず、ソクラテスがもつ哲学史上の真の意味に一歩も近づかない。真理も学問も知的怠慢には厳しい。ソフィストの事例と重ねるアナロジーは軽率極まりない。
自分が馬鹿にされているらしいことを糊塗して・・・、私が馬鹿にするとしたら、無知に居直る特定の「普通の人」であって、ブログ投稿者は既にご存知だ。その理由も。もっとも、それをもって「憲法違反」にはならないだろう。私は終始妄説だと言っており、idiotだとは思ったとしても武士の情けで公言したりはしない。 粗雑な文章に目眩がする。常軌を失した想念が意味不明な杜撰な文章と相まって独り歩きしている。
笑止千万、無学とは恐ろしいものだと、専門家の端くれとして少々考えさせられた。教育が悪いのか、と。
また、へえ、そういう風に考えるのか、と思う例としては、
戦後の西独が「非武装中立政策」をとっていないのは、西独が共産主義ファシズムと対峙する自由主義陣営の最前線だったからで、法学の素人が頭を悩ます問題ではない、と専門家を自負されておられる反時代的古典学徒さん主張を読んで思った。
日本国憲法第14条に、 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。という条文があるが、要するに、反時代的古典学徒さんには、日本国憲法の精神、民主主義についての根本的な理解が欠けておられるのだと思う。
なお、私のコメント85で、裁定という言葉を使ったが、リットン調査団、だから、調査、という言葉の方が、適切だと思い、訂正させていただきたい。
日米同盟は、西側自由主義陣営(実質は米国)との講和による独立回復とともに、吉田茂の政治的見識が生んだ正当な政策判断だったとしても、偽善の所産であることに変わりない。政治とは常にそうしたものだ。
全面講和、非武装中立という綺麗事(ナイーブな理想)をどんなに並べても、それはかのペロポネソス戦争で、圧倒的な軍事力を背景にアテーナイに中立放棄を迫られたメロス島が策を講じることなく拒否して滅びたのと同じ轍を踏むことになるからだ。
篠田さんが説く、確立した国際法規範とは「蜘蛛の巣」のようなもので、二度の世界大戦の惨禍を経験したのちの時代にあって、戦争を違法とする文明史的判断として遵守されなくてはならず、最近の例で言えば、ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海島嶼への海洋進出は明白な国際法違反だが、双方とも国連常任理事国であるから当面は事実上黙過されている所以だ。確立した国際法規範は国際正義の根源であり、将来に向け無いよりは遥かにましだが、現実には米国の圧倒的軍事力、経済力がなくては画餅に帰する。Pax Americacaとはそうした現実への表現だ。
篠田さんを批判する主流派憲法学者の理想主義は所詮は弱者の倫理であり、米国とまともに対峙する覚悟も政治戦略も欠いたπάθος の論理にすぎない。いくら思想薄弱な日本人でも政治家でもそれを真に受けることはない。最近は「抵抗勢力」ぶりがすっかり板についた朝日でさえ、日米同盟を否定しないし、できもしない。精々「隣国ともっと仲良く」程度の別種の偽善を振りまくだけだ。
そのうち態度を変えるのは必定で、上から目線で無視するに限る。
膨大な事実誤認を糊塗した87、88は相手にしない。
篠田先生が、「平和を愛する諸国民」は、国連憲章からして、日本国憲法の草案を作ったのが、米国のGHQなのだから、当然米国人を含む、と断言されているが、それを否定されるおつもりなのだろうか?ワイツゼッカー演説ではないが、真珠湾攻撃は、日本が米国に仕掛けたのだから、戦前の特に1930年代から45年までの日本人は、マスコミに煽られて、平和を愛さなかったのである。
戦後の西独が「非武装中立政策」をとっていないのは、西独が共産主義ファシズムと対峙する自由主義陣営の最前線だったからで、法学の素人が頭を悩ます問題ではない、という主張に驚いたのも、統一後のドイツは、自由主義陣営の最前線でなくなったにもかかわらず、相変わらず、軍隊をもち、米国を含めたNATOの一員であり続けているからだ。「非武装中立政策」をとらないのはどうしてなのだろう?
要するに、ヨーロッパが恐れているのは、ロシア、プーチン政権なのであって、それは、シリア、中東情勢をみるだけで、明らかである。ゴルバチョフ時代とは違うのである。ロシア、中国が安全保障理事会の常任理事国なのだから、当然、決議の一致は難しい。北朝鮮の金日恩さんは、そこに活路を見出しそうとしているのである。だから、日米安全保障条約は、偽善ではなくて、必然である。その現実が、日本のマスコミを牛耳る人々にいつまでたってもわからないから、9条論議が進まず、集団的自衛権の必然性も国民に浸透しないのである。
西独は非武装中立政策をとっていないと強調するが、日本も非武装中立策をとっていない。護憲派が「非武装中立という非現実的な理想の旗」を下ろしていないだけ。自衛隊も国際法上は立派な軍隊であり、政府も認めている。事実上の軍隊を憲法解釈との関係で国内的には公式に軍隊と認めていないだけ。
冷戦後もドイツが非武装中立策を採らないのは、ソ連がロシアに変わっても、ロシアもソ連同様の強権的体質を変えていないから。そもそも欧州では中立はあっても非武装はありえない文化的体質がある。よくご存知では?
「米国と対峙しなければならない」のは、反時流的古典学徒(「反時代流」ではありませんョ)ではなく、未だに「事実上、米国に押しつけられた」憲法を、「八月革命説」などの理屈を楯に認めていない、反米主義的な憲法学者や一部の識者、リベラル派と革新政党などの護憲勢力。
「米国とまともに対峙する覚悟も政治戦略も欠いた」の対峙とは、事実を認め真剣に向き合うこと(「向き合って立つこと」=『広辞苑』)で、必ずしも敵対関係を意味しない。米国帝国主義の専横などと「意地を張るのを止めて、いい加減大人になったら?」。明白な国際法違反である原爆投下や、焼夷弾による無差別爆撃での非戦闘員大量死などの言い分は措いて、逆恨みして歪んだ憲法解釈で意趣返しせず、そもそも戦う相手が悪かった、こちらも大莫迦だったと素直に認めたら、ということ。
安倍首相を糾弾する護憲派の皆さん、いくらトランプ嫌いでも米国とまずキチンと向き合わないで、中国や北朝鮮、ロシアに対抗できますか? こちらは過去を反省して未来志向でゆくつもりでも、中朝(韓)も思惑があって思うに任せないし、外交は国益の衝突だから。
北朝鮮の金日恩は金正恩の誤り、偽善の反対は偽悪で、必然と両立する(それが論理学)。分かりますか?
小池百合子東京都知事が昨年、豊洲への中央卸売市場の移転問題に関する政治判断を問われた折、「アウフヘーベン」(aufheben)という一般には耳慣れないドイツ語の単語を使って人々を当惑させた。aufhebenはヘーゲルの弁証法哲学由来の概念で、哲学に関心をもつ者なら周知の語だが、ドイツ語の普通の意味は、(下に落ちているものを)拾い上げるとか、取り上げる、(倒れた人等を)助け起こすが主たる意味で、ヘーゲルを読まない一般人には縁のない言葉だ。試しに普通のドイツ人にaufhebenの意味を問えばそれが分かる。
何かと横文字好きの小池氏が記者の追及をかわすのが狙いだったろうが、この意味不明な発言は、ヘーゲリアンと称される人々、そのうち特に左翼思想の信奉者が、議論が矛盾に直面して膠着状態に陥った場合に苦し紛れに連発する(悪用する)、矛盾を一挙に解消する魔法の概念がこのaufhebenだという事情を小池氏も知っていて、煙に巻いたのだろう。、
小池氏は、その教養の方はいざ知らず、昨今はカイロ大学卒業時の成績が、これまで吹聴してきた「首席」などではなかったことが「判明」し、一段と弱り目に祟り目の感がある。女性たちの元「希望の星」だが、共同代表を務めた希望の党の解体で事実上、ますます影が薄い。
巧みなメディア戦略で一時は安倍政権にも脅威となった感のある女傑だが、上手の手から水が漏れるの譬え通り、行き当たりばったり出たとこ勝負の浅慮と、策士策に溺れる式の軽率さが裏目に出て、頼みのメディアから猛反発を喰らい、今日に至るのは周知の事実だ。
「メディアから持ち上げられ、メディアから引き摺り下ろされる」典型的事例で、小池流の政治手法の限界を露呈した。
メディアもまたある意味で国民の似姿であり、「政治を軽蔑する者は、軽蔑すべき政治しかもてない」(『魔の山』)と喝破したドイツの文豪トーマス・マンの言葉に倣えば、「メディアを軽蔑する者は、軽蔑すべきメディアしかもてない」ことにつながることを自戒としたい。
他人の頭ではなく、自らの知性と経験でものを考えるという、責任の主体を放棄するかのようなナイーヴなメディア批判は観念的で、何のために思想・信条の自由(思想及び良心=19条▼信教(信仰)=20条▼言論、出版その他一切の表現=21条▼学問の自由=23条)が保障されているのか、銘記すべきだろう。中には14条しか目に入らぬ偏狭な御仁もいるようだが、ここでは無視する。もっとも思想・信条の自由は何も憲法で保障されなくとも、古来、偉大な先人や碩学と称される識者が身をもって実践してきたことで、哲学はその典型である。
異国人との付き合いで「違った意見から、刺激を受け、新しい境地に達することも」あったらしい人物が「ヘーゲルはaufhebenという言葉を使って表現した」と、単なるアナロジーの論理でナイーヴに発言しているが、小池氏同様、恐らくヘーゲルなどまともに読んだとは思えない無邪気さがそこには否定し難い。
プラトンは論理的区分に基づく概念形成の観点から概念問答法(διαλεκτκή)を説いた。διαλεκτκή は即ちdialektikだ。ソクラテスの問答(διάλογος)を発展させたもので元々は対話を指していたが、彼独自のイデア論を展開するなかで、概念の厳密な分析に基づく哲学的論理に発展した。
逆にアリストテレスはdialektikを終始悪い意味に用い、本来の正しい推論法の対象を分析論(‘ἀναλυτικά’)として、蓋然的推論であるδιαλεκτκήと対比した。『分析論前書』にはアリステレスが完成させた名辞論理学が展開されている。
ヘーゲルの弁証法に話を戻す。ヘーゲルによれば弁証法は「思惟の本性の中にある法則性の学的適用」(‘die wissenschaftliche Anwendung der in der Natur des Denkens liegende Gesetzmässigkeit’)で、思惟の法則性はヘーゲルの場合、存在の法則性である。
それは定立=These、反定立=Antithese、総合=Synthese という三段階で進む発展の普遍的法則である。ヘーゲルにとって哲学(学問)の対象である生きた主体(Subjekt)としての絶対者は、過程である。すべての現実(Widerspruch)は過程、つまり自ら差別に分裂し、差別から同一性に戻り、反対を通して発展するところの主体である。哲学は思惟の運動(Gedankenbewegung)、つまりdialektikである。
ヘーゲルによれば矛盾は発展の推進力である。すべての現実は発展であって、矛盾がなければ運動も生命もない。このため、すべての現実は矛盾に満ちている。あたかも現在の日本のように。
それにも拘わらず理性的であり、矛盾は思想を進めるための契機であって、その意味で矛盾は根絶されてはならない、とまで言い切る。
実現された総合は未だ究極的なものではない、ということだ。個々の概念は一面的で不完全で、真理の、現実の一部を構成しているにすぎない。絶対的理念(Idee)でさえ、単独では完全な真理ではないからだ。
以上、京大の講義ノートに基づき縷々論じてきたが、Hegelianでない私はこの弁証法論理を全く認めない。概念の「違法建築」だと考えている。確かによく練られた思考だ。しかし、論理学的基盤が破綻(腐食)している。aufhebenは論理的思考を知らぬ者が軽率に弄ぶ魔法の杖ではない。プラトンの概念問答法とも異なる。ヘーゲルの本領は弁証法論理にはない。従って、それに留意すれば今日なお、読む価値がある。
冒頭挙げた、小池氏のように一知半解でaufhebenを知的装飾のように弄ぶ精神は、現代日本の知的頽廃を顕著に示している。それを有効に批判できず、教科書的俗説の紹介で事足れりとするメディアには知性の欠片もない。
それにしても、楠山義太郎氏の東條英機に関する証言の決定的な誤りの経過は未だに釈明されぬままだ。戦前戦後を通じて周知の石原莞爾の例に留まらず、侯爵前田利為の発言等、あり余る反対の傍証もある。石原を指弾して「はっきり言って、どうでもいい」でごまかせない致命的なミスであって、知的不誠実の極みだ。こういうのを驕慢(ὕβρις)という。aufhebenどころの騒ぎではない。〈完〉
私の主張は、米国と戦争をすると負けるから、新聞を通じて国際社会の真の姿を知らせて、日本人に米国人との戦争を思いとどまってほしい、と活動されていた楠山義太郎さんと違って、東条英機さんも、宮澤俊義さんも、記事をスクープした毎日新聞社の他の方々も、日本が勝つと思われていたから、開戦を喜び、歓声をあげておられた、ということである。
「そうだ」というのは、伝聞情報で、ドイツ語を大学時代に勉強された方は、ご存じだと思うが、ドイツ語では、伝聞情報は、文法的には仮定法を使う。それは、真偽がはっきりしないからである。たぶん、楠山さんは、誰かから聞かれたのだろう。楠山義太郎さんの主張は、「東条英機さんは単純な男だ。」ということである。開戦前夜に、高揚した気分で、米国と戦争して勝つ、と本気で思われているような首相に、ついていったから、日本人は悲惨な目にあったのではなかったのだろうか?
再三(7/25=79以来)の要請に漸く届いた回答は全く問題にもならない。
「学生時代の成績は、トップだったそうだが、単純な男でね」を、<だった「そうだ」というのは、伝聞情報>と言い逃れる姑息さ、しかも完全な失敗であることも気づかぬ愚鈍。語るに落ちるの典型だ。よく考えてみれば分かるはず。
楠山氏の「普通の人」への発言は戦後だ。伝聞などではなく、「トップではない」東條の学業成績は戦後も周知の事実だった。伝聞取材に拠らざるを得ない場合もあった戦時中とは状況が全く異なる。ましてや、楠山氏はジャーナリストである。こんな致命的なミスをなぜ戦後になって犯したのか、理解に苦しむ。無知な「普通の人」をからかって楽しんだ訳でもないだろう。
いずれにしても、東條が父親のような頭脳明晰な秀才ではないことは、戦前でも関係者に知れ渡っていた。それを最も露骨に公言したのが犬猿の仲の石原莞爾。私のコメント71のどこをどう読めば私が石原を「見識ある人」のように描いたことになるのか? 石原は東條を小馬鹿にしていたことを示す傍証。粗笨な読解は相変わらず健在である。貴所はほんとうに、大丈夫ですか?
石原莞爾を「石川莞爾」と誤記する迂闊さ。間違いのない文章が書けぬものか。少し頭を冷やして猛省されては? 見苦しい居直りは楠山氏の名誉も傷つけかねない愚行。それに、自ら好んで墓穴を掘ることもない。
貴所に相応しい格言を贈る。曰く、
γνῶθι σαυτόν(汝自らを知れ)
最新の研究または学界の標準的認識(共通認識)を反映していない一部のWikipedia の記述の代表的事例として、「ソクラテス」の記述の杜撰さについて分析し、カロリーネ氏の反論が、今後そうしたものがあったとすればの話だが、全く学問的裏付けのない理由を論証しておきたい。
まず、ソクラテスの「思想形成(編集)」に関する項目(→この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか不十分。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください=2015年10月)とあることの実態を吟味する。
以下は、具体的記述内容に関する私の註釈的分析。
①彼(ソクラテス)は世間で評判の賢者たちに会って問答(エレンコス、ἔλεγχος)することで、その人々が自分より賢明であることを明らかにして神託を反証するつもりであった。⇒⇒ἔλεγχοςは論駁(吟味)であって、問答(διάλογος)とは異なる。反駁、論破、遣り込める(=ἔλεγχος、έλέγχειν)など、論駁と吟味とではやや意味がずれるが(趣旨は同一なので同じ括りとした)、問答という表現は、ソクラテスの具体的活動実態への理解を妨げる。エレンコスには論争=ἐριστικόςの側面も。
②賢者と世評のある政治家や詩人などに会って話してみると、彼らは自ら語っていることをよく理解しておらず、そのことを彼らに説明するはめになってしまった⇒⇒「賢者と世評のある政治家や詩人」は、所謂ソフィストではない。詩人・作家に対する知者の呼称。この観点から、文字通り智者であるソフィストも同列と誤解(一知半解)して、あたかも論破したソフィストに恨まれて刑死につながったように考えるのは史実に反し、文献的典拠を欠くので誤り。それぞれの技術に熟練した職人たちもソフィストではない。
ソクラテス、プラトンは知識への要求がより厳格になっており、それがその他と彼らを分け、同種の単なる知的活動と哲学とを分ける分水嶺になっている。
Wikipedia記述の説明をそのまま鵜呑みにするならば、
④(ソクラテスの)「神々(神託)への素朴な畏敬・信仰」と「人智の空虚さの暴露」(悔い改めの奨励、謙虚・節度の回復)を根本動機としつつ、「自他の知見・霊魂を可能な限り善くしていく」ことになる⇒⇒典拠不明で不正確な独自説。ご愛敬は「なお本項目の内容はすべて執筆者による主観的な意見に過ぎないので注意するように」との、それを認める記述者自身の釈明があること。
⑤「ヘシオドスの『神統記』に、嘲笑的に「死すべき人間たち」という表現が繰り返し出てくること等からもわかるように、「世界を司り、恒久的な寿命と超人的な能力を持つ」神々に対し、人間は「すぐに死に行くはかなく無知な存在」」⇒⇒「死すべき人間たち」は「トネートス」(θνητός)のこと。
プラトンの場合εἶδος とγένος の間には、のちにアリストテレスが定式化した種と類との厳密な区別はなく、両語は同意義と言って差し支えない。ただし、プラトンの場合、類、種族と訳されているのは、概ねγένος。さらに、『ティマイオス』にも「死すべき定めの種族が三つが生じなければ世界は不完全」(41B~C)との記述。
⑥「節制」(節度)がとても重要な徳目であった。ソクラテスの思想・言動は、基本的にはこれら古代ギリシャ当時の伝統的な考え方に則り、それを彼なりに継承・反復したものだったと言える⇒⇒指摘されたことは誤りとは言えないが、記述者の『ソクラテスの弁明』や『クリトン』 への単なる読後感。
次の項目「裁判と毒殺」(編集)にも不正確な記述が散見される。
⑦ソクラテスは当時、賢人と呼ばれていた政治家や詩人達、さらには手工者をはじめとして、様々な人を次々に訪ね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」を検証するために対話を行なった。⇒⇒賢人はソフィストでないことが明白。代表的賢人は「政治家や詩人達、さらには手工者」。市民権のないソフィストは政治家になれない。なお、「汝自身を知れ」という著名なデルポイの神殿の銘γνῶθι σαυτόν(汝自らを知れ)、αὐτόςは自分(σαυτόνは変化形)。
⑨「喜劇作家のアリストパネスが『雲』において自然哲学者とソフィストを混ぜ合わせたような怪しい人物として描いて揶揄し、大衆にその印象を広めた」「アテナイの敗北を招いたアルキビアデスや、その後の三十人政権の指導者となったクリティアス」⇒⇒記述自体は問題ない。カロリーネ氏はこうした証言や事実を無視して勝手な類推を展開した。
⑩アテナイの500人の市民がソクラテスの罪は死刑に値すると断じた⇒⇒不正確な記述。501人説が有力だが諸説ある(アテーナイの法律では有罪無罪同数の場合は無罪になるので、当初500人、のちに501人制度に変更)。ただし、501人でも500人でも裁判の「陪審員の総数」。有罪281票、無罪220票で。その後の量刑投票で死刑に361票。「500人の市民が……死刑に値すると断じた」は極めて不正確で意味不明なうえ、誤解を招くので不適切。
典拠はなんと参考文献筆頭(‼)の『プルーストとイカ』(111頁)。同書はメアリアン・ウルフ著で正式表題は『プルーストとイカ…読書は脳をどのように変えるのか?』(小松淳子訳、原著刊行は2008年)。記述者は常軌を逸している。
プラトンからの引用は岩波文庫版の『ソクラテスの弁明/クリトン』(久保勉訳)のみ。他の引証は『プルーストとイカ』と、一箇所の(シチリアの)ディオドロスの『世界史』(XIV. 37)。おざなりに参考文献に十五著作を挙げるが、選択は極めて恣意的で、記述者が素人の寄せ集めであることが歴然としている。
結局、先行研究の極めて不正確な理解に基づき、諸説を「糊とハサミ」でつないだようなものであると言える。
従って、「アレテー(αρετη、arete徳)」のような表記はあり得ない。正確にはアレーテー(=ἀρετή、aretē=徳)。記述者が専門的知識を欠いた所謂「もぐり」であることを如実に示している。
このほか「思想」にも同様の傾向。
⑪神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える。「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る、人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」という当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある⇒⇒大まかな主張としては理解できるが、典拠不明な不正確な独自説。
⑫彼の思想的立場は、アテナイの保守層とも、外来・辺境のソフィスト・哲学者とも合致せず、そのどれに対しても相対的で、「無知の知」を投げかける特殊なものとなっている⇒⇒アリストテレス以来の学説誌的観点が欠落している。
以上、専門家の端くれとして気づいた点の一部を指摘した。学問的議論は正確な論拠に基づいた議論がすべての前提であることを共通認識とし、もって自戒としたい。<完>
コメント94の14行以下、「すべての現実(Widerspruch)は過程」は、(Widerspruch)を削除して「すべての現実は過程」、17行目の「矛盾は発展の推進力」は、(Widerspruch)を挿入して「矛盾(Widerspruch)は発展の推進力」に訂正します。
なお、ヘーゲルによれば矛盾は発展(Entwicklung)の推進力であり、すべての現実(Wirklichkeit)は発展であって、発展を推進するのは反対(Gegensatz)であり、矛盾(Widerspruch)である。矛盾がなければ運動も生命もない。
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