池田信夫氏の『丸山眞男と戦後日本の国体』を読んだ。池田氏の丸山論として異色の趣を持つが、丸山の仕事を丹念に読んだ労作である。同時代を理解するために丸山と格闘した池田氏に敬意を表したい。
 
本書は、丸山の全体像を見渡したうえで、それぞれの著作の時代背景について考察を加えている。池田氏の強い問題意識にかかわらず、実は丸山眞男の入門書としても読むことができるものに仕上がっている。
 
同時に、今日の学術的動向をふまえた丸山の個々の仕事の評価もおりまぜつつ、池田氏の大きな問題意識をふまえた批判的な戦後史の叙述という野心的な一面もある。丸山以外の誰を取り上げても、このように思想家研究と時代考察を劇的に調和させることは難しかっただろうが、池田氏は、丸山という格好の題材を相手に、活き活きとした論説を展開する。
 
本書の題名には「戦後日本の国体」という概念が入っているが、池田氏の問題意識の中心は、戦後日本の「国のかたち」の歴史的展開に置かれている。本書の帯には、「われわれは、いつ、どこで、間違えたのか」、という印象的なメッセージが入っている。池田氏は、「戦後日本の国体」には「間違い」が内包されているのではないか、という問題意識を持ち、そのことをより明らかにするために、丸山に取り組んだのである。
 
光栄にも、拳法9条を「表の国体」、日米安保を「裏の国体」として論じた私の拙著『集団的自衛権の思想史』を、池田氏に最初の注で参照していただいた。その私であるから、「戦後日本の国体」について考えるために、安易な日本属国論だか何かに向かわず、真摯に丸山に向かったという池田氏の姿勢を、全面的に歓迎したい。
 個々の丸山の仕事の評価について、辛口のコメントを投げかける池田氏は、さすが経済学を専門家らしいものである。池田氏の批評には、徹底した合理主義が貫かれており、丸山の天才を高く評価しつつも、丸山が情緒に流されて合理的結論を見誤ったと言わざるを得ない点について、辛辣な指摘を加えていく。
 どれか一つの丸山の限界をとって、それこそが戦後日本を決定づけた最大の間違いであった、と断定できるわけではない。ただ、池田氏も重要視する決定的なポイントを三つほどあげれば、次のようになるだろう。
 第一に、丸山は、現実の国際政治に裏切られた。1951年サンフランシスコ講和会議をめぐって書かれた、有名な「三たび平和について」によって、丸山は、全面講和を唱えて日米安全保障条約体制を批判した数々の知識人の中で指導的役割を担うことになった。そこで丸山は、全ての戦争が全面核戦争になるため、中立政策が正しいと主張したのだが、現実の国際政治は、丸山が予期したようには展開しなかった。
 第二に、丸山は、「国民」に裏切られた。1960年日米安全保障条約改定の際、強行採決を行った岸信介政権に憤り、政策ではなく、民主主義を理由にして、安保闘争の騒乱に加わった丸山は、その後も選挙のたびに自民党が勝利し続ける現実を、予期していなかった。また、資本主義の行き詰まりを予感していた丸山は、自民党長期政権下での高度経済成長を謳歌して生活保守化する一般大衆の姿を、予期していなかった。丸山の日本国憲法解釈は、「国民主権」を強調する東大法学部系の戦後憲法学に近いが、その「国民」は、丸山が予期したように行動することがなかった。
 第三に、丸山は、日本思想史に裏切られた。1946年「超国家主義の論理と心理」で華々しい論壇デビューを飾った丸山は、一貫して日本の思想を特殊なものとみなし続けた。晩年には、「古層」などの曖昧な概念に拘泥しながら、学術的に精緻な成果を生み出すことができずに苦しんだ。日本の思想基盤の特殊性をロマン主義的に強調しながら、その中でも主体性を発揮したと言える思想家を見つけるために苦闘した。荻生徂徠や福沢諭吉、あるいは武士道の丸山ならではの読み込みは、学術的には問題のないものではなかった。同時代の世間の人々は、丸山の名前に魅かれて、丸山ならではの日本思想史の読み込みを許した。しかしそれは、丸山が「戦後日本の国体」のロマン主義的解釈の中心にいたことを意味しても、われわれが客観的に検証しうる、丸山自身が描いた問題に対する丸山自身の突破口を、丸山自身が見出していたことを、全く証明しない。たとえば、池田氏は、丸山が日本特殊と論じた無責任の体系は、ナチスドイツの戦争犯罪者にも見ることができると冷ややかに論じる。そのとき、丸山の苦闘とは、一つの自作自演のヒロイズムでしかなかったのではないか、という疑問が、ふつふつと湧き上がってくる。
 
もっともこういった評価には、反論もあるだろう。丸山が現実を予期できなかったことは、あるいは現実的でなかったことは、必ずしも丸山を否定すべき理由にはならない、と。丸山が求めた道を進んだ日本のほうが、今日の日本よりもずっとましだったであろう、と。
 ここに丸山によって、「戦後日本の国体」の壮大な物語が、劇的に示されることになる。丸山のロマン主義は、主体的な決断にこそ、最高の価値を見出す。「超国家主義の論理と心理」における、驚くべき程度までのシュミット依存、シュミットをして日本人を批判せしめるという倒錯的態度は、丸山の世代に特有な決断主義のロマン主義的肯定の思想を生み出した。
 
このロマン主義は、今日でもなお、通俗化された憲法9条信仰の形で残存している。9条とは、理想主義の中の理想主義であり、だからこそ実現困難であると同時に、それを選択することに至高の価値がある、という思想である。このロマン主義は、憲法学における「八月革命」説にも通じ、護憲派の「永久革命」思想として国内社会で力を持ち、日本の「国の形」にも大きな影響を与えた。
 
丸山の「永久革命」は、半ば自作自演のヒロイズムを象徴する概念だ。永久に続く革命などあるはずがないこと、永久革命家とは達成されない目標をわざと掲げて万年革命家を自認することを趣味としている者のことでしかないこと、などについて、醒めた視線を送る者は、多い。私もそうだ。
 政治学は、結果に関するアートだから、永久革命が永久革命であるがゆえに正当化されるということは、政治学者の間では、通常はあまりない。
 
もちろん、戦後日本にはそのようなロマン主義が必要だったのだ、と言われれば、私もまた、丸山の名声を見るまでもなく、それは確かにそうだったのかもしれない、とも思う。
 
しかし、それでもなお、あるいはだからこそ、次のように言わなければならない、と私は思う。「われわれは、いつ、どこで、間違えたのか」、という問いを投げかけたうえで、丸山を読み、その問いに対する答えを述べるならば、次のように言わなければならない、と私は思う。「最初から、その構図の本質において、間違いが内包されていた」、と。