イギリスのブレグジット交渉が大きなヤマを迎えているという報道が続いている。EC加盟以降40年にわたって積み重なったEUの仕組みを取り外す作業は、並大抵のことではない。
イギリスの様子を見ると、EUの負の側面が広まっているように見えるかもしれない。しかし実際には、経済を見れば、EU加盟諸国は堅調な経済成長を果たしてきている。イギリスも例外ではなかった。
ここ数年、ヨーロッパにしばらく滞在すると、実感することがある。それは、ヨーロッパは豊かになっている、ということだ。特に昨年から政治分析部門の客員専門家の肩書で出入りしたICC(国際刑事裁判所)があるオランダなどの経済は、好調だ。
私は、イギリスで博士課程の学生をやった。論文提出後の非常勤講師や学術雑誌編集長の仕事をしていた時期も含めると、1990年代に、計5年間をヨーロッパで過ごした。その頃は、バブル崩壊直後とはいえ、日本の経済状態も今とはだいぶ違っていたので、日本の相対的な豊かさと比較して、ヨーロッパを見ることが多かった。周囲の人々も、そのような感覚を持っている人が多かった。
その頃の記憶があるからだろう。隔世の感がある。富裕層の数だけでなく、平均的な人々の生活水準が、明らかに向上しているように見える。
1993年当時、日本の一人当たりGDP(名目)は3万5千ドルの水準にあった。当時のオランダの一人当たりGDPは2万2千ドル程度にすぎなかった(もっとも購買力平価一人当たりGDPは日本も2万2千ドル程度だったのだが)。今やオランダの一人当たりGDPは5万5千ドルの水準になっており、4万ドル前後の日本を大きく引き離している。
日本は依然として世界第3位の経済大国ではあるが、一人当たりGDPでは、30位程度の水準にいるに過ぎない。ほんの四半世紀前までは世界のトップを争っていたのだから、その停滞ぶりには目を覆いたくなるものがある。日本を抜き去ったのは、実は復活を果たしたアメリカや主要なヨーロッパ諸国などである。
一人当たりGDPで世界30位でありながら、GDP総額では世界3位の地位を保っているのは、日本の人口規模がまだ世界10位レベルにあるからだ。GDP世界3位と言っても、今や日本と米国・中国との差は数倍単位の圧倒的なもので、人口が3分の2以下のヨーロッパ諸国との差のほうが小さい。
なぜこうなったのか。ヨーロッパで実感するのは、やはり「規模の経済」ということだ。欧州単一市場の成立によって、ヨーロッパ人は、5億人以上の規模の共通市場を獲得した。「規模の経済」が、各国の特性を活かし、弱点を補い、全体的な底上げを図ったことは確かだろう。
日本は1980年代後半に1億2千万人規模の人口を擁するに至ったが、当時の世界人口はようやく50億人になるところだった。しかし世界人口は、2011年に70億人を突破し、さらに現在も増え続けている。その反面、日本は減少し始めている。日本の国内市場の基盤が、相対的に低下しているのは、不可避的な現象である。
あたかも日本が一人当たりGDP世界一の四半世紀前の水準にあるかのように言いながら、人口減少時代について語る人がいる。もちろん幻想である。「対米従属からの脱却」といったイデオロギー言説をつぶやき、あらためて核武装やら自主防衛体制の整備などを夢想したりするのは、合理性を欠いている。
同時に、憲法9条は世界最先端で、世界各国は日本を模倣すべきだ、といった言説も、「日本は世界有数の先進国だ」、という団塊の世代に典型的に見られる思い込みに依拠したものではなかったか。世界の人々は、画期的な経済成長を果たした日本に魅了され、絶対平和主義としての憲法9条を模倣するだろう、という思い込みは、やはり失われた過去にしがみついた幻想でしかない。
絶対平和主義として憲法学者によって解釈された憲法9条は、冷戦体制の産物でしかなかった。冷静終焉とともに、そのような幻想とあわせて、経済成長も、同時に止まった。偶然ではなかった。それが現実だ。
日本もそろそろ現実を直視したうえで、仕切り直しの国家像を構想する時期に来ている。・・・というか、四半世紀くらい前に、来ていたのだが・・・。
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こうした、ある意味社会政策的な問題提起は、たとえ政府の政策にそのまま反映されなくても、ヴィクゼルが適正人口規模の問題に改めて注目を促したことは他の地域にはあまりみられない欧州に著しい特徴で、先進的福祉政策を生む思想的基盤は既に前世紀初頭に準備されていたと言えなくもない。
篠田さんが今回提起した日本の人口問題は、総人口が不可逆的な減少局面に入り、出生率の大幅な改善を企図した抜本的な改革を施してももはや統計学的には回復不能な局面に突入していることを前提に考えなければ、あまり意味がない。悲観的な結論を先に言えば、現状の人口増加政策のある程度の修正では日本はもはや手遅れだと思われる。抜本的な改善策は大規模な移民、あるいは準移民を受け入れるほかない。それ以外ではAI活用による社会改造かイノベーションであろう。
ところが、世の関心は医療や年金制度の維持(持続性の確保)や労働力不足の対応、子育て環境の改善、地方での極端な人口減の緩和、経済的富の均霑、外国人労働者の条件緩和等、切実ではあるが、近視眼的な発想、問題意識にとらわれ、近未来の大きな社会像を構想する意志も見識も欲求も、政府当局はともかく、国民に全く欠けている。メディアも同様だ。
戦後の成功物語に埋没した現状維持志向が足枷になり、施行から71年、憲法一つ変えられない知的怯懦も禍となっている。
そして、資本主義の故国としてM. ヴェーバーの持続的な研究対象にもなっているような経済的先進性、それに伴う民主的な政治制度の定着、各種法制度の整備、労働制度、古代やルネサンス以来の文明の遺産と伝統、教育制度の発達とそれによる安定した人材開発と供給がそれを後押ししている。米国ほどではないとしても、世界的大学への海外からの留学生も豊富で知的先進性でも後れをとることにはなっていない。
自然科学や経済学部門は米国に水を開けられているが、人文系の学問の伝統は19世紀以来の圧倒的な蓄積があり、今なお世界第一級の水準を維持している。これらはすべて、ギリシア・ローマで一旦は栄え、その後没落した都市文明の再興の条件が欧州で調った証左と思われる。
二度の大戦で、人命を含め多大な犠牲を払ったが、冷戦の終結もあって、力強く回復した経済と統合により人々は自信を取り戻し、将来の政治統合も視野に入れている。しかし、英国のEU離脱決定は、冷戦後の成功物語に一つの新たな課題を投げかけた。それにどう対応できるかが今後の焦点だろう。
個人でいえば最高ランクの資産家である。ただし金持ちだと夜郎自大にならず外国から良いところを謙虚に学ぼうとするのは極めて大事である。
「格差だ」どのこうのと日本で「貧困」が騒がれるのはなぜか。それは日教組など左翼が戦後教育で極めて大きな力をもち教育が荒廃したからである。左翼というのは絶えず社会への不満を煽って、何か気に入らないと社会や他人のせいにする精神性を持っているので、こういう教育では絶対に人間は幸福にはなれない。仕事や趣味を充実させ家庭も背負って国家や社会に貢献することに生きがいを感じ、ささやかなことに幸福を感ずるという人間の本能が長年に渡って破壊された。日本に生まれたことを感謝しようというだけで右翼のように罵倒までされた。
日本人の幸福感が低減していったのはそのせいである。しかも左翼は自由が大事と言いながら社会を言論等で威圧する。全体主義的なマスメディアがその象徴である。極めて異様なマスメディアが引退して健全な個人主義が発展すれば日本は必ず良くなる。
しばらく前に団塊の世代を代表するような人(交際範囲が相当に広い)と酒を飲んでいるときに、「実はね。日本人はね。日本が嫌いなんだよ・・。日本人なんだけど日本が嫌いなんだよ、君・・」といきなりしゃべって黙り込みました。
私はそのニュアンスが実によく実感できました。あの世代は敗戦の後遺症がやはり大きく「日本というのは良い国だ」と言うのがあまり歓迎されないというか、インテリではないという雰囲気がありました。
こういう傾向はそんなに昔にはなかったと思います。むかしはこんな発想は少数でした。どちらかというと、戦争で世界に迷惑をかけたのになにを自慢しているのかというのが多数だったと記憶しています。
左翼も年をとってきたので弱気になっているのかもしれません。
ドイツ人とナチスとの関係は永遠の宿題になるでしょうが、ヤスパースの言う「罪は民族ではなく個人のものである」という考え方に同感です。もしナチスのホロコーストを大部分のドイツ国民が知っていれば、絶対にこうは言えなかったに違いない。もし大部分の国民が知っていたなら、私もこの言葉に反発を持ちます。しかしナチスが何をやることになるか国民は予測できなかった。そのため「罪は民族ではなく個人のものである」は妥当です。ただし言葉遊びをするわけではありませんが何らかの責任はあるでしょうし、それはドイツ人も認識します。その責任の度合いも当時のドイツ人とその人々の子孫ではまたレベルが違います。
それで、この場をかりて、ドイツ文化を愛する故に、読者の方々に、「ワイツゼッカー演説」のすばらしさをわかっていただくために書きます。今まで、エネルギーと時間をその為に、費やしてきた部分が大きいので。ただこれ以上、反氏と論争をするつもりは、さらさらありません。もちろん、反氏が私の主張に対して、反論をされることはご勝手ですが
いかに、伊奈久喜というジャーナリストが、ワイツゼッカー演説をよく吟味することもなく、主観的な憶測を書いているか、ということの証明、のような気がする。伊奈久喜というジャーナリストは、日経新聞で、論説副委員長を務め、特別編集委員(外交・安全保障担当)などを歴任された、ジャーナリストとして、大変高名な肩書をもった方である。それで、マスコミ関係者、反氏なども、その見解をおとりになるのだと思うけれど、この人々は、ほんとに、ドイツの歴史、第一次世界大戦に敗戦したのち、ワイマール共和国を経て、ヒトラーが台頭し、敗戦し、分断された歴史をもつドイツ国民の気持ち、をよくわかった上で、よくワイツゼッカー演説を読み込んだ上で、そのような主張をしておられるのか?と思う。ワイツゼッカー演説を「したたかなドイツ」の象徴のように形容される識者もおられる。反氏はその見解を踏襲しておられるにすぎない。
死者に鞭打つつもりはないが、会社員の方の主張の極めて「異様なマスメディア」の典型的な主張の気がするし、「そんな主張に洗脳されないで、日本の純粋で若い人々」、という老婆心が私にはとても強い。
性懲りもなく今回も日本版Wikipediaのみを根拠に、全く知りもしない人物(伊奈久喜氏)について、ここでも日本版Wikipediaを唯一の頼りに、なりふり構わぬ見え透いたヴァイツゼッカー擁護。もはや、妄執の一語。
私を挑発したいのかどうかは知らないが、私は「殺伐非情」に、カ氏(=瑕疵[カ氏]の権化?)の薄弱な論拠に基づく推論を、完膚なきまでに葬り去るのみ。残念ながら、本ブログコメント欄は、一老婆の「錯★?」ごときではビクともしない。
恐らく「武士の情け」(惻隠の情)で、本人の回顧部分以外、「間違いだらけのドイツ事情」を、せっかく懐かしがってくれる会社員氏の好意も無駄になってしまうかもしれない。それもこれも、すべて身から出たサビ。ドイツかぶれの悪あがきで、度しがたいethnocentrism(自民族中心主義)やchauvinism(盲目的排他主義)を繰り返す。
閑話休題。私があたかも、伊奈氏(『ワイツゼッカー演説の謎」』[2014年、日本経済新聞]の著者)の所説に依拠しているかのような憶測=自らの妄想を、客観的根拠を示さず一方的に垂れ流している。未明に北海道肝振地方で発生した大地震で、北海道全域が停電になり、今のところ復旧の見込みが立たない、というこの状況の中で(私の妻の友人が北海道を家族旅行中)。そんなに、ハンサムな元大統領の欺瞞に満ちた演説が大事らしい。老婆心という名の、一旦は自らからも認めた「老害」そのもの。
この老媼には迫り来る「七十而從心所欲、不踰矩」の齢に相応しい美意識の欠片もないらしい。本当にカロリーネ(Karoline)を語る資格があるのだろうか?
興味のある読者はそれを基に「実態」を判断してもらえばいい。一見格調の高い名演説の印象だが、それが如何にご都合主義かは、これまで散々書いたのでそちらを参照されたい。アウシュヴィッツ=ホロコーストについて、「敗戦国の国民になった日本人も、示唆に富む言葉になる」とのカ氏の余計な説明など、悪名高き、大日本帝国陸軍でさえも計画も実施もしなかった、身の毛のよだつ「‘‘Final Solution’’」とは無縁で言いがかり。余計なお世話で聴くに耐えない。演説はドイツ保守派を中心とする「政治的」欺瞞と居直りの産物。自民族の誇り回復のため、スターリンやポル・ポトと「比較可能」=「相対化」しうる犯罪に何とか格下げしたいという姑息な意図が透けてみえる。演説の翌年からドイツ国内でも大論争に(「過ぎ去ろうとしない過去」=9月1日の11~12参照)。美辞麗句に騙されるのは、「朝日」の社説を信じるようなもので愚の骨頂。
カ氏は「ホロコーストによる犠牲者は、だんだん減って310万人ぐらい、(中略)中国の文化大革命の犠牲者は、なんと4000万人」(6月24日・15の最終節)と決定的な事実誤認に基づく偽情報を平気で書き、今なお訂正もしない不誠実な人物なので、要警戒。
カ氏は何の客観的根拠もなしに、こともあろうに日本版Wikipediaを唯一の根拠に「伊奈久喜というジャーナリストが、ワイツゼッカー演説をよく吟味することもなく、主観的な憶測を書いているか、ということの証明」と書く。実態は、粗笨な読解で「Wikipediaにこう書いてあった」と勘違いして喜ぶ幼稚園児さながら。Wikipediaの記述は、ヴァイツゼッカー演説について著書もある伊奈氏が、疑義を示しているのを紹介しただけ。
それ以上に「どうして、そうなるの」と奇妙奇天烈なのは、私がいつのまにか伊奈氏に依拠して自説を展開していることになっているとの「御託宣」。私が誰よりもWikipediaに信を置いていないことを、この期に及んで知らないらしい。Idi*otとしか思えない、目的のためには「道理」(λόγος)を選ばない見境のなさ。ここまで来ると、ほとんどIdi*ot=「★★」の域。同一文章4連続投稿は、故なきことではない、破天荒な情念の持ち主。
なお、カ氏が常に参照する、同じ日本版Wikipediaの「ヴァイツゼッカー」よれば、ヴァイツゼッカー氏がナチスの外務次官としてニュルンベルク裁判で裁かれた父の弁護をしたことに言及し、「(懲役5年、1950年に恩赦で釈放の)父親の罪状についてヴァイツゼッカーは「侵略戦争を指導した」とする平和に対する罪(いわゆるA級戦犯)を回想録で「まったく馬鹿げた非難だった。真実をちょうど裏返しにした奇妙な話である」と全面的に否定し、裁判の不当性を強く非難している」と発言したことや、父親がナチス親衛隊の名誉少将に任じられていた点、外務次官として独ソ不可侵条約締結をとりまとめ、またユダヤ人迫害への加担でも有罪になっていることなどについて回想録では一切触れていない」ことを、「事実」として紹介している。
さらに、ヴァイツゼッカー氏が1966年まで勤務したベーリンガー・インゲルハイム社が、「当時ベトナム戦争で使用される枯葉剤の原料を生産していた」ことも紹介している。
「へぇ、そうなんだぁ~。ヴァイツゼッカーちゃんもなかなかやるじゃん」――彼は抜け目のない政治家なのである。
「演説の中の「過去に目を閉ざす者は……現在にも盲目となります」という有名な一節は、演説が行われた当初は特に注目されていなかった。この一節を日本で最初に見出しにしたのは、岩波書店の雑誌『世界』1985年11月号で、朝日も同年11月3日にコラムで取り上げた。岩波書店はさらに86年2月、演説全文を掲載したブックレット、91年には単行本を出版。この頃からこの一節が有名になり、歴史認識で批判するのにも使われるようになった」、と。
メディア批判だ。カ氏の私への言いがかりは、それとはまるで次元の異なる悪質なプロパガンダ。まるで、ナチス並みだ。
なお、文革の犠牲者は、4,000万人ではない。公式推計は中国共産党当局の公式資料には存在しない。内外の研究者による調査で40万人~1,000万人以上と諸説あり、数百万人~1,000万人以上ともされる。「4,000万人」は、文革以前の1958~61年にかけての大増産政策、いわゆる大躍進政策の失敗による飢餓の犠牲者を加える初歩的な誤り。カ氏の「無学」または意図的な誤謬の流布。ユダヤ人大量虐殺の犠牲者数は今なお論争がある。アウシュヴィッツに限れば、従来400万人とされた死亡収容者は125万人と推計。世界遺産認定のユネスコは犠牲者「120万人」。ニューヨーク・ユダヤ人問題研究所は、戦前戦後のユダヤ人の人口から、580万人と推計。『ホロコースト百科事典』は各国の専門家の統計を合計して559万5000人~586万人。カ氏はドイツに阿って最少の数字310万人を示しているにすぎない(6月25日の24参照)。
篠田さんが遥か欧州の地から日本の将来を案じ、人口問題や憲法をめぐる知的停滞を論じており、そこにこの国の次世代の命運がかかっているのに老媼は一顧だにせず、マスコミ批判の大絶唱。
何ともお寒い話。「成仏」も「観念」も先らしい。[完]
▼19.カ氏(6月7日 22:57)=私には、ドイツ国法学の名誉を回復したい、という気持ちがあるのは事実です。けれども、同時に、客観的に、真理を追究したい、という欲求もあるのです(中略)立憲君主主義として君主の権力をしばったイエネリック(中略)Legatimacy(正当性)がないはずなのに、権威としての、知的指導者ゆえの、Legatimacyが付与⇒⇒★真理を追究したいと言うそばから、ようやく間違いを悟った‘‘Jellinek’’ =イェリネクが再びイエネリックに逆戻り。LegatimacyはLegitimacy(正統性)の誤り。「無学」の憐れな背伸びと迷走。
▼4. カ氏(6月14日 17:32)=北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だから→→★翌日(15日 08:02)に、南ドイツ新聞記者H氏の見解の受け売りだと弁明して責任逃れ。その後の弁解も首尾一貫せず変遷。
▼9. カ氏(9月6日 06:40)=伊奈久喜というジャーナリストは、日経新聞で、論説副委員長(中略)マスコミ関係者、反氏なども、その見解をおとりになる(中略)ドイツの歴史、第一次世界大戦に敗戦したのち、ワイマール共和国を経て、ヒトラーが台頭し、敗戦し、分断された歴史をもつドイツ国民の気持ち、を(中略)よくワイツゼッカー演説を読み込んだ上で、そのような主張をしておられるのか?(中略)演説を「したたかなドイツ」の象徴のように形容される識者もおられる。反氏はその見解を踏襲しておられるにすぎない⇒⇒カ氏は自称「ドイツ文化協会」の報道官? 伊奈氏と私は別人格。影響などあり得ない。ヴァイツゼッカー演説はドイツ版「春秋の筆法」。高潔でも「良心の鏡」でもない。見え透いたドイツの自己弁護で、認識の徹底性はアドルノやハイデガーの足許にも及ばない。プラトンやアリストテレスからみたら、単なる俗物。政治家ならそれもよい。ありがたがって担ぐ方がお目出度い‘‘Idi*ot’’。政治の本質を知らない凡庸さの極地。
念頭に浮かぶのはニーチェの箴言。
「真理とは、それなくしては或る種の生きものが生きられないかもしれないような誤謬のことである。生にとっての価値が結局は決定する」(『力への意志』、シュレヒタ版全集=断片番号844)。
一旦信じた真理(=W大統領演説)をどこまでも信じたいのだろう。
「誤謬」と言われようが関係ない。それが私の生きる道。まるで演歌だが、それもよい。所詮この世、政治、思想、芸術だろうが、なべて「生きるための」方便。「真実一路」、信じた道を突き進むのみ。そこのけ、そこのけ「Karoline様」のお通り…。
事あるごとに、市井の人々に寄り添うふりをしつつ、実態は「権威主義的パーソナリティー」の持ち主。自説に反対する者には何とも居丈高。何かと反撥する割には、肩書好き。何の論拠もなく、Wikipediaを頼りに「主観的な憶測」と一方的に断罪された伊奈氏も日経論説副委員長。私のパパは京大哲学科卒…。
それもよい。しかし、コメント9の2行目以下の「演説の中には謝罪に……「神話」になった、と述べている[8]」はWikipediaの一字一句違わぬコピペ。悪癖は宿痾で「退場宣言後」も変わらない。滑稽なのは引用文中に2箇所ある、[8]。註の印だが、コメント9に何の言及もない。それなら、削除したらいいのに、見下げ果てた怠慢ぶり。昨今の劣等学生もここまで酷くはない。
カ氏に自制心(σωφροσύνη)の欠片もなく、思い上がった驕慢のみ。「老害」の「夜郎自大」の真骨頂。
どうぞ安らかに。
なお、守護霊を各人の魂の統括部分(ἡγεμόνικόν)とする解釈もある。ἡγεμόνικόνは、今日われわれが頻繁に使うヘゲモニーの語源であるヘーゲモニアー=ἡγεμόνειαの派生語)。
私の下手な訳で恐縮だが、以上は、ヘレニズム期の有力学派である初期ストア派を代表する哲学者、論理学者であるクリュシッポス(280~c. 205BC)に関する後世の資料が示す、古代世界のコスモポリタン(世界市民=「根なし草」の意も)、現代で言えば「国際人」の幸福観である。
彼はアリストテレスと並ぶ古代の二大論理学者であるが、多くの論理学的著作は消失し、二次的資料でその内容が確認できるのみだが、尖鋭な論理意識を背景とするその人間観、道徳観は、自由な自前の思考(διανοιά)を放棄した奴隷(δοῦλος)の思考を回避するためにも、徹底した論理的精神が不可欠な所以を教える。
翻って、カ氏に顕著なのは、ドイツの音楽や文学に関する極めて視野狭窄な独善的解釈と視点に基づいて展開される、一種の修正主義的歴史観であり、ナイーヴな政治(家)像である。
それが一面真摯な姿勢とともに、軽率に現実に向かう時、カ氏は、自己にとって最も確実な「現にあるもの」(παρὸν πάθος)としての現実(ἔργον γιγνόμενον)に囚われ、現在(παρουσία)に執着することで、かえって現実を見失い、迷妄に行き着く。
それはロゴス(λόγος)の重圧に耐えきれない、パトス(πάθος=情動)偏重の偏狭な思考、論理の当然の帰結であって、カ氏が激しく批判してやまない知識人(Σοφιστής)やメディアによって繰り返される現実認識の欠落に伴う時局認識の過誤という悲喜劇と重なる。
弱者や民衆(δῆμος)の目線を強調しながら、かえって弱者や市井の人々の現実も論理も心理も、自らの判断基準や構図、換言すれば自らの器量でしかみようとしない、ナイーヴな理想主義者が陥りながちな暗愚、懦弱(δειλία, ἀργία)であろう。
私が説く「哲学の勧め」(προτρεπτικός)も、プラトンやアリストテレスの思考の表面的な結果を、現代にそのまま通用すると信じる悪しきオプティミズムとは無縁であることは言うまでもない。
議論の徹底的深化には現代流行の「似而非哲学」より遥かに有用だと考えている。
• 反氏の推奨されるドイツ観を紹介した反氏コメント(8月8日64)、クレマンソー仏首相のドイツ曰く、
「ドイツ人というものは威嚇以外には何も理解しないし、また理解もできない。交渉にあたっては情け容赦も仮借もない、有利とみればすかさずつけ込んでくるし、利益のためにはどんな下劣なことでも敢えてする、彼には名誉も誇りも慈悲もない。だから人はけっして、ドイツ人と交渉したり、懐柔しようとしたりしてはならない。ドイツ人にはただ命令しなければならない。それ以外の条件ではドイツ人は人を尊敬しないし、また彼らに人を欺かせないようにすることはできないであろう」。「夢を見ない人」、冷厳な認識者、クレマンソーの真骨頂である、と反氏は主張しておられるが、そのドイツ観、彼の厳しい対独強硬論故、ドイツに対して過酷な内容のベルサイユ条約が作成され、締結された。それに対して、会社員の方はこうコメントされている。
• 112. 会社員2018年08月25日 18:34
ナチスを誕生させたのはやはり報復としてのベルサイユ条約でしょうね。私ももちろん会社員の方と同意見であるが、その結果、ヨーロッパで戦争が起こり、人々は悲惨な生活を余儀なくされた。
篠田教授は、原因として、やはり「規模の経済」ということだ。欧州単一市場の成立によって、ヨーロッパ人は、5億人以上の規模の共通市場を獲得した。「規模の経済」が、各国の特性を活かし、弱点を補い、全体的な底上げを図ったことは確かだろう、と述べられているが、綿密、几帳面、計画的、合理的というのは、ドイツ人の特性で、その特性は、アウシュビッツ事件にも確かに表れているが、それは、同時に長所にもなり、現在のEUの発展の原動力にもなっている。
どちらのフランス人のドイツ観が正しかったか、はあきらかなのではないのだろうか?
大事なのは、論争に勝つことではない。現実を正しく見、正しく認識し、その上で正しく考えることである。その為には、ワイツゼッカー演説にもあるように、偏見と憎しみの感情で作り上げられた妄想、
妄想による洗脳、を打ち破る努力が我々には、求められているのではないだろうか。
まず、コメント13についてであるが、反氏に批判された時にも、そう書いたが、人数はウィキペデイアから取った。その数字が正確かどうか、は定かでない、という短所はあるが、多くのとか、びっくりするぐらいのなどという表現よりも、感覚的にわかるし、あまり突拍子もない、信頼性のない数字だと、ウィキペデイアも批判されて訂正を余儀なくされる、と考えたのでこの数字を挙げた。そして、その考えは今も変わらない。
次のコメント14の19であるが、私は、誤字脱字の多い人間で、ということを謝罪した。外資の秘書だったので、タイプするスピードはとても速いが、ミスも同様に多い。秘書をしていた時、もう電子タイプライターとなっていて、訂正もとても簡単にできたので、そのスタイルが現在も残ってしまっている。また、夜間にこの作業をしている為と、老眼の影響で、若い時のようにたやすくミスに気づけない。ごめんなさい。このコメント欄に投稿をやめようと思ったのは、今、他にしなければならないことがあって、これ以上、チェックに時間が取れない、という面もある。読者の方々に、床屋談義、と取られているのなら、やめよう、と思った。
9に関して、自称「ドイツ文化協会」の報道官なのか、ということであるが、「ドイツ文化協会」ではなくて、日本語は、ドイツ文化センター、あるいは、ゲーテ・インスティトゥート(Goethe-Institut)である。
これは、ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関で、外国人にドイツ語教育を推進し、国際的な文化交流・文化協力をする非営利団体であり、本部はミュンヘンにある。団体名の由来はドイツの詩人であるJ.W.von Goethe.である。また、反氏の嫌いなウィキペデイアによると、現在ドイツ語コースには年間で234000名が受講している、そうだ。ゲーテ・インスティトゥートは現在世界に92カ国・158か所あり、日本では東京・大阪・京都にある。 2000年にワイマールに集った仲間は、そのGoethe Institutつながりの世界の仲間たちだった。
私が8月8日のコメント63で紹介したのは、経済学者ケインズの描き出した「狐と狸の化かし合い」そのものである国際政治の一例(今日も基本的に同じ)である、パリ講和会議の舞台裏。即ち、
「EU時代の欧州各国の底流には、ユダヤ民族だけでなく一人勝ちのドイツに向けられるいわく言い難い感情があり、研究者の無機質な分析とは違った剥き出しの本音が燻っている。 第一次世界大戦後の世界秩序を決定したパリ講和会議で、ドイツに課された厳しい制裁と莫大な賠償はよく「カルタゴ式講和」と称され、それが逆に戦後の欧州に構造的緊張関係をつくり出す大きな要因になった。英国政府全権団の一員として会議に参加した経済学者ケインズは、将来に禍根を残す過酷な講和内容に抗議して、会議半ばで大蔵省主席代表を辞したほどだ。その後の歴史を見れば明らかなように、ケインズの懸念は的中する。『平和の経済的帰結』を上梓して、講和条約案を厳しく批判して、欧米各国に激しい論争を巻き起こした。その舞台裏、米英仏の三首脳を精彩ある筆致で辛辣に描いた」。
以上は私の「前書き」、何か文句ありますか? ナイーヴな「無学の人」よ、一体どこを読んでいるのやら、話題がドイツに対する厳しい評価になると、誰構わず見境なく激昂する。
「引用」したのはケインズの『人物評伝』に収録された「第一部 政治家素描」の中の「第一章 四巨頭会議、パリ、1919年」(『ケインズ全集』第10巻[大野忠訳を一部修正]、5~24頁)。
改めて引用する必要もないだろうが、カ氏を憤慨させた「羊皮紙の無感動な顔」と、(私ではなく、ケインズによって)形容されたフランス首相クレマンソーの仮借のなきドイツ観だ。
辛辣極まりないが、たぶん当たっているであろう。ケインズの記述にもそれは、歴然だ。
すると案の定、ドイツはソ連を西側自由主義陣営で最初に承認する。明白なヴェルサイユ条約違反だ。ナチスが政権獲得する前のヴァイマール・ドイツとソ連が1922年に結んだラッパロ条約だ。のちの1939年=独ソ不可侵条約とともに、民主主義に対するドイツの重大な背信行為であって、「ラッパロ」はドイツによる裏切りの代名詞(「ラッパロの悪夢」)となる。
クレマンソーの慧眼を批判できる立場にはない。
続く64「彼の哲学には、国際関係について「感傷性」の入り込む余地はなかった」はケインズのクレマンソー観で私も同意見。
「国とは現実的なものなのであって(中略)愛する国の栄光は(中略)普通は隣人の犠牲においてのみ得られる(中略)この戦いの目的について、格別新しく学ぶことなど何もない。イギリスは(中略)商売敵を打ち破ったのであり、ドイツの栄光とフランスの栄光との間の、積年の争いにおける大きな一章が閉じられた」もケインズ。
少しは他人の文章を全体として、注意深く読む訓練でもしたらどうかと思う。
「(クレマンソーは)抜け目なく立ち回るには、愚鈍なアメリカ人と偽善的なイギリス人との「理想」に対して、いくらかでも口先だけは賛意を表することが必要(中略)現実の世界において、国際連盟のような事柄に対して大きな余地があるとか、あるいは民族自決の原則のうちに、自国の利益のために勢力均衡の再取り決めをしようとする巧妙な方式として以外に、何らかの意味があるなどと考えたら、それは馬鹿げたこと」――私は、それに対して少しも驚かない。
妻は母親の実家が元網元ながら著名な作家や研究者を出した、いわゆるインテリ家系で本人も名門女子高卒だったにもかかわらず、いやそれ故にというべきか、あまり読書家ではない。床の上に調べものを終えお役御免となった書物が散乱したり、うず高く積まれ、亭主が一向に片付ける気配がないと、甚だご立腹だ。妻の美意識を逆なでするらしい。
整然として塵一つない、書斎なら「明窓浄机」状態を好むからだし、自分が作り上げた美の空間が雑多な本ごときで脅かされることに我慢がならないらしい。だから、調べものに集中して、つい生返事になりがちな時など、険悪になる。
お小言を頂戴して、私が「学問の敵は女と子供だね」などと半畳を入れようもになら、「あ~ぁ、そうですか。それは悪ろうございました。でも貴方のあれほど好きな桂離宮の美観と全然違う。日頃仰ることとなさっていることが全然違うではありませんか」と遣り返される。これには「一本とられた」と私がニヤリとして、一件落着。
二人で片付け、一時的に整然たる美観が復活。妻は家具に対する趣味も一通りではなく、私には少ししか理解できないが、広いだけで殺風景な埴生の宿の応接間には巨大な‘‘chesterfield’’様式のソファーが三脚も鎮座している。一見して高級ホテルのスウィートルーム並みの外観を呈する。まるで奈良ホテルだ。家庭の平和は国際平和の基本だと妙に納得する瞬間だ。
閑話休題。とんだ逸脱だが、コメント1の着想の元は、M. I. Rostovtzeff『ローマ帝国社会経済史』である。
それはともかく、戦中に上梓された代表作である大著『ヘレニズム世界社会経済史』(1941)に先立つ『ローマ帝国社会経済史』(‘‘The Social and Economic History of the Roman Empire’’, 1926, 2 nd. ed. [1957] by P.M. Fraser)は、碑文や文献にとどまらず、当時最新の考古学的知見を織り込んで紀元3世紀末の専制君主制の時期までの帝政時代の総括的叙述。厳密な実証的史料操作を通じて、ローマ帝国の全体像を描き、ローマがヘレニズム期同様、少数のブルジョアジーによって担われた、貴族的な都市文明だったというロストフツェフの「不動の古代世界観」を広範な視点から論証した。
その当否については、その後の研究により、部分的な修正が必要との批判も存在するが、帝政初期2世紀間の圧倒的な経済的繁栄が、3世紀の農民と兵士の反ブルジョアジー的「革命」によって衰退し、それに伴って都市ブルジョアジー層(主に元老院階級)が没落し、官僚と軍人による東洋的専制支配が復活したことが、ローマ帝国衰亡の最大の要因だと、類例のない精彩ある筆致で主張した。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』以来の疑問(「ローマ帝国はなぜ滅んだか?)に明確なヴィジョンと首尾一貫した説明を与えた点で、今日なお精読に値する大著だが、当面の関心事に限って言えば、ヨーロッパは都市文明としてその強みを発揮できるという、歴史家からの示唆であろう。
そして経済と人口は相即不可分の関係にある。
証拠は次の通り。カ氏の最初の指摘(「白井聡『国体論』の反米主義としてのレーニン主義」の回)、
▼(6月24日の15)⇒⇒「冷戦が終わってから、ナチスドイツのホロコーストによる犠牲者は、だんだん減って310万人ぐらい、それに対して、スターリンの粛清で1937~39年に殺された人は60万人ほど、中国の文化大革命の犠牲者は、なんと4000万人とされおり、どちらも甲乙つけがたいほど、異常なイデオロギー」。
それへの私の6月25日の24の指摘に、
▼(6月26日の31)⇒⇒「文化革命、ホロコーストの犠牲者…の人数については、コメントにいれようか迷った。きっとそういう反論が来ると予期できたから…けれど、大勢の、というとりとめのないものよりは、読者の方々に、共産主義はナチスと同じ、あるいは、それ以上の惨事を民衆に引き起こすイデオロギーである、ということがわかっていただきたくて、あえて挿入」。
これ以外、発言はない。人数はウィキペデイアから取ったとは「書いてない」。明白な虚言の証拠がまた一つ増えた。恥を知ればいい。
自らの発言に都合のいい、論拠にならない論拠を持ち出して妄説に利用、間違いを指摘されると頬被りか無視で居直るのが瑕疵=カ氏の常套手段。後は野となれ山となれ。
読者に「共産主義はナチスと同じ…それ以上の惨事を民衆に引き起こすイデオロギー」という、ナチス並みのプロパガンダを展開するため、意図的に、または本能的に投稿しているようだ。
とてもまともな神経の持ち主ではない。それもドイツ仕込みなのだろう。
投稿は一字一句記録されている。
無謀、蛮勇を意味するギリシア語はθρασύς、θάρρος。無思慮(ἀφροσύνη)も厄介だが、虚言癖も困りもの。
ことほど左様に他も同類。くれぐれもご用心。
壊れた蓄音器並みに同工異曲のメディア批判を繰り返す割には自分には大甘で、しかもそのかなりの部分が出鱈目ときては目に当てられないが、奇妙な二重基準があるようで、首を傾げたくなるご都合主義に余程「厚顔無知」なのだろうと思う。しかし、当人は想像以上に意気軒昂で、同じ日本人と思えないことがしばしばだ。
8月24日のコメント70で「ヒトラーはドイツ語を母国語とするが、学校教育を含めて、ドイツ人ではない…」ときたから、さて何を言い出すのやら思ったが、ドイツに帰化するまでオーストリア国籍だった、という程度の話。愛読書らしい『わが闘争』の冒頭部を得々と引用する神経に悪趣味というか、思わず‘Id*ot’ と唸ってしまう。
ナチス・ドイツに併合されたオーストリア人の方もなかなか喰えない。先日(9/1の14)、クリムトの名作で戦時中ユダヤ人実業家から収奪したままベルヴェデーレ宮に展示され「ウィーンのモナリザ」と称された、所謂「黄金のアデーレ」(「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I」)を墺政府当局が結局、いろいろ理由をつけて遺族に返還せず、結局は調停で敗れ遺族の元に戻る実話を基にした映画(2005年製作)を最近BSで改めて観て、それを痛感した。ドイツ民族として同じ穴の狢だと。
この至宝はその後、米国の化粧品会社社長が155億円で購入して話題になったが、当時、ピカソの記録を抜いて史上最高額の取引だった。
ユダヤ人遺族の正当な継承者に接収美術品等の返還請求を認める方針を政策として打ち出してなお、この対応だから、度しがたい二重基準だ。
そして、ナチスの収奪した10万点にも及ぶ美術品の多数が、今なお返還されていない。
華やかなウィーンの文化は彼ら同化ユダヤ人が主役で、マーラー、シェーンベルク、指揮者のB. ヴァルターはもとより、作品があまりにオーストリア的だったがゆえに、当局も作品演奏を禁じなかったヨハン・シュトラウス(1899 年死去)も、アシュケナージ系のユダヤ人。ケルゼンが教授を務めた当時のウィーン大学の法学部、医学部のユダヤ人学生の割合は30~50%、教員も2~3割はユダヤ系だったという。
ともかく、旧領土の大半が民族自決によって旧帝国を去ったことで、オーストリアは一気に中欧の小国に転落する。国民の心理的空白感、閉塞感は大きかったろうが、サン=ジェルマン条約で同じドイツ民族のヴァイマール・ドイツとの統一は許されない。1938年のドイツへの併合(Anschluss)には、ユダヤ系が優位な社会への庶民の反撥が、親ドイツ感情を生みだした側面も無視できない。ドイツの一方的な軍事的圧力による併合という一般的イメージは、必ずしも墺国人の本音を反映していない。
今日の墺国の反ユダヤ主義的勢力の擡頭に向けられた西欧各国の厳しい視線は、冷戦下で同国が1955年以後に中立政策に転じ旧東独同様、「戦争責任」問題をあいまいにしてきた側面もあるのだろう。
ドイツ同様、法実証主義的な伝統が根強く、極端な話、当時の実定法で合法だった行為については「お咎めなし」、個人の有責性を否定する傾向が顕著で、元ナチス高官でも一般市民でも大差ない。ドイツ同様、言い逃れと強弁は実に巧みだ。
ということだ、などという主張を反氏はされているが、日本でも、外国でもそうだと思うが、学校の教育は、国単位でするのである。ヒトラーが生まれたブラウナウはハプスブルグ家の領土、歴史は当然、オーストリアーハンガリー帝国の歴史を習うのである。統一ドイツの歴史を習う訳ではない。そんな当たり前のこともわからないのだろうか?
「ヒトラーはドイツ語を母国語とするが、学校教育を含めて、ドイツ人ではないのである」。
その上でコメント30を検討する。
「日本でも、外国でも……学校の教育は、国単位で……統一ドイツの歴史を習う訳ではない。そんな当たり前のこともわからないのだろうか?」
カ氏が意図するのは、ヒトラーがオーストリア国民(同国籍)として生まれ、成長した、という点のみを強調することで、可能な限りドイツから引き離したいのであろう。如何にも姑息な手法だ。ヒトラーのその後の歩みという厳然たる歴史的事実が、そのような姑息な詐術を完膚なきまでに叩きつぶすことになる。
以下は、論争のある部分を除く、共通理解が可能な事実の抜粋。日本版Wikipediaは一切参照していない。
ヒトラー(Adolf Hitler=以下、アドルフ)は、1889年4月20日、オーストリアのイン河畔のブラウナウに生まれた。ヒトラー家は血統上はオーストリアのチェコ国境に近い山間地、ヴァルト・フィールテルの地方のドイツ民族。アドルフの祖母マリア(1796~1847)が生んだ私生児アロイス(1837~1905)が父。母はクララ・ペルツル(1860~1907)。アロイスは39歳まで私生児として母親の姓シックルグルーバーを名乗っていたが1876年、ヨハン・ネーポムクの尽力で、教会の戸籍上、ネーポムクの兄、ヨハン・ゲオルク・ヒードラー(Hiedler)の子となり、Hitlerと改姓した。
アドルフは兵役を忌避したので追放の身となり、1913年5月、ミュンヘンに移住。翌14年8月、ドイツが参戦すると、ドイツ民族主義者だった彼は志願兵としてバイエルン歩兵予備第16連隊に入隊、伝令兵として勲功を認められ鉄十字一級章を授与された。この時点でもオーストリア国籍。敗戦後、ドイツ軍の解体、ドイツの11月革命とヴェルサイユ体制への憎悪を深め政治活動に入る。反ユダヤ主義の反革命政党・ドイツ労働者党に入党(党員番号555)。
最後に、ドイツ人以外の共通理解としてのヒトラー評価の一部(『ブリタニカ』)。
「ヒトラーは記憶力と直観力が優れており。また人を見る目があって、優秀な専門家を重用し、各分野で成績を上げさせた。しかし、ある人物があまりに大きな権力をもたないように、二人以上の人物を並行して仕事をさせ、互いに忠誠を競わせる体制をとった。東方大帝国の建設、ゲルマン民族の東方への大規模な移植、劣等民族の人口削減と追放などという、時勢に逆行する世界観に固執したため、政策の根本を誤ってついに破滅したが、ヒトラーの思想と行動は、基本的にはドイツ帝国主義の極端なタイプであって、彼自身は狂人でも異常性格者でもなかった。大きな政策を決定する前には、広く専門家の意見を聞くことに努め、自分の世界観の許す範囲では、なるべく合理的な政策をとろうとした。
ヒトラーは最後まで非常に多くのドイツ人に崇拝されていたが、それは第三帝国の積極的な業績に対する国民の尊敬の念によるもので、ドイツ支配勢力と一般国民は、彼をドイツの国民的利益の代表者と考えていた」
「劣等民族の人口削減と追放」=ジェノサイドについては見方が甘いとしても、西欧における平均的な評価として妥当な記述だろう。
カ氏の不正確で独善的な見解が際立つ。相手にしなければよい。
なお、ドイツ人、ドイツ国家とドイツ民族がピタリと重ならないケースが歴史上は多いため、ドイツ及びドイツ人の定義が評者によって違い、議論を混乱させる原因になっている。
「大ドイツ主義」、と「小ドイツ主義」、これについて、私は、なんどか書いた。「ウィーン」という街の特殊性もなんどか書いた。「無学の女王」などというレッテルを貼って、(私は、この行為をワイツゼッカーさんのドイツ国民に戒めておられる行為、偏見、先入観を人々に植えつける最たる行為だと思っているが)、言葉を調べようとしないから、どうしてヒトラーという人物が生まれたか、彼が権力を奪取できたか、が理解できないのである。
なぜなら父アロイスは生粋のハプスブルク君主国の支持者であり、その崩壊を意味する過激な大ドイツ主義を毛嫌いしていたからである。周囲の人間も殆どが父と同じ価値観であったが、ヒトラーは父への反抗も兼ねて統一ドイツへの合流を持論にしていた。ヒトラーはハプスブルク君主国は「雑種の集団」であり、自らはドイツという帰属意識のみを持つと主張した。ヒトラーは学友に大ドイツ主義を宣伝してグループを作り、仲間内で「ハイル」の挨拶を用いたり、ハプスブルク君主国の国歌ではなく「世界に冠たるドイツ帝国」を謡うように呼びかけている。1901年、田舎の小学校で学んでいたヒトラーはリンツの都会の授業についていけず、成績も悪化を続けた。1907年ウィーンに移動し、9月、にウィーン美術アカデミーを受験した。当時のウィーン美術アカデミーは大学などの高等教育機関ではなく職業訓練学校であり、年齢制限や学歴などの条件が緩く、実科学校を途中で放棄したヒトラーでも受験が可能であった。しかし肝心のヒトラーの試験結果は不合格であった。
ワイツゼッカー演説に「故郷への愛」について盛り込まれているが、それは、今年のウィーンの「ナチス侵攻70周年」コンサートのテーマでもあった。
また、だからこそ、ポーランドへの侵攻を反省したドイツの大統領、ワイツゼッカー演説には、こうあるのである。「我々は、故郷を愛する。愛するからこそ、平和を愛するのである。我々は、二度と、武力による国境線の変更を要求しない。」
ただ、、カロリーネさんの書かれたなかで、(私も含めて)投稿者の誰々と考え方が自分と近いというようなことはあまり書かないほうがよいかもしれません。私も同意できる部分に対して反応しているだけで異論はもし有っても(よほど建設的議論ができると予想できないと)あえて書かないことが多いです。
議論を拝見して思ったのは、失礼ながら、これはよくある夫婦喧嘩のようだなということです。
妻「あなた今月おこづかい使いすぎだわよ!」
夫「では証拠をみせろ。家計簿で管理しているんだろ」
妻「あなたは家の手伝いもしないし・・」
失礼ながら、男性脳と女性脳の違いではないでしょうか。
男性は事実にこだわるし、女性は何かの目的というか感情的なものにこだわるという・・。
反時流的古典学徒さんの学問的チェックの鋭さも大変貴重なものだし、カロリーネさんの女性的感性でしかも日本人の思考の枠にとらわれない発想も貴重なものですが、当てこすりみたいなのはできるだけ控えたほうが真意が伝わるのでないでしょうか。
私自身も、他人の意見に対して、建設的な議論ができる、と思われる場合以外は、通常あまり批判を書かないのです。そして、現状は、二人で、破壊しあっていて、だれのブログで、なんのためのコメントかわからなくなっています。ついあてこすりを書いてごめんなさい。
客観的な事実認識をコメント36で間違えたので、訂正します。今年は、ウィーンへのナチス侵攻70周年ではなくて、80周年です。お詫びし、訂正します。
ご厚情には感謝しますが、この場は「公的な」言語空間です。日本的な「手打ちの精神」には、賛同できません。
私は日本人的な醇風美俗である、「君子和而不同、小人同而不和」の本来の精神を閑却した中途半端な付和雷同(空気を読む)をほとんど顧慮しません。細川政権の蔵相で「小言幸兵衛」の藤井裕久氏や自民党の一言居士(孤児)村上誠一郎氏とは違い、老婆の嫌がらせのような批判の趣味もありません。
これは以前、nakaさんへの異論という形で書いたことですが、議論は誰が言ったかより、何が言われたかが重要であり、「曖昧にされる真実より、明白にされる虚偽」の方が重要なのです。
目下起きているのは、本来の論争というより真の対話(διάλογος)に至らぬ「論争のための論争」である争論(ἐρίζειν)でしょう。なぜなら、カ氏がこだわるのはまず体面であり、ヴァイツゼッカー演説という特定のイデオロギー(虚偽意識性)だからです。「論争のための論争の技術」(ἀντιλογική)=争論術(ἐριστική)にも、カ氏は未熟ですが、少しは成長するかもしれません。
しかし、論争の勝ち負けなど全く問題ではありません。目下の形勢では、私の完勝でしょうが……(カロリーネ氏も論争する気はないようです)。「無学」の誇り高き女性に勝っても何の手柄にもなりません。
むしろ、この一見、外国帰りで教養が「ありそうな」女性をありがたがる日本的常識=外国的非常識、を考える格好の素材と考えています。嘗ての栄華を懐かしむ誇り高き没落貴族の女性は私の周囲にも大勢いますが、カ氏はどうでしょう。
いずれにしても、双方納得のいかないまま、いい加減な所で妥協して手打ちで済ますという性質のものではなく、適当な所で誤魔化すと、結局、論争以外の部分で情念的frustrationが内訌し、不毛この上ないのです。
以上、意を尽くしませんがお気遣いへの感謝と返答まで。
ギリシア語の「無謀」の意味を知らないらしい。あれほど、ソクラテスの説いた真理への愛を口にし、『ソクラテスの弁明』など云々しながら、呆れたものだ。
それどころか、ソクラテスが厳しく戒め、母校、神戸高等学校の校歌を作詞した吉川幸次郎も弟子に説いた「学問の精神」を全く知らぬようだ。
「無学=‘sine litteris’」とは、大学など高等教育機関で知的訓練を受け一定水準の知識を獲得していない市井の人々を指しているだけではない。むしろ、それ以上に、「真の」学問的素養が欠落しているカ氏のような人物や状態のことを指すのであって、その自覚がないことのほうが、単なる無知蒙昧より悲惨だ、ということをこの期に及んでも思い至らないようだ。
「無学」という自覚の欠如は、単なる無教養や粗暴よりも度しがたい驕慢を生み、救いがたい愚鈍と凡庸に直結する。英語の‘intellectual yet idiot’という蔑称は、それを意味する。だが、軽蔑すべき‘idiot’でさえ具えた「知性」をカ氏は果たして具現しているのであろうか? 将に、著名なデルポイの神殿気刻まれた銘γνῶθι σαυτόν(汝自らを知れ)ではないか。
もっとも、ここは日本である。真の「教養の最低条件」であるギリシア語やラテン語の基礎的知識は問うまい。一時代前だったら漢籍、つまりシナの古典的書物に関する知識や日本の古典の素養、それから学国語の知識だろうが、現在ならそれも大幅に割り引いて、西洋文化の基本的遺産であるギリシア・ローマ文化の古典、翻訳でもよいから、基本的知識をもつことと、英仏独西伊の各国語の知識でもよい。
それはあくまで、アナロジー的表現であって、せいぜい「近代の古典」という程度。また、西洋古典音楽という場合も、ロマン派音楽と対比させた恣意的用法。さらに、「クラシック音楽」という場合の‘classics’ は、ジャズや歌謡曲に比べてバッハやからマーラーまで幅広い芸術的音楽群がその関係にあることを示してはいるが、あくまで派生的用例。
いずれにしても、そうした素養と自覚が、この世の雑多な問題について、仮令専門外であっても平衡感覚を失わない良識的な判断を下し、衒学を装った偏向した議論を見抜き真偽を見極める最低条件なのである。そうでなければ、大層なことは言うものではない、というのが市井の人々でも経験上知っている知慧である。知慧や良識(bon sens)は、デカルトも想定したように本来誰にでも具わっていようが、それをより一層発現させるためには、一定の知的努力が必要である。
それが世界の「良心的知識層」の常識である。そして、そうした基本的な素養はあくまで基礎条件だが、カ氏には」その自覚がないらしい。
ボッカッチョとともに、他国に先駆けてイタリアに古代ギリシア・ローマの豊かな遺産の全体像を研究する意義を説きルネサンス文化を開花させた先駆者で桂冠詩人のぺトラルカに、『無知について』(‘‘De sui ipsius et multorum ignorantia’’)という書物がある。内容は省略するが、一言で言えば、「ルネサンス人文主義のマニフェスト」である。「無学=‘sine literis’」(古典表記だと‘sine litteris’)について、いろいろ教えてくれる。
翻訳もあるが、ご婦人は本代をけちる。
私はカ氏のような意味不明な論拠を盾に批判しはしない。有り余る根拠を示して、カ氏の初歩的な誤り(スコラ哲学≠ストア派からドゴールの後継⇒ジスカール・デスタン[Varély Giscard d’Estaing]? ドイツ語の単語の綴りまで)と、救いがた基礎的知識、教養の欠如(朝鮮王朝の仏教弾圧や「冷戦」の起源など)、怠慢(読みもしないJellinekを語る愚、コピペ依存など)を、いわば調理の下処理を施したうえで、根本的に批判している。
ヴァイツゼッカーの欺瞞と偽善に満ちた演説など、私は一顧だにしない「殺伐非情」である。演説の袖の下に隠れて、自由な自前の思考(διανοιά)を放棄した奴隷(δοῦλος)の思考という迷妄に留まるなら、かつて毛沢東や北朝鮮の「地上の楽園」神話に騙された愚昧を再び繰り返すだけだろう。気の毒だが、徹底した批判精神を欠いたまま不勉強の言い訳ばかりしているから、そうなる。
コメント欄の読者であるかもしれない「お仲間」の手前、むざむざ「敗北」や自説の「撤回」を認めるのは耐え難いし、立つ瀬がないのであろう。甚だ、同情する。しかし、それもこれもすべて、身から出たサビなのである。
だから、「無学」は恐ろしい。
何度でも奉呈しよう。「自制心」(σωφροσύνη)も「道理」(ὀρθὸς λόγος)の欠片もなく、思い上がった驕慢(ὕβρις)のみ。「夜郎自大」の真骨頂。
片腹痛いが、それもまた人生(c’est la vie)。[完]
そもそも、篠田さんはオイディプス王に対するスフィンクス(Σφίγξ)のような存在で、戦後の憲法学主流派▽かつての「非武装中立」路線の政治的焼き直しである硬直した「立憲主義批判」▽「絶対平和主義」という美名=迷妄にしがみつくご都合主義の多数派の国民▽その裏返しである鬱勃とした退行的ナショナリズム▽思考停止と定見なき世論誘導に退嬰化しているメディア――に対して、そしてそれらすべてを包摂する戦後日本の知的頽廃と「虚妄」(μῦθος)について、容易には解けない謎(αἰνίττεσθαι)を投げかけているのだろう。
如何にご贔屓とはいえ、知的誠実の欠片もない、カ氏の悪あがきなど一顧だにしないだろう。そう、確信する。
何と言っても篠田さんはたった一人で闘っているのである。いまこの時も。一人の老媼の戦後ドイツ由来の独りよがりで浅薄な慨世の情など、手を煩わせるまでもない。とくと解体処理して、聴くべきところが仮にあるなら、参考にすればよい。幼稚園児の意見交換とは違うのである。
意のあるところを示したいなら、しばしば声高に叫ぶイデオロギー批判を自らにも適用して、単なる教訓や綺麗ごとの類ではない抜本的議論を提起したらよい。序でに言えば、文学や芸術で政治を語る幼児性=感傷は改めたらよい。
思うに、篠田さんの憲法九条解釈とその問題意識の表明は、その思想的射程からみて、単に九条をめぐる政治的、法律的、思想的、社会的対立の構図を解消したり、単なる安全保障政策上の障碍を取り除く問題提起とは次元の異なる、戦後日本の停滞に対する根源的な批判の試み,平成版『反時代的考察』(‘‘Unzeitgemäße Betrachtungen’’)なのだから。
これは、「国際平和を確立したい」という意図をもつ「平和構築を専門にする」国際政治学者の篠田英朗さんのブログである。私などは、そのブログのコメントをしているにすぎない存在なのである。
最初、反氏の古代ギリシャ、田中美知太郎さん、という文章に、ソクラテスの「無知の知」という言葉を懐かしく思い出した。これは、学校時代習い、感銘を受けたので反氏もそういう考えの持ち主なのだ、と早合点して、ソクラテスも、という書き方をしたが、それが気に障ったのか、延々論争となって、挙句に、「無学な人」という名前をいただいた。私は、ミスの多い人間である。それは、60年以上自分と付き合っているからよくわかっている。ただ、そのことと、無学である、ということは、一致しない。AllgemeinをAllgemain と綴ったから、その新聞を知らない、いうことにはならない。
Wicksellはその学説の体系的記述であるVolresungen der über Nationalökonomie auf Grundelage des Marginalprinzipes., 1913 ~1928, Jena’’を読んだ程度で(第2巻の途中まで)、所謂「ヴィクゼル的累積過程」を引き起こす経済的メカニズムへの動学的分析を面白がった記憶しか残っていない。
この如何にも厳密な理論家が、半面、熱烈な社会改良主義者でもあって、貧困と社会的不正義=悪を生む根源を、資源の適正配分と効用の最大化という経済学本来の主題を超えて人口問題に求めて、産児制限を含むかなり急進的な政策を提唱して、北欧伝統のキリスト教的価値観と激しく衝突したことを知り、なるほどと感じたものだ。
日本でも何となく実感することだが、特にアジア諸国には「繁殖」のイメージがあり、それに対して、旅番組で知る程度のヴィクゼルの故国スウェーデンは何と街中の人通りが少ないことかと、対比に驚く。あちこちから人が沸いて出てくる印象があるアジアとは異なり、欧州には多かれ少なかれ似た印象がある。
「貧乏人の子だくさん」という欧亜共通の真理はともかく、生産性に一定の限界があると強固に信じられ、既に1930年代にマルサス的な絶対的人口過剰問題は解消されていた名残がある欧州との違いだろう。
生産性に課題を抱えるものの中国やASEAN諸国の経済発展は目を見張るべきものがあり、豊富で安い労働力と急速に進んだ情報技術化で活況を呈し、日本の長期停滞とは対蹠的だ。14億人の巨大市場・中国はビッグデータ活用による将来の経済発展のヴィジョンも明確で、米中貿易摩擦に伴う攻防に目を奪われがちだが、潜在的優位性は侮れないのは確かで、日本に残された活路はAIかと。
問題提起の主は社会学者の清水幾太郎だ。
自ら率いて日米安保条約の改定反対を訴える国民運動の先頭に立った60年「安保騒動」の「敗北」から6年後の1966年、清水は注目すべき労作を上梓する。『現代思想』(上下、「岩波全書」)だ。
その第3章「レジャー」の中で、コンピューター文明がもたらす未来社会の「予感」をウィーナー(N. Wiener=サイバネティクスの提唱者)の言葉を引用しながら説く刮目すべき記述がある。長いが引用する。
「思考の機械(コンピューター=筆者註)」には未来のみがある(中略)ウィーナーが述べるところによれば、知能指数110以下の人間にできる程度の精神労働なら、今日でも、機会の方が遥かに迅速且つ正確に行うことが出来る。その意味において、知能指数110以下の人間――人類の3分の2と推定される――は、社会的に効用のない存在である。
一方において、人間の能力は殆ど増加しないのに、賃金は高くなる傾向にあり、他方において、思考の機械は日を逐って機能が向上し、その価格は低廉になる傾向を示している。
むしろ、彼らを一切の労働から解放して、純粋完全なレジャーの世界に生活させた方が遥かに有効であろう(中略)知能指数とは無関係に、人間は生活を享受する平等な権利を持つであろう。それ故、知能指数の高い少数者が昼夜の区別なく働いて、知能指数の低い多数者にレジャーの生活を保証しなければならないであろう。大衆の労動力に支えられた少数者のレジャーという伝統的形式とは反対の、逆立ちしたピラミッドが明日の文明の姿になるであろう。
増加するレジャーというのは、人々が誤って考えているような軽快な話題ではない。むしろ、その大きさと重さとにおいて、それは死の問題に似ている。長い歴史を通じて、人間は労働を外部から要求されて来ただけでなく、その労働を通してのみ満足を与え得るような自然的エネルギーがあったため、それは内部からも要求されて来た。
いかに労働が辛くても、人間はそれによって生活に意味と均衡を与えることが出来たのである。我々は、そのように作られた人間である。その労働が外部から要求されず、更に進んで、内部からも要求されないような時代の入口に、今、我々は立っている(中略)我々の前にあるのは、20世紀初頭の天才たちが、1930年代のエリートや大衆がみた無より、もっと広く深い、新しい無である(中略)何もしないでよい、何をしてもよい時間に、いかにして我々は堪え得るのか(『現代思想』下巻390~393頁)。
D.Goborがウィーナーの言葉として紹介したのを敷衍する形をとってはいるが、清水の直観=思想を代弁していることは疑いない。
清水が指摘するこの「死の問題」は、優れて哲学者に解答を迫る体の問題だ。清水やウィーナーの予想は「IT革命」の到来という形で半ば適中した。21世紀は同時代を生きる人間に哲学者、または、かつての貴族のような存在であることを要求しているようである。
「1930年代のエリートや大衆がみた無より、もっと広く深い、新しい無」――未来の選択は無への挑戦かもしれない。
まず、AIについて。これは、反氏が嫌いなSpiegel誌から、「面白い」と私が思って、ドイツ語の勉強会の素材に載せたものである。題名は、Mensch gegen Maschine、翻訳すると人間対機械、(Spiegel Nr. 36, 0309.2016発行)であるが、AIが得意な分野は、論理の分野である。記憶力も極めて高い、間違いもない。つまり、AIの特異な分野は、知的な、論理的な、つまり、人間の知能指数の高い分野なのである。例えば、込み入った法律事務、複雑な論理的な分析、これは、AIに人間はかなわない。それは、AIのシステムを考えればすぐわかることであるが。その為に、AIが進化して、一番にA1にとってかわられる職業は、日本人の大多数が憧れる職業、ホワイトカラーの秘書を含む事務作業、(Spiegel誌によれば、20年後その仕事の70%がAIにとってかわられるとあるが)であり、とってかわれない(20年たっても、その30%しかAIにとってかわれない)職業は、普通の日本人が他人にしてほしい、と考えている、子供の世話、老人介護、病人介護、など、心の機微、ひだが必要な、感性が必要な仕事なのである。
で、ドイツ文化を勉強し始めてから、すぐに「西ドイツの社会問題」として学んだ。それは、1960年代西ドイツ人も同じように考え、ギリシャやトルコから、Gastarbeiter (ゲスト労働者)という名称で、自分たちがしたくない仕事の労働者として、人々を受け入れたのである。その結果、どうなったかというと、やはり、ギリシャ人、トルコ人、というと、その人々のイメージになるので、普通の西ドイツ人の彼らに対するイメージは、よくなかった。それは、西ドイツ留学中に感じた。
東西ドイツ統一後、現在は、シリアからの難民問題も相まって、特に、旧東ドイツ、ザクセン地方では、東西の格差がいまだに解消されないこともあって、「どうして、アラブからの移民や難民の待遇を、自分たちドイツ人より優先するのだ。」という主張に同調するドイツ人が多く、社会不安、となっている。
つまり、自分たちのしたくない仕事を、外国人にしてもらえばいい、という安易な解決法は、その国に対する偏見を生みだす土壌になるし、相手からの怨嗟、恨みにつながり、それが社会問題となり、国を不安定化する元になる、と私は思う。
附帯的問題のように思われがちだが、高分子化学の進歩がもたらす可能性についての指摘は、2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏らの仕事のもつ可能性の意味づけを正確に先取りしていた点でも比類ない洞察だ。
しかし、AI社会の到来(という必然性)=それなくしては一定水準の持続的経済成長は困難という構造的要因を見事に喝破したこの清水の近未来観は、いかに創見に富み卓抜であっても、現代の社会的構図と必ずしも一致せずに、現象面では食い違が目立つ。
実態はむしろ逆で、「昼夜の区別なく働いて、知能指数の低い多数者にレジャーの生活を保証しなければならない」はずの知的(社会的)エリート層が、グローバル化とか世界市民主義(cosmopolitantism)という当世風の価値基準を隠れ蓑に所得配分の新たな不公正を助長する結果を招き、富の一層の偏在化に力を貸しているからだ。ピケティの『21世紀の資本』(‘‘Le capital au XXIe siècle’’)の指摘を持ち出すまでもない。
それでも、社会全体の情報技術化、とりわけAIによる社会構造の改革は、好むと好まざるとに拘わらず、必然で避けて通れない。ロボット技術も飛躍的に進化する。しかし、いかにロボットが進化し、社会システムの中に深く組み込まれても、AIが社会的選択決定権の主体となることはない。あくまで、人間の意思を代行するにすぎない。
分かり切った話だが、AIに支配されるSF小説めいた社会など訪れるはずもない。せいぜい産業構造のドラスティックな変化を早めるだけだろう。
初期マルクスに依拠する「疎外論」や、それと距離を置く後期の「物象化論」、アドルノやホルクハイマーの 「道具的理性」批判にみられる啓蒙的理性の自己展開という問題意識も想定した、「人間対AI」の枠組みが、結局は「人間対人間」の支配関係まで行き着き肥大化する、という構図だ。つまり、AIを利用した、それ以外の不特定多数の、あえて知的優位性を主張できない被支配層という意味で言えば「大衆」の支配だ。
「多数の人間に贅沢な徒食の生活をさせるために少数者だけが働けばよいという世界の可能性」は、「ベーシック・インカム」の導入などで一部実現するとしても、逆立ちした「ピラミッド構造」という清水らの想定は、現実的には真のエリートならざる知的支配層の‘‘noblesse oblige’’精神の放棄によって実現しそうもない。
しかし、それでも別種の技術革新による飛躍的な生産性の向上が見込めなければ、日本の多額の海外純資産をもってしても焼け石に水で、不可逆的な人口減少世界の経済的停滞という奔流を押しとどめることは不可能だ。
日本がどんな変形的形態でヨーロッパ並みの偽善的な政策であれ、移民政策に踏み切らざるを得ない所以だ。「自分たちのしたくない仕事を、外国人に」押しつける構図を懸念したとて、それが既に日本人同士の間で進んでいる紛れもない現実を直視するなら将に現実を見誤る愚昧につながり、カ氏のような、甚だ感傷的で社会構造全体への目配りを欠いたナイーヴで浅慮な近視眼的思考法に陥らざるを得ない。
AIも所詮は「人間対人間」という普遍的対立構造の中の一要素にすぎない。人間を支配するのは常に人間だからだ。
引用したのはプラトンの対話篇、『ソクラテスの弁明』の冒頭部分。「アテナイ人諸君、諸君が、わたしを告訴した人たち……」で始まる著名な一節だ。
ギリシア語を解さない殆どのコメント欄読者には、文字を辿るのも大変だろう。ギリシア語のアルファベットは、[Α](アルファ)から [Ω] (オメガ)まで24で、それぞれ大文字、小文字がある。問題はそれぞれの文字に付着したアクセント記号とギリシア語特有の気息記号だ。
アクセントはフランス語と同じで鋭(ά)、重(ὰ)、曲(ᾶ)の三種。気息記号は、ギリシア語には母音(α,ε,η,ι,ο,υ,ω の7種)が有気音であることを示す[h]に当たる文字がないので、その代わりにこの記号を用いて示す。例えば、[α]を[ἁ]に、[h]の音を伴わない無気母音である場合、[᾽]をつけ[ἀ]のように表記する。例えば、[Α]の小文字[α]はά, ὰ, ἁ, ἁ, ἀ, ἄ, ἃ, ᾶ, ᾷ, ἆ―のように多岐にわたる。私はそれを正確に表記している。
例えば言葉、言論、理由、理論、論理を表すロゴスは[λόγος]、問答、対話は[διάλογος]。同じ[λόγος]でもアクセントの位置が異なり、注意を要する。真面目な議論にはカ氏のような甘えは許されない。カ氏の場合は、精々ウムラウト記号(ÄÖÜäöü)程度しかないドイツ語だ。
さらに、カ氏は読みもしない思想家、学者の説を日本版Wikipediaの孫引きで論じて愧じることもない。似而非教養人の典型だ。知的には不誠実極まりない。間違いを訂正することは殆どない。その不名誉で唾棄すべき記録は、このコメント欄の書き込みに歴然で現在進行形だ。
その当人が「両論併記」と称して偉そうなことを宣う神経が、私には未だに理解できない。自制心(σωφροσύνη)の欠片もない、思い上がった驕慢(ὕβρις)のみ。
現代の一奇観である。
人間の感性とか「心の機微、ひだ」に対する顧慮などで、人口問題が少しでも解決するはずもないし、移民政策は、国内に担い手が少なくなった特定分野の労働需給を調整したり緩和することが、主目的ではない。
もっと抜本的な発想や対応策が必要な時に、その程度の発想でしかものを考えられないから、植民地経営の実績が少なく、移民政策「後進国」ともいえるドイツ的発想の枠から出られないのだ。
ヨーロッパに限らず、米国やシンガポールなど、移民が社会的活力の源泉になっている国家は少なくない。EU圏の今日の経済的発展も、域内での柔軟な移民政策があってこそ、慢性的な労働力不足を補い、単一市場における経済成長の好機を逃さず、今日の成長につなげることができたのだ。
このところ欧州各国で目立つ移民・難民に非寛容な政治勢力の擡頭やシリアからの大量の難民流入は、移民の存在自体が各国の社会構造に少なくない影響を及ぼす一つの社会的構成要素になりつつあることの裏返しとも言える。この点で従来の移民政策が現在、曲がり角を迎えつつあることを同時に意味しており、社会に深く根を張った移民抜きの欧州経済の発展が想定できないのもまた確かであろう。
ギリシャ語についても、ゲーテは、現在は、ドイツの先人のおかげでドイツ語の優れた翻訳があるので、ギリシャ文化を学ぶために無理して難しいギリシャ語を勉強する必要はない、と主張している。私も、外国文化に関してもそう思う。優れた翻訳を使った方が、生半可な語学力で読破するより、内容を正しくつかめる。また、たとえば、大山定一さんのゲーテの詩の日本語の翻訳を見ると、私自身ドイツ語のニュアンスがわかる分、本当に日本語ですばらしく表現されている、とてもまねできない、と感じる。そういう意味では、私の英語やドイツ語の語学力は完璧でもないし、大したことはない。
もはや、まともに相手ができない、硬直的で偏狭な主張が目白押しだ。曰く、「「平和を構築する」ための篠田教授のブログのコメント欄を使って、ドイツ人に対する偏見、先入観を植えつけようようとする反氏が許せない」のだそうである。
わが仏(ワイツゼッカー大統領演説と愛すべきドイツ連邦共和国)尊し、「仏敵」は容赦せず、殲滅してやる、とでも言いかねない剣幕だ。あまりの莫迦莫迦しさにおかしくて涙が出てきた(呵呵)。
地金がスッカリ剥がれ落ち、ついに正体を現した、ということだろう。疾うに分かってはいたが、これほど浅ましいとは思わなかった。何ともご愁傷様である。
「対立するのではなくて、協調しなさい、…偏見や先入観、憎しみの感情をもってはいけません」――国益をめぐって各国の思惑が交錯する国際政治を、幼稚園児並みの道徳観で窘めている。生真面目さは理解できなくもないが、如何にも浅慮である。
「ゲーテが哲学にほとんど重きをおいていないことを真に証明するフレーズ」を見つけたようだ。晩年まで女の尻を追いかけ回していた詩人も(妄言多謝)、カ氏の御本尊だ。エッカーマン著『ゲーテとの対話』は私も以前に読んだ。文庫本3冊で1,180頁もあるが、改めて読むとこちらも随分勉強が進んでいるから、詰らなさとゲーテという人物の教養の程度が分かってきて、興ざめだ。
ゲーテは基本的に汎神論者なので、スピノザやG.ブルーノに一目置いていたようだが、哲学の伝統に昏い。あまり真面目に勉強しなかったようだ。なにせ、遊び人。作家だから、どの国でも似たりよったりだが。
ギリシア悲劇についても見当違いな発言が目立つ。それでも、ギリシア文化への愛好は根強い。ゲーテが『ファウスト』の完成に手間取ったのは、それも原因とされる。『ファウスト』のテーマは本質的にキリスト教的であり、中世的であって、余りにものを知りすぎる故の罪、人間に対する悪魔の力、恩寵による復活、女性の愛が昇華して天国に至る結末などがそうだ。
しかし、ゲーテ自身はイタリア旅行の影響や周囲の古代文化熱もあって、キリスト教を信じてはいない。ファウストは決して罪を悔いていないし、救世主イエス・キリストに訴えることもない。全篇を通じてイエスの影は薄い。ドイツに限らず同時代の傾向だった。その割には、ラシーヌほど古典的教養がない。ゲーテは一種の自然児の面影がある。
ドイツはルネサンスでも後進国。15、16世紀、伊英仏など多くの国でルネサンス文化が開花したのに、ドイツは宗教改革に明け暮れた。ドイツに優れた人文主義者は現れなかった。ドイツ・ルネサンスの先陣を切るのはゲーテより32歳年長のヴィンケルマンで、発端はギリシア彫刻だった。
ゲーテに『色彩論』という奇妙な論文がある。第二部は「ニュートン光学理論を暴く」。光粒子説を説き、近代的光学理論を確立した物理学の権威にかみつく記述が『ゲーテとの対話』に目立つ。自然科学的には無意味だが、「目の人」の意地なのだろう。
無謀なのはカ氏に似ている。
「私の……語学力は完璧ではない」⇒⇒ただの憐むべき「無学」。負け惜しみが痛々しく、泉下の師も愧じ入る厚顔無知(いや、無恥)。虚勢だけは一人前。
Goethe Institutは、ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関で、外国人にドイツ語教育を推進し、国際的な文化交流・文化協力をする非営利団体であり、本部はミュンヘンにある。団体名の由来はドイツの詩人であるJ.W.von Goethe.である。とあるように、ゲーテはドイツ人の誇りなのである。ドイツ人の誇りは、反氏のあげられる種々雑多なドイツ人哲学者ではない。もちろん、反氏は、ドイツ人の民族性をクレマンソーのように解釈し、ドイツ人の誇りを認めないのだから、論理的に帰結してはいるが、健全な常識人とはいえない。まあ、それも一つの立場ではあるけれど。
私は殺伐非情だから、ナルシストになどなりようもない。いらぬ謙遜など薬にしたくともない。ただ、論拠に基づいて真相(ἀλήθεια)を追求するのみ。
「Goethe Institutは、ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関」――「だから、何? 出来の悪い日本人の老媼がお世話になっています」とでも、挨拶でもすればよいのか? 笑止千万。御本尊のゲーテにケチをつけられたと逆上するほうが、どうかしている。この場は「公共の言語空間」なのである。カ氏の如き謂わば「ならず者」の跳梁跋扈する「愚者の楽園」などではない。甚だ失礼ながら、いい歳をして少しはユーモアと口の利き方を覚えたらいい。日暮れて途遠しの譬え通り、「無学」は革まりようがないだろうが、せめて少しは品性が向上するだろう。半世紀余、学問の真似ごと(μίμησις)をしてきて、この体たらくが恥ずかしくないのか。改めて問いたい。それは「いじめ」でも何でもない。負け犬根性は捨てたらいい。この場は幼稚園児の意見発表会ではないのだ。
ともかく、ゲーテがドイツ一の名士かどうかは、この際どうでもよい。真実に疎い「無学」たらざるを得ない民衆の間ではそうなのかもしれない。「ドイツの誇り」を代弁したいようだが、ドイツ政府に借りでもあるのだろうか。
それにしても、読んでもいない「種々雑多なドイツ人哲学者」など不用意な発言は少し考えてからするものだ。
哲学やギリシア・ローマの古典について、ゲーテに特段の教養も見識もないことは、一専門家として私にも分かる。彼の周囲には、日本版Wikipediaでは一切言及されていないが、W. von Humboldt(1767~1835)やその弟A. von Humboldtのような、ゲーテをはるかにしのぐ知の巨人がいた。前者は紛れもない多面的天才で、ヴァイマールのような田舎宮廷とは異なるプロイセンの国務相で、近代言語学の確立に貢献した。ゲーテの最後の書簡の相手だ。
Wikipediaはここでも、『ゲーテとの対話』の年譜や各種世界文学全集等でも常に言及される事実を閑却しており、毎度のことながら、記述のバランスの悪さは否めない。
ゲーテの艶福家ぶりは、別に文豪を貶める意図はない。周知の事実を指摘したまでだ。私の趣味ではないが、富裕層の甘やかされた長男によくある奔放なタイプで、手塚富雄氏や大山定一氏の年譜でもとにかく惚れっぽい、日本の文士さながらの行状だ。人気作家だから許される特権を享受したのだろう。わが妻によれば、クリスティアーネ・ヴルピウスの件は「最低」、ウルリーケ・フォン・レベッツォの方は「醜悪」だと手厳しいが、野暮は言うまい。
ただ、一世紀以上前に死んだニュートンへの執拗な論難は無謀でいだだけない。『色彩論』は心理学で科学ではない。生前のニュートン対ライプニッツ間の微積分法の基本定理をめぐる優先権論争(実質は弟子同士)のような実質がない。
私が今年、ウィーンに行って、再発見したことがある。ウィーンの人々のゲーテへの敬愛である。、ゲーテの像が、ウィーンの街の中心ともいえるオペラと王宮庭園の間に設置され、リングをはさんで、シラーの像と向かい合っていた。ゲーテのイタリア滞在は有名であるが、ウィーンには、一度来て、ゲーテの崇拝者ベートーヴェンと会ったという史実はある、ぐらいの短い滞在であったにもかかわらず。
その折、二人で散歩をしているところへ貴族のお偉いさんが向かいからやってきた際、ゲーテが道端に退いて、敬礼をもって迎えたのに対して、ベートーヴェンは何ら顧みることなく、通り過ぎ、その後、ベートーヴェンが「ペコペコしているゲーテに幻滅した」と言ったとかいう逸話が残っているが、これこそ、健全な常識人の立場に立つ、というゲーテの真骨頂だと私は思う。
反氏は、ゲーテをドンファンにしたいようだが、それは違う。彼は、人間としても、男性としても、魅力があったから、若い頃から老年にいたるまで、女性にもて続けたが、彼の理想はそこにはない。それは、ファウストに二部、を読めば、はっきりわかる。彼が、イタリアに留学した経験も手伝って、彼は、プロテスタントの禁欲的生活に否定的で、彼には、マリア信仰がある。ファウストの最期の場面でも、グレートヒェンが、ファウストの魂を救済し、ファウストは、天国に昇天するのである。以前のコメントで、ゲーテの思想は、キリスト教道徳では非とされている自殺を容認する「若きウェルテル」から始まって、「西東詩集」を経て、ファウストで、ゲーテは、キリスト教道徳に戻る、と書いたが、それは、そういう意味である。
ゲーテの華麗な恋の遍歴は以下の通り。カ氏のコメント69の反論にも拘わらず、文豪ゲーテがいかにも流行作家らしい恋多き多情多恨な「文士」であったことを伺わせる。
私の63の指摘「晩年まで女の尻を追いかけ回していた詩人も(妄言多謝)」は聊か品性を欠く表現だが、出会いと別れを終世繰り返した恋多き人物であったことは、以下の消息に歴然としており、こういう人物を艶福家という。
カ氏69はゲーテを思うあまり、それを恰も、私がゲーテをドンファン並みの「色事師」と誹謗中傷したように勘違いしていつもの弱論強弁(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)を繰り広げるのは、どうみても無理がある。
色恋好きは間違いない。だから「女好き」。しかし「女たらし」とは正直思っていない。恋は自由であって、「多情多恨の艶福家」=文士というだけだろう。名士だから「もてた」ようだが、自分からも随分言い寄っているのも否定しようがない。
「なにせ、遊び人。作家だから、どの国でも似たりよったり」――は別に謹厳実直ではなくとも、世間的には常識的な受け取り方だろう。(私も67で「野暮は言うまい」とは言った)。フランスの貴族階級など多い交際家なのだし、サロン文化華やかなりし時代、ゲーテだけが特別の存在ではないことも事実だろう。
しかし、年甲斐もなく若い娘に恋に落ちる老翁の女性礼讃は少々度を越しており、だから詩人なのだろうが、調査に当たったわが妻の感覚では、時代背景の違いを勘案しても、到底「信じられなあぁ~い」事態らしい。彼女の大伯父で高名な作家も知る「晩年の川端(康成)さんみたぁ~い」ということらしい。
川端は晩年、若い女中に恋して想い叶わず、ガス吸引自殺を遂げたことを、「マリーエンバート」の老文豪の恋に重ねたのだろう。ゲーテより格は落ちるが、川端も文豪、文人である。
▼①グレートヒェン=1763年、14歳(ライプツィヒ大学法学部入学)。近所の料理屋の娘の親戚、グレートヒェンという年上の娘に初恋(『詩と真実』第5巻)。翌年別れる。
▼②カタリーナ・シェーンコップ(1746~1810)=1766年4月、16歳、ライプツィヒ大1年目。法学の勉強には身が入らない。通っていたレストランの娘で3歳年上のカタリーナに恋をし、『アネッテ』という詩集を編む。しかし「都会的で洗練された彼女に対するゲーテの嫉妬が彼女を苦しめ」(日本版Wikipedia)、破局。
▼③フリーデリケ・ブリオン(1752~1813)=1770年、シュトラスブルク大学入学。同年11月、フリーデリケと恋に落ちる。彼女はシュトラスブルク近郊の村の牧師の純真な娘。友人と共に馬車で旅行に出た際に彼女と出会った。抒情詩「野ばら」や「五月の歌」のモデル。しかし、翌年8月「法律得業士」試験に合格直後、結婚を望んでいたフリーデリケを捨てる。これがゲーテ生涯の自責となり、繰り返し詩作のテーマになった(『ファウスト』・グレートヒェンの悲劇の原型)。
▼④シャルロッテ・ブッフ(1753~1828)=1771年8月の弁護士認可後の翌72年4月、弁護士業をなおざりにしがちで文学活動に没頭する息子を懸念した父によりヴェツラーの帝国高等裁判所に登録、試補に(=大山定一。ここでも勉学に専心せず、父から離れて文学に専念できる環境を満喫)。2カ月後の6月9日、舞踏会で19歳の少女シャルロッテ(婚約中)に出会い熱烈な恋に落ちた。毎晩彼女の家を訪問する大変なご執心ぶり。単に「もてた」、という話では全くない。
▼⑤リリー・シェーネマン(1758~1817)=フランクフルト屈指の銀行家の娘リリーと新たな恋に落ちる。1775年4月、一旦は婚約に至るも、両家の親族間のそりが合わず、婚約直後にゲーテは軋轢から逃れるようにして単身で1カ月余のスイス旅行に。リリーへの思いを詩に託したが、結局同年の秋、婚約解消。「実際はまだ自由を失いたくないゲーテの気持ち」に原因があったとする研究者も(手塚富雄)。
▼⑥シャルロッテ・フォン・シュタイン(1742~1827)=出会いは1775年11月(婚約解消からわずか2カ月後)、ゲーテがヴァイマールに到着した数日後(シャルロッテはヴァイマールの主馬頭の妻。ゲーテより7つ年上の33歳。既に7人の子持ち)。ゲーテは彼の良き理解者で社交家の夫人に惹かれ、その許に熱心に通い、多くの手紙を彼女に書いた。既に夫婦仲が冷め切っていた夫人も青年ゲーテを温かく迎え入れ、「ひたすら彼女に思慕を捧げ、彼女も数年を経て彼に愛を告げた。「あなたは私の本質のあらゆる特性を知り、……、熱い血に節制を滴らせ、荒々しい迷った歩みを糺した」」(手塚富雄訳)とゲーテは詠った。関係はゲーテのイタリア旅行出発まで11年に及んだ。
夫人との恋愛が続いていた11年は同時にゲーテが政務に没頭した時期で、この間、文学的には空白期間=確かに身がもたない。
1786年、ゲーテはアウグスト公に無期限の休暇を願い出る。同年9月の出発時にアウグスト公にもシュタイン夫人にも行き先を告げず、イタリアに入ってからも名前や身分を偽って行動(2年間滞在)。このことで帰国後、シュタイン夫人との仲が断絶する原因に。
▼⑦クリスティアーネ・ヴルピウス(1765~1816)=イタリア旅行から帰国直後の1788年7月、ゲーテを23歳になるクリスティアーネが訪ね、イェーナ大学を出ていた兄の就職の世話を依頼。彼女を見初めたゲーテは彼女を恋人にし、後に自身の住居に引き取って内縁の妻に(しかし身分違いの恋愛は社交界の批判の的となり、シュタイン夫人との亀裂を決定的にする。1789年、クリスティアーネとの間に長男アウグスト誕生。1806年まで18年間、彼女を入籍せず)。
ナポレオン軍が1806年、ヴァイマールに侵攻した際、酔ったフランス兵がゲーテ宅に侵入。狼藉を働いた際に、内縁の妻であったクリスティアーネが駐屯兵士とゲーテを救う。その献身的な働きに心を打たれ、ようやく彼女と正式に結婚するに至る。
▼⑧ヴィルヘルミーネ・ヘルツリープ=クリスティアーネ(1816年6月6日死去)の功績で命拾いをした翌1807年、懲りもせず、ヴィルヘルミーネという18歳の娘に密かに恋をし、その際の体験から17編のソネットが生まれる。さらにこの恋愛から二組の男女の悲劇的な恋愛を描いた小説『親和力』が生まれる。
▼⑨ウルリーケ・フォン・レヴェツォー(1804~99)=1821年、マリーエンバートの湯治場で55歳年下で17歳の少女ウルリーケに最後の熱烈な恋(「60歳も年下」とのWikipediaの記述は誤り)。夏季の滞在期間中はレヴェツォー家の人々と交流。2年後の1823年にはアウグスト公を通じて求婚するも断られており、この失恋から同年9月「マリーエンバート悲歌」が生まれた。
▼このほか、1814年8月4日、ライン地方を旅行中、知人の才気あふれる35歳年下の妻マリアンネ・ヴィレーマー(1784~1860)と知り合い、この相聞がゲーテを若返らせ、『西東詩集』を生む機縁になる(交際は翌年9月まで)。
ゲーテが「美的生き方の代表例」だとか、「健全な常識人の立場に立つ」人物だというのは、贔屓の引き倒しになるから自重されたらよい。[完]
反氏が恋愛相手を詳しくあげておられるので、一つ一つ説明していくと、
① ②、③の恋愛で、反氏が書かれているように、抒情詩が生まれているし、④のシャルロッテ・ブッフとの恋愛で、小説「若きウェルテルの悩み」が生まれている。ゲーテ自身、あの小説を書いて、自分の感情に区切りをつけなければ、自分自身が自殺したかもしれない、と回想している。⑤リリー・シェーネマンとの恋愛、その1か月のスイス滞在中に、抒情詩Auf dem Seeが作られている。これは、シューベルトによって、曲がつくられているが、新しく生きなおす、という意志が感じられ、私の大好きなドイツ歌曲の一つである。また、彼女との別れによって、ワイマールに移住する決心をする。
⑥シャルロッテ・フォン・シュタインも反氏の書いておられることで、ほぼ正しいと思うが、ワイマール公国の閣僚の彼が、社会的に、人妻との恋愛、或いは、結婚が許されるかどうか、考えてみられればいい。彼は、シュタイン夫人への気持ちを断ち切るために、イタリアに出奔し、帰国後、⑦クリスティアーネ・ヴルピウスを内縁の妻にした後、正妻にするのである。
⑨ウルリーケ・フォン・レヴェツォーによって、マリエンバートの悲歌が生まれているし、反氏の主張されるように、1814年8月4日、ライン地方を旅行中、知人の才気あふれる35歳年下の妻マリアンネ・ヴィレーマー(1784~1860)と知り合い、この相聞がゲーテを若返らせ、『西東詩集』を生む機縁になる
この「西東詩集」の例えば、ズライカ(Wie mit innigsten Behagen)これは、マリアンネ・ヴィレマーがゲーテに贈った詩であるが、その詩にR.シューマンが曲をつけ、結婚の前日に「ミルテの花歌曲集」として、クララに捧げている。この曲も、名曲として誉れが高い。
ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、ヴォルフなど、ドイツの大作曲家は、ゲーテの抒情詩に好んで曲をつけているので、このような恋愛体験を基にした、ゲーテの詩がなければ、ドイツ歌曲の魅力の半分以上は、なくなってしまうのである。また、冷静に見れば、ポップス、シャンソンを含めた世界中の歌、伝統の日本の和歌などでも、恋愛をテーマにしたものが大半なのではないのだろうか?
ゲーテ自身、この80年の人生経験があって、はじめて、「ファウスト」を完成させることができた、と述懐しているが、それに比べると、仮想現実、自分自身のファンタジーでマーラーやゲーテを描いたトーマス・マンの「ベニスに死す」や「ワイマールのロッテ」を私は好きにはなれない。
ところがファウストは、それに飽き足らず、世の為、人の為に海を埋め立てる大事業に乗り出すことに人生の意義を見出すのである。灰色の女「憂い」によって両眼を失明させらたため、ファウストの墓穴を掘る音を、民衆の海を埋め立てる事業の弛まぬ鋤鍬の音だと信じ込んだファウストは、それを幸福な瞬間だと感じて「この瞬間が止まってほしい」と発言して、死ぬのである。
Komm! Hebe dich hoehern Sphaeren!
Wenn er dich ahnet, folgt er nach.
さあ、もっと高く天にお昇りなさい。
貴女を感じれば、彼も貴女についてゆくのです。
と救済を認める。
この最後の場面はユダヤ人作曲家、グスタフ・マーラーが壮大な規模で、彼の交響曲8番の2部で描き、それは、1910年の今日、9月12日に、ミュンヘンに初演されるのである。
(完)
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