9月10日発売号の雑誌『VOICE』に松川るい参議院議員との対談記事を掲載していただいた。外交通の実力派の若手国会議員で、メディアにも頻繁に登場している松川議員の方との対談の機会で、私としては非常に光栄であった。
記事の一部がウェブに掲載されているが、https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/5521 事前の予定では北朝鮮問題にも焦点をあてていくはずだったが、大きな外交視座の話をしているうちに盛り上がってしまった。さらに雑誌記事のほうでは、憲法改正の問題などにもふれている。
このブログでも何度か、改憲の本丸は、軍隊としての自衛隊の合憲性の確立であるだろうことを書いた。松川議員にも賛同していただけたことは、大変に心強い経験であった。
現在の議論における改憲案の狙いは、私の理解では、憲法解釈の確立にある。冷戦時代から引きずってきたイデオロギー対立は、憲法解釈の歴史に不毛な負の遺産を作り出した。特に冷戦時代後期に進展してしまった談合政治型の発想によって、個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ、といった類の憲法の条文からは読み取れない憲法解釈が流通してしまった(拙著『集団的自衛権の思想史』参照)。
憲法解釈の錯綜、あるいは複雑性は、国政の運営に巨大な無駄を生んでいる。巨額の財政赤字を抱えながら人口減少社会に突入した日本には、曖昧な憲法解釈がもたらす無駄を楽しんでいる余裕はない。憲法解釈の確定が必要である。
9条1項の戦争放棄が、自衛権の否定を意味しないことは、近年では広く知られてきている。昨今の憲法改正論議でも9条1項が話題にならないのは、戦争放棄が自衛権の放棄とは違うという理解に、国民の認知も広がっていることの反映だろう。前文からきちんと読み、9条1項の基盤となっている1928年不戦条約や1945年国連憲章2条4項(及び51条)の論理構成をしっかりと把握すれば、戦争の一般的違法性が、むしろ国際秩序を維持するための制度としての自衛権と密接不可分の関係にあることは、自明なのである。
いまだに論争を呼んでいるのは、9条2項の解釈である。現在の自民党の改憲案の方向性では、自衛隊の存在の合憲性を確立することが目指されている。石破茂氏の主張では、それだけではなお9条2項解釈に問題が残るので、9条2項は削除すべきだ、というものである。
論争を呼んでいる条項を削除する案は、すっきりした案ではある。しかし現行の条文を維持したまま、違憲性の疑いがあると指摘されてきた事柄の合憲性を確立すれば、現行の条文を前提にした憲法解釈の仕組みが確立されるはずなので、それはそれで望ましいことだと私は考える。
9条2項によって自衛隊は違憲だと考える人がいるとすれば、「そんなことはない、9条2項は自衛隊を否定していない」という内容の条項を付け加えれば、ともに国民の支持が高い9条の平和主義と自衛隊の存在を、矛盾なく両立させて理解すればいい至極まっとうな解釈が確立される。
単に自衛隊の合憲性を明示するだけでは不足感があるのは、自衛隊という名称の組織の合憲性が確立されても、自衛隊の活動の合憲性が確立されなければ、あまり意味がないからである。
つまり、軍隊として活動する自衛隊の合憲性が憲法解釈として確立されることが、もっとも望ましい。
憲法学通説では、自衛隊は軍隊ではないことになっている。そのため石破氏も9条2項を削除したいのだろう。しかし政府見解では、自衛隊はもちろん憲法上の「戦力」ではないが、国際法上は「軍隊」として取り扱われる。http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b189168.htm つまり、自衛隊は「憲法上の戦力ではない、国際法上の軍隊」だと言える。
これでいい。このままでいい。この解釈をしっかりと確立すればいい。違憲ではないのだから「憲法上の戦力」ではない。そもそも「憲法上の戦力」になることには何の利益もない。「憲法上の戦力」ではないことは、軍隊ではないことを意味しない。これまで、あたかも自衛隊は軍隊ではないかのような言説によって、だからジュネーブ条約によって自衛隊員は保護されない、だから自衛隊員は国連PKOに参加しても任務に従ってはいけない・・・、などといった飛躍した議論が行われてきた。しかし、それはむしろ論理の錯綜である。http://agora-web.jp/archives/2030765.html
9条2項で不保持が宣言されている「戦力(war potential)」とは、9条1項で明晰に否定されている国際法上の違法行為である「戦争」(国家が主権の発動を理由にして宣戦布告の一方的法的効果を主張して行うもの)を遂行するための潜在力のことである。9条2項で否定されている「陸海空軍」は、その文言上、「戦力」の例示であることも明らかである。1946年当時、大日本帝国軍の解体の法的根拠を明示するために、そのような例示が挿入されたのだろう。例示でしかない以上、他の戦争遂行を目的にした「戦力」として想定される事例、たとえば国家総動員体制下の竹やり部隊や軍需工場なども、当然「戦力」として、憲法によって否定されていると考えるべきだ。その反対に、「戦力」ではないもの、たとえば国際法に合致した自衛権の行使を目的にした軍隊組織は、違法行為である戦争を遂行するための潜在力としての「戦力」ではなく、否定されない。9条2項が、連合軍や国連軍の否定を意味していないことは自明だが、それは勝者の軍を例外にしたからではなく、違法行為としての戦争の遂行を目指した潜在力ではないものは「憲法上の戦力」ではない、という論理構成によるものある。
なお9条2項は「交戦権」も否認しているが、これも「交戦権」が現代国際法に存在しない概念である以上、「国際法を遵守する」と宣言するのと等しい意味しかない。アメリカ合衆国が、伝統的にドイツ国法学などでは肯定されていた「交戦権」の発想を否定する立場をとっていたことは、拙著『ほんとうの憲法』でも書いた。憲法学者の基本書にのみ登場する謎の国際法の理解を捨て去り、実際の国際法にしたがって交戦権を否認すれば、ただそれだけで9条2項の運営に問題はなくなるのである。
憲法学者の基本書を読んで、国際法を理解したことにしてしまうという悪弊は、早く日本社会から根絶させたほうがいい。https://ironna.jp/article/8337 http://agora-web.jp/archives/2029686.html
憲法優位説が憲法学の通説だからといって、司法試験予備校や公務員試験予備校で憲法学者の基本書に依拠した答案作成が推奨されているからといって、憲法学の基本書に書いてある国際法の理解が正しいものになるといった発想は、ばかげている。国際法に精通した人物が内閣法制局長官になると、憲法学者らとともに「クーデターだ」と叫ばなければならないといった発想も、ばかげている。
自衛隊は軍隊である。憲法全体の趣旨をふまえた9条解釈は、むしろ現実をふまえた常識の正しさを根拠づけてくれる。
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その主張が、論争で終わっているうちはいいが、現実の日本の政治で実現しようとすると、いろいろ厄介な問題が起こる。
カ氏のコメント171にある吉川幸次郎・大山定一『洛中書間』について。私は169で「『洛中書簡』なら『吉川幸次郎全集』第19巻に収録」と書いたが、改めて確認すると、カ氏の指摘どおり、『洛中書簡』ではなく、『洛中書間』の誤りであって、私の不注意である。改めて訂正の上、おわびしたい。
従って、「(『洛中書間』が第19巻に収録)されており承知しているが、二度も書きつけ、せっかく教示……不明にして知らない」は余計な冗語であって、取り下げる。
なお、吉川の全集に付した「自跋」(あとがき)によれば、『洛中書間』は「戦時中の執筆」であり、大山定一の執筆部分とともに1944年6月から、「京都で刊行され雑誌『学海』に連載された」ものである。終戦の翌46年、大阪の秋田屋から単行本として上梓する際、初出の「支那」⇒「中国」に、「国運発展の」⇒「国家の生命の」、「戦力の増強に、なお遺憾」⇒「甚だしい遺憾」に改められた、と率直に吐露している(『吉川幸次郎全集』第19巻、470頁)。
戦争末期に雑誌に紙の割り当てがあったくらいだから、時局に「便乗したかのごとくとられかねない」発言の勇み足があっても不思議はない。いずれしても、こうした「不都合な真実」を糊塗、隠蔽しない吉川は学者として、一人の教養ある人間として、立派である。カ氏に最も欠落している美質がそこにある。所謂、人間としての風格(ἦθος)である。カ氏には情動=パトス(πάθος)しかない。
次いで、カ氏が新たに持ち出した三省堂『大辞林』の「ソフィスト」の記述について。カ氏の引用した、以下の記述を精査してみる。
【哲学者プラトンはソフィストたちの名を冠した一連の作品を著し、ソクラテスと真理のために、これらの思想と対決しその虚偽を暴いた。個人と国家のために善を図り言論と行為とにもっとも有能有力な者となる道を教授するというのがソフィストたちの自称であったが、彼らが実際に教えたものは、善について無知でありながら優れた人間であると思わせる方法であり、事の真偽や正邪を問わず、ただ大衆を扇動して論敵に勝つための技術であった】
あまり、過不足のない公正中立な記述とは言えない。一般向けの国語辞書に一々難癖をつけても仕方ないが、合格点に達しない。そっけない『広辞苑』の記述に劣る。
『広辞苑』の方は無駄がない。即ち、【(ギリシア語で知者の意)前五世紀頃、主としてアテナイで法廷弁論・修辞学などを教えることを職業とした人々。プロタゴラス・ゴルギアスらが代表者。価値の相対性を説いた。詭弁をもっぱらとする者がいたので、長く詭弁家の同義語となった。詭弁学派】(第6版1655頁)である。「主としてアテナイ」「価値の相対性を説いた」「詭弁をもっぱらとする者がいた」――は文献上の証言と符合する。
私の独自説ではなく内外の専門家の共通認識という意味での一専門家の立場から言えば、カ氏の引用する『大辞林』の記述は、何も知らない初学者をミスリードする不正確さを含む「曖昧な」内容だ(特に「事の真偽や正邪を問わず、ただ大衆を扇動して論敵に勝つための技術」)。
『大辞林』『広辞苑』に限らず、大方の辞書の編集者は、他の辞書の記述から辞書を作っているのであろう。
カ氏の立論はその記述にばかり依拠した訳でもなかろうが(7月22日の36=「私がプラトンのこの二冊[『ソクラテスの弁明』と『クリトン』]を通じて主張したい…」)、カ氏がその著しい「無学」と偏狭さから勘違いするのも一部止むを得ない、とも言い切れない面がある。
私が所持する『大辞林』の「ソフィスト」の記述=【〔知者、技芸に熟達した者、の意〕紀元前五世紀頃、アテネを中心として弁論術や政治・法律などの教養を教えた職業的教育家たち。プロタゴラス・ゴルギアス・ヒッピアス・プロディコスを代表とする。論争修辞に走ったところから、現代では詭弁家という意味に転用されている】とある(1992年1月発行第20刷=1415~1416頁)。
「よりまし」になっているが、最新の『広辞苑』6版(2008年)には及ばない。ただ両者ともカ氏ほど「無知」ではない、ということだ。
従って、「文句は、私にではなくて、三省堂にお願いしたい」は、不当な論難で事実を枉げる、およそ教養や学問、就くソクラテスの説く哲学(φιλοσοφία)の精神を語るに最も不相応な人士であるカ氏という「教養の俗物」(‘Bildungsphilister’)ならではの、良識=知的慎みの欠如を如実に示している。
その口で莫迦の一つ覚えのように、ゲーテが重きをおいた「常識」を語られても虚ろに響くだけだ。ゲーテやヴァイツゼッカーだけがドイツではない。
最後に「現実感覚」に学識は邪魔にならない。現実とは「現にあるもの」(παρὸν πάθος)として不断の生成過程にある現実(τὸ γιγνόμενον)であって、現在(παρουσία)に執着することではない。プラトンはそれを正確に見抜いていた。
ギリシア哲学は閑人の寝言ではない。[完]
そのうえで、カ氏をつくづく身勝手でご都合主義な人物だと思う。172をみると、私が「膨大な知識つまり「学識」はあるということは歴然」で東大系憲法学者と「比定」され、莫迦の一つ覚えの「ゲーテが重きをおいた常識」が欠落していると批判する。カ氏が古代哲学の在野の一研究者(学徒)にすぎない私と、名だたる学界主流派の憲法学者とを比較すること自体無意味だが、理由は見え透いている。本ブログで篠田さんの論敵としてつとに悪評の的である東大系憲法学者と十把ひと絡げにして、訳の分からぬ悪罵のためのレッテル貼りに利用するためだろう。老媼の陰湿な浅知恵というのか、見境がなく、醜悪である。
なるほど、カ氏は多少の外国語力はあっても、その基本的な教養たるや極めて凡庸なレベルで、憲法はもとより、現実の政治過程、日本近代史についてほとんど街の匹夫に等しい陳腐な世界観、歴史観の持ち主にすぎないことは、退屈で大袈裟なコメントの文章のそこかしこに透けて見える。漢学者の親族がいた割には措辞にもみるべきものはない。
唯一の取り柄と期待され、本人も自負していたドイツの文化や歴史、戦後の政治状況に関する見識も、全く幻想だった。気の毒ながらカ氏の「無学」(‘sine litteris’)は歴然としている。
ドイツの事情通らしい水島朝穂氏への反撥から投稿を始めたようだが、軽率な意気込みが却って仇になったようだ。齢70近くの老媼が憲法問題で焦慮を深め、悲憤慷慨する図はどこか寒々としている。この国の将来に責任ある選択をなすのは、もっと若い世代に任せたらよい。ある意味で答えは既に出ている。
「答えを出すのは、人間ではなく、時間である」(曽野綾子『幸福という名の不幸』)――カトリック信者の作家が示す経験知(φρόνησις)は侮れない。
少なくともカ氏より滋味溢れ、現実がよく見えている。
篠田英朗先生も、水島朝雄教授の私への攻撃を見て、に書かれているが、反氏の私への攻撃も、本当に品がない。老媼の陰湿な浅知恵というのか、見境がなく、醜悪である以下、いたるところに散乱する品のない表現、「お前は芦部先生と違う、芦部先生は偉大だ、したがってお前は間違っている」、といったパターンも多いが、反氏の場合、芦部先生に代わって登場するのが、京大の歴代の哲学の高名な教授たち、アドルノやカントやトーマス・マンなど、我々の学生時代一世を風靡したドイツの知識人たちである。私の日本の大学時代に習った人の名前である。
戦後、民主的な選挙に基づいて選ばれた西ドイツ政府が、ナチスドイツのイメージを払しょくするために、国の内外に「ほんとうのドイツ文化」を知ってもらう、という目的で設立したセンターにGoethe Institutという名前をつけた、ということは、ゲーテが、「ほんとうのドイツ文化」を具現化している人物である、という証明に他ならない。
また、ヴァイツゼッカー氏の1985年5月8日の演説は、ドイツ連邦共和国の大統領としての演説である。つまり、国際法上における国家元首としてドイツ連邦共和国を代表する職責で演説されているのであり、演説後無投票で、再選されたということは、反氏の説の根拠となるフランクフルト学派の学者たちを除いて、大多数のドイツ国民がその演説に納得し、民主的な手続きに従って、引き続き、国際法上の国家元首として、ドイツ連邦共和国を代表する権威として責務を遂行してほしい、という意志表示なのである。
反氏の私の評価は、唯一の取り柄と期待され、本人も自負していたドイツの文化や歴史、戦後の政治状況に関する見識も、全く幻想だった。気の毒ながらカ氏の「無学」(‘sine litteris’)は歴然としている、であるが、どちらの見識が、本物だろう?
の考察を読んで、私もほぼ同じ意見なのである。反氏のヴァイツゼッカー氏に対する評価に対しても同じようなものを感じるが、権力がある政治家は、あたかも不誠実かのようなイメージを日本のマスコミは、日本人に刷り込むのである。日本のマスコミがいつも、そのような洗脳を日本人にするから、「政治家は信用できない。」という声が街角の声になるのである。
西ドイツで、その点が日本とは違う、と感じたのである。私の滞在中、ドイツ赤軍のハイジャックテロが起こった。シュミット首相は、強行突入を指示して、犠牲者が出た。日本だったら、内閣退陣になるだろう。けれど、学生寮のドイツ人たちは、「もし、強行突入をしなかったら、また、テロリストは同じことを繰り返して、また、新たな犠牲者が出る。その悪の連鎖を断ち切るためには、シュミット首相のあの決断で正しいのだ。」と日本人の私に説明してくれた。私が日本のマスコミ関係者に望みたいのは、野党支持は結構であるが、ドイツと同じように、民主主義国家日本では、有権者が自分たちの代表者を選ぶ自由が許されているのだから、なんとなく、の与党や有力政治家は不誠実な人というイメージの刷り込みをやめてほしい、ということである。百害あって、一利なし、なのだから。
半世紀かけてため込んだドイツの文化や歴史、政治に関する単なる寄せ集めの雑識(δόξα)にすぎぬものを、「長い間ドイツ文化を勉強し、ドイツ文化の神髄を知る年長者のつとめ」(9月14日・23)、「50年間近くドイツ文化に慣れ親しんだ。…「継続は力なり」」(9月1日・18)と意気込む、何とも滑稽な力みようから、何にでも戦後ドイツ方式が「適用可能」と浅慮し、壊れた蓄音器のように繰り返される同工異曲の「ゲーテ・ヴァイツゼッカー流儀」のドイツ連邦共和国への信仰告白は、まるで「ドイツ狂」の教祖のような口ぶりで、愚にもつかない自己正当化に終始する。
その「通奏低音」のような甘美なメロディーは、よほど傷ついた「無学」な魂を慰撫するのだろう。実態を仔細に検討すれば、独り芝居の戯画、というか見え透いた茶番劇にすぎないのだが…。
相手に対する敬意から、議論の作法に関しては如何に血も涙もない「殺伐非情」の私でも、カ氏が知的に誠実な一廉の見識の持ち主なら、齢70近い老媼を、こうも徹底して追及したりはしなかっただろう。「無学」な素人をいたぶる酔狂はもち合わせていないし、それほど悪趣味でもない。
ネット空間には「雑音」が渦巻いており、一々気にしていても仕方がないからだ。
篠田さんの正面の論敵である東大法学部系の憲法学者を主軸とする学界主流派は、水島朝穂氏であってもカ氏ほど無学でも偏狭でもなく同列には論じられないが、カ氏の知的な力量不足は歴然としており、類を見ない粗野さに辟易しつつも、狂信的で攻撃的な姿勢は敵ながら天晴れとも映るが、悲痛だ。問題は、自らの誤謬や弱点を明晰に認識していれば、メンツを保つために体面を装う欺瞞や詐術的心性で済むが、心底ドイツ流の偽善に気づかないとしたら、その愚鈍の方が深刻だろう。
以前のコメント(5月4日・9)で阪神淡路大震災の体験などから【「原理主義的護憲論者」から、「安倍的憲法改正論者」、に改宗した】と告白しているくらいだから‘naiv’な、政治的には幼稚で凡庸極まる人物なのは分かり切っているが、今日の変貌ぶりをみると、他人事ながら何とも痛ましく、複雑な思いにもなる。
それを戦後、欧州大陸での冷戦の最前線で否応なしに再軍備に舵を切った旧西独への認識と、九条の戦争放棄、戦力不保持の「平和主義」への「原理主義的」信仰とをどう接合させたのか、弁明を求めたくもなるが、要は政治的に無知な市井の民としてぼんやりと過ごし、座視してきたのであろう。「齢70にもなって何を今さら、寝ぼけたことを宣っているのか」と思う所以だ。
カ氏の「転向」または「回心」が心底から腹の据わった信条なら、不勉強は戒めたらよい。転向の一つの契機が1995年の阪神大震災なら、あれから23年、一体何をどう処してきたのか。
見境なく自己弁護(ドイツ弁護)に狂奔し、あまつさえ殆ど不案内な古代ギリシアやキリスト教神学、戦前戦後の政治や歴史そのほか西洋の諸分野について「何にでも一家言がある」かのような、それこそカ氏が指弾する進歩的知識人と同じことをしていながら、自ら愧じるところもないご都合主義の欺瞞は覆い難い。戯画と言わずして何と表現すべきか、言うべき言葉を知らぬ。
カ氏一流の論点先取(搾取)の見苦しい見え透いた言い逃れの論理は唾棄すべき詐術にすぎないが、他面、カ氏という特異なメンタリティーについて観察的興味の対象にはなろう。このコメント欄の膨大な記録は、ネット上の「雑音」の典型的な一症例として、カ氏という特異なキャラクター(persona)の存在とともに、真面目に検討されてよい。戦後日本の虚妄は、カ氏のような戦後版の深刻な錯覚を生む紛れもない証左だ。
そこにあるのは、戦前戦後を通じた日本的な「思想の脆弱性」の特質である情動の支配で、ロゴス(λόγος)の重圧に耐えきれないパトス(πάθος)偏重の偏狭な思考、論理を生み、知識人をも巻き込んで繰り返される現実認識の欠落に伴う時局認識の過誤という悲喜劇を再三生み出してきた。
論者は感傷的に弱者や民衆の目線を強調しながら、かえって弱者や市井の人々の現実も論理も心理も、自らの判断基準や構図、自らの器量でしかみない、‘naiv’な理想主義に堕して、暗愚、懦弱(δειλία, ἀργία)そのものとしかみえない醜態を繰り広げてきた。
それが施行後71年、憲法一つ変えられなかったこの国の現実(τὸ γιγνόμενον)であり、知的頽廃である。[完]
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_4002048_po_074202.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
政府見解も下記のように解釈しており、篠田先生御指摘のとおり、自衛権行使と憲法9条2項後段の「交戦権」否認規定は整合的に解釈可能です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b196374.htm
「一般国際法上、「交戦権」については、確立した定義があるとは承知していないが、一般に、戦争自体が国家政策の遂行手段の一つとして認められていた伝統的な戦時国際法の下において、国家が「交戦国」として有する国際法上の諸権利を指すと考えられている。しかしながら、武力の行使が原則的に禁止され、国際法上戦争が違法化された国連憲章の下においては、戦争が違法ではないことを前提とした伝統的な意味での「交戦権」をそのままの形で適用することはできないと考えている。その上で、各紛争当事国は、個別の事例ごとにおける国際法上の根拠に基づき、その認める範囲内で、従来であれば「交戦権」の行使として認められていた措置をとることが可能であるが、当該措置の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるため、一概に述べることは困難である。」
アテーナイ、スパルタ両陣営による27年に及ぶ戦いは結局、専制寡頭支配の軍事大国スパルタが勝ち、ペルシャ戦争以来、ギリシア世界の盟主的存在だった海軍帝国アテーナイは覇権的支配力を失う。もっとも、スパルタにアテーナイに代わってギリシア世界全体を主導する政治理念と指導力はなく、その後の興亡を経てやがて北狄の新たな軍事的新興国マケドニアによって征服され、個々の独立したポリスが共存して個性を競ったギリシア世界の繁栄は幕を閉じる。
私は目下、悠々自適の身であり、折りに触れて繰り返し読んできた実質『ペロポネソス戦争史』である、トーキュディデースの『歴史』を再読している。併せて、ドイツ実証主義史学の碩学ブーゾルト(G. Busolt)の大著『カイロネイア戦役までのギリシア史』を読む。三巻四分冊の最終巻である第三巻第二部は1638頁もあり、ペロポネソス戦争を詳述していて、古い著作ながら(1904年初版)、戦争の各段階をアテーナイの敗戦まで、金石文など根本史料を示しながら、その政治過程と軍事的攻防の全体像を多面的に描き出している。今日なお有用な、貴重な情報と分析を盛っており、各ページの半分以上が註という精細極まる叙述で、ドイツ古代史学の偉大な遺産に参入する趣がある。
トーキュディデースの『歴史』は、同じドイツの偉大な古代史家で、古代エジプトからギリシアまでの古代史を単独で書き上げ、トーキュディデースに関する個別的な研究でも知られるマイヤー(E. Meyer)も着目する。
そこから浮かび上がってくるのは、デマゴーグ(δημηγόρος=ギリシア語の元の意味は「大衆演説家」、「大衆の指導者」)の存在は、アテーナイの政治体制の中では構造的な要素だった、ということだ。ペリクレスという卓越した指導者を欠いて以降、デマゴーグの跋扈によってアテーナイ政治が戦時下で迷走する最大の要因となったとしても、それはプラトンやアリストテレスが原理的に批判した民主制自体の中に潜む不可避な問題だった、ということだ。
アテーナイの民主制は短い内乱の後、紀元前508年の所謂クレイステネスの改革によって確立された。それ以降、武装テロや訴訟手続きに基づかない殺戮が行われたのは、前411年(四百人政権)と前404年(三十人独裁政権)のわずか二度である。いずれも、国家の実権を短期間掌握した寡頭派によってもたらされた。
一方でアテーナイが他の古代国家にみられるような極端な内乱、内紛(στάσις)から自由で、その点は民主制に極度に批判的なプラトンでさえ認めていた。歴史家には周知の事実だが、近代に至るまで、内乱は慢性的なギリシア病だった。
その意味で政治的バランスがとれた国制(πολιτεία)だったとしても内部の恒常的な対立の構図を免れることができたわけではなく、相争う各党派間の政治目的はいずれも政敵の打倒、具体的には相手側の指導者を潰すことに注力された。闘いは各党派の内部でも主導権をめぐって展開され、主要な手法は政治的な裁判であり、密告だった。それが、民主制の制度的構造の一部だった。
極端な直接民主制下では、それが唯一利用できる手段だったからだが、同時に、戦時中のような例外的な状況下で、何らかの政治的意図をもったデマゴーグの跳梁跋扈を許す背景にもなった。
鋼鉄の意志で民衆を叱咤激励して戦争指導にあたり、自ら立案した政策と戦略を説得力に富む論理で推し進めたペリクレスは望み得る奇蹟的な政治家だったが、彼でさえ、常に反対勢力の矢面に立たされていたことを閑却してはならない。絶えず攻撃にさらされていた。アテーナイの政治指導者である条件を最もよく表す言葉として、「緊張」を挙げる歴史家がいる所以だ(M. I. Finley;‘‘Democracy Ancient and Modern’’, 1985.)。
いずれにしても、ペロポネソス開戦後二年余で「第一人者」と称された、この強力な指導者ペリクレスを失ったことでアテーナイは迷走し27年に及んだ長期戦の末に力尽きる。
ところで、ギリシア語で支配、統治(権)、支配権に当たる言葉は[ἀρχή or ἄρχειν]である。民主主義の発祥地アテーナイは当時のギリシア世界最大の海軍帝国だった。民主制が確立するのはクレイステネスの改革以降だが、5世紀後半の完全な民主制は帝国の根源である海軍力がなかったら導入されることはなかった(Finley)。
つまり、その民主制は意思決定に際して、財政的、軍事的負担を負う富裕層により大きな比重をかける一方で、貧民層にも一定の政治参加、即ち役人を選ぶ権利を与えるという妥協の産物だった。
アテーナイの帝国主義支配という場合の支配=アルケー(ἀρχή)は文字通り「始まり」「出発点」の意味だが、「支配」の意味をもつようになったのは、多くの歴史学者等の見解では、始めにある「第一者」と「支配」する者とが重なるためだろう。
ラテン語を充てるならprincipatus またはimperiumに相当し、今日でいう「帝国主義」につながる訳だが、アテーナイのギリシア各国への支配の構造を浅薄な類推で近代の帝国主義(imperialism)と同一視したり、ローマ帝国の世界支配(‘Pax Romana’)に重ね、さらに冷戦後の米国の一極支配(‘Pax Americana’)に無批判に拡張する見解が左翼陣営などに根強いが、imperialismという考えを表すギリシア語はない。
Imperiumは首長である第一者の主要な役割である「命令」を意味し、一方[ἀρχή]は、今日われわれが頻繁に使うヘゲモニーの元の言葉であるヘーゲモニアー(ἡγεμόνεια)に置き換えられる(田中美知太郎『ツキュディデスの場合』参照)。
最後に、近代の代議制民主制下での民主制理論について。その代表格である経済学者のシュンペーターは、しばしばエリート主義と批判される著名な定義を下す。
「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置である」――シュンペーターは、この「決定力」を文字通り「政党の指導者たちが決めるものであって、民衆ではない」とする(『民主主義・社会主義・資本主義』)。[完]
松山健二さんの論文(「憲法第 9 条の交戦権否認規定と国際法上の交戦権」を投稿してくださった方がおられた)を、読んでみた。この解釈を取ると、2項と3項は論理的につながる。つまり、日本国憲法9条は交戦権を放棄し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としての戦力を放棄したのであるが、交戦権、は現在の国際社会にないし、日本国憲法は、自衛権行使のための軍隊まで放棄したわけではない。
「国際社会」でも、国際人道法において武力による威嚇又は武力の行使は、 自衛権の行使と第7章に基づく措置を除いて禁 止されている。つまり、国際法からみた場合、個々 の武力行使を呼ぶときに戦争という言葉を使用 していようがいまいが、国際的な武力紛争は法 的根拠からみて、自衛権の行使、第7章に基づ く措置、違法な武力行使のいずれかに分類され 違法な武力行使に分類される場合、国権の発動たる戦争は、違法なのである。
パリ不戦条約、戦争違法化以前は、戦争の原因や目的等 に関係することなく交戦国には、「戦争を遂行 するための無制限の権利」である「国家が交戦 者として有する権利」が認められていたのであるが、現在は、自衛権の行使、国連憲章第7条に基づく措置、以外は、違法になったのである。
反氏の私への批判、であるが、転向の転機は、なんども書いたと思うが、ヨーロッパ滞在なのであって、ベルリンの壁を見たこと、冷戦下のプラハ、そして、西ドイツが、集団的自衛権で国を守ってきたこと、永世中立国のスイスに徴兵制があることを知ったことである。
つまり、ヴァイツゼッカー演説の中にある、
「いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。」という言葉なのである。
このHeimatliebe「故郷への愛」は、ナチスウィーン侵攻80年の今年のウィーンのコンサートのテーマでもあったが、それは、ヴァイツゼッカー演説が、30年以上たっても、ドイツ語を母国語とする隣国のオーストリアでも受け継がれている、ということのなによりの証明である。
井上氏の年来の主張である「9条削除論」について、私はこれまで何度か本欄で取り上げたので改めて繰り返さないが、一つの首尾一貫した非妥協的な解釈として、論理的に最も明晰で徹底した改正プランであると思う。但し、その実現可能性は井上氏自身も認めているように、ほとんどない。
それは、謂わば現行の9条の規定(特に二項)と現状=自衛隊の存在や日米同盟という「矛盾」を解消するため、矛盾の原因である現実ではなく、法の規定自体を削除することで技術的に解消しようという試みであり、その法益を考えれば、井上氏の解釈では紛れもない9条二項が禁じた「戦力」に相当する自衛隊を、国際法上の実態である世界第7位の通常「戦力」を有する「軍隊」として認知し、新たに現行法に全く規定がない「戦力統制規範」を条文化する道を開き、現実の安全保障環境に対応させる国際標準化に資する、という「欺瞞解消の勧め」だろう。
厳密な論理的、概念的思考を専門とする法哲学者らしい、知的に誠実な態度だと思う。研究領域こそ違え、同じ哲学の学徒として、硬直した護憲派や安保政策上の惰眠を貪る多数派の国民を前に如何に実現は絶望的だとしても、その趣旨に私自身も賛意を惜しまない。
しかし、私が篠田説を支持して井上案と決定的に立場を異にするのは、そもそも自衛隊は最初から紛れもない軍隊であり、自衛権を担保する、しかも二項の「戦力」には当たらない武装組織である正真正銘の軍隊として、現行でも認定可能だという点に尽きる。
仮令憲法学通説がどのように概念規定しようと、現行法の改正過程と国連憲章、確立された国際法規範に照らして、「自衛隊=軍隊≠戦力」。師の碧海純一の衣鉢を継ぐ井上氏ほどの研ぎ澄まされた論理意識の持ち主が、九条解釈に限って、旧弊な憲法学通説と同じ立場なのは理解に苦しむ。恐らく、素直に(形式的に)、非密教的に、虚心坦懐に条文を読めば自衛隊は「戦力」としか解釈できない、という形式論理によるのだろう。論理的潔癖性と言えなくもないが、パリサイ的偽善だろう。
経験的実在論者にして超越論的観念論者であるカント風に言えば、そこには法律上の事実問題(quid facti, quaestio facti)と権利問題(quid juris, quaestio juris)との混同があるのでないか、と思えなくもない。自衛隊の法的正統性、妥当性は所与の問題であり、井上氏も重要視する憲法98条二項(条約、確立した交際法規遵守)に則って、9条を高柳賢三流に「宣言規定」とみればよいわけで、安倍改憲案の中途半端さ加減は指摘の通りだが、止む得ざる政治的判断だろうし、単なるレガシー作りとだけは言えまい。
伊勢﨑氏の、二項の法理学的矛盾=国際人道法違反は、一つの見識であることは充分納得できるし、平和構築(専門は武装解除)の現場で条文と国際法規との齟齬を厭というほど経験している氏ならではの批判だが、これも畢竟は「宣言規定」故の矛盾とみれば、事態を少しづつ変えていくしかない。
現行規定を削除して、二項に「日本の陸海空領土内に限定した迎撃力をもつ。その行使は国際人道法に則った特別法で厳格に統制される」なる新規定の追加は、趣旨は了解するが、彌縫策にとどまる。
いずれにしても、両者の護憲派の欺瞞、思考停止、懈怠、知的頽廃への指摘は全く同感で、最近の同番組の討論の中では出色の論理的明快さだった。
とにかく、反氏はたくさんのコメントを書かれているが、ブログの内容ではなくて、私個人に対する非難が際立っている。
私の主張は他の人(現実には、ほとんと反氏のコメントしかないので、反氏と比べた場合、ということなのだろうが)と比べて力量不足が歴然としており、類を見ない粗野さを所有し、悲痛なほどの狂信的で攻撃的な姿勢をもっているそうだ。そしてもし、私が自分の誤謬や弱点を明晰に認識していれば、私はメンツを保つために体面を装う欺瞞や詐術的心性をもっており、もし、心底ドイツ流の偽善に気づかないとしたら、私が愚鈍である、と主張しておられる。
論争を呼んでいる条項(9条2項)を削除する案は、すっきりした案ではある。しかし現行の条文を維持したまま、違憲性の疑いがあると指摘されてきた事柄の合憲性を確立すれば、現行の条文を前提にした憲法解釈の仕組みが確立されるはずなので、それはそれで望ましいことだと私は考える、とされているが、それが、芦田修正の日本国憲法9条解釈だ、と主張しているのが私なのである。 単に自衛隊の合憲性を明示するだけでは不足感があるのは、自衛隊という名称の組織の合憲性が確立されても、自衛隊の活動の合憲性が確立されなければ、あまり意味がないからである、
つまり、軍隊として活動する自衛隊の合憲性が憲法解釈として確立されることが、もっとも望ましいとあるが、これも、「日本国憲法9条」の芦田解釈でクリアーできる。
しからば、吉田に匹敵ないし凌駕する、戦後の新たな生き残り戦略を模索し、一切の感傷を排して貿易立国の基盤を外交と安全保障環境を調えることで確実なものにし、高度経済成長を通じて再び、戦前の五大国の水準には達しないまでも先進主要国の地位に復帰させる先導役を果たしたのは、カメレオンのような比類のないリアリスト、岸信介であろう。
戦前は師の上杉愼吉の勧めを断って官界に身を投じた稀代の秀才で、革新官僚として大陸経営に辣腕をふるい、統制経済を推進し、東條内閣の一員にしてA級戦犯として獄につくも戦後、冷戦の激化ともに世界戦略を修正した米国の意図も手伝って独立回復後に政界に復帰し、実力者として保守合同の立役者となり、わずか五年で印綬を帯び首相となった人物である。
その権謀術数ぶりから毀誉褒貶が絶えないが(「両岸」「昭和の妖怪」)、米国の支持を取り付け(意を体して)、新米路線(反共路線)を徹底して進めるという、凡庸な人物にはおよそあり得ない経歴の持ち主である。コメント192~193で言及した伊勢﨑賢治氏は日本が地政学的に米国の「緩衝国家」であることの安全保障上のリスクを説いたが、「何を甘っちょろいことを…」と、岸なら一笑に付したろう。
先ごろ自民党総裁三選を果たし、同じ長州・山口出身である桂太郎の首相在位最長記録を抜く、歴代一位が射程に入った安倍晋三首相の母方の祖父である、この昭和の巨魁はたぶん、希望(ἐλπίς)という名の「夢」などみない覚醒した人物に違いない。政治目的を離れた美名(κάλλος)も必要とはしまい。
安保改定という為すべき仕事を果たして任期半ばで首相を辞し、政界の表舞台を去った。
プラグマティストぶりが際立つ岸のような人物の自覚の中に、挫折の二文字は恐らくない。メディアの評価など歯牙にもかけまい。ただ、戦前同様、果実を楽しむ暇がなかったのを憾んだかもしれない。
岸が安保改定と並ぶ大きな政治課題として立党の党是と掲げた憲法改正はその後、「保守本流」=親米ハト派路線という一面的評価が定着した池田勇人以降、二度の短い在野期間を経て今日に至っている自民党政権がお題目として残した戦後の難問になり、政権の長期化とともに凡庸な後継者たちの懦弱と懈怠から、お荷物ともパンドラの匣ともなった。
畢竟、衆参両院とも総議席の三分の二を超す勢力を率いる安倍首相の歴史的使命は憲法改正という宿願を何らかの形で緒に就けることしかあるまい。大げさに言えばヘーゲル流の世界精神(Weltgeist=「歴史の発展を支配する力は世界精神であり、世界精神が道具として用いるのが国民精神と偉大な人物であり、各国民は世界精神の一定の契機(Moment)の表現にすぎない」)に根差した理性の詭計(List der Vernunft)であろう。
それを安倍氏自身がどの程度自覚しているか、想像のほかはないが、結局、時代(または時代精神)が人を選ぶのである。吉田、岸はもとより、チャーチル、アデナウアーから古代ギリシアのテミストクレス、ペリクレスと撰ぶところはない。いずれも、国家の大計を熟知し、自らの歴史的使命を直観できる知性の持ち主だった。
若き日の成功と挫折、その後の復活もどことなく似ている祖父と孫――岸同様、安倍首相に感傷も気負いもあるまい。いかにも中途半端な改憲案ではあるが、何もしないよりは次善、三善の策として、衰退のシナリオもちらついてきた政治的に成熟しない国と国民に問うしかない。
また、1964年10月16日に中国が初の核実験を成功させたことに危機感を覚え、直後の1965年1月12日よりアメリカのホワイトハウスで行われた日米首脳会談において、当時のリンドン・ジョンソン大統領に対し、日本の核武装を否定した上で、日本が核攻撃を受けた場合には日米安保条約に基づいて核兵器で報復する、いわゆる「核の傘」の確約を求め、ジョンソンも「保障する」と応じたことが公開された外交文書から明らかとなっている。また、翌13日のロバート・マクナマラ国防長官との会談では、「戦争になれば、アメリカが直ちに核による報復を行うことを期待している」と要請し、その場合は核兵器を搭載した洋上の米艦船を使用できないかと打診し、マクナマラも「何ら技術的な問題はない」と答えている。
私は、ヘーゲルの、「世界精神が道具として用いるのが国民精神と偉大な人物である」などという絵空事を信じない。国民が、我々一人一人が、主体的に、歴史の真実を知り、同じような間違いをすることを避け、理性的に冷静に政治指導者を選んではじめて、その国民は、幸せに生きられる、と確信している。また、それが、「ヴァイツゼッカー演説」の骨子である、とも思っている。
「無学」(‘sine litteris’)の自覚の欠如が歴然としたカ氏に最も欠けているのは、そしてG. JellinekもH. KelsenもC. Schmittも恐らく一行も読まずして、素人の気楽さと「篠田説」の一知半解で愚にもつかない冗語を撒き散らす、粗野で☆鈍な退屈極まる、検証されざる固定観念=「常識」という名の頑迷極まる聖域(sanctuary)に棲息するちっぽけな陳腐な魂ゆえの悲壮な叫びなのだろう。
それだから、「七十而從心所欲、不踰矩」の齢70近い老媼にして、季節はずれの悲憤慷慨(indjgnants)に現を抜かすことになるのだろう。
「仕合わせな人々の節制は、幸運にめぐり会って静かに落ち着いた気分から生まれる」と古のモラリストは述べたが、笑止ながら、よほどカ氏の自負心にかかわる情念的frustrationが内訌しているのであろう。常ながらの夜明けの「恨み節」は、それを何より雄弁に物語っている。
80末尾の引用=μήτε γράμματα μήτε νεῖν ἐπίστωνται(‘‘Νόμοι’’689D)は「文字も知らず、泳ぎも知らず」という古代ギリシアの諺である。言わずと知れた「無学」の譬えである。
☆傲慢は、何があろうとどこかで元を取る。虚栄を棄てる時ですら、何ものをも失わない(33)。
☆年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる(93)。(La Rochefoucauld; ‘‘Réfleexions ou Sentences et Maximes morales’’, 1678.)
私はヘーゲルは読まないが、ヴァイツゼッカーは読む。Vier Zeiten、も読んだし、岩波書店発行の「歴史に目を閉ざすな」、も読んだ、そして、おっしゃる通りだと思うのである。彼は、歴史の解釈は、専門家に任すのではなく、国の政治家、精神的指導者が参加する必要がある、と考えられている。それは、国の政治家が自国の戦時中の行為を歴史的に評価できなかったり、戦争を始めたのが誰であり、自国の軍隊が他国でなにをしたのか知らなかったり、戦利品に手をだしておきながら、他国に対する攻撃を自衛だ、と解釈することがあったら、隣国から政治的・倫理的判断力に欠ける、なにをするかわからない危険な国だとみなされ,外交上の重大な結果をもたらす、だけでなく、自らの歴史と取り組もうとしない人は、自分の現在の立場がわからず、過去と同じことを繰り返す危険があるからである。(p56)
世界精神がその事件を引き起こした、などという姿勢は、歴史を冒涜するものだ。誰がなにをし、その行為は正しかったのか、間違っていたのか、をきちんと押さえることこそが、将来への布石になる、と私は思う。
道理で、いつも壊れた蓄音器のように「♪首都ボン・ブルース」(ヴァイツゼッカー1985年演説の場所)が本コメント欄に頻出するはず。ネット空間の発信を「雑音」と称して眉を顰める向きがあるが、それは脅威の独断的ドイツ観を撒き散らすカ氏の歪んだ独善的感性にこそ相応しい。
ユダヤ人大量虐殺を含む先の大戦での犯罪行為から、ドイツ人(民族)が国家、民族への批判、攻撃への共同防衛に走らざるを得ない事情と心理は理解できなくもないが、当然ながらドイツにも「良心的知識人」はおり、それは何もフランクフルト学派に限らない。だから、「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐって、演説の翌1986年から「歴史家論争」が起こった訳だ。
その中には、▼新しい歴史意識とナチズムの相対化=ハンス・モムゼン▼各人の立場はどこで分かれるのか――国民宗教の代用としての歴史を持ち出しても無駄である=マルティン・ブロシャート▼一種の損害補償――ドイツにおける現代史記述の弁護論的傾向=ユルゲン・ハーバーマス▼研究には禁じられた問いはないはずである=アンドレアス・ヒルグルーバー――のような、懐疑的な問いが目白押しだった。
カ氏同様、ドイツの庶民がいかにカントやヘーゲルを読まないからといって、カ氏ほど反知性主義的でもあるまい。
「歴史家論争」の内実も知らない程度の「ドイツの大衆」レベルの現地事情通にすぎないカ氏は、とても信頼に値する人士とは思えない所以だ。
カ氏が唾棄し、嫌悪して止まない護憲派の憲法学者さながらの詭弁の論理、つまり出来の悪い「ソフィスト」の論理と同じである。「出来の悪い」と評する所以は、ソフィストの知性は、カ氏のような粗雑な論理を容赦しないからだ。
カ氏はその独善的な反知性主義にも拘わらず、というか、それ故にと言うべきか、度を越した政治主義に傾いており、それを戦後の西ドイツ同様、冷戦下で共産主義ファシズム、端的にソ連の「平和攻勢」という名の覇権主義的膨張政策、革命の輸出に抗して、わが国の政策責任者は国家としての基本的選択を誤ることはなかった事情を、自己に都合がよいようにのみ解釈する「弱論強弁」のプロパガンダに悪用している。超一流の哲学者ヘーゲルだったら、絶対犯さなかった愚鈍だ。学識は転ばぬ先の知恵、羅針盤なのだ。
以前に紹介した京都大学哲学科主任教授で、デカルトの研究者として著名な野田又夫(1910~2004)が、一般的に哲学や哲学者が、現実を軽視した観念的な思弁を専らとするかのように誤解されることの愚かさを指摘しつつ、哲学第一の任務は「科学の科学」としての論理的分析を徹底的に追究することであり、「世界観の探求においても、高度の論理的客観性の要求を、みずからに課する用意がなくてはならない。これが哲学に要求される禁欲である。哲学者とはみずからの満足のためや、人心に訴えるための論を構えようとはせぬ者のことである」(『哲学の三つの伝統』)と自らを厳しく戒めていたのと対蹠的な姿勢こそ、野田と異なり「無学」そのものであるカ氏の独善的主張である。
カ氏にはあるいは、ヴァイツゼッカー大統領自身も驚く倫理の飛躍があるとも言える。贔屓の引き倒しが如何に愚劣か、一度立ち止まって考え直したらよいのではないか。
を無視して、京都大学哲学科主任教授で、デカルトの研究者として著名な野田又夫(1910~2004)さんを持ち出されるから、読者は、私が独善的な反知性主義なのかもしれない、と思うのである。反氏の主張は、コメント117で書いた主張、「お前は芦部先生と違う、芦部先生は偉大だ、したがってお前は間違っている」、のパターンの、芦部先生のかわりに野田又男さんがきているのである。
私は、手塚富雄さんと神品義夫さんの「ドイツ文学案内」、「岩波文庫」で、ヘーゲルの生没年を調べた。たしか、ゲーテと近いのではないか、と思ったのだ。すると、ヘーゲルはゲーテの没する一年前に亡くなっている。当然、ゲーテはヘーゲルの業績をよく知っているわけで、この発言は、なにを示すか、考えてみられたらいい、と思う。
沖縄知事選で安倍自民党は負けた。憲法9条安倍流改正は、前途多難だな、と改めて思う。
ルターも、ギリシャ語やラテン語の読めないドイツの民衆は、ローマ法王の行為を、聖典である聖書からみてどう考えるのか、という意図で、エラスムスの編纂したギリシャ語の新約聖書を、ドイツ語に訳した。つまり、その判断を、「ドイツ民衆の常識」に託す、言い換えれば、「キリスト教の知識が山ほどある聖職者」の判断の上においたのである。そして、現在は、カトリックもルター派のプロテスタントもキリスト教として認められている。つまり、「数の原理」でものごとがきまる「民主政治」、というのは、本来この基盤の上に成り立っているし、私は、「良識ある民衆の判断」を「知能指数だけ高い未熟な知識人の判断」より、信頼する。
所謂、文明から隔絶された北辺の異民族、北狄(βάρβαρος)の面目躍如だ。同じ語源の[βάρβαρίζω]は、ラテン語ではなくギリシア語が支配階級の言語であったローマでも「ギリシ語がをうまく喋れない」という意味で、「非文明人」を意味した。文明化の段階、程度を知る一つの指標だった。以上は、西洋史を学ぶ者の「常識」である。
ドイツ語が近代語としての成生が英仏西伊に比べて極端に立ち遅れたことも一つの要因となってドイツ文化の「後進性」につながり、フランス語では長らくドイツを複数形で‘Les Allemagnes’と侮蔑的に呼んだ背景だ。‘Les Allemagnes’は即ち、‘C’est de l’allemande pour moi.’(「私にはチンプンカンプンだ」)という言い方がある通り、夷狄(βάρβαροι)の表徴となる。ドイツの最初の偉大な哲学者であるライプニッツの主要著作はフランス語で書かれていることも、カ氏が知らないだけで周知の事実だ。
それにしても、野田又夫はともかく、世界標準から隔絶したガラパゴス的進化を遂げた憲法学通説を大成した日本の一学者である芦部信喜と、カントやヘーゲルを同一に並べるカ氏のハイパーな「常識」、神経に驚愕する。それ即ち、カ氏には単なる常識を超えた「良識」(bon sens)がものの見事に欠落している証左だろう。ライプニッツもカントもヘーゲルも、今や世界の文化的遺産というのが、知的教養層の「共通認識」という意味での常識である事態に無頓着でいられるのは、カ氏が紛れもない似而非教養人である理由だ。
ヘーゲルの生没年を粗末な資料で調べ、反論材料に使うなど、驕慢と知的怠惰も著しい。
しかしながら、よくみると、マハティール首相は、憲法9条を侵略戦争放棄の趣旨と解して、その変更に反対しているものである。
安部首相改憲案は、侵略戦争放棄に関しては一切変えることなく、単に自衛隊保持の合憲性を明確化するものに過ぎない。
すなわち、マハティール首相が安部首相改憲案に反対しているというような捉え方があるとすれば、それは間違いであると思う。
日本語の普通の文章を、普段の粗笨な読み、時にとんでもない曲解に基づいて独り芝居に等しい妄説を次々に繰り出してきたカ氏の性癖、「無学」に由来する偏狭は過去の奇矯な言説の山=集積である本コメント欄の夥しい駄文が何よりも雄弁に物語っているが、私の立ち位置が未だに了解できぬ程度の☆鈍な人物らしい。
これでは、カントどころか、ヘーゲルもハイデガーもアドルノも正確には読めまい。読んだところで、途中で放り出すに違いない。真理の探究など最初から眼中にないからだ。自らの立論に都合のいい一節を見つけ出せればそれでいいという程度の、見下げ果てた知的怠慢著しい反知性主義者なのだろう。
その点で、カ氏は誠に無知蒙昧なドイツの民衆と同程度の凡庸な市井の人、ただ東洋の果ての島国から、ドイツへの熱い思いを抱いて留学し、初めて体験した認識の風景の違いに最初は戸惑い、やがて心酔した挙げ句に舞い上がっているnaivなドイツ信者で、過激な政治的言辞を弄ぶ齢70に近い凡庸な人物、ということになる。凡庸で陳腐なこと自体が格別悪い訳ではない。市井の善良な人々にはそれぞれ仕事があり、興味関心も性向も異なるというだけだ。
だから、知的虚栄心だけでJellinekやケルゼンはもとより、カントやヘーゲルを読まないまま無分別かつ無謀に何にでも口を出す自制心の欠片もない御仁が自らの立論の楯としても無駄だというに尽きる。
留学して、東独に行って初めて社会主義陣営の悲惨な現実を知った、という程度の人物に、政治や歴史、民主主義の本質の何が分かるというのか。
反氏の設定によると、私は、東洋の果ての島国から、ドイツへの熱い思いを抱いて留学し、初めて体験した認識の風景の違いに最初は戸惑い、やがて心酔した挙げ句に舞い上がっているnaivなドイツ信者で、過激な政治的言辞を弄ぶ齢70に近い凡庸な人物という設定になっている。反氏が、ゲーテやヴァイツゼッカーさんを田舎者」、と名付けたのと同じ感覚である。
私は神戸育ちだし、親戚には、欧米人と国際結婚をしている人、欧米に暮らしている人が多い。また、ドイツの前にアメリカにも行き、アメリカ学も勉強した。ドイツ留学は、父の勧めである。父は京大の哲学科を卒業したから、カントやヘーゲルへの思い入れも強く、大学生時代、「若きマルクスの思想」を読んだときに、色々説明もしてくれた。そして、若い方が、感受性が強いから、自分の代わりにと、行かしてくれたのである。私は別に舞い上がったわけではないが、私の感性には、アメリカよりも、西ドイツの方が合う、と思った。そして、就職先としてドイツ企業を選んだ。その為に、経済に強くなった。また、やめてから通訳や翻訳の仕事もしたので、ドイツ文化や歴史にも詳しくなった。また、通訳養成コースというのは、政治的な教材が多いので、ドイツの政治にも詳しくなった。
そういう私の目から見ると、反氏の主張は、ドイツ人の常識ではない、異常の一言に尽きるのである。
私が「マスコミ出身の人らしく、自分の憶測に基づいて、話を作り上げる人」と言うが、それに反論する具体的な事実と根拠が本欄で提示されたことは絶えてなく、説得力に富む文章で論証された形跡もない。形勢不利とみるや、常に話をすり替え、ゲーテやヴァイツゼッカーへの信仰告白に逃げ込む。両者を揺るがぬ「世俗的」権威だと信じて疑う気配もない、あらゆる前提を排した徹底した探求が最優先という学問の精神からこれほど遠い人物も稀だ。
辺りかまわず反撃らしき言辞を振りまいて問題の本質から読者の関心を逸らすことに躍起だ。それも無理筋とみるや、学校で習ったことと違う、世間の(時には「国際的」な)常識とは違うの奇妙な独善的態度の一点張り。本日1日、免疫遺伝学者本庶佑氏のノーベル医学・生理学賞受賞が決まったが、カ氏流の世の「常識」と異なると、学問自体に真理の判定基準はなく、曖昧模糊とした「常識」しか存在しないことになる。留学体験を云々しながら、「学問」の周縁に終始した劣弱学生の典型をみる思いがする。
まともな文章一つ書けない。Weizsäckerの表記がいつの間にかヴァイツゼッカーになったと思ったら、再びワイツゼッカーに戻る、定見なき気まぐれと不安定ぶり。およそ、一定以上の知性の持ち主なら滅多に起こらない珍現象がカ氏の場合は頻繁に起こる。
「就職先としてドイツ企業を選んだ……通訳や翻訳の仕事もした」程度の陳腐な経歴のどこに「ドイツ通」を誇る根拠があろう。むしろ、その割には肝腎なことを少しも知らない。無知蒙昧な庶民と大して変わらないではないか。GoetheとWeizsäcker程度では、箸にも棒にもかからない。
お気の毒だ。
自らの「無学」の責任逃れを、かつて高校時代に学んだ東大政治学科卒の恩師の教え(ソクラテス、ソフィストに関して)や教科書的「常識」=国際的常識に帰していたカ氏とは随分違う。そもそも本物の学問の徒である本庶氏と似而非教養人=教養の俗物(‘Bildungsphilister’)にすぎないカ氏を並べること自体馬鹿げているが、カ氏がゲーテが重きをおいた「常識」を語っているようで、実態は単なる世論(öffentliche Meinung)への迎合という「自己陶酔」に浸っているにすぎない知的頽廃を憐れに思う。
それはともかく、「無学」のカ氏など思いも及ばない本当の知的伝統について、ドイツの名誉のために私なりに指摘できることは、その学識と政治的知性において、友人の一人であるゲーテなど足元にも及ばないW. von Humboldt(1767~1835)である。
フンボルトはゲーテが仕えたヴァイマール公国のような田舎宮廷とは異なるプロイセンの国務相で、近代言語学の確立に貢献した。ゲーテの最後の書簡の相手。ベルリン大学の創設者の一人でヘーゲルの同僚であり、ギリシア・ローマの古典的教育を中軸とする新人文主義的なギムナジウム教育の基礎を築いた。遅れて開花したドイツの人文主義的教養を代表する正真正銘の知の巨人として、多面的な業績を残した。
前置きはこの位にして、フンボルトの学問上最も特筆すべき業績が言語学に関する独創的な学説だ。『ジャワ島のカーヴィ語について』(全3巻、1936~1939年)と題した主著で最晩年に没頭した言語学上の古典であり、多年にわたる言語研究の総決算だった。
『カーヴィ語研究序説』と通称されるこの不動の古典的著作の内容に立ち入ることは避けるが、その最も著名な命題、「言語は既成の成果(エルゴン=作られたもの)ではなく、一つの活動(エネルゲイア=常に新たに創造する働き)である」=‘Sie selbst ist kein Werk[Ergon〔ἔργον〕], sondern eine Thätigkeit[Energeia〔ἐνέργεία〕’]に集約される、言語の機能と本質に関するフンボルトの洞察こそ、近代民族語としてのドイツ語の確立が遅れた精神的「後進性」の桎梏があったからこそ可能になった意識的な言語学研究の成果であったと言える。
言語は人間の精神形成上の不可欠な手段であり、個人と個人、個人と民族を結びつけ、民族を人類全体に繋ぐ契機になり、人間性の主観と客観、有限と無限、外界と精神、過去と現在の媒介者になるということを、言語の本来的機能から論証する。
フンボルトのこの独創的見解は、カッシーラーなどによる20世紀の新たな言語の哲学的研究の先駆ともなり、今日なお汲み尽くせぬ言語に関する原理的思考の源泉となっている。ゲーテやシラーなど大衆に親しまれる皮相な文学的遺産にとどまらない、真のドイツ的知的伝統の豊かさを物語る。それはまた、19世紀のドイツを中心に開花した印欧比較言語学の研究の嚆矢にもなる。
カ氏のドイツ文化の理解が如何に一面的で浅薄かを物語る事例だろう。
それは、その原書を読んだか、読まないかは、無関係で、例えば、「ニュートンの万有力学」の原書を読んだ人は、ごく少数であるが、ほとんどの人がニュートンの「万有力学の法則」を知っている、という意味で、シュミットと、ケルゼンと、イエリネックの三人の理論の差はわかる。反氏は、通訳の仕事を馬鹿にされるが、そんな生易しいものではない。帰国後、英独ができるのなら、ということで、半ば就職の形で、同時通訳の学校に通っていた時、その講習会で、「実際に、できなくてもいいけれど、どういう仕組みでそうなるのか、専門的なこともよくわかるまで、準備して仕事にあたらなければならない。」と習った。語学力だけではなくて、色々な分野の専門知識も必要なことがよくわかり、とても、自分にはできない、と英独を使うOLになった。
ウィーンのオペラ座のすぐそばに、ゲーテとシラーの像が、向かい合って立っている、と書いたが、ウィーンで活躍していたベートーヴェンは、ゲーテを敬愛し、ゲーテに認められることを念願していた。シューベルトも同じである。ベートーヴェンの第9は、日本人が大好きで、ドイツ語でその合唱のパートを歌う人が、私の周りにも多いが、これは、シラーの「歓喜の寄す」に音楽をつけたものである。ベートーヴェンは、こう述べている。「シラーの詩は、作曲するのがなかなか難しい。作曲家は自分自身を、詩人よりよほど高揚させなければならない。シラーとなると、それができる人などがいるものだろうか。その点、ゲーテはずっとやりやすい。」と。それだけのことを「楽聖ベートーヴェン」に言わせるゲーテとシラーを、ただ、「大衆に親しまれる文化的遺産」、と形容することが、まともなものなのか、よく考えていただきたい。
私は、全く実態は単なる世論(öffentliche Meinung)への迎合という「自己陶酔」に浸っているのではない。そうではなくて、ゲーテの主張、まず哲学を除いた一つの立場、いわば「健全な常識」の立場というものがあり、常に芸術や学問というものは、哲学からの独立を保つとき、自然そのものの人間の力を自由に発揮して、いつも最大の繁栄を遂げて。。つまり、学問の追及は、哲学から独立しなければならない、という言説が真理、だと主張しているのである。マルクス歴史学、経済学、はマルクスの哲学に学問が支配されたからおかしな理論になってしまった、ということがそれを端的に表している。
ノーベル受賞のの本庶佑氏が記者会見も、コメント158に書いた私の主張と全く矛盾しない。ソクラテスは、人間として善く生きるためには、すべての人々が自分自身の力によって能動的かつ主体的に知の吟味と探究を進めていくことが必要であり、そのような自分自身の力によって見出された真理でなければ、その知には人間を善い生へと導くための十分な力が生まれないと考えていた。本庶佑さんは、学校の教科書に左右されず、能動的に主体的に知の吟味と探求を進めてゆかれたから、真理を見出され、ノーベル医学、生理学賞を授与されるのではないのだろうか?逆に、「マスコミの作り上げる世論」を信じず、知の吟味と探求をすすめていき、学校の教科書が真理だ、と結論づく場合も当然ある。
言わずと知れたことで、カ氏以外の良識(bon sens)ある人士には周知のことだろうが、ソクラテスは何も無知を推奨している訳ではない。「無知の知」とはソクラテス一流の逆説、所謂‘εἰρωνεία’(しらばっくれ、皮肉、からかい)であって、ソクラテスこそ無知を最も厳しく戒めているのだから。
一切の著作を残さなかったソクラテスは主としてプラトンの対話篇やクセノポンのソクラテス関連文書以外では具体的な主張が確認できないため、カ氏のような「無学」の粗忽者から誤解されるようだが、「無知の知」は知恵(σοφία)や真の知識(ἐπιστήμη)を排斥せず、むしろ推奨してさえいる。だから、ソクラテスは西洋哲学史上の重要人物に位置づけられている。「無知の知」だけでは哲学(φιλοσοφία)も何もあったものではない。その点をカ氏は少しも分かっていない。
『ソクラテスの弁明』は読んだようだが、それなら「最大の賢者(σοφός)とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚する者である」(『ソクラテス弁明』23B, 27 A, 38 C)というソクラテスの発言の含意さえ全く理解できていないことになる。つまり、そこで「実際には無価値」とされた知恵が何なのかを、という意味だ。
ソクラテスは、世間で知者とされ尊敬を集めている有力者や詩人たちを厳しく吟味(ἔλεγχος)してその無知ぶりを暴いたことで恨みを買った。
その点が、徳の知恵を「求める」ソクラテスと、知者を「名乗る」ソフィストの違い、というからくりだ。「無学」(‘sine litteris’)の哀しさで、カ氏にはどうしてもその点が理解困難なようだ。未だに女子高校生レベルだからだろう。
知を愛し求める(φιλοσοφεῖν)ソクラテスの哲学の精神とは、魂の気遣い、配慮と称されるが、それは徳=魂の善さ=アレテー(ἀρετή)を人間にとって最大の知恵としてひたすら求める故であり、不確実な自然界の真実その他の領域の知的解明を断念したがゆえの哲学者(Φιλόσοφος)ソクラテスの立脚点だということを知らなくてはならない。
いずれにしても哲学は、カ氏が早とちりするような、教訓を得るためのケチ臭い知的作業ではない。
「無知の知」についてはこの有様だから、一行も読みもしない「シュミットと、ケルゼンと、イエリネックの三人の理論の差はわかる」といったような虚勢は笑止千万。いい加減に知的倨傲(ὕβρις)くらい改めたらよさそうに思うが、未だに居直っていて悲惨というか滑稽である。これでは、つける薬がない。
カ氏は「通訳の仕事を馬鹿にされるが、そんな生易しいものではない」と言うが、別に馬鹿にはしていない。カ氏の発信をみて、せっかく英独語の知識がありながら、軽蔑されることばかりしていて、政治や歴史、民主主義の本質(と限界、問題点)について何も分かっていない、と指摘しているだけだ。
W. von Humboldt=フンボルトと「ゲーテやシラーは親交」があり、良好な関係だったことは私も承知している。両者相手に限らず、フンボルトは17巻本のプロシア王立アカデミー版全集(Walter de Gruyter版は22万円で買える)に収録された以外に膨大な書簡を残している。
ただ、「お互いに認め合っていた」ということの実態は、カ氏が考えるほど単純ではない。フンボルトは懐の深い柔軟性のある、適応性に優れた人物でそれ故に語学の達人なのだが、カ氏が思うほど手放しでゲーテやシラーを評価していない。厳しい評価もしている。
カントに反撥しつつもカントのような「深さ」=思索の徹底性が自らに欠けていることを賢明にも認めている。フィヒテとの親和性も窺えるが思弁の人ではなく、ヘーゲルのようなある種の才能も資質も自らには欠けていることを認めている。フンボルトの思想的立ち位置はカントとゲーテの中間、幾分、心情的にゲーテ寄りだろうか。所詮は大衆受けする文豪=文士にすぎないゲーテとの決定的な違いは、その有り余る学識である。自己を律する節度、自制心(σωφροσύνη)で孜孜として学に精励した。言語学に関しては比類がない。同時に政治家でもあった。
だから、言語学的にみたドイツ語、ドイツの精神的「後進性」に極めて自覚的だった。その自覚こそが認識を生み、学問に結実する。
よく考えもせず、反射的に粗雑極まるコメントで応酬した気になっている「無学の女王」カ氏には無縁の世界だろうが…。
☆年寄りは結構な批判を垂れたがる。もう悪いお手本を見せる力がなくなったので、それで自分を慰めるのだ。(93=La Rochefoucauld; ‘‘Réfleexions ou Sentences et Maximes morales.’’)[完]
戦前の日本の場合も、似たようなところがあり、美濃部達吉さんの「天皇機関説」のまま、「立憲君主制」に明治憲法を解釈しておけば、よかったのである。ところが、政治の実権を握りたい軍人が、上杉慎吉の「絶対君主制」に明治憲法を解釈し、「統帥権の干犯」などといって、内閣に軍隊をコントロールさせなかったから、日本は悲惨な戦争に突入したのである。その轍を踏まないことが大事なのであって、ドイツ国民が民主政治が大事だと気づいた思ように、日本国民も、軍隊のコントロールが大事だ、ということに気づくべきだと思う。
誠に女性的な感情表現がふんだんにまぶされている。「おお、怖っ」(呵呵)。なまじ中途半端な教養があり、留学体験があると、「★鈍」のボルテージが一挙に上がる。いやはや、夜明け限らず白昼も激情にかられて、文章に想念を注ぎ込むことの危うさがある。「夜郎自大」とはよく言ったものだ。
台風を遣り過ごした突き抜けた青空のような晴朗な気分で、余裕を失わず、時に哄笑を誘うような優雅さが、哲学者F. W. J. vonシェリング夫人で、離婚前はW. シュレーゲル夫人であった社交界の華、洗練された容姿と教養を備えた女性と同じ名前(Karoline)を自称する「無学の人」にも必要なのではないか?
女性らしい正義感で孤軍奮闘する篠田さんを応援したい気持ちは分かる。ドイツへの、ゲーテへの私には到底共感できない思いはそれはそれとして大切にしたい心情も理解できなくはない。
しかし、それは読みもしない(読む気もない、読めもしない)G. JellinekやH. Kelsen、C. Schmittを引き合いに出して空疎な「弱論強弁」(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)に現を抜かし、愚鈍で凡庸なメディアに非を鳴らすことではなかろう。宮澤俊義を批判したつもりになって自己満足することでもない。一知半解でソクラテスを引き合いに出す無謀も慎まれた方が身のためだ。
篠田さんは、そんな「☆の腐ったような」心性の持ち主ではないことに、そろそろ気づかないものか。
220の冒頭は「馬★につける薬はない」と書くのが、誹謗中傷の誹りを避ける「常識」である。
元お嬢様は世間知らずである。
「無学」ゆえに「説得」を最初から放棄して自暴自棄な悪意の表明に転じる傍ら、本来の知識層ならその矜持から高度の倫理性を自らに課する覚悟と用意を欠いた盲目的居直り、粗暴極まる「反知性主義的」悲憤慷慨と憎悪のエネルギーが満ち満ちている。
例えば、こうである。
▼206=「新約聖書を、ドイツ語に訳した(ルターも)……その判断を、「ドイツ民衆の常識」に託す、言い換えれば、「キリスト教の知識が山ほどある聖職者」の判断の上においた……「数の原理」でものごとがきまる「民主政治」、というのは、本来この基盤の上に成り立っている……「良識ある民衆の判断」を「知能指数だけ高い未熟な知識人の判断」より、信頼する」⇒⇒★キリスト教の真理の基準、つまり信仰の基準が「民衆の常識」にあり、それが「数の原理」の尊重を通じて民主政治につながる、という極端な政治主義の論理。宗教の宗教たる所以を全く理解しない俗説。
▼214=「「ニュートンの万有力学」の原書を読んだ人は、ごく少数であるが、ほとんどの人がニュートンの「万有力学の法則」を知っている、という意味で、シュミットと、ケルゼンと、イエリネックの三人の理論の差はわかる」⇒⇒★「知っている」ということは、必ずしも「理解している」ことを意味しない。逆に「理解している」と哀れにも思い込んでいるカ氏の「無学」ゆえの見苦しい自己弁護。
▼216=「ゲーテの主張……「健全な常識」の立場……常に芸術や学問というものは、哲学からの独立を保つとき、自然そのものの人間の力を自由に発揮して、いつも最大の繁栄を遂げ……学問の追及は、哲学から独立しなければならない、という言説が真理……マルクス歴史学、経済学、はマルクスの哲学に学問が支配されたからおかしな理論に」⇒⇒★ゲーテは哲学的思考の敵対者? 実態はそこまで酷くはないが、カ氏自身の哲学音痴を隠蔽し、哲学憎悪の自説に利用するため、ゲーテを反哲学の守護神に仕立てる猿芝居。「マルクス」云々は無知蒙昧ゆえに全く意味不明。その舌の根も乾かぬうちに、ソクラテス流真理探究の精神を平気で説く臆面のなさ=知的な錯乱状態。
そこには、本来の真理の愛好者なら禁欲的になる「自らの満足のためや、人心に訴えるための論を敢えて構えようと」躍起になっている、一人の異形な魂の蠢きがあり、そこに渦巻く負のエネルギーは理性を覆う。
今日の先進各国において誰でもが民主主義者である。それは、民主制に対する原理的な批判が知識層の大勢だった近代西欧の歴史と比べると驚くべき変化である。しかし、その実態は古代ギリシアの民主制という概念に含まれていた民衆参加の要素が、代議制民主主義や官僚制的支配に接合されて、大幅に削減されたことで実現した側面が否定できない。民主制が機能し存続可能なのは、職業政治家と官僚の事実上の寡頭支配の故だと。民衆参加の大枠は選挙と世論調査による世論誘導に限られている。メディアの病弊も民衆の正当な政治的関心の成熟を妨げている。
カ氏の「過激主義」には、「不満をもった者や心理的に家庭をもたない者、人間としての失敗者、社会的に孤立している者、経済的に不安定な者、教育のない者や理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者」と共通する、鬱勃とした焦慮が透けて見える。
続いて、反氏がゲーテよりも、すぐれたドイツの文化人である、と崇拝されるトーマス・マンがなぜ、「非政治的人間」と自らを形容せざるを得なかったかを書いてみたいと思う。コメント110で書いたように、第一次世界大戦のトーマス・マンの立場は、「協商国フランスの帝国主義的民主主義」に対し、「反民主主義的不平等人格主義」のドイツを擁護する立場、であった。要するに、「民主主義」を否定したのである。
憲法上はどう規定されているかというと、日本国憲法12条には、この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、 これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を 負ふ、と書かれている。この事実は、憲法の解釈を憲法学者、特に、東大系の憲法学者に任せておいてはいけない、ということを示している。その為に、ソクラテス流の真理の追究が必要である、と私が主張しているのである。私は、解釈を憲法学者にたよるのではなく、自分で日本国憲法を読むべきだ、と思う。反氏は、私に読解力がない、と主張されているが、読解力がなければ、翻訳などの仕事はできないし、日本の人々は、私と同じように知的能力も高く、高学歴の人が多いのだから、日本国憲法を読解する力は、ある、と断言できる。
芦田均さんによると、第二次世界大戦は、「共産主義」、「ナチス・ファシスト主義」、「民主主義による国際協調と国家平等の原則」の3つの対立であった(新憲法解釈、p175)、とあるが、「絶対君主主義」に明治憲法を解釈して推し進めた日本の政治原則は2、敗戦後の日本国憲法は、明らかに3番目の政治原則を明記したものである。それを踏まえて、これからの日本の針路を考えなくては、と強く思う。
しまった。お詫びします。
ヴァイツゼッカーか、ワイツゼッカーにしなければですね。
Wの文字は、ドイツ語では、英語のVの発音になります。
Feilerというタオルの会社も、日本語では、フェイラーなのだけれど、ドイツ語的に
ファイラーと読んで、え?と聞きなおされる。外国語の日本語表記は難しい、というより、
この場合は、私の単純なタイプミスです。
お詫びまで。
自制心(σωφροσύνη)も冷静な判断力も夜明けの闇に紛れて見失っているらしい。それでなくては、言うに事欠いて次のように書きつける訳がない。
「憲法の解釈を憲法学者、特に、東大系の憲法学者に任せておいてはいけない……その為に、ソクラテス流の真理の追究が必要……解釈を憲法学者にたよるのではなく、自分で日本国憲法を読むべきだ、と思う。反氏は、私に読解力がない、と主張されているが、読解力がなければ、翻訳などの仕事はできないし、日本の人々は、私と同じように知的能力も高く、高学歴の人が多いのだから、日本国憲法を読解する力は、ある、と断言できる」――。今朝の‘Karoline Doctrine’である。「私と同じように知的能力も高い!」冗談?
カ氏はまるで自らが篠田さんにでもなった気分らしい。臆面もなく「私と同じように知的能力も高く、高学歴」と自認している。「無学」(‘sine litteris’)の典型的な表徴だ。
以上を見る限り、カ氏は「無頼の徒」という方が相応しいが、私が「無学」「無学の徒」という、カ氏のような真理より自負心やメンツを優先する「権威主義的パーソナリティ」には不名誉この上ない形容を附することになったのは、イタリアのルネサンス期の桂冠詩人ぺトラルカが著した「ルネサンス人文主義のマニフェスト」である『無知について』(‘‘De sui ipsius et multorum ignorantia.’’, 1371.)という書物がきっかけだ(9月8日・42参照)。
イタリアに古代ギリシア・ローマの豊かな遺産の全体像を研究する意義を説きルネサンス文化を開花させた先駆者であるぺトラルカを実際に読めば、「無学=‘sine literis’」(古典表記だと‘sine litteris’)について、いろいろ教えてくれるはずだし翻訳もあるが、ご婦人は本代をけちる。カ氏には未だに「無学」の自覚がない。何とも哀れだが、身から出たサビだ。
私などもその都度訂正するが、間違えることはままある。石破茂氏をうっかり「石波茂」と表記していたくらいだ。しかし、カ氏は異次元で、凄まじい。
散々批判する水島朝穂⇒水島朝男、金正恩⇒金日恩、石原莞爾⇒石川莞爾、前川喜平⇒前原喜平、そして真打ちは、読まずして大胆に語る『一般国家学』の著者イェリネク(Jellinek)⇒イエルネック、イエネリック――である。溜め息どころか、目眩がする。
「イエルネック、イエネリック」はその後も続き、「シュミットという法学者は……ナチスの法学理論を支えた……イエネリックやケルゼンとはまったく違ったタイプ」(=8月9日・2)と冗語することで性懲りもなく再現した。殆ど手の施しようがない。反省は全くないからだ。恥とも思わないのかもしれぬ、見上げた強心臓=厚顔無知である。
繰り返される同工異曲の「ゲーテ・ヴァイツゼッカー流儀」のドイツ連邦共和国への信仰告白は、まるで「ドイツ狂」の教祖のような口ぶりで、愚にもつかない自己正当化に終始する。
何と言っても、◆「1985年のワイツゼッカー演説は、私にとっては、リンカーン演説以上に価値のあるもの」(06月15日・14)らしい。どうぞ、ご随意にというほかなく、そのうち、カ氏の「無学」を慰撫する子守歌ではなく、「葬送行進曲」になるかもしれない。
以下は、退屈しのぎに、カ氏の赫赫たる誤謬と妄言・妄説、無知蒙昧の集積のほんの一部である。解説付きで贈る。
▼北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だからである(6月14日・4)⇒⇒「無学の女王」カ氏ならではの単細胞思考の典型。私の指摘(同日7)を受け、「北朝鮮は戦前の日本そっくりだ、というのは(中略)昭和前期の病理的な現象以降の日本」とトーンダウンさせる(「私のアイデアではなくて、クリントン政権時の朝鮮危機の時に、南ドイツ新聞の東京特派員であったヒールシャーさんが、あるテレビ番組で言われ、なるほど、と納得して覚えていたもの」=6月15日・12)が、その後に再び居直り、妄説ヒールシャー・ドクトリンに再復帰宣言。つける薬がない典型。
▼冷戦と、ドイツと朝鮮の分断を一緒にされるが、本当にそうなのか? 東西ドイツはお互いに戦っていない。分断されたのは、敗戦後、ドイツが、ソ連、米英仏に分割統治をされて、普通のドイツ人がソ連型統治をいやがり、移動しようとするから、壁ができ、冷戦構造になってしまったから」(6月20日・51)⇒⇒ドイツの分割統治は敗戦とともに事実上始まり、1945年6月5日の四カ国によるベルリン協定で確定。朝鮮戦争が勃発したから、ベルリンの壁ができた(それに先立つソ連のベルリン封鎖)から、冷戦が始まったわけではない(6月20日・52参照)。
⇒⇒欧州における冷戦は欧州大陸の戦後の覇権争いの帰結であって。大国間の血も涙もない、冷厳な国際政治の結果。そうした明白な史実は結局、私が「戦後西ドイツの歴史的経過」(6月21日・59)として、歴史の具体的因果関係を年表形式で論証するまで、カ氏自ら誤謬に気づかなかった。カ氏のドイツ近現代史の知識がどの程度か、如実に物語っている。下記がそれに対するカ氏の見苦しい弁明。(この項続く)
☆年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる。(93=La Rochefoucauld; ‘‘Réfleexions ou Sentences et Maximes morales.’’)
⇒⇒◆55[=6月20日【朝鮮戦争は、西独に再軍備を許し、NATOの一員に引き入れたのと同じ時期、ナチスドイツから、レッド・パージの引き金になった事件の一つ】のコメント……は、私的には、50年代、60年代、70年代と大きなくくりをした結果、そのような文章にしてしまったが……指摘されるように、前後関係が反対ですね。失礼しました⇒ドイツ再軍備をめぐる冷戦下の国際情勢について、何も知らないのでは? と思わせる無邪気さを発揮する。かつての「普通の人」、現在の傲岸不遜な「無学の女王」の中途半端なドイツ的教養はとてもバランスのとれたものとは言いがたい。ニーチェなら「教養の俗物」と仮借なく粉砕するだろう(7月24日・70)。
▼反時流的古典学徒さんは、9条問題において、なにが主張されたいのですか? 議論は、アリストテレスの論理学を使わなければならない、ということでしょうか?⇒⇒「無学」の証明。教養人の「作法」(‘manner’)であるアリストテレスの論理学についての知識は皆無(7月24日・70)。論理的に考える上での規則を日常言語の精緻な分析から人類史上最初に考案したのが、「万学の祖」アリストテレス。カ氏には無縁な知性の人。死後2,340年。
▼ドゴールの後は左派のジスカール=デスタン(6月5日・7)⇒⇒フランス大統領、政局に関する基本的無知。ドゴール後継は右派のポンピドゥー、ジスカール=デスタン[Varély Giscard d’Estaing]はその後で、左派ではなく、中道右派。左派はジスカール=デスタンが一旦は破り、再選を期すも破れたミッテラン。この歴然たる事実誤認を、ジスカール=デスタンを「中道右派」というのは単なるレッテル貼りと言い逃れるのが、カ氏一流の論手搾取の詐欺(「「中道右派」、とレッテル付けされるが、そのことにどんな意味があるのだろう?」=9月24日・132)。フランスの政治構造に関する致命的無知をはしなくも露呈する。
▼祖父の縁で、20代の頃……楠山義太郎さんに、本当にお世話になった(6月12日・19)⇒⇒にもかかわらず、「自分自身が西ドイツにゆくまで、非武装中立政策がいい、と思っていた」(6月11日・11)程度の凡庸極まる「政治音痴」が国際政治や歴史のリアルな認識を語っても空しく、何の説得力もない。老媼の床屋政談の典型。
▼北朝鮮の金日恩さんのおじいさんが……南朝鮮を攻め、主に米国軍がそれを押し返したことで分断が起こっている」⇒⇒決定的な事実認識の誤り。50年6月の朝鮮戦争勃発以前に、大韓民国の建国宣言は48年7月17日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の建国は同年9月9日。分断は朝鮮戦争で始まったわけではない。精々、「その後も68年間続く分断を固定化した」という程度。「金日恩」とは誰? あまりに粗雑(大胆)な歴史認識。
▼「ヨーロッパの三大学問は神学、法学、医学」(6月18・34)⇒⇒ゲーテ『ファウスト』からの受け売り(「はてさて、おれは哲学も、法学も医学も、あらずもがなの神学も」(森鷗外訳=ゲーテの粗雑な理解。W. von フンボルトが哲学を三つの上位に置いたのは西欧の学問[Wissenschaft=science]の歴史的経緯を熟知していたのと、彼自身のフマニスム(人文主義)に負っている)。ゲーテは『色彩の哲学』という著書もあり、一世代上のカントと親交もあるが、アカデミックな哲学の世界ではあくまで素人にすぎない。
▼私は、予てからなぜ、ドイツの学問といえば、ドイツ哲学なのか、という疑問をもっていた。カントは哲学者なので、ドイツ国法学ではなくて、ドイツ哲学なのではないか、あるいはマルクスの影響……などと」(6月18・34)⇒⇒ドイツの大衆レベルの「無学」の告白。およそ、古典語も読めず、教養人の資格の欠片もないことを思わせる無知蒙昧ぶり。最近は読みもしないのに偉そうなことを宣っている。虚勢を張る動機と必要性があるのだろう。
▼ポリテイカルコレクトネスという言葉、だましのテクニック…そういう政治手法を……私は大嫌い…ソクラテスの嫌うソフィスト、言葉の詐欺、以外、何物でもない(6月16・16)⇒⇒過激なカロリーネ節、ソクラテス、ソフィストを一知半解で語る「夜郎自大」ぶりを遺憾なく発揮。老媼は慎みと自制心をかなぐり捨て粗暴な一面を隠さない。はしたない!
▼古代哲学の一学派ストア派と中世のスコラ哲学の混同⇒⇒未だに認めず頬被り。
▼「日本では知られていないが」という、Friedlich Gundorf(8月27日・132)⇒⇒綴りが誤り。正しくはGundolf。戦前からよく知られた人物で、「日本では知られていない」訳ではなく、むしろその事実をカ氏が知らないだけ。自らの「無学」について、所謂「語るに落ちる」の典型。「無学」の失態。
▼カ氏の母校らしい、神戸高等学校校歌の第二番(作詞は中国文学の泰斗吉川幸次郎)の一節をカ氏に三たび奉呈。得と「無学」を噛み締めればよい。吉川の門下生で、卒論での孫引きを素直に詫びた女子学生がその後、神戸大教授(ロシア語専攻)になったという逸話を紹介した(同日137=『吉川幸次郎全集』第26巻「月報」、小野理子「ダメ弟子より愛をこめて」)。
「きみみずや学問のきびしきめざし/わがものときわむる自然人文の/真理のつばさはばたけば/わかきひとみのかがやくを」
省みて、自ら愧じ入るところがありませんか?
▼反氏自身が真理の探究を高額の書物に無条件に頼った「無学の帝王」⇒⇒具体的な資料、文献に基づかないカ氏のような気儘で稚拙な議論を私は唾棄する(私は読んだ上で書く)。カ氏がこのコメント欄で展開しているのは、「無学」故の粗笨な読解に基づく俗論にすぎない。エッカーマン『ゲーテとの対話』程度の凡庸な書物の文言をいくらあげつらったところで、ゲーテの弁護にはならない。むろん、カ氏の主張の正当性を少しも担保しない。
▼アドルノの主張への共鳴、この主張は、ヒトラーのアーリア人の代わりに、ユダヤ人が置き換わった主張……「優秀な民族による劣等な民族の指導」の政治原則、ヒトラーの場合は、優秀なドイツ人……アドルノの主張は、優秀なユダヤ人による指導におきかわる……地方指数が高い優秀な人間が、劣等な人間を指導すべきである、などとという反氏の主張も、ナチスドイツの思想そのもの(10月3日・228)⇒⇒まず、「地方指数」とは? 齢70のカ氏の「痴呆指数」(そういうものがあるとして)かと、わが目を疑った。具体的な根拠を何ら示すことなくアドルノの主張をヒトラーの主張と同一視する悪質で見境ないプロパガンダ。「ドイツ狂」の正体見たりというレベルの浅ましい妄念がはしなくも噴き出した支離滅裂な主張。おぞましく★劣の一語。
⇒⇒ヴァイツゼッカー演説の翌1986年夏に始まる「歴史家論争」に関するカ氏の無知と、知った後での居直りに明瞭なように、ドイツは戦後、連合軍によって次々と暴かれるナチスの蛮行の事実に「人々は息を呑み、立ちすくみ、声を挙げられなかった」(三島憲一)という。どんな説明をしてもアウシュヴィッツで行われた重すぎる事実に沈黙を強いられるしかなかった。ドイツの戦後史はそれとの対峙と居直りが交錯する歴史。「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる懊悩。カ氏はドイツ(民族)の共同防衛のための反ユダヤ・プロパガンダさえ辞さない。
⇒⇒異常な道徳的公憤というスタイルで、その攻撃性と憎悪の情動を政治に投射する慷慨型。異常な公憤、病的な不安懊悩、そねみ、憎悪などをもち、彼らの放出する政治的エネルギーは極めて高い。その異常性が亢進すると、「血も凍るような悲憤型」が生まれる。かつてドイツの下層中産階級によく見られ、政治に対する憎悪は底なしであり、ナチズムの破壊的エネルギーの主要な根源となった(永井陽之助『政治意識の研究』)。[完]
「無学の女王」の読解力には大いに問題があることは、過去の有り余る事例に照らして明らかだが、時に意図的に誤読する姑息な詐術もあるから、警戒しなくてはならない。
コメント224の末尾にドイツの文豪トーマス・マン(1875~1955)が「要するに、「民主主義」を否定したのである」とする悪意に満ちた見解が付されているが、これはマンを知らない読者(本欄投稿者には少ないだろうが…)に民主主義の敵対者と印象づけるための見え透いた詐術だろう。
なるほど、マンは偏狭な人物ではないが、第一次世界大戦まで西欧流、端的に言えば英米仏流の民主主義的価値観の信奉者ではなかった。だから、遅れてきた帝国主義国家ドイツの愛国者として大戦を熟考し、態々執筆中の『魔の山』を中断して1915年から二年間、長大なドイツの「自己弁護」のエッセー‘‘Betrachtungen eines Unpolitischen’’(『非政治的人間の考察』)を書いた。それは、西欧流の進歩的民主主義思想の信奉者でフランス革命の理想に心酔しており、対立関係にあった長兄ハインリヒ・マン(1871~1950)への反論=自己主張(精神や芸術の政治化への抵抗)でもあった。
結局、マンは生と精神、芸術と政治とを全く隔絶した世界とみなし、政治を軽視ないし嫌悪するドイツの教養市民層特有の思考的傾向を危険だと認識するに至り、個人の自己完成という教養理念には政治的、社会的責任への自覚が伴うべきだとして、民主主義者に「転向」する。
1922年の講演「ドイツ共和国について」では、弱体なヴァイマール体制を擁護する傍ら、共和国の「文化使節」としてしばしば海外講演を行う。経済的困窮に伴い次第に国粋主義的、反動的傾向を強めつつあった祖国に危機感を強め、1930年の講演「理性に訴う」では市民階級に社会民主党と組んでナチスに対抗すべきと説いた。同年の短編『マーリオと魔術師』では、ファシズムの正体を暴いて、その末路を予言した。
悪魔と結んで破滅する作曲家の生涯を通じて神秘的なドイツ精神の深奥に迫り、ナチスに象徴される悪魔的反合理主義がなぜドイツで発生したのかを問うかのように、その宿痾を鋭く剔出して「悪の深淵」を覗かせ、救いなき近代世界の宿命を暗示している。
以上から明白なように、マンは悪意に満ちたカ氏が読者をミスリードしたいような「民主主義の敵対者」ではない。浅慮が持ち味のカ氏には畢竟、理解も共感も不能な複雑な人物であろう。ヘッセぐらいにとどまっていた方が、身のためかもしれない。従って中途半端な224の見解は到底理解不能だ。要するに、マンを敬愛する私への姑息な意趣返しなのだろう。
一般にドイツの教養市民層は単純な西欧流の民主主義思想を浅薄とみて、マンに限らず信奉者は少なく(T.モムゼン、ウェーバーらも同様)、政治や政治主義を軽蔑していた。マンはヴァイマール共和国、ナチスドイツ時代は反ファシズムの立場から人民戦線に心酔し、共産主義にも接近した兄ハインリヒのような急進主義的で幾分軽薄な理想主義的人物(1950年に東ドイツ芸術・文化国民賞)とは異なり、精神的自由と政治的自由の相克を、より深い地点から考察していた。いち早くナチスに潜む独裁制の危険性を見抜き、戦闘的ヒューマニズムの立場を確立した。政治的には急進的な改革を避け、穏健な社会民主主義者として「社会的デモクラシー」を説いた。
そうした覚醒したマンの目に映った戦後のドイツは、ある意味、失望を深めるものだったが、いずれ書く機会もあろう。
欧米人は極端な反戦主義者でもない限り、ドイツの暴発を許した宥和政策という苦い経験を共有しており、正しい(正当な)武力行使は妥当で、正しくない(正義に反する=邪悪な)武力行使とは異なる、ということを理屈はともかく肌で感じている。核抑止による勢力均衡でしか大国間の衝突を防げなかった冷戦期の実情も。
武力行使=「戦争」と決めつけ、いかなる正当な理由があっても絶対ダメだとする大半の日本人ほどナイーヴではない。それは彼らが勝者で日本が敗者であったからだけではない。
わが国の場合、悲惨な戦争の後遺症もあって、経済発展に伴う自信回復の一方で、国際法規範に無頓着な憲法解釈の制度的支配と日米安保条約との同床異夢、国民は自衛隊の存在を必要悪として是認しつつ、軍隊に対する根深い拒絶感情と非現実的な平和主義感情が支配する特異な言語空間が世論を惑わし思考停止を招くという袋小路状態が今なお続く。
進歩派陣営はそれを世界に誇るべき平和の理想と礼讃する一方、保守陣営は欺瞞と禁忌が支配する退嬰的な「愚者の楽園」と突き放す。両者の対立とすくみ合いが不毛な対立を生み、国論を分裂させ、結果として国益を損なっている。その結果、およそ国際的理解を拒絶する特異な安全保障観を生んだ。
戦後の混乱は何も憲法解釈だけではなく、「戦争」と軍隊を原理的に思考する強靭な論理意識の欠如にある。
明日から温泉旅行。投稿はしばしお休み。
コメント233を読んで、ベルリンの壁について、知識はあっても、本質が見えないという意味での「無学の帝王」である反氏は、よく理解されていない、と思ったので、コメント欄で読者に説明することにする。これは、現在の朝鮮半島情勢ともからむので、重要だ、と思うからである。
ベルリンの壁ができたのは、1961年11月9日であるが、その前段がある。1947年に米国がドイツ復興計画「マーシャルプラン」を発表した後、それに対抗するために、ソ連による「西ベルリン封鎖」が始まる。1948年、米国は大空輸作戦を敢行して援助物資を西ベルリンに大量に送り、ソ連は1949年5月12日にベルリン封鎖中止を余儀なくされるのである。
現在の朝鮮半島情勢と関係がある、と私が思う理由は、今、北朝鮮と韓国の間には、「板門店の壁」がある。あるから、北から南への流出があまりないのであって、もし壁がなくなったら、いくら米国が、北朝鮮の体制保証をしても、多くの北朝鮮人が、言葉と民族の同じ韓国に流入するのではないのだろうか?
この言葉がアメリカの西ベルリンに対する決意の強さを表すものとしてソ連に対する強いメッセージとなったからこそ、西ベルリンは存続しえたのである。
何回か書いたと思うが、米国留学も、西独留学も、楠山義太郎さんが勧めてくださった。ただ、私は、関西に住んでいたし、伯父様は東京に住んでおられたから、交流が深まったのは、私が東京に居を移してからなのである。「百聞は一見に如かず」、私はずっとなぜ、「ニュースペーパーー新聞」は、英語では新しいと紙の合成語なのに、日本語では、新しいと聞くの合成語なのだろう、と思っていたが、やはり、「百聞は一見に如かず」だから、楠山義太郎さんが、その国を知るためにはと、実際に見なくては、空気を感じなくては、と私に留学を勧めてくださったのだな、とつくづく思う。
西独留学まで非武装中立政策が「いい、と思っていた…ことが、政治音痴と言えるのだろうか?……マスコミ報道、朝日新聞社の主張、進歩的知識人たちの主張を信じていたから、そうなった」――現実の政治について、戦前の歴史について盲目だから、所謂進歩派の欺瞞、非武装中立、全方位外交などという戯言に騙されるのである。
騙す方が悪いのは小中学校レベルの道徳では確かにそうだろうし、信頼関の上に成り立つ夫婦や友人・知人、その他取引先との関係もそうだろう。しかし、政治は違う。いくら綺麗ごとを並べて現実を糊塗しても、一定のルール(法や慣習)と国益という名の国家単位の欲望(公認された私利私欲)を前提とした生存競争であるほかない。西田佐知子の「東京ブルース」の惹句、「♪泣いた女が バカなのか/だました男が 悪いのか…」ではないが、騙された方にも過誤、不明がある。そして、そのツケを払うことになるのである。
現実に報いを受け、痛い目に遭うし、否応なく意図せぬ事態に加担させられ、責任を取らされる結果になる。政治音痴も畢竟、理想主義的言説の一部しか見ないからそうなるのであって、うまい話、都合のよすぎる話には必ず裏、仕掛けがあることに想像力を働かせないから事態、つまり不断の生成過程にある現実に盲目、つまり愚鈍=音痴であるほかない。西独留学などしなくても分かる道理だ。
何事も軽信(πίστις)せず、疑問を絶やさずに真相を探究する、今回ノーベル賞受賞が決まった本庶佑氏ではないが、そうした知的な態度は、何も学問や政治だけに限らず、人生を生きる智慧なのであり、高等教育を受けたインテリでなくとも、一廉の人物なら誰でも熟知している。
繰り返すが、騙される方には愚鈍、凡庸、陳腐、怠慢、偏狭、浅慮、懦弱、驕慢――に伴う報いが常に待ち受けている。
戦前の愚を二度と繰り返さない為に、米国という国を日本の若者に理解させるために、吉田茂さんは、「吉田奨学金」を出して、アメリカ学を勉強したい「これと思う」日本人大学生が、アメリカにじかに行って勉強できるようにしてくださっているのである。奨学金は無条件にもらえない。いただく為には、筆記試験の後、その候補者に、東京で試験官による面接もあったのである。その時に、面接会場までついてきてくださって、大学生の私に、いろいろアドバイスをしてくださったのが、楠山義太郎さんなのである。この前、私が西独に留学していた同時期にフランスに留学していた友人に、「マスコミの主張なんて信じちゃだめよ。」と言われたが、私もそのとおりだと確信している。
トーマス・マンの「ファウスト博士」は、明らかに、ドイツの文豪ゲーテを意識した作品である。「ワイマールのロッテ」も同じである。そして、この二つの作品とも、トーマス・マンのファンタジーであって、ゲーテの人生、作品の創作姿勢とは似ても似つかぬものである。マーラーをモデルにした「ベニスに死す」も同じである。
ゲーテは少年時代に読んだ16世紀に民衆芝居として出た「ファウスト博士の物語」とその人形芝居を少年時代に知り、彼の心の中にその作品は印象深く残った。その題材をゲーテは一生をかけて育て、死ぬ直前にやっと仕上げた。彼は、自分の人生は「ファウスト博士」を仕上げるためにあった、と述懐している。つまり、この題材を、ゲーテの全人格で、一生をかけて、ドイツ精神の完全な表現、といわれるまでに高めたのである。それはまた、ドイツ的であると同時に、人間精神ぜんたいの一つの不朽の表現、といえる。
つまり、ゲーテの描こうとした「ファウスト博士」は、我々みんなを明るい気持ちにしてくれる、「人間賛歌」であるのに対して、マンの描こうとしたものは、果てしのないニヒリズムの世界へ人間をいざなうのである。悪魔と組んで、破滅する作曲家とは、具体的に誰なのか、ワーグナーなのか、マーラーなのか?トーマス・マンが描いた「ベニスに死す」では、確かに、その老作曲家は、少年に恋い焦がれて、破滅したが、マーラーが実際に作曲したのは、トーマス・マンがミュンヘンで初演をきいたゲーテの「ファウスト」だし、ワーグナーにしろ、「ギリシャ神話」をまねて、「ゲルマン神話」を楽劇にしただけで、破滅などしていない。歴史の真実は、トーマス・マンが、「ファウスト博士」で表現したとおりではなくて、「ヒトラーやゲッペルスが救いようもないほど悪い人間」だったから、ワーグナーのオペラや楽劇を利用してドイツ国民を洗脳し、あたかも、ヒトラーについていくことが、正しい道であるかのような印象を与えたのである。これは、或る意味、オウムやイスラム国の手法と似ている。
けれど、本当に反氏の主張は正しいのだろうか?「民主政治」がマスコミによる「衆愚政治」になる危険、を感じて私は投稿しているわけで、(反氏は、独裁政治は専制政治になる危険性があり、貴族政治は寡頭政治になる危険性があり、民主政治は、衆愚政治になる危険性がある、という理論さえ否定されているが)、やはり、その領域に立ち入らなければならない、と思った。
もともと、私は、田中美知太郎さんの「ソクラテス」を読んで、「ソクラテス」を理解したのであって、「田中美知太郎さんの崇拝者」であるはずの、反氏と違うこと自体、不思議である。岩波新書のその本には、私が書いたように、ペリクレスの優れた民主政治が行われたアテネの太平の時代から、経済問題や独裁者の出現によりぺロポネソス戦争へといたることになり、スパルタに負ける、というギリシアの政情の動きなどが書かれている。ソクラテスが出現したのは、太平の時代から戦争へ至る移行期、<ソクラテス以上の知者はいない>というデルポイの神託を受けたのち、ソクラテスがアテネ社会から死刑の判決を受けることになった直接の原因とは何だったのか、ということに対する分析・考察まで書かれている。
戦前、東京大学の憲法学者の上杉慎吉が明治憲法を「絶対君主制」に解釈して、軍国主義者たちが、「国家社会主義、軍国主義日本」を作ったのと相似形のように、似ているからである。
を読んで、私は、学者の論文として、このコメントを書いているわけではないので、まるで恥じない。卒論に孫引きもしなかった。日本にあの頃マーラー関係のいい文献がなかったので、アメリカ留学中に、大学の本屋でこれ、と思う書籍を見つけたので、二冊買って、日本語に翻訳して、註に参考文献と書いて、提出した。英語では、ウィーンのことをVienna と書く。私らしく、何か所もヴィエナと書いて、注意を受けたが、成績はよかったし、マーラーについて、問い合わせがあるかもしれないので、卒論を残してほしい、と言われた。
私は、学問の厳しきめざし、というところよりも、「真理の翼はばたけば、若き瞳の輝くを」、の部分が好きである。芦田均さんの、「新憲法解釈」の本の、日本国憲法9条の解釈を読んだとき、「真実はこうなんだ。」と、「真理の翼の羽ばたき」に、もう若くはない老女の瞳は輝やき、興奮した。
マルクス主義の歴史観は、ヘーゲルの哲学を受け継ぐ「歴史は進歩する」、という彼らの哲学的な思想が生み出したの歴史観なのである。歴史は、土地をもつ者ともたない者がいたという矛盾のある中世封建制から、革命によって、資本主義に移行し、資本をもつものと持たないために労働力を提供するしかない者がいるという矛盾を解消するために、革命によって、社会主義に移行し、唯一残った階級の差を解消するために、最終的には、また革命によって、共産主義に移行し、階級のない完全平等の社会が作り出され、国家が死滅することで,完全平等が実現するという、という歴史観なのである。これは、「若いマルクスの思想」を読んだ時に、きちんと京大の哲学科を卒業した父から教わった。
ナチスの標榜した「国家社会主義」、マルクスの標榜した「共産主義」をさして、1985年ヴァイツゼッカー氏は、彼の演説で、「ユートピア的な救済論に逃避すべきでない」とおっしゃっているのであって、要するに、ゲーテとワイツゼッカーさんの歴史に対する二人の考えは、哲学や理論に左右されず、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめるべきだ、ということで、一致しているのである。ワイツゼッカー氏は、ナチスドイツのしたことを念頭に、人間は何をしかねないのか、ということを考え合わせるべきだ、と主張されているが、中国の「文化大革命」のことを考えると、私の考えも、同じである。
気の毒ながら身から出たサビであり、もはや「☆気の沙汰」寸前というほかはない、無思慮(ἀφροσύνη)で無謀(θρασύς)、向こう見ずな立論の数々は、高貴な投稿名を自称する女性にはどう見ても似つかわしくない粗野、粗暴の一語に尽きる。それもドイツ流の作法なのであろう。ゲーテとヴィツゼッカーが双璧であるかのような子供騙しの単細胞思考は、やはり現代の一奇観である。
そのうえで、如何にも迂闊で策士策に溺れるの水準にも達していないカ氏ならではの251から、論じてみる。それは今回初めて示された、カ氏の類まれな「無学の女王」たる所以が、カ氏自身の認識でどう位置付けられ、カ氏を「無学」の迷妄へと誘っているのか、その舞台裏を図らずも語っているようで興味深い。
カ氏は一知半解で、ソクラテスの「無知の知」とか、真理探究の「産婆術」を説くが、そのネタ元は、日本版Wikipediaとこれまで明らかにしていたプラトンの対話篇『ソクラテスの弁明』や『クリトン』、京大哲学科卒の父親、東大政治学科卒である高校時代の倫理社会担当の教師に加え、田中美知太郎の名著『ソクラテス』(岩波新書、1957年初版)だという。
致命的難点は「私は、田中美知太郎さんの「ソクラテス」を読んで、「ソクラテス」を理解したのであって、「田中美知太郎さんの崇拝者」であるはずの、反氏と違うこと自体、不思議である……その本には、私が書いたように……経済問題や独裁者の出現によりぺロポネソス戦争へといたることになり、スパルタに負ける、と……書かれている。ソクラテスが出現したのは、太平の時代から戦争へ至る移行期、<ソクラテス以上の知者はいない>というデルポイの神託を受けたのち、ソクラテスがアテネ社会から死刑の判決を受けることになった直接の原因とは何だったのか、ということに対する分析・考察まで書かれている」――と、著者の田中が腰を抜かすようなカ氏流読解法が示される。
カ氏ならではの明確な誤読に目眩がする。田中は「独裁者の出現によりぺロポネソス戦争へといたる」などとは一行も書いていない(123頁参照)。そもそも、アテーナイの民主制は短い内乱の後、紀元前508年の所謂クレイステネスの改革によって確立して以降、武装テロや訴訟手続きに基づかない殺戮が行われたのは、ペロポネソス戦争の開戦(紀元前431年)以降の、前411年(四百人政権)と前404年(三十人独裁政権)のわずか二度であって、独裁者の出現が戦争の原因では全くない。
カ氏はペルシャ戦争後のギリシア世界の二大盟主、専制寡頭支配の軍事大国スパルタと民主制国家アテナイとの覇権争いであるペロポネソス戦争の原因のうち、スパルタの専制寡頭支配を単純に「独裁」と勘違いしたのであろう。
これだから「無学」は救いようがない。
自らの凡庸な政治認識と愚にもつかない歴史認識を棚上げにして、勘違いと思い上がった焦慮からカ氏は、「民主政治がマスコミによる「衆愚政治」になる危険、を感じて私は投稿している」と宣っているが、「衆愚」に等しいカ氏が力み返っても戯画に等しい。
「反氏は、独裁政治は専制政治になる危険性があり、貴族政治は寡頭政治になる危険性があり、民主政治は、衆愚政治になる危険性がある、という理論さえ否定されている」と言うが、二百年後のポリュビオス (Πολύβιος=c 200~118 BC)が『歴史』(‘‘Ιστορίαι’’)第6巻の著名な政体論の中で述べた循環論的歴史観を一知半解で繰り返しても相手にしようがない。
しかも、カ氏は「君主政治(王制)⇒僭主政治」とすべきところを「独裁政治⇒専制政治」と読み違えている。君主制(王制)と、その病的形態である僭主制と独裁制、専制との概念の混同、誤用が甚だしい。専制は寡頭制でも起こり得る。ポリュビオスが前提としているアリストテレスによる国制の三分類に理解が及ばぬためだ。
何を血迷ったか、「やはり、その領域に立ち入らなければならない、と思った」も何もないものだ。「無学」はもとより知的俗物根性の最たるもので、恥を知ればいい。
私が223で指摘したカ氏の「過激主義」とは、「不満をもった者や心理的に家庭をもたない者」という一般的性向に加え、哲学への極端な敵対視をはじめ「理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者」の謂いであって、自覚せざる「無学」がそれを増幅している。カ氏の力説する「常識」こそ、厳しく吟味されなくてはならない。
☆傲慢は、何があろうとどこかで元を取る。虚栄を棄てる時ですら、何ものをも失わない(33)。La Rochefoucauld; ‘‘Réfleexions.’’
以上のことは『ソクラテス』の岩波新書版122頁以下を読めば一目瞭然である。カ氏の「無学」は迷妄を極めている。
さらに、カ氏が莫迦の一つ覚えのように繰り返す「無知の知」(「無知の自覚」「不知の知」)=「私は知らないから、その通りに、また知らないと思っている」(‘ὥσπερ οὖν οὐκ οἶδα, οὐδὲ οἴομαι’=『ソクラテスの弁明』21D)、「つまり私は、知らないことを、知らないと思う、ただそれだけのことで優っているらしい」(‘ἔοικα γοῦν τούτου γε σμικρῷ τινι αὐτῷ τούτῳ σοφώτερος εἶναι, ὅτι ἃ μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι.’ =『同』21D)についても、無知(ἀμαθία)の知(εἰδέναι)についての、これまでカ氏の見当違いな思い込みが俗説である所以を論証してきたので同種の議論の繰り返しを避ける。
ただ、例えば、デルポイの神託の謎「ソクラテスより知慧のある者はいない」と同じデルポイの神殿の銘「汝自らを知れ」(γνῶθι σαυτόν)は「ソクラテスの名にむすびつけて語ることが、ひろく行われている。……恐らくこのような関係づけは、アリストテレスの初期著作『哲学について』から始まる……(「汝自らを知れ」の)銘に感じて、これをかれの哲学の出発点にしたというようなことが語られている。これは無論、アリストテレスの創作である」と冗語を嫌う田中はそっけない(『ソクラテス』154頁)。
このように、小冊子『ソクラテス』は、カ氏の父親や教師の如き俗説、一知半解の素人解釈を徹底して退ける厳しい学問の書でもある。
253はもっと滑稽で「学者の論文として、このコメントを書いているわけではない」と、コピペと孫引きだらけの胡散臭い政治や歴史認識への批判に端から「逃げ」を打った形で、日頃の御大層な物言い(「長い間ドイツ文化を勉強し、ドイツ文化の神髄を知る年長者」=9月14日・23)とは随分違う。
学生時代の卒論の話など論外で、今なお、劣等学生並みだ。末尾の芦田均の憲法九条解釈に、「「真理の翼の羽ばたき」に、もう若くはない老女の瞳は輝やき、興奮した」に至っては滑稽を取り越して陰鬱な感じさえ漂う。
メディアの影響で「戦前、日本人の大半は、英米と戦争をすることが正しい、と思っていた……「米国の実力」を知らず、「鬼畜米英」だと思い込んでいた」のような、左派勢力の物語思考めいた図式で歴史の複雑な諸相を認識したつもりの単細胞思考に憐れを催す。思考の質が粗雑だと、自己の幼稚な判断基準、つまり器量でしかものをみられない。たかが「朝日」程度の誘導で長年進歩派的平和主義を奉じていたくらいだから、その程度の判断力なのだろう。何度でも真相を見誤る心性だ。
249の「日本のマスコミは、80年代の初めまで、社会主義国家をバラ色のように描き続けた」というような嘘話、「社会主義国家の実像は、日本ではわからない。西ドイツに行って、東側の人の真実の言葉をきいて初めてわかる」カ氏程度の凡庸な知性には、齢70近くしてこの有様かという、カ氏限定の‘i*i*t’物語が似合う。[完]
未明の大上段に構えた、壊れた蓄音機さながらの大演説も興ざめだが、結局は同工異曲の「ゲーテ・ヴァイツゼッカー(舌禍ァ~‼)子守歌」である。狂騒曲(謂わば狂想曲転じて〔教祖ゥ曲〕。さしずめKaroline様は女性教祖か教団幹部か)の趣で、私などそのうち、「不敬」(ἀνόσιος)の罪で祟りがあるか、罰(撥)が当たるかもしれない(呵呵)。
温泉を楽しんだ後で、悲惨な現実に引き戻された感がある。点けっぱなしのラジオやテレビのように、ドイツ舶来の蓄音機は鳴りやまず、もはや「痴苦怨(念)機」の様相であるだ。
脳中に詰め込んだ雑識=偏狭な世界観、歴史観と、英独語は解しても所詮は「無学」故の匹夫にすぎない凡庸な70年近い人生を振り返っている。老人福祉施設などでしばしば見かける風景だが、今後も長生きされるだろうから、冷静で落ち着いた反論が自らの力量を上回ることに逆上せず、「誤謬だらけ」の前科を悔い改めることこそ汚名を雪ぐ捷径なのを知るべきだ。自説を絶対枉げなかったという形跡を残すことのみを意図しても、私の眼の黒いうちは、無駄だ。
254,255程度の周懲りもないイデオロギー論議はご尊父や夫君とでも思う存分したらいい。哲学が生来不要な質の人士もこの世にはいるという一例である哲学の落第生ゲーテを持ち出すまでもない。ゲーテをマルクスと並べても、双方迷惑だろう。
ヘーゲルとマルクスの関係にしても、マルクスがヘーゲルを継承した面と逆倒させた面を峻別する必要がある。無学のカ氏の粗雑な論難程度では単なる「雑音」だ。
「♪あの日の夢も ガラス玉/割れて砕けた 東京ブルース」――「あの日の夢」さながら、冷厳な国際政治の現実の前に、非武装中立の理想に込めた見込み違いな希望の燈火(ガラス玉)は、遅かれ早かれ「割れて砕け」散る運命だった。
ヘッセの『ガラス玉演戯』(1943年)が小説としては「白鳥の歌」となったのは何とも皮肉だ。
そして、気づいたこと。丸山真男さんのドイツ、欧米理解がおかしい、ということである。例えば、ヨーロッパ、特に、のちに「ドイツ」として統一される近代国家、というものは、カール・シュミットの主張したように、「中世国家」であった、というのは本当なのか、ということである。近代国家は、宗教改革につづく長い宗教戦争の真っただ中で成長した。そこまでは正しい。けれども、国家は、国民の思想的内面性を許したのではなくて、国ごとに、国王が「カソリックかプロテスタント」を決め、その国に住む国民は、国王の決めた宗派を信仰しなければならなかった、のである。その為に、19世紀初頭まで、カソリックの神聖ローマ帝国は存続し、同じドイツ語を話しながら、プロテスタントを信仰する地域を含めての「ドイツの国が統一」できなかったし、統一したのは、プロテスタントの国、プロイセンである。また、ベルリンに行ってみればわかる、と思うが、フランスの国は、革命後、カソリックしか許さなかったので、プロテスタントのフランス人のための「フランス教会」もある。この強制、は江戸時代、さまざまな仏教の宗派の信仰を許した日本とは異質で、宗教面から考えると、日本の方が、よほど「中世国家」である。
昭和天皇が、「立憲君主制」の君主であると、ご自身が捉えられていた、という言及は、この論文には、まるでないが、戦前の日本の問題は、「超国家主義」などではなくて、東大の憲法学者上杉慎吉などが「絶対君主主義」に明治憲法を解釈し、天皇を神聖化して、自分たちの主張の「道具」にした、そして、国際法学者、芦田均さんが書かれているように、明治憲法上「統帥権」は内閣にはある、という規定はない、と理由をつけて、国民を「天皇の威光を嵩に」自分たちの「軍国的国家社会主義」実現の道具にしたことに問題があるのである。国民が国家の為に尽くすことは、西ドイツもアメリカも当然のことだと考えている、ということを留学中に知ったが、それを「超国家主義」とは呼ばない。
今、読み返して気がつきました。すみません。
私のコメント262で、カール・シュミットは主張したように、「中世国家」であったというのは、字の間違えで、これでは意味が通らない。
カール・シュミットが主張したのは、ヨーロッパ近代国家は、「中性国家」「Ein neutraler Staat」であった、という主張、つまり、真理とか、道徳とか、内容的価値に関して中立的立場を取る、という主張で、それは、明らかに誤りである、ということを262、で主張したかった。
すると、不思議なことがわかった。私は、反論として一つ一つ、根拠を示し、具体的な事実を示しながら、
文章を書いているつもりなのであるが、反氏のは、抽象的で主観的な憶測による言葉の羅列、セクハラ、モラハラ、ともいえる言葉の羅列なのである。
例えば、
釈明にも何にもなっていない八つ当たりに等しい言い訳、姑息な論点ずらしと驚異的な居直り、如何にも視野狭窄な歴史観と浅薄な政治認識の垂れ流し、心得違いの冗語としかみえない体験談の披露と信条告白、血迷った私への剥き出しの檄語の噴出を見て、破天荒な「無学」故に自力では何ら説得的な対論を構成しえない凡庸な魂の憐れな断末魔の叫びを聞く思いである。
「衆愚」に等しいカ氏が力み返っても戯画に等しい。
田中はカ氏のような「無学」には手に負えない知性であるだけだろう。
感情の赴くままに冗語されても、老媼の繰り言にしか聞こえない。読みもしないC. シュミットについて、今さらカ氏のような「無学」の素人から聞くべき内容が出てくるはずもない。
ブログの主、国際政治学者の篠田英朗先生にも、私の説明は、
ゲーテとヴィツゼッカーが双璧であるかのような子供騙しの単細胞思考と映るのだろうか。
私が京大や東大を無批判にありがたがる「権威主義的パーソナリティ」だと反氏は主張されているが、私はコメント262-263を初めとして、東大法学部教授であった丸山真男さんや東大系憲法学者を激しく批判している。
また反氏は、滑稽周知のように、独裁者の支配と寡頭制は全く違う、と主張され、私は、君主制(王制)と、その病的形態である僭主制と独裁制、専制との概念の混同している、と主張されているが、私は、貴族制が寡頭制に堕落する、と主張しているのである。そして、立憲君主制は、民主制であるが、絶対君主制は、独裁制である、とも主張している。独裁制、にしろ、例えば、「王権神授説」のフランス国王ルイ14世は、名君と称賛され、フランスは、反氏の主張されるように「フランスの文化の洗練されたその黄金期」を迎えるのである。悪、とされているのは、「専制政治」なのである。
とにかく、ナルシズム的な主観的な憶測をやめ、抽象的な言葉の羅列をやめられて、真実はなにか、を探求し、「?の帝王」から、早く脱却していただくことを、心から祈っている。
E.マイヤーが主著『古代史』の中で、「演説がこの著述(トゥーキュディデース『歴史』=筆者註)の真の中枢であり、彼の、またすべての歴史叙述の最高点」と絶賛するように、歴史家の際立った冷厳な政治認識を評価する傍ら、その人間観察は容赦なく人間性の暗黒の側面、‘brutal’(情け容赦のない)にも向けられていることを疾うに見抜いており、民主政治を担った「民衆こそもっとも気まぐれな専制君主と同じ慈悲を知らない主人」という苦い認識にも通じるが、安易なニヒリズムに陥ることもない。
そこにあるのは渇いた諦観(θεωρεῖν)で、民主制を原理的に否定しているプラトンやアリストテレスにも共通している。先駆者のソクラテスも大差ない。
ヘーゲルの『法哲学要綱』(‘‘Grundlinien der Philosophie des Rechts’’)と訳される自然法と国家学の講義録は政治を含む人間の諸活動を法だけでなく、権利(法権利とも)と訳される‘Rechts’、自由と欲望の権利(公認された私利私欲)の側面から体系的に論じており、示唆に富む。
ヘーゲルは精力的な政論家の側面を併せもつのに比べ、ヘーゲリアン丸山の『現代政治の思想と行動』「増補版への後記」にある、「私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける」は、丸山の意図に反して子供騙しの檄語であろう。
226の居直りも☆劣で凄まじい。言い掛かりに恐れ入る。‘i*i*t’‼たる所以だ。
自分に対して散々指摘されたことを、そのまま返す怠慢と粗暴、私の指摘もいつもコピペで済ませ引用符も皆無である。明晰で条理を尽くした文章が書けないらしい。書く気がないのかもしれない。その程度に投げやりで、ひたすら意地を張って、「言い負かされた」「論破された」という外形的形跡、証拠を残さないことに必死になっているようだ。
圧倒的な無学、無知(ἀμαθία)に加え、とにかく見境なく檄語を発するさまは、戦略なき向こう見ず(θρασύς)、無恥(αναίδεια)で見苦しいことこのうえない。挙げ句の果てに、性懲りもなく篠田さんに泣き言を言う。少しはプライドをもてないものか、齢70近い人生経験が全く人格形成に役立っていない。それで教養小説(Bildungsroman)を云々するのだから滑稽だし、ご都合主義もよいところだ。恥を知ればいい。
それほどカ氏は破廉恥な投稿「至上」主義⇒投稿「詩情」主義⇒投稿「私情」主義の困った老媼だ。さっさと投稿を止めて、それこそ「投降」すれば、恥の上塗りをせずに済んだものを、それもこれも驕慢(ὕβρις)ゆえの身から出たさびであろう。論争の真似ごとをしたいなら、相手を選ぶべきだ。その程度の知慧もない未成熟ぶりである。
どこでどう間違えたか知る由もないが、政治や歴史を文学や音楽という、およそ「良識」(bon sens)とは異なる才能が求められる領域の知見、手法、発想で無批判(無媒介)に語る偏頗で狂信的な理想主義が災いしているのだろう。
それが投稿名を含め、「ドイツ教」(「ドイツ狂」)というに相応しい特異な性格(エートス=ἦθος)を育んだのだろう。
ソクラテス流の空っとぼけ(‘εἰρωνεία’)も児戯に等しく、痛々しい。
反氏が民主性を否定される論拠は、民主制を原理的にプラトンやアリストテレスが共通して否定しており、先駆者のソクラテスも大差ないそうだからである。私たちが、学生時代、「政治の時間」に習った「古代ギリシャの民主制」という言葉は、反氏にとっては「死語」なのである。
私は、東京大学の西洋史学科を卒業され、東京大学の総長をされたこともある林健太郎さんの書かれた「ワイマール共和国」、ヒトラーを出現させたもの、「中公新書」をもっている。阪神大震災前、父の本だなにあって、興味をもち、実家にいる時にも読んだが、買いなおしたのである。
日本の現状は、自由民主党以外の野党は、日本社会の欠陥を鋭く突き、国民の不満を組織すること、共闘することはできるが、本当の意味で、民主主義を担当し得るまでに成長しているか、が疑わしいのである。私は、民主制が衆愚制に陥らず、正しく機能してほしい、と考えるから、熱心に投書しているのであるが、反氏は、民主性を否定されているのだから、目的がなにか、よくわからない。
カ氏のようなナイーヴな心性の人物こそ、例えば、かつて1950年代の米国で、「反共産主義」のイデオロギー(虚偽意識性)を煽動して猛威をふるった赤狩りの主導者マッカーシー上院議員に対する民衆の支持こそ「米国の民主主義の理想の意識的拒否というよりも、その理想を擁護しようとする、誤った努力を示している」と批判された事情を想起させる。
今どき珍しい凡庸なステレオタイプ化された民主主義的理想の信奉者らしいカ氏には想像すら困難な事例だろうが(まさに「無学」たる所以だが)、民主制はその原理に根本的矛盾を内蔵する政治思想、制度であることは、民主制を少しでも真面目に考えたことがある者なら周知の事実だろう。
時代も社会構造も異なるとはいえ、それなりの合理性があって様々な制約を課した上で史上初めて民衆政を導入した古代ギリシア、特にアテーナイ人はそれを熟知して運用する一方で、ソクラテス、プラトン、アリストテレスは民主制の理想に原理的疑問を抱いていたということであって、それは何も、偉大なる三人の先達が民主制の破壊を意図して民衆を思想的に使嗾したという訳ではない。批判の自由を許容することもまた民主制に不可欠な制度的安全弁だろう。
所謂衆愚政治への転落を回避する多様な修正の試みが不可欠な理由だ。
それにしても、ソクラテスの手法で真理の探究と民主制擁護を慫慂していたカ氏の「無学」故の勘違いは、滑稽を通り越して戯画という外ない。
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