蟻川恒正・日本大学教授(憲法学)が、自民党総裁選で「議論がなかった」と嘆いている文章を見た。蟻川教授によれば、「自分にとっての反対意見を『無駄な批判』と断ずる態度は、国民が下すべき審判を国民に代わって先取りしていることを告白するに等しい」、のだという。https://digital.asahi.com/articles/DA3S13720936.html?_requesturl=articles/DA3S13720936.html&rm=150
 
蟻川教授は、痴漢事件で大学を移ったが(https://ja.wikipedia.org/wiki/蟻川恒正)、もともとは東大法学部にもいた人物である。
 
蟻川教授の主張を見て、私は、複雑な思いを抱く。私は折にふれて憲法学批判をしている。そのため、憲法学者のみならず、彼らの弟子筋にまで毛嫌いされている。「篠田は三流蓑田胸喜だ」(http://agora-web.jp/archives/2029005.html)、「篠田は『憲法百選』を学部授業でも使うと言わないからダメだ」(https://twitter.com/shinodahideaki/status/987754680208932864)、といった残念なまでに低レベルの誹謗中傷が行われていることを、知らないわけではない。
 
しかし憲法学者からの「議論」と言えるような批判には、なかなか出会えない。
 
あるとき、東大法学部の学生が全く意味不明な言いがかりで篠田を否定しているという話を聞いたので、議論の場を設定することを申し込んだことがある。憲法学の先生にも来てもらいたい、とも付け加えた。
 
もちろん、無視された。
 
憲法学者の方々は、「自分にとっての反対意見を『無駄な批判』と断ずる態度」、をとることなく、常に建設的に議論に応じているのか。
 
憲法学者の方々は、「国民が下すべき審判を国民に代わって先取りしている」、と疑われるような態度を示すことなく、常にオープンな姿勢で議論に応じているのか。
 
誹謗中傷ではない、建設的な憲法をめぐる「議論」を発展させるのはどうしたらいいのか。まずはもう少し学者自身が考えてみるべきではないか。