蟻川恒正・日本大学教授(憲法学)が、自民党総裁選で「議論がなかった」と嘆いている文章を見た。蟻川教授によれば、「自分にとっての反対意見を『無駄な批判』と断ずる態度は、国民が下すべき審判を国民に代わって先取りしていることを告白するに等しい」、のだという。https://digital.asahi.com/articles/DA3S13720936.html?_requesturl=articles/DA3S13720936.html&rm=150
蟻川教授は、痴漢事件で大学を移ったが(https://ja.wikipedia.org/wiki/蟻川恒正)、もともとは東大法学部にもいた人物である。
蟻川教授の主張を見て、私は、複雑な思いを抱く。私は折にふれて憲法学批判をしている。そのため、憲法学者のみならず、彼らの弟子筋にまで毛嫌いされている。「篠田は三流蓑田胸喜だ」(http://agora-web.jp/archives/2029005.html)、「篠田は『憲法百選』を学部授業でも使うと言わないからダメだ」(https://twitter.com/shinodahideaki/status/987754680208932864)、といった残念なまでに低レベルの誹謗中傷が行われていることを、知らないわけではない。
しかし憲法学者からの「議論」と言えるような批判には、なかなか出会えない。
あるとき、東大法学部の学生が全く意味不明な言いがかりで篠田を否定しているという話を聞いたので、議論の場を設定することを申し込んだことがある。憲法学の先生にも来てもらいたい、とも付け加えた。
もちろん、無視された。
憲法学者の方々は、「自分にとっての反対意見を『無駄な批判』と断ずる態度」、をとることなく、常に建設的に議論に応じているのか。
憲法学者の方々は、「国民が下すべき審判を国民に代わって先取りしている」、と疑われるような態度を示すことなく、常にオープンな姿勢で議論に応じているのか。
誹謗中傷ではない、建設的な憲法をめぐる「議論」を発展させるのはどうしたらいいのか。まずはもう少し学者自身が考えてみるべきではないか。
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時代認識の変化によって、あまりに当然な常識が危うくなると、逆に学問という土台で常識を一から論じなければならなくなるということだろう。
たとえばある国が他の国に「謝罪する」ということひとつをとってみても、その謝罪内容にかかわらず、考慮または注意すべきことはある。
たとえば、相手の「民度」が低ければ、謝罪をしても相手の復讐心を煽るだけだ。つまり謝罪をすればするほど関係悪化する。こんなことは社会で苦労した一般人にとっては常識だ。相手を理想化もせず見下しもせず現実的につきあわないといけないということだ。
しかし、日本の無能マスコミはまったく理解できなかった。岩波書店の雑誌や書籍のたぐいというのか、、机上で言葉あそびをしているだけの学者もどきが、毒気の強い共産主義でさらに頭がいかれてしまっただけだが、それらの言説を真に受けて、その亜流になってしまった。箸にも棒にも掛からぬやつらだ。学問などというシロモノではない。一方的な怨念を見せかけ倒しで正当化しているだけだ。
細谷隆一氏の著作の一部には疑問を感じるが、こういった比較的偏見のない研究者が増えてくるのは良いことだ。
ところが人文系はそうでもないかもしれない。生年月日等は正確なようだが。たしかに重要な概念を理解する場合には補助程度にしか考えていない。
あの分量ではうまく消化できないというか、そもそも科学技術のように、特定分野の精度が高くなるにつれて(多数の合意を得て)巧妙に体系が広がり、概念が分化していくということが困難なのかもしれない。
人文系はwikipediaでなく、ふと訪れたブログや著者の個性が刻印された出版物のほうが読み物としては面白い。
日本でのドイツ語の和訳は、文法的にあっていれば、正解、となることもあって、なにが書いてあるか、内容的によくわからない和訳が多いが、大事なのは、文法的に正確な翻訳ではなくて、ヘーゲルがその言葉によって、我々にわからせたい内容である。ドイツ人の元教授の解説が貴重なのは、ドイツ人の文化的背景を知った上で、その内容にまで立ち入って、説明してくださることである。そのような内容は、ヘーゲルを一度読んでわかる、などという生易しいものではない。会社員さんの、ふと訪れたブログや著者の個性が刻印された出版物、という説もきっと反氏は否定されるのだろう。田中美知太郎の「ソクラテス」で書かれた内容さえ別の「専門的な書物」を例にひいて否定された反氏なのだから。要するに、反氏の主張は、「学のある自分に従え。」という主張なのであって、それは東大系憲法学者と変わらない。私が疑問に思うのは、その反氏の判断基準は、なにか、ということなのである。
それで世の中がうまくいくのなら、それでいい。けれども、マスコミ人は戦前それをやって、「軍部台頭」を許し、「軍国主義日本」を誘発してしまったのではないのだろうか。
反氏は以前、日本人は、欧米に滞在した人の意見をありがたがるが、いかにくだらないか、ということを私で「試金石」にしたい、とコメントで書かれたことがあったが、哲学を専攻し、企業の労働組合活動をし、マスコミで活動を続けていると、どのような思想になるのか、よくわかった。否定、批判はできても、生産性、協調性、建設的なものがほとんどない。その政治批判の方向性が、日本の現在のマスコミや野党の欠陥でもある、とも私は考えている。
20代の小娘ではあるまいし、70歳に近づいた老婆には、長い間生きていた経験上、それなりの[人生哲学]がある。その哲学に基づけば、ヴィトゲンシュタインの‘Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen’だけでは不十分で、Wovon man sprechen kann, darüber muss man sprechen, つまり、「それについて語ることができる人は、それについて語らなければならない。」を付け加えるべきだ、と主張しているのである。
ドイツ語のヘーゲルの文章をドイツ語訳で読むカ氏の神経を疑う。カ氏が下手な訳をつけた部分はヘーゲルのものではない。「無学」は悲惨だ。
68、69を読む限りほとんど錯乱したかと思われるくらい、激昂した齢70近い「無学の女王様」の早朝の獅子吼としてすっかりお馴染みになった景色である。血圧が上がって卒倒しなければよいが、とつい心配になるほどだ。
私が2日・223で【「自らの満足のためや、人心に訴えるための論を敢えて構えようと」躍起になっている、一人の異形な「無学」(‘sine litteris’)の魂の蠢きがあり、そこに渦巻く負のエネルギーは理性を覆う」】と書いた通り、過激主義者が目に前で悲憤慷慨している。
私が223で指摘したカ氏の「過激主義」とは、「不満をもった者や心理的に家庭をもたない者」という一般的性向に加え、哲学への極端な敵対視をはじめ「理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者」の謂いであって、本日の70のような、哲学の祖タレースから数えて2,600年余、ソクラテスの死からでも2,400年余になんなんとする本格正統の西洋哲学の歴史(その中で人間の思考自体を根底から規定する概念も枠組みも形成された)の重みを何も知らず、ちゃちな処世訓程度に逼塞する松下幸之助や日野原重明の「人生哲学」と同一に論じる、亜種「ドイツ狂」カ氏の、およそ自覚されざる「無学」の無学たる狂態ぶりを独自の「軽躁さ」が増幅している図を見る。カ氏の力説する「常識」とともに、厳しく吟味されなくてはならない。
そして何ものにも囚われない徹底した「吟味」(ἔλεγχος)の姿勢こそ、プラトンが伝える、ソクラテスた説いた哲学(φιλοσοφία)の精神であろう。
そこで私は、常のように壊れた蓄音機さながら、【ゲーテの主張……「健全な常識」の立場……常に芸術や学問というものは、哲学からの独立を保つとき、自然そのものの人間の力を自由に発揮して、いつも最大の繁栄を遂げ……学問の追及は、哲学から独立しなければならない、という言説が真理」】(2日・216)と同工異曲で繰り返す、およそ学問の精神とは何の関係もない、むしろそれと対蹠的で学識(μάθημα)への敵意を隠さない粗野で凡庸極まるカ氏の、憐むべき俗説の俗説たる所以を、原資料に遡って指摘し、論駁したはずだ。
カ氏はそうした際、具体的に反論してこない。反論できない。その知識も能力がないからであり、その熱意もない。産婆術(μαιευτική)のケースがいい例だ。
産婆術(μαιευτική)を語るのに、その挿話を取り上げたプラトンの対話篇の該当箇所を博捜し(学問に日々勤しむ者=学徒の良識)、【産婆術について、記載があるのは中期の対話篇『テアイテトス』149A, 150B, 161E, 184B, 210B~D、後期の『ポリティコス』268B――のみ。その他、「産婆(μαῖα)」と「産婆の仕事」について、『テアイテトス』に計7カ所、言及があるのみ。カ氏が唯一読んだと公言するプラトンの『ソクラテスの弁明』、『クリトン』両篇のどこにも、産婆術の記載はない。従って、カ氏が説く、ソクラテスの真理の探究法への言及は……カ氏の以前のコメント【(「私がプラトンのこの二冊を通じて主張したい……彼の真理の見つけ方……その方法は、産婆術と呼ばれる」】(7月22日・36)が、プラトンのテキストに基づく事実とも、カ氏の証言とも決定的に食い違うことを明らかにした(9月26日・164)。
結論は、カ氏の主張は事実無根の大ウソだった訳だった、ということだ。
不勉強だから、大砲に竹槍で対抗する訳にはいかない訳で、気の毒このうえないが、それも身から出たサビなのだ。
そうした、もはや習い性となった居直りと欺瞞に加え、弱論強弁にさえ値しないカ氏の議論(λόγος)以前の無駄なおしゃべりが、真の対話(διάλογος)に至らないどころか、カ氏による意趣返しの「投稿のための投稿」という、私に反論し続けて「説得も論破もされなかった」という外観に固執する、いわば印象を残すことに躍起になっているという憐れむべき狂態に直結する。
カ氏に誤謬の原因を解明しようとする姿勢は全くないから、ほとぼりが冷めたら再び、性懲りもなく驚天動地の妄説を再生産することになる。恥の上塗りの典型だ。驚くべきことに、それに愧じ入る気配もない。同じ事は、ドイツ国(公)法学と憲法解釈との関係、憲法の授権規範と統制規範との関係をめぐる、私以外の遣り取りの場面でも繰り返されたのは、周知の通りである。
今回もそうした過去の事実を、カ氏自らの投稿で証言しているようなものだ。「語るに落ちる」の典型で、愚劣そのもの。
繰り返す必要もないだろうが、私は何も「無学」のカ氏がナイーブに固執する【「国際常識」を「哲学の専門家だから……専門知識、古代ギリシャ語を使って、覆そうと」】した訳ではない。その必要は最初からなく、カ氏が莫迦の一つ覚えのように主張する、高校の倫理社会レベルの「常識」なるものは、プラトンその他、古代の著作や具体的な証言に基づくものではなく、後世の伝承や根拠なき訛伝、即ち間違った風説の寄せ集めにすぎない、ということを学問的に例証しただけだ。
それはともかく、齢70近くもなって、一向に『論語』が説く「七十而從心所欲、不踰矩」という規矩の自覚(εἰδέναι)はもとより、デカルト流の良識(bon sens)、「高邁な精神」(généiosité)も欠いた「品性(ἦθος)の欠片もない老媼を憐れに思うだけである。
俗説は何も産婆術に限らないが、私が意図したのは、プラトンが対話篇の中で具体的に明かした産婆術ではなく、カ氏が「無学」と怠惰であるが故に陥らざるを得なかった「産婆術」を二重三重に取り巻いている俗説と区別できず(そもそも、そうした事態を承知ぜず)、それを指摘されても自力では解明できないことそのものが、カ氏の「無学」たる所以であることを指摘して、戒めた訳である。
それが、無学の分際で何やら我儘な女王様気取りの(もっとも実態は投稿名のように優雅でもなんでもないのだが)、齢70近い老媼の逆鱗に触れ、見境なしに見当違いな意趣返しの、もはや自己目的化した「投稿のための投稿」に憂き身をやつす今日のこの体たらくを生んだ、ということだろう。
今回もまた粗笨な読みに基づき、批判のつもりで見え透いた「独り芝居」に興じているようだ。
何とも憐れだ。
実態は、カ氏の中学校レベルの「常識」という名の俗識を、最新の研究成果に基づき、軌道修正しただけだ。それも、私個人の見解というより、斯学の研究者の共通認識を紹介した程度に止まる。
見え透いた難癖を平気で揚言する、デマゴーグ(δημηγόρος)まがいの言いがかり、まさに空理空論(ἀδολεσχία)でしかない冗語を早朝から撒き散らすカ氏こそ、自制心(σωφροσύνη)も冷静な判断力も夜明けの闇に紛れて見失っている、「正気の思考」を欠いた妄執、「教養の俗物」(‘Bildungsphilister’)、しかも「似而非教養」のそれであろう。
ヴァイツゼッカー元西独大統領が「見え透いたドイツの自己弁護をする俗物」であることは否定しないが…。爾余の幼稚園児レベルの冗語は相手にしない。勝手に獅子吼(ほざいて)いればよい。品性に悖ると自覚しないならば。
私は元新聞記者であるから、一切の手加減をせず、情け容赦なく、それこそ殺伐非情に倦むことなく、この間の一見不毛ともみえるカ氏との遣り取りを通じて、米国や西独に留学経験のある、従って英独両語に通じた教養ある、しかもそれなりに人生経験を積み、出自から推して比較的恵まれた部類に属する未知の女性が、これほど激昂しやすい偏狭な心性を隠しもった、自尊心だけは一人前の唾棄すべき人格であることを、図らずも知ることになった。
何事もやってみるもので、人生には無駄などない。‘Que voulez-vous, déjà vu.’=「仕方がない、それもまた人生」である。
そこで思い出すのは、デカルトが彼の哲学の中核概念である「良識」を支えるものとして説いた、「高邁な心」(気高さ)だ。
彼は、われわれが真理の認識やそれに基づく確かな判断によって感覚や想像による迷妄を脱して習慣、つまり気づかぬうちに囚われている思考の枠組みをつくり変えることができれば、情念を自由に支配することができると論じる。
欲望に基づく雑多な情念を誤りのない価値判断によって是正し、情念の受動性(πάθος)を克服して能動的な精神の働きに替えることを説く。感情を制御することは、心の自然な働きをいたずらに縛ることではなく、心の動きを身体や習慣に伴う受動性(ἦθος)から能動の状態に移行させることにより精神の支配下に置くことだという(野田又夫『デカルト』参照)。
最後に、ヘーゲルの『法哲学要綱』の同じ「序文」にみえる、次の著名な一節=‘Was vernünftig ist, das ist wirklich;und was wirklich ist, das ist vernünftig.’〔 「理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である」〕、哲学は「現実の成熟の中で初めて」現れることを示すヘーゲルの中核思想であり、「ミネルヴァの梟」とは畢竟、哲学ないし知性のメタファーである。
それにしても、カ氏ぐらい、以下のニーチェの断章に似つかわしい人物はいない。
☆「真理とは、それなくしては或る種の生きものが生きられないかもしれないような誤謬のことである」(『力への意志』、シュレヒタ版全集=断片番号844)
カ氏は自分が信じたい都合のよい真実しか受け付けないし理解しないようだ。それはニーチェが指摘する誤謬(δόξα)に直結する。[完]
素人は気楽でいい。素人に怖いものなし、というのか「無知」であるが故の特権を行使して、愚もつかないことを早朝から宣っているカ氏のように。
ニーチェに殲滅に等しい批判を加え、古典学者として事実上の死を宣告したドイツ古典学の泰斗Wilamowitz-Möllendorffもかつて、シラーの古代ギリシア観を評して「碌にギリシア語もできず何も知らないやつは幸福だ」と評したのとは位相が異なる意味で。カ氏と比べられては、さすがにシラーも気の毒だろうと、カ氏の剥き出しの学識への憎悪に似た、見当違いな獅子吼を眺めて思う。
『論理哲学論考』(‘‘Tractatus Logico-Philosophicus’’)の棹尾を飾る命題=‘Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.’〔7〕(‘What we cannot speak about we must pass over in silence.’=「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならない」)について、カ氏と論じること自体、「思考の経済学」からも、ナンセンスだろう。
「世界」「言語」「論理」についてまともに考えた気配もないカ氏に、ヴィトゲンシュタインは過ぎた玩具だ。
世界は論理空間における事実の総和である(‘Die Tatsachen im logischen Raum sind die Welt.’〔1.13〕)。我々がものを語る、あるいは思考する時に、論理に従う。論理は有意味に語る際の前提条件である。それ故、論理自体について語ろうとすることは、根源的矛盾を孕まざるを得ない。少なくとも、それを自覚せずに軽々しく喋喋することは、愚劣極まる。あたかも、素人の無手勝流で無邪気に哲学について、何ほどかのことを語ったと勘違いしているらしいカ氏をみるにつけ。
命題〔7〕は、論理は根本的には「語り得ない」ことを突き付ける。論理は、我々がそれに従いつつ何ごとかを語る時、そのことにおいて、「示される」ものでしかない。
無謀な冗語は一日も早く慎んだらよい。その節度に、論理ではない、倫理が宿る。
‘Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge.’〔1.1〕
71の例えば、ドイツ語のヘーゲルの文章をドイツ語訳で読むカ氏の神経を疑うであるが、原文がドイツ語なら、ドイツ語で読むのが常識なのではないのだろうか。ミュンヘン大学の授業についていくために、色々な音楽学の論文も読んだが、当たり前ながら、すべてドイツ語で読んだ。日本語で読んで、それが理解できても、授業についていけないし、発表もできない。だから、大変なのであって、日本語ですますことができれば、苦労はない。また、その能力があるかどうか、の見極めが、大学の語学試験なのである。卒業するためには、副科も必要だから、希望すれば、哲学も副科として選択できる。私は、ドイツ文学を選択し、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」とシラーの「群盗」を勉強したが、当たり前であるが、それもドイツ語で読み、ドイツ語の授業を受け、単位を取った。
また、いろんなドイツ文化について教えていただくドイツ人の元教授の論文も、日本語では書かれていない。ニーチェについて、書かれたといわれたので、「哲学だから難しいのでしょうね。私に理解できますか?」、て聞いたら、「できるだけわかりやすく、理解しやすく書いたから、なんども読めばわかると思うよ。」という返事が返ってきたので、時間の余裕ができた時に読もうと思うが、私はミスの多い人間だし、反氏の女友達のようにパーフェクトとはいかないが、それなりのドイツ語力をもっているから、ドイツ語で書かれた論文が理解できるのである。
逆に、ゲーテについて、反氏はなにをご存じなのか、と思う。論破したと本人が思っていても、そう、相手は思っていないこともよくあることで、私も反氏に対してなんども、同じ感触をもっているのである。
なんども書くように、ゲーテも私も、学識が不必要などということは、一度も主張していない。学識以外に、「人間としての成熟が必要である。」ということと、「学問の追及は、哲学から独立しなければならない。」ということ、つまり、「常識の大切さ」を主張しているのである。
その例として、父が信仰していた「マルクス主義の歴史学」の末路をあげたが、今回の論争で、ヘーゲルの「ミネルヴァの梟」の比喩もそれにあたる、と気づいた。つまり、反氏のではなくて、私の解釈であるが、コメント59に書いたように、
「哲学は説明すべき現象が歴史になって初めて説明を提供できる。哲学者はただ、過去を解釈できるのである。哲学は現実での経験を前提とし、決してそれからユートピア的な幻想に発展させてはいけない。」。
このブログのテーマ、「憲法学者は議論をしているか」であるが、たとえ、活発に議論をされたとしても、篠田先生や私たちが望んでいるような方向に進んでいくのかどうかは、微妙だな、とつくづく思うが、議論がないよりは、洗脳よりは、そのほうが、まだ、ましなのかもしれない。
大学を卒業してから、何年も経って、西ドイツに留学し、ドイツ企業に勤め、やめた後、E.フロムの「愛するということ」を読んで、感銘を受けた。ドイツの哲学者の著書とは違い、フロムの著書は、日本語にわかりやすく訳されていて、理解しやすい。フロムは、ユダヤ人で、ナチスドイツ時代についてを専門とする「社会心理学者」であるが、なぜ、ドイツという国でナチズム・ヒトラーが実権を握ったか、が心理学的な側面から描かれている。
ドイツ文化、ドイツの歴史、ドイツ人のメンタリテイーを熟知してから読んだせいか、なぜ、その道を進んでしまったのか、ということがよく納得できた。フロムは、その理由の一つとして、ドイツが「権威主義」の国であったから、と述べておられるのである。
つまり、ドイツ人が、理にかなった信念と、根拠のない信念を区別できなかったから、ヒトラーを政治指導者にしてしまった、としている。フロムのいう「根拠のない信念」とは、道理にあわぬ権威への服従にもとづいた、(ある人物や理念への)信仰、つまり、ある権威、多数の人びとがそう言っているという理由で、何かを真理として受け入れるということ、「理にかなった信念」とは自分自身の思考や感情の経験にもとづいた確信である。つまり、なにかをやみくもに信じるのではなくて、自分自身の生産的な観察と思考とに基づいた、他のいっさいから独立した確信、にねざしている。
77の反氏のコメント、我々がものを語る、あるいは思考する時に、論理に従う。論理は有意味に語る際の前提条件である、というのはそのとおりであるが、真理に到達するためには、その他に、自分の感性、現状の自分なりの生産的な観察と思考がいるのである。それなしに、権威のある人をまねて、いくら論理を駆使しても、真実には近寄れない。日本国憲法には、「国民に権威がある。」と規定されているのであって、「憲法学者に権威がある。」とは定められていない、ということがその何よりの証明なのではないのだろうか。
全く呆れた、もの言いだ。「ミネルヴァの梟」はヘーゲル由来で、「ヘーゲルの原文」を前提にしないでどうする。
カ氏は相当確実な根拠をもって「推定」するなら、紛れもない「(英独語を留学生レベル読み話せ、多少は物知りな、ただそれだけの)おめでたい ‘i*i*t’(大☆迦)なのだろう。
私の71の指摘は、以上のカ氏の学問的には深刻な「申告」に基づいている。「ミネルヴァの梟」(die Eule der Minerva)を含むヘーゲルの主著の一つ『法哲学要綱』の「序文」(‘Vorrede’)に見える。別にカ氏のように「ドイツ語で(検索ワードを=筆者註)入れて、検索をかけたから、ドイツ語訳として、‘Eule der Minerva……ihren Flug beginnt.の項目」に頼る必要はない。
なぜなら、ヘーゲルの原文はネット上にズールカンプ(Suhrkamp)社版の20巻本全集の第7巻『法哲学要綱』として、全文が公開されており、そこからの引用が、ドイツ版Wikipediaにも直前の部分も含め、省略することなく引用されているからだ。
従って、常識的にはそれに基づいて解釈または議論すればいいわけだ。しかし、「無学」で「哲学音痴」なカ氏は、それでは自分に都合の好い「論を構える」ことができないためヘーゲル自身のドイツ語「原文」の「ドイツ語訳」に頼ったにすぎない。
「無学」の「正体見えたり」というより、何とも鼻白む侘しい話だ。こうなると、精いっぱい背伸びして虚勢を張った「無学」は悲惨だし、カ氏のいじましい心性が透けて見えるようで、憐れだ。
78の【71の例えば、ドイツ語のヘーゲルの文章をドイツ語訳で読むカ氏の神経を疑うであるが、原文がドイツ語なら、ドイツ語で読むのが常識なのではないのだろうか】は、そもそも成り立ちようがない、カ氏一流の見え透いた論点ずらしの詐欺的議論である。
私が指摘した事情を知っていて相も変わらぬ冗語を並べて事態を誤魔化しているならカ氏は相当「悪質」で、到底まともに相手する人物ではない。自覚しないで意地になって意趣返しのため、今やほとんど日課になった暇な老媼の手すさびとして止み難い「投稿のための投稿」に現を抜かしているとしたら、よほど「無学」の五流六流デマゴーグなのだろう。齢70近くになると、老人は我儘だし、相当過激である。
「ミュンヘン大学の授業についていくために…」以下は、So What?「だから何なのよ~!」が口癖だった、東京外大卒のウルドゥー語を専門とする友人(3年前に心停止で急死した私の友人の元妻。私に墓碑銘[quid pro quo]の評価を尋ねた)なら、たちどころに一喝するだろうが、自らの「無学」の誹りを免れる理由にはならない。精々、孜学の志に溢れた往時の自らに愧じぬよう、態度を改めたらよい。
そうでなかったら、ソクラテスの無知に知、産婆術など、一知半解でご大層に語るものではない。恥の上塗り以外の何物でもないし、厚顔無恥そのものではないか。いまさら、フロムでもあるまい。凡庸極まる。
カ氏に必要なのは「無恥」の自覚である。
私の指摘する事実、即ちヘーゲルの「ミネルヴァの梟」(die Eule der Minerva)に関する、そもその出所、『法哲学要綱』(‘‘Grundlinien der Philosophie des Rechts.’’, 1821.)の「序文」(‘Vorrede’)に見える「原文」を含むSuhrkamp社版全集第7巻の該当箇所=【‘Georg Wilhelm Friedrich Hegels Werke in zwanzig Bänden auf der Grundlage der Werke won 1832-1845, neu edierte Ausgabe, Redaktion Eva Moldenhauer und K. M. Michel: Bd. 7=‘‘Grundlinien der Philosophie des Rechts.’’[1821], 1970, S. 27’=〔Wenn die Philosophie ihr Grau in Grau malt, dann ist eine Gestalt des Lebens alt geworden, und mit Grau in Grau läßt sie sich nicht verjüngen, sondern nur erkennen; die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug.(私の試訳部分)〕】に拠らず、なぜ、根拠(textual criticism=テキスト批評に基づく具体的理由)なくヘーゲルの原文を一部改変(改竄)したという紛れもない「事実」=暴挙には一切答えようとはせず、何らの有効な抗弁にはなっていない。
だから、「無学」ではないですか? とカ氏に問い質している。それを京大哲学科卒の父親が「カントと同じように、ヘーゲルについても色々わかりやすく説明してくれた」程度の話にすり替えて、肝腎の「ミネルヴァの梟」について、どのように語っていたかや、ヘーゲルの当該箇所以外の前後や、他の関連するヘーゲルの著書を読んで、乃至はそれに値するしっかりとしたヘーゲル関連のモノグラフ、関連文献を読んで内実を知ろうとした形跡、知的努力が全くない。
ましてや、哲学を専攻した父親が【「哲学」を愛し、生涯「哲学」を勉強……そんなに「無学」なものではない】は全く別の話だ。ご尊父のヘーゲル認識(ヘーゲルの「ミネルヴァの梟」に関する見解が仮にあったとしても)はこの際、問題ではなく、カ氏自身の「無学」の言い逃れにはならない、ということである。
ヘーゲルに限らない。「無知の知」、「不知の知」、「無知の自覚」――プラトンの対話篇のソクラテスは、意外だろうが、正確にはそうした直截的な表現を一箇所もしてはいないが、この際それは措いて、そうした知的な誠実さがカ氏には最初から欠けており、将に「無学」の中の「無学」たる証拠を日々、公開された言語空間=本コメント欄で、自ら再生産(恥の上塗り)していることに、そろそろ気づかないものか。
論理学について無知なカ氏が、無謀にもウィトゲンシュタインについて、「何ごとかを語る」グロテスクな風景も、滑稽を通り越して、悲惨極まりない。一人前のことを揚言したかったら、現代形式論理学の初歩的知識ぐらい、身につけたらいい。世間の笑い物になりたくなければ。少なくともプライドだけは一人前らしいから。
「哲学音痴」ゲーテの信奉者であるカ氏は、『論理哲学論考』(‘‘Tractatus Logico-Philosophicus’’)を読んだことはないだろうし、世界(die Welt=「現実に成立していることの総体」)と論理空間(logischen Raum=「可能性として成立し得ることの総体」)の関係について考えたこともなく、ましてや、「世界は論理空間における事実の総和」、即ち「論理空間の中にある諸事実が世界である」(‘Die Tatsachen im logischen Raum sind die Welt.’〔1.13〕)ことなど、思いも及ぶまい。
学問は厳しいのですよ、デマゴーグの「おばあちゃん!」。
私のカ氏へのコメントは「誹謗中傷」でもなんでもなく、紛れもない「事実」だということを証明する試みであって、だから、これだけのスペースを費やして「殺伐非情」に論証している。
つまり、哲学(賢明さの象徴であるべき学問)は説明すべき現象が歴史(黄昏時)になって初めて説明を提供できる、という暗喩に。
前に書いたと思うが、オペラは、バロック期にギリシャ劇の影響で誕生したものなので、ギリシャ神話の知識も必要とすることがあるので、オイデイプス王も読んだし、ギリシャ神話の本も読んだ。とにかく、知識の量の競争、ではなくて、なにが真実なのか、を純粋に探求するのが学問ではないのだろうか?
ネットという、文章作法と一定の訓練を欠いた素人による「無免許運転」さながらの俗悪さの跳梁跋扈、しかも匿名で可能な現代の不可避な現実なのだろう。既存メディアの知的頽廃も救い難い側面を内蔵するが、もう一方のネット空間上の誇大妄想癖のある人物について、政治学者のS. M. リプセットが‘‘Political Man.’’(1960年。邦訳は『政治の中の人間』)で、現代においていかに民主主義を機能させるかという課題に向き合い、それを規範的に考える過程で示した視点、つまり過激主義運動に関して言及した箇所で「不満をもった者や心理的に家庭をもたない者、人間としての失敗者、社会的に孤立している者、経済的に不安定な者、教育のない者、理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者にもアピールする」(邦訳194頁)としているのと共通する、鬱勃とした焦慮が、カ氏の一連の見境のない投稿にも透けて見える。
この「教育のない者」や「理論をもたない者」の強調については、プラトンが対話篇『国家』の中で展開した、古代アテーナイの民衆政において政治的意思決定に関与する「靴屋」や商人の役割について、頻りに異議を唱えていることを髣髴とさせる(M. I. Finley;‘‘Democracy Ancient and Modern’’, 1985.参照)。
カ氏にみられる、「哲学音痴」ゲーテの見解からも聊か逸脱ぎみの哲学への極端な敵対視をはじめ「理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者」に共通する大衆の学識への憎悪のようなものを感じる。
もっとも、カ氏自身はそうした大衆に寄り添うポーズを取りつつ、実態は独英語の多少の知識と留学体験をどこか特別な知的視座のように特筆大書して、ご大層な政治的見解、歴史認識、憲法観を騙る中途半端な「教養の俗物」(‘Bildungsphilister’)にすぎない。
それは、「長い間ドイツ文化を勉強し、ドイツ文化の神髄を知る年長者のつとめ」などと僭称する「夜郎自大」の見当違いな態度、極端な自己顕示欲に加え、「無学」な割に自尊心だけは一人前の特異な人格にも通じ、ゲーテとヴァイツゼッカーへの如何なる批判も許さない権威主義的パーソナリティの持ち主なのと相まって、自己の内部矛盾にはお構いなしのご都合主義的で軽躁な心性と俗物根性とのアマルガムを形成している。
自身への間違いの指摘や「無学」の認定には、極めて偏狭な態度を隠さず、極端に攻撃的で、自己やドイツ、ゲーテ、ヴァイツゼッカー擁護のためだったら途方もない言辞をも躊躇しない。私などは、ナチス並みの危険人物、権威主義者と斬り捨てられた。
「ミネルヴァの梟」について、「無学」な素人故の近視眼で誠に涙ぐましい滑稽で偏頗な議論を展開しているが、ヘーゲルの文脈を見失っている。
ミネルヴァ(Minerva)はローマ神話の技術、職人の女神で元々はエトルリア系。ギリシア神話の処女神アテーナー (Ἀθηνᾶ)と同一視される。
都市国家アテーナイ(Ἀθῆναι)の守護神。ゼウスの娘で、その頭部から甲冑を纏い槍と楯を携えた武装した状態で生まれた。雲間から煌めく雷電光(ゼウスの娘)の表象とされる。都市国家、原義は城塞都市という意味のπόλιςの守護神(πολιοῦχος)の称号があり、アテーナイやテーバイでは城山の頂に女神の社殿が安置された。
アテーナイのアクロポリスにあったのがパルテノーン(Παρθενών)で「処女神宮」を意味する。パラス・アテーナー(Παλλὰς Ἀθηνᾶ)とも称された。
梟は、しばしば鳥に変身した女神をホメーロスで「梟の相貌をした」(γλαῦκόπις)、「碧い(輝ける)眼をした」「鋭い眼の」と形容したようにアテーナイの枕詞(形容詞)で、女神の聖鳥が梟だったことに由来する。
「ミネルヴァの梟」が知性の擬人化とされ、哲学や知性の象徴とされるのは、女神が守護するアテーナイが、古代世界の哲学研究の中心地だったことに由来する。それ以上でも以下でもない。
「梟は夜行性…黄昏に飛び立つ」。ホメーロスを読んだことのない「無学」の妄説は滑稽だ。[完]
私は、nakaさんが、反氏がこのブログに登場された時に書かれたように、それほど自負心がおありになるのなら、私への批判と罵倒で時間とエネルギーを使うかわりに、どうして、実名で、自分のブログ、「反時流的古典学徒 」の視点から見る現代日本、というブログをたちあげられないのか、計り知れない。このようなことをしていても、生産性がまるでないし、反氏の長々とされる主張は、篠田教授のブログに書かれているテーマとはまるで関係がない。誇大妄想狂、なのはどちらなのだろう。
「ドイツ人というものは威嚇以外には何も理解しないし、また理解もできない。交渉にあたっては情け容赦も仮借もない、有利とみればすかさずつけ込んでくるし、利益のためにはどんな下劣なことでも敢えてする、彼には名誉も誇りも慈悲もない。だから人はけっして、ドイツ人と交渉したり、懐柔しようとしたりしてはならない。ドイツ人にはただ命令しなければならない。それ以外の条件ではドイツ人は人を尊敬しないし、また彼らに人を欺かせないようにすることはできないであろう」。
私は、反氏が私のことを、ナチスに力を与えたのと同じ精神構造をもつ「デマゴーグ」であると断定されるように、反氏をナチス並みの危険人物、などと形容したことは、一度もないが、「平和構築」とは相いれない思想傾向をもつ人物だ、という認識はもっている。
以下、煩瑣を厭わず、具体的投稿内容を引いて、論証する。「投稿公害」のこれ以上の氾濫を抑止するため、了とされたい。
北海道・胆振地方を最大震度7の地震が襲い、北海道全域で停電が発生したその朝。一旦は、コメント欄からリタイアしたはずの老媼が撤退発言から2日もせず、復活した。復活理由はヴァイツゼッカー擁護。
発生直後(9月6日 06:40・9)に「伊奈久喜というジャーナリストは、日経新聞で、論説副委員長……マスコミ関係者、反氏なども、その見解をおとりになる」と何らの根拠も示さず、ヴァイツゼッカー演説への否定的評価に噛みついてきた。その悪質な、ナチス・ドイツ宣伝相ゲッペルス顔負けのプロパガンダの主こそ、外でもない「無学の女王様」カ氏(「マダム瑕疵」)である。
私は、翌7日10:14・26にこう書いた。(「無学の女王」カ氏は)「読者に「共産主義はナチスと同じ…それ以上の惨事を民衆に引き起こすイデオロギー」という、ナチス並みのプロパガンダを展開するため、意図的に、または本能的に投稿しているようだ。とてもまともな神経の持ち主ではない。それもドイツ仕込みなのだろう。投稿は一字一句記録されている。無謀、蛮勇を意味するギリシア語はθρασύς、θάρρος。無思慮(ἀφροσύνη)も厄介だが、虚言癖も困りもの……くれぐれもご用心」と。
ことほど左様に、すぐばれる見え透いた「ウソ」をついて、その場を誤魔化し、コピペ頼みの訳の分からない相手への反撥を露わにして読者を目眩しにかけて欺き、反論の姿勢(「反論ための反論」)を自己演出する。
まず最初に本日の98。
▼【私は、反氏が私のことを、ナチスに力を与えたのと同じ精神構造をもつ「デマゴーグ」であると断定されるように、反氏をナチス並みの危険人物、などと形容したことは、一度もない】⇒⇒とんだ大ウソ。10月3日06:23・228で【反氏の主張に「平和を壊す」多大な問題点を感じる……アドルノの主張への共鳴、この主張は、ヒトラーのアーリア人の代わりに、ユダヤ人が置き換わった主張……つまり、「優秀な民族による劣等な民族の指導」の政治原則、ヒトラーの場合は、優秀なドイツ人による……ユダヤ人の排除、が彼の政治原則……アドルノの主張は、優秀なユダヤ人による指導におきかわる……国内でも、地方指数が高い優秀な人間が、劣等な人間を指導すべきである、などとという反氏の主張も、ナチスドイツの思想そのものなの】。
本日は26日。わずか23日前の自分の重大な発言を充分確認もせず、誤魔化して愧じる気配もない。惚けているようではなさそうだが。
▼本日95=【反氏と違って、異国の大学生として、企業人として、多くのドイツ人とつきあい、ドイツの下層中間階級を含めたメンタリテイーがわかるようになった……反氏は、ドイツ人と大してつきあったこともないのに……侮蔑的なレッテルをドイツ人に貼るのか、理解できない……自分の感性、現状の自分なりの生産的な観察と思考がいる……いくら論理を駆使しても、真実には近寄れない】⇒⇒所詮はドイツ人の一部と付き合っただけのカ氏の個別的な経験に基づく、単なる主観的印象を特別視しない。他人の印象自体をとやかく言うつもりはないが、ドイツ人(民族)には別の面があるということを、現代のみならず歴史を遡って私は多面的に論じている。
殺伐非情に対象を解体し、真相らしきものを抉剔するのみ。その点で、ヴィトゲンシュタインの覚悟、即ち‘The Philosopher is not a citizen of any community of Idea, That is what makes him into a Philosopher. (from L. Wittgenstein, ‘‘Zettel[1945~1948]’’, 1967.)を旨としている。
▼本日96=【私に対しての、「哲学音痴」とはなにをさすのかわからない。私は、関学時代、野田又夫さんの講義も取ったが、その成績もよかったし、「哲学」や「論理学」の成績もよかった】⇒⇒何を今さら。過去の指摘の数々がそれを証明している。【「哲学」や「論理学」の成績もよかった】は現実を裏切っており、カ氏は退化したのだろう。見え透いた弁明で、これ以上の言及に値しない。
▼本日96=【私への批判と罵倒で時間とエネルギーを使うかわりに、どうして、実名で、自分のブログ、「反時流的古典学徒」の視点から見る現代日本……をたちあげられないのか、計り知れない……生産性がまるでない……ブログに書かれているテーマとはまるで関係がない】⇒⇒貴殿にだけは言われたくない、という冗語。この問いに対しては以前、naka氏に答えたので繰り返さない。
むしろ、今回の篠田さんのトピックス「憲法学者は議論をしているか」に絡めて、篠田さんの論争の呼び掛けに憲法学者が応じないように、本コメント欄でも、具体的な論証の限りを尽くしても相手が知的に不誠実だと、如何に論争が成り立たないか、一つの症例になると、気儘に構えて、しかし、相手を殲滅するまで、血も涙もなく、倦むことなく、古代ギリシア人の精神で、議論に勤しんでいる。
哲学や広く思想に限らず、思考が問題となる学問に「生産性」などというケチな料簡を私は持ち込まない。松下幸之助をケインズやヘーゲルと同一に論じて大衆に媚びたり迎合する趣味を持ち合わせていない。
▼本日97=【反氏の主張、私が、ゲーテとヴァイツゼッカーへの如何なる批判も許さない権威主義的パーソナリティの持ち主……という主張……は、最近、反氏が多用……これ以上甘受できない、と思うようになった……反氏は、なんども繰り返して書くことで……私がそうであるかのようにイメージを焼き付けようとして……元々は……クレマンソーの対ドイツ人観、に対する二人の見解の相違からきている】⇒⇒よくもまあ、抜けぬけと大ウソをつく。私がケインズ『平和の経済的帰結』(将来に禍根を残す過酷な講和内容に抗議して、会議半ばで大蔵省主席代表を辞する)の中で描写したパリ講和会議におけるクレマンソー仏首相(首席全権)の対ドイツ観に最初に言及したのは、8月8日 09:05・63。
ゲーテとヴァイツゼッカー、その他カ氏の偏向した、独善的な「ドイツ認識」、「ドイツ擁護」に絡めて、最初に1985年のヴァイツゼッカー演説を批判したのは、その1カ月半前の6月25日 11:39・22である。(この項続く)
☆傲慢は、何があろうとどこかで元を取る。虚栄を棄てる時ですら、何ものをも失わない。(33=La Rochefoucauld; ‘‘Réfleexions.’’)
カ氏の言い分は以上の事実と異なる。私は8月8日以前にもカ氏の「御本尊」=ヴァイツゼッカーについて、度々多角的かつ根本的に批判しており、それを一切受け付けないカ氏の態度こそ、「権威主義的パーソナリティ」そのものである。従って、カ氏の言い分は全く虚偽で、大ウソである。
さらに対立の背景として指摘しておきたいのは、私が『アメリカはウルトラマンではない』への最後で会社員氏に返答したコメント(6/23・17)に、トピックスが「白井聡『国体論』の反米主義としてのレーニン主義」に変わったことなどお構いなしに、カ氏が横から絡んできた(6/24・15)のが発端で、以後ナチスのドイツ共産党との関係や、ユダヤ人大量虐殺の犠牲者数(中国文化大革命も)……など誤謬の大放出は、どうやら動機はカ氏が心酔するヴァイツゼッカー元西独大統領を私が全く評価していないことへの悲憤慷慨にあったということだ。カ氏には特定の信条への批判に激昂する偏執的な気質がある。
カ氏は周知の通り、ヴァイツゼッカー信者であろう。対する私はヴァイツゼッカー演説はドイツ版「春秋の筆法」で高潔でも「良心の鏡」でもなく、見え透いたドイツの自己弁護で、認識の徹底性はアドルノやハイデガーの足許にも及ばない。プラトンやアリストテレスからみたら、単なる俗物。政治家ならそれもよい。ありがたがって担ぐ方がお目出度い‘‘I*i*ot’’。政治の本質を知らない凡庸さの極地であろう。
‘Was vernünftig ist, das ist wirklich;und was wirklich ist, das ist vernünftig.’(Hegel=‘‘Grundlinien der Philosophie des Rechts.’’,1821)
▼本日98=【「夢を見ない人」、冷厳な認識者、クレマンソーの真骨頂である、と反氏がクレマンソーを賛美……そのドイツ人観がナチスの台頭を許した……ワイツゼッカー演説の「ヨーロッパ協調」の姿勢はヨーロッパに壁をなくし、平和をもたらし、すばらしい、と私が主張したことから、応酬が始まっている】⇒⇒これも全く事実に反する。
実態は、カ氏が「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だから」(6月14日 17:32)と妄言を発したので、それを批判する形で私がカ氏のさまざまな誤謬を、それ以前に遡って指摘し、その中でヴァイツゼッカー演説の欺瞞と偽善性を批判する中で始まった。ただ、それだけのことである。
そもそも、時代も国際状況も違うクレマンソーとヴァイツゼッカーを比較して議論する意味はなく、ただ、クレマンソーの苛烈な対ドイツ観が、国家間同士も「みんなでな仲良く」式のカ氏の幼稚園児並みの幼稚な政治観に照らして、到底容赦できなかったのであろう。齢70近くにもなって、カ氏は何ともお目出度い御仁だ。
さらに、カ氏は思い違いされているようだが、私はクレマンソーを讃美してはいない。ケインズによって「羊皮紙の無感動な顔」と形容されたこの政治家が、フランスの「国益」を背負った辛辣極まりないリアリストであることは疑いない。ドイツ観は、たぶん当たっているであろう。ケインズの記述にもそれは、歴然だ。過酷すぎる講和条件は実効性の点で非現実的であって、必ず将来に禍根を残す、とケインズは確信していた。だから、締結を待たずして大蔵省主席代表を辞めた。ドイツに対する同情や浅薄な正義感からでは全くない。ケインズこそ、「全く夢をみない人」の典型で、クレマンソーに勝るとも劣らない。
すると案の定、ドイツはソ連を西側自由主義陣営で最初に承認する。明白なヴェルサイユ条約違反だ。
ドイツはまず、政治で負けたのである。
何ぴとも、ドイツについて、クレマンソーの慧眼を批判できる立場にはない。彼の哲学には、国際関係について「感傷性」の入り込む余地はなかった。
なお、戦後のドイツ及びドイツ人(民族)に対する私の基本的認識は、テオドール・ホイス初代西独大統領からヴァイツゼッカー大統領を経て現在に至るまで、戦後一貫したドイツの特有の弁明の論理は、道徳的にはパリサイ的偽善であり、心理的には道徳以前の感傷である、ということだ(8月30日・163)。
付言すれば、ドイツの歴史家ハンス・モムゼンのヒトラー及びホロコースト観を特徴づける著名なテーゼ=‘Functionalism and the ‘‘Weak Dictator’’ Thesis’によれば、ドイツの「良心的知識人」の見解は、一枚岩でないことが明らかなばかりか、激しい論争が存在し、未だに決着していない。「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争もその一環であった。ドイツの背負った「業悪」の根深さを感じる。
▼本日98=【ゲーテが「女の尻ばかり追う流行作家」……というレッテルを貼りつけ】=「晩年まで女の尻を追いかけ回していた詩人」は聊か品性を欠く表現だが、ゲーテが出会いと別れを終世繰り返した恋多き人物であったことは事実で、そうした人物を「艶福家」という。私はゲーテをドンファン並みの「色事師」とは考えないが、カ氏の弁護にも拘わらず、文豪ゲーテがいかに流行作家らしく恋多き多情多恨な「文士」であるか、事実をありのままに表現した。
ゲーテの華麗な恋の遍歴について、興味ある向きは、9月11日・70~73を参照されたい。
この種の議論は気が進まないが、c’est la vie.[完]
99のコメント、共産主義はナチスと同じ…それ以上の惨事を民衆に引き起こすイデオロギー」という、ナチス並みのプロパガンダを展開するため、意図的に、または本能的に投稿しているようだ。とてもまともな神経の持ち主ではない、という反氏の主張は真理なのだろうか?これは、日本にずっと生活していると、そう錯覚するものかもしれない。けれども、どれだけの人々が、東欧やソ連で、共産主義政権の下で、思想の自由を奪われ、強制収容所に入れられ、生命を奪われたか、ナチスが政権をとったのは、1933年、つまり、12年間しかドイツを支配していないのに対して、共産主義は、ソ連の革命から数えると70年間、そのイデオロギーで国を支配し続けたのである。中国を考えてほしい。文化革命でどれだけの中国人が、思想や宗教上の理由の為に、農村においやられ、家族の仲を引き裂かれ、殺害されたか。現在の中国は、鄧小平さんが実権を握った時点で、マルクスの理論に従った共産国家では、もはやない。日本にいると、左翼知識人が言論界を牛耳っていたので、共産主義国家の悲惨さはよくわからない。けれど、これは。欧米の普通の人には、きちんと認識されている真実なのである。その為に、1976年毛沢東が亡くなったニュースを知った時、私は、「お気の毒に。」などと言って、イタリアに住んでいる親戚に、「あなた、なに言っているの。」とびっくりされたのである。このことも、昔のブログに書いたことであるし、反氏らしいコメントをいただいたが、それについては、触れられていない。
また、哲学音痴についてであるが、大学時代に音楽学を専攻した者としては、音痴というのは、音楽の知識や学識がないことではない。独唱をした場合、楽譜に書いてあるような音程で歌えない人、その結果、合唱や重唱をした時、うまく、人とハーモニー観、言い換えれば、和声的に、調子が合わせられない人のことをいう。重唱などの場合、みんな違うメロデイーを歌うが、お互いに音を聴きながら、ハーモニー観をもって歌うことができなければ、その作品は美しくない。批判や反論だけに人一倍長けている、負けず嫌いな反氏に足りないのは、それなのではないのか、とふと思った。ナルシスト的独善主義、私に対しても、主観的憶測が多すぎる。
ドイツ人は、論争好きだ。論争は、永遠に続くだろう。思想や表現の自由があるのだから、それはそれでいい。大事なのは、どちらが、自分が到達した真理に近いか、ということである。
▼【反氏の「大衆ではなく、知能指数の高い、知的能力の高い人が日本を支配すればうまくいく。」などというのは、間違いである、ということをはっきりさせたかった】⇒⇒この見当違いな論難は、私が9月9日・50~51で、コンピューター文明がもたらす未来社会の「予感」をN. ウィーナー(サイバネティクスの提唱者)の言葉を引用しながら説いた清水幾太郎の刮目すべき記述(『現代思想』、1966年)を紹介するなかで言及した次の指摘を、「無学」ゆえの粗雑な読みで、カ氏が勝手に曲解したということだろう。長いが引用する。
「思考の機械(コンピュータ=筆者註)」には未来のみがある(中略)ウィーナーが述べるところによれば、知能指数110以下の人間にできる程度の精神労働なら、今日でも、機械の方が遥かに迅速且つ正確に行うことが出来る。その意味において、知能指数110以下の人間――人類の3分の2と推定される――は、社会的に効用のない存在である。
一方において、人間の能力は殆ど増加しないのに、賃金は高くなる傾向にあり、他方において、思考の機械は日を逐って機能が向上し、その価格は低廉になる傾向を示している。
むしろ、彼らを一切の労働から解放して、純粋完全なレジャーの世界に生活させた方が遥かに有効であろう(中略)知能指数とは無関係に、人間は生活を享受する平等な権利を持つであろう。それ故、知能指数の高い少数者が昼夜の区別なく働いて、知能指数の低い多数者にレジャーの生活を保証しなければならないであろう。大衆の労動力に支えられた少数者のレジャーという伝統的形式とは反対の、逆立ちしたピラミッドが明日の文明の姿になるであろう。(引用続く)
いかに労働が辛くても、人間はそれによって生活に意味と均衡を与えることが出来た(中略)その労働が外部から要求されず、更に進んで、内部からも要求されないような時代の入口に、今、我々は立っている(中略)我々の前にあるのは、20世紀初頭の天才たちが、1930年代のエリートや大衆がみた無より、もっと広く深い、新しい無である(中略)何もしないでよい、何をしてもよい時間に、いかにして我々は堪え得るのか」(『現代思想』下巻390~393頁)。
D. Goborがウィーナーの言葉として紹介したのを敷衍する形をとってはいるが、清水の思想を代弁していることは疑いない。
この「死の問題」は、優れて哲学者に解答を迫る体の問題だ。清水やウィーナーの予想は「IT革命」の到来という形で半ば適中した。21世紀は同時代を生きる人間に重い問いを突きつけているようだ。
カ氏は凡庸には違いなく、この程度の認識で驚愕していること自体が愚鈍で滑稽だ。
ここに言う大衆とは、特定の階級、階層ではなく「自己の構成に堪え得ない多数者」の謂いで、カ氏のような凡庸な人物を含む。「知的能力の高い人が日本を支配すればうまくいく」というような、ご気楽な問題ではない。
未来に待ち構える「もっと広く深い、新しい無」――未来の選択は無への挑戦かもしれず、避けては通れない気の重い難題だ。
齢70近い「幼稚園児」には無縁だろうが。
そして、知能指数が高いであろう、自ら率いて日米安保条約の改定反対を訴える国民運動の先頭に立った60年「安保騒動」で敗北された清水幾太郎さんの政治的主張も、今日の目線から見て、いかに誤ったものであったか、ということも同時につけ加えたい。
大衆とエリート、一見両極端にみえて結局は同根な存在である彼らの精神に巣食う病弊を、たじろがずに見定めたのが、片やマールブルク大学で新カント派の驍将ヘルマン・コーエンに学んだ特異な社会哲学者であり、そのオルテガが大衆社会の典型として警鐘を鳴らした米国の歴史学者だったのは皮肉だし興味深いが、見るべきものを見抜き、自由な精神で徹底して思考する態度、知的誠実さと勇気(ἀνδρεία)は共通だ。
両者は紛れもなく同じ地平に立っており、現代という「歴史の重量」を、回避することなく、たじろがず、目を逸らすことなく、正面から受け止め、附随的ではない宿痾とも言うべき本質的な病弊を鋭く抉り出している。二十世紀の劈頭に狂死した哲学者でモラリスト、ニーチェがそうしたように。
カ氏のコメント111,112を眺めて、学識の圧倒的な不足、つまり「無学」に加え、視野と問題意識の狭隘さにほとほと唖然とする。気楽でいい。
いかにも粗野で無教養な「マダム瑕疵」=カ氏と私とは別の世界をみている訳ではない。
問題意識の違いと言えばそれまでだが、もっと本質的な違いがあるようだ。
この【自己にとって最も確実な】ものを取り違える愚を戒める趣旨だ。現在(παρουσία)に執着することで、かえって真実の存在(τὸ ὄν)を見失い現実逃避に行き着くからだ。現実は常に現実を乗り越え、つまり超越していくものだ。
ハイデガーが人間存在である現存在を「脱自的」(ekstatish)と呼ぶのも、自らを抜け出して新たなものに生成する(脱自=ἐκστατικόν)時間的存在という謂いだ。
問題はより広い視野(問題意識)と研ぎ澄まされた論理感覚、直観力により事態を正確に捉えることだ。歴史上、ものごとの最も原理的な考察を担ってきた哲学に限らず、それは学問を離れて最も肝心な心掛けだ。
人は容易く現実を、現実の単なる影像(虚像)(εἴδωλον)である幻影(φάντασις)と読み違え、虚偽(ψεῦδος)や虚構(μῦθος)、極端な場合、希望(ἐλπίς)や理想(παράδειγμα, ἰδεα, εἶδος)が真実の姿だと取り違えることさえある。
一年前、「希望の党」を立ち上げ、持ち前の軽率さから政治的現実を読み違え、政局的判断を見誤った小池百合子氏の例は、希望(ἐλπίς)が現実の相関概念であるのを閑却した愚昧さの典型だろう。希望は「パンドラの匣」が開いて、ありとあらゆる災厄が飛び出した後に「唯一」残ったものだ。軽々しく語るものではない。国際派を自認する小池氏には教養が欠けている。
その点は、「無学の女王様」カ氏も同列で、未明の闇の中で獅子吼(ほざいて)しているが、『現代思想』は清水幾太郎が「安保騒動」の蹉跌から覚醒し、思想的格闘の末に結実したものであるのを、まるで知らぬかのようだ。
無学につける薬はない。
ただ、いくら、清水幾太郎氏が、「安保騒動」の蹉跌から覚醒し、思想的格闘の末に結実したものが『現代思想』はであったとしても、間違いは間違いなのである。AIが得意な分野は、知的な、論理的な、つまり、人間の知能指数の高い分野なのである。知能指数111以上の人間にできるような精神労働は、機械に代用できないが、知能指数110以下の人間にできる程度の精神労働は、機械によって代用できるから、人類の3分の2と推定される人々は、社会的に効用のない人である。という結論は、端的に言って、間違いなのである。どうしてこのような明確な事実が、反氏には認識できず、私の学識が圧倒的に不足していて、つまり「無学」に加え、視野と問題意識が狭隘している、という感想をもたれるのか、正直理解に苦しむ。知能指数はいくつなのだろう?
「私たちが目指すのは、戦争をする普通の国 ではなく、戦争をしない特別の国です。」
いわゆる西欧民主主義国をはじめとする「普通の国」は、自衛のための軍隊を持ち、民主的なコントロールの下、現在、平和を維持している。
つまり、「普通の国」は、憲法によらずとも、軍隊を民主的にコントロールすることにより、現在、平和を維持することができているのである。
ところが、上記護憲派は、自衛のための軍隊保持の合憲性さえ疑わしいとされかねない憲法を有り難がり、これがないと平和が維持できないかのようにいう。
しかし、このような憲法に縛られないと軍隊がコントロールできない国というのは、実は極めて恥ずかしい存在なのではないか。
今の日本は、そういう国なのか?
誇らしげに「特別な国」などと主張するのは、とんでもない考え違いという気がする。
小池百合子さんが、豊洲問題における、石原都政、舛添都政の暗部を暴いたおられた時は、マスコミ、特にテレビのワイドショーは大喝采して、連日小池さんを取り上げ、応援した。「自民党をぶっ壊す」と発言した小泉進次郎さんを応援した時のように。その結果、小池百合子さんへの支持、「希望の党」への期待は飛躍的に上がった。
2点で、民進党の政治方針とは相いれなくなったから」、とプライムニュースで発言されていた。もし、旧民主党の全員が、希望の党に入党すると、また同じ問題が起こる。それを避けたい、と細野豪志さんが、小池百合子さんに直訴されたから、あの発言になったのであるが、その発言の内容が、進歩的知識人からなる大手マスコミ、には受け入れないものであった。その為に、テレビのワイドショーを中心とする小池百合子さんへの姿勢、希望の党への報道姿勢が一変し、「希望の党」への支持は、急降下する。
私は、この一件でも、マスコミ、特にテレビの「ワイドショー」の国民に与える影響の大きさを実感したし、結論として、「安倍流改憲は、前途多難だな。」と確信しているのである。
119、120にわたって、民主党と書いてしまいましたが、民主党ではなくて、民進党です。民主党が民進党に改名していたことを失念していました。
また、119、の最初の「」の中、安保、改憲を考慮して一致しない人は、ではなくて、のです。
お詫びして、訂正します。
怠慢な「無学の女王様」カ氏(マダム瑕疵)が清水について、議論の根拠としている日本版Wikipedia、「清水幾太郎」の惨状である。
全体で65ある引証(出典)中、何と52カ所を竹内洋『メディアと知識人――清水幾太郎の覇権と忘却』(中央公論新社、2012年)から50カ所、残り2カ所を同『革新幻想の戦後史』(同、2011年)に依拠するという前代未聞の無軌道ぶりで、竹内洋氏(以下敬称略)の太鼓持ちの「自己宣伝」の観のある、極めて偏頗な解説に終始している。
恐らく、こうした偏向は学問本来の批判精神の欠如に加え、清水自身の著作の精読に加え、独自に原資料、諸文献にあたった結果の記述ではなく、清水について書かれたさまざまな証言、評論を、自分自身で直接確認せず、つまり、清水の著作を読まずに、清水「について書かれもの」、それも専ら竹内の著書の孫引き(カ氏の得意技とするコピペの本家)で済まそうとする、見下げ果てた精神による。カ氏にも共通するが、全く話にならない。
引証中の8割を単独著者(実質は単独著作=65カ所中50で77%)で済ませて愧じる気配もない臆面のなさは、如何にも、孫引きを専らとする「無料携帯電子ガラクダ知恵袋」である日本版Wikipediaらしい素人批評家の寄せ集めにすぎない、学問本来の批評精神の欠片もない、その自覚もない悪しきジャーナリズムの見本のような代物だ。
カ氏にも通じる「無学」の無学たる所以だ。
それにしても、参考文献として『メディアと知識人――清水幾太郎の覇権と忘却』のみを挙げ、評伝に庄司武史『清水幾太郎 異彩の学匠の思想と実践』(ミネルヴァ書房、2015年)、西部邁「能動的ニヒリストの生涯 清水幾太郎論」(『ニヒリズムを超えて』所収、角川春樹事務所、1997年)、小熊英二『清水幾太郎 ある戦後知識人の軌跡』,御茶の水書房、2003年)等を挙げるも、具体的引証を一切避けている。
しかし、そうした楽屋話的、いじましい内部事情(竹内は相当通暁しているようだが、大半は編集者からの挿話の「受け売り」で、実態というか真相を知らない点ではお目出度いの一語)には精力を傾けているのに、「安保騒動」の挫折を経た、私の言う新たな「覚醒」後の清水の目覚ましい研究成果、即ち英米の現代倫理学、分析哲学、厚生経済学、社会的選択理論との格闘の結果である偉大なる未完のトルソとも言うべき『倫理学ノート』(1972年、岩波書店)、それに先立つ現代思想の総括である『現代思想』(「岩波全書」)、社会学研究の始原であるオーギュスト・コント研究、そして、専門の西洋哲学研究者も存在は充分認識しつつも、ドイツ哲学偏重や語学の壁もあって閑却していた、近世イタリア最大の哲学者で、デカルトの数学的主知主義に対抗した独自の歴史文化哲学を提唱したジャン=バティスタ・ヴィコ(Giovanni Battista[=Giambattista] Vico,1668~1744)へのいち早い着目など、日本版Wikipediaには一行も記述されてはいない。
驚くべき、「無学」というより、マダム瑕疵=カ氏並みの無知蒙昧である。
竹内は「1992年〜1993年に講談社から刊行されたが、早くから絶版」などと呑気に述べているが、日本の出版界に今なお根強く残る「編集左翼」的発想やそれに伴う恣意的な操作には無頓着なようで、何ら言及していない。
さらに、『著作集』への「良識的」専門研究者の高い評価、特に『倫理学ノート』の衝撃を重く受け止めたのは、哲学者だけではなく、第一線の経済学者や社会選択理論に関心をもつ識者だったことも無視している。
総合雑誌などに掲載された書評の筆を執ったのは、青木昌彦、大河内一男、蠟山昌一、市井三郎、藤本隆志、荒川磯男、生松敬三、中村雄二郎、志水速雄、徳永恂、高階秀爾――錚々たるメンバーである。著作集(第13巻『倫理学ノート』)の解説は木田元で称賛を惜しまない。
ジョン・ロールズ『正義論』新訳の訳者で倫理学者の川本隆志は、清水の卓抜なる問題意識への敬意を隠さない。社会哲学が専門の上村忠男は「そもそも学問とは何なのか、にっちもさっちも行かなくなった、そんな中で出会った決定的な一書」と衝撃を語る(中央公論新社版『哲学の歴史』別巻「哲学と哲学史」の執筆者アンケート「書物が私をつくった」357頁)。
このほか、特筆すべきことは、後期のヴィトゲンシュタインについて、専門の哲学研究者以外で最も初期にその意義を認識していたのは、疑いもなく清水幾太郎であるということだ。
竹内の見解は、既に専門家の間では語り尽くされてきた陳腐な「常識」にすぎない。知らぬは☆★ばかりなりで、日本版Wikipediaの他愛のなさを物語っている。
それをコメント115で得々揚言し、自身の立論に利用する「無学の女王様」カ氏の怠惰、見境のなさに吐き気がする。そもそも私の113~114は、サイバネティクスの提唱者ウィーナーの言葉を引用したもので、【「思考の機械」には未来のみがある(中略)ウィーナーが述べるところによれば、知能指数110以下の人間にできる程度の精神労働なら、今日でも、機械の方が遥かに迅速且つ正確に行うことが出来る。その意味において、知能指数110以下の人間――人類の3分の2と推定される――は、社会的に効用のない存在である…」】を、清水自身の見解と「同一視」することは拡大解釈である。
そもそも、カ氏は数学者のウィーナー(Norbert Wiener, 1894~1964)についても、彼が第二次世界大戦中、計算機械、通信、自動制御についての理論的研究の中心的存在で、その結実である生物体の通信・制御機構と電子機器のそれを比較研究する情報理論の先駆、サイバネティクス(‘Cybernetics’)についても、無知から115のような発言が可能になるのだろう。彼は確率論の解析学的研究に貢献する中で、その着想を得たものと思われる。
それを受けた清水の認識がどれだけ重いか、幼稚園児並みの想像力では到底思いも及ぶまい。
ところで、持ち前の「無学」によって倍増したカ氏の病弊とも言える誤読は、以前「芦田修正」についても言及したことだが(9月15日・46)、カ氏の粗雑な理解に基づく先入見を、勝手に清水の文章または、それを紹介する私の文章に読み込むことは、解釈の基本としては邪道だ。
文章本来の意図を取り出してみる、つまり‘auslegen’するのではなく、文章に本来の趣旨とは異なる別の考えを持ち込む、つまり‘einlegen’することにほかならず、結局、‘zu viel verstehen’であって、過不足のない解釈が何より重要であることから、極力戒めるべきだ。それは、
学問に限らず他者の文章を読み理解する際の基本的心掛けであり、それが最も厳しく問われるのが、私が専門とする西洋古典学で、解釈には一字一句、二千数百年を超す歴史と蓄積があるから、粗笨な読解、思いつきの解釈など相手にされない。今回は対象が異なるが、「無学」の素人は、気楽でいい。
カ氏に他者の見解の正当性を云々する資格、特に学問上の議論をする資格はない。ひたすら篠田さんの肩車に乗って、「一知半解」で宮澤俊義を論じる際にみられる、無学ぶりも痛々しく、愚劣極まる。
それは、学問以前の人間としての節度(σωφροσύνη)の欠如だろう。母校関西学院大学のモットー ‘‘Mastery for Service’’(奉仕のための練達)が聞いて呆れる。提唱者の第4代院長C. J. L. ベーツも嘆いていよう。母校神戸高等学校校歌の第二番(作詞は中国文学の泰斗吉川幸次郎)の一節をカ氏に何度でも奉呈しよう。得と「無学」と、それに倍する「怠惰」を噛み締めればよい。
「きみみずや学問のきびしきめざし/わがものときわむる自然人文の/真理のつばさはばたけば/わかきひとみのかがやくを」
省みて、自ら愧じ入るところがないとしたら、人格を疑う。あまつさえ、【反氏自身が真理の探究を高額の書物に無条件に頼った「無学の帝王」】などと、売り言葉に買い言葉の稚拙な対応で意趣返しをするしか能がない、自らの醜悪な実態を糊塗する。
私は具体的な資料、文献に基づかないカ氏のような気儘で稚拙な議論を唾棄する(私は必ず読んだ上で書く)。カ氏がこのコメント欄で展開しているのは、「無学」故の粗笨な読解に基づく俗論にすぎない。芦田均やヴァイツゼッカー、事もあろうにソクラテスや田中美知太郎をいくらあげつらったところで、カ氏の主張の正当性を少しも担保しない(ソクラテス、田中については全くの誤読)。
竹内洋と日本版Wikipediaに戻る。
今年死去した進歩的知識人の代表的存在で社会学者の日高六郎は、清水はしばしば指摘される、「偽装転向」どころか、戦前、戦後いささかもぶれていなかったと肯定的に評価している(『現代随筆全集』13「三木清・清水幾太郎集」解説、1953年)。
これに対して竹内は、日高は清水の旧制東京高校、東京帝大社会学研究室の後輩で、同じ進歩的文化人であるのに加え、清水から著書の解説を依頼されており肯定的評価を割り引いて受け止めるべきとしたうえで、「それを差し引いたとしても「手放しの礼賛には、やはり疑問符がつけられる」と疑念を呈する。
もっとも、こうした評言は、竹内自身が日高の立場だったらそうした(清水に忖度して肯定的に評価した)であろう、という内面の心理を示唆するもので、悪く言えば下司の勘繰りに等しい。つまり、内容に立ち入って批評せず、ただ状況判断から、竹内の想像力の及ぶ範囲で語っているにすぎない。
竹内自身R. K. マートンやP. ブルデュー、J. ボードリヤールを援用して図式的に知識人を語るだけで、例えば清水が格闘したG. E. ムーアや厚生経済理論に加え、ウェーバーやコントなど社会学自体、そしてマルクス主義自体を語ることを意図的に回避しており、清水の社会学説や社会学自体ではなく、日本の言論界や学術ジャーナリズム、「社会学をめぐる」日本的特殊事情を後付けの論理で喋喋する、学界の周辺、周縁に棲息する元大学教授の肩書をもった、同工異曲の戦後知識人批判を繰り返す「二級評論家」にすぎない。
要するにジャーナリズと社会学を二股にかけた俗物的存在にすぎない。事情通のオタクだが、肝腎の学問的「芯」のようなものが欠落しており、記述は概ね正確でよく調べているが、それ以上でも以下でもなく、退屈で凡庸である。
竹内は、清水のラディカリズムが竹内が「傍系知識人」と呼ぶ在野の知識人による大学教授などアカデミズムに地歩をもつ「正系知識人」に対するヘゲモニー戦略だと、如何にも単純に図式的に描き出すが、清水が岩波書店の純然たる学術雑誌『思想』に、編集者(林達夫)の要請で海外学術事情を無署名で寄せており、独立独歩の著述家であったことは必ずしも「傍系」を意味しない(卒業論文が1931年8月号の『思想』に掲載されたほど)。
この点で、同じ『思想』誌上で哲学ジャーナリズムのスターであった三木清(法政大学教授)と並ぶ存在で、三木も三木の友人である林もその実力を認めていた。最終的に東大社会学研究室に残れなかったのは、清水が陰に陽に強要されたマルクス主義への「改宗」を拒んだことに加え、地味な実証調査に基づく家族社会学を研究領域とする主任教授戸田貞三とそりが合わず、コント社会学への関心など理論的志向が強い清水が自著の出版を思い止まるよう求めた戸田の意図に従わず軋轢を深めたのが主要因で、竹内のように「実力不足」で卒業後、母校に残れなかったのではない。竹内の分析は余りに短絡的である。
竹内は、京都大教育学部卒。サラリーマン生活を経て、同大学院教育学研究科博士課程修了。関西大社会学部教授を経て、ようやく京大教育学部教授、研究科長、教育学部長を歴任する。2005年に関西大教授に再任、2011年から同大人間健康学部長(初代)。定年退職後に、教育社会学会長、読売新聞読書委員、中教審大学教育部会専門委員、日本学術振興会特別研究委審査委員などを歴任。『革新幻想の戦後史』で第13回読売・吉野作造賞を受賞している。
Wikipediaの「竹内洋」の「評価」の項で、耳塚寛明元お茶の水女子大副学長(教育社会学)は、竹内著『学問の下流化』を「学界の諸先輩の中には何人かの巨人がいる…該博な知識、枯れることのない知的体力、専門領域を軽やかに越境する教養に圧倒される」「著者には大河小説的専門書も多数」「原著以上の知的躍動」と評しているのは、同学による気恥ずかしくなるような阿諛追従で、嗤えない冗談。
日本版で珍しく正鵠を射た記述は、これも竹内からの引用で、「(大久保孝治が)戦略としての『庶民』」と清水の思想行動を評して……西洋市民社会の個人を観念的に理想化して庶民を見下す進歩的文化人に対して、清水は庶民の背景にある匿名の思想(「国民の大部分がその日常生活のうちにおいて信じているもの」「経験・問題・願望」=清水「匿名の思想」『世界』1948年9月号)に気づいて、自らの思想の梃子の支点として庶民を使」った「一種の戦略的概念」と評している(大久保「清水幾太郎における『庶民』のゆくえ」『社会学年誌』48号、2007年=竹内317頁の孫引き)。
清水によれば、日本の知識人が諸外国の学説を有難がり、独自性がないのは、匿名の思想に立ち入り、表現する努力を怠っているためと、至極至当な主張を展開している。
114の小池百合子氏に関しては、氏が国際通なのに教養がない、という事実。カ氏も同様。政治的立場は関係ない。117は自意識過剰の証左。
119「「自民党をぶっ壊す」と発言した小泉進次郎」は小泉純一郎の誤り。
つける薬がない。[完]
冒頭から、こんな文章で始まる。集団的自衛権をめぐる騒動は、60年安保に似ている。当時も安保条約なんてほとんどの人は知らず、新聞が「アメリカの戦争に巻き込まれる」という不安をあおって騒ぎを作り出したのだ。清水幾太郎は、60年安保の主人公だった。今では忘れられた人物だが、当時は「いまこそ国会へ」というアジテーションを発表し、全学連を支援する声明を出した。これも同じく竹内洋さんの私とは違う書物「メデイアと知識人」を参考にされている。参考にされる、ということは、竹内さんは、池田さんにとって信頼できる人物なのではないのだろうか。少なくとも、ドイツ文化センターで近代のドイツの歴史を習った私には、竹内洋さんの主張の方が、丸山真男さんの「超国家主義の論理と心理」の主張よりは、ずっと信頼できる。
意地の悪い見方をすれば、反氏は、一流でありたいから、丸山真男をまねて、「書斎に引きこもり、反時流的古典学徒」というペンネームをつけられたのではないだろうか。私のカロリーネという名前は、哲学者、シェリング夫人にちなんで命名したものではない、ということも、同時に指摘しておきたい。
また、反氏の指摘されるように、コメント119、小泉進次郎さんではなくて、小泉純一郎さんでした。お詫びして訂正します。
文体も、丸山の意味ありげに見せかけた抽象的な文体よりも、清水のほうがずっと洗練されている印象だ。
丸山の場合は、ファシズムの担い手として
「小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層」
などという、よく引用された有名な箇所。
これだけでお里が知れるというか、冷酷な寒々とした人間性を感じる。
しかも実に阿保らしいのが、滑稽なほど戦争への道を煽りつづけて最後は一億玉砕に突き進んだマスコミは「第二の類型」として、上記の小工場主や小売商店の店主の属する「第一の類型」とは区別し、「第一の類型」がファシズムの社会的地盤になったとしたのである。
父親が朝日新聞記者だったから、正当化しようとしたのかもしれないが、これは悪質な印象操作そのものである。
一方の清水幾太郎には左や右に思想転向しても、根底に日本の民衆への愛情があったので、こんな卑劣な文章はほとんど見かけたことがないのである。
吉本隆明なども、権力への呪詛に満ちた文章を数多く残しているが、こういった陰湿な表現やトーンを感じなかった。
でも逆に近くで見ずに、著作で文章だけを読むことによって、その人物の人間性というか「独特の匂い」がよくわかることもある。
汗水たらして働いて社会をささえて、時事ニュースは新聞やラジオで読むしかない。そして多人数の子供を手塩にかけて育てて、教育にも熱心だった日本の民衆。
彼らのおかげで、戦後の復興も奇跡と呼ばれた。
こうした人々への呪いにみちた視線はぞっとするのである。
そして、丸山は左翼ではないのだろうが、裕福な家庭に育って社会主義の本を趣味で読んで、高みから社会を見下しながら、訳のわからない空想的学問に浸りきった、堕落した高級左翼と同質の精神性を感じるのである。
ただし、丸山の思想のうち、タブーであった天皇制への批判などは必要なものだったと思う。「無謬」などというものは世の中にないのだから、あらゆるものに対する批判や考察は原則自由とされなければならない。
清水幾太郎の伝記である
「わが人生の断片」
これは本当に傑作だと確信した。
清水幾太郎は社会学から教育学的な分野から西欧の思想家の紹介、それと大量の時事評論を残しているが、どれか一つを読めというなら、これを進める。
これは、いつわらざる戦前や戦中の知識人の思いを(体面など捨てて)正直につづったものである。文章もまた実にうまい。
100年後には、自伝の傑作として評価されているだろう。
極左はあらゆる人間心理の暗部や弱点を利用して、人々を洗脳した。
その典型的なのが、「日本は加害者なのだから日本人の悲しみに浸ってばかりいてはいけない。被害者側のアジアの苦痛や悲しみを理解してこそ、責任のある日本人なのだ」と説教した。
一見すると高尚な精神に見えるが、これも神のような境地に立った正義と公正の観点から主張したのではなく、日本人をマインドコントロールするためだった。
その証拠に、アジアの共産主義独裁で当時苦痛を味わい、強制労働や拷問で地獄のような苦しみを味わっていたアジア各国の民衆に対して、一部に例外はあるが、ほとんど同情を払わなかった。
現在進行形の虐殺そのものを黙殺した。あたかも共産主義の実現のために犠牲はつきものだ程度のことしか考えてなかったのだろう。
こうした最悪の自称知識人、異様なマスコミと同調して、高見から日本人を罵倒しつづける頭のおかしい学者。
これらから丸山は距離を置いていたので、筋金いりの病的左翼であるとか最悪の学者であるとまでは思わない。
戦後は、平和運動の担い手として注目された清水であるが、「反米という観点」から平和運動をしている訳で、安保闘争後の右への「転向」は偽装に過ぎず『自分は今でも完全な共産主義者で、転向はしていない』と1983年夏のインタビューに答えている、とある。そんな人の本を全部読んで、その人の人となりがわかるのだろうか?私にとっては、岸信介さんの「日米安保条約」反対運動の先頭に立った人、ということでもう十分なのである。樺美智子さん、あの方は、神戸高校の先輩にあたる。もし、清水さんが扇動しなければ、亡くなることもなかったろう。
「離群索居」中の私の投稿名は、6月5日アップの【「天安門事件、1968年「5月革命」、日本の団塊世代」】に際して、同日07:28・1で命名理由を説明してある。即ち、
【私の投稿ネーム「反時流的古典学徒」はニーチェの初期作品『反時代的考察』(‘‘Unzeitgemäße Betrachtungen’’)から取っている。「反時代的」とはせず「反時流的」としたのは、例えば戦争を否定し平和を願うことが、そのまま平和を維持継続する原理であるかのように短慮するナイーヴな戦争観や、篠田さんが炙り出した憲法学界の惨状、つまり通説に追随して学問に不可欠な探究精神を欠落させ愧じ入る様子もない姿に「戦後民主主義」の支配的空気、この国を覆う集団的思考という滔々とした潮流に抵抗感を覚えるからだ……先の敗戦を罪悪ではなく、愚劣な戦争指導による当然の帰結、つまり失敗だとみる戦争観も当世歓迎されないどころか、爪弾きものだろう】と。
旗幟鮮明すぎて聊か恐縮するが、まあ、その通りである。恩師の師である田中美知太郎や福田恆存同様、「保守反動」と指弾されても、一向に気にならない。
60年安保後、【彼は「論壇」の主役をはずれ、進歩派は吉本隆明のように極左……丸山のように書斎に撤退……しかし撤退すべき本業をもたない清水は、つねに注目を浴びようと「右旋回」を始める】⇒⇒竹内洋氏の著書からの引用か、132冒頭に挙げられた、池田信夫氏の「清水幾太郎の覇権と忘却」の見解か、いずれかは知らないが、清水幾太郎に関する限り、全く見当外れの見立てだと思う。
カ氏の137はWikipediaのコピペ。いい加減にしたら?
コラムニストの山本夏彦が文章家としての田中に心酔し、オマージュを捧げていたが、専門の哲学論文を除き、分かる人には、仮令中学生でも分かる文章で、プラトンの対話篇のように専門用語を極端に抑制した論議(平淡俗話)の運び方が特徴だ。しかし、検討されている対象や問題はけっして単純でも簡単でもないから、見かけほど平易ではない。
対する清水は、専門用語を適宜使用した直線的に明解な文章で、あらゆるテーマについて、たちどころに論考をものにする。文筆家としては超一流で、ジャーナリスティックな感覚とサービス精神も見逃せない。学者でなくとも、政治家、評論家、作家、随筆家、ジャーナリスト、往くところ可ならざるはない、天才的な文才の持ち主で、筆一本で食うに困ることはない。その背景には血の滲むような勉強による博識と語学の才がある。没落した旗本の末裔で江戸っ子気質。凡百の大学教授など足元にも及ばない。丸山眞男など問題にもならない。「撤退すべき本業をもたない」など、清水の才覚を知らない空語である。
問題は、哲学の本分に沈潜し、戦前戦後を「強く静かに」生きた田中の強靭な知性と、本人曰く「弱く騒々しく生きた」清水の軌跡。清水は偉大な未完のトルソを残した同世代の二人(田中が五歳上)。
真価を理解できぬ世間や学術ジャーナリズムでいかに忘却されても、思想の内在的力でいずれ蘇る。
カ氏の歴史観も政治的な立場こそ違え、戦前の日本を全くの「暗黒時代」(「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だから)として描き、メディアの役割をグロテスクなまでに強調して、それを全否定することを強調する、一種の啓蒙主義的進歩主義によって貫かれている。
『昭和史』は特にその傾向が顕著で、戦前の歴史を天皇制を支持する反動勢力と、それに抵抗する共産党の抵抗の歴史という構図で、誇大妄想的に描き出すが、歴史の実相、特に国際政治をめぐる戦略的地政学的状況とを軽視した極めて偏向した見解で、実際は弾圧に遭って幹部の大半が昭和初期に逮捕、収監され転向も相次ぐなど壊滅状態にあった共産党は、歴史のプレーヤーではあり得なかった。
共産主義者は革命という「至上の目的」のために、あらゆる場面でプロパガンダに利用するのは、何も今に始まったことではないが、そろそろ卒業したらいい。
特に、愚劣な戦争指導の中心を担った軍部、特に陸軍による政治の壟断を憎み、非難するあまり、戦前の日本の国家体制や憲政体制の不備を一面的に批判して、その裏返しとして戦後の民主主義体制や憲法を無批判に肯定するなら、結局戦前戦後で正否を逆にしただけで余りに浅慮だろう。惨憺たる犠牲と惨禍を残して終わったとしても、結局は戦争に至る近代日本の軌跡には、如何に迷妄に満ちていようとも、それなりの歴史的必然性、国際政治の流動化があるのであって、単なる正邪で片付けられない側面がある。
軍国主義は、そうした歴史の必然性が生んだ副産物であった。しかしその明白な過誤は、国家目的と軍事目的を混同して、国家があたかも軍備を自己目的化するために存在するかのような錯覚に陥り、政治の統制に服すべき軍事(隊)が、逆に政治を支配し壟断した結果、国家を破滅の淵に追い込んだことにあるのであって、戦間期の軍縮で縮小を迫られた職業軍人が、組織の維持存続に汲々とするあまり国民に犠牲を強い、それをあたかも崇高な国家目的のためと錯覚した迷妄にある。
この点で、戦後の軍隊アレルギー、反軍思想はおろか、平和と同時に戦争自体を国際政治の具体的要素として徹底的に考える思考することさえタブー視する日本人の懦弱的傾向を私は唾棄する。
少しでも自分の頭でものを考えたら、その程度のことは分かりそうなものだし。『昭和史』のような見え透いた欺瞞に満ちた歴史認識に騙されるはずはないが、それが長らく流布して、無視できない固定観念として影響力を保ち続けたのは、戦後の日本人特有の戦後観、民主主義への浅薄な認識があったのだろう。
軍国主義に限らず、国際法上は(実体は国内法的にも)紛れもない軍隊である自衛隊に長らく憲法上の正統性を与えず、鵺的な存在のまま放置してきた欺瞞と、日米安保条約をめぐる戦後日本、日本人の偽善的体質は、戦後の民主主義体制の成熟と正当な国家意識を醸成する妨げとなってきた、日本人の退嬰的傾向を助長した。
憲法学もまた、歴史の副産物である。
いずれにしても、憲法9条がそういった議論を呼ぶ表現の条文であることは確かだ。
このような議論を断ち切り、自衛隊の合憲性を明確にしようというのが安倍改憲案である。
「解釈の明確化」というのも、とくに自衛隊の存在の合憲性という重大な問題については、立派な改正理由となる。
法律の専門家であれば、法解釈の明確化が重要な問題であることは、十分理解している筈であろうが。
コメント141に、カ氏の歴史観も政治的な立場こそ違え、戦前の日本を全くの「暗黒時代」(「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だから)として描いているが、とあるが、私は、丸山真男さんと違って、戦前のすべてを暗黒時代と考えてはいない。明治維新から大正デモクラシーまでは、まともだった、と考えている。「天皇機関説問題」、「満州事変」あたりから、「暗黒時代」となったのであって、それに新聞をはじめとするメデイアが大きくかかわっているのである。「天皇機関説問題」は、学術論争ではなくて、マスコミを巻き込んだ「政争」である。詳しくは私の以前のコメントを読めばわかっていただけると思う。
反氏の、共産主義者は革命という「至上の目的」のために、あらゆる場面でプロパガンダに利用するのは、何も今に始まったことではないが、そろそろ卒業したらいい、という主張は、共産主義、マルクス主義を知らない人の主張なのであって、共産主義は、そういう原理からできているのである。無学なのはどちらなのか、と思う。それをいうなら、「民主的な社会主義」、「社会民主党」の興隆を願うべきなのである。私は、細野豪志さんの「民進党」を離党した原因、その主張は、政治家として正しい、と考えている。
東京大学憲法学教授、という肩書をはずして、この二つの見解を、日本国憲法の前文の精神から考えたり、日本国憲法9条を読んで、「まともなものと言えるかどうか、考えてみていただきたい。」と思う。
国民が代表者だと選出していない人の深い学識を信じて、その専門家に決定権のすべてを与える、というのが、「民主国家」のしくみなのだろうか。ローマ法王庁がすべての権力を握った「中世ヨーロッパ社会」というのは、民主国家ではないのである。
また、軍隊(自衛隊)をコントロールするために、最高法規である「憲法」に軍隊(自衛隊)を規定して、その軍隊をコントロールするしくみを考え、法律を作る、というのが、本来の「法治国家」のしくみである。
それゆえ、日本国憲法が修正された時、公布された時、先人たちがどういう意図で修正されたかということを国民の代表者や我々「権威ある」国民がよく知った上で、どういう文言を使えば、憲法上も、自衛隊(軍隊)は合憲であるが、同時に、戦前の「軍国日本」の轍をふまない、「自衛隊をコントロールできる」条文になるのか、を考えるべきだ、と私は考える。
その極端な事例が、英語で‘intellectual yet idiot’(学識のある大莫迦者=高学歴莫迦)と称される人士だろう。カ氏が私が有り余る事例を挙げて、散々論証したような「無学の女王」であるか否かは、読者諸賢が自ら判断されればよいことだが、この誇り高き驕慢な老媼が、未だに「無学」や「無知」の自覚(εἰδέναι)を欠いていることは、その言辞の端々に顕著な傾向である。
従って、しばしば妄説を繰り広げて、性懲りもなくを誤謬を撒き散らしていることもご承知の通りだ。そうしたことは、古代ギリシアの昔から【無思慮、無分別(愚かな)】(〔ἀφροσύνη〕〔ἄφρων〕)とか、【無謀、向こう見ず(蛮勇、暴挙)】(〔θρασύς〕〔θάρρος〕)とか呼ばれ、蔑視されてきたが、プラトンの対話篇を手掛かりに、少し考察してみたい。
居直りと意趣返しなのだろう、カ氏に最近しきりに「無学」という、称号を頂戴することになったことへの「答礼」(quid pro quo)である。一応、「学問的考証」なので多少こみいった箇所もあるが、プラトンの全著作にわたって、省略した一部(2カ所)を除き博捜した。興味ある向きには役立つと思う。
憲法解釈に限らず、学問的議論をする際の参考になれば幸いだ。引用は全文訳分を添えたので、気楽に読んでほしい。
プラトンの対話篇から、教育と無教育に関する比喩を引くと、次の通りである。
無教育(無教養)な人=『パイドン』91A(学びに無関係な連中)▽『テアイテトス』174D~E(教養を欠く者)▽156A(音痴な人たち)▽『ソピステス』230E(論駁によって浄められない者は、最も肝腎のところが無教育で醜いままでいる人間)▽同259E(全く無教養な、哲学と無縁な者のすること)▽『アルキビアデス I』119B, 123D(教育のない人)▽『プロタゴラス』345D▽『ゴルギアス』510B(教養のない独裁者)▽『ヒッピアス(大)』228D▽『国家』411D, VIII546D(学芸に縁なき無教養な人間)▽同VII519B~C(教育を受けず真理を知らない者は国家を統治できない)▽『ティマイオス』23B, 73A▽『ミノス』320E▽『法律』VI751, 775B▽『書簡II』314A▽『アクシオコス』369B。
このほか、『テアイテトス』175A▽『パイドロス』269B(教養のない言葉)▽『エウテュデモス』269A▽『プロタゴラス』347C▽『ゴルギアス』527E▽『ヒッピアス(大)』293D▽『クレイトポン』407D▽『国家』III403C, 405B, VIII552E(無教育のためにに生まれる欲望)▽『法律』I643E, II659A, III695B, IX870A(「無教養の故に魂を支配する欲望」)――と多彩だ。
如上の『テアイテトス』175A(「無教育のために目をいつも全体に注ぐことができない」)について、訳者の田中美知太郎は、わざわざ註記している(岩波書店版『プラトン全集』第2巻、田中訳『テアイテトス』281頁)。
「『国家』VI486Aの著名な文章でプラトンが、知恵の探求者たる哲学者の精神は常に神的なもの、人間たるものの全体と総体とに到達しようと努力するはずのものであって、あらゆる時を通じてのあらゆる有を観ることを仕事にするものであることが語られ、ちょうどここと同じようにそれは「少しばかりのことしか思量できないこと」(スミクロロギアー‘σμικρολογία’〔狭量な精神〕=筆者註)の正反対として規定されている」と。
人間の生き方に関する「事実」と「価値」(自然=ピュシス,φύσιςと、人為・法=ノモス,νόμος)をめぐる問題があると仮定して、それと密接不可分な知識、即ちソクラテス(プラトン)的な「知」の役割を、価値判断を含むという理由だけで厳密な論理的処理になじまないと捨象してしまうなら、およそ一切の「形而上学的」命題のみならず、倫理的、政治的領域の公共的思索について、没価値論的分析的命題(論理的命題と経験的命題の二つ)でなければ学問的追究を断念せざるを得なくなるのを回避する必要がある。
そのために、知識の客観的合理性を保持しつつ、善や倫理的問題についても客観的妥当性を問い得る「知識」=学問的検討の領域を確保することを可能にするのが、ソクラテス・プラトン由来の哲学本来の総合的視野(σύνοψις)、総観的思考だということだ。
カ氏の「無学見本」147=「ローマ法王庁がすべての権力を握った中世ヨーロッパ…は、民主国家ではない」。ローマ教会は世俗の権力ではない。宗教と政治は一応別領域で、中世に民主制を求めることは、無理難題に等しい。中世ヨーロッパといっても、カトリックの勢力範囲は現在の西欧と東欧の一部、東方教会、ロシアは除外。イスラム勢力も散在した。民主制など、どこにもない。
ヴィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の序で「本書はおそらく、ここに表明されている思考を――ないしそれに相似した思考――をすでに自ら一度は考えたことのある人だけに理解されるだろう」(‘Dieses Buch wird vielleicht nur der verstehen, der die Gedanken, die darin ausgedrückt sind―oder doch ähnliche Gedanken―schon selbst einmal gedacht hat.’と書きつけた。
【無恥(恥知らず)、破廉恥】は〔αναίδεια〕〔αναισχυντία〕。無知の(無思慮な)、「向こうみずは醜く有害」(‘οὐκοῦν αἰσχρὰ ἡ ἄφρων τόλμα τε καὶ καρτέρησις ἐν τῷ πρόσθεν ἐφάνη ἡμῖν οὖσα καὶβλαβερά;’=「ところで、先ほど我々に明らかになったところでは、無思慮な冒険や忍耐は、醜く有害なもの」〔『ラケス』193D〕)、当然ながら勇気(ἀνδρεία)とは異なる。
「無知である故に、恐ろしいものを恐れない者のことを、勇気ある者とは言わず、恐れ知らずの愚か者と呼ぶ」(=‘ἀνδρεῖα καλεῖν, ἃ δι' ἄνοιαν οὐδὲν δέδοικεν; ἀλλ' οἶμαι τὸ ἄφοβον καὶ τὸ ἀνδρεῖον οὐ ταὐτόν ἐστιν.’〔同197D〕)とも。『法律』I630Bも参照。
カ氏147のような、歴史の実態を無視した「無学」の暴走(ἄφρων)が、如何に有害か明白だろう。それにしても、148=「なんども」書いていたとは初耳だが、「日本国憲法の芦田解釈……をこのブログを知るまで、まるで知らなかった」というのは、相当の「無学」。臆面のなさも厚顔無知も、齢70近くで箍が外れた印象。
何ごとも、人は度量の大きさ(μεγαλοπρέπεια)が必要だ。それはデカルトの説く高邁な心(généiosité)、つまり高邁さ(μεγαλοπρεπής)にも通じる。
学問に最も必要なのは、自由な精神と当面の成果を忘れて議論そのものを楽しむ余裕。とりわけ、哲学には欠かせない心掛け。[完]
☆迦の一つ覚えで、「カノッサの屈辱」だという。ドイツしか頭にないらしい。近世以降とは全く異なる中世の国家構造などについて、考えたこともない証拠だ。だから立論が単細胞思考で、「無学」の無学たる所以なのだ。私に教科書の記述で反論してどうするつもりか、神経を疑う。
それにしても、人口に膾炙した、その意味で気の利いた中学生でも知っている「カノッサの屈辱」(中世歴史学の専門家は「カノッサ事件」と呼ぶ)について、「無学の女王様」に改めて教わるとは思ってもみなかった。思わず、カ氏の「無学」ぶりに笑ってしまった。
さすが、一知半解で何にでも「一家言」を有するが、実態は中高レベルの俗説に毛の生えた程度のお粗末な見識で、専門家なら腰を抜かす妄説を喋喋するしか能がなく、最近まで芦田修正さえ知らなかったという、どこからどこまで「無学」なのか知らない、憐むべき「枯れ葉マーク」の暴走やまぬ老媼だ。
カノッサ事件は所謂叙任権闘争(la querelle des inverstitures)の渦中で起こった。グレゴリウス改革(La réforme grégoriaenne)、日本では専ら(司教)叙任権闘争として知られる、俗人による聖職者の叙任禁止をめぐる聖俗の主導権争いのなかで起きた。
グレゴリウス改革と総称されるカトリック教会の改革プログラムの理念は、1075年のグレゴリウス七世の書簡中にある‘Dictatus papae’(「法王令書」=法王至上権規定。「ローマ教会は神によってのみ建設せられたこと」を第一条とする全27カ条)によれば、次のようなものである。
そのほか対世俗権力に対する規定やローマ教会の裁治権、「ローマ教会無謬論」に関する箇条を含んでいる。
法王権が法王領貴族の利権の対象でしかなく、聖俗を問わず教会私有制も広く行われるなど、聖職や教会が大小を問わず貴族の利権以外の何物でもなく、事実上の相続も珍しくなかった11世紀初頭までのローマ教会の改革を目指した‘Dictatus papae’の規定は、それが作成された1075年時点では達せられるべき目標を示したプログラムにすぎず、教会の実情、というか現実からこれ以上遠いものもなかったし、そのまま公布されたものでもなかった。
いずれにしても、法王は非カトリック的な反法王権力に対しては、常にその臣下の服従義務を解除し得る(時に公会議の決定を越えて)訳で、ハインリヒ四世はそれに抵触した。しかし、それをもって無学のカ氏が勘違いしたように「神聖ローマ帝国の皇帝は敗北して神権を失い、教皇の権威が皇帝を上回った」訳ではない。
そもそも、ローマ法王が皇帝戴冠権をもつ以上、神聖ローマ皇帝に「神権」などない。それを言うなら「神的性格」であって、この世にあって信仰と教会を守るために王権に託された特殊神的な性格に由来するものであり、東ローマ帝国皇帝(ビザンツ皇帝)のように、地上における「神の代理人」として、皇帝職と司祭職が一体となった「神裁政治的皇帝法王主義」とは全く異なる。
教会は原理上、王権=王位と国王個人とを峻別しており、王位が神聖なのであって国王が直ちに神聖なのではない。従って、王位に就くべく塗油を受ける者は、そのための適格性を要求された。こうした王位・王権と国王個人との峻別は抽象的思考に慣れぬ当時のゲルマン的意識には馴染まず、民族意識に親和的な血統権(Geblütsrecht)の観念に反するものであった。
世俗の権力にすぎない皇帝に「神権」などあるはずがない。莫迦も休み休みいったらいい。しかし、ドイツにおいて、そうしたアニミズム的意識は根強く、この点にこそ、グレゴリウス改革の革新性と叙任権闘争の深刻さが浮き彫りになる。
その一方で、カノッサ事件には政治的利害の対立がある。即ち、ミラノ大司教座をめぐるロンバルデァアの反法王派貴族勢力を巻き込んだ国王と法王の対立、中部イタリア二司教の国王による叙任、ドイツにおける部族勢力や諸侯権力の乱立にハインリヒ四世が苦悩し、王権活用のよりどころだった帝国教会への法王の介入、改革派諸侯=反国王=の存在などだ。
トスカーナの雪中でのハインリヒ四世の法王への拝跪など、見え透いた政治的妥協の産物にすぎない。外交的勝利と評する歴史家もいるくらいだ。
その証拠に、グレゴリウスは反国王派の聖俗諸侯の熱望にも拘わらず、容易に彼らに与せず、対立国王の選挙にも慎重だった。ハインリヒも法王特使の妥協を取り付けることに成功している。俗権叙任の禁止をハインリヒが受諾したことを示す文言は関係資料のどこにもない。
一旦赦免を得たのち、再び行動の自由を獲得したハインリヒは対立国王ルドルフを討ち、1080年に再度破門に遭うがドイツ諸侯は動かず、逆に法王の廃位を決議。進軍してイタリアにおける法王勢力に壊滅的打撃を与え、ハインリヒ自らが選んだ対立法王クレメンス三世の下、イタリアを平定して、戴冠式のためローマに入城する。グレゴリウスはシチリアのサレルノに逃れ、死ぬ。
ビスマルクがドイツ統一の直後、「われわれはカノッサには行かない、肉体的にも精神的にも」と発言して以来、国家と宗教(カトリック教会)との対立が生じるたびに、「カノッサ」という語が、国家の教会に対する屈従の同義語としてドイツで繰り返される。
教科書的な記述も、そのお定まりのストーリーで描写されているが、何ゆえハインリヒ四世はカノッサに赴いたのか、果たしてそこで何が起きたのか、政治的意味は何であったか、今日に至るまで実体は謎に包まれており、学界での論争も終結をみていないのが現状だ。政治的にはハインリヒが勝者である。ただ、その後の歴史の流れで、敗北にもかかわらず却って教会改革が進み、グレゴリウスの‘Dictatus papae’の理想が形を変えて実現に向かう、ということだ。
歴史をドイツの視点からしか見ない、学識不足ででそれしかできない「無学の女王」カ氏の「ドイツ偏重」の偏頗な歴史認識がそこにある。言うに事欠いて、【「広く世界で公認された現実の世界史」を、きちんとふまえて、発言していただきたい】もないものだ。[完]
それにしても、「無学の女王」=マダム瑕疵(そのうち恥辱に耐えきれず「仮死状態」になるやもしれぬ。その際は、そのプロセスを「可視」化してもらいたいものだ。さぞ、お「瑕疵」くて、腸が捩れるだろうか)。カ氏はカトリックについては、何も知らぬようだ。
キリスト教教理史の基本書として2,300頁を超す大著で、今なお有用な、A. Harnack, ‘‘Lehrbuch der Dogmengeschichte.’’(3 Bde.,1909~1910.)の熱心な読者で、トマス・アクィナスやスアレスも相当読んだから、東方教会や古代の神学論争にも一応通じている私からみて、歴史的存在、ギリシア哲学との対質を通じて世界宗教に生成したキリスト教について、カ氏がほとんど無知蒙昧なのが分かる。
以前に、三位一体の説やキリスト論など、個々の神学上の教義、教理めぐり紀元451年のカルケドン公会議を中心に二百数十年にわたる闘争が繰り広げられたこと、そこではギリシア語を使用する東方教会(ギリシア正教の始原)とラテン語による西方教会(ローマ・カトリック)、シリアのアンティオキア派、エジプトのアレクサンドリア派が攻守所を替えてしのぎを削ったことを紹介した。
その結果、東方教会と西方教会の分裂を決定的にし、今日の東西ヨーロッパの文化的、思想史的基盤を形成したことも。ギリシア語やラテン語で聖書が読めない「無学」のカ氏に何を言っても無駄かもしれない。
今回も久しぶりに堀米庸三の学術論文集『ヨーロッパ中世世界の構造』を読んだ。
ご大層なことを宣う前に、直情径行的な反射的投稿は慎んで、Wikipediaなどではなく、しっかりとした基本文献に目を通し、ヨーロッパ中世世界の構造について、性根をすえてイロハから学んだらいい。そうした着実な姿勢に基づく文献や資料の精査こそ、学問的議論の前提条件であって、「無学」の誹りを受けたくなかったら、これまでの怠惰を改めたらいい。一生「無学」のままで潰えるつもりでなければ。
まともな日本文が書けぬ相手に148のような「日本国憲法が修正された時……どういう意図で修正されたか……国民の代表者や我々「権威ある」国民が…」という、愚にもつかない文章をまともに取り上げて、「修正された」の主語「日本国憲法」は、「大日本帝国憲法」改正案の、「修正」は「改正」の誤りと一々詮議立てしても、どこか空しい。それにしても、粗雑極まる文章で、頭の中に詰まった雑識に災いされたのか、頭の中に蜘蛛の巣でも張っているのか、理解に苦しむ。
そもそも、【国民の代表者や我々「権威ある」国民】という時の、「権威ある」国民とは、「無学」なカ氏もその一人である有権者の謂いなのであろうが、専門的学識をもった憲法学者と、無学の一知半解で間違いだらけの妄説を撒き散らす以外に能がない「カ氏」程度の老媼を、投票権は同じ一票で全く平等だとしても、それ以外の場面で同等に扱わなくてはならない道理が、どこにあるのだろうか。
「権威ある」国民などと言ったところで、改憲の是非は、国民投票で最終的に有権者の選択に委ねられるというだけの話だろう。そこに「権威」などない。選択結果の「正統性」があるだけだ。
カ氏は民主制と「平等」の含意を取り違えている。近代の代議制民主制下での民主制は、「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置」(シュンペーター)にすぎないし、人は法的以外には平等ではないため、「平等であるかのように」扱われるにすぎない。それが礼儀にかなうという偽善も含めて。
カ氏の寝言は、幼稚園児のように☆鈍かつ凡庸、陳腐で退屈極まる。
元教授の書かれたニーチェの本、にサインして、なにか書いて下さい、と頼んだら、私の名前の後に、「愛するドイツ語の勉強会の女王へ」の呼びかけを最初にドイツ語で、書いて下さった。「無学の女王」という蔑称を反氏からいただいていたな、と思い起こして、思わず吹き出しそうになったが、そんなことをドイツ語に訳すと先生がびっくりされ、質問が数限りなくなりそうなので、黙っていた。
教材の中にギリシャ、ローマ神話、聖書からの逸話が多くある関係で、aus der antiken Mythologieという言葉が出てきた時、どういう意味かわかりますか?と聞かれて、説明が始まった。中世の神聖ローマ帝国では、古代ギリシャ神話、アントニウスやクレオパトラ時代の古代ローマ神話は、禁止で、神話というと聖書、旧約聖書、新約聖書、しか許されなかった。古代ギリシャ神話、古代ローマ神話が復興されるのは、ルネッサンス以降である。イタリアで起こったルネッサンス期、古代ギリシャ神話と古代ローマ神話の評価は、同じで、この二つをさして、ドイツ語ではdie antike Mythologieと呼ぶようになった。
私は高校、大学で習った「カノッサの屈辱」からのヨーロッパの中世、ルネッサンスについての認識とドイツで、ドイツ文学の博士号を取り、日本の有名大学のドイツ文学の教授を定年退官された教授のその時代の歴史認識が同じで、ほっとした。
無学なのは、「歪な歴史認識をされているのは」、一体だれなのだろう?
「ほっと」している場合ではない。
事前に忠告するが、自らの無学と怠惰の言い訳に、罪のない善意の第三者(本件の場合ドイツ人教授)を巻き込むものではない。粗末な論証といい、稚拙な日本語と貧弱な措辞によるお粗末な文章といい、すべては怠学と驕慢がもたらした、身から出たサビなのだ。
何ゆえハインリヒ四世はカノッサに赴いたのか、果たしてそこで何が起きたのか、政治的意味は何であったか、今日に至るまで実体は謎のままで、ドイツに限らず、学界での論争は決着ていないからだ。
政治的にはハインリヒがどうみても勝者だ。ただ、最終的に敗北に追い込まれて廃位の憂き目に遭い、逃亡して死んだグレゴリウス7世が、全面的敗者かというと、そうとも言い切れない側面がある。そこにカノッサ事件のそもそもの原因である、「俗権叙任」をめぐる法王と皇帝(ハインリヒは同時に国王)の対立、即ち叙任権闘争(la querelle des inverstitures)と、それを中核とする一連のグレゴリウス改革がある。
カノッサ事件は叙任権闘争の一つの頂点ではあっても、それで何かが決着した訳ではない。実際に、ハインリヒが法王に対し俗権叙任放棄を受諾したことを示す文言は関係資料のどこにもない。ましてや、事件を契機に「神聖ローマ帝国の皇帝は敗北して神権を失い、教皇の権威が皇帝を上回った」ことなど、断じてない。
ナイーヴな単細胞思考では、歴史の真相は永遠にみえてこない。
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