安田純平氏解放が議論を呼んだ。プロの国際援助専門家やフィールド研究者は、沈黙している。一緒にされたくない、関わりたくない、ということだろう。
私が代表を務める広島平和構築人材育成センター(HPC)の外務省委託研修でも、数週間のコースであれば、専門の百戦錬磨のプロの外国人インストラクターを複数名雇って、三日くらいは安全管理にあて、拘束された場合の対処も1セッション分くらいはきっちりやる。もちろん、より重要なのが、予防策であることも言うまでもない。https://peacebuilderscenter.jp/
世界には継続的に国際的な類似事件をフォローし、動向把握に努めている安全管理のプロがいる。しかし残念ながら、日本人では、皆無ではないか。私自身、あまり安田氏をめぐる日本での議論に関わりたい気持ちはない。
何やら真剣に安田氏を擁護する方もいらっしゃるようだが、「紛争地でジャーナリストが拘束されれば、ほかのジャーナリストが儲かります」、「現在、絶賛バッシング中の安田くんも、これで将来は安泰!」、というのが、安田氏の業界の雰囲気のようなので、なかなか事情は簡単ではない。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181030-01521432-sspa-soci
日本でも、公安当局であれば、安田氏の事件にも、強い関心を持っているだろう。ケース・スタディとしては、非常に稀な性格を持った事件だ。そのことはもう少し注目されていい。「自己責任」をめぐる議論の陰で看過されがちな安田氏の事件の特異な性格を、三つの謎という形で、描写してみたい。
第一の謎は、拘束の目的だ。拘束事件には、いくつかのパターンがある。政治的な目標達成のため(軍の撤退要求、政策変更要求など)、経済的な目的のため(身代金の要求など)が、わかりやすい。今回の時間は、いずれにも該当していなかったように見える。拘束からしばらくたった後にのみ、本人のビデオが公開され、解放要請がなされた。それは拘束者が、解放交渉を望んだ意思表示であったとみなされる。当初は水面下の交渉がなされ、その行方にしびれを切らして公開に踏み切ったという可能性もないわけではない。しかし交渉相手が特定されなかったことなどの特徴を見ると、少なくとも典型的な身代金目的の拘束ではなかったように見える。
もう一つの拘束目的のパターンが、政治的予防措置である。ある人物をスパイだと疑う場合に、その人物の行動の自由を奪う、というのが典型例である。安田氏の場合には、ジャーナリストであることを隠して取材活動をしていたと思われる一方、特定の武装勢力に近づくことによって潜入を試みたと思われる様子もあるため、このパターンでの拘束であった可能性も高い。スパイだと疑われたわけではないとしても、ジャーナリストであることそれ自体が危険視される要素になった可能性はある。
第二の謎は、解放の経緯である。一般に、政治目的や経済目的による拘束の場合、その目的が達成されないことが明らかになった場合には、被拘束者に生命の危機が及ぶ。なぜなら解放する事例を作ってしまっては、将来の交渉を有利に運ぶための威嚇の手段がなくなってしまうからだ。拘束時の状況を非拘束者が描写できると懸念される場合には、情報隠匿を図る必要性が生まれている場合もある。
今回の安田氏の事件の場合、何らかの政治的目的が達成されたとみなせる要素はない。経済的な目的が達成されたのかどうかは、不明である。仮に達成されたかのように見える状況があったとしても、それが当初からの主要な拘束の目的であったかどうかは不明であり、単に解放の契機として、経済的な利益も確保しておいた、ということにすぎなかった可能性もある。
第三の謎は、なぜカタール政府の名前が言及される形で、トルコで解放されたのか、である。現在、中東情勢は、イスタンブールで発生したサウジのジャーナリスト・カショギ氏殺害事件で揺れている。イラク戦争以降、中東では宗派対立が激化し、スンニ派の盟主たるサウジアラビアと、シーア派の盟主であるイランとの間の対立が深まった。イエメンにおける戦争は、完全に代理戦争の様相を呈している。シリア戦争もこの構図が大きく影響しているが、さらに重要なのはトルコなどの周辺国の動向だ。アサド政権側にロシアやイランがついているとすれば、反政府側の強力な後ろ盾がトルコだ。そこでシリアをめぐっては、サウジアラビアとトルコの関係が、極めて微妙な要素を持つようになっている。
カタールは、2017年にサウジアラビアを中心とする湾岸諸国による制裁措置を加えられて、国境封鎖をされた。カタールが、サウジアラビアの意向に従って動かなかったため、逆鱗にふれたのだった。しかしアルジャジーラTV局の閉鎖などのサウジの要求は法外なものであり、封鎖は広範な支持を得て成功したとまでは言えないものとなった。このとき、カタールの支援に回ったのは、サウジの勢力減退を狙うイランだけでなく、スンニ派諸国内での影響力の向上を目指すトルコであった。現在においても、トルコとカタールの関係は、蜜月状態にあると考えられる。トルコとサウジの関係は微妙なものとなったが、今回のカショギ氏殺害事件は、両国の関係に決定的な亀裂を入れたと考えられている。
シリアの反政府勢力は、アサド政権の猛攻にさらされて、イドリブなどの一部都市に囲い込まれている状態にある。国際社会が大きな人道的惨禍をもたらすと警戒しているイドリブ総攻撃を数か月にわたって回避しているのは、両勢力の後ろ盾であるトルコとロシアの間の合意である。
安田氏を拘束していたのが、反政府側の勢力であることは、ほぼ間違いのないことだと考えられている。カタール(トルコ)が身代金という形で反政府勢力に資金提供して、安田氏という第三国ジャーナリストの解放を働きかけたかどうか、詳細は簡単には明らかにならないだろう。安田氏の証言も公にされていない状態だが、とはいえ安田氏が全てを知っているという可能性は低い。安田氏は、激動の中東の情勢の中で翻弄されたのである。
ジャーナリストが客観的なまなざしで紛争地の取材を行うためには、相当な準備と配慮が必要だろう。時にそれは、不可能だと断言できるくらいに、困難なことだ。
その困難を把握したうえで、なお追求すべき公益を見出し、妥当な取材方法を模索する努力を続ける真摯さを、ジャーナリストの「責任」として、徹底的に議論していくべきだろう。
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私は商業ジャーナリズムという経営体の論理と倫理を全く無視して、「生涯一記者」などと称して意気がり管理業務から逃げ回っている人士を軽蔑はしないまでも軽視しており、心中唾棄していた。その理由は理解できる。しかし、所詮はジャーナル=日報の作成者である。安田純平氏の動機と行動がそうかどうかは、よく分からないが、歴史の証言者、証人と意気込んだことは一度もない。別の職業体験もあり、32歳での遅いスタートだったので、ジャーナリズムを美名(κάλλος)で語るほどうぶでも、感傷的でもなかった。
私の眼から見た秀才ぞろいの同僚たちは、自分の頭で考えることに欲がない一方で、「権力の監視」「平和と民主主義」への批判的視点を欠いた集団的思考に囚われている(少なくとも表向きは)点で実に他愛無く、幼稚にみえた。
一面下段のコラムを随分書いたが、多くは余技のようなもので、退屈だった。私の踏み込んだ問題提起への反応も今ひとつだった。それは、常に根源的な問い、つまり原理的な思考を800字弱で試みる一種の哲学の勧め(προτρεπτικός)だったから、厳密な論理的思考を敬遠し中には厭う「哲学音痴」が世に少なくないなかでは、無理もなかったろう。
イラク戦争の開戦前夜から続く激動の時期であり、中東のことも随分書いた。アフガニスタン・ペルシャ語(ダリー語)やパシュトー語について、いろいろ勉強したことが懐かしい思い出だ。
当時も今も、中東は文明の十字路であり、情報の迷宮であることも変わりない。
「連盟では毎回、袋だたきにあい、脱退なんて言っているが、全会一致で国際社会から〝無頼漢″として追放されたんです。今のジャパンバッシングの比ではない。それを国内では〝桜の花の散るごとく″とかいって、バンザイで松岡 洋右を歓迎した。全く唯我独尊の無知まる出しの孤児だったんだよ」とふりか える。
「結局、国際感覚が全く欠如していたんです。軍部が強硬になっていく過程で、 社内でも支那(中国)派が勢力を握り、英米派は冷や飯をくわされた。 支那問題を連盟で論じていると、『欧米に支那のことがわかるか』と反発をくい ましてね。私は『支那通の支那知らず』とことあるごとに言ったんだがね。とにかく、新聞を含めて、日本人全体が井の中の蛙になっていた」、と結論づけておられる。
私は、現在の日本の中東問題をはじめとする国際政治に対する日本のマスコミ報道にも、反氏の、例えば「北朝鮮は戦前の日本だ。」と形容すると、「上から目線」で「無学の女王」、「妄説」だと断言することをはじめとする、反氏の私への猛烈な非難や批判の内容を含めて、同じようなものを感じる。
本来、その困難を把握したうえで、なお追求すべき公益を見出し、妥当な取材方法を模索する努力を続ける真摯さを、ジャーナリストの「責任」として、徹底的に探るべきだと私も思う。ペルシャ語(ダリー語)やパシュトー語など、語学だけ勉強すればいいというものではない。
ジャーナリスト出身の反氏の「民主主義」に対する考え方もそれを表しているが、前の記事の私へのコメント162、「権威ある」国民とは、「無学」なカ氏もその一人である有権者の謂いなのであろうが、専門的学識をもった憲法学者と、無学の一知半解で間違いだらけの妄説を撒き散らす以外に能がない「カ氏」程度の老媼を、投票権は同じ一票で全く平等だとしても、それ以外の場面で同等に扱わなくてはならない道理が、どこにあるのだろうか、という説は、全く国際感覚からかけ離れた政治思想なのである。
戦後のジャーナリズムも、「権力の監視」などと称して、その前に国民に正確な国際情勢を認識させようという努力を怠っているように見える。
一例にすぎないが、文化大革命進行中の頃、その悲惨な現実をジャーナリスト(や進歩的文化人)が知っていたに拘わらず、今は言うべきでないと公にしなかったいう話を聞いたことがある。
ジャーナリズムが正確な国際情勢の国民への伝達を軽視していることが、日本人の憲法9条に対する感傷的な擁護に繋がっている面もあるという気がする。
カ氏は一応ドイツ語が読めて、それを忘れぬよう、志半ばで帰国せざるを得なかった往年の西独留学の記憶を宝に(恨みを糧に)、奇特に勉強を続けている老媼なのだろう。老人は暇だから、消閑に最適かもしれない。憲法問題でいきり立つまでもない、幸せな御仁だ。
軽挙妄動で篠田さんのブログに迷い込まなければ、あるいは私が「離群索居」の気儘な余生の消閑の序でに篠田さんのブログに出会い、その篤実な姿勢を多として、気まぐれに投稿に手を出さなければ、将に本コメント欄の知性と教養溢れる女性=女王様として、引き続き君臨でき、「迷妄の甘美な夢」に浸っていられたかもしれない。それを思うと、甚だ気の毒な気もする。
無学な自分の現状を認めたがらないのは、凡庸さの確固たる指標だが、人情としてはよくある話で、何もカ氏ばかりが槍玉に挙げられなくてはならない理由はない。最近はデマゴーグ紛いの姑息な立論までするようになった、驕慢ゆえの見下げ果てた態度と物言い、即ち居直りをみて、正視するに耐えない。真の「好学」の士なら、さっさと別の努力をしたであろう。しかし凡庸で☆鈍だからそうはいかないのだろう。
自説を枉げなかった、言い負かされなかったという外形的粉飾のために血道を上げている様を日課で観察するのも一興だし、涙を誘う。
それにしても、朝からよく吠える。手負いの老媼は兇暴だ。
ただ、つける薬はない。
パスカルは齢39で死んだ天才だが、デカルトやプラトン、アリストテレスでも、随分昔の人だが、我々よりずっと先を歩いている。
中世欧州について碌に知らず、東ローマ帝国の存在さえ閑却する、つまり歴史的存在である欧州のキリスト教文明の構造に無頓着な、それ故「無学」でしかないカ氏が、滑稽にもギリシアやローマの神話、ルネサンスを語る。「カノッサ事件」について、語れぬことを誤魔化す論点回避の頬被りは習い性だ。
御苦労なことだが、所詮は知恵も芸も足りず、散漫な文章でドイツ人教授を出汁に見え透いた言い訳をして、お茶を濁すしかない。何せ、「金日恩(?)さんのおじいさん」のような措辞を平気で濫用する御仁だ。
ドイツは英仏に比べローマ文化よりギリシア文化に執着する傾向があるのは、言語構造だけでなく、所詮ドイツ=ゲルマニアが文明の外縁、夷狄の後進国だからだ。ルネサンス期に碌な人文学者も出さなかったし、ローマの遺産はドイツには極少だ。
それを傍証する挿話がある。ルネサンスの潮流を押し戻した反動の波のうち、特に顕著なもので1527年、ローマがルネサンス文化の影響を充分享受していなかった二国(ドイツとスペイン)の軍隊によって占領された結果、ローマのアカデミーは破壊され、館長は貴重な写本や古代の遺物の蒐集の殆ど全部が略奪され、破壊されるのを目の当たりにした。
その様子を歴史家パオロ・ジョヴィオは書き残している。
「疲弊したギリシアと眠れるイタリアから、平和と学問と芸術という飾りをドイツは奪った」。各地の学者たちは相互に「この世の光は遂に消滅した」と手紙で嘆き合った、という(J. E Sandys, A History of classical Scholarship, vol. 2)。
中世は、ラテン語が学問、公式文書などに使用される言語であったから、言語の近いフランス人や、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人も、ラテン語で書かれた文書を読めば、その内容を理解することができたが、言語構造の遠う、ドイツ人は、ラテン語を勉強しなければ、その内容を理解することが難しかったのである。その為に、ルターは、ギリシャ語から、民衆にわかる、ドイツ語に新約聖書を翻訳したことは、何度も紹介した。
反氏は、ヨーロッパと言った場合、ビザンチン帝国も入る、と言われるが、ビザンチン帝国という国はどこに位置していたのだろう。4世紀の分割点は、ウィーンよりもっと東、つまりバルカン半島と、ギリシャ、中東のシリア、エジプト、北アフリカへ、広がった国なのである。ムハンマドの登場と共に、ほとんどが、アラブ帝国、イスラム帝国になった地域なのである。
また、1527年、ローマがルネサンス文化の影響を充分享受していなかった二国(ドイツとスペイン)の軍隊によって占領された結果、ローマのアカデミーは破壊され、館長は貴重な写本や古代の遺物の蒐集の殆ど全部が略奪され、破壊されるのを目の当たりにしたなどと、その事件が世界史的に、特に重要であることのように主張されているが、それよりも大事件は、1529年のオスマン帝国のウィーン包囲である。キリスト教文化圏が、イスラム教文化圏の国に武力で、支配されるかもしれなかったのだから、それは大事件だった。
▼【私を「無学の一知半解で間違いだらけの妄説を撒き散らす以外に能がない」、と唯我独尊的に決めつけた上で……私という人格を否定】⇒⇒別に人格など否定していない。カ氏の人格に何の興味もない。ただ、「無学」という事実を論証している。しかも、【唯我独尊的に決めつけ】るのではなく、ありとあらゆる論拠を示して、情け容赦なく、殺伐非情に。悔しければ、具体的な論拠を示して反論すればよい。泣き言は無用。
▼【ソクラテス……ソフィスト、ルネッサンス、ゲーテやシラーについて……どちらが、間違いだらけの妄説なのだろう】⇒⇒カ氏に決まっている。私が元メディア関係者ということは無関係。思想、信条の自由はそれを表明する自由と機会の保障であって、カ氏の途方もない妄説の正当性を担保しない。悔しかったら、精々きちんと「お勉強して」出直してくればいい。表明の自由(権利)だけは保障されている。表明の自由しかない。言論の当否は言論のみで争われる。幼稚園の発表会と混同されても困る。
▼【民主主義は、自由を前提】⇒⇒だれもカ氏の自由を制限していない。「批判されない」自由はない。
驕慢なくせに特別扱いを求める懦弱な精神に、言論の火遊びは怪我のもとだ。
「汝自らを知れ」(‘γνῶθι σαυτόν’)
「代表者」、とは、だれなのか、それは、我々有権者が民主的な選挙制度の元、で選んだ国会議員である。今、自民党が、過半数の議席をもっているのだから、公明党を合わせると3分の2をもっているのだから、与党の議員たちの意見が、我々を代表する意見なのである。また、安倍首相も衆議院議員なのだから、権力をもつ私たちの代表者の一人なのである。それが、国際的に通用するまともな日本国憲法の解釈なのである。
私が、批判しているのは、なぜ、「立憲民主の会」の人々が国民の代表なのか、東大系憲法学者の主張が、国民を代表する、良識のある意見なのか、ということである。そんな勝手なことを、権威ある国民の一人である、私は認められない、と言っているのであって、そういう主張こそが、全く国際感覚からかけ離れた日本独特の政治思想、であると言っているのである。
私は、こういう基本的なことを再確認することは、日本人として、大事なことだと思っている。
【「ドイツは……ギリシア文化に執着する傾向があるのは……所詮ドイツ=ゲルマニアが文明の外縁、夷狄の後進国……は反氏の説であって、真実ではない……文豪ゲーテが】⇒⇒何かと言うとゲーテだが、彼は1749年生まれの近代人である。それ以前の後進性を否定できない。ドイツの上流階級がドイツ語ではなく、フランス語で社交する習慣が残っていた時代に生まれた。後進性の標識である。ドイツはメランヒトン以外、目立った人文主義者も生んでいない。長らく文化果つる地であった。
⇒ドイツはフランス語では長らく複数形で‘Les Allemagnes’と侮蔑的に呼ばれた。‘Les Allemagnes’は即ち、‘C’est de l’allemande pour moi.’(「私にはチンプンカンプンだ」)=夷狄(βάρβαροι)という意味。文化的後進性を嘲笑したものだ。「上流階級=18世紀までフランス語」の名残であり、ロシアと似ている。ゲーテが【どれだけ……イタリア文化を愛したか…】、まさに「後進国」の自覚があったからだろう。
▼【ヨーロッパの中世は、キリスト教文化……古代ギリシャ哲学文化ではない】⇒⇒私は、中世ヨーロッパ世界がキリスト教文明だという事実を否定してはおらず、むしろ強調する。ただ、それは西方教会(ローマ・カトロック)だけではないと、指摘している。
⇒ギリシア哲学との関係で言えば、キリスト教が今日の「世界宗教」に脱皮する契機となった神学の生成過程を担ったローマ・カトリックと東方教会(ギリシア正教)の伝統が古代末期の教義論争に遡ること、出現当初は「漁夫と大工の宗教」と揶揄されたイエスの素朴な教えが古代文明と出会うことによって精錬されて世界宗教の表徴である神学体系が生まれ、さらに12世紀の「アリストテレス」再発見によって、キリスト教的信仰とギリシア・ローマ文化が融合する今日の欧州が形成された、と指摘している。
ゲーテなど、欧州文明全体からみれば、最近の人にすぎない。
早稲田大学のExtentionセンターで、「ユダヤ人」についての講座を取った時、この民族主義のユダヤ主義の思想が、ギリシャ的なコスモポリタンな思想と出会って、ちょうど時代的にそのころ生まれたユダヤ人であるユダヤ教徒であったキリストが、普遍性をもった宗教、キリスト教を起こした、という説をきき、なるほど、と思ったし、ローマ帝国がキリスト教を公認したのは、ゲルマン民族の大移動の時期にあたる。世界権力のローマ帝国と、キリスト教の信仰とゲルマン民族の生命力が一つに結びついて、西洋文明の骨格が出来上がった、という説もある。
なににしろ、キリスト教が、ヨーロッパ文明の根幹をなしていることは、まぎれもない事実である。
反氏は、ゲーテなど、欧州文明全体からみれば、最近の人にすぎない、と侮辱されるが、第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、ドイツ憲法、ドイツ文化の象徴として、名前や住んでいた都市を冠、としている人が、多くいるのだろうか?反氏の崇拝される、プラトンにしろ、アリストテレス、にしろ、民族の誇り、だとは、在独中ギリシャ人からきかなかった。反氏が尊敬されている京大の哲学の教授の名前も同じことである。ドイツ人の元教授に昨日、ドイツ語で、Klassikというと、古さを意味するのではなくて、本物の芸術家、を意味する、と習った。例えば、シェークスピア、ゲーテ、などと。要するに本物、ということだと思うが、最近の人であっても、人間として、本物は、本物で、貴重な存在なのである。
所詮その程度なのかと肩透かしにあったような気分だ。「何も分かっていない。カ氏ほど酷くはないにしても、誠に憐れむべき水準で、本国では大方三流レベルだろう。ドイツも随分、質が下がったものだ」、と。
「ドイツ人の元教授に昨日、ドイツ語で、Klassikというと、古さを意味するのではなくて、本物の芸術家、を意味する、と習った」――ギリシア語はおろかラテン語も読めない、真の、つまり正統派の「教養人」の間では文盲に等しいカ氏の「無学」を憐れんで、よく言えば気遣って、いい加減なことでお茶意を濁した可能性もある。
さて、無学なドイツ人がドイツ語で何を連想しようと、ヨーロッパで「古典」=クラシック(英 ‘classic’ or ‘classics’, 仏classique, 独Klassik, 伊classico)と言えば、端的にギリシア・ローマの古典作品に決まっている。つまり、教養ある欧米人が想定する「古典」とは、ギリシア・ローマの古代文化を体現した知的遺産としての人文的諸学問、学芸を指す。少なくとも英仏独伊で正統的な中等教育(パブリックスクールやリセ、ギムナジウム、リチェオなど)過程を経験した教養エリート層にとって、それは自明の事実だ。米国だけが事情が異なるが、それはここでは措く。
[classics]はラテン語起源。ただ[classicus]という語は形容詞で、その元には名詞[classis]が想定される。つまり、[classicus]とは[classis]に属するとか関係するという形容詞。[classis]は英語の[class]と同じような意味で、「組」「級」であって、実質的には市民の階級区分を指す。文字通りの意味はギリシア語の[κλάσις]と同根で、「呼び出し」。実際には呼び出され招集される市民の部類分けを想定した階級や等級を指す。
つまり、「第一級の」という意味に限定されていた。この転用によって形容詞[classicus]も、文学や哲学、歴史その他の作品に対する評価の言葉になった、という事情だ。
一方、英語で[classical language]と言えば、ギリシア語とラテン語を指す。[classical scholar][classical tradition]は、ギリシア・ローマ(ラテン)の研究者、ギリシア・ラテンに由来する伝統を指す。日本の研究者団体(学会)=「日本西洋古典学界」は[The Classical Society of Japan]と称する。古典学会といっても、『源氏物語』や『平家物語』ではなく、プラトンやアリストテレス、キケロやウェルギリウスを研究する。
どうして対象がギリシア・ローマの文物に限られるようになったかと言えば、中世やルネサンスを通じて、ギリシア・ラテン作家の著作が教育を通して親しまれ、その普遍的価値が一つの模範、規範として仰がれたから標準的著作として聖書と並んで文字通り「第一級」の作品として重要視され、「教養」の対象になったからだ。
「古き良きもの」を意味するラテン語の形容詞[antiquus]から、ドイツ語の[die Antike]も由来し、[die klassische Altertum]=「古典古代」はギリシア・ラテンの世界を研究領域とする[die Altertumswissenschaft]=「古典古代学」に通じる。
勝義の古典とは、[antiquus]と[classicus]が一体化したものだということになる。
従って、古典とは無学なカ氏が歴史的経緯を無視して夢想するような「シェークスピア、ゲーテ……要するに本物」では全くない。
カ氏はニーチェが唾棄した「教養の俗物」(‘Bildungsphilister’)にも値しない「無学」であることが明らかなようだ。
「プラトンにしろ、アリストテレス、にしろ、民族の誇り、だとは、在独中ギリシャ人からきかなかった」というような、訳の分からない冗語を宣うのも、「無学」の無学たる所以。
ギリシア哲学の「頂点に位置する」プラトンと「万学の祖」アリストテレスについて言えば、西洋の思考の歴史を貫く哲学の巨人という対蹠的な二大知性は、その故国ギリシアを超えた存在で、「民族の誇り」云々のレベルを遥かに越えている。西洋文明全体の知的伝統の源泉に位置する。「在独中ギリシャ人からきかなかった」のは、当該ギリシア人の知性の問題かカ氏の「無学」ゆえの問題意識のゆえのいずれか定かではないが、双方なのだろう。
確かなことは、古代末期の紀元529年、ユスティニアヌス帝の勅令によってアテーナイにおける哲学の研究や授業が禁止され、アカデメイアが閉鎖されたのに伴い、哲学研究の拠点が故国ギリシアを離れて以降、ギリシア人は哲学について何の貢献もしていないことが影響しているのだろうし、もはや「民族の誇り」などという狭い枠に収まり切れない存在だからなのだろう。
「反氏が尊敬されている京大の哲学の教授の名前も同じ」――下らない問題設定だ。哲学は、仮令ゲーテであろうと、「文士の寝言」ほど気楽な知的営為ではない。
カ氏は通俗的価値に惰眠を貪る憐むべき俗物のようだ。[完]
反氏の主張の問題点は、国際的に評価の定まっている私の説が「学のない妄説」であり、あたかも反氏の主張が、「学のある世界の知識人の平均的な主張」であるか、のようなイメージを作りあげる、日本のマスコミの人が使う手法と同じだからである。
る。
そのことはまた、世界の人々はみんな、日本国憲法9条を「カントの定言命法的に解釈する」から、日本だけは侵略されない、などと言えない、ことを意味しているのである。
そしてその危険性を考慮に入れた時、GHQが1週間で作り上げた「草案を修正した」国会の憲法改正小委員会の委員長であった日本国憲法9条の「芦田修正」を含めた「芦田解釈」が、日本国憲法9条の正しい解釈である、と考えるべきである、というのが私の主張である。
カ氏の「無学の女王」たる所以で、コメント21、22のような見苦しい弁明を見て、痛感する。それこそ、「国際標準」から逸脱した、日本以外では通用しない理屈で、端的に言えば「甘え」だ。彼らは、ギリシア語やラテン語の知識を特別視しないが、軽視もしない。それが骨の髄までしみ込んだ、伝統だからだ。駐日英国大使館勤務の外交官と話して思った。
しかも、賢明な読者なら既に気づいていようが、カ氏はドイツ語、ドイツ人の大衆の感覚という領域に逼塞して他愛のない問題にすり替えているのが明らかだ。この、検証されなざる「ドイツ基準」こそ、カ氏の場合はドイツ贔屓、ドイツ偏愛、ドイツ信仰とも称するべき「ドイツ教(狂)」の自覚されざる‘‘chauvinism’’、独善につながっている。
圧倒的な「無学」以上に、カ氏はナイーブで浅慮な人物だから、半ば無意識に、必死になって自らにとって「真実らしき」ものにしがみついて取り敢えず反射的な反撥をコメントに込め、見え透いた形ばかりの反論を試みている。問題全体を引き受け、徹底的に議論を深化させる覚悟が恐ろしいほど欠落している。カ氏に「真理」への愛好心など見えない。
投稿は老媼の単なる自己顕示欲に基づく、もはや日課となった惰性的行為という程度の毒にも薬にもならない、児戯に等しい行為なのだろう。その過激な、自制心を欠いた剥き出しの言辞は、匿名性と悪平等の原則に甘え、厳しい自己抑制(σωφροσύνη)を欠いた老人の手すさび――芸もユーモアもない――陳腐で退屈な見解の表明にすぎない。
私が度々カ氏に奉呈した古代ギリシアの諺=【‘ὁ γέρων δὶς παῖς γίγνεται’ =「老媼は二度子供になる」】という醜態が、そのまま繰り広げられている、ということではないかと考えざるを得ない。
「なんど同じやり取りをしているのか、と思うし、本当に、おじいさんとおばあさんの論争」(16)などという次元の話ではない。私はカ氏に「おじいさん」と呼ばれなくてはならないような高齢者でもない。
いずれにしても、その実力がないので内心は論争(ἐρίζειν)など望んでいるとは思えず、多くは日課となった止み難い未明の「投稿のための投稿」という暇潰しに興じている。パスカルの言う「悲惨」だ。「無学」な老媼による、もはや弱論強弁(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)にさえ値しないカ氏の無駄なおしゃべり(ἀδολεσχία)が、議論(λόγος)から真の対話(διάλογος)に至らない理由を真面目に考えたらいい。
その上で、カ氏(ドイツ人元教授)の見解=【ドイツ語で、Klassikと言った場合、古代ギリシャ文化、(キリスト教を国教とする以前の)古代ローマ文化だけではなく、シェークスピア、ゲーテなどの作品を含む、と書いた方が正確だった。ドイツ語でKlassikとは、要するに本物の芸術、まがいものでない芸術、という意味となる。私は、これによって、ゲーテが教養あるドイツ人から、流行作家ではなくて、本物の芸術家、とみなされている、ということを示したかった】という、愚にもつかない反論を以下で解剖する。
いくら無学なカ氏でも、シェイクスピアが「【[‘small Latin & less Greek’](出典は同時代の劇作家ベン・ジョンソン[Ben Jonson]の「‘He has small Latin and less Greek’」〔‘‘To the Memmory of Shakespeare’’,31〕】と自覚していたことは承知していよう。ラシーヌがフランス古典劇の完成者という場合の[classique]は、あくまで、派生的=二義的用例にすぎない。
ゲーテは筑摩書房が昭和1960年代から出した東西の古典的著作の叢書『世界古典文学全集』の最終巻(第50巻)=「末席」に収録されたが、これも派生的な意味での「古典」。ゲーテやルソー(第49巻)、モリエール(第47巻)、セルバンテス(第39・40巻)を入れないと、「地味すぎる」と売れ行きを危ぶんだのが理由とされる(担当編集者が伝えるのちの第3代社長・井上達夫の証言=井上は京大西洋古典学科の最初の三人の卒業生の一人で、古典学者松平千秋の弟子。私の妻の大叔父もその一人)。
「無学」が悔しかったら、もう少し勉強したらいい。それが嫌なら、もっと気楽などこぞのブログのコメント欄で気焔を上げればいい。
☆傲慢は、何があろうとどこかで元を取る。虚栄を棄てる時ですら、何ものをも失わない(ラ・ロシュフコー『箴言』33)。[完]
だから以前、読みもしない、どこかの解説書(日本版Wikipediaや篠田さんの『ほんとうの憲法』を含む)で聞きかじった
一知半解な雑識を基に、無謀にもドイツ国(公)法学を、G. Jellinek(カ氏によればイエネリック、イエルネック=「言える~=イエル~」「言えね~=イエネ~」の悲喜劇)もケルゼンもシュミットも、一行も読まずに臆面もなく語る暴挙を生むのだろう。そうある愚行ではあるまい。
コメント27も自制心を欠いた反射的投稿で、中身がないどころか、日頃言っていることと違うことを、立場と状況が違えば言い募るご都合主義の最たるものだ。しかも、カ氏の悪弊であり宿痾となったコピペで水増しして分量を稼ぎ、体裁を整えるという、身も蓋もない怠慢ぶりである。どこまで腐りきってるのか見識を疑うし、まだ呆ける齢でもあるまいに、齢70近い老媼に当然求められるべき規矩「七十而從心所欲、不踰矩」(『論語』為政第二)も何もない。
さて、カ氏の27=【本当に、反氏の反論は、異常なものだと思うが……ドイツ的解釈を取っておられるのではないのだろうか?】はKlassikを除き588文字ある。このうち、225文字(38.2%)は私の26の一部分のコピペである。自分の文章で相手の見解をまとめる手間を省く怠慢である。
【「本物の芸術」という言葉を使ったのであって、「古典」という言葉も使っていない】は見え透いた論点ずらしの詐欺的言い逃れ。なぜなら、独語〔Klassik〕、ラテン語の[classicus]=ギリシア語の[κλάσις]由来する言葉であって、カ氏の主張するような狭義の「本物の芸術」に限定することは、言葉そのものの用法の歴史を破壊することにつながるからだ。
ドイツ語でしかものを考えられない愚劣さ。近代諸国語との関係は、A. Meillet; ‘‘Esquisse d’une histoire de la langue latine’’, 1933.でも読まれたらいい。手間が省ける。
「ドイツ語について言っただけ…」と逃げても無駄な所以だ。ドイツ固有の事情に拘泥するなら、それこそ、ドイツが文化的にも「後進国」であることを認めるに等しい。19~20世紀前半に隆盛を極めたドイツの西洋古典文献学、古代学の伝統に照らして、政治的には未成熟(非政治的)だが、世界有数の教養市民層が形成されたドイツに限って、カ氏のような見解は常識的にあり得ない。あるとすれば、カ氏同様、「無学」この上ない、ドイツの民衆であろう。
以上のことから、ドイツ語に限ってもカ氏の主張は辞書学的にも全く支持されない、それこそカ氏が頻りに強調する非常識な見解で、国際常識に反する「妄説」である。
カ氏がこうした初歩的な過ちを性懲りもなく繰り返すのは、元々、救いようのない「無学」でヨーロッパの学問的伝統に疎いのに加え、ドイツ語でも〔die klassischen Sprachen〕と称するギリシア語やラテン語について全く無知で、しかも不勉強で、その割には(恥をかかないため)よく調べ物をしないで愚にもつかない「投稿のための投稿」に走る姿勢、およそ学問とは対蹠的な態度にある。碌な文献も専門辞書も所持せず、「ドイツ熱」に逆上せ上がって、浮ついた学問の真似ごとに興じ、「似而非知識」に留まっているからだろう。
コピペと教授礼讃で合わせて367文字=62.4%。齢70にもなってこの体たらく、言うべき言葉を知らないが、身から出たサビ。
「無学」の分際で学問的議論を甘く見てはいけない。
なお、
▼4=【ペルシャ語(ダリー語)やパシュトー語など、語学だけ勉強すればいいというものではない】⇒⇒いずれもアフガニスタンの公用語。この他北部のタジク語があるが、「無学」のカ氏は違いを分かって書いている様子はない。ダリー語は西部の首都カーブル=Kabul(カブールではない)を中心とする地域の通用語で463万人が使用。文字はペルシャ文字。テヘラン標準語(イランのペルシャ語)よりタジク語に近い。
⇒北東イラン語に属するパシュトー語は南部のカンダハール・東部ジャララバードを中心とする地域の通用語で、話者数は隣接するパキスタンと合わせ1,400万人。文字はペルシャ文字32に独自の8字を加えた40文字。タジク語は西イラン語に属するペルシャ語の一変種。文字はロシア語と同じキリル文字。アフガニスタンは部族社会であることを徹底して理解する上で、この程度の常識は必須。篠田さんの言う、準備以前の話。
▼12=「カノッサの屈辱も、現在は、事件というそうであるが、名称などは些細なこと」⇒⇒何も分かっていないことの「告白」に等しい。
▼17=「反氏は、ゲーテなど、欧州文明全体からみれば、最近の人にすぎない、と侮辱」⇒⇒侮辱ではなく、長い欧州の歴史からみた、「常識」。[完]
これに気づいたのが、運がよかった私が、初めて不運な目にあった体験なのであって、人間ドックで胆石だとひっかかった時である。傷口も小さいし、3日で退院できる、と勧められて腹腔鏡手術を選択した。夫などは、「蚊のとまるような手術」と言って、祖母に叱られたそうであるが、失敗されて、3回の手術、2か月の入院となった。このまま治らないか、と思った。けれど、失敗された後の治療法を選択したのは、私なので、私の責任である。説明を受け、私が選択して、サインもしたのだから。
とにかく、そういうアラブ世界、アフリカ世界、を含めた国際社会の現実を、日本のマスコミの人々には、よく知って、報道いただきたい、と思う。それなしに、「権力をチェックする」と声高に叫んでも、正しく「民主主義」政治は、機能しない。
たまたま、Duden(独独)が手じかにあったのでKlassikerをひいてみた
すると二番目の訳として、Künster od. Wissenscchaftler, dessen Werke, Arbeiten als mustergültig und bleibend angesehen werden
その作品、仕事が模範的で、永続的だとみなされる芸術家、学者、という訳がでていた。
ドイツ人の教授がドイツ語で私たちに説明されたのとほぼ同じ内容。
その代表として、ゲーテやシェークスピアやセルバンテスをそのドイツ人教授はあげておられたが、その通りなのではないのか、と私は考える。
そして、ハイデルベルグのイエリネック教授の下で勉強した上杉慎吉という憲法学者に行き着き、彼の思想というものは、イエリネック教授の「立憲君主主義」とは違う、「絶対君主主義」であり、敵味方を作る「政党政治」を否定している、という点で、カール・シュミットと同じだ、という結論にもいきついた。
私にとって、ウィキペデイアは、学生時代の百科事典、のようなものである。友達が買ったので、私も両親にねだって買ってもらい、わからないことがあるとひいた。フランスの18世紀、啓蒙思想として、百科事典派、があったではないか。ウィキペデイアの方が重くないし、便利だし、まとまっているし、どこを批判されるのか、まるでわからない。
そして、カールシュミットこそが、「全権委任法」の理論的な支えを作り、世界で一番民主的な憲法をもつワイマール共和国の民主政治をナチスヒトラー独裁に導いた張本人だ、ということがわかり、長年の疑問が解けたのである。
アテーナイ使節団「希望は危機の気休めである。力に余裕のあるものが希望をもつのならば、害を受けこそすれ、滅びることはあるまい。しかしすべてを望みに賭けた者は(希望とはその性質上、高くつくものであるゆえ)、夢の破れた時にその何たるかを知り、気づいて用心しようとした時には、もう既に望みもなくなっているものである。諸君の都市は弱力で、しかもその運命はまさに諸君の一存にかかっているのだから、災いを避ける方途をよく考える必要がある。尽くせる人事も尽くさず、事態の圧力の前に、もはや手段はないと諦めてしまって、望みを占いや預言にだけ見出して身の破滅を招いた多くの者たちと同じ轍を諸君は踏んではなるまい」(トゥーキュディデース『歴史』5巻103節)
「希望(ἐλπίς)は危機(κινδυνύειν)の気休め(παραμῦθέομαι=encourage)」――厳しい言葉である。身も蓋もないというか、「人間の所業」(‘τὰ γενόμενα ἐξ ἀνθρώπων’)、業の深さのようなものを感じる。
シリアの反政府組織に三年以上も拘束され、今回ようやく実現した安田純平氏の解放劇の背後に何があったのか未だによく分からないし、安田氏のジャーナリストとしての生き方について、もう十五年も前に現役を離れた私に、特に言うことはない。無事解放されたのは、この間一時も気の休まることなく、夫の、息子の無事の帰還を祈っていた家族の心中を思うと、余計なことを言う気にならない。
世間では萎縮する大手メディアをしり目に当局の制止を振り切って死地の取材に赴いた安田氏を「ヒーロー視」する気の早い粗忽者がいる一方で、「自己責任」論を楯に安田氏の姿勢を批判する声も喧しい。報道の自由や権力の監視、紛争地取材の必要性とジャーナリストの役割など、日頃の各々の主張や立場に基づき、同工異曲の退屈で凡庸な議論が踊る。私はそれにも興味はない。本質を見失ったというか、醜悪な現実を糊塗するような陳腐な議論だからだ。
「戦争に巻き込まれるのは嫌だ」式の戦後の日本人を支配した暗黙の合意で自らを拘禁し、自由と平和、正義と国益の対立に頬被りしたまま、ついに施行から71年、憲法一つ変えられずにきた国民の懦弱と怠惰、欺瞞と偽善の自己正当化にも同情しない。いずれにしても、所詮は「観客席」で、日本人は偉そうなことを言えた立場ではない。
国際通の小池氏の他愛のなさも、同じだ。小池氏はメディアのバッシングに敗れたのではなく、政治という常在戦場の権力ゲームの構図を読み違えただけだろう。
ギリシア悲劇の作法の代表作でもあるソポクレスの『オイディプス王』に倣えば、成功の絶頂にあると自認したが故に、自らの不明に容易に気づかないという、人間性の弱点をはしなくも露呈した。知略に秀でると思い上がった「メディア戦略の女王」の驕慢ゆえの蹉跌というより、自覚されざる現実の見落としが致命的な敗北だった。
それを思い知らせた(ἀναγνώρισις)のが、自ら意のままに繰れると誤認し、軽慮したメディアだったのは良くできた、偶然の巧まざる狡知(πανουργία)であり、逆転変(περιπέτεια)によって幕が下りるという、劇的な構図だった。
要するに小池氏の一人相撲という名の田舎芝居であった。
人生には至る所に落とし穴が潜む。安田氏が近く何を語るのか、注目される。[完]
余白に
カ氏の見苦しい釈明と居直りは醜悪。独語のことはそれを母語とするドイツ人に丸投げせよとの、如何にも俗耳に入りやすい妄説。言語学者も形無しだ。未だに一行も読んだことのないシュミットを語っているのも滑稽で、☆鈍の証左。このレベルでは相手にしようがない。
西ドイツで、大学入学の語学試験を受ける前のGoethe Institutの語学クラスは、中級の上だった。ちょうど夏休みにあたったので、本当に優秀な生徒が、資格を取るために世界各国から来ていた。アメリカ人のドイツ文学の博士課程の人、イタリア人の歴史学の博士号を取った人、スイスで生まれてドイツ語を母語のようにして育ち、ジャマイカでドイツ語を教えている人、京都大学に留学していたイラン人。彼らは、その資格試験に通るだけではなくて、gut以上で通らなければならない、ということであったが、そんな人々と私はまるで語学の実力が違った。そこでの教材は「言葉の選択」、同じような言葉がどう違うか、同じ意味でも、どちらがネガテイブな表現で、どちらの言葉がいい印象を与える言葉なのか?他の優秀な生徒は、納得しながら、授業を受けていたが、私は、単語自体を知らないので、ニュアンスもなにもない。すべての授業出てくる言葉を受験勉強の英語のように、片っ端から覚えていった。私自身、日本の大学受験の時より、よく勉強したと思うし、下宿のおばさんにも、「あなたほど勉強した人はいない。」と言われた。そのかいあって、語学試験も、gutではなかったが、その下のbefriedgendで受かることができたし、ミュンヘン大学の語学試験にも合格できた。もちろん彼らは、gutで、ジャマイカ人のおばさんは、sehr gutで通っているが。その時に、外国語を教える、というのは、文法を知っているだけではなくて、言葉のニュアンスに対する感覚をもたなければならない、ということを認識したのである。
けれど、日本語の「希望」なのだから、岸洋子さんの「希望」をより多く連想する。
この「希望」は、実現することがない。カール・ブッセの「山のあなたのなお遠く」、と同じように。ないものを求めているのである。
大人になったら、だまってどっかに行ってしまうし、名前を呼んでも返事がないし、会えないから、悲しみだけを自分の道連れにして、決意を新たにまた、会うために旅を始めなくてはならないし
要するに、希望は、「幻想」なのである。小池百合子さんは、メデイア戦略を駆使し、マスコミを利用して、「小池劇場」、「仮想現実」を作ろうとされたが、最後に、マスコミの人々の主張と正反対の自分本来の「外交、安全保障政策」を鮮明にされたから、マスコミの人びとにしっぺ返しされたのだ、と私は思っている。
「レオノーレ」の希望の方は、政治的理由で拘束された夫「フィデリオ」を助けるために、妻であるレオノーレは、夫を助けるという一縷の「希望」だけを胸に、男装をし、刑務所内に看守として潜入し、フィデリオを発見し、危機一髪のところ、神の助けを得て、見事にフィデリオを救出する。「このレオノーレの希望が実現する筋書き」をベートーヴェンがオペラ化したのは、やはり、「正義は勝つ」ということ、「夫婦の愛」の大切さを、ベートーヴェンが民衆に訴えたかったためだと思うが、翻って、なぜ、カショギ氏の妻は、夫がトルコのサウジアラビア領事官にゆくことを、命の危険があることがわかっているのに、とめなかったのだろう。
こういうミスをするから、反氏の標的になってしまうのが、わかっていて、してしまう、愚かの見本みたいですね。
お詫びして、訂正します。
愚にもつかない妄説= ‘Karoline Doctrine’によると【(独語〔Klassik〕について)母語の言葉のニュアンスは、それを母語とする語感の鋭い、文学的センスのある人に習え、と主張している】らしいが、余計な「感情移入」(感傷的なドイツ人のオハコ=十八番)を排して、言葉の由来や用例を博捜し、その第一義、つまり本来の含意を確認したうえで、その後の誤用を含む的外れな用法から解放し、誤ったイメージを払拭するのが、まさに私程度の人間も具えている、しかし、マダム瑕疵には決定的に欠落している学識(μάθημα)というものだろう。
しかも、独語の〔Klassik〕は、英語( ‘classic’ or ‘classics’)、仏語(classique)、伊語(classico)と同様、所詮はラテン語(classicus)からの借入語で、ラテン語がギリシア語の〔κλάσις〕の音訳であると同時に、「第一級の」=古典作品と結びついていることは、歴史上否定しえない「事実」だ。ゲーテ程度で覆るはずもない。
それを、我執の塊のようなカ氏が劣等学生であった過去を回顧したり、非常識な「文学至上主義」を振りかざす。見当違いも甚だしいが、「文法」云々の前に、カ氏には文法に乗せる内実(中身)がない。ドイツ語という「砦」に引き籠もって、訳の分からない抵抗運動に狂奔しても、愚の骨頂だ。
ドイツに限らず、西欧の気の利いた中学生レベル(リセやギムナジウム級の)なら、‘Klassik’と言えば、端的にギリシア・ローマ(ラテン)の古典作品を指す。古典の授業、最初のステップはラテン語の授業(日本人にとっては漢文に相当)の劈頭で、そう教え込まれる。
イタリアやフランスの教師なら、生徒に「愛する」の36通りの言い方(口説き方)をマスターすれば、将来きっと役に立つ場合もあると、怠けがちな悪童どもに慫慂するかもしれない。
これ以外に、完了態(完了、過去完了、未来完了)でさらに36通りだから、直接法だけで都合72通りを覚えなくてはならない。それに接続法24変化、命令法12(厳密には11)、不定法13、分詞11で、合わせて132通りに変化する(その他特殊な形態(gerundium[動詞的中性名詞]とgerunvum [所相の形容詞]、supinum IとII)が加わる)。
規則性があり合理的にできているので、覚えるのはそれほど困難ではなく、大したことではないが、コツを呑み込むまでの最初の段階は文字通り丸暗記で大変(日本人には、煉獄の苦痛)だから、根げ出す生徒も出てくる。
問題は、その生徒が「読んでもっと楽しく興味深いゲーテやシラーがあるのに…」などと抗弁しようものなら、暗記より大変である。教室を摘まみ出されるか、より過酷な試練を課されるやもしれぬ。
憐れむべき「無学」を必要以上に相手にする気もなく、42は進歩かもしれないが、如何にも姑息だ。
現在、ラテン語は、読み書きの言語で、現在話している国はないから、ラテン語の授業時間を減らすべきだ、という識者がドイツの教育界では多い。古代ギリシャ語などはもっとそうではないのだろうか?必要な人、興味のある人、が勉強すればいい。関学には神学部があるので、文学部生の中にも授業を取り、勉強している人もいた。また、なんども書くように、イタリア語、フランス語、スペイン語は、語彙がラテン語に似ているので、文法は複雑なので、話す、ということになるととても大変であるが、慣れれば、読むという面ではその複雑な文法を手掛かりに、より正確に意味が取れる、と英語より文法の複雑なドイツ語からの類推でわかる。
東大系憲法学者、「9条の会」を中心とする人々、進歩的知識人、大手マスコミなのではないのだろうか?あたかも、「日本国憲法9条」が、日本の平和を守ってくれ、「日米安保条約」が、「集団的自衛権」が、日本人を戦争に巻き込む、という虚妄が、日本のマスコミを通じて「真実」のように吹聴されるから、戦後の日本人が9条を変えなかったのであって、どこの国民も、戦争に巻き込まれるのはいやである。ドイツ人、否、NATOに加盟しているヨーロッパ人は、NATOが自分たちの安全を守ってくれると考えているから、軍事同盟を結び、集団的自衛権で国を守っている、或いは、NATOに加盟していない、集団的自衛権で国を守っていないスイス人、オーストリア人は、自衛の軍隊をもたないと、外交交渉だけでは、国の安全が守れない、と考えているから、軍隊をもっている。
一昨日の18で、独語の(Klassik)に限らず、英語(‘classic’ or ‘classics’)、仏語(classique)、伊語(classico)でも同じく、「クラシック」(羅語=classicus)は、ギリシア・ローマの古典作品を第一に意味し、「英仏独伊で正統的な中等教育過程(パブリック・スクール[public school]やリセ[lycée]、ギムナジウムセ[Gymnasium]、リチェオ[liceo]など)を経験した教養エリート層にとって、それは自明の事実」と書いた。
西欧諸国の長い歴史において、その伝統は頑なに保守されてきた。日本の場合と異なり、字母も同じラテン文字だし、言語系統的にも近接する言語だから、ラテン語の学習はそれほど困難ではないはずだが、漢字は読み書きできても現在の日本人の殆どが中国語を読み書きできないどころか、漢文を充分読みこなせず、作文も困難なように、西欧各国でもラテン語は、修得が困難な割には社会生活においては知識層以外は事実上役に立たない、無用の長物扱いされる傾向が強い。
教育課程も、現代生活の複雑化に伴い、学校教育に求められる要求が変化、多様化しているうえに、自然科学や実用的学問分野の発達、普及も手伝って、修得に要する労力の割には実際の効用が微小であることから忌避される傾向があるし、役立たないカリキュラムの代表とされ、知的エリート層以外は無用視する傾向が強いのは事実である。
そもそも、今日われわれが用いているほとんどの文学形式が古代のギリシア人が生んだものである、つまり悲劇と喜劇、叙事詩、抒情詩、物語(小説)その他、二千年を越すギリシア文学の歴史の中で、無数のテーマで作品が書かれたことを知るべきだろう。
現代人の、それも「無学」な民衆の感覚でもって、[Klassik]と「古典」の姑息な分離を画するような姑息な真似はしない方がよい。民衆は無知なだけであって、罪があるわけではない。別に民主制も何も関係なく、「無知」選ぶのも彼らの自由である、という趣旨だ。
近年、その傾向が一段と加速しているのも事実だ。現在の大学就学前の中等教育課程で、ラテン語を必須とする対象は激減しているはずだ。知識エリート層の子弟が多く通うフランスのリセ[lycée]は、以前は7年制の中高等学校だったが、1975年の学制改革により3年生の高校となり全体的に以前ほど古典色は薄らいだが、‘lycée classique’=「古典教育リセ」に象徴されるように、古典教育の伝統は今なお、健在である(他に ‘lycée moderne’ =「近代教育リセ」と‘lycée technique’=「技術教育リセ」)。
最もラテン語教育に熱心なのは、ローマ帝国の故国イタリアでリチェオ[liceo]は、仮令理工系大学に進む生徒であってもラテン語に加えギリシア語の修得を必須としていた(特に医学部系)。
イタリア人にとって、ラテン語は中学生から学ぶ古文のようなものだから特別視する必要はないが、最も多く進学する文化高校[liceo classico]が、‘classico’を冠して いるのは、‘lycée classique’のフランス同様、古典語教育の伝統が今なお消滅してはいない証拠。なお、‘lycée’ も‘liceo’ もアリストテレスの学園リュケイオン(Λύκειον)に由来し、古典文化と切っても切り離せない関係にあるのは、周知の事実。
ドイツのギムナジウム[Gymnasium]についてはカ氏も周知と思うので省く。ただ、‘Gymnasium’はギリシア語の‘γυμνασιόν’(ギムナシオン=体育場)に由来し、‘γυμνασία’(体育)、‘γυμναστική’(体育術)から発祥する。
ギリシア語はもとより、ラテン語が読めなくとも「無学」「無教養」の謗りを受けずに済む傾向は、特に自然科学や社会科学分野で強まっている。人文学の分野ではそうもいくまいが、各国語文学を学ぶ学生はおろか、研究者でも碌にラテン語が読めない人士が珍しくない。英文学者といったところで、古英語は読めてもラテン語は…、仏文学者もまたしかりで、その傾向は日本で著しい。
例えば桑原武夫のような高名な仏文学者がいい例だ。進歩的知識人の代表的存在で、京大人文科学研究所を拠点に、フランス革命など様々な「共同研究」を組織してメディアでは「新京都学派」と評されたが、目立った固有の学問的業績がない桑原が何故、「文化勲章」を受章したのか定かではない。
1950年10月、「日本西洋古典学会」が京都と東京の哲学、史学、文学、言語学など斯学のギリシア・ラテン文化研究者を中心に設立され、学会が日本学術会議の公認団体として承認申請をした当時、学術会議の議員であった桑原が電話でこう言い放ったという。
「あんたらの学会から公認団体の申請が出とるけどな、『日本西洋古典学会』なんちゅう妙な学会名で申請されては困るな」と。当時も現在も学会事務局は京大文学部西洋古典文学研究室にあり、申請を聞きつけた桑原が接触してきたものだが、「日本の古典をやるんか西洋の古典をやるんか、それとも両方ともなんか、さっぱり分からんやないか」と。応対した当時の研究室助手で古典学者の柳沼重剛(筑波大学名誉教授)はこみ上げる笑いを「ぐっとこらえて」こう返したという。
「それは、『日本・西洋古典学会』とお読みいただきたいのですが」と。桑原は「そうか、だがな、まだあかんがな。だいたい学会名としてやな、『西洋の古典』ちゅうような漠然としたこというたらあかんな。古典というたらラシーヌもあればゲーテもあるではないか」、柳沼「恐れ入ります、もう少し古いところなんですが」に、桑原はきょとんとした様子(柳沼)で、それから他日改めて、桑原「あんたらの学会の英語名やがな、‘Classical Society’となっとるが、この英語では『古典学会』ではのうて『古典的学会』ということになるんとちゃうか」。
そこで電話を代わった研究室の主宰者(松平千秋=西洋古典文学科初代教授)が「英国の古典学会も‘Classical Association’と申しますので、それでいけると思いますが」と返すと、桑原「英国の古典学会も……」とぐうの音も出なかったという。
その中で「あれからすでに40年たちましたが、『古典』に関する限り、状況は今もほとんど変わっておりません。ヨーロッパで古典と言えば、シェイクスピアやラシーヌにとって、『教養』であったギリシア・ローマのことにきまっているという認識が、いまだに根づいていないということです。なぜそうなったのかは、まじめな考察に値する問題だと思いますが…」と、終始穏やかな口調を崩さず、西洋古典に対する仏文学者桑原の無知、不見識を、その口吻を克明に再現しながら、批判している。
事態の深刻さに関する彼我の認識の差をこれ以上望めない形で浮き彫りにしており、恐らくこみあげてくる哄笑を噛み締めて講演していた柳沼の絶望と諦観は相当のもので、英国式‘humour’と言えなくもない。
それは、かつて田中美知太郎(日本西洋古典学会第2代委員長)が、「英語が良くできる人たち」の学会名をめぐる「無知」をたしなめた随想とも呼応する。田中が桑原を念頭に置いていたか否かは定かではないが、戦後の京大哲学科の中心的存在で、保守論壇の「主柱」でもあった田中と桑原との間に確執があったことは事実である。学者の世界も世間と撰ぶところはない。
翻って、カ氏はそうした、国際的には「ガラパゴス」的な日本で大学教育を受けたわけだから、専門ではなく、古典語を解さない以上、欧米の古典教育、古典古代学(die Altertumswissenschaft)に昏い理由は理解できるが、少なくとも西独留学の経験がある以上、欧米の事情について無知蒙昧もほどほどにされたよい。[完]
☆篠田さんの著書は『ほんとうの憲法』であって、48『ほんもの憲法』ではない。
Duden(独独)でKlassikerをひいてみると、二番目の訳として、Künstler od. Wissenscchaftler, dessen Werke, Arbeiten als mustergültig und bleibend angesehen werden
( その作品、仕事が模範的で、永続的だとみなされる芸術家、学者、という訳)だから、それで正しいと主張している私に、長々と日本の有名な知識人の主張を根拠に反論されているのである。Dudenは、Wahrigと並んで、独独辞書、としては権威のあるものである。Wikipediaを批判する、ということならまだわかるが、ドイツ語の語彙にそれほど見識がおありとも思えない日本人の反氏が、それを批判する神経というのは、異常としか思えない。
ちなみに、Klasssikをひいてみると、最初の訳は、確かに反氏ご指摘の古代ギリシャ、ローマ時代の芸術作品であるが、2番目の訳は、その古代ギリシャ、ローマ時代の芸術が、芸術の模範と考えられていた時代、つまり、ドイツでは、ゲーテ、シラーの時代だから、その時代が、ドイツ古典主義の時代、と呼ばれるのである。このことは、関学でも、ミュンヘン大学でも学んだ。「学識」が足りないのはだれなのだろう?
発端はカ氏が主張するような、【私がゲーテは、「本物の芸術家」である……ドイツ文学を専門とされる某ドイツ人大学教授が、ゲーテ、シェークスピア……は、Klassikerだと説明されたから、ということに源を発している】のではない、ということだ。
なぜなら、‘Klassiker’は、今回の一連の議論の中で1日・35で初めて登場する(姑息な退避行動)。‘Klassik’の対象は作品またはその作者である個人で、それとは別個に‘Klassiker’を挙げる意味はないからだ。
合理的反論ができなくなると(カ氏にはその能力=学識も、根気強く具体的典拠を挙げて論証する意志も根気もない)、性懲りもなく繰り返す余りに身勝手で姑息な論点回避の詐術的議論で、しかも、立論にはすべてを独自の「ドイツ基準」、「文学至上主義」とでも呼ぶべき偏向した姿勢、近々三世紀前の存在でしかないゲーテを特別視し、現代のドイツの事情、それも民衆に右顧左眄した通俗的価値観から一歩も抜け出せず、自由な発想や首尾一貫性を欠いた恣意的な姿勢が目立つ。海外留学体験が、人物によっては如何に他愛もないものかを考える格好の事例と言えよう。
「全面否定」の酷な言い方だが、それ以上でも以下でもない。その独善性と偏狭性に限れば、カ氏ぐらいお粗末で驕慢な人士は、私が知る海外事情通には一人もいない。
ここで終わっては「誹謗中傷」の謗りを免れないので、以下、具体的な事例に基づき論証する。
私が再三指摘するように、独語(Klassik)であろうと、英語(‘classics’)、仏語(classique)、伊語(classico)であろうと、‘Klassik’は所詮、ラテン語(‘classicus’)の借入語で、「第一級の(作品)」の意味であり、それがなぜ歴史上必然的にギリシア・ローマ(ラテン)の古典作品と同一視されるに至ったかと言えば、中世やルネサンス期を通じて、ギリシア・ラテン作家の著作が教育を通して親しまれ、その普遍的価値が一つの模範、規範として仰がれ、標準的著作として聖書と並んで文字通り「第一級」の作品として重要視され、「教養」の対象になったことに尽きる。
結論から言えば、「古き良きもの」を意味するラテン語の形容詞[antiquus]と[classicus]が一体化した結果だ。
その証拠に、〔Klassik〕について『独和大辞典』(小学館、1985年初版)によれば、【①(文学・芸術上の)古典期;古典〔作品〕;古典主義②第一級〔最高水準〕の作品】とあり、【「本物の芸術」】といった幾分偏向した見解を採用していないことに加え、②【第一級〔最高水準〕の作品】に至ってはラテン語の原義を継承していることは既に指摘した通りである。
『独和大辞典』がカ氏が54で挙げて頼みとするドイツ語でドイツ語の意味を解き明かした「独独辞典」である‘Duden’(カ氏が参照したのが‘Duden’最大の6冊本=‘‘Das große Duden Wörterbuch der deutschen Sprache.’’[1976~1981]かどうかは不明だが)は、そこで『独和大辞典』と特別異なった定義をしている訳ではない。
従って、もともとカ氏の54のような身勝手な主張は成り立ちようがない。独語(Klassik)を、英仏伊語と語源であるラテン語とは別の文脈で論じることは恣意的で、それが、形容詞‘klassisch’はもとより、‘Klassik’の派生語である‘Klassiker’であろうと同じだ。
それに対して、負け惜しみのように、 ‘Klassiker’についてドイツ語辞書 【‘Duden’の2番目(つまり派生的意味=筆者註)の訳は、その古代ギリシャ、ローマ時代の芸術が、芸術の模範と考えられていた時代……ドイツでは、ゲーテ、シラーの時代……が、ドイツ古典主義の時代、と呼ばれる……関学でも、ミュンヘン大学でも学んだ】と愚にもつかない説明に終始するが、「ドイツ古典主義」はあくまで‘Klassik’を前提にした比喩的、派生的表現にすぎない。
カ氏が独自の嗜好から如何にドイツ最大の文豪ゲーテを称揚しようと、世界文学史上は所詮は近々三世紀の人物で、【欧州文明全体からみれば、最近の人にすぎない、と侮辱される】と不興を買ったようだが、事実をそのまま指摘しただけで、侮辱でも何でもない。
日本での知名度や本国ドイツでの盛名を理由に、ゲーテ(1749~1832)を、ダンテ(1265~1321)、ぺトラルカ(1304~74)、チョーサー(c.1340~1400)、モンテーニュ(1533~92)、シェイクスピア(1564~1616)、セルバンテス(1547~1616)、モリエール(1622~73)、ラシーヌ(1639~99)の上席に置くことは非常識だろう。
個々の作家の内在的価値で優劣をつけるのは、もはや主観的な評価の領域であって、‘classics’=‘Klassik’=古典はヨーロッパの共通観念であり、形容詞‘klassisch’をはもとより、‘Klassik’から派生した‘Klassiker’に逃げ込んでも無駄なことである所以だ。
文学に限っても、ゲーテは古典的価値はホメーロス(紀元前8世紀ごろ)の足元にも及ばないのはもとより、西洋哲学を貫く「神の如き」プラトン(427-347BC)や「万学の祖」アリストテレス(384-322BC)と比較すること自体がナンセンスの極みだろう。その影響力はゲーテの比ではなく、それこそ世界的な常識であって、カ氏が頼みとする民衆の支持はこの場合、ほとんど意味がない。
実際に読まれるのは、特にドイツの場合、平易で近づき易いゲーテだろうが、古典としての重要性と影響力、西洋文明に果たした役割は人気投票では計れないし、プラトンやアリストテレス、ホメーロスに到底及ぶまい。
東洋の古典、日本の古典を考えた場合も明らかで、『三国志演義』は民衆の支持が圧倒的だが、司馬遷の『史記』より重要視されるはずもなく、読者数は『徒然草』や『奥のほそ道』が多く親しみやすかったとしても、『古事記』や『源氏物語』の上に置くことはできないのと同様である。
「テーマはなに……と忘れそうになる」などと54冒頭で寝ぼけたことを宣っているが、カ氏の立論全体をみて、憲法学通説の「ガラパゴス化現象」にも通じる、欧米の古典及び古典語に関する並み外れた無知と不見識、日本的特殊事情の一端を明らかにした訳で、その際立った「ドイツ狂」ぶりと併せて、カ氏が如何に総観的思考(σύνοψις)を欠いた人物か明らかであろう。[完]
‘μηδὲν ἄγαν’=「分を超えるな」(デルポイ神殿の銘文)
ヨハン・W. v.ゲーテの考え、私が支持する思想の、「学問を研究する場合の自分の立場は、哲学から距離をおく、常識の立場である。」という場合の哲学は、彼の同時期のドイツ観念論の哲学者の理論である。彼らも、世界哲学史上は所詮は近々三世紀の人物で、欧州文明全体からみれば、最近の人にすぎないのではないのだろうか?
Klassikでひいてみると、1古典時代、2古典的名作、用例として、die deutsche Klassik、ドイツ古典時代、ゲーテ・シラーを中心とした約1786年から1805年の間、とある。Klassikerをひくと、古典作家(とくに古代ギリシャローマの)の他に、古典的大詩人、一流芸術家、とあって、これから判断すると、古代ギリシャの古典作家もKlassikerだけれども、古典的大詩人、一流芸術家もKlassikerなのであり、ゲーテもKlassikerなのである。
つまり、西洋古典時代、というと、古代ギリシャローマ時代ということになるのかもしれないが、ドイツ古典時代、die deutsche Klassikというと、ゲーテ、シラーの時代になるのである。私は、ミュンヘン大学で、副科でGermanistikを取って、一科目「ゲーテとその時代」を取ったと書いたことがある。シンチンゲルさんという方は、大正12年、関東大震災の直後に日本に来日。最初は大阪の旧制高校で教え、東京に来られて、学習院大学の教授となり、後にドイツ語教授になった人はシンチンゲル先生の教え子が多いようであるが、本当に私の恩師のドイツ人の教授にしろ、シンチンゲルさんにしろ、どうして反氏は、ドイツ語の見識のあるドイツ人の意見に従わず、私の説を妄説と断じ、持論をあくまでも押し通そうとされるのか、理解に苦しむ。
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