リベラル派で知られる政治学者の吉次公介・立命館大学教授の『日米安保体制史』(岩波新書)の記述内容に疑問を感じたので、質問メールを、実名で、岩波書店に出した。返事がなかったので、三日後にもう一度出した。すると、誤りでした、と言われた。その誤りは、増刷のときに訂正する、という。しかしそれでは、増刷になるまで訂正されない。つまり、増刷されなければ訂正されない。
私の本の議論を否定する内容であるため、それでは困るので、ブログに書く、と宣言した。私は不利益を受けているので、誤りがあることは、公にせざるをえない。
吉次教授の『日米安保体制史』29ページには、次のような記述がある。
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日本政府は、54年に集団的自衛権の行使は憲法上認められないとの認識を初めて示し、56年には、日本は集団的自衛権を有しているが、憲法が許容する自衛権の行使は「わが国を防衛するため必要最小限の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」との見解を表明していた・・・。
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新書で注がないのは、珍しくないとしよう。だがそうであればなおさら、参照先について情報を提示しておくべきではないか。「1956年*月*日・・・大臣は、衆議院外交委員会で・・・」と書いておいてさえくれれば、注がなくても検証可能だ。だが吉次教授のような書き方では、全く検証ができない。
そこで私は、岩波書店に出典根拠を質問した。1956年に、日本政府が、吉次教授が引用しているような発言を行った記録がない。私もあらためていくつか文献を見直してみたが、1956年に吉次教授が引用するような政府見解がなされたという記録はどこにも見つからなかった。
なんと、岩波書店からの回答によると、著者である吉次教授が、「昭和56年」を誤って19「56年」と誤認し、そのままそのように書いてしまったのだという。ところがその誤りを根拠にして、吉次教授は、1950年代から日本政府は一貫して集団的自衛権を否定してきている、と岩波新書の中で主張している。
いささか驚くべき事情ではある。
私にとって問題なのは、結果として、吉次教授が、私の議論を完全否定し、その根拠を密かに持っているかのように岩波新書を通じて喧伝したことである。私は、繰り返し、日本政府が集団的自衛権を違憲だと明言し始めたのは、1960年代末からのことであり、それはベトナム戦争進行中の状況で沖縄返還を目指していた政治状況と密接に結びついていた、と議論している。吉次教授の岩波新書は、それを完全否定するものだ。ところが否定する根拠を見せてほしい、と尋ねると、「実は昭和56年のことを1956年と間違えて書いてしまいました」と打ち明ける・・・。
1954年についても、やはり日本政府が、吉次教授が述べているような公式見解を表明した経緯はない。ただしこちらについては、吉次教授が何を参照しているのかを推察することはできた。当時の外務省条約局長下田武三の54年6月3日衆議院外務委員会での発言だ。
岩波書店からの回答では、著者の吉次教授は、坂元一哉教授の『日米同盟の絆』を参照したのだという。坂本教授は、阪口規純氏の1996年の『外交時報』論文で下田答弁にふれているのを参照していただけだ。となると、吉次教授の記述は、いわば「曾孫引き」、である。国会議事録検索システムで容易に検証できるのに、なぜそのようなことをしてしまったのかは、よくわからない。
私にとって問題なのは、結果として、吉次教授が、私の議論を完全否定し、その根拠を密かに持っているかのように岩波新書を通じて喧伝したことである。
少し長くなるが、私の拙著『集団的自衛権の思想史』から箇所を引用しておきたい。
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1954年6月3日、当時外務省の条約局長であった下田武三は、次のように答弁を行った。「日本憲法からの観点から申しますと、憲法が否認してないと解すべきものは、既存の国際法上一般に認められた固有の自衛権、つまり自分の国が攻撃された場合の自衛権であると解すべきであると思う」。そのため「集団的自衛権、これは換言すれば、共同防衛または相互安全保障条約、あるいは同盟条約ということでありまして・・・、一般の国際法からはただちに出て来る権利ではございません。それぞれの同盟条約なり共同防衛条約なり、特別の条約があつて、初めて条約上の権利として生れて来る権利でございます。ところがそういう特別な権利を生ますための条約を、日本の現憲法下で締結されるかどうかということは、先ほどお答え申し上げましたようにできない」。
この下田の答弁には、質疑応答の相手方であった社会党議員である穂積七郎のほうが驚き、「集団的自衛権という観念は、もうすでに今までに日本の憲法下においても取入れられておるわけです。そうなると、・・・すでに憲法のわくを越えるものだというように考えますが」、と質問した。これに対して下田は、「憲法は自衛権に関する何らの規定はないのでありますけれども、自衛権を否定していない以上は、一般国際法の認める自衛権は国家の基本的権利であるから、憲法が禁止していない以上、持つておると推定されるわけでありますが、そのような特別の集団的自衛権までも憲法は禁止していないから持ち得るのだという結論は、これは出し得ない、そういうように私は考えております。」と答えた。そこですかさず穂積は、「今のその御解釈は、これはあなた個人の御意見ではなくて、外務省または政府を代表する統一された御意見と理解してよろしゆうございますか。」と質問した。下田は、「外務省条約局の研究の段階で得た結論」と述べ、政府統一見解にまでは至っていないと説明した。(第19回国会衆議院外務委員会議録第57号[1954年6月3日]、5頁)。
なおこの下田の答弁をもって集団的自衛権違憲の政府判断がなされていた、と論じられることもある(浦田一郎「集団的自衛権論の展開と安保法制懇報告」奥平康弘・山口二郎(編)『集団的自衛権の何が問題か 解釈改g憲批判』[岩波書店、2014年]所収、106頁)。これについては、まず下田が「政府の見解」ではないと強調した点は留意しなければならない。またさらに日本が国連未加盟国であった1954年の当時と、国連加盟を果たした1956年以降とで国連憲章上の権利に対する評価が変わるか、1960年新安保条約もまた「共同防衛または相互安全保障条約、あるいは同盟条約」ではないと言えるのかどうかが、論点になりうる。
なお下田は、1931年東京帝国大法学部卒で、佐藤達夫らと同じく、美濃部・立の盛時代に東大法学部に在籍した世代である。「一般国際法の認める自衛権は国家の基本的権利」だという考え方を論理構成の基本に据えるのは、「国家法人説」を通説とみなす世代に、特徴的なものであろう。第1章で見たとおり日本では立作太郎が基本権に依拠した国際法講義を東大法学部で行っていたが、第2章で見たとおり横田喜三郎は戦前から「国家に固有の先天的」な「国家の基本的権利」を否定していた。国際法においては「一般国際法」といえども、結局は慣習法の集積に過ぎない。その内容は、国連憲章のような新しい包括的条約によって上書きをされる。一般国際法というのは、自然法的な国家の自然権が表現するようなものではなく、「自然権」を求めるのは「国内的類推」の陥穽である。(拙著『集団的自衛権の思想史』194-196頁。)
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下田が自らの見解を政府統一ではないと明言したこと、社会党議員の方が驚いて「「集団的自衛権という観念は、もうすでに今までに日本の憲法下においても取入れられておるわけです。」と反応しているような同時代の風潮があったこと、同時代に下田説を補強する意見を述べる者が他にいなかったこと、1960年新日米安保条約締結の審議の際に岸信介首相や他の閣僚のみならず内閣法制局長官も集団的自衛権行使を認める答弁をしていることhttp://agora-web.jp/archives/2035078.html、などを考えると、1954年の下田答弁をもって日本政府が集団的自衛権を違憲とする立場を固めたと主張するのは無理がある、というのが私が拙著『集団的自衛権の思想史』で指摘したことだ。
拙著は読売・吉野作造賞をいただいたのだが、吉次教授によってその存在は完全に否定されている。岩波書店も完全に無視をする。
周知のように、岩波書店は、2015年安保法制が議論されていた時期、憲法学者らによる「安保法制は違憲だ!」的な本を、大量に出版していた出版社である。その出版社が、謎の出典不明の政府見解で、憲法学者とは違う見解を持つ私の議論を完全否定する本を大量印刷する。そこで私が証拠を見せてくれと繰り返し質問すると、「誤りだったが、増刷するまでは直さない」、という態度をとる。
非常に割り切れない思いだ。
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もともと、私にはドイツの歴史、政治には関心があったので、篠田教授のドイツ国法学の影響で日本国憲法の9条がおかしな解釈になっている、という主張に興味がわいたのである。
そして、この「国権の発動」による戦争、のドイツ歴史の経緯は、ドイツの雑誌、DER SPIEGEL - 28.10.2017の、ベルリンにあるフンボルト大学の政治学教授、Herfried Münkler のインタビュー記事、 Mordlust und Glaubensfuror{殺人欲と信仰への熱狂」と、ドイツ人の元教授の解説で、どういうものか、よくわかった。
ドイツ領土内での30年にもわたる戦争の結果、ドイツの市民社会が悲惨になったので、それまで自由に与えられていた戦争をする権利を「国」だけに与え、戦争の抑止力にしようとしたのである。また、ウェストフェリア条約により、新教徒の権利が認められ、帝国議会や裁判所におけるカトリックとプロテスタントの同権が定められたこと、またカトリックの皇帝が紛争を調停する立場にあるわけではないことが確定した。
このことによって、ドイツは、フランスやスペインと違って、統一国家ではなくて、小国乱立、の状況になるのであるが、小国ごとに、学問の自由も確立し、カトリックでない神学、哲学も発達する。その歴史が、日本の憲法についての論争では論議されていないのではないのだろうか?
現在の日本は、ドイツと同じように、国際社会から信頼感を得ているのだから、諸外国がやっているように、誰が読んでも、内容が正しくわかる条文に改正した方がよいのではないか、と私は思う。
スコラ哲学の時代、中世の論理学者たちは命題論理学を初期ストア派の哲学者でストア派を代表する人物、アリストテレスと並ぶ古代の二大論理学者であるクリュシッポスとは別に独自に編み出した。ストア派の著作は当時ほとんど知られておらず(散逸してしまった)、ギリシア文明の全貌が次第に明らかになるのはルネサンス期の人文主義的な古代文明への憧憬から生まれたものだ。
きっかけは、東ローマ帝国の滅亡(1453年)で、多くのビザンツのギリシア語に習熟した学者が大量の写本を携えてイタリアに避難したからで、彼らのギリシア語の知識、水準は西欧で最初にギリシア語の新約聖書を校訂・出版したエラスムスより遥かに高度で、イタリアで最初にルネサンス運動が起こるのはそのためだ。
【キリスト教,ルネサンス以降の人文主義への影響も著しい】と真の意味は大方そうした趣旨で、スコラ以前の話である。カ氏のような文学、ゲーテかぶれの「無学」故の主観的推測が通用するような世界ではない。
【プラトン、アリストテレス、とトウキデイデスだけと考えるのは、間違え([「間違い」を「間違え」ている=日本語も怪しい]=筆者註)なのであって…】とするが、別に三人に限っている訳ではない。ただ、「無学」のカ氏が想像する以上にプラトンとアリストテレスの影響は甚大で、二人に比肩できるのは、影響力の広さではホメーロスだけだろう。しかし、ホメーロスにしたところで、キリスト教(教義、神学)にも影響を与え、教会と社会を動かしはしない。文学とはそういうものだ。その固有の意味は別にある。
ラテン語で著作したウェルギリウスやキケロは、ルネサンス以降、長らく人文学の「後進国」であったドイツと異なり、英仏伊の古典古代的な教養の中核になったが、西欧文明全体を形成する影響力では劣る。「万学の祖」アリストテレスの影響は、甚大で、その影響力はプラトンを除けば他を圧倒している。
アリストテレスは哲学者であると同時に、論理学や自然学(物理学)、天体学者、とりわけ卓越した生物学者であり、政治学、経済学、法学、文学(詩)学者でもあって、数学や音楽に関する著作も残されている。
中世はイスラム圏に比して後進性が目立った西欧にとって、驚くべき知の宝庫であって、そこから枝分かれして今日の近代自然科学の大半の学問的研究が始まる。その程度の「常識」は、いくら無学なカ氏にもあろう。
このほか、アポロニウスの円錐曲線論、「天文学の父」ヒッパルコスも。ソフィストのヒッピアス、アルキュタス、キオスのヒッポクラテス(医学の祖とは別人)、メナイクモスも、角の三等分、立方体の倍積、円の正方形化という当時の三大問題を円積曲線、円錐曲線を導入して説いた。単なる「詭弁家」などではないことは、その実態を知る者にとっては、「常識」だ。
カ氏が説く単なる「無学」の「常識」が「俗説」に堕して、「学識」を背景にした「共通認識」である常識が、「良識」に通じる所以だ。
トゥーキュディデースはヘロドトスと並ぶ歴史学の祖で、民衆政に関する透徹した考察もある。それとは影響力の質が異なるが、影響が圧倒的なのはローマの法学と建築・土木技術だろう。
スコラ哲学の初期にはアリストテレスの影響は、専ら論理学に限られ、倫理学の一部を除いてキリスト教の教義、カトリック教会が説く救済観(規律)、世界観と合致しない記述を含む『形而上学』『自然学』は原則禁じらていた。
しかし、その後、アリストテレス哲学の有用性、普遍性が認識され、権威が確立されると、中核である『形而上学』『自然学』などが次第に解禁され、アリストテレスが文字通り最も権威ある「哲学者」として、「哲学者」の代名詞になる。現在でも英国哲学協会が‘‘Aristotelian Society’’と称するのはその名残だ。
スコラ哲学の代表的存在であるトーマス・アクィナスは、アリストテレスの論理学関係の著作(『カテゴリー論』、『命題論』、『分析論後書』)に加え、膨大で今日なお極めて有用な精細極まる註釈を残している。
「十字軍遠征」により、西ヨーロッパ人がギリシャ、アラビアの文化を知り、キリスト教カトリックの学問に対する厳格な支配が薄れ、ルネッサンス期以降、ギリシャ、アラビアの学問、文化を取り入れたから、ヨーロッパ文化が発展するのである。それは、国際常識なのである。その結果、フィレンツェで古代ギリシャ劇をモデルとしたオペラが生まれた、ことをなんども書いた。その後に、宗教戦争がきて、東方キリスト教だけでなくて、カトリックの教義はおかしい、とする「プロテスタント」も認めることになるのである。この学校で習った国際常識がいつまでもわからない反氏はどういう歴史教育を受けられたのだろう。
どちらが、無学で、無知なのだろう?
当時あった多くの神殿と同様にソフィストが活躍したデロス同盟、そして後のアテナイ帝国の国庫として使われた。6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ、生神女マリヤ聖堂となった。オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられ、神殿内にはミナレットが設けられた。という風に、元々ギリシャ神話の女神アテーナーを祀る神殿であったものが、キリスト教のマリア聖堂、イスラム教のモスクに姿を変え、生き残るのである。その後、17世紀、ヴェネチア共和国とオスマントルコ戦で、ヴェネチアはパルテノン神殿は攻撃しないだろう、というトルコの読みは外れて、大損害を被るのであるが、日本の7世紀にたてられた法隆寺や8世紀にたてられた東大寺や唐招提寺、薬師寺と比べた時、どれだけギリシャという国が、アテネという都市が、文化的、宗教的変遷を遂げているか、パルテノン神殿の歴史一つとってみてもわかるのではないのだろうか?
日本は、朝鮮を経て、その文化を取り入れ、日本は文化後進国だったから、日本人は劣っている、と侮蔑しているのとまるで変わらないのである。
古代ギリシャ文化のすばらしさ、中国の唐の文化のすばらしさ、もちろん、日本の木造文化のすばらしさは誰にでもわかる。だから、世界文化遺産、なのである。ウィーンの文化も、ドイツ語を母語とし、ドイツオペラの一つとみなされているのだから、ドイツ文化の一つなのであるが、それを含めて、ドイツの文化は、世界文化遺産に含まれているのではないのだろうか?
私が所持しているトマスのVivès版全集(Thomae Aquinatis opera omnia, studio ac labore Stanislai Ed. Fretté et Pauli Maré, Parisiis Apud Ludvicum Vivès, 34 toms., 1871~1880.=第四パリ版[Parisiensis quarta])は全34巻のうち22~26巻はすべてその註釈、それ以外の『神学大全』(Summa theorogica, tom. I-VI.)、『対異教徒大全』(Summa contra gentiles, tom. XII.)などの主著をはじめ、全篇が基本的にアリストテレスとの対論だ。
それは一読すれば分かるように、キリスト教の信仰、教義とギリシア哲学的世界認識との「調和を意図した」というような生易しいものはなく、プラトンや新プラトン派とは異質な経験的で緻密な理論構成で体系化された、一つの完璧な異教的世界解釈であるアリストテレス哲学との対話であり、対決だった。
今日、キリスト教文化が米大陸、アジア、アフリカなど世界各地に伝播したのは、直接的にはカトリック教会内部でさまざまな改革の必要性が叫ばれるなかでのプロテスタント勢力による攻勢に加え、大航海時代の幕開けに伴う世界(史)的視野の拡大という基本的要素も背景にある。キリスト教が世界宗教として世界規模で拡大(伝道促進)するため、神学の普遍的理念化が要請されたことでもある。
当初は危険思想視された異教の哲学体系がもった、極めて合理的で理性的な世界解釈のシステム(経験的感覚的な思考と形而上学的思弁の総合)であったアリストテレスの著作の本格的な受容、つまり研究、翻訳の組織的検討が従来の修道院や司教座聖堂の付属学校にとって代わって登場した総合的研究教育機関である大学(universitas)に移ったことで加速し、当時のあらゆる学問が研究対象となった。
こうしてスコラ哲学は、その典型であるトマスにおいて一つの頂点に達したが、それは教条的、硬直的な旧弊の哲学的・神学的体系と異なるのは、トマスがアリストテレスを再解釈して、あくまでキリスト教の立場から新たな総合を成し遂げたように、アリストテレスを単なる権威として盲信するような別種の偏狭を免れ、ひらすら「事物の真理」に向かう極めて合理的な姿勢にあった。
トマスによって達成された神学と並ぶ哲学の革新の試みは、その後、概念の綿密な分析と区分を通じて独自の形而上学の構築を目指したドゥンス・スコトゥス、「オッカムの剃刀」として知られる思考経済の原則を説いたウィリアム・オッカムの批判精神を経て、16、17世紀に近世スコラとして新たな展開を遂げる。
トマスの理論の解釈、特に存在の意味や類比について踏み込んだ解明を行い、現代のトマス研究者にも多大な影響を与えたカエタヌス(Cajetanus=Gaetano, Tommaso de Vico, 1469~1534)や『形而上学論考』(Disputationes metaphysicae, 1597)によって17世紀後半~18世紀の哲学教育に先鞭をつけたほか、スコラ的法律・政治理論を独自の立場から発展させ、国際法学の礎石を築いたスアレス(Francisco Suárez, 1548~1617)が続く。それら貫いているのが、アリストテレス哲学の伝統である。
そうした背景も事情もカ氏は何も知らない。無学だから饒舌家(ἀδολέσχης)だ。
‘γνῶθι σαυτόν’(汝自らを知れ)と言うしかない。
トーマスマンはショーペンハウアー、ニーチェについて通暁しており優れた評論を残しているが、哲学的論考とは異なるエッセーにすぎない。代表作『魔の山』に哲学的対話が含まれるが、それは従来の「教養小説」(‘Bildungsroman’)に終止符を打つという野心的な試み(謂わば「脱構築」)として新たに構想された「発展小説」であって、カ氏には高級すぎるかもしれない。
カ氏は『魔の山』に登場するハンス・カストルプにも似て、実に「単純な」(‘einfach’)人物だ。『魔の山』のような「煉獄」(purgatorium)で甘ったれたナイーヴな思考を鍛え直したらよいと思うが、齢70近くでは「年寄りの冷や水」かもしれない。
122【カントをウィキペデイアでひくと、18世紀、19世紀の哲学者、とのっている】⇒⇒相変らず怠惰で、「ガラクタ知恵袋」の日本版Wikipedia以外に調べる手だててがないものか。手元にまともな原著作や解説書、研究書、専門辞書の類がないのだろうか。ともかく、カントは「啓蒙期」を代表する哲学者であって、主に18世紀を指す。それが哲学史の共通認識=「常識」。
1804年2月12日に死んだカント(1724年生まれ)が「19世紀に生きた」のは3年2カ月余(19世紀は1801年から)だが、別に最晩年の3年余を強調するために、68【19世紀に生きた】と書いた訳でもあるまい。強弁すると「恥の上塗り」になるから、ほどほどにしたらよい。
そう書いて、日本語読解力が不充分なカ氏に伝わるだろうか、懸念もある。
カントの「定言命法」についても同様。「定言命法」に関する関連箇所、カント哲学の基本的思考法は92~97、103~107に縷説の通り。
124【文学と音楽しか知らない、憐むべき「無学」。ギリシア語もラテン語も読めず、辞書の引き方も知らないのに古典学を語る】⇒⇒私の「主観的憶測」と批判する前に、9月24日・143の私の投稿を得と確認したらよい。同日・140【ラテン語のPassion、ギリシャ語のパトスから来ている】というカ氏のデタラメを【ラテン語の辞書の引き方も知らないらしい】とたしなめ、【ラテン語の[passiō]は元々同じラテン語の[patior=苦しむ、耐える、甘受するの意]に由来する言葉。ギリシア語のパトス[πάθος]より[πῆμα]との関連性のほうが強い】と指摘したはず。
異論があるなら、P. G. W. Glare(ed.);Oxford Latin Dictionary, 1982.(pp.1305, 1309~1310)ぐらいに直接あたってから、パトス[πάθος]は、H. G. Liddelle and R. Scott(ed.);A Greek-English Lexicon, rev. and augmented throughout by H. S. Jones, with a Supplement ed. by E. A. Barber, 1978. を確認したらよい、と。
無理なら、ご立派な【一流大学元ドイツ文学教授】とやらがいるではないか。
ギリシア語はだめでも、ラテン語程度は読めるのだろう。ギリシア語もラテン語も知らないで古典学について語るのは「無謀」。ドイツ語の辞書の引き方をカ氏が知らないとは言っていない。誤読もほどほどに。
【趣味でかじったような外国語】⇒⇒私は正式な訓練を受けた専門家。雇われ研究者ではないから、「学徒」を名乗っているだけ。
英国の知識層によくいたタイプ。「無学」なカ氏と一緒にされても困る。
もし、そうなら、どうして、「東西ドイツの統合」式典で、わざわざ米国人のレナード・バーンスタインという指揮者を呼んで、ドイツ人が、ベートーヴェンの第9を歌ったのだろう?これは、「Ich bin ein Berliner」という言葉を演説に使った米国のケネデイー大統領をはじめとする米国の力を借りて、西ベルリンを「自由」の象徴として守り切り、西ドイツ型のドイツ統合ができた喜びの象徴としての意味合いをもって「第9」が演奏されているのである。それは、それを創作したシラー、ベートーヴェンの思想、哲学がそうだからである。
この前、ウィーンに行って、ウィーン国立歌劇場の近くに、ゲーテとシラーの大きな像が設置されているのを見て、ハプスブルグ家支配の時代、「会議は踊る」の時代には、様々なヨーロッパ文化の交流場所であった「国際都市」ウィーンであったが、戦後のウィーンの人びとも、そう考えているんだな、とその二人の偉大さ、ウィーンを含めたドイツ文化への二人の影響力の大きさを再認識したばかりである。
ベートーヴェンにしろ、マーラーにしろ、ブラームスにしろ、リヒャルト・シュトラウスにしろ、ドイツ語のKlassiker,、国際的な水準にあるドイツ文化圏の本物の作曲家は、音楽表現だけに秀でているだけではなくて、学識面でも秀でていて、様々なドイツの哲学書を読破した上で、自分の哲学、思想をもって、作曲しているのである。
日本は、朝鮮を経て、その仏教文化を取り入れ、日本は文化後進国だったから、日本人は劣っている、と侮蔑しているのとまるで変わらないのである。と書いたのは、韓国が現在日本にしている主張が、それに近いからである。
日本のマスコミを通じて、韓国人あるいは、韓国の識者、或いは、専門家と自称しているコメンテーターの解説をきいていると、日本人は野蛮だから、朝鮮を植民地にし、幼気な朝鮮人の少女を従軍慰安婦という名前の「性的奴隷」にし、徴用工として、朝鮮人をこきつかった、ということであるが、歴史の史実は本当にそうなのだろうか?
反氏が俗物、と批判されるワイツゼッカー氏は、「国際親善」の為に、悪いと思っていないことに対して謝れ、などということは、一言もおっしゃっていない。歴史の真実を冷静かつ公平に見つめる努力をすべきだ、と主張されているのである。もし、この演説が、「日本は韓国人に謝れ、ということを意味している。」という解釈をしている識者、出版社があるのなら、その日本人たちの解釈がまちがっているのである。
日本が韓国を併合したのは、1910年、第一次世界大戦前である。その時代、国際連盟もなければ、パリ不戦条約もなく、植民地建設がいけない、などという国際認識もなかった。現実、そのころの歴史は、プロイセンのドイツ人たちが、ポーランドに植民していた時代である。また、日本自体が、欧米の植民地にならない為に「脱亜入欧」、「欧米の科学技術の取り入れ」を含めてさまざまな努力をした時代である。
江戸時代末期、日本は、英仏の植民地にならないために、或いは、米ロに対しても脅威を感じたから、大政奉還が行われ、官民一体として、国力の増強を行ったのである。
また、朝鮮の38度線上の分割は、日本とは全く関係がない、ヤルタ会談での、米ソの密約で、ソ連の極東アジア方面の参戦の条件として、朝鮮半島は、当面の間連合国の信託統治とすることとし、第二次世界大戦後になって北緯38度線を境に暫定的に南側をアメリカ、北側をソ連へと分割占領にする事と決定されたのである。そして、朝鮮戦争が起こったのは、やはり、ソ連の領土的野心だろう。
要するに、ワイツゼッカー演説に出てくるポーランドの分割と同じような、朝鮮半島へのソ連のスターリンの領土的野心が、これを引き起こしているのである。けれども、密約の相手は、日本ではなくて、米国なのである。そして、その約束をソ連が、ソ連の傀儡政権である北朝鮮の「金日成主席」が守らなかったから、侵略行為、として、朝鮮戦争に、米国主体の国連軍が動員されたのではないのだろうか?
相手の投稿を引用箇所も明示せず、地の文にコピペで織り込んで記述する悪癖も含め、齢70近くにもなって陳腐な措辞、混乱した立論、誤謬、誤記のオンパレードで見ていられない。カ氏の知性も品性も自制心の程度もよく分かろうというもので、できるだけカ氏=瑕疵ウイルスに感染しないよう、格調高く議論してみたい。
作家のゲーテや音楽家ベートーヴェンにもある思想、哲学と称するものが(J. F.ケネディーでも、米国大統領に比べ相当格が落ちる「お飾り」のヴァイツゼッカー元西独元大統領の場合でも)、あくまで比喩的な意味での「哲学」であって、概念的思考に基づかない単なる思想・思索は、本来の意味での哲学とは関係ない。無論、プラトンやアリストテレス以来の西洋の本格正統の哲学とは、何の関係もない。
あまりに自明のことだが、知性(νοῦς)を頼りに、真理(ἀληθεια)や真実在(οὐία)を探究するロゴス(λόγος)の学問(μάθημα=Wissenschaft=science)としての哲学(φιλοσοφία)は、民衆に媚びる学問ではない。自分が自らの主人(δεσπότης)である、究極的には自由な精神の活動だ。世評は関係ない。
東西ドイツの統合式典で、ニューヨークフィルの桂冠指揮者L. バーンスタインが『交響曲9番』を演奏したことは民衆の平均的価値観を顧慮した政治的セレモニーであって、本来の思想の力とも哲学的な真理の探究とも全く関係がない。
「哲学者はいかなる観念の共同体の市民でもない、それが将に彼を哲学者にする」=‘The Philosopher is not a citizen of any community of Idea, That is what makes him into a Philosopher.’(L. Wittgenstein, ‘‘Zettel[1945~1948]’’, 1967.)。
集団的思考との訣別で、ゲーテのような安直な知恵ではない。
要するに、哲学は政治的価値観とは、全く価値規準を異にする人間の自由で徹底した思考の活動であって、アリストテレスによれば、哲学の「初心」、つまり、哲学的探究の神髄とは、畢竟、何ものにも囚われない自由な精神の活動として、知的な発見に驚異する=‘θαυμάζειν’(驚く)、つまり、‘διὰ γὰρ τὸ θαυμάζειν οἱ ἄνθρωποι καὶ νῦν καὶ τὸ πρῶτον ἤρξαντο φιλοσοφεῖν=「蓋し、驚異する(‘θαυμάζειν)ことによって人間(ἄνθρωποι)は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し(哲学し=φιλοσοφεῖν)始めたのである」(アリストテレス『形而上学』=Ἀριστοτέλης;‘‘τὰ Μετὰ τὰ φυσικά’’, Βιβλίο Α, 982b 12)からである。
他の箇所でも、‘ἄρχονται μὲν γάρ, ὥσπερ εἴπομεν, ἀπὸ τοῦ θαυμάζειν πάντες εἰ οὕτως ἔχει, καθάπερ τῶν θαυμάτων ταὐτόματα[τοῖς μήπω τεθεωρηκόσι τὴν αἰτίαν]’=「蓋し、これを求め始めるのは、先にも我々が言ったように、誰もみな驚異する(‘θαυμάζειν)ことからである。即ちそれは、ものごとの現にそうあるのを見て、そのなに故にそうあるかに驚異の念(θαυμάτων)を抱くにある」(ibid., 983a 13)と述べた精神に由来する。
それが、アリストテレスによれば、‘πάντες ἄνθρωποι τοῦ εἰδέναι ὀρέγονται φύσει.’(「すべて人間は、生まれつき、知ることを欲する」(ibid., 980a)という精神から最も遠い人物が目の前にいる、まさに「正真正銘」の「哲学音痴」である無学の女王」カ氏であるということだろう。
彼らがドイツ特有の学識ある教養市民層(ギムナジウムで古典語教育を受けた学識者や有力者層)に向けた憎悪はさまざまな形で検証されており、それがナチズムの研究とは独立して、政治学や社会学、歴史学の有力な学問的検討、検証の対象になっているのは周知の事実であるが、カ氏はそれさえ知らないのもまた以前の遣り取りから明白だ。
ギリシア学の泰斗、19~20世紀前半のドイツ古典学界の大御所ヴィラモヴィッツ・メレンドルフ(Ulrich von von Wilamowitz-Möllendorff)の名をカ氏が「知らない」ことは、それだけで、ギリシア学のあらゆる分野を研究した驚異的な該博と知性のもち主の仕事の一端も知らないことを裏書きするもので、一人前に「教養」を語るならほとんど信じられない致命的な欠陥と言って差し支えないほどの重大事である。
原文でプラトンを読む者にとって、彼が哲学者の向こうを張って上梓した大著『プラトン』(1919)を知らぬ者は皆無だし、その第2巻の精細な‘Textcritik’に裨益されなかった者はいないはずだ。
試しに【ドイツの大学でドイツ語で文学の博士号……指導者でもある……と説明すれば、素直に納得する】(11月1日・31)という、他愛無い「お勉強会」の指導者である【京大で教えたことのある「日本に長いドイツ人の教授」】(どの道、「教養部」程度であろうが)にでも聞けばよい。
その人物がギリシア語でプラトンも読める、正統的な教養人ならば。
ゲーテや国家元首というだけで政治的実権は首相のH. コール、という欺瞞に満ちたヴァイツゼッカー元大統領、芦田にこれほどまで逆上せ上がっているのは、そのナイーブで皮肉屋のトーマス・マンが単純な(‘einfach’)人物と形容した青年を髣髴とさせる。
過去の無邪気な発言⇒【芦田均は、国際法関係で東京帝大の法学部の博士号……ヘーゲルなどは全く関係がない】(5月31日・9)▼【「憲法改正小委員会」の委員長が、東京帝大の法学部の博士号もとっておられる国際法学者…外交官出身の政治家、芦田均】(7月16日・88)▼【芦田均さんは、東京帝国大学で国際法の博士号も授与されている……彼の解釈のもつ意味は大きい】(11月22日・82)――と一連の投稿を眺めて、カ氏が如何に独善的で独りよがりの思い込みが激しい、しかも「単純な」人物か分かる。幼稚なのだ。
所詮は一介の「無学の女王」にすぎないカ氏にとって、説明が要領を得ず、充分理論的に対抗できずに弁明に窮すると、【国際政治学者の肩書をもつ方が述べて下さった方が、権威もあり、信ぴょう性も高い】(9月15日・47)とか▼【芦田均さんは、国際法学者、である、ということが肝心」(同48)▼【その研究所は、大学の人文の博士号をもった人もおられ…】――ということになって、一方的に特定の「専門家の権威」や「博士号」に縋りつく体たらくだ。
そのうち、ヘーゲル(5月31日・9)について言うなら、カ氏は英米法の文脈で、つまりGHQ民政局スタッフによって最初の改正草案が書かれ、陰に陽に帝国憲法改正論議に影響を与えた結果成立した現行憲法を、ドイツ国法学の概念、手法で読み込み、確立した国際法規範への顧慮を欠いた解釈に固執する通説派憲法学者を批判する目的で、私がヘーゲルを例示したことには全く触れず、莫迦の一つ覚えのカントの「定言命法」批判とは違うと早飲み込みして【ヘーゲルなどは全く関係がない】と絡んできた。
日本語の読解能力が当時からどうかしていた以上(異常)に、思い込みが激しい、実に単純な御仁なのが透けて見えた。「知性の程度」を物語る挿話だ。
だから、【例えばヘーゲルの好む表現「運動とは質点[M]が同じ瞬間に同じ場所[m]にあって、そしてないこと」は論理的に矛盾しているが、オーストリアの同時代の哲学者・論理学者ボルツァーノ(Bernhard Bolzano, 1781~1848)はこれを一蹴した。
ボルツァーノは数学者、神学者でもあったプラハ大学教授。ドイツ近世の偉大な哲学者ライプニッツに続く偉大なる論理学者で、その主著『知識学』(“Wissenschaftslehre”, 1837.)は中世論理学の水準を遥かに抜く独創的な形式論理学、哲学的方法論の大著で、記号論理学ではないが、命題論理学も見出せる。カトリック圏のチェコ生まれ、即ちスコラ哲学の文化圏で育ったことが、プロテスタント的な、論理学的には「中世以前」の思弁哲学への違和感が、ヘーゲルへの激しい批判となった。
フッサールによって19世紀末に「再発見」された。
議論の趣旨は、マルクス主義者を含めとかくヘーゲルを利用する憲法学者に注意を促しつつ、具体的な事例(ヘーゲルの「運動」概念)を挙げ、一見矛盾に見える命題も、乱用されるヘーゲルの弁証法論理などを持ち出さなくとも形式論理的に分解すれは、矛盾は解消すると指摘。矛盾解消の要因となった運動への時間概念の導入を(運動は時間との相関概念)、憲法解釈における篠田さんの国際法規範の導入になぞらえた(5月31・10)ものだが、「知性の程度」がカ氏程度だと、話が伝わらくなる典型だ。
それぐらいだから、カントの定言命法についても、未だに実質何も語っていない。「ミネルヴァの梟」に至っては、妄言そのもので、相手にするのも愚か。
余りに酷いから、【ドイツ人の元教授にでも依頼して反論を……返り討ちに遭う覚悟があればの話だが……「ドイツの大学で…文学の博士号…指導者でもある…と説明すれば、素直に納得する」と、日頃の「学識専制」批判を繰り広げているのとは裏腹に、ことドイツに関しては特に「権威主義的」な姿勢が際立つ】(11月01日・31)と書いた所以だが、元教授からの投稿もないようだ。
140~141はクズ投稿。「李朝朝鮮」ではなく、「李氏朝鮮」または「李朝」。無学は措辞にも歴然だ。[完]
☆年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる(ラ・ロシュフコー『箴言』93)
投稿143(26日 21:11)に(承前2)とあるのは、(承前1)の誤り。
余白に
125【G. イェリネク……一行も読まずドイツ国(公)法学について見当違いな所見を述べるカ氏はとあるが……G. イェリネク……を読んだ、東大系憲法学者は、日本国憲法の正しい解釈をしているのだろうか?】⇒⇒「無学の女王」カ氏以外には考えられないような、臆面もない居直りの論理だ。
仮令、篠田さんが厳しく批判する憲法学通説に依拠する東大法学部系憲法学者でも、カ氏のように読まずに妄説を撒き散らしているわけではない。彼らなりに、学界内部で些細な誤りまで厳しく追及される。それなりに、学者としての存在がかかっている。
カ氏のような、間違い何でもあり、批判には事実上、一切お構いなしのご気楽な稼業ではないだろう。
【読まなくても、日本国憲法を素直に読めばわかるし、ドイツ憲法を素直に読めば、ドイツの安全保障政策は、カントの「定言命法」で行われていない、と……わかる】⇒⇒カントの「定言命法」(kategorischer Imperativ)について、自分の言葉で明確に語れないような「無学」な人間が、篠田さんの肩車に乗って、どんなに偉そうなことを、一人前のつもりで宣っても単なるこけ脅しにすぎず、これくらい笑止千万な話が70近くも生きてきて、まだ分からないものか、不思議に思う。
カントもイェリネクも暇を持て余した老人の玩具ではない。何を苛立っているのか分からないが、知性の程度はこれ以上は改善の余地がないにしろ、少しは文章の品性(ἦθος=Ethos)にも顧慮したらよい。エートス[Ethos]は英独仏語でも皆同じ、「人となり」「人柄」を如実に表す。「文も人なり」という。その程度のことが分かれば、もう少し立論も措辞も改善しよう。
いい歳をして、反射的に負けじ魂で見境なく「投稿のための投稿」に現を抜かしてどうするのか。それほど醜態を晒して傷を深くすることもなかろう。
私は、日本国憲法9条の解釈として、カントの「定言命法」がおかしい、東大系の憲法学者の主張はおかしい、と考えるから、イエリネクやカール・シュミット、ゲーテやワイツゼッカーや芦田均、さんを持ち出すのであって、それが、「集団的自衛権の思想史」を書かれた篠田英朗さんの、このブログの本質的なテーマなのではないのだろうか?
このブログを知る以前に、イエリネク、カール・シュミットや芦田均さんのされたお仕事は知らなった。けれども、ゲーテやワイツゼッカーの人柄、仕事、思想についてはよくわかっていた。私はドイツ語や日本語の語学力、そのほかの教養も、大学レベルのものはもっているし、現在も、ドイツ文化は勉強し続けている。ウィキペデイアで概説を読めば、ドイツのそのころの歴史を踏まえて、その人の基本的な考え方、主張はわかるのではないのだろうか?その私から見て、反氏の主張は、とても歪なもの、に移るのである。このブログのコメンテータとなられた最初の頃、私のコメントは、このブログの品格を損なうものだ、と反氏は始終主張されていたが、現在は、私が、反氏のコメントに対して内容的にそれを感じるのである。古代ギリシャ文化について、ルネッサンスについて、グーテンベルグについて、ゲーテやシラーについて、とても受け入れられたものではない。
私は、学識を憎悪などしていない。ゲーテの「哲学」はただ、常識を難しく言っているにすぎない、という言葉、「学問」の研究は、「哲学」から独立して行うべきである、という言葉が真理だな、と確信し、そう主張しているだけである。
東大系憲法学者は、憲法は日本の最高法規だから、憲法を解釈するときに、国際法的な見方をしてはいけない、と主張されているが、もともと、この日本国憲法を作った時の衆議院の憲法改正案委員会の長、が東大系憲法学者ではなくて、国際法学者芦田均さんであった、という意味が大きいのである。しかも、これは、芦田均さんが、自らなりたい、と立候補されたものではない。
篠田英朗教授のブログ、2018年05月22日
木村草太教授の『自衛隊と憲法』の問題点(5)「軍事権」学説による「戦前」の肯定 のコメント31に私が書いたように、芦田均さんの昭和21年6月25日の日記によると、
「私が憲法改正案委員会の委員長に就任することは私個人に対する嫉妬から多少の反対もあつたらしい。然し自由党から出すとなると差当り世間の納得する人間はゐない。そこで大野伴睦君(幹事長)の言葉を籍りて云へば“君に据つて貰ハなければ格好がつかない”ことになつたのである。
私ハこの地位が実質的には左程重大とハ思ハない。だが議会三分の二の数を以て可決される為めにハ修正案の取扱にも細心の注意をしなけれバならぬ。かかる意味から吉田内閣の一閣僚たることよりも寧ろ委員長たることを栄誉なりと考へた。愈委員長に当選した六月廿九日の午后から心気明朗にして″志気方自得″といふ心特になつた。」という経緯でなられたのである。
議会の3分の2の数をもって可決するために、芦田修正は行われたのであるが、その解釈は、その修正をされた芦田均さんの見解を取るのが、王道なのではないのだろうか?それが吉川幸次郎さんが神戸高校の校歌で表現された、「わがものときわむる自然、人文の真理の翼をはばたかせる」人の道だと私は信じる。
それくらい、特異なパーソナリティらしい。当該日の記述は、相変わらず私の以前の指摘(9月19日・95)にも拘わらず、未だに誤植つきでネット上にアップされた抜粋の一字一句違わぬコピペだ。カ氏には、所謂「学習機能」はないらしい。
誤植(誤記)を含め、コピペだから何度引用しても誤記に気づかない、のかとも当初は思ったし、齢70近いから「健忘症」とみられなくもないが、要するに想定される以上にひどく怠惰な御仁で、すべてにおいて粗雑かつ粗野なのだろう。
そうでなくては、およそ考えられない誤謬の連鎖であり、頻度だ。これで音楽だ、文学だと逆上せ上がっているのだから、救いようがない。繊細さの欠片もない。
具体的に説明する。引用箇所の【「私が憲法改正案……“君に……ない”……愈委員長に当選した六月廿九日の午后から心気明朗にして″志気方自得″といふ心特になつた。」…】の中の、【心特になつた】は⇒【心持になつた】の誤植([特]と[持]の誤記)であり、それがカ氏によって「忠実」に再現されている。
二種類の異なる引用符【[“君に……ない”]と[″志気方自得″]の[“★”]と[″★″]】と併せ、粗野で無神経な、何より怠惰なカ氏の正体を物語る。カ氏に細かい「芸」はないから、わざと繰り返しているのかもしれない。ここまで、意に介さず「投稿公害=慷慨」を押し通しているくらいだから、あり得ない話ではない。
精神分析の対象かもしれない。
精神医学者で卓抜なエッセーストにして現代ギリシアの詩人カヴァフィスの詩集の訳もある中井久夫氏のような、甚だ知的パースペクティブに優れた人物はおり、木村敏氏のような哲学者以上に哲学者らしい独自の思索を展開している精神病理学者も存在するから、精神医学も馬鹿にしたものではないし、厳密な実験に基づいた「科学的」な心理学研究もある。しかし、その実態は哲学的には、根源的な疑問符がいくつも浮かんでくる。
大学入学前、ヤスパースの『精神病理学総論』を早稲田の古書店で格安で入手して、反撥を覚えつつ熱心に読んだが、結局、中学までの希望だった精神科の医師になるのを断念したのは、相手の病態に付き合う熱意に欠けたせいでもあろうが、三島由紀夫の自決を機に15歳で覚醒してからは、初期段階はともかく、ヘッセなど少女趣味と軽蔑し(実体はそうでもなく、単純な「星菫派」ではないが…)、トーマス・マンに向かうのも、ちょうどそのころ、Fischer書店の記念版全集の翻訳刊行が始まったことも影響しており、人は所詮「時代の子」ということだろうか。最初の配本が『魔の山』でも『ブデンブローク家の人々』でもなく、『ファウストス博士』だったことは決定的だった。
そこにあったのは、ドイツを取り込んだファシズムと正面から対峙する作家の姿だった。
今回の一連の「クズ投稿」も、149【反氏のコメントは、ほとんど意味不明である】と嘯いているが、カ氏はスピノザ流の汎神論者(Panentheismist)であり一元論者(Monist)、それもパラケルススの衣鉢を継ぐ「汎知学」(‘Pansophie’)と呼ばれる16世紀以来の神秘主義的、擬似宗教的世界観、宇宙観が色濃いゲーテと同様、一種の素朴なアニミズム信仰さえあるのではと窺わせる粗野で単純な、情動過多のパトス的思考のもち主だから、理解できないのだろうし、元々ロゴス的認識には関心もないのだろう。無知蒙昧だから、致し方ない。
英検一級とかドイツ留学経験と胸を張っても、知性の問題ではなく、ただ高等教育を受ける機会がなかった民衆は欺けても、だから何なの? という程度の話であって、私の友人のドイツ人とのハーフである女性が、「普通のドイツ人はカントもヘーゲルも読まない」と言った趣旨は、教養層ではないドイツの民衆の話であって、極東の外れから態々留学してきた人物が強弁して自らの「哲学音痴」を免れる言い訳にはならない。
当の友人はハイデガーもアドルノも読んでおり、教養的には申し分のない語学の達人だった。授業についてゆくのがやっとというカ氏のような劣等学生ではない。半分ドイツ人だから、「語学屋」として重宝に使われることを潔しとせず、結局、銀行家の父親には頼らず、自分でドイツの銀行と共同出資の現地法人だという日本の金融機関の口を自分でみつけ、「息が詰まる」日本を脱出した。
ギリシア・ローマの古典的著作の大叢書だったのが“Bibliotheca Scriptorum Graecorum et Romanorum Teubneriana”だが、発行元のライプツィヒのトイブナー書店が大戦で甚大な被害を受け、欠本が目立つ。最新の成果を盛り込んだ新版を出す力がドイツの学界にないからだ。プラトン全集の新版はヘルマン(Fr. Hermann)の6冊本“Platonis dialogi”(1887~1902)以降は百年以上なく、英仏に圧倒的に水を開けられている。
経済学もウィーン学派が隆盛を誇ったが(シュンペーター、ハイエク)、ナチスよる1938年の併合(Anschluss)で出国者が相次ぎ、瓦解した。公法学者ケルゼンも亡命を余儀なくされたように、影響は甚大だった。フロイトは英国に、ドイツの哲学者カッシーラーは米国に移った。
1933年のナチス政権成立後、二年間で弁護士4000人、医師3000人、大学教師1200人が国外脱出乃至は失業したという。驚くべき頭脳流出(喪失)で、ドイツの実質的な国力低下を招いた。
自然科学分野での人材流失はより深刻で、アインシュタインを挙げるまでもなく、多くのノーベル賞受賞者を含む大量の一線級の研究者が、大半は米国に亡命し、知的研究分野での戦後の米国の圧倒的な地位向上を下支えしている。
こうした大規模な人材流失(移動)は歴史上いくつかあるが、原因が戦争や革命ではない反ユダヤ政策のような「国内政策」のケースは例外で、性格も意味も異なる。ドイツの罪は重い。
ドイツが依然として世界的影響力を辛うじて保っているのは哲学以外は少ない。ハイデガーやフランクフルト学派の影響力は見逃せない。しかし、ハーバーマスに続く世界的思想家は少ないようだ。この点でも、英米仏との勢いの差は歴然で、軽視できない水準。ドイツは再び第二線、「後進国」への退行の危機にあるとみる研究者もいるほどだ。
ドイツは種々の意味で厄介な国で、中心になって何か事を起こし、長期にわたりうまくいった事例はヨーロッパの歴史上は稀。昔も今も。
150のように、古代文明の遺産としてカ氏は【ギリシャ神話、ローマ神話】を強調するが、音楽や文学しか知らない自らの「無学」を告白するようなもの。文学では何も変わらない。世界を混乱に陥れたと糾弾するドイツのユダヤ人経済学者マルクスは、束の間とは言えぬ長期にわたって革命思想で世界を変えたが、そこにも明瞭な思想の力は、深く潜行して人々に不可逆的な影響を及ぼすから存在感があるわけで、ゲーテにその力はない。
151【反氏こそが、民衆を学識がない、と軽蔑している張本人】⇒⇒軽蔑するほど興味はないが、「★鈍で凡庸かつ陳腐、退屈極まる」カ氏のような民衆は軽蔑している。
152~153は投稿数を増やすための常習コピペ頼みのクズ投稿の典型で、「芦田教徒」の信仰告白。他に芸もないのだろう。[完]
ドイツが学問上、世界的影響力を維持している人文社会科学分野は、哲学が筆頭で、他は政治学も経済学も英米に相当見劣りし、世界の主流ではない、と結論づけられるが、どうして、学問に自然科学系は含めないのだろう?これからは、AIの時代である。哲学ばかりにこだわるのは、哲学専攻の反氏が、そう信じたい、からだけなのではないのだろうか?
古典古代学は第二次大戦までは英国と並び双璧だったが、現在は隆盛を誇った昔日の面影はない。ドイツは名著、標準的文献の復刻出版が盛んだが、いずれも往時の研究成果の遺産の上に胡坐をかいている印象で、低調だ、という原因は、ドイツで古典古代学などというものを真剣に勉強したい学生が減っているから、というのが、正しい現状分析なのである。少なくとも、ドイツのギムナージウムの秀才たちが選択するのは、医学部か法学部であることが、それを如実に表している。また、例えば、自動車産業をとってみても、ドイツのVWやBenz,BMWが、私がOLをしていた1980年代もそうであったが、現在も世界の自動車産業を席巻しているのであって、英仏の自動車産業は低調である。そのおかしな現状分析を、まるで正論だと主張されるのをやめられればいいのではないのだろうか?
けれども、「だが議会三分の二の数を以て可決される為めにハ修正案の取扱にも細心の注意をしなけれバならぬ。かかる意味から吉田内閣の一閣僚たることよりも寧ろ委員長たることを栄誉なりと考へた、」という文章は、「修正案の取り扱いの権限は芦田均さんのであった」、ということ、そして、そのことに対する芦田均さんの自負心がうかがえ、「集団的自衛権は違憲ではない。」という論理構成の一つの要素になるのである。つまり、日本国憲法9条の解釈は、修正案の取り扱いの権限のあった芦田均さんの解釈を基本とすべきであり、東大系の憲法学者さんたちの解釈は間違っている、という。
およそ、自らの犯した誤謬について、これほど見苦しい言い訳をする御仁はそうそうは見当たらない。だから、いつまでも間違いが尽きないのだ。注意力が散漫なのは、知性の程度もさることながら、元々、憲法問題も含めて知的な議論には向かない粗野な大衆気質だからだろう。英検一級、西独留学、外資系企業勤務程度で、何か一人前の有資格者だと勘違いしていること自体が笑止である。
屁理屈をこねるが、コピペしてもこれだけの誤記が頻出するのを自分でも何とか改善する気持ちにならないものか、呆れてものが言えない。だから、「岩波勝利」なる珍妙な人物も登場する。少しは恥を知ればいい。
159【どうして、学問に自然科学系は含めないのだろう?】とあるが、157で【1933年のナチス政権成立後、二年間で弁護士4000人、医師3000人、大学教師1200人が国外脱出乃至は失業したという。驚くべき頭脳流出(喪失)で、ドイツの実質的な国力低下を招いた】と書いたはずだ。
特に自然科学分野について、【自然科学分野での人材流失はより深刻で、アインシュタインを挙げるまでもなく、多くのノーベル賞受賞者を含む大量の一線級の研究者が、大半は米国に亡命し、知的研究分野での戦後の米国の圧倒的な地位向上を下支えしている】と指摘したが、批判をする相手の文章をもう少し注意深く読めないものか。それでなくとも、早とちりの粗忽者なのに。
かつて、ドイツは自然科学分野で世界の研究の最先端を走っていた。アインシュタインやフォン・ノイマンはその代表者だが、第三帝国の未曾有の蛮行によって多くの優秀なユダヤ系の人材が一気に失われた。
前にも書きましたが、神は細部に宿ると言われるように、誤字脱字等を軽視してはいけません。細部の瑕疵を軽視すると重大な瑕疵に繋がることは本ブログ上のカロリーネさんのコメントで実証済みです(カロリーネさんの投稿で瑕疵がない投稿を探すのは大変な作業になるでしょう)。
カロリーネさんは、論理構成に関係しない単純な間違いなので論理構成に関わる吉次公介・立命館大学教授の間違いとは異なるという趣旨の反論もされおり、まるでカロリーネさんが論理構成に関わる間違いと無関係かのような弁明をしていますが、実際には論理構成に関わる瑕疵を日々の投稿で多数量産しているカロリーネさんが主張するのは滑稽であり喜劇です。次のとおり、160の中にも論理構成に関わる瑕疵があります。
「修正案の取扱にも細心の注意細心の注意をしなけれバならぬ。」という芦田の個人的感想が、カロリーネさんの魔術にかかると、「修正案の取り扱いの権限は芦田均さんのであった」(原文ママで引用しましたが、驚くべきことにここにも誤りがあります。ので(誤)→に(正))と権限の問題に飛躍してしまいます。修正案取扱権限が何を意味するかも不明です。委員長としての議事整理権限という趣旨と理解すれば概念としては理解可能になりますが、そのように善解すると議事整理権限を根拠に憲法解釈の基本とすべきと主張していることになるので、これまた大きな論理の飛躍があると言わなければなりません。
生粋のドイツ人であるハイゼンベルクは残ったが、物理学では戦後のドイツの基礎研究全体の水準が如何に低下したか、少しは想像力を働かせたらいい。
高が自動車産業の隆盛など現象面の些事にすぎない。如何にも無学で、民衆的、世俗的価値観でしかものごとを判断できない知的狭量さが歴然としている。その程度だから、松下幸之助と経済学者ケインズを比較して、松下を有難がるのであろう。莫迦莫迦しい。
ドイツの自動車産業がそんなに優秀なら、ディーゼル車の排ガス規制でどうして組織的なインチキをするのか。テクノロジーを生む基礎研究こそ学問なのだ。少しは「蜘蛛の巣の張った」頭を働かせて考えたらよい。近年は自然科学分野で、ノーベル賞受賞者も日本の後塵を拝しているのもその証左だろう。
英仏は一見、無駄で時代遅れにみえる古典学の研究が有能な知識層の知的伝統の基礎水脈を形成している。古典語学習の煉獄(purgatorium)の苦しみが知性を磨くこともある。特に政治的知的支配層にそれが求められる。ドイツのように過去の偉大な古典学者の著作の復刻ばかりしているのとは大違いだ。だから、したたかな英仏に侮られるのだ。有能なユダヤ人材を欠いた戦後のドイツなどものの数ではないと。
自らの貧弱な知性の反映である現実認識がいかに他愛もないものか知るとよい。
“Εἶτ᾽ οὐκ αἰσχύνῃ, ὦ Σώκρατες, τοιοῦτον ἐπιτήδευμα ἐπιτηδεύσας ἐξ οὗ κινδυνεύεις νυνὶ ἀποθανεῖν;”「それでも、ソクラテス、君は恥ずかしくないのか。そんな日常を送って、そのために今、死の危険にさらされているというのは、と言うでしょう」(『ソクラテスの弁明』28B)
La sainte impatiene meurt aussi!(P. Valéry, ‘‘Le cimetière marin’’)
例えば、ドイツの自動車産業の世界における地位、ゲーテやワイツゼッカーの国際社会での評価、このような情報は、ヨーロッパに住んでいたり、例えばヨーロッパの雑誌、Spiegelなどを読んでいる人には、自明の事柄であるが、日本で日本のマスコミ情報しか触れない人にはわからない。それは、私が、1976年ヨーロッパで、毛沢東さんが亡くなった、というニュースを知って、「まあ、お気の毒に。」などと言って、ヨーロッパ在住の伯母に「あなた、なに言っているの?」とびっくりされたことが端的に表しているのであって、あの頃は、今でもそうかもしれないが、日本では、左翼系マスコミが強かったから、中国と北朝鮮のいいことしか報道せず、毛沢東さんは、日本の政治家と違って、あたかも偉大な政治指導者のように報道されていたのである。あの頃は、日本のマスコミ報道をナイーブに信じていたから、あのような発言になったのである。つまり、日本のマスコミにばかり接していると、国際感覚が欠如してしまう典型的な例なのである。
芦田日記、あと一行前、から引用すれば、「反インテリンチ」さんに納得してもらえたのかもしれないが、「私ハこの地位が実質的には左程重大とハ思ハない。だが議会三分の二の数を以て可決される為めにハ修正案の取扱にも細心の注意をしなけれバならぬ。かかる意味から吉田内閣の一閣僚たることよりも寧ろ委員長たることを栄誉なりと考へた。」という文章を素直に読めば、「修正案の取扱にも細心の注意をしなければならない」から、「吉田内閣の一閣僚たるよりも寧ろ委員長となることを栄誉なりと考へた。」という意味になり、「修正案の取り扱いに対して、最新の注意を払える人である芦田均さんがその委員長にふさわしい」、ということが立法府のの政党の幹部の評価である、ということは、実質、修正案取扱権限、があるからこそ、芦田修正、と呼ばれているのである。
学生運動の為に、実力があっても、東大に入学できなかった人もいる。けれど、その人は、頭がいいことに、インテリであることに変わりがない。そして、外交官として法律を駆使しながら実社会で様々な経験を積んで、内閣法制局長官に就任されているのだから、その人事に対して、「集団的自衛権は違憲である。」と解釈しないからという理由で、東大系憲法学者がその人事を批判すべきでない、ということを言いたいのである。社会での経験は、大学以上に様々なことを我々に教えてくれる。
自動車産業が、車を作るために、どれだけの自動車工学の技術が使われ、どれだけの部品があり、技術者がいて、物流を含めて生産に携わる従業員がいるか、まるでわかっていない。どれだけの人々の生活が、その産業によって、生計が支えられているか、もまるでわからない。
自動車産業は広いすそ野をもち、大勢の人々の生活がかかっているから重要なのであって、それは、大きくなった松下電器産業も変わらない。松下幸之助さんが終身雇用制を取られたのも、会社の利益を犠牲にしても、従業員の生活の安定を図るためである。ドイツの会社は、アメリカの会社と違って、従業員の生活を守る、という意識も強く、会社の利益だけでなく、従業員の生活についても配慮しようとする。それを、「ライン型資本主義」という。東欧の社会主義に勝ったのは、この西ドイツの「ライン型資本主義」であって、従業員を会社の都合で自由に解雇できる、日本のアメリカ系の経済学者たちが主張する「アメリカ型資本主義」ではない。
「莫☆丸出し」の反射的な「投稿のための投稿」が返ってきた。節度、自制心、思慮分別(σωφροσύνη)の欠片もない、齢70近い、人生の経験を積んだ老媼に相応しい度量の大きさ(μεγαλοπρέπεια)も優雅さもない、浅ましい‘quid pro quo’そのものだ。
およそ、自らの犯した誤謬について、これほど見苦しい言い訳をする御仁はそうそうは見当たらない。だから、いつまでも間違いが尽きないのだ。注意力が散漫なのは、知性の程度もさることながら、元々、憲法問題も含めて知的な議論には向かない粗野な大衆気質だからだろう。という風な文章をなんど、繰り返し、繰り返し見ただろう。
英国の女性哲学者メアリー・ウォーノックが指摘したように、「大体において、憤激の程度は、攻撃(者)の知性の程度に反比例する」(“Ethics since 1900”, 1960.)と軽侮したような心性がそのまま、修正の余地がないないくらい当てはまるのが比類なき「無学の女王」=マダム瑕疵ことカ氏である。
ゲーテの哲学とも呼べない「常識の哲学」という通俗思想を無批判に妄信するしか能がないさまは、かつてヒトラーの「洗脳」と称して、ナチスドイツの未曾有の蛮行に、経済的利得からちゃっかり「加担」し、豊かで学識あるユダヤ系市民を憎悪したのと相似形の心性、妄執が拭い難いようだ。
カ氏にとって、自らが受け入れ難い学識はすべてカ氏規準(κριτήριον=‘criterium’)の訳の分からない「国際常識」によって排撃され、敵対する危険思想とみなされ攻撃されるかのようだ。
メディアへの偏頗な、歪んだ、極めて一面的で独善的な攻撃にも、政治学者が「慷慨型」(indignants)と呼んだ心的傾向=【近代の内面志向型が大衆世界に適応しえず、フラストレーションに陥り、それを異常な道徳的公憤というスタイルで、その攻撃性と憎悪の情動を政治に投射するタイプ……異常な公憤、病的な不安懊悩、そねみ、憎悪などをもち、彼らの放出する政治的エネルギーは極めて高い。その異常性が亢進すると、「血も凍るような悲憤型」(curdled indignants)が生まれる。ドイツの下層中産階級によく見られたように、彼らの政治に対する憎悪は底なしであり、ナチズムの破壊的エネルギーの主要な根源となった】と言うべき性情、性向(Neigung)が透けて見える。カ氏というモンスター級の独善的パーソナリティーを目前に見る思いだ。
それにしても、目を覆うばかりの惨状だ。法律学の門外漢である私でも、162の反「インテリンチ」による「合理的な」疑問は了解(Einverständnis)できる。カ氏の反論を装った「抗弁」は何ら有効(valid)ではない。カ氏の粗末な法的知識では理解不能なのだろう。
カ氏こそ、一度は隅から隅まで憲法学の標準的概説書、反論するためにも仮想敵の芦部信喜『憲法』(岩波書店)でも読んだらいい。単純なカ氏のことだ、そのうち「芦田宗(教)」ならぬ「芦部宗(教)」に宗旨替えするかもしれない。その程度にナイーヴで単純な(‘einfach’)齢70近くにもなる異形の老媼だ。
私にも167で【社会構造がまるでわかっていない】と批判したつもりらしいが、ドイツ語の他愛ない「お勉強」の教材に、たかが週刊誌‘Der Spiegel’を取り上げて何かを教えた、または知ったつもりになる世間知らずの大学の元教授やカ氏でもあるまいし、元新聞記者に言うことでもあるまい。
この場は、戦前戦後を比較した西欧主要国、端的に米国と比較した英仏独の「学問」研究の水準の話(と戦前のドイツの罪業の影響)をしている。その応用であるテクノロジーの一分野である自動車産業の話を持ち出しても仕方ない。
個々の産業構造や経済的波及効果、従業員の生計の話は原則関係ない。技術開発の根底にある理論的、原理的考察である学問的研究の話をしているのだ。
松下幸之助は立派な経営者だろう。逮捕された強欲な経営者カルロス・ゴーン容疑者と比較するのは筋違いだろう。
ケインズは卓越した経済学者であると同時に、確率論の先駆的な研究者として哲学者としても一流であり、著作や公的機関での活動を通じた説得の技術でも超一流という類まれな学識と非凡な現実感覚に恵まれた不世出の天才であって、ドイツへの過酷な報復的賠償金支払いを含むヴェルサイユ条約案に職を辞して反対しただけでなく、第二次大戦の終戦に先立って、世界経済再構築と金融問題の処理のため、英国政府代表団を率いて1944年のブレトン・ウッズ会議に臨み、ケインズ・プランを提示して主導的な役割を果たして発足と同時に国際通貨金(IMF)と世界復興開発銀行の総裁となるなど、IMF体制という戦後秩序の再構築に多大な貢献をした人物だ。
所詮は一経営者にすぎない松下と比較すること自体が無意味だろう。カ氏のような立論は「無学」だから可能なのだ。
169~170は負け惜しみの極地。私、即ち【反氏の巧みな誘導】によって、本欄読者の誰も、欺かれてなどいない。読者の知的水準を甘く見たカ氏の思い上がり。言葉には気をつけた方がよい。
169のコピペ率は68.4%。何も論敵の私の所論を振れ回る必要もあるまい。
170末尾の私が【ヒトラーようなことを日本で実際にやって】いるという老「ドイツ狂」巫女の神がかりの御卓宣。
言うに事欠いて、凄まじい敵愾心だ。
「ユネスコ精神」が聞いて呆れる(呵呵)。[完]
164冒頭の細部の瑕疵(どころではない重大な誤謬だが=筆者註)を軽視して、重大な瑕疵に繋がる例が立論のどこにある、というカ氏の居直りも凄まじいが、【それよりも、会社員の方も過去に指摘……マスコミの人が書く文章、反氏の文章にも典型的……瑕疵はない……が、現状認識、全体像の捉え方の誤り、が著しい……ある程度教養のある人は…間違いに気づくが……「反インテリンチ」さんは、気づかない……危険だと思うから、反論を書く】は、畢竟、本欄の読者を侮って如何にも驕慢なカ氏らしい強弁だ。
細部の瑕疵(カ氏は決まって単純なタイプミスと強弁し、訂正することは、その膨大な数に比して稀れ)どころではない重大な誤謬については、私が過去に指摘した膨大な投稿の集積(通称『カ氏語録』)がある。一見すれば、カ氏の驚くべき「無学」の実態を目の当たりにするだろう。
5月21日・10を初回とする私の本欄への投稿も、誤謬の訂正や操作ミスの二重投稿を除いて前回までに1000件(400字詰め原稿用紙換算で2000枚相当)を超えたから、機会があれば、『カ氏語録』改め『カ氏誤録』として、本欄でも随時、公開して議論の素材に供したい。謂わば、「原理主義的護憲派から改宗した一西独留学経験をもつデマゴーグ、「ドイツ教」老媼の愕くべき生態」として。
そもそも、「ある程度教養のある」と自負するらしいカ氏が、私に有効な反論で「一本とった」事例など、一つもない。唯一の例外が吉川幸次郎・大山定一共著『洛中書間』を私が勘違いして『洛中書簡』としたこと。その際、私は丁重に訂正のうえ、お詫びした(9月27日・173参照。間違いの方は前日26日・168)。
その一方で、168【松下幸之助さんが終身雇用制……会社の利益を犠牲にしても、従業員の生活の安定を図るため】のようなナイーヴな物語(μῦθος=虚構であり神話)思考に無批判に浸る、実に「単純な」(einfach)心性だということが分かる。
【ドイツの会社は、アメリカの会社と違って……「ライン型資本主義」……従業員を会社の都合で自由に解雇できる、日本のアメリカ系の経済学者たちが主張する「アメリカ型資本主義」ではない】のようなDer Spiegelもその一つであるメディア流の単純な分類を盲信するお目出度さも滑稽だ。
ゲーテやヴァイツゼッカーに逆上せ上がって本欄に迷い込んで来て、ネット空間特有の参加資格不要の発信、しかも匿名のそれを、あたかも魔法の杖のように玩んで老後の気儘な投稿生活を満喫している、所詮は憐れむべき「無学」の素人というのが、お寒い実態のようだ。
年寄りは気儘で、気位も高く、気難しいのだろう。
フランクフルトにも株式市場があるように、資本主義の論理は国境を超越する。経済の基本概念はロビンズの著名な定義=「経済学とは諸目的と代替的諸用途をもつ希少な諸手段との関係として、人間の行動を研究する学問である」(‘Economic is the science which studies human behaviour as a relationship between and ends and scares means which have alternative uses.’= 『経済学の本質と意義』、“An Essay on the Nature and Significance of Economic Science”, London, 1932., p. 16.)にも顕著なように、もはやドイツも英米流も、聖域もない。
そうした狭義の科学としての経済学の論理、即ち資本の論理が世界中を貫いている。「ライン型資本主義」もその表層に浮かぶ徒花にすぎない。
「無学」のカ氏には関係ない話だろうが。
カロリーネさんは、「権限」や「授権規範」などという専門用語を殊更に使いたがりますが、一知半解は大怪我のもとです。しかも、所謂「芦田修正説」なる解釈を重視するのが誤りであることは篠田先生も指摘するとおりです。下記HPからの引用で恐縮ですが、「芦田氏は五〇年代に入り、この修正を根拠に「自衛のための戦争を禁じていない」と発言するようになり、政府の「自衛戦力合憲論」を後押しする大きな役割を果たしたといわれる。しかし、その後明らかにされた芦田氏の日記や近年公開された芦田委員会の議事録を見ても、芦田氏が後に主張した「自衛のための武力行使を禁じたものではない」ということに触れた記述は存在しない。芦田委員会が、どんな意図で修正を施したのか、今なお評価は定まらない。」とあるとおり、所謂「芦田修正」の意図は謎とされており、芦田の憲法9条解釈を一知半解で真に受けるカロリーネさんはナイーヴであり滑稽です。
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01252/contents/105.htm
また、東大法学部系憲法学者が小松一郎氏の内閣法制局長官への起用を批判した理由が東京大学法学部卒ではないという学歴(因みに、小松氏は大学3年次に外交官試験に合格したため一橋大学法学部を中退し外務省に入省しているため、学歴としては高卒になります。)にあるというカロリーネさんの「珍説」(コメント165)は寡聞にして知りません。本当にそのような主張をしている東大法学部系憲法学者が実在するのでしょうか。これはカロリーネさんの「(被害)妄想」ではないでしょうか。
普通の日本人は、アメリカ人の批判をそのまま受け入れて、資本主義というとアメリカ型しかない、日本はまるで社会主義国だ、というアメリカ系の経済学者の主張をそのまま取り入れているが、資本主義には、アングロサクソン型資本主義と、ライン型資本主義があるのである。この言葉は、会社をやめて、父が宮澤喜一さんと同い年で、とても尊敬していたので、一度実物を見てみたい、と思って、朝日新聞フォーラム「21世紀の日本」の講演会に行った時にきいた言葉である。おっしゃっていた人は、ミシェル アルベールさん、肩書は、EU委員会経済構造・開発名誉会長、学歴は、パリ政治学院卒;国立行政学院(ENA)卒、学位は法学博士;経済学博士なのであるが、勤めていたドイツ企業も、長期勤務社員を日本と同じように表彰していたし、私も夫の米国留学についていく際、長期の休暇をいただいたので、アルベールさんの主張に納得したのである。
それに対して、アングロサクソン型資本主義、というのは、米国・英国で典型的にみられる資本主義の形態。企業は金融市場から直接資金を調達し、株主利益の最大化を優先する。業績が悪化した場合は、株主価値を維持するために積極的に人員を削減するため、雇用は不安定になる。賃金制度では成果主義をとり、自己責任を重視。政治的には小さな政府を志向する。小泉政権の元、グローバル化などと称して竹中平蔵さんが推し進めたものであるが、ゴーンさんは明らかに、アングロサクソン型資本主義の経営者なのではないのだろうか?
また、小松一郎さんの学歴は、一橋大学を中退されたのだから、学歴では、高卒となる、というのは、おかしい。中退は中退なのではないのだろうか。また、フランスのグルノーブル大学(ワイツゼッカー氏と同じ大学)や、エクス=アン=プロヴァンス政治学院留学に在籍され、フランス語とフランス法や、国際法を勉強されたないのだろうか?高校時代は、トップクラスの成績みたいだし、別に、日本の大学だけが大学じゃあるまいし。
そして、今気づいたのですが、コメントの23から78は、どこに行ってしまったのでしょうか?
敬愛する「おじ様」=国際派ジャーナリスト楠山義太郎氏と親交があった割には、実に他愛ない無知蒙昧ぶりは当時から変わらなかったということだろう。
ところで、165の主張の基調は、表面的な言辞とは異なり、畢竟「学歴信仰」が根強いカ氏にとって、受験エリートのヒエラルキーの頂点にある東大や京大は特別な存在なのだろう。「所詮、私は関西学院…」という僻み嫉み妬を解消する手だてが西独留学という勲章だったのかもしれないが、生家の事情で二年で打ち切りとなり、涙を呑んで帰国したことが、今日に至る特異なメンタリティーの根源なのかもしれない。
もっとも、これも一種の学歴信仰に伴う幻想(φάντασμα)であって、以前篠田さんも示唆していたように、東大入学と同時に終わってしまう御仁も少なくない。東大入学時が人生の頂点、後は降下するだけという憐れな人物がけっして少なくないのもまた実態だ。実に詰らない凡庸な人物が受験競争の勝利者の中に混じっていることも、人生の否定できない現実(τὸ γιγνόμενον)ということだ。
こうした人物は、本当は問いに対する「決められた答えがない」学問(μάθημα)には不向きであることは言うまでもない。カ氏が説く「常識」(gesunder Menschenverstand)ぐらい、学問的探究にとって無意味な概念(というほどにも達していないが…)はない。あらゆる「常識」を疑うところから、学問的思考、知的探求は始まる。学問はたぶん、その人物の自由の「証」であって、生得的性向、習性(ἦθος)のようなものだ。だから別途で生活の糧が確保可能なら収入が伴う職業にする必要もない。
とにかく、私は14歳の秋に覚醒(厳密には半年ほど遅行したが)して以来、世の「常識」とは隔絶した生き方を通してきたが、我を通しながらも別に狷介固陋ということもなく、孤独に苛まれることもなく、それなりに世と折り合って面白おかしく生きてきて、現在の貴族の末裔である妻とも出会った(漸く還暦を迎えたが、前髪を下ろすと40代以上には見えない)。
カ氏のように世に「悲憤慷慨」したり、焦慮を募らせたりもしない。ただ、日本人には多くの美質とともに、おおいなる弱点があることを哲学を通じて学んだように思う。憲法問題一つとってもそれは明らかだろう。
だからと言って、自分の手で何とかしようとは思わない。革命家気質もない。それほどお節介でもないし、他者に特別の興味はない。飢餓で苦しむ途上国の人々、圧政で辛酸を舐め、不条理な桎梏に苦しむ人々を除いては。
嘗て、分析哲学者の市井三郎が指摘したように、「社会の各人が自分の責任を問われる必要のないことから受ける不条理な苦痛」を軽減することが、政治や経済活動の目的だと思う。
畢竟、世の共通の価値基準から頭一歩抜け出して集団的思考に陥らず、ただ事態を見極めること、それを概念的に徹底して思考し抜くことである。戦争や平和の問題にしても、詰るところ、平和は目的ではなく手段であり、状態であって人間の「人間自然の性情(性向=‘ἡ φύσις ἀνθρώπων’)が変わらない限り、不幸な状態は今後も不可避なのであって、如何に最悪の事態を回避できるかにかかっている。
この点で平和より自由を志向する東大法学部憲法学講座の主任教授、石川健治氏の見解の一部を支持するが、九条解釈で結局は篠田さんの見解を採り、石川氏に全面的に首肯しかねるのは、‘石川doctrine’では、結局のところ自由(ἐλευθερία)も正義(δικαιοσύνη)も守れず、担保できないからだ。特に、国際的法観点で石川氏の「正義」への感覚は希薄というか、余りに禁欲的かつ退嬰的で、条文を離れた安全保障政策で子供騙しの気味さえ漂う。怜悧な石川氏がそれを自覚しないはずはないが、日本の制度化された主流派憲法学の最大の弱点である。
「平和」と「人命最優先」、しかも日本と日本人だけのという暗黙の了解での。一般的な共通認識として人命の尊重が最優先されなくてはならないのは、あくまで「仮構の(‘als ob’)論理」であって、人命以上に重要なものが、社会全体としては厳存する。人命は「地球より重い」というのは仮構の、その限りで虚構の論理であって、特に他者の人命は最大限尊重されなくてはならず、誰も自由にそれを奪う権利も正義もない、ということの混乱した表現にすぎない。
平和と自由、正義と善・悪(ἀγαθόν-κακόν)の問題は、もう一つの実体的な領域である利害得失(συμφέρον, χρήσμον, ἀγθόν)とが錯綜する問題であり、結局は正義、とりわけ善、善と必然(ἀνάγκη)とが厳しく対立する側面がある。
よく法律論に対する立法論の必要性が、安全保障政策の合理的推進の見地から現実主義者によって叫ばれるが、現状は、事実上の「軍隊」以外の何物でもない自衛隊の合憲・違憲のような「仮象の論争」に遮られ、所謂「神学論争」に退行して、かつての保革、今日の保守とリベラル、護憲・改憲・論憲、護憲派内部でも原理的護憲派と個別的自衛権の範囲で自衛隊の存在を容認する修正主義的護憲派の各陣営が入り乱れて陣取り合戦を展開する構図は何ら変わっておらず、議論自体の空洞化と欺瞞が目立っている。
平和安全法制の成立とともに、正統な「立憲主義」の主導権争いをめぐる別種の対立点も加わる。かつての「一国平和主義」=「護憲主義ナショナリズム」が、新たな装いで出現した風情で、現実的問題解決を先送りする新たな仮象の、感傷的論議となって、ほとんど無関心な国民意識との乖離を埋める役割を果たしていない。惰眠を貪る国民の性情も一貫しており、自衛隊に対する認識が、時間の経過とともに変わっただけだ。
各種世論調査における憲法に関する政治意識のずれや混乱は、肝腎の発議権を有する国会や、誰もが等しく意識する問題の所在を、専門家の立場から明確に提示する能力も意欲も論理も言語も欠いた、制度化された「法律家共同体」の頽廃も手伝って貧困を極め、現状維持志向の強いメディアの根強い抵抗と世論誘導もあって、停滞と混沌を深めている。
置き去りにされた国民意識は「何があろうと戦争に巻き込まれるのは嫌だ」式の、人命最優先の情動の論理を出ず、成熟にはほど遠い。
世論調査における「どちらとも言えない」の実態は、計量政治学的には、かつてのDK(Don’t know=分かりません)グループの現代版であろう。
それがこの国にお寒い現実だ。[完]
京大に百瀬なる憲法学の研究者、しかも教授がいるのかと、ほんの1秒ほど、首を捻った。
【石川健治教授は……認めると自分に都合が悪いから、認められないだけ……どちらが[瑕疵ばかりのカ氏と、専門的知見があるらしい反「インテリンチ」氏と=筆者註]一知半解なのだろう】⇒⇒法律学をまともに勉強したこともない、とかつて述懐していた御仁が随分尊大になったものだ。
真に成長したのなら、それもいい。しかし、実態は浅ましい退嬰化が目立つ、目立ちたがり屋の虚勢。追い詰められて、売り言葉に買い言葉の意趣返しの決まり文句を反「インテリンチ」氏にぶつけていること歴然。
真っ当な論理で対抗できず、錯乱しているのか、八つ当たりなのか、【どちらが、一知半解なのだろう】は言いも言ったりで、粗野そのもの。東大憲法学教授を向こうに回して浅ましく(百地氏の肩車に乗って)利いた風な台詞を吐く。田舎芝居もいいところで、戯画にしか見えない。
それにしても、かつてもすごいのがあった。散々批判する水島朝穂(氏)⇒水島朝男▽金正恩⇒金日恩▽石原莞爾⇒石川莞爾▽前川喜平⇒前原喜平、溜め息どころか、目眩がする。
177~178は、ネット上の記述を張り付けて自らの素人見解を付した、怠慢のクズ投稿。
ミシェル・アルベール(Michel Albert)の『資本主義対資本主義』(“Capitalisme contre capitalisme”, Le Seuil, 1991, Paris.=小池はるひ訳)は1990年代初期のベストセラーで通俗書。学問的著述ではない。いかにもEUの高級幹部(EU委員会経済構造・開発名誉局長)らしい自画自賛。
自分が「無学」だからと言って、他人までそうと妄想するのは愚の骨頂、というか「誇大妄想」という神経症では? 大丈夫?
母は、幼い頃漢学者の曾祖父にかわいがられたせいか、論語が好きで、晩年、子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず、を繰り返していたが、反氏も60をとっくに超えておられるのだろう。私を「無学の老媼」と名付けるのなら、ご自身も老躯なのではないのだろうか?
私も、ずっと明治時代生まれの祖父母と暮らし、高校も吉川幸次郎の影響か、一年違うだけで大違い、上下の序列には厳しかったので、人間は、歳をとるほど、経験を積んで、成長し、円熟していくものだ、と思って育った。その為に、ゲーテのファウストに述べられている人生観に感銘を受け、大学3年生の時に留学した米国留学中に勉強した「アメリカ文化」に魅せられなかったのだと思う。
今、大阪に万博を誘致することになったが、万博があったのが、私の高校2年生の時だった。楠山義太郎さんが、東京から来られて、開会の二日後に、ご一緒に回ったな、ということも懐かしいが、関学出身の叔母も西ドイツ館のホステスをしていて、英独会話を駆使しているのを見て、関学を卒業すれば、ああなれるのか、と思ったのである。元々親戚に国際結婚をしている人が多く、語学堪能な人が多かったせいかもしれない。
教室から見える「海彼の夢」にいざなわれた。それで、志望校に落ちたら、関学の独文科に行こう、と決めた。担任には、ドイツ語を勉強したいのなら、大阪外大もあるし、と言われたが、あの頃は、女性もキャリアという時代でもなかったし、お見合いの釣書に書いたとき、関学の方がおしゃれで体裁がいいな、と志望校の一つに決めたのである。私は、そういう育ち方をしているのであって、私の育ちが「中流階級より下の学識のない育ちである。」という反氏の主観的憶測も完全に間違っている。どうして、そのような嘘を私が否定しないからといって、なんどもなんども書くのだろう。新聞記者というのは、そういう職業なのだろうか?
大体私を含めて私の周りはそうなのだけれど、受験に落ち、関学に入学が決まった時は、泣きの涙であったのだけれど、現在は、関学を卒業してよかった、と思っている。私自身がそんなキャリアをもつから、小松一郎さんと同じ年次で、東大の入試のない年、灘高校出身であるにもかかわらず、現役で別の大学に進学した夫にひかれたし、小松一郎さんの決断の意味もわかるのである。夫の同期で、現役で阪大に進学し、米国に活路を見出した人もおられる。
というわけで、私は学歴信仰に伴う幻想を全くもっていないが、やはり、東大卒、京大卒の人は、頭もだが、記憶力が抜群にいい、と思った。数年前も部活の旅行で鹿児島に行った時、お墓を回りながら、その人たちそれぞれの人生を私のように名前を間違えることもせず、京大卒の二人がとうとうと話していて、すごいな、と思った。反氏にも同じような面を感じる。東大にしろ、京大しろ、入学時が人生の頂点、後は降下するだけという憐れな人物がけっして少なくないは実態かもしれないが、それはその人の努力いかんなのではないのだろうか?大学は、一つの通過点にすぎない。
私は、関学に入学したおかげで、父の勧めのおかげで、西独で二年暮らしたことによって、人生の幅が広がった。ドイツ系の会社のドイツ人の秘書をしたおかげで、実地に日本人以外の視点、をもつことができるようになり、考え方の幅が広がった、と思っている。
はっきり言って、反氏は「机上の哲学の知識」だけの人で、その考えにゲーテのような、孔子のような、思想の深みをまるで感じない。現実に、東西ドイツが統一できたように、シラーやベートーヴェンの思想が、一命を賭してデモを行ったJ.S.バッハが音楽監督にもなったこともあるライプチッヒの「プロテスタント教会の人々の思想と行動」が、世界を変えたのではないのだろうか?
それにしても189のカ氏の記述は意味不明。何か思い違いをしているのではないか。【百瀬教授は、東大卒ではなくて、京大卒……佐々木惣一…の流れをひく京大系の憲法学者】とあるが、正確には、
⇒⇒★【百地(章)国士舘大特任教授(日大名誉教授)は、東大卒ではなく静岡大法学科卒、京大大学院法学研究科修士課程修了、という意味で、1965年に死去した佐々木惣一元京大教授…の流れをひくと言えなくもない憲法学者】ということではないのか。
カ氏が以前に取り上げたBSフジの討論番組「プライムニュース」で、件の百地、石川両氏に法哲学者の井上達夫氏を加え、憲法九条を議論した。
日大名誉教授の肩書で出演した百地氏と石川氏が、問題の授権規範と制限規範をめぐってちぐはぐな遣り取りをしていた。カ氏も言及している(5月23日・13⇒「木村草太教授の『自衛隊と憲法』の問題点(5)」の項。私の指摘は同23日・7)。
さらに、カ氏は【例のプライムニュースで……石川…教授と百地章教授の論争……憲法の基本は、授権規範と制限規範から成り立っている、と百地教授が力説……石川…教授は……違う、と押し切ろうとされた。その姿が京都大学哲学科の権威で押し切ろうとされる反時流古典学徒さんと重なる】(7月15日・79⇒「死刑制度をめぐる議論と憲法9条」の項=私の同15日・84参照)
【権威で押し切ろうと】する云々、という私への言及は悪意に満ちた難癖に等しいが、私にも「権威」を認定される時期もあったようだ(呵呵)。
カ氏はプライムニュースの熱心な視聴者らしく度々他のテーナでも言及しているから、よく確認したらよい。何時もの流儀でソクラテス流儀の空とぼけ(‘εἰρωνεία’)にもみえないが。
185~189の「クズ投稿」への対応はカ氏の反論を受けてから。
因みに、私は、カロリーネさんが、憲法9条修正案取り纏めに際しての芦田均の役割に関連して、「権限」や「授権規範」といった専門用語を一知半解で用いていたことを指摘したのであり、BSフジの「プライムニュース」における石川健治・東大教授と百地章・日大名誉教授の遣り取りのことを指摘したわけではありません。また、小松一郎・前内閣法制局長官の学歴についての私のコメントは、外務省入省時における最終学歴が「大卒」としてではなく「高卒」として扱われるという趣旨を述べたものであり、実際に小松氏が一橋大学で学んだ事実自体を否定するものではありません。
【日本では、左翼系マスコミが強かったから、中国と北朝鮮のいいことしか報道せず、毛沢東さんは、日本の政治家と違って、あたかも偉大な政治指導者のように報道されていた】――というのは一面の真実である。
「朝日」(特に系列の週刊誌「朝日ジャーナル」)や出版界にその傾向が強かったことは、一応は歴史的事実だ。文化大革命に対する過大で莫迦げた評価も同じだ。
しかし、メディアのすべて、知識人の大半がそうであって、一般の読者を著しくミスリードしたというのは、当時の内外の政治はもとより、社会経済状況、西欧の先端思想の実情をほとんど知らない「無学の老媼」カ氏の憐むべき知的水準の程度を如実に示すもので、京大や東大に仮令合格したとしても、「落伍者扱い」の劣等学生に甘んじざるを得なかったであろう。
もっとも、学問ではなく卒業者の人的ネットワークが魅力で東大、京大を目指す向きもあるから、それもまた一つの「目的合理的」選択であることを否定しないが。腐っても鯛の譬えがあるように、世の「学歴信仰」は根が深いからだ。
問題は受験した学科に見合った偏差値不足か、試験当日の体調か、試験問題の内容がカ氏の不得意分野ばかりだったのか、それとも思いもよらぬ採点ミスで不当に不合格となったのか、いずれかは今になっては確認しようもないが、結局、落ちた。現在の「悲惨な」程度から合理的に類推する限り、学力不足だっのであろう。
当時の国立大は受験科目数が多く、科目の得意不得意では合格不合格に無視できない影響を及ぼす有意味な格差はつかなかったろうから。つまり、大した受験勉強をしなくても、日頃の、平常時の学力がそこそこあれば、合格できたのが国立大学だということだ。
私の当時の関心は、専ら外国文学と哲学書の読書、仏教美術で(岩波書店『奈良六大寺大観』の刊行開始は1968年)、あるアイドル歌手の熱心なファンだった。
受験とはその程度のものだ。不合格になる懸念は全くなかったが、恐らく運も良かったのであろう。落とし穴の掘られた平原を知らずに歩いていたようなものと、ある事情通からのちに評されたが、私の目的は哲学、特にギリシア哲学で、それ以外は眼中になかったから、そんなものかと思った。科目数の多さから、なんらか不測の事情で「桜散る」が起こる蓋然性は少なかったはずだ。
閑話休題。【あの頃は、日本のマスコミ報道をナイーブに信じていた】単純なカ氏とは年齢こそ数年違いなのだろうが、同時代を生きていた割には、【日本のマスコミにばかり接して】いても随分違う。サルトルにも逆上せ上がらず、文化大革命の欺瞞も共産圏の惨状も当然、知っていたから、それをもって【国際感覚が欠如してしまう典型的な例】とするのは、カ氏限定であろう。
カ氏はナイーブすぎる。だから、現実を見失う。「現実という構造」と言い換えるべきかもしれない。本代をケチるからだろう。私が中学から定期購読していたのは米国のグラフ誌“ライフ”だけだ。
しかし、165の【その思想を元に、学生運動が起こり】はとんでもない事実誤認、歴史認識の致命的錯誤であって、震源の一つ、フランス全土を混乱の渦に巻き込んだ五月危機、いわゆる「五月革命」の主導者には正統的な左派(orthodoxe)であるマルクス主義者は少なく、むしろ既成の権力や権威、秩序への異議申し立ての精神運動の側面が濃厚だったように。
運動に理解を示した知識人の代表であるサルトルも、運動の「理論的支柱」の役割を果たしたアルチュセール(Althusser, Louis)も、ともにマルクス主義者だが教条的思想家ではなく、目指した変革の方向も党主導の政治主義的な路線ではない。それが伝播した欧米各国も日本も同時多発的現象だった。カ氏が主張するような中国や北朝鮮をバラ色に描いたメディアの偏向の影響など現象を表面的になぞっただけの一面的理解にすぎない。
時代の転換点に生きた知識人が大衆を巻き込んで起こした「政治の季節」であって、メディアがそれに寄り添って盛んに報じたのはメディア自体の「心情左翼的偏向」があったとしても、叛乱が注目を集め、高揚感のなかで時代のファッションとなり「造反有理」が話題となって商業ベースでも注目される現象だったからで、政治思想的誘導を狙って、ソ連や東欧の共産主義政権、中共政府、北朝鮮支持を意図したものではない。「時代の熱気」と添い寝したのだろう。
スターリン批判や「プラハの春」にも明らかなように、共産主義国家の矛盾や綻びは、既に知識人レベルはもとより、注意深くニュースを追えば、東側や中朝で起きていることは既に一般読者にも明らかだったからだ。
そうした「政治の季節」という時代の空気を敏感に感じ取る感性も知性も欠いていたのがカ氏の実態ではないのか。マルクス主義も一様ではない。
【フロイト、アドルノ……1970年代に大変有名……あれから、何年】は思想を流行現象でしか見ないカ氏の「無学」の証明。
フロイトの影響力は今なおマルクスと双璧。[完]
9月までは、合格圏内にいたのである。けれども、合唱部が全国大会に出場して、金賞をとり、祝賀行事があり、他の部活のみんなが勉強をしている時に、できなくて、1月の試験は最悪、でも先輩で、合唱部から東大の理Ⅲに入学した人がおられて、合唱部の友人が、勉強法、手紙に書いてもらってあげる、と言ってくれて、いただいた手紙のとおりしようと思ったが、やはり、頭の違いなのか、体力の違いなのか、男性と女性の違いなのかわからないが、1月は、なんとかこなせたが、2月に一日16時間勉強する、ということができなかった。そこまで毎日勉強だけに集中ができない。そういう集中力のある方だから、東大の理Ⅲも受かり、医師としても成功されているのだと思う。けれどあの時代、現役で国公立大学の医学部に合格できた人は数えるぐらいだった。ほとんどの人が一浪して合格している。
今、事情通にきくと、昔は、灘の生徒の東大法学部と東大医学部への人気が高かったが、今は、マスコミのキャリア官僚バッシングのせいで、東大法学部の人気は下がり、東大以外の大学も含めた医学部の人気が上がっている、そうである。いくら医療が向上しても、人は死ぬときは死ぬ、という現実がよくわかった私は、優秀な人材が、キャリア官僚にならないと、日本は困るのではないのか、と本当に危惧する。
マスコミの人びとは、もう少し、まともに社会が見られないものなのだろうか。
まず、【私の育ちが「中流階級より下の学識のない育ちである。」という反氏の主観的憶測……そのような嘘を私が否定しないから…なんども……書くのだろう。新聞記者というのは、そういう職業……?】について。
私は別に「主観的憶測」で立論している訳ではない。そうする興味も動機もない。ただ、カ氏が明晰に自覚していないカ氏の心的傾向、性向(Neigung=‘ἡ αὐτὴ φύσις’)を、政治学的に、理念的に分析している。相当の普遍妥当性(Allgemeingültigkeit)、即ち客観性(Objektivität)があるということだ。
政治意識の社会心理学的分析によれば、本欄におけるような、誤謬を頬被りして、敢えて「立論のための立論」を行うカ氏の極めて特異な心性=デマゴーグ体質は、「慷慨型」(indignants)と政治学者が呼んだ心的傾向=【近代の内面志向型が大衆世界に適応しえず、フラストレーションに陥り、それを異常な道徳的公憤というスタイルで、その攻撃性と憎悪の情動を政治に投射するタイプ】に相当する、という趣旨である。
それが、カ氏が反撥を覚えるような【異常な公憤、病的な不安懊悩、そねみ、憎悪などをもち、彼らの放出する政治的エネルギーは極めて高く、かつてドイツの下層中産階級によく見られた、政治に対する憎悪は底なしで、ナチズムの破壊的エネルギーの主要な根源となった】と言うべき性情が透けて見える、と分析している。
一定水準以上の知性をもつなら説明不要だろうが、それは、具体的にカ氏がかつてナチスに積極的と消極的とを問わず加担した第三帝国の民衆と似通った性向が観察されるということであって、カ氏の出自がより上の階層であることと何ら矛盾しない。
同様に、現代においていかに民主主義を機能させるかという課題に向き合った米国の政治学者のリプセット(S. M. Lipset)が‘‘Political Man.’’(1960年。邦訳『政治の中の人間』)の中で示した視点、つまり過激主義運動に関して言及して、その心的要因を「不満をもった者や心理的に家庭をもたない者、人間としての失敗者、社会的に孤立している者、経済的に不安定な者、教育のない者、理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者」(邦訳194頁)としているのと共通する、鬱勃とした焦慮が、カ氏の一連の見境のない自己目的化した投稿にも透けて見えるということだ。
過激な言辞(ナチス思想の同調者呼ばわり)を論争相手に投げつけることを厭わないカ氏に相当程度当てはまるのは、【不満をもった者、理論をもたない者、及び社会のあらゆる地位の権威主義者】という「診断」である。
これも、米国留学経験を有する配偶者をもち、社会常識的に経済的に安定した境遇にありながら、メディアに対する極端な誇大妄想的な憎悪心や攻撃性は尋常の域を越えており、現状に対する鬱屈とした、容易に解消されない不平不満がある証左だろう。
【嘘を私が否定しないからといって、なんどもなんども書く】というのは、普通以上に気位が高く、メンツにこだわるカ氏が、批判的な指摘に首尾よく反撃できず、投稿のたびにミスを繰り返す自らの失態や、それを仮借なく指摘する相手に、前者ならもどかしさと苛立たしさ、後者ならこみ上げる怒りを募らせて、自らの窮状を如何ともできずに自他に向ける激情(朝鮮の民なら「恨」と呼ぶ心的な負のエネルギー)の放出こそ、カ氏の投稿を通じて観察できる明らかな傾向だ。
学歴や社会的地位、収入、主観的幸福度は関係ないのである。
マルクス云々の話は歴史上の「事実」であって、この亡命したユダヤ人経済学者のユダヤ教と親和性のある救済史観的革命思想が、結果的に当人の想定をはるかに超えて資本主義の後進国ロシアで社会主義革命政権を誕生させ、その社会実験的な急進的改革が過誤に満ちた曲折を経て結局、冷戦の終結とともに一応の決着を見たかにみえて、実はもう一つの巨大な強権主義的体質をもつもう一つの革命国家である中国で命脈を保ち、今なお歴史的な帰結をみていないのは、単なる文士で「人畜無害」なゲーテを遥かに上回る歴史的規制力をもち、今なお生命力を失っていない証左で、西欧の思想的文脈でも、圧倒的な「事実」なのであって、価値判断とは別に承認しなければならない。
それは「仮想現実」でもなんでなく争う余地のない「現実」であって、西欧の社会民主主義的改良政策も混合経済もマルクスによって影響を受けたさまざま思想的水脈の帰結ということだ。
事実と価値、存在と当為=実在と価値の峻別と二元論的な緊張に耐えることが本来のロゴス的思考だとすれば、両者の混同または未分明は、価値的認識(言明)と事実認識(言明)、即ち評価と認識との区別に無頓着な発想法(古代人と小児に顕著)、素朴な思考法に外ならない。
カ氏には了解不能な両者の認識論的地位の異同の識別こそ、特に学問的においては最低条件である。[完]
私のどこが、不満をもった者や心理的に家庭をもたない者、人間としての失敗者、社会的に孤立している者、経済的に不安定な者、教育のない者、理論をもたない者なのかよくわからない。私は、現状にほぼ満足しているから、マスコミの力を借りて、おかしな勢力が権力をもつのを阻止したいのである。戦前の日本がそうであったように。
ゲーテは文化の違いを認めた上で、自国の文化に誇りをもちながら、協調することを促し、地域社会では、危機にあたっての民衆の協力の大切さを説いている。私はその思想こそが、EU、ヨーロッパの統合の精神そのものだと考えているし、その人を単なる文士で「人畜無害」なゲーテである、とあくまでも主張される反氏の主張もよくわからない。
暇を持て余した齢70近い気儘なカ氏の書き込み、即ち、
【ベルサイユ条約に憤るミュンヘンの人々に、その彼(ヒトラー=筆者註)の主張が……受け入れられ……賛同を得る……私も住んだが、よそ者をすぐに受け入れ…ビールなどを飲んで一緒に踊ると、一体感を感じ…楽しくなる……条約に不満を抱く…人々が、ビールの影響もあり、天才的に弁論の上手なヒトラーと一体感を感じ、巧みに騙されてしまった結果、ヒトラーが同調者を増やした】。
何気なく飛び出した軽弾みな冗語は案外、意味深長だ、と(11月11日・52=「韓国大法院判決…」」の項)。
「ビールの影響」とは、如何にも浅慮なカ氏らしい軽口だが、その際、まずは、ホルクハイマー、アドルノ共著『啓蒙の弁証法――哲学的断想』(Max Horkheimer und Theodor W. Adorno; “Dialektik der Aufklärung:Philosophische Fragmente.”, 1947年)の最終章「手記と草案」(“Aufzeichnugen und Entwünfe”)の冒頭にある、「消息通に抗して」(‘Gegen Bescheidwissen’)を引用した。即ち、
‘…Hitler war gegen den Geist und widermenschlich. Es gibt aber auch einem Geist, der widermenschlich ist: sein Merkmal ist wohlorientierte Überlegenheit.’= 「…ヒトラーは知性(Geist)に反し、反人間的であった。しかし反人間的な知性というものもある。我こそは卓越した事情通、というのが、その目印しなのだ。」(引用はMax Horkheimer Gesammelte Schriften., Bd. 5, “Dialektik der Aufklärung und Schriften 1940~1950.”, 1987., p. 239、徳永恂訳、333頁、1990年、岩波書店)
それは、ドイツを「第二の祖国」とするカ氏の、ドイツ人の口真似をしたような感のある如何にも独りよがりな、そしてドイツ人(民族)以外には容易には首肯しかねる見解への違和感だ。
‘einem Geist, der widermenschlich’、「反人間的な知性」とする以上、いかに唾棄すべき異様なパーソナリティだったとしても、ヒトラーという単なる異常性格者である犯罪者によって第三帝国が占拠、聾断され、正統な政治的意思の決定が不可能だったという、ドイツ人には都合のいい、見え透いた弁明は、ナチズムに関する多くの証言と研究からみて虚構(μῦθος)にすぎない。
ヒトラーは比類ない怪物だったとしても、立論は論理的に破綻した物語思考にすぎない。
ドイツ人が、ドイツ国内ではないポーランドの寒村での例外的な出来事として忘れたい絶滅収容所、アウシュヴィッツでの凄惨極まる実態、つまり【ユダヤ人をベルトコンベアー式に工業的に計画的に生真面目に最終処分=行政機構を通じての大量殺戮して、膨大な記録を残す】という凄まじい官僚主義と日常性の同居は、同じように膨大な記録を残した東独のシュタージ(Stasi=Staatsicherheitsdienst, 国家保安省[国家秘密警察])と同根の国民性で、共産主義政権によって支配された東独固有の問題に限局化、矮小化可能な水準と規模を、遥かに超越している。
しかし、カ氏の投稿も反論も批判も常にご都合主義で、姑息な論点ずらしと頬被りで、専ら誇大妄想的なメディア攻撃と、十把ひと絡げの左翼批判(マルクス主義も一様ではなく、みな共産党支持ではない)を、壊れた蓄音機のように繰り返す老デマゴーグ(δημαγωγὸς, δημαγωγίας)さらがらのプロパガンダに狂奔する。
あまつさえ、ヒトラーとアドルノを並べて両者が「民主主義の敵」であるとの、支離滅裂の排撃的思考、プロパガンダに転じるという、驚天動地の粗野極まる妄説を撒き散らす。
カ氏の論理に網の目はいかにも粗く、それを証拠だてる資料も専ら日本版Wikipediaのコピペと中等教育レベルの常識、「哲学音痴」のゲーテの素朴な汎知学的世界観の裏返しである陳腐な「常識の哲学」に終始する。
その致命的な一面性は、一時的であれナチスの文化政策にドイツの閉塞状況を打破する積極的な意義を見出し、ヒトラーに建策する意向さえあった国家社会主義の加担者ハイデガーを、アドルノが厳しく批判したことに対して、ハイデガーの弟子で恋人であったアーレントがヤスパース宛書簡の中で批判した箇所のみ取り上げたWikipedia記述者の悪意を真に受け(姑息に利用して)、同じアーレントが同じ相手に師を「潜在的な殺人者」と呼んで憚らなかった事情などお構いなしのご気楽さだ(E. Ettinger, “Hannah Arendt/Mattin Heidegger”, 1995, Yale Univ. Pr., New Heaven.)。
「投稿のための投稿である」反論を急ぐあまり、立論が如何にも粗雑で混乱した文章と相まって、ほとんど粗製乱造の「クズ投稿」の観を呈しており、そのひどさが最近際立っている。
その逃げ口上が、まさに200【ここは、なにをコメントする場、なのか、と思う…】である。
稚拙な一人語りの見え透いた「田舎芝居」さながらの粗雑な論理と粗野で粗末な措辞は、とても教養ある女性の仕業とは思えず、夥しい誤謬、誤記と無知と無恥は、とても「学識」などと呼べる水準には達していない俗説そのものを、臆面もなく振れ回る(δημηγορεῖν)に等しい。
ドイツ人の隠れた本音として覆い難い固有の歪んだ‘ethnocentrism’(自民族中心主義)も‘chauvinism’ (盲目的自己集団中心主義)も、戦争の記憶が遠のきEUでの地歩を確固として以来、臆面もなく噴き出してきたのが難民受け入れをめぐって国論が揺れる現象面の底流で蠢くドイツ人の剥き出しの本音であるというのが、現下の彼の国の実情だろう。
ナチスの未曾有の犯罪をすべてヒトラーと周囲の犯罪者集団の仕業とし、さらにそれを他の戦争犯罪と比較可能な「相対化」できる水準に貶め、矮小化するドイツの保守派の剥き出しの論理(ヴァイツゼッカー演説の背景)にも、それは脈々と息づいている。
ドイツが東に向かって動く時、明らかな西側自由主義陣営への裏切り行為であるヴェルサイユ条約違反の「ラッパロ条約」(1922年)でも、「独ソ友好条約」(1939年=外務次官として条約締結をとりまとめたのが、ヴァイツゼッカー元大統領の父)でも、西欧諸国に衝撃を与えたように、ロシアとの天然ガスパイプライン計画は今後の潜在的な攪乱要因となる可能性もある。ドイツは他の国以上に国益に執着し、巧妙に動く国家であって、大統領演説の美名(κάλλος)と宗教的装飾をナイーヴに称賛するカ氏のドイツ観は幼稚園児さながらだ。
昨今、翻訳が出てよく取り上げられる「トゥキディデスの罠」(‘The Thucydides Trap’=米国の政治学者Graham T. Allisonの造語)。トゥーキュディデースが説いた人間性の真実は、変わらないようだ。[完]
ユダヤ人を標的に猖獗を極め、史上幾度も繰り返された残虐行為「ポグロム」とホロコーストを同一視して疑う気配もない「無学の老媼」。そこにあるのは、「無学」ゆえに越えられない認識の壁だろうか。
‘…jede Operation eine Vivisektion. Es entstünde der Verdachte, daß wir uns zu den Menschen, ja zur Kreatur überhaupt, nicht anders verhielten als zu uns selbst nach überstandener Operation, blind gegen die Qual. Der Raum, der uns von anderen trennt, bedeutete für die Erkenntnis dasselbe wie die Zeit zwischen uns und dem Leiden unserer eigenen Vergangenheit; die unüberwindbare Schranke. ……Verlust der Erinnerung als transzendentale Bedingung der Wissenschaft. Alle Verdinglichung ist ein Vergessen.’ (p. 262.)
「…手術はすべて一種の生体解剖なのだ。われわれは、手術を耐え抜いた後で自分自身に対して取るのと同じ態度、つまり苦痛に対して目をつぶる態度を、人間に対しても、いや生ある者すべてに対して取っているのではないか。そういう疑念が浮かんでくるだろう。われわれを他者からへだてる空間は、認識にとってはわれわれとわれわれ自身の過去の苦しみとの間にある時間と同じもの、つまり越えることのできない障壁(Schranke)、を意味するのではなかろうか。……科学の超越論的前提としての、記憶の喪失。あらゆる物象化(Verdinglichung)は忘却である。」
(“Dialektik der Aufklärung.”; “Aufzeichnugen und Entwünfe”から「進歩の代償」‘Le Prix du Progrès’=引用はM. Horkheimer Gesammelte Schriften., Bd. 5, 1987., 徳永恂訳、366頁)
‘Propaganda ist menschenfeindlich. Sie setzt voraus, daß der Grundsatz, Politik solle gemeinsamer Einsicht entspringen, bloß eine foçon de parler sei.’ (p. 262)= 「プロパガンダは人間に敵対する。政治は共通の理解に基づいて行われるべきだという原則など、単に口先(foçon de parler)だけのものにすぎない、ということである」
「記憶の喪失。あらゆる物象化は忘却」――いかに堪え難くとも、「美名」即ち綺麗ごとを語る前に銘記すべきことがある。
私が、ベルサイユ条約が不公正な条約なのではないか、とはじめて思ったのは、卒論で「マーラー」を取り上げた時である。彼の妻、アルマが、そう主張していた。そして年を経て、分別がつけばつくほど、この条約が、第二次世界大戦を引き起こしたのだ、と確信するようになった。反氏は、大恐慌は世界を同じように襲ったと主張されるが、英仏は、植民地をもち、ブロック経済を取れたのに対して、ドイツは、植民地を取り上げられた上に、英仏に賠償金まで払わなければならなかったのである。どれだけそこに住んでいた住民の生活を圧迫したか。第一次世界大戦前のドイツの植民地は、東ヨーロッパ、であったのである。ヒトラーの言葉は信ぴょう性があるからこそ、説得力をもち、ドイツ民衆はついていったのである。そのベルサイユ条約の内容を起草したクレマンソーを「冷徹な政治家」として尊敬するなどということは、「平和を構築する」という面から見た時、私にとっては、とても承服できない。米国大統領ウィルソンも反対したのではなかったのだろうか?
その本の中に、マーラーからアルマへの手紙、ミュンヘンから1910年6月に出した手紙が収録されている。その中にグスタフは、こう書いている。ソクラテスの演説を通じてプラトンは自分の哲学を開陳するのだが、これがいわゆる「プラトニックラブ」と誤解され、今日に至るまで幾世紀もの間の思想に影響を及ぼしてきている。これの本質的なものがゲーテの、すべての愛は生殖的で創造的であり、この”エロス”の放射であるところの肉体的、精神的な生殖が存在する、という理念なのだ。それは、「ファウスト」の最後の場面に象徴的に描かれている。・・・
「あのホテルでお会いした晩だけでは、あの9月12日が私に与えた感動がどれほど深かったかをお伝えすることができませんでした。たとえ些少でも感謝の意を表するのが、絶対の急務であるように思われまして本を一冊お納め願いたいと存じます。私の最新作を同封いたしました。私が受けたものからみればまことにつまらぬもので、現代における芸術を、そのもっとも深淵にして神聖な形で表現することのできるお方の手からみれば、鴻毛の軽さのものであります。まったくとるに足りません。・・・」。
私は、これを読んで、「ベニスに死す」を読んだのである。マンが、謙譲の表現として、こういう表現しているのだと思って本を買って読んだが、読後の感想は、マーラーの第8番と比べて、ゲーテの「ファウスト」と比べて、トーマス・マンが表現しているとおりの作品だと思った。私も年を取っているので、長年確信していることに修正をきかせるのが難しい。
この前ウィーンに行った時、オペラの演目の休憩中、マーラーの胸像を探し、ウィーンの大通りマーラー通りを歩き、たくさん写真を撮った。そして、Klassiker 本物の芸術家、はその時代の政治指導者によって、一度は抹殺されても、その思想や作品を受け継いでくれる人々の手によってもう一度再起するのだな、と嬉しかった。
(参考文献 マーラー 愛と苦悩の回想 音楽の友社)
その理由は、例えば作成時のクレマンソーのドイツ人への主観的な見方「ドイツ人というものは威嚇以外には何も理解しないし、また理解もできない。交渉にあたっては情け容赦も仮借もない、有利とみればすかさずつけ込んでくるし、利益のためにはどんな下劣なことでも敢えてする、彼には名誉も誇りも慈悲もない。だから人はけっして、ドイツ人と交渉したり、懐柔しようとしたりしてはならない。ドイツ人にはただ命令しなければならない。それ以外の条件ではドイツ人は人を尊敬しないし、また彼らに人を欺かせないようにすることはできないであろう」から作り上げられた「ベルサイユ条約」、これも反氏と共通するが、ドイツ人には、隠れた本音として覆い難い固有の歪んだ‘ethnocentrism’(自民族中心主義)も‘chauvinism’ (盲目的自己集団中心主義)がある、という考え方である。
日本では、右翼というと、なんとなく、天皇崇拝、軍国主義のイメージ、左翼というと知的で平和的なイメージであるが、ナチスドイツは、共和国である。民主的な選挙によってヒトラーが政治指導者として選ばれているのである。また、ソ連のアフガン侵攻にもみられるように、社会主義国家は、平和主義の国でもない。それで私は、ずっともやもやしていたが、そのもやもやしたものが、芦田均さんの「新憲法解釈」を読んでですっきりしたのである。右翼、ナチスとファシスト、もちろん日本の戦前の軍国主義も含むが、その世界観は、優秀な民族による劣等民族の指導、であり、左翼、ソ連の政治の背景にある共産主義は、国境も階級もなき労働者の「一つの世界」を理想として描いている、が実際は、両者とも、ドイツや日本やソ連の政治権力者の軍事行動も伴う覇権主義の隠れ蓑にすぎない。また、天皇は、あくまでも、その行動を正当化させる権威づけに使われているにすぎない。その本質が、戦後の日本の知識人にはわからなかったから、ガラパゴス化してしまったのではないのだろうか?
あとの一つがアングロサクソンの今日共通な理念、民主主義による国際協調と国家平等の原則を基調としたもので、その理念で、日米合作の形で、日本国憲法が作り上げられているのである。
4楽章の歌詞の冒頭には、これは拙訳であるが、こうある。
真の友になりたいと思っていた人に真の友として受け入れられるという難事に成功した者、典雅な女性を自分のものにした者も、歓声を共にあげよ。
そうだ、それが俗世間の一つの魂であっても。
そして、全くこれらのことができなかった者は、その輪から立ち去れ。
つまり、シラーとベートーヴェンは、慣習が厳しく分かつ、(これは民族や階級や宗教をさしているのだと思うが)すべての人々を再び兄弟にするが、前項のことができなかった者は輪から立ち去れ、と主張しているのである。このような第9の思想が、日本人に合うから、宗教や文化の違う日本で、この第9が異常とも思われるほど、人気が高いのだ、と40年ほど前、大阪のドイツ文化センターのある授業で発表して、クラシック音楽好きのドイツ人教師に感銘を与えたが、要するに、この二人のドイツ人はある意味、個人の平等を基本とする民主主義による国際協調と国家平等の原則、を先取りしているのではないのだろうか?決して、覆い難い固有の歪んだ‘ethnocentrism’(自民族中心主義)や‘chauvinism’ (盲目的自己集団中心主義)の人びとではない。
人生経験を重ね、年齢相応の克己心(σωφροσύνη)、「七十而從心所欲、不踰矩」(『論語』為政第二)」という規矩を知る齢70近くにもなって、しかも、頼みの「第二の祖国」ドイツについても、「長い間ドイツ文化を勉強し、ドイツ文化の神髄を知る年長者のつとめ」(9月14日・23)とか、「50年間近くドイツ文化に慣れ親しんだ。…「継続は力なり」」(9月1日・18)と豪語する割には、これまでみてきたような体たらくだし、あれほど懸命に勉強し、今なお週刊誌Der Spiegelで健気に他愛無い「お勉強を」続けているのに、‘Allgemeine’を ‘Allgemaine’と誤記しすぐには気づかない粗忽者、「50年間ドイツ文化に親しみ、大学(入学)レベルのドイツ語力」が聴いて呆れる。
というかこの惨状だから、目も当てられない。誠に憐れむべき知的退嬰であり、それもまた身から出たサビであって、私の関知するところではない。ドイツ語の方も錆(サビ)ついているのであろう。つける薬はない、ということだ。
いずれにしても、50年もかけて詰めんだ雑識が余程大事なのだろう。莫迦莫迦しさを通り越して、「老害」としか言いようがない。精々、長生きされて後生大事に迷妄の夢に浸っていたらいい。
「長年いろんな資料も読み、意見も交換し、考えた結果」がこのありさまでは、相手にしようがないが、浅ましく売り言葉に買い言葉式に私をカ氏並みの老人にされても困る。
閑話休題。問題は古今未曾有の民族単位でのユダヤ人大量虐殺、悪名高き、わが大日本帝国陸軍でさえも計画も実施もしなかった、身の毛のよだつ最終解決「‘‘Final Solution’’」への対応を含むドイツ人の自己認識にかかわる問題で、カ氏も例外ではない。
相変わらずこの種の問題では、知的な退嬰と怯懦ぶりが際立つカ氏は、お決まりのパターンで条件反射的に反撥する以外は頬被りで、戦後、連合軍によって次々と暴かれるナチスの蛮行の事実に「人々は息を呑み、立ちすくみ、声を挙げられなかった」(ドイツ思想研究者の三島憲一氏)という、どんな説明をしても絶滅収容所で行われた重すぎる事実に沈黙を強いられるしかなかった事態を相変わらず直視できないようだ。
ヴェルサイユ条約での過酷な賠償金支払いや、ヒトラーとナチス、厭戦気分が大きかった西欧諸国の宥和政策に転嫁するお決まりの、あまりにも身勝手なドイツ的「弁明」に終始する。それしか能がないし、知的な誠実さなど、微塵もない。
それだけ、ドイツの戦後史は過去の取り返しのつかない「罪業」との対峙と居直りが交錯する歴史であり、大統領演説の翌1986年に始まった「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争が、ドイツの戦後史を一貫する「非ナチ化」の根底に潜む問題の所在を炙り出したことは周知の事実だ。
しかし、ヴァイツゼッカーの口真似をして、「人間が何をしでかしかねないか…」と語っても、所詮他人事のような口ぶりだ。
ヴァイツゼッカー演説は結局、最後になって窮すると信仰に逃げ込むご気楽さだ。例えば、
「心に刻むというのは、歴史における神のみ(御)業を目のあたりに経験することであります。これこそが救いの信仰の源であります。この経験こそ希望を生み、救いの信仰、断ち裂かれたものが再び一体となることへの信仰、和解への信仰を生みだすのであります。」(引用は永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説―』)
逃げ場を失い苦しくなると神を持ち出すキリスト教徒の悪癖だろう。所詮は政治家であり、抜け目なく国益を保守する政治家の常として、偽善は不可避だからだ。
どんなに言い繕ってもこの点ではヒトラーの方が一枚上手のようで、アドルノの次のような観察はドイツの民衆の心性を容赦なく見抜いて余すところなく正鵠を射ている。
やや長いが、『啓蒙の弁証法』の第5章「反ユダヤ主義の諸要素――啓蒙の限界」を引く。即ち、
‘Die Arisierung des jüdischen Eigentums, die ohnehim meist den Oberen zugute kam, hat den Massen im Dritten Reich kaum größeren Segen gebracht als den Kosaken die almselige Beute, die sie ausden gebrandschatzten Judenvierteln mitschleppten. Der reale Vorteil war halbdurchschaute Ideologie. Daß die Demonstration seiner ökonomischen Vergeblichkeit die Auziehungskraft des völkishen Heilmittels eher steigert als mildert, weist auf seine wahre Natur: es hilft nicht den Menschen, sondern ihrem Drang nach Vernichtung. Der eigentliche Gewinn, auf den der Volksgenosse rechnet, ist die Sanktionierung seiner Wut durchs Kollektiv. Je weniger sonst herauskommt, um so verstockter hält man sich wider die bessere Erkenntnis an die Bewegung.’(引用続く)
一個の「反人間的な知性」(‘einem Geist, der widermenschlich’)であるヒトラーの認識(「人間に潜む絶滅への衝動」)の方が、民族の共同防衛という「共同幻想」の物語(μῦθος)思考を振り撒く、偽善家の割には「凡庸」な大統領より、ある意味「一枚上手」ということだ。
彼は血に飢えたドイツの民衆の心を見透かしていた。そうした性向の表徴はそれ以前にもあったし、今後も恐らく消滅したりはしない。第一次大戦以前に、ドイツの教養市民層に向けられた民衆の憎悪にも通底する、政治的負のエネルギーがそこには渦巻いている。
「呪術から解放された世界」(die entzauberte Welt)に生きていながら、「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでいくのか」という、文明の進展自体が野蛮への退行にも繋がる、という危機意識をユダヤ人大量虐殺にみている。単にドイツ人(民族)の罪責だけではない根深い含意があるということだ。一言で言えば、呪術からの解放が工業化された虐殺に「退行」する衝撃だ。
それは今日でも確認できる。例えば、ドローン兵器による衛星を使ったピンポイント攻撃は、米兵の人命最優先という要請と現代テクノロジーの結合の精華なのであって、人命尊重という、戦争否定の最大の根拠である強固な民主義的価値観(ヒューマニズム)徹底の彼方にある、近代的野蛮の一表徴なのだ。
それだからと言って、それはけっしてナチスの比類なき蛮行を「相対化」しないが、問題の根は深い。
そして、そうした事態に無頓着で、マーラーと妻アルマに関するご気楽な挿話でお茶を濁しているカ氏のような御仁にこそ向けられているのが、アドルノの人口に膾炙した惹句「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(「文化批判と社会」=『プリズメン』所収、ちくま学芸文庫36頁)に込めたアドルノの本意で、それ以上でも以下でもない。
それは、プラトンが代表作『国家』(第10巻1~8章)の中で、詩歌、演劇に関する徹底した考察を行い、音楽を含め所詮は実体の模倣、つまり描写(μίμησις)に基づく創作(ποίησις)である活動ついて、それが作り出すものが「実在(ἰδέα)から遠ざかること第三の序列にあり」(497E)、詩人(作家)は自分が真似て描くものごとについて、真の知識をもたないことを挙げているのに相応する。
詩作(ποίησις)を代表とする創作活動一般における感情的効果も、真似(描写)としての作品が「魂の劣った部分に働きかけるもの」であり、ロゴスの活動である哲学と比べて、あくまで「二義的」「派生的」なものだからだ。
文学や音楽は人生の楽しみ、慰めであり、嗜みとして人間活動を豊かに彩りはするが、真理を直接的に開示するものではない、ということだ。
無論、世の中を変革する規制力などもたない。その装飾的言辞、幻想(φάντασμα)を提供するだけだ。
211~213のような幼稚園児並みの「国際協調」という美名によりかかったナイーヴな認識に漂う★鈍で凡庸かつ陳腐で退屈極まる「物語思考」が、宮澤俊義の欺瞞に満ちた「八月革命説」や、中世スコラ哲学者のシトー会修道士、クレルヴォーのベルナール(Bernardus Clairvaux, 1090~1153)の神学的自由論(人間存在を自由の「三層構造」とみる)に似た自由の「三層構造」を憲法九条に読み込む石川健治東大教授の思弁性にも劣るのは明白だろう。
そこには学識者二人にある虚偽性の認識はもとより、人間と政治を見極める苦い認識も、「平和の代償」への透徹した視点も皆無だからだ。[完]
‘μὴ ὑψηλὰ φρόνει, ἀλλὰ φοβοῦ. ’ (Προς Ρωμαιους, XI, 20)
217の冒頭部、“Dialektik der Aufklärung.”; “Elemente des Antisemitisums―Grenzen der Aufklärung”からの下記の引用部分(216の続き)が脱落したので、追加します。
(承認3)‘Gegen das Argument mangelnder Rentabilität hat sich der Antisemitisums immun gezeigt. Für das Volk ist er ein Luxus.’(“Dialektik der Aufklärung.”; “Elemente des Antisemitisums―Grenzen der Aufklärung”, M. Horkheimer Gesammelte Schriften., Bd. 5, 1987., p. 199.)
「良識の人」、という評価であった。とにかく学識がない、無学なのはどちらなのか、読者にはよく考えていただきたい。
「無学の老媼」カ氏が221で【私に学識がないというのは、ほとんどがタイプミス……瞬時に訂正できない、ということから由来】と訳の分からない、錯乱した論理を展開している。
誤謬の指摘に頬被りして、しばらくしてほとぼりが冷めると繰り返すいつもの悪癖。タイプミスというのは立派な「学識」がある人物でも、カ氏ほど夥しく頻繁ではないとしても、ままある事例であり、学識の有無とは一応別の話だ。しかし、カ氏の場合は、単なる誤記、誤用にとどまらす、事実認識の誤謬、読解の不備、立論の論理的誤謬など間違いだらけで、しかもほとんど訂正しない性悪の厚顔無恥だから、どの口から如上のような途方もない、人格を疑いたくなるような無謀な強弁をする気になったのか気が知れない。いい歳をして、恥を知ればよい。自制心の欠片もなく、醜悪極まる。
ドイツを「第二の祖国」とするカ氏にも、ドイツ的な独善性、しかも民衆レベルの粗野な偏狭性が否定しがたい。歴史上長らく「後進国」の地位にあった国民性が影響しているのだろう。
フランス語でドイツを長らく複数形で‘Les Allemagnes’と侮蔑的に呼んだが、‘C’est de l’allemande pour moi.’(「私にはチンプンカンプンだ」)という言い方がある通り、夷狄(βάρβαροι)であるカ氏の見苦しい言い訳は、何が何だかさっぱり、理解しかねる。
スラブ系諸言語でドイツ人のことを「ニエミエツ」(Niemiec)と称する(ドイツ語はニエミエキ=Niemiecki)で、「しゃべらない人」という意味。ドイツ人は異質な人種とみられていたようだ。
スラブ地域にも、アシュケナージ系ユダヤ人が住んでいて、スラブ社会とドイツを仲介する役割を果たしていた。18世紀当時、国際的商業言語だったドイツ語は普及しておらず、ドイツ語と近いユダヤ人言語イディッシュ[語](ייִדיש、独Jiddisch、英Yiddish)で仲介した。
カ氏同様、話が通じない人々だったようだ。
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