米朝首脳会談が2月末に開催されるかもしれないという。その時期は、日韓関係にとっても一つの山になりそうだ。というのは、韓国が、3・1独立運動100周年を、3月1日に迎えるからだ。すでにムンジェイン(文在寅)大統領は、昨年の早い段階で、北朝鮮と協力して、祝賀行事を行う計画を発表している。http://korea.net/NewsFocus/policies/view?articleId=161004
現在、日韓関係が最悪の状態にある。その背景に、元徴用工の問題やレーダー照射問題で、日本の軍国主義の復活をほのめかすような言説を韓国政府が繰り返していることがある。そこに、3・1独立運動100周年を盛り上げる、という「物語」構築の気運が働いていることは、否定できないのではないか。ムンジェイン政権にとって大きな意味を持つ日になるはずだ。
日本も準備が必要である。
韓国の憲法は、その前文で次のように謳っている。「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して・・・」
韓国には1919年3月1日から正統な政府があった、日本の植民地支配は歴史的にも否定されなければならない、という歴史観が、韓国憲法の権威を背景にして、元徴用工判決問題などにも大きく影響している。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58305 この「3・1運動」が、あと1か月強で100周年を迎えるのである。
3・1運動100周年記念日で盛り上がるだろう反日の気運に対して、日本は何を心がけ、準備しておくべきだろうか。
1. 国際社会に対して、日本が大人の対応をしていることを印象付ける対応を心がける
2. 韓国の反日気運を刺激せず、「物語」にからめとられて利用されないようにする
3. 現実の問題に連動する事実関係等については、明晰化する工夫をする
韓国が3.・1運動100周年で盛り上がっているときに、それを批判的に捉える論評をしてみたり、韓国を説得しようと試みたりするのは、無益だ。大人の対応をしていることを国際社会にアピールすることに専心するべきだ。たとえば、3・1独立運動に象徴される韓国民の民族愛を尊重し、弾圧された人々がいた不幸な歴史に哀しみの念を表明する態度をとることを基調とすべきだ。
しかしそれも日韓併合体制があったからなので、その法的効果自体は確立された事実として自明視する態度をとる必要がある。
不幸な歴史を乗り越えて共に前に歩むためには、現代国際法を遵守して友好関係を深めていくことが大切だ、という主張を出さなければならない。
日本の統治時代に韓国の利益になるような投資がたくさん行われた、と強調されることも多い。水掛け論にならないようにはしなければならない。ただし、あえて隠さなければいけないということではない。
たとえば日本の憲法学を例にとってみよう。日本の憲法学者が、戦前からの伝統を深く意識するのは、美濃部達吉「天皇機関説事件」の殉教者のイメージを身に着け続けたいためだけではない。東京大学法学部の石川健治教授は、京城帝国大学(現在のソウル大学)に集結し、最先端のドイツ法学の水準で議論をしていた、清宮四郎(石川教授の師である樋口陽一の師)、尾高朝雄、祖川武夫ら、「京城学派」の法学者について造詣が深い。3月1日にソウルに行って、「輝かしい京城帝国大学の栄光」というテーマで講演でもしていただいたらどうだろうか(刺激的すぎるか・・・)。
現在、日韓関係が最悪の状態にある。その背景に、元徴用工の問題やレーダー照射問題で、日本の軍国主義の復活をほのめかすような言説を韓国政府が繰り返していることがある。そこに、3・1独立運動100周年を盛り上げる、という「物語」構築の気運が働いていることは、否定できないのではないか。ムンジェイン政権にとって大きな意味を持つ日になるはずだ。
日本も準備が必要である。
韓国の憲法は、その前文で次のように謳っている。「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して・・・」
韓国には1919年3月1日から正統な政府があった、日本の植民地支配は歴史的にも否定されなければならない、という歴史観が、韓国憲法の権威を背景にして、元徴用工判決問題などにも大きく影響している。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58305 この「3・1運動」が、あと1か月強で100周年を迎えるのである。
3・1運動100周年記念日で盛り上がるだろう反日の気運に対して、日本は何を心がけ、準備しておくべきだろうか。
1. 国際社会に対して、日本が大人の対応をしていることを印象付ける対応を心がける
2. 韓国の反日気運を刺激せず、「物語」にからめとられて利用されないようにする
3. 現実の問題に連動する事実関係等については、明晰化する工夫をする
韓国が3.・1運動100周年で盛り上がっているときに、それを批判的に捉える論評をしてみたり、韓国を説得しようと試みたりするのは、無益だ。大人の対応をしていることを国際社会にアピールすることに専心するべきだ。たとえば、3・1独立運動に象徴される韓国民の民族愛を尊重し、弾圧された人々がいた不幸な歴史に哀しみの念を表明する態度をとることを基調とすべきだ。
しかしそれも日韓併合体制があったからなので、その法的効果自体は確立された事実として自明視する態度をとる必要がある。
不幸な歴史を乗り越えて共に前に歩むためには、現代国際法を遵守して友好関係を深めていくことが大切だ、という主張を出さなければならない。
日本の統治時代に韓国の利益になるような投資がたくさん行われた、と強調されることも多い。水掛け論にならないようにはしなければならない。ただし、あえて隠さなければいけないということではない。
たとえば日本の憲法学を例にとってみよう。日本の憲法学者が、戦前からの伝統を深く意識するのは、美濃部達吉「天皇機関説事件」の殉教者のイメージを身に着け続けたいためだけではない。東京大学法学部の石川健治教授は、京城帝国大学(現在のソウル大学)に集結し、最先端のドイツ法学の水準で議論をしていた、清宮四郎(石川教授の師である樋口陽一の師)、尾高朝雄、祖川武夫ら、「京城学派」の法学者について造詣が深い。3月1日にソウルに行って、「輝かしい京城帝国大学の栄光」というテーマで講演でもしていただいたらどうだろうか(刺激的すぎるか・・・)。
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という意味で、岸政権時代の学生の政治運動が「革命ごっこ」に終わったから、平和で繁栄した日本が築けたのであって、本当の「革命」が起きていたら、日本は北朝鮮のような国になっていたのである。そのことが、韓国の大統領、文在寅さんにわかっておられるのか、ということが問題なのであるが。
「革命」をすることが正しいのではない。革命は、「流血の惨事」を巻き起こす。日本は、「和をもって貴しとする。」の国なのだから、日本が平和で安定した自由な国でありつづけ、かつ、国際社会からも信頼され、敬愛される国であり続けるように、党派争いを政治家ではなくて、そういう現実的な能力をもつ国民の代表者を我々が選出し、「民主主義」と「国際協調」の手法で、日本という国の政治を引き継いでいかなければならないと思う。
齢70近くにもなって想像以上に知的に未成熟で、日本語の文章さえまともに解読できず、粗笨な(προπέτεια)解釈に基づき、愚にもつかない「ままごと投稿」に現を抜かしている。
西独留学の経験から、何を勘違いしたか分からないが、ともかく「転向」(περιαγωγή)したはずの「原理的護憲平和主義」の尻尾を引きずっているような、稚拙な作文だ。要約的な表現では、蜘蛛の巣が張ったような頭では了解できないらしい。
日本人の思想的脆弱性(ἀσθένεια)の典型(παράδειγμα)のようなカ氏の「だらけた」(δειλία)、しかも惰弱(μαλακία)な精神を見せつけられているようで、うんざりする。その割には、韓国批判だけは威勢がいい。
1960年の日米安全保障条約の改定時に起こった、所謂「60年安保闘争」は、実態は「闘争」と呼べるような代物ではなく、戦後を支えた偽善的な枠組み(憲法九条と日米同盟)と時代のムードが生み出した「お祭り騒ぎ」ようなものだ、という意味で、個人的な文章で私は「安保騒動」とか、「安保騒ぎ」と表現している。運動の指導者、丸山眞男流に言えば「虚妄」である。
彼らは「60年安保」を「革命騒擾」と軽侮(ὀλιγωρία)したが、日本で本当の「革命」(καινοτομία)が起こることを期待したり、革命の「可能性」を恐れて想像を逞しく、「夢想」したわけではない。
改定によって「米国の戦争に巻き込まれるのではないか」という国民の漠然たる不安感と平和への願いを承知はしても、平和を維持する戦略と手法についての同胞の政治的未熟さに失望していた。
それ以上に、戦後の革新陣営や進歩的(革新的)知識人の説く、憲法九条を楯とした「非武装中立論」や護憲ナショナリズム=反米主義を、「空理空論」として厳しく批判した。平和以上に重視したのは「自由」の比類ない価値だった。
「60年安保が烏合の衆のお祭り騒ぎであつた何よりの證據は、たつた一人の鬪士、樺美智子の死によつて終止符を打たれた事である。そんなものが何でナショナリズムのエネルギーなどと言へるものか。何もエネルギーなどといふ勿體振つた言葉を使はずに、ムードと言へば良いものを、ただそれに自己劇化の體裁を與へただけのことに過ぎないではないか。當時、私の一人の友人はこんな皮肉を言つてゐた、反體制といふ單なる氣分(ムード)の中にしかインテリの特權と身分保障を見出せなかつた連中の、他に何の共通の動機も目的もない運動が,餘想もし得なかつた「数のエネルギー」に發展してしまひ、行掛りの勢ひと人波の力で止ることも脱け出る事も出來なくなつた突撃行も、一人の同士の死によつて、しかもそれが女性であつたことが幸ひして、漸く引込みの切掛けが摑めたのではないか、と」(「近代日本知識人の典型淸水幾太郎を論ず」、『問ひ質したき事ども』100頁)
革命運動という「実戦」なら、「戦友の死」は復讐と戦意高揚につながり、一気に戦闘意欲が燃え盛るが、「追悼会」に矮小化され一気に幕切れを迎えたことは、「国民運動」という自己陶酔から醒めるためのお誂え向きの「儀式」ということになり、樺美智子はそれを粉飾するための「救いの女神」だったというわけだ。
当時の新聞社説などを読むと、進歩派の中に広がった「安保」への危機感は多分につくり出されたものだということが分かる。メディア、特に新聞は、煽ったというより、無定見に「はしゃいだ」という印象で、危機意識は驚くほど低い。
そこには、現在に続く、インテリの自己欺瞞がある。つまり、愚かな民衆=国民は「騙される」から、表立って口外できないが、安保改定など大した問題ではないが、取り敢えず政府を批判しておくに越したことはない、という商業ジャーナリズム特有の思い上がりだ。それでも、世論調査を見る限り、国民の大半は前年までは、文字通り「無関心」だった。
そして、福田に批判された清水の回想録『わが人生の断片』を読む限り、清水は醒めていて、けっして運動の主体となった既存の革新陣営や労組幹部、仲間の知識人、特に共産党を信じていないことが分かる。清水は全学連主流派の活動家に寄り添う述懐を残しているが、希望を託しているわけではなく、距離がある。丸山眞男のように、「戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける」ことは、文字通り、冗語に等しく、丸山の偽善を見逃さない。
岸信介は当初、安保改定を比較的容易に実現できると考えていた。「両岸」と称されたくらいの策士だから、成算はあった。状況を読む識見と力量は群を抜いていた。当初は、条約改定交渉に冷淡だった吉田茂の支持を取り付けてもいる。
私は以前、次のように書いた。「吉田に匹敵ないし凌駕する、戦後の新たな生き残り戦略を模索し、一切の感傷を排して貿易立国の基盤を外交と安全保障環境を調えることで確実なものにし、高度経済成長を通じて再び、戦前の五大国の水準には達しないまでも先進主要国の地位に復帰させる先導役を果たしたのは、カメレオンのような比類のないリアリスト、岸信介であろう」と(9月30日・196)。
東條内閣の一員として総力戦体制の中枢を担い、戦争指導力に限界をみせた最終局面で徹底して東條に抵抗して閣内不一致で内閣を倒した。敗戦後、A級戦犯として巣鴨の獄につくも、冷戦の激化ともに世界戦略を修正した米国の意図も手伝って独立回復後に政界に復帰し、実力者として保守合同の立役者となり、わずか五年で印綬を帯び首相となった人物。
首相在任は3年5カ月弱、政界復帰から8年3カ月、歴史の歯車に押し出されるように激動期を駆け抜けた。一貫した政治信条は反共主義で、礎石を置いた吉田茂が構想し得なかった条約改定を実現し、国際政治は所詮、勝者(νικᾶν)の論理、強者(κρείττων)の正義で動く世界とみて、狡知の限りを尽くした、一切の感傷とは最も遠い所にある。
冷戦という時代を読み、日米協調路線を手段として迷わず押し進め、戦後の新たな条件の下で、国益追求のため、政治目的を離れた「美名」(κάλλος)を必要としない姿勢は、かつて満州で革新官僚として大陸経営に辣腕をふるい、統制経済を推進したが果たさず挫折を余儀なくされたのとは別の形で戦後の再建を展望して国家改造を主導したが、かつての敵国と結び利用することに何の痛痒も感じない精神の強靭さは比類ない。
先が見えすぎる人物の習性だろう。
安保改定という為すべき仕事を果たして任期半ばで首相を辞した結果、政治課題の正面に掲げた憲法改正を果たさず終わるが、徹底したプラグマティストである「昭和の巨魁」にとって、それとて「ありうべき戦後」を構想する手段以上のものではなかった可能性もある。
引退後は政治の表舞台に登場せず、27年という長い晩年を生きた。その権謀術数ぶりから毀誉褒貶が絶えないが、米国の意を体する形で支持を取り付け、親米・反共路線を徹底して進めるという、凡庸な人物にはおよそあり得ない後半生だった。
そうした人物にとって、「挫折」の二文字は恐らく常人とは別の意味をもつのだろう。メディアの評価など歯牙にもかけまい。ただ、戦前同様、果実を楽しむ暇がなかったのを憾んだかもしれない。反共産主義の象徴的存在として、台湾や韓国の保守派に存在感を示したとしても。
そこには、上杉愼吉の勧めを断って官界に身を投じた稀代の秀才の一貫した初心があり、名誉栄達に恬淡だった特異なテクノクラートとして、統制経済を推進した姿と重なる。
辞世の句に「名にかえてこのみいくさ(御戦)の正しさを来世までも語り残さむ」と詠んだように、国際正義は勝者の正義という現実を、二様に生きた人生だった。[完]
☆余白に
岸信介と松岡洋右とは、岸の母佐藤茂世の弟松介の妻が松岡の妹で、佐藤本家を継いだ松介夫婦の娘寛子に迎えた養子が岸の弟佐藤栄作。岸にとって松岡は、母方の叔父の妻の兄。栄作にとって妻寛子の伯父。カ氏には間違いが多い。
はじめは、その運動は盛り上がらなかったが、デモをした全学連の学生たちとそれを報道するマスコミ、テレビ報道で盛り上がりを見せ始めた、とある。また、普通の日本国民の「安保反対」の理由は、「内容」ではなくて、岸政権の「強引さ」、要するに、昔も今も同じ、感情的な理由なのである。
私が朝鮮半島の「3.1.独立100周年」を危惧するのは、日本での60年安保でマスコミ報道の影響で、犠牲者を出すほど、デモが盛り上がり、普通の日本人の「反米」感情も盛り上がった、と同じように、或いは、もっと激しく、「3.1. 独立100周年」の記念行事によって、韓国人の「反日」あるいは「抗日」の気持ちが盛り上がるのではないか、と危惧するからである。このようなものは、自然に盛り上がるのではなくて、盛り上げて、それを「自分の政治闘争に利用したい人が、存在するから」盛り上がるのである。
ただ、愚かな民衆=国民は「騙される」から、表立って口外できないが、安保改定など大した問題ではないが、取り敢えず政府を批判しておくに越したことはない、という商業ジャーナリズム特有の思い上がりについて、元マスコミの人、として責任を感じないのだろうか?私は、ただの無学な主婦なのに、ほとんどの政治課題に対して、そういう傾向のある日本のマスコミをなんとかしたいと、頑張っているのに。また、この日本人の思想的脆弱性、という言葉は、丸山真男氏からの借用だと思うが、私は、日本人の思想が脆弱だ、などとは全く思っていない。相手の立場を考え、思想に柔軟性があるから、脆弱にみられ、つけこまれるのではないのか、と思う。 韓国との間のことでも、穏便にすませよう、友好的にしよう、ということで、柔軟に韓国人の歴史解釈に合わせすぎたすぎた結果、それを逆手に取られて、日本は窮地に陥っている。
韓国の歴史認識は、ナルシスト的、日本を悪者にする「ものがたり」なのであって、厳密な調査に裏付けられたものではない。それは、産経新聞の電子版、「韓国は大人が誘導」竹島問題研究会が中間報告書
株式会社 産経デジタル
に描かれている。https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「韓国は大人が誘導」竹島問題研究会が中間報告書/ar-BBTTryN?ocid=spartandhp
3.1.運動の発端は、韓国国内で根も葉もない風聞、高宗の息子が日本の皇族と結婚することに憤慨して自ら服毒したとも、あるいは併合を自ら願ったという文書をパリ講和会議に提出するよう強いられ、それを峻拒したため毒殺されたなどといったものが広まり、その悲劇の王、高宗の死が悲劇の王として民衆から悼まれ、またそれが民族の悲運と重ねられることでナショナリズム的な機運が民衆の中に高まったことが、運動の引き金となっている。米大統領ウッドロウ・ウィルソンにより"十四か条の平和原則"が発表されたことを受け、民族自決の意識が高まった留日朝鮮人学生たちが東京府東京市神田区のYMCA会館に集まり、「独立宣言書」を採択した(二・八宣言)ことも伏線となっているが、要するに、「韓国人の政治活動家」がしかけたものなのである。
発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。
また、韓国人がこの事件を自分たちが悲運の民族であるかのような美化した物語にして、日本人が野蛮な強権的な民族であるかのような憲法を規定する、という姿勢が、日本国憲法と比較した時、まともなものかどうか、考えてみればいい、と思う。併合されたオーストリアは、ドイツにそのような感情をもっているだろうか?
過ちを犯す(ψεύδομαι)ことが必定(ἀνάγκη)なのは、今回の問題に俄かに応答した(ἀποκρίνσθαι)内容でも顕著で、失態(ἁμάρτημα)を憚る(αἰσχύνω)ことも、後悔する(μεταμελεῖται)ことも、気に病む(δυσφορεῖν)様子もないから、性懲りもなく(μαλακός)何度でも間違える(ἁμαρτάνω)のだろう。
醜い言い訳を今後も重ねるだろうことは理の当然(ὀρθὸς λόγος)で、もはや「幼な子のように酷い目に遭って学ぶ」(ὥσπερ νήπιον παθόντα γνῶναι)ことも適わない、「老害」(γῆρας)なのだろう。
焦慮(μανία)に突き動かされて(ὁρμάω)、政治(τὰ πολιτικός)や政治家(ὁ πολιτικός)について軽率に語る、倨傲(χαυνότης)というよりも、狂気の沙汰(ἡ μανικός)だ。
熱意(σπουδή)は理解できなくもないが、その知性の水準からみて潜越の沙汰で、極端な思い込み(δόξασμα)と、何より無知を認識し得ない(ἀγνοωσία)=「無知なる者」(ὁ ἀμαθτής)ということを自覚せず(ἀγνοέω)、戒める(νουθεοτεῖν)ことも、用心する(εὐλαβέομαι)こともないから、魂の配慮(ἐπιμέλεια⇒「魂をできるだけ優れたものにするには、どうすればよいか、心を用いる」(‘τῆς ψυχῆς ὅπως ὡς βελτίστη ἔσται οὐκ ἐπιμελῇ’=『ソクラテスの弁明』29E)を等閑にする(ἀμελέω)、驚くべき慢心(ὕβρις)、畢竟、身の程知らず(ἀσύνετέω)につながる。
日本人の思想的脆弱性(ἀσθένεια)とは、西洋哲学の「正統」の伝統がない、概念的思考の不徹底を指し、丸山眞男は関係ない。
岸信介と松岡洋右の姻戚関係について無知なのと同様、ものを知らない(ἀγνοέω)気儘さが顕著で、その口で歴史の「真実」(τὸ ἀληθές)など、何ごとかを知っている(εἰδέναι)かのように語る(εἰπεῖν)のだから滑稽だし、虚栄心(χαυνότης)は救いようがない。
Wikipediaの記述を真に受けて鵜呑みにするしか能がなく、事実と論評、過去の歴史研究の蓄積と論争の経緯、日韓間の認識、位置づけの違いについて、何の基礎知識もないことが歴然で、目を覆うばかりだ。無謀この上ない。
運動の13年余り前の1905年11月、「親日派」の閣僚主導の大韓帝国政府との間で締結された「第二次日韓協約」(乙巳条約)の翌06年に赴任した「朝鮮統監府」初代統監伊藤博文(元帥兼務)と、「宗国」日本の「保護政策」という名の剥き出しの国政容喙を極端に嫌っていた「嫌日」の朝鮮王朝26代国王高宗(初代大韓帝国皇帝)の関係、伊藤による高宗の孤立化を図ったさまざまな圧力、介入や策謀、国王を最後の砦とする「反日勢力」排除は、凄まじい。
1907年1月の「亡国を憂う」高宗「親翰」の新聞掲載事件、ロシアへの接近、同年のオランダ・ハーグでの第二回万国平和会議への「密使」派遣事件(大韓帝国は外交権を喪失していたので、「密使」の参加資格は封じられた)、それを受けた退位の強要を受け、同年7月18日、皇太子(王世子)李坧(27代国王純宗=李朝最後の国王)の摂政(国政代理)就任承認に追い込まれる。
問題はこれをもって翌19日、日本が大韓政府をして「譲位」と発表させたことだ。抵抗する(μανίνεσθαι)高宗は「邪魔者」だった。
大漢門広場に集まった五千人を超す民衆は「群衆等しく膝を折りて大地に跪座し、如何にするも動かず…悲壮の声、激越の調を以って各一場の慷慨演説を試み…国家存亡の機…韓帝断じて位を譲り玉う勿れ…現内閣は日本と通じて、五百年の社稷を危うくするものなりと説き…拍手と怒号に似たる喝采を以って熱心に之を迎えた…折しも上弦の月中天に澄み渡り、青白の光線此等激昂セル群衆の頭上を流れて…」(大阪毎日・特派員楢崎観一)、暴徒化寸前の状況だったという。
政府軍兵士が暴徒化するのを恐れた大韓政府は出動をためらい、依頼された伊藤の指示で、群衆は日本軍と憲兵隊、警察によって蹴散らされる。高宗は事実上の幽閉状態になる。
状況に同情すべき点があるとはいえ、高宗は「亡国の君主」だった。頼みのロシアは国内事情もあり、満州での利権で日本と新たな対立が生じるのを避けようと冷淡だった。周囲に反日派の重臣、有力者、識者を擁してそれなりに抵抗と存在感を示したが、権力を掌握していたわけではない。朝鮮統監の権力は国王のもつ権能を遥かに凌駕していた。
統治が進むにつれ、外交権は言うに及ばず内政権、司法権、警察権を簒奪していく。朝鮮王朝時代の華夷秩序に基づくシナとの宗属関係(宗主国シナ皇帝に朝貢することで、朝鮮国王に冊封され、安全保障上も緊張関係を回避して、独立を維持できる)とは全く次元の異なる、覇者(δύνάστης)の論理に基づく帝国主義的支配だった。「親日派」閣僚主導の大韓政府も甘かったのである。
伊藤の狙いは、事実上「有名無実化」したとはいえ、植民地統治にとって障碍でしかない朝鮮王朝の「解体」だった。
「譲位」に先立つ12年前の1895年10月、高宗の妃で純宗の生母・明成皇后、所謂「閔妃」は日清戦争後の三国干渉を主導して日本と対抗したロシアと結び、高宗の父で摂政だった大院君と対立して国政の主導権を奪って王妃の縁戚が国政を牛耳る「勢道政治」で日本に敵対した結果、大院君を担いだ日本の策謀によって惨殺された。
事件は米露の二人が目撃して駐在外交官の周知の事実なったが、日本が朝鮮側に圧力をかけて朝鮮人犯人を仕立て上げてもみ消し、外交問題に発展するのを阻止した。前任者に代わって弁理公使として急遽派遣された小村寿太郎の手柄だ。小村はその後の混乱を受けてロシア側と交渉、ロシアの進駐拡大を防ぎ、権益を確保するためロシアと密約を結ぶ。
閔妃殺害に衝撃を受けた高宗は皇太子の李坧=純宗とともに事件の翌1896年2月、密かに宮中を脱出してロシア公使館に逃れ、同所を行在所に定めて遷座(俄館播遷)、即日、新政府の組閣を行って一年間政務を執って抵抗する。日本はロシア勢力の伸長を許し、日露戦争の遠因になる。
内紛から外国勢力の専横を許したことで、開明派の政治家や有識者が危機感を強め、独立運動を準備する「独立協会」を旗揚げする機縁になり、その一人が22歳の李承晩だった。
翌1897年に高宗が改元して国号を大韓帝国と革めたころから、各地で外国勢力排撃、特に反日の義兵団が生まれた。地方の豪族を襲って貧民層に収奪品を分け与える「義賊」も現れた。外国勢力の介入を恐れた高宗が解散を命じるケースもあった。
この年7月に結ばれた第三次日韓協約(丁末七条約)の第一条には「大韓国政府は施政改善に関し、統監の指導を受くること」とある。
大韓帝国政府軍(15200人)の武装解除も別途の秘密協定によって合意された。純宗の詔勅によるもので、朝鮮将校には、文字通り寝耳に水の不意打ちだった。各地の分遣部隊で抵抗があり、特に江華島部隊の抵抗は凄まじかったが、鎮圧された。
摂政就任時34歳だった純宗は健康上の不安を抱え、母の惨殺現場に際会したことで、日本恐怖症は並外れていた。純宗の皇太子が異母弟・英親王李垠で1907年8月に冊封された。
李垠は伊藤博文の巧みな懐柔策によって日本留学の名目で同年12月、事実上、「人質」にとられる形で訪日、11歳だった。最初の帰国は3年7カ月後、生母の死去の3日後で、その後、日本での事実上の「人質生活」は、敗戦後を含め56年に及んだ。李垠には正式な婚約者がいたが無理やり解消させられ、日本の皇族梨本宮守正の長女正子と婚約、日朝融和の象徴を意図した日本側に押し切られた。
伊藤の暗殺を経て1910年8月に大韓帝国は併合され、国号は朝鮮に戻され、皇帝の称号は王に復する。首都漢城は京城に変更、首都の城壁18.5㌔の大半は撤去され、正宮の景福宮は130棟のうち8棟を除いてすべて破壊された。
東京・神田での「2.8独立宣言」の前月1月21日、高宗が急死した。在位44年、68歳だった。死には謎が多い。毒殺説もある。侍医の関与も囁かれた。4日後の李垠の婚儀は延期された。高宗の国葬は3月3日だった。
独立宣言発表が最終的に3月1日になったのは、葬儀当日は避け、2日は日曜日でキリスト教徒が忌避し、1日決行になったようだ。
歴史にはすべて前史がある。朝鮮は長らく暴発寸前で、時間の問題だった。[完]
ドイツ近代史を長く勉強してきた私の目から見れば、反氏のドイツに関する歴史認識は、相当にゆがんでいるから、日本と韓国の近代史の解説も全く信頼できないが、本来、現在の日韓問題を考える場合、単に「日本が韓国を植民地にした。」というお詫びだけではなくて、「どうして、韓国が日本の植民地になったのか。」の理由も同時に知るべきだと考えるようになった。それは、韓国が植民地になったのは、日本が韓国を武力で侵略した訳ではなくて、条約によって、平和裏に植民地になっているからである。もちろん、韓国国内に「親清」や「親ロシア」で、この条約の猛烈な反対運動もあったと思うが、同時に、韓国国内に「親日」で日本政府の管理下におかれることの賛成派もいるからこそ、条約が締結できるのであって、本当に、反氏が主張され、韓流ドラマどおり、「李氏朝鮮から大韓帝国」の朝鮮の政治はすばらしく、庶民が幸せに暮らしていたのか、ということなのである。
「私の言うことが間違っていたら、
それは間違いだと徹底的に追及せよ。
君らの言うことがわからなければ、
私も君らを徹底的に攻撃する。
互いに攻撃し議論するのは、
憲法を完全なものにするためである。
くり返すが、
長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、
討論・議論を究めて
完全なる憲法をつくろうではないか。」
と言った日本初の首相である。そんな人が、朝鮮人のいうことだから、という理由で、権威主義的に問答無用にするはずがない。
彼は、また、吉田松陰ゆかりの松下村塾出身の政治家でもある。
反氏の記述された第二次日韓協約は、日露戦争後の翌年の西暦1905年(明治38年)の11月、同じく大韓帝国の漢城で調印されたが、第一次日韓協約と異なり、顧問を採用するといった間接的なものではなく、日本政府が大韓帝国の外交をするにあたって直接関与することとなりました、とあり、条約内容を大韓帝国が経済的に豊かになり軍事的に強国となる時まで、という前提で実行される、という但し書きがある。
つまり、この事実は、大韓帝国が、内紛をし、大韓帝国の権力者が、隠密裏にロシアと様々な外交的策謀をし、民が経済的に貧しかった、という事実を如実に表しているのに他ならない。この外交術は、現代の韓国の国際的な「反日のロビー活動」、北朝鮮外交を連想させるが、この「反日派のシンボル」が、高宗なのであって、彼らは、1907年1月の「亡国を憂う」高宗「親翰」の新聞掲載事件、ロシアへの接近、同年のオランダ・ハーグでの第二回万国平和会議への「密使」派遣事件を起こしている。
日本はこの「大韓帝国の中の反日勢力」の様々な外交上の画策のために、戦争をするはめになり、どれだけの尊い人命を失ったことであろう?そんな史実が、なぜ、日本のマスコミによって、伝えられず、日本が「植民地支配」をしたことだけが、そして、あたかも、伊藤博文が、極悪非道な政治家であるかのように、物語られるのだろう?
私は、今回のブログのコメント欄で一貫して、日韓併合、従軍慰安婦、元徴用工の「真実」はなにだったのか、を探求すべきだ、と主張してきた。そういう人を普通は、「デマゴーグ」とは呼ばない。
そうではなくて、あたかも、「伊藤博文」が極悪非道な人、南北朝鮮が分断されたのは植民地支配をした「日本」のせいである、と断定的に主張し、私をさまざまな言葉で中傷している反氏こそが、辞書的な意味、政治的な目的で意図的に流す扇動的かつ虚偽の情報を用いている民衆扇動家という意味で、「老デマゴーグ」という形容にふさわしい人、と私は考えている。
409⇒【日本はこの「大韓帝国の中の反日勢力」の様々な外交上の画策のために、戦争をするはめになり】というが、別に高宗の抵抗が原因(αἴτιον)で戦争に追い込まれたわけではなかろう。
そもそも高宗は国王だとしても国政の実権を有しておらず、日本に対する恨みは王妃を陰謀(ἐπιβουλή)で惨殺されたことでも明白だが、個人的な憎悪(μῖσος)と国政運営を混同するほど愚鈍でもない。カ氏とは異なる。
ロシアも自国の権益拡大のため朝鮮を利用するだけで、ハーグ密使事件の際も、高宗の親書を携えた特使のために積極的に動こうとはせず、適当にあしらっている。ロシアにとって焦眉の課題は三国干渉で日本に手放させた遼東に将来の戦争のための橋頭堡を築き、満州での権益を拡張することだった。
日本とロシア双方が正面対決に突入する、つまり戦争に至るのは早晩、不可避だったが、それに際して朝鮮が表明したのは「中立」だった。強者(κρείττων)の日本にとって「弱者」(ἥττονων)の中立など何の意味もなく、中立を受け入れること自体がロシアはもとより、列強の侮り(λοιδόρημα)を許し、つけ入るスキを与えることだった。日露戦争のため、日本は為されるがままの朝鮮を、にべもない強権的姿勢で利用した。そして、勝った。
そもそも、三次にわたる「日韓協約」、そして1910年の併合に至る前史で、武力(δύναμις πρὸς πόλεμον)による威嚇そのものの挑発を行い、それに対する朝鮮の抵抗を逆手にとって「強腕」で朝鮮を自らの安全保障上の脅威となるロシアに対する防衛の楯とする(προβάλλω)ために、優越的な(ὑπερέχειν)立場を抜け目なく、無慈悲に利用したに過ぎない。
相も変わらず、カ氏は朝から甘ったれた寝惚けたことを言っているが、伊藤博文も岸信介も、かなり劣る東條英樹だって、日本の国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)を保守し(σῴζω)、拡張するするために欺瞞(ἀπάτη)と偽善(τὸ εἰρωνικός)を弄して必要な(δέω)手段(σκῆψις)を講じる、つまり、明白な侵略行為である武力行使をも逡巡せず、相手を威嚇したり、宥めすかしたり取引したりして、狡猾(πανουργία)にも冷酷にもなれる、老獪な(πανούργημα)政治家(ὁ πολιτικός)だった。
彼らは特に好戦的(φιλερις)で悪辣な(κακός)、無慈悲な人物ではないが、善行(τὰ ἀγαθά)施す意図(προαίρεσις)などなく、仮令厭わしい(μισητός)、不本意な(ἀκούσιον)選択(προαίρεσις)であっても、感傷に陥ることなく、目的(τέλος)のために相応しい行為(τὸ καθῆκον)、その限りで正しい行為(τὰ δίκαια)を、強者の正義(δικαιοσύνη)を押し通す形で為し遂げる(πράττω)ことに、専心(σπουδή)したにすぎない。
そして、綺麗ごと、つまり美名(κάλλος)を駆使して、それが欺瞞に満ちた(ἀπάτη)ものであることなどに痛痒(δυσφορεῖν)せず、自前の名分のレトリック(ῥητορική)で同じ穴の貉である他の列強に対峙し、一層の近代化への足掛かりとしただけだ。
言うも愚かだが、当時の日本の目的は朝鮮の「保護」ではない。日本に対する安全保障上の脅威を取り除き、国益を維持・拡大するために、国政上の主導権争いを繰り返し建国以来の悪癖ともなった内紛(στάσις)を繰り返している「弱者」の朝鮮を利用することで、精々、「悪いようにはしないから、言うことは聞け」という身も蓋もない国家エゴイズムの発露(ἐνέργεια)だろう。朝鮮にしたら、たまったものではない。日本が勝手なのだ。
朝鮮は、東アジアの「華夷秩序」に基づいて国政運営を行ってきた長い歴史と伝統を有するそれなりの「文明国」であり、日本の提案も専横も迷惑千万な話であって、反撥するのは当然のことだ。
日露の衝突は必至であった。開戦後、例えば旅順要塞攻略のため、乃木希典指揮下の陸軍第三軍が二百三高地の戦闘で何人死のうと、朝鮮人には何の関係もない。夥しい死傷者の直接の原因は愚劣な作戦指導によるもので、満州軍総参謀長・児玉源太郎の指揮を仰がねばならなかった。
日露戦争での死者は、自国をロシアの脅威、侵略から守れるための当然の犠牲(θυσία)、「平和の代償」(ἀμοιβή)で、何ごとも犠牲を払う(θύειν)ことなしには得られないのがこの世の理の当然、謂わば「現実」(τὸ γιγνόμενον)であって、戦後のお為ごかしの「安全地帯」から、幼稚園児並みの単細胞いくら平和を、国際協調を叫んでも無駄なことだ。
409②⇒【そんな史実が、なぜ、日本のマスコミによって、伝えられず…「植民地支配」だけが…伊藤博文が、極悪非道な政治家であるかのように、物語られる】というような、見当違いな身贔屓の妄論は、朝鮮人はもとより、少しでも近代日朝史を知る者には通用しない。
そもそも、伊藤は「極悪非道」ではない。帝国主義時代の政治家としてはよくあるタイプで、どちらかと言えば抑制的だ。国益のために手段を選ばなかっただけだ。最終目標が植民地統治をスムーズにするための「朝鮮王朝の解体」であることは、時間をかけて入念に策謀をめぐらしたことでも明瞭だ。それが、朝鮮人には耐えがたかった、というだけのことだ。
共産主義体制の北朝鮮はともかく、戦後、建国に当たって韓国は大統領制、つまり共和制を採用し、再び君主制を求める世論がなかったのは、国民の王家への敬慕が薄れたためではなく、所謂「日帝支配36年」によって、王家が壊滅的打撃を蒙ったからだ。戦後も生きた純宗は廃人同然だった。
梨本宮正子と王世子李垠との結婚は高宗の喪中に強行され、朝鮮王朝の血統(γενεαλογία)に日本人の血が入ることを意味した。朝鮮人には堪えがたい苦痛(λύπη)、屈辱(λοιδόρημα)だった。
豊臣秀吉による二度にわたる侵略、文禄慶長の役(壬辰倭乱=1592年、丁酉倭乱=1598年)の悪夢も蘇るのだろう。
「クズ投稿」をするならするで、少しはお勉強したらよい。この程度では罵倒(σκῶμμα)にも値せず、嘲笑(ὀλιγωρία)されるだろう。[完]
東條英樹をトップの成績で卒業したとか、碌に実態も知らずに喋喋するのは、何やら‘legend’らしい楠山義太郎とかいうカ氏がもって回る元新聞記者(「伝説の国際記者」らしい)で、岸信介と松岡洋右の姻戚関係について無知を曝け出した「無学な人」の醜態も噴飯ものだが、別にそれだけで老デマゴーグ(δημαγωγὸς)、度を越した(ὑπερβολή)誇大妄想的僻み(φθόνος)と評しているわけではあるまい。
「一見して明らかな事実」(τοῖς φαινομένοις)として、例えば、
▼「憲法の9条に関する憲法の教科書を疑え。」運動を起こしてはどうだろう?」(9月7日・6)
▼「伊奈久喜というジャーナリストが、ワイツゼッカー演説をよく吟味することもなく、主観的な憶測を書いているか、ということの証明」(9月6日・9)⇒日本版Wikipediaを唯一の根拠に粗笨な読解で、ヴァイツゼッカー演説に関する単著(『ワイツゼッカー演説の謎』、2014年、日経新聞社)もある人物を、「Wikipediaにこう書いてあった」と、しかも勘違いして誹謗して糾弾する浅ましさ。
▼【金日恩(‼)さんのおじいさんが「反日運動の英雄」…という肩書で、南朝鮮を攻め、主に米国軍がそれを押し返したことで分断が起こっている】(6月20日・51)⇒⇒決定的な事実認識の誤り。
▼【朝鮮が分断されたのは…ヨーロッパと同じように、ソ連が戦争に参戦し、領土的野心で武力を使って支配地獲得合戦をした結果」(10月13日・80)⇒⇒欧州ではソ連は参戦していない、だから冷戦。
▼同様の傾向は、丸山眞男への原理的な批判を縷説する私が、トーマス・マンを重視したことで「丸山シンパ」に認定され、ナチスを支持したハイデガーを厳しく批判したアドルノが、ナチスのユダヤ人大量虐殺の根底に潜む「文明の野蛮」(Zivilization zur Barbarei)を説いた「フランクフルト学派」というだけで、ユダヤ人擁護の「反ドイツ」思想の唱導者とみなされ、糾弾される。
さらに、ヒトラーとアドルノを並べて両者が「民主主義の敵」であるとの、支離滅裂の排撃的思考、プロパガンダに転じる驚天動地の粗野極まる妄説を撒き散らす⇒⇒11月30日・205参照。
▼【反氏の主張に「平和を壊す」多大な問題点…アドルノの主張への共鳴、この主張は、ヒトラーのアーリア人の代わりに、ユダヤ人が置き換わった主張…「優秀な民族による劣等な民族の指導」の政治原則、ヒトラーの場合は、優秀なドイツ人による…ユダヤ人の排除、が彼の政治原則…アドルノの主張は、優秀なユダヤ人による指導におきかわる…地方指数(?)が高い優秀な人間が、劣等な人間を指導すべきである、などとという反氏の主張も、ナチスドイツの思想そのもの】(10月3日・228)。
その23日後10月26日、自分の前言を充分確認もせず、誤魔化して愧じる気配もないのが⇒【私は…私のことを、ナチス…と同じ精神構造をもつ「デマゴーグ」であると断定されるように、反氏をナチス並みの危険人物、などと形容したことは、一度もない】⇒⇒とんだ大ウソ。
嘘と恥の上塗り。頓馬(ἀφροσύνη)なのだろう。
以前のコメント(11月28日・173)でも指摘したが、粗暴な性格の(σκληρός)老媼は自らの有り余る失態をごまかし、取り繕うために見え透いた「似而非反論」を行う。
老デマゴーグたる所以で、私を攻撃して【ヒトラーようなことを日本で実際にやって】とする「ドイツ狂」らしい神がかり的御託宣。凄まじい敵愾心で、「ユネスコ精神」が聞いて呆れる。
ごまかしの代表的なものは、カ氏の習慣(ἔθος)、習い性(ἦθος)と化した、論点隠しの詐術的議論(論理学的には論点窃取の誤謬)や、明白な事実誤認や誤解を「タイプミス」という古色蒼然たる表現で、頻出する誤記と同列に扱い頬被り。
「大した問題ではない」「本質的ではない」と矮小化する厚顔無恥な言い訳、反論に具体的な根拠を示さず、「主観的憶測」「現実をみていない」「常識と異なる」「教科書と違う」「ドイツ人の元教授は…」「ゲーテの常識の哲学によれば…」、最近では「ミュンヒェン大学の音楽学の…」の一点張りで、紋切り型の一時代前の左翼批判、メディア批判に終始する。
無学だからマルクス主義や唯物論も、マルクスもルカーチもアドルノもハーバーマスも、アルチュセールもフーコーも、十把一絡げの一緒くた。メディア批判もほとんど右翼のアジ演説のレベルで、大道芸に近い与太話。如何に不勉強で傲岸不遜か分かる。
11月28日・169 では【反インテリンチさん…どうして、不注意ミス…が重大な瑕疵…と…思われるのか…反氏の巧みな誘導】と来る。
「巧みな誘導」を最近は、莫迦の一つ覚えで「フランクフルト学派の批判理論」の影響に帰するが、それも「アラー」氏や「JJ太郎」氏の受け売り。「真理探究の方法」と騙る、ソクラテスの産婆術も何もあったものではない。そしてその多用された記述も、「TANTANの雑学と哲学の小部屋」なるサイトのもほとんど寸分たがわぬコピペによる剽窃。
恥を知ることだ。
昨日「あさま山荘」のドキュメンタリーを見て、全共闘の学生運動を思い出したが、あの頃は、左翼思想全盛で、左翼の学生運動をしない学生は、「愛と正義」がないかのような風潮であった。父は、それより一世代前であるが、哲学を学んだ父も同じだし、南原繁さんも、南原さんにかわいがられた丸山真男さんも同じである。また、パリに留学していた東大文学部卒の日本人男性の考えも反米の左翼思想で、個人的に知る重光信子さんを褒めておられた。読書家、京大哲学科卒の反氏もそのような知識人の影響をもろに受けられたのではないのだろうか?フランクフルト学派も、マルクス主義の影響を多大に受けている。
朝鮮半島のことに話を戻すと、反氏は、ロシアをえらく信頼し、高宗の妃で純宗の生母・明成皇后のしたことを暴挙と思っておられないが、戦前も戦後も同じであるが、どうして、日本の知識人は、それほどロシアやソ連を信頼するのか理解できない。ロシアの植民地となった国を見て、反氏は、ロシアは朝鮮の「朱子学」を基本とする政治、をする手助けをしてくれる国、だと本気で考えておられるのだろうか?ロシアは、歴史的に不凍港を求めていたのであって、現実的に考えると朝鮮は、半植民地の清、ロシア、日本、いずれかの植民地になるしかなかったのである。あの時代、植民地が国際法上許されていたから、アジアの独立国は、日本やタイなど数か国なのであって、選択の問題として、大韓帝国の親日派は、大韓帝国の窮状を救うために、日本との協約を選んだのであって、私は、その選択は正しい、と思う。
韓国は、戦後日本の文化を入れなかったし、学校教育が反日教育なので、反日色が強い。その上、日本のように「あさま山荘事件」が起こらず、「光州事件」が起きたから、「左翼思想と民主化と反日」が同じ意味になってしまったのかもしれず、「文在寅」さんのような人が大統領になってしまったのかもしれないが、「民主化と左翼思想と反日」は別々のものである、そして「反xx主義、Anti XXism」はいくら「愛と正義」の仮面をかぶっていても、現実の「平和の構築」に寄与しない、ということを、もう一度強調したい。
「Goethe Institut」ならぬ「孔子学院」について興味深い記事をみつけた。長谷川良さんの最新のブログなのであるが、英与党・保守党の「人権委員会」は今月18日、同国内にある中国の「孔子学院」について、「中国共産党政権のプロパガンダ機関(中国共産党統一戦線部の出先機関)であり、学問の自由と表現の自由の脅威となっている」と指摘、blog.livedoor.jp/wien2006/ したそうである。それは、「孔子学院」では検閲が行われ、自由な討論が制限されているからで、特に、3つのテーマ、「天安門広場虐殺事件」、「チベット」そして「台湾問題」はタブーとなっている、とあった。それに比べて、私たちは、日本でもドイツでもGoethe Institutで、ホロコーストについて、自由に討議したな、と思い出した。その結論が、アドルノや反氏と違うだけである。イギリスで、Goethe Institutが批判されていない、ということは、「人権委員会」から見て、学問や表現の自由が十分に担保されている、ということを示しているのではないのだろうか?
アドルノを中心とするフランクフルト学派の本に心酔して、彼らの主張が正しい、などと結論付け、それがわからないのは「無学なせいだ。」という反氏の見解が不遜なだけである。
そしてそれが、これほど凄まじいのは、「無知ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν)、「無学ゆえに」(δι’ ἀπαιδευσίαν)、自らが真なるもの(ἀληθες)、正しい(δίκαιος)、よい(ἀγαθός)と「思ったこと」(ἃ δοκεῖ αὐτῷ)と、真実(τὸ ἀληθές)やものの真相(ἀληθῆ)とが「異なる」(διαφέρειν)ことを、カ氏が自らの能力(δύναμις)ではどうにも認識し得ず(ἀγνοωσία)、分を弁えない(ἀσύνετέω)ためだ。
そうした「惨状」(πονηρία)に窮して(ἄπορος)も、それを打開する(εὐπορέω)ことができずに逆に取り繕う、つまり糊塗する(τεχνάζω)だけだ。
特有の癇癪癖(ἀκρόχολος)による情動過多(θυμός)とナイーヴさ(ἁπλοῦς)から、極端な思い込み(δόξασμα)に我を忘れ(ἀσχολεῖσθαι)、軽率(ῥᾳθυμία)にも、謂わば「物語の領域に属する」(μυθώδης)妄説をでっち上げた(ποίησις)仮象(φαντασία)、即ち虚構(μῦθος)と、カ氏が受け入れたくない現実(τὸ γιγνόμενον)とを取り違え(ἁμαρτάνω)、目を塞いで(ἀμελέω)いる。
それこそ嫌悪すべき(μισητός)知的鈍重さ(ἀναισθησία)と虚偽体質で、精神(ψυχή)の硬直性(ακληρός)、即ち盲目(τυφλός)につながる。
☆精神の疵(欠陥)は、顔の疵と同じように、老いるにつれて、ひどくなる。(ラ・ロシュフコー『箴言』112)
「無知ゆえに」、「思ったこと」(ἃ δοκεῖ αὐτῷ)をしたり、愚にもつかない(φαῦλος)、陳腐で(πρόχειρος)凡庸な(μέτριος)とるに足らない(φλαῦρος)意見を表明する(φθέγγεισθαι)けれども、それは必ずしも、カ氏が本当に「望んでいること」(ἃ βούλεται)と一致しないし、その違いは「無知な者」(ὁ ἀμαθής=ὁ ἀνόηθος[無思慮な者])ほど著しいという逆説(παράδοξος)を免れない。真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)が欠けている(ἔρημος)からだ。
学識は欠如していて(ἀπαίδευτος)も、もの分かりのよい(εὐσύνετος)、無学なりに賢明な(ἔμφρων)人物はいるものだ。健全な思慮(σωφροσύνη)を具えた人物だったら避けられる愚かさ(ἀφροσύνη)を免れないのは、なまじ英語やドイツ語が多少は読めることで滑稽にも見当違いに思い上がって、田舎者根性丸出しの(ἄγροικος)「夜郎自大」だからだろう。
そこには、劣等学生ゆえの僻みがある。だから誹謗中傷する(συκοφαντεῖν)ような手間をかける(περιεργάζομαι)ことが意味がない(ἄσημος)ほど、愚鈍さの証明(τεκμήρια)は過去の発言という「事実」を示す論証(ἀπόδειξις)の結果(ἑπόμενον)で事足りる。
私の役目はただ、理の当然に従って無駄な(ἄχρηστον)抵抗を諫め、「死刑執行人」として(ὡς ἀποκτενῶν)、ありのまま(ἀληθῆ)を告げることだろう。
無知の知は、無知の勧め(προτρεπτικός)や無恥の居直りの勧めではなく、「無知」の自覚の推奨=知慧を愛し、徳を心掛けること説き聞かせる(προτρέπειν)ことだ。「無恥」を自覚せず(ἀγνοέω)、驕慢に振る舞い疎かにする(ἀμελέω)カ氏のような不心得(ἑτεροδοξία)を戒める(νουθεοτεῖν)ことだ。
無知自体に何の意味も価値もない。ソクラテスによれば、無知は狂気、病気(νόσος)であり、畢竟、魂の欠陥(κακία)だからだ(‘νόσον μὲν δὴ ψυχῆς ἄνοιαν συγχωρητέον, δύο δ’ ἀνοίας γένη, τὸ μὲν μανίαν, τὸ δὲ ἀμαθίαν.’=Timaeus, 86B:「まず魂の病気とは「理性を欠いていること」(ἄνοιαν)であり、またそれには二種類あって、一つは狂気であり、一つは無知である」)。
それは、カ氏のような狂信(μανία)、つまり「精神の狭量」(σμικρολογία)を生み出すからだ。
418②⇒【東大文学部卒の日本人男性…個人的に知る重光信子さんを褒め】⇒⇒「重光信子」(?)――「重信房子」という日本赤軍の活動家がいたが、同じ人物を指すなら、性懲りもなく間違いを繰り返すものだ。
418③⇒【昔の…私のコメントを取り上げ、反論…端的に言って、ブログの主、篠田英朗教授に失礼】⇒⇒頬被りもほどほどにしたらよい。暇でなくとも検索は容易で、いくらでもある。過去の発言に全く責任をもたない醜悪さを自白してどうする。
正気に戻り、まず恥を知る(αίδώς)ことだ。
☆美徳は、川の流れが大海に消え失せるように、我欲(利害)の中に消え去る。(『箴言』171)
並み外れたや狂信性や厚かましい(ἀναίσχυντος)虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)人格は418にも顕著だ。
カ氏に論理的に(λογικός)議論する(διαλέγεσθαι)共通の(κοινόν)「場」であり前提(πρότασις)である厳密な推論(συλλογισμός)の技量(τέχνημα)や専門的知識に裏付けられた、明晰判明な(σαφής καὶ γνώριμος)論理的思考(λογιστικόν)を期待すること自体が無理なのだろう。
論理学のイロハも知らず、正確な論述(ἀκριβολογεῖσθαι)ができない。人をして信じるに足る(πιστός)と思わせる別様の見識も、人としての器量(ἡ ἠθικὴ ἀρετή)=高邁な心(μεγαλοψυχία)も欠いている。
だから、年寄りじみた愚痴(μεμψιμοι)も、迎合(κολακεία)でしかない篠田さんへの「おべっか」(κολακική)も、右顧左眄のようなご機嫌取り(ἄρεσκος)も止まないのだろう。
固定観念(ὑπόληψις)に囚われ頑迷固陋(δυστράπελος καὶ ἀκληρότης)な質だから、真の(ἀληθής)「自由人」(ὁ ἐλεύθερος)に相応しい闊達な(ἐλευθέριος)精神などなく、奴隷根性(δοῦλοψυχία)そのものだ。
他者の意向(προαίρεσις)を気にかけ(ἐπιορκέω)、おべっかを使う(κόλακεύω)しか能がない人間を、「曲学阿世」という。
本編で投稿は1581 件になる。クズ処理も厄介だ。[完]
‘οὐ τὸ ζῆν περὶ πλείστου ποιητέον ἀλλὰ τὸ εὖ ζῆν.’(Crito, 48B)
私は、たしかに、西ドイツの語学学校のクラスでは劣等生だったが、そのクラスが最上級だったからこそ、ドイツ文学の博士号をもつ米国人や母国語並みにドイツ語を話せるジャマイカ人の生徒がいたのだし、私は、最後にはクラスの語学の資格試験に合格したのである。反氏は、どうして、現実に目を向けず、自分の論旨の展開に都合のいい主観的憶測をするのだろう。
また、本当に私の説は、「物語の領域に属する」妄説なのだろうか?私は、受け入れたくない現実に目をふさぎ、現実を仮象と虚構を取り違えているのだろうか?
戦前のナチスドイツの「救世主ヒトラー伝説」も、大日本帝国の「現人神伝説」も、「ナショナリズム」、「民族主義」によって、作り上げられた「物語」なのである。その物語に国民が洗脳されて、日本人もドイツ人も戦争を始めたのである。今回の3.1.の「韓国には1919年3月1日から正統な政府があった」というのも、「ナショナリズム」への情動過多からくる思い込みで、それは仮象であり、虚構であり、文在寅さんたちが作り上げた物語である、ということは、歴然としているのであるが、3月1日に、映像や、音楽や、マスコミの論調で、あたかもそうであったかのような、「虚構」が作り上げられることが問題なのである。そのような「ナショナリズム」や「民族」を刺激する「物語」に人は、たやすく感動し、洗脳される。
あと1週間でその日は来る。色々一生懸命書いたが、主婦、カロリーネのアドバイスは無視され、反氏のような人にバッシングまで受ける。結局、マスコミの専門家の主張、「丁寧な無視」や「大人の対応」の成果を期待するしかないのかもしれない。
私の心配が、杞憂に終われば一番いいのだから。
カ氏は「無学」(ἀπαιδευσία)だから、知性の程度における「弱者」(ἥττονων)⇒低劣(πονηρός)には違いない「劣弱者」(ὁ χείρων)であって、言説(λόγοι)、つまりディスクルス(discours)における優劣(εὐσχημοσύνη κὰι ἀσχημοσύνη)は必然(ἀνάγκη)となり、応答(ἀπόκρισις)におけるカ氏の劣勢からみて、平等(ἰσότης)とか公平(τὸ ὀρθός)は意味がない(ἄσημος)。
そこに、平等、つまり民主制(δημοκρατία)という政治(τὰ πολιτικός)の原理(ἀρχή)、「能力に応じて」(κατὰ τὴν ἀξίωσιν)ではない、参加の「平等の権利」(ἰσονομία)という原則が不適合なのは、政治は真理(ἀλήθεια)の基準(κριτήριον)ではないからだ。
相容れない(ἐναντιότης)見解の相違(ἕτερον)はそれぞれ平等で、相互に「両立可能」(τὸ ἐνδεχόμενον)という主張が無意味なのは、「両立不能性」(μάχη)が説得力(πειθώ)と価値(ἀξία)の優劣に照らした当然の論理的(λογικός)帰結で、主張の対立(ἀντίθησις)は価値の対等性(συνώνυμον)を意味しないからだ。
つまり、見解表明における自由(ἐλευθερία)と機会の平等は、価値を保証しない。カ氏の劣弱な立論は、「取るに足らない」(ῥᾳθυμηος)戯言(μωρολογία)ということを「意味する」(σημαίμειν)にすぎない。
当然ながら、劣弱者は、人種(γένος)とは何の関係もない。
ものごとの軽重の基準も、人間としての行動(πρᾶξις)の規準(ἀξίωμα=ὅ ρος)、つまり、経験知などを騙って、露悪的な☆鈍さ(ἀφροσύνη=‘Dummheit’)を厚かましく(ἀναισχύντως)晒している(φημί)割には、齢70近い歳相応の慎み(κόσμιότης)もなく、以下に示すように、無軌道(ὕβριοτής)ぶりが際立っている。
極端な(ἔσχατος)自己愛(φιλαυτος)が、その延長線上にある我執(πικρία)と私怨(ἐπονείδιστον)、その裏返しである幼稚園児並みの正義感による一種の軽挙妄動と一体となって熱狂(μανία)を生み、お為ごかしの功名心(φιλοτιμία)に駆られたナイーヴ(ἁπλοῦς)さが、カ氏特有の見栄っ張り(χαῦνος)で見かけ倒しの(προσποίησις)、さもしい人物(ἀνελεύθερος)にありがちな狂信性(μανικός)を生む。カ氏の実態は頓馬な虚飾家(ἀλαζών)にすぎない。
行き当たりばったりのご都合主義で、人を瞞着(παρακρούειν)することに臆する(ἄποκνεῖν)こともないからで、平気で大ウソをつく(ψεύδομαι)のも道理だ。
【致命的な間違いに近くどうしても訂正しなければ】(9月2日・41)⇒⇒芦田均についてそう書き、【国際法学者で…東大の博士号…国際政治学者…お詫びして訂正します】ということらしい。何が本質的で、詰らないケアレスミスだか分からない二重基準。「御本尊」のヴァイツゼッカーを「ワイスゼッカー」(2月2日・158)とした際も大騒ぎで、滑稽この上ない。
畢竟、その動機は真理を愛する(φιλαληθής)ことなどではないようだ。
僧侶の読経の中に「盛者必滅会者定離」とあったが、ギリシア語で「死すべきもの」(θνητός)という如く、人間(ἄνθρωπος)は必ず死ぬ(θνῄσκω)ように、盛者即ちこの世の強者(κρείττων)、覇者(δύνάστης)も滅亡(φθορά)を免れない。それは崩壊(ὄλεθρος)、破滅(ἀπόλλυσθαι)で、ローマ帝国はその典型だ。
ローマがなぜ滅んだかについては、内的外的な個々の要因(αἴτιον)を通じて最も説得的な議論は、大帝国が自らの重みに耐えきれず瓦解した、というものだ。
現代の世界帝国、唯一の超大国は、日本が先の大戦で死闘を演じその軍門に下った米国だ。世の反米主義者は、その事実を認めつつ認めたがらない。そして、米国が圧倒的な軍事力(δύναμις πρὸς πόλεμον)を背景に無理強いした(βιάζομαι)日本国憲法と「平和主義」のみ受け取って、それと一体化した「軍事同盟」という戦後の欺瞞と偽善という現実に目を塞ぐ(τυφλώττω)。日本人の精神の脆弱性の表れだ。
核兵器で「人類の滅亡」(ἄνθρώπων φθορά)などを叫ぶのも惰弱さ(μαλακία)と精神の盲目(τυφλός)の典型で、人類が核によって滅びかねない、という恐怖(τὸ δεινός)に基づく妄想(φαντασία)は、通常兵器によっては回避可能な自らの死の可能性から核では免れ得ない、という無意識の計算に基づく。北朝鮮の核など、使えない兵器の典型だ。
核を人類への、恒久平和への障碍と勘違いし、進化する通常兵器の恐るべき(δεινός)残忍さを看過し(ἀμελέω)、核廃絶に高邁な平和への希望を託すなら、それもまた「道徳狂」の生む戯画だろう。[完]
がんの放射線治療、あれだけの防御をしても、後遺症が起きる。核兵器の攻撃にさらされた時、市民は無防備だからこそ、広島長崎では、あれだけの被害が出たのだし、その実態調査された、のちの米国国防長官、W・ペリー氏は、米国の核兵器の使用を恐れて、高性能の通常兵器の開発に励まれた。そうすることも、沖縄、東京の犠牲者のことを考えたら、問題ではないか、という日本人記者の質問に、ベリー氏は困っておられたが、私の目から見れば、原爆症という健康被害を受けながら生きていく、ということは、死ぬことよりも、ずっとつらい。母の闘病の最期は、病気は治らないのに、母に、これ以上辛い苦しみを抱えて生きて、と望むのは私のエゴだ、と観念した。自分に闘病生活の経験があったせいかもしれない、
また、「核兵器使用」についてのペリーさんの考えは、反氏とは違う。イスラム系のテロリスト、というのは、地上ではなくて、天上の幸せを考えるから、自爆テロをするのであって、そのような人々は、現実に反米思想の元、核兵器を使う可能性があるのである。原爆の惨禍に見舞われた日本の場合、北朝鮮に核兵器の廃棄を求めるのは当然だし、核兵器への抑止力として米国の核の傘は必要だ。また、北朝鮮が核ミサイルを使う使わないを別にして、その技術が、テロリストの手にわたれば、世界で、広島長崎の悲劇は再現するし、人類は「滅亡の深刻な危機」に見舞われる。それを防ぎたい、という意志を表しているのが、日本国憲法9条の1項なのである。「沖縄の基地問題」、「米朝会談」を取材している日本のマスコミの人びとは、そこまで深くこの核問題を考えて、報道しているのだろうか?それとも、反氏レベルなのだろうか?
国連のグテレス事務総長は冒頭演説で「今も無数の女性が危険や暴力に直面している」と紛争下の性暴力やセクハラを非難された。私も女性として同意見であるが、もし、戦場になった為に、危険や暴力に直面している素人の女性、を救うために、軍が有給で娼婦を雇い、男性兵士の慰安所を作っていたとしたら、それは、無数の女性を危険や暴力から救っていることになるのではないのだろうか?それは、一つの職業で、少なくとも性奴隷ではない。昔、ハンブルグで「本当は女性には見られたくないんだよ。」と言われながら、商社の人に「飾り窓」を案内してもらったことを思い出すが、人間は動物の一種なのだから、理性だけでは割り切れない。なにが、「人権と社会正義のための力強い動きか。」ということを、よく考えるために、ベトナム戦争もからめて、日本もアメリカと共同で、そのアピールをしてはどうかと思う。
そもそも、ギリシア語の単語や哲学用語が混じった(それ自体は大したものではないが)、人々が通常はよく考える(νοεῖν)、つまり厳密に(ἀκριβῶς)思考する(διανοέμαι)ことなく遣り過ごしている(ἀμελέω)至極厄介な(πονηρός)問題(πρόβλημα)について面倒な議論を仕掛ける私の意図(προαίρεσις)も、問題意識(προβάλλω)を共有する(μετέχειν)ことにも関心がない(ἀμελέω)だろうから、辛抱強く(καρτερικός)もないし、立論に「骨の折れる」=努力を有する(πραγματειώδης)議論をする(διαλέγεσθαι)ための知的な訓練(ἄσκησις)も欠き、辛抱強く(καρτερικός)もないから、いい加減な理解で放り出して、読みもしないだろう。
それが、自他の悪意(κακοήθεια)を振れ回るしか能がない、所謂、「愚者の楽園」の典型(παράδειγμα)のような、「だらけた」(δειλία)、しかも惰弱(μαλακία)な「多数者」(οἱ πολλοί)の「多数」であることだけに依拠した「コメント」や、その手間も省いた「いいネ」の紛れもない真相(ἀληθῆ)だろう。
真理が常に少数者(ὁ ὀλίγον)の側にあると主張する(φάσκω)つもりはないが、少数者の考え抜かれた見解が優越的な(ὑπερέχειν)ことは否定(ἀπόφασις)できない。
事柄自身(πρᾶγμα)が要求する、厳密に論理的な推論(συλλογισμός)や精確な概念的思考(διάνοια)に基づかない了解(συνιέναι)、枚挙(ἀπολογίζεσθαι)を退け、客観的妥当性(Objektivegültigkeit)が強制する(βιάζομαι)結論を自ずと選択させるからだ。
個別的な経験(ἐμπειρία)や素朴な実感=感覚(αἴσθησις)に基づく表象(φαντασία)の知覚(ἀντίληψις)こそ、主観的な雑識、臆測(ψευδὴς δόξα)ということになる。
カ氏をはじめ多くの素朴な人々が、「現実的に(κατὰ ἐνέργειαν)考える(διανοεῖσθαι)」ということは、畢竟、面倒臭く手に負えないことを考えるのを止める、つまり人々が困惑する(πρᾶγμαἔχω)厄介な問題(ἀπορία)、骨の折れること(πραγματεία)から逃げ回る、精神の退嬰性にほかならない。
見識に基づかない多数者の信条(δόγμα)や意見は全く意味をもたず、論理的首尾一貫性(sequitur)のみが唯一の判断基準(κριτήριον)ということだ。
直接経験(περιπτωσις)や体験(πείρα)は、それが充分に(ἱκανόν)検証(ἔλέγχω)され、確実な知識(ἐπισθήμη)とならなければ、意味はない(μάτην)のだ。
政治と学問が違うのは、政治が未来(τὸ μέλλον)に関する予見(πρόνοια)不能なものに関する選択、即ち不確実性を含むからで、多数者の合意形成が不可避な所以だ。
まだ後期高齢者ではない、戦後初期の昭和20年~30年代前半生まれ、つまり1945~1960年生まれで、東京オリンピックを同時代の経験として実際に、またはテレビ中継等で見た記憶がある世代で、カ氏のように赤軍派の活動家(活動が国外に及んだ日本人女性革命家第一号)重信房子を、「重光信子」とする世間知らずは、そうは多くない。試しに19日に死去した私の従兄(1946年生まれの72歳)の葬儀が25日にあった際、該当年代生まれの参列者に聞いたら(私は元新聞記者)、うろ覚えの「健忘派」が二、三人いたが、「重光信子」はもとより、「重光房子」も皆無だった。
歴史観とか歴史認識とか、「ご大層なことを宣う前に、「史実」の前提になる単純な「事実」認識を肝に銘じるべきだ。背伸びして愚にもつかない「ままごと投稿」に陥るのは、確実な知識に基づかない、偏頗な思い込みによる乱暴な立論のためだ。
カ氏が得意になって「一理半解」でドイツや欧州の事情について無駄口を叩いていたころから目立ったが、例えばカ氏が滑稽にも引き合いに出している次の項での投稿(「憲法学者 vs. オールド・リベラリスト」)にも、無知蒙昧ぶりが際立っている。即ち、
【立憲民主党の主要なメンバーが日本社会党出身なのに、リベラルである、と主張】(5月28日・1)を見れば、その杜撰な理解は明々白々(κατάδηλος)だ。
カ氏の極端な「政治音痴」を物語る一節で、現在の【主要なメンバーが日本社会党出身】というのは明らかな誤謬だ。
代表の枝野幸男(以下、敬称略)は日本新党出身で、その後1996年に新党さきがけ、旧民主党(同年9月に、社会党を改称した旧社会民主党の離党組と鳩山由紀夫ら「反武村正義」派のさきがけ離党組が結党)、1998年9月に結成の「新」民主党(旧民主党に民政党、新党友愛、民主改革連合が合流)、2003年9月に自由党と合併した民主党、民進党を通じて、日本社会党とは関係ない。
幹事長の福山哲郎(元外国籍陳哲郎⇒官報1975年8月29日14598号4頁に帰化承認)は、松下政経塾を経て1996年、衆院総選挙に旧民主党公認で立候補したが、落選。総選挙直前に旧民主党が結成されたためだが、当初はさきがけから立候補予定だった。初当選は1998年の参院選(無所属で立候補)で民主党籍。社会党とは関係ない。
最高顧問の元首相菅直人は社会民主連合、新党さきがけ、旧民主党、民主党、民進党と渡り歩いた。1986年の総選挙後、社会党会派に所属したことがある。社民連の当選者が四人で、民社党と社会党に二人ずつ振り分けた国会対策の一環。社民連が1994年に解散するまで在籍、その後は新党さきがけに入党。社会党とは関係ない。
同じ最高顧問の元民主党代表・海江田万里は日本新党から政治家活動を始めた。常任顧問の小川敏男は元新党さきがけ。1998年の参院選に民主党公認で立候補して初当選。いずれも、社会党とは関係ない。
他の「主要メンバー」で日本社会党の出身と言えるのは、党設立時の結党メンバーで、現在は衆院副議長のため党会派を形式上離れている赤松広隆で、1993年誕生の細川護煕内閣、所謂「非自民非共産8会派連立政権」誕生当時の社会党書記長。
日本社会党が1996年に党名を社会民主党に変更して以降の、社会党ではないがその系統を受け継いでいると強いて言えば言えるのが、土井たか子の要請で入党した副代表の辻元清美(国会対策委員長)。辻元は2011年9月、社民党を離党して民主党に入党した。福島瑞穂との路線対立=確執によるもの。市民運動出身だから、日本社会党出身とは毛色が異なる。
社会党が、一旦は細川政権に参画したものの、統一会派の枠組みをめぐる対立から結局は連立を離脱し、総選挙を経ないで政権復帰を画策した自民党と組む形で「自民・社会・さきがけ」連立村山富一内閣を誕生させ、それまでの安全保障政策を180度転換させたことでその後の分裂、党勢低迷を経て、現在の少数政党・社民党に転落したわけで、その背景には宿痾ともなった激しい党内対立があり、社会党=社民党に見切りをつけた民主党、民進党にもそれは事実上継承されて今日に至っている。
現在の立憲民主の中核メンバーは、総選挙後の新参組とも言える蓮舫や山尾志桜里で、いずれもスタート時点が既に民主党であって、社会党とは関係ない。赤松広隆は書記長就任時は「最年少」ともて囃されたが、変わり身の早い人物で、いち早く社民党を離党してさきがけともに旧民主党を立ち上げ、現実的な安保政策路線に踏み切っている。先の総選挙でも一旦は「希望の党」に動いたが、機をみるに敏で、宗旨替えした。
カ氏は元「原理主義的護憲派」らしく、現実の政治過程は「ほとんど知らない」に等しい「政治音痴」の典型のような冒頭の全く事実に基づかない妄説「日本社会党出身なのに、リベラルである」云々のような「愚にもつかない」議論は、廉恥心があるなら、猛省すべきだ。
430⇒【私がその著書を読んで…興奮した芦田均さん…について記述…「無学の私」の言を認めていただけて嬉しい、とも思った】⇒⇒一体何を考えているのか、まるで小中学生かミーハー老人。[完]
そんな私は、現在の韓国の政治の仕方を見て、唖然とするのである。「日韓基本条約」にしろ、「従軍慰安婦問題」にしろ、韓国との合意を形成するために、弱者の人権を考えて、日本はずいぶん譲っているのであって、その基本条約が実行に移されたあと、漢江の奇跡など、韓国は日本の資金で豊かになったにもかかわらず、それを無視し、いつまでも「日本は植民地支配」をした、といいつのり、条約で合意した内容を無視して、自分たちの従来の「反日」の主張を、自国の裁判を通じて、あるいは、国際世論を通じて繰り返す神経が、理解できないのである。政権が違うから、という理由で、それが許される理由もないし、その交渉の資料は、極秘であったとしても、当然ながら、残っているのではないのだろうか?どうして、勉強しないのだろう?
漢字を使うことも、「日帝残滓」と排撃する勢力があるそうであるが、それは常識のある態度なのだろうか?私は、西ドイツで韓国人の学生とドイツ語で会話していた時に言われた言葉「アジアにはラテン語のような共通の言葉はないのか。」を思い出すが、私は、あまり韓国のことをよく知らなかったので、「漢字がある。これが、中国と韓国と日本の共通の言葉。」と答えて、韓国人の学生も同意してくれた。
いくら植民地支配がいけない、と言って、植民地であった国が、宗主国の言葉を使わなかったとしたら、英語やスペイン語は、世界でこれほど普及しなかったのではないのだろうか?私は、韓国人のプライド、「反日」意識が強すぎて、この常識がないことが、問題だと思うし、いくら、中国と北朝鮮に対抗するために、日米韓の連携が必要だ、と言っても、今の「文在寅政権」に、それを求めることは、無理だと思う。
ところが、マスコミ政治部記者は、「反自民」で凝り固まり、「反自民」であれば応援し、映像や言葉を使って、自民党の政治家を揶揄し、国民をマスコミの力で洗脳することしか考えていない。これは、戦前と同じことをしているのであって、そのことが、日本の現在の大きな社会問題だと私は思う。
もともと、自由民主党が、リベラル・デモクラテイック・パーテイーで、すでにあるのに、なぜ、リベラルという名前をつけるのか、ということもよく理解できないし、私のリベラルのイメージは、「パパはなんでも知っている。」に代表されるように、人の意見をよくきく個性の人で、例えば、楠山義太郎さんがそれにあたった。決して、自民党の政治家をコテンパンにやっつける、糾弾するタイプの人をリベラルとは思わない。経歴はともかく、今立憲民主党がとっている「対決の」政治手法は、日本社会党の政治手法と同じなのではないのだろうか?辻元清美さんや山尾志桜里さんなどは、その典型である。
私は、社会民主党政権の時に、西ドイツに留学していたから、日本とドイツの違いを知っている。ドイツは、日本の社会民主党のように、「反米」でなかったし、安全保障においても、「集団的自衛権を認めると米軍と共に世界戦争をする」、ではなくて、それを冷戦時代の「平和構築の手段」と考えていたのである。日本の政治家でいえば、細野豪志さんの考え方に近い。そういう意味で、私は、「立憲民主党の主要なメンバーは」という言葉を使った。
ドイツでは、それぞれの人には、違った能力が与えられているのだから、その能力をそれぞれの人が発展させていくと、経済的にも、文化的にも多様性が生まれる、という考え方がある。与えられた特別な能力も、発展段階もそれぞれ違うし、その特別な能力の開発は、他人と相互補完作用によって、多様性が生まれる。だから、国民を均一化させてしまう危険のある国家の介入を避け、その個人が他人に危害を加えない限り、その人自身が満足して自分の能力を発展していく過程を見守るべきである。
抽象的なわかりづらい文章になってしまったが、世の中に、観念的に考える人がいてもいいが、現実的に考える人も必要だ。両親を見ていて、いつも、問題を解決していったのは、実際的な母だったが、母は、仕事をするのは父と歯車が合う、と言っていた。
いけないのが、洗脳、自分の意見が絶対に正しい、という強い思い込みの元に、他人を糾弾したり、嘲笑したり、メデイアを利用することだと思う。それは、国家にとっても、国民にとっても、いいことが一つもない。
政治と言っても、この場合は民主政体(δημοκρατία=‘democracy’)に限って論じることとして、カ氏のような軽率な(ῥᾳδιος)立論では民主制、つまり「能力に応じて」(κατὰ τὴν ἀξίωσιν)ではなく、政治参加の「平等の権利」(ἰσονομία)によって多数者(οἱ πολλοί)、即ち民衆(δῆμος)が政治の主体になる政治は、個々人が平等(ἰσότης)、つまり平等な存在(τὸ ἰδον)であることが優先され、それが真理(ἀλήθεια)とは異なる価値(ἀξία)を有するのは、別の事情(αἴτιον)によるのを見落としている。
実際のところ(ἔργῳ)、人間は平等ではない。知性(νοῦς=学識の多寡[ποσόν]を含め)、財産・財力(κτῆματα=πλοῦτος)、社会的地位(ἀρχή καὶ ὑπεροχη)、美醜(κάλλος καὶ αἰσχρός)、今どき古いが家柄(γένος)や家格(ἀξίωμα)、血統(γενεαλογία)を含め厳しい優劣(εὐσχημοσύνη κὰι ἀσχημοσύνη)、つまり格差(διαίρεσις)がある。
素人(ιδιώτης)即ち「非学識者」(ἀνεπιστήμων)と専門家(τεχνίτης)との優劣もある。それが現実(τὸ γιγνόμενον)だ。
人生(βίος)は争い(ἀγών)であり闘争(ἀμφισβητεῖν)、所謂「万人の万人に対する闘争」(bellum omnium contra omnis)であって、常に(αἰεί)優れた(χρηστός)側が支配する(κοσμέω)、結局勝ち負け(ἀγωνία)、一種の「主従関係」(δεσποτία)になる。
平等は所詮、政治参加の資格(ἀξίωμα)と人格の尊厳(ἀξίωμα)の平等だけということになる。
政治は、この世の強者、覇者(δύνάστης)、勝者(νικᾶν)による「力の正義」(δίκαιος δύναμις)という「正義の論理」(δίκαιος λόγος)に貫かれた支配と秩序(κόςμος)であって、その外形が21世紀の国際社会における「配分における正義」(τὸ διανεμητικὸν δίκαιον)としての確立された(βέβαισος)法規範(νόμος)の宰る(δεσπόζω)「法の支配(専制)」(δεσποτεία νόμος)ということになる。
「人間自然の性情」(ἡ φύσις ἀνθρώπων)が変わらない限り、一般社会でも常に各国の国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)という名の利害得失(συμφέρον, χρήσμον, ἀγθόν)が対立し角逐(ἀγών)を繰り広げるのと基本的に変わらない構造が国際政治の秩序だ。
国際法規範が想定する国際正義は、国際間の理想(παράδειγμα)とは異なり、欺瞞(ἀπάτη)と偽善(τὸ εἰρωνικός)の仮面(πρόσωπον)にすぎない。そして、強者の裁き(δίκη)は峻厳極まるから、弱者(ἥττονων)、敗者(τὸν ἡττώμενον)にとっては、赦しがたい「不正」(ἀδικία)、「不当な」(ἄνισος)権利剥奪(ἄτνμία)と映る。
それが政治の論理である「政治術」(πολιτική)、政治的(τὰ τῆς πόλεως)ということである。
逆境にあって(ἀτυχεῖν)常に痛苦(λύπη)の意識が際立つ 「受難者」(παθητός)=弱者は、現実に悲観して、現実を見ないこと、考えないことに救いを見出すなかで逃避(τὸ φεύξογωμαι)に行き着く。
逆に、強者は現実肯定(κατάφασις)という名の現在への執着(πικρία)に陥りがちなのは、すべてが自らの支配に属して思うがままだから、現実はそのまま可能性の実現となり、現在と未来とが重なって、現実は世界全体となるからだ。無自覚で鈍感(ἀναισθησία)だから、強者こそ危ういと言える。
強者はすべてを自己に都合のいいようにしか理解せず、すべてを見ているようで見ていない(λανθάνειν)錯覚を免れ難い。それは弱者のように意識的でないから救い難く、なかなか自覚されないから命取りになる。
そして、強大とみられたこの世の勝者にも見落とし(πλημμέλια)は避けられない。何事も可能(δύνατόν)だと尊大になって(ὕβρίζω)いることに伴う重大な過失(σφάλμα)、失態(ἁμάρτημα)が、覇者の衰退と破滅(φθορά)を生む。
歴史の興亡がそれを物語る。予期せざる未来(τὸ μέλλον)の選択(προαίρεσις)を誤るからだ。そして、この不確実性が政治な行為、つまり未来の選択にかかわる実践的な行為の本質であり、宿命だ。
未来の予見(πρόνοια)、先見の明は仮設に基づく概念的思考である学問によっては充分な対応が期待できない。それは一種の賭けであって、政治の本領である言説の優劣による合意獲得、説得による多数派形成が課題となる。
それは、窮極の真理ではなく、「次善の手立て」(ὁ δεύτερος πλοῦς)を模索する人間的行為だからだ。[完]
反氏の、常に優れた側が支配する(445)、という言葉も問題なのであって、この優れた、というのは、何に優れているのだろうか?「良識」なのか?「徳」なのか?それとも、「学識や学歴」なのか?「知性」なのか?私が育った家では、「頭だけがよくて、性格が悪い人はどうしようもない。」とよく言われ、常識化されていた。確かに、歴史をみていくと、マルクスもゲッペルスも、学校の成績もいいし、二人とも大学で哲学の博士号をとっている。ただ、二人とも学生時代、人望がなかった。
人生は争いであり闘争、所謂「万人の万人に対する闘争」である(445)という反氏の主張も、マルクスは「階級闘争」、ゲッペルスが支持したヒトラーも「我が闘争」を志向し、マスコミを最大限活用して、自分たちのイデオロギーを普及したが、本来は、フンボルトやゲーテやシラーがめざした道、ベートーベンが「第9交響曲」で描いた、「人類協和」が正しい道なのではないのだろうか?ドイツ統一式典で、ユダヤ系アメリカ人レナード・バーンシュタインが指揮をし、東西ドイツ人が第9の合唱をしたのが、その真実を明白に物語っているし、ワイツゼッカー氏は、1990年10月3日の「ドイツ統一」の演説の最後をこう結ばれている。
我々は、確信と信頼感をもって、世界の他の民族の現在の窮状を認識する意志があります。そして、私たちが昨夜きいた喜び、現在感じる喜び、その喜びは、一つのGötterfunken(神々の閃光)です。
このGötterfunkenという言葉は、第9の終わりに、ベートーヴェンによって、なんども繰り返されている言葉である。
問題は、頭だけよくて性格の悪い人の、マスコミのプロパガンダを使った洗脳にどう対応するか、ということなのだと思う。マルクス主義に多くの知性派が騙され、日本でも戦後その思想は広く普及されたし、2月3日BSNHKで放映された「独裁者 ヒトラー 演説」という番組を見て、人間というものは、映像や音楽や演説の力に対して、演説者の発するプロパガンダに対して、なんと無力なのだろう、と感じた。反氏は、老ドイツ人の言葉を、ドイツ人の言い訳、開き直り、と受け取られるが、私は、素直な感想、反省、と受け取る。ナチスドイツは戦争に負けているから、彼らドイツ人の言葉は、自分たちがしたことに対しての報いを受けた上での言葉だからである。
それを考えた時、3月1日の韓国の「朝鮮民族を主体」においた反日運動「3.1.独立運動100周年」を経た韓国の世論が、どのようになるのか、とても気になるし、「文在寅」氏の「反日の」政治手法は、間違っていると感じる。
やはり、大きく見た場合、国際社会において、平和を構築するための「国際政治」は、戦前、日本人がその演説の真意を理解せず、戦争に突っ込んでしまった経験に照らしても、中国人孫文が神戸で演説したように、覇権を争う政治、つまり、「覇道」ではなくて、徳を志向する「王道」の政治をめざさなければならない、と思うし、ワイツゼッカーさんも、「完全には無理であるが」、と前置きをしながら、「同じようなものをめざす」演説や政治をしておられた、と強く感じる。
カ氏の幼稚園児並みの愚ぬもつかない御託(μωρολογία)、「ままごと投稿」的な戯言(ἀλαζονεία)⇒448~450の凡庸な(μέτριος)見解をみる限り、頑迷(δυστράπελος)に陥るしかない「狭量な精神」(σμικρολογία)に加え、知性の程度(μέτριον)を窺わせる。それがどの程度、劣悪(πονηρός)かは、それこそ、自分の頭で得と(ἱκανῶς)考えたらよい。
☆「精神の狭量は頑迷をもたらす。われわれは自分の理解を超えるものをなかなか信じようとしない」(ラ・ロシュフコー『箴言』265)、ということであり、
英国の女性哲学者(M. Warnock)がいみじくも指摘したように
☆「大体において、憤激の程度は、攻撃(者)の知性の程度に反比例する」(Ethics since 1900., 1960., p.85.)、ということなのだろう。いずれにしても、笑止な(καταγέλαστος)話だ。
齢70近くでこの体たらくだし、歳相応の規矩(ὅ ρος)もなく自制心(σωφροσύνη)を欠くから、「老媼は二度子供になる」(‘ὁ γραῦων δὶς παῖς γίγνεται’)倣いで、
☆「七十而從心所欲、不踰矩」=『論語』為政第二)という心境からは程遠いカ氏の無軌道(ὕβριοτής)ぶりは疑い得ない。
ハノイでの米中交渉が合意に至らなかったが、これも将来の見通しのつかない選択だからだ。
ニュースバリューも大したことはないだろう。所詮は、平昌五輪同様、世論の支持頼みの文在寅政権の演出であり、「猿芝居」に等しい独り相撲(σκιαμχία=a fighting against a shadpw)というしかない。無謀な独り相撲はカ氏に似ている。
日本統治下の朝鮮に対する日本の統治は、日本にとっては国防(φυλακή)の点でも、国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)の面でも歴史的必然性(ἀνάγκη)があり、当時の東アジアの国際情勢からみて避けられないものだったとしても、朝鮮にとってみれば傍迷惑な話であったことは紛れもない(φανερός)事実(ὅτι)である。
そして、朝鮮王朝に対して日本の統治者が行ったことは、特段の悪意(κακία)に基づいた悪業(κάκη)や邪悪な行為(μοχθηρία)ではない、あくまでも政治的な(τὰ πολιτικά)行動(ἔργον)だったとしても、それは目的(τέλος)のためには道理(ὀρθὸς λόγος)も手段(σκῆψις)も選ばない、有無を言わさぬ(ἀνέλεγκτος)過酷なものであって、結果として狡猾な(πανηρός)、ならず者(ὁ μοχθηρός)の所業(ἔργον⇒τὰ γενόμενα ἐξ ἀνθρώπων)にも等しい側面があったこともまた否めない。
朝鮮併合の直前、大韓帝国の警察権を奪って、日露戦争の前にロシアに潜入して謀略活動を行った明石元次郎少将を朝鮮駐劄憲兵隊司令官として新たに1200人の憲兵とともに派遣、「早期併合」を求める「上疏書」や嘆願書の提出など、親日勢力への工作活動に腐心している。
ニュースバリューも大したことはないだろう。所詮は、平昌五輪同様、世論の支持頼みの文在寅政権の演出であり、「猿芝居」に等しい独り相撲(σκιαμχία=a fighting against a shadpw)というしかない。無謀な独り相撲はカ氏に似ている。
日本統治下の朝鮮に対する日本の統治は、日本にとっては国防(φυλακή)の点でも、国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)の面でも歴史的必然性(ἀνάγκη)があり、当時の東アジアの国際情勢からみて避けられないものだったとしても、朝鮮にとってみれば傍迷惑な話であったことは紛れもない(φανερός)事実(ὅτι)である。
そして、朝鮮王朝に対して日本の統治者が行ったことは、特段の悪意(κακία)に基づいた悪業(κάκη)や邪悪な行為(μοχθηρία)ではない、あくまでも政治的な(τὰ πολιτικά)行動(ἔργον)だったとしても、それは目的(τέλος)のためには道理(ὀρθὸς λόγος)も手段(σκῆψις)も選ばない、有無を言わさぬ(ἀνέλεγκτος)過酷なものであって、結果として狡猾な(πανηρός)、ならず者(ὁ μοχθηρός)の所業(ἔργον⇒τὰ γενόμενα ἐξ ἀνθρώπων)にも等しい側面があったこともまた否めない。
朝鮮併合の直前、大韓帝国の警察権を奪って、日露戦争の前にロシアに潜入して謀略活動を行った明石元次郎少将を朝鮮駐劄憲兵隊司令官として新たに1200人の憲兵とともに派遣、「早期併合」を求める「上疏書」や嘆願書の提出など、親日勢力への工作活動に腐心している。
いずれにしても、文在寅政権の目論みの猿芝居たる所以は、「3.1運動」の後、翌4月10日には上海・フランス租界内で李承晩が大韓民国臨時政府の樹立を宣言し、自ら国務総理(=大統領)を名乗ったその臨時政府に、「建国神話」に相応しい実態があるか否かだろう。
当時の朝鮮国外での謂わばレジスタンス運動には上海グループのほか、亡命政治家集団には満州、米国派に加え、ロシアの支援を受けた金日成、つまりシベリア派の動きもあって統制がとれず乱立、相互に主導権争いもあって牽制し合っていた。
ここでも、朝鮮王朝由来の党派抗争と似た内紛劇が展開されていた。李承晩自身、内部対立を収拾できずに放り出して、半年で米国に舞い戻っている。実力者の金九が大統領に就任し組織を立て直すのは5年後の1924年だ。
従って、韓国憲法の前文にある「我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と…」という記述が想定する建国神話は、文字通り「物語思考」(εἰκός λόγοι)の産物である「真実らしき物語」(εἰκός μῦθος)、空想物語(μυθολογία)ということだ。
日本人は当時朝鮮で起きていたことの全体像を知らず、伊藤博文が「テロリスト」安重根によって暗殺されたことを過大視するが、朝鮮が外交権を喪失する1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)を、日本との「協調関係」を重視して積極的に推進した「親日」派の閣僚五人(実際は保身もあって心ならずも従った。「乙巳五賊」という)は「売国奴」と指弾され、反対派から命を狙われる。
このうち、のちに大韓帝国総理大臣になる李完用も伊藤暗殺の直後の1909年12月に朝鮮人青年に襲われる暗殺未事件が起きている。
歴史は常に複線で、単純な解釈を退ける。[完]
こうなってくると、やはり、明日の韓国の行事が気にかかる。日韓関係は予断を許さない。また、金正恩氏も、ベネズエラの大統領のように、ロシアに頼る、ことも考えられる。そうなれば、北朝鮮―イランーロシアのトライアングルが完成する。私は、国際社会でのそういう多方面の気配りをもって、日本のマスコミにいろんな状況を報道してほしい。1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)において、日本との「協調関係」を重視して積極的に推進した「親日」派の閣僚五人は、本当に、保身で心ならずも従ったのだろうか?伊藤博文がどんな政治家であったか、ということを含めて、やはり、マスコミは歴史の真実はどうであったのかをきちんと報道すべきだと私は思う。
昨年6月に続く二回目の米朝首脳会談の舞台になった、ベトナム・ハノイの五つ星ホテル「ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイ」(Sofitel Legend Metropole Hanoï=15 Ngo Quyen, Hoan Kiem, Ha Noi)には個人的な思い出がある。
ちょうど3年前の正月明け、妻の友人3人のそれぞれ配偶者同伴でベトナムに5日間旅行した際に立ち寄った。
創業が1901年のフランス統治下で、新婚旅行中のチャップリンや、作家のS.モーム、G. グリーンも投宿したという。滞在先のシェラトン・ハノイからタクシーを飛ばして夕刻、テレビ中継にも登場した中庭にあるプールサイドの席でカクテルを楽しみながら、南国での旅情に浸った。
いかにも植民地統治時代の雰囲気を残した外観と雰囲気で、東南アジアではよく見かける中国人観光客がほとんど見当たらず、同席した滞在客はほとんどが欧米人だったので、印象に残っている。
妻が、この老舗ホテルのオリジナルらしい有名フランス人パティシェの提供するチョコレート購入も兼ねて夕食後に訪れた。スウィーツ好きには堪らないらしいチョコレートビュッフェの時間は既に終了しており、あいにく売店も営業終了で閉まっていたが、瀟洒なLe Clubというカフェはジャズバーに切り替わっていて、店内はベトナムという雰囲気ではなかった。1月だというのに、プールで泳ぐ宿泊客もいた。
交渉の事実上の決裂は、北の首領を支えるスタッフ⇒金英哲73(キム・ジョンチョル=朝鮮労働党副委員長)▽金桂冠76(キム・ケガン=最高人民会議外交委委員)▽李洙墉68(リ・スヨン=最高人民会議外交委員長)▽李容浩62(イ・ヨンホ=外相)▽崔善姫54(チェ・ソンヒ60=外務次官)というお馴染みの同じ顔ぶれが、何ら大した権限をもっていないことが、露呈された形だ。
民主制の下での官僚や知識人など知的に有能な人物の役割については、所謂「ハーヴェイロードの前提」(Presuppositions of Harvey Road)という、しばしば悪しきエリート支配を正当化するものとして批判され、誤解されがちな政治思想があるが、政策の立案・決定を行う人々は、私心にとらわれない公正無私な知的エリートであることが前提だという、経済学者ケインズに事寄せて語られる政治的格率(Maxime)は、北朝鮮の場合は有効ではないようだ。最も頭脳明晰で有能な人々が政策遂行の「主体」であり、従って警戒すべきだ、ということは、北朝鮮に限って言えば、後ろ盾の中国抜きでは問題外と言うべきだろう。
「日露戦争も知らない」と本日夜のテレビの討論番組で外交ジャーナリストがくさしていたが、トランプ氏の反知性主義的なスタイルは攪乱要因になって、多様な政治の側面を炙り出して興味深い。将来の選択である政治的決断の真の意味について、賢いはずのエリートが逆に盲目(τυφλός)になっているというこの世の皮肉(εἰρωνεία)だ。政治的人間は一筋縄ではいかない。
所詮は「保護国」中国の袖の陰に隠れて、独裁者一族とその周囲の受益者集団が国政を壟断しているのだろう。個人的な印象にすぎないが、金正恩という男は、恐らく愚鈍ではないが臆病者(ὁ δειλός)だろう。
妻の友人がメールを寄こして、「トラちゃんやったね、持ち上げるだけ上げて、卓袱台返し。あ~あ、すっきりした」。拉致被害者家族には気の毒だが、案外穿っていて、正鵠を射ているのかもしれない。
前口上(προοίμιον)はこの位にして、本件で私の投稿は通算1600件に達した。篠田さんのお出ましを待って続けた今回のトピックスに限っても重複を除き251件で、如何にも多い。
カ氏のコメントは誤謬が多く、でたらめが過ぎるのでモグラ叩きのような仕儀に立ち至り、退屈しのぎにはなったが、冗長にすぎた。その分、北朝鮮より硬直的な面が明らかになった。
カ氏は、論理的に厳密な議論になると、勝手が違う(ἄτοπος)のか、我を張り(αὐθαδίζομαι)通すことで自らのちっぽけな自負心を守るのに汲々とし、自分の手に負えない(ἄπορος)ことに直面すると途方に暮れる(ἀπορέω)でもなく頬被り(ἐάω)するか、論点を逸らして(ἀποτρέπω)、憐れむべき「お子様論議」を反復(παλιλλογία)して醜態を自ら露呈する(ἀποφαίνω)ことに終始してきた。
熱心である(σπουδάζω)のは理解できるが、確実な(βέβαισος)立論は稀で、人柄としての器量(ἡ ἠθικὴ ἀρετή)も、真っ当な(ὀρθότης)知的能力=思考の働きとしての器量(ἡ διανοητικὴ ἀρετή)も決定的に欠けている(ἀπορέω)ことが明白で、それもまた、「無学」ゆえの不可避な運命(εἱμαρμένη μοῖρα)なのだろう。
われわれ人間の存在(τὸ εἶναι)自体が、ある意味で取るに足らないから、それも許されるのかもしれないが…。[完]
私は、友人にベトナム旅行に誘われたが、行かなかった。ベトナム戦争、ベトコンのイメージがありすぎたからである。タイには行き、サマセットモームが定宿にしていたオリエンタルホテルに行き、堪能したが、ベトナムはあのような歴史を経ても、いかにも植民地統治時代の雰囲気を残した外観と雰囲気を持ち続けるのか、と思ったし、それは、戦後次々と新しい建物が立った西ドイツと戦前の建物しか主な文化遺産がなかった東ドイツの差でもあった。要するに、社会主義国家、というのは、優れた文化、産業を生み出せないのではないのだろうか?
そつのない秀才ぞろいだが、得てして能なしなのだろう、とあるが、粛清がこわいから、北朝鮮の高官は自分の意見が言えない、というのが実態である。東独の人びとも、マルクス主義の教育を受け、秘密警察による監視社会だったからこそ、「自由」を求めながら、自分の考えていることは口にできなかったのである。
社会主義国の場合は、自由な発想ができないし、実質「独裁者」の意向に従わなければ、「強制収容所送り」になるので、官僚は、民衆に奉仕するのではなくて、「独裁者」の意向に沿う努力をせざるを得ないのである。金正恩氏は、考えの違う叔父の張成沢を殺害したのではなかったか?このような社会主義国家の現実が、大学教授の肩書をもつ日本の進歩的知識人、マスコミの人びとに未だに広く認識されず、「報道の自由」がある日本で、「真実」が報道されないことは大きな問題だと思う。
「トラちゃんやったね」と私も思う。けれども、それは違った意味である。米国トランプ大統領は、日本の立場をわかり、日本に配慮して、条約に署名することをなさらなかった上に、金正恩氏を持ち上げるだけ持ち上げて、彼の気持ちをなごませ、この交渉は続く。という雰囲気を作り出された。交渉が続く限り、日本には核ミサイルは飛んでこない。ウィーン会議と同じである。ただ、その分「日米自動車交渉」は厳しいものになる可能性が強い。どちらにせよ、ドナルド・トランプという人は、臆病ではなく、信義を守り、決断力のあるビジネスマン出身のやり手のアメリカの大統領だ、ということがよくわかった。
失敗した、素人政治家トランプ氏の失点である、などと「コメンテーター」に発言させたり、交渉の難易度を対比して箇条書きにして、なにか意味があるのだろうか?
「3.1.」の準備についても同じである。「独立運動」について、韓国人はどう考え、日本の自民党系の知識人はどう考えているか報道すれば、反日勢力から、反発はあったかもしれないが、その事件を知らない日本の若者も、両者の主張をきき、考える契機になったのである。ところが、反発を恐れて、まるで報道しないから、この日に韓国に観光旅行にゆく日本の若者が現れる。このような姿勢は、トランプさんの勇気ある姿勢と対照的なものに私には映る。
カ氏が知る「旧東欧、社会主義国の実態」とは、「アウシュヴィッツも碌に知らなかった」世間知らずのミーハーが、西独に留学して、ただ現地=東独を部分的に見て回った(περίειμι)、つまり中途半端に歩き回って(περιέρχομαι)垣間見たり(θεάομαι)見物した(θεωρίω)結果を、充分に観察する(θεωρημεῖν)ことなく、過大に(τὸ μείζων)驚いて(θαυμάζω)、よせばよいものを、自発的に(ἑκών)即ち不本意(τὸ ἀκούσιον)ではなく、自ら進んで(ἑκούσιον)軽率に(ῥᾳθυμηος)考えを変えた(μεταβάλλειν)だけであろう。
単純(ἁπλοῦς)というか、よほどお目出度い(εὐήθεια)のだろう、浅薄な(ἁπλοῦς)人間性がよく表れている。何のことはない(ἀτεχνῶς)、知慧が足らない(ἀπορέω)のだ。
道理で、「原理主義的護憲派」だったわけで、東独や共産圏の事情など、ハンガリー動乱やチェコ事件を挙げるまでもなく、日本にいてもいくらでも知ることができたのに、ご苦労にも態々西独に留学しなければ思い至らない(λανθάνειν)ほど先入見(ὑπόληψις)に囚われ、頑迷固陋(δυστράπελος κὰι ἀκληρότης)ゆえに偏狭(σμικρότης)で偏っていた(σμικρολογέομαι)、ということなのだろう。
カ氏が知る「旧東欧、社会主義国の実態」とは、「アウシュヴィッツも碌に知らなかった」世間知らずのミーハーが、西独に留学して、ただ現地=東独を部分的に見て回った(περίειμι)、つまり中途半端に歩き回って(περιέρχομαι)垣間見たり(θεάομαι)見物した(θεωρίω)結果を、充分に観察する(θεωρημεῖν)ことなく、過大に(τὸ μείζων)驚いて(θαυμάζω)、よせばよいものを、自発的に(ἑκών)即ち不本意(τὸ ἀκούσιον)ではなく、自ら進んで(ἑκούσιον)軽率に(ῥᾳθυμηος)考えを変えた(μεταβάλλειν)だけであろう。
単純(ἁπλοῦς)というか、よほどお目出度い(εὐήθεια)のだろう、浅薄な(ἁπλοῦς)人間性がよく表れている。何のことはない(ἀτεχνῶς)、知慧が足らない(ἀπορέω)のだ。
道理で、「原理主義的護憲派」だったわけで、東独や共産圏の事情など、ハンガリー動乱やチェコ事件を挙げるまでもなく、日本にいてもいくらでも知ることができたのに、ご苦労にも態々西独に留学しなければ思い至らない(λανθάνειν)ほど先入見(ὑπόληψις)に囚われ、頑迷固陋(δυστράπελος κὰι ἀκληρότης)ゆえに偏狭(σμικρότης)で偏っていた(σμικρολογέομαι)、ということなのだろう。
そうでもなければ、自己欺瞞、つまり自己を欺いて(παρακρούειν)いるのではないか。いずれにしても、つける薬はない。
「無学」(ἀπαιδευσία)な市井の民でも、本性的に(οἰκεία φύσις)無知(ἄγνοια)でも愚鈍(ἀμαθία)でも無思慮(ἀφροσύνη)でもなければ、カ氏のように現地での見聞(περιπτωσις)や体験(πείρα)に基づく思いつき(ἔννοια)を、取り立てて「大いなる値打ちがあると思って」(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)過大に評価する(ποιέω)あまり、逆上せ上がって(ἀγωνία)我を忘れて(ἀσχολεῖσθαι)、饒舌に無駄口を叩いたり(ἀδολεσχεῖν)はしない。
それは、思い込みの対象(τὸ δοξαστός)が変わっただけで、軽率であることに何の変わり(ἀλλοίωσις)もない。別種の(ἀλλοῖος)思い込みにとって代わっただけで、愚鈍さにおいては選ぶところはない。
現在のカ氏の惨状をみれば、もはや贅言(ἀδολεσχεῖν)は要しまい。率直に言って(παρρησιάζομαι)、カ氏の一連のクズにも等しい、党派心(φιλονεικία)剥き出しの驚くべき(θαυμάσις)断定(λῆμμα)、つまり「擬似プロパガンダ」は、自制心(σωφροσύνη)を欠いた、無軌道(ὕβριοτής)極まる老媼の「放言」(παρρησια)だろう。文在寅大統領の式辞同様、戯言(ἀλαζονεία)として扱えばよい。
だから、何ら具体的論証なしに、冷戦期でもあるまいし、今どき珍しい時代がかった古色蒼然たるグロテスクなまでに誇張(αὔξησις)された「反共産主義」という拍子外れ(ἑτεροδοξία)な党派(συνωμοσία)の論理=イデオロギー(虚偽意識性)で、見境なく妄言を撒き散らしている。
そうした、如何にも筋の通らない(ἄπορος)妄説(ἀλλοδοξία)⇒‘Karoline Doctrine’)を「捏ねて」(πλάττω)相手を攻撃(ἐπιχείρησμα)乃至誹謗し(λοιδορέω)、中傷(συκοφαντία)する言辞を塗りつける(περιάπτω)ことも厭わない。
何のことはない(ἀτεχνῶς)、極端な(ἔσχατος)自己愛(φιλαυτος)と我執(πικρία)、私怨(ἐπονείδιστον)から私情(ιδιώτης)と個人的な好嫌(ἥ εὔνια καί μῖσος)に偏、依怙贔屓する(καταχαρίζομαι)浅ましさだ。
カ氏はよく、「マスコミ出身…そういう意見を拡散する」のような措辞で、私の「主観的見解」と言いたげな難癖をつける。その根拠といえば、459②⇒【友人にベトナム旅行に誘われたが、行かなかった。ベトナム戦争、ベトコンのイメージがありすぎたから】という程度の話で、無知蒙昧も甚だしく、日頃の「百聞は一見に如かず」のような、単純な「経験主義」=実感信仰派(ἐμπειρικός)とは随分異なる。
ご都合主義の二重基準もいいところで、誤謬や誤記の見苦しい言い逃れ(ἀπολογία)同様、自分に都合のいい現実(τὸ γιγνόμενον)しかみようとしない、謂わば「現実逃避」でしかない「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)の妄説、カ氏の言い方なら「仮想現実」(εἰκός)に生きている、ということになる。
「拍子外れ」という書き方をしたが、そのギリシア語[πλημμέλεια]は、「はき違え、思い違い」の謂いであって、「潜越」や「越権」を意味する。どんな過激な発言も基本的に自由だが、「言論の自由」(παρρησια)とは率直に言うべきことは言うことだが、そこには自ずから(αὐτόματος)良識(εὐγνωμοσύνη)と節度(σωφροσύνη)がある。
自分以外の参照した、乃至「同意」する(συνεπινεύειν)他者の見解なら、それを明示して(ἐπιφανίζειν)、首尾一貫した説明をする(συμβιβάζειν)「真っ当な分別」(ὁ ὀρθὸς λόγος)をもたなくてはならない。
カ氏にはそれが根源的に欠落している。歳相応の知慧と分別(σύνεσις)があるのなら、頭を冷やして(ἀνεικάζομαι)、冷静さ(ἀνεικαιότης)を取り戻して得と考えたらよい。
もともとカ氏は思考力的力量(ἡ διανοητικὴ ἀρετή)が欠けているから、驚くほど(θαυμαστός)大胆な(θαρραλέος)、というか無鉄砲(τόλμα)極まりないのは、思い込みの極端さを生む度量の大きさ(μεγαλοπρέπεια)の欠落(στέρησις)で、人間性(τὸ ἀνθρώπειος)にも問題があるのだろう。
それでなくとも、カ氏はその如何にも陳腐(βαναυσία)で粗雑な(σομφός)措辞(ῥητορική)が明瞭に(ἐναργής)示すように、如何にも低俗な(φαῦλος)素人芸(τὸ ιδιωτικόν)の議論しかできず、人ごとながら憐れを誘う。
本トピックスのテーマであり、注目された割には肩透かしにあった感のある、「3.1運動」百周年記念式典について言えば、文在寅政権が意気込んだ割には,盛り上がったのは隣国の民主派勢力のみで、どこか白けた雰囲気が漂う。
米朝首脳会談が物別れに終わった影響もあろうが、元々自前で(αὐτόνομος)将来の朝鮮半島の未来図が描けない韓国自身の力量不足もある。「力の正義」(δίκαιος δύναμις)が罷り通る国際政治の冷厳な現実に、韓国が翻弄されている結果だろう。
日米同盟にしたところで、幼稚園児の遊戯ではないから、「お手手つないで」みんな仲良くというだけでは済まず、国益をめぐるニベもない選択がある。
演説で強調された、【「反日残滓」の清算が不充分】との指摘は、日本統治下の協力者に対する非難であって、盧武鉉政権時代の2004 年に国会で成立した「親日行為糾明法」に沿ったもので、多分に国内政治的なものだ。「積弊清算」と同じ構図だ。
「被害者」、即ち植民地支配の「受難者」(παθητός)に寄り添う「弱者」(ἥττονων)の論理も、弱者の立場からみた歴史、正義、畢竟「現実」認識の違いを強調する趣旨で、既述した通り、弱者の現実認識、歴史像は、適わなかった願望(βούλησις)や、「そうあれかしと望む」(προαιρεῖσθαι)理想像を紡ぎながら、それに即した記憶(μνήμη)や想起(ἀνάμνησις)から構成する(συνίστημι)、「まことしやかな物語」(εἰκός μῦθος)、過去の像であって、真相(τὸ τί ἦν εἶινι)は、そこにあるようで、ない。特に弱者の歴史認識は観念性(ἔννοια)を免れない。個々の出来事(ἔργον)=事実(ὅτι)はあるが、それが歴史そのものではない。
歴史は所詮、人々の記憶や想起の中で再生産され、不断に書き換えられていく運命にある。それは現在(νῦν=παρουσία)から見た過去(ἦν)の記憶と想起の構築物(τὸ σύνθετον)であって、歴史的な探究の対象となる現実(ἔργον γιγνόμενον)というのは畢竟、過去にとって「未来」(τὸ μέλλον)からみた「現在」(χρόνος ὁ παρών, νῦν)、即ち常に「過去」であることに外ならない。
歴史家が頼みとする個々の客観的な史料や証言も全体像(τὸ ὄλος)を跡づけることはできず、再現(μίμησις)も実験による立証(πίστις)も不可能で、ただ、「真実らしきもの」(εἰκός)に「接近」(ἐμπέλασις)できるだけだ。共有される(κοινός)「客観的な真実の歴史」など、実は何処(ποδαπός)にも存在しない所以だ。
韓国の「物語思考」を憐れみ(ἐλεέω)、嘲笑する(καταγελάω)のは容易だが、日本及び日本人の場合も、自尊心=矜持と言うなら、言葉の真の意味で[μέγας, μεγαλο]=「大」きな[ψυχία⇒ψυχή]=「心」、豪気さ(μεγαλοπρεπής)、高邁さ(寛厚さ=μεγαλοψυχία)、恬淡(ἐλευθεριότης)な「心の宏さ」、畢竟「大度」(μεγαλοπρεπής)を肝に銘じるべきだ。
そうした本来の意味での心の余裕(σχολή)が人間としての器量を左右するわけで、国家指導者としては、格(ἀξίωμα)が落ちる文大統領は、残山の石なのだ。。
その意味で、われわれは、隣国の「反日」の二重性について、もう少し思いを巡らせる必要がある。朝鮮駐劄憲兵隊司令官の明石元二郎は、大韓帝国の治安維持に辣腕を振るったが、日本から新たに1200人を加えた憲兵2000人では抵抗勢力の「義兵団」取り締まりには不充分で、日本人憲兵一人に対して朝鮮人を三人、「補助員」にして、合計8000人体制で取り締まり=弾圧を行った。
同じ民族の中に反日と親日の対立を作り出したわけで、併合後の1923年、数千人とされる関東大震災の際の流言蜚語に基づく朝鮮人虐殺も、日本国内に潜むと想定した「不穏分子」を無差別殺傷で炙り出す、過酷な植民地統治のもう一つの側面だった可能性を否定できない。[完]
私が、東欧で見たのも、まさにこれなのである。現地=東独を部分的に見て回った、つまり中途半端に歩き回った私は、大学時代「若きマルクスの思想」の勉強会で、経済研究所の研究員であった父の主張する、机上論では「本来素晴らしいはずの」計画経済の理論が、「現実」になると、どのようなものになるか、ということを自分の目で見て、その実像を理解したのである。鄧小平の改革開放のモデルは、日本なのであって、現実的に見れば、中国経済は、すでに、日本型経済で、「計画経済」ではない。その中国がこれだけ発展したことから見ても、日本は、日本のやり方を貫けばよかったのであって、学者の言うことをきいて、ラストベルトを生み出してしまったアメリカの産業の真似をする必要がなかったのではないのだろうか?国際社会の問題は、経済から始まるのであって、「アウシュビッツ」も、「豊かな金融業者ユダヤ人」に対する反発なのである。
米朝交渉が決裂したことにより、文在寅大統領は、これ以上「反日を煽る」こともできず、「3.1.100周年」は、なにごともなく終わった。けれども、「3456」の456、1960年、4・19民主革命(四月革命)の4、80年の「5・18民主化運動」(光州事件)の5、87年の「6・10抗争」(6月民主抗争)の6は続く。韓国は北朝鮮と国境を接する結果、日本と違って、軍事政権のクーデター、粛清など、民主化と逆行する不幸な戦後史があったが、1987年6月に「国民の大団結と偉大な国家への前進のための特別宣言」。六・二九民主化宣言をし、大統領直接選挙制の導入と、金大中ら反体制派政治家・政治活動家の赦免・復権は達成したのだから、韓国の民主化革命は実現した、と考えるのがまともだし、「左翼」は「全体主義」で、「民主化を意味しない」、ことを繰り返し強調したい。
日本のマスコミの人びとは、「民主化」にしろ、「リベラル」にしろ、「親日」にしろ、「非核化」にしろ、辞書をまるで無視して、自分の好き放題に言葉を使っておられるような気がするが、それは、視聴者や読者におかしな先入観を与える、と思う。
その国に旅行にゆくと、その人は、「親XX」なのだろうか?「反XX」の国には、行かないと思うが、私も若い頃は、色々見てやろう、と様々な国に行った。その中には、物価が安い、おいしいものが食べられから、という場合もあった。また、本当に、「親xx」であろうとしたら、やはり、その国の言葉を覚えたり、文化を知ろうとするのではないのだろうか?マスコミは、韓国人の旅行で日本にやってくる数だけで、若い韓国人に「親日」が多く、日本は一般の韓国人に好かれているみたいな主張するが、グルメやアニメや温泉やタレント、だけではない、日本固有の文化について、日本の精神について、どれだけの若い韓国人が、興味をもち、日本語を学習しているのだろう?その面では、韓国の戦後の学校教育の影響で、「反日」一色なのではないのだろうか?これには、「進歩派」も「保守派」もない。
また、韓国人の中に、ドナルド・キーンさんのような、あるいは、ライシャワーさんのような人はいないのだろうか?彼らは敵国だった日本の文化を愛し、言葉を学び、日本サイドに立って、色々発言してくださった。私の親友も、韓国人として生まれたが、日本人や日本文化が好きで、日本人になったが、そういう人も、韓国に帰れば、文在寅さんの目から見れば、財産を増やす為に、日本政府に協力した人の子孫として、財産の没収の対象になるのかもしれない。
そういう人格の人を、隣国の元首の言動として理解できる、ということ自体どうかしている、と私は思う。また、客観的に見れば、韓国政府が、戦後一貫して特に歴史教育という面で、「反日教育」をしていることが一番の問題なのであって、日本のマスコミが、それが「日韓関係のとげになっている。」事実にいつ気づいてくれるのか、と思う。
とにかく、カ氏は思い込み(δόξασμα)と思いつき(ἔννοια)が過ぎる(τὸ μείζων)。自分の無知を棚に上げて、如何にも厚かましく(ἀναισχυντος)無謀(θρασύτης)この上ない。「自分自身を知ること」(τὸ γνῶναι αὑτόν)なく、分を冒す(πλέον ἔχειν)「夜郎自大」の典型だ。「常識」(τὰ ἔνδοξα)のほども、怪しい。
460⇒【ケインズによる「ハーヴェイロードの前提」、政府は民間経済主体に比べて経済政策の立案能力・実行能力に優れている、という説】⇒⇒‘Presuppositions of Harvey Road’という言葉は、『J. M. ケインズ伝』(“The Life of John Maynard Keynes”, 1951, Macmillan)という著名な評伝の中で著者の経済学者ハロッド(Roy F. Harrod)が、ケインズの生家があるケンブリッジのハーヴェイロード6番地にちなんで、ケインズの政治思想をそう評したことで流布した評言で、「政府は民間経済主体に比べて経済政策の立案能力・実行能力」云々の話とは全く異なる。
カ氏は相変わらず無知で、何を寝惚けたことを言い募って、性懲りもなく恥晒しをしているのか、気が知れない。
フンボルト(W. von Humboldt)の「444」についても同様で、つける薬がない。
ケインズは「彼の精神は、批判的な知性は創造的な知性とは両立しない、という通俗的な誤謬に対する完璧な反例であった」(ブレイスウェイト[R. Braithwaite]が哲学雑誌『マインド』(“Mind”, vol. 55, No. 219)に寄せた追悼文の一節)のとは対極にある、「お勉強ができる」だけの如才のない秀才とは次元の異なる人物で、自分の利害得失や通り一片の理解にしか関心を示さない凡庸な民衆には無関心だったろうが、知的エリートが道徳心に富む高潔な集団だとは端から信じてもいない。謂わば例外的人物で、ドイツの知識人には少ないタイプ。
社会の政治的成熟度が英国とドイツとでは違うためで、M. ウェーバーがドイツでは少数派の「英米派」だったことを思い合わせると、知性の社会的意味について考えさせられる。
ケインズが唾棄(μῖσος)したのが、愚鈍(ἀμαθία)、退屈(ἀναισθησία)、陳腐(βαναυσία)、凡庸(μεσότης)。
462⇒【米朝首脳会談の報道を比較…日本のテレビ…大事な点…例えば、Spiegelの電子版…文在寅大統領…韓国政府と日本政府の…考えの違いが、ほとんど伝えられない】⇒⇒会談の成果に期待を寄せ、経済制裁解除に向け前のめりに(προπετής)なっていた文在寅大統領の落胆と誤算について、日本のメディアも伝えており、別に民衆レベルでは大方が無関心(ἀμέλεια)のドイツメディアなど、大して参考にならない。「ドイツ狂」の身贔屓(καταχαρίζομαι)が過ぎる。
Daß die Logik diesen sicheren Gang schon von den ältesten Zeiten her gegangen sei, läßt sich daraus ersehen, daß sie seit dem Aristoteles keinen Schritt rückwärts hat tun dürfen, wenn man ihr nicht etwa die Wegschaffung einiger entbehrlichen Subtilitäten, oder deutlichere Bestimmung des Vorgetragenen, als Verbesserungen anrechnen will, welches aber mehr zur Eleganz, als zur Sicherheit der Wissenschaft gehört. Merkwürdig ist noch an ihr, daß sie auch bis jetzt keinen Schritt vorwärts hat tun können, und also allem Ansehen nach geschlossen und vollendet zu sein scheint.(I. Kant, “Kritik der reinen Vernunf.”, S. VIII., Riga, 1787., hrsg. von A. Görland; Immanuel Kants Werke in Gemeinschaft mit H. Cohen, A. Buchenau, O. Bueck, A. Görland und B. Kellermann hrsg. von E. Cassirer, Bd. III, S. 13, Benno Cassirer, 1913, Berlin.=Cassirer Ausgabe)
「論理学がこの確実な歩みをすでに最古の時代からたどってきているということは、論理学がアリストテレス以来、一歩も後退する必要のなかったことから見てとれることであって、これは、人が論理学からいくつかの無くても済む綿密さを除去しようとしたり、あるいは論述されたことをもっと判然と規定することを改善とみなそうとしたりしない時のことであるが、しかしこうしたことは、この学の確実性に必要であるよりは、むしろこの学を洗練するのに必要なことである。なお論理学で注目すべきは、論理学が現今にいたるまで一歩も前進することができず、それゆえどう見ても閉鎖的で完結的であるように思われるということである。」(『純粋理性批判』第2版序文、原佑訳、『カント全集』第4巻、理想社、34~35頁=一部訳語を変えた)
カントはフンボルト同様、ドイツの知性の中では例外的な立派な人物だが、学問的伝統の正統性(τὸ διότι)を考えた時、論理学におけるドイツ観念論(Deutscher Idealismus)の「後進性」をもっともよく示す文章で、種々と考えさせられる。[完]
「大英帝国」を築き上げたイギリス人というのは、基本的に、政策遂行における知的エリートの役割について、「イングランドの高等知識層」の伝統に立つ強烈なエリート意識のもち主が、特に保守党には多かったのではないのだろうか?そして、その公務員は、パブリックサーバント、国民に奉仕する人でなければならない、という哲学をもつ。ケインズの政治観、も例外ではなく、それが、民主主義観の原点になっていてもまるで不思議でない。
振り返れば、私は、このイギリスの哲学を高校と大学で学んだ。私の卒業した県立神戸高校は、生徒に自分は人より偉い、というエリート意識をもってはいけない、と諭され、かつ、イギリスのパブリックスクールの規範である「自由と規律」を模範に学生生活をおくりなさい、という教育哲学をもっていた。本来、パブリックスクールは、13歳~18歳の子供を教育するイギリスの私立学校の中でもトップの10%を構成するエリート校の名称で、学費が非常に高く、入学基準が厳格なため、奨学金で入学を許された少数の学生以外は裕福な階層の子供達しか行けなかったとあるが、そういう学校を、公立学校がモデルにすることはすごいことだな、と今思う。大学も関学のベーツ博士のMastery for Serviceの中にその精神は現れる。
In England the officials are called civil servants, and the highest officials Ministers of State. That implies a true conception of the nature of the work of an official. His duty is not to command, but to serve. In fact, a man is great only to the extent to which he renders service to society.
反氏の、日本、韓国、中国の首脳の「米朝交渉」の結果に対する反応の差、について、民衆レベルでは大方が無関心のドイツメディアなど(475)という憶測も言語道断で、ドイツのメデイアは、アメリカと違って、米朝交渉はトップニュース扱いだった。私から見れば、どうして、日本のメデイアは、日本人に直接関係のあるこのニュースをまるで他人事のような報道しかしないのか、と思ったし、なぜ、ベルリン封鎖、の趣がある、ベネズエラ関連のニュースを大きく取り上げないのか、とも思った。
論理学についてであるが、そのドイツ人の教授にプラトンの哲学についても同じ日に教わった。プラトンの哲学は、プロとコントラ、デイベートと同じように、両方の立場に立って、徹底的に考えた上で、結論を出す、というもので、その為に問題の認識が深まったそうである。「憲法9条の改正反対」の主張はよく聞いたし、わかった。
感情的なデモではなくて、「改正賛成、集団的自衛権、そのメリットはなになのか。」ということを冷静に、理性的によく考えて上で、結論を出すべきなのではないのだろうか?篠田先生、「憲法についての本」がんばってくださいね。応援しています。
「イングランドの高等知識層」という際の「高等知識層」とは[high ‘Intelligenzija’]のことで、ロック(J. Locke)やH. シジウィック(H. Sidgwick)ら偉大な‘Moral Scientist’の知的伝統につながる明白な自負心に基づいており、ある意味で非民主主義的である。彼は単純なエリート主義者ではないが、カ氏の想定するような凡庸な見解を遥かに超越する、呵責のない人間性の観察者(θεατής)だった。
477②⇒【ケインズの政治観、も例外ではなく、それが、民主主義観の原点になっていてもまるで不思議でない】⇒⇒『マインド』に追悼文を寄せたR. ブレイスウェイトの言を藉りるなら「プラトンの求めた哲人王の資質を、ほかのどの政治家にもまして完璧に体現していた人物だった…彼の道徳観はムーア(G. E. Moore)の『プリンキピア・エティカ』(“Principia Ethica”, 1903)のそれであった。彼ほど人間味あふれる功利主義者はいなかった」。
プラトン同様、ケインズは民主主義に対する信仰が端から欠けている。
477③⇒【イギリスのパブリックスクールの規範である「自由と規律」を模範に学生生活をおくりなさい、という教育哲学】⇒⇒池田潔の『自由と規律』(岩波新書、1949)にかぶれた連中が、階級社会が残る英国と日本との違いを無視して、勘違いしている(ἑτεροδοξέω)だけだろう。莫迦莫迦しいが、そこにも一種の「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)がある。
豊臣秀吉の朝鮮出兵も緒戦の快進撃はともかく、明の支援を受けた朝鮮側の反攻に遭い次第に苦戦を余儀なくされる。負けて逃げ帰らなかっただけの話。
神武紀元から数えてもまだ2679年という「東贏」の島国にすぎない日本も、カ氏のように、身の程知らず(πλεονεκτεῖν)の夷狄(βάρβαροι)の時代が長く続いた。
478⇒【論理学について…ドイツ人の教授に…同じ日に教わった。プラトンの哲学は、プロとコントラ、デイベートと同じ…両方の立場に立って、徹底的に考えた上で、結論を出す…その為に問題の認識が深まった】⇒⇒件のドイツ人の元教授とやらは、ギリシア語も読めず、プラトンについてもっともらしい、見当違いな俗説(ψευδῆ δόξάζειν=ἐπιλογισμός)を喋喋しているだけだろう。
【ドイツの大学でドイツ語で文学の博士号…指導者…と説明すれば、素直に納得する】(11月1日・31)という、ナイーヴなカ氏の身贔屓(καταχαρίζομαι)で、他愛無い「お勉強会」の指導者である人物が【京大で教えたことのある「日本に長いドイツ人の教授」】(どの道、「教養部」か「人間関係学部」程度だろうが)ではないのか。
19~20世紀前半のドイツ最大の古典学者ヴィラモヴィッツ・メレンドルフ(Ulrich von von Wilamowitz-Möllendorff)の名をカ氏が「知らない」ことは、それだけで驚きだったが、元教授もギリシア学のあらゆる分野を研究した該博な知性のもち主の仕事の一端さえ知らないことを裏書きするもので、二人揃って話にならない。
元教授氏が正統な(ὀρθός)な教養人ならば⇒【ラテン系の人々がギリシャではなくて、ローマ神話を好むのは、言語の構造がラテン語と似ていて、理解が容易だから】(12月19日・32)という程度の認識も、古典語自体の知識も、ドイツの真っ当な知識人の中に置き直すと低劣な部類に入るだろう。
元教授は、ガダマー(H. G. Gadamer)を信奉しているようだから、大方、その師のハイデガー譲りの、姓名判断じみたギリシア語の語源解釈――それは、ニーチェにも通じる――を無批判に受け取り、思いつきを日本人の「無学」な老媼に吹き込んだか、カ氏が自分に理解できる部分だけを受け取って、勝手に思い違いをしているだけなのだろう。
ガダマーはハイデガーに私淑する以前、新カント派のナトルプ(Paul Natorp)や古典学者フリートレンダー(Paul Friedländer)の下で1929年にプラトンの後期対話篇『ピレボス』解釈の論文(“Platos dialektische Ethik und andere Studien zur platonischen Philosophie”, 1968.に所収)で教授資格を取得して、マールブルク大学に採用されている。その際、次のような出来事があった。英語版Wikipediaによれば、
Gadamer habilitated in 1929 and spent most of the early 1930’s lecturing in Marburg. Unlike Heidegger, who joined the Nazi Party in May 1933 and continued as a member until the party was dissolved following World War II, Gadamer was silent on Nazism, and he was not politically active during the Third Reich. Gadamer did not join the Nazis, and he did not serve in the army because of the polio he had contracted in 1922. He joined the National Socialist Teachers League in August 1933.
さらに、
In 1933, while teaching courses on ethics and aesthetics at Marburg, Gadamer signed a declaration in support of Hitler and his National Socialist regime. Did this mean that like his teacher, Heidegger, he was an unabashed supporter of National Socialism? If so, as some suggest, why would Gadamer have expressed shock months earlier when Heidegger had announced his own support for National Socialism? And why did Gadamer intentionally cultivate and maintain friendships with Jews during those years, while distancing himself from Heidegger until after the war? Gadamer’s biographer, Jean Grondin, offers details of Gadamer’s actions and inactions during this vexed period, and concludes that while Gadamer may have lacked the political savvy and courage for resistance, he was, unlike Heidegger, no Nazi. (Lauren Swayne Barthold).
ガダマーは積極的に、謂わば「確信犯」としてナチスに加担したハイデガーとは対照的で、心ならずも師への「忖度」と反感が綯い交ぜになった愛憎半ばする感情を抱え続ける(Gadamer’s relationship with Heidegger was an ambivalent one)。
もっとも、ヤスパースのように一切の「協力」を拒んだわけではなく、保身に終始した以上、疚しさもあっただろう。
ところで、私が476でカントの『純粋理性批判』から引用して論じた「論理学」(λογικόν)とは、アリストテレスが考案した厳密な推論(συλλογισμός)の学問(μάθημα=Wissenschaft=science)としての論理学、即ち今日の分類で「名辞論理学」と呼ばれる定言三段論法(συλλογισμός=数学的には「束」=「半順序集合」の一種、所謂「クラスの理論」)のことであって、プラトンにアリストテレスに匹敵する特段の論理学のようなものがないことは、研究者の共通認識(κοιναὶ δόξαι)だが、元教授にはそれがないようだ。
ドイツの知性の中では例外的な部類に入るカントにみられる論理学または論知学に関する認識の「後進性」とは、アリストテレスによって論理学は完成されてしまったと勘違いし(名辞の包摂関係[περιέχής]=三段論法に関する限りその通りだが)、名辞論理学の取り扱わなかった仮言的判断を含む、名辞(ὄνομα=term)にとどまらない推論式、つまり命題(πρότασις=proposition)の包摂関係を考える命題論理学、それは、アリストテレスの高弟テオプラストスが(c. 371~c. 286 BC)が発見し(論理学関係の著作は現存しないが、そうと推定される後世の資料が残っている)、次いでアリストテレスとともに古代の二大論理学者と称される初期ストア派のクリュシッポス(280~c. 205BC)が確立した現在の論理学のもう一つの源泉である命題論理学については考慮の外にある、ということだ。
さらに、それをストア派とは別に考案した中世のスコラ哲学による命題論理学の「再発見」(なぜなら、クリュシッポスやその他のストア派の多くの論理学的著作は消失し、当時は知られていなかった。後世になって二次的資料でその内容が確認される)について、スコラ哲学が完成させた論理学体系について、プロテスタント文化圏のカントやドイツ観念論の哲学者はほとんど知らず、実質的に中世以前の状態に足踏みしていたことになるからだ。
以上のことは、別に私の主観的見解ではなく、自分で確かめたいのなら、英語の標準的著作、例えば『論理学の発展』(W. K. Kneale and M. Kneale; ‘‘The Development of Logic’’, 1962)でも読めばいいし、ドイツ語ならH. Scholz; ‘‘Geschichte der Logik’’, 1931.がある。
ドイツ人の元教授という人物も軽率なのだろうが、カ氏のように何も知らないで、よく調べもせずに、反射的に(ἀνάκλασις)愚劣な「似而非反論」(ψευδομαρτυρία)を繰り返すのも「病気」なのだろう。。
投稿自体が自ずから(αὐτόματος)「阿呆」(ἠλίηθιος)の証明(τεκμήρια)にしかならない。
448⇒【「万人の万人に対する闘争」(bellum omnium contra omnis)…という反氏の主張も】⇒⇒別に私独自の見解ではなくホッブスの著名な命題だろう。
W. vonフンボルトに関するコメント444も誤謬の泉で、『国家権能限界論』は表題に掲げられた大ミラヴォー引用句⇒‘Le difficile est…de se mettre en grarde contre la fureur de gouverner, la plus funeste maladie des gouvernemens modernes’が示す通り、国家の任務を国防と治安維持に限定し、個人と国民の自由を慫慂したもので、国家論におけるルソーの立場と同じだ。もっとも、公刊は1851年、フンボルトの死後16年で、ドイツでは注目が遅れ、J. S. ミルが『自由論』(1859年)で利用した。
「リベラル」云々の戯けたお喋りは滑稽だ。[完]
間違ってハートマークを押してしまった。ごめんなさい。私は古代ギリシャ語が読めないが、ラテン語が堪能なその教授がギリシア語が理解できるかどうかは確実に知らないので、今度お会い時に聞いておきます。メレンドルフの名前について、私は知らないが。あれだけ博識な方なので、ご存知だとおもいます。
大事なことは、プラトンが政治は、反氏の主張されるような、説得の技術とは、考えていなかったことで、結論を出すためには、相対する論を、論理的にきちんと吟味し、その上で決めるべきだと考えていたことである。
本欄でも何度か書いたが、Wilamowitzが、若くしてバーゼル大学の古典学の教授になるなど、アカデミズムでのキャリアーを古典文献学者としてスタートさせたニーチェについて、正統派の立場から絶滅に等しい批判を展開し、文字通り研究者としての「死」を意味する学界からの追放を宣告した当の人物であることを思えば、ニーチェについて単著を出す元教授がその盛名を知らぬはずはないからだ。
従って、私が480でプラトンの哲学とその論理的手法について指摘した含意は、カ氏が「無知ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν)、思い違いをしていることとは異なる。
私は以前、次のように書いた。即ち、
11月26日・144⇒【ヴィラモヴィッツ…の名をカ氏が「知らない」ことは、それだけで、ギリシア学のあらゆる分野を研究した驚異的な該博と知性のもち主の仕事の一端も知らないことを裏書きする…原文でプラトンを読む者にとって、彼が哲学者の向こうを張って上梓した大著『プラトン』(1919)を知らぬ者は皆無だし、その第2巻の精細な‘Textcritik’に裨益されなかった者はいないはずだ】と。
日本ならともかく、正式な古典語教育を受けた専門の古典学者は言うに及ばず、古典語に通暁した人文学研究者が多数存在し、長年の研究の蓄積が存在するドイツの場合、ギリシア語を読めずにプラトンについて、単なる無駄口を叩く研究者など、一人前とは扱われない、ということにカ氏が思い至らないことこそ、カ氏が西欧の学芸の全般について、肝腎なことを何も知らない証左なのだ。
悪あがき(τὸ ἀντιτυπές)でごまかす(συκοφαντεῖν)も大概にしたらよい。
繰り返し(παλιλλογία)になるのを恐れず補説すると、元教授に聞けば分かるだろうし、彼が上梓したニーチェを扱った著書にも言及されているかもしれないが、ニーチェの古代ギリシアに関する見解は同時代の西欧諸国の古典学界で奇矯さが注目を集めたものの異端(hérésie)扱いで、祖国のドイツでも学界の指導者となるベルリン大学教授U. von Wilamowitz-Möllendorffによる激烈な批判を蒙って学界から事実上追放され、ニーチェの古典文献学者としての前途は絶たれた。
如上の消息は、少しでも古典文献学やギリシア学を学んだ者なら「常識」に類する初歩的知識だ。カ氏にはそれを以前、ハイデガーらと一直線に結びつけて、如何にも無謀な、愚にもつかない議論をした際もたしなめたはずだ(9月5日・68参照)。
その際、カ氏は【「近代文明社会の頽落を超克】のような、如何にも似合わない文言を弄して、ニーチェとハイデガーを一緒くたにした議論をしていて、滑稽(γελοῖος)だった。
「頽落」(Verfallen)という言葉は、ハイデガー前期の主著『存在と時間』の中核概念で、ニーチェの主張とハイデガーの立論とが区別されずに羅列されていたからだ。
485⇒【大事なことは、プラトンが政治は、反氏の主張されるような、説得の技術とは、考えていなかったことで、結論を出すためには、相対する論を、論理的にきちんと吟味し、その上で決めるべきだと考えていた】のような、具体的なテキストの読みに基づかない素人論議(τὸ ιδιωτικόν)を、ギリシア語原文でプラトンを読んでいる私に向けるピアノ線並みの神経(νεῦρον)が理解しかねる。
カ氏でも元教授でも、ギリシア語が読めない人間がプラトンを論じる資格がないというわけではない。ただ、翻訳や解説書によってしかギリシア語原文を読解できない人間の理解には自ずと限界、制約、盲点、錯覚があるということだ。
カ氏の「正論」(δίκαιος λόγος)を装った戯言=法螺話(ἀλαζονεία)は、己の見当違いな見解をプラトンにもち込み、即ちプラトンの原文の中から具体的な政治観を取り出す(herauslegen)ことを等閑にして(ἀμελέω)、手前勝手な臆測(δόξασμα)をもち込む(hineinlegen)、つまり願望(βούλησις)を投影しているだけで、具体的な根拠に基づく説得力(πειθώ)がない。
そこには、解釈の過不足(πᾶλλον καὶ ἦττον)に対する真っ当な(ὀρθότης)配慮(ἐπιμέλεια)が欠けている。しかも、プラトンの政治観を最もよく示す代表作『国家』さえ読んでいない。
妄説なりに自前で(αὐτόνομος)努力して(πραγματεύομαι)着実に議論を行う(βεβαιόω)ような能力(δύναμις)も基礎的な学識(μάθημα)も学問的な(φιλοσοφώτερον)訓練(ἄσκησις)も熱意(σπουδή)も欠いている。
それを自覚せず(ἀγνοέω)、怠惰(ἀργία)を改めようともしないから、臆面もなく(ἀναισχύντως)行き当たりばったりの(ἐπίφθονος)「似而非反論」(ψευδομαρτυρία)や、それにも窮すると、胡散臭い「妄言」をコピペして意趣返し(ἀντιπεπονθός)するしかない。
以上から自ずと明らか(δῆλον)だろうが、そうした憐れむべき(ἐλεεινός)虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)人物に、真理を愛する(φιλαληθής)心など欠片もないことは立証済みで、少しは恥を知る(αίδώς)ことだ。
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