「平和構築人材育成事業」の研修が続き、私が多数の現役国連職員らからなる講師層の招聘から演習の仕組み等にいたるまで運営指揮していため、なかなかブログを更新する時間もとれなかった。https://peacebuilderscenter.jp/ ようやく研修が終わり、ともに「広島平和構築人材育成センター(HPC)」をやっている上杉勇司・早稲田大学教授とともにニコニコ動画「国際政治チャンネル」で対談をするような余裕もとれた。今回の題名は、「国際平和協力の夢破れた僕らの世代」というものだった。http://live.nicovideo.jp/gate/lv318590501?fbclid=IwAR0L2GKc_gdbXr5DfSkIMzoB-Cw5y8Qrn5N4ob7bJx2yNARB-xW61Uc5Bm4 この「夢破れた僕らの世代」という題名の淵源は、以前の私のブログにあるのだが、日本の国際平和協力活動は伸び悩んでいるという状況認識によるものだ。http://agora-web.jp/archives/2032199.html
私は1968年生まれで、1991年に大学を卒業した。つまり生まれたときに学生運動が峠を越え、大学卒業時に冷戦が終結していた、という世代だ。平和構築という政策分野を専門にしてきたのは、こうした世代的な背景と無縁ではない。
新しい時代の中で日本も活躍するのでは・・・、という華やかな夢は、必ずしも期待通りには実現しなかった。すべては一部の憲法学者のせいだ、と言うわけではないが、憲法の新著も夏までには、また出す。今後も私自身は自分自身の世代に属する者として生きていくしかない。
遂に映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観ることもできた。アカデミー賞でも主役となった話題作だが、何と言ってもクィーンは、我々の世代では思い出がからむバンドだ。私の最愛のバンドはU2だが、クィーンも来日コンサートを観に行ったことはある。感傷的な思いにひたりながら鑑賞した。
この映画は、もちろん単なるクィーン物語の映像化の試みではない、ということがわかった。かつて1980年代にはAIDSの恐怖は、政治的にはレーガン大統領の「小さい政府」路線への反発と重なった。今日、LGBTの描写は、政治的にはトランプ大統領のマイノリティ軽視路線への反発と重なる。フレディ・マーキュリーのインド系の出自への着目も、同じマイノリティ問題と重なる構図だ。
しかしそれにしても思いが深まるのは、1985年「Live Aid」におけるパフォーマンスを映画のハイライトにしていることだ。映画は、いくぶん史実と違う描写を施してでも、「Live Aid」をエンディングにすることにこだわった。フレディ・マーキュリーの父との和解まで、「Live Aid」に盛り込んでいたのは印象的だった。
エチオピアなどのアフリカの角における大飢饉を救うために豪華ミュージシャンがイギリスとアメリカで集結して製作された「Do they know it’s Christmas?」(現在でもヨーロッパでは定番のクリスマス・ソングとして定着している)、「We are the World」(現在でも国連職員ら実務家層などとカラオケに行けば国籍を超えて皆で歌う曲の筆頭だ)は、「我々の世代」を代表する大事件だった。これらの楽曲のインパクトの大きさから企画されて数十億人が視聴したとされるイベントが、「Live Aid」だった。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、一連のイベントの呼びかけ人であるボブ・ゲルドフがテレビカメラの前で「give us money」と訴えた有名なシーンまでが再現されていた。https://www.youtube.com/watch?v=vqwvkZ8xyYo 当時、私は高校生だったが、生放送で見たこのシーンで、ボブ・ゲルドフに「日本も参加している」と言及してもらったことは、よく覚えている。「我々の世代」は、「Live Aid」世代だ。
複数ミュージシャンによる野外コンサートと言えば、1969年「ウッドストック」が音楽史に残る大事件だった。「Live Aid」は、その歴史を完全に書き換えた。「ウッドストック」は、「若者の反乱」といった反体制派のカウンター・カルチャーを象徴するものだった。1985年「Live Aid」は、ミュージシャンたちが、アフリカの飢餓への対応を訴えるために立ち上がるという、全く新しい考え方で、社会運動を巻き起こした事件であった。
この「Live Aid」において、クィーンは内省的な1970年代の代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」をへて、「We are the Champions」を聴衆とともに歌って、パフォーマンンスを終える。この流れ自体は、クィーンの定番なのだが、映画で観ると、そこに大きなメッセージがあったことを、今さらながらに痛切に感じた。
「我々が世界だ(we are the world)」と歌ったミュージャンに魅せられて集まった「我々の世代」の聴衆たちは、クィーンとともに「間違いもあったが乗り越えてきた・・・、我々が世界のチャンピオンだ(we are the champions of the world)」と合唱しながら、国際協力への関心や関与を深めた。
1985年は、国際政治学では、ゴルバチョフの登場によって冷戦の終わりが始まり、プラザ合意によって新自由主義的経済体制が進展した年として記録されている。わずか数年後、冷戦は「自由主義陣営の勝利」という形で終焉し、自由主義的価値観を基盤にした国際平和活動や開発援助や人道支援は、画期的な勢いで進展していった。そこにいたのは、「我々が世界だ」「我々がチャンピオンだ」と合唱しながら、アフリカの飢餓問題への対応を訴えた世代の人々だ。
冷戦後の世界で、欧米諸国は政治・経済の両面で勢いを取り戻し、自信を取り戻した。牽引したのは、「ウッドストック」を経験した後、「Live Aid」に脱皮した、トニー・ブレアやビル・クリントンといった人々だった。
今日の国際協力の現場は、もう少し複雑になっている。「自由主義の勝利」によって確立された国際協力の体制に順応しない中国が超大国として台頭し、権威主義的なやり方で体制安定と経済成長を目指す数多くのアフリカの指導者たちをも魅了している。
だがそんなときだからこそ、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見て、内省的な気持ちに浸りながらも、最後には再び「我々がチャンピオンだ」と歌いたくなってしまうのではないか。
もちろんそこにはノスタルジックな自己陶酔がある。
しかし、そうでなければ、我々「夢破れた僕らの世代」は、意気消沈していってしまうだけではないか。
1985年当時、日本はそこにいたか。1991年当時、日本は何を思ったか。「ウッドストック」を夢見続ける団塊の世代の人々に対して、我々の世代は「Live Aid」をどう思い出していくか。
30年余の時をへて、現在の世界において、現在の国力で、日本は何を目指すのか。映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見て、かつて音楽少年だった国際政治学者が考えるのは、そうした問いである。
私は1968年生まれで、1991年に大学を卒業した。つまり生まれたときに学生運動が峠を越え、大学卒業時に冷戦が終結していた、という世代だ。平和構築という政策分野を専門にしてきたのは、こうした世代的な背景と無縁ではない。
新しい時代の中で日本も活躍するのでは・・・、という華やかな夢は、必ずしも期待通りには実現しなかった。すべては一部の憲法学者のせいだ、と言うわけではないが、憲法の新著も夏までには、また出す。今後も私自身は自分自身の世代に属する者として生きていくしかない。
遂に映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観ることもできた。アカデミー賞でも主役となった話題作だが、何と言ってもクィーンは、我々の世代では思い出がからむバンドだ。私の最愛のバンドはU2だが、クィーンも来日コンサートを観に行ったことはある。感傷的な思いにひたりながら鑑賞した。
この映画は、もちろん単なるクィーン物語の映像化の試みではない、ということがわかった。かつて1980年代にはAIDSの恐怖は、政治的にはレーガン大統領の「小さい政府」路線への反発と重なった。今日、LGBTの描写は、政治的にはトランプ大統領のマイノリティ軽視路線への反発と重なる。フレディ・マーキュリーのインド系の出自への着目も、同じマイノリティ問題と重なる構図だ。
しかしそれにしても思いが深まるのは、1985年「Live Aid」におけるパフォーマンスを映画のハイライトにしていることだ。映画は、いくぶん史実と違う描写を施してでも、「Live Aid」をエンディングにすることにこだわった。フレディ・マーキュリーの父との和解まで、「Live Aid」に盛り込んでいたのは印象的だった。
エチオピアなどのアフリカの角における大飢饉を救うために豪華ミュージシャンがイギリスとアメリカで集結して製作された「Do they know it’s Christmas?」(現在でもヨーロッパでは定番のクリスマス・ソングとして定着している)、「We are the World」(現在でも国連職員ら実務家層などとカラオケに行けば国籍を超えて皆で歌う曲の筆頭だ)は、「我々の世代」を代表する大事件だった。これらの楽曲のインパクトの大きさから企画されて数十億人が視聴したとされるイベントが、「Live Aid」だった。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、一連のイベントの呼びかけ人であるボブ・ゲルドフがテレビカメラの前で「give us money」と訴えた有名なシーンまでが再現されていた。https://www.youtube.com/watch?v=vqwvkZ8xyYo 当時、私は高校生だったが、生放送で見たこのシーンで、ボブ・ゲルドフに「日本も参加している」と言及してもらったことは、よく覚えている。「我々の世代」は、「Live Aid」世代だ。
複数ミュージシャンによる野外コンサートと言えば、1969年「ウッドストック」が音楽史に残る大事件だった。「Live Aid」は、その歴史を完全に書き換えた。「ウッドストック」は、「若者の反乱」といった反体制派のカウンター・カルチャーを象徴するものだった。1985年「Live Aid」は、ミュージシャンたちが、アフリカの飢餓への対応を訴えるために立ち上がるという、全く新しい考え方で、社会運動を巻き起こした事件であった。
この「Live Aid」において、クィーンは内省的な1970年代の代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」をへて、「We are the Champions」を聴衆とともに歌って、パフォーマンンスを終える。この流れ自体は、クィーンの定番なのだが、映画で観ると、そこに大きなメッセージがあったことを、今さらながらに痛切に感じた。
「我々が世界だ(we are the world)」と歌ったミュージャンに魅せられて集まった「我々の世代」の聴衆たちは、クィーンとともに「間違いもあったが乗り越えてきた・・・、我々が世界のチャンピオンだ(we are the champions of the world)」と合唱しながら、国際協力への関心や関与を深めた。
1985年は、国際政治学では、ゴルバチョフの登場によって冷戦の終わりが始まり、プラザ合意によって新自由主義的経済体制が進展した年として記録されている。わずか数年後、冷戦は「自由主義陣営の勝利」という形で終焉し、自由主義的価値観を基盤にした国際平和活動や開発援助や人道支援は、画期的な勢いで進展していった。そこにいたのは、「我々が世界だ」「我々がチャンピオンだ」と合唱しながら、アフリカの飢餓問題への対応を訴えた世代の人々だ。
冷戦後の世界で、欧米諸国は政治・経済の両面で勢いを取り戻し、自信を取り戻した。牽引したのは、「ウッドストック」を経験した後、「Live Aid」に脱皮した、トニー・ブレアやビル・クリントンといった人々だった。
今日の国際協力の現場は、もう少し複雑になっている。「自由主義の勝利」によって確立された国際協力の体制に順応しない中国が超大国として台頭し、権威主義的なやり方で体制安定と経済成長を目指す数多くのアフリカの指導者たちをも魅了している。
だがそんなときだからこそ、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見て、内省的な気持ちに浸りながらも、最後には再び「我々がチャンピオンだ」と歌いたくなってしまうのではないか。
もちろんそこにはノスタルジックな自己陶酔がある。
しかし、そうでなければ、我々「夢破れた僕らの世代」は、意気消沈していってしまうだけではないか。
1985年当時、日本はそこにいたか。1991年当時、日本は何を思ったか。「ウッドストック」を夢見続ける団塊の世代の人々に対して、我々の世代は「Live Aid」をどう思い出していくか。
30年余の時をへて、現在の世界において、現在の国力で、日本は何を目指すのか。映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見て、かつて音楽少年だった国際政治学者が考えるのは、そうした問いである。
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コメント一覧 (13)
篠田先生は、「親米」だから、このような論調になるのだ、と再確認したが、1985年は、5月8日にワイツゼッカー氏があの演説をされた年、ゴルバチョフさんの登場によって冷戦の終わりが始まり、プラザ合意によって新自由主義的経済体制が進展した年、私が夫の短期留学について、米国を旅行した年でもある。滞在中、ニューヨークの地下鉄の車両の中で、ピストルによる殺人事件が起こった年、日米「自動車交渉」「農産物交渉」が難航し日本が譲歩を余儀なくされた年でもある。
その後、4年経って、ベルリンの壁が崩壊したことで、私は、貿易交渉は難航しても、東西の冷戦がなくなって、世界は平和になるのだ、と思った。ところが、旧ソ連のジョージア、などで戦争が始まり、ユーゴスラビア紛争が本格化した。そして、ハンティントンの論文『文明の衝突?』が1993年夏号にて発表された。私自身は、「国連のユネスコ憲章」がある以上、「文明や文化の違い」で戦争は起きない、と思ったが、その期待も裏切られ、「反米」のアルカイダのビン・ラデインやISが登場した。
歴史的に見て、団塊の世代が憧れた左翼思想の政治指導者も、ISの指導者たちも、「愛と正義」のイデオロギーの仮面をかぶった「覇権争い」をしているのにすぎないのではないのだろうか?大事なことは、その覇権争いの道具に「核兵器」を使ってはいけない、ということであって、理由はそれを使うと地球が荒廃するからである。これだけは、国際協調して、やめていただかなくては、と思う。
団塊の世代も、現在の国際社会の旧ISたちも、「愛と正義」の名の元に、「反」の覇権争いに利用されている若者が大勢いたから、日本では、「日本人は植民地支配をした韓国人の気がすむまで謝り続けるべきだ。」などという思想、「東大系憲法学者」の「日本国憲法9条の解釈」に先導された「憲法改正反対」の政治運動が続き、ヨーロッパでは、元ISであった人々の帰還問題が起こっている。
それを考えた時、コンセンサスを求める政治手法がぜひ必要で、反論や糾弾、あるいは、映像や音楽を使った演出の力で、自分の主張を通そうとする手法、gegen「反」ではなくて、mit「親」協調して、問題を解決し、関係を結ばなければならない、とつくづく思う。
音楽でも、いい演奏をするためには、声の大きさではなくて、声のバランス、「調和感」が一番必要なのだから、
そこには篠田さんの明確な問題意識(προβάλλω)が表明されており、取り違える(ἁμαρτάνω)懸念はない。全面的に賛同(ὁμολογία)しないまでも、基本的に理解できる。篠田さんはそこで、われわれ日本人が目を塞いで(ἀμελέω)はならないものを明確に示唆している。
ところで、普通に日常言語的にいう「両義的」(ἀυφίβολος)と、ここで言う「多義的」(διπλοῦς)とは、論理的に異なる。定義(ὁρισμός)の問題ではない。両者は別ではないが、分けて考える必要がある。
曖昧模糊(τὸ ἀυφίβολον=obscure)として、事柄自身(πρᾶγμα)の意味する(σημαίμειν=signify)内容(ἔμφασις=signficance)が不明瞭(ἁμφιβολία)ということと「多義的」とは全く異なり、その違い(διαφορά)=「異」(ἕτερον)を明晰に(σαφῶς)区分(διαιρεῖσθαι)して論じる(διαλέγεσθαι)ことが議論のすれ違いを排し、無用な(ἄχρηστον)概念(νόημα)の混乱(ταραχή)を未然に防ぐことになる、という謂だ。
世に多く経験するのは見解や価値観の「相違」ではなく、端的に言って、その混同であって、論理的に正確に相手の意図(προαίρεσις)を了解する(ἐκλαμβάνειν)ことができないか、敢えて「そうしたがらない」ことに伴う対立(ἀντίθησις)と溝(διάστημα)だろう。
前置き(προοίμιον)はこのぐらいにして、本題に入る。
篠田さんは⇒【現在の世界において、現在の国力で、日本は何を目指すのか】と問うが、客観的に見て、日本は、このままでは沈みゆく国である。もはや不可逆的になった人口減少社会の進行は、現状の延長線上にある少子化対策の見直しや外国人材の受け入れ(実質的な移民政策への転換)ではもはや手遅れだろう。
国民の大多数が、この点について、敢えて実態を見ようとはせず「現状維持」に固執してそれを加速させている。それこそ日本人の思想的脆弱性の一端でもあるが、この国の平均的には有能で、相対的に均質的な民衆は、足下(παρουσία=そこに現にある、手もとにある、の謂い)の現実(τὸ γιγνόμενον)しかみていない。日米同盟と一体となった憲法九条の欺瞞と偽善に頬被りして「平和主義」の美名(κάλλος)に真には向き合ってこなかったツケだ。
篠田さんら、国際社会の最前線で奮闘する「国際平和協力の夢破れた僕らの世代」の足を引っ張っているのは、憲法学者以上に、戦後の制度(ἐπιτήδευμα)と化した暗黙の、意識されざる国民的合意だろう。
つまり、「死ぬのは嫌だ、人命は何より重い、自分や家族だけは助かりたい」⇒直接死ぬことや、死に巻き込まれる可能性が最も大きい「戦争は悪」⇒「二度と戦争に巻き込まれるのは御免」⇒「憲法九条は非現実的だが、自ら平和のために犠牲を伴ったり、手を汚すよりはまし」⇒「外国からどんなに莫迦にされ、軽侮されても平和が一番、外国の紛争で、飢餓で何人死のうと関係ないし、日本人の責任ではない」――という無意識の合意だ。
大国間の衝突を抑止する核戦略への顧慮や思慮深さを欠いている。「核の傘」も何もあったものではない。北朝鮮方の「実質的」官僚独裁は、得にならないことはしない。核実験やミサイル発射は、兵器輸出のしたたかな計算(λόγος)だろう。
核抑止は恐怖の均衡(συμμετρία)であって、核は使用を前提とした兵器(ὅπλον)ではないという「真っ当な分別」を欠くのは、日本の戦後の平和(εἰρήνη)と繁栄(εὐετηρία)が生んだ、まさに平和の代償(ἀμοιβή)であり戦後の桎梏(ἀμοιβή)であって、日本人の知的頽廃の典型だろう。
妻と先月、映画「ボヘミアン・ラプソディー」(Bohemian Rhapsody)を観た。フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)の才能は凄まじく、生前「レノンみたいなメッセージソングは好きではない」を言い切った稀代のヴォーカリストの孤独な肖像が胸に沁みた。
映画自体は当世風なメッセージ性に富み、音楽では何も解決しない「構造的問題」を糊塗していたが、それは別に映画製作者やフレディの責任でも限界でもなく、政治家やそれを思想的課題として正面から受け止めなくてはならない、真の‘Moral Scientist’の問題だろう。
その意味で、構造的課題と「世代」とは本質的に関係ない。われわれは、19世紀以来の歴史主義の影響で、無意識のうちに自らを歴史の枠組みにおいてものを考える習慣が習性化している。謂わば「亜流ヘーゲル主義者」で、‘Woodstock’世代も ‘Live Aid’世代も仮象で、迂遠でも、ものごとは「永遠の相の下に」(‘sub specie aeternitatis’)考えるしかない。[完]
戦争(πόλεμος)の悲惨(πονηρία)、惨禍(πάθημα)、「戦争の仕業」(αἱ πόλεμικαί τέχναι)が盲目的に指摘されるが、それが端的に「悪いこと」(τὸ κακός)であるのは、戦争によって引き起こされるさまざまな災難(ἀτύχημα)、犠牲(θυσία)、損害(ζημία)が多くの人々(οἱ πολλοί)にとって、不幸(δυστυχία)の原因(αἴτιον)になる厄介事(τὸ πονηρός)だからだ。
死(θάνατος)はそのうちの最大のもの(τὸ κμέγιστον)で、死ぬ(ἀποθνῄσκω)ことは、戦死する(ἀποθνῄσκω)こと以外に、戦禍(πάθη)を免れ(ἀποφεύγω)ても、不運(ἀτυχία)にも餓死する(λιμῴ ἀποθνῄσκω)こともある。多くの民衆が蒙る(πάσχω)不運、不幸は人々の被害者(ὁ πάσχω)意識を募らせ、受難者(παθητός)にする。
多くは「弱者」(ἥττονων)である多数の民衆(δῆμος)にとって、戦争が最悪の(μέγιστος κακός)もので、平和(εἰρήνη)への願い(βούλησις)や決意(ὅρκια)を示すものとして、たとえ欺瞞(ἀπάτη)に満ち、偽善的(εἰρωνικός)であっても、日本国憲法九条が体現する平和への希望(ἐλπίς)、軍事力(δύναμις πρὸς πόλεμον)の否定(ἀπόφασις)が最善の(βέλτιστος)、少なくともより善い(βελτιων)選択(προαίρεσις)と同意されたのは不可避(ἀνάγκη)だった。
しかし、見落とし(πλημμελέω)がちなのは、「悪いこと」(τὸ κακός)は必ずしも邪悪な(πονηρός)こと、即ち「不正」(ἀδικία)ではないことだ。
このように正・邪・善・悪の四項は入り組んでいる。だから、後者の「善・悪」(ἀγαθόν-κακόν)を利害得失(συμφέρον, χρήσμον, ἀγαθόν)、つまり利と得[=ὠφέλιμον]・害と失[=βλαβερόν]、幸福[εὐτυχια=εὐδαιμονία]・不幸[δυστυχία=ἄθλιος]のような、実質的利得と害悪にかかわるX軸、前者の「正・邪」を正義・不正義のような形相的判断にかかわるY軸ととらえて、意識的に使い分けることが必要になる。
以前紹介した福田恆存の言う罪悪、つまり【大東亜戦争は罪悪なのではなく、失敗だった…失敗と解っていなければならぬ戦争を起した事に過ちがあったのに過ぎない…それを罪悪とし…あの戦争を悪とする奇麗事にいつまでも固執するなら…それを善に高めようとする居直りを生じる】(福田恆存『現代国家論』、1965年、新潮社版『福田恆存評論集』第6巻、279頁)】の「罪悪」は、邪悪(ἀδικία, πονηρός=injustice)の意味で、失敗は害悪(κακός=badness)の意味であることが分かる。
福田の本来の論旨に沿うなら、「罪悪」という「正・邪」Y軸ではなく、実質的利害にかかわる「善・悪」X軸に、つまり、「戦争を罪悪(実質的に⇒邪悪)」という前件を受けて、後件を「(害)悪」すべきところを、単に「戦争を悪」としたため多義的になり、論理的な明快さ、厳密さを欠いた。
さらに敷衍すれば、「正義(良い)に高めよう」とすべきところを「善(善い)に高めよう」としたことで論旨が不明瞭になった。
なお、福田が説く「失敗」(ἀτυχία)とは害悪(不幸なこと)の趣旨であって、もちろん不正なことではない。国家としての利害得失、つまり国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)を保守する(σῴζω)のに必要な(δέω)手段(σκῆψις)の選択を誤り(ἁμαρτάνω)、善くない結果を招いたという意味で、状況判断の誤りから、戦っても勝てないことが事前に想定された英米との戦争に追い込まれ、そのうえ愚劣な戦争指導で国民と国家に加え近隣諸国に対して、甚大な損害と犠牲を強いたことを意味しており、戦争を無条件に(ἁπλῶς)否定する(ἀρνεῖσθαι)ものではない。
日本が、1928年のパリ不戦条約違反(παλανόμων)という当時の国際正義、確立した国際法規範が体現する「正義の論理」(δίκαιος λόγος)に敵対、即ち違反したのは「事実」だが、それが同時に、対ファシズム戦争の戦勝国(連合国)=強者(κρείττων)による力(δύναμις)の正義と秩序(κόςμος)、征服者(ὁ νικήσας)の正義による支配(ἀρχή)、畢竟、力の支配だということもまた「事実」=真相(ἀληθῆ)、つまり実態(τὸ τί ἦν εἶινι)であることも疑いえない。
敗者(τὸν ἡττώμενον)、即ち被征服者(ὁ νικηθείς)の日本やドイツの侵略行為は法(νόμος)の正義に反するものとして厳しく断罪される一方で、米国による原爆投下や無差別爆撃については、たとえ「必要性と均衡性」を欠いた攻撃であっても、結局は罪(ἁμάρτημα)に問われない所以だ。
中国が安全保障上、最大の潜在的脅威であり、南シナ海島嶼の軍事基地化をみれば、それは現実的な脅威となっている。中国の存在自体が極めて大きな潜勢力(δύναμις)を秘めているのは、中国の民族的膨張がその膨大な人口と経済的成長力、世界最大の政治結社である中国共産党の「攻撃性」と相まって国際秩序の無視できない不安定要因となっており、それが増しこそすれ減少することがないのは歴史的な必然性を有するという、真っ当な認識(ἐπισθήμη)に基づいている。
中国の民族的膨張自体は歴史の必然であって、それ自体に何ら「罪」はないが、それは有限な資源と代替可能な生産手段をめぐる争奪戦、今後の次世代情報通信技術開発に絡まる覇権争いの点で、従来の国際秩序への挑戦者であることへの野心を隠そうともしない中国は、ロシアとは比較にならないくらい今後、長期にわたり厄介な戦略的な競合相手であって、それを牽制することでしか比較的良好で安定した関係を構築することができない事情が一段と顕著になりつつある。この点で、日本と米国は利害と価値観(ἀξιος λόγου)を共有する(μετέχειν)。
「平和」を維持するためには、「国際協調」という美名(κάλλος)に胡坐をかいて無為無策に陥ることなく、それを手段として利用し、けっして目的(τέλος)とはしないことである。
平和とは、畢竟、戦争と戦争との間に挟まった危うい均衡状態(συμμετρία)としての「状態」(ἕξις)であって、平和は不断の緊張(τόνος)を強いる(βιάζομαι)ものであることを知らねばならない。
人が自由に幸福に生きるため、犠牲を支払う(θύειν)ことなしに平和は維持・存続されないことは歴史の示す必然で、日本人も憲法解釈をめぐる仮構の問題にかまけて、いつまでも児戯に等しい国内対立、つまり内紛(στάσις)とも言うべき党派(συνωμοσία)の争い(ἀγών)に淫していられない所以だ。
篠田さんが「夢破れた世代」として、「平和構築」の最前線で思い悩み、あるいはその思いを苦渋(πικρότης)に満ちたものにしている、日本という「真空地帯」の退嬰性だろう。平和を突き崩す乃至は停戦合意後の再構築を困難にしている矛盾は、中国のように剥き出しの国益志向であらゆる場面で介入をためらわない新勢力の登場によって、ますます全体の構図を見通しにくくしている。
そこにある多様で複雑な利害対立が更なる混乱をもたらし、新たな不条理の芽を生み出しかねない状況が生まれている。
「平和の危機」に向き合うこととは、綺麗ごとを排し、「戦争」や地域紛争につながる構造的要因について、つまり、戦争について徹底的に思考する(διανοέμαι)ことでしかない。人は時に自由のために死ぬことも厭わない存在で、そこに獣性(θριώδης)と同居する人間の神聖性(ὁσιότης)も宿っている。
戦後長らく憲法論争という仮象(φαντασία)の問題に幻惑され、われわれは自分で自分自身に(αὐτὸν ἑαυτοῦ)打ち克つ(ἐγκρατῆ)ことを忘れ、平和への祈り(εὐχή)が、政治や道徳の前提(πρότασις)にはなっても原理(ἀρχή)にはなり得ないことを閑却している。
戦後の日本人を足下から蝕む精神の懦弱と頽廃とは、平和を祈りや信仰の対象にしたことかもしれない。[完]
私の投稿[5=03月04日 17:05]について、聊か厳密さを欠く記述があったので、以下に差し替える。いずれにしても、あくまでも論理的(λογικός)に意味するもの、含意(ἔμφασις)の区別であって、日常語では混同されている。辞書の説明、記述も同様だ。
冒頭の段落は、「二義的=両義的」と「多義的」の区別をより平明にして、書き換えた。
⇒⇒末尾に【中略】という含みは、二義的=両義的(ὁμωνυμιος=equivocal sense)、「多義的」(διπλοῦς)だが、けっして「曖昧な」(ἀυφίβολητικός=ambiguous)、ということではない([ὁμωνυμιος]については、辞書的には同時に[ambiguity]という記述もあり、論理学的に厳密に定義されていない憾みがある⇒Liddelle and R. Scott(ed.);A Greek-English Lexicon, rev. and augmented throughout by H. S. Jones,1978., p. 1229)。
第三段落も同じ趣旨で、差し替える(第四段落は同じ)。
⇒⇒ところで、普通に日常言語的に曖昧な(ambiguous)というニュアンスでの「曖昧さ」(ἀυφίβολεύς=ambiguity)、その意味で「両義性」(ὁμωνυμία)と、ここで私が言う「多義性」(διπλοωμα)とは、論理的に異なる(διαφέρειν)。それは定義(ὁρισμός)の問題ではない。両者は別ではないが、分けて考える必要がある、という趣旨だ。
曖昧模糊(τὸ ἀυφίβολον=obscure)として、事柄自身(πρᾶγμα)の意味する(σημαίμειν=signify)内容(ἔμφασις=signficance)が不明瞭(ἁμφιβολία)ということと「多義的」とは全く異なり、その違い(διαφορά)=「異」(ἕτερον)を明晰に(σαφῶς)区分(διαιρεῖσθαι)して論じる(διαλέγεσθαι)ことが議論のすれ違いを排し、無用な(ἄχρηστον)概念(νόημα)の混乱(ταραχή)を未然に防ぐことになる、という謂だ。
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