日韓関係の緊張化をめぐって日本を批判する記事を繰り返し掲載している『ハーバービジネスオンライン』で、菅野完氏が、外務省が「韓国国内に滞在する邦人に対し、『反日集会が行われるため、近づかないように』との「危険情報」を出したことを批判しているのを見た。
< https://hbol.jp/187641>(ちなみに『ハーバービジネスオンライン』は、ハーバード大学とは何も関係がなく、フジサンケイグループ傘下の扶桑社が2014年から運営していて日韓関係で日本政府批判の記事を多く出している媒体である。)
実際に外務省が出したのは、デモがあるので気を付けるように、という「注意喚起」の「スポット情報」だけである。
<https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcspotinfo_2019C025.html> 観光客向けの情報だったと言ってもよいものだろう。
菅野氏は、文在寅(ムンジェイン)大統領のスピーチのほうは、極めて親日的だった、と評価する。が、全く反対の評価もある。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190308-00557906-shincho-kr&p=1
どういうことなのか。
国際政治の動向を見るうえで極めて興味深いのは、文政権が、「3・1」で北朝鮮との歴史も修正しようとしているかのように見えることだ。朝鮮半島における共産主義者の登場は、日本帝国主義が朝鮮人を分断統治するために作り上げたものだった、という歴史観は、反共・共産政権で分断された朝鮮半島の歴史を、大きく読み替えるような含意を持つ。韓国も北朝鮮も、100年前の「3・1」という共通の祖先を持つのであれば、分断のほうこそが仮の姿だということになる。
文大統領の「親日清算」運動は、半島統一あるいは南北連携への道筋だと認識されているがゆえに、続いていくのだろう。
ただし、文大統領は、実際には北朝鮮の金正恩氏の関心を獲得することもできていない。韓国も北朝鮮も「3・1」から発した兄弟だ、ということになったら、これまでの北朝鮮のイデオロギー言説はどうなってしまうのか。政権存続の危機だろう。北朝鮮にそこまでのソフトランディングを期待するのは、非現実的なのではないか。
もっとも、文大統領の政策が、結果的に、北朝鮮の体制を動揺させる効果を持った、ということも、絶対にないわけでもないかもしれない。
いずれにしても、日韓関係は、国際政治の構造の中で動いている。日本政府の視野が狭いから日韓関係が悪化している、といった短絡的な見方は近視眼的だ。
コメント
コメント一覧 (135)
低劣な人物(ὁ πονηρός)に限って、身の程知らず(ἀσύνετέω)にメンツにこだわる(φιλότιμος)ようで、余計な言い訳を重ねるものだから、ますます疵(ἕλκος)を深くする。
まやかし(ἀπάτη)に満ちた児戯に等しい「クズ投稿」=「似而非反論」(ψευδομαρτυρία)を寄せているが、具体的な論拠を挙げて反論できないし、真面目に(απουδαῖος)議論する気などないことは何時もの如く明白で、【個性の差】程度の問題意識(προβάλλω)でお茶を濁して(τεχνάζω)おり、笑止(καταγέλαστος)だ。
これも、カ氏の悪癖=魂の病気(νόσος)で欠陥(κακία)でもある「無知」(ἄγνοια)=知の貧困(πενία)に基づく「虚偽体質」、つまり生まれつきの(ψυσικός)嘘つき(ψεύστης)だから、苦し紛れに(ἀπορέω)論点窃取(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν)の詐術的議論(παραλογίζεσθαι)を繰り返すのみで、論理的思考能力(λογιστικόν)が恐ろしいほど(φοβερός)欠けているから、自らの過誤(ἁμάρτημα)に半ば(ἥμισυς)気づかない(λανθάνειν)ようだし、半ば頬被りして(ἐάω)、しらばっくれている(εἰρωνεύομαι)のだろう。
いずれにしても、議論には到底向かない資質で、【私は、20代でドイツ人と実際につきあって】のような、愚にもつかない個別的事例をいくら積み上げて(ἀπολογίζεσθαι)も無意味(ἄσημος)で、何ら有効な(περαντικόν)反論にはならないことが理解できず、手に負えない(ἄπορος)のだろう。
「無学」だから仕方がない。「半端者」(ἥμιγενής)なのだろう。
☆狂人と愚か者は、気分でしかものを見ない。(ラ・ロシュフコー『箴言』414)
昨日も、Eテレの「日本人の海外留学事情」の番組を見たが、減っているとは言っても、英語圏に留学する人はまだ多いが、ドイツ語は、普通は大学から勉強を始めるし、私の時代は、冷戦の影響で、音大が日本人留学生を多く受け入れたが、現在は、東欧や中国の人を多く受け入れるので、日本人で正規の大学生となれる人は少ない。また、「壁がなくなって」30年たつので、ヨーロッパの東西冷戦時代を実感をもって語れる人は、少ないのではないのだろうか?
私は、祖父と暮らした。また、その縁で、楠山義太郎さんともお知り合いになった。二人とも、日本が戦争を始めた時、社会的に責任のあった二人である。楠山さんは反対、祖父は戦後直後、頬かむりしようとせず、欧州に駐在経験のあるジャーナリストも集めて、なぜこういう結果になったのか、という理由を解明しようとした人である。その二人と接した私にも、過去に対する負うべき責任がある、と感じるから書いている。
また、2018年01月28日 の篠田先生のブログ「三たび言う。自衛隊は軍隊である」にかい。たコメントに、40台会社員の方から、カロリーネさんのコメントは実に本質的で的確だ、というコメントをいただいた。それで嬉しく、はまってしまったところもあるが、現在でも、そう感じて下さる読者もおられるから、反氏のものよりハートマークが多いのではないのだろうか?反氏のレッテルどおりの投稿にハートマークはつける人はいない。
反論はこのぐらいにして、本論に戻る。「ホロコースト」と「日韓併合」についてであるが、ワイツゼッカー氏の「忘れようとすることは、追放を長引かせ、赦しの秘密は心に刻む、ということです。」という言葉は、どちらの問題を解決するためにも、有効だと思う。
この「ホロコースト」の史実をドイツ人に心にきざめということは、「ユダヤ人にすまないことをした、」という道義的な責任をずっともて、ということに他ならない。「ある人を、特定の民族に所属するから、という理由だけで計画的に虐殺した事実」を心に刻めば、普通の人は、「申し訳ないことをした。」と考え、二度としない、と誓うだろう。それが「歴史に目を閉ざすな」という意味なのである。
戦後生まれの韓国人は、学校の歴史教育で日本人の悪行ばかりを刷り込まれているのかもしれないが、歴史の真実はどうだったのか、が大事なのである。
「3.1.事件」以降の「斎藤実」の朝鮮総督としての治世はどうだったのだろう?また、現在問題になっている、従軍慰安婦問題、元徴用工問題などの事柄も、「韓流ドラマ、ものがたり」ではなくて、「本当はどうだったのか」をきちんと調べるべきだ、と考える。それがなければ、「日韓関係」或いは「日朝関係」を発展させる「未来への遺産」にはならない。
浅ましい「投稿公害」は、過去のコメントの蓄積がそれを雄弁に物語っている。カ氏はよくしらばっくれる(εἰρωνεύομαι)。ソクラテスにでも学んだ(μανθάνω)のだろう。
その狂態の実相(τὸ ἀληθές)をよく示すのが、粗忽者(οἱ προπέτεια)らしい、よくものを考えないで、「無知」な割には充分に調べる(ἐξετάζω)こともなく、反射的に(ἀνάκλασις)盲目的に(τυφλόστομος)応酬する(ἐνίστασθαι)する形を取っていることだ。
だから頻繁に間違う(ἁμαρτάνω)のだし、致命的な(θανάσμος)間違いも多い。粗雑(συμφός)で拙い文章、措辞(λέξις)のお粗末さも、繁簡宜しき(ἐπιεικής)を得ない論述(λογιζεσθαι)も、改めて指摘するまでもなかろう。
如何にも怠惰(ἀργία)でお座なりの(αὐτίκα)「横着者」(ὁ ἀργία)かつ横柄な人物(ὁ αὐθάδης)なのは言うまでもない。
☆才がある愚か者はいるが、判断力があって愚かな者は絶えていない。(ラ・ロシュフコー『箴言』456)
孤立無援で、専門外の憲法論議に奮戦している篠田さんに少しは学んだらどうか。ネット上での評価や、公開の言語空間で明白に篠田さんを擁護乃至補強する論陣を張るか、論述ができずに、それを躊躇している共感者がいくら多数存在しようと、それは篠田さんの孤立を少しも解消しない。
戦後論壇において、学識並ぶものはない田中美知太郎も、論壇の論争では不敗だった福田恆在でも、心酔者が多い小林秀雄でさえ、極めて孤独だった。
そうした独立した(αὐτός)思考(‘Selbstdenken’)の真の意味と価値を理解しようとせず、愚にもつかない「集団的思考」=その典型が憲法九条信仰と護憲平和主義=に流れる(διαφεύγειν)日本人の思想的脆弱性(μαλακία)、精神の懦弱(ἀσθένεια)そのものだ。
ものごとを前提自体から根底的に(ἁπλῶς)考え抜く(διανοέομαι)なら、ヴィトゲンシュタイン晩年の手記にある断章(「哲学者はいかなる観念の共同体の市民でもない、それが将に彼を哲学者にする」=‘The Philosopher is not a citizen of any community of Idea, That is what makes him into a Philosopher.’(L. Wittgenstein, ‘‘Zettel’’, 1967.)が端的に示すように、一切の前提なしにものを考えることができるのが、奴隷根性(δοῦλοψυχία)のない自由な独立した一人前の人間の最低限の条件だ。
一々「観客」(θεαθαί=audience)の反応が気になり、それに媚びて(ἀρεσκεύομαι)、右顧左眄する(ἐπιορκέω καὶ κολακεύω)しかできないカ氏など、日頃の言辞と比べると滑稽である。
しかも、政治の本質(ἡ αὑτῆς φύσις)は、正当化(ὀρθόω)された個々の欲望(ἐπιθυμιῶν)をめぐる闘争(ἀμφισβητεῖν)、即ちその調整過程であって、必ずしも正義(δικαιοσύνη=Justice)が体現される訳ではない。
カ氏は「愛と正義」だとか、希望、ユートピアの「まやかし」を説く割にはいかにも稚拙な立論しかできないが、要は個々の対立する「利害得失」(συμφέρον, χρήσμον, ἀγθόν)の争い=調整としての「配分における正義」(τὸ διανεμητικὸν δίκαιον)が、所謂正義の規準(ἀξίωμα=ὅ ρος)、つまり「正義」(δικαιος)=公正(τὸ ὀρθός)としての「正義の論理」(δίκαιος λόγος)であり、カ氏が個々の政治体制(πολιτεία)や政治家(πολιτικός)の観点からしか議論できないのは、あまりに現実の政治過程に盲目(τυφλός)だからだ。
田中美知太郎がプラトンにみたものは、ソクラテスを刑死させた当時のアテーナイという国家とそれを構成する市民社会に対する批判であって、ニヒリズムに堕することなく「如何なる思ひつきにも執着せず、如何なる通念にも拘束されず、一切の先入見を放下して、たゞ自由な精神を以つて學問探究するがための絶對必要絛件をなすもの」を追求した姿だ。
それは同時に、「現實の惡逆を極めた國家社會のうちにあつて、なお學問探究の志をすてない、眞の哲學者の精神」を見失わずに、真の「善美なるもの」(καλὸς κἀγαθός)の原理(ἀρχή)を解明することだった(田中訳、プラトン『テアイテトス』序説、22頁、1938年、岩波書店)。
それに堪え得る(δοκιμος)強靭な精神力を要求する(αἰτεῖσθαι)。人間のもつ善と悪(ἀγαθόν καὶ κακόν)の可能性について、充分知悉する(ἐπίσταμαι)ことを要する。
その点で、まさに語る落ちる(διαψεύδειν)というべきか、カ氏がヴァイツゼッカー演説に寄せて語るユダヤ人大量殺戮に対するドイツ人の度し難い認識、38⇒【「ホロコースト」の史実をドイツ人に心にきざめということは、「ユダヤ人にすまないことをした」という道義的な責任をずっともて、ということ】に如実に表れている。
ご大層な綺麗ごと(κάλλος)を振りまいておいて、今さら「道義的責任」(道徳的な罪[Sünde, Schuld)に基づく責任[‘Verantwortung’)もないものだ。
それ自体、ドイツ人がこの歴史上未曾有の罪業について、真の意味ではけっして正面から向き合おうとせず、ナチスにその罪責(‘Haftung’)のすべてを押し付け、しかも、それがスターリンの富農層大量粛清やポル=ポトの大虐殺と比較しうる、「相対化可能」な犯罪のレベルまで引き下げる呆れた厚顔無恥に直結する。
「道義的責任」とは、この世での具体的な責任を認めたり、取ることは一切拒否するという、居直りと同じことだ。言い換えれば、アウシュヴィッツに象徴される、まさに現実的、政治的、歴史的犯罪を「道徳」(Tugend, Moral)の対象に押しやることに等しい。
大した割り切り方で、自国の過去の罪業にこうも他人事でいられるドイツ人の感覚に、「第二の祖国」への佞人カ氏を含め良心など欠片もないことが分かる。
俗悪な(φαῦλος)ヴァイツゼッカー演説などとは異なり、敗戦直後に原理的な考察を試みたヤスパースは、『贖罪論』の中で、ドイツ人の罪の概念を4分類し、一部の客観的に立証可能な行為、即ち「刑法上の罪」については認めるが、残りの政治的な罪、道徳的な罪、形而上学的な罪については、ドイツ人を事実上「免罪」した。
道徳的な罪は畢竟、「悔い改めと自己再生につながる」良心の問題であり、形而上学的な罪に至っては、神の御前での人間としての自覚の変容(ἀλλοίωσις)という、何やら含羞を覚えずにはいられない性格のもので、「われわれの罪の生じる根源になっている、このような罪の審判者は神しかいない」(『贖罪論』17頁)という抹香臭い話であり、相手にしようもない。
問題は残る「政治上の罪」だが、責任が問われ賠償が支払われれば、それ以上でも以下でもない。戦勝国の裁きによる法的罪責が問い得るのは、「政治上の罪」に限られるという論理立てだ。ヤスパースのような人格者にしてこの程度だから、ドイツの民衆の居直りは比類がない。それは、民族の共同防衛の論理であると同時に、裏を返せば、それだけアウシュヴィッツが象徴する「ホロコースト」の罪業は、どんな言い訳も許さないほど、ドイツ人の本性に、その歴史に深く根ざしていて、容易には解けない難題だということだ。
ドイツと違って、それ程の罪業を先の大戦や植民地統治で計画も実行もしなかった日本及び日本人が与り知らぬ世界、ということだ。
「第二の祖国」の弁明に汲々としている、嫌悪すべき老デマゴーグを除いては。[完]
39⇒【「3.1事件」以降の「斎藤実」の朝鮮総督としての治世はどうだったのだろう?】⇒⇒カ氏は自分で調べる(ἐξετάζω)という至極当たり前の手間暇を怠って寝惚けたことを宣っている。
前々回の3月7日・18⇒【「朝鮮の3.1運動」…以降、日本は、武断統治を改め、憲兵警察制度を廃止し、海軍の斎藤実による文治政治に変更した、とも述べられていた…史実は…そのデモ行進は、「非暴力」に行われていたが、過激化し略奪、暴行が始まったために、陸軍が鎮圧に乗り出し、逮捕者が大勢出た…それが収まってからは、文治政治に変更…この史実は、文在寅大統領の先日の主張とまるで違う】のように、「不勉強」というか、無知ゆえの(δι’ ἄγνοιαν)迷走、妄言は止まるところをしらない。
これくらい無知蒙昧な、日本版Wikipediaネット上の記述を飛ばし読みするしか能がない御仁が、朝鮮王朝の歴史にしたところで、韓流時代劇の視聴者でも押さえている初歩的知識もない状態で、39②⇒【「韓流ドラマ、ものがたり」ではなくて、「本当はどうだったのか」をきちんと調べるべき】のような戯けたお喋りしかできない。矯正(εὔθυνα)は不可能(ἀδύνατον)というか、治癒可能(ἰατος)とは到底思えない「低劣さ」(πονηρία)だ。
約6,000字弱の日本版Wikipediaの「3.1運動」の記述は比較的バランスのとれたもので、精確さの点でなお議論がある記述を含むが、カ氏のような「無学」(ἀπαιδευσία)でも、容易に一通りの知見を得ることは可能になっている。
第3代朝鮮総督斎藤実による植民地統治が「文治政治」に転換したかのような記述⇒【たとえば日本及び朝鮮総督府の武断統治を改めさせ、憲兵警察制度を廃止し、集会や言論、出版に一定の自由を認めるなど、朝鮮総督府による統治体制が武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となった】のような、検証が必要な不備も含まれる。
①については、まず、更迭された前任者の長谷川好道のとった手法は国際世論を悪化させる懸念があったので、斎藤は「文治政治」の方針を打ち出したことは事実だ。しかし、それはあくまで、前任者の失策をカバーして運動を鎮静化させるためだった。「力ずくで」(κατὰ τὸ καρτερός)進めた併合以来の植民地統治に対する国際社会の「悪評」の芽を摘み、支配の地固めをする意図があった。
朝鮮側から警察権を奪い、憲兵による警察制度を治安維持の基本としていたのを、普通警察制度に転換した。サーベルを提げた日本人教師の制服も変えた。その分、警察要員は四倍近くに増員する一方、憲兵は従来通り維持された。要するに、憲兵による「警察制度」が形を変えたにすぎない。
②については、朝鮮語による新聞、雑誌の発行を許可した。しかし、事前検閲は引き続き維持された。総督府の検閲は極めて厳しく、違反による押収や罰金、刊行停止、廃刊処分が相次いだ。
このほか、朝鮮人も統治に参画させ、協力させる名目で、市、村に相当する府、面の協議会会員を民選とし、日本人住民が多い地区に限って朝鮮人富裕層にのみ選挙権を付与した。巧みな、朝鮮人の分断支配だった。
斎藤は、こうした措置をとっても「3.1運動」後の独立抗争の動きが活発化していることを懸念し、その策源地と化していた豆満江、鴨緑江以北のシナ領土の間島地域の朝鮮民族勢力の越境を恐れた。
国境に近いシナ領・琿春に日本軍守備隊を脅かす「独立軍」(5000人規模とされた)の拠点があると睨んで、宇都宮太郎朝鮮軍司令官をして大規模な討伐作戦も行った。
1919年10月に派兵が正式に閣議決定され、日本軍8000人は豆満江を越え、「独立軍」摘発の名目で朝鮮人集落を襲撃し、住居や学校、教会を焼き払い、食糧を焼き捨て、3400人の朝鮮人を殺害した。三光作戦と呼ばれる。
それが逆に抵抗する「独立軍」の士気を高める結果になり、白頭山東北山麓の渓谷で両軍が激突し、一週間の戦闘を重ね、日本軍側にも多数の死傷者を出してようやく鎮圧した。所謂「青山里の戦闘」で、朝鮮独立運動史上、最大の戦闘とされるが、詳細を詳らかにしない。日本軍の死傷者3300人とする記録がある。
この他、朝鮮人テロ集団「義烈団」による組織的なテロも相次ぎ、1921年9月の朝鮮総督府爆弾事件、1926年12月の東洋拓殖と朝鮮銀行襲撃事件もあった。日本人3人が死亡した。
この関連で注目すべきは、1923年9月1日の関東大震災の際の朝鮮人無差別殺戮も、斎藤の下で政務総監を務めた水野錬太郎と、同じく警務局長を務めた朝鮮通、警視庁警視総監・赤池濃によって、日本潜伏を警戒された朝鮮人独立活動家の摘発を極めて手荒な手法で実施したことだ。
いずれにしても、「文治政治」の実態は、そのイメージからはほど遠い過酷なもので、それまで農業以外、産業らしい産業のなかった朝鮮の近代化を推し進める一方で、朝鮮の日本化政策の紛れもない一面を示す。
「3.1運動」の評価については、多角的な検討が必要だが、少なくともその後に、上海のフランス租界に設置された「臨時政府」による建国神話は「物語思考」の典型として、初代大統領李承晩が指導力不足で半年で米国に去った後、実力者の金九大統領の際、国民党政府の孫文に「上海臨時政府」を正式に承認させている。[完]
五十年来、惑溺したドイツへの盲目的(τυφλός)愛情に直結している。ドイツ及びドイツ人の名誉(τιμή)と立場(σεμνόν)を守るためなら手段を選ばない、寛容(ἐλευθέριος)と相互承認(τὸ ἐνδεχόμενον)に基づく自由な(ἐλεύθερος)議論を嫌うのは、むしろカ氏の偏狭性(σμικρολογία)。
自由人の大らかさを欠き、「見解の相違」と言い繕っては「無知」(ἄγνοια)に基づく意見表明に興じ、恥じ入る気配もない、驚くべき「厚顔無恥」(ἀναισχυντία)。自ら厳しく指弾する、共産主義者やある種セクト集団にも通じる、異論を極端に嫌い自身への批判を一切拒絶(φυγή)する狂信的(μανικός)で頑迷(δυστράπελος)な姿勢。
私に「悪感情を抱くのは…I respectfully disagreeのrespectfullyが抜けているせい」(7月26日・87)としながら、自らはその批判の圏外にあると言わんばかりの極端な自己愛(φιλαυτος)が偏狭な姿勢と一体化する時、発信を最も裏切っているのがほかならぬ自身であることに気づこうともしないご都合主義。
「有象無象のジャーナリストと称しておられる知識人…に納得してもらうのは、至難の業」(8月1日・1)のような、無知による失態(ἁμάρτημα)の責め(αἰτία)を他に転嫁する姿勢と、俗物根性から背伸びして‘aufheben’を語る愚。いずれも生来のものなのだろう。
事実の正確な認識や的確な表現にこだわる姿勢は微塵もうかがえない。無知に居直る「夜郎自大」ぶりも見苦しく、傍若無人ぶりは一種の奇観だ。
☆老いてますます血気盛んとは、狂気の沙汰だ。(ラ・ロシュフコー『箴言』416)
篠田英朗さんは、孤立無援で、専門外の憲法論議に奮戦されているわけではない。大勢の支持者がおられるからこそ、水島朝穂教授が篠田英朗教授をコテンパンにたたいたのである。国際政治学者の北岡教授の「憲法観」も、篠田英朗教授と類似なもの、という印象をもったが、東大系憲法学者の日本国憲法の解釈では、「平和維持活動」をする場合に支障がでるから、お二人とも考えが違うのであって、「平和維持活動」に関心をもつ「国際政治学者」共通のものである。そして、そのどちらが、「愛と正義」に起因する行為なのだろう?東大系憲法学者は「左翼」、つまり「反米」だから、冷戦時代の西独のように、米国の行為を「愛と正義」とはみなさないから、この主張が起こるのであるが、「軍国的国家社会主義」の日本も「ナチスドイツ」の西ドイツと同じように、無条件降伏、によって解放され、米国の占領政策によって、「自由と民主主義」が回復してよかったのではないのだろうか?母によくうらやましがられたが、母の学生時代と私の学生時代は雲泥の差がある。
その結果、ドイツの憲法は、現在の日本の左翼の政治家が特に主張しているような、無制限な政治活動、無制限な自由を許さないのである。「戦う民主主義」、つまり、「全体主義」を志向している「民主主義」を壊すような団体の自由な政治活動を許さない、ことを規定している。この規定が、「AfDドイツ為の選択肢」に対してどれだけ効力があるかは疑問であるが、この政治団体も「全体主義」であった旧東ドイツから誕生している。また、日本国憲法をよく読むと、「自由」が無制限に許されているわけではないのに、どうして、野党の法律専門家は「人権」という名の元に、その規定を無視するのだろう?
憲法九条信仰と護憲平和主義=に流れる日本人の思想的脆弱性、精神の懦弱そのものが問題なのではない。それは、戦後の学校教育の問題だ、と私は思う。「日教組」は狂信的にそう教える教職員組合だったし、篠田教授の主張されるように、大学の法学部でもそう教わるし、そう書かないと司法試験やキャリア公務員試験でいい点数が取れない。そういう教育を受けると、人間はそういう考えになるのではないのだろうか。韓国の「反日教育」と同じである。
反氏は、私の反論を封じるために「私の無学」を強調されるが、長くドイツ文化にふれてきた私の目から見れば、他のドイツ文化の専門家と比較した時、とてもではないが、反氏の「近代ドイツ史」の解釈を客観的真理として追認できない。もちろん私は反氏と違って、反氏の「表現の自由」は尊重するが。
反氏は、朝鮮問題について、日本が力ずくで進めた併合以来の植民地統治、と主張されるが、日本の満州事変は、明らかに、日本が力づくで満州国を建国するための侵略行為だったし、満州事変は、日本による侵略戦争である。けれども、朝鮮半島の場合は、どうなのだろう?日本がほんとうに、朝鮮人の意向を無視して、力づくで併合したのだろうか?
少なくとも、朝鮮人によって暗殺された伊藤博文は、日韓併合にもともと反対であったのであって、そのこと一つとってみても、朝鮮、李朝内部に日本と併合したかった朝鮮人勢力があった、と考えるのが妥当なのではないのだろうか?
1919年10月に派兵が正式に閣議決定され、日本軍8000人は豆満江を越え、「独立軍」摘発の名目で朝鮮人集落を襲撃し、住居や学校、教会を焼き払い、食糧を焼き捨て、3400人の朝鮮人を殺害した。三光作戦と呼ばれる、とあるが、文在寅さんが「3.1.記念百周年」の演説で述べられた「3.1.」事件の犠牲者の人数、経緯、に関しても同じことが言えるが、その史実は本当なのだろうか?
私の文章、42の5行目⇒【カ氏は「愛と正義」だとか、希望、ユートピアの「まやかし」を説く割にはいかにも稚拙な立論しかできない】の、どこをどう読めば、如何にもそそっかしい「似而非反論」49⇒【反氏は、私の書いていることをよく読んでから、反論されたらどうか】のような、粗笨な解釈になるのか、一度頭を冷やして、蜘蛛の巣(ἀράχνιον)が張ったような血の巡りが悪い、粗雑な(σομφός)お頭で、得と考えたらよい。
【…の「まやかし」を説く割にはいかにも稚拙な立論しかできない】ということの含意(ἔμφασις)は、カ氏が【「愛と正義」だとか、希望、ユートピア】ということが【「まやかし」(τὸ ψευδής)=虚偽(ψεῦδος)を説く割には…】、というくらいだから、その「虚偽」(ψεῦδος)であることを当然認識している(ἐπίσταμαι)ことを前提(πρότασις)としており、粗忽者(οἱ προπέτεια)のカ氏でもなければ、曲解(ἑτεροδοξία)しようがない。
単純ミスの冗談(παίζειν)とも嗤えないのは、これまでの夥しい誤読の積み重ねがあるからで、精々、自らの不注意と怠惰(ἀργία)を戒め(νουθεοτεῖν)、充分気をつける(εὐλαβέομαι)ことだ。
そうでないと、ネット上とはいえ、公共の(κοινός)言語空間で、結果として「嘘をつく」(ψεύδομαι)、誹謗中傷(λοιδορία καὶ συκοφαντία)に等しい,間抜け(ἀμαθία)や醜悪さ(αἰσχος)は避けられる。
この機会に、以前の⑭「勘違いの人」(ὁ ἑτεροδοξία)に加え、新たな枕詞として「懲りない人」(ὁ ἀκολᾶτος)を進呈する。
☆愚か者には、親切な人間になるだけの素地がない。(ラ・ロシュフコー『箴言』387)
das ganze Volk zum Werkzeug dieses Hasses gemacht. Noch am Tag vor seinem Ende am 30. April 1945 hatte er sein sogenanntes Testament mit den Worten abgeschlossen: "Vor allem verpflichte ich die Führung der Nation und die Gefolgschaft zur peinlichen Einhaltung der Rassegesetze und zum unbarmherzigen Widerstand gegen den Weltvergifter aller Völk
ヒトラーは全ドイツ人族をその憎悪の道具にしたのです。ヒトラーは1945年4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対する仮借のない抵抗を義務づける」と書いております。(ワイツゼッカー演説より)。
「国際ユダヤ主義は世界のあらゆる民族を毒する」、これは、ヒトラーの政治上のゆるぎない信念なのである。その彼の信念にたてば、アウシュビッツの虐殺は、彼の理論の当然の帰結である。
けれども、知覧の場合は、「味方の命」である。健康な日本の若者は、日本の宝である。夢も将来もある健康な若者なのである。その若者を、自分の保身のため、出世のために、ほとんど戦果も期待できない作戦に投入させて、殺す、というのは、人間としてどうなのか、と思ったのである。「本土決戦を主張した」軍人たちも同じである。
昭和天皇陛下が、自分の身をかえりみず、「無条件降伏」の決断をされたから、日本は、あの程度の犠牲者で、国土も分断されずにすんだのである。そのことが、反氏を含めて、日本の学識経験者にわかっているのか、ということを私は逆にききたい。
また私は、「愛と正義」だとか、希望、ユートピア、ということが【「まやかし」であると主張しているのではなくて、一見「愛と正義」であるかのような美辞麗句をちりばめた「まやかしのユートピア理論」に気をつけろ、と主張しているのである。
この点で、マックス・ウェーバーと並んで自国の弱点に極めて自覚的だったのが作家トーマス・マンで、西欧型民主主義者の楽天的な信奉者で、その分軽薄でもあった兄ハインリヒとは異なり、その苦渋に満ちた思索の遍歴には、「政治的なもの」に寄せる周到な考察が散りばめられている。
それは結局、神聖ローマ帝国以来の「負の遺産」とも言えなくもない領邦国家が乱立して英仏に比べ国家的統一で後れをとった歴史的制約以上に、市民的な政治的合意形成における「後進性」、つまりデモクラシー=「精神の政治化」における精神的自由の位置づけにおいて、マンをして「私は私の思考に刻印された特質のしからしめるままに、自由という言葉を倫理的な(sittlich)自由の意に解していたのである――そして道徳的な自由の、市民的な(bürgerlich)自由に対する関係についてはほとんど何も知らなかったし、また知ろうともしなかった」(「文化と政治」=“Kultur und Politik”, 1939.=Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4, S. Fischer Verlag, 1974. S. 853)と述懐させたように、その文化優先の「非政治性」は、特有の刻印を帯びる。
人類文化への知的な貢献で、際立った卓越性を有する文化的伝統との際立った対蹠性とも奇妙な混淆をなしている。そこに、ドイツの政治的文化的特異性がある。
少々長いが、「文化と政治」から引く。
「ドイツ史の悲惨な運命とドイツ史が辿ったナチズムという文化の一大破局への道とが、ドイツ的市民精神における政治不在といかに緊密に結びついているか、精神的なものと「教養」との高みから政治的および社会的な分野を見くだしてきたドイツ的市民精神の蔑視的態度といかに深く関係しているか――私はつい最近、偉大な思想家でもあると同時に第一級の文学者でもあるひとりのドイツの哲学者、私の青年期に絶大な影響を及ぼしたアルトゥール・ショーペンハウアーを再び読み返してみて、この事実を改めてはっきりと意識させられたのであった。
…彼、ショーペンハウアーは、へーゲルの最も尖鋭なる敵であった。彼はヘーゲルに見られる政治の神格視、国家をあらゆる営為の頂点、つまり蜜蜂の巣のごときものと観るその国家論を、俗物的思考の最たるものだと極めつけた。ではショーペンハウアー自身は国家をなんと観たか、彼は国家を必要不可欠の悪と見なした、そして彼は、人間というこの極めて厄介な種族を統治し、このような人間たちのもとで法と安寧と秩序とを維持し、何らかの財産を所有することになった者たちを肉体的な力以外の何ものをも持ち合わせていない無数の者たちから護ってやるという割に合わない仕事を引き受ける人たちに対しては、批判的な眼を向けることなく寛容な不干渉の態度を採ると言明した。
今日われわれは、国家に身も心も捧げることこそ人間の使命だと説く教義の反人間的な恐ろしさを知っているし、国家の絶対視、ショーペンハウアーとともに言えば「人間の崇高な目的からわれわれの眼を完全に遮ってしまう」ような国家絶対視に対してなされるあらゆる反抗の意義を理解することができる。(引用続く)
ショーペンハウアーの公言して憚らなかった座右銘は、「私は、自分が神聖ローマ帝国のことについてあれこれ心を遣わないでよいことを、毎朝神に感謝する」であった――まさにこれは、国家にとって実に好都合だといっても構わないような座右銘であり、正真正銘の俗物的、逃避的思考の現われであって、ショーペンハウアーのような精神的戦士がなぜこのような言葉を自分の座右銘にすることができるのか、ほとんど理解できないような代物である。
政治のこのような断念は、すなわち一個の錯覚なのである、一個の自己欺瞞なのである、われわれはこれによって政治の領域から逃げ出ることはできない、それどころかただ誤れる側に加担することになるだけである――しかも激情に駆られて。
A-politik(非政治的態度ないし政治的無関心)、それはAnti-Demokratie(反デモクラシー)の謂いに外ならない。そしてこのことの真に意味するところ、つまり精神はかかる無関心によって一切の精神的なものといかに自殺的な仕方で矛盾対立することになるかということ、それはある特定の状況が到来してはじめて、極度に激しい勢いをもって明るみに出るのである。
1848年にショーペンハウアーが採った態度は、恐ろしく卑劣で、かつ悲喜劇的であった。彼の心は、当時ドイツの社会生活にかなり熱狂的にひとつの方向性を与えようと望んでいた人々の側には微塵もなかったのである。(続く)
民衆を彼は、「最高至高のごろつきども」としか呼ばなかった。そして彼の住居からバリケードに立て籠っている者たちを偵察していた一人の将校に対し、彼らをもっともよく狙い撃てるようにと、これ見よがしにオペラグラスを貸し与えたのであった。これを政治を越えた態度、政治に対する優越といえるだろうか。これは単なる反動的情熱にすぎない。
…この思想家が政治的反革命的なのは、生に対して批判的な鬱屈した気分と苦悩崇拝のゆえであり、進歩を標榜するデマゴギーの「下劣な楽天主義」に対する憎悪のゆえなのである――要するに彼の四囲には、われわれが余りにもよく熟知している、われわれの故郷そのものといってよいような余りにも親しい感じを催させるドイツ的な市民精神の空気が典型的な形で漂っているのだ――が何ゆえにドイツ的な市民精神なのか、それはまさに、この市民精神が精神的であるからであり、その内面性、その急進主義、あらゆる民主的なプラグマティズムとの絶対的な無縁性、その「純粋な天才性」、その身のほど知らぬ頑冥固陋、これらすべてがドイツにおいてのみ存在しうる特殊ドイツ的可能性であり、法則性である――そしてまた危険性である――からなのだ。
ドイツの文化概念における政治的意志の欠如、デモクラシーの欠如は、恐ろしい報いを受けることになった、つまり文化のこのような理解が、ドイツ精神を全体主義国家の生贄にしてしまったのである。そしてこの全体主義国家によって、ドイツ精神は市民的自由を奪われ、同時にもろともに、倫理的自由をも奪い去られてしまったのである。(続く)
事の成り行きは仮借のない、悲劇的な一貫性に貫かれている。ドイツにおける精神の政治的真空状態、文化=市民を自負するドイツ市民のデモクラシーに対する不遜な姿勢、自由を過小に評価して、自由という言葉を西洋文明の生み出した修辞の一常套句としか見ようとしないその態度が、この文化=市民を国家と権力との奴隷に、全体政治の単なる手足にしてしまったのであり、ドイツ市民が世界精神の前に再びその眼を見開くことのできる道が果たして遺されているのだろうかと疑わしめるほどの屈辱の奈落へと、彼らを突き落としたのである。」(“Kultur und Politik”=Werke, Bd. 12, S. 854~857)
「政治から自由でありたいと欲したドイツ的精神が結局は政治の脅威の中で破滅していくパラドックス」(das Paradox des Unterganges des deutschen Geistes, der politikfrei sein wollte, im Terror der Politik vollendet sich=Werke, S. 858)は、マンによれば、「いつもただ、宗教と精神の分野においてのみ革命を求め、政治的な領域においてはそれを憎悪し、軽蔑してきた反革命家たるドイツ精神」の過激共和派(Sansculotte)的担い手に堕した悲劇なのである。
翻って、それは士大夫が政治の中枢を占める朝鮮王朝にも、文在寅政権にも通底する。[完]
また、歴史家、息子のゴーロ・マンが父と犬猿の仲であったこと、兄のハインリッヒ・マンやロマン・ロランに批判されて、『非政治的人間の省察』を書かざるを得なかったように、マンは「政治的な思考ができる人」ではないのである。
「哲学」をするということと、「政治的思考力がある」ということは違うのであって、私は近くで祖父、父、母を見て育ったので、その違いはよくわかる。母は、「マルクス主義」に全く興味をもたなかった。若い母に父がいくら洗脳しようとしても、無理だったそうである。けれども、日本の政治にはとても興味をもっていて、政治家の好き嫌い、自分の意見をはっきり主張していた。要するに「実際的な人」が政治家にはむいていて、机上の理論家「父」のような個性の人には向かないのである。
そういう面から考えると、哲学者、ショーペンハウエルが、実存の問題を考え、いかなる政治的情熱をも放棄するという精神のこのような断念は、人間的に正当なことであり、人間にとって有益なことだった、と私は考える。
ドイツ人が「教養」の高みから政治的および社会的な分野を見くだしてきたから、ナチズムが政権を取ったのではなくて、英仏から押し付けられた莫大な賠償金、世界大恐慌にどう対処していいかわからず、問題の解決方法を見いだそうにも政治が「小党分立」の結果、有効な解決策をみつけられなかった上に、「ワイマール憲法」は、言論の自由を無制限に許したので、演説や演出を駆使して作り上げられた「仮想現実の世界」、熱狂的な「ナチズム」の信奉者に対して、なすすべがなかったのである。ナチスは、共産主義者と共に、テロも多用したから、暴力への恐怖心もある。戦前の515事件、226事件、以降の日本と同じである。
それが、現在の「なぜ、ドイツでナチスが政権を握ったか。」の解釈であり、そのことは、敵国、「言い逃れをする必要のない」フランスのテレビ局が作ったドキュメンタリーにも、はっきり表現されている。そして、その史実は、「未来への警鐘」にもなるのである。
韓国で、文在寅さんのされていることも、「仮想現実」を駆使し、敵を作り上げる、手法なのではないのだろうか?
私は自らの責任(αἰτία)と過誤(ἁμάρτημα)、つまり「身から出たさび」で暴発して第二次世界大戦を引き起こした過酷なヴェルサイユ体制へのドイツの叛逆、異議申し立て(ἀμφισβήτησις)としてのナチス・ドイツの擡頭「だけ」を問題にしている訳ではないことは、投稿55~59をみれば明瞭(σαφής)なはずだ。
それにもかかわらず、カ氏は「無知ゆえ」(δι’ ἄγνοιαν)に無意識的にか、故意に(ἑκουσίως)か、いずれかは敢えて問わないとして、莫迦の一つ覚えのような見え透いた(εὐθεώπρητος)論点ずらし(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν)に終始するばかりで、肝腎なことを決定的に見落として(πλημμελέω)おり、致命的(θανάσμος)だ。ここまで衣怙地(ακληρός)で単細胞(ἁπλοῦς)だとつける薬がない。
マン父子の確執など、瑣末なことで我を張って(αὐθαδίζομαι)肝腎の議論を軽んじる(ἀτιμάζω)カ氏のような情動過多(θυμός)のすぐに「かっかする」(ὀργιλότης)資質は軽薄そのものだ。
精神的葛藤(δέσις)を抱え自殺した長男の作家クラウスと違って歴史家となった凡庸で鈍重な次男ゴーロなどどうでもよい。
メンデルスゾーン家の遠縁プリングスハイム家出身の夫人カタリーナがユダヤ系だったこともあろうが、「国内亡命」状態でナチスに一切の協力を拒み抵抗したヤスパース同様、あの時代のドイツの知識人としては例外的な人物であって、それは、20世紀初頭のドイツ最良の知性マックス・ウェーバーの抱いていた危機感にも接続する。
何よりマンは、ナチスが政権を獲得する以前の1930年の講演「理性に訴う」で、市民階級に社会民主党と組んでナチスに対抗すべきと説いており、同年の短編『マーリオと魔術師』では、ファシズムの正体を暴いて、その末路を予言してもいる。
それは、西欧流の進歩的民主主義思想の信奉者でフランス革命の理想に心酔していた兄ハインリヒのようドイツ版「進歩的知識人」とは違って、精神や芸術の「政治化」への抵抗でもあった。
戦後の1922年に弟トーマスと和解したハインリヒが第二次大戦後、結局どうなったか(1950年に東ドイツ芸術・文化国民賞)、東独についても勘違いして知った気になっているカ氏程度の「無学」にも分かりそうなものだ。
マンは生と精神、芸術と政治とを全く隔絶した世界とみなし、政治を軽視ないし嫌悪するドイツの教養市民層特有の精神的傾向を危ういと再認識して、個人の自己完成という教養理念には政治的、社会的責任への自覚が伴うべきだとして、民主主義者に転じ、亡命して海外からナチスの危険性を説き、ユダヤ人大量殺戮に至る祖国の破滅的状況への抵抗を呼び掛けたわけで、国内でナチスに積極的に協力したり(ハイデガー)、唯々諾々と従った(ガダマー)その他大勢の知識人とは決定的に異なるのは言うまでもない。
これ以上「無学」を相手に「冗語を重ねる」(μακρολογέω)ことは遠慮する(νουθεοτεῖν)が、60⇒【祖父、父、母を見て育った…「実際的な人」が政治家にはむいて…机上の理論家「父」のような個性の人には向かない】は、カ氏の父親が凡庸で軽率な質か否かはともかく、親の心子知らずで、その父にしてカ氏程度の知性という退屈な話であろう。哲学的思考の欠陥(κακία)や限界(πέρας)でも何でもない。
61⇒【キャリア官僚は、ほぼ法学部出身者…「仮想現実」の世界に生きる文学部出身者】⇒⇒世間知らずの硬直的思考の典型で、行政は法律が業務の根拠だからそうなるだけの話。愚鈍さは出身学部に関係なかろう。
61②⇒【ショーペンハウエルが、実存の問題を考え、いかなる政治的情熱をも放棄するという精神の…】⇒⇒「無学」に限って逆上せ上がって、饒舌に無駄口を叩く(ἀδολεσχεῖν)。
自制心(σωφροσύνη)の欠如(στέρησις)は見苦しい。
‘mandarin’はポルトガル語の‘mandar’(命令する⇒mandarim)に由来する(語自体の起源はヒンディー語⇒mantrī、サンスクリット⇒mantrin counselor)。17世紀に清代のシナで活動したポルトガル人宣教師が土俗の方言とは異なる役所での公用語を含むシナ北部の共通語を‘mandarim’(「官話」)と呼んだことによる。転じて、「官話」を話す清朝の高級官僚を意味した。‘Mandarin Chinese’(「北京官話」)はシナ語の北京方言、即ち標準中国語を指す。英語の‘mandarin’には、高級官僚に加え、知識、文芸の世界における保守的、反動的な有力者、大立者の意味があるのは、そもそもシナや朝鮮では両者が一体だったからだ。
ドイツの教養市民層については、リンガー(Ringer, Fritz K.)の『ドイツ・マンダリンの没落』(“The decline of the German mandarins. The German academic community 1890–1933.”, Harvard University Press, Cambridge/Mass. 1969.=邦訳は『読書人の没落――世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』、西村稔訳、名古屋大学出版局)が日本でも話題になった(なお、ドイツ語版は“Dt. Die Gelehrten. Der Niedergang der deutschen Mandarine 1890–1933.”, Klett-Cotta, Stuttgart 1983.)。
元々はマックス・ウェーバーの一連の宗教社会学に関する研究のうち『儒教と道教』でのシナの士大夫に関する研究を受けたもので、リンガーはマンダリンの地位を世襲に伴う権利ないし財力に負うより、教育による資格に負っている社会的、文化的エリート層に比定した。
カ氏は「無学」だから、何も知らない。
さらに、現実的利害が絡む、一面俗悪とも言える政治を蔑視する非政治的態度が顕著だ。
こうしたことは、19世紀末に、土地貴族の没落と産業ブルジョワ層の未成熟とが危うい均衡状態を保った時期において比較的短期間、社会的支配権を掌握したものの、近代的産業化政策により19世紀末までに農業国から工業国に変貌したことで、土地富裕層に対する産業富裕層の優位性が決定的になった時期に、自らの没落を予感して、近代文明的価値観と大衆社会の擡頭を忌避する防御姿勢を取るようになる精神的な退嬰性をリンガーは剔出した。
『ドイツを憂うる』(“Leiden am Deutschland”)の中でマンは、
「政治は人間社会の一つの機能であり、政治への関心は人間精神の全体性に属するものであって、人間が自然界に属するわけではないように、政治は悪にすぎない決まっているわけではない。ところがドイツ人は悪と考える。だから政治がドイツ人を不具にし、毒し、破滅させるのも不思議ではない(es ist dahre kein Wunder, daß ihn die Politik entstellt, vergiftet und verdirbt.)」と言い切っている(“Leiden am Deutschland”, 1933~34.=Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, S. 761)。
ヒトラーに騙された(ἐξαπατηθῆτε)と、責任を他者に転嫁して非難する(ὀνειδίζειν)前に、騙されるほど阿呆(ἠλίηθιος)なわけで、ドイツ人に同情(συγγνώμη)の余地はない。身から出たさびだろう。
反省が中途半端(ἥμιγενής)だから、今後も騙されるかもしれない。[完]
☆謙虚とは、神が生贄を捧げるよう人にのぞみたまう祭壇である(ラ・ロシュフコー『箴言』537)
私は、反氏と好みがすべて反対である。鬱の傾向があっても、誠実なゴーロの方が派手な反面、ドラッグで身を持ち崩し、自殺をしたクラウスより好きだし、地味なエリザベートの方が、1937年3月15日ニューヨークのマジソンスクエア―での記者会見で、第三帝国政権下のドイツ人について、あることないことを言って、あたかも「第三帝国とけなげに戦っている」かのような演技をした女優のエーリカより信頼できる(Die Familie Mann, Im Gegenwind der Nationlsozialisten,Frankfurter Allgemeine von Tilmann Lahme, Aktalisiert am 25.09.2015)。このようなものは、誠実さ、人間性の問題なのではないのだろうか?
以前に書いたかもしれないが、エーリッヒケストナーも、ユダヤ人の血をひいている。身の危険があったのである。それでもなお、ドイツにとどまり、苦労を重ねた。反氏は、ゲーテの女性遍歴を批判されるが、トーマス・マンの場合も、本来、そのプロセスを経て、はじめて誠実な作品が書けるのではないのだろうか?
トーマス・マンは戦前、戦後の相も変わらぬ同胞への違和感から結局は故国に戻らなかった。その事情と胸中は1945年8月8日のドイツの幾つかの新聞に掲載された公開書簡への返書として雑誌‘Aufbau’(New York, vol., 11, Nr. 39, 1945.)に掲載された「私はなぜドイツに帰らないか」に詳しい(‘‘Warum ich nicht nach Deutschland zurückgebe’’=Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4., S. Fischer Verlag, 1974., s. 953~962)。
マンの孤独な心中が惻々伝わってくる文章で、以下のような記述がある。
「私たちの知っていることが、次々と起こっている間に、ドイツの中に「文化」を作るということは、許されてもいなかったし、とてもできないことでした。文化をつくるということは、腐敗を弁明し、犯罪を糊塗することを意味しました。ドイツ精神が、ドイツ芸術が不断に、徹頭徹尾、野蛮な行為の看板であり先馬となっていたのを見るのは、私たちが受けた苦しみの一つでした。
ヒトラーのバイロイトのために、ヴァーグナーの舞台装置を考えること以上に名誉ある仕事をだれにも考えられなかったことは、奇妙なことです。ゲッベルスの許可を受けて、ハンガリーや、その他ドイツ語圏のヨーロッパに出かけて行って、気の利いた講演をして、第三帝国のために文化宣伝をすることは、――恥ずかしいことだとは言わないが、私には理解に苦しむ、そんな状態で多くの人に再会するのは、奇妙な気持ちがするとだけ申し上げたいのです。(引用続く)
☆高慢は、人間喜劇の登場人物をすべて独演するが、さすがに手練手管やさまざまな変装に疲れたごとく素顔を現わし、横柄を剥き出しにする。だから、正確な言うなら、尊大さとは高慢の爆発であり、宣言なのだ(ラ・ロシュフコー『箴言』568)
Ein Kapellemeister, der, von Hitler entsandt, in Zürich, Paris oder Bubapest Beethoven dirigierte, machte sich einer obszönen Lüge schuldig―unter dem Vorwande, er sei ein Musiker und mache Musik, das sei alles. Lüge aber vor allem schon war diese Musik auch zu Hause. Wie durfte denn Beethovens »Fidelio«, diese geborene Festoper für den Tag der deutschen Selbstbefreiung, im Deutschland der zwölf jahre nicht verboten sein? Es war ein Skandal, daß er nicht verboten war, sondern daß es hochkultivierteAufführungen davon gab, daß sich Sänger fanden, ihm zu singen, Müsiker, ihn zu spielen, ein Publikum ihm zu lauschen. Denn welchen Stumpfsinn brauchte es, in Himmlers Deutschland den »Fidelio« zu hören, ohne das Gesicht mit dem Händen zu bedecken und aus dem Saal zu stürzen!(Werke, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4., S. 957~58)
「ヒトラーに派遣されて、チューリヒ、パリ、ブタペストでベートーヴェンを指揮した指揮者は、自分が音楽家であって、だから音楽をやるのだ、それがすべてだ、といった口実で臆面もない嘘をついた責任があります。ドイツで音楽をやるということ自体が、すでに嘘でした。
本来ドイツ人の自己解放の日のための祝祭劇であるベートーヴェンの『フィデーリオ』は、いったいどういうわけで、この十二年間に禁止されなかったのでしょう? それが禁止もされずに、極めて洗練された形で上演されたこと、それを歌う歌手がおり、それを弾く楽員がおり、それに耳を傾ける聴衆がいたというのは、立派なスキャンダルでありました。蓋しヒムラーのドイツで『フィデーリオ』を聞き、顔を手で覆うこともなく、会場から外に飛び出しもしなかったとは、何という鈍感さでありましょう。」
ユダヤ人たちの受難をよそに、「所詮は血まみれのうたかた」、やがては一瞬にして消えゆくわが世の春に漂っていた、唾棄すべき同胞たちへの凝視――言語の魔術師である卓越した作家の感受性をよく示す文章で、註釈は不要だろう。
例外はあろう。しかし、時折、神経(νεῦρον)が針金製と思わせる、臆面もなく(θαρραλέος)虚偽推論(παραλογίζσεθαι)を繰り返す「ならず者」(ὁ μοχθηρός)、嫌悪すべき「論過の人」(παραλογισμός)であるカ氏にも、マンがナチス統治下の同胞に感じ、あっけにとられる(stürzen)「戯けた嘘」(obszönen Lüge)が拭えない。
無感動(ἀπαθής)、魂のない(ἄψυχος)鈍感さ(ἀναισθησία=welchen Stumpfsinn)は「比類がない」。
「私が聴衆に対して、ドイツについて述べようとしたことは、一つとしてよそよそしい、冷たい、外側からの知識から生まれたものではないのである。すべてが、私の中に存在し、そのすべてを私が自分の肉体をもって体得してきたことであった、と語ったのです」(ibid., S. 960)
血に飢えた同胞の運命に立ち会い、人間性に仇なす宿業を抉り出す筆に苦衷が滲む。そこに凡百の作家にはない、背筋を匡させる(διορθοῦν)苦渋に満ちた認識がのぞく。
スイス在住のヘッセをモンタニョーラに訪ね、消息を伝えている。
「ドイツ人は偉大な、重要な民族だ。誰がそれを否定できよう? ひょっとすると、世の師表かもしれない。だが、政治的民族としては? これはもう論外だ! 私はどんなことがあっても、そういう彼らと今後関係をもつのはごめんだ」(»Ein großes, bedeutendes Volk, die Deutschen, wer leugnet es? Das Salz der Erde vielleicht. Aber als politischen Nation―unmöglich! Ich will, ein für allemal, mit ihnen als solcher nichts mehr zu tun haben. «=ibid., S. 955)。
ドイツと「縁を切った」ヘッセの自由な魂をマンは羨ましがり、慰めを見出している。[完]
☆余白に
女性遍歴の言い訳は野暮(ἄγροικος)で、男を下げる。(亜火野正平)
私自身が若き日、ミュンヘンで見たオペラの中で一番惹かれた作品は、ベートーヴェンの「フィデリオ」とワーグナーの楽劇で、ワーグナーに関しては、ミュンヘン大学で講義も受け、バイロイトまで見に行った。帰国後も、「指輪」に関しては、日本の皇太子も鑑賞された「指輪」公演の際、その演出をした鬼才ゲッツ・フリードリッヒの講演も東京の「ドイツ文化センター」できいた。フリードリヒの述べたことは、ワーグナーの「指輪」を、ナチスドイツは、その政治目的に利用した、ということだった。ドイツ統一後、べルリンのカルチャーセンターで、ドイツ人と共にセミナーを受けた後、ユダヤ人バレンボイムの指揮の公演も見た。
そのプロセスを経て、考えてみるに、ゲルマン神話から着想を得たワーグナーの「指輪」の思想、「権力」は「愛」と共になければならないというのが、「メインメッセージ」であるが、ヒトラーは、「あたかも自分はドイツ人を愛しているような演技、ふり」、をしたが、現実は、自分のイデオロギー「ユダヤ人に対する嫌悪感と憎しみ」、自分の野心「戦争に勝って、世界を制覇してドイツ帝国を作り、その総統になる」ために、ドイツ民族を利用したのではないのだろうか。人間性は、「昭和天皇と対極」にある人物である。
これだけ由緒のあるドイツ人やオーストリア人が「自分たちの文化の宝」だ感じている作品を、「ドイツ文化ではない。」、といいきる人間をドイツ文化の擁護者といえるのだろか?反氏のゲーテ蔑視にも、同じようなものを感じる。要するに、反氏は、一部の特殊な反ドイツ文化、反ドイツ文化人をいたく尊敬し、「彼らのつくりあげるドイツ文化」はお好きなのかもしれないが、本物のドイツ文化の神髄、精神は、端的に言ってお嫌いなのである。
現実問題として、「政治的民族としては? これはもう論外だ! 私はどんなことがあっても、そういう彼らと今後関係をもつのはごめんだ。」とマンが考えるのなら、ヘッセと同じように、ドイツと「縁を切る」べきだったのである。日本が嫌いで、他の国籍になっている人も大勢おられるのではなのだろうか?
また、戦後、EECを設立させ、東方外交を経て、米ロ英仏の覇権争いの中、「平和裏に、祝福されて、東西ドイツを統一させたドイツ民族」を、私は政治的に劣っている、などとはまるで思わないし、その時流れたベートーヴェンの「第9」の指揮も、ユダヤ系アメリカ人レナード・バーンシュタイン、ドイツ文化を愛するユダヤ系アメリカ人にしていただく、という演出一つを取ってみても、十分に政治的な民族だ、と私は考える。
朝鮮半島の人びとも見習ったら、どうだろう?
反氏は、あまりにも、ユダヤ問題に焦点を当てすぎるから、全体像が歪んでしまうのではないのだろうか?ゲーテの場合は、平和の為に、政治的な国家統一を考えなかった。それは、ショーペンハウエルに近い。それを一概に、非政治性、とは言えないし、それは現代にも通じる、朝鮮半島にも相通じる「国際政治」のテーマだと感じる。
「政府幹部」がヒトラーに騙されたのか、それとも、日本国民が、当時の「政府幹部」に騙されたのか。また、当時の日本のマスコミは、それをどう報道したのか?そう報道したのは、騙されたせいなのか、それとも、自分たちがそう考えたのか、そう報道するように規制されたのか、という吟味も必要かもしれないが、少なくとも、日本国民が、日本のマスコミ報道によって、ナチスドイツはいい国である、そう洗脳された、という事実は消えない。
また、中国に慰問に行った当時芸能人、戦争に協力した人々というのも、マンの主張によれば、糾弾の対象になり、「ふるさと」などの童謡も歌えないのではないのだろうか?
そう考えると、反氏の主張が、いかに非常識かわかるのではないかと思うし、騙された実績のある日本人も、ドイツ人と同じ、騙される可能性がある。その意味で、「仮想現実」や嘘を駆使する「マスコミ報道」の国際政治に与える影響力、これは、「韓国政府」発表の報道を含めて、現代の問題だ、と私は主張しているのである。
「ベートーヴェンのフィデリオ」について、蓋しヒムラーのドイツで『フィデーリオ』を聞き、顔を手で覆うこともなく、会場から外に飛び出しもしなかったとは、何という鈍感さでありましょう、とトーマス・マンは書いているが、ドイツ人の自己解放の日のための祝祭劇であるベートーヴェンの『フィデーリオ』だから、極めて洗練された形で上演しようと努力した当時のドイツ人音楽家の気持ちを私は理解できる。何度か書いたと思うが、第二次世界大戦は、一方的にドイツが悪いが、第一次世界大戦には、ドイツの正義がある。ハプスブルグ帝国の皇太子が暗殺されたら、その犯人を引き渡すのが、国際社会の常識ではないのだろうか?
引き渡さないから、戦争となり、負けたからと言って、敗者ばかりに賠償責任を押しつけたベルサイユ体制の不満がウィーン、ドイツ、を問わずドイツ人には根強く、その為にナチス体制、ヒトラーが「ベルサイユ体制からドイツやオーストリアを解放してくれる存在だ」、と言う意味で、当時支持を得たのである。日本の松岡洋右さんの国際連盟での演説、「十字架上の日本」も同じものを感じるが、この演説が、日本から見れば、あの当時の「正義」なのであるが、欧米からは、嫌悪感をもって迎えられた。
裏返せば、「被害者意識」なのである。最近では、「オウム」の論理にも、「韓国」の論理にもそれを感じるが、「被害者意識」は決して「平和を構築」しない。
自らの無知蒙昧、つまり「無知ゆえの」(δι’ ἄγνοιαν)、「無学ゆえの」(δι’ ἀπαιδευσίαν)の惨状(πονηρία)を棚に上げて(ἐάω)、薔薇の指さす(ῥοδοδάκτυλος)「曙」(φᾶνή)から、逆上して(ἀγωνία)、我を忘れて(ἀσχολεῖσθαι)、「反論らしきもの」を忽卒に(αὐτίκα)宣っているが、騒々しい(θορῦβώδης)ことこの上ない。
何度も引用して恐縮だが、英国の女性哲学者が端無くも指摘するように、憤激(θυμός)に我を忘れるさまは、「大体において、憤激の程度は、攻撃(者)の知性の程度に反比例する」(M. Warnock, Ethics since 1900., 1960., p.85.)ことの典型例(παράδειγμα)だ。
分を弁えず(πλεονεκτεῖν)、慢心(ὕβρις)と虚栄心(χαυνότης)がすぐ顔をのぞかせる浅ましさで「悲憤慷慨」(ὀργή καί θυμός)しており、一種の喜劇(κωμῳδία)で、醜悪(αἰσχρός)の一語。
自分で(αὐτόματος)墓穴を掘る(κολοβῦν)性懲りもない(μαλακός)「一人芝居」を演じており、如何にも芸がない措辞、過去(ἦν)の音楽(μουσική)にまつわる記憶(μνήμη)を総動員(ἀπολογίζεσθαι)して、議論の上では(ἕνεκα τοῦ λόγου)何か気の利いた議論(ἀστεῖος λόγος)のつもりなのだろうが、無用な(ἄχρηστον)釈明(ἀπολογία)が、逆に(ἀνάπαλιν)ドイツどころか、カ氏自身も貶めている(διαλύω)ことに気づかない(λανθάνειν)ほど自らの莫迦さ(ἀμαθία)加減に盲目(τυφλός)なのだろう。
畢竟、カ氏(=瑕疵)は「道化者」(βωμολόχος)なのだろう。
71⇒【トーマス・マンという人は、ドイツ文化…ドイツ人を正しく観察している人なのだろうか…ベートーヴェンの「フィデリオ」は、ドイツ文化、ドイツ音楽の宝、神髄】⇒⇒マンの言いたいことは、ユダヤ人を血祭りに上げておいて「あなた方は一体何をやっているのだ、恥ずかしくないのか」ということだろう。
「ドイツ人の自己解放の日のための祝祭劇」(diese geborene Festoper für den Tag der deutschen Selbstbefreiung)であるはずのベートーヴェンの『フィデーリオ』(»Fidelio«)の精神を最も裏切っているのは、破廉恥(αναισχυντία)なドイツ人だという趣旨だろう。
【ドイツ文化センターは、Goethe Institutで、Mann Institutではない】も無意味な冗語で、カ氏の「御上」依存の奴隷根性(δοῦλοψυχία)を端的示す表徴(σημεῖον)で、何を取ってもミーハー体質なのだろう。
72⇒【「政治的民族としては…論外…どんなことがあっても…彼らと今後関係をもつのはごめんだ。」とマンが考えるのなら…】⇒⇒マンではなくヘッセの正直な心情吐露で、ヘッセのように簡単に故国に愛想尽かしできないマンの苦渋(πικρότης)が、カ氏のような単細胞には理解できないだけの話だろう。
71同様、日本文もドイツ文も真っ当に理解できない「狭量な精神」(σμικρολογία ψυχῇ)、寛闊(ἐλευθεριότης)ならざる狂信性(μανικός)がもたらす魂の病(νόσος)の証左。
このほか、クズ投稿の狂態(γαστρίμαργος)は眼を覆うばかりだが、これ以上の長話(πακρολογία)は無用だろう。
☆過ちを犯しても、それをどうしても認めたがらない人間が、何度も何度も過ちを犯す。(ラ・ロシュフコー『箴言』386)
このオペラは、物語としては、「夫婦愛の物語」で、ドイツの「自己解放の祝祭劇」ではない。
政敵の刑務所長によって監禁されている夫の命を救おうと、妻が男性の見習い看守に化けて、その刑務所内を探ろうとする。人のいい看守は、その仕事ぶりにほれ込み、娘の婿にしようとする。政敵が、墓穴をほることを指示、夫のフロレスタンを殺そうとする。その絶体絶命のピンチにフィデリオ、実は妻のレオノーレが、命を賭してピストルを構え、夫が殺されるのを必死で防ごうとする。殺される一歩手前で、大臣が到着した、というラッパの音が響き、政敵は処罰され、二人の命が助かる、という物語である。
「ベルサイユ条約」が不当と感じ、その「不当」さから解放されたいナチスドイツ、ドイツ人音楽家が、この劇を愛する、という気持ちはわかる。ナチスドイツから解放されたウィーンの人びとの気持ちも。
ただ、トーマス・マンは、ヒーローで、それほどのことをいうのなら、男性なのだから、自分が強制収容所に赴いて、収容されているユダヤ人の様子を探るべきではなかったのだろうか?
凡庸さ(μέσος)と我執(πικρία)の強さ、低劣な(ταπεινότης)人間性(τὸ ἀνθρώπειος)を窺わせる心の賤しさ(ταπεινότης)が透けて見える。「自覚されざる」(ἄγνοέω)「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)と事大主義、ゲーテを語る陳腐な(πρόχειρος)教養(παιδεία)をみるにつけ、真理の探究(φιλαληθής)も歴史の真実(τὸ ἀληθές)もあったものではない。
それにしても、夥しい誤謬と誤記、論理的な虚偽推論(παραλογίζσεθαι)に加え、ものごとの軽重(καῦφοτης καὶ βαρῦτης)を見極める真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)を欠いているをのを目の当たりにさせられるような、一種、人を愚弄する(χλευάζειν)類の無知ゆえの(δι’ ἄγνοιαν)「妄説」に接していると、精神の平衡感覚(συμμετρία)の欠如は疑いようがなく(ἀνέλεγκτος)、憐れを催す。
もとより、「言論の自由」(παρρησια)は最大限尊重されなくてはならないが、そこには自ずから(αὐτόματος)良識(εὐγνωμοσύνη)と節度(σωφροσύνη)がある。
ところで、昨年5月以来の投稿数が前回までで1710件に上った。毎回のトピックス(τόπος)との関連性を顧慮しながら、今後もより精密な(δι’ ἀκρίβγβεια)原理的な考察を心掛けたい。
その点で、今回のテーマである韓国との関係(πρός τι)についても、文在寅政権における歴史の論理の特質を際立たせる点で、文氏の盟友だった盧武鉉政権の挫折の意味を正確に(ἀκριβῶς)押さえておく必要があり、それが盧武鉉政権の継承者文氏の保守勢力への復讐(τιμωρεῖσθαι)の論理=党派抗争(στάσις)の論理である「積弊清算」と、その下位概念である「親日清算」と知悉し、対日外交政策と混同しないことが肝要だ。
他方で、そのことが歴史認識に投影されていることは一面の真実だが、先の3.1独立運動記念式典が、政治的なプロパガンダとしては「不発」というか、空振りで終わったように、北朝鮮との関係も含めて、韓国の戦後史には未だに、真の国民的合意を得られていない問題が残っており、同国の歴史教育にみられる極端な「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)に基づく、民族的アイデンティティーの回復運動と区別する(διαιρεῖσθαι)必要がある。
韓国の革新勢力に顕著な特質は、究極の敵でもあった北朝鮮に比べ、韓国は植民地統治時代の歴史に遡る同胞内部の協力者=親日勢力の徹底した排除、所謂「歴史の清算」が不充分だという、ある種の劣等意識で、朝鮮王朝時代の政治的イデオロギーである朱子学由来の毀誉褒貶の歴史観「春秋の筆法」は、ここでも明解な善悪二元論と化し、過去の大半は糾弾され、克服されるべき対象になる。
不変(ἀμετάβατος)かつ普遍(καθόλου)な人間の性向(‘τῆς ἀνθρωπείας φύσεως’)について語ったトゥーキュディデース(「人間の自然的条件が作用して、何かをしようと心が傾く時は、法の拘束力や威嚇をもって、これをやめさせることができると考えることは、よほど単純でおめでたい」=『歴史』3巻45章7節)の認識と重ねると別の像が浮かび上がってくる。
Στησίχορος μὲν γὰρ ἑλομένων στρατηγὸν αὐτοκράτορα τῶν Ἱμεραίων Φάλαριν καὶ μελλόντων φυλακὴν διδόναι τοῦ σώματος, τἆλλα διαλεχθεὶς εἶπεν αὐτοῖς λόγον ὡς ἵππος κατεῖχε λειμῶνα μόνος, ἐλθόντος δ᾽ ἐλάφου καὶ διαφθείροντος τὴν νομὴν βουλόμενος τιμωρήσασθαι τὸν ἔλαφον ἠρώτα τινὰ ἄνθρωπον εἰ δύναιτ᾽ ἂν μετ᾽ αὐτοῦ τιμωρήσασθαι τὸν ἔλαφον, ὁ δ᾽ ἔφησεν, ἐὰν λάβῃ χαλινὸν καὶ αὐτὸς ἀναβῇ ἐπ᾽ αὐτὸν ἔχων ἀκόντια: συνομολογήσας δὲ καὶ ἀναβάντος ἀντὶ τοῦ τιμωρήσασθαι αὐτὸς ἐδούλευσε τῷ ἀνθρώπῳ. ‘‘οὕτω δὲ καὶ ὑμεῖς’’, ἔφη, ‘‘ὁρᾶτε μὴ βουλόμενοι τοὺς πολεμίους τιμωρήσασθαι τὸ αὐτὸ πάθητε τῷ ἵππῳ: τὸν μὲν γὰρ χαλινὸν ἔχετε ἤδη, ἑλόμενοι στρατηγὸν αὐτοκράτορα: ἑὰν δὲ φυλακὴν δῶτε καὶ ἀναβῆναι ἐάσητε, δουλεύσετε ἤδη Φαλάριδι’’.(‘‘Ρητορική’’ 1393b10~22=W. D. Ross ed., Aristotle Ars Rhetorica, 1959, Oxford.)
抜け目のない(ἀγχίνοια)独裁者(τυράννους)が、ここでは馬や鹿として登場する素朴だが俗悪でもある民衆を見事に(καλῶς)丸めこんで(παρακρούειν)支配下に置く(ἄρχω)話に重ねることができる。
ヒトラーに騙された(ἐξαπατηθῆτε)と称するドイルの群衆(ὄχλοι)は、騙される素地、つまり彼らなりの虫のよい算段(λογισμός)があるわけで、そのために進んで(ἑκών)騙されたふりもするのが人間性の争えぬ一面だろう。
トーマス・マンが暗然とした思いを抱いたドイツの音楽家、例えばナチスに屈服したW. Furtwänglerとそれに熱狂する聴衆についても、単に時代の政治的経済的状況に原因を求めることは、人間性に関する洞察(γνώμη)を欠く。
人は種々の言い訳をしながら、実にしたたかに生きている一方で、愚鈍ゆえに(δι’ ἄμαθιαν)間違いを犯す(ἁμαρτάνω)ことをやめない。[完]
例えば、カ氏のような劣等学生が、単にミュンヒェン大学に留学生として二年間在籍しただけで、厚かましく「ドイツ文化」を騙るのも滑稽な「独り相撲を取る」、という形容にしろ、私は24歳ではない。70近い老女で、帰国してから40年以上も、「ドイツ文化」を勉強している。現在も尚、ということはなんども書いた。また、「滑稽な独り相撲を取っている」だけではなくて、「好意的な反応」があったことも書いた。それを反氏は、あえて無視して、私が非常識で、厚顔無恥な老婆であるかのように印象付けるために、「つける薬がない」と書く。この手法は、日本のマスコミの人びとが、自分の主張を正当化するために、よく使う手法である。反氏の場合は「つける薬」がある。事実をきちんと認識し、論理的に再考すればいいのである。
韓国の植民地統治時代の歴史に遡る同胞内部の協力者=親日勢力の徹底した排除、所謂「歴史の清算」が不充分だという、ある種の劣等意識の問題であるが、日本のマスコミ知識人が、戦後の歪な反日教育を受けた、韓国知識人の主張をそのまま受け入れるから、ものごとが複雑になるのであって、日韓関係は独仏関係よりもむしろ、ドイツとポーランドとの関係に近い。反氏の表現を借りるなら、ドイツ人がフランス人に感じていたような劣等感を、日本人が朝鮮人に感じていたようにはとても思えないからである。
昨夜、G.ドウダメル指揮のロスアンジェルス・フィルで、マーラーの「巨人」を聴いた。卒論のテーマでもあったので、各モチーフ、和声、交響曲に使用されたリートの歌詞、様々なことを思い出しながら、感慨深く聴いた。当時私が参考にしたブルーノ・ワルターの演奏とは違ったが、ドウダメルのものも、本当に素晴らしく、感涙にむせんだ。熱狂的な聴衆の拍手も鳴りやまなかった。そして、ユダヤ系チェコ出身のマーラーの作品は、和声といい、表現と言い、ドイツ音楽だ、と再認識した。W. Furtwänglerの演奏に熱狂する聴衆は、単純に彼の音楽に熱狂したのだし、彼らは、ナチスドイツの政策がワイマール共和国の政治家の政策と比べて優れている、と思ったから、ナチスドイツを支持した人々である。これは、時代の政治的経済的状況に原因であって、彼らの心情を、なに不自由ない平和で豊かな現代日本に生きる我々が、理解することは難しいだろう。
その史実は、いろいろ欠陥はあっても、思想の自由を認めない「全体主義」よりも、「自由」な思考を与える「民主主義」がいいことを、我々に教えてくれているのではないのだろうか?この「思想の自由」を求めたのが、ゲーテなど、ドイツ古典派の人文主義者であったこともつけ加えておきたい。
従って、カ氏に関する批判(ἐπιτίμησις)にもすべて裏付け(διὰ τι)があり、薄弱な根拠と主観的な臆測(ψευδὴς δόξα)による断定(λῆμμα)は慎む(κόσμιοσθαι)よう心掛けている。つまり、論旨(τόπος)を裏付ける(συμβιβάζειν)具体的な事実(ὅτι)乃至は証拠(τεκμήριον)、文献的論拠(τὸ διότι)を提示(ὑποθήκη)して、自らの主張を明示化(ἐπιφανίζειν)したうえで、立証する(ἀπόδειξις)ことにしている。
換言すれば、相手の立論の論拠を逆手に取って、情け容赦なく論破する(ἀναιρεῖν)帰謬法(ἡ εἰς τὸ ἀδύνατον ἀπόδειξις)で相手の立論の不可能性(τὸ ἀδύνατον)を論理的に(λογικός)証明する(συμβιβάζειν)ことで、言い逃れ、相手の有効(περαντικόν)な反撃(ἐπιχείρησμα)、つまり防衛(φυλακή)を封じることにしている。
負けたことがないのは帰謬法によるからで、大半の相手は、さほど苦労する(πραγματεύομαι)こともない。カ氏など赤子の手を捻るようなものだが、当の本人にその自覚がない(ἄγνοέω)のは、知性の程度と、いかにも「話の通じない人」(βάρβαροι)らしい「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の所以だ。
前口上(προοίμιον)はこのくらいにして、具体的な論証に移る。
83⇒【所謂「歴史の清算」が不充分だという、ある種の劣等意識】⇒⇒北朝鮮に対する「劣等意識」の謂い。「反日教育」は全く関係ない。カ氏は誤読している。
83②⇒【「滑稽な独り相撲を取っている」だけではなくて、「好意的な反応」…も…それを反氏は、あえて無視】⇒⇒都合の良い事例だけに言及して、他は頬被り(ἐάω)して居直り、強弁を隠そうともしないのが、「厚顔無恥な人」(ὁ ἀναίσχυντος)カ氏ではないか。前者は⑰番目、後者は⑨番目の枕詞(ἐπίθετον)として進呈したはずだ。
最初の証言として、まずは「一通行人」氏から。
▽2018年9月3日・58⇒【反時流的古典学徒氏とカロリーネ氏との「議論」?…第三者的に判定するとカロリーネ氏の惨敗…カ…氏は、反論されたことに真正面から答えず全く関係のない与太話の類を延々と…誤字脱字等の形式面の誤りも非常に多く…反省も全くありません…見るに堪えない代物…世の中にはこんな人に議論が成り立たない人もいるんだな~と観察している分には面白い】ということらしい。指摘を受け、何と言って一旦は退場したのか、覚えておろう。
反「インテリンチ」氏との応酬でも、何ら有効な反論ができなかったはずだ。齢70前で惚けていなければ、覚えているはずだ。「しらばっくれ」(εἰρωνεύομαι)ていなければ。
▽11月19日・38⇒【私は…至極当然の事を言っているだけ…どのようにしたら、カロリーネさんのような誤読に至るのか不思議ですし興味深い…ドイツやドイツ語に拘泥するよりも、まずは、国語(現代文)を学び直した方が良いのではないか】⇒⇒まあ、誰がみてもそうだろう。
▽同・56⇒【人名等の単純なミスであっても、カロリーネさんのように度重なると軽視はできません…神は細部に宿るといいますし、単純ミスを軽視する考え方が大きな間違いを生む…入江さんの経歴紹介で「現憲法の立案責任者」である点にカロリーネさんが疑問を呈していたことに関する事実誤認は論理の根底に関わる間違い…これまでも…論理の根底に関わる間違いを多数おかしてきましたが、反時流的古典学徒さんが再三に亘り指摘してきたことであり膨大な量…頬かむりの常習であることが明らかなカロリーネさんが、吉次公介・立命館大学教授や出版社である岩波書店の姿勢を批判するのは滑稽で「喜劇」としか言いようがありません】というほかはないだろう。さらに、
▽11月20日・62⇒【芦田個人が「日本国憲法9条の立案責任者」というのは、カロリーネさんの独自の見解…私は、カロリーネさんの主張の前提となる事実の誤認を批判している…相変わらずの文脈無視…当初は国語(現代文)の能力不足と思っていましたが、ここまで酷いと、反時流的古典学徒さんが指摘するように、確信犯的な「投稿公害」な側面もある】⇒⇒註釈は不要だろう。
▽11月28日・162⇒【細部の瑕疵を軽視すると重大な瑕疵に繋がることは本ブログ上のカロリーネさんのコメントで実証済み…投稿で瑕疵がない投稿を探すのは大変な作業になる…論理構成に関わる間違いと無関係かのような弁明をしていますが、実際には論理構成に関わる瑕疵を日々の投稿で多数量産…160の中にも論理構成に関わる瑕疵があり…大きな論理の飛躍がある】⇒⇒註釈は不要だろう。
☆老いた狂人は、若い狂人よりさらに狂っている.(ラ・ロシュフコー『箴言』444)
▽11月29日・191⇒【私は…176で、本当にそのような主張をされる東大(法学部)系憲法学者が実存するのか疑問を呈し…結局、カロリーネさんはそれには全く回答せず…的外れな論点外しの投稿を縷々重ね…「(被害?)妄想」】⇒⇒反「インテリンチ」氏は紳士(καλὸς κἀγαθός)である。カ氏のような「ならず者」に対しても我慢強い(καρτερός)のに感心した。
カ氏はソクラテスの「産婆術」を尤もらしく語りながら、長文をコピペして出典を示さず「クズ投稿」のために剽窃する油断ならない人物。しかも、言うに事欠いてWikipediaで「簡単に調べ、コピペすることが、学問上の怠慢、ということに焦点があたっておかしくなった」(8月29日・155)のような、盗っ人猛々しい(ὁ τοῦ κλέπτου λόγος)、臆面もない言辞を弄して愧じる気配もない。
83③【非常識で、厚顔無恥な老婆であるかのように印象付けるために、「つける薬がない」と書く】⇒⇒もう少し悧巧な人間なら口をつぐむのが節度だが、ドイツかぶれで日本人の心を置き忘れて来たらしい。
幼児の如きnaivさ。その狂態はまさに狂気の沙汰(ἡ μανικός)だが、「キ印」と愚弄する(χλευάζειν)わけにもいくまいから、精神の病気(νόσος)で欠陥(κακία)である「無知」(ἄγνοια)を、ソクラテスに倣って、「つける薬がない」と、分かる人には分かる(φανερός)主語(ὑποκείμενον)を省いている。
84以下を書くのは憂鬱である。[完]
祖父は、父のしかける議論に対して、「お前は苦労が足りん。わしは、議論は嫌いだ。」が決まり言葉だったが、日本の戦後の宰相、日本を平和で豊かな国にする礎を築かれた吉田茂さんの、学者や野党の議員に対する態度もそうだった。その中には、東大の総長をされた哲学者もおられる。
哲学を勉強した父は、「パパは苦労が足りないとおっしゃいますけれど。」と、いつも反撃していたが、反氏の主張を読むと、老婆である私も、同じような印象をもつのである。通りすがりの方に、「人様のブログのコメント欄で過度なレスバトルをしないように。」と書かれた私たちである。反氏には、その意味が解っておられるのだろうか?大事なことは、議論に勝つことではなくて、正解にたどりつくことである。
1、 日本国憲法の解釈は、東大系の憲法学者の解釈ではなくて、GHQの起草した憲法草案を実際に修正した「立法府」に所属する日本人の議論、その解釈を尊重すること
2・ 韓国の日韓併合から日本の敗戦までの歴史に関して、韓国の「物語的」歴史解釈を踏襲するのではなくて、「真実の歴史はどうだったのか。」を探求すること、
3.北朝鮮に核の全面廃棄をさせること。
「北朝鮮は核を廃棄する気はない。」と日本のマスコミのコメンテータは主張される。私もそう思う。けれども、韓国の文在寅大統領の主張されるように、日米が妥協して、北朝鮮の一部の核施設の爆破と引き換えに、北朝鮮の経済制裁を緩めては、などと私は思わない。あくまでも、北朝鮮に全面的に核を廃棄させなければならない、と思っているのである。今でも、外貨稼ぎに現実に戦争をしている中東、アフリカ諸国に兵器を売っている北朝鮮なのである。北朝鮮がもっと核技術を進化させて、自国が経済的に発展するために、その開発した核兵器を中東やアフリカの国々、テロリストに売ったらどうなるのだろう?また、その兵器を日本に使用したらどうなるのだろう?現在でも、核ミサイルは米国には届かないが、日本には届くのである。
ドイツの近代史の著述は、世界の「過酷な国際間の覇権争い」の現実、「国際協調」の重要性を説明するために、使っている。
さらに政治の実際の担い手として国王も容易には無視できない圧倒的影響力を誇り、政治の実権をめぐる主導権(ἡγεμονία)争いで、血みどろの党派抗争(διαστάσις)が朝鮮王朝の歴史を貫いていることが分かる。主人公の多くは、そうした不条理な(ἄλογος)現実の犠牲者でありながら、不屈の闘志で運命を変える挑戦者として描かれるのが常だ。
被支配階級は、儒学を学ぶことさえ許されない過酷さで、「民は之れに由らしむべし可し。之れに知らしむ可からず」とは孔子の教え(『論語』泰伯第八)とはいえ、江戸期の寺子屋教育の主たる素材が儒学の古典だった日本と、朱子学が統治イデオロギーになる朝鮮との際立った違いを思い知らされる。
「両班」の横暴ぶりは韓国経済の実質的牽引役である財閥企業の存在感と重なる。日本統治下でもこの特権階級は実質的には解体されなかった。「解放後」の南北両国は朝鮮戦争を経て対立を深めるが、共産主義イデオロギーに基づいて、地主、資本家=日本統治の協力者という旧両班層を封建的遺制の残滓として徹底的に粛清したのが北朝鮮であり、逆に韓国は「反共」の対抗措置もあってほぼ温存したことが、韓国社会に「両班」的心性が残る遠因になった。
その謂わば「未精算」という劣等意識が、特に革新勢力によって強く意識されたのが盧武鉉政権時の2004年に成立した「親日行為糾明法」であり、それは日本統治の協力者への終わりのない否定を意味し同胞間のさらなる国内対立と報復の連鎖を生む背景になっている。
漢の武帝の治世に儒学が国教になったことで、主に孔子が編纂した「五経」を読んだ人間のみを官吏にすることが法制化され、その後、宋代になって社会経済の変化や独自の官吏登用制度「科挙」の浸透もあり、官吏の輩出基盤が従来の貴族階級から一般市民層に移行、所謂「士大夫」(=士林)層が中心となる。
それに伴って次第に古代言語で綴られた「五経」の地位が低下、孔子の言行録『論語』と孔子の祖述者である孟軻の言行録「孟子』、孔子の継承者による儒家哲学の小論文『大学』と『中庸』、即ち「四書」に移行する(「五経」と「四書」の関係は、謂わば旧約聖書と新約聖書の関係)。
この転換の完成者が儒学のルネサンスである宋学または程朱学、即ち朱子学の大成者朱熹(1130~1200)。以降、「四書」が民国(辛亥)革命に至るまで700年余、儒学の最重要聖典とされた。そして、それを、最も純粋な(κᾶτᾶρός)形で国家運営基本としたのが朝鮮、ことに朱子学を国家運営の改革イデオロギーとした朝鮮王朝(1392~1910)であり、500年以上にわたって、朱子学の故国シナより儒学の理念が純粋に尊ばれた。
それは特に、特に漢民族の王朝である明が、北方の夷狄である女真族の清によって征服されたことで、朝鮮の「小中華」意識=「事大主義」を募らせることになる。
シナ大陸の中原の文化・文明が中心(華)であるとする「華夷秩序」(「文化」とは語源的には、中華文明の「文徳による感化」の謂い)の正統な継承者は、清代以降、シナより朝鮮であるとする強烈な文化意識が、徳川政権のほぼ二倍、518年も続い朝鮮王朝によって純粋培養され、善くも悪くも国家アイデンティティーとなり、自負心であると同時に足枷になったことが、欧米列強が本格的なアジアの植民地支配に乗り出した時期に有効な近代化策を打ち出せなかった根本的な要因になっている。
シナの王朝を宗主国、周辺国を朝貢国とする華夷秩序は宗主国、近代の場合は清が盤石であれば、清によって朝貢の見返りに各国の支配地域を「冊封」されることで安全保障上の緊張関係が緩和され、低コストで済むという計算(λόγος)も成り立つ、ある意味で合理的な宗属関係で、近代的な「支配―被支配関係」ではないため、特段の問題は露呈しなかったが、清自体が欧米列強の蚕食を許すようになった結果、つまり、19世紀前半まではシナを中心とする東アジアの伝統的な国際秩序が、欧米列強による近代的な「力の支配」(δεσποτεία δύναμις)を「正義の論理」(δίκαιος λόγος)とする帝国主義的な秩序(κόςμος)によって圧倒されていくなかで、逆にそれが桎梏になっていく。
新たな対応を迫られたにもかかわらず、朝鮮にとってそれは容易な選択ではなかった。1897月に結ばれた第三次日韓協約(丁末七条約)に基づく別途の秘密協定による合意を受けて、日本によって力づくで(κατὰ τὸ καρτερός)武装解除された大韓帝国政府軍の規模(15200人)も、それを物語る。
朝鮮的な統治の理想は常に儒教的教養を極めた士大夫が、臣僚として政治の実権を握るシステムで、同じ両班でも、文官(東班)が常に武官(西班)の上位に置かれ、のちには両班は専ら文官=士大夫を意味するようになったように、「覇道」ではない儒教的な徳に基づく政治(徳治=仁治)、つまり「王道」の政治を名分として、政府軍の規模自体も常に小規模だった。
第一次日韓協約以降、日本はさまざまな名目で朝鮮人兵士の削減を進めたものの、第三次協約の時点でも全体の三分の一程度しか実現しなかったが、一つの独立国として政府軍総数が22000人強だったことになり、明治維新以降、富国強兵策を推し進め軍事大国化した日本とは事情が異なるのを裏付けている。
それが歴史的に、欧米流の近代化、産業化を阻む方向に働き、地政学的に朝鮮を利益線・主権線(防衛線)、山方有朋の措辞なら利益彊域、権勢彊域とする日本と相容れず、朝鮮の中立化という日清講和条約の合意が、朝鮮の「中立」を日本の武力によって保つという、朝鮮「併呑」=併合に落着する。
そこにあるのは、朝鮮の意向などロシアとの角逐で無視せざるを得ない日本側の「強者の論理」(κρείττονος λόγος)が、朝鮮という弱者(ἥττονων)の受難(πάθημα)を生んでいることは紛れもない事実で、何も韓国や北朝鮮の言いなりになって要求に沿う必要はないし、「建国神話」という「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)に寄り添うこともないが、身贔屓(καταχαρίζομαι)を捨てて、朝鮮側以上に歴史の過酷な現実を知る必要がある。
それが、人としての恬淡(ἐλευθεριότης)な「心の宏さ」、畢竟「大度」(μεγαλοπρεπής)であろう。[完]
日本のマスコミは、自民党政権に対して、「民は之れに由らしむべし可し。之れに知らしむ可からず」というフレーズを使って、政権不信を煽るが、日本ほど、情報公開されている国は、世界でも少ない。「外交機密」はどこの国でも公開しない。
反氏は、韓流ドラマを元に、朝鮮の李朝時代、被支配階級は、儒学を学ぶことさえ許されない過酷さで、江戸期の寺子屋教育の主たる素材が儒学の古典だった日本と、朱子学が統治イデオロギーになる朝鮮との際立った違い、を原因の一つにされるが、ルターの宗教改革前のドイツもそうだったのである。聖書は、ラテン語で、言葉の近いイタリア、フランス人は読めるが、言葉がまるで違うドイツ語を母語とする民衆は理解できなかった。要するに、「聖職者のいうとおりに聖書を解釈する」という教会をルターが批判して、大国、スペイン、フランス、スウェーデン、スイスなどを巻き込んで30年も戦争もした訳であるが、「ギリシャ語」を習得して、「ギリシャ語」を「ドイツ語」に訳す、というルターの努力によって、「学問の自由」が認められ、ドイツ人は自分たちが作るドイツ文化をもてるようになったのである。どうして、その努力を朝鮮の人々はせずに、ハングル文字を使い、アジアの古典を学ばないのだろう。そうして初めて、「王道」がわかる。
私の言うことが間違っていたら、
それは間違いだと徹底的に追及せよ。
君らの言うことがわからなければ、
私も君らを徹底的に攻撃する。
互いに攻撃し議論するのは、
憲法を完全なものにするためである。
くり返すが、
長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、
討論・議論を究めて
完全なる憲法をつくろうではないか
という精神で彩られている。GHQの起草した日本国憲法の修正も、同じだったのではないか、と私は考えるのである。どうして、東京大学の憲法学の教授だけが、別格なのだろう?
また、反氏は、日本は、核武装を考えるべきだと、考えられているみたいであるが、私は、反対である。同じ敗戦国ドイツも、その意志がない。二か国とも、もっていないから、国際社会で信頼を得られている面があるのであって、日本は、その歴史から考えても、国際社会での「核廃絶」を推進していくべきなのである。韓国の場合は、違う。李承晩以来の歴史教育の結果、韓国人はそう思い込んでいる。ある意味、洗脳の結果なのである。本当に、学校教育の国民に対する影響力は大きい、と感心するが、本当に必要なことは、日本統治下の朝鮮半島の現実はどうだったのか、という「事実」を韓国の人々が知ることで、それが「日韓友好」、「国際平和の元になる」と私は考える。
この70年間、朝鮮半島の分断という冷戦によって、極東アジアの平和に保たれているが、それは、徴兵制度のある韓国軍、そして米国軍の武力と、国連によって保たれてきた、ということを、日本人は「物語思考」から解放されて、よく認識するべきなのではないのだろうか?
もっとも、懲りずに(ἀκολᾶτος)過失を繰り返す(παλιλλογία)ことが人間性の本質(ἡ φύσις ἀνθρώπων)に根差しており、畢竟「避けられない」(ἀνάγκη)なものであって、「人間自然の性向」(ἡ αὐτὴ φύσις ἀνθρώπων)が容易には変わらない(ἀμετάβατος)、つまり抜本的な変革(καινοτομία)など期しがたい以上、人間社会で「進歩」と呼ぶに値する(ἄξιος)、せめてもの改善(νεωτερισμός)、善き行い(εὐπραξία)があり得るとすれば、それは、社会の「各人が責任を問われる必要のないことから受ける(不条理な)苦痛を可能な限り減らさねばならない」(市井三郎『歴史の進歩とは何か』、1971年、143頁)ことかもしれない。
人はユダヤ人という一種族(γένος)であっただけで無差別に(ἁπλῶς)殺戮され、北朝鮮に生まれただけで、塗炭の苦しみと餓死する(λιμῴ ἀποθνῄσκω)危険性にさえ晒される。
その逆は奴隷の平和(τὸ δουλεύω)=隷従(δουλεία)に甘んずることで、それもまた彼の民の自由だが、それに伴う国際社会の犠牲(θυσία)は最小限でなくてはならない。必然的に(ἐξ ἀναγκης)誤算(ἀλογημα)や失敗(ἀτυχία)が許されないのは大前提で、「国際協調」も取引(συμβόλαιον)の材料(ὕλη)であることは論をまたない。
歴史の法廷(δικαστήριον)によって罪(ἁδίκημα)に問われ(κατηγορεῖν)、裁かれ(κρῖθήσομαι)、罰を受ける(πάσχω)ことは、多くは歴史の必然というより、「強者の論理」(κρείττονος λόγος)、勝者(ὁ νίκη)の裁き(κρίσις)という、確立された(βέβαισος)「法規範」(νόμος)の宰る「法の支配」(δεσποτεία νόμος)としての正義などではなく、強者(κρείττων)=覇者(δύνάστης)によって正当化され公認された正義の粉飾物(κόςμος=秩序)、即ち欺瞞(ἀπάτη)と偽善(τὸ εἰρωνικός)の仮面(πρόσωπον)を被った「正義の論理」(δίκαιος λόγος)であることとは言うまでもない。
「正義の論理」は国際政治の現実に照らせば、あくまで仮象(φαντασία)であり「力の正義」(δίκαιος δύναμις)に貫かれた支配(ἀρχή)と秩序であるしかない。
日本人が憲法を隠れ蓑に戦後の平和と繁栄、畢竟、己の生存と安逸にかまけて平和の代償(ἀμοιβή)を忘れたこと自体、国際社会の秩序維持に真っ当な労苦(πρᾶγμα)さえ惜しむ精神の脆弱性(μαλακία)を生んでいる。
日本のマスコミは、戦後、政府から強硬な「報道統制があった」を隠れ蓑にするが、北岡教授が主張されるように、それは、中国戦線での日本の戦況が芳しくなった後で、それは、ソ連での戦況が芳しくなくなった後、ナチスが嘘の戦況ばかり報道したのと同じであるが、日米開戦の時、楠山義太郎さん以外、浮かぬ顔をしなかった人が毎日新聞社内におられなかったこと自体が、日本のマスコミが日米開戦を応援、支持していたことを如実に表している。
強者=覇者によって正当化され公認された正義の粉飾物、即ち欺瞞と偽善の仮面を被った「正義の論理」であることとは言うまでもない、とあるが、「東京裁判」は覇者によってつくられた正義の粉飾物、ではない。日本が、1928年に結んだ「パリ協定違反」に違反して、「満州事変」という「侵略戦争」をしたのである。「国際連盟」のリットン調査団の裁定に不服で、日本政府が、国際連盟も脱退し、「軍国主義の道」をひた走った、というのが、歴史の真実なのである。
例えば、ドイツのフンボルト大学の政治学者H.Münkler教授が研究しておられる、カソリックとプロテツタントの「30年戦争」と現在のイスラム圏の「宗教対立から起こっている中東の戦争」にしろ、時代と場所は違うが、似ている。そして、「軍事力の優劣」に貫かれた支配と秩序を「正義」にしてはいけないのである。つまり、「法律」で裁かれなければならない。
先日、バッハの「マタイ受難曲」を聴いて、私がミュンヘンに滞在した1970年代、なぜ、ミュンヘンの市民たちが「マタイ受難曲」を好んだか、カール・リヒター指揮、超一流のソリストの布陣であの曲が演奏されたのかが、わかったような気がした。「キリストにはりつけを。」と叫んだユダヤの民衆、民衆は惑わされやすい。それと共に、ドイツ社会で忘れ去られていた「マタイ受難曲」を100年後にもう一度再現したユダヤ系ドイツ人メンデルスゾーンの学識の高さ、音楽的な才能と実力も再認識した。彼は、まぎれもなくドイツ文化の功労者である。
戦後すぐ、社会的責任のあった立法府の日本人は、GHQが起草した憲法を修正したが、戦争をした失敗に鑑み、日本国憲法前文には、
「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」、それは、「国家主義的軍国主義」を二度と取らないということであって、相手の「侵略」に対する防衛力、軍事力をもたない、という意味ではなかったのである。
それが、一部政治勢力とマスコミの画策で、「あたらしい憲法のはなし」が流布され、「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものはいっさいもたないということです。・・日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」という風潮に世論が誘導され、それが正論であるかのような誤認が出来上がったのである。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」という意志を具体化することができるかを考えることではないのだろうか。
反氏は、 北朝鮮に生まれただけで、塗炭の苦しみと餓死する、この状況から人は正義を掲げて戦うしかない。北朝鮮の民衆は独裁者を自ら打倒すればよく、と主張されるが、日本国憲法前文の精神に照らして、それだけでいいのだろうか?核兵器を全面廃棄させ、民生部門に力を入れるように、北朝鮮の政治指導者を外交交渉を含む政治や世論を通じて誘導していくことも、必要なのではないのだろうか?少なくとも、他山の石として、米朝交渉を興味本位で、あるいは「安倍打倒」のプロパガンダ、として利用することは、許されない、と私は思う。
(参考) 北岡伸一教授記者会見 (2015.8.31)https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%84%e3%82%bc%e3%83%83%e3%82%ab%e3%83%bc%e6%bc%94%e8%aa%ac&&view=detail&mid=6793442CA955C44E7AA06793442CA955C44E7AA0&&FORM=VRDGAR
取るに足らない(φλαῦρος)凡庸(μέσος)極まる「作文」=「ままごと投稿」の愚劣さは、104~108を一読すれば明瞭で、それが自ずから(αὐτόματος)、投稿した本人による「愚鈍」(ἀμαθία)の証明(τεκμήρια)になっており、その難点を個々に批判して長口説を揮う(πακρολόγος)ことは不要だろう。
ところで、104⇒【日本が、1928年に結んだ「パリ協定違反」に違反して、「満州事変」という「侵略戦争」】のような、カ氏ならではの杜撰な(σομφός)記述は、カ氏の立論の欠陥(κακία)を雄弁に、物語っている。
そもそも、【「パリ協定違反」に違反して】――日本も調印した所謂「パリ不戦条約」に反しての謂いであろうが、地球温暖化防止でもあるまいし、「パリ協定違反」はあり得ないし、しかも【「パリ協定違反」に違反して】では意味が反対(ἐναντίον)だろう。
続く文章に、104②⇒【「国際連盟」のリットン調査団の裁定に不服で、日本政府が、国際連盟も脱退…】なる記述があるが、そもそもカ氏はリットン調査団の報告書(ἀπαγγέλλειν)や裁定(κρίσιν)の内容について、楠山義太郎氏について無駄口を叩くばかりで、通俗的な(φορτικός)教科書的記述以上の特段の理解を欠く陳腐さ(ψυχρός)を免れない。
即ち、①1931年9月18日の関東軍の行動は自衛目的とは認められないが、関東軍将校たちが自衛と認識して行動した可能性は、否定しない②満州国の独立は中国の主権の尊重及び行政的な統一を図る九カ国条約に抵触する③日本の満州における経済的権益擁護は認められるべきだが、満州を中国の国民性と切り離すことはできないから、張学良政権の満州復帰も、満州国の存続も、いずれも認めない――というもの。
その上で、中国東北部については、行政組織を考えるための「諮問委員会」を設置し、国民党政府から広範な自治権を付与された政権を樹立するため、日中両国と、日中各々が推薦する満州地域の代表者を加えた三者が直接交渉することで最終的解決を図るべき、と提言している。
注目すべきことは、報告書とその付属文書が、日本側の主張した経済的権益の損害についてはほぼ認めており、統一政府がない当時の中国の「無政府状態」に理由を求め、中国側の差別的経済措置や近代的国際関係の観点からみて明白な敵対行為である日本製品不買などが起きているのを中国側が放置しているのは、取り締まりや法的措置を怠っていることが原因として、国民政府側の不作為が原因と認定していることだ。
このように、ある意味で日本側の主張の一部に理解を示した日本側に「寛大」と言えなくもない報告書の基調的トーンは、当時の帝国主義的な国際秩序であるヴェルサイユ・ワシントン体制が、海軍軍縮と同時に経済的な国際協調体制であったがゆえに、世界恐慌で揺さぶられてその維持、存続の危機に直面しており、その主たる構成員である日本の「不当な」侵略行為を一方的に断罪できなかった事情がある。
それを読み違えて国際連盟脱退を選択したのが日本だった。
資源弱小国である日本の選択肢は限られており、米国の経済的な世界戦略に対抗することは、多くの資金やエネルギー資源、原材料を米国に依存していて不可能なばかりか、米国主導で世界経済が復興を早める点では利害が共通してもいた。
戦争回避には経済的に良好な関係が基本だとする米国にとって、米国が相手国との間で実現させた最恵国待遇を他の国にも均霑させることで世界経済復興に寄与しようとする戦略上、南米への影響力を強めていたドイツは日本以上に警戒すべき存在だった。
もっとも、満州事変で日本は直ちに世界において孤立を深めたわけではない。それなりに「非常によくできた」(加藤陽子)リットン調査団報告書によって、経済的権益を脅かす中国への国際法的裁定が下るのを目論んだ日本の期待は裏切られ、報告書に反撥する軍部や国内世論を抑制できなかったことを含め、日本の大きな誤算だった。
それでも、1933年5月に、関東軍と中国軍の間で締結された塘沽停戦協定によって、満州国が熱河省まで支配地域に収め、「長城線」が中満間の事実上の国境線となり日中間の小康状態が実現していた。ただ、満州事変がその後の日独伊三国同盟への道を開き、結局、米国の戦略と衝突する最大の要因になったわけで、「複雑怪奇」な国際情勢を読み切れなかった盲目と言える(加藤陽子『戦争の日本近現代史』、2002年を参照)。
一種の熱病(θερμόν)とも称すべきカ氏による、熱心である(σπουδάζω)半面、度を越した「入れ込みよう」(σπουδή)、如何にも前のめり(προπετής)で余裕がない(ἀσχολία)ゆえの、本欄ではお馴染みの陳腐な(πρόχειρος)俗論(ψευδῆ δόξάζειν)を並べ立てることに余念がない(σπουδάζω)姿を眺め、侘しさを覚える
世に警鐘を鳴らす(ἀποτρέπω)つもりか、カ氏にみえる素朴(εὐηθικός)でナイーヴな正義感は、カ氏自身が書いているように(105⇒【「ワイツゼッカー演説の巫女」である私】)、狂信的な(μανικός)独善(λῆμμα)であって、陳腐な(πρόχειρος)「道徳的自瀆者」(der moralischen Onanisten)の愚劣なおしゃべり(λήρησις)、法螺話(ἀλαζονεία)の類だから、相手にするまでもあるまい。
なお、106⇒【広田弘毅さんが…ソクラテスがプラトンによって救われたように、司馬遼太郎さんの小説で救われ】は、司馬ではなく城山三郎の『落日燃ゆ』を指すのだろうが、懲りずに間違えることといい、「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)の典型だろう。[完]
それを見ずに、私の歴史認識を、極端な思い込み=固定観念を抜け出せない頑迷固陋さの見本のような、無知ゆえの芸のない、一本調子の、誇張された大風呂敷のもの言いの類のないナイーブさで自分勝手に作り上げたものと主張されているが、これは、「21世紀構想懇談会」でまとめられた資料に基づいて書いたものである。この懇談会は、北岡伸一教授が座長代理を務められた「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と 日本の役割を構想するための有識者懇談会」で、その報告書は2015年8月6日、広島が原爆を投下された70年後にまとめられている。www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/pdf/report.pdf
この結論は、ジャーナリストのリジェンド、楠山義太郎さんがおっしゃっていたことにも近いのである。 反氏もいつまでも、私たちが大学時代に一世を風靡したドイツの学者やマスコミで活躍された知識人の言説に固執したり、私の「無学」を攻撃するのをやめられて、現在の学問の潮流がどこにあるのか、それをどう考えるのか、に重心をシフトされてはどうかと思う。
また、私らしく、「パリ不戦条約」を「パリ協定」、「城山三郎」さんを「司馬遼太郎」さんと取り違えたことをお詫びします。
世界各国が、民族毎に自分たちの土地を持ち、お互いにたすけあって、ともに国家として発展し、みんなで明るく楽しみをともにするためには、まず世界平和の確立がその根本です。
けれども米英は、自国の繁栄のためには、他国や他の民族を無理矢理押さえつけ、とくに東亜諸国に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、東亜諸国の人々を奴隷化するという野望をむきだしにし、ついには東亜諸国の安定そのものを覆(くつがえ)そうとしています。
つまり、東亜諸国の戦争の原因は、そこにその本質があるのです。
そこで東亜の各国は、手を取り合って大東亜戦争を戦い抜き、東亜諸国を米英の押さえつけから解放し、その自存自衞をまっとうするために、次の綱領にもとづいて、大東亜を建設して世界の平和の確立に寄与したいと考えます。
けれども、中国を含めて、アジアの人々はそう考えなかったのではなのだろうか?韓国などは特に、日本の敗戦後、日本は、自国の繁栄のために、韓国や朝鮮民族を無理やり押さえつけ、あくなき侵略と搾取を行い、朝鮮の人びとを奴隷化した、と考えているから、従軍慰安婦問題や元徴用工問題を大問題にするのでる。独立国として存在できないのなら、ロシア、中国、日本の植民地になるしかなく、三つの中では日本が一番いい、と日本人の私が思っても、彼らはそうは考えないのだろうが、大事なことは日本が、韓国や朝鮮民族を無理やり押さえつけ、あくなき侵略と搾取を行い、朝鮮の人びとを奴隷化したのかどうか、それはきちんと調べるべきだと思う。
戦前のナイーブな日本人は、このデマゴーグに騙されて愚かな戦争をしてしまったのだから。
リットン調査団というのは、1931年日本が満州国を建国したことに対して、「中華民国」が国際連盟に提訴したことで「国際連盟」によって派遣された調査団である。そして、リットン調査団の報告があり、松岡洋右の1932年12月8日の「十字架演説」の後、武力を使った侵略行為、熱河省への進攻作戦を日本は猶も続け、国際連盟では、1933年2月24日総会で「中日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」の採択が付議された。そして、満州の主権については明確に踏み込んだ表現が使用され、法的帰属については争う余地がなく支那にあり、日本が軍事行動をとったことを自衛とは言えないとしたうえで、法律論及び事実の両面から満州国の分離独立を承認すべきではないという議案に対して、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)の採決があったのである。今回の北朝鮮問題の「国際連合」による経済制裁についてもいえるが、それは、決して大国のごり押しではない。
その「国際連盟」の裁定を不服として、1933年3月28日、日本が国際連盟を脱退した、というのが歴史の流れなのである。
その原因に対して、反氏は、日本が「複雑怪奇」な国際情勢を読み切れなかった為と主張されるが、私は、楠山義太郎さんの主張されるように、結局、日本に国際感覚が全く欠如していたんです。軍部が強硬になっていく過程で、 社内でも支那(中国)派が勢力を握り、英米派は冷や飯をくわされた、ことが、おかしな国内世論が作り上げられ、日本が戦争に突き進んだ原因だと思う。
現在の朝鮮情勢にしろ、日本のマスコミの人びとは本当に国際政治の視点からものを見ているのだろうか?
一方、学識などなくとも、己の分を弁えて(σύνετέω)、歳相応の分別(σύνεσις)があれば避けられるのに、その虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)心性から「近視眼」に陥るのは、過去の歴史的な出来事(ἔργον=事実[ὅτι]。直ちに「歴史そのもの」ではない)の背景になっているさまざまな要因(αἴτιον)について、絡み合う条件(ᾧν οὐκ ἄνευ)を勘案して(λογίζομαι)、その真相(ἀληθῆ)の在りかを総観的(σύνοψις)視点から「総合的に考える」(συλλογίζεσθαι)ことが手に余る(ἄπορος)ようだ。「無学」以上に、憐れむべき(ἐλεεινός)人間性の然らしむところかもしれない。
要するに(ὅλως)、自分を(αὐτός)等閑にして(ἀμελέω)思い上がっている(ὕβρίζω)のだろう。
それにしても、115⇒【反氏の歴史認識の方が、よほどおかしい】とは大きく出たものだ。自らの無知(ἄγνοια)や錯誤(σφάλμα)を反省する(λογίζομαι)どころか、居直ってご大層なことを宣っている。
それも、笑止だが、まるで自らが歴史の審判官(ἀθλοθέτης)にでもなった気らしい。あるいはヴァイツゼッカー演説を反復するドイツ教(狂)の巫女(προφῆτις)の誼で、歴史(ἰστορίαι)の女神クレイオー(Κλείω=Clio)にでもあやかって居丈高(ὕβρις)になっているのだろう。
己の惨状(πονηρία)を糊塗する(τεχνάζω)身の程知らずの(πλεονεκτεῖν)滑稽な話だ。
ΑΘ:Τῆς μὲν τοίνυν πρὸς τὸ θεῖον εὐμενείας οὐδ᾽ ἡμεῖς οἰόμεθα λελείψεσθαι· οὐδὲν γὰρ ἔξω τῆς ἀνθρωπείας τῶν μὲν ἐς τὸ θεῖον νομίσεως, τῶν δ᾽ ἐς σφᾶς αὐτοὺς βουλήσεως δικαιοῦμεν ἢ πράσσομεν. ἡγούμεθα γὰρ τό τε θεῖον δόξῃ τὸ ἀνθρώπειόν τε σαφῶς διὰ παντὸς ὑπὸ φύσεως ἀναγκαίας, οὗ ἂν κρατῇ, ἄρχειν· καὶ ἡμεῖς οὔτε θέντες τὸν νόμον οὔτε κειμένῳ πρῶτοι χρησάμενοι, ὄντα δὲ παραλαβόντες καὶ ἐσόμενον ἐς αἰεὶ καταλείψοντες χρώμεθα αὐτῷ, εἰδότες καὶ ὑμᾶς ἂν καὶ ἄλλους ἐν τῇ αὐτῇ δυνάμει ἡμῖν γενομένους δρῶντας ἂν ταὐτό. καὶ πρὸς μὲν τὸ θεῖον οὕτως ἐκ τοῦ εἰκότος οὐ φοβούμεθα ἐλασσώσεσθαι· τῆς δὲ ἐς Λακεδαιμονίους δόξης, ἣν διὰ τὸ αἰσχρὸν δὴ βοηθήσειν ὑμῖν πιστεύετε αὐτούς, μακαρίσαντες ὑμῶν τὸ ἀπειρόκακον οὐ ζηλοῦμεν τὸ ἄφρον. Λακεδαιμόνιοι γὰρ πρὸς σφᾶς μὲν αὐτοὺς καὶ τὰ ἐπιχώρια νόμιμα πλεῖστα ἀρετῇ χρῶνται· πρὸς δὲ τοὺς ἄλλους πολλὰ ἄν τις ἔχων εἰπεῖν ὡς προσφέρονται, ξυνελὼν μάλιστ᾽ ἂν δηλώσειεν ὅτι ἐπιφανέστατα ὧν ἴσμεν τὰ μὲν ἡδέα καλὰ νομίζουσι, τὰ δὲ ξυμφέροντα δίκαια. καίτοι οὐ πρὸς τῆς ὑμετέρας νῦν ἀλόγου σωτηρίας ἡ τοιαύτη διάνοια.(“Ιστορίαι”, Ε.105.)
そのわけは天佑とは明らかに自然普遍の法によって、強者常勝の人道のことであると、我々は常識的に理解しているからである。その法則は我々が人に強いるために決めたものでもなければ、初めて己がために供しているものでもなく、以前から存在し、遍く永遠に受け継がれていくものであって、我々はそれに則って行動しているにすぎない。そして諸君ばかりでなく他の如何なる者でも我々と同じ権力の座に就けば、必ずや我々と同じ行動を取るに違いない。このように神明の計らいに関しては、当然何ら恐れる謂われはない。ラケダイモーン人に関する諸君の期待――つまりラケダイモーン人が廉知を知る故に必ず諸君の救援に来るであろうと信じる諸君の判断に――そのお目出度さを我々は祝福しこそすれ、決してその愚かさを羨むものではない。ラケダイモーン人の他に比類なき人徳は、己自身や国法に対してのみ向けられるものであって、他の国民に対する態度に関しては毀誉褒貶は周知の事実であり、我々の知る限りでも、彼らは快楽を善と心得、利益追求こそ正義となしている。このような彼らの思想は、決して諸君の現在のような理を弁えぬ来援への期待と相容れるものではなかろう。」(トゥーキュディデース『歴史』5巻105章)
ペロポネソス戦争でアテーナイに中立を一蹴され、メロースは滅ぶ。今日の感覚で言えば、法の正義(δίκαιος νόμος)を説き、スパルタの来援に希望を託した結果だ。
リットン調査団報告を受け、国際連盟は日本に制裁決議を科しただろうか。
ロシアのクリミア併合から18日で5年が経つ。今も昔も「力の正義」(δίκαιος δύναμις)による国際政治の現実がある。[完]
たしかに、1933年時点では、リットン調査団の「中日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」が国際連盟で採択されても、中華民国の規約16条の経済制裁適用を要求は、他の代表の沈黙および討議打ち切り宣言により黙殺された。けれども、1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中間が全面戦争に入ると、国際連盟加盟国による対日経済制裁が開始された。また、孤立主義政策をとっていたアメリカも、ルーズベルト大統領になってから、対日経済制裁の可能性について考慮をし始めた。そして、日本は愚かにもナチスドイツとイタリアムッソリーニと三国同盟を結んでいる。
日本が仏印進駐による1941年7月から8月にかけての対日資産凍結と枢軸国全体に対する、石油の全面禁輸措置によって、ABCD包囲網は完成に至る。その後、米国は様々な経済制裁を日本にかけているのではないのだろうか?1941年(昭和16年)7月 日本の在米資産凍結令、1941年(昭和16年)8月 石油の対日全面禁輸。石油がきれないうちに、と日本は米国と戦争することを決めた。3000年、日本は一度も戦争に負けたことがない、などという神がかり的なご託宣を信じて。
私が、実にナイーブで近視眼的だ。ナイーヴとは、知慧が足らずに、単純でお目出度いということであり、「無学」だから仕方がない、などと批評する前に、反氏はどこで日本は間違えたかを反氏は、考えるべきなのである。
カ氏の「宿痾」(νόσος)である論点窃取(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν=petitio principii)の詐術的議論は毎回お馴染みなので相手にしない。
満州事変は九カ国条約に抵触するとリットン調査団報告書は明確に述べているが、それ以外は実質的な制裁に相当するような強制的(βιάζομαι)な措置を国際連盟、即ち国際社会は躊躇せざるを得なかった。それを過小視することこそ、カ氏が事あるごとに強調する「事実」に頬被り(ἐάω)して居直り(τὸν κρείττω ποιεῖν)、無用なおしゃべり(ἀδολεσχεῖν)でしかない強弁(τὸν κρείττω ποιεῖν)を繰り返すことに外ならない。
それは、当時の国際社会が建前(πρόφασις)とする、例えば1928年の「戦争抛棄ニ關スル絛約」(所謂「パリ不戦条約」)――つまり条約(σύμβολα)という国際的な契約(συμβόλαιον)、確立された(βέβαισος)法規範(νόμος)に基づく「法の支配」(δεσποτεία νόμος)、所謂「正義の論理」(δίκαιος λόγος)では当時の各国がほとんど動いていないことの証左(τεκμήριον)だ。
満州事変という明白な「侵略行為」も、満州国という傀儡国家の建国も、それが周到に統治の実績を積み重ねられていれば、国際社会の受け止め方も変わり得たのである。
カ氏が贅言(ἀδολεσχία)を重ねる、所謂「国際協調」なるものは、所詮は帝国主義列強という強者(κρείττων)、覇者(δύνάστης)による「力の支配」(δεσποτεία δύναμις)を糊塗する(τεχνάζω)「美名」(κάλλος)でしかない、勢力(δύναμις)の均衡(συμμετρία)を別の名前(ὄνομα)で表現しただけでしかない。極端に言えば「お題目」(ὄνομα)にすぎない。
☆われわれは、肉体よりも精神に、より多くの怠惰を抱えている。(ラ・ロシュフコー『箴言』487)
しかし、正義の規準(ἀξίωμα)や原理(ἀρχή)ではない妥協的な「次善の手立て」(ὁ δεύτερος πλοῦς)であるほかない仮象(ὑποθεσις⇒εἴδωλον)で、それを普遍的な(καθόλου)実体(οὐσία)と見誤る(πλημμελέω)のは現実を見落とす(λανθάνειν)ことになる。
ヴェルサイユ・ワシントン体制が、パリ講和会議で英国大蔵省首席代表のケインズが職を辞してドイツへの過酷な賠償案に反対したように、戦勝国の「勝者の正義」に基づいて戦後の新秩序を、国際的な経済的協調と海軍軍縮を骨格とする緊張緩和によって取り繕った暫定的な戦後体制にすぎなかったことでも分かる。
世界恐慌からの復興に向かって各国が各々の国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)を追求した結果、国家主義的な貿易再編、つまり自国と植民地間での特恵関税の適用など、自国の経済振興につながる貿易を優先させる排他的なブロック経済への道を開き、その存立基盤が揺らぐ結果になった。
そうした世界情勢=競争ゲームの状況変化は、明治の開国以降、軍備拡張に邁進してきた日本に痛みを伴う国策転換を迫るもので、膨張した既得権益層である軍部の反撥を招くことは必至だった。軍縮によって、最も打撃を蒙るのは肥大化した軍人層だったからだ。
日清、日露と相次ぐ国難を打開する戦争に勝利を収めたことで高まった国内での発言力が、不況下で一段と高まったことと軍の暴発とは深く結びついている。そこに覆い難い状況認識の誤算(ἀλογημα)こそ、日本の敗北を決定づけた。
抜け目ない欧米列強に対して、日本は余りに「うぶ」だった。
それが国際社会の「孤児」に逢着するのは、結局「敵の選択」を誤ったことに外ならない。
「人は歴史的事件はそれ自身は明確な構造を有してゐて、ただ我々のそれに對する認識が不完全であり、或はそれに對する解釋が時代とともに變ずるのであると考へる。従つて神の如き明察を具へた人にとつては、過去の出來事は隅の隅まで明確に認識され得ると考へるのであらう。しかし、歴史的出來事とは、かかる確定された限定を有するものであらうか。我々の日々の生活が不確定なる不可測の深淵の上に漂うてゐる様に、過去の出來事も、それ自體が或る程度の不確定さを有するのではなからうか。過去の出來事を物自體的のものと考へて、我々の認識はその単なる模寫であらうか。元來歴史認識が、単なる説明でなくして、了解であると云ふ時に…言はば不確定性の原理を歴史認識の内にまで齎すことは、歴史認識の價値を低める事ではなくして、却て我々の認識を通じて、漠然たる過去が自己を一定の主體にまで形成し、かくして自覺的となることであり、自己自身の中心にまで纏められて行く事であり、從つて歴史認識に構成的、實在的なる意味を與へる事ともなるのである。歴史認識は歴史の自覺である。」(高坂正顯『歴史的世界』、1937年、岩波書店、61~62頁)
歴史認識がその本性上、時間過程の外部ではなく、内部の視点からなされるものとするなら、歴史叙述は常に新たに書き換えられ、変容していくことを示す。歴史認識が常に「暫定的」であり、その本性上、「不確定」なものを含み、不断に生成しており、畢竟、「未完結」であるほかはない所以を示している。[完]
ワイマール共和国末期のドイツという国は、民主的な憲法をもっていても、ヒトラーに「全権委任法」を与えているのだから、もはや「独裁国家」で、「民主国家」でも、「法治国家」でもない。
そして、 私が巫女をしている「ワイツゼッカー演説」は、強者によって裁かれた「ニュールンベルグ裁判」とは別の、つまり、この期間のドイツの歴史を、勝者の原理で裁くのではなくて、ドイツ人自身が、歴史の真実を客観的に見て、自分たちで裁く、という目的でワイツゼッカー氏が、ドイツの元首として、「ナチスドイツについての考え」を述べられたものである。そして、その考えは、反氏などをのぞく米英仏を含めた「国際社会」の大半の人びとから受け入れたのである。
また、現在、日本の近くに現在、そんな国があるのではないのだろうか?
そういう国の危険性、そして、そんな国に核兵器を開発させていいのかどうか、そんなことも併せて考えてほしい。このようなものは、国民性(政治音痴、思考の脆弱さ)などが理由ではなくて、政治のリーダーの資質、マスコミ報道の質の問題なのではないのだろうか?
1928年のパリ不戦条約によって、国際紛争の解決の手段に関するゲームのルールが変わったことに関する認識が甘かった(γλυκύς)こともある。
そのうえで、辛亥革命、所謂民国革命によって王制から近代的な共和政体に変わったものの、相変わらず域内を安定的に統治する政府が不在だったシナについて、清朝の統治領域だった東北部での日本の正当な経済的利権を保守するうえで、近代的な国際法の慣習に敵対的なシナの対応との衝突は、第一次大戦後の民族主義的イデオロギーの勃興もあって不可避だった。
日本は安全保障上も、経済的権益を維持するうえでも早晩、戦争を選択するほかはなかった。
問題はその手法(μέθοδος)と理由(πρόφασις=言い分[λόγος])、何より戦う相手の選択で、「本当の理由」(ἀληθής πρόφασις)の当否――欧米による植民地支配の打破や独自の文明圏構想、究極的には所謂「近代の超克」――はともかく、軍事力の前提になる資源や人口、工業生産力など総体的な国力において戦って勝てる相手ではないと知悉する米国を正面の敵に回したことは開戦前から計算できた以上、戦略上の致命的な失敗だった、というに尽きる。
戦争を始める以上、勝つこと、少なくとも致命的な損害を回避することは至上命題で、「軍部独裁」の愚劣な戦争指導が日本の破滅を招いたことは言うまでもない。
国際連盟の1933年2月24日総会で「中日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」の採択が付議され、満州の主権について、法的帰属については争う余地がなく支那にあり、日本が軍事行動をとったことを自衛とは言えないとした上で、法律論及び事実の両面から満州国の分離独立を承認すべきではないという議案に対して、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)の採決があった、ということは、明らかに、近代的な国際法は、シナを支持しているのである。戦争を選択、するのではなくて、「話し合いによる妥協」をシナとはかることができたのではないのだろうか?日本人は、米国に負けた、という意識しかないようであるが、連合国側、ソ連は、ほぼ優劣が決まってから参戦したから論外として、抗日戦線を戦った、その国土を日本軍が戦場にした中国にも負けたのである。その認識が戦後の日本人にないから、おかしなことになるのであって、当時の外相、内田康哉さんの主張する覇道、「国際連盟脱退」する代わりに、英国の仲介の元、シナとの妥協をはかる努力をすれば、つまり、孫文の主張する「王道」を行けば、戦争は回避できた、と私は思う。
敗者(τὸν ἡττώμενον)、即ち被征服者(ὁ νικηθείς)の戦争の罪過(ἁμάρτημα)に関する最終的な裁定(κρίσιν)、審判者(κριτής)は当然の話だが、常に戦争の勝者(ὁ νίκη)、即ち征服者(ὁ νικήσας)の側にあり、事後法の遡及的適用も可になる。
従って、「平和に対する罪」はともかく、「人道に対する罪」は、1928年の「パリ不戦条約」にその規定はない。また、米国による広島、長崎への原爆投下は、非人道的な無差別殺戮の究極的な形態として、「人道に対する罪」の最たるものだが、何ら罪過を追求されてはいない。「東京裁判」の法理は当時の確立された国際法規範のカテゴリーを逸脱したもので、原爆投下に至っては、必要性と均衡性(目的と手段の均衡)を全く欠いている残虐行為の典型だ。
戦勝国、つまり連合国が掲げる「正義の論理」(δίκαιος λόγος)はご都合主義的な欺瞞的側面を含む。第一大戦後の戦後秩序、ヴェルサイユ・ワシントン体制も、日本の主力艦の保有トン数の対英米比率を6割に制限することで海軍力軍縮による緊張緩和を演出したものの、それを決定したワシントン会議で、日英同盟は廃棄されている。
国際協調を含め、国際問題における理想主義的主張とは、畢竟、その提唱者が優位に事態を進めるための見込みが立ったことに伴う計略であり、常に抜け目のない算段である側面が否定できない。
このほか、本件の議論には直接関係ないが、国際連盟の規約をめぐっても各国の思惑が交錯したパリ講和会議で、連盟規約案第21条の宗教に関する規定に続く部分に、人種差別撤廃条項を入れるよう日本が連盟委員会に提案したものの、「移民や帰化に関する国の主権を連盟規約に委ねるもの」とする米国の反対世論や、「英国国内における最も困難な問題を惹起する」として交わした、英米それぞれの国内事情で第21条全体が削除される。
それを受けて日本は、当初は移民に対する法律的、事実的な差別の撤廃を意図した人種差別撤廃条項の実現を、連盟規約前文に「一般的理念」として盛り込む提案に後退させて実権を目指し多数国の賛同を得たが、趣旨には賛同したウィルソン米国大統領の、重要事項の採決には多数決ではなく全会一致が望ましいとの判断で、修正案の前文への挿入も封じられた。アジア系移民の流入に反撥が広がった欧米や豪州などの国内事情が背景にある。
欧米との協調主義姿勢を基調とする新外交方針を打ち出した講和会議の日本政府全権・牧野伸顯らの意図は苦杯をなめる。
枢密顧問官の伊東巳代治は牧野らに反対して、「国際連盟は机上の空論にすぎず、欧米の一等国が現状維持を目的として二等国以下の将来の擡頭発展を抑えるための機関であり、公義人道を纏った偽善的一大怪物である」との異論を隠さなかったように、当時の国際秩序には、列強のご都合主義的な「強者の論理」が著しいのが分かる。
そこで、なぜ中国と「日本は安全保障上も、経済的権益を維持するうえでも早晩、戦争を選択するほかはなかった」のかの根底には、第一次大戦を経て起こった現代戦争自体の変貌がある。
それは、「総力戦」の時代への移行で、次に起こる世界規模の戦争は必ず総力戦になるとの認識が共有され、日本にとって米国が最大の仮想敵になっていく。石原莞爾が説いた「世界最終戦争」とは別に荒唐無稽な妄想の産物などではなく、本格的な大国間の戦争が起これば、それは「最終戦争」とも呼ぶべき国家総動員のあらゆる人的、軍事的、技術的、文化的資源を投じて雌雄を決する熾烈な総力戦にならざるを得ないとの認識だった。
そうした認識の背景には、ドイツが第一次大戦に敗れた最大の原因が経済封鎖に抗しきれなかったためだという共通認識があり、日本が来るべき経済封鎖に耐え、総力戦に備えるためには、中国の重要性が飛躍的に向上してゆく。総力戦の遂行には満州に加え、中国の資源が不可欠だったからだ。
五大国の一角を占めるとはいえ、将来の戦争に向けて資源小国の日本に残された選択は満州における経済的利権の維持に加え、中華民国が正当な国家として承認されたものの、内戦状態が続いて統治の基盤が脆弱であった中国に対して、財政状況の悪化も手伝って多くの既得権益を有する米英を中心に、中国の財政危機による破綻リスクを避けて、借款=投下資本の回収や利益確保、つまり権益確保に向け「国際共同管理」を招く事態を阻止することだった。
日本の生命線を握る、謂わば「核心的利益」の主導権を英米に奪われることは許されず、国際共同管理を回避させるためにも、日本は中国側の抵抗を想定しつつ大陸への進出を強めていくことは宿命だった。[完]
また、「総力戦」の時代への移行で、次に起こる世界規模の戦争は必ず総力戦になるとの認識が共有され、日本にとって米国が最大の仮想敵になっていく、という石原莞爾の主張であるが、その認識が、国際感覚からずれているのである。ヨーロッパは、第一次世界大戦で総力戦をし、多くの死傷者が出、多くの街が現実に破壊された。その結果、それまで認められていた「国権の発動」による戦争を禁止し、「平和に対する罪」を1928年に「パリ不戦条約」で日本も含めて採択したのである。日本は、第一次世界大戦で国土が戦場とならなかった為に、戦争の悲惨さがわからず、「ベルサイユ条約」を見て、陸軍を中心として、「どうすれば、総力戦に勝てるか。」という発想に傾いたのである。その為に、民生分野が置き去りにされた。そして、第二次世界大戦で敗戦し、「総力戦」の悲惨さがわかって、「戦争放棄」という日本国憲法9条の規定を、「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」などと、一周回遅れで先頭に立っていることに気づかずに主張しているのである。
その弊害は、「欲しがりません。勝つまでは。」の母の女学生時代の話をよくきいていた私にもわかる。
それで、米国に対抗する理屈として、民が貧しいと、共産主義のイデオロギーに国民がかぶれるかもしれない、として、反共主義者のダレスを説得されたのである。その「経済重視」の吉田茂さんのやり方で、日本は「自由と民主主義」を守り、「平和で繁栄する国」になれたのではないのだろうか?
社会主義政権になり、軍備拡張主義に走った毛沢東の中国、スターリンのソ連、金日成の北朝鮮は、平和で繁栄する国になれなかった。
また、日本が平和で繁栄した国になれたのは、東大系憲法学者の主張するような「9条の存在」があったためではない。「日米安保条約」という「核を含めた軍事抑止力」を日本がもっていたためである。長年学者として研鑽をつまれて、どうして、そこが認識できないのか、正直理解に苦しむ。
1924年の所謂「排日移民法」の存在に、現在のトランプ政権の「アメリカ第一主義」と似たようなものを感じるが、要するに日本人が勤勉で優秀すぎたのである。レーガン政権の時の「日米自動車交渉」にも、同じようなものを感じたが、建前はどうあれ、アメリカは白人が作った、NO.1が大好きな国家である。その結果、有色人種が活躍すると、アメリカに住む白人の社会的地位が侵されるから、政府に圧力をかけ、不当に排撃されるのである。
私は、現在の中国とアメリカの「貿易摩擦」にも同じようなものを感じるが、大事なことは、話し合いによる「妥協」であって、戦争の原因になる「正義の対立」ではない。
ワイツゼッカー氏の主張されるように「ユートピア的救済論に逃避」したり、「道徳的に傲慢不遜」になってはいけないと、彼の「巫女」である老婆は考える。
資源小国の日本が、単独で総力戦を戦い抜く能力をもつ米国との来るべき戦争を想定した場合、中国の資源で弱点を補うしかないとの戦略認識だ。戦争はもう懲り懲りだという一般的な厭戦気分は、戦略家の認識とは関係ない。
第一次大戦を受けて、戦争がそれまでとは明らかに異なる新段階に移行したことを冷静に分析した結果で、産業化が高度に進んだ現代の工業化社会において、現代戦争は武力による正面衝突に加え、軍事戦略、経済、思想宣伝レベルを含む国家の全勢力を挙げての激烈な総合戦であるほかはなく、比較的長期にわたり、国家の経済力、国民の支持が続く限り最終決着まで、相手が再び立ち上がれなくなると「思わせる」まで、死力を尽くして継続されざるを得ない「必然性」が、戦争の本質が変質したことで生じたことを意味する。
ところで、第一次世界大戦におけるドイツ敗北の最大要因は経済封鎖で、封鎖が完全でなかったため三年半にわたってもちこたえたものの、「その財源の薄弱のためではなく、連合軍の包囲、殊に海上封鎖のため原料は消耗し尽くし、益々食料品は欠乏するに至り、遂に壊滅するに至った」(ポール・アインツィヒ『再軍備経済観』=引用は加藤陽子『戦争の日本近現代史』、205~206頁)とされたように、戦費調達の制約要因として財源を想定した従来の戦争経済観に劇的な変化が、大戦が長期化したことで明確化した。
この「総力戦」(guerre totalale)という用語を歴史上最初に使用したのは、滑稽にもしばしばカ氏の激昂を誘う冷徹なフランス首相、パリ講和会議の同国政府首席全権のクレマンソー(Georges Eugène Benjamin Clemenseau)で、1917年7月22日の議会での質問演説中に唱えた。
石原莞爾は、資源小国の日本が、単独で総力戦を戦い抜く能力をもつ米国との来るべき戦争を想定した場合、中国の資源で弱点を補うしかないとの戦略認識をしたから、クレマンソーの定義した「総力戦」で勝つために、資源の豊富な満州を侵略し、軍人主導の「国家社会主義」政治体制で日本を作りかえようとしたのだし、枢密院の重鎮でもあった伊東巳代治は、牧野伸顕(吉田茂の義父)と違って、「国際連盟は机上の空論にすぎず、欧米の一等国が現状維持を目的として二等国以下の将来の擡頭発展を抑えるための機関であり、公義人道を纏った偽善的一大怪物である」と考えた人であったが、1891年に経営が傾いた東京日日新聞(現在の毎日新聞)を買収、在官のまま13年間第3代社長を務めたから、マスコミ界に影響力も強かった。そして、1927年【国際協調路線】の幣原外交を軟弱外交と非難し、濱口政権下の1930年の「ロンドン軍縮会議」で、日本が軍備の希望量を達成できずに条約に調印してしまったことに対し、「憲法の番人」を自任して一部マスコミ、犬養毅や鳩山一郎らや、金子堅太郎などの枢密顧問官と共に、大日本帝国憲法第11条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(統帥大権)を盾に、政府が軍令(=統帥)事項である兵力量を天皇(=統帥部)の承諾無しに決めたのは憲法違反だとする、いわゆる「統帥権干犯問題」を提起したのである。日本政府は、条約批准にこぎつけることができたが、この時に与野党が政争のために「統帥権」を持ちだしたことにより、議会は後に統帥権を主張する軍部の独走を押さえられなくなる。
「覇権主義者」たちの、武力によって世界制覇すべきである、という思想は打倒されなければならない、と私は考える。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。