新しい元号の話題が華やかだ。私には出典のことなどは全くわからない。ただ、国際政治学者として海外でどう報じられたかには関心がある。どうやら報道が定まっていないようだ。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000554-san-n_ame
「和」が「平和」の含意のある「調和」であることは自明のようだ。解釈論が生まれるのは「令」である。 安倍首相は、「令和」に、「一人ひとりの日本人が明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい」という願いが込められていると説明した。それはそれでいい。世論調査でも好意的な評価が多いようだ。 だが、「令」が何なのかは、はっきりしないところはある。自民党の石破茂元幹事長がその点に指摘した、と広く報道されている。https://www.sankei.com/politics/news/190401/plt1904010037-n1.html 「令」に命令の意味がある、と批判的な受け止め方では、しばしば指摘されているようだ。
外務省としては、「令和」は「美しい調和」だと説明しているということなので、「令」は「美しい」という意味らしい。ただ、この「令」の美しさは秩序だった調和だ、ということになるのだろう。
BBCは「令和は、Order and Harmony」と報じたという。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000003-jct-soci この場合の「order」は、「命令」というよりも、「秩序」を含意していると言うべきだろう。たとえば、議場が騒然とした際に英国議会の下院議長が「order」と叫び続けるのは、静かにしろと「命令」しているというよりも、「秩序」を回復するように議員たちに求めているからである。http://www.news-digest.co.uk/news/news/tabloid/18507-2019-01-18.html
「Order」は、国際政治においても重要な概念だ。「英国学派(English School)」の総帥というべき存在の国際政治学者ヘドリー・ブルの主著『アナーキカル・ソサイエティ』には、「世界政治における『秩序(order)』の研究」という副題が付されている。私も博士課程の学生としてLSE(London School of Economics and Political Science)に在籍していた頃、学部学生向けの(教授講義補助)ゼミを運営するため、ブルの本を繰り返し熟読したことがある。この場合の「order」は、具体的な為政者による命令というよりも、それらを成り立たせる根本的な秩序のことだ。
日本は、武力による平和を求めない。つまり、「法の支配」にもとづく「秩序」だ。そのような意味での「美しい調和」を求めている。
「令」に含まれているのは、否定的な意味での「命令」というよりも、「律令」の「令」としての「法」、国際社会にも通じる「法の支配」に通ずる「Rule」、つまり法の支配を基盤にした「秩序」なのではないか。少なくとも国際的には、そのような姿勢で、「美しい調和」を求める「秩序と平和」を説明していってほしい。
「和」が「平和」の含意のある「調和」であることは自明のようだ。解釈論が生まれるのは「令」である。 安倍首相は、「令和」に、「一人ひとりの日本人が明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい」という願いが込められていると説明した。それはそれでいい。世論調査でも好意的な評価が多いようだ。 だが、「令」が何なのかは、はっきりしないところはある。自民党の石破茂元幹事長がその点に指摘した、と広く報道されている。https://www.sankei.com/politics/news/190401/plt1904010037-n1.html 「令」に命令の意味がある、と批判的な受け止め方では、しばしば指摘されているようだ。
外務省としては、「令和」は「美しい調和」だと説明しているということなので、「令」は「美しい」という意味らしい。ただ、この「令」の美しさは秩序だった調和だ、ということになるのだろう。
BBCは「令和は、Order and Harmony」と報じたという。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000003-jct-soci この場合の「order」は、「命令」というよりも、「秩序」を含意していると言うべきだろう。たとえば、議場が騒然とした際に英国議会の下院議長が「order」と叫び続けるのは、静かにしろと「命令」しているというよりも、「秩序」を回復するように議員たちに求めているからである。http://www.news-digest.co.uk/news/news/tabloid/18507-2019-01-18.html
「Order」は、国際政治においても重要な概念だ。「英国学派(English School)」の総帥というべき存在の国際政治学者ヘドリー・ブルの主著『アナーキカル・ソサイエティ』には、「世界政治における『秩序(order)』の研究」という副題が付されている。私も博士課程の学生としてLSE(London School of Economics and Political Science)に在籍していた頃、学部学生向けの(教授講義補助)ゼミを運営するため、ブルの本を繰り返し熟読したことがある。この場合の「order」は、具体的な為政者による命令というよりも、それらを成り立たせる根本的な秩序のことだ。
日本は、武力による平和を求めない。つまり、「法の支配」にもとづく「秩序」だ。そのような意味での「美しい調和」を求めている。
「令」に含まれているのは、否定的な意味での「命令」というよりも、「律令」の「令」としての「法」、国際社会にも通じる「法の支配」に通ずる「Rule」、つまり法の支配を基盤にした「秩序」なのではないか。少なくとも国際的には、そのような姿勢で、「美しい調和」を求める「秩序と平和」を説明していってほしい。
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吉川は1904年3月18日、神戸市生まれで、そのひと月前には日露が開戦し、同年5月には、清朝最後の科挙が行われるという、まさに歴史の激動期だった。
吉川は一般には杜甫の世界的研究者として知られる。一般読者向けに中国文化を平易に解説した入門書や、『論語』の祖述者としても著名だ。名著『陶淵明伝』のような隠れた名著も少なくない。
しかし、その本領は儒者であり、経学の大家であることは、あまり知られていない。しかも、それまでの漢学者と異なりシナ語で直接読解するという新機軸を打ち出した。
学者、知識人としての真の卓越性(ἀρετή)を考えるうえで、その類稀なる、文字通りのロゴスへの愛(φιλολόγος)=Philologyを貫く形で知を愛し求める(φιλοσοφεῖν)経学の精神を体現した愛知者=哲学者(φιλόσοφος)にして、国を愛する(φιλόπολις)姿勢を貫いたことは、厳密で(ἀκριβῶς)確実な(βέβαισος)思考の基盤としての文献学と哲学との融合であり、根源的で徹底した探究の前提条件を熟知(ἐπισταμαι)していたからだ。
田中同様、無名の時代からその恐るべき(φοβερός)専門家(ὁ δεινός)としての学識は、「現実の中国にも存在しなくなった鴻儒」(司馬遼太郎)と称された。
カ氏の母校、神戸高等学校の校歌作詞者でもある。カ氏の甘ったれた精神は、「漢籍読破数は有史以来日本随一」と噂されるほど、「顔色憔悴形容枯槁するに至るまで」(桑原武夫)孜孜として学に勤しんだ碩学に象徴される、学問(μάθημα)の厳しさを何も知らないようだ。
「無知の知」は、怠惰の護符(μοῖρα)でも呪文(ἐπῳδή)でもない。
たしかに、2番の歌詞に、学問のきびしきめざし、わがものと、きわむる自然人文の、という言葉はある。けれども、同窓会誌によると、吉川幸次郎さんが一番大事だと思われ、若き後輩の為に作詞された部分はそこではないのである。「わこうどは歌声をみそらにみてよ」、から始まる3番の終わり、「人生のはじめにおいてわが友と刻む命のときどきを、歴史の糸にあざないて、とうとからずや、われらあり。」だそうなのである。
私は、その文章を始めて読んだとき、正直ピンとこなかった。1番の海彼の夢、は授業中教室からみえる海を見ながら、異国はどんな世界なのだろう、という夢をみ、親友も含めて現在も異国で生活をしている人も多い。2番のひとみが輝く部分は、日本国憲法の芦田解釈を知った時の様な、真理のつばさがはばたけば、ひとみは輝く。けれども、一介の主婦が、友と刻んだ時々を歴史の糸にあざなう、それが一番大切だ、とはどういうことなのだろう?正直、そう思った。
戦前の「昭和維新」、「八紘一宇」運動にしろ、戦後の「反日米安保」、「全共闘」運動にしろ、左右の差はあるが、すべて、「このユートピア的な救済論」に若者がだまされて、洗脳されて起こした政治運動である。「オウムサリンテロ」のような宗教を隠れ蓑にしたテロもある。反氏は、国民性の問題にすり替えられるが、「ナチスドイツ」も同じことだ、とフランスや日本のテレビ局が制作したドキュメンタリーを見て思った。
また、「金権政治打倒」と自民党の宮澤政権を打倒した時にも、「モリカケ」を含めた現在のマスコミの報道ぶりにも、野党とマスコミの傲慢不遜さを感じる。野党は、それにかわる「どれほどすばらしい道徳的な政治」をされるのだろう?
そういう意味で、日本がいつまでも、上品な国、美しく調和した国、「令和」な国であり続ける祈りをこめて、私は、ワイツゼッカー演説の巫女であり続けたい、と思う。
莫迦も休み休み言えばと思うが、19⇒【(カ氏の)母校の…校歌を作詞された…吉川幸次郎…その親友で…(カ氏の)母校の関西学院大…教授…大山定一…についても、なんどか論争】というが、論争(ἐρις)と呼べるほどのご大層な遣り取りをした覚えはない。誇張(ὑπερβολή)された「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)、端的に誇大妄想(ὑπερβολή)であろう。
テレビばかり観ていて、無知(ἄγνοια)と無恥(αναίδεια)、妄執(φιλοψυχία)、私情(ιδιώτης)とのアマルガムである妄説(ἀλλοδοξία)⇒‘Karoline Doctrine’を繰り返していると、いつの間にか議論の内容が変容(ἀλλοίωσις)してしまうようだ。
悪意(κακοήθεια)に基づき故意に(ἑκουσίως)か、無知ゆえの(δι’ ἄγνοιαν)無意識に(λανθάνειν)か、大方その両方だろうが、論点窃取(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν=petitio principii)、平たく言えば論点ずらしのごまかし(τερθρύεῖσθαι)は、相も変わらぬようだ。
カ氏の嫌悪すべき悪癖で、それこそソクラテスが説く魂(ψυχή)の病気(νόσος)で欠陥(κακία)、即ち「無知」(ἄγνοια⇒‘νόσον μὲν δὴ ψυχῆς ἄνοιαν συγχωρητέον, δύο δ’ ἀνοίας γένη, τὸ μὲν μανίαν, τὸ δὲ ἀμαθίαν.’=Timaeus, 86B:「まず魂の病気とは『理性を欠いていること』[ἄνοιαν]であり、またそれには二種類あって、一つは狂気であり、一つは無知である」)、畢竟、知の貧困(πενία)に基づく「虚偽体質」、つまり生まれつきの(ψυσικός)嘘つき(ψεύστης=Verlogenheit)だから、苦し紛れに(ἀπορέω)に何を言おうと、無駄(ἄχρηστον)である。
本人の自己認識(ἀναγνώρισις)とのずれが、‘intellectual yet idiot’の典型のような症例(παράδειγμα)を呈する道理は、過去のコメントの惨状が雄弁に物語る。カ氏には何より、歳相応の思慮(φρόνησις)、即ち自制心(σωφροσύνη)が欠けており、致命的だ。
何を勘違い(ἑτεροδοξία)しているのか、事もあろうに品性(ἦθος)、上品さ(εὐσχημοσύνη)を騙る(ἐξελαύνω)グロテスクさは、比類がない。心得(εὐνομία)違いの思い上がり(ὕβρις)も甚だしく、品性は最悪(μέγιστος κακός)だろう。
思量(διάνοια)の優れた(χρηστός)、つまり賢い(εὐβουλός)人物だったら、起こり得ない「悲喜劇」(τραγῳδία καὶ κωμῳδία)で、目にも当てられない茶番だ。カ氏が「道化者」(βωμολόχος)たる所以だ。
カ氏は学問(μάθημα)を甘くみすぎている。「無学」(ἀπαιδευσία)だからで、分を弁えぬ(πλέον ἔχειν)向こう見ず(θάρρος)な詐術的議論(παραλογίζεσθαι)を繰り返して愧じる様子がないのも、メンツにこだわる(φιλότιμος)、負けず嫌いの(διαφιλονεικοῦτες)妄執(φιλοψυχία)、端的に私怨(ἐπονείδιστον)からだろう。莫迦な人物によくある表徴(σημεῖον)だ。
真理を愛する(φιλαληθής)心など欠片もなく、最近は呆れたことに調子に乗って居直って繰り返すように、20⇒【ワイツゼッカー演説の巫女であり続けたい】ということだから、狂信的な(μανικός)独善(λῆμμα)しかない。
蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)が張ったような頭を冷やして、得と考える(διανοεῖσθαι)ことだ。一見生真面目(σπουδή)そうにみえて実は偏狭(ακληρός)この上ない「狭量な精神」(σμικρολογία)が、愚鈍(ἀμαθία)に直結する。
ところで、カ氏には論理的思考能力(λογιστικόν)が恐ろしいほど(φοβερός)欠けているから、自らの過誤(ἁμάρτημα)に半ば(ἥμισυς)気づかない(λανθάνειν)ようだ。論証(ἀπόδειξις)に際しても、アリストテレスの三段論法の四つの命題(A, I, E, O)、即ちA=全称肯定命題(τὸ καθόλου καθαφατικὴ πρότασις=すべてのAはBである)とE=全称否定命題(τὸ καθόλου ἀπόφατικὴ πρότασις=いかなるAもBではない)、I=特称肯定命題(μερικὴ καταφατικὴ πρότασις=あるAはBである)とO=特称否定命題(μερικὴ ἀποαφατικὴ πρότασις=あるAはBでない)の区別さえ覚束ない(ἄπορος)ようだ。
矛盾対立(ἀντίφασις)と反対対立(ἐναντιότης)との違い、矛盾律(law of contradiction⇒aā=O[a∧ā=F])と排中律(law of excluded middle⇒a∪ā=I[a∨ā=T])の違いもチンプンカン(‘C’est de l’allemande pour moi.’)だったくらいだから、何おかいわんや、という惨状で、よく負け惜しみで、17⇒【反氏のことを、「未熟な学問、無学の極み」、だと思った】のような法螺話(ἀλαζονεία)をするものだと、心底憐れに思う。
例えば特定のaがbであること、即ちbがaを含む(ὑπάρχειν)ことを示すことで、全称否定命題(いかなるaもbではない)の否定(ἀπόφασις)、つまりその偽(ψεῦδος)なること、即ち、「少なくともbであるものが一つは存在する」、ということを論証したにすぎず、全称肯定命題(すべてのaはbである)についても、特定のaがbではないことを示すことで、命題の偽を論証できても、同じだけの反証、逆に特定のaがbであることを示されることで、主張全体の論理的な(λογικός)正当性(ὀρθότης)、つまり客観的妥当性(Objektivegültigkeit)を証明できない。
カ氏が自らの特異な体験(πείρα)や見聞(περιπτωσις)、つまり素朴な(εὐηθικός)直接経験(περιπτωσις)に加え、愚直に(εὐθύς)信奉する(πιστύω)ゲーテの見解やヴァイツゼッカー演説の妥当性を殊更に「大いなる値打ちがあると思って」(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)いくら特筆大書しても、それこそ、単なる主観的な臆測(ψευδὴς δόξα)による断定(λῆμμα)にとどまることでしかない。それが何ら他に対して説得力(τὸ πιστικός)を有しないのは、論理的な普遍性(καθόλον)に達しないからだ。
ソクラテスは、「善美なるもの」(τὸ ἀγαθός)に関する、世にいう知者(σοφός)とされる人物の「無知」(ἄγνοια)を容赦なくあぶり出したが、ソクラテス自身、他者を批判的に吟味し(ἐξετάζω)、誤謬を明らかにする(ἐξελέγχω)ことはできても、「善美なるもの」について、少しも具体的に教えてくれない。
カ氏が莫迦の一つ覚えのように繰り返す、「無知の知」になど、とどまっていない。
究極的、完結的(τέλεον)で、それだけで充分な(ἱκανόν)、それを知る者がすべてそれを追い求め(βούλεσθαι)、アリストテレス流に表現すれば、それ自体が最終的な(ἕσχατον)目的(τέλος)、即ち終極目的(τὸ οὗ ἕνεκα)としての最高善(τὸ ἄριστον)に関する知識で、彼はそれを、「完全な徳」(καλοκαγαθία)とした。
ソクラテス流の問答競技(ἐριστική)としての知の探究法、所謂「産婆術」(μαιευτική)も、それがプラトンによって深化され概念問答法(διαλεκτική)になり、さらにそれを日常言語の精密な分析(ἀνάλυσις)を通じて極めて完成度の高い定言三段論法(συλλογισμός)に仕上げたのがアリストテレスで、その後の西洋の、つまり現在に至る標準的な論理的思考法の規則を確立した。
その規定力は凄まじく、その枠組み以外でものを考えることを許さないほどだ。論理的に考える、ということは、アリストテレスの手法で考えることに等しい。
カ氏が不正確な形で引用する17②⇒【何も知らない、全くの無の知というようなものではなくて…間違った信念の如きもの】は、田中美知太郎『ソクラテス』での議論、当該書の170頁にみえる議論の粗笨な読解に基づく、極めて偏頗な解釈だ。
そこで田中は、ソクラテスの無知の知が、知の探究(ζήτησις)の単なる出発点(ἀρχὴ)であることを示唆しているにすぎない。
その実質は、プラトンの中期最後の対話篇『テアイテトス』で展開された、「知識」をめぐる議論で、産婆術も印象的な挿話として語られている(149A, 150B, 161E, 184B, 210B~D)。カ氏が依拠する『ソクラテスの弁明』に産婆術は一箇所も出てこない。カ氏の執着(πικρία)は、それこそ思いすごしにすぎない。
「知識とは何か」をめぐる『テアイテトス』での議論は、最初に「感覚(αἴσθησις)が知識である」とするプロタゴラス説、ヘラクレイトスにも遡る知識の相対説から始まって、正しい「思いなし」(δόξα)が知識であるとする説(虚偽不可能説)、さらに正しい「思いなし」にロゴスが加わったものとする説に進んで、最後にはいずれも放棄される、といったものなのである。
産婆術についても、何一つ積極的な結論を見出すことなく、「全篇の仕事の結局に於ける否定を説明するものであつて、全篇はソクラテスの否定的精神の言はゞ虚空のうちに浮んでゐる」(田中美知太郎訳『テアイテトス』「序説」22頁=岩波書店、1938年)という有様だ。
田中はそれを、プラトンが「時間に束縛されずに、何でも好きなことを、ゆっくりと議論する哲学者の特権について語っている」(岩波書店版『プラトン全集』第2巻、『テアイテトス』解説、453頁)とする。
それは所謂ニヒリズムではなく、自由な学問的精神の絶対的条件⇒如何なる思いつきにも執着せず、如何なる通念にも拘束されず、一切の先入見を放下して、ひたすら自由な徹底的吟味の精神で事に臨むことへと導く。
カ氏のような前のめりで偏狭な精神と、哲学は無縁だ。
産婆術についても、何一つ積極的な結論を見出すことなく、「全篇の仕事の結局に於ける否定を説明するものであつて、全篇はソクラテスの否定的精神の言はゞ虚空のうちに浮んでゐる」(田中美知太郎訳『テアイテトス』「序説」22頁=岩波書店、1938年)という有様だそうだ。ひたすら自由な徹底的吟味の精神で事に臨むことへと導く、が哲学とすれば、それはそれでいいが、政治もビジネスも、決断しなければ物事が前に進まない。哲学と政治は、対極のものだ、ということができよう。
プラトンの三つの対話篇、即ち『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『饗宴』を古色蒼然とした翻訳(岩波文庫、久保勉訳)で読み、学術的には専門的知見を反映しない日本版Wikipediaを鵜呑みにし、「TANTANの雑学と哲学の小部屋」なる素人のサイトから「ソクラテスの産婆術とは何か?」なる駄文を剽窃してコピペを繰り返すほかは、誤読だらけの田中美知太郎『ソクラテス』を頼りに、何ごとかを知っている(εἰδέναι)かのように、「出まかせ」(ἁμαρτία)を語る(εἰπεῖν)⇒騙る(ἐξελαύνω)、カ氏のクジラの髭並みの神経(νεῦρον)に呆れる。
ソクラテス、プラトンに限らず日本の古代哲学研究は、田中が先導してギリシア語、ラテン語に通暁する研究者を育成するなど、徹底して原典に基づく欧米並みの文献学的基礎を確実にした(βεβαιόω)研究の蓄積が戦後になって急速に進んだ。1950年には「日本西洋古典学会」が京都と東京の哲学、史学、文学、言語学など斯学のギリシア・ラテン文化研究者を中心に設立され、学会誌『西洋古典学研究』も毎年刊行されている。
世界標準の正確で平易な 翻訳版『プラトン全集』が岩波書店から刊行されたのが1974~78年で、日本におけるプラトン研究の金字塔とされる。刊行は6次に及んだ。全集は全巻購読を義務づける予約出版だから普及には限界もあるが、図書館には常備されており、旧版なら古書市場で容易に入手できる。
東大哲学科の外国人教師ケーベルの薫陶を受けた弟子で、生涯独身の師の死まで薪水の労を取った久保勉による翻訳は、所詮は旧世代による素人芸にすぎない。
京大哲学科卒のカ氏の父親や、高校時代に英文テキストで『ソクラテスの弁明』を講読した東大政治学科卒の教師のソクラテス観も単なる素人解釈にすぎず、プラトンやアリストテレス、クセノポンの現存著作から、厳密な原典批評によりソクラテス固有の哲学を析出する所謂「ソクラテス問題」に関する顧慮を全く欠いており、問題にもならない。素人の取るに足らない(φλαῦρος)主体的(δεσπότης)な解釈として、それはそれで好きにすればよいが、学問とは何の関係もない。
だから、17②⇒【高校の倫社の先生が、京大の哲学科を卒業した父が】も、「だから何なの?」という程度の無駄口の典型で、以前の【父のプライドも大いに傷つく】(2月11日・268)に至っては、笑止千万だ。
17③⇒【大学以降で習ったこと…高校時代の日本史で習った「末法思想」ともまるで相いれない反氏の主張…Klassiker, liberal、ソクラテスの産婆術、ですでに実証済】についても、 カ氏が論点をごまかさずに、具体的に論証して私に反駁できたことなど、一度もない。性懲りもなく途方もない間違いを繰り返すだけではないか。
「末法思想」云々は、平等院鳳凰堂が浄土思想に基づいて建立されたという、中学校程度の日本史の知識に基づく知見としては間違いではないが、問題は『観無量寿経』に依拠する「九品」の世界観を体現した典型例は、平等院鳳凰堂ではなく、九体寺の異名をもつ南山城の浄瑠璃寺だという話で、まるで論点がズレている。鎌倉・材木座にも九品寺というのがある。少しはまともに読書(ἀναγιγνώσκειν)でもして、「お勉強」したらよい。
「Klassiker, liberal」云々については、[Klassik]がそもそも、「呼び出し」を意味するギリシア語の[κλάσις]に由来するラテン語の[classicus]が起源だということが、この言葉と派生語の意味を考える上での前提条件。
[classicus]という語は形容詞で、その元には名詞[classis]が想定される。つまり、[classicus]とは[classis]に属するとか関係するという形容詞。[classis]は英語の[class]と同じような意味で、「組」「級」であり、実質的には市民の階級区分を指す。その点ギリシア語[κλάσις]=クラーシスと同根。実際には呼び出され招集される市民の部類分けを想定した階級や等級を指す。
ローマ時代、クラスの人々[classici]呼ばれていた五つの階級のうち、第一のクラスに属する人たちだけがのちにそう呼ばれるように変わっていったことに由来する。
つまり、「第一級の」という意味に限定される。この転用によって形容詞[classicus]も、文学や哲学、歴史その他の作品に対する評価の言葉になった。
カ氏の[Klassik]から派生語[ Klassikerk]への後退に伴う論点ずらしは、後進国ドイツ由来の僻みの典型で、そもそもギリシア語由来の言葉なのだから、悪あがきは無駄な抵抗だ。
[Liberal]はフンボルト(W. von Humboldt)の『国家権能限界論』の解釈の件だろう。元教授の御託を盲信する前に、私も学生時代にReclam文庫版で読んだ当該書の表題に掲げられた大ミラヴォーの引用句⇒‘Le difficile est…de se mettre en grarde contre la fureur de gouverner, la plus funeste maladie des gouvernemens modernes’でも読んでから無駄口を叩いたらよいのではないか。[完]
「令和」という元号、新しい10000円札に「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一さんが選ばれたことが、安倍政権の日本のこれからの「あり方、生き方、の方針」を明白に表しているし、私はその方針を支持する。「私利を追わず公益を図る」という日本的資本主義の方針である。関西学院大学の校訓「Mastry for Service」について、コメントにも書いたことがあるが、ベーツさんの演説によれば、イギリスの政治家、公務員の責務は「命令する」ことではなくて、「奉仕をすること」、会社の経営者の目的も、銀行の預金高を増やすのではなくて、社会改善の為に用いること、学問を深める目的も、自らの名声のためではなくて、人類により良い奉仕をするため、とある。これはキリスト教精神であるが、それと渋沢栄一の考えは類するものだし、父の誇りも、曾祖父が大阪庶民の為に、市民病院を建設するために、事業で設けたお金から巨額な寄付をしたことだった。要するに、ゴーン氏と対極の生き方が、日本の資本主義の在り方なのである。そして、日本人が「覇道」ではなくて、「王道」をゆく努力をすれば、社会主義、共産主義的イデオロギーは必要ないのである。戦後の日本社会はそうであったのではないのだろうか?
また、反氏は私には論理的思考能力が恐ろしいほど欠けているから、自らの過誤に半ば気づかないようだ。論証に際しても、アリストテレスの三段論法の四つの命題(A, I, E, O)、即ちA=全称肯定命題(=すべてのAはBである)とE=全称否定命題(=いかなるAもBではない)、I=特称肯定命題(=あるAはBである)とO=特称否定命題(=あるAはBでない)の区別さえ覚束ないようだ、という批判であるが、私のこの論法は、ドイツ文化センターで学んだものである。ドイツ語の資格試験に作文がある。テーマは、たとえば、あなたは、外国語を勉強する場合、多くの言語を幅広く勉強したいですか、それとも、数少ない言語を深く勉強したいですか、それは、なぜですか、という二者択一のテーマについて、論理的にドイツ語で作文するテーマを与えられる。もちろん、数少ない言語を深く、という文章を私は綴り現在があるのだけれど、抽象的に考えていても、ものごとはわからない。実生活で大事な能力は、具体的な問題を論理的に考えていく能力なのではないか、と私は考える。
つまり、ドイツのKlassiker、主に18世紀にドイツで活躍したゲーテに代表される古典主義者たちは、ルターがギリシャ語の聖書に直接学問的対象を求めたように、文献学的なキリシャ原点研究への努力を重ね、ギリシャの作品にふれて、じかに古典精神をつかみ取ろうとしたのである。けれどそれは、あくまでも近代人としての自覚と生命の上に立って、ギリシャを求めたものだった。そして、彼らドイツ文化人が宗教改革の時代から一貫して求めたもの、それは「思考の自由」であった。それが、ドイツ語のliberalなのであった。
つまり、ドイツ語のliberalは、決して、韓国や日本の、文在寅さん、立憲民主党に代表される教条的な左翼思想、リベラル、ではないのである。ドイツ語の使い方は、どちらかといえば、さまざまな意見を含有する自由でおおらかなリベラル・デモクラテイック・パーテイーの自民党に近い。
古色蒼然とした翻訳、であると、その翻訳は間違いなのだろうか?ゲーテの「ファウスト」、森鴎外の訳、大山定一さんの訳、高橋義孝さんの訳、他にもいろいろあるけれど、最新の翻訳が一番いいなどとは、一概に言い切れない。要は、その訳者の力量なのである。ゲーテは、法学の知識もあり、ラテン語を含めてさまざまな言語を自由にあやつることができ、イタリアではイタリア語をしゃべり、イタリア人のような生活をしていたが、後年、自分の仕事を、ドイツ語で文章を書くこと、と決め、それを実践されたから、「ドイツ文化センター」がGoethe Institutなのである。
カタカナにして逃げるから、日本語で読んだとき、その言葉の正確な意味がわからなくなるのではないのだろうか?つまり、翻訳する場合、外国語の能力だけではなくて、自前の日本語の能力も試されるのである。このごろ知的な友人たちとの会話で一致することは、外国語を「ぺらぺら流ちょうにしゃべる」ことではなくて、「どんな内容をしゃべるか。」ということの方がずっと大事だ、ということである。それは、外国人との外国語での会話でもそうではないのだろうか?
滑稽(γελοῖος)この上ない話で、一瞬悪い冗談(εὐτραπελία)かとも思い、わが目を疑ったが、幾らなんでもカ氏に「自前の(αὐτός)日本語の能力(δύναμις)」、しかも、まともな読解力や文章力を期待できようはずもない。何を朝からとち狂っているのだろう。
「狭量な精神」(σμικρολογία)に伴う愚鈍さ(ἀμαθία)はもはや折り紙付きで、古のモラリストも戒めた(νουθεοτεῖν)如く、「沈黙は自信なき者にとって、最良の安全策である」(ラ・ロシュフコー『箴言』79)ことを自覚しない(ἀγνοέω)ようだ。
プラトンもソクラテスに語らせる形で、「ごくけち臭い料簡」を戒める(‘ἄτοπα αὐτῷ καταφαίνεται τῆς σμικρολογίας,’)と忠告して(συμβουλεύω)いる。
つまり「ちっぽけな料簡」=「狭量な心」(σμικρολογία ψυχῇ)が人を過たせる(‘μή σε λάθῃ μετέχουσα ἀνελευθερίας: ἐναντιώτατον γάρ που σμικρολογία ψυχῇ μελλούσῃ τοῦ ὅλου καὶ παντὸς ἀεὶ ἐπορέξεσθαι θείου τε καὶ ἀνθρωπίνου. ἀληθέστατα, ἔφη.’=「けちな根性を少しでももっているのを見逃してはいけない、ということだ。なぜなら、およそ狭量な心というものくらい、万有の全体を――神的なものも人間的なものも――常に憧れ求めようとするほどの魂と、正反対の性格のものはないからだ」;岩波書店版『プラトン全集』第11巻、藤澤令夫訳、プラトン『国家』486A)ことを警告(συμβουλή)している。
☆老いた狂人は、若い狂人よりさらに狂っている.(ラ・ロシュフコー『箴言』444)
深さとか浅さ(βαθέος καὶ ταπεινοῦ)とか、陳腐かつ凡庸なレベルでしかものごと、この場合は語学力を判断する(διαιρέω)ことができないようだ。井戸でもあるまいし、語学力に深さ(βαθύ)も何もない。
native並みに達者で流暢に、母語以外の外国語をあやつる人物はおり、しかもファッションと宝飾品と美食と旅行にしか関心を示さない気の利かない才女も存在する。それはそれで一種の才能(δύναμις)だが、そのまた逆もあるわけで、カ氏程度の高がドイツ語でもったいぶって(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)、歳の割には日本語さえわけの分からない低水準の措辞(λέξις)と修辞(ῥητορική)で、稚拙極まる、書けば間違いだらけの文章(λόγος)しかものにできない驕慢な(ὕβριστος)田舎者(ἄγροικος)も珍しい。
だから、「金日恩(‼)のおじいさん」のような稚拙な措辞をよく使うし、そもそも直情径行的な(ἀνάκλασις)急ごしらえの(αὐτίκα)コメント27にみられるように、全文499字のうち、実に60.3%、301字が、直前の私の投稿26の、一字一句違わぬ引き写しで、カ氏の目的が奈辺に存するかを端的に示している。
投稿自体が自己顕示欲の偽装(ψευδομαρτυρία)だということだ。
こうした横着者(ὁ ἀργία)はそうはいない。動機は世間に対する鬱屈した(μελαγχορικός)不平不満(λοιδόρημα καὶ ἀκούσιον)だったり、世を憂える(κήδομαι)老媼の血迷った(βακχεύω)戯言(ἀλαζονεία)、ヴァイツゼッカー宗の巫女(προφῆτις)の神がかった(ἐνθυσιασμός)お告げ(μαντεία)、贔屓目(καταχαρίζομαι)にみて、狂信的な女祭司(χρησμῳδός)の、何やら信仰告白めいた御託宣(μαντεία)にすぎない。
もはや、正気にさせる(σωφροσνιζω)すべはないのかもしれない。狂気(μανία)と無知(ἄγνοια)は、共に魂の「病気」(νόσος)だという旨の指摘をプラトンはしているが(‘ψυχῆς ἄνοιαν συγχωρητέον, δύο δ’ ἀνοίας γένη, τὸ μὲν μανίαν, τὸ δὲ ἀμαθίαν.’[Timaeus, 86B]=「魂の病気とは『理性を欠いていること』であり、またそれには二種類あって、一つは狂気であり、一つは無知であることを承認してもらわなくてはならない」)、カ氏は相当厄介な御仁だ。
専門的知見など皆無のカ氏のような無学な素人が、何を根拠(διὰ τι)に、34⇒【Wikipediaは、問題があれば、改定…全体の論理構成が違う、まったくの間違い…ということは、考えられない】のように断言できるのか、潜越(πλημμέλεια)を通り越して、常軌を逸した無鉄砲(τόλμα)ぶりは、狂気の沙汰(ἡ μανικός)だ。
ならず者(ὁ μοχθηρός)の所業(ἔργον)にも等しい。
どんなに正鵠を射た(καθῆκον)ものであれ、一度受けた恥辱(αἰσχύνη)をけっして忘れる(ἐπιλανθάνομαι)ことのない、「根にもつ人」(πικρος)特有の執念深さ(τὸ ἐπιθυμέω)も際立っている。カ氏が忘れるとしたら、怒り(θυμός)に任せて、「我を忘れる」(ἀσχολεῖσθαι)ことだろう。
齢70歳近く、「七十而從心所欲、不踰矩」(『論語』為政第二)」という規矩(ὅ ρος)など何のその、カ氏の「夜郎自大」の無軌道(ὕβριοτής)ぶりは比類がない。
34②⇒【「ファウスト」、森鴎外の訳、大山定一…訳、高橋義孝…訳…最新の翻訳が一番いいなどとは、一概に言い切れない。要は、その訳者の力量】は一応もっともな見解だろう。しかし、それをプラトンの翻訳に当て嵌めることは不可能だ。
なぜなら、草稿などに基づく多少の原文の異同があっても、基本的に原文が確定している近現代の作品と異なり、プラトンの原テキストはすべて写本だからだ。テキストの異同は少なくない。つまり、翻訳の前提となる原文を、翻訳者は自ら確定しなくてはならない。
写本は無論ギリシア語で書かれており、写字生による誤記、改変の類も珍しくない。不明箇所の判定や欠落を補うために、プラトンの原文を引用した別の著述家の作品も参照する必要があり、それはギリシア語に加え、シリア語だったりアラビア語だったりする。むろん、ギリシア語やラテン語の註釈も確認しなくてはならない。
それは、写本から校訂者がそれぞれの観点で最も妥当だと思う読み方を採用して原文を構成した際に、採用しなかった読みも詳細に示したもので、この判じ物紛いの暗号めいた箇所を読解できないと、一人前の研究者とは言えない。
それができない久保勉の時代と現在とは全く次元を異にしており、ギリシア語原文が思うように読解できない場合に、夥しい数が存在する各国語訳でごまかせないのは、それぞれの翻訳の底本とした原文が異なることがあるためだ。日本で、こうした欧米並みの真っ当な研究条件が確立したのは田中美知太郎の超人的な努力の賜物で、久保など田中の足許にも及ばない。学問の進歩とは、そういうものだ。哲学、殊に古代哲学は厳密な学問であり、文学とは根本的に異なる。
ところで、35②⇒【「ぺらぺら流ちょうにしゃべる」ことではなくて、「どんな内容をしゃべるか。」…がずっと大事】も、一見もっともらしい正論(δίκαιος λόγος)だが、流暢に話せない人間が、自らの実力を棚に上げて難癖をつけてごまかす(συκοφαντεῖν)言い訳にしても仕方あるまい。
自分の実力を頬被りして翻訳の力量など、臆面もなく(θαρραλέος)喋喋している場合ではなかろう。少なくとも、間違いだらけで、まともな日本語の文章作成さえ覚束ないカ氏が言うことではあるまい。
よほど「嫉妬深い人」(ὁ φθονερός)、婆さんなのだろう。[完]
カ氏の敬愛する、ドイツ文学者の元京大教授大山定一について以前、次のような趣旨のことを書いた。即ち、
ルネサンス文化について【「ドイツはどうかというと、エラスムスやメランヒトンのようなヒューマニストを出しながら」というが、エラスムスはドイツの人文学者ではない。これも孫引きなのだろう】(9月22日・120)と。
間違いというのは、大山クラスの優れた学者でもまま発生する。問題はその背景だ。
ルネサンス期にギリシア・ローマの学芸を再生させた人文主義について、日本の西洋文学専攻者に、どの程度正確にその実態がとらえられているか、確認する格好の事例だったからだ。人間は過ちを犯す存在で、それはそれで不可避だが、学問の進歩のためには、「誤謬は如何にして生じたかゞ理解されねばならず、明白にされ得る誤謬は曖昧な正しさよりも遥かに貴重」(田中美知太郎訳『テアイテトス』「凡例」、7頁)だからだ。
私はその根本原因は、彼らの多くが古典語、即ちギリシア語とラテン語を解しないことにあると考えている。それは、戦前までの西欧直輸入の日本の近代化に伴う人文・社会科学系学問の根本的な欠陥だった。
つまり、その知識はどうしても間接的=孫引きにならざるを得ないため、西欧が学問の本場、最先端だとして、詰まらない二流、三流の学者の見解まで有難がる風潮を生んだ。大山の同僚でフランス文学者の桑原武夫もその弊を免れなかった。
ギリシア哲学が専門の田中美知太郎は別格として、別種の意味でその弊を免れた例は、大山、桑原の同僚吉川幸次郎で、「読書万巻を破り、筆を下せば神ある如し」とされた並外れた語学力に加え、吉川にとってシナの古典が、ギリシア・ローマに匹敵する東洋の古典、人文学の王道で、世界標準の場で研究成果を問うことができたからだ。
語学は手段にすぎないが、手段程度に尻込みするのが、日本の西洋文学研究の宿命のようだ。
ゲーテは、「もうこれだけ、古代ギリシャ文化についての優れた翻訳がドイツにはあるのだから、それほど熱心に古代ギリシャ語を勉強する必要はない。自分の本当にしたい仕事に時間を使うべきだ。」と述べているが、ゲーテは、外国語に翻訳された自分の詩、にこのような感慨をもっている。
花は手のぬくもりで生気なくぐったりしてしまった。
しかし、冷たい水をいれた花瓶にさすと、
―何という奇跡だろうー
ぼくの詩が外国語に訳されたのをみて、
ふとぼくはこんな感じを持ったのだ。(大山定一訳)
追悼の序文にこの詩を入れられた吉川幸次郎さんも、同じ考えなのではないのだろうか?「世界の文化は、みんな違って、それでいい。ドイツ文化もそのうちの一つだ。」というゲーテの考えがあるから、彼は、「世界文学」という概念を生み出した人、と考えられている。
私は、久保勉氏のプラトンの「饗宴」が、ドイツ語から訳されていたとしても、「本当のヨーロッパの古典」を知るために努力した結果生み出されたドイツ語による優れた翻訳から日本語に訳されたとしたら、日本人が未熟な古代ギリシャ語の知識で翻訳するより、ずっと優れた翻訳作品ができあがっている、と思う。ゲーテの作品の鑑賞方法、も同じだと思うが、要は、「作品の質」「翻訳力」の問題なのである。
だから、42⇒【エラスムスは…オランダ人の知識人…それを間違えたから、大山定一…訳の質を問う、というのは、あまりにも「無智」】のような、日本語の読解力に致命的な(θανάσμος)欠陥(κακία)があることを自ら示すことになる。41で、別に大山によるゲーテ『ファウスト』の翻訳の質、他と比較した優劣についてなど、皆目論じていない。
まともに日本語の文章が読めない、如何にもそそっかしい(προπέτεια)カ氏が、とんでもない勘違いをして(ἑτεροδοξέω)、論点(τόπος)をはき違えて(πλημμελέω)いる。
ギリシア語の「はき違える」(πλημμελέω)は比喩的表現で、原意はmistake in music, make a false note in music(⇒Liddelle and R. Scott(ed.);A Greek-English Lexicon, p. 1418])であり、「拍子外れ」(πλημμέλεια)ということだ。
カ氏は「音楽学」を西独留学で専攻した割には、どこまでも調子が狂っているようだ。怠惰な(ῥᾳθυμητέον)、知性とも呼べない憐れむべき人間性(τὸ ἀνθρώπειος)の問題なのだろう。
私が最初に『ファウスト』を翻訳で読んだのは1972年冬で、高校受験の直前の15歳だった。当時刊行が始まっていた『筑摩世界文學大系』の第18回配本が「ゲーテI」で、大山訳の『ファウスト』だった。好みはその後に入手した手塚富雄訳の方だったが、大山訳による第二部「夜ふけ」の章の「リンコイス」(望楼守)の条⇒「おれはみるために生まれてきた。みることがおれの職分だ。塔の上からみると、世界はおれの気に入った。…」が気に入って何度も読んだ。
ホフマンスタールがゲーテの「白鳥の歌」と名づけた美しい抒情詩で、詩人としては一流であるゲーテの本領を発揮している。
一定水準以上の、それなりに有能な研究者ではあっても、帝国大学の講座担当者として要求される基礎的な専門知に当時は古典語は想定されておらず、日本におけるドイツ文学の研究水準というのは、その程度だった、ということだ。
時代の制約というもので、大山のエラスムスに似た例は、桑原にも言える。桑原は、京都帝大教授で高名な東洋史家の桑原隲蔵(岩波書店版全集がある)を父にもち、吉川幸次郎の葬儀委員長も務めた優れた知性の持ち主ではあったが、西洋古典学の「後進国」であった日本の事情を色濃く反映している。
欧米での、研究者に限らず、凡そ読書をする市民の共通認識としてギリシア・ローマの著作を意味するclassics=「西洋古典」について、「『西洋の古典』ちゅうような漠然としたこというたらあかんな。古典というたらラシーヌもあればゲーテもあるではないか」程度の認識しかもち合わせていないのが、戦後初期までの大半の国立大学の西洋文学、西洋史学担当の教授の知的素養の程度だった。
分野こそ違え、吉川のように長年受け継がれた、シナ語である漢文を訓読みする日本固有の漢学の伝統を打ち破って、シナ語でシナの文物を直截かつ正確に捉えるという本来の研究手法を日本に導入した例は、例外に属する。それは、シナ人をも顔色なからしめる吉川の語学力だけの問題ではない。
カ氏のような無学な「俗物」が今なお、そうした旧時代の迷妄の中で、愚にもつかない御託を並べていられるのも、端的に無知蒙昧だからだろう。
サンスクリットが読めない仏教学者など、あり得まい。ギリシア語やラテン語がサンスクリット以上に修得困難という話は、寡聞にして聞いたことがない。ものを「知らない」(ἀγνοέω)ということは、カ氏のような愚にもつかない過剰反応を生む。カ氏は心(ψυχή)に余裕がない(ἀσχολία)小心者(ὁ μικροψυχία)で、高がドイツ語程度でご大層にもったいぶって(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)西洋文化を喋喋する、知的に「劣悪な人物」(ὁ πονηρός)、「田舎者」であることが、もはや明白だろう。
余談だが、ドイツがゲーテやW. von フンボルトらの努力にもかかわらず、ヨーロッパの田舎者なのは、まともなルネサンスを経験しなかった後進性、指導者たる知的教養層の問題もあろうが、畢竟、エリート層から截然と分離された民衆の特有の粗野さ、ようやく18世紀後半~19世紀初頭にかけて共通文章語として東部中部諸方言を基盤に形成された標準ドイツ語が、話し言葉は低地ドイツ語型の発音で行う方式を採用した結果、言語学者に「低地ドイツ語の音声による高地ドイツ語」(W. G. Moulton)と揶揄されたような特異な言語的事情がある。
さらに、近世を通して、国内の分裂と内紛に苦悩した末に国家統一を実現した後の第二帝政期(1871~1918年)の特有の政治風土、合意形成における非民主的な伝統にあろう。
時代の制約と言えば、京大文学部文学科に日本で最初に西洋古典語学・西洋古典文学講座が開設されるのは、戦後の1953年だ。初代の主任教授は松平千秋で、その最初の弟子三人のうちの一人が、私の妻の母方の大叔父で、妻は大伯父の高名な作家の方も名前程度しか知らない無頓着な女だが、最初の出会いの際に、「ところで、君のお母さんの叔父さんに、京大でギリシア文学を学んだ○△さんがいるけど、会ったことがあるかい」と尋ねたら、きょとんとしていた。
いずれにしても、日本における古典学の紹介、研究は、戦前は、それが「西洋の学問の大宗」であり、本格正統の教養の核心だとの認識が皆無だったわけではないが、教師も辞書も参考書も不充分だったから、原典に即した本格的な研究は戦後をまたなくてはならなかった。
岩波文庫の『ソクラテスの弁明 クリトン』『饗宴』の訳者久保勉は、東大哲学科のお抱えロシア人教師でドイツ哲学を学んだケーベルに私淑し、ギリシア・ローマの古典的教養の意味を充分理解していたが、ケーベル自身が素人のディレッタントで、久保もその限界を知悉していた。彼らの前には古典語修得の困難に加え、西洋の2000年を超す研究の蓄積が容易に乗り越えられない壁として立ちはだかっていたからだ。
1912年(明治45)に東大を卒えた久保(選科修了)がドイツに留学するのは1929年以降で、選科修了で学士でさえなかった久保が東北大学法文学部の助教授に内定した後のことであり、それなりに有能な古典学者(Philologe)だった久保は、ようやく1940年に教授に就任し、44年に退官する。
『ソクラテスの弁明 クリトン』は、『プラトン対話篇1』として刊行され、結局は13年後の『饗宴』との二冊で終わったが、前者が出た前月の大正10年3月には同じ岩波から、大正教養主義の代表的な思想書で旧制高校生のバイブルとなった倉田百三の『愛と認識に出発』が出た直後で、時代の雰囲気を窺わせる。
カ氏が何らの予備知識もなく、43⇒【久保勉氏のプラトンの「饗宴」が、ドイツ語から訳されていたとしても…ドイツ語による優れた翻訳から日本語に…日本人が未熟な古代ギリシャ語の知識で翻訳するより、ずっと優れた翻訳】のような、無知ゆえの(δι’ ἄγνοιαν)冗語は、如何にも軽はずみなカ氏ならではの妄想だ。
宿痾とも言える無条件のドイツ贔屓に加え、「日本人が未熟な古代ギリシャ語の知識で翻訳」というのも、元劣等学生のカ氏が自分に重ねた偏見で、サンスクリットを解する日本人にギリシア語が手に負えないわけではない。初期には言語学畑出身の研究者も輩出して、古典学の確立に貢献した。呉茂一、高津春繁、出隆らで、いずれもOxfordに留学している(呉はWienも)。
欧米の知識層と異なって、ギリシア語はもとより、ラテン語が読めなくとも「無学」「無教養」の謗りを受けずに済む傾向が今日以上に強く、すべて泰西の学問の直輸入だった日本の近代化に伴って、如何にも迂遠で急ごしらえの近代化には役立ちそうにないギリシア・ローマの古典的伝統への認識が欠落しており、大山も例外ではない。
一方で学問は着実に進歩しているのも事実だ。無学なカ氏が43②⇒【ゲーテの作品の鑑賞方法…要は、「作品の質」「翻訳力」の問題】も笑止な話で、まともな日本文が綴れない、論理的思考能力(λογιστικόν)が皆無(οὐδέν)に等しいカ氏が言うことでもあるまい。
何かとゲーテを引き合いに出すが、32⇒【(アリストテレスの三段論法の四つの命題の)区別さえ覚束ないようだ、という批判…私のこの論法は、ドイツ文化センターで学んだ…ドイツ語の資格試験に作文がある…論理的にドイツ語で作文…抽象的に考えていても、ものごとはわからない。実生活で大事な能力は、具体的な問題を論理的に考えていく能力】のような戯言を、名指しされたGoethe Institutは果たして諾う(φασκω)とも思えない。
この反論のつもりの「愚劣なおしゃべり」(λήρησις)、つまり法螺話(ἀλαζονεία)も30%は私の文章のうち、ギリシア語部分を省いた一字一句違わぬ引き写しで、意地になってコピペを繰り返して投稿の真似ごとをする狂態(γαστρίμαργος)の限りを尽くしている。
「抽象的に考えていても、ものごとはわからない」程度の杜撰な知性の人物を論理的思考能力が欠落していると称するわけで、カ氏にあるのは、現実(τὸ γιγνόμενον)と論理(λόγος)との混同(ἁμαρτάνω)であって、それは現実的に(κατὰ ἐνέργειαν)考えることでは全くなく、無思慮な(ἄφρων)現実への追随(κολακεία καὶ κολακεία)しか生まない。[完]
カ氏は50⇒【(久保勉訳『饗宴』の)後書きを読んでおられないのか、と思った。そこにはこう書かれている】として、さすがにこちらの方はネット上にアップされておらず、コピペしようもないのか、原著から引用しているようだが、相変わらず不正確で、引用と地の文との区別も不明瞭だ。学問的な(φιλοσοφώτερον)訓練(ἄσκησις)が全くできていない出来損ない(ὀ ἥμιγενής)が学問的議論の真似ごと(μίμημα)をすると露呈する惨状(πονηρία)を、見事なまでに(καλῶς)示している。
ところで、そもそも「後書き」ではなく、「あとがき」。引用も、如何にカ氏が神経が行き届いていない人物か、歴然と示している。
50の2行目以下、原著の177頁11行目以下を、煩を厭わず再現すると、
【あらゆる時代を通じて人類の宗教的道徳的【な⇒トル】進歩を信ずる人々の歓喜と驚嘆とを喚起し来ったギリシャ最大の思想家のもっとも美しき作たる本篇こそは【、⇒トル】その著者にとってもっとも大事な哲学的教育的信念の告白であると同時に、また一個の芸術作品である。
以上の杜撰極まる、恣意的な引用には、コピペ以外は何ごとも間違いなしには為し得ないカ氏による、脱落箇所4、勝手な追加箇所7、用字の誤り3、省略箇所の不表示3、もある。しかも、何の断りもなしにカ氏の文章が混入している。
末尾の「年数の上では、この作品に9年間…」は、久保に従えば、【およそ詩人はその作品を九年間篋底に蔵することを可とする(Nonnumque prematur in annum)と説いた古ローマの詩聖の箴誡を偶然実行したことに想到して独り微笑を禁じ得なかった次第である。】との趣旨を、カ氏が下手な文章で台無しにしている。
神経(νεῦρον)もピアノ線並みの臆面のなさで、ある意味、大した心臓(καρδία)だ。
☆われわれの自負心にとって、意見を否定された時より、見識を否定された時の方が、一段と腹立たしく、我慢できない。(ラ・ロシュフコー『箴言』13)
最も滑稽なのは、その「対象」と軽はずみにカ氏が盲信している「真実の教養を求める一般市民」の中に、カ氏のような無知蒙昧の、真っ当な日本語の文章さえ怪しい人間が、あたかもそこに含まれる(ὑπάρξειν)と信じているかのような、厚かましい(ἀναισχυντος)口ぶりであることだ。
田中美知太郎など、岩波新書の『ソクラテス』の著書として以外碌に知りもしない癖に、ご大層な断言(ὑπόληψις)ぶりだ。
ところで、久保は改訳の理由について、 「原文解釈の上でも文体の上でも、訳者自らの考えや語感が変って来た結果、今では意に満たない個所の見当らない頁とては一つも無かった」】(『饗宴』「あとがき」180頁)と旧訳の不備を認めたうえで、「本篇を邦語に移すことが難事中の難事であり、ほとんど不可能事に属することをますます痛感する」(179頁)と吐露しているが、聊か時代がかった大げさな表現だ。
一方、田中は私が親炙した藤澤令夫の師だが、恐ろしく学問的議論に厳格な人物で、久保のような帝国大学の古代哲学講座の教授とはいえ、とても欧米水準の実力などもち合わせていない人物とは格段に学殖の水準が異なる。
田中の師であった波多野精一は、田中が戦後、母校の京大に迎えられた際の書簡の中で、次のように書いている。「大學がここにはじめて、學問の正しき道の代表者、その道においてわが國随一の指導者たる眞の資格を具えたたゞ一人の適任者をはじめて得る道を開いた」(1947年3月10日付、田中宛)。師弟関係が逆転したような激賞ぶりだが、それは実際は過褒ではない。
その背景には、田中が久保と同じ岩波書店から出版し、田中を斯学における国内の第一人者の地位に押し立てたプラトンの中期対話篇『テアイテトス』の訳註書の存在がある。同書を上梓したのは、久保による『饗宴』改訳の4年後の1938年で、「一冊の書物が、わが国のギリシア哲学研究水準を一挙に世界的な水準までに高めた、文字通り劃期的な、記念碑的な」労作(松永雄二九州大名誉教授)とされる。
それは、戦前の日本における古代哲学研究史上における、ほとんど空前絶後の達成であったが、その背後には凡百の(μέτριος)研究者の思い及ぶところではない田中の学問に対する厳しい(ἀκριβής)姿勢があったことは、意外と知られていない。
田中は選科出も手伝い、西田幾多郎(東大哲学科選科修了)の高い評価は別にして、京都学派を率いた後継者田邊元をはじめとする学派の哲学的傾向に、西洋の本格正統の哲学の伝統に忠実な田中が否定的な態度を崩さなかったことで母校に招聘されることはなかった。
一方で、田中は新カント派や現象学の影響で日本で関心の高かった認識論の古典として、「知識とは何か」を問うた『テアイテトス』の翻訳を、大学を出て間もなく岩波書店社長の岩波茂雄から、直接委嘱される。恩師の一人朝永三十郎(朝永振一郎の父)の推輓だった。
田中はのちに述懐している。「(正確な翻訳の前提となる、写本の伝承に立ち返ったうえで、翻訳の底本となるテキストの確定に必須な原文批判について習熟するには)わたしが金持であるか、外国留学の便宜を得られるポストにあったのなら、若い私は海外に留学して、それらについてもっと簡単に学ぶことができたかも知れない。しかしわたしにはそういう便宜は何もなかった。すべて私は個人的努力で、暗中模索しながら自分で学ばねばならなかった。しかしわたしの前に立ちふさがっているのは、二千年の歴史をもつ西洋古典研究の厚い壁だった…誰からも直接に教えられることなく、小さな途を切りひらいて行くほかはなかった。それが12年に近い年月を必要とした一つの理由であると思う」(『田中美知太郎全集』第13巻所収、『時代と私』、253頁)
その苦闘を記した田中訳註『テアイテトス』の「凡例」には、西洋古典学の未開地で翻訳にあたる際の困難に加え、優れた翻訳を実現する上での前提条件(ἡνούμνον)が明確に示されている。
「翻訳の原典については、譯者は多年にわたつて幾度も、異なつた校本によつて全篇を讀み直し、また譯し直した結果、いまは何某の校本によつて譯したといふやうなことを、簡單に言ふことが出來なくなつてしまつた。譯者は寧ろ諸家校本の基底にある、古來の寫本を中心に原文を考へることにしてゐる。
…原文の解釋に当たつては、既に今日までの間に、色々な學者によつて幾重にも研究されて來たテアイテトス解釋の全體を基礎にして、その上更に譯者が直接プラトンの原文上に試みつゝあつた解釋を出來るだけ前進させるやうに努めた。
然しながら、たゞそれだけでは未だ一個の獨斷に止まるから…甚だ危険である。プラトン研究の如きものにあつては、既に二千年餘の研究の歴史と傳統が存する…學者はこれによつて自己の解釋を反省せねばならぬ。…
とはいえ…註釋書を讀むといふことは、原文上に自由な解釋を試みるのとは異なり、餘り樂しいことではない…時には却って苦痛のこともあるのである。何故ならば、諸家の註釋というものは、多くの場合、譯者の快い獨斷の夢を破つて、譯者が無事に越えて來たと思つてゐる文章について、至極面倒な議論を試みるものだからである。…吾々はどの解釋を取るべきかについて、丁度ソクラテスの問答法に於けるが如く、たゞ途方に暮れてしまう…
然しこの困惑こそ眞の學問を生むのである。吾々はそこに於いて、果して註釋家の主張が本當であるかどうか、自分の解釋はどの點が間違つてゐるのかなどゝ、色々調べてみなければならなくなるからである。而かも異なる解釋の選擇に當つては、たゞ巧妙な辯論が勝利を得るのではなく、吾々はもう一度プラトンの原文にたち返つて、それを最も難点の少い仕方で説明する解釋をとることゝなるのである。
そしてこのやうな吟味に堪え得ないものは、自分が最初から愛着をもつていた思ひつきであつても、また他の大家の解釋であつても、容赦なくこれを抛擲するのである。そしてこの方法こそは、既に氣附かれた人も少くないであらうが、プラトンが敎へる學問の道なのである」(「凡例」1~4頁)
田中のそうした努力が実って、岩波版『プラトン全集』は、近代ドイツ語訳のどの全集も凌いでいる。[完]
中高時代に、岩波新書をよく読んだが、これらは、教養書であって、専門書ではない。そういう基礎的な教養が必要なのではないのか、と反氏の文章を読んで思う。私は、高校時代に「ファウスト」を読んだりはしていない。そうすることに、どれだけの意味があるのだろう。
負けん気(φιλότιμος)ばかり強くて、横柄な人間(ὁ αὐθάδης)が、分を弁えずに(ἀσύνετέω)自分を(αὐτός)等閑にして(ἀμελέω)思い上がっている(ὕβρίζω)から、いつまでも経っても愚行が止まないのだ。
②⇒【かえって何でもないものを、何かであると思い、大切なことを、何でもないと考える、一種の思い違いの特性】⇒⇒莫迦の一つ覚えのように、ソクラテスの「無知の知」(ἀμαθής γνῶμη)を楯(ἀσπίς)に、しかもこともあろうに田中美知太郎『ソクラテス』の粗笨な(προπέτεια)読みにしがみついて(ἐπιθυμέω)、見え透いた(εὐθεώπρητος)意趣返し(ἀντιπεπονθός)だか負け惜しみ(διαφιλονεικοῦτες)だか、知ったことではない(ἀμέλεια)が、如何にも音楽(μουσική)しか知らない(ἀγνοέω)、「無学」(ἀπαιδευσία)の憐れさ(ἐλεεινός)で、児戯に等しい暴論(πονηρολογία)、戯けた御託(μωρολογία)を並べている。そこに、学問的根拠など、何一つない(οὐδέν).
無知の知は、無知の勧め(προτρεπτικός)や無恥(αναίδεια)の居直りの勧めではなく、「無知」の自覚(εἰδέναι)の推奨=知慧を愛し、徳を心掛けること説き聞かせる(προτρέπειν)ことだし、真の知識への出発点(ἀρχὴ)にすぎない。
無知の認識程度に留まっていたら、哲学はおろか、学問も何もあったものではない。それこそ自然科学など開花、発展しようがない。
「無恥」を自覚せず(ἀγνοέω)、驕慢に振る舞い自分を疎かにする(ἀμελέω)カ氏のような不心得(ἑτεροδοξία)を戒める(νουθεοτεῖν)ことだ。「無知の知」は、自らの無知、無学を糊塗する(τεχνάζω)、魔法(γοητία)のつえでも、呪文(ἐπῳδή)でもない。
ここまで衣怙地(ακληρός)だと、「老媼は二度子供になる」(ὁ γέρων δὶς παῖς γίγνεται)という、古代ギリシアの諺は、いよいよ真実味を帯びてくる。
せっかち(ἀνάκλασις)に急ごしらえの(αὐτίκα)立論(θέσις)をするから、注意力も散漫になるのだし、致命的な(θανάσμος)間違いも多いわけで、驚くべきこと(τὸ θαυμάζω)に、気に病む(δυσφορεῖν)様子もなく、逆に醜悪な(αἰσχρός)言い訳(ἀπολογία)か強弁(τὸν κρείττω ποιεῖν)に走る「反論の偽装」(ψευδομαρτυρία)しかできない。
58③⇒【この「饗宴」は、エロスと生産性がテーマ】⇒⇒今回の議論では別に『饗宴』についてなど、論じてはいない。私が、カ氏の読んだ、古色蒼然たる翻訳の『饗宴』に学問的水準について問題にしたのが端緒(ἀρχὴ)で、その原因は久保勉ら、ケーベルに学んだ西洋古典学研究の第一世代が、要するに素人のディレッタントの限界を越えられられないという一般的傾向、つまり時代の、世代の制約に加え、それを認識して日本全体として、西洋的学問の根源であるギリシア・ローマについて重要視する視点が欠けていたことだ。
田中のような例外的な人物が、学問をつくる例は、珍しくない。それは学問の本質に根差している。
文章を書けば、怠惰(ἀργία)ゆえにこピペを、無学ゆえに(δι’ ἀπαιδευσίαν)瑕疵(πλημμέλια)を繰り返す外ない、嫌悪すべき(μισητός)カ氏の悪質な(φαυλότης)論点ずらしの詐術的議論(παραλογίζεσθαι)、畢竟、唾棄すべき(μισητός)「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の現われであって、カ氏が品性(ἦθος)が賤しい(τᾶπεινός)卑劣な人物(ὁ χειρων)であることを、端的に物語っている。
58④⇒【中高時代に、岩波新書をよく読んだが、これらは、教養書であって、専門書ではない。そういう基礎的な教養が必要なのではないのか】⇒基礎的な教養(παιδεία)の欠片もない雑識しかもち合わせていない、カ氏が言うことでもあるまい。天に唾する行為だ。
58⑤⇒ 【高校時代に「ファウスト」を読んだりはしていない。そうすることに、どれだけの意味があるのだろう】⇒「高校時代」とは書いていない。「高校受験の直前の15歳」(=つまり、中学3年)と書いた。日本語の意味さえまともに理解できずに、よく戯けた御託を並べる。
私はカ氏にような「中途半端に愚劣な」(ἡμιπόνηρος)、夜郎自大の元劣等学生とは違う。ゲーテ『ファウスト』の直前に、トーマス・マンの『ドクトル・ファウストゥス』を読んだ。音楽の専門用語には辟易したが、その後だったので、ゲーテなどものの数ではなかった。[完]
☆訂正 48・7行目に倉田百三の『愛と認識に出発』とあるのは、『愛と認識の出発』の誤り。私にはキーボード入力に特有の癖があり、「の」をしばしば「に」と入力する。
「ファウスト」に関して、反氏は、女の尻ばかり追いかける田舎者の文士が書いた戯曲、とるに足りない作品である、という解釈を現在ももっておられる。けれども、例えば、大山定一さんは、この作品を訳すために、この作品は韻文で書かれているから、ドイツ語の訳詩の勉強をされたり、この戯曲全体をドイツ語で暗唱されたり、大変なエネルギーをかけておられるわけで、人によってその作品の価値が違うのである。
反氏にとっては、その前に読んだトーマス・マンの『ドクトル・ファウストゥス』は、音楽の専門用語に辟易したが、その後だったので、ゲーテなどものの数ではなかった、そうだ。
つまり、ゲーテが、芸術創造には、実体験が必要だ、という強い信念をもっていたのと違って、トーマス・マンは創作に必要な霊感は、梅毒にかかればいい、と思っている。確かに、シューベルトも、シューマンも梅毒にかかり、優れた作品を作っているが、それは、結果であって、自ら望んだことではないし、二人とも、病気のために、実生活は悲惨である。
要するに、ゲーテの「ファウスト」には、「魂が善で、努力をする者は、救われる。」という信念があり、実際にこのファウスト博士は、最初の恋人グレートヘンによって天上で救われるが、トーマス・マンの方は、芸術家として成功する為に、魂を売ったという利己的で、打算的な行為故の「破滅」しかない。その為か、私は、「令和」、という元号、「上品」という言葉に「ゲーテ」を感じ、これからの日本に、期待してしまうのである。
カ氏という御仁は、読んだこともない著作について、孫引きで騙る(ἐξελαύνω)しか能がない、実に嫌悪すべき(μισητός)怠惰な(ῥᾳθυμητέον)人物なのが分かる。
しかも、間抜け(ἀμαθία)だから、すぐ尻尾を出す。カ氏にとって、文章を綴るという行為(πρᾶξις)自体が「ままごと」(παιδιά)に堕して、分別に適った(κατὰ τὸν λόγον)立論の工夫がみられない。陳腐な(πρόχειρος)俗論(ψευδῆ δόξάζειν)を並べ立てることに余念がない。
もう少し「文は人なり」という芸(τέχνη=ars)がほしいが、思考の働きとしての器量(ἡ διανοητικὴ ἀρετή)も、人柄としての器量(ἡ ἠθικὴ ἀρετή)も並み(ὁ τυχών)以下(ἐλάττων)だから、自らの偏狭性(σμικρολογία)については一向に気が回らないようだ。
自分を「ほったらかしにして」(ἀμελέω)、愚にもつかない(φαῦλος)不得要領の(σομφός)、「投稿のための投稿」に憂き身をやつす。要するに、パスカルが人間の悲惨(πονηρία=‘misère re de l’homme sans Dieu’)の最たるものとした気晴らし(‘divertissement’)に興じるしかない齢70近い、無聊(ἀναισθησία)を託つしかない老後の寒々とした風景を思い知らされる。
精神の幼児(ἔκγονος)に等しい人物が、国家公共の事柄(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)を、しゃかりきになって論じる割には、知識も判断力にも事欠く(ἀπορέω)わが身を棚に上げて(ἐάω)、何がソクラテスの「無知の知」(μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι[Apologia, 21D])であり、ゲーテの『ファウスト』であろう。
自分の正確に知悉しない部分に及ぶと、さすがのドイツ随一の文豪もただの知的俗物ということだ。無知な(ἀμαθής)元劣等学生のカ氏は一いちその御託宣をありがたがっており、知的な奴隷根性(δοῦλοψυχία)は滑稽至極だが、ものを「知らない」(ἀγνοέω)ということを自ら「知っている」(γνωρίζω)わけではないから、どうしようもない。
最近になってにわかに、性懲りもなく(μαλακός)、27⇒【かえって何でもないものを、何かであると思い、大切なことを、何でもないと考える、一種の思い違いである「無智の人」】と、田中美知太郎『ソクラテス』の粗笨な読解に基づいて莫迦の一つ覚えのように宣っているが、これなども少し前まで、フランクフルト学派の学際的唯物論に基づく批判理論について、日本版Wikipediaや愚にもつかないネット上の書き込みやブログを基に妄説をもって回って(περιφέρω)、わけの分からない言辞を弄していたことの再現だ。
批判、批評は自由で遠慮する必要など全くないが、該当するアドルノやハーバーマスの著作について一行も読むことなく、つまり肝腎なこと知っている様子は「何ひとつない」(οὐδέν)カ氏の無軌道さは、異様だ。
読まずに何でも孫引きで大胆に(θαρραλέος)騙る(ἐξελαύνω)、カ氏の虚飾に満ちた人間性を示す虚栄心と慢心の証左で、過去のG. イェリネクやケルゼン、C. シュミットから始まって、一時期までの丸山眞男、フランクフルト学派についても同様なわけで、クズ投稿の再生産のためなら手段(ὄργανα)を選ばない悪辣(πονηρία)さだ。だから、剽窃(κλοπή=盗用)も詐術的な議論(παραλογίζεσθαι)も、何でもありだ。
軽率(ῥᾳθυμία)極まるから、それでいい気になって(θαρρέω)、臆面もない(ἀναισχύντως)から鈍感さ(ἀναισθησία)もこのうえなく、いくら誤謬を重ねても「意気阻喪しない」(θαρρέω)ので、「臆面もない人」=憚るところがない者(ὁ θαρρέω)となる。
盛んに喋喋するソクラテスの「産婆術」(μαιευτική)についても、産婆術を正面から取り上げた『テアイテトス』さえ未だに読んだ形跡がないことをみると、如何に怠惰な御仁か、歴然としている。
「文明の野蛮」(Zivilization zur Barbarei)についても、それを説いたアドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』(“Dialektik der Aufklärung”, 1947.)について一行も読まず、【ウィキペデイアの解説を読んだだけで、フランクフルト学派の主張、は信頼をおけない…アドルノもホルクハイマーもハーバーマスも原書を読む気になれない】(1月27日・82)と法螺話(ἀλαζονεία)を撒き散らして臆する(ἄποκνεῖν)様子もない。
私に向けられた「無智の人」(ὁ ἀμαθτής=「愚か者」と同義)にしても、田中の『ソクラテス』から引証した「ソクラテスのいう無知(ἄγνοια, ἀμαθία)は、何も知らない(ἀγνοέω)、全くの無(μδηέν)の知(ἐπιστήμη, φρόνησιςι)というものではなく、かえって何でもないものを、何かであると思い(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)、大切なことを、何でもないと考える(οὐκ εἰδώς)、一種の思い違い(πλημμέλεια)であり、間違った(ψεῦδος)信念(πίστις, δόξα)の如きものであると言うことができるだろう。」(170頁=括弧内のギリシア語註記は筆者)を、まるで鬼の首でも取ったみたいに無邪気に振り回していて滑稽だ。
田中だったら、くすくす笑ったろう。それくらい、見落とし(πλημμέλια)が甚だしい。無知(ἄγνοια)=愚鈍(ἀμαθία)ということは、そうしたことなのだろう。
如上の田中の引用文の前段で、次のように指摘している。カ氏は不注意にもその前半部分を省いた⇒【『国家』第4巻(443C~E)の、正義についての有名な規定において、これを外面の行為よりも、内心の統一調和を求め、これを結集し、保全する行為が正であり、このような行為の上に立つ知識が智である】とした意味だ。
田中にとって、というよりソクラテスを通してプラトンが「知」に込めた厳しい条件は、正義と知との不可分な(ἀμερής)関係だ。
つまり、「すべてそうしたことを行うにあたっては、いま言ったような魂の状態を保全するような、またそれをつくり出すのに役立つような行為こそ、正しく美しい行為と考えてそう呼び、そしてまさにそのような行為を監督指揮する知識のことを知恵と考えてそう呼ぶわけだ。逆に、そのような魂のあり方をいつも解体させるような行為は、不正な行為ということになり、またそのような行為を監督指揮する思惑が、無知だということになる。」(‘σώφρονα καὶ ἡρμοσμένον, οὕτω δὴ πράττειν ἤδη, ἐάν τι πράττῃ……ἐν πᾶσι τούτοις ἡγούμενον καὶ ὀνομάζοντα δικαίαν μὲν καὶ καλὴν πρᾶξιν ἣ ἂν ταύτην τὴν ἕξιν σῴζῃ τε καὶ συναπεργάζηται, σοφίαν δὲ τὴν ἐπιστατοῦσαν ταύτῃ τῇ πράξει ἐπιστήμην, ἄδικον δὲ πρᾶξιν ἣ ἂν ἀεὶ ταύτην λύῃ, ἀμαθίαν δὲ τὴν ταύτῃ αὖ ἐπιστατοῦσαν δόξαν.’=ibid. 443 D~444A)。
「強調すべきは、そこで実践的な「知識」(ἐπιστήμη)が知慧に、「思いなし」(δόξα)が無知に結び付けて論じられ、明確に区別されていることだ。田中の議論は、カ氏がその記述の一端をとらえて、極端な思い込み(δόξασμα)=固定観念を基に、単に「無知の知」を説くものでは全くない。
私も、謂わば「孫弟子」ながら田中直伝で、テキストによらない議論は、学問上は容赦しない。[完]
‘Avez-vous un texte?’(N. D. Fustel de Coulange)
やはり、責任、罪には段階があって、日本人みんなに同じ罪があったとは思えないのである。例えば、石原莞爾、あの時期の米国との戦争には反対であったが、中国を征服し、東南アジアを征服し、資源大国になった後の世界最終戦争を米国とすることには賛成であった彼も、大川周明も罪を逃れているが、世論をそのような方向に導いたこの二人には本当に罪がないのだろうか?
私は、日本の学生時代、ドイツのトーマス・マンと違って、勉強にも励んだ結果、劣等生ではない。投稿を続けているのは、未熟な若者が、おかしなデマゴーグに騙されてほしくない、からである。そして、国際社会で「美しい調和」を作ってほしいからである。
70⇒【「アウシュビッツの後ではドイツ詩はもはや書くことが不可能である。」というアドルノの見解自体に異常さを感じる】と、読まずに騙る悪癖を懲りずに繰り返しているが、「ドイツ詩は」とは書いていない。端的に「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮」と主張している。
カ氏は、今回集中的に取り上げた田中美知太郎『ソクラテス』の場合同様、学問的訓練を欠く元劣等学生だから、アドルノの人口に膾炙した如上の惹句について、それを含む一節、即ち、
「文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終幕に直面している。アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮(Barbarei)である。しかもこのことが、なぜ今日では詩を書くことが不可能になってしまったかを教える認識をさえ蝕んでいるのだ。精神の進歩をもおのれの一要素として前提するような絶対的物象化(Verdinglichung)が、今やこの精神を完全に呑みこもうとしている」(“Prismen”所収‘Kulturkritik und Gesellschaft’, G.S. X, S. 30)
を、翻訳でも原著に即して読まず、見当違いな党派心(φιλονεικία)剥き出しの、狂信的なデマゴーグ(δημαγωγὸς)並みの法螺話しかできない。
そもそも、731部隊を擁する悪名高きわが大日本帝国陸軍でさえ計画も実施もしなかった合法的な政策として一民族を大量殺戮するホロコースト、アウシュヴィッツの場合、一日平均710人を、四年半にわたって計画的に「流れ作業」で、行政機構を通じて最終処分して几帳面に膨大な記録を残すという残虐行為の限りを尽くしたうえ、すべてナチスの責めに帰して史上未曽有の罪業に真摯に向き合ってこなかったドイツ人が、詩だ音楽だと戯けたことを言っている場合ではなかろう、ということだろう。
他との比較自体が醜悪だ。
(参考文献、闘う文豪とナチス・ドイツ 中公新書 池内紀著)
「1922年の講演『ドイツ共和国について』では、弱体なヴァイマール体制を擁護する傍ら、共和国の「文化使節」としてしばしば海外講演を行う。経済的困窮に伴い次第に国粋主義的、反動的傾向を強めつつあった祖国に危機感を強め、1930年の講演「理性に訴える」では市民階級に社会民主党と組んでナチスに対抗すべきと説いた。同年の短編『マーリオと魔術師』では、ファシズムの正体を暴いて、その末路を予言した」(10月3日・238)と。
カ氏は73⇒【彼を深く知れば知るほど】と、井戸や水深でもあるまいし、何が深い(βᾶθύς)のやら、さっぱり了解しかねる主観的臆説(ψευδῆ δόξάζειν)を並べ立てるばかりで一向に要領を得ない(σομφός)が、深い認識を重ねてなお、73②⇒【1933年2月…講演…政権をとったヒトラーによるワーグナー偶像化…を痛烈に批判した…マンは…それまで…ナチス…の思想に反対していたかどうか、はわからない】程度のことが、未だに分からない(οὔπω ἐννοέω)のも妙な話で、それで一体カ氏は何を理解する(συνιέναι)というのだろうか。
「理性に訴える」、正式表題は「ドイツの呼び掛け―理性に訴える」(“Deutsche Ansprache―Ein Appell an die Vernunft”, 1930=邦訳は新潮社版『トーマス・マン全集』第10巻、森川俊夫訳、522~536頁)でマンは次のように、危険性を説き、警鐘を鳴らす(ἀποτρέπω)。即ち、
「聴衆のみなさん(Meine geehrten Zuhörer)、これら外交、内政上の苦悩の原因こそ、経済的窮状と並んでドイツ民族にセンセーショナルな選挙結果を生みださせた原因であることを認識するのに、あまり心理的な技術は必要ありません。」
「市民的精神状況やその諸原則、すなわち自由、正義、教養、楽天主義、進歩への信仰などとはもはや何の関係ももたない、という新しい人類の精神状況が宣明され、…生命概念を思考の中心に据える非合理主義的反動であって、無意識的なもの、ダイナミックなもの、暗く創造的なものなど、もっぱら生命を賦与する力を看板にかかげ、単に知的なものとしか理解されない精神などは生命を殺すという理由で拒否し、この精神にかえて…当代のネオ国粋主義のなかにはいりこんでいるので、この国粋主義は…19世紀の市民的国粋主義とくらべて、新しい段階を示しています。…まさに放縦なまでの自然崇拝的な性格、根本的に人間愛を敵視する性格、陶酔と呼べるほどにダイナミックな性格、…野蛮なりに洗練されたグノーシス説、性的逸脱をみせるモロホ、バール、アステル信仰から…」
「ロマンティックにものを考える哲学の理念と、今日の急進的国粋主義(radikalen Nationalismus)とを関連づけるのは大胆だと思わるかもしれませんが…関連は厳として存在しており…私たちがここで問題にしている政治運動、つまり国家社会主義の運動を、精神的なものの側から強化しようと集まっているのは…」
卓越した作家の直観は鋭い。もはや、余計な説明は不要だろう。唯一付言するとすれば、マンは既にナチズムの本質を見抜いており、その洞察(γνώμη)は群を抜いている。同時に、ナチズムに踊らされることになる、憐れむべき(ἐλεεινός)ドイツの粗野(ἄγροικον)かつ凡庸な(μέτριος)民衆の熱狂(μανία)、あの時代のドイツの狂奔が伝わってくるようだ。
ユダヤ人大量殺戮のような、人類史上未曽有の蛮行が、特異な独裁者とその党派の煽動(δημαγωγία)だけで生じたりはしない所以を、作家の予見(πρόνοια)的講演は余すところなく語っている。[完]
この傾向は、戦前の日本の、「現人神」信仰、「精神主義」で米国との戦争に勝利できる、と考えた人々の考えともつながる。現在は、SNSの時代で、仮想現実があたかも、現実のようにとらえられる時代、なので、「体験が生きているか」など、「現実感覚」を大切にし、「仮想現実」に支配されないように気をつけなければならないと私は確信している。
また、彼が1915年から1918年かけて書いたBetrachtungen eines Unpolitischen「非政治的人間の考察」のドイツ語Wikipedia版を読んでみたが、彼は信仰、というタイトルの中で、
Der wahre Glaube sei nicht der Glaube an irgendwelche Grundsätze, Worte und Ideen wie Freiheit, Gleichheit, Demokratie, Zivilisation und Fortschritt, sondern der Glaube an Gott, d. h. der Glaube an die Liebe, an das Leben und die Kunst.
本当の信仰の対象は、自由、平等、民主主義、文明、進歩に類する原理や言葉や理念ではなくて、神、つまり愛、人生、芸術への信仰である、
と語っていて、これは、ワーグナーの楽劇、あるいは、ヒトラーがうちたて、それによってドイツの民衆を騙したたナチズムの原理に近いからである。
78⇒【『非政治的人間の考察』のドイツ語Wikipedia版を読んでみた】とあり、「信仰について」(‘Vom Glauben’)のテキストの引用と思しき箇所があるが、態々西独に二年間も留学した割には、音楽学専攻の学生だからということでもないのだろうが、如何にも学問的な(φιλοσοφώτερον)訓練(ἄσκησις)が「何ひとつ」(οὐδέν)できていないに等しい杜撰さだ。随分と低レベルの(ταπεινότης)劣等学生だったことが分かる。
6行目以下、「信仰について」(‘Vom Glauben’)から、
78②⇒【Der wahre Glaube sei nicht der Glaube an irgendwelche Grundsätze, Worte und Ideen wie Freiheit, Gleichheit, Demokratie, Zivilisation und Fortschritt, sondern der Glaube an Gott, d. h. der Glaube an die Liebe, an das Leben und die Kunst.=「本当の信仰の対象は、自由、平等、民主主義、文明、進歩に類する原理や言葉や理念ではなくて、神、つまり愛、人生、芸術への信仰である」】
引用は、例によって極めて恣意的かつ杜撰だ。省略箇所を示す註記が何もない(d. h.=das heißtでは話にならない)。即ち、手持ちのFischer書店版13巻本記念版全集によると、次のようになる。序でに、カ氏の下手な訳に替えて、青木順三氏訳を添えておく。
日本語訳は 次の通り。
「確かに、真の信仰とは、教義でもなく、頑迷で雄弁なだけの独善ではない。それは、自由、平等、デモクラシー、文明、進歩などといった何らかの原則や言葉や理念に対する信仰ではない。それは神への信仰である。しかし、神とは何か? 神とは、多面性、造形的原理、全知の公正さ、すべてを包括する愛ではないだろうか? 神への信仰とは、愛への、生への、芸術への信仰である。」(新潮社版『トーマス・マン全集』第11巻、『非政治的人間の考察』418頁)
カ氏の恣意的な引用では言葉足らずで不明確だった信仰の「含意」が、明確になったはずだ。しかし、より重要なことは、カ氏が無学ゆえに(δι’ ἀπαιδευσίαν)か、それとも悪意(κακοήθεια)に満ちた故意(ἑκουσίως)の為せる業か否かはともかく、78③⇒【ワーグナーの楽劇、あるいは、ヒトラーがうちたて、それによってドイツの民衆を騙したたナチズムの原理に近い】との解釈は、途方もない(ὑπερβολή)曲解ということだ。
「無学」な、劣悪な(πονηρός=「欠陥のある」の謂い)人物が陥りやすい、罠(ἄγειν)であり、誘惑(ἐπιθυμιῶν)である。
周知のように、名作『魔の山』(‘‘Der Zauberberg’’, 1924)の執筆を中断して書かれた、ドイツ擁護のドイツの「自己弁護」のエッセー『非政治的人間の考察』は、マンもその一人である「ドイツ教養市民層」(ドイツ版‘mandarinism’= 世襲に伴う権利ないし財力より、教育による資格による社会的、文化的エリート層、所謂マンダリン的「文化的保守主義」の視点から、英米流の民主的伝統に批判的な姿勢を示す)の立場からの、誠実な(ἀληθής)「自己認識」(ἀναγνώρισις)の書なのであって、第一次世界大戦を「文明(Zivilisation)に対する文化(Kultur)としてのドイツの戦い」と位置づけてドイツを積極的に擁護したものだ。
そして、この第二帝国的な価値観を支えた特権的文化的エリート層=教養市民層を敵視する(ἔχθραινω)のが、教養市民層とは「隔絶」されたドイツの粗野で民主的伝統をもたない民衆であって、カ氏の議論が、下らない「空想物語」(μυθολογία)である所以だ。
双方の対立はナチス出現以前、第一次大戦の敗北以前から既に存在しており、マックス・ウェーバーも警鐘を鳴らしていた。従って、ヴァーグナーの政治芸術観とか、ヒトラーに騙された(ἐξαπατηθῆτε)云々の問題では全くない。
「非政治的な」エリート層と、政治的合意形成における西欧型の民主的伝統の欠如と、政治的に未熟な民衆が大衆社会への移行に伴う民衆叛乱の「変形」とも称するべき民主主義の「鬼子」=ファシズムの擡頭を招き寄せた。
『非政治的人間の考察』執筆の時点で、マンに限らず、教養市民層が英米流の自由主義や民主的合意形成に冷淡だったのは、「非政治的」であることをもってむしろ「善し」とする顕著な傾向があったからだ。
マンはその後、生と精神、芸術と政治とを全く隔絶した世界とみなし、政治を軽視ないし嫌悪する教養市民層特有の思考的傾向に限界をみるとともに危険だと認識して、個人の自己完成という教養理念には政治的、社会的責任への自覚が伴うべきだとする立場から、西欧流の民主主義者に「転向」する。
78④⇒【(亡命)以前の日記をマンが戦後焼いた】⇒⇒別にカ氏が妄想を逞しくするような事情によるものではなく、亡命時にマンは自宅や残した原稿を含め資産をナチスに没収されており、経済的打撃も大きかった。晩年の老人の心境からは、思い出したくもない、苦渋の記憶につながるものあったのだろうし、塁が及ぶ他者への配慮もあったかもしれない。
1947年にフランクフルトの新聞に寄せた『ドイツ民衆への手紙』が、自己防衛(φυλακή)に余念がない同胞の反感を買ったことや、1949年に長男クラウスが自殺した影響も想定できる。スイス・チューリヒ湖畔のキルヒベルクに終焉の地を求めるのは死の前年の1954年で、既に79歳だ。
戦後のドイツの嫌悪すべき内情をみて結局は帰国を断念した事情は、「私はなぜドイツに帰らないか」(‘‘Warum ich nicht nach Deutschland zurückgebe’’= Gesammelte Werke, Bd. 12, s. 953~962)に詳しい。
カ氏の疑念(ἀπορία)は、所謂「下司」(ἀνελευθερία)の勘繰りで、カ氏がマンの立場だったらそうしかねない、という告白に等しい。[完]
Betrachtungen eines Unpolitischen「非政治的人間の考察」は、世襲に伴う権利ないし財力より、教育による資格による社会的、文化的エリート層、所謂マンダリン的「文化的保守主義」の視点から、英米流の民主的伝統に批判的な姿勢を示す)の立場からの、誠実な「自己認識」の書なのであって、第一次世界大戦を「文明に対する文化としてのドイツの戦い」と位置づけてドイツを積極的に擁護したものだとあるが、具体的には、第一世界大戦、「英米との戦争」を賛美した書である。Den Krieg lobt er als "Veredelung" und "Verfeinerung" des Menschen angesichts des Todes 「戦争を死に直面する人間の「純化」、「精製」として賛美している」。
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要するに、トーマス・マンを崇拝される反氏を支持する、ということは、世界で最も民主的な憲法をもっているといわれた第一次世界大戦の敗戦国ドイツが、ナチス政権になって、「全権委任法」を成立させてから、「独裁国家」となったことに表れるように、あるいは、現在の中東の情勢が示しているように、信仰を、神への信仰、つまり愛、人生、芸術への信仰に特化するということは、死に直面する人間の「純化」、「精製」として賛美するものとしての戦争を引き起こし、第二次世界大戦後の国際社会で「最大の価値」とされている「民主主義」 を否定することに繋がるのである。その為に、「政教分離」が日本国憲法に20条に規定されている。
私は、断じて、そのような主張に与できない。それは、「令和」の精神、「美しい調和」の精神を壊す元になると、信じるからである。
追伸
反氏のコメント82によれば、マンはその後、生と精神、芸術と政治とを全く隔絶した世界とみなし、政治を軽視ないし嫌悪する教養市民層特有の思考的傾向に限界をみるとともに危険だと認識して、個人の自己完成という教養理念には政治的、社会的責任への自覚が伴うべきだとする立場から、西欧流の民主主義者に「転向」する、とあった。そうだとすれば、それは、ゲーテの主張する、色々体験したことで、賢明になった、結果なのではないのだろうか。
ただ、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」がベストセラーとなり、彼の思想が当時の多くのドイツの若者に影響を与えたように、ベストセラーになった「ブッデンブローグ家の人びと」を書いたトーマス・マンの「非政治的人間の考察」が当時の多くのドイツの若者に与えた精神的な影響力は、やはり、大きかったと思う。
「違ったドイツ語で書かれた文章…」と狂気じみた言いがかりをつける前に、『非政治的人間の考察』(‘‘Betrachtungen eines Unpolitischen’’, 1918年)の実際の文章(まさに私が引用した文章=Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4, S. Fischer Verlag, 1974. s. 504)と得と再確認(ἀναγνώρισις)することだ。
第一次世界大戦終了後の1922年に、マンは「正義と真理に抗して」の章を中心に一部削除を行い兄のハインリヒやロマン・ローランへの批判のトーンを抑えた版が刊行されたが(兄と和解したため)、1956年に長女エーリカ編集によって復元された初版本がストックホルム版全集に収録されて以後、マン全集の定本で、その意味で最も権威(ἐξουσία)ある本文である1960年の12巻本記念版全集、1974年の13巻本全集と、『考察』の真正な(ὀρθός)本文は私が引用したもので、「Wikipediaをコピペ」云々は問題にもならない。
真っ当な(ὀρθότης)議論(διατριβή)は真正な本文に基づいて行うのが学問的議論(ἀκριβολογεῖσθαι)に限らずものごとの原理原則(ἀρχή καὶ ἀξίωμα)で、カ氏の怠慢(ῥᾳθυμία)ゆえのWikipedia頼みは何の言い訳にもならない。
愚劣な「独り相撲」(σκιαμχία=a fighting against a shadow)は戒めて、歳相応の分別(σύνεσις)を取り戻すことだ。
例えば、モーツアルトの楽譜、この版が現在は、決定版である、という評価はあるが、だからといって、他の版がまるっきり間違い、という訳でもない。違う版を使って演奏するピアニストもおられるし、同じ版を使っても、その楽譜の解釈は、ピアニストによって違う。それが個性である。
その論点からすると、Betrachtungen eines Unpolitischen「非政治的人間の考察」のドイツ語Wikipedia版の私がした訳、本当の信仰は、自由、平等、民主主義、文明、進歩に類する原理や言葉や理念ではなくて、神への信仰、つまり愛、人生、芸術への信仰である、という訳と、反氏の決定版とされる新潮版からの訳、真の信仰とは、教義でもなく、頑迷で雄弁なだけの独善ではない。それは、自由、平等、デモクラシー、文明、進歩などといった何らかの原則や言葉や理念に対する信仰ではない。それは神への信仰である。しかし、神とは何か? 神とは、多面性、造形的原理、全知の公正さ、すべてを包括する愛ではないだろうか? 神への信仰とは、愛への、生への、芸術への信仰である。
逆に、私は、浅間山荘事件に関与した「連合赤軍」の人々の言葉、「我々は、正義と愛という言葉に踊らされた。」という言葉に、「公正さ」、「愛」、あるいは「神」というデマゴーグの言葉を無条件に信頼していいのか、という疑問を抱くのである。古今東西を問わず、それらの言葉に騙されて、人々は、おかしな政治運動をしたのではないのかと思う。ソクラテスの主張するように、神ではない人間は、「全知」ではない。それが、「無知の知」だということを、「無智な人」にわかってほしい。
88⇒【例えば、モーツアルトの楽譜…決定版…他の…違う版を使って演奏する…同じ版を使っても…解釈は、ピアニストによって違う。それが個性】というような問題では全くない。カ氏の病癖(νόσος)である論点ずらしは、端的にごまかし(τερθρύεῖσθαι)の典型で、その場を「遣り過ごす」(ἐάω)ため、如何にも「その場しのぎの」(ἐπίφθονος)議論をして逃げ回っている(διαφεύγειν)のが「みえみえ」(φανερός)で、滑稽この上ない。
88②⇒【反氏の決定版とされる新潮版からの訳】というが、「新潮版からの訳」というのが、そもそも意味不明だ。カ氏のような元劣等学生ならいざ知らず、日本語から日本語に訳して、どうする。
「決定版」とは、新潮社版全集の底本となったFischer書店発行の‘‘Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden’’(または1960年の12巻本全集)のことで、それ以外にない。『非政治的人間の考察』に、モーツアルトの楽譜に比定されるような特段の異本(variant)はない。88冒頭のような類推はそもそも、生じようがない。
Wikipediaは著作権の問題もあって正確なテキストを引用できないのかもしれない。
阿呆(ἠλίηθιος)の宿命(εἱμαρμένη)で、衣怙地(ακληρός)になって墓穴を掘る。原文で読めもしないソクラテスなどもち出しても、無駄だ。
「無知の知」(μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι[Apologia, 21D])は、不勉強の楯(ἀσπίς)にはならない。
Wikipediaのドイツ語版に書いてあることと、Fischer Verlagから出版されているThomas Mann Gesammelte Werke in dreizehnbändenでは、書いてあることが違う。モーツアルトのBärenreiter と Petersの楽譜中の違いよりも、違いは多いぐらいである。また、訳者も無学の私と高名な教授では、日本語の文体も、使う用語も違うから、新潮社からの訳とした。
大切な点は、さまざま些細なところでは、違っても、根本は一緒だ、ということである。そのことを反氏は、まったく理解されようとしないので、かえって何でもないものを、何かであると思い、大切なことを、何でもないと考える、一種の思い違いの特性である「無智の人」という名前を進呈させていただいたのである。
恥知らずな(ἀναίσχυντος)戯言を連ねて明々白々な(σαφής καὶ γνώριμος)事実を否定するかにみせかけ、実際のところ(ἔργῳ)、何も語っていない。そこにあるのは、91⇒【Thomas Mannの著書と、Mozartの楽譜、基本は同じ】のような、空疎な断定(λῆμμα)だけで、それを具体的に論証する(αποδείκνυμι)手間(περιεργάζομαι)を省いて居直って(τὸν κρείττω ποιεῖν)いる。
文章を読むと、特にその措辞(λέξις)を仔細に検討すると当の人物の知性の程度が分かるものだが、留学生仲間ではカ氏は最低ランク(μέγιστος κακός)だろう。
90で、マンの『非政治的人間の考察』のテキストに【モーツアルトの楽譜に比定(ἀναλογία)されるような…異本(variant)はない】と書いたはずで、Fischer書店版全集の本文以外に、存在しない。そもそも、88冒頭のような議論が可能になる前提(πρότασις)が成立(γίγνεσθαι)しない。Wikipediaにテキストを求める非常識は、カ氏くらいなものだ。莫迦も休み休み言うものだ。だから、論点ずらしになる。
知的には愚鈍でも、人柄としての器量(ἡ ἠθικὴ ἀρετή)、つまり人となり(ἦθος)の立派な(έπιεικής)人物はいるものだ。その点、カ氏は無恥(αναίδεια)で醜悪(αἰσχρός)の一語。
性根が腐っている(μοχθηρία)ようだ。
反氏は、信用できないもの、いい加減なもの、と断じ、私は、便利な現代の百科事典、とみる。過去に、会社員の方が、ちなみにウィキペディアは、ものによってはまるっきりデタラメで使い物にならずアマチュアの発表の場とみなす方もいるが、上記の韓国併合についてのウィキペディアの整理は、その辺の歴史教科書や参考書、解説本よりもずっと充実したものである。(低空飛行「神風」論と「戦後日本外交の総決算」のブログのコメント7 shinodahideaki.blog.jp/archives/30344911.html)と主張されている。
トーマス・マンについてのドイツ版は、ドイツ語が堪能で、ドイツ文化の素養のある人が参照するのだから、アマチュアの発表の場ではあり得ないだろう。
要するにコメント91は、典型的な「無智の人」の見解である。
それにしても、93は噴飯ものだ。【91は、典型的な「無智の人」の見解】なのだという。何が無知(ἄγνοια)だかは知ったことではないが、91はカ氏のコメントだ。自分で(καθ’ αὐτό)自分の莫迦さ(τὸ ἀμαθής)加減を認めている(διδόναι)ことになる。御苦労(πρᾶγμα)なことだ。
確かに「自分で自分を知らない」(αὐτὸ αὑτὸ ἀγνοεῖν)人間のことを「無知」という。そのうえカ氏は「無恥」(αναίδεια)だから、救いようがない。ソクラテスを信奉する(πιστύω)なら、得と自分の惨状(πονηρία)を自覚(εἰδέναι)することだ。昔から言うではないか、「汝自らを知れ」(γνῶθι σαυτόν=デルポイの神殿の銘)と。
今回の論点(τόπος)は93②⇒【違いは、ウィキペデイアをどう見るか】ではない。何度も指摘したが、その点に関する限り、既に結論(συμπέρασμα)は出ている。
つまり、『非政治的人間の考察』(1918年)のテキストに異本(variant)はない。「異本」とは別に伝承されたテキストで、写本で伝えられた著作、原本自体ではないが原本を引用したと思しきテキスト、原本は失われたが原本に依拠したものと思われる翻訳などで、主に近代の印刷本以前の話だ。その他、厳密には異本とは呼ばないが、印刷される以前の草稿に、印刷され公刊されたテキストとは異なるものがあり、類比的に(κατ’ ἀναλογίαν)「異本」とみなす。それだけである。
上記の意味(διάνοια)、定義(ὅρος=τῆς οὐσία)で、『考察』に、Fischer書店版全集のテキスト以外、異本は存在しない。
当然である。高が101年前、1918年に上梓された著書に異本など存在しようもない。唯一存在するのは、第一次世界大戦終了後の1922年に、マンが「正義と真理に抗して」(»Gegen Recht und Wahrheit«)の章を中心に一部削除を行い、和解した兄のハインリヒ・マンやロマン・ローランへの批判のトーンを抑えた版を刊行した版のみである。
過去の会社員氏のコメントは、そうした見解も存在する、というだけの話で、それだけではカ氏が自説を正当化する(τεχνάζω)=論証する(αποδείκνυμι)⇒証明する[συμβιβάζειν])根拠とはならない。それと異なる見解が多数存在するうえ、Wikipediaの記述にはそもそも執筆責任者が存在しない、寄せ集めだからだ。
マンは第一次大戦後に西欧流の民主主義者に「転向」(περιαγωγή)するが、1956年に長女エーリカ編集によって復元された初版本がストックホルム版全集に収録されて以後、マン全集の定本で最も権威(ἐξουσία)ある本文である1960年の12巻本記念版全集、1974年の13巻本全集、即ち『考察』の真正な(ὀρθός)本文は私が引用したもの以外にあり得ない所以だ。
マンの潔さ(μεγαλοπρεπής)は、西欧流の民主主義の信奉者として一部の認識を改めたにもかかわらず、『考察』で展開された、政治的な見解を除くドイツの文化や歴史についての原理的な認識は変えておらず、一貫していることだ。だから、その遺志を酌んで1955年に死去後、初版が復元され、全集に入れられた(ストックホルム版の版元もFischer書店)。
要するに、カ氏がコピペしたWikipediaのテキストは、杜撰な「抜粋」ということだ。
98③⇒【ドイツ版は、ドイツ語が堪能で、ドイツ文化の素養のある人が参照】⇒⇒無学な(ἀμαθής)ドイツの民衆、という意味だろう。「堪能」と言うが、ドイツ語が不自由なドイツ人はいまい。
最後に、参考までにカ氏が引用した杜撰なテキスト(【】内)と真正な、唯一のテキストを併記する。
「信仰について」(‘Vom Glauben’)から、
【Der wahre Glaube sei nicht der Glaube an irgendwelche Grundsätze, Worte und Ideen wie Freiheit, Gleichheit, Demokratie, Zivilisation und Fortschritt, sondern der Glaube an Gott, d. h. der Glaube an die Liebe, an das Leben und die Kunst.】
Nein, der wahre Glaube ist keine Doktrin und keine verstocked rednerische Rechthaberei. Es ist nicht der Glaube an irgendwelche Grundsätze, Worte und Ideen wie Freiheit, Gleichheit, Demokratie, Zivilisation und Fortschritt, Es ist der Glaube an Gott, Was aber ist Gott? Ist er nicht die Allseitigkeit, das plastische Prinzip, die allwissende Gerechtigkeit, die umfassende Liebe? Der Glaube an Gott ist der Glaube an die Liebe, an das Leben und die Kunst.(‘‘Betrachtungen eines Unpolitischen’’, 1918=Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4, S. Fischer Verlag, 1974. s. 504)[完]
☆精神の疵(欠陥)は、顔の疵と同じように、老いるにつれて、ひどくなる。(ラ・ロシュフコー『箴言』112)
私のそれに対するコメントは、89と全く変わらない。
つまり、私の主張は、コメント88-89であきらかなように、第一次世界大戦中、少なくとも1918年時点では、トーマス・マンは、自由や民主主義という理念をほんとうの信仰の対象としては、否定している、ところが、ナチスが政権につき、亡命生活を余儀なくされてから、西欧流の民主主義者に「転向」するのである。
Heilという言葉は、日本語では、総統、とか、万歳、とか訳されるが、ドイツ語の意味には、他に、救世主、神聖ななどという「神」を連想する意味もあるのであって、それゆえに、「総統が命じ、我々が従う。」という理念が出来上がるのであるが、それは、「人民の人民による人民のための政治」、国民自身がその政治の責任を取る、という理性的な民主主義とは、対極にある政治なのである。それは、統治者への神がかった信仰に近い。
そして、それは、ほんとうの信仰は、自由や民主主義の理念への信仰ではなく、神への信仰、つまり、愛への、生への、芸術への信仰を是とする、とする1918年時点のマンの考えに近いのである。
それは、老い(γῆρας)が一向に成熟(αὔξησις)や思慮深さ(εὐβουλία)につながらない「悲喜劇」(τραγῳδία καὶ κωμῳδία)で、目にも当てられない。一言で言えば、老害(γηράντων κακός)ということなのだろう。カ氏は大した「道化者」(βωμολόχος)だ。
「年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる」(ラ・ロシュフコー『箴言』93)▽「老いてますます血気盛んとは、狂気の沙汰だ」(416)▽「老いた狂人は、若い狂人よりさらに狂っている」(444)――という症例(παράδειγμα)であり、畢竟、「無知の知」(ἀμαθής γνῶμη)などを振り回す人間に限って⇒▽「狂人と愚か者は、気分でしかものを見ない」(414)ことの証明(τεκμήρια)だ。
▽われわれは、肉体よりも精神に、より多くの怠惰を抱えている」(487)とは、傾聴に値する観察(θεωρεῖν)であり諫言(ἀποτροπή)で、自らに何が足りない(ἐλλειπω)か、「軽挙妄動」(ῥᾷθυμία καὶ ὁρμή)にかられる(ὁρμάω)愚を戒める(νουθεοτεῖν)ことが、そろそろ思慮分別(σωφροσύνη)もつくはずの老人の嗜みだろう。
マンは、カ氏ような単細胞(ἁπλοῦς)が手に負える相手ではない。重層的な、精神の襞にからみつく態の、鑿で克明に刻まれたような文章は、ドイツの無学な民衆など相手にしていない。マンには民主主義に対する信仰(πίστις)はない。しかし、それは民主主義を直ちに否定することを意味しない。
そもそも民主主義(Demokratie)の原理は、政治参加の「平等の権利」(ἰσονομία)に根差し、そこにおける平等(ἰσότης)とは世の現実ではなく、あくまでも仮構(εἰκός⇒‘als ob’)で、人は「平等であるかのように」扱うのが礼儀だというだけの話だ。
マンはどこまでも醒めている。ドイツの知的な特権的層特有の気質で、熱狂(μανία)からは最も遠い、一種の諦観(θεωρία)だ。マンは「距離の人」(ὁ διάστηματος)で、カ氏のようなナイーブな(ἁπλοῦς)、つまり軽率な(ῥᾳδιος)御仁からは最も遠い。
「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置」(シュムペーター)であり、その根本的自己矛盾(αὐτό ἀντίφασις)を、ナチズムの登場以前にマンも熟知(ἐπισταμαι)していただけだ。
小学生時代から、一高、東京帝大時代を含めて首席で通した芦田均さんには、反氏のような傲慢さはない。彼は、「民主主義」の信奉者なのである。彼はこう書かれている。「民主主義は、自由と相並んで人間の平等を要求する。自由解放ということが、必ずしも平等の地位を保障しないのは、各人の能力が平等でもなく、欲望も同一ではないからである。この場合の平等とは、すべての人が法律の上で平等であることを意味し、貴族の特権は奪われ、四民(士農工商)が等しく政治に参加し、各人が等しく自由契約によって取引を行い、団体契約を結ぶことを指すのである。このように平等は自由を前提とし、自由もまた平等を前提とするものである。そして民主主義は、個人の自由とともにその平等を要求するのである。」
「敗戦を契機として内外の情勢がすべて一変し、国民生活の全般に渡る民主主義化のみが、日本の進むべきただ一つの道として遺されている。」と芦田さんたちは考えられて、GHQの原案を、100余日に亘って国会で審議し、修正し、完成させられた。日本政府がそういう政治方針だったから、国立大学付属小学校で勉強した私たちも、「未熟である意見でも、親や教師のオウム返しではなくて、自分の意見をもちなさい。」と「思考の自由」を与えられ、民主政治の構成員になるべく教育されたのだと思う。
トーマス・マンは、ドイツの知的な特権的層特有の気質で、熱狂(μανία)からは最も遠い人なのではない。第一次世界大戦の際、自分がドイツ人の一員であることの高揚感から、参戦に熱狂したから、兄のハインリヒ・マンやロマンロランに強く批判され、極めて政治色の強い「非政治的人間の考察」を書くことになったのである。参戦に熱狂したのは、東大系の憲法学者宮澤俊義さんも同じで、冷静だったのは、米国と戦争したら絶対に負ける、と毎日新聞社でただひとり熱狂の渦に加わらなかった楠山義太郎さんである。
私が尊敬し、信頼をおくのは、理性と感性が調和した「ほんとうの知識人」である。
頬被りもここまでくると、卑屈な(μικρόψυχος)魂の病気(ψυχῆς νόσος)で欠陥(κακία)、即ち無知(ἄγνοια)だから、冗語を連ね、「中身のない」(具体的な証拠[τεκμήριον]、実例[παράδειγμα]を挙げた論証[ἀπόδειξις]を伴わない[ἀπορέω]の謂い)長話を重ねる(πακρολόγος)しか能がない、憐れむべき(ἐλεεινός)性情(ἡ φύσις ἀνθρώπων)を曝け出していて、滑稽至極だ。
早朝から喚き散らすことでもあるまいが、立ちどまって熟慮(φροντίς)することができない「質」(ἀρετή)だから、つける薬はない。
ある意味で凡庸な(μέτριος)西欧流のヒューマニストで民主主義者の兄ハインリヒ(所謂「進歩的知識人」)と違って、『考察』にも歴然たるトーマス・マンの際立った才能(δύναμις)は、学業を怠って落第したからといって、それがどうだというのか。カ氏のような凡庸な元劣等学生が陥りやすい錯覚(σφάλμα)だろう。
ケインズをして妻宛の書簡で「神が到着した」(1929年1月18日)と讃嘆せしめた天才中の天才、オーストリアの鉄鋼財閥の御曹司、哲学者ヴィトゲンシュタインでさえ、中等教育はリンツの「帝立・王立実科学校」(ヒトラーも1900~04年に在席)で、兄パウルとは異なりギムナジウムには通っていない。
カ氏のような学歴信仰は、それこそ凡庸さの証明で、私もそうだったが中等教育とは誠に退屈(ἀναισθησία)なものだ。
私のひいき筋を批判されるが、反氏も、プラトン、アリストテレス、ケインズ、ホルクハイマー、アドルノ、トーマス・マンなど、主観的なひいき筋がおありになるのではないのだろうか?
反氏がアドルノと比べて、屑だと考え、私が尊敬するE.フロムは、真の対立、すなわち、何かを隠蔽したり、投射したりするものではなく、内的現実の奥底で体験されるような対立は、けっして破壊的でない。そういう対立はかならず解決し、カタルシスをもたらし、それによって二人はより豊かな知識と能力を得る、と主張しているが、反氏は、私を罵倒すること、投射すること、論破することに一生懸命だ。
書簡はケインズが妻の元ロシア人バレリーナ、リディア・ロポコーヴァに宛てたもので、「さて、神が到着した。私は5時15分の列車でやって来た彼に会った」(1929年1月18日)というもので、第一次世界大戦が終わって(ヴィトゲンシュタインはオーストリア軍の志願兵として従軍)、5年ぶりのケンブリッジ帰還を告げたものだ。
その際、ケインズに「ケンブリッジに永住する」旨、伝えている。最初のケンブリッジ訪問でラッセルを驚嘆させた、この時40歳目前だった『論理哲学論考』(‘‘Tractatus Logico-Philosophicus’’, 1921)の著者は、不在中にケンブリッジのエリートの間でほとんど伝説的な人物となっており、『論考』に盛られた変革的思考が当時の知識階級(所謂イングランドの高等知識層[high ‘Intelligenzija’])の社交の中で話題の中心になってもいたからだ。
到着にあたり、ケインズはオーケストラを率いて、何かと因縁のあった「破門状態」だった「使徒団」(Apostles=ケンブリッジ談話会)にヴィトゲンシュタインが戻るよう歓迎会を企画するという、元敵国の哲学者に対するものとしては、破格の歓待だった。
それだけ、ケインズが彼を高く評価していたことを物語る。帰還翌日の使徒団の特別夕食会には、当時のケンブリッジ知識人の錚々たるメンバーが顔を揃えた。R. ブレイスウェイト、F. ラムゼー、G. ライアンズ、G. トムソン、G. ベル(クライブ・ベルの弟)らだ。
その席で、ヴィトゲンシュタインは名誉会員に選ばれる(使徒団の呼称は「天使」=以上は、R. モンク[Ray Monk]の『ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン――天才の務め』[“Ludwig Wittgenstein, The Duty of Genius”, 1990, Jonathan Cape]によった)。
その中で、ケインズが大蔵省勤務の激務を縫って、東部戦線でイタリア軍の捕虜となり、収容所で20世紀の哲学思想に「言語論的転回」をもたらした最初の主著『論考』を完成させた若き天才哲学者に刺激され、ケインズが一旦完成させた哲学上の主著で一種の科学方法論である『確率論』(“A Treatise on Probability”, 1921)を改めて検討し直し、上梓に向けて改訂に心血を注いでいることや、『論考』の公刊に奔走していることが分かる。
その結果、双方が世に出るのは、奇しくもケインズの執り成しで『論考』の独英対訳の最初の版本が出た同じ1921年だった。ケインズはさらに1930年に26歳で夭折する20歳年下のケンブリッジの早熟の天才F. ラムゼーの後ろ盾となり、その遺稿出版に尽くしている。
ケインズは何をさせても可ならざるはない、「批判的な知性と創造的な知性」を両立させた稀な天才で、ラッセルをして「ケインズの知性は、私が知る限り、最も鋭敏で明晰なものだった。私は彼と議論したときにはいつも、命が縮まる思いがしたし、また自分が何か愚か者であるという気持ちに落ち込まないことは稀であった」(ラッセル『自伝』)と言わしめた第一級の知性だ。
論理学を中心に学問的哲学以外に全く興味を示さない修道僧の如きヴィトゲンシュタインとは全くタイプが異なるが、天才の天才たる所以を最もよく知るのは、天才同士であるようだ。
両者の共通点は、カ氏の特質であるような愚鈍(ἀμαθία)にして凡庸(μεσότης)、退屈(ἀναισθησία)、かつ陳腐(βαναυσία)なものへの冷淡さだった。
私は、音楽の学徒であるが、歳を取ればとるほど、ベルクやシェーンベルグの音楽よりも、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの音楽がすばらしい、と思うようになった。反氏が、プラトン、アリストテレスの哲学をすばらしい、と思っておられるのは、どうしてなのだろう?ルーツだからなのだろうか?それとも、本当にすばらしい、と思っておられるからなのだろうか?それとも、知的な虚栄心なのだろうか?
このベートーヴェンやマーラーが刺激を受けて作品を作ったのが、ゲーテの作品なのであって、あのフランスの名将、ドイツの敵国の武将ナポレオンが、ラッセルのように「私は彼と議論したときにはいつも、命が縮まる思いがしたし、また自分が何か愚か者であるという気持ちに落ち込まないことは稀である」という理由ではなくて、魅力があるから、話がしてみたい、という理由で、会いたがったのも、ゲーテなのである。その魅力的な天才を「田舎者」と形容し、「痴能指数」などという言葉を持ち出される神経が、反氏が「無智の人」であることを証明しているように、私には思える。
瑕疵(πλημμέλια)まみれの、それこそ幼児(ἔκγονος)が喜びそうな「菓子」(πέμμα)のような甘ったるい(ἡδύς)御託を阿呆くさいと眺めていて、「ゲーテ狂(ὁ μαίνομαι)」というのも、カ氏ぐらい極端になると醜悪(αἰσχρός)だが、109【ゲーテ…その魅力的な天才を「田舎者」と形容し、「痴能指数」…を持ち出される神経が、反氏が「無智の人」であることを証明】のような、今回の論点(τόπος)とは異なる、カ氏の信仰・信念(πίστις, δόξα)を繰り返すばかりだ。
106冒頭で、私は【105⇒「ヴィトゲンシュタインの言葉を読んでみたが、ゲーテの言葉を読んだときのような、感動はない」というが…一体、「ヴィトゲンシュタインの言葉」の何(τὸ τί ἐστι)を読んだというのだろう】と書いた。
読まずに戯言を騙る(ἐξελαύνω)カ氏の悪癖(νόσος)、見え透いた(εὐθεώπρητος)詐術的な論法(petitio principii)によるごまかし(τερθρύεῖσθαι)をたしなめたものだ。
108~109には、そうした問い掛けへの応答(ἀπόκρισις)が全く欠けている。カ氏の嫌悪すべき(μισητός)悪質な(φαυλότης)詐術的議論(παραλογίζεσθαι)、畢竟、唾棄すべき「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の現われであって、カ氏がいかにも品性(ἦθος)が賤しい(τᾶπεινός)卑劣な人物(ὁ χειρων)か、端的に(ἁπλῶς)物語っている。
「話の通じない人」(βάρβαροι)である所以だ。精神の高貴さ(μεγαλοψυχία)につながる、度量の大きさ(μεγαλοπρέπεια)から、カ氏ぐらい遠い狂信的な人物も珍しい。虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)さもしい(ἀνελεύθερος)人間性、虚勢(ἀλαζονεία)を張るしかない賤しい(τᾶπεινός)、卑屈な人物(ὁ μικρόψυχος)なのだろう。
それでなくては、有り余る誤謬と誤記、論点ずらし(論理的不正)、虚偽に基づく詐術的言辞を撒き散らしておいて、これほど厚かましく(ἀναισχυντος)醜悪な人物はそうはいない、ということだ。しかも御苦労なことに、その紛れもない正体を日々、言い訳じみた粗雑な文章で「自ら進んで」(ἑκούσιον)証明している(συμβιβάζειν)。滑稽至極だし、茶番以外の何物でもない。
「ゲーテ狂」のカ氏によれば、ナポレオンも面会を求めた「魅力的な天才」を、私が「田舎者」と形容」したと非難している(ὀνειδίζειν)が、正確には、長らくヨーロッパの文明的伝統の「辺境」(ἡ βαρβαρικός)にあった、ドイツという「田舎者」(ἄγροικος)体質が顕著な粗野な(βαρβαρικός)民族が生んだ文士という趣旨だ。
『若きヴェルテルの悩み』で一躍当代の流行作家になった若い文士を、ナポレオンが物珍しがっただけだろう。当時のゲーテは後年の文豪ほど、成熟していない。ヘーゲルも馬上から街を睥睨する英雄をイェーナで目撃して「世界精神(Weltgeist)を見た」と評したくらいだから、他愛もない。
そうした特異な性格を言語学者モウルトン(W. G. Moulton)は「低地ドイツ語の音声による高地ドイツ語」と揶揄する学者もいると紹介している。ドイツは文明化でも、産業化でも、統一国家形成でも英仏に後塵を拝したし(カトリック教会が統一の障碍となったイタリアの国家統一の遅れは特殊事情)、長らくフランス語では複数形で‘Les Allemagnes’( βάρβαροι)と侮蔑的に呼ばれた所以だ。
ドイツを「第二の祖国」と逆上せ上がって(ἀγωνία)いるカ氏は、無意識のうちに(λανθάνειν)、独善(λῆμμα)と思い上がり(ὕβρις)が著しいから、「一見明白な事実」(τοῖς φαινομένοις)を拒む(ἀνανεύειν)⑩「話の通じない人」(βάρβαροι)であり、議論をごまかす⑥「論過の人」(παραλογισμός)にして、とかく思い込み(δόξασμα)が激しい⑭「勘違いの人」(ὁ ἑτεροδοξία⇒丸囲み数字はカ氏の枕詞[ἐπίθετον]で、それぞれ⑥⑩⑭番目)なのだろう。
国際事情通を騙る「田舎者」でしかないわけだ。
108⇒【反氏が…書いた名前で、一般人でこの名前全部を知っている…と自慢する人…は、知的虚栄心】というのも、須らくドイツ基準の無学な(ἀπαιδευτος)カ氏の無知蒙昧で、他人を心配している(φροντίζω)場合でもなかろう。
無知(ἀμαθία)なら、冗語(ἀδολεσχία)は慎む(κόσμιοσθαι)ものだ。[完]
‘Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen’「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならぬ」(L. Wittgenstein, ‘‘Tractatus Logico-Philosophicus’’, 7.)
私には、反氏のドイツが長らくヨーロッパの文明的伝統の「辺境」の位置にあった、という意味がよくわからないのである。ウィーン、ハプスブルグ家はヨーロッパの中心だし、ヨーロッパ文明の偏狭というのなら、ロシア、ポーランドの方がよりずっと偏狭にあり、後進国である。田舎者の背景にあるドイツの文化的後進性は、標準的な民族語としての統一ドイツ語、つまり標準ドイツ語である「共通文章語」が、18世紀後半~19世紀初頭にかけて、ようやく東部中部諸方言を基盤に形成されたものの、ということにしろ、これは、ドイツが回廊の位置にある、つまり地政学上の理由に由来している。ゲルマン民族の大移動で、ローマ帝国が崩壊し、フランク王国になった後、地政学的理由で、フランスやイギリスは、フランス王国やイギリス王国になることができたが、ドイツは、イタリアと一体としての「神聖ローマ帝国」であったので、公用語はラテン語であった。日本のように、海に囲まれて、必要がなくなれば、遣唐使派遣をやめる、というわけにいかなかったのである。
どちらが「無学の人」と思うが、反氏と私は、ヨーロッパの歴史認識が違うのである。 ‘Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen’「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならぬ」(L. Wittgenstein, ‘‘Tractatus Logico-Ph.)は、どちらにあてはまる言葉かと思うが、反氏には、「無智な人」を早く卒業して、勉強した成果を、私を罵倒するために使うのではなくて、社会の為、大切なことの為に使ってほしい。
このほか、⑧「虚飾家」(ἀλαζών)、⑨「厚顔無恥」(ἀναισχυντία)、⑪「卑小な人」(μικροπρεπής)⑫「嘘をつく人」(ψεύστης)――と種々ある。いずれも、ホメーロスの英雄叙事詩に特有の形飾詞(ἐπίθετον)に倣って命名し、カ氏に進呈した際にそれぞれ理由(πρόφασις)を明らかにしている、つまり、各々充分に(ἱκανῶς)根拠(διὰ τι)がある、ということだ。
カ氏は「誹謗中傷」(λοιδορία καὶ συκοφαντία)と闇雲に(ἁπλῶς)非難する(ὀνειδίζειν)が、相手を論破する(ἀναιρεῖν)以上に、何の理由もなしに、不当な(ἄδικος)「告発」(κατηγορία)の意味で中傷する(συκοφαντεῖν)ほど酔狂でも意地悪でもない。
カ氏にそれに値する(ἄξιος)ほどの価値(ἀξία)はない。そうした手間をかける(περιεργάζομαι)ことに意味がない(ἄσημος)ほど、カ氏の嫌悪すべき悪業(κάκη)や邪悪な行為(μοχθηρία)、悪癖(νόσος)は明々白々(κατάδηλος)だからだ。
「非難」「告発」を意味するギリシア語の一般名詞[κατηγορία=カテーゴリアー]に、最高類概念としての「カテゴリー」の役割を付与したのは、哲学史上、アリストテレスの創案による。カントなら、カテゴリー(Kategorie)は所謂「範疇」、つまり純粋悟性概念(die Begriffe des reinen Verstandes)を意味する。
プラトン当時は哲学的意味はなく、[κατηγορία]は告訴、告発の意味だったが、告発の原因(αἴτιον)になるような「非難」の動詞形[κατηγορεῖν]が基になって、決定的な変化が起きた。
「~である」とされる確たる(κυρίως)事実(ὅτι)や証拠(τεκμήριον)、論拠(τὸ διότι)がなくては、合理的な(λογικός)論証(ἀπόδειξις)は成り立たない(ἀδύνατον)。
しかし、反論(ἔνστασις)の道(ὁδός)は、既に塞がれている。取り調べ(ἐξέτασις)は尽くされ、「違法提案に対する告発」(γραφὴ παλανόμων)もない。
判決(κρίσις)は、有罪(κατεψηφίσασθε)。控訴(ἔφεσις)は可能だが、無罪放免(ἀπεπεφεύγη)の証拠を示すことが必要だ。しかし、論理的思考能力(λογιστικόν)が皆無(οὐδέν)に等しいから、自らの過誤(ἁμάρτημα)に半ば(ἥμισυς)気づかない(λανθάνειν)体たらくのカ氏にそれが可能とも思えない。
何ごとも基本的文献に当たらず、闇雲にSNSで検索して、立論(θέσις)に都合がいいと軽はずみ(ῥᾷθυμία)に判断して、怠慢(ῥᾳθυμία)にもコピペ=剽窃(κλοπή=盗用)で、自らの主張であるかのように論旨をでっち上げる。コピペで微妙に文体が変わったのに気づかぬほど間抜けだ。
無学な割には「俗物根性」(‘Philistertum’)横溢の老人が暇をもて余して虚勢を張っている(ἀπαυθαδίζομαι)としか思えないさまは、醜悪で噴飯ものだ。
113冒頭、同第二段落の半分は私の文章の一字一句違わぬコピペだ。それで、114⇒【どちらが「無学の人」…私は、ヨーロッパの歴史認識が違う】のような法螺話(ἀλαζονεία)でお茶を濁して(τεχνάζω)いる。
最後は、意味を了解できもしないヴィトゲンシュタインで止めをさす。
こういうのを「盗人猛々しい」(ὁ τοῦ κλέπτου λόγος)というのだろう。
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