今年1月に出た岩波文庫の『日本国憲法』は、日本国憲法とあわせて、英文日本国憲法、大日本帝国憲法、パリ不戦条約、ポツダム宣言、降伏文書、日本国との平和条約、日米安全保障条約のテキストを収録するという意欲的な仕組みになっている。
国際的な流れの中で日本国憲法を位置付けるのは、正しい方法であり、歓迎したい。
解説は、あの長谷部恭男教授である。憲法学者がかかわっている憲法理解が、このような形で提示されていることは、素晴らしいことである。賞賛したい。
それにしても、長谷部教授の解説文は、目を見張るものだ。
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国際紛争解決の手段としての戦争を禁止する不戦条約の文言を受けた日本国憲法九条一項も、同じ趣旨の条文であり、禁止の対象を武力による威嚇と武力の行使へと文言上も明確に拡大したものである。「戦力(war potential)」の保持を禁じずる二項前段も、「決闘」としての戦争を遂行する能力の保持を禁ずるものと理解するのが素直であるし・・・、「国の交戦権」を否定する二項後段も、政府が一九四五年以来、一貫して有権解釈として主張してきたような、交戦国に認められる諸権利の否定ではなく、紛争解決の手段として戦争に訴える権利(正当原因)はおよそ存在しない、という趣旨に受け取る方が筋が通るであろう。一項と二項を分断した上で「戦力」「交戦権」など個別の概念に分解して解釈する手法は、条文全体の趣旨を分かりにくくする。(長谷部恭男「解説」岩波文庫『日本国憲法[2019年]所収、171頁。)
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つまり長谷部教授は、1946年日本国憲法9条1項が1928年不戦条約と同じ趣旨のものであり、1945年国連憲章の文言にしたがった文言整理も行われている、ということをはっきり認めた上で、その延長線上で「戦力(war potential)」と「交戦権」概念を位置付けるべきことを提唱している。あえて内閣法制局の有権解釈の間違いを指摘しながら、提唱しているのである。
私は、2016年に『集団的自衛権の思想史』を出版し、2017年7月に『ほんとうの憲法』を出版した。そこで私が提示した憲法9条解釈は、次のようなものであった。9条1項で放棄されている「戦争(war as a sovereign right of the nation)」は、その文言から国際法で不戦条約以降に放棄されている「戦争」のことを指していることは、明らかである。したがってそこでは自衛権は放棄されていない。その1項の「戦争」の理解に沿って9条2項の「戦力(war potential)」を解釈すべきなのは、その文言から、明らかである。したがって9条2項は自衛権行使の手段を禁止していない。9条1項は「不戦条約」と「国連憲章」に強く影響された文言であり、そこで放棄されている「戦争」に自衛権が含まれたりしないことは、確立された国際法規から自明である。
憲法学通説は、伝統的に、私のような解釈の余地を認めてこなかった(芦部信喜『憲法学I憲法総論』[有斐閣、1992年]261頁、樋口陽一「戦争放棄」樋口陽一(編)『講座憲法学2主権と国際社会』[1994年、日本評論社]111頁、高橋和之『立憲主義と日本国憲法』[2017年、有斐閣]、53-54頁など)。
国際法にそった9条1項解釈の可能性を認めつつも、それを最後に覆すために、2項の「戦力」不保持を持ち出すという手法をとっていた。仮に1項で「自衛戦争」(憲法学者はわざと自衛権行使のことを「自衛戦争」と呼ぶが、実はそのような用語法には法的根拠がない)が留保されているとしても、2項で「戦力」が禁止されているので、結局、「自衛戦争」はできない、と憲法学者たちは論じてきたのである。
私の主張は、この憲法学通説の解釈は、逆さまだ、というものであった。1項で先に国際法に合致した「戦争」概念が登場している以上、2項の「戦争潜在力(war potential)」としての「戦力」も、1項に続いて1項と同じ「戦争」概念が用いているものとして解釈するのが正しい、というのが、私の主張である。したがって2項で不保持が宣言されている「戦力(war potential)」には、1項で禁止されていない自衛権の行使の手段は、含まれない。それが最も論理的な解釈である。2019年1月の長谷部教授が言うように、9条1項・2項を一続きのもとして体系的に理解する解釈である。
しかし長谷部教授は、自分の主張が篠田と重なるところがある、などということは、絶対に認めないだろう。
まあ、それはいい。
だが気になるのは、長谷部教授が、いつから「war potential」に言及するような解釈論を提示するようになったか、である。
長谷部教授は、まだ東大法学部教授であった2004年に出版した『憲法と平和を問い直す』で自衛隊合憲の議論を提示し、話題を呼んだ。だがそれは、ひどくふわっとした、絶対平和主義は特定の価値観の押し付けなので、「穏健な平和主義」あたりがいい、といった曖昧な主張であった。
そのとき、長谷部教授はむしろ、「日本の憲法学者は、法律学者が通常そうであるように、必ずしも、つねに剛直な法実証主義者として法文の一字一句に忠実な解釈を行うわけではない」(長谷部『憲法と平和を問い直す』142頁)、などと平気で主張していた。そのうえで憲法の「解釈運用は、最後は専門の法律家の手に委ねられる」(同上、173-174頁)べきだと平気で主張していた。つまり、長谷部教授好みの「穏健な平和主義」が正しいのは、文言解釈にはとらわれない憲法学者の解釈に憲法解釈を委ねることが、憲法学者が信じる最も正しい憲法解釈の方法だから、憲法学者の解釈に憲法解釈を委ねて憲法を運用していかなければならないからでしかなかったのである。この驚くべき憲法学者中心主義それ自体は、最近の著作でも貫かれている。http://agora-web.jp/archives/2032313.html
いずれにせよ、以前の著作において、決定的な自衛隊合憲論を主張する著作においても、長谷部教授は、「war potential」の概念を提示することなどはしていなかった。むしろ、憲法解釈は、憲法の文言に委ねるのではなく、憲法学者に委ねろ、という話しかしていなかったのである。
それ以降の著作でも同じだ。私も長谷部教授の憲法9条論はだいたい確認しているつもりである。しかし最近になるまで、長谷部教授が、「war potential」についてふれているのを見たことがなかった。長谷部教授がようやく初めて「war potential」についてふれたのは、私の『ほんとうの憲法』が出版された数か月後の2017年10月のことである。ウェブサイトにおける連載記事で、長谷部教授は、2017年10月に、次のように書いた。
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戦力ということばは、いろいろに理解できることばである。歴代の政府は、このことばを「戦争遂行能力」として理解してきた。war potential という条文の英訳(総司令部の用意した草案でも同じ)に対応する理解である。9条1項は、明示的に「戦争」と「武力の行使」を区別している。「戦争遂行能力」は「戦争」を遂行する能力であり、「武力の行使」を行う能力のすべてをおおうわけではない。そして、自衛隊に戦争を遂行する能力はない。あるのは、日本が直接に攻撃されたとき、必要最小限の範囲内でそれに対処するため、武力を行使する能力だけで、それは「戦力」ではない、というわけである。<http://www.hatorishoten-articles.com/hasebeyasuo/10>
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2017年10月になってようやく「war potential」の概念を参照するようになった長谷部教授は、しかしまだ「歴代の政府」と「総司令部」の解釈がそれだ、という突き放した言い方で、「war potential」を参照するだけであった。つまり2017年10月にようやく「war potential」について触れ始めた長谷部教授は、しかしまだその時点では2019年1月の岩波文庫の「解説」における文章のように、「war potential」を自分自身の9条2項解釈の基盤とするほどの立場はとっていなかった。長谷部教授の憲法9条理解は、変化し続けているのである。
ちなみに2017年10月の長谷部教授の言説は、問題を含んでいる。長谷部教授は、「歴代の政府」の解釈は、「総司令部」の「war potential」の理解と同じだ、と2017年10月に主張した。しかし日本政府が「war potential」という概念を参照して憲法9条2項解釈を行った記録を、私は知らない。存在していないと思う。日本政府が「war potential」を参照して「総司令部」のように国際法にそった9条解釈を施した、という経緯はない。
ところが2019年1月になると、その解釈を、長谷部教授は、自分のものともした。かえって今度は、日本政府の「戦力」「交戦権」の理解はおかしい、と言い始めた。つまり「war potential」として「戦力」を解釈しない日本政府はダメな憲法解釈をしており、したがってこの点では内閣法制局の有権解釈も否定されなければならず、「war potential」として「戦力」を解釈する自分は優れている、ということを示唆するようになった。2019年1月の長谷部教授は、「総司令部」には、ふれない。
どういうことなのか、私には、長谷部教授の態度が、全く不明瞭なものにしか見えない。
私のように日本国憲法における「戦争(war)」「戦力(war potential)」概念を、不戦条約や国連憲章によって代表される国際法規範にそって解釈する私の立場を採用するのであれば、もはや個別的自衛権だけは合憲だが、集団的自衛権は違憲だ、などという国際法に反した主張を維持するのは、著しく困難になるはずだ。だがもちろん長谷部教授が、今になって集団的自衛権の合憲性について、私と同じ立場をとるなどということは、想像できない。それはもう期待しない。しかしそれにもかかわらず、実際には、以前の長谷部教授の9条解釈では見られなかった解釈方法を、2019年1月の長谷部教授は行うようになっている。
それはどういうことなのか?全く不明瞭である。
これでは長谷部教授は、国際法と憲法の関係について、まったく一貫性のない、つまみ食い的な態度しかとっていないのではないか?という疑惑が深まっていかざるをえない。
*****ところで、この文章を読んでいる方で、長谷部教授の言説について一貫性のある体系的な説明ができる方がいたら、私にそれを教えてほしい。また、2017年7月以前に、長谷部教授が「war potential」に参照している文章があることを知っている方がいたら、やはり私にそれを教えてほしい。*****
長谷部教授は、2018年の『憲法の良識』で、次のように述べた。
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このところ、日々憲法について発言する人々の顔ぶれを見ると、その大部分は、憲法の専門家ではない人たちです。専門外の問題について憶することなく大声で発言する、その豪胆さには舌をまくしかありませんが、こうしたフェイク憲法論が世にはびこることには、副作用の心配があります。これは高血圧に効く、あれは肥満に効くといわれるリスクの中には、にせグスリもあるでしょう。……その結果として起こるおかしな事態は、最初におかしな言説をとなえた人たちだけに悪い影響をもたらすわけではありません。日本の社会全体に悪影響が及びます。(203-204頁)
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つまり長谷部教授にとっては、私、篠田英朗、という人物も、存在していないに等しいものでしかない。私の『ほんとうの憲法』という著作も、存在していないに等しいものでしかない。
したがって長谷部教授の『ほんとうの憲法』以降の言説が、『ほんとうの憲法』における議論とどういう関係にあるのか、という問いは、長谷部教授が絶対に受け入れることのない問いだ。仮に長谷部教授が「war potential」について参照し始めたのが、私の『ほんとうの憲法』の公刊後のことであったとしても、それは長谷部教授は決して参照することのない事実である。なぜなら私の『ほんとうの憲法』という著作自体が、長谷部教授にとっては、この世に存在してはならない憲法論でしかないからである。存在してはならないものなのだから、長谷部教授は決して私の著作を参照することはない。
しかし、どうだろう。仮に、長谷部教授が、私が指導している博士課程の学生だったとしたら、どうなるだろう。
指導教員である私は、長谷部教授のような博士課程の学生に、次のように言わなければならない。
「先に自分の議論に関係している議論をしている著作があったら、きちんとそれを参照しなければ、学術的には、剽窃(plagiarism)に該当してしまうんだよ。君が、そんな著作の存在は認めない、意識化していない、だから剽窃にはあたらない、と主張するとしても、それはダメだ。学位をとりたかったら、剽窃行為だと言われないように、きちんと関係している先行研究を参照しなさい。」
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「国民一人一人が主体性をもって自分の経験をもとに、筋道立てて考え、判断していくことである。」ということを私は、ソクラテスの思想を基に説明した。また、リベラルは、西洋世界で宗教改革後盛んになってきた考え方で、「ローマ法王庁」の聖書の解釈を踏襲するのではなくて、聖書の解釈の「思考の自由を認めよ。」という要求から始まった考え方である、こともルターやゲーテを例にあげて説明した。
この二つを考えた時、東京大学の憲法学の教授をなさっておられた長谷部恭男教授、つまり日本国憲法の「専門的知識もあり権威ある人」の日本国憲法に対する見解を、真実の「日本国憲法」への教養を求める一般市民の為に、国際政治学者である篠田英朗教授の書かれた「ほんとうの憲法」を読んだ人々が、どのような主体的な判断を下すのか、がとても興味深い。
彼らはとにかく「自分が正しい」という前提が「自分たちの権威を維持する」のに絶対に必要だと信じていますので、内心では(篠田先生の著書により)自分たちの間違いに気づいてきたけど、それを認めるわけにはいかないから、長谷部教授はこのような態度をとるのでしょう。
篠田さんにとっては、敵陣の本丸、というか制度化された東大法学部の憲法学講座を中心とする日本の憲法学、本欄で篠田さんが繰り返し力説する「自衛隊は憲法上の戦力(δύναμις πρὸς πόλεμον=war potential)ではなく、国際法上の軍隊(στρατιά)である」という、自明(φανερός)すぎる命題(προτατικός)に対峙できずに拒み(ἀπόφημι)続け、今回の主役長谷部恭男氏のように、集団的自衛権について、一定の前提の上でこれを実質的に一部容認する(λαμβάνειν)かのような論陣を張って、現在は必ずしもその主張が旗幟鮮明とは言いかねる人物について、良心など問うこと自体が莫迦げている。
結論から言えば、集団的自衛権行使の是非を一つの核心とする憲法九条問題というのは、所詮は仮象(φαντασία)の虚偽の(ψευδής)の命題であって、大方の並み以上の論理的思考力の持ち主であれば、既に分かり切った、何を今さら、という程度の問題だというのが私の予てからの持論で、専門の憲法学者でもない篠田さんの几帳面な解釈(ἐξηγέομαι)は、特にその思想史的意味についての究明(λύσις)はその労(πραγματεία)を多としつつ、結論は既に出ているように思う。
篠田さんが想定するように、長谷部氏はそれを金輪際認めないであろう。お調子者の水島朝穂氏のように攻撃的な議論をしかけ、篠田さんを何かと誹謗中傷したり、貶める(κολοβῦν)論陣を張る軽輩は今後も出てくる可能性はあるが、事実上の総大将格の長谷部氏のお出ましはありえまい。
格(ἀξίωμα)の違い(διαφορά)を理由(πρόφασις)に論争を拒む正当性(légitimité)があると考える彼ら、制度化された職能集団である日本の憲法学界にとって、篠田さんは「異端」(hérésie)でさえない「異教徒」(païen)でしかない。
便宜上、正統性(orthodoxie)という文言を使ったが、それは篠田さんを異端をも含むおなじ宗門=学界秩序の構成員と認める意味(ἔμφασις)ではないことは言うまでもない。
もっとも、そのようなものは見え透いた(εὐθεώπρητος)口実で、「本当の理由」(ἀληθής πρόφασις)を隠して(κρύπτω)いるとみられなくもないが、最大の動機は、論争して勝ったとしても何の実績にもならない程度に、憲法学界自体の九条論議が硬直化しているためだろう。
つまり、隠された(κρύφιος)意図(προαίρεσις)のようなものは、意外と存在しない可能性だってある。
日本の戦後を規定した(ἀναγκάζω)のが憲法九条と日米同盟であり、国連との関係も含め、集団的自衛権の問題も、戦争と戦力をめぐる問題も、そう解釈上疑義の生じる厄介な問題でないことは目に見えているが、戦後の歴史を一貫した論争的な(ἐπιστικός)主題であり続けたのは、戦後自体の欺瞞(ἀπάτη)と偽善(τὸ εἰρωνικός)を被った平和主義(護憲ナショナリズム)、即ち「正義の論理」(δίκαιος λόγος)の仮面(πρόσωπον)という名の自己欺瞞に親しみ過ぎたようだ。
つまり、自らを欺き通した(ἐξαπατάω)果てに、結局は自分に騙される(ἐξαπατηθῆτε)愚かさを演じていただけの話なのだろう。
平和の条件(ᾧν οὐκ ἄνευ)を見極めるべく、徹底して戦争(πόλεμος)を考え抜く厳しい覚悟(πίστις)も知的な誠実さ(ἀλήθεια)も欠いた精神(ψυχή)の退嬰性が、結局は日本人の精神的脆弱性(μαλακία)として、根底に横たわっている。
長谷部氏の変節や欺瞞に満ちた姿勢など、私には些事(τὸ μικλόν)にすぎないように思う。
日本国憲法の19条の「思想良心」の自由の精神から言っても、長谷部教授が、2018年の『憲法の良識』で、述べられた、
このところ、日々憲法について発言する人々の顔ぶれを見ると、その大部分は、憲法の専門家ではない人たちです。専門外の問題について憶することなく大声で発言する、その豪胆さには舌をまくしかありませんが、こうしたフェイク憲法論が世にはびこることには、副作用の心配があります。これは高血圧に効く、あれは肥満に効くといわれるリスクの中には、にせグスリもあるでしょう。……その結果として起こるおかしな事態は、最初におかしな言説をとなえた人たちだけに悪い影響をもたらすわけではありません。日本の社会全体に悪影響が及びます。(203-204頁)などという主張は、戦後の「日本国憲法」の精神、民主制に反するし、解釈も、国内の切り口、戦後丸山真男さんが始められた伝統を受け継ぐ「進歩的学者」の切り口だけでなくて、国外の切り口、「国際政治学者」の切り口があった方が、多様性も増し、ドイツ的な意味でリベラルな「学問の自由」が追求できる。
そして、両氏とも、現在は、「平和主義という孤立主義に陥っている」と主張されているが、私も同感である。私は、反氏のように、篠田さんは一種のスフィンクスのような存在だから、現在の日本人に容易には解けない謎を投げかけておられる、などと考えたことは一度もない。日本人のことを本当に考える「国際政治学者」なら、当然の主張だ、と思っている。
もともと、「国際連盟」は、「日本の護憲派」のような考えで「平和構築」の為に設立された。だから、国際連合のような「軍事力」をもっていない。それは、「国際世論」や「経済制裁」だけで平和の回復が可能と考えたからであった。けれども、日本が満州事変を起こしたことで、その考え方の変更を余儀なくされた。侵略国が、国際連盟規約やパリ不戦条約の規定を無視して、自由に軍事行動を起こすようになってしまったからである。国際連盟の無力を感じたセシル卿は、「私は、非難や訴え、あるいは国際世論の力だけで平和を維持するという希望はすべて捨てた。」と論じている。
現在の北朝鮮問題を、マスコミは米朝問題、として見るが、北朝鮮には、「国際連合の経済制裁」がかかっているのであって、このような論調を続けるのは、北朝鮮のしていることが、「国際社会」から見て、経済制裁の対象である、ということが、日本のマスコミ関係者にまるでわかっていないこと、の表れである。どうして、日本が標的になる可能性、中東のテロリストに売り渡す可能性もある、「北朝鮮による核兵器の開発を許さない、破棄させる」、と連帯している国際社会の姿勢に水をさし、米朝問題にすり替え、「被爆国として日本が主体的に取り組んでいる国際協調」路線に水をかけるのだろう。ベネズエラ問題はどうだろう?シリア難民問題の報道ぶりはどうだろう?冷静に客観的に見れば、軍事力によって、プロパガンダによって、支配しようとするロシア、プーチン政権の戦略が、国際社会の「平和構築」、「連帯」を阻害している。その政権に対して批判している、ドイツSpiegel誌とプーチン政権には無関心で、トランプ政権ばかりを批判する日本のマスコミの報道の違いに、私は驚く。
大事なことは、国際社会は変化して、米ソの冷戦時代の80年前の昭和と同じ処方箋は通用しない、ということである。「令和」の憲法記念日にあたり、「国際情勢」をよく留意し、昭和の日米の先達が日本人のことを考えて作り上げてくれた「日本国憲法」の精神を堅持して、戦前の間違えを繰り返さず、「国際協調」の精神を生かしながら、極東アジアの島国、私たちの故郷、日本の「安全保障」についてよく考えるべきだと、私は「令和の憲法記念日」にあたって思う。
(参考文献:戦後史の解放Ⅰ、歴史認識とは何か」細谷雄一 新潮選書)
京都大学の哲学科や米国の名門、スタンフォード大学大学院修士課程を卒業されていても、現行の日本国憲法は、戦後、第90回議会で、改正憲法の審議に当たり、百余日に亘って、両院の有力なる議員諸君が真剣に議論をして、修正し、成立した、という事実をご存じなく、日本国憲法は、日本国民の手を経ずに成立した、と主張される。私も、京大哲学科卒業の父の「現憲法は、日本の実情を知らないアメリカが作ったものだからおかしいんだ。」という主張をそんなものかな、と思っていた、つまり、浅田均さんと同じように考えていたが、現実は、東京大学法学部の宮澤教授のまとめられた憲法草案は、Wien大学法学部のH.Kelsen教授の草案のように国の憲法として採用されなかったが、外交官出身の国際法学者芦田均さんが委員長となってまとめられた日本国憲法修正案は、議会で成立し、GHQの承認の元、72年前の今日、施行されたのである。浅と芦の違いは大きいな、とつくづく思う。そして、その芦田均さんの解釈が、戦争とは、侵略戦争をさし、侵略戦争を自衛する為の個別、集団自衛権は、日本国憲法9条の元で、合憲である、という判断なのである。要するに、「軍備をもたない」平和ではなくて、「国際協調」による「平和」なのである。それが、憲法解釈を変えない、という本来の意味なのではないのだろうか?
コメント8に書いたことでもあるが、国際社会がどのように変わっていくかについて、無関心であるか、無理解である野党の政治家の見解を信じ、「権力者を批判さえすればいい」という安易なマスコミに流されて、あたかもそれが正しいことであるかのようなイメージ戦略で、日本の世論を誘導する姿勢は危険である。その手法が、いかに大正、昭和一桁の日本人を悲惨な状況に押しやったかを、よく考えていただきたいし、昭和の政治家が一体となって、敗戦後日本の将来について、真剣に考え、討議して、議会で日本国憲法を成立させたように、野党の政治家も、党利党略や、選挙戦略ではなくて、本当に日本の将来、「日本の安全保障」について現実をふまえてよく考えて、与党と真剣な論議をして、いい政治をしていただきたい、と心から願う。
日本では、ドイツとオーストリアは同じ国、にみえるし、文化的には、母語もドイツ語でドイツ系の人が活躍しているので、そう思われるが、歴史的には、全く異質な国である。ドイツは小国分立、プロイセンが武力でドイツ帝国を樹立させたのと違って、ハプスブルグ帝国は、結婚によって異文化圏に領土を広げていった国で、かつては、スペインからスラブ圏にわたるまで、広大な領土をもっていた大帝国なのである。その為に、言葉も違えば、文化、倫理観、哲学、道徳が違う。その結果、ドイツでは絶対と思われる「カントの哲学」、がハプスブルグ帝国では通用しない。日本国憲法9条のカントの「定言命法」的解釈、つまり、法を倫理学的に解釈する、などという解釈は、ケルゼンにとっては論外、なのである。
私は、「8月革命説」を宮澤俊義さんが主張されたのは、ウィーン大学の公法行政学教授であったケルゼンが、オーストリア共和国憲法を起草し、1920年にはこれを制定させ、自分の足跡を現在のオーストリア憲法にも遺しているのと対比して、ご自身が「松本試案」としてまとめられた「日本国憲法」草案が、GHQに否定されたことが原因だと思うし、憲法学者たちの「芦田修正」への揶揄は、宮澤教授への忖度、主導が、「憲法学者である宮澤俊義」さんではなくて、「国際法学者である芦田均」さんであったからだと思うが、どちらにしろ、これは、「革命」ではなくて、「国民の代表者である議会」で、論議された上、修正され、施行された「日本国憲法」なのであって、現実は、「国際法学者」が主導権を取って制定した「日本国憲法」なのである。
権威にまどわされないで、どうあることが、ほんとうの意味で、日本国憲法が「世界の中の日本」の「国際貢献」、「平和確立」にふさわしいものになるのか、ということを日本国民一人一人がよく考え、時代と現状にあった憲法に修正するべき時期にきている、と私は思う。
(参考:Wikipedia 他)
莫迦の一つ覚え(ὑπόληψις καὶ δόξασμα)のように繰り返し、盛んに賞讃する(ἐγκωμιάζω)、芦田均による僅か99頁の『新憲法解釋』(1946年)なる憲法公布直後の熱狂(μανία)の中で書かれた、筋違い(ἄπορος)の「詭弁」(σόφισμα)に等しい議論については、福田恆存が「芦田修正の如きは、三百代言の放言」と批判した通りで、芦田本人の別の発言(憲法調査会『憲法制定の経過にに関する小委員会報告書』=1964年、503頁)もあるし、それこそ帝国議会での【有力なる議員諸君が真剣に議論をして、修正し、成立】なる「事実」を充分に知悉(ἐπίσταμαι)するなら分かりそうなものだが、現在では相当出回っている当時の種々な(ποκίλος)史料で確認することさえ怠る、Wikipedia頼みの「詭弁」にも達しない「拙い議論」(πονηρολογία)は、弁護士の卑称(διαβολή)である「三百代言」(ὁ σοφιστική)にも劣る。
楠山義太郎氏を何かと持ち上げるのも滑稽で、知人だから大目にみるが、楠山氏程度の時局認識は ‘legend’云々も身贔屓が過ぎる。リットン調査団報告書のスクープとか、ルーズヴェルト大統領との単独インタビューも、現在まで残る日本最古の代表的な新聞社の特派員として、「看板」(ὄνομα)を利用されただけだろう。記者は「巧妙心」もあり、餌に飛びつく。宮澤俊義同様、情報戦の戦略目標だったのだろう。
京大、Stanford…元劣等学生の学歴信仰も相当深刻で、つける薬がない。
ワイマール共和国憲法は、非常に民主的な憲法であったが、一つ欠陥があった。それは、国民によって直接選挙によって選出される「大統領」の権限が強すぎたのである。その為に、高齢で政治的な判断力を失い過去の栄光によって長く大統領の座にあったヒンデンブルグが、ヒトラーを支持し、法学者、C.Schmittのバックアップの結果、ナチスが政権を取った後、1933年3月23日「政府」が無制限の立法権を授権した「全権委任法」が成立し、1934年8月2日、首相であると同時に大統領でもある「総統ヒトラー」のナチスの独裁体制ができあがるのである。つまり、「総統が命令し、国民が従う。」の独裁体制になったのである。その結果、1935年9月15日に「ニュールンベルグ法」が成立し、ユダヤ人から公民権を奪い取り、アウシュビッツの悲劇が起こる。もし、現在のように、ドイツが、議院内閣制であり、憲法裁判所があれば、「民主的な」憲法をもつワイマール憲法下あのような法律をナチスが制定することはできなかった。
このドイツの「大統領の権限が強すぎた」という解説は、たまたまきいていたNHKラジオの「まいにちドイツ語」のBerlin im st:ändigen Wandelの5月2日の放送で、ドイツの歴史に関して講師が説明しておられ、「なるほど。」と思ったが、その結果、戦後のドイツ基本法では、選挙で選ばれる大統領は、「中立的権力」に留められている。
ナチスドイツを例にあげるまでもなく、共和国制度が優れているわけではないし、吉田茂さんも主張されておられるが、「君主」のおられる「立憲君主国」のイギリスの方が、果てはナチスドイツ独裁制にいきついた「ワイマール共和国」のドイツよりも、はるかに民主的に国が運営されていた。そして、現在、これだけ日本人が「令和」フィーバーしている、ということは、「象徴天皇制」を日本国憲法で規定して、存続させた吉田茂、金森徳次郎、芦田均さんたちの政治判断が正しかったということではないのだろうか?
戦後の世論は、マスコミ進歩的知識人の影響で、現実離れした左翼系イデオロギー信仰が強いが、政府や与党を批判ばかりしてもなにも生まれない。大事なことは、わからないから、と言って「自由から逃走」して、だれかにすがったり、著名人の言を妄信するのをやめ、国民一人一人が、権威や世論に左右されず、筋道だてて、自分の頭でできるだけ客観的に、具体的に考え、問題を解決する努力をすることだと私は思う。
また、ルーズベルト大統領の単独会見の秘話も紹介していただいた。お母さまを陥落させたそうである。毎日薔薇の花を届けて、お母さまを篭絡し、お母さまの助言で、ルーズベルト大統領は楠山義太郎さんとの単独会見を承諾されたのであって、毎日新聞の威光のせいではない。記者は、現場で取材すべきだ、というのがモットーで日本での仕事を部下に任せて、戦争中も海外取材をされている。動機は、もちろん日本の為でもあっただろうが、国際社会の動きを直接取材することが、面白くって、面白くって、だそうだから、こういう国際政治のセンスのある人物が、本来政治ジャーナリストに向いているのだと私は思う。
長谷川良さんが近いと思うが、そういう本物の国際派ジャーナリストに向いている人が、日本でも多く現れないか、と私は期待している。
暴走老人に対する抑止力の確保は、日本の国益] のコメント欄に書かれている私への批判を読んでも、我々日本国民が抑止力を働かせなければならない暴走老人はどちらか、と思う。また同時に、松下幸之助さんの書かれた「学問を使いこなす力を」も思い出した。私が生まれたのは、戦争が終わってしばらくして、ということも相まって、学生時代の「時代のヒーロー」は、松下幸之助さん、本田宗一郎さん、井深大さん、田中角栄さんだった。昭和一桁生まれの母の世代も、ろくな教育を受ける環境になかった。その為、学校の勉強は、学校の先生にききなさい、の一点張りだった。そう育った私は、ゲーテの「ファウスト」の影響もあり、反氏のように「大学の机上の学問」に重きをおいていないのである。
戦後の日本を豊かな平和な社会に導いて下さった、小学校しか卒業されていない松下幸之助さんが、「人生心得帳」の中でこう記されている。「学問は大切なものである」ことは、改めていうまでもありません。けれども、学問なりそれを通じて得られる知識なりというものは、あくまでもお互いが生活していくための道具にすぎません。これを適切に使えば、非常に効果的である反面、使い方を誤れば、そこに大きな弊害が生じます。ですから私たちは、学問、知識が道具であることをよく認識して、これにとらわれることなく、正しく生かしていかなければならない。そのためには、自分がその道具を使いこなせるほどに成長しなければならないわけですが、そのへんがどうも十分ではないような気がするのです。(人生心得帳 PHP出版)より
中学校の数学の幾何の時間、三角形とは、3つの線分からなる平面図形である、という定義を習い、その後に、内角の和が180度である、などの定理を習ったが、言葉、というものは、定義をはっきりさせないと意味があいまいになる。反氏との延々と続くやり取り、私が無学である、コピペをする、誤字脱字が多い、ウィキペデイアに頼るか否か以前に、反氏とは、リベラル、クラシック、ソフィストの言葉の定義が違うから、かみあわないのである。例えば、ソフィストという言葉は、現実にプラトンからソフィストと名指しされている人物の業績はさておき、日本では詭弁家、と同じの意味で、詭弁とは、論理学では、外見、形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法(デジタル大辞泉)とあり、長谷部教授や反氏が多用される手法なのである。例えば、三権分立が確立されている法治国家の現代日本において、憲法問題は憲法学者の良識に従え、という発言。或いはwar potentialなどという言葉、普通に考えれば、戦争の潜在能力、すなわち、戦力なのであって、竹やりでも、ナイフでも、その意志があれば、戦争はできる。昔、鳩山一郎さんが使い始められたという、最小限度の軍備、などと一見納得できる言葉遣いは、詭弁、外見、形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法の典型であり、その見解を引き継ぐべきだ、などという東大系憲法学者や野党の主張は正直理解できない。軍備、軍隊をもてば、また戦争になる、というイメージ戦略をもちいて、恐怖を煽っているだけである。
そんな政治指導者と、三国同盟を結んだ、英語が堪能な、近衛文麿、松岡洋右さんなどは、なにを考えておられたのか、まるで理解できないが、そのような政治家を、時代の寵児のようにもちあげた、今も昔も変わらない日本のマスコミ関係者の国際社会や外国の政治家への無関心、無理解に、これは起因しているのだと、私は確信している。
米中関係、北朝鮮問題を含めて、極東アジア情勢が不透明なこれからの時代、アメリカが「アメリカ第一主義」のこの時代に、東大系憲法学者の主張通りにしていれば、日本は、戦争に巻き込まれないのだろうか?
現在の「リベラル」や「立憲主義」の主張も、抽象的すぎてなんのことかよくわからない、その一つであるが、なにが「ほんとう」なのか、を見極める目を、我々国民はもつべきだ、というのが、私の主張である。
反氏は、あれほど「色彩学」の理論が間違っているという理由で、「ゲーテの知性」を否定されておきながら、私の論争に勝つだけのために、K. ポパーを持ち出して、ヘーゲルやマルクスに加え、プラトンを「全体主義的な思考」のもち主とし、ソフィストの自由で開かれた思考を高く評価されているが、今まで反氏が展開されてきたあれほどのプラトン崇拝はどこにいったのだろう?
ヨーロッパ内の他の国と比較した時、古代ギリシャ文明発祥の地、「アテネ」の国力は、ペリクレスの時が最大で、現在ヨーロッパ、EU内のギリシャの国力とドイツの国力を比較した時、格差は歴然なのであって、ドイツ人はアテネの人よりも国際感覚のある「ソフィスト」を含めたギリシャ人と比べて「非政治的な国民である」などということはいえないのである。日本に関しても同じである。
過去の篠田教授がブログ(2017年9月12日)に、憲法学者とは、なぜ反米主義者のことなのかをみつけ(agora-web.jp/archives/2028302.html)たが、元はと言えば、「反英米主義」の宮澤俊義さんの意趣返しであった理論が、その伝統を受け継ごうとする憲法学者の努力によって、現在の日本の「安全保障」を脅かしているのである。
北朝鮮の現体制を存続させること、北朝鮮の現政権との南北統一、民族の和合を模索する韓国の現体制を存続するように努力することが、本当に世界平和、平和を愛する諸国民のためになるのだろうか?彼らの口車にのることが、日本の憲法学者の見識に従うことが、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位をしめることにつながるのか、よく考えるべきだと思う。世論を使って経済援助と引き換えに、北朝鮮が核兵器を手放させる気にさせることが、ほんとうの意味での平和への道だ。 また、ほんとうに、西ベルリン市民、韓国国民を守り、日本国民を含めるのかもしれないが、豊かで自由な生活をする後押しをしてくれた国は、どこの国なのか、を日本人はいい加減に気づくべきだと私は思う。
私は、「無知の知」についてなんども言及した。それは、ソクラテス的謙虚さから「民主政治」が由来しているからであって、プラトンの「哲人王」構想には、哲学者、憲法学者も人間であるから、「全知」ではない、という前提が欠けているのである。つまり、「八月革命」説の宮澤俊義さんに由来する「芦田修正」蔑視、あるいは、長谷部教授の2018年の「憲法の良識」で述べられた発言は、憲法学者の傲慢さの現れ、憲法学者の政治的野心の現れ、なのではないのか、ということなのである。つまり、彼らは、「個人の尊重」を軽蔑または冷笑した差別主義者であり、人々をひとくくりに大衆と見下して、知識階級による非民主的支配を正当化する。
この「剽窃」の嫌疑に対し、長谷部氏は何か釈明をしたのだろうか。
先日、東洋英和女学院の院長が、学院による調査の結果、その著作に複数の捏造や盗用があったとして懲戒解雇されたと報じられた。
https://this.kiji.is/499502005818213473
研究者による「盗用」ないし「剽窃」は、著作権法違反に該当しない場合でも、研究者倫理に反するものとして、上記のように所属先からの処分の対象となることがある。
もしも「剽窃」が事実であるとすれば、同様な処分も考えられるだろう。この点、長谷部氏の所属する早稲田大学は、事実関係の調査とか、行っているのだろうか。
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