龍谷大学で憲法学を教えていらっしゃる奥野恒久教授が、私の著書を論じる内容の論文を一本書かれた(「『戦後日本憲法学批判』に向き合う」『龍谷大学政策学論集』第8巻第1・2合併号)。憲法学者の方に正面から論じていただいた論考が公刊されたのは初めてなので、大変に光栄である。
「篠田の議論が憲法問題に関心を寄せる市民に参照され、影響を与えていることを重く受け止め・・・憲法学研究者として応答を試みる」(47頁)というもので、大変にありがたいものだ。篠田への批判としては、水島朝穂教授のブログがあるが、残念な内容だったので、http://agora-web.jp/archives/2029005.html 今後も奥野教授のような方が増えてくださると本当にありがたい。
もちろん奥野教授の論考の狙いは、篠田の批判である。私としては、奥野教授のご厚意に感謝しつつ、論点を拾い出す形でコメントをしてみたい。
<「抵抗の憲法学」の描写に対する批判>
私は拙著『ほんとうの憲法』の中で戦後日本憲法学を特徴づける概念として「抵抗の憲法学」という言い回しを使っている。これは私が考えたものではない。高橋和之・元東京大学法学部教授が使い、その後に石川健治・東京大学法学部教授が使っている(拙著251頁注3)。私はそれを念入りに分析しているだけだ。憲法学者が自分で使うのはOKだが、国際政治学者がそういうことを言うのはダメだ、というのは、不当だろう。
もちろん私が、高橋教授や石川教授が語っていないことを語っているのは確かだが、分析をしているだけだ。分析の過程において、「権力を制限する」ものとして立憲主義の概念を使いたがる傾向について論じている。奥野教授は、これに対して、「憲法学でも国民主権と民主主義の緊張関係は論じられている」、といった指摘をしているが、私の議論とかみあっていない。
あまりにも政府が国民の代表者であることを軽視して、一方的に政府を制限することを無条件に良しとする「抵抗の憲法学」の傾向がある、そのことについて、私は分析をしている。
私が論じているのは、たとえば、主権という概念とは別に「統治権」という実定法上の根拠のない概念を、極めて実体化したうえで、堂々と若い法律家たちに教え込もうとする憲法学者の態度に、いったいどんな法的根拠があるのか、といったことだ。「主権」とは区別された「統治権」がないと、憲法学にとって不都合だ、と感じているから、そういう法的根拠のないことを無批判的に行っているのではないか、と疑わざるを得ないのだ(サントリー財団『アステイオン』90号[2019年5月公刊予定]掲載予定の拙稿「『統治権』という妖怪の徘徊~明治憲法の制約を受け続ける日本の立憲主義~」もご参照いただきたい)。
<憲法9条解釈に対する批判>
長谷部恭男教授が、今年の1月に出た岩波文庫に寄せた「解説」文について、拙論を書いたばかりだがhttp://agora-web.jp/archives/2038336.html 、篠田の憲法9条解釈批判は、今や面白い意味を持っている。
長谷部教授は、今世紀になってから、学会通説を変えるべく、自衛隊を合憲とする内容の著作を出した人物である。その長谷部教授は、今や二正面作戦を強いられている。
一方では、自衛隊違憲論を信奉する伝統派に対抗して、自衛隊合憲論を通説化させようとし続けている。条文にとらわれない憲法学者の「良識」で進めてきたプロジェクトだ。憲法9条と国際法のつながりも、役立つところがあるのであれば、利用してもいいのだろう。
ところが、この試みはうっかりすると、足を取られる。なぜなら憲法が国際法に結びついている経緯を明かせば明かすほど、「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ」、という主張が、怪しくなってきてしまう。そこで長谷部教授は、さらにいっそう憲法学者の「良識」とやらを強調して、「自衛権は合憲だが、集団的自衛権は違憲」という立場を維持しようとする。
だが、それは本当に法律論によって支えられている議論なのか?ただ憲法学者たちの「良識」に訴えるだけで、法律論としては、学術的には、まだ全く成功が証明されていない作業のままなのではないのか?
さて、奥野教授は、そんな長谷部教授のような立場を助けることができるだろうか?奥野教授は、長谷部教授が満足するようなやり方で、篠田を否定できるだろうか?
奥野教授は、「国民」と「アメリカ」の力を借りて、篠田の憲法論を否定する。恐縮だが、よくあるタイプの議論だ。
篠田の9条解釈を見て、奥野教授は、「何ゆえ、戦勝国の意図に基づいて日本国憲法を理解しなければならないのか」(奥野論文55頁)、と訴える。「憲法9条の解釈にあたり国際協調主義を踏まえるとしても、あくまでも国民の視点で行わなければならない」(同上)と主張する。奥野教授によれば、篠田の憲法9条解釈を許すと、「アメリカの世界戦略への加入」(奥野論文56頁)になる。奥野教授は、篠田の解釈では「9条2項の意義が全く見出されていない」と断定し、「国民の視点から9条2項の意義が語られなければならない」(奥野論文57頁)と主張する。
こういった篠田の否定論が正しいとすれば、憲法の解釈にあたっては「アメリカの政策に同調する可能性がある憲法解釈は否定されなければならない」という原則が事前に確立されていなければならない。しかしそんな解釈原則は、さすがにどんな憲法学の教科書にも書かれていない。そんな解釈原則が正しいと、学術的に証明されたことは一度もない。
・・・国民主権が憲法の三大原理の一つだ。篠田は憲法「前文」に書かれている「原理」は「信託」の一つだけだ、とか憲法学通説を否定するようなことを言っているが、まあそれは無視しよう。とにかく憲法学通説では国民主権が三大原理の一つなのだから、「国民の視点」に立つということが、憲法解釈の原則だ。ところで篠田は、「国民の視点」に立っていない。だから篠田は間違っている。これに対して、憲法学者は「国民の視点」に立っている。したがって憲法学者は正しい。・・・
果たして、こういう議論は、本当に学術的な議論なのだろうか。
一方では、憲法学者は主権者「国民」も憲法には服することを認める、だから「抵抗の憲法学」を強調する篠田は間違っている、と主張する。
他方では、篠田の憲法解釈は「国民の視点」に反している、したがって「国民の視点」に寄り添っている憲法学者が正しい、と主張する。
「国民の視点」とは何なのか?どこにも説明がない。「アメリカの世界戦略」ってつまり何?どこにも説明がない。ただ、こうした不明瞭な言葉が、篠田を否定するには十分なもの、として提示される。
これは法律論なのか。初めに結論ありきで、ただあとは印象操作で言葉が並べられているだけなのではないか。奥野論文を読むと、疑問が次々と沸き起こってくる。
と、言いながら、しかし、最後に繰り返し申し上げる。私の議論をとりあげて論文を書いてくださった勇気ある憲法学者である奥野教授に対しては、心より感謝している。最後にあらためて、深く敬意を表したい。
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国会審議で展開された金森の主張は、ポツダム宣言の受諾によっても、直ちに天皇主権が崩壊して国民主権が確立するわけではなく、帝国憲法をポツダム宣言の要求する国民主権の方向に変更する「債務」を負うに止まるとする謂わば二枚舌で、吉田茂同様、まやかしに満ちたものだ。
のちに著書で述懐する詭弁、米国出自の草案を「立法府の日本人が真剣に議論をしたうえで未来の日本人の幸せを願いながら修正して、作り上げられた」も実態とは異なる。
カ氏ご贔屓の金森の時代がかった措辞、「或る時は氷よりも冷かなる態度を以て法理の徹底を計り、或る時は熔鉄よりも熱き心意気に乗って運営の将来を痛論」(『新憲法の解説』、1946年)も、謂わば空疎なはったり(ἀλαζονεία)、虚勢の類で、法律家として筋を通した美濃部や佐々木惣一とは、対極的だ。
政府作成の改正草案が枢密院に諮詢された際、枢密顧問官として審査にかかわった美濃部は、改正手続きそのものに疑義を呈し、明治体制の合理主義的な国家観、国家像を確立した志操堅固な行政法学の大家として、「草案の前文では、國民みずからが憲法を制定するようになつていて、これはまつたく虚偽である。現在第73絛の失効の結果、憲法改正の手續は未定の状態にある。したがつて、枢密院でも審議することもできない。この案は撤回して、まず、憲法改正手續法を次の議会で作るべき…このような虚偽を憲法の冒頭に掲げることは國家として恥ずべきことではないか」(「憲法制定の経過に関する小委員会報告書」444頁)と痛烈に批判した。
勅選議員として貴族院で改正審議に加わった佐々木が、採決に先立って、国家の「政治的基本性格」の変更を余儀なくするとして反対討論を行った姿とも重なる。
学者の良心とはそうしたものだ。
反氏の主張というのは、端的に言って、すべての重要な国家の問題は古典ギリシャ語、ラテン語を学んだ(哲)学者がきめればいい、という「民主主義の否定」なのである。日本が、1930年から「国家主義的軍国主義国家」になったのは、東京帝国大学憲法学教授の上杉慎吉教授の「大日本帝国憲法」の「絶対君主制」の解釈と、「統帥権」、軍隊についての権限は、天皇にあって、内閣にはない、という憲法学者の解釈上の問題に端を発している。
その体制から敗戦後、GHQと吉田茂・金森徳次郎体制の共同作業よる日本国憲法制定によって、解放された、という現実が、反氏やいわゆる憲法学者にはみえていないのである。
1936年、226事件を起こした陸軍の皇道派は、貧しい東北地方出身者が多かったから、餓死者の存在、女性の身売りなど状況を憂い、有力な政治家や財界人を倒せば、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が終息すると考えて、クーデター、テロを起こしたのである。
これも、その当時のマスコミ報道の影響で、日本国民は、その頃の「国際協調」の政治を、「軟弱外交」、さまざまなスキャンダル報道の影響で、政財界は腐敗している、と考えたのである。その結果、軍部が政治の主導権を握り、力による政治を志向し、戦争に突入していくのである。
そしてその反省として、日本国憲法前文に、
いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする責務であると信ずる。という文言がきているのであるが、いわゆる憲法学者の方々、反氏には、この言葉の意味するところがわかっておられるのか、という疑問をもつ。
なかなかお目にかかれないヘマ(ἁμάρτημα)にあっけにとられたが、後者については綺麗に「口を拭って」(ἐάω)、「曙」(φᾶνή)に逆上せ上がって、怒りに我を忘れた(ἀσχολεῖσθαι)ように、「反論らしきもの」(ψευδομαρτυρία)を忽卒に(αὐτίκα)でっち上げて盲目的に応酬するしか能がないようだ。だから頻繁に間違う(ἁμαρτάνω)のも道理だ。自分で墓穴を掘っておいて、自ら認識し得ない(ἀγνοωσία)莫迦さ加減は、西独留学帰りの驕慢な(ὕβριστος)元劣等学生ならではだ。要するに、分を弁えない(πλέον ἔχειν)「夜郎自大」の田舎者(ἄγροικος)ということだ。
もっとも、日本の労働年齢人口(15~64 歳)の10%が「ひきこもり」、しかも、そのすべてがあたかも「精神疾患」と誤認させるような主張で、それが国家財政を悪化させるかのような途方もない(ὑπερβολή)、無知ゆえの素人論議をしていたくらいだから、まさに度肝抜かれる(συμφοβέω)杜撰さは折り紙付きであることは言うまでもない。
14もまずは、反論する当の相手の言説の安易なコピペで始まる。他者の論点を正確に(ἀκριβῶς)分析して(ἀνάλύειν)自らの文章で表現することがよほど、面倒くさい(ἄπορος)のだろう。
見栄っ張り(χαῦνος)で暇をもて余し(διατρίβω)、「投稿すること自体が目的」だからそうなる。
☆過ちを犯しても、それをどうしても認めたがらない人間が、繰り返し過ちを犯す。(ラ・ロシュフコー『箴言』386)
ユダヤ人大量殺戮の象徴(σύμβολον)であるアウシュヴィッツが「矮小化する対象」とは恐れ入る。「ドイツ狂」とは、如何なる人種(γένος)か、語る(εἰπεῖν)に落ちる(πίπτω⇒διαψεύδειν)の典型で、それで世界平和とか国際協調とか、戦後のドイツ同様、臆面もなく(θαρραλέος)、西欧流ヒューマニズムの仮面(πρόσωπον)を隠れ蓑に、美辞麗句を並べている(καλλιεπέω)のだから、もはや戯画というしかない。
率直に言う(παρρησιάζομαι)と、狂信的な反共産主義、反メディア論者の半端者(ὀ ἥμιγενής)の老デマゴーグ(δημαγωγὸς)カ氏に、つける薬はない。
14⇒【反氏の主張…すべての重要な国家の問題は古典ギリシャ語、ラテン語を学んだ(哲)学者がきめればいい、という「民主主義の否定」】というのも、頭に蜘蛛の巣が張った老媼の言いがかりに等しい難癖(συκοφαντεῖν)で、カ氏が原文では一行も読めないプラトンやアリストテレスの著作と違って(カ氏は齢70近くになってようやく知ったように、ソクラテスには一冊の著作もない)、日本国憲法はギリシア語の「聖典」(カノーン=κανών)ではないので、古代のギリシア語やラテン語の知識が特に優越的な(ὑπερέχειν)道具となるとも思えないし、そう主張(ἀπόφανσις)した覚え(μνήμη)もない。
「民主主義の否定」云々の話は、ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、所謂‘democracy’、「民衆政」(δημοκρατία)を原理的に否定する(ἀρνεῖσθαι)から、ありのままに紹介した。
ソクラテスを楯(ἀσπίς)に民主制を擁護するのは非常識で、ついでに言えば、田中美知太郎も民主制への懐疑を隠さない。「古典ギリシャ語」と弁えもなしに書くが、それは古典期のギリシア語の謂いで、ギリシア語がヘレニズム世界の共通語(Κοινή=コイネー。国際語となった当時の通用語であり、新約聖書のギリシア語)になった時代を含めて古代のギリシア語であって、「共通の」(κοινός,)を意味する形容詞の女性形だ。
特にアッティカ方言やイオニア方言等、ギリシア本土の方言を指すのでなければ、「古典ギリシャ語」などと、無知な素人が無闇に使用するものではない。共通語=コイネーにしても、コイネーという特殊なギリシア語があるわけではなく、それがヘレニズム、古代ローマ期の共通語となった同時代のギリシア語だった、ということだ。
ただ、古典期に比べ文法構造は簡素になり、双(両)数(dual)がほぼ消滅し、希求法(optative)が特定の場合を除いて使われなくなっただけで、正真正銘のギリシア語であることに変わりはない。
閑話休題。カ氏のように「無学」も度を越すと、一々指摘しなくてはならない箇所が山ほど出てきて厄介で面倒(ἄπορος)だ。少しは自らの怠け癖を「悔い改め」(ματαμέλει)たらよい。
それは、キリスト教も例外ではない「倨傲」(χαυνότης)の罪(ἁδίκημα)で、『ロマ書』(『ローマ人の信徒への手紙』)にも、「高ぶりたる思いを抱くな、却って懼れよ」=‘μὴ ὑψηλὰ φρόνει, ἀλλὰ φοβοῦ.’(Προς Ρωμαιους, XI, 20)とあるではないか。
まず、吉田茂、吉田内閣の憲法問題専任国務相の金森德次郎、衆議院憲法改正案特別委員会の特別委員会小委員会(芦田小委員会=秘密会。修正案作成のため芦田以下の十四人で構成)の小委員長芦田均、「八月革命説」の宮澤俊義について、いずれも、天皇制を維持して「国體」(πολιτεία)護持の実質を何とか実現しようと腐心している。「米国製」の改正草案への思い入れなど、微塵もない。
改正過程の全容解明には今なお不明箇所や障碍はあるが、現在までに公開された各種の文書から、それは明瞭だ。数多く残された関係文書がそれを示している。無学ゆえに、カ氏が何も知らないだけだ。啓蒙書の記述を軽率にも鵜呑みにして、無思慮な思い違いをしているにすぎない。無学は気楽でいい。いつまでも、迷蒙の「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)に浸っていればよい。
改正案を審議中の1946年7月17日のケーディスGHQ民政局次長との面会で金森は、天皇制の維持と民主的な政治体制の実現を求めた「ポツダム宣言」との関係、所謂「国體」の継続如何の問題を、専門家らしく「技術的問題」として自らの「國體」観を説明するが、国会答弁と比べると二枚舌の典型で、吉田の意図を酌んだものだろう。
その内容を要約すると、①根本的政治的機構という意味における國體は新憲法に於て全く異なつたものになつてゐる②現行憲法に於て國民意思は天皇により具體的に表現されるが新憲法に於ては然らず③天皇は新憲法に於ては象徴たるに止まり國家意思を代表せず④現行憲法では天皇は何事も爲し得るが新憲法に於ては規定された事項以外は何事も爲し得ない⑤現行憲法に於る天皇の地位は天皇の意思又は皇室の世襲的意思に基くが新憲法に於ては天皇の地位は全く國民主權に由來する――ということで、金森の二枚舌は明白だ。
日本側の自主性、所謂「主体性」(δεσπότης)については、幻想(φάνταμα)であろう。その代償(ἀμοιβή)として、学界から「八月革命説」が要請(αἰτεησις)される背景になる。東大法学部の憲法学講座が新憲法解釈の主導権を握るため、それを利用した側面は、その後の憲法論議の動向を辿ると大いに蓋然性(ἔνδοξος)がある。
それが、米国という憲法改正案を強要する(ἀναγκάζω)絶対的な権力に対する抵抗(τὸ ἀντιτυπές)か否かとなると、法解釈における手法の問題(大陸法と英米法の解釈の伝統の違い)、学説の構築における法理学的選択の問題も重なり、政治色も帯びてきて純粋に学術的な領域を超える論題となるが、「反米主義」への「楯にする」(προβάλλω)意図の萌芽がみえなくもない。
日米同盟と9条は不可分な関係にあるだけに、結局は国際政治状況とも照応し、政府自体にさえ、再軍備を含めて一貫した憲法思想、安全保障政策があったわけではないので、結局は、戦後のイデオロギー対立が、憲法問題、特に改正をめぐる無益な(ἄχρηστον)解釈論争に費やされ、「9条」の現実は、膨大な政治的エネルギーを要することもあって、結局は一歩も動かなかった、ということだろう。
吉田茂は強烈な天皇主義者であると同時に、徹底した実利主義者で、憲法解釈については、ご都合主義の側面も否めない。天皇制維持と早期の独立回復が最優先課題だった。
外交的選択が前面に出ざるを得なかった戦後初期の国家リーダーとしてははまり役だったのだろう。[完]
天皇制を維持することは、民主主義国家を作り上げる上でなんの問題もない。「立憲君主制」というのは、民主政体の一形式なのであって、イギリスが民主制の国でない、という人はいない。北欧の国やオランダにも王室は存在して、同時に民主制の国なのである。戦前の日本の失敗は、憲法学者上杉慎吉に引きずられて、大日本帝国憲法は、「立憲君主制」、で作られていたものを、「絶対君主制」に解釈したことなのであって、戦後の日本国憲法9条の憲法学者によるカントの「定言命法」的解釈にも、似たようなものを感じるが、大日本帝国憲法を、「立憲君主制」で解釈した美濃部達吉が、「大日本帝国憲法」を改正する必要がない、と主張したのは、もっともなことなのである。
また、現実的に考えた時、天皇制が維持されたから、昭和天皇とマッカーサー元帥が握手されたことで、天皇を敬愛する民衆から構成される敗戦後の日本の政権運営が順調に進行したのであって、昭和天皇が無条件降伏の決断以降、日本国民、日本国のためになされた功績は、偉大だと私は思う。
(参考: 新憲法解釈 芦田均)
無知(δι’ ἄγνοιαν)かつ、無学ゆえの(δι’ ἀπαιδευσίαν)、狂人(ὁ μαίνομαι)の戯言の類に等しい(ἰσότης)妄説(ἀλλοδοξία)⇒‘Karoline Doctrine’を、言い逃れ(ἀπολογία)、頬被り(ἐάω)、論点ずらし(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν)の詐術的議論(παραλογίζεσθαι)、居直り(τὸν κρείττω ποιεῖν)、弱論強弁(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)、剽窃(κλοπή=盗用)と、何でもありの狂信的な(μανικός)態度で公言して(ἀγορεύω)憚る(αἰσχύνω)様子のない臆面のなさ(θαρραλέος)は、一種の奇観だ。
メディアや所謂左翼陣営、篠田さんの批判対象である憲法学者、知識人(ἐπιστήμων)、専門家(τεχνίτης)への怨嗟の「悲憤慷慨」(ὀργή καί θυμός)など、カ氏の共鳴する(συμφνέω)党派(συνωμοσία)とは異なる陣営への手段(ὄργανα)を選ばぬ攻撃性(ἐπιχείρημα)と論証の素材(ὕλη)選択における悪辣さ(πονηρία)は比類がない。
☆才知よりは気質に、より多くの欠陥がある。(ラ・ロシュフコー『箴言』290)
カ氏が盛んに賞讃する(ἐγκωμιάζω)芦田均による僅か99頁の『新憲法解釋』(ダイヤモンド社、1946年)について、福田恆存が「芦田修正の如きは、三百代言の放言にすぎぬ」と批判したように、その議論は詭弁(σόφισμα)の典型だ。
福田は『中央公論』1981年3月号に載った「問ひ質したき事ども」でも、元防衛大学校長、猪木正道が別の論考で9条について「私はかねがね京都大學名譽敎授故佐々木惣一先生の解釋に從つて、憲法第九絛は自衞戰争を放棄したわけではなく、自衞のための陸海空軍その他の戰力保持を禁止したものではないと主張してきた」(『文化會議』1981年2月号)としたのを批判した。芦田も猪木も、一種の「法匪」の趣がある。
篠田さんの9条解釈の利点の一つに、この「芦田修正」を全く必要としない論理を構築したことが挙げられる。篠田さんは前回の「「長谷部恭男教授は、いつから『War Potential』を語り始めたのか」で、「憲法学者はわざと自衛権行使のことを『自衛戦争』と呼ぶが、実はそのような用語法には法的根拠がない」と補足している趣旨は、芦田についても当てはまる。
自覚されざる(ἄγνωστος)「事大主義的心性」のカ氏は、芦田は国際法学者と、盛んに賞讃するが、東京帝国大学に提出され1924年に法学博士号を授与された論文の表題は「國際法及國際政治ヨリ見タル黑海竝君府海峽ノ地位」(『君府海峡通航制度史論』として公刊)で、トルコ在任中の研究成果をまとめたものだ。
わずか7カ月余、224日の短命に終わった内閣を率いたこの文人宰相の弱点として、同じ外務省出身で5期先輩(9歳年長)の吉田茂はもとより、15歳年長の幣原喜重郎と比べて「理想家肌」だったとか、GHQ内部の権力闘争(GS[民生局]とG2[参謀第二部]の暗闘)に巻き込まれ、総辞職後に、結局は無罪になったものの昭和電工疑獄で収賄罪で逮捕されるなど、何かと「不運の」という形容詞がつきまとうが、実態はGHQに盲従する「イエスマン内閣」と、当時も評価は低かった。
衆院憲法改正特別委員長として憲法改正審議に芦田が果たした役割は、必ずしも過小評価されるべきではないが、外務省先輩の吉田より自分の方が政治家としては先輩格だと対抗意識を剥き出しにしたり、盟友の鳩山一郎や幣原との関係など、政治家としての懐の深さに疑問符がつく直情径行ぶり、幣原内閣の憲法担当国務相松本烝治がGHQ草案を「押しつけた憲法」と反撥したのに対して、「舊來の欽定憲法と雖、滿洲事變以來、常に蹂躙されて來た。欽定憲法なるが故に守られることは誤り」(『芦田均日記』、1946年2月22日)として、受諾を促すなど、弱腰も目立つ。
芦田の政治姿勢が吉田に比べてよりリベラルで、吉田の官僚色の強さにも反感を抱いていた事情は理解できるが、自由党脱党後に結成した日本民主党でも、幣原派と芦田派の対立から内紛状態となったように、GHQ、特に民生局頼みの政治手法には限界があり、保革連合政権の芦田内閣は常に不安定で、結局短命に終わった。
芦田も改正審議中にケーディスと会談している。9条一項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」を挿入し、二項に「前項の目的を達するために」を加えることで、自衛権確保の道を残そうと動いたとの説明だが、ケーディスは芦田の意図を見透かし、自らの責任で了解したとされる(しかし、当初案削除後の条文に自衛権を明記した訳ではない)ことからも、芦田修正の過大視は禁物で、所詮は「盲腸」程度の、解釈の付属物(τὸ συμβεβηκός)にすぎない。
ところで、世に所謂「下司」(ἀνελευθερία)の勘繰り(λογισμός)というものがある。憲法に限らず、過不足(ὑπεροχὴ καὶ ἔλλειψις)のない、厳密(ἀκριβῶς)で精確な(ἀκρίβγβεια)解釈(ἐξηγέομαι)を期するうえで大切な問題(πρόβλημα)、論点(τόπος)なので、ここで考えてみたい。
その前提(πρότασις)として精確な事実認識、法律(νόμος)の場合なら過不足のない条文や判例の解釈が求められるわけだが、それは言うに易く行うに誠に困難な(ἄπορος)問題であって、歴史認識に似ている。
歴史(ἰστορίαι=ギリシア語の原義は「探究」)は、その半分(ἥμισυς)が後世から行う過去(ἦν)の記憶(μνήμη)と想起(ἀνάμνησις)を媒介とした、特定の目的(τέλος)からする叙述(διήγησις)による再現(μίμησις)にすぎないからだ。
憲法解釈も制定過程、つまり日本国憲法の出自(γένος καὶ γενεαλογία)が米国製という意味で、有無を言わさぬ「押し付け(βιάζομαι)憲法」であるか否かの問題を、その誕生(γέννησις)=出発点(ἀρχὴ)とともに背負っている。
さらに9条が典型例(παράδειγμα)である厄介な(πονηρός)問題は、それが集団的自衛権問題と不可分な(ἀμερής)日米同盟と、現実の政治上、一体(τὸ ἕν)となっていることだ。一方で、自衛隊もその一種である戦闘(ἀμφισβητεῖν)のための潜勢力(δύναμις)=軍事力(δύναμις πρὸς πόλεμον)を「戦力」(war potential)ではないと無条件に(ἁπλῶς)否定(ἀπόφασις)しておきながら、他方で世界最強の軍事力を有する米国に防衛義務を委ねるという欺瞞(ἀπάτη)は、如何にその武力(δύναμις)が侵略目的ではなく、「自衛」(φυλακή)の措置、代替的手段(ὄργανα)であって、永遠に(ἀίδιότος)放棄した戦争、交戦権を容認する(λαμβάνειν)ものではなく、同盟とも両立すると言い繕う(τεχνάζω)とも、前文に明らかに謳われたように、国連憲章が前提とする集団安全保障も含めて、一切の武力行使(1928年のパリ不戦条約が禁じた「戦争」ではないことは自明だが)を日本に限って禁じるとの含意が、帝国議会での改正過程で一貫して主張していたのが政府見解であり、その非常識さは当時の国際社会でも夙に指摘された事実である。
その意味で、芦田修正は虚妄(φάντασμα)に類する。[完]
私は、別にドイツを手放しで賛美するつもりもないが、「野蛮な民族性の国」、「非政治的な民族の国」と断定されれば、50年近くドイツ語を勉強し、ドイツやヨーロッパの歴史を勉強し、ドイツ文化を愛している私は、真理愛から、反論せざるを得なくなる。それは、真理でないだけではなくて、日独友好を乱すからである。また、韓国人に「日本人は野蛮な民族である。」と主張されれば、反論する。私は、日本のマスコミ知識人のように、「日韓併合」をしたから、日本人が野蛮な民族だ、日本人は韓国人を性奴隷にした、韓国人を徴用工として、虐待した、などという韓国人の主張を、日韓友好のために、受容したりはしない。そういう態度こそが、真理愛など欠片もない、というのではないのだろうか?
芦田均さんについてであるが、そういう思想をもつ私は、社会に出て、外交官として活躍されながら、余技として国際法学者の学位を取られた芦田均さんの主張を信頼するのである。「芦田修正の如きは、三百代言の放言にすぎぬ」という批判も、人格攻撃であるが、そう批判した福田恆存は、ウィキペデイアによると、「論争の手品師」と言われたそうである。
大事なのは、真理愛なのであって、論争の勝敗ではない。
私は、進学高校にいたから、がり勉の人が、東大や京大に進学するなどという説は妄説である、ということも知っている。世の中には頭のいい、生まれつき知的能力の高い人がいるのであって、ゲーテもその一人である。子供時代、ゲーテの詩能指数は200である、ということをきいて、どんな人だろう、と思ったが、大人になって、その業績を知り、なるほど、と納得したが、彼も、教育熱心な父親の影響で、少年時代、勉学に励んだのであって、決して、怠け者などではない。そのゲーテも、法学部を卒業しながら、政治家としては自分が向いていないことを知り、後半生は、文学者として活躍し、偉大な功績を築いたのであって、知的に優れている、学問の業績があるということが、優れた政治家であることを意味しないのである。
十人十色である。
私は、「満州事変」は、「侵略戦争」である、という定義が確立されていると思っていたので、そう考えない専門家がおられることにびっくりしたが、この用語の使用法は、憲法を改正したくない憲法学者たちの、言葉のレトリック、イメージ戦略だと思う。「自衛戦争」という言葉を使うことによって、その言葉のイメージのしみこんでいる「日本国民」に、「自衛権を行使する」と、また、「自衛戦争」という戦争になる、という不安を呼び起こし、国際常識からみれば、あたりまえの「自衛権行使」が、日本では、「戦争を引き起こす危険なもの」というイメージを作り上げられている、一種の策略、一種の論争の手品、なのではないのだろうか?
このようなことをいろいろ考えると、政治部記者を筆頭として、専門家であるはずの日本のマスコミ界で生計をたてる人々が、いわゆる憲法学者たちが、ほんとうに政治的なのか、国際政治の潮流をご存じなのか、という疑問を私は感じる。
知能指数、とタイプするつもりで、詩能指数、にしてしまいました。ゲーテの詩も、もちろん、非常に優れていて、知能指数に換算すると、200だとは、思いますが、詩能指数にすると、まったく文意が通らないので、おわびし、訂正します。
「無学な人」であるカ氏はしばしば、神だとか仏だとか、信徒でもないのに抹香臭いことを宣っている。私が「人間の大部分は所詮、蛋白質の塊である特殊な機械にすぎない」と書いたら、その不信心ぶり、要するに「神を敬う心」(θεοσέβεια)の欠如=不敬(ἀνόσιος)を早速咎め立てされた。
しかし、今日の確立した(βέβαισος)科学的知見(ἐπιστήμη)によれば、人間(ἄνθρωπος)が蛋白質の構成要素(στοιχεῖα)であるアミノ酸、即ち水と炭素、厳密には水素と酸素と炭素の結合(σύνολος)からなる(συνίστημι)のは明らかな事実(ὅτι)であって、無神論者とかマルクス主義者(「唯物論者」と思いつかないないのがカ氏の「無学」の無学たる所以)と非難(ὀνειδίζειν)されても仕方がない。
それが真に非難されるべき(ἐπονείδιστος)行為(ἔργον)か否か、中世の異端審問でもあるまいし、別に誰にも「危害を及ぼす」(κακὸν ἐργάζόμαι τινα)振る舞いをしていない以上、見当外れだ。
カ氏の他愛無い(ῥᾳθυμία)愚劣なおしゃべり(λήρησις)と言えば、30⇒【ゲーテの詩能指数は200】があるが、どうせ訂正するなら「知能指数」ではなく、艶福家として痴情(ἀφροδίσια)の限りを尽くした文士に相応しく、「痴能指数」とすべきだろう。
30②⇒【国際法学の博士号】も誤りで、単に「法学」。無知は底なしだ。
それにしても「200」とは、ゲーテ狂の法螺話(ἀλαζονεία)にも困ったものだ。
何んとかにつける薬はないというが、カ氏は自認する通り、ドイツ教(狂)・ヴァイツゼッカー宗の巫女(προφῆτις)らしく、信仰告白めいた御託宣(μαντεία)を常に撒き散らして愧じないから、29⇒【私なりの説…体験や知識を論理的に総合した結果】のような厚かましい(ἀναισχυντος)御託を並べているものの、そこに学問的な(φιλοσοφώτερον)根拠など、何一つない(οὐδέν).。
そもそも、28⇒【反氏の私への攻撃は、一方的な感覚的主観…水島朝穂教授の篠田英朗教授への攻撃に似ている…人格攻撃】というが、臆面もなく(θαρραλέος)自分を篠田さんに比定する神経も含め、愚にもつかない。
私がカ氏の「クズ投稿」を処理し(διαλύω)、批判する(επιτιμᾶν)手法は「帰謬法」(ἡ εἰς τὸ ἀδύνατον ἀπόδειξις)で、カ氏の立論の不可能(τὸ ἀδύνατον)な所以(τὸ διότι)を、カ氏の論法(λόγος)と材料(ὕλη)を使って、つまり逆手に取って、カ氏の言う通りなら論理的に(λογικός)別の(ἀλλοῖος)異なる(διαφέρειν)帰結(ἑπόμενον)になる道理を、厳密な(ἀκριβῶς)、首尾一貫した推論(συλλογισμός)によって自ずと(αὐτόματος)示す(δεῖξις)=証明する(συμβιβάζειν)もので、一切の言い逃れを許さない。
相手の有効(περαντικόν)な反撃(ἐπιχείρησμα)、つまり防衛(φυλακή)さえ原理的に不可能なわけだ。カ氏が不当に(ἀδίκως)非難する(ὀνειδίζειν)【感覚的主観に基づく】ものなどではなく、将に論理が指し示す客観的(καθόλου)なものだからだ。
知らぬ(ἄγνοέω)はカ氏ばかりなりという喜劇(κωμῳδία)こそ、茶番の真骨頂なのだろう。
その過程で、ケンブリッジの、特に私的なサークル「使徒団」(Apostles)にみられる、20世紀初頭まで世界を支配する覇権的地位にあった大英帝国を支えたエリート層の共通の心性、つまり、所謂イングランドの高等知識層(high ‘Intelligenzija’)の特権意識と優越思想を突きつけられたようで、聊か鼻白む思いを抱きつつ、次第に同意せざるを得なかった。
私は古代哲学、即ちギリシア哲学の学徒だったから、オックスフォードを中心とする手堅い古典研究の伝統、特にロス(W. D. Ross)を中心とするOxford Aristotelian Societyを拠点にした古典学者たちの、質実で洗練された註釈や研究手法の蓄積に古典研究の正統(ὀρθός)をみて、哲学偏重のドイツにはない古き良き伝統に親炙した。
その一方で、博識で徹底した制度化された専門知(ἐπιστήμη)を誇り、英国とともに古典研究の双璧だったドイツの古典古代学(die Altertumswissenschaft)研究が、微に入り細に入る、それ自体は確かに賞讃(ἐγκωμιάζω)されるべき態度ながら、聊か誇張された専門研究の迷妄に陥っている印象を強くした。
健全(ὑγίεινός)で、ある意味素っ気なくさえある、所謂、英国的「散文的健全性」(‘prosaic soundness’)という意味での「経験主義」(カ氏の主張する「当たって砕けろ式」の、愚にもつかない体験重視の素朴な直接経験[περιπτωσις]に基づく「実感信仰派」[ἐμπειρικός]とは異なる)と、何ごとにも極端を嫌う平衡感覚(συμμετρία)をみて、英国の古典学を重要視した。
装丁も実にしっかりしていて、ドイツに比べて一日の長があるのを、出版後200年以上経過した18世紀以前の古版本は除いて、この数十年から百数十年、つまり1800年代以降に出版された書物をみて、実感した。
ドイツ書は特漉き用紙を使った比較的少部数のものを除き、紙面を白くするために原材料の木材パルプを処理する過程で使う薬剤の加減が拙劣で、長期にわたる繙読を想定していない杜撰な品質管理であり、時間の経過とともに用紙が参加して劣化しやすく、革装丁の素材も劣悪なものが多いので、がっかりさせられたことが少なくない。
英国の知識層のこの点での審美眼と鑑識眼は優れていて、徹底性を誇る割には如何にも「こけおどし」のドイツ流に、英国との国力の違いを感じたものだ。第一次大戦後のヴァマール期初期は特にひどい。
19世紀以来のドイツの特権的エリート層の「非政治性」、マンダリン的「文化的保守主義」における政治への蔑視傾向は古くから周知の事実で、「50年近くドイツ語を勉強」した割にはカ氏が何も知らず、最初は驚愕したが、そうした指摘が、29⇒【日独友好を乱す】とも思えない。
カ氏のような狂信的な‘ethnocentrism’)や‘chauvinism’は、ドイツの無学で偏狭な民衆の表徴(σημεῖον)で、すべてドイツの歴史と経験をご都合主義的に解釈して、直情径行的に戦前の日本や韓国、北朝鮮、日本の憲法問題に直結させる、デマゴーグさながらの暴論は、醜悪でさえある。
「無知の知」を振り回して、いずれも便宜上無知と訳されるが、ソクラテスが使い分けた無知(ἀμαθία)不知(ἄγνοια)の区別に無頓着な無学の惨状に、目も当てられない。
反氏の主張は、ほんとうに、反氏が「無学」である、と形容する私のコメントと相違して、正解なのだろうか?。私は、英国で学問をしたことはないので、英独の違いを、具体的には言えないが、英国の学問の仕方は、経験主義であり、ドイツの学問の仕方は、観念主義、である、ということがいわれているように思う。関西学院大学は、アングロサクソンが創設した大学で、Mastery for Serviceの精神の模範として、イギリスの公務員がでてくるし、英文学の水準は高い。だからこそ、その真実がきちっと押さえられているのだと思うし、ドイツ人の文豪ゲーテが、体験主義の大事さをドイツの高等知識層に説いたのだと思う。「哲学」は、対象が絵画、音楽のように、具体的にある「芸術学」と違って、その本質が言葉による「観念主義」になる傾向が高いから、ドイツで盛んであったともいえるが、ゲーテは、「哲学は、常識を難しい言葉で表現しているに過ぎない。」と批判したのである。反氏の文章を読んで、読者もそう感じられておられるのではないのだろうか?
私は、マルタ共和国に行って、あのような岩だらけの島でも、ナポレオンは武力制圧したのだから、日本が自衛手段をもたなければ、米国軍の抑止力をもたなければ、北朝鮮やロシアに武力制圧されてしまう、と確信している。だから一層、文在寅さんが、なにを考えておられるのかわからないのである。「観念」の世界に生きておられるから、ああなるのではないのだろうか?
哲学の紙の質についての問題であるが、英国と比べて、ドイツの第一次大戦後のヴァマール期初期は特にひどい、のは、ドイツが、植民地を取り上げられた上に、英仏に賠償金を支払わなければならない為に、経済的に困窮していたせいである。このベルサイユ条約は、革命後の「社会民主主義政権」が結んだもので、当時、社会民主主義政権には、マルクスのシンパのユダヤ系ドイツ人が多かったのである。そして、ヒトラーは、「ベルサイユ条約」を批判し、ドイツが経済的に苦境にたったのは、売国奴のユダヤ人である、主張して、支持を広げていくのである。
それを、ご都合主義であるとか、田舎者の見解であるとか、無学である、などと批判することはその人個人の自由であるが、そう批判したドイツ人の見解が、いくら学識があったところで、有名大学の教授であったところで、「個人の見解」にはなっても、ドイツの「国の正式見解」にはならないのである。日本の70周年の安倍談話も同じである。批判は自由である。けれども、これも民主主義で選ばれた日本の国の政治のリーダーの日本の国の戦前の歴史についての公式見解である。公式見解だからこそ、中国政府も、韓国政府もそれについての国としての公式見解を出すのである。
そうした人間ほど、熟知(ἐπισταμαι)しない観念用語をむやみに使いたがる。カントの定言命法(kategorischer Imperativ)などその典型で、ドイツ帰りで、「50年近くドイツ語を勉強」と胸を張る割には、ドイツ語の綴りさえ間違える驕慢な(ὕβριστής)懲りない(ἀκολᾶτος)婆さん(γραῦς)は、カントの超越論哲学など、実質的な議論は何ひとつ(οὐδέν)理解できないくせに、ただ、篠田さんの肩車に乗って「カントの定言命法は…」のような決まり文句を反復(παλιλλογία)して、醜態を自ら露呈する(ἀποφαίνω)するのみだ。
後は都合のいい記事や書き込みをネット上から探し出してきて、その真偽(ἀληθής καὶ ψεῦδος)や根拠(διὰ τι)の有無など、充分に再確認する(ἀναγνώρισις)のを怠り(ἀμελέω)、勝手気ままな妄言をもって回って、愧じる様子もない。
例えば、ヘーゲルの「ミネルヴァの梟」(‘die Eule der Minerva’) という、一廉の読書人なら周知の章句(‘die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug’)を含むヘーゲルの主著の一つ『法哲学要綱』(‘‘Grundlinien der Philosophie des Rechts, oder Naturrecht und Staatswissenschaft im Grundrisse’’, 1821)からの引用のように、カ氏にも読めるドイツ語で書かれた文章についてさえ、容易に参照できるズーアカンプ版全集(グロックナーの版の再編集)のテキストに当たらず、不勉強な劣等学生と同じく、別の個所(ネット上で、‘die Eule der Minerva’と検索したのだろう)を参照、二流の研究者の見解を、それと明示する(συμβιβάζειν)ことなく忍び込ませてお茶を濁す(τεχνάζω)。
事実上の(ἔργῳ)剽窃(κλοπή=盗用)だ。
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「非政治的人間」(‘Unpolitischen’)ということのドイツにおける特有の含意(ἔμφασις)を、「無知ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν)理解できず、論点は引用したテクストの正当性、異本(variant)の有無にもかかわらず、それを頬被りして、やれマンは「反民主主義的」云々と非を鳴らす(ὀνειδίζειν)形で、つまり反論に窮し(ἄπορος)、筋違いの(ἄπορος)冗語を並べてごまかす。紋切り型の硬直した(ακληρός)言辞は、偏狭(ακληρός)そのもので、啓蒙書程度で詰め込んだ「雑識」(δόξα)を繰り返すことしかできない。
要するに、他人の頭で考えたことを、党派(συνωμοσία)の論理、謂わばカ氏が激しく批判するイデオロギーで糾弾(ἐπιτίμησις)する、それこそ「観念遊戯」で論じて疑う気配もない軽率さ(ῥᾳθυμία)に呆れる。単純(ἁπλοῦς)でお目出度い(εὐήθεια)粗忽者の一語に尽きる。ナイーヴ(ἁπλοῦς)この上ない。
39⇒【哲学の紙の質についての問題…】ときた。別に「哲学」に限らず学術書、専門書の紙質のことを、具体的には古典学、プラトンやアリストテレス、ホメーロスやギリシア悲喜劇、ヘロドトスやトゥーキュディデースの歴史書に関するテキストや註釈書、研究書のことを指すが、ギリシア語やラテン語が読めないカ氏には縁のない話だろう。
紙質が粗悪なドイツ本は、時間の経過とともに、その劣悪さ(κακίας)が露呈することを論じたもので、それが驚嘆すべき(θαυμάσις)、博識(πολυμαθία)で、大がかりな著作を次々に輩出する点では他に敵うものはないドイツの偽らざる一面で、それとは対蹠的なのが英国の着実な古典学の伝統だ。
ドイツの学術書はやたら大部になりがちだ。無学な素人のうちはその偉観に目を奪われ、学殖(μάθημα)の塊(ὄγκος)のように畏れ多く思うが、こちらの勉強も少々進んでくると、電話帳並みのハンドブックにすぎないことが分かってくる。
さすがに、キューナーや古代哲学の基本書であるツェラーの『ギリシア人の哲学』(Eduard Zeller; ‘‘Die Philosophie der Griechen in ihrer geschichtlichen Entwicklung dargestellt’’, 1919~1923=全3巻6冊の蒼然たる大著で、各冊本文678~1106頁、総頁数5309の大冊。その記述の大半は、頁の半分以上を占める註)のように、長年にわたり高い評価を保ってきた名著は別格だが、ドイツには文章が読みにくく稚拙な(本分の間にやたらに註記が挿入され、脚注が本文の大半を占めるような頁も稀ではない)研究書が少なくない。通読されることを最初から想定していない、やたらと分厚い大著もある。充分こなれていない議論と資料の雑然たる集積のようなものもある。
一概に迂闊なことは言えないが、英仏との、特に英国の古典学との違いで、ドイツ流の悪い面、ドイツ贔屓(καταχαρίζομαι)がしばしば肯定的に(κατηγορεῖν)評価する、徹底性という名の「こけおどし」(θρασύδειλοι)、誇張(ὑπερβολή)に流れやすい民族性(ἦθος)かと時々訝しむ。
そのスタイルはいかにも「田舎者」らしい習わし(νόμος)で、「野暮天」(ἄγροικος)と言うのだろう。
37⇒【ゲーテは、「哲学は、常識を難しい言葉で表現しているに過ぎない。」と批判】は、哲学音痴のカ氏(中世のスコラ哲学と古代のストア哲学の違いも知らない)が、性懲りもなく莫迦の一つ覚えのように繰り返す冗語だが、意外にゲーテこそ、一種の観念論哲学である所謂「汎知学」(‘Pansophie’)に毒された人物であるのは、皮肉な逆説(παράδοξος)だ。
以前にも紹介したが(11月6日・33、同37)、ゲーテは自らが熱中する領域については、ある意味実に勤勉な男で、知性の程度も相当な人物だが、概念的思考の徹底性では、彼が敬愛するカントには足許にも及ばず、16世紀以来の神秘主義的、擬似宗教的世界観、宇宙観である「汎知学」(‘Pansophie’)への傾倒が色濃い。それは、スピノザ由来の汎神論(Panentheismus)と親和性が顕著だ。
二十年を費やして完成させた素人芸(τὸ ιδιωτικόν)の浩瀚な著作『色彩論』(‘‘Zur Farbenlehre’’, 1810)で見せた、ゲーテより107歳上で、誕生の22年前に死んだニュートンへの致命的(θανάσμος)ともいうべき筋違いで無謀な(θράσος)反撥が際立つ。
文豪としての名声の陰で、偏執狂的で誤った直観的着想といい、実に厄介な人物なのが分かる(木村素直司訳『色彩論』のちくま学芸文庫「文庫版あとがき」513頁を参照)。
ニュートンの『光学―すなわち、光の反射、屈折、回析及び色彩に関する論考』(‘‘Optics, or a Treatice of the Refractions, Inflections and Colours of Light’’, 1704)を批判した際にみられる、ニュートンの近代科学的分析の手本のような、実験に基づく着実な観察と、数学的分析を全く欠いており、色彩の心理学的分析にみるべき側面があったとしても、その観念性、即ちゲーテが嫌った思弁性が顕著なのは、天に唾する行為の典型だ。
ゲーテこそ、パラケルススをはじめとする「汎知学」に顕著な錬金術的前近代性への執着に生きており、ニュートンの自然科学的認識の客観的妥当性を哲学的に根拠づけようとしたカントの批判哲学の趣旨にも背を向けている。
『色彩論』にみられる、ニュートンに対する罵詈雑言に近い執拗な攻撃は愚劣なおしゃべり(λήρησις)そのもので、光粒子説を説き、近代的光学理論を確立した物理学の権威にかみつく執拗な記述が、『色彩論』のみならず、エッカーマン著『ゲーテとの対話』に目立つ。そこに明朗闊達で悠揚たる大家の面影はない。
ゲーテに従っていたら、「はやぶさ」の宇宙探査はあり得ない。厳密で(ἀκριβῶς)抽象(ἀπαίρεσις)の限りを尽くした理論的思考は、現実の多面性を解明するのである。
ゲーテの有機体的世界認識の観念性と前時代性、偏狭さをよく示している。ニュートンの同時代人ライプニッツや、ゲーテと相前後するカント、W. von フンボルトにそうした偏狭性は微塵もない。
ゲーテは所詮、文明の後進国における「田舎文士」でしかない。
ゲーテ同様、カ氏が何か「特別の価値がある」(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)かのように入れ揚げている(σπουδάζω)ヴァイツゼッカー演説について、自ら「巫女」(προφῆτις)と称しているではないか。「第二の祖国」と称するドイツについても、狂信的心酔ぶりが顕著だ。
【ドイツ教(狂)・ヴァイツゼッカー宗の巫女】に、何の違和感もない。
それをもって「民主政治」を無理解というのは、意味不明(ἁμφιβολία)だ。民主主義は政治(πολιτικός)の原理(ἀρχή)だが、学問(μάθημα)の原理ではない。学問的な真理(ἀλήθεια)は、多数者(οἱ πολλοί)の判断とは関係ない。むしろ、対立する。
民主政治(δημοκρατία)は、その名の通り所詮は「多数者の支配」(πλῆθος ἄρχον)であって、真理の基準(κριτήριον)ではない。カ氏の「寝言」(ἀλλοδοξία)は両者の混同(ἁμαρτάνω)で、共産主義者に著しい悪しき政治主義の典型だ。
そうした人物こそ、無思慮な現実追随(κολακεία καὶ κολακεία)に堕する。[完]
篠田教授が、過去に憲法学者たちの歪な解釈は、「ドイツ法学の影響である」と指摘されたことがあって、たしかに、「統帥権」という言葉の由来はそうかもしれないが、現実面を考えた時、名前はBundeswehr 連邦国防軍であるが、軍隊をもち、NATOにも属し、「集団的自衛権」行使で、自国の安全保障をし、国会承認後、ヨーロッパ域外にも軍隊を派遣し、国際社会でも「平和維持」の努力をしている「ドイツ」の法学の影響、ということに私は、納得がいかなかったのである。そして、ドイツと日本の違いは、なになのだろう、という知的興味もわいたのである。
そして、日本の歴代の護憲派の憲法学者の方々が、憲法解釈の指針として使っておられた、カントの「定言命法」的解釈、トーマス・マンの「非政治的人間の考察」的解釈、にいきついた。つまり、西洋からの優れた政治思想、ということで、日本の学界では、民主主義やリベラルの思想と共産主義や社会主義など思想が類似語、となっているのではないのか、と思うようになったのである。
ゲーテの「色彩論」も、ゲーテの学究の徒としての人格を貶めるために、反氏はなんどもなんども持ち出されるが、同じことなのである。ゲーテは、絵描きになろうとしたことがある。けれども、イタリアに行って、優れたルネッサンス絵画を見て、自分に才能がない、とわかって一番自分に才能があるドイツ語による文筆業を自分の一生の仕事にすることを決めるのである。それで、「色彩論」に興味をもったのだろう。私は以前から、イタリアとドイツでは色彩感覚が違うな、感じていたが、ワイマールのゲーテの家の庭の植物を見て、これは、たぶん植物の花の色の影響なのではないかと思った。そんなゲーテが色彩論に興味をもつのは、よくわかる。ただ、もし、反氏の主張通りであったとしても、ソクラテスが主張するように、人間は神ではないから、ゲーテもまちがうこともある。そして、それ以外の面で、極めて大きな功績を遺しているゲーテに対して、ただそのこと一つのことだけで、その観念性、即ちゲーテが嫌った思弁性が顕著なのは、天に唾する行為の典型だ、文明の後進国における「田舎文士」とは言えないと私は思い、つくづく反氏は、「無智な人」だと思う。
一連の惨憺たる(ἄθλιος)「クズ投稿」をみていると、端的に頭(ἐγκέφαλον)が悪い(πονηρία)のだろう。蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)でも張っているのでもないかと思っていたが、粗末な(πονηρός)粗雑な(σομφός)文章(λέξις)と論理的理解力(λογιστικόν)から、それには充分な蓋然性(ἔνδοξος)があるようだ。
ミュンヒェン大学での成績云々は、この際関係ない。目の前の惨状(πονηρία)をみれば、それは明々白々(κατάδηλος)で、客観的事態(οἷα ἦν ἢ ἔστιν)、「ありのまま」(ἀληθῆ)の事柄自身(πρᾶγμα)がそれを指し示す(δεῖξις)必然(ἀνάγκη)であり、どんなに抗った(μανίνεσθαι)ところで無駄な、カ氏の避けられない(ἀναγκαῖοπρσς)宿命(εἱμαρμένη)だろう。カ氏に自身が、それを日々、愚にもつかない(φαῦλος)不得要領の(σομφός)言辞を弄することで、自ら進んで(ἑκών)証明している(συμβιβάζειν)。
文章の一端(μόριον)をみれば、知性(νοῦς)程度(μέτριον)は自ずと(αὐτόματος)露呈する(ἀποφαίνω)ものだ。それを自分で(αὐτόματος)好き好んで(ἑκών)しているわけであって、誰を恨んでも(φθονεῖν)仕方がない。事の理を明らかにする(διδόναι λόγον)のが、まさに論証というものだ。
ところで、本人にそうした真の(ἀληθής)自覚がない(ἀγνοέω)から、カ氏は無学ゆえに(δι’ ἀπαιδευσίαν) ソクラテスの言う勝義の(κύριος)意味(ἔμφασις)で「無知」(ἀμαθία)なのだろう。
カ氏が実質的にはそれしか知らず「ソクラテスについても、50年以上の積み重ね」(10月22日・48)と豪語していた『ソクラテスの弁明』にも、「無知の知」(ἀμαθής γνῶμη)という直截的な書き方はしていない。『弁明』のどこにも、出てこない。
カ氏は「無知の知」と莫迦の一つ覚えのように簡単に書くが、「知らないことを、知らないと思う」(μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι[Apologia, 21D])とあるだけだ。そこでは単に、「知らない」(μὴ οἶδα)ことを「知っている」(εἰδέναι)=自覚すると言っているにすぎない(‘ἔοικα γοῦν τούτου γε σμικρῷ τινι αὐτῷ τούτῳ σοφώτερος εἶναι, ὅτι ἃ μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι.’)。
文法上、初歩的説明をすれば、引用部分の最初の[μὴ]は「~ない」という否定詞で、続く[οἶδα]は「知る」「知っている」の謂いだ。[οὐδὲ]は「そして~ない」「~さえもない」の意味で、[οἴομαι]は「~と思う」、最後の「εἰδέναι」は「οἶδα」の「不定法」で「知っている」を意味する。
「私(ソクラテス)より知慧のある者はいない…私(ソクラテス)を一番知慧があると宣言する」(‘ἤρετο γὰρ δὴ εἴ τις ἐμοῦ εἴη σοφώτερος. ἀνεῖλεν οὖν ἡ Πυθία μηδένα σοφώτερον εἶναι.…τί οὖν ποτε λέγει φάσκων ἐμὲ σοφώτατον εἶναι’=ibid., 21A~B)、所謂「デルポイの神託」(μαντεία)の謎(αἴνιγμα)の「知慧がある」(σοφώτατον εἶναι)でも同様だ。
「ソクラテスのいう無知は、何も知らない、全くの無の知というものではなく、かえって何でもないものを、何かであると思い、大切なことを、何でもないと考える、一種の思い違いであり、間違った信念の如きものであると言うことができるだろう」(170頁)
の粗笨な(προπέτεια)読みにしがみついて(ἐπιθυμέω)、見え透いた(εὐθεώπρητος)意趣返し(ἀντιπεπονθός)だか負け惜しみ(διαφιλονεικοῦτες)だか知らないが、御大層に己の途方もない(ὑπερβολή)莫迦さ(ἀμαθία)加減=知の貧困(πενία)をさらしているわけだ。
「無知の知」は、カ氏の「無知蒙昧」(ἄγνοια καὶ ἀπαιδευσία)と憐れむべき(ἐλεεινός)人間性(τὸ ἀνθρώπειος)を糊塗する(τεχνάζω)、魔法(γοητία)の杖でも、呪文(ἐπῳδή)でもなく、恥ずべき(αἰσχρός)自己防衛(φυλακή)の「楯とする」(προβάλλω)わけにはいかない。
48⇒【篠田教授のブログのテーマ、「憲法学者の憲法解釈の指針はなにか」とどうつながるのか】にしても、篠田さんは、憲法解釈や現在の憲法学界(日本公法学会)をはじめとするアカデミズムの現状、国際社会での平和構築に向けた日本的合意形成を阻んでいる、日本社会の根底に潜むさまざまな問題について、国際政治学者としての自らの問題意識(προβάλλω)を投げ掛けているわけであって、カ氏のような察しの悪い、無学な単細胞(ἁπλοῦς)がいきり立って近視眼的(μύωψ)に思案する(φροντίζω)より、問題の裾野はもっと広い、ということだ。
☆われわれは、肉体よりも精神に、より多くの怠惰を抱えている。(ラ・ロシュフコー『箴言』487)
何よりも(πάντων μάλιστα)、篠田さんが直面し、困惑する(πρᾶγμαἔχω)問題を、正当に(ὀρθός)理解する(συνιέναι)ことで、その労(πρᾶγμα)に報いる(ἀποδίαδωμι)ことだ。
それに対して、カ氏にあるのは見当違いな自らの思い込み(δόξασμα)を、篠田さんの立論にもち込んで(hineinlegen)、莫迦げた議論を展開する「拡大解釈」(ἐξηγέομαι=zur viel verstehen)の典型で、独りよがり(λῆμμα)も甚だしい。
「無学」な、劣悪な(πονηρός)人物が陥りやすい、罠(ἄγειν)であり、誘惑(ἐπιθυμιῶν)だろう。
48②⇒【篠田…過去に憲法学者たちの歪な解釈は、「ドイツ法学の影響…」と指摘】というのも、カ氏の無学ゆえの曲解、単なる誤解の最たるもので、制定過程から明白なように、英米法の文脈で理解されるべき現憲法を、旧憲法のように国家行政組織法的な観点から、ドイツ国(公)法学の概念や思考法で解釈することへの違和感を指摘したものだ。
それを48③⇒【「国際社会でも「平和維持」の努力をしている「ドイツ」の法学の影響、ということに…納得がいかなかった】というのは、全く議論の含意を理解できていない素人の愚劣な戯言(ἀλαζονεία)であって、テレビばっかり観ている「ゲーテ・ヴァイツゼッカー教」の女祭司(χρησμῳδός)である老媼の「冗語」でしかない。
日本国憲法とは全く関係ない「統帥権」云々の問題ではなく、それを言うなら主流派の憲法学者が「国権」の解釈として比定する「統治権」(Herrschaftsrechte)のことだろうが、その程度の理解さえ覚束ない(ἄπορος)、無学ゆえの(δι’ ἀπαιδευσίαν)「怖いもの知らずの」(θράσος)婆さんにかかると、いつも「?」という戯けた児戯に等しい御託(μωρολογία)しか出てこない。
いい加減に、Jellinekでも読んだ方がよいのではないですか? それにしても、つける薬はない。
49⇒【「シンチンゲル」さんというドイツ人も…編纂…白水社の辞書】は、ドイツ・フライブルク出身の元学習院大教授のものは、確か三修社の誤りであろう。他愛もない初学者向けの学習辞典で、勿体ぶるほどのものではない。
私は45でリデル & スコット共著『希英大辞典』(H. G. Liddelle and R. Scott(ed.)‘‘A Greek-English Lexicon’’)の話はしたが、議論の趣旨は、英国とドイツの古典学の学風の違いを通した学問論、文明論で、元劣等学生の「辞書論」は愚にもつかない。
50⇒【使い勝手のいい辞書…私は、Wikepediaを使っている】は、怠慢なカ氏の居直り(τὸν κρείττω ποιεῖν)の典型で、確かにコピペで剽窃(κλοπή=盗用)を繰り返すには、莫迦莫迦しい(γελοῖος)。
ゲーテの『色彩論』は、文豪が完成に心血を注ぎ、20年を要した隠れた主著である。エッカーマン『ゲーテとの対話』とは訳が違う。問題は、ニュートンへの無謀(θρασύτης)極まりない愚劣な論難(ἔλεγχος)に歴然としているゲーテの俗物根性(‘Philistertum’)と、「やっかみ」(φθόνος)から透けて見える哀れな(τάλας)人間性だ。
そこには、英仏と異なり、国家統一や産業化に加え、民族語としての統一ドイツ語、即ち標準ドイツ語の形成が遅れ、父が帝室評議員(称号のみの名誉職)の肩書をもつフランクフルトの裕福な上流階級に生まれたゲーテの家庭も例外ではなく、啓蒙主義的専制国家であったプロシアの宮廷同様、ドイツの上流教養層の共通語として18世紀まで、フランス語が正式な「社交の言語」として慫慂された事情も反映している。
ドイツが生んだ最初の偉大な哲学者で数学者、外交官でもあり、ニュートン(1642~1727)と微積分法の基本定理発見の優先権論争を演じたライプニッツ(G. W. Leibnitz, 1646~1716=1700年にベルリンに学士院を創設、初代院長)の主要著作がフランス語で刊行された背景になっている。
「自分のであれ他人のであれ、われわれが何か間違った直観的着想が活発に捉えると、それは次第に固定観念になり、しまいには全く偏った狂気にまで変質してしまうことがあり得る。この狂気が顕著に現われてくる仕方は主に、このような物に都合のよいすべてのことをあっさりと片付けてしまうだけではなく、相反することが目立つものも自分のいいように解釈してしまうことである」(木村直司編訳、ゲーテ『色彩論』[歴史篇第6編「18世紀」]、512頁、ちくま学芸文庫)
負ける(νῖκάομαι)ことは目に見えている。前項の引用部分を読む限り、「固定観念」(ὑπόληψις)も、「全く偏った狂気(μανίαν)」も、ゲーテにこそ当てはまる。 「偏執狂的」とした理由だ。
ゲーテは『色彩論』の「論争篇」(「ニュートン理論を暴く」=Enthüllung der Newtonischen Theorie)で『光学』第一篇の逐条的検討を行っているが、有効(περαντικόν)な科学的反証(ἀπόδειξις)を意図しているわけではない。この点が、ニュートンとライプニッツの弟子間で争われた微積分法の基本定理発見をめぐる優先権論争とは根本的に異なる。
後者については、今日的な評価ははっきりしていて、先に発見したのはニュートンだが、ライプニッツはニュートンとは独立に発見に至ったことが分かっている。もっとも、ニュートンの記号法よりライプニッツの方が優れていたため、微積分のその後の発展はライプニッツの業績に負う面が大きい。
ゲーテが文学者としては卓越した存在でありながら、欧州大陸の「中原」にあって、常に英仏の後塵を拝することとなった「後進性」を否定できなかった田舎国家ドイツの文士にすぎない所以だ。
カ氏でも元教授でも、ギリシア語が読めない人間がプラトンを論じる資格がないというわけではない。ただ、翻訳や解説書によってしか本文を読解できない人間の理解には、自ずと限界(πέρας)と制約(πάθος)、盲点(τυφλός)、錯覚(σφάλμα)がある。
それを「無知」という。[完]
私は、反氏のことを、「無智な人」と形容したのであって、「無知な人」と形容したわけではない。智慧と知識は違うのであって、反氏は、ほんとうに驚嘆するほど莫大な知識をもっておられる、ただ、智慧をもっておられないのである。智慧は、物事の道理を判断して処理していく心の働きである。「ソクラテスより智慧のある者はいない。」とソクラテスは「デルポイの神託」のお告げを受け、「ほんとうなのか、そんなはずはない。」と考えて、アテネで智慧があると評判の人、お金を取って若者の教育をしている人、のところへ行って、論争を挑み、聞いている人が、たしかにそうだ、と感じ、プラトンを含めて、アテネの若者たちの絶大な人気を得たから、恨みをかい、裁判に訴えられ、死刑を求刑され、「逃げるべきだ。」とのプラトンたちの説得にも、「私は、アテネ人だから、アテネの法律で決まったこの裁判の結果を受け入れる。」と主張して、死を選んだから、ソクラテスは、民主政、法治国家の祖、と定評が高いのではないのだろうか?たしかに、ソクラテスのこの判断は、激情にながされず、恨み言もいわず、「物事の道理を判断した」冷静なものだと思う。
なんども主張するように、人間は神ではないので、全知全能ではないのである。ということは、反氏も、憲法学者も、全知全能ではない。
【篠田教授のブログのテーマ、「憲法学者の憲法解釈の指針はなにか」とどうつながるのか】と私が問うのも、篠田教授が、国際政治学者としての自らの問題意識を投げ掛けておられるのは、ご自身が「平和構築」活動をされる上で、「日本の憲法についての専門家」である憲法学者が「集団的自衛権を違憲」であるかのような判断をし、日本の世論がその方向に動いている為に、活動をされる上で、現実的にさまざまな不都合が発生するせいで、単に論争のテーマとして、憲法解釈や現在の憲法学界(日本公法学会)をはじめとするアカデミズムの現状、国際社会での平和構築に向けた日本的合意形成を阻んでいるから、という理由ではない、と考えている。思想、表現の自由があるのだから、すべての人が合意する、などということは、現実的にはあり得ないし、それを強要すると、「全体主義」になる。
ドイツでは、1987年に締結されたINF全廃条約、(射程範囲500~5500キロの核弾頭および通常弾頭を搭載した地上発射型の短距離および中距離ミサイルの廃棄を定めたもの)から米国とロシアが離脱を表明したのを受けて、NATOの一員であるドイツは、ロシアのミサイル射程圏内に欧州の諸都市が入るので、それに対する反対運動が起こっているが、日本の諸都市は、北朝鮮やロシアミサイルの射程圏内に入っているのに、なぜ、その危機感がないのか、私には理解できない。まるで国際政治ドラマを見ているようだ。どうして、現実感覚がないのだろう?
今日の朝ロ会談が、どのようになるのか、も気がかりであるが、大事なのは、その国の政治指導者の言動、言葉と行動である。日本のマスコミ報道は、言葉や演出された場面の報道ばかりで、行動、現実になにを彼らが画策しているのか、の報道がなさすぎる。日本では、米国に習って中国脅威論ばかりが強いが、反氏や憲法学者や日本のマスコミは、ロシアや北朝鮮をどのようにとらえられておられるのだろうか?
「色彩論」を根拠に、ニュートンへの無謀極まりない愚劣な論難に歴然としているゲーテの俗物根性と、「やっかみ」から透けて見える哀れな人間性とあるが、ゲーテは、ヨーロッパで、「俗物根性の人」などとみなされていはいない。だからこそ、ウィーンのオペラ場のそばに、ゲーテの像があるのであって、ワイマールの劇場の前に、ゲーテとシラーの像が並びあって立っている理由はよくわかるが、世界の文化都市、ウィーンのオペラ場のそばの大きな道路に向かい合って、ゲーテとシラーの像が建っていることに、私は、正直驚いたのである。国も違い、ゲーテが亡くなってから、2度の大戦があり、ドイツに併合されたにもかかわらずである。そしてその理由は、以前のコメントでゲーテについて大山定一さんが解説されている、
きみたちは誰はばからず、
わたしのために銅像を立てるがいい。
ブリュッヘルはフランス軍からドイツを解放したが、
わたしはドイツの俗物根性を打ちやぶった
(ゲーテ)
と現在生きているドイツ語を母語とするウィーンの人々が思っているからに他ならない。
ゲーテの生まれた頃は、フランス文化追従の時代であったが、そのゲーテが大学時代、フランスに近いシュトラスブルグで、ヘルダーに出会い、フランス風ではなく、ドイツ語による自由な感情の発露を目指すシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)の文学運動にひかれるのである。また、フランスの古典劇のようなものを成立させるために、フランスのポエテイクにならって厳密な法則を定めた劇詩の詩形を導入する方法によって、ドイツに真実の悲劇を作ろうと考えているゴットシェットと会って失望する。そして、フランスの古典劇よりも、シェイクスピアの戯曲にギリシャ悲劇の生きた生命を発見する、と主張するレッシングに惹かれたのである。
そしてゲーテが25歳の時に生み出したのがベストセラーになった「若きウェルテルの悩み」なのであって、このフランス文化のまねではなくて、ドイツ語で独自の文学を作り上げようとするレッシング、ヘルダー、ゲーテ、シラーによって、ドイツ文学が確立されるのである。
Wem der große Wurf gelungen,eines Freundes Freund zu sein, 。。。。、Mische seinen Jubel ein!
「自分が親友になってほしいと思っている人に親友として認められるという難事に成功した者も、歓喜の声をあげよ。」という表現になったのだと思うが、ゲーテが「俗物根性の人」、「やっかみの人」、に嫉妬されて大勢敵を作った、というのが真実の姿なのである。
改めて、反氏に「無智な人」という言葉を進呈したい。
前回、引用する際に誤って冒頭の無智を一箇所、「無知」と転記したが、ソクラテス(実質的には『ソクラテスの弁明』など、ソクラテスが登場する対話篇の著者プラトンと、当該書の著者である田中美知太郎)にとって、「無知」と「無智」を表す元のギリシア語は同一であり、58⇒【反氏のことを、「無智な人」と形容…「無知な人」と形容したわけではない】と区別する(διαιρεῖσθαι)ことは、端的に無意味(ἄσημος)で、何ら有効な(περαντικόν)反論(ἔνστασις)にはならない。「不知」でも意味内容(γενικὸν ποινόν)は変わらない。
カ氏が参照する58②⇒【小学館のデジタルデジタル(?)大辞典(⇒『デジタル大辞典』であろう)に無知(むち)の知の意味に、自らの無知を自覚することが真の認識に至る道…】とあるように、特段「無智」にこだわっても意味がない。カ氏の論理は破綻(ἀντικεῖσθαι)している。
無知を「自覚することが真の認識に至る道」というのは、知的な探究(ζήτησις)の発端=出発点(ἀρχὴ)という意味ではその通りだろう。ソクラテスに限らず「真理探究(φιλαληθής)への基本(ὑποθεως)」であることにも異論(ἀμφισβήτησις)はない。
問題は、無知ゆえに(δι’ ἄγνοιαν)、カ氏がいつものように思い違い(πλημμέλεια)をして、間違った(ψεῦδος)信念(πίστις, δόξα)の如きものをソクラテスや田中の記述にもち込み(hineinlegen)、莫迦げた(καταγελάσιμος)、無用な(ἄχρηστον)拡大解釈(ἐξηγέομαι=zur viel verstehen)をしていることだ。ギリシア語も読めない「無学」(ἀπαιδευσία)だからだ。
58④⇒【智慧と知識は違う】というのも、ソクラテス・プラトン流の哲学的議論(φιλοσόφημα)の真意を知らない者が陥りやすい俗論(ψευδῆ δόξάζειν)の典型だ。「知識」があっても、「知恵」(「知慧」でも「智慧」でも「思慮」「分別」でも、それを意味する[σημαίνειν]ギリシア語は同じ)がないと、世間では専門知(ἐπιστήμη)に長けた学者(ὁ μάθημα)=学識(μάθημα)を欠いた知識人(ἐπιστήμων)や専門家(τεχνίτης)、同じことだが所謂「知識のある人」(賢者)を揶揄する場合に、よく指摘される。
しかし、そうした俗世間を支配する一見もっともらしい(εἰκός)、気の利いた議論(ἀστεῖος λόγος)、賢そうな議論と鋭く対立するのが、ソクラテス・プラトンの知識への認識である。つまり、「知識」と「知恵」は不可分(ἀμερής)のものとして、一体(τὸ ἕν)となっている。
知恵、端的に「知」を意味する[ἐπιστήμη][φρόνησις][σοφία][ εἰδέναι]に基本的な概念上の違いはない。使い分けているが、意味内容が論理的に異なるわけではない。
例えば、「すなわち、知識というものに対するあなたの立場は、いかがなのでしょうか。これについてもあなたは、世の多くの人々と同様の見解なのでしょうか、それとも別でしょうか?」(引用続く)
つまり何のことはない、彼らの考えている知識というものは、いわば奴隷のように、他のすべてのものによって引っぱりまわされるものなのですね。はたしてあなたもまた、知識をこんなふうに見ていらっしゃるのでしょうか? それとも、知識は立派なものであって、人間を支配する力をもち、いやしくも人が善いことと悪いことを知ったならば、何かほかのものに屈服して、知識の命ずる以外の行為をするようなことはけっしてなく、知恵こそは人間を助けるだけの確固とした力をもっていると、このようにお考えでしょうか」(‘πῶς ἔχεις πρὸς ἐπιστήμην; πότερον καὶ τοῦτό σοι δοκεῖ ὥσπερ τοῖς πολλοῖς ἀνθρώποις, ἢ ἄλλως; δοκεῖ δὲ τοῖς πολλοῖς περὶ ἐπιστήμης τοιοῦτόν τι, οὐκ ἰσχυρὸν οὐδ᾽ ἡγεμονικὸν οὐδ᾽ ἀρχικὸν εἶναι: οὐδὲ ὡς περὶ τοιούτου αὐτοῦ ὄντος διανοοῦνται, ἀλλ᾽ ἐνούσης πολλάκις ἀνθρώπῳ ἐπιστήμης οὐ τὴν ἐπιστήμην αὐτοῦ ἄρχειν ἀλλ᾽ ἄλλο τι, τοτὲ μὲν θυμόν, τοτὲ δὲ ἡδονήν, τοτὲ δὲ λύπην, ἐνίοτε δὲ ἔρωτα, πολλάκις δὲ φόβον, ἀτεχνῶς διανοούμενοι περὶ τῆς ἐπιστήμης ὥσπερ περὶ ἀνδραπόδου, περιελκομένης ὑπὸ τῶν ἄλλων ἁπάντων.’=引用続く)
引用した文章中、「知識」と訳されているのは[ἐπιστήμη](標準的な訳語は「知識」または「知」)で、「知恵」は[φρόνησις] (標準的な訳語は「思慮」)だが、同義語として置き換えられている。名詞形の「知」[σοφία] (標準的な訳語は「知恵」)は出てこないが、他の箇所で、相互に同義として置き換え可能なものとして使い分けられている(藤澤令夫『プラトンの哲学』、1998年、43~49頁参照)。
従って、プラトンのテキストが端的に教えるプラトンの知識=知恵の同一視は、技術=技能(τέχνη)を含め、知識[ἐπιστήμη]と同じ意味であること、つまり理論的知識(τῇ θεωρικός ἐπιστήμην)と実践的知識(τῇ πράξει ἐπιστήμην)を区別しないことを意味する。カ氏の主張には何の根拠もないのである。
両者が分離するのはプラトンの弟子ではあっても「事実上の」後継者とは言えない側面もあるアリストテレス以来で、この論理学の創始者にして、プラトン以上にその後の西洋哲学の歴史を支配する「万学の祖」は、「知識」 [ἐπιστήμη=scientific knowledge]と「知恵」 [φρόνησις=practical wisdom](アリストテレス流の標準訳は「知慮」)とをやかましく区別する。
カ氏もそうした常識(κοιναὶ δόξαι)という名の「固定観念」でしかものを考えられない一人で、それこそソクラテス(実質はプラトン)の精神に背くものであることを端なくも物語っている。
こうした理論と実践の峻別は、畢竟事実(ὅτι)と価値(ἀξία)との区別で、それ自体は近代以降の科学的発展を後押しして今日の科学、テクノロジー万能の時代の牢固たる信念を形成しているが、理論と実践を総合する哲学本来の総合的思考(συλλογίζεσθαι)が無用の長物と化したわけでもない。哲学は今日の「科学的な知見」(ἐπιστήμη)と対立するものでも、敵対視するものでもなく、それを前提(πρότασις)としつつ、その根底(ὑποθεως)、根拠(διὰ τι)を問うものだからだ。
58⑤⇒【アテネで智慧があると評判の人、お金を取って若者の教育をしている人、のところへ行って、論争を挑み】も致命的な誤謬で、ソクラテスが知の吟味(ἔλεγχος)と称して論争したのは「金を取って…教育」する、所謂「ソフィスト」(σοφιστής)ではなく、知者と目されていた有力政治家や技術者、詩人らだ。カ氏は『ソクラテスの弁明』のどこを読んで、法螺話(ἀλαζονεία)をしているのか。
59~63は愚劣な「クズ投稿」で相手にしない。しかも、過去の投稿をコピペして嵩増しした「似而非反論」だから、なおさらだ。魂胆は見え透いている。
ゲーテの銅像にご執心(ἐπιθυμέω)のようだが、北朝鮮にも首領様の巨大な銅像がある。アフリカにも多い。旧共産圏にも随分あった。
ミケランジェロのダヴィデ像とは違うのである。[完]
また、ドイツ法学といっても、JelinekとH.KelsenとC Schmittは主張がまるで違う。Jelinekの日本人の学問的後継者は、そこに下宿をし、師弟関係が実際にあった「絶対君主制」で明治憲法を解釈された上杉慎吉東京帝国大学の憲法学の教授ではなくて、国体明徴運動で東京帝国大学法学部の教授の職を奪われた明治憲法を「立憲君主制」で解釈された美濃部達吉教授であることは、別にドイツ語のjelinekの原典にあたらなくても、日本版ウィキペデイアを読めばわかる。上杉慎吉さん主張は、どちらかといえば、Carl Schmittに近いのではないのだろうか?
また、丸山真男さんが、東京大学法学部教授でなければ、戦後の日本の知識人たちが、丸山真男さんの著書をあれほど深く信仰しなかったと思う。ドイツ語を勉強し、ドイツ文化や歴史を長年勉強した主婦の私は、正直「ほんとうにそうなのか?」と違和感を感じてしまう。
幼稚園のころ、羽仁もと子さんの生活団で、「よく見、よくきき、よく考えよう。」と習ったが、レッテルに惑わされないで、物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力が、いわゆる「智慧」が、今現在の日本人には、問われているのではないのか、と思う。
☆余白に ソクラテスの事蹟をプラトンが伝えた、今日にほぼ完全な形で伝わったプラトンの対話篇でも、アリストテレスのリュケイオン(Λύκειον)での講義録を死後、2世紀を経てロドスのアンドロニコス(Andronicus Rhodius, 前2世紀)らが編集したとされる、所謂Corpus Aristotelicus(『アリストテレス著作集』)でも、古代ギリシア語(古典期のアッティカ方言)で書かれている。伝わるのは写本のみでだ。
この他にヘレニズム期、紀元前2~6世紀にかけて、アテーナイやアレクサンドリアその他で活躍した、アリストテレスの著作に一字一句にわたり綿密な註解をつけて論じた学者が輩出する。紀元200年ごろのアフロディシアスのアレクサンドロス(Alexandros Aphrodisias)、3世紀のポルフリオス(Porphyrios, 232/3~c. 305)、6世紀のピロポノス(Philoponos, 490~c. 570)、シンプリキオス(Simplikios)ら一群の主に新プラトン派の註釈家で、原文解釈に不可欠の情報を提供する。プラトンについても、プロクロス(Proklos, 410 or 412~485)や6世紀後半のオリュンピオドロス(Olympiodoros)がおり、同様だ。
翻訳は所詮は翻訳で、原文の正確な意味を了解するにはギリシア語のテキスト、註釈に拠らざるを得ない。ルターの「新約聖書」(κανών)ドイツ語訳もギリシア語からの直接訳で、その原典であるエラススムス校訂の新約聖書[Novum Instrumentum]は学問的に問題があり、ドイツ語訳も学問的にはより正確な4世紀末のヒエロニムス[Hieronymus, Sophronius Eusebius, c. 346~419/20])によるラテン語訳(所謂「ウルガータ」[“Vulgata”)を越えて、敢えてギリシア語原典にこだわった理由は、その直接性にある。
カ氏の論旨はその逆で、ご都合主義の典型。ドイツ法学ではなく、ドイツ国(公)法学、69~70は、憐れむべき素人芸の典型(呵呵)。
ドイツ法学ではなく、ドイツ国(公)法学、69~70は、憐れむべき素人芸の典型(呵呵)という批判にしろ、G.Jelinek,H.Kelsen, C.Schmittは、ドイツ法の学者であるが、それぞれ活躍した時代、国が違う。G.Jelinekは、プロイセン国王を皇帝にいただくドイツ帝国の公法学者、H.Kelsenはウィーン大学で公法・行政法の教授となり、敗戦後、ナチスドイツのオーストリア併合前の、オーストリア共和国憲法を起草し、1920年にはこれを制定させた公法学者。C.Schmittは、革命後のワイマール共和国の議会制民主主義、自由主義を批判し、ナチスが政権を獲得した1933年から失脚する1936年までナチスに協力し、ナチスの法学理論を支えた法哲学や政治哲学に大きな業績を遺した法学者。ケルゼンが活躍した国は、ドイツ国ではないし、それぞれ特色が違うが、ドイツ語で書かれた法律を扱っていることは共通なので、ドイツ法学、というくくりにした。
51⇒【一連の惨憺たる(ἄθλιος)「クズ投稿」をみて…端的に頭(ἐγκέφαλον)が悪い(πονηρία)…蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)でも張って…粗雑な(σομφός)文章(λέξις)と論理的理解力(λογιστικόν)から、それには充分な蓋然性(ἔνδοξος)があるようだ】と。
何度か書いたように、学問的議論に関して私は情け容赦(συγγιγνώσκω)のない「殺伐非情」な論理主義者で、頭の中は古代ギリシア人だと。血(αἷμα)も涙(δάκρυον)もない。
論争(ἐρις)においては、相手を完膚なきまでに論破する(ἀναιρεῖν)べく、一部の隙もない首尾一貫(sequitur)した論理(λόγος)、カ氏程度のお寒い(ταπεινότης)知性(νοῦς)の程度(μέτριον)なら、大概は帰謬法(ἡ εἰς τὸ ἀδύνατον ἀπόδειξις)で、その立論(θέσις)の不可能性(τὸ ἀδύνατον)=不成立の所以(τὸ διότι)を論理的に証明する(συμβιβάζειν)ことになる。
従って(οὖν)、相手は絶滅(φθείρεσθαι)に等しい(ἰσότης)打撃(τὸ κακός)を蒙る(πάσχειν)はずだ。容赦ないのは、相手への敬意(ἀξίωμα)の現れで、繰り言(μεμψιμοι)、泣き言(τὸ βοᾶν)、言い訳(ἀπολογία)の類は受け付けない。
論争には勝ち負け(ἀγωνία)、即ち論証する(αποδείκνυμι)説得力(τὸ πιστικός)の優劣(εὐσχημοσύνη κὰι ἀσχημοσύνη)しか存在しない。
カ氏の間違いだらけの「クズ投稿」にも、なにがしかの「意味」(τὸ σημαίνειν)はあるのだろう。しかしそこに、客観的な(καθόλου)価値(ἀξία)は、何もない。カ氏は尊敬される(τιμὴν ἔχω)に値しない。今回で1876件になる投稿を通じて、得と学んだ。
忠告する(συμβουλεύω)、「汝自らを知れ」(γνῶθι σαυτόν)。
カ氏の間違いだらけの「クズ投稿」にも、なにがしかの「意味」はあるのだろう。しかしそこに、客観的な価値は、何もない。カ氏は尊敬されるに値しない、という主張も、反氏の主観的な認識なのであって、反氏が日本国憲法19条に規定されている「思想及び良心の自由」、リベラル、すなわち自由とはなにか、ひいては「民主主義とはなにか」、をまるでわかっておられないことの表れだと思う。これは、長谷部教授を筆頭とする、いわゆる憲法学者の方々とも共通するのではないのだろうか?
忠告する(συμβουλεύω)、「汝自らを知れ」(γνῶθι σαυτόν)、という言葉をそっくりそのままお返しする。
お二人とも自分が上に立たなければ気が済まないマウンティング合戦を人様のブログのコメント蘭で延々と続けていらっしゃる。
その内容はお二人以外の人間が気にかけて読むような長さでもなければ、読みやすさでもなく、まして篠田さんが投稿された内容からも逸脱している。
篠田さんや、このブログを訪れる他の読者がどのように思われているのかは存じませんが、私は不快です。
カロリーネさんがおっしゃる「みずみずしいコメント」が言葉として合っているのかはわかりませんが、様々な人がコメントを投稿し多種多様な意見を交える場がコメント蘭であるはずです。
お二人の議論の中に埋もれる懸念を抱き投稿できない方もいる。はずです。
お二人とも一度ここでやめませんか。どちらかがやめれば、反応しなければ終わります。
もしくはお二人だけの場所を作ってください。
長々と駄文を失礼しました。私は名前通り学のない人間ですが、それを恥じ、国際情勢・政治に関心を持ち国際政治chに行き着き篠田さんのブログにたどり着きました。
この私のコメントはそんな1読者の主観に基づいたものだと一応添えておきます。
正常なコメント蘭に戻ることを願っています。
私も西洋古代哲学の専門家(τεχνίτης)、研究者(θεωρικός)の端くれとして、プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシア語で書かれた著作、つまりギリシア語のテキストを、専用の重い辞書を引き、各種の註釈書や文法書、専門家向けの古典学辞典など特殊な辞書や各種の研究書、関連文献を参考にしながら読んでいると、カ氏のような半可通(ἡμιπόνηρος)の他愛無い(ῥᾳθυμία)愚劣なおしゃべり(λήρησις)、端的に言えば途方もない法螺話(ἀλαζονεία)に、あっけにとられる。
若き日に西独留学までしながら(ミュンヒェン大学にはカトリック研究の伝統があり、古代の教義論争に関する画期的著作『<個>の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』[1996年、岩波書店]の著者である元東北大教授、坂口ふみ氏は、ミュンヘン大学で学位をとっている[Ph. D. 論文は“Der Begriff der Weisheit in den Hauptwerken Bonaventuras”, München, 1969])、結局は厳しい学問的な訓練を消化できず、西洋文明に関する基礎的な教養も修得する(κτάομαι)ことさえままならなかった元劣等学生が、自らの哀れな(τάλας)窮状(ἀπορία)に無自覚(ἀγνοέω)だから、「なんども繰り返すが、ソクラテスについても、50年以上の積み重ねがある」(10月22日・48)のような戯言を並べて愧じる(αἰσχύνω)気配もない臆面のなさ(θαρραλέος)に息を呑む。
教育(παιδεία)も悪いのだろうが、専門家としても、責任がある(αἴτιος εἶναι)と感じないでもない。
最初は悪い冗談(παίζειν)かとも思ったが、本人は至って真剣な(απουδαῖος)だから、二度驚かされた。
それと同じくらいあっけにとられたのは、古代ギリシアについての「無知蒙昧」ぶりで、コメントの文章は、要するに啓蒙書やネット上の記事をあれこれ斟酌(実態は無断借用かコピペ)した通俗的見解(ψευδῆ δόξάζειν)を並べ立てたものばかり。
ソクラテスが刑死に至る事情や、「デルポイの神託」を受けてアテーナイの賢者(σοφός)とされる有力政治家や詩人、職人たち相手の論駁(ἔλεγχος)を、外国人教師のソフィスト相手と思い込み(δοξάζω)勘違いする(ἑτεροδοξέω)程度の知識しかもち合わせていない。
それで「無知の知」や「ソクラテス真理探究法」などと称して「産婆術」(μαιευτική)など語り出すから、莫迦げた話になる。産婆術についても、何のことはない、他人のブログ記事を剽窃(κλοπή)して振れ回って(δημηγορεῖν)いただけの話で、「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)に軽蔑(καταφρόνησις)しかない。
そうした悪事(κακουργία)の動かぬ証拠を示して暴露(ἐκφαίνω)してみせても、驚くべきことに、カ氏は気に病む(δυσφορεῖν)でも反省する(λογίζομαι)でもなく、逆に醜悪な(αἰσχρός)言い訳(ἀπολογία)か強弁(τὸν κρείττω ποιεῖν)に走る。75はその典型だ。
今さら引っ込みがつかなくなって故意に(ἑκουσίως)とぼけている(εἰρωνεύομαι)のだろうが、「無知の知」、表記は「無智」に妙に執心する見え透いた魂胆も含め、とにかく懲りない(ἀκολᾶτος)婆さん(γραῦς)だ。
人間性としては、最悪(κακιστός)の部類だ。
しかも、愚鈍の争えぬ徴(σημεῖον)というのか、だんだん厚かましく(ἀναισχυντος)なって、破れかぶれと言うのか大胆に(θαρραλέος)なり狂態(γαστρίμαργος)の限りを尽くすようになる。
ところで、72⇒【どうして、私の書いた文意をありのままに理解しようとされないのだろう? 私は、聖書をラテン語から翻訳したのか、ギリシア語から翻訳したのか、を問題にしているのではなくて、ルターがドイツの民衆に聖書の内容を理解させるために、民衆にわかりやすい、ドイツ語に翻訳】も、今回の論点について、それこそギリシア語やドイツ語どころか、日本文の意味内容の正確な把握さえ覚束ないような、意味不明瞭(ἁμφιβολία)な文章だ。
そもそも、私がカ氏が自らの無知蒙昧をごまかす(συκοφαντεῖν)ために、呪文(ἐπῳδή)のように盛んに喋喋している「無知」について、つまり、その前提となるソクラテス(の口を藉りてプラトンが)が説く「知」(知識=ἐπιστήμη, 思慮=φρόνησις, 知慧[恵]=σοφία)と、いずれも「知らない」という意味の無知(ἀμαθία)と不知(ἄγνοια)について、プラトンのテキストの中でどう表現されているか、ギリシア語が分からないがゆえに、原文の細かい、意図的な使い分けを確かめる(βεβαιόω)ことも適わぬカ氏のような怠惰な元劣等学生でも理解できるよう、説明した。
それによって、知識と知慧[知恵]を区別することを「拒否する」(ἀνανεύειν)のが、ソクラテス・プラトン流の知識観であることを論証したはずだ。
ましてや、ギリシア語が読めないカ氏やドイツ人の元教授が、翻訳や解説書を手掛かりにあれこれ推測して原文の正確な意味を探り当てようとしても、原文はギリシア語で書かれているのだから、それを翻訳のみで論じることは解釈に解釈を重ねることになり、「自ずと限界(πέρας)と制約(πάθος)、盲点(τυφλός)、錯覚(σφάλμα)」があることは不可避(ἀνάγκη)であって、火を見るより明らかだろう。
それを、69②⇒【もし、そうなら、なんのために、ルターは聖書をギリシア語からドイツ語に訳した…】を問うのは、筋違いの論点隠しもいいところだ。ギリシア語が読めないのはカ氏や元教授が「無学」=「無知」だからであって、学問的に厳密で精確な議論(ἀκριβολογεῖσθαι)をする上では、致命的(θανάσμος)だということだ。
繰り返すと、ギリシア語の理解を欠く翻訳のみでソクラテスやプラトンを論じる資格(ἀξίωμα)がない、というわけではない。しかし、どう頑張ったところで学問的な議論にはならないことを、自覚(εἰδέναι)すべきだと言っているにすぎない。
ルターの聖書のドイツ語訳自体の意味や歴史的価値はともかく、ラテン語訳や、元々のギリシア語原文では民衆が読めようが読めまいが、如上の論点には全く関係ない。「翻訳のみ」に頼る限り、どうしても何が正しい原文の解釈かが分からなくなる、ということだ。
ルターらが説く「初悪の根源」は、ラテン語訳では民衆が聖書を読めない、という問題ではなく(英仏にも教会が唯一の正典として採用するラテン語訳のほかに、それぞれ英仏語への翻訳が複数存在する)、旧訳ならヘブライ語、新約ならギリシア語が本来の「原典」=正典であるはずが、幾重にも解釈が施され、緻密だが煩瑣な教義解釈が積み重ねられたカトリック教会の正統な教えの根拠である聖書の正典が、4世紀末に成立したラテン語訳(“Vulgata”=‘editio vulgate’)だったということだ。
そうした不満や動きが出た背景には、当然ながらルネサンスの人文主義の影響がある。それは、5歳でマンスフェルトのラテン語学校に入学し、エルフルト大学で人文学を学び、22歳でアウグスティヌス修道会に入って23歳で修道士、司祭となったルターだって、25歳で早くもヴィッテンベルク大学でアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を講読していることでも分かる。宗教改革は瓢箪から出た駒にすぎない。
論点ずらしはカ氏の習性で、凡庸で陳腐な長話を重ね(πακρολόγος)ても、何の論証にもならない。そもそも「聖書」の翻訳で、69③⇒【民衆一人一人に、ものごとをありのままに見て、真理を見極める認識力を与える】も何もない。宗教、つまり信仰(πίστις)は学問ではない。真理(ἀλήθεια)と信仰は時に鋭く対立する。
「無知人」氏のような懦弱さ(μαλακία)は、コメント欄を「愚者の楽園」にしかねない。[完]
75⇒【反氏が論争に勝っている理由…私の誤字脱字のミス、論証の材料にウィキペデイア…使用したから…私…を間違いだらけの「クズ投稿」と主張…私は…納得できない…その為に…論争がながながと続いて】というが、実態は全く異なり、畢竟「論争」とも呼べない。「篠田教授に申し訳ない」と思うのなら、退散すればよい。
①「誤字脱字のミス」ではなく、大量の、途方もない(ὑπερβολή=カ氏以外にはあり得ない、しかも一度や二度ではなく繰り返す。金正恩⇒金正恩▼石原莞爾⇒石川莞爾▼高見勝利⇒岩波勝利▼…)誤記(決まった「言い訳」はタイプミス)。
②単純ミスを含めた誤謬⇒ストア派とスコラ哲学の混同⇒指摘されて「スコア派」に化ける▼「統帥権」と「統治権」の混同▼日本の16~65歳人口の10%は「ひきこもり」…。
③事実認識の誤り⇒ソフィストについて、一体何年前の「学説」という水準の俗説に基づき、やれ学校で習ったこと、辞書の説明(大概は日本版Wikipedia)と違うと非を鳴らす。真相は怠惰なカ氏にとって「虚偽」(ψεῦδος)のままの方が都合がよいからで、「真理への愛」(φιλαληθής)など、微塵もないことを示す偏狭性と狂信性がもたらす「虚偽体質」。
④剽窃(κλοπή)など意に介しない醜悪さと、論理的推論に対する徹底した未熟さと慢心。己の惨状を棚に上げ「投稿を続けているのは、未熟な若者が、おかしなデマゴーグに騙されてほしくない」と臆面もなく書き連ねる「厚顔無恥」。
⑤極端な事大主義⇒欺瞞と偽善に満ちた戦後ドイツの自己正当化の典型、ヴァイツゼッカー演説への狂信的信仰と、それを否定する者への剥き出しの攻撃性。「ゲーテ狂」とも称すべき偏愛。
要するに平然と(θαρραλέος)嘘をつく(ψεύδομαι)「根にもつ人」(πικρος)。
「うぶな」(ἁπλοῦς)「無知人」氏が驚くのはもっともだが、用心する(εὐλαβέομαι)ことだ。
次の定義は、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典からの抜粋である。ブリタニカは、英国の250年の伝統をもつ有名な百科事典の会社である。
ソフィスト
sophistēs; sophists
前5世紀から前4世紀初期のアテネを中心に,当時のギリシア世界を遍歴し,授業料をとって百科全書的学識一般,特に弁論術を教えた一群のギリシアの知識人。彼らの弁論術がなによりも説得を目的としたものであったため,客観的真理の問題や倫理的価値の規準などという問題が捨象される傾向にあった。
なお,2世紀にギリシア文芸の復興が起り,特にギリシア語の弁論,散文にすぐれた人々もソフィストと呼ばれた。
反氏が主張されておられるソフィストは、2世紀のギリシア文芸の復興が起こったあとのソフィストなのであって、前5世紀から前4世紀初期、アテネを中心にして活躍したソフィストは、小学館の日本大百科全書(ニッポニカ)を参考にしても、哲学者プラトンはソフィストたちの名を冠した一連の作品を著し、ソクラテスと真理のために、これらの思想と対決しその虚偽を暴いた、とある。(https://kotobank.jp/word/ソフィスト-90301)。
私が若い人々に求めたいと思うことは、客観的真理、倫理的価値の追求をしていただきたい、ということなのであって、決して、説得を目的とした弁論術の向上ではない、ということである。その方法で政治家として成功し、ドイツを含めたヨーロッパ社会を悲惨にしたのが、映像や音楽の力を借りた弁論術で人々を魅了したヒトラーだからである。その魔術にかかって何人の罪のない人が殺害されたのだろう。そしてまた、それが、本当の意味で、智を愛する、philosophia、学問の基本だ、とも考えるからである。
体面にこだわり(φιλότιμος)居直ることで逆に自らを貶める(κολοβῦν)結果になるのを思い知ることだ。臆面がなく(θαρραλέος)厚かましいから、傷(ἕλκος)を広げる。
カ氏のような俗物根性の「虚飾家」は、受けた辱め(αἰσχύνη)をなんとか有耶無耶に(τερθρύεῖσθαι)したいのであろう。どこまでも懲りない(ἀκολᾶτος)というか、無駄な抵抗だ。
愚劣な日本版Wikipediaをもって回っていた人間が、今さらソフィスト(σοφιστής)でもあるまい。Wikipediaにも註記され、結局そこに「丸投げ」していた哲学専門のオンライン百科事典(英文)、『スタンフォード哲学百科事典』(Stanford Encyclopedia of Philosophy)の、C. C. W. テイラー‘‘The Sophists’’は、それなりに標準的な研究成果を反映しており、読めば無駄な投稿で恥の上塗りをすることも免れたろう。『日本大百科全書』は一面的な記述で、プラトンのソフィスト像の反映にすぎない。
84②⇒【反氏が主張されておられるソフィストは、2世紀のギリシア文芸の復興が起こったあとのソフィスト】も、無知ゆえの甚だしい勘違い。ソフィストという名称と職業がヘレニズム期以降も正統な教育手段として継承され、ローマ期には「第二次ソフィスト思潮」とも称するべき文化現象になったことを指す。ソフィストの「悪名」は後世のもの。
3世紀のローマのソフィスト、F. フィロストラトスによる『古ソフィスト伝』
(戸塚七郎ほか訳『哲学者・古ソフィスト列伝』、2001年、京都大学学術出版会)でも読めばよい。
84③⇒【若い人々に求めたい…客観的真理、倫理的価値の追求】は、カ氏こそその正反対であって、悪質な冗談(παίζειν)か座興(παιδειίά)のつもりらしい。
いずれにしても、「無知の知」は、真理を探究する者がそこに立ちどまっているわけにはいかない哲学の確固とした出発点(ἀρχὴ)であり、立脚点(ὑποθεως)でなくてはならない。
藤澤令夫はそれを、「自分が何事かを知っていると思いこむ以前の状態に、つねに自分を置くことへのたえざる習熟ということである。自分がすでに知っていると思いこんでいる状態からは、知への欲求は発動しようがない」として、その真意を「ほんとうに知っていることと、たんに知っていると思い込んでいることとを、あくまで厳格に区別しようとする構え」と説く(『プラトンの哲学』、43~44頁)。
思うに、「哲学」(φιλοσοφία)、延いては「学問」(μάθημα)とは、厳密に(ἀκριβῶς)考える(διανοεῖσθαι)ことに外ならない。それによって、一見無駄話(ἀδολεσχία)にしかみえない「観念遊戯」(ἑπίνοιαν παιδιά)にも、真理の解明(λύσις)に資する余地も生まれるかもしれない。
田中美知太郎はかつて、余裕(σχολή)のない思考法を戒め、次のようの諭した。
つまり、「世人が効果のない無駄話として嘲ったソクラテスの談話のうちに却って眞の學問的精神をみたプラトンは…哲學者はかゝる遊戯を解しなければならぬことを敎へてゐる」とも。
無学人(ἀμαθής)氏に申し上げる。「無学」(ἀπαιδευσία)も徹底すれば、何ほどかのことを悟ることもあろう。カ氏のような虚飾に満ちた「半可通」(ἡμιπόνηρος)は論外だが、何ごとも中途半端(ἥμιγενής)はいけない。77⇒【篠田さんが投稿された内容からも逸脱…私は不快】は、如何にも逃げ口上だ。精々奮起されたい。
「無知の知」に戻る。デルポイの神託(χρησμός)の意味をめぐって、『ソクラテスの弁明』の問題の箇所で。「本当の知者は神のみ」(‘τῷ ὄντι ὁ θεὸς σοφὸς εἶναι’)であり、人間たちのうちで「一番の知恵のある者は、誰でもソクラテスのように、自分は知恵に関してソクラテスのように、実際に何の値打ちもないものだということを知っている者」(“σοφώτατός ἐστιν, ὅστις ὥσπερ Σωκράτης ἔγνωκεν ὅτι οὐδενὸς ἄξιός ἐστι τῇ ἀληθείᾳ πρὸς σοφίαν”)とされていることについて、『ソクラテスの弁明』の定評のある田中美知太郎訳と最新の納富信留訳を、比較しながら考える。まず田中訳から。
納富訳は、
「そこに居合わせた人たちは、吟味のたびに、私が他の人を吟味しているその主題について私が知者である、と考えたからです。しかしおそらく、皆さん、本当は神こそが知恵ある者なのであり、この神託では、人間的な知恵などというものは、ほとんどなににも値しない、とおっしゃっているのでしょう。」(光文社古典新訳文庫、36頁)
両者の訳で「人間の知恵」「人間的な知恵」(ἡ ἀνθρωπίνη σοφία)とされているものは、「無知の知」とソクラテスが呼んだ「知」のあり方だが、「人間の知恵」の価値について、納富氏は特に「人間はすべて『大切なことについて、知らない』という不知の状態にある。ソクラテスは『知らないとことを知らないと思う』という点で、他の人々とは異なり、『人間的な知恵』をもつとされるが、それさえも『不知』の一種であり、神の知恵との対比で無にすぎない」と註記する(納富訳、37頁註17)。
「人間たちよ、おまえたちのうちで、いちばん知恵のある者というのは、誰でもソクラテスのように、自分は知恵に対しては、実際は何の値うちもないものだということを知った者が、それなのだと、言おうとしているようなものです」(田中訳=‘οὗτος ὑμῶν, ὦ ἄνθρωποι, σοφώτατός ἐστιν, ὅστις ὥσπερ Σωκράτης ἔγνωκεν ὅτι οὐδενὸς ἄξιός ἐστι τῇ ἀληθείᾳ πρὸς σοφίαν’ : isbid., 23B)
「『人間たちよ、ソクラテスのように、知恵という点では真実にはなににも値しないと認識している者が、お前たちうちでもっとも知恵のある者なのだ』と」(納富訳=納富は「認識している」と訳した[ἔγνωκεν]は、この前後で使われる「知る」とは異なる動詞と注記する=37頁)
以上から明らかなように、ソクラテスが自分が具えていると認めるのは「人間並みの知恵」で、そこで「人間並みの」(ἀνθρωπίνη)とはむろん神(θεός)との対比で語られ、ソクラテスに何か特別な「知恵」があることを意味しない。見過ごしてならないのは、「知る」という認識の状態が、漠然と「思う」状態から区別され、意識的に使い分けられていることだ。厳密な知識=知恵の条件を意識している。
つまり、ソクラテスの知の探究(ζήτησις)は、中途半端な無知な「思いなし」(δόξα)、即ち不充分なまま「知らない」と開き直っている状態を、魂の最も愧ずべきあり方として退ける。
「無知の知」が単なる出発点、前提でしかない所以だ。プラトンの用語法は、通常、「無知」と訳される二つの無知=[ἀμαθία][ἄγνοια]、つまり「無知」=[ἀμαθία]とは、「知らない」(不知)=[ἄγνοια]ということを自覚(ἔγνωκεν)していない状態とする。
ソクラテスが「無知の知」を説く人類の教師として崇められることを、ソクラテス自身が拒否している(ソクラテスはソフィストと異なり、自分が「教師」と呼ばれることを繰り返し拒否する)。
なお、「無知の知」という標語が如何なる意味で不適切であるかを分析しているのが、前国際プラトン学会会長の納富信留『哲学者の誕生―ソクラテスをめぐる人々』(第6章、2005年、筑摩書房を参照)。
ソクラテスが希求した(φιλεῖν)のはあくまで厳密な知識(ἐπιστήμη)であって、しかもそれは「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということ」(‘ὅτι οὐ τὸ ζῆν περὶ πλείστου ποιητέον ἀλλὰ τὸ εὖ ζῆν.’=Crito, 48B)とされたように、どこまでも、魂の善さ(τἀγαθά)にこだわる、知識=知恵と生き方との一体的認識だった。
「無知の知」を「無智」の知に読み替え、知識と一体となった知恵を「智慧」と言い募って途方もない法螺話(ἀλαζονεία)を撒き散らす「無学な人」(ἀμαθής)に、84⇒【客観的真理、倫理的価値】を語る資格(ἀξίωμα)はない。
解釈(ἐξηγέομαι)は過不足(ὑπεροχὴ καὶ ἔλλειψις)のない客観性(τὸ καθόλου)に尽きる。[完]
☆年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる。(ラ・ロシュフコー『箴言』93)
確かに、プラトンは「民主政治」ではなくて、「哲人政治」をめざしている。それは、ソクラテスがアテネの「民主政治」の元に死刑になったせいである。けれども、哲学を専攻したマルクスやゲッペルスが、共産主義や国家社会主義のような「全体主義」を生み出したように、「哲人政治」にも問題があり、その結果、「自由で民主主義」である日本を含む国家群では、学問の程度とは関係なく、「一人一人の思想の自由を最大限考慮する」「民主政治」が行なわれているのである。その為に、自分たちの代表者を選ぶための「多数決の原理」が採用されているのである。そのことから考えると、長谷部教授の「憲法学者だけに良識がある。」という主張は近代の「政治思想」から考えると、篠田教授の主張されるように「問題が多い。」と私も考える。反氏は、私の頭にクモの巣がかかっている、と主張されるが、私から見れば、反氏を含めて、憲法学者やマスコミ知識人、野党の政治家の頭にクモの巣がかかっている、としか思えない。
大切なことは、デマを広めないために、また、デマゴーグに騙されないために、マスコミの人びとが、「真実」を人々に伝える努力をする、ということに尽きるのではないのだろうか?その判断は、学問のあるなしに関係なく、民衆一人一人に任せて。私にしろ、東西冷戦下のチェコ旅行で亡くなった一人の西ドイツ人青年の死が、こう考えるようになった元になっているのだから、若い頃の体験は、人格、考えに大きな影響を与える。
92⇒【SNSで私の主張の根拠を見つけた。反氏が神とも仰がれる藤沢令夫氏が訳された『プロタゴラス』…副題は「ソフィストたち」…反氏が使徒であられるプラトンがソフィストたちを批判】とある。愚にもつかない「似而非反論」(ψευδομαρτυρία)で、無謀な(θράσος)素人芸(τὸ ιδιωτικόν)の極致だ。
ソフィスト(σοφιστής)の歴史上最大の批判者は確かに、ソクラテスの下で8年間学んだプラトンであることは事実で、代表的なソフィスト、最長老で筆頭格であるアブデラの「プロタゴラス」(Πρωταγόρας, BC494/488~c. 424/418)に捧げられた同名の初期対話篇の副題が「「ソフィストたち」であることも間違いない。御丁寧に、カ氏にかかるとタイトルまで、コピペだ。
92は、「だから、何?」という程度の話。誰を相手にもの申しているのか知らないが、「無知」が昂じると、何とも見当外れなところで、「根拠」だと逆上せ上がる。莫迦莫迦しくて、話にもならない。直近の85でも「『日本大百科全書(ニッポニカ)』は、一面的な記述で、プラトンのソフィスト像の反映にすぎない」と書いたはずだ。
プラトンはソフィスト批判の急先鋒で、そのものずばり、『ソピステス』という著作さえある。「そうでないもの」を「そうである」と巧みに論じるソフィストの「問答競技の術」(ἐριστική)、「ソフィストの術」(σοφιστής)を厳しく批判している。
☆精神の狭量は頑迷をもたらす。われわれは自分の理解を超えるものをなかなか信じようとしない。(『箴言』265)
問題は、プラトンが批判したことが、ソフィストの「実像」(ἀληθῆ)に沿ったものか否か、ということだ。
さらに私も65~67で『プロタゴラス』から引用して、知識(ἐπιστήμη)と知恵(σοφία)は別であるというカ氏の主張が、果たしてソクラテスやプラトンに関する限り、何ら根拠(διὰ τι)が「ない」(οὐ[κ])ことを、具体的に論証した。見え透いた愚にもつかない「独り相撲」は、カ氏の知性がどれほど低劣(πονηρία)かを物語っている。頭に蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)が張っているとした所以だ。
カ氏に反論(ἔνστασις)「できる」(δύναμαι)とも思えない。「無知」(ἀμαθία=愚鈍)なうえに、怠惰(ἀργία)で「無学」(ἀπαιδευσία)だから手に負えない(ἄπορος)だろう。カ氏にあるのはもう一つの「ムチ」である無恥(αναίδεια)だ。薔薇の指さす(ῥοδοδάκτυλος)暁(φᾶνή)の投稿91~92は、まるで自らの無知=阿呆(ἠλίηθιος)の証明(τεκμήρια)のような文章だ。つける薬はない。
91②⇒【「無知の知」や「ソフィスト」についての私の見解は妄想】は、カ氏に限らず、プラトンの原文を読んで、ソクラテスが(プラトンも)「無知の知」という直接的な言い方をしていないことを縷縷論証するなかで、カ氏のような主張は何らテキスト上の根拠がないことを証明したものだ。それが「哲学嫌い」(μισόφιλοσοφὶα)のカ氏の妄想(φαντασία)かどうかは、「自分で」(καθ’ αὐτό)判断すればよい。
いずれにしても、ソフィストされる多数の、学殖(μάθημα)に秀でた当代有数の知識人(ἐπιστήμων)の著作はほとんど残っていない。対話篇の大半が今日に奇跡的に伝えられたプラトンとの決定的な違いだ。プロタゴラスでさえ、真正の断片は四つに止まる。そのことが、ソフィストに対する一方的な中傷を助長した側面は否定できない。謂わば、歴史上の欠席裁判だ。
その一つが、人口に膾炙した「人間は万物の尺度」、つまり「人間は万物の尺度である。あるものについてはあることの、あらぬものについてはあらぬことの」(“πάντων χρηηάτων μέτρον” ἄνθρωπον εἶναι, τῶν μὲν ὄντων ὡς ἔστι, “τῶν δὲ μὴ ὄντων ὡς οὐκ ἔστιν.”=Platon, Theaet. 152A)である。それを伝えたのもプラトンの『テアイテトス』で、その後、アリストテレスらに継承される。
そして、プラトンの証言(μαρτυρία)は必ずしも「ソフィスト」の実像を伝えていないことは指摘した通りだ。
今日、ソフィストの名誉は研究者の努力によってほぼ回復され、その相対主義、批判主義、懐疑主義、不可知論的な思想は近代的思考の先駆けとして評価されている。しかし、英語でも‘sophism’(詭弁)や‘sophisticated’(洗練された)に痕跡を残しているように、市井の民にとどまらない世間の固定観念は根強い。専門家の責任もあろうが、旧弊な教育も悪いのである。
田中は大著『プラトン』(1979~84)が示すように、日本が生んだ世界的碩学で、欧米の著名な研究者に勝るとも劣らないプラトン学者だが、『ソフィスト』はソフィストについて、当時の西欧にもまとまったモノグラフがなかった時代、39歳で根本資料によってまとめた、小著ながら『ソクラテス』と並ぶ名著だ。ガスリー(W. K. C. Guthrie)による現在の標準的なギリシア哲学史の通史『ギリシア哲学史』(“A History of Greek History ”=第3巻‘The fifth century Enlightenment.’[1969]で、ソフィストとソクラテスについて詳術しており、バランス良い記述で学界の通説)に見劣りしない。
田中によれば、ギリシア思想が伝統的な治国斉家の教えや、狭い日常経験と世俗的人情のみに即するレトリックを越えて飛躍的な発展を遂げるためにも、ソフィストの「これらの一切を無視する‘ἐριστική’論理の破壊的な仕事が充分な意義をもつものであったことを認めなければならない」(『ソフィスト』167頁=講談社学術文庫版)と、その歴史上の意義を正当に評価する。
その上で、最終章「悪名の由来」で、弁論術やソフィストの業は、「治国斉家の術に似て非なるものであって…何がよいのか本当のことは少しも知らずに、ただそれらしきものをあて推量して、人々に取り入ることばかりを考えている者」だから非難されたとする(同170頁)。ソフィストの本質はその「似て非なる」性質にあった、と。
ところで、『プロタゴラス』には、脱線とも言える「戯れ」に似た詩人シモニデスをめぐる興味深い一節があり、ソクラテスがソフィスト顔負けの大演説を行う。
プラトン後年の詩人批判、理想国家からの詩人追放論を髣髴とさせる議論で、ソフィストたちが、「人間にとって教育の最も重要な部分をなす」とされた詩=文学作品や創作活動が、「はっきり確証できない事柄について、がやがや論じあうだけ」だとして、「と言いますのは、詩のことを話題にして談論をかわすということは、どうも私には、凡庸で俗な人々の行う酒宴とそっくりのような気がしてならないのです」‘καὶ γὰρ δοκεῖ μοι τὸ περὶ ποιήσεως διαλέγεσθαι ὁμοιότατον εἶναι τοῖς συμποσίοις τοῖς τῶν φαύλων καὶ ἀγοραίων ἀνθρώπων.’=Protagorasrito, 347C)と斬って捨てている。
その趣旨は、詩人が盛んに振りまく言葉の意味を、詩人自身が「自分の語っている事柄について何も知っていない」というもので、ソクラテス、プラトン流の「知」に対する厳格な要求が、如何に徹底したものだったかを物語る。
その点で、シモニデスに限らず、ギリシアの詩人たち(悲喜劇の劇作品も韻文で書かれている)、ホメーロスでさえ「詩作は知によるものではない」とされる。この点からすると、ソクラテスの手にかかれば、ゲーテなど、ものの数ではないことが容易く想像できる(呵呵)。
カ氏は、自覚されざる俗説(ψευδῆ δόξάζειν)の憐れむべき犠牲者(παθητός)、被害者(ὁ πάσχω)なのかもしれない。[完]
ソフィストの悪名の由来について、田中美知太郎は『ソフィスト』(1941年)の中で、次のように結論づけている。
「おそらくこの悪名は、プラトンの『プロタゴラス』(316C)、『ソクラテス弁明』(19E)などに言われているような、青年たちの間におけるソピステースの非常な人気などから生じたものではないかと思われる」(191頁)。
つまり、ソフィストたちが、その該博な知識と巧みな論争術、所謂「弁論術」を精錬し発展させた問答競技の術(ἐριστική=ソクラテスはそれを「産婆術」[μαιευτική]と称して、プラトンの概念問答法[διαλεκτική]を準備した)によって青年たちをとらえた(αἱρήσω)であろうことは想像に難くない。
青年たちも「国家公共の大事」(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)に相応しい力量(ἀρετή)を修得可能だと考え、親族や共同体の長老ら、祖国の古風な父祖伝来の(πάτριος)祖法(νόμος)や法秩序(νόμιμος)、掟(θέμις)に挑戦または傾聴する(ῶτα παρέχψω)ことなく、旧弊ぶりを嘲笑する(σκῶμμα)こともあった。
争って外来の「知者」の教えに殺到したことで、ソフィスト自身が人々の反撥(ἀντεῖπον)や嫉妬(φθόνος)、恨み(ἐπονείδιστον)を買ったことを、プロタゴラスも指摘する。ソフィストの社会的成功に嫉妬深い(φθονερός)視線が投げられることもあった。それが危険な(κίνδυνος)行為として、敵意(ἔχθρα)をもって迎えられることも多かった。
田中は「子弟の好ましからぬ傾向をすべてソピステースの責任に帰したかもしれない…アルキビアデスやクリティアスなどのような才能ある人たちの非行も、ただちに新教育のためであると信じられる傾きがあった」(191頁)とソフィストが、伝統を重んじる古い価値観に固執する平均的な民衆らには敵意の対象であったことを明らかにする。
そして歴史上の「悪名」の由来が、ターレス以来の世界と自然研究に向けられていたそれまでの哲学的思索に根本的な見直しを突きつけ、論理的探究や自然研究では瞠目すべき成果を挙げた一群の学識ある教師たち、他方でその過激な言辞にもかかわらず知識の厳密な追求ではなく、素朴で不徹底な世間的価値観にとどまっていることを指摘して激しい(σφοδρός)批判を加えたのが、ソクラテスであり、プラトンだった。
それは、世界の起源を問うより、「人間並みの知恵」(ἡ ἀνθρωπίνη σοφία)に沈潜することで、「知」の探究に革新(καινοτομία)、即ち「魂及び魂の神的な器官(知性)を、生々流転して止まることを知らない世界から『真実在』(イデア=ἰδέα, εἶδος)の方へ方向転換=『向け変え』(περιαγωγή=転向)」(『国家』518C~519B, 521C, 525A, C)という哲学の根本理念と、ソフィストの相対主義的で現世志向の強い懐疑主義的な探究法に基づく実践的哲学観との対立だった。
田中の結論は直截で、「プラトンも賛成しないソピステースの…青年腐敗説を取り上げて…道徳破壊者に仕立て、ソピステースであるか否かの疑わしい人たちまで、その片言隻句によって…ますます危険人物にしてしまった者は、19世紀のドイツの哲学史家たち」と結論づけている。
さらに納富信留は、資料の制約からこれまでプラトンらの視点から見る傾向があったソフィスト像をソフィスト自身の側から再構成する形で真相に迫っており、田中以来の注目作となっている。
多くの辞書の記述で明らかなように、ペロポネソス戦争の頃から、冷静に政治的判断を行うべき評議会(政務審査会)はその機能を失うが、それは、説得力のある雄弁を用いて言論を支配するデマゴーグが現れるようになり、戦争期の興奮の中、デマゴーグの誘導によって国策が決められるようになってしまったからである。政治的成功を望む人間は大衆に自己の主張を信じさせる能力を必要とした。そのためには、自信たっぷりに物事を語ることで人々を納得させ、支持を取り付けるものとしての話術の習得が必須であった。ここに、大金を出して雄弁の技術を身につけようとする者と、それを教えるとするソフィストの関係ができあがった。(Wikipediaより)。普通、ソフィストといえば、そのような教師をさすのである。
智慧は、六波羅蜜、大乗仏教の代表的な修行、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、の最終段階である。大乗仏教の修業は、自らが悟りを得るための修業に、人々に幸せをもたらす利他業を加味したもので、自分本位な心を捨てて、他の存在の為に生きることで得るものがある、という宗教であるが、智慧は、その修行の最終段階なのである。その精神は、プラトンが記述したソクラテスの「真理」を追究しようとする姿勢といかに似た精神であるか。翻訳は、辞書通りに訳して、終わり、というものではなくて、どのように訳せば、読む人にわかってもらえるのか、を考えて訳さなければならないから、日本語の能力がより必要である、と私が主張するのはその意味なのである。それは、翻訳家の常識なのではないのだろうか?
私は、「真理の追究」ではなくて、説得力の強化、デイベート、のみに力を入れるべきだ、という学者の説を取り入れてから、日本の教育がおかしな方向にいってしまった、という危惧を覚える者であるが、「説得力のある雄弁を用いて言論を支配するデマゴーグ」ではなくて、「冷静に政治的判断を行うことができる政治家」を、我々の代表者として選出すべきだと思う。私は、反氏に、ワイツゼッカーの巫女と揶揄されるが、ワイツゼッカー氏は、法学を専攻した実業家出身、冷戦下の東西ドイツの橋渡しをしたドイツ福音主義教会大会(キルヘンターク)の議長職も勤め、西ベルリン市長も勤め、その貴重な「体験をふまえて」、賢明な「ワイツゼッカー」演説をされた方なので、喜んで「巫女」になりたい、と思っている。
100⇒【私たち、普通の知的な学校教育を受けた日本人がどういう意味に受け取るか】というが、ソフィストの「実像」(ἀληθῆ)とらしきものを知って、「頑迷固陋」(δυστράπελος κὰι ἀκληρότης)の見本(παράδειγμα)のようなカ氏と一緒にされても困る、良識(εὐγνωμοσύνη)を具えた(μετάληψις)日本人の方が多いだろう。
少なくとも、無知ゆえに(δι’ ἄγνοιαν)、一貫して「ソクラテスの真理の探究法」(10月10日・34)を繰り返し吹聴している人間が、『ソクラテス全集』なる、さすがにWikipediaにさえ存在しない「珍説」まで披露している怖いもの知らずの(θράσος)間抜け(ἀμαθία)が、100②⇒【言葉、というものがわかっておられるのか】でもあるまい。
「大事なことは」、自分の無知蒙昧を棚に上げてご大層な法螺話を喋喋することではあるまい。コピペだけでは足らず(コメント100の全文567文字中、実に298字、52%、つまり過半数はコピペによる「インチキ立論」)、真っ当な日本語の文章さえ書けないから、100③⇒【専門的な学術の世界、プロタゴラス、ヒッピアス、ゴルギアス、プロディコスを研究し、吟味した専門家のソフィストと称せられる彼ら】のような、不得要領な(σομφός)語法違反(σολοικισμός)の文章が平気で書ける。
☆情熱には不正がある。また独善がある。だから、それを追うことは危険だし、如何に道理にかなっているとみえようとも、気を許すべきではない。『ラ・ロシュフコー箴言』9)
☆狂人と愚か者は、気分でしかものを見ない。(『箴言』414)
主語(ὑποκείμενον)の【ソフィストと称せられる彼ら】の目的語が【プロタゴラス…プロディコス】では、ソフィストがソフィストを「研究、吟味」することになってしまう。
100④⇒【普通の知的な…日本人】はカ氏以外、こうした文章は書かない。常識(τὰ ἔνδοξα)も「カカナイ」=「欠かない」。それにしても、莫迦げた(καταγελάσιμος)「詭弁的」(σοφιστικός)という域にも到達しないまやかし(γοητδεύειν)だ。
ましてや101⇒【ソフィストの言葉の解釈として、Wikipediaの解釈が正しいか、どうかはともかく】のような、無思慮な(ἄφρων)御当人が図らずも(ἀγνοέω)口を滑らせている冗語=衝撃的言辞をみれば、何がカ氏が力説する「客観的事実」(οἷα ἦν ἢ ἔστιν)に基づく真理(ἀλήθεια)、即ち84⇒【「ソフィスト」という言葉の解釈は、このブログのテーマ、『憲法学者の憲法解釈の指針は何か』というテーマにとって大事】だか分らなくなる。
さらに、84②⇒【私が若い人々に求めたい…ことは、客観的真理、倫理的価値の追求をしていただきたい】を最も裏切っているのが、詐術的な議論しかできないカ氏で、紛れもない頓馬(ἀφροσύνη)で恥知らず(ἀναισχυντος)な実態(τὸ ἀληθές)なのだろう。
投稿も今回で1900件に達した。
102は歳相応の思慮=自制心(σωφροσύνη)を欠いた愚鈍な人物が、恥の上塗りをするに等しい愚行。ソクラテス(それを伝えたプラトン)の説く「知」、厳格な知識(ἐπιστήμη)と一体になった「知恵」(σοφία, φρόνησις)は、カ氏がコピペで騙る(ἐξελαύνω)「智慧」とは異なる。
103はヴァイツゼッカー演説の巫女(προφῆτις)を自認する狂信的な(μανικός)人物の、その名に相応しい「神がかり」(ἐνθυσιασμός=霊感)の戯言ἀλαζονεία)。
カ氏のように、ヴァイツゼッカーの「お告げ」を伝える人物を「託宣師」([μάντις]または[χρησμῳδός]、[ θεόμαντις])という。[μάντις]は狂気(μανία)が元で、「狂人」(ὁ μανίνομαι)も御仲間だ。巫女もその仲間である女祭司(ἱέρεια)、男なら神官(ἱερεύς)は神(θεός)に仕える。
きょうから大型連休だ。戯れ(παιζειν)の暇つぶし(διατριβή)に、正気(τὸ σωφροσνέω)との境目(ὅρος)が奈辺にあるのか、カ氏をじっくり観察するのも一興だろう。いろいろな「合図、印、兆し」(σημεῖον)が見えるようだ。ソフィストより、分かりやすい。
思慮を欠く老人(πρεσβύτης)は、幼児に劣る(φλαῦρος)。[完]
「無知人」さんが希望されるように、ゴールデンウィーク中、様々な方がコメントを投稿し多種多様な意見を交える場になっていたら嬉しいです。そして、もし、お時間がおありでしたら、私の無学ながら、一生懸命書いたコメントを読んでいただき、コメントいただけたら、嬉しいです。
107⇒【100の全文567文字中、実に298字、52%、つまり過半数はコピペをして、どこが悪いのかと思う】ということだそうだ。
「へぇ~、そうなんだぁ~。copy & pasteって、早い話、怠慢というか、『盗み』みたいなものでしょ。どうしようもない劣等学生のよくやる手だと思ってたけれど、70年近くも生きていると、随分図々しく(ἀναιδής)なるんだぁ~、て感じ。よくやるわ…ホント。この間もゼミでコピペだらけのリポートを提出して、それがばれて担当教授に散々絞られていた、カロリーヌとか言う女子学生がいたけど、あれって、ドイツ語だと確か…」
「それにしても、52%コピペというのも、スゴイな。大した読経というか、ソクラテスの「無知の知」とかでさぁ、暇なおっさんがギリシア語で随分念入りに説明したのに張り合って、仏教の智慧とか言っちゃってさ、呆れた言い分には畏れ入ったね。その手があるんだぁ~と、妙に感心しちゃったョ。さすがは歳の功、無駄に生きてないよなぁ~。戦後、女とストッキングは丈夫になったっていうけどさ」
「あんた、それどういう意味ョ‼ そんな御託並べていると、女を敵に回すわョ。それに『読経』じゃなくて、『度胸』でしょ。なに親爺ギャク飛ばしてんのよ。女が図々しくなったですって! この唐変木のコンコンチキのインチキ野郎、言わせておけば調子に乗りゃ~がって! 『女とストッキング』だって、もうすぐ令和だよ、譬えが古いのよ、あ~ァ、全く。やだやだ、ドイツもこいつも‼」
市井の民は正直(εὐθυ)な分、遠慮(κόσμιότης)がない。元西独留学生で外資系企業勤務、所詮は元「語学屋」の連休初日の捨て台詞。ドイツかぶれで、廉直な(αἰδώς)日本人の心を見失った(στερέομαι)らしい(呵呵)。
まず、カ氏のソフィストに関する記述に、次のようにある。「「ソフィスト」という言葉の解釈は、このブログのテーマ…にとって大事だし、自分の名誉が、汚されたままでは、いやなので」との理由で、ネットの上の辞書、事典をまとめた「コトバンク」なるサイトからコピペして、杜撰に切り貼りして投稿文を仕立てている。即ち、
84⇒【次の定義は、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典からの抜粋】として、内容は、【ソフィスト…前5世紀から前4世紀初期の…ソフィストと呼ばれた。】の224字が、一字一句違わぬコピペ。
コピペした箇所に続く84②⇒【反氏が主張…ソフィストは、2世紀のギリシア文芸の復興が起こったあとのソフィスト】は、無知ゆえの完全な誤読で、文字通り「無学」の証明(⇒85を参照)
次いで、84③⇒「【日本大百科全書(ニッポニカ)を参考…哲学者プラトンはソフィストたちの名を冠した一連の作品を著し、ソクラテスと真理のために、これらの思想と対決しその虚偽を暴いた】、とある」とするが、【】内の箇所は、やはり一字一句違わぬコピペ。
問題はこちらの方は、1070字ある相当長い記述の一部から、わずか61字を恣意的に選び、カ氏の立論に都合の悪い箇所をすべて割愛して読者を欺いている点だ。詐欺師並みの、しかしすぐばれる間抜けさで。
しかし、カ氏の悪質で杜撰な編集にかかると、コピペ箇所に続く、本来はギリシア語で「知者」(σοφιστής)を意味するソフィストが「悪名」に転じる理由と、その妥当性についての著者の見解、つまり、
84④⇒【ソフィストの語はこうして、詭弁…の徒を意味することとなり詭弁学派ともいわれた。ただし、事態の裏面をみるならば、ソクラテスとプラトンの哲学はソフィストたちの恐るべき論理から生まれたとも考えられ、その意味で彼らの哲学史上の意義がしばしば再評価される】という記述が意図的に隠蔽されたに等しい、悪質極まる引用になる。
怠惰な「コピペの女王」(βασίλισσα)の隠れた(λανθάνω)悪辣(κακός)で、目的のためには手段を選ばぬ好戦的(φιλερις)な「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)が歴然としている。ついでに言えば、『ブリタニカ』と『日本大百科全書』では、読点の種類が異なるが、コピペだから「、」「,」の違いまで原本が保存されている。
このほか、「コトバンク」には『百科事典マイペディア』の短いがバランスの良い記述も紹介されているが、カ氏は全く無視する、驚くべきご都合主義ぶりを発揮している。即ち、
84⑤⇒【ソフィスト=ギリシア語ではソフィステスで、原義は〈知者〉〈達人〉。sophistはその英語形。前5世紀中葉からギリシア世界に出現した職業的教師で、報酬を得て富裕市民の子弟に弁論術などの諸学芸を教授した。プロタゴラス、ゴルギアス、ヒッピアス、プロディコスらが有名。とりわけソクラテス、プラトンのソフィスト非難があずかって、〈詭弁家〉との悪評が後世まで残るが、知識の普及者、言語批判の先駆者としての意義は大きく、ほぼ同時代の中国の諸子百家に比せられる】。
最後に、辞書の不足を補足するなら、ソフィストが古代ギリシア以来、西洋の教育に及ぼした影響は甚大で、古代ローマを経てその後の教育の伝統を形成する一般教育=教養(παιδεία)、中世の大学教育の基礎である所謂リベラルアーツ「自由七科」(septem artes liberales)も、古代の自由学科(自由学芸=artes liberalesに由来)の礎石を築くことになる。西洋において、教養の理念を確立したことは、紛れもないソフィストたちの功績だ。
ヒッピアス(Ἱππιίας)を始原として、著名なソフィストの一人ゴルギアス(Γοργίας)の弟子で、プラトンと同時代のアテーナイの令名高い教育家イソクラテス(Ἰσοκράτης)が、その学校を通じて普及させた普遍的教養(‘humanitas’)の理念として、歴史上、ヨーロッパにおける正統的な教育思想の一つの源流になる。その理念はキケロに継承され、ルネサンス期のぺトラルカに引き継がれていく。
さらに、数学でもヒッピアス、アルキュタス、キオスのヒッポクラテス(医学の祖とは別人)、メナイクモスらは、角の三等分、立方体の倍積、円の正方形化という当時の三大問題を円積曲線、円錐曲線を導入して解いた。ソフィストが、単なる「詭弁家」などではないことは、その実態を知る者にとっては、「常識」だ。
以上によって、カ氏が真理など語るに値しない、如何にまやかし(γοητδεύειν)に満ちた人物か、非を火を見るより明らかだろう。[完]
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